安倍晋三 誠をもって動かざるもの未だ非ざるなり
<プロフィール>
衆議院議員 安倍晋三(あべしんぞう)
1954年9月21日
安倍晋太郎・洋子夫妻の次男として生まれる。
1977年3月成蹊大学法学部政治学科卒業。南カリフォルニア大学政治学科留学。
1982年11月 外務大臣秘書官(安倍晋太郎秘書)。
1991年7月 故安倍晋太郎後継者として安倍晋三後援会事務所を各地に発足。
1993年7月 衆議院議員に初当選、以来連続4回当選。
1993年8月 外務委員に指名される。2000年7月 第2次森内閣 官房副長官に就任。
2001年1月 第2次森改造内閣 官房副長官に就任。
2001年4月 小泉内閣 官房副長官に就任。
2002年10月 小泉改造内閣 官房副長官に就任。
2003年9月 自由民主党 幹事長に就任。
2004年9月 自由民主党 幹事長代理に就任。同時に党改革推進本部長に就任。
決断のときに、備えよ!
焦って行動することは、ありません。決断のときというものが、誰にでも巡ってくるものです。だから、その時にしっかりとした決断が下せるように、考えておくことが大切なのです。父の最期の1年をみて、私は命を賭けて政治家になることを決めました。
今の学生だって、いろいろなことを考えていると思う
私が大学生の頃は、昭和50年前後で、大学紛争が終わってまだ間もない時でした。「現存の政治に対する反発」という世論の雰囲気が色濃くなり、政治に対する意識が急激に高まった時期であったように思います。その頃と比べますと、一見、今の大学生は政治に対して、関心がやや薄いように見えますが、一概にそうとは言えないと私は思います。私の学生時代の政治に対する反発は一時的な反動で、それは若者であるが故の未熟さによるものであったと言えなくもありません。何故なら、その反発の結果、実際の政治において国民の利益となるような良い結果につながったのかと言えば、そうとは言えなかったからです。私は、今の学生は一人ひとりが目立った行動は起こさないけれども、政治について、そして日本の将来について、いろいろなことを考えているのだと思います。ですから、今すぐに焦って行動を起こす必要はないと思いますが、現実問題として、来年、日本の人口はピークを迎え、それに伴って、年金の問題、老人医療の問題など、さまざまな問題が浮き彫りになってきます。それらは、いずれも私たちの将来を直接左右する大きな問題です。だから、普段から様々な問題について、しっかりとした考えを持ち、いざという時に自分なりの判断ができるようにしておくことは、学生の皆さんにとっては大切なことだと思います。
政治家とは、命がけの仕事
私が政治家になろうと思ったのは、父の影響がとても大きいと思います。私は、大学を卒業後、株式会社神戸製鋼所に入社しました。そこで仕事はとても順調で、楽しい毎日だったのですが、父が外務大臣になった時「政治家になるなら、今がベストではないか」というアドバイスをくれました。なぜなら、父も祖父も外務大臣になった時に秘書官になったからで、振り返ってみると、その時の決断が父のその後の人生において、非常に良かったというのです。それを聞いてからとても迷いましたが、幼い頃から憧れの存在だった父のアドバイスということもあり、きっぱりと会社を辞め、父の秘書官になることを決めました。しかし、政治家になるということに対しては、まだ若干の抵抗がありました。何故なら、私が小学2年生のとき、父が選挙に落選したことによって、家族がとても大変な思いをしたのを見ているからです。そんな私の迷いを断ち切ったのは、病床に伏した父の最期の1年間でした。その1年間、父は身体の調子があまり良くないのにもかかわらず、最期まで選挙の応援に駆けつけるなど、政治家として精一杯活動していました。このことが結果として、父の寿命を縮めてしまった訳ですが、そんな父の後ろ姿を見て「政治家とは、命をかけるに値する仕事なんだ」胸が熱くなりました。そして、政治の道に進む決意が固まったのです。
私は「誠を持って、動かざるもの、未だ非ざるなり」という孔子の言葉が、とても好きです。これは、私の尊敬する吉田松陰先生も好まれたお言葉です。この言葉の通り「みんなの住んでいる国を良くしたい」と、国家のためを思い、信念を持って行動すれば出来ないことは何もないと、私は信じています。
「僕が学生だった頃の思い出」
私の祖父と父が共に政治家だったこともあり、学生時代から、政治は身近なものでした。私は日本の大学を卒業後、アメリカの大学に2年間ほど留学しています。どちらの大学でも政治学を学んだのですが、日本の大学では、どちらかというと古典的な政治学を学んだという印象があります。それに対して、米国の大学では基本的な政治学はもちろん、現代の政治について学ぶことができました。それは、大統領の政治について分析したり、アメリカ特有のホワイトハウスのシステムについて学ぶなど、極めて実践的でとても興味深いものでした。又、当時のアメリカでの生活についてですが、私はイタリア系アメリカ人のお宅に下宿していたので、アメリカにいながらイタリアの雰囲気に包まれて暮らしていました。まさに、アメリカは「人種のるつぼ」だということを実感しながら、幅広い教養を身につけた2年間でした。
学生新聞2005年4月号より
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