矢沢永吉 衝撃に出会えるかどうかで人生は決まる。

<プロフィール>

ミュージシャン 矢沢永吉(やざわえいきち)

広島県出身。1949年生まれ。 「I LOVE YOU.OK」でデビュー。プロデューサーとして自身の多くのアルバムを手がける。俳優として映画やドラマの主役を務めたこともあり、CM出演も多数にのぼる。デビュー以来毎年続けていたライブツアーを、昨年36年日にして初めて封印したが、今年9月に60歳を迎えるにあたり、その記念企画の一環として東京ドームでライブを行う。公演タイトルは直球勝負の「ROCK’N‘ ROLL IN TOKYO DOME」。その後、2ヶ月に及ぶツアーが始まる。「学生も1回見に来た方が良いよ」と矢沢。

「泣いてしまうくらいの衝撃を受けた。『これだ!』って思った」大物ロックスターと言われる「矢沢永吉」の歴史は、ビートルズに出会った7歳の時から始まった。「この出会いはチャンスで、その先にはダイヤモンドがあると思った。高校3年生の時にはもうアーティストになるつもりだった」。夢をがむしゃらに追いかけ実現し、常に輝きを放つ大物に話を聞いた。

「(仕事は)働くという感覚でやっていない。ただ、ひたすら上に行きたかった。毎日必死でずっと走っていた」。矢沢さんにとって働くとは?”という問いに対して、少し考えてからこう話した。「“働く”って何?」と言わんばかりの表情で。

ずっと走り続けてふと後ろを振り返った時、ゴール地点はすでに後ろにあった

ロックシンガーという夢を抱いた矢沢は、高校を卒業すると夜汽車に乗って上京した。

オーディションは絶対受けよう。人前で歌ったら度胸がつくし練習になる」そう考えた矢沢は、仲間が出来るとすぐにディスコのオーディションを受けた。一回目は失敗に終わったが悔しさから猛練習。二回目、クラブのオーディションで一ヶ月契約を交わした。「5曲しかレパートリーがなかったのに『俺たちハマ(横浜)でパリバリやってるんです!』と言って受けさせてもらった(笑)ガタガタのバンドだったし、嘘をついたのはばれていたね。でも、エネルギーに惚れてくれた」さらにその時、交通費として一万円をもらった。ロックシンガーとして初めてもらったギャラに喜びを隠せなかったという。余ったお金でコカコーラとインスタントラーメンを買って仲間と祝った矢沢。「あの時の味は今でも忘れられない。『ここから始まるんだ!』と思った」

常に本気で走っていた。レーコードデビューをしても、「ずっと不安で、俺はどうなっちゃうんだろう?と思っていた」。だからこそ走り続けた。スタートし出した20歳の頃、当時付き合っていた女性に、「そんなに走らないで。私も一緒に行くから」と言われても。次第に彼女の声が聞こえなくなっても、走り続けた。とにかくがむしゃらで周囲の人に、「もう大丈夫、安全な位置にいるよ」と言われても信じなかった。 やがてその声さえも聞こえなくなり、ふと立ち止まって後ろを振り返った時、「誰もいなかった」と矢沢は言う。「ゴール地点はすでに後ろにあった。自分の夢を通過していた」。大物ロックスターはその時、「ゆっくりあぜ道を見ながら、自分の音楽をかみ締めるのも良いな」と感じたという。

ビートルズに出会い、大きな一衝撃を受けた矢沢は、子どものような生き生きとした目で話す。「衝撃に出会えるかどうかで人それぞれ人生が決まる。僕はスコーン!と抜けるような衝撃を7歳のときに感じられた。こんなに素敵なことはない」

“繰り返し“が矢沢ライブを確立させた。繰り返すことが大切なのはどの仕事でも同じ

矢沢にとってステージ(ライブ)とは「表現する場所」だという。「どうやったら一万人の観客をぶっとばせるか、常にアレンジや演出を考えている。だからこそ自分の予想通りに観客がはまった時は嬉しい」。さらに矢沢独特の表現でこう付け加えた。「一番幸せに感じるときは、最高のステージをした後のシャワー。その繰り返しで矢沢ライブが確立した。繰り返すことが大切なのはどの仕事でも

同じ。『繰り返し is GREAT』!『GREATなマンネリ』!」

矢沢は “繰り返し“を重ね、気づけば今年、ロック歌手5年目を迎えた。 8月5日には 4年ぶりのアルバム、ROCK’N’ROLL、 を出す。このタイトルにした理由は「敢えて直球で行きたかったから」。「これまで俺は日本でも世界でもバカバカやりまくった。やるだけやって5、6年前、『何か大事なものを忘れてきたんじゃないか?』と思った。それで一旦レコード作るのを止めたんだ」。

今、答えは見つかった。「作り手は、良いドラマーやギターリストに先に目が行くけどリスナーはそうじゃない。大事なのは直球。わかりやすいロックをしたいね、直球で行きたい」

60歳を迎える9月には、20年ぶりに東京ドームで公演。そしてその後は2ヶ月に及ぶツアーが待っている。今後の目標を問うと、「12月に(ライブを終えて)ものすごく気分良くクリスマスを迎えること」と、遠くを眺めながらもはっきりと答えた。

大学は社会に出るための予行練習

高校卒業後、ロック歌手を目指してすぐ社会に飛び込んだ矢沢。「大学は社会人になるための予行練習。社会と大学は全く別の顔をしていると言っても過言ではない」と言い、こう学生にメッセージを残した。「大学4年間、大いに謳歌してもらいたい。でも卒業後、社会とのギャップを後で感じないように覚悟決めて、ふんどし締めて4年間ばっちりやりなさい」

近寄りがたい印象があった「矢沢永吉」だが、今回の取材でそれは一掃された。大物ロックスターにも関わらず学生相手に終始、対等に話をしてくれ、また体全体で感情を表現しながら質問に答える姿からは、誰よりもまっすぐで熱い心を持った人なのだと感じられた。

還暦を迎えようとしても、ビートルズに出会った時の感動を今なお持ち続けている男のパワーは衰えることを知らない。

学生新聞2009年7月号より      

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