WCD日本支部 共同幹事 斎藤聖美

女性の社会進出の変遷を経験し、女性役員の支援へ動く

WCD日本支部 共同幹事 斎藤聖美(さいとうきよみ)

■プロフィール
1950年生。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本経済新聞社、ソニーを経て、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。モルガン・スタンレー投資銀行などを経て、2000年、現在のジェイ・ボンド東短証券株式会社を設立、日本国債電子取引システムを運営。何社か社外取締役を務める傍らビジネス書を25冊ほど翻訳・出版している。

日本経済新聞からソニー、モルガン・スタンレーを経て、現在2000年に創設したジェイ・ボンド東短証券株式会社を経営。多数の会社の社外取締役を務めながら、WCD日本支部の共同幹事として女性役員が相互に切磋琢磨、協力しながらレベルアップを目指す場の提供に力を入れている。まだ女性が働くことが珍しかった時代に、斎藤さんがどのように社会進出を考えてきたのか、女性役員の支援に至るまでの経緯についてお聞きした。

■人間関係が広がった学生時代

 当時は女性が大学に進学することが珍しく、さらには就職する女性も少ない時代でした。入学した慶應義塾大学経済学部は2000人ほどいる大きな学部なのですが、女性はたった20人ほど。私自身、幼少期から本を読んだり、文章を書いたりすることが好きだったので文学部を志望していたのですが、強制されなければ経済や政治などの専門書を読むことはないという兄の助言もあり、経済学部を選択しました。当時は勉強一筋というのはファッショナブルではなかったので、バスケや柔道の同好会に入って色々な友人と出会いました。社会に出る前の準備期間として、人間関係の幅が広まり、周囲の人たちとの接し方を学んだ4年間だったと思います。それまで女子高だったこともあり、世の中の広さを知りました。

■女性のキャリアプランがない時代、どう生き抜いたか

ずっとジャーナリストに憧れ、新聞社を志望していたのですが、当時は女性を採用する新聞社はなく、唯一日本経済新聞の電算機本部だけ女性も入社可能でした。一旦入社して、のちに編集部への異動を期待していたのですが、女性にとってそれは難しい時代でしたね。50年前、女性は短期大学を卒業して、会社で数年働いたのちに結婚して辞めるというのが一般的なルートでした。当時のコンピューターは今に比べてとても性能が悪く仕事の達成感が低かったこともあり、泣く泣く寿退職することにしました。再就職を考えたのですが、やはりそれも厳しい時代。新聞の求人欄を見てソニーに入社することができたのですが、もちろん女性のためのキャリアプランはなく、女性もほとんどいない環境。女性に与えられる仕事は限られていて、面白い仕事をする選択肢はありませんでした。そこで、何か資格を取得して専門知識を得たいと思い、いろいろな選択肢を見た後、ハーバード大学の経営大学院でMBAを取得に至ります。

■女性の登用を目指す

 WCDは様々な企業の役員が会員として参加しています。いまだ取締役を務める女性は少ないので、女性が互いに勉強して切磋琢磨する団体として誕生しました。私自身、あるとき参加した勉強会で刺激を受けたことで、積極的に活動するようになりました。KPMGという監査法人社のサポートを受け、会員が企業に貢献できる人材になることを目標に活動しています。女性取締役というのは、依然アメリカでもあまり認められていません。経営経験のある女性はかなり少数で、大学教授や公認会計士、弁護士などの専門的な知識のある方が取締役になることが多いのですが、経営経験のないそういった方々には、とても役に立つサポート機関になっているかと思います。企業が優秀な女性社外役員候補を探すのは難しく、WCDのネットワークを活用して、コンタクトをいただくことも増えていますね。男性社会の中で難しさや働きにくさを抱えている女性たちが、勉強会の後に意見交換をしたり、互いの問題意識を共有したりできる点が大きな支えになっていると感じています。

■専業主婦の経験から働く女性のサポートへ

 まだまだ企業における女性というのはマイノリティなので、「女性起業家」「女性取締役」など、どうしても女性という言葉が前に付きますね。ただ、新しくビジネスを始める際の融資枠など、マイノリティである女性を育成するための機会があったり、女性という珍しさから名前を覚えていただけるなどのメリットもあります。女性の起業家に関する題材は記事になりやすいというのも、依然として女性がマイノリティだからだと言えるのではないでしょうか。私は仕事を通して達成感を味わうことができるので、仕事が大好きになりました。この楽しさを知らない女性がたくさんいるのはもったいない。そう思って、後進女性のサポートに関心を持つようになったんです。実は日本経済新聞を辞めてから、私は専業主婦になったことがあります。専業主婦になるということは、まず名前がなくなるということ。ご近所さんから、自分の名前ではなく、「〇〇さんの奥さん」と呼ばれるんですね。私はそれに憤りを感じました。今までの私の人生は何だったのだろうかと。専業主婦は家事をするのが当たり前、ご飯は美味しくて当たり前、そうでないと文句を言われてしまう。専業主婦は0からマイナスの評価しかないと感じてしまったのです。そんな経験もあり、ハーバード大学で貴重な学歴を取得したことも生かして、働く女性を手助けしたいと思うようになりました。

■大学生へのメッセージ

 学生時代というのは、選択肢がたくさんある分、「不自由」だと思います。自分の人生を選ぶというのはとても大変で、やりたいことなんてそんな簡単に見つかりません。ただ、その不自由があるだけに、数ある選択肢から迷える素晴らしさも実感してほしいと思っています。その中で自分の人生を切り開いていくためには、どこに行っても通用するだけのクオリティを身につけることが大切だと思います。大学という与えられた環境を大切にしながら、皆さん自身のスキルを高めてほしいですね。

学生新聞オンライン2025年1月23日取材 上智大学3年  白坂日葵

 

城西国際大学1年 渡部優理絵/大妻中野高等学校3年  加藤眞優花/国際基督教大学2年 若生真衣/上智大学3年 白坂日葵/国立音楽大学4年 岡部満里阿

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