新日本プロレスリング株式会社 代表取締役社長・プロレスラー 棚橋弘至
プロレスを愛し続けた情熱が、新時代を創る

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新日本プロレスリング株式会社 代表取締役社長・プロレスラー 棚橋弘至(たなはしひろし)
■プロフィール
1976年11月13日生まれ。岐阜県大垣市出身。1999年に新日本プロレスに入門し、同年デビュー。IWGPヘビー級王座を始めとした数々のタイトル歴を持ち、“100年に一人の逸材”“エース”として活躍。リング外でも各メディアへの出演や映画主演を務めるなど精力的に活動。
2023年12月より新日本プロレスリング株式会社代表取締役社長に就任。
2026年1月4日開催の「WRESTLE KINGDOM 20 in東京ドーム」にて現役を引退。
「プロレスに出会って人生が1000倍楽しくなった」。そう語るのは、低迷期の新日本プロレスを背負い、人気復活を導いた“100年に一人の逸材”棚橋弘至選手。来年一月に引退を控える棚橋選手に、プロレスとともに歩んできたこれまでの軌跡、そして新日本プロレスリング株式会社代表取締役社長として描く未来への展望について伺った。
■猛勉強・猛練習の学生生活
高校生のとき、深夜の中継を観たのがきっかけで、プロレスに憧れを持ちはじめました。ダメだと思った瞬間でも諦めず、カウントを跳ね返す姿に「なんて強い人たちなのだろう」と感銘を受け、自分の想像を超えてくる瞬間に、心が震えました。同時に、プロレスラーの肉体的な強さだけでなく、人前で堂々と振る舞うという精神的な強さにも魅力を感じました。もともと自分に自信がなかったので、「プロレスラーになれば自分に自信が持てるかもしれない」と思ったんです。
大学ではプロレス同好会に入り、アマチュアレスリングも始めて、体を鍛えるうちに別人のような見た目になっていきました。3回目の挑戦で、ついに新日本プロレスの入門テストに合格。合格と同時に大学も辞める気でいたのですが、長州力さんから「大学を卒業してから来なさい」と言われ、残り1年でなんと58単位も取ることに。必死で授業に食らいつき、猛勉強を重ねた結果、無事卒業することができました。卒業という形を残せたことで、両親にも恩返しができたと思っています。
■人気低迷から立て直しへの挑戦
僕が入門した1999年ごろは人気選手も多く、どの会場も満員で盛り上がっていました。しかし、その4年後くらいから総合格闘技やK1の影響で、観客動員が減り人気が低迷しました。これが“低迷期”と呼ばれる時代です。
そんな中、僕が初めてIWGPヘビー級のチャンピオンになったのが、2006年。そこからプロレスの人気を取り戻すために、「自分が有名にならなければならない」と強く思うようになりました。試合の合間にテレビやラジオでPR活動をしたり、会場に先乗りしてイベントをしたりして、プロレスのイメージ向上のために力を注ぎました。応援したいと思ってもらえるように、直接その地域の方とお話をして、一歩一歩積み重ねていきました。
その結果、空席は日に日に減っていき、会場は再び熱気で包まれるようになりました。心から、頑張って良かったと思えました。
プロレスをさらに盛り上げるため、僕はプロモーションの方法やリングでの戦い方、さらには見た目まで、全てを変えていきました。当然、昔ながらのファンからはブーイングの嵐。それでも「自分のやり方は間違っていない」という信念を貫き続けました。そして迎えた2009年、大阪での中西学さんとの試合。試合開始時は棚橋へのブーイングばかりでしたが、攻防を重ねるうちに空気が変わり、終盤には大歓声が沸きました。あの試合をきっかけに、僕のプロレスへの想いが観客に伝わったと感じています。そこから大きく風向きが変わり、応援してもらえるようになりました。
■信念を貫き、つかんだファンの心
どんなに大変なことがあっても、友達や家族のなかで誰か1人でも信じてくれる人がいたら、頑張り続けられると思っています。僕は、新日本プロレスの伝統的なスタイルと違い、金髪ロン毛のチャラい見た目だったので、これまでに数えきれないほどのブーイングを受けてきました。それでも、レフェリーのタイガー服部さんに言っていただいた「あなたはそのままでいいよ」という言葉を信じ続けることができたのです。
さらにプロレスは年間に約150試合あり、全国を移動しながら闘い続けます。その土地で年に1、2回しか観られないお客さんに対して、負けをずっと引きずりながら、元気のない姿を見せることはできないですよね。だから、悔しい想いは一度封印しておく。そして、次その相手と試合をするときに、それを取り出す。これは、毎試合100パーセントの力を出すためのテクニックです(笑)。
そして何より、プロレスに費やした時間や努力が、試合に臨むときの自信に繋がります。食事管理や睡眠、インタビューなどで試合を盛り上げる準備をして、不安要素をなくしておく。そうすれば、あとは覚悟を決めて頑張るだけです。「備えあれば憂いなし」。まさにこの言葉の通りですね。
■新日本プロレスの未来をさらに明るく
皆さんも日常生活の中で、喜怒哀楽を感じることがあると思いますが、プロレスはその振り幅が格別です。嬉しくて泣いたり、泣くほど悔しがったり、喜怒哀楽の感情が全方向に動きます。そしてそれが、だんだんと心地よい疲労感になっていく。まさに、プロレス会場でしか味わえない非日常ですね。少し観たくなってきましたか?(笑)
引退を発表してからも、やはり現役を続けたいと思う瞬間はあります。でも、選手がどんどん入れ替わっていくからこそ、リングの中身が面白くなっていくんですよね。そう考えると、いい引き際のタイミングをいただけたと思っています。僕自身、全力という言葉が大好きで、これまでも「その日で命が終わってもいい」と思えるような闘いをしてきました。だから、後悔はほとんどありません。
引退日の2026年1月4日。引退しても仕方がないという状態で臨むか、「まだできる」と言ってもらえるコンディションに仕上げていくのか。やはり一選手としては、惜しまれながらリングを去りたいですね。
これからは、新日本プロレスというものを大きくしていくことが1番の目標です。スター選手を生み出して、日常会話の中でプロレスが語られる未来をつくりたい。今の新日本には、その未来を実現できる選手が揃っています。かつてスター選手が並び、過去最高益を出した2019年を本気で超えたいです。もう人材は揃っているので、それをどう売り出していくか。あとは社長である僕の仕事です。
■大学生へのメッセージ
明るい未来と自分の成功している姿を、常に想像してみてください。頭の中でイメージしたことは、皆さん実現できるんです。僕はいつも、東京ドームの超満員のお客さんをイメージして戦ってきました。そして、引退試合でもそれが実現すると信じています。
人生、悪いことも良いことも起きると思いますが、平均したらプラスマイナスゼロ。良いことがあったときは少し用心して、悪いことがあったら、これからは絶対に良くなると信じて。そのメンタルを保っていれば、きっと何でも乗り越えられますよ。
学生新聞オンライン2025年9月4日取材 国際基督教大学3年 若生真衣

城西国際大学2年 渡部優理絵/国際基督教大学3年 若生真衣/昭和女子大学2年 阿部瑠璃香


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