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東国原 英夫 人の目が政治を育てていく若者が夢を持てる自治体を作っていきたい

<プロフィール>

東国原 英夫 (ひがしこくばるひでお)

宮崎県知事。1957年宮崎県都城市生まれ。

1980年専修大学卒業後、 CX「笑っている場合ですよ!お笑い君こそスターだ!」でチャンピオンになる。1998年から1年間、自主謹慎。謹慎中、自己猛省と自己の価値観を変革すべく猛勉強 2000年4月に早稲田大学第二文学部に入学、卒業と同時に再度同大学政治経済学部に入学。2006年に同大学同学部を退学後、翌年第17回宮崎県知事定挙に当選。新刊「ニッポンを繋盛させる方法」(東国原英夫、島田紳助共着)が発売中。

小さい頃からの夢=お笑い芸人と政治家

先月23日、第52代宮崎県知事に就任してから1周年を迎えた東国原英夫·宮崎県知事。小さい頃からお笑い芸人と政治家に憧れていたという氏は、お笑い芸人として活躍していた1

998年、謹慎の際に仕事をしてはいけなくなり、その豊富な時間の中で様々な事を考えたという。30代くらいから心の中で沸々としたものはあった。しかし謹慎をきっかけに、宮崎のために力を尽くそうと決意し、大学に入り直し、猛勉強。そして見事県知事当選を果たした。小さい頃からの夢を両方叶えたのである。

「次の夢」へのステップとしての大学生活

専修大学時代は、意外にも「学校には数えるほどしか行っていない(笑)」のだという。社会勉強の為にアルバイトをしたり、仲間と遊んで過ごす事に時間を割いていたのだ。「僕にとって大学はどこでも良かった。高校から大学に上がるとき、もう芸人になることを目標にしていたんです。つまり東京に行くことが次の夢へのステップでした」

氏が早稲田大学在学中に若い大学生達を見て感じたのは、もちろん全員ではないが、規範意識が欠けているのではないかという事。「早稲田大学に限らず他の大学でもそうなのでしょうが、席の後ろの方でメールを打ったり、寝たり、パンを食べていたりするでしょう? 40歳過ぎて大学入ったもんだから隣でメールを打っている人がいると注意したくなるんですよ。

こんな事もありました。メールを打っている隣の学生に注意して、携帯電話を見たら「隣にそのまんま東がいる」って送っていたんですね。で、「何でそんなこと送るんだ?』と言っていたら相手から返事が返ってきて、『それがどうした」って(笑)」しかし学生達の良い部分は、「若者は若者なりに夢と希望を持っている」と心強く感じた事だとも話す。文化や芸術、学業に精力的に励み、それぞれの進路に向かって力を尽くしている。そういう人達を見ていて感じたのだという。「若い学生たちは、まだこの日本という国を見捨ててはいない。特に地方から出て来て何かを得ようと頑張っている人が頼もしく思えますね。しかし中には早稲田ブランドを得る為だけに来た人もいたように感じました。でも、その人達とは社会に出てから差がつくのでしょう。だから行政に入った我々の役目というのは、子ども達や若者が夢や希望を持てるような国や県、自治体を作っていく事だと強く思います」

政治をお茶の間に

宮崎県知事として、今後「宮崎出身で良かったと思えるような自治体を作っていきたい」と抱負を語る東国原氏。実際には、民間を介入させて事務事業を一つ一つ見直していくという、とても地道な作業を進めているという。これは全国初の試みである。「議会という公の目だけでなく、民間の目も大いに必要だと思うんです。テレビばかりに出て、と批判も受けるのですが、こっちの方が目につかないながらも主力の仕事なんです。宮崎県民のみなさんの幸せの追求に寄与出来るよう、頑張っていきたい」と語ってくれた。そして逆に県民に期持しているのは、一人一人の政治参画だとも話す。氏がテレビに出ることには色々な意味があり、知事がやっている事を県民に見てもらい、「政治をお茶の間に落とす」事が重要なのだという。「県議会や知事は何をやっているのか、子どもから大人まで知って頂きたい。そのようにして、人の目が政治を育てていくと思うのです。だから私はきれいな事だけでなく、 全てをオープンにして見せています。そしたら不正もなくなるはずです」

最後に学生に向けて、力強いメッセージを頂いた。

「みなさんは日本を将来に渡って支えて頂かなくてはならない人的財産です。夢や希望、目的、ビジョンを確固たるものにし、自分を信じて自己実現に向けて頑張ってください」

学生新聞2008年3月号より

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