横山 剣 やりたくないことでも、やると決めたら最後までまっとうする

<プロフィール>

横山 剣

クレイジーケンバンド。1960年生まれ。神奈川県出身。クレイジーケンバンドのボーカル。ダブルジョイレコーズ代表取締役。10代の頃よりさまざまにバンドで音楽活動を続け、1997年クレイジーケンバンドを結成。2002年シングルGTで広く注目を集め、同年、タイガー&ドラゴンが大ヒット。‘東洋一のサウンドクリエイター’と称し、さまざまにアーティストへの楽曲提供なども精力的に行っている。キメ台詞は「イイネ!」

さまざまな音楽の要素を盛り込み、色鮮やかな楽曲と、自由奔放かつ独特で、心にグッとくる歌詞でマニアだけでなく多くの人々を魅了するクレイジーケンバンド。懐かしくも新しい音楽を生み出し続けるバンドの中心にいるのは、バンドのボーカルを務め、誰よりも真摯に音楽へと向きあう‘東洋一のサウンドクリエイター’横山剣だ。

文句を言われない自給自足の音楽活動

「結成当初は仕事と並行して活動していましたが、決して楽ではないものの、みなさんが思うほど苦ではなかったんですよ」1997年に本格的な活動がスタートしたクレイジーケンバンド。お話をうかがった横山剣さんを中心に友人や仕事仲間が集まり結成された。

「文句を言われないように、誰にも頼らず、他の仕事をしながら自分たちでバンドを支援して活動していました。でも仕事以外の時間で音楽活動をしていたので、なかなか睡眠時間を確保できなかったですね(笑)。体力的にはきつかったのですが、苦しいというよりもむしろそれを楽しんでいました」しかし苦しいものではなかったとは言うものの、その道は平坦ではなかったと言う。「最初、僕らの音楽はなかなか認められませんでした。やっぱり何をするにしても、甘くはないですよね。音楽っていろいろな言い訳ができると思うんです。全然売れていなくてもとりあえず自分でスタイルを作ってしまえば、それでバンドや曲が確立したと言うことができる。でもスポーツだと、結果が出ないとダメですよね? 音楽も同じです。アスリートのように結果を出すという意識を持って、妥協せずにやっていくのが好きなんです。もちろんアーティストなので、残念ながら思っていたような結果がでなくても、活動を続けていけるのですがそれでも好きでいてくれるファンや支えてくれるスタッフにはいつも感謝しています。その想いにあぐらをかいて天狗になってしまわないように注意しながらね」

横浜と早熟な少年

横浜のイメージが強い横山さんは、ずっと横浜で暮らしていると言う。「高校は、東京にある学校へ通っていたんですが、そこの友人が横浜のことをすごくほめたり、あこがれの眼差しで見ていたんですね。実際に住んでいるとわからないものですが、横浜の外に出るとその良さが改めてわかりました。そうして僕の『浜っ子』意識が強まりました。今も横浜から東京へ通っているんですが、その途中で新しい曲のイメージが沸いたりすることもありますし、横浜が持つ独特の雰囲気から曲ができることもあります。自分にぴったりハマる地元横浜は生活の場としてだけでなく、音楽にも強く影響している場所ですね」高校時代と言えば、横山さんは以前、不良だったという話がありますが? 「そうそう(笑)。でも “非行”少年じゃないよ! 今にして思えば、僕は、早熟だったのかもしれないね。昔から常に目標を持って行動していて、その目標のために学校を休んだりして。やんちゃだったかもしれない。でも、当時の僕は、周りから見ると道を踏み外しているように思われていたけど、それは目標を持って行動している結果であって。言うことを聞かない不良少年だったけど、悪いことをする非行少年ではなかった。この学生時代の経験で、僕はサザエさんに出てくる波平さんのような 真面目な大人”の大変さや難しさを知ることができた。音楽に関わる仕事をしたいと大人に交じっていると、学生の僕も大人と同じく真面目にならなければならない。だから僕は世のお父さんをリスペクトしてるし、そのための曲も作ったんです」

夢はグラミー。挑戦はこれからも続く

「やりたくないものはやらないでもなかなかそうはいかないものですよね」クレイジーケンバンドが結成される前から20年以上にもわたり音楽活動を行ってきた横山さんは、その中で必ず貫き続けていることがあると言う。

「やりたくないことでも、やると決めたら最後までまっとうすること。格好悪い仕事でも、それを格好良いものにするんだ、という意気込みでまっとうすること。アイデアを駆使して車みたいに仕事を改造してしまえばいいんです。格好悪くなるようなことも、アイデアをどんどん提案していけば、その案が通り、結果として格好良い仕事になったこともたくさんありました」

今年で50歳になる横山さんだが、その挑戦はまだまだ続く。

「国民的な大ヒット曲を作りたいですね。誰もが一度は耳にしたことがある名曲を作りたい。そして、これは夢の夢の夢だけど、最終的には、グラミー賞の作曲賞なんて獲れたら最高だよね。そのためには、これからもチャレンジしていかないと」

「学生のみなさんへ。自己中心的にならず、人の痛みが分かる人間になってください。そして未来を憂うことなく、また過去の失敗や栄光に捕らわれないでください。足下を見て、余計なことを考えず、今この瞬間を ‘スパーク”するようにしてください!」

学生新聞2010年4月号より

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