武藤敬司 ブラウン管の向こうの遠い世界に思えてならなかった。 でも、今その世界に立てていることに本当に幸せを感じています。

<プロフィール>
武藤啓司(むとうけいし)
全日本プロ・レスリング株式会社 社長兼プロレスラー
1962年12月23日生。山梨県富士吉田市出身。身長188cm、体重110kg

武藤敬司さんがプロレスを始めようと思ったきっかけ

プロレスを始めようと思ったきっかけを教えてください。
「学生時代柔道をやっていましたので、高校卒業後は仙台の東北柔道専門学校(現·仙台接骨院専門学校)へ進学しました。当時は、国体に出場するなど充実した日々を送っていました。専門学校を卒業後は、接骨医になるべく地元に戻って働いていたのですが、患者さんに病気のことを質問されても自信をもって答えることが出来なかったんです。このときばかりは、もっとしっかり勉強していればと後悔しました(笑)。 からブロレスは好きでしたが、プラウン管の向こうの遠い世界に思えてなりませんでした。しかし、今はその世界に立てていることに本当に幸せを感じています」

プロレスラーと金日本プロレス社長の思い

社長になった経緯、そしてリング上でのプロレスラー、経営者の仕事の違いは何かありますか?
「最初、新日本プロレス(以下新日本) に就職し、そこで20年間頑張ってきました。でもちょうど自分が一時戦線離脱する辺りになってから、 プロレス界がビジネス的に下降気味になりつつありました。そんな状況下、猪木さんが今で貧うPRIDEやK-1のような格闘技路線に新日本を変更していこうと考えていましたが、自分は賛成できませんでした。というのも、その路線でプロレスを統けるとなると、20代で自分がプロレス発祥の地、アメリカで修業したときに築きあげたキャリアが、全部つぶされるような気がしたんです混述の時代が続き、そうした中ジャイアント馬場さん率いる全日本プレス(以下全日本)が分裂した。せっかく、空きが出来たし自分の城を構えたいという野心も手伝って、全日本でお世話になることに決めたんです。そして、経営者になって実感したことは、プロレスの経営がとても大変だということです。プロレスラーとしては初年弱のキャリアがあるので、リング上では誰にも負けない、世界でも通用するという自信があります。しかしそれと経営はまったくの別問題。まず、社長就任直後は右も左も分からず、業績が急降下しました。それでも、修羅場を何度もくぐって淘汰されずに生き残ってきました。そういう思いが、現在につながっているのではないでしょうか。また、人心掌握という点でもかなり苦労しました。自分が全日本に移動する際には、新日本から数名のレスラーと、自分と同じ思いを持った社員が一緒に来てくれたのですが、その社員は今では一人も残っていません。同じ思いでも、考え方に若干の誤差があったんです。上に立って、人をまとめるという難しさも、社長になって思い知らされた事の一つですね」

プロレス大好き学生記者と武藤さんのプロレス談義

武藤さんの中で、プロレスとはどんな存在ですか?
「自分にとって、プロレスとはビジネスであり芸術だと考えています。全日本だけで見ても今年で36年目に突入しますが、他の企葉でここまで続くことは珍しいことです。それに、プロレスの持っている潜在能力、ネームバリューは他の格闘技とは比べものになら
ない位、価値があると信じています。子供の悪ふざけだって、よく代名詞となるのはプロレス。世の中にプロレスが浸透しているという証ですね。本場アメリカのプロレス団体WWEのように、世界をマーケットに活躍してい
るとてつもない会社もありますので、いずれ全日本プロレスも、そのようになったらいいなと考えています。」
長いキャリアの中で、一番思い出に残った試合は何ですか?
「昔のことは、受身を取り続けているうちに忘れてしまいました(笑)。実際のところは、自分の試合はすべて作品ですから優劣をつけたくないという思いがあります。強いて一つ挙げるならば、1995年10月9日、東京ドームで行われた高田延彦戦でしょう。あの試合が自分のネームバリューを上げてくれました。実は先日、巨人の原監督と食事をする機会があったのですが、原監督もその試合を見に来てくれていたと話してくれました。試合が行われた前日は原監督の選手の引退の日。そんな思い出の一つとして覚えてもらえて、とても光栄だなと思えた瞬間でした。」

学生に熱いメッセージ!!

今の学生に何か一言いただけますか?
「プロレスをやりたい学生は、ぜひ全日本の門を叩いて欲しいですね。現在、第一線で活躍しているレスラー、例えば棚橋選手·真壁選手(以上新日本プロレス)·HG選手(ハッスル)は皆学生ブロレス上がり。でも、プロレスというのは、体力よりもどれだけ好きなのかが重要。そういった熱い想いを持って、今後プロレス界を支える人間になってもらいたいです。そして、若いたちに、俺らの世代が老後を楽しく迎えられるように頑張ってもらいたいですね」

学生新聞2008年5月号より

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