麻生太郎 我々日本人が考えるよりも、世界における日本の評価は高いんです。

<プロフィール>
麻生太郎(あそうたろう)
昭和15年9月20日生まれ
昭和53年 1月 社団法人日本青年会議所会頭就任(53年12月)
昭和54年 10月 衆議院議員に当選、以降当選9回
平成13年 4月 自由民主党政務調査会長就任
平成15年 9月 総務大臣(~17年10月)
平成17年 10月 外務大臣(~19年8月)
平成19年 8月 自由民主党 幹事長(~19年9月)

政治家を志したきっかけは 「血筋」と『生まれ故郷の復興」

政治家を志したきっかけは何ですか?
「志したきっかけは2点ありました。1点目は「血筋」のようなものです。大久保利通、牧野伸顕、吉田茂などと血が繋がっていて、政治家の家系で育った影響は強いかもしれません。私は5代目くらいだと思います。ですから何となくですが、「血筋」のようなものは感じていました。2点目には、生まれ故郷の影響ですね。私は福岡県飯塚市で生まれ育ったんですが、この街は石炭で栄えていました。しかし、石炭がなくなった後の疲弊が激しく、政治力に頼らなければこの地域が復興することはできないと感じました。そして翌年に議院議員に立候補し、当選いたしました」
※日本青年会議所…国際青年会議所(JCI)に加盟する日本にある国際団体としての社団法人

日本人が考える日本の評価よりも海外の評価の方がはるかに高い

外務大臣を経験された観点から、海外から「日本」はどのように見られているとお考えでしょう。
「圧倒的に評価が高いといえるでしょうね。イギリス国営放送で行われた調査(30カ国28000人を対象)で、世界に良い影響を与えている国として一昨年、一昨々年と2年連続で1位に挙げられたのは日本でした。そのくらい日本の評価は高いということです。海外における日本の評価のほうが、日本人が考える日本の評師よりもはるかにに高いのが現状でしょうね。私は学生のときからアフリカやブラジルをはじめ様々なところへ行っておりますが、その頃(40年ほど前)と今の日本の評価はまったく違い、圧倒的に今のほうが評価は高いですよ」

日本は「働く』という形で国際貫献すべき

今後、世界の中での日本の役割はどのようになっていくのでしょうか。
「日本の優れているところは働くということ。最低限の軍事力は日本にも必要ですが、 日本人はもっと自国最大の文化「働く』ということのすばらしさを、世界に発信していくべきでしょう」

具体的にどのような形で世界と関わっていくのが良いのでしょう。
「中近東では、1948年にイスラエルが建国されて以来、今日まで、テロの類の話は「イスラム教徒だから」とか『キリスト教が…」などと、よく話をしていますが、私は間違っていると思い『宗教がテロの温床になる」という意見に対する反論の例として「チリ」が挙げられます。そこではユダヤ教とイスラム教がキリスト教国の中にあって、まったくうまくいっている。チリの人ならよく知っている。そういう話があるから宗教がすべての原因というのは嘘。私は、現実間題としてテロの番の間題は「貧困」と「絶望」だと考え求す。言い換えれば「希望がない」ことこれがテロに走る一番の理由だと言えるでしょう。従って、パレ
スチナで基本的にはそこにいる人たちに「希望」と「所得』を与えるためにはバレスチナの経済発展が必要だと考えています。そこで何をするかというと、農業が最も適していると思う。 イスラエルも建国当初は「キブツ」と呼ばれる大農業共同体をつくり成功しました。それと同じものをパレスチナやればいのではないかと思います。気候、風土はイスラエルと同じなのだからできないこととはない。そこで我々日本が登場し、農薬技術を教える。そこにかかる経費も日本が出す。できたものは、日本が商社を通じて売ります。なんの問題もないですね」

なるほど、そういう貫献の仕方は、我々日本人だからこそできることですよね

「そうそう。パレスチナの方々には「日本人と同じように働いてください」と
言いました。そしてそこに、イスラエルは静かに見守っていてもらいたいと思っていま
す。逆にヨルダンにはぜひ協力していただきたい。「バレスチナでできたものはイスラエル経由ではなく、ヨルダン経由で世界に輸出したい」とパレスチナの人は思うでしょう。パレスチナの作物が川を越えて出るときには、輸出の安全を保障してほしいと思います。実はそれだけはやってほしいという話を、一年半かけてイスラエルに対して交渉しました。 最後にシモン·ペレスというユダヤ人のイスラエル大統領が『信用してみるか」といって、日本に3月に来て、8月には、農業団地を建設するジェリコに再度、4者の代表が集まりました。一番驚いたのは、シモン·ペレスが「私はこれまで50年間の政治生活で、数え切れないほど多くイスラエル·パレスチナ· ヨルダンの三国の会席に参加してきたが、少なくとも金儲けのために座るのは初めてだ」といったんです。これまでそんな話し合いはなかったのでしょうが、それが今回初めて立ち上がって「信用してみよう」と手を差し出した。続いてパレスチナの外交交渉局長(外務大臣のようなもの)も手を出して、ヨルダンと4人で握手を交わしたんです。もし仮にその穀倉地帯ができたら…と、イスラエルとパレスチナが演説していたんです。「もし平和を達成できたら、これほど豊かな国になれるということを最初に証明する機会を与えてくれたのは日本だ。これに応える義務と責任が我々にはある」と。この計画が成功したら、日本がこの種の紛争を、政治と軍事でなく、経済で解決するという形で国際協力に貢献できたこいえるでしょうね」

学生新聞2008年4月号より

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