松井咲子 ピアノは私に現実を突きつけ、私を活かしてくれた!

タレント、ピアニスト、元AKB48  松井咲子(まついさきこ)

■プロフィール

1990年12月10日生まれ、埼玉県蕨市出身。桐朋学園短期大学卒業。2008年より「AKB48」に在籍。2015年8月卒業。現在は、テレビ埼玉「魅力まるごと いまドキッ!埼玉」、NACK5「松井咲子の気になる子さん」、ワロップ放送局「松井咲子の爆笑クレッシェンド」にレギュラー出演中。昨年末よりピアノコンサート「Blooming Piano」を始動し、特技のピアノを活かした活動も精力的に行っている。

「音大生であり、ピアニストであり、AKB48のアイドルである」それは松井咲子さんにとって自分の強みでもあり、心の葛藤を生む原因でもありました。「ピアノは感情表現のツール」と語り、前向きに明るく挑戦し続ける彼女は何を思い、どんな人生を送ってきたのか。30歳になった今、お話を伺いました。

■ピアニストを目指し、ピアノに現実を突きつけられる

 小学生の時は本当に普通の子でした。モーニング娘。さんが好きだったので、振り付けを覚えて人前で披露することはしていましたが、目立つのは苦手なタイプでした。自分がアイドルになるなんて想像もしていなくて、ピアノの先生をしている母を見て自分もピアノ関係のお仕事に就きたいなと思っていましたね。ピアノを始めたのは4歳の時です。そして、中学生になってから音大付属高校に通っていた兄の影響を受け、「音大付属高校に入って、ピアニストを目指したい」と思うようになりました。付属高校の入試にはピアノの実技試験があったので、中学生の時は試験対策にピアノの練習を毎日続けていました。休みの日も1日中ピアノを弾き、放課後も友達と遊びにも行かずピアノの練習をしていました。さらに、合唱部にも入っていたので合唱とピアノとで、今考えると音楽漬けの日々でしたね。
 ピアノに向き合ってひたすら練習を重ねた結果、無事、東京音楽大学付属高校に合格しました。しかし、そこで「音大付属高校に入ってもピアニストになれるのはごく一部で、自分よりもピアノが上手い人はたくさんいる」と知り、現実を突きつけられました。それでも「ピアノをとったら自分には何の取柄も無くなってしまう」と思い、ピアニストにはなれなくても音楽関係の仕事はしようと考えていました。そんな時、母がAKB48のオーディションに応募していて、面接があることを急に伝えられました。アイドルになろうとは全然思っていなかったので、私自身オーディションには渋々参加したのですが、合格を頂き、アイドルへの道が開けました。

■学校との両立が大変だったAKB48時代

 当時、AKB48のメンバーの中に高校や大学に通っている人は少なかった上、学校ではAKB48があまり認知されていなかったので、高校の時はアイドル活動をしている事を自分の口から学校の友達に言うことが出来ませんでした。大学に入ってからはアイドル活動が忙しくなり、あまり大学に行くことが出来ない状況でした。「音大生アイドル」という覚えやすいキャッチコピーを付けて頂き、お仕事も頂いていたので「学校に行っていないのに音大生と名乗っていいのか……」と常に不安に思っていましたね。
そんな中でも、アイドルと学校の両立が続けられたのはAKB48のメンバーやファンの方のおかげでした。「辛い時辞めるのは簡単だけど、これを乗り越えれば必ず良い事がある。応援してくれる方、自分を認めてくれる方がいる限り、頑張りたい」。そう思って、毎日必死に活動をしていました。自分は歌もダンスも得意ではなくて苦労をしましたが、目の前の事をこなしていくことで、自分の経験値が上がっていくのが感じられて、楽しかったです。
 AKB48の好きなところは、皆がチームのために頑張っていたところです。メンバーは皆、「自分のため」というより「AKB48のために」行動している人ばかりでした。お互いを蹴落とし合う雰囲気は一切なく、1人1人の得意分野をどうしたら生かせるかを意識していました。その上でも他の人と被らないキャラ付けをすることは大事で、私は「大学生であり、ピアニストである」という強みをAKB48のために生かしたいと思っていました。
 結局、大学は休学の末、辞めることになり、AKB48の活動一本に絞ったのですが、25歳の時、短期大学に入り直しました。そこには子育てが終わって学び直している方など幅広い年齢の方がいて、刺激を頂きました。自分も音楽についてまた深く学び直すことが出来て、とても楽しかったです。

■クラッシックとアイドル(ポップミュージック)の懸け橋になりたい

 私は今、30歳になりましたが、やりたい事をさせてもらっていて、新しいことに挑戦できている日々がとても楽しいです。知らない事はまだまだたくさんあって、その中に出来ることが多くあると思っています。最近、写真集を出させて頂いたのですが、AKB48時代には出来なかった経験なので、お話を頂いた時は嬉しかったです。「AKB48にいた時はファンではなかったけど、後からファンになって写真集を買いました」と言ってくださる方が多く、有難く思っています。「30歳になっても挑戦できることはまだあるんだな」と勇気を頂くきっかけになりました。
 私の夢は、アイドル好きの方にクラッシック音楽の魅力を伝え、クラッシック好きの方にアイドルを好きになってもらうことです。このふたつの領域の懸け橋となることが「私にしかできない音楽の仕事」ではないかと考えています。
 私にとってピアノは、感情表現のツールです。ピアノを弾いているときは自分の想いが出せますし、ピアノの演奏を聴いて私に対するイメージが変わったといって頂くことも多いです。ピアノの疲れをピアノで癒しているときもあって、気分転換をしたいときもピアノを弾いていますね。まだまだ音楽を勉強して、いつかはAKB48に楽曲提供をするのが夢です。

■message

 私は大学生の時、大学生らしい大学生活を送れなかったので、皆さんが羨ましいです。だから、後悔が無いよう、思いっきり楽しんでください。限られた時間ではありますが、出来ることはたくさんあります。何を始めるにも遅いことはなく、後の人生を考えると今が一番若いです。なので、焦らず、得意なことを伸ばしながらやりたい事をやってください。自分は何も出来ないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、必ず何かがあります。それは自分ではなく、周りの方が見つけてくれる時もあるので、自信を持ってください。一緒に頑張りましょう。

学生新聞オンライン 2021年2月6日取材 津田塾大学3年 松本麗奈

津田塾大学3年 松本麗奈 / 津田塾大学1年 佐藤心咲

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