衆議院議員 山本 左近

F1と福祉の仕事での経験を活かして日本をより良く

衆議院議員 山本 左近(やまもと さこん)

■プロフィール

1982年7月9日生まれ40歳。愛知県豊橋市出身。豊橋南高校卒業、南山大学。11歳よりレーシングキャリアスタート。19歳で単身渡欧、24歳当時日本人最年少F1ドライバーデビュー。30歳で帰国後、医療・介護・福祉の世界に。2019年参議院通常選挙(比例代表)に自民党公認で立候補し落選。2021年衆議院総選挙(東海ブロック比例代表)に自民党公認で立候補し初当選。8月12日より 文部科学大臣政務官 兼 復興大臣政務官。  ※2022年9月12日現在

昨年、衆議院選挙に当選した元F1ドライバーの山本左近氏。10代の時から「人間は自己実現不可能な夢は思い描かない」という言葉を胸に目標を達成し続けている山本氏に、政治家になるまでの経緯やCEO/DEOとして活動されているさわらびグループでの仕事について伺った。

■11歳の時に両親に土下座して始めたレース

レーシングキャリアをスタートさせたのは、小学校5年生だった11歳の時に、元F1選手の中嶋悟さんのスクールに自ら申し込んだのがきっかけです。両親からはスクールに通うことを大反対されました。ですが、土下座してお願いをし続けたところ、根負け、1年間という期限付きで許されました。スクールに通い始めたと同時に、F1ドライバーになる年齢を10年後の22歳と定めました。そして、22歳から逆算した上で目標を紙に書き出し設定していきました。F1ドライバーになるため未来から逆算して今なにをすべきか明確になったことでよりはっきりと夢を思い描くことができました。もちろん上手くいかないことの方が多く大変な事もありましたが多くの皆さんに支えていただき、24歳になる時、当時日本最年少のF1ドライバーとしてデビューすることができました。

■さわらびグループの魅力

30歳になりたまたま日本に一時帰国したタイミングで、さわらびグループの仕事を視察する機会がありました。それまではF1という激しい超競争社会でレースを通じ自分の命に向きあってきましたが、医療や介護、福祉といった他の人の命に向き合う仕事に価値を見出し、30歳を区切りとしてさわらびグループの経営に携わることを決めました。

さわらびグループは豊橋にある、医療や福祉、介護を一体的に運営している法人です。この法人は高齢社会になる前の時代に父と母が立ち上げ、今年60周年になります。グループが運営するさわらび会福祉村は先見の明がある父により、1977年、今に換算すれば約100億円をこえるだろう34億円という事業規模で考案されスタートしました。民間の町医者であった父が34億円もの大金をかけて一大施設を作り上げることは誰にも考えられないことでした。医師会や病院の職員には大反対を受けたそうです。ですが、父は人々が幸せに暮らせる場所を作ることを目指しやり遂げました。福祉村は気が良く、訪れると別世界にいるかのような感覚に陥ります。その気の理由は、障害や病気の有無にかかわらず幅広い年代の方々が同じ空間にいて、お互いに助け合う仕組みがあるからだと思います。この仕組みによって、グループの「みんなの力で、みんなの幸せを」という理念を実現しています。私たちのグループより規模が大きい法人は多くあります。ですが、一つの場所にいくつもの機能がある福祉村のような場所は一つのモデルとして近年注目をあびています。

■落選しても日本を変えたいという気持ちで目指し続けた政治家

昨年秋には衆議院議員選挙に出馬し、比例代表東海ブロックで衆議院議員に当選をしました。政治家を志したきっかけの一つが、19歳から30歳までヨーロッパに住み、世界中を回り、日本を外から見た経験です。この2002年から2012年を通じ、日本は世界からプレゼンスが落ちていきました。その光景を見るたび、悔しさを感じていました。例えば、2002年に欧州の街中にあった日本の企業の看板が2012年には海外の企業に取って代わられる姿です。また、さわらびグループで医療や介護の施設に関わる仕事をしていると、超高齢化や人口減少といった日本全国共通の課題が見えてきました。そのような多くの課題を抱えている日本を政治から変えていきたい。これらの日本が衰退していく様子や日本の課題を見ていく中で、政治に自分が入っていき、世の中を変えたいという思いが芽生えました。

3年前の参議院選挙でも立候補し、全国を回り、政策を訴えかけさせていただきました。その時は78,236票を集めたのですが落選してしまい、苦しい気持ちも味わいました。ですが落選してからも、この国を良くしたい、未来の日本人、子どもたちにしっかりとした日本を残したいという気持ちを強めていき、政治を諦めることはありませんでした。この諦めない気持ちが、今回の当選につながった大きな要因です。また、有権者の方々に共感していただけたのも当選した要因の一つです。私はレーシングドライバーとしての経験を活かし、東海地方の自動車産業という地場産業の強みを残しつつ、カーボンニュートラルを実現するための政策を訴え続けていました。それに新しさを見出した有権者の方々に共感していただき、今まで以上に支援いただけたのだと思います。

■massage

14歳の時から座右の銘にしているのが、スクールの先輩に教えていただいた「人間は自己実現不可能な夢は思い描かない」という言葉です。私はこの言葉を信じ、世界で20人と狭き門でもF1ドライバーになるという夢を目指し挑戦し続けてきました。皆さんには、自分の目指していることがあれば諦めずに挑戦してほしいです。目指していることが実現可能かどうかは誰にも判断できないことです。皆さんには可能性があります。その可能性をどうすれば実現できるかを、考えた上で実行することが大切です。そのために、将来像を描き今なすべきことを毎日悔いなく実行してください。辛いことや壁にぶち当たることもあると思います。そういった時に支えてくれる身の回りの人を大切にしてほしいです。

学生新聞オンライン2022年7月30日取材 津田塾大学 4年 大川知

津田塾大学 4年 大川知

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