読売ジャイアンツ球団特別顧問 高橋由伸

置かれた場所で咲く力とは

読売ジャイアンツ球団特別顧問 高橋由伸(たかはし よしのぶ)

■プロフィール
1975年(昭和50年)4月3日生まれ、千葉県千葉市出身。現役通算18年で打率・291、321本塁打、打点986
慶大3年春に東京六大学野球リーグで三冠王。同リーグ通算23本塁打は現在も歴代最多記録。
1997年ドラフト1位で巨人に入団し、松井秀喜氏とともに看板選手として活躍。新人特別賞、ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞7回に輝いた。2004年アテネ五輪日本代表として銅メダル獲得
2015年に現役引退。翌年から3年間は巨人軍第18代監督。
現在は巨人軍特別顧問、野球解説者としても活動している。

高校生のころからメディアに注目され、「天才打者」と呼ばれていた高橋由伸氏。プロ入り1年目からずっと活躍し続けてきた高橋氏だが、少し言葉を交わすだけで、その優しさや謙虚さが伝わってくる。選手、監督、解説者と、さまざまな経験をしてきた彼が、野球との出会いや考え方を語ってくれた。

■ちょっとしたきっかけが自分を野球界に引き込んでくれた

親が野球好きだったので、子どものころはよくキャッチボールをして遊んでいました。僕が育った地域は野球以外のスポーツはあまり普及しておらず、地域のクラブチームが成立しているのは野球だけでした。小学4年生の時に地元のクラブチームに入ったことが、野球を始めたきっかけです。

■プロ野球選手になったきっかけ

高校卒業後、慶應義塾大学へと進学しました。僕が通っていた桐蔭学園は大学進学を選ぶ生徒が多数派だったことや、先輩の髙木大成さんが慶應義塾大学へ進学したことで「先輩と同じ道を辿れば何かが見えてくるのでは」と感じたことが理由です。大学進学後、プロ野球選手になれるとは本気では思ってなかったのですが、大学3年生の時に髙木さんがプロ1年目で活躍するのを見て、「もしかしたら、自分でもできるのかもしれない」と思い、プロ入りを就職の選択肢の一つとして考えるようになりました。

■プロ野球選手時代の思い

プロになるまでは、実は「周りのために野球をしている」という想いが大きかったです。野球をすると家族が喜んでくれる。試合に出て期待に応えると、チームメイトはじめみんなが喜んでくれる。だから、野球を続けてきました。でも、プロになってからは、「仕事である以上は、自分のために頑張って稼ごう」と思うようになりました。プロ野球は不思議なスポーツです。チームスポーツという割に、チームが勝っても個人成績が悪いと評価されません。さらに、自分が打たないと居場所がなくなります。だから、できる限りのことをしようと思いました。選手時代、時にはけがをすることもありました。そのたびに、「自分には足りないことがあるから、次は気を付けよう」と意識を改めるように心がけていました。その後、監督になってから、チームの主力選手がケガで試合に出られないというのは、どれだけ大変なことなのかを知りました。

■現在の活動と野球の魅力

監督を引退した現在は、主に野球解説者をしています。解説者の役割は、目の前で起きたことをわかりやすく説明すること。選手、監督の経験を活かした予測やコメントを、視聴者に楽しんでもらうことを意識しています。大切にしているのは、「いかにして言葉を伝えるか」です。僕は長らくこの業界にいたので、「これくらい説明すれば伝わるだろう」と、言葉足らずになってしまうことが多いんですね。でも、それだと小学生や野球をしたことがない人には、こちらの意図が伝わらないことも多々あります。だから、できるだけ丁寧に説明することを意識しています。
野球の魅力は、筋書きのない点です。一発逆転がある試合もあれば、10回勝っていたチームに、番狂わせで1回負けてしまう試合もある。まるでドラマのようで、面白いんです。あと、野球は見る人全員が監督になれるところも魅力ですね。「自分だったらこうするのに」といろんな可能性を考えられるところも野球の楽しさです。

■今後の展望

今後の目標は、野球をもっと発展させることです。最近は野球人口が減っているので、野球やスポーツ業界全体を盛り上げるために、活動したいです。実際、僕自身は、野球のために何かしなければいけない立場だと思っています。

■メッセージ

苦しいときは、どうしても何かのせいにしたくなります。でも、自分が1番の当事者なので、何かつらいことがあっても、他人事にしない意識が大切です。苦しさから逃げていると、それを超える力がつきません。もがいたり、自分を振り返ったりするのは苦しいものですが、誰にとっても必要な時間です。僕も同じ経験をしたからこそわかるのですが、人生が順調ではなくても階段を上ることはできます。世の中は平等ではありません。でも、平等ではないからと腐るのではなく、自分が置かれた状況で努力し、次の道を探すことこそが大切です。

学生新聞オンライン2024年12月13日取材 青山学院大学1年 桑山葵/早稲田大学4年 西村夏

N高等学校2年 服部将昌/早稲田大学4年 西村夏/青山学院大学1年 桑山葵/武蔵野大学4年 西山流生

中学生記者(野球&ラグビー代表選手)が
突撃インタビュー

■成る可くして成った球界のスター 高橋由伸

野球好きな父親と二人の兄の影響で野球を始めた高橋由伸さん。小学生で水泳も習ったが地元・千葉の野球チームで飛び級の活躍。しかし、学生時代、本人は野球選手になれるともなりたいとも思っていなかった。
家を出たくなかった由伸さんと出したくなかった父親に対し、母親の強い勧めで、高校は桐蔭学園に進学。恵まれた仲間との全寮生活で必死に練習し、甲子園出場を果たしたと言う。高卒プロの道もあったが、「プロ野球は別世界」と思っていたそうだ。
慶應義塾大学への進学を決めたのは、二歳上の高木大成の存在が大きかった。同じ道を辿って何か見えるかもしれない。身近な先輩がプロ指名され、自身も絶好調に活躍し、スカウトが来たことで、プロ野球が一気に現実的なものに。一位指名で読売ジャイアンツへ入団。家族と一緒に過ごす時間や周りの期待に応える事が喜びだった学生時代から一転して、職業として稼ぐ使命感が芽生え、初めて自分のために頑張ろうと決めたという。
プロ野球はチームが勝っても個人の成績で評価される。だからこそ、自分に足りない部分を常に見極め、克服すべく、一生懸命やるのみ。何万人もの前でプレー出来る希少な舞台は、怪我をしても戻りたい場所だったと言う。「実は緊張するタイプ」だと自己分析するが、待ったなしがプロの世界。試合前は集中するために音楽を聴く選手が多いと言われるが、高橋氏は自身の登場曲はその時の気持ちに近い歌詞の曲や子どもたちが好きな洋楽を選んでいたという。現役最後に経験したのが、補欠という役目。補欠にも活躍の場があると知り、置かれた場所で咲く頑張り方があったと振り返る。
引退後の現在は野球解説者のほか、小学生や初心者の指導者として、活動を続けている。選手と監督という両方の経験を持つからこその見解を、一般に楽しく分かりやすく伝えることを心掛けている。

由伸さん視点での野球の魅力を尋ねると「大谷劇場のように、漫画のような奇跡的な出来事も起きて一発逆転もある」「筋書きのない物語が面白い」「観る人皆が『自分ならこう采配する』などと監督気分が味わえる」と熱く語る。
今後の展望としては「野球人生の経験を活かして普及のために何かをしたい、していかなくてはいけない」と宣言。海外ではシーズンごとに複数スポーツ経験をすることが主流だが、由伸さんは「職業とするなら難しいかもしれないが、多数のスポーツを経験すると、あらゆる身体の使い方を習得し、選択肢や可能性が広がる。野球人口を増やす上でも良い」と賛同する。プライベートでは趣味のゴルフで交友を深め、早朝から緑の中を歩き、健康に気を付けているのだとか。
最後に、学生新聞の読者へ一言お願いすると、「苦しい時、他人事と思って逃げないこと。 自分で乗り越えないと力にならない。社会に出たら平等ではないので、置かれた現実の中で努力して、大切な場所を探して欲しい」。大きな瞳を輝かせながら、心強いメッセージを届けてくれた。

■取材した感想

憧れの人を前に緊張しない訳が無いが、高橋由伸さんは学生に真摯・誠実にお話し下さり、その人間力に引き込まれ、取材が終わる頃には夢中で前のめりになる自分がいた。実際にお会いして、球界は2種類のスターに分かれると思った。
大谷翔平選手やイチロー選手のように、小さな頃から高い目標設定で未来を描き、それを有言実行して予想を超える記録を残す天才タイプと、自分より人の為に、少し肩の力を抜いて置かれた環境で精一杯努力し、開かれた道を一歩ずつ進み、着実に達成する天才タイプ。成る可くして成ったスター、その代名詞が高橋由伸選手だ。プロスポーツ選手になることは普通に考えたら雲の上のことだ。僕もプロスポーツ選手を目指す上で、いつも高ければ高いほどの目標を持たなくてはならないと焦る時もあったけれど、高橋さんのお話を聞いて、決して正解は一つではないと気付かされた。自分が今置かれている環境がベストだと信じて、その中でひたすら努力すれば、道は見えてくるはずだ。絶対無理だよこんなのと思うんじゃなくて、一歩ずつ歩んで成長しながら階段を上っていく、僕はそんな高橋さんの生き様がカッコ良いと感銘を受けた。

執筆者: 青山学院中等部3年 吉田侍人
(IMG インターナショナルクラシックベースボールU15日本代表、ラグビー U15東京都代表)

青山学院中等部3年 吉田侍人

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