モデル・タレント・ファッションデザイナー 神田うの
仕事とは「感謝」を生み、新しい世界を見せてくれるもの
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モデル・タレント・ファッションデザイナー 神田うの(かんだうの)
■プロフィール
1975年3月28日生まれ、神奈川県出身。
14歳でモデルデビューし、その後、17歳で雑誌『プチセブン』のモデルに起用される。
その後はバラエティ番組からドラマ、映画、CMまで幅広く活躍。2001年からはストッキングやウエディングドレス、ジュエリーなどのプロデュースをスタート。2004年には、ウエディングドレスをパリコレに出展。
また2021年からコスメ「Peau de Bijou UNO」(ポー・ド・ビジューウノ)のプロデュースを発表し、多岐にわたりプロデュース業を手掛けている。
バレエ、モデル、バラエティタレント、商品プロデュースなど、幅広い活躍を続けてきた神田うのさん。幼少期の体験、モデル業を通じて触れた社会、そして数々の挑戦から得た強さを語ります。大学生へ向けた温かなメッセージも必見です。
■小さなバレエ少女からのスタート
私は3月28日生まれで、予定日より約3週間早く生まれました。学年内ではいつもみんなよりも頭ひとつ分小さく、学校生活ではお兄さんやお姉さんに囲まれているような気分でした。何もできない私はお友達に「うのちゃん、こうだよ、こうだよ」と手を引いて面倒を見てもらうことが多く、自然と周りに頼るキャラクターになっていました。
親は私にさまざまな習い事をさせてくれましたが、どれもあまりうまくいきませんでしたね。でも、唯一バレエだけは楽しくて真剣に取り組み、トゥシューズを何度も履きつぶすほど練習しました。その結果、親は「この子はバレエをさせておけばいい」と思うようになったと聞いています。
■モデルとして触れた新しい世界
芸能プロダクションには色々とスカウトされていたのですが、親からは全部「ダメだ」と反対されていました。14歳のとき、モデル事務所にスカウトされた時、ファッションが好きだった私は、このお仕事なら素敵な洋服をたくさん着られると思い、ぜひこの仕事をやりたいなと思ったんです。そして、バレエのトゥシューズは消耗品で費用がかさむため、「トゥシューズ代くらいは自分で稼ぎたい」と親に訴え、なんとかモデルの仕事を始めることができました。そして、この決断が後に私の人生を大きく変えるきっかけになったんです。親は私がすぐにこの仕事に飽きて辞めてしまうと思ったようですが、私はこの仕事がどんどん楽しくなっていきました。当時の私は学校とバレエの世界しか知らず、軽い気持ちでモデルのお仕事を始めたのですが、ここで社会の仕組みを初めて知ることになります。カメラマンやヘアメイク、雑誌ライターなど、それまで存在すら知らなかったたくさんの職業に出会うことができました。
バレエを優先しながらモデルの仕事をすることは簡単ではありませんでした。モデルの仕事は土日の撮影が中心なのですが、バレエの舞台やリハーサルとスケジュールが重なることも多かったからです。せっかくオーディションに受かっても、バレエ優先。バレエの先生は「レッスンは休んではいけない」という厳しい先生だったので、やりたい仕事ができなくて、何度も悔しい思いをしました。それでも、モデル活動を通じて新しい世界を知り、多くの出会いに恵まれたことは大きな収穫でした。
■バラエティタレントとしての葛藤
高校卒業後、今度はバラエティの仕事もやるようになりました。事務所の社長が「この子はバービードールが喋っているみたいで面白いね」と言ってプロデューサーに紹介してくれたおかげで、気に入ってもらい、いきなり番組の司会を務めることになりました。当時は「地方の祖父母は見ていないし、好き勝手に喋っちゃえ」と無邪気に取り組んでいましたが、発言が編集されて誤解を生むことが増え、バッシングを受けることも増えました。一度、社長に「タレントを辞めてモデルに戻りたい」と直談判しましたが、すでに十数本のレギュラー番組が決まっていたため、辞めることはできませんでした。
そこで、「せめてレギュラー番組を一桁にしてください」と交渉すると、社長は十数本あったレギュラーを9本に減らしてくれました。当時の私にとってはこれがギリギリ耐えられるラインで、何とか仕事を続けることができました。バッシングが激しくなった時期、同じ業界の友人たちが「気にするな」と励ましてくれたことも大きな支えになりました。この経験を通じて、社会の厳しさや妥協点を見つける大切さを学んだと思います。
■プロデューサーとしての挑戦とやりがい
25歳のとき、ストッキングのCMに出演したんですが、私がいつも海外の柄の入ったストッキングやタイツを履いているのを見て、企業からストッキングのデザイン相談を受けたんです。これをきっかけにプロデュース業を始めました。
そこで挑戦したのが、ストッキングにスワロフスキーを施すという新しい試みです。耐久性を検証するための実験など大変な作業も伴いましたが、結果的に商品が大ヒットし、多くの企業や顧客から感謝されました。街中でたくさんの女性が自分のデザインしたストッキングやタイツを履いて歩いているのを見たときは、本当に嬉しかったです。モデル業への評価とは違い、自分の感性で商品を生み出し、顧客に喜ばれる体験は、大きな達成感につながりました。すると、今度はランジェリーのデザインやウェディングドレスのデザインの依頼も入ってくるようになったのです。ドレスのデザインはかなり大がかりなもので、ヘッドドレスも作ったりしてとても大変でしたが、花嫁やそのご家族から感謝の手紙を頂くたびに大きなやりがいを感じましたね。この経験を通じて、「仕事は感謝を生むもの」という信念が育まれていったと思います。
■学生へのメッセージ
学生時代は「守られる中で社会を学べる」特別な時間だと思います。私自身は早くから社会に出たため、大学生活のような時間を経験することはありませんでした。しかし、皆さんが今過ごしている「遊びと学び」を両立させられるこの期間は、多くの経験を積むチャンスです。その出会いや挑戦が、30代、40代になったときに大きな力になるはずです。また、相手の意見を受け入れる柔軟性を持ちながら、自分の意見を伝える力を持つことも重要です。自分の考えを持ちながら他者を尊重できるスキルは、より良い社会を作る基盤となるでしょう。ぜひ失敗を恐れず、多くのことに挑戦してください。それが、未来の自分にとって大きな財産となります。
学生新聞オンライン2024年11月16日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵
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国際基督教大学 2年 丸山実友 / 城西国際大学 1年 渡部優理絵
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