テリー伊藤 コラムVol.54 ミスター、有難うございました。
ミスタープロ野球長嶋茂雄さんが2025年6月3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。89歳だった。日本中が悲しみに包まれている。長年スーパースターでありつづけだが、世代によってミスターへの印象は違う。現役を知らない若い世代は、ユニークなコメントをする方。監督時代は原辰徳や松井秀喜を育てた印象があるのではないか。私世代にとってのミスターは野球人として圧倒的な存在だった。彼が読売ジャイアンツに入団した昭和33年の日本はまだ貧しかった時代で国全体がモノクロの世界だった。街並みも人も車もモノトーン。後楽園球場の観客席を見渡しても、男性は白の開襟シャツか会社帰りの暗いグレーのスーツ、若者達も学生服を着て観戦していた。しかし長嶋茂雄だけはカラーだった。そこだけ眩しく輝いていた。当時のプロ野球にも勿論川上、金田、別所とスターはいたが、やはりモノクロの世界。ミスターだけが別次元の輝きを放っていたのだ。
長嶋が立教大学から巨人に入団する前、プロ野球より六大学野球のほうが人気があった。そんな事情もありプロ野球界も派手なプレーをする選手もいなかったのでは。そこにミスターが彗星のように現れる。開幕戦では、国鉄スワローズ金田投手から4打席4三振の洗礼、ホームランを打ってもベースを踏まずアウト、果敢にホームスチールをしてもアウト。かと思うと、初の天覧試合でサヨナラホームランを放ち勝利を引き寄せる。ミスターの一挙手一投足に日本人が驚きの連続だった。当時私は子供ながらに「日本のプロ野球に一人だけメジャーリガーがプレーをしている」「日本人が知らなかった本当の野球の楽しみを教えてくれた」「新しい時代が来た」そう感じたが、それは私だけではなかった。「こんなに楽しくプレーをしていいんだ」と、日本中の野球に対する概念を一瞬にして変えてしまった。エルビスプレスリー、ビートルズが音楽シーンに革命をもたらせたように、野球界をたった一人の男、長嶋茂雄が変えた。ミスタープロ野球と呼ばれる訳はここにある。
当時私の住む築地にも草野球が出来る原っぱがあった。学校帰りにそこで野球をするのが日課で、遊んだ後は皆で近所の銭湯に行った。銭湯が近づくとそれまで笑って話していた仲間が猛ダッシュに。だれが一番早く下足箱の3番の札を手に入れるか競ったものだ。足の遅い私は取れた試しがない。その銭湯も今はないが、大好きだったミスターへの想いは消えることはない。
今は寂しい、悲しいと感情を伝えるより、たくさんの想い出と勇気と人生を教えていただいたミスターに「有難うございました。」を伝えたい。

テリー伊藤(演出家)
1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。
2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。
テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。
その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。
著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。
演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。
YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」
LALALA USAでコラム連載中
https://lalalausa.com/archives/category/column/terry
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