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Archive for 運営スタッフ

伊東美優

株式会社トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長 中村貞裕 

“やりたいこと探し”に焦らなくていい。できることが「仕事」になる。 株式会社トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長 中村貞裕 (なかむら さだひろ) ■プロフィール 1971年生まれ。慶應義塾大学卒業後、伊勢丹を経てトランジットジェネラルオフィスを設立。その後外苑前のカフェ「Sign」オープンを皮切りに、飲食店運営や空間プロデュース、ケータリング事業などで話題となる数々のコンテンツを手がける。著書に『中村貞裕式ミーハー仕事術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン / 2012年)。2022年にゴルフブランド「パシフィック ゴルフクラブ」を始動。 カフェブームの先駆けとなった「Sign」やオールデイダイニング「bills」など、数多くの話題の店を手がけてきた株式会社トランジットジェネラルオフィス。学生時代から起業を志していたという創業者の中村貞裕氏は、「ミーハーな性格が仕事の原点」だと語る。そんな中村氏に、興味深い大学生活のエピソードや、事業成功の秘訣について詳しくお伺いした。 子どもの頃から、よく言えば好奇心旺盛、悪く言えば熱しやすく冷めやすい人間でした。今では、そんなミーハーな自分をポジティブに受け入れているのですが、昔はそんな自分があんまり好きではなかったんです。大学受験だけは唯一頑張れたものの、学生時代はバスケ、スケートボード、サーフィン、バンドなど、はじめてはすぐやめてを繰り返す日々。しかし数年経つと、1つのことをずっと継続して努力し続けた人たちが成果を出し始めるんですよね。その姿を見て、何をやっても続かない自分に悶々とする毎日を送っていました。ただ、好きなことは人一倍多かったので、現在の妻である当時の彼女と、レストランガイド本に掲載されているお店を片っ端から周ってみたり、人を集めてカフェやクラブでイベントを主催したりなど、振り返ると充実した大学生活でしたね。 ■人脈が次のステップへ進むきっかけに 僕が大学に入学したのは、バブル崩壊の年である1991年でした。そして迎えた就職活動は、就職氷河期真っ只中。ゼミナシ、部活所属ナシおまけに留年ありという学生だったので、それなりに苦労しましたよ(笑)。結果的に、卒業後は伊勢丹に入社することができましたが、きっかけになったのは元々ファッションが好きで、バイヤーの仕事に興味を持ったことでした。しかし、百貨店という華やかなイメージとは裏腹に、入社後待ち受けていたのはルーティン化したアシスタント業務ばかり。下積みとして必要なことと分かっていても、飽き性な僕には全く向いていませんでした。そして「もう辞めよう」と思っていた2年目のある日、急に憧れだった先輩の元で働けることになりました。憧れの先輩である藤巻幸大さんは、若手デザイナーの発掘や育成を目的としたプロジェクト「解放区」など、当時の百貨店では考えられない革新的なアイディアを生み出して、一躍有名になった方です。そんな藤巻さんのアシスタントとして働けるのは、まさに夢が一つ叶った瞬間でした。以来、藤巻さんが退職されるタイミングまで僕も伊勢丹で働き続け、たくさんのことを学ばせてもらいました。また、絶大な影響力を持つ藤巻さんの周りには、常に人が集まっていたので、部下である僕も、その方たちと名刺交換をする機会をいただき、気付けば膨大な量になっていました。これを活用するしかないと考えた僕は、仕事で名刺交換した方々を中心に声をかけ、毎週金曜日にイベントを開催しました。イベントはたちまち話題となり、結果1万人ほどのリストを手に入れることになりました。このリストを使って何か面白いことができないか、そう考えていたときに、日本では空前のカフェブームが起こっていました。そこで、ちょうど運よく良い物件との縁があったので、カフェを始めることを決意。このお店を皮切りに、飲食店を続々オープンするきっかけとなりました。 ■空間づくりなら「何でもやる・何でもできる」 当社はプロデュース、オペレーション、イベントの3つを軸に、いくつかの事業を展開してきました。飲食店ビジネスというとBtoCのイメージが強いと思いますが、僕たちの場合は半分以上がBtoB業務であり、クライアントの多くは大手企業や上場企業などばかりでした。そのためクリエイティブ分野では、クライアントからの案件に対して、1からプロジェクトを立ち上げ進めていきます。ユニークな事例としては、ある大学の学食や大手アパレル企業の社内カフェのプロデュースなど。また近年は、クライアント企業からオペレーション全般を委託されて手掛けるケースも多くあります。ここで大切なのは、クライアントニーズをしっかりと押さえながら、新たな視点で企業の課題解決を支援すること。海外ブランドをはじめ、幅広い業態で経験を培ってきた当社だからこそ、まだ世にない新たな価値創造を生み出すことができるんです。よく人から驚かれるのは、一つひとつのプロジェクトに対し僕らは、すべて“ALL トランジット”で挑戦していること。デザインやプロモーション、マーケティングなど各分野のスペシャリスト集団を抱える当社だからこそ、人々の期待以上に応えることができます。社員目線でいうと、本当に数えきれないほど豊富な業種があるので、社内にいながら多方面でチャレンジできる部分が魅力の一つですね。日本に朝食カルチャーを浸透させた「bills」をはじめ、海外企業とのライセンス契約も、当社だからこそ叶えられる大きな挑戦ですよね。 ■「遊び場」づくりのプロフェッショナルとして お店に来てくれたお客様に、非日常を味わってもらいたいという想いがあります。仕事が終わって帰る家がオフの場だとしたら、お店は入った瞬間にスイッチの入る、オンの場でありたいんです。そのため当社は、音楽やファッション、アート、食をコンテンツに魅力的な遊び場をたくさん提供しています。またオペレーションは、あえて「人に依存する」仕組みを採用。誰でも働けるシステム化された店は、僕らが目指す理想像ではありません。採用・育成コストがかかったとしても、お客様が「またあの人に会いたい」と思ってくれるようなスペシャリストたちを、今後さらに増やしていく予定です。当社が目指す先は、今までになかったカルチャーを日本の街に根付かせ、人々のライフスタイルに影響を与えること。僕らが仕掛けたものが単に一時的なブームとなるのではなく、より多くの人にとって素敵なライフスタイルとなれば嬉しいです。 ■大学生へのメッセージ 学生時代、やりたいことが見つからないと悩む人は多いと思います。実際、僕自身もそうでした。でもある日考えたのが、もし成功するために100の知識が必要だとしたら、小さな1を100個持つことで、100のものを1つ持つ人と対等に戦えるということ。1×100も、100×1も、かけ算してしまえば同じなんです。それ以来、僕はやりたいことが見つからない自分を肯定的に捉え、“スーパーミーハー”に徹していくことに決めました。ぜひ学生の皆さんにも、好きなことややってみたいことはとことん突き詰めて、焦らず本能のままに生きていってほしいです。 学生新聞オンライン2024年3月12日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優 慶應義塾大学大学院2年 賀彦嘉 / 津田塾大学1年 石松果林 / 慶應義塾大学4年 伊東美優

学生新聞インターン

IG証券株式会社 代表取締役 古市知元

型にはまらない、世界基準の投資機会を日本に届ける IG証券株式会社 代表取締役 古市知元(ふるいちともはる) ■プロフィール 札幌市出身。東京大学法学部卒業、シカゴ大学経営学修士。58歳。学生時代はドラムを叩いていた。長男と長女は今年、それぞれ大学と高校を卒業。日本企業2社、外資系企業2社の経営で過去最高の業績。採用面接は、する側でもされる側でも数知れず。休日は身体のメンテや散歩、読書、家族とまったり過ごすなど。 今年で創業50年を迎えるIGグループ。15カ国以上で使用されており、通貨の種類は100をも超える。圧倒的な銘柄数で世界標準の取引できることが強みであり、多様なユーザーへ海外資産を含む投資機会の提供を目指す。古市社長のこれまでのキャリアを伺いながら、IG証券としての展望についてお話しいただいた。 ■経営コンサルティングから企業経営者に移行した時代  東京大学を卒業しましたが、当時はいかに低い点数で単位を取るかなんてことばかりを考えて、就活もあまり意識していませんでした。特にやりたいことが決まっていたわけではなく、リクルートのパンフレットの最後のページに掲載されていた外資系コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニー・ジャパンを受けることにしたんです。1つだけ言うなれば、金融業界にだけは就職したくないと思っていました。当時金融業界はとても人気で、周りと同じようなことはしたくないと思っていたからです。まだ明確な道が見えていなかった私にとって、コンサルティングはやりたいことを決めなくてもいいと思い、入社を決めました。マッキンゼーには足掛け12年間勤めましたが、そのうち一年間はディズニーの日本子会社に出向し、売上予測2万本のビデオ作品を10万本売りました。もともと映画等に興味があったこともあり、とても楽しかったです。その後2年間はマッキンゼーを休職してシカゴ大学のMBAに留学しました。マイケル・ジョーダンを生で見たかったからというのも留学した理由の1つでしたが、ちょうど留学の直前に引退してしまいました(笑)。その後2年間はマッキンゼーに戻りましたが、会社経営を実際にやってみたくなり、人材紹介や派遣などの人材サービスで上場していたインテリジェンスという企業に執行役員として転職し、会社の急成長に立ち会いました。その後はサマンサタバサで取締役、GILTでは代表取締役として企業経営のキャリアを積みました。 ■IG証券との出会い 色々な会社を経験してきましたが、IG証券に入社したのは、声をかけてもらったことがきっかけです。ロンドンで最終面接を終えた後、空港へ向かうタクシーの領収書の裏にIG証券の広告があったことに縁を感じ、入社しました。学生時代から金融業界に特段興味があったわけではなかったのですが、人との巡り合わせの末、金融業界に入ったわけです。初めは絶対に行かないと思っていた金融業界でしたが、良い人との巡り合わせで出会うことができました。IGグループはアメリカやオーストラリアなど、15カ国以上に展開し、外国為替や株価指数、原油などのコモディティ、債券などの店頭デリバティブ商品を提供しています。2018年にIGグループのグローバルCEOが交代したことを受けて、日本を戦略市場として成長させようという動きとなって入社しました。私はこれまで経営コンサルティングや企業経営に携わってきたので、成長戦略全般にアプローチするよう求められました。当時はごく一部の限られた方がお客様でしたが、より幅広いトレーダーにも使ってもらえるようにマーケティングやサービスの改善などに取り組みました。 ■これからの投資・資産運用 日本は証券市場が独特で、特に本社のあるイギリスとは規制が全く違います。資産クラスごとに細分化されていたり、暗号資産の規制が異なっていたり。ただ、共通するのは、目まぐるしく変わる時代を生きる上でも、これからもっと多くの人にとって投資や資産運用が必要になることです。その中で大切なのが、型にはまったお仕着せの投資ではなく、自分で考えて投資方法を見つけることでしょう。もちろん、投資では失敗することもありますが、多くの人に機会を提供したいと思っています。世界に目を向けた資産運用や投資が当たり前になるように、日頃からチャンスを逃さない姿勢も大事ですね。今後の弊社の課題として挙げられるのが、SBI証券や楽天証券、DMM証券など業界トップを走る金融企業に対して、どのように戦っていくかです。日本以外の海外市場や、他社にはない金融商品にも力を入れているので、多様なお客さまのニーズに応えられるようにしたいです。あと、いまだ他社が気づけていないことに目を向けていくことが必要ですね。資金力に任せた、ただの力勝負ではなく、新しい商品やサービスなどに柔軟にチャレンジしていくことが弊社の強みだと思っています。 ■大学生へのメッセージ 成功する秘訣には私は主に2つあると思っています。1つは運です。運というのは、他力本願ではなく、伸びる分野を予測したり、良い人と出会ったりすること、努力を続けることで自然と引き寄せることができます。もう1つは、見通しです。これは社員にも聞いていることですが、今何をしているのか、それがどういうふうにつながるのか、先を考えて動くことです。学生のうちにやりたいことが決まっていなくても全然構いません。それが当然だと思います。でも、上手くいかなくても、他人や環境のせいにしないことが何より大事で、損得で動くのではなく、人のいいところを見つけるようにするだけで、見方が大きく変わります。偉そうに言える立場ではありませんが、大学生の皆さんにも、ぜひこれらのことを大切に頑張ってほしいですね。 学生新聞オンライン2024年1月23日取材 上智大学2年 白坂日葵  中央大学2年 前田蓮峰 / 上智大学2年 白坂日葵

コラム

テリー伊藤 コラムVol.21 ウサギとカメ貴方はどちら

慶應義塾長の伊藤公平氏が読売新聞のインタビューで、日米の大きく異なる価値観をユニークな着眼点で答えている。イソップ童話『ウサギとカメ』に於いて、日本では昼寝して怠けたウサギに比べ、たゆまずに進んだカメが主役とされている。「才能ではなく努力で勝つ」という話。一方米国では「なぜ足の速いウサギが遅いカメに負けたのか」「相手を見くびるな」という視点で語られている。つまりウサギが主役なのです。 欧米の競争社会は、優秀なウサギが主役となり国や経済を引っ張り、伸びる子は徹底的に伸ばし格差は気にしない。優秀なウサギが集まる環境整備が優先される。伊藤氏は競争が悪いと言っている訳では無く、日本が追いつこうとする欧米の競争社会は「日本になじむのか?」という疑問を呈したのだ。「慶応大学には多くの留学生が学んでいる。当初は貪欲な実力主義と思われた学生が、日本人学生と交わる度に学生証の受け取り方や買い物の仕方を教わり、順番を守るようになった。さらに感化され、後輩の面倒を見たり、日本人の英語論文のアドバイスも。空気を読んで和を保つ文化を身につけながら勉学に励むようになる。日本スタイルは『和を以て貴しとなす』(わをもってとうとしとなす)の精神、コツコツ努力する“カメ”の姿勢と感じました。一歩一歩階段を上り、気が付いたら誰よりも高い頂に立っていた“カメ”的な美学は日本の真骨頂。“ウサギ”が成功例とは限らないのです。」と語っている。 さすが伊藤慶応義塾長、将来を見据えた洞察力が素晴らしい。ウサギの視点で『ウサギとカメ』の競走を考えた事は今まで無かった。しかしこれからの実社会で予想される出来事は、カメをなめて不覚にも寝てしまったウサギが、負けを教訓に“反省したウサギ”となってレースに挑んできたら、我が日本カメ軍団は勝機を見出せるのか! 突然ですが私、いつも「不自由の中の奇跡」を考えています。文字通り、規制や不利な条件、環境のおかげで新しい文化や発明が生まれ、そこから日本は多くの産業を生み出した。小さ過ぎると酷評されていたが温暖化対策で見直さる軽自動車、短かいと言われた制服のスカート丈から流行した女子高校生のコギャル・ルーズソックス、暗い人と言われていたのに世界の主役となるオタク文化やアニメ・コスプレ。土地が広ければ生まれなかった回転寿司、カラオケBOX等。今やワールドワイドに愛されている日本の大発明だ。これらの成功のキーワードは「狭い」「ゴチャゴチャ」「何か変」、でも「楽しい」「面白い」。 そうなんです、世界が驚く新たな成功ビジネスはこんなところに隠れているかも。勿論、見つかったら後は“カメ”になって真面目に地道に頑張りましょう。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

株式会社雨風太陽 代表取締役 高橋博之

都市と地方をかきまぜて、持続可能な社会をめざす 株式会社雨風太陽 代表取締役 高橋博之(たかはしひろゆき) ■プロフィール 1974年、岩手県花巻市生まれ。青山学院大卒。 代議士秘書等を経て、2006年岩手県議会議員に初当選。翌年の選挙では2期連続のトップ当選。震災後、復興の最前線に立つため岩手県知事選に出馬するも次点で落選、政界引退。2013年NPO法人東北開墾を立ち上げ、地方の生産者と都市の消費者をつなぐ、世界初の食べもの付き情報誌「東北食べる通信」を創刊し、編集長に就任。2015年当社設立、代表取締役に就任。 誰もが毎日向き合う“食”。食材を調達する時、生産者の顔が浮かび、「ありがとう」と感謝できているだろうか。苦しい過去を乗り越え、政治の世界を歩む最中、東日本大震災で垣間見えた地方の限界。「都市と地方をかきまぜる」をミッションに、「ポケットマルシェ」などを運営する株式会社雨風太陽が目指す未来社会について、高橋代表に伺った。 人生とは思い通りにいかないものです。まず、私は大学2年生を3回やっています。当時、私の通っていた青山学院大学は、厚木駅からバスで約30分登った山の上にあり、3年生に進級すると花の都・東京の青山に出ます。私は進級できず「厚木返し」を2度味わいましたね(笑)。進級できなかった理由は、大学に通う目的を見失ったからです。高校までは親元で暮らし、当然のように学校へ通っていました。ただ、姉が知的障害者で「なぜ自分はこう生まれたのか、人は何のために生きるのか」などを、子供ながらに考えていました。そして、大学で上京して独り暮らしを始めると、その問いがドーン!と落ちてきたわけです。“自分は一体、何のために生きているのか”と。海外へ自分探しの旅に出ても何も分かりませんでした。次に、帰国後はテレビ局のバイトを始め、やがてジャーナリストを目指すようになります。就職活動では新聞社だけを狙い、全国紙から地方紙まで3年受け続けたものの、見事に全て落ちます。ESは100枚以上書きましたよ(笑)。当時の新聞記者は花形で、100人に1人しか通らない狭き門。なので、面接に通るための社会経験として、大学の先輩で国会議員の鞄持ちを始めました。この不埒な理由で始めた政治の世界が徐々に面白くなってしまった。そのうち、“俺がマイク持って前に立って話したい”という気持ちがポッと湧いてきたんです。世話になった故郷・岩手で、地元の同級生と同じ空見て同じ空気を吸って、話を聞いてもらいたい。そう思い、岩手へ帰りましたが、田舎の選挙は組織票が多く、若者が入り込む隙間はありません。岩手は、政治家・小沢一郎の牙城でもあるので尚更です。それで私は毎朝、住宅地の交差点や田んぼの畔に立ち続け、1年と数カ月後に晴れて当選しました。人生とはなかなか思い通りにいかないものです。あまり先を見すぎず、その時々の縁や出逢いを大切にしようと切り替えてからは、歯車が動き出し今に至ります。 ■震災が浮き彫りにした、地方の限界 雨風太陽を始めたきっかけも、出会い頭の事故でした。2011年3月11日に震災が起きた当時、私もすぐに駆け付けて被災地支援をする中で、また“リーダーになって震災を復興したい”という想いがポッと芽生えたのです。その志を胸に知事選へ出ましたが、落選。自然災害が浮き彫りにした社会課題は待ってくれないので、政治家を引退しました。そして、被災地の漁師町・三陸で、ある漁師と出逢います。彼は、「震災前からこの街は行き詰まっていた。魚を捕っても食べてもらえない。そこにトドメを刺されただけだ」と言いました。今は生産と消費が離れているので漁師の顔は見えず、スーパーでは値段を見て購入しますよね。消費者として合理的な行動である、費用対効果の最大化、すなわちできるだけ安いコストで多く得るという消費が地方生産者を追い詰めていた事に気付いたのです。さらに彼の過酷な漁師生活を知るにつれ、多少スーパーの魚より高くても、「彼の魚は彼の言値で買いたい」と思うようになりました。食べ物の裏にいる生産者が見えるようにすれば、適正な価格で売れる、すなわち生産者が報われる世の中になる。そう考え、生産者と消費者を繋ぐ情報誌「食べる通信」や産直EC「ポケットマルシェ」を始めました。 ■「都市と地方をかきまぜる」 雨風太陽の事業は主に3つあります。1つ目は、「ポケットマルシェ」という食のサービスです。現在、全国8,100人の生産者様、73万人のユーザー様に登録して頂いているオンラインマルシェで、分かりやすく言うと“メルカリの一次産業版”です。「ポケマル」も、スマホ一つでやり取りでき、自分で価格を決める事ができます。2つ目は、「親子地方留学」という旅行サービスです。故郷がない人も増えているので、夏休みに帰る故郷がない親子が地方へ来て、親はワーケーションをし、子どもは農家で農業体験をするなどのプログラムを展開しています。3つ目は、自治体支援サービスです。地方自治体は今、“課題のデパート”と言われていて、過疎高齢化はじめ様々な課題を抱えています。そこで現場と繋がりを持つ我々が、地域の生産者様に直販や配送の仕方を教えたり、ワーケーションプログラムを造成したりするなど、自治体の底力が上がっていくよう生産者に寄り添った支援をしています。この雨風太陽の主軸である3事業全てに一貫しているのが「都市と地方をかきまぜる」という考え方です。現代の都市では、東京一極集中が起因して、様々な生きにくさや生活環境の悪さなどの問題が発生しています。一方、地方は人が少なすぎることに起因して担い手不足などの問題を抱えています。つまり、“かきまぜる”とは、「都市の活力を地方に、地方のゆとりを都市に」という意味です。都市の方は都会にいながら地方の旬の食材を購入して食べ、夏休みはまるで里帰りするように子どもを連れて自然体験をしてもらうことで時折ゆとりを感じ、地方の方にとっては全国各地から来てもらい適正価格で購入してもらうことで活力に繋げていきたいですね。 ■“間”を大事に、つながり育む「産直SNS」 ポケマルは単なる産直ECではなく、人間関係が生まれる「産直SNS」です。具体的な生産者と消費者の顔が見える双方向取引は、「ありがとう」が生まれます。例えばポケマルでは、「海から発送したよ」など、発送完了の連絡をいれることをルールとしています。今までスーパーでしか購入経験が無い人は驚くわけです。さらに農家は、住所と名前、先月も購入してくれたことを覚えていたりすると、購入者へのメッセージで「先月も買って下さり、今月もありがとうございます」と10秒間の手間をかけて送る。この手間はかけなくてもいいけど、かけようと思えばかけられる。手間と時間には“間”という字が入っていますよね。“人の間”と書いて、人間です。お客さんとの間に手間と時間をかけると、人間関係が生まれるのです。人間関係が生まれてインスタも繋がると、益々相手のことを知ります。ある農家さんは、赤ちゃんが生まれたばかりの家庭だと知ると、注文が入っていないにも関わらず、出産祝いとしてリンゴを送ったりしています。まるで田舎の親戚のオッチャンのようです(笑)。買う側にしたら、都会住みで故郷も無く、いつもリンゴを買っていたオジサンからプレゼントされたら、もう離れられません。そして、この農家が銀座のアンテナショップで催事を開くと、子供の顔を見せに行くわけです。めちゃエモくないですか(笑)? 同様の仕組みを持つ競合サービスもありますが、このような「生産者と消費者の距離」がポケマルのユニークポイントです。我々はサービスFAQで“間に入りません“とあえて記載し、生産者と消費者だけの直接的でクローズドなやり取りも認めています。これは、代金を払うから直接売ってくださいという、中抜きリスクに繋がる可能性がある。しかし、そのリスクよりも双方向に繋げたことで生まれるエンゲージメントを優先しています。エンゲージメントが高まると、人間関係が生まれ、長期で購入してもらうことができる。また、生産者の売る力も上がります。マーケティングの一番地とは「お客さん」を知ること。お客さんと直接つながると時には厳しい事も言われますが、それは自分の生産や販売における欠点です。その声をしっかりと反映し、改善していく生産者は、確実に売る力をつけていく。ひいては持続可能な社会に繋がるのです。 ■「関係人口」を増やし、都市も地方も元気に 2050年に日本国民は1億人を下回ると言われていて、今から2千万人以上いなくなります。そこで、極端に言えば、2050年までに日本国民全員が2ヶ所に住民票を持ち、都市と地方を往来するようになればどうでしょう。住民票を持ち、主体的に地方に関わる人、すなわち「関係人口」が増えれば、国全体の活力は増すと考えています。まずは3つのサービスを通じて、地方に関わる人の“量”を増やすことを目指しています。つまり、都会から地方へのパスポートを沢山の人に渡して、どんな形であれ地方に関わる人を増やしていきたいですね。また、1つの企業で出来ないことは、大企業さんと進めています。例えば、日本航空さんは、地方が廃ると運ぶ人がいなくなるため、地方を元気にしたいが術はない。一方、我々は都市と地方を往来する人が増えてほしいけれども、交通手段を持っていない。そのため我々は包括業務提携を結び共に協力しています。そして、同じ志を持つ仲間も募集しています。都市と地方をかきまぜて、持続可能な社会を共に作っていきましょう! ■大学生へのメッセージ 出会い頭の事故は、外に出ないと起きない。以上!(笑)。思いがけず出逢ってしまって、思いがけずその出逢いによってポッと芽生えてしまう、これは本当に大事なことです。家の中でスマホを眺めていても、出会い頭の事故は起きません!とにかく外に出て、面白そうだなと思ったら何も考えず、まずは体験してみることが大事だと思います。 学生新聞オンライン2024年2月27日取材 専修大学 4年 竹村結 / 玉川大学 1年 川口英莉 明治大学大学院 1年 酒井躍/玉川大学 1年 川口英莉/専修大学 4年 竹村結

学生新聞インターン

株式会社FS.Shake 代表取締役社長 遠藤 勇太

普段の食事に「楽しい」という付加価値を加えて、提供する。 株式会社FS.Shake 代表取締役社長 遠藤 勇太(えんどう ゆうた) ■プロフィール島根県安来市生まれ。松江工業高等専門学校卒。いったん大手飲食チェーンに就職するも、1年半で退職。改めて、料理を勉強するため上京し、「服部栄養専門学校」に入学。その後外食企業を何社か渡り歩き、2013年1月、創業。 首都圏を中心に、安くて美味いで大成功している居酒屋とりいちず。今期の年商は約80億、店舗数も今年中には100店舗を目指しており、その進化は止まる所を知らない。とりいちずをはじめ、様々な業種で食事の楽しさを提供する株式会社FS.Shakeの遠藤社長に他の追随を許さない「安くて美味い」を実現する秘訣について伺った。 自分で言うのもなんですが、学生時代はそれなりに頭が良かったんです。でも、島根県にある5年制の松江工業高等専門学校という学校に通っていたのですが、4年で中退しました。3年の時に白木屋で始めたアルバイトがとても楽しくて、学校に行かなくなったんです。しかし、20歳で白木屋に就職するも、すぐに辞めてしまいました。その時に親から「学校に行けば?」と言われて上京を決め、服部栄養専門学校で1年学んだ後、料亭に就職しました。でも、そこも結局1年で辞め、会社を転々として、外食計画株式会社で5年半働いたのちに独立しました。独立を決めたきっかけは、料理長として自由に仕事させてもらう中で、「もっとこうしたい」という欲が出てきたから。でも、経営について意見をいっても、なかなか聞いてもらえないことも多く、「だったら、自分で起業した方が良いな」と思うようになりました。ただ、この時に自分なりに研究して水炊きを作った経験が、今のとりいちずのコンセプトにつながっています。 ■とりいちず成功の要因はここにある。勇気ある経営で店舗を拡大 とりいちずを創業したとき、当初はなかなか苦労しました。半年間ずっと赤字でしたから。最初は運転資金200万円で起業したんですけど、どんどん現金が減っていくのは怖かったです。その時にターニングポイントになったのが水炊きです。当時はまだ珍しかったこともあったのか、水炊きを導入してから爆発的に売り上げが伸び、なんとか黒字化することができたんです。その後、2期目も何とか黒字にして、3期目でやっとお金を多少借りられるようになったので追加で3店舗を経営しました。さらに4期目からはもっとお金が借りられるようになったので、黒字化して全額出店にぶち込むのを繰り返して、今12期目に達しています。今期はこれまでで最多の30店舗くらい出す予定です。もちろん出店はギャンブルではないので、居抜きで出店するなど、コストをなるべく減らすことでリスクヘッジをしています。それでも僕みたいに借りられるだけお金を借りて、出店につぎ込むタイプの社長は、それほど多くはありません。事実、僕の周りは手堅く、慎重に出店するタイプが多いです。ただ、僕の場合は、「100店舗100億円にする」という目標があるので、最短で達成するには今のやり方でいくしかないと思っています。今はもんじゃとシーシャも合わせた3ブランドを経営していますが、単一ブランドで100億はなかなか厳しい時代なので、他の業態も持っていることがFS.Shakeの強みだと思います。 ■衝撃的な安さと美味さを実現するための工夫 今の若者はよく「酒離れしている」と言われますが、僕はそうは思っていません。単に「ビール離れ」だと思っています。今のとりいちずは生絞りレモンサワーを150円で提供することで、他のお店とは違うインパクトを出せるようにしています。ドリンクの安さに加えて、お通し代を取らないことで他社との差別化をはかっています。お酒が安い店にありがちなのが、お通し代が割と高くて、会計時に「意外と高かった」と感じてしまうことだと思います。そんな感想にならないように、なるべく会計の時にギャップが起きないようにして、「また来たい」と思ってもらえるよう心がけています。味の面でも、もともと僕が料理人だったので、他の激安チェーンよりも美味しい料理を、自信をもって提供するようにしています。「美味しい」と「安い」を同時に実現するには、ロスを少なくすることが大事です。ロスが限りなく抑えられて、管理もしやすい鳥を使用することで成り立っていますね。原価率がそれほど高くないものを、お得に見せるように工夫し、お客様が喜ぶメニュー設定をしています。 ■「とりあえずやってみる」という社風で、お客様に寄り添う店づくりを 働き方については、常に気を付けています。飲食業はもともと連休が取れない有休がとれないブラックな業種だったので、創業したときに、「従業員に連休をとってほしい」と休暇を取りやすいシステムを作りました。アルバイトの子達にも、「将来ここで社員として働きたい」と思ってもらえるような会社作りをしています。あと、とりいちずが若いお客様をターゲットにしている分、何を求めているのか意見を言ってくれる学生と働けるといいなと思います。実際に、その声を受けてお店に導入したのが、大盛りポテトと生無し飲み放題です。これは、お客様の声を生で聞いている社員からの要望で始めたのですが、想像よりも大きな人気を集めました。このように、自分たちにできそうなことはとりあえずやってみることを大事にしています。また、会社としては、目標だった年商100億が見えてきていて、来期には達成できそうです。その次は、海外展開を考えていて、東南アジアのフィリピンやベトナムに展開していきたいです。これらの国は平均年齢も若く、発展途上なので、「こういう店が欲しかった」というニーズに当てはまればブランドとして強く成長していけるのではと思っています。 ■大学生へのメッセージ 自分にとって楽しいことや面白いことをやればいいかなと思います。「こういうことをしておいた方がいい」というのはありません。楽しいことが正義なので、学生にしかできない楽しいことをしてください。遊びでもサークルでも全力で楽しんでほしいです。なんでも全力出していたら、結局は仕事でも出せると思うので。僕はバイトに全力で取り組んだ結果、いまのような職業につくことになりました。皆さんにも、学生時代のうちに、何かを全力で楽しむ体験をしてほしいですね。 学生新聞オンライン2024年3月6日取材 上智大学2年 網江ひなた 武蔵野大学4年 西山流生/慶應義塾大学大学院2年 賀彦嘉/共立女子短期大学2年 猪本玲菜/上智大学2年 白坂日葵/上智大学2年 網江ひなた

学生新聞インターン

Square エグゼクティブディレクター 野村亮輔

スピード感ある決済システムで、中小企業の成長力を支えたい Square エグゼクティブディレクター 野村亮輔 (のむら りょうすけ) ◾️プロフィール NTTデータでリテール業界のDX戦略立案を担当。Apple JapanではApple Payの事業統括責任者として、ユーザー獲得や新規事業に携わる。2022年に参画したSquare株式会社の取締役として事業戦略統制を図り、決済プレーヤーとのパートナーシップ機関を管掌する。米ダートマス大学で経営学修士(MBA)、早大法卒。 誰もが販売や決済を手軽に始められるよう、商取引に必要なツールを取りそろえているSquare。同社のエグゼクティブディレクターの野村亮輔さんは、弁護士を目指して大学へと進学したが、学生時代は「大学の外での学び」こそが人生を変えたという。そんな野村さんに、今回はご自身の学生時代から事業にまつわるお話を伺った。 ◾️中小企業の事業を成長させたい  弁護士になりたいという夢があったので、大学は早稲田大学法学部へと進学しました。しかし、いざ入学してみると、大学内より大学の外で得た経験が、いまに繋がっていると感じています。  当時から洋服が好きで、よく原宿など買い物に行っていた過程で入手したものをオンラインオークションサイトなどを利用して国内外に販売していたのですが、時に購入価格よりも高い金額で売れることがわかりました。そのような過程で、手に入りにくさや、良いものなのに知らなかった、といったギャップをうまく掴めばそれが金銭的価値となり、それを繰り返すことで規模も信頼も膨らみ商売というものが生まれるのだということを実体験で学びました。また、それまでは良い大学に入って良い会社に入ることが一般的な進路だと考えていましたが、人々が支持するファッションブランドのデザイナーが必ずしもそういう進路をとっているわけでもなく、「実は世間一般的に良いと言われるものに囚われたりこだわったりする必要がないのだ」と気が付いたのです。  この気付きが人生の分岐点となり、弁護士を目指すことよりも世の中で自分自身が面白いことをやりたいと強く思うようになりました。就職活動も様々な業界に挑戦し、最終的にはNTTデータという会社に入社しました。入社した理由は、すでに成長した会社より、これから成長する会社で活躍する方が面白いと感じたから。また、この会社なら自分の得意な英語を生かせるのではと思ったのも理由です。  入社して、ビジネスサービスの提案をする営業をしていく中で、「与えられた仕事こなすことより、自分で戦ってシェアを獲得する方が面白い」と感じました。そして、一つの会社にとどまらず挑戦の幅を広げていきたいと考え、Appleを経て、2022年秋からSquareに入社しました。  Squareを選んだ理由はいくつかありますが、最大の理由は「中小企業の事業を成長させたい」という想いです。Apple在籍時、私はApple Payなど支払い側に向けたサービスを担当していました。しかし、これらのシステムは、事業者向けのイノベーションが少ないと感じていました。また、大手企業に比べて、中小企業やこれから新規で事業を始める方にとっては、決済サービスの導入は、コストへの懸念やリスクが大きく、導入をためらう会社も少なくありません。でも、決済サービスを中小企業がもっと効率よく安く導入できれば、成長する可能性はもっと高くなるはず。その手伝いをしたいと思ったことから、決済サービスを軸にさまざまな商取引に必要なツールを提供するSquareを選びました。  Squareの事業の魅力は、キャッシュレスの決済サービスを、決済手数料のみでスムーズに受けられる点にあります。他に隠れたコストがないことも特長です。登録はオンラインで全て完結する上、最短で申し込み当日から決済が可能になります。売上金も最短で翌営業日に入金されます。スピードが速ければ速いほどに事業を早く回せるので、中小企業の方々が事業を拡大する上で、大きなアドバンテージになると思います。たとえば、中小企業の方々がポップアップストアなどを出す際、施設を作るだけで手いっぱいになってしまい、決済の準備は後手になりがちです。スピード感があるからこそ、そうした最後の局面にすぐ使える決済手段として活用できるのが、Squareの強みだと思います。 ◾️これからもSquareが成長するために  Squareは、どこまでも事業者の目線に立ったサービスでありたいと思います。弊社は大手企業ではなく中小企業を中心に展開しているので、大手とは違うニーズがあります。それに対してどこまで親身になれるか、プロダクトの値段以上の付加価値も届けるかを常に考えています。一番望んでいる在り方としては、弊社の存在がお店全体の雰囲気作りにつながることです。理想をいえば、「Squareをお店に置くとなんかかっこいいよね」と言われるようになりたいです。  なお、Squareが求めるのは、自分の考えを持ち、さらにそれを体現したいとチャレンジできる方々です。弊社はフラットで年齢問わず発言でき、その意見を届けられるような環境です。発言内容がしっかりしていれば、その人の声は大きくなり、会社全体の大きな流れになります。そんな方が増えることが、会社として強くなる必須要素だと思います。 ◾️message  「お金持ちになりたい」などの願望があったとしても、焦らず、まずは好きなものを本気で取り組んでほしいです。アルバイトでも、遊びでも、趣味でも何でもいいのですが、やるなら本気でやることが大事だと思います。また、自分はなぜそれに打ち込むのか、何が好きなのか、それによって何を目指したいのかを常に考えながらやることで、大きな学びに繋がります。  そして、勉強はぜひ続けてください。ただ、勉強といっても座学だけをイメージしないでほしいです。私は学生時代に服を探す中で、自分なりの商売に対する定義の発見につながる経験をしました。最後に、一般的に良いと言われている概念には囚われないこと。今後、お金の稼ぎ方や生活様式は様々な形が誕生するはずです。多様性のある社会だからこそ、人に言われたものをやるのではなく、自分の信じるものを貫いてほしいです。 学生新聞オンライン2024年1月26日取材 日本大学2年 米満光里 慶應義塾大学4年 伊東美優 / 國學院大學1年 寺西詩音 / 上智大学2年 白坂日葵 / 日本大学2年 米満光里 / 武蔵野大学4年 西山流生

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「アンメット ある脳外科医の日記」制作発表記者会見

来週4月15日(月)にスタートするカンテレ・フジテレビ系月10ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」制作発表記者会見が7日に行われた。本作は講談社「モーニング」で連載中の漫画「アンメット-ある脳外科医の日記-」(原作:子鹿ゆずる/漫画:大槻閑人)を原作に、杉咲花演じる“記憶障害の脳外科医”の主人公、川内ミヤビが、目の前の患者を救い、自分自身も再生していく医療ヒューマンドラマである。 制作発表会見には主演の杉咲花さんをはじめ、若葉竜也さん、岡山天音さん、生田絵梨花さん、千葉雄大さん、吉瀬美智子さん、井浦新さんが登場。様々な想いを持つキャストのみなさんに今の心境や撮影現場でのエピソード、裏話について伺った。 ■撮影はいかがでしたか? 杉咲さん:今日までアンメットに関わる方々と何百時間と作品に向き合ってきたと思うと、非常に感慨深いものがあります。昨年脚本家の篠﨑さんにお会いし、作品に対する想いを伺い、川内ミヤビを演じることを決めました。撮影現場は非常に和気藹々としていて、毎日撮影現場に行くのが楽しみでした。それでも、本番になるといい緊張感があって、とんでもなく素敵なシーンがたくさん収められた作品になっています。放送が近づいてきてなんだか息が速くなるような気持ちです。 若葉さん:米田プロデューサーの熱い想いに応えたいと思い、今回演じさせていただきました。それに杉咲さんからも「やるよね?」と直接電話をいただいたので、やろうと思いました。 杉咲さん:三瓶先生役は若葉さんしかいない!と思って、気付いたら電話していましたね(笑)。 井浦さん:作品や役に一人ひとりが真正面から向き合っていて、最年長ですが、自分も緊張していましたね。みんな様々なジャンルの第一線で活躍している方々で、千葉君以外はほぼ初共演の方だったこともあり、いい緊張感をもって作品に挑むことができました。 吉瀬さん:今回の作品は早めにオファーをいただいたので、髪を伸ばして原作に見た目を寄せようと意識しました。”安全の鬼”と言われる役を演じたのですが、自分自身も真面目で緊張してしまうタイプなので、演じる津幡玲子と通ずる部分がありましたね。 生田さん:私も緊張するタイプなんですけど、カメラが回っていないところでスタッフさん含め演者のみなさんとコミュニケーションをとる時間を作っていただいたので、周りに鼓舞されながら頑張ることができました。 岡山さん:最初の撮影が生田さんとの二人のシーンだったのですが、現場の隅っこの方に杉咲さんが来ているのを見つけて、一気に芝居が固くなりました(笑)。座長パンチを食らいましたね(笑)。座長として忙しいスケジュールの中、自分の出演シーンがないのに現場を見に来てくれて、自分も頑張ろうと思いました。 杉咲さん:共演者のみなさんのクランクインも見届けたいなって気持ちでしたから。とても素敵なシーンだったので、自分も気合いが入りましたね。 千葉さん:医療ドラマをがっつりやるのは初めてだったので、実際にお医者さんの方々にたくさん指導していただきました。個人的には、「熱いムードメーカー」という役柄を何度も唱えられるのが少し恥ずかしかったですね(笑)。撮影現場では、杉咲さんの屈託のない笑顔が空気を和ませてくれましたね。 ■現場で流行っていたことは? 若葉さん:吻合(ふんごう)練習ですかね? 杉咲さん:流行ってたの?(笑) 若葉さん:血管の吻合シーンは入念に練習して撮影に臨んでいました。吻合練習はだいぶホットな話題ですね。本番は実際に杉咲さんが疑似血管を吻合したんですけど、医療指導のお医者さんが度肝を抜かれるくらいでしたよ。杉咲さんの一生懸命さがみんなのいい刺激になっていました。僕は吻合のシーンないんですけどね。 千葉さん:僕も以前から吻合の練習をしてるんですけど、若葉さんも空いてる時間に吻合してましたよね。 杉咲さん:そうなんですよ。困ったことに若葉さんはコツを掴むスピードが本当に早くて。私はすごく時間をかけて吻合の練習をしたのに「ちょっと貸して」って言われて貸すとすぐできちゃったんですよ。やめて欲しいですね(笑)。 ■杉咲さんからのメッセージ 私は昨今生きていて、世の中不安なことだらけだなと感じますし、同じように感じている方も多いのではないかと思います。でも、自分が恐怖に感じることや苦手なことを、そばにいる人が理解してくれようとしたり、想像してくれるだけで、自分をもう少しだけ受け入れてみようと思えたり、明日のことを考えてみようと感じられると思うんです。「アンメット」は直訳すると「満たされない」という意味ですが、そんなふうに光で包み込めるようなドラマになったら嬉しいです。アンメットに関わる全ての人は、血のにじむような日々を過ごし、いい作品のためなら険しい道を進んで選ぶような方々です。こんな気概のある現場で、一緒にものづくりができていることに幸せを感じています。様々なドラマがあると思いますが、その中でも指折りの傑作になってくれたらいいなと思います。みなさん、期待していてください。 学生新聞オンライン2024年4月7日取材 中央大学3年 前田蓮峰記事構成:上智大学3年 吉川みなみ 『アンメット ある脳外科医の日記』【放送枠】2024年4月15日スタート 初回15分拡大 毎週月曜よる10時(カンテレ・フジテレビ系全国ネット)【出演】杉咲花 若葉竜也 岡山天音 生田絵梨花 山谷花純 尾崎匠海(INI) 中村里帆 ・ 安井順平 野呂佳代 千葉雄大 ・ 小市慢太郎 酒向芳 吉瀬美智子 井浦新【主題歌】あいみょん「会いに行くのに」【原作】子鹿ゆずる(原作)・大槻閑人(漫画)「アンメット-ある脳外科医の日記-」 (講談社「モーニング」連載)

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現役女子高生プロゴルファー 清本美波 

トライ&エラーを繰り返し、自分に最適な方法で勝利をめざす 現役女子高生プロゴルファー 清本美波 (きよもとみなみ) ■プロフィール父の影響で6歳からゴルフを始める。2018年「全国中学校ゴルフ選手権春季大会」優勝。21年「樋口久子 三菱電機レディス」では18位でローアマタイトルを獲得した。23年のプロテストにトップ合格。好きなゴルファー、憧れはタイガー・ウッズ。身長153センチ。好きなクラブは8番アイアン強気のパッティングが長所。 2023年、現役高校生でありながら、ゴルフのプロテストをトップの成績で合格し、今後の活躍が期待される清本美波選手。当初、ゴルフは「遊び感覚で始めた」というが、いつしか本気で向き合うようになり、プロゴルファーへと転身。そんな清本選手にゴルフの魅力や今までの経験を伺った。 これまで様々なスポーツに触れてきましたが、一番継続できたスポーツがゴルフだったんです。たとえば、幼稚園の頃は、毎週金曜日にダンスを習っていましたが、なかなか楽しめず、2年ほどしか続きませんでした。ゴルフに出会ったのは、6歳の頃。きっかけは、父の会社でのコンペです。私自身は付き添いで参加したものの、ゴルフを初めて経験しました。以来、父と一緒にゴルフに行くようになったのですが、当時はプロになりたいという想いはなく、公園に遊びに行く感覚でゴルフをしていました(笑)。でも、小学3年生の頃から、プロゴルファーになることを本気で目指すようになりました。以来、毎日ゴルフをすることで、ますます「自分にはゴルフしかないな」と思い、練習への真剣度が高まっていったと思います。今は試合で思ったようなパフォーマンスができなくても、雰囲気を楽しみながら、最初から最後までやり切る事や、全力で楽しむことを大切にしながら、ゴルフを続けています。 ■家族の全力サポートのおかげで今がある 高校2年生の終わり頃に一度だけゴルフを本気で辞めたいと思ったことがあります。それまでは感じたことがなかったのですが、ラウンドの第一打目であるティーショットを打つことが怖くなってしまったのです。前に進めない恐怖から、本気で「無理だ」と思いました。私は父に「克服できる自信がない」と告げたところ、父が「失敗を恐れなくていい。大切なのは、挑戦をし続ける事、すぐには難しいと思うけど家族で一緒に乗り越えていこ」と言われ、これまでサポートしてくれた父の想いを感じて、心にあったもやもやが吹っ切れました。ただ、そんな経験をしたからこそ、「どうせ辞めるならプロテストだけ受けてみよう。そして受けるなら本気で挑もう」と考え、気合を入れなおし、練習を頑張りました。現在でも、家族全体が私をサポートし、ゴルフ中心の生活をしてくれているので、「頑張らなくちゃ」と思うことが多いです。また、試合で勝った時の楽しさや嬉しさも、ゴルフに真面目に取り組むモチベーションに繋がっていると思います。 ■大切なのは技術力と分析力 本格的にプロゴルファーを目指すと決めてから、トレーニングを始めたり、コースのマネジメントを考えたりするようになりました。芝の深さや自分自身の体調、ピンから逆算した距離など、技術だけでなく、どう攻めていくかの戦略立ても意識しています。また、ミスした時に備えて、ミスした時でも焦らずに進めるように、いくつか対応パターンも考えておきます。その結果、後悔が生まれるようなミスが減り、ミスをしても戦略があるので、焦らずに試合を続けることができます。個人的な課題としては、目の前にあるものを狙いすぎてスコアを落としてしまうことが多いので、色々な人のプレーを見たり、先輩から話を聞いたり、人と自分の何が違うのかを考えて分析する習慣をつけています。2023年のプロテストの時期、自分のパワーがボールに伝わるフォームにこだわり、ひたすら練習していました。その結果、690人が受けた中でプロテストをトップ通過できました。独特な雰囲気のなかでも堂々と落ち着いて自分のプレーができていたと思います。私は周りと自分を比べてしまう癖があるのですが、周囲を見ずに最後まであきらめず頑張ったことがよかったのかもしれません。そして、父の助けも大きいです。父はゴルフをしませんが、ゴルフゲームやゴルフ観戦が好きで、ゲームや観戦で学んだことを熱心に教えてくれます。実際プレーしないため知らないがゆえに無理を言うこともありますが、先入観がないからこそできる提案があり、それにチャレンジできることがスキルアップに繋がっていると思います。 ■リフレッシュがあるからこそ頑張れる 高校生活とゴルフを両立させることはとても大変です。朝から学校に行き、一日勉強して帰宅したら、軽い練習をします。そして、夕飯の後に毎日練習場に行き、ゴルフ練習に打ち込む日々を送っています。週3回程度はトレーニングに行き、体幹やウエイトを中心的に鍛えています。そんなゴルフ中心の生活をしていますが、休日に友達とテーマパークに行ったり、遊んだり、好きなコスメやスキンケア用品を集めたりします。この楽しみがリフレッシュとなり、「よし、ゴルフを頑張ろう」いう気持ちになります。 ■私が思うゴルフの魅力 ゴルフの魅力はいくつかありますが、なかでも色々な人と交流が出来ることが大きいです。ゴルフのおかげで、全国各地に友達が増えました。全国大会でしか会えない友達もいますが、「一緒に全国行こうね」と、お互い切磋琢磨しながらゴルフに取り組めています。また、ゴルフは個人スポーツなので、コースに対しての戦略を自分で分析する面白さがあります。トライ&エラーを繰り返して上達が見えた時や、戦略的に動けた時のやりがいも魅力だと思っています。将来、私はタイガー・ウッズのようなスター性の溢れる選手になりたいと思っています。ゴルフのプレーや技術はもちろん、人間性でも立派な人になりたいです。 ■大学生へのメッセージ 日々、私のことを応援してくださっている方々に感謝しています。InstagramのDM等でメッセージを頂くことも多いですが、そのおかげで頑張れているのを実感しています。この気持ちを忘れずに、「2028年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを取る」という目標に向かって、頑張っていきたいです。 <お父様 清本宗健様よりコメント> 私は海外の試合をよく見ますが、ギャラリーと選手が一体となって盛り上がったり、感動が得られたりする点が、ゴルフの魅力だと感じています。娘はとにかく気が強く、悔しさを糧に頑張っているのがよく伝わってきます。それが、娘の強みであり、魅力です。今後、娘には見ている人を惹きつけ、感動を与えられる人になってほしいと思っています。 学生新聞オンライン2024年2月14日取材 共立女子短期大学2年 猪本玲菜 武蔵野大学4年 西山流生 / 清本宗健 / 共立女子短期大学2年 猪本玲菜 / 清本美波 / 上智大学短期大学部2年 大野詩織

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一般社団法人日本飲食業経営審議会 代表理事 高橋英樹

飲食業の未来を守るため。国や政治家に、自分たちの声を届ける。 一般社団法人日本飲食業経営審議会 代表理事 高橋英樹(たかはしひでき) ■プロフィール1970年、福岡県生まれ。15歳から大阪の飲食店で修業し、24歳の時に有限会社夢笛コーポレーション設立のため、先代社長とともに広島の福山へ。34歳で会社を引き継ぎ同社代表取締役に就任。2008年から2年間はNPO法人居酒屋甲子園の二代目理事長も務めた。2021年11月、コロナ禍で甚大なダメージを被った飲食業界を立て直すべく業界団体「日本飲食業経営審議会」を設立し、代表理事に就任。飲食関連の48団体が加盟する一般社団法人日本飲食団体連合会の専務理事も務め、日本の飲食業界が抱える課題解決に取り組んでいる。 飲食業界の声をまとめて国に届けることでルールから変えていくため、48団体が所属する日本飲食団体連合会。どのような経緯で日本飲食団体連合会が立ち上がったのか。また、団体の目指す未来とは。日本飲食団体連合会の専務理事であり、日本飲食業経営審議会の代表理事である高橋さんにお話しを伺った。 ◾️たった一つの出会いが人生を大きく変える 人生は、時に予期せぬ分岐点から導かれるもの。私の人生も、高校時代の偶然から始まりました。小学生時代からサッカーが好きだった私は、大学生までサッカーを続けたいと思っていました。しかし、いざ入学した高校ではラグビー部しかなく、学校に行く目的を見失ってしまいます。失意から、高校はわずか3か月で中退してしまい、小学生からの夢だった教師への道も遠ざかりました。しかし、そこで出会ったのが飲食の世界です。当時始めた居酒屋のアルバイトが楽しくて、サッカーからアルバイトに好奇心の矢印が向くようになりました。その後、中卒だった私を唯一雇ってくれた居酒屋さんとの出会いから、私の人生は大きく変わっていきました。 その後も、大きな人生の分岐点が4つありました。 1つ目は仕事の意識の変化です。16歳のとき、居酒屋で働き始めたものの、私は常にさぼっていました。365日中360日働いていたものの360日遅刻していましたから、やる気のなさがよくわかるはず(笑)。ですが、16歳のときに、一人の先輩が「このままでいいのか?」と諭してくれました。その言葉がきっかけとなり、「どうせならちゃんとやろう」と考え、板前の世界に入ることを決意します。 2つ目は20歳のとき、中卒だった私を唯一雇ってくれたお店の専務からの声かけです。当時、私は板前をめざし、神戸の料亭で働いていました。すると、最初に雇ってくれた居酒屋の専務から、居酒屋の店長をしないか?という話をいただきました。専務への恩もあったので、板前の勉強を中座して大阪に戻りました。大阪に戻ってからは店長として3店舗かけもちして働きます。初の店長職でしたが、3店舗の売上はすべて前年比を超えることができました。特別なことをしたわけではなく、挨拶や店をきれいにするなど当たり前のことをしただけです。そこで私は当たり前が実績を作ることを学びました。 3つ目は、34歳で社長になったことです。3店舗の店長を始めてから3年後、15歳の時に私を面接してくれた人が「広島で開くお店の総料理長としてこないか」と声をかけてくれました。いい経験になるだろうと思った私は総料理長として入り、店長、マネージャーを経て10年がたったころには営業部長になっていました。お店は6店舗になっていたものの、自分の将来を考え、「独立するならいまだ」と会社を辞める決意をします。辞める表明をしたものの全店舗の店長が「私が辞めるなら辞める」と言ってくれたため、MBOで会社を買い、34歳で社長になりました。 4つ目は、大嶋啓介さんとの出会いと日本飲食団体連合会の立ち上げです。まず、「居酒屋から日本を変えよう。居酒屋業界を元気に」という思いで、大嶋啓介さんと日本一の居酒屋店を競い合う、居酒屋甲子園を立ち上げました。居酒屋甲子園を通じてロマンをひたすら追いかけることはできましたが、そろばん部分、すなわち収益構造を改善していかないと業界が変わらないことにも気づかされました。居酒屋甲子園引退後はFC、ブライダルなど自分の事業を拡げていきました。コロナ禍において、政府の方針に従わざるを得ない状況の中、さまざまルールが変わっていき、飲食業界の声が届いていないことをとても痛感しました。しかし、そうした飲食業界の声がまとまることで政府や国に届くのです。正攻法で政治家の人と対話をできるきっかけが必要だと感じた私は、飲食業界の団体をまとめようと決意します。そこで48団体が所属する日本飲食団体連合会を立ち上げました。 ◾️生の声を国に届ける。ルールが変わることで未来も変わる。 飲食業界では東京と地方の差も大きく、地方を助けなければと思い、食団連の地方支部の1つとして、日本飲食業経営審議会も立ち上げました。食べる食文化と職人の文化を未来に繋ぎ、文化的価値の向上と金銭的な価値を向上させる。これが食団連の目指すビジョンになります。そのためにもルールが必要です。ルールを作るための団体でもあり、ルールを学ぶ団体として食団連があります。飲食業界の健全な価値観を作るためにも実際に政治家の方との勉強会を開催したりなどしています。政治家だけでなく飲食業界にも訴えていく動きも必要です。労働者の7パーセントは飲食業界で働いています。だからこそ働いている人たちが報われるように、飲食従業者の未来を作ります。飲食で働いている人たちが誇りをもって働けるように。それは1000円の居酒屋でも同じです。飲食業界の明るい未来を、食団連を通じて創り上げていけたらなと思っています。 ◾️message 私が子どもに伝えているのは、嘘をつかないこと、命を大事にしてほしいこと、兄弟力を合わせることです。また、素直さも大切です。素直さとは人を否定するのではなく、肯定的な態度をもち、笑顔になる思考です。ポジティブに物事を変換できるだけでも大きく変わってくると思います。このことは会社でも一緒です。そして、会社は守ってくれません。会社に期待するのではなく、常に自分の意志で考えながら動いてください。意思のない歯車ではないのですから。 学生新聞オンライン2024年3月4日取材 法政大学3年 島田大輝 法政大学  3年 島田大輝 /慶應義塾大学大学院  2年 賀彦嘉/東洋学園大学 3年 石原秀真/武蔵野大学 4年 西山流生

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マルコメ株式会社 代表取締役社長 青木時男

発酵の可能性を信じて、「世界初」の商品開発に挑む マルコメ株式会社 代表取締役社長 青木時男(あおき ときお) ■プロフィール 1957年、長崎県生まれ。1979年、慶應義塾大学卒業。食品問屋を経て1984年、マルコメ入社。1998年、代表取締役社長に就任。 味噌を中心に、さまざまなカテゴリーの発酵食品を展開しているマルコメ株式会社。これまで数々のヒット商品を生み出し、今も発酵の新たな可能性に挑戦している。今回は、代表取締役社長である青木時男様に、枠にとらわれない商品開発の秘訣や今後の展望についてお話を伺った。 ◾️音楽好きの学生から社長へ。変わりゆく環境で学んだこと  大学生の頃から音楽が大好きで、同好会でバンドを組んでいろいろな大学を演奏して回っていました。演奏するたびに、周りが楽しんでくれるのが嬉しかったです。周囲を楽しませるのが好きなので、今でも仕事で楽しい瞬間をどうやって作っていくか意識しています。  ただ、大学卒業後、環境が大きく変わりました。というのも、私がマルコメの創業家の女性と結婚したからです。当時マルコメでは、代々長男が後を継ぐのがならわしでした。しかし、生まれたのは2人とも女の子。そこで、長女が家を出て、次女と結婚した私が会社の後を継いでほしいと打診されたのです。お話をいただき、マルコメを継ぐことを決めてからは、「会長の言うことは全て聞き、全力で取り組んでいこう」と決意しました。  まず、会長からは「これから流通が大きく変わっていくから、会社に入る前に勉強をしてきなさい」というお言葉をいただき、まずは流通を行っている明治屋という食品会社に入り、三鷹にある出張所で働きました。当時は、作っても作っても商品が売れる時代だったので、寝る間もなく働きました。倉庫内の油圧エレベーターに乗る20秒間だけが、唯一休憩できる至福の時間でしたね(笑)。 そこでの5年間はとても苦しいものでしたが、学んだこともあります。それは、苦しんでいる人の気持ちを理解できるようになったことです。会社でも苦しんでいる人、頑張っている人は顔を見ると分かるんです。働く覚悟もここで身に着けました。仕事は上手くいくことばかりではありません。苦しい経験は、お金では買えない貴重な経験であり、今でも宝物だと思っています。 ◾️時代に合わせて、新たな挑戦を続ける  マルコメは、1854年の創業以来、味噌を軸とした商品展開を行ってきました。そして私が社長に就任した後、「日本古来の発酵技術を通じて生活者のすこやかな暮らしに貢献する。」という経営理念をみんなで考えました。そこから第二のステージとして、発酵の可能性に着目しチャレンジするというミッションに向けて走り出しました。  その際、着目したのが、味噌が大豆と糀(こうじ)から作られていることです。素材を輝かせ、お客様に喜んでもらえる商品を作ろうと決意しました。そこで開発したのが、生塩糀です。これまで味噌や醤油などは男手中心で製造していました。しかし、当時料理をするのは女性が多かったことから、女性が商品を企画することを当たり前にしようと考え、女性を中心に開発が進められました。糀をきっかけに商品作りをして、塩糀ブームとともに商品が大ヒットしました。このように、長年培ってきた味噌のノウハウを活用できるのは当社の強みだと考えています。味噌は今や最先端の食品です。大豆由来なのでヴィーガン対応の食品でもあり、グルテンフリーでもあります。健康を意識している人が増えている現代でも、時代を超えて愛され続けている素晴らしい食品です。  他にも新たな挑戦として糀甘酒づくりを行っています。生き残るためには圧倒的な商品力が必要です。そこで糀を活用し、アルコール・砂糖が含まれていない糀甘酒を開発しました。糀甘酒は今までにない分野だったので、お店に置いてもらうまでに直接交渉を重ね、やっと陳列させてもらえるようになりました。  また、私たちは大豆ミートの開発も行っているのですが、学校の給食で大豆ミートを提供する取り組みも行っています。コストはかかりますが、添加物をいれないで、なるべくそのままのおいしさを味わってもらえるよう日々研究を重ねています。会社が170年続いて行く中で、お客様のニーズや世の中のトレンドに合わせて、常に新たな挑戦を続けています。 ◾️驚きと感動を世界へ  今後は世界初の商品を世の中に届けていきたいです。たとえば、糀の可能性は無限大です。最近は糀から作る糀みつも誕生するなど、夢のようなアイデアが商品になっていきます。これらの商品は日本古来のものであり、世界の市場にも挑戦できる魅力があると思います。今後も、我々は固定概念にとらわれない商品を生み出し、お客様に届けていきたいですね。  お客様に楽しんでもらうには、自分がまず楽しむことが大切です。自分の個性を活かし、自由に考えを生み出せる人と一緒に働きたいです。何に対しても、エネルギーがある人の顔はキラキラしていて希望に満ちています。そのパッションが大事ですね。  今までにない新しいカテゴリーを提案することは、成熟しているものとは違い、手探りです。苦労もありますが、その分やりがいもあります。これからも世の中のトレンドに合わせて新たなカテゴリーを生み出し、お客様に驚きと感動を与え続けていきたいです。 ◾️message 大学生の皆さんは、好きなことを見つけてたくさん挑戦してほしいです。好きなこと、熱中出来ることを見つけるまでには時間がかかる人もいると思います。それでも諦めずに、探し続けて欲しいです。好きなことに出会い、情熱を注いでください。「好き」が生み出す可能性は無限大です。皆さんが生み出す大きなエネルギーに期待しています。 学生新聞オンライン 2024年2月6日取材 立教大学3年 緒方成菜 立教大学3年 緒方成菜 / 國學院大學1年 寺西詩音 / 武蔵野大学4年 西山流生

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高橋文哉 周りと異なれ!意識を変えて道を切り開こう

俳優 高橋文哉(たかはしふみや) ■プロフィール2019年『仮面ライダーゼロワン』で俳優デビュー。以降、ドラマ『最愛』『君の花になる』『女神の教室~リーガル青春白書~』などに出演。昨年は映画『交換ウソ日記』で恋愛映画初主演、ドラマ『フェルマーの料理』ではW主演を務めた。直近では『劇場版 君と世界が終わる日に FINAL』が公開し、映画『からかい上手の高木さん』(5月31日)が公開を控えている。 2019年のデビュー以来、映画やドラマに大活躍の高橋文哉さん。大人気コミックの『からかい上手の高木さん』の映画化で、主人公の同級生である西片役を演じている。しかも役どころはコミックで描かれている世界の10年後という設定だ。イメージを膨らませるのも大変そうだが、本作品の見どころや役者としての心構えなどを伺った。 ■仮面ライダーへの出演が役者としての基礎に 幼少期は木に登ったり缶蹴りをしたりと、外遊びが好きな子どもでした。また兄の影響で、小学校から中学校まではバレーボールに夢中でした。自分にとってターニングポイントとなった『仮面ライダーゼロワン』でも、オーディションを受けたときは、「正直、受からないだろう」と思っていました。でも、そんな中で強く意識したのは「周りと違うことをすること」です。たとえば、アドリブの一人芝居にしても、他の参加者が10秒ほどで終わらせるところを1、2分かけてアピールしたりしました。こうした他者との差別化が功を奏したのか、思いがけず合格できました。『仮面ライダーゼロワン』は役者としての基礎を作っていただいた作品です。撮影中は、周囲からの意見は全部受け入れようと意識しました。 ■見てくれる人がいるから頑張れる 役をいただいてからは、まず頭の中でその人物のイメージを作りあげて、お芝居に落とし込んでいきます。演じた中で一番大変だったのは、ドラマ『君の花になる』のアイドル役。歌とダンスは未経験だったので、当時は大変さより苦しさという感情に近かったです。周りとの差を埋めるために、歌やダンスの練習を日々の習慣に取り入れながら、コツコツ努力を重ねました。今までにない経験でしたが、その分ライブシーンの撮影は感無量でした。撮影中は、カメラの先にいる視聴者の方々を想像しながらお芝居をしています。なぜなら、僕にとって視聴者の方が「あの作品を観た」と言ってくれることが一番嬉しいからです。どんなに辛くて大変な状況でも、「周りに褒めてもらいたい」「視聴者の方に喜んでほしい」という気持ちがモチベーションとなって、いつも僕を奮い立たせてくれます。 ■俳優としての使命と責任感 俳優業は一作品ごとに期限とゴールが決まっている分、やると決めたらやる。たとえ次の作品が決まっていても、まずは目の前の役に全力で向き合います。クリエイティブの現場では、自分が失敗するとチーム全体を巻き込み、多くの人に迷惑をかけてしまいます。もちろん失敗はできないですし、遅刻や体調を崩すこともできません。そのくらい、俳優業は大きな責任の伴う仕事だと考えています。だからこそ僕自身、常に気を引き締めています。最近は僕のことを知ってくれる方が増えて、本当に嬉しいかぎりです。それと同時に、「俳優・高橋文哉」として責任を持つ覚悟もできつつあります。昔から自分を強く見せようと生きていましたが、最近はそんな理想の自分に追いついてきたと感じています。これからも俳優として成長し続けたいと思っていますが、僕がきっかけで俳優を目指す人がいてくれたら幸せですね。 ■映画『からかい上手の高木さん』について 以前から原作漫画を知っていただけに、自分に「西片」という役が務まるのか、最初は少し不安な気持ちもありました。原作がある作品は毎回完コピを意識しているのですが、今回は原作の10年後という設定。漫画とアニメを何度も見て、頭をかく癖や手を置く位置など、西片の癖や西片らしさを意識した上で本番に臨みました。シーンごとに西片の動きや表情などの特徴を台本に書き出したりもするのですが、本番直前には一旦すべて忘れるんです。演技をわざとらしくしないためにも、頭の中を空の状態にしてから撮影に入ります。役についてインプットした履歴があると、一度頭を空っぽにしても身体が勝手に動くんです。撮影で印象的だったのは、自然豊かな小豆島ですね。「高木さん」の聖地でもある小豆島で撮影できたことに、凄くワクワクしましたし、島の魅力を肌で感ました。クランクイン前にはサイクリングをしながら、西片がどんな場所で育ってきたのか、この島でどんな人に成長するのかを想像して、島の雰囲気を存分に堪能しました。地元の人とコミュニケーションを取ることで、西片が小豆島に24 年間居続ける理由が分かったような気がしました。「西片役は僕にしかできない」と思いながら自信を持っているつもりですが、一方で皆さんがこの作品に対して、どのような反応をするのか少し怖い気持ちもあります。あくまでこの作品が原作の10年後だということを忘れずに、観ていただきたいです。この作品には、原作でも描かれてきた西片と高木さんのちょうどいい関係や、2人にしか出せない空気感があります。そんな2人の日常会話や関係性を見て、「こんなことでキュンとできるんだ」と感じてもらえたら嬉しいですね。 学生新聞2024年4月1日発刊号 国際基督教大学1年 若生真衣 映画『からかい上手の高木さん』 出演:永野芽郁 高橋文哉監督:今泉力哉公開:2024年5月31日(金)全国東宝系にて公開©2024映画『からかい上手の高木さん』製作委員会 ©山本崇一朗/小学館 撮影:広田成太 <中国語記事> 演员 高橋文哉 (Takahashi Fumiya) ■简介2019年凭借『仮面ライダーゼロワン』出道。此后,她出演了ドラマ『最愛』『君の花になる』『女神の教室~リーガル青春白書~』等电视剧。去年,她首次主演爱情电影『交換ウソ日記』并在电视剧『フェルマーの料理』中扮演双主角。最近,『劇場版 君と世界が終わる日に FINAL』已上映,电影『からかい上手の高木さん』(5月31日)也即将上映。 与周围的人不同!让我们转变观念,开辟道路。 高橋文哉自2019年出道以来,一直在电影和电视剧中非常活跃。在根据人气漫画『からかい上手の高木さん』改编的电影中,他饰演主角的同学西片。而且,这个角色的背景设定在漫画所描绘的世界10年后。塑造他的形象似乎很难,但我们向他询问了这部作品的亮点以及作为演员的心态。 ■出演『仮面ライダー』成为成为演员的基础 小时候,我喜欢在外面玩,爬树和踢罐头。另外,受哥哥的影响,我从小学到初中都痴迷于排球。当我试镜『仮面ライダー』这对我来说是一个转折点,我想,“老实说,我不会得到它。”然而,在这段时间里,我变得非常有意识“做一些与周围人不同的事情”。例如,在进行即兴的单人表演时,我会花一两分钟展示其他参与者将在大约 10 秒内完成的内容。我能出乎意料地通过考试,可能就是因为这种与别人的区别。『仮面ライダーゼロワン』是为我作为演员奠定基础的作品。在拍摄过程中,我有意识地接受周围人的所有意见。 ■我能做到最好,因为有人在看着我。 当我接到一个角色时,我首先在脑海中塑造出这个角色的形象,然后将其融入到剧本中。我演过的最难的角色是在电视剧『君の花になる』中扮演偶像角色。我没有唱歌、跳舞的经验,所以当时感觉更多的是痛苦而不是困难。很接近了。为了拉近与周围人的距离,我努力将唱歌和跳舞融入到自己的日常生活中。这是一次前所未有的经历,但拍摄现场场景时我感慨万千。在拍摄过程中,我会一边想象镜头前的观众一边表演。因为,对我来说,最让我高兴的是当观众说:“我看到了那件作品。”无论情况多么困难或困难,“我希望周围的人称赞我”和“我希望观众幸福”的感觉就是我的动力。它激励着我,并且永远激励着我。 ■作为演员的使命感和责任感 在演艺界,每部作品都有一个既定的期限和目标,所以如果你决定去做,就去做吧。即使我已经决定了下一个项目,我也会全力以赴地专注于眼前的角色。在创意领域,如果你犯了一个错误,整个团队都会受到牵连,很多人都会受到不便。当然,我不能犯错误,更不能迟到、生病。这就是为什么我认为表演是一项责任重大的工作。这就是为什么我总是保持警惕。最近,越来越多的人认识我,我真的很高兴。同时,我也更加准备好承担“演员 高橋文哉”的责任。我一直试图表现出自己坚强,但最近我觉得我已经赶上了理想的自己。我想作为一名演员继续成长,如果有人因为我而想成为演员,我会很高兴。 ■关于电影『からかい上手の高木さん』 由于我了解原作漫画已有一段时间,一开始我对能否扮演西片这个角色有点紧张。每次创作有原作的作品时,我都会尝试制作完整的副本,但这一次的时间设定在原作10年后。我看了很多遍漫画和动画,并在实际表演中了解了西片的习惯和性格,例如他挠头的习惯和双手的位置。有时我会在剧本中记下西片的每个场景的动作、表情和其他特征,但在实际表演之前我就忘记了一切。为了避免做作,我在开始拍摄之前先理清思路。当我有输入角色信息的历史时,即使我清空脑袋,我的身体也会自行移动。 拍摄过程中给我留下深刻印象的是自然风光丰富的小豆岛。我很高兴能够在小豆岛拍摄,这里也是「髙木さん」的圣地,我能够亲身体验小豆岛的魅力。出发之前,我骑着自行车,想象着西方长大的地方,在这个岛上长大后会成为什么样的人,充分享受岛上的氛围。通过与当地人的交流,我觉得我终于明白了西方为什么会在小豆岛待了24年。我努力保持自信,想着“只有我才能扮演西片这个角色”,但同时,我也有点害怕每个人对这部作品的反应。观看时请记住,这部作品发生在原作10年后。本作有着原作中所描绘的西片和高木之间的完美关系,以及只有他们两个人才能营造出的氛围。如果人们能够看到这两个人之间的日常对话和关系并感到“我可以兴奋地做这样的事情”,我会很高兴。 翻訳担当:中山美緒

中高生新聞

反町隆史 子どもたちの大切な時期に何を伝えるべきか

俳優・歌手 反町 隆史(そりまち たかし) ■プロフィール1973年12月19日生まれ、埼玉県出身。1997年放送のドラマ『バージンロード』や『ビーチボーイズ』(主題歌はシングル「Forever」)、1998年放送のドラマ『GTO』(主題歌はシングル「POISON ~言いたい事も言えないこんな世の中は~」)などの話題作に出演し、人気を集める。歌手として、1998年『第12回日本ゴールド・ディスク大賞』ベスト・ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。以降、ドラマ『相棒』シリーズなど数々の作品へ出演。 1998年の夏に放送された反町隆史さん主演の連続ドラマ『GTO』が、26年ぶりにカンテレ・フジテレビ開局65周年特別ドラマ『GTOリバイバル』として放送された。平成を代表する話題作が、26年の時を経て令和の時代に復活。演じるに当たっての意気込みや想い、教師という職業や中高生へのメッセージを伺った。 これまでに何度か『GTO』やりませんか? というお話をいただいたことがあります。ただ、その時はもっと違う役に興味があったり、新しい役を開拓したいという思いや、俳優として過去の作品を復活させることに対して不安もあり、前向きに捉えることができませんでした。しかし、ある取材をきっかけに「POISON」の歌詞を見直したとき、けっこういいこと言っているなと感じたんです。今の社会に置き換えたらどうだろうか、もしかして今の時代でも通用するのかなと考えることがありました。そんな中、映画『トップガンマーヴェリック』が35年ぶりに復活したのを見たときに、「なぜ復活させたんだろう?」という気持ちとともに、俳優としてのトム・クルーズさんの生きざまに感動を覚えました。そして、「今ならできる!」と、自分の中でつながったんです。今だからこそ「鬼塚」として伝えられることがあり、このタイミングで復活することに意味があると思い、今回は自分から声をかけさせていただきました。また、26年間ずっと『GTO』を心の底から愛して、待ってくれていたファンの方々の存在も大きかったです。今の年齢で鬼塚役をやることの意味と責任を感じながら、『GTO』を応援してくださるファンの方々の期待を裏切らないようにと撮影に臨みました。 ■「子育て」という経験を経て 僕自身2人の子どもがいますが、子どもたちにも子どもたちなりの世界があることに気が付いたんです。それとともに、子どもが大人から受ける影響の大きさは計り知れないと感じるようになりました。だからこそ僕自身、親としてだけでなく一人の人間として、子どもに何を伝え、何を語るべきなのかを日々考え続けています。こうした中で、『GTO』で今の僕と重ねながら改めて鬼塚役を演じられたことは、すごく貴重な機会だったと思います。これからさらに年齢を重ねても、物事の変化に対して柔軟に、考え方や価値観を受容できる人間であり続けたいです。 ■自分が感じる理想の教師とは ドラマの復活にあたり、一番伝えたいと思ったことは、生徒に対しての「愛情」です。今の子どもたちは尊敬している教師がいるのか、教師からの愛情を感じているのかというと、いささか疑問に思うところもあります。生徒の目線にたって、生徒に愛情をかけて全力でぶつかっていく鬼塚をこの令和でも表現したいと思いました。教師は、生徒に尊敬される存在であってほしいですね。自分が学生の頃より教師と生徒の間に少し距離があるのかなと感じます。時代に関係なく、教師と生徒の関係で大切なことは愛情をもって接することだと思います。大人にもそれぞれ世界があるように、子どもは子どもの世界の中で生きているので、それは尊重してあげないといけない。ただ、変化が早く不安要素が多い時代、この先どうなるのか、どうやって生きていくのか、大人になったらどんな社会になるのかなど、不安を抱えている子どもたちも多いのではないでしょうか。大人ならお互いを尊重しあい、意見を交わしながら、上手く調整していけるけれど、子どもたちにはハードルが高い。そして子どもの目線に立つことは大事だけれど、間違っていたり、ある一線を超えてしまったときは、大人のサポートが必要になるときが必ずあると思います。それを見て見ぬふりをしてはいけないし、自分の立場を意識して躊躇してしまうことがあったとしたらそれは残念です。この一線を越えて行けるのも鬼塚の魅力ではないでしょうか。 ■中高生へのメッセージ 学生生活はやっぱり人生で一番大事な時期だと思います。自分自身を振り返ってみても、部活、勉強、先輩・後輩との関わり方や友達付き合いなど、自分のベースを作ったのは学生時代でした。そんな人間力を養う期間をどう過ごすのか、考えてみてください。楽しいことばかりではなく、もちろん辛いこともあるでしょう。そんなときは鬼塚のこの台詞を思い出してみてください。「辛かったら笑うんだよ。無理してでも笑っているうちに、いつかきっと心の底から笑える日がくる」。明るく前向きに感じる習慣がつけば、自然と心がポジティブになり、物事もよい方向へ進んでいくと思いますよ。 中高生新聞2024年4月1日発刊号 慶應義塾大学4年 伊東美優 写真・渞 忠之 『GTO』は、藤沢とおる氏による同名漫画が原作で、元暴走族の高校教師・鬼塚英吉が、破天荒な行動で生徒や学校の問題に体当たりでぶつかっていく学園ドラマ。立場や損得とは無縁の教師・鬼塚が、本音をぶつけ合い、命がけで生徒に向き合うことで、社会の裏側にくすぶっている問題を解決していく。1998 年の放送当時、大きな話題を呼んだ。反町隆史さんが作詞し、歌いあげた主題歌「POISON ~言いたい事も言えないこんな世の中は~」も大ヒットとなった。『GTO リバイバル』は、かつてグレート・ティーチャーと呼ばれた鬼塚が問題だらけの高校に教師として赴任し、悩みを抱えた令和の高校生たちに鬼塚流の熱血授業を繰り広げる物語。 ■関西テレビ放送株式会社〈インフォメーション〉・公式サイト: https://www.ktv.jp/gto-revival/・公式X(旧Twitter): https://x.com/gtorevival・公式Instagram: https://instagram.com/gtorevival・公式TikTok: https://www.tiktok.com/@gtorevival・カンテレドーガ:https://ktv-smart.jp/・TVerで1998年版アーカイブを一挙配信中:https://tver.jp/series/src565pb2j(配信期間~4月30日(火)23:59) <中国語記事> 反町隆史  在孩子的重要时期我们应该告诉他们什么? 演员・歌手 反町 隆史(Sorimachi Takashi ) ■简介 1973 年 12 月 19 日出生于埼玉县,因出演 1997 年的电视剧『バージンロード』和『ビーチボーイズ』(主题曲:单曲「Forever」)以及 1998 年的电视剧《GTO》(主题曲:单曲「POISON ~言いたい事も言えないこんな世の中は~」)(在这个世界上,我连想说的话都说不出来) 等备受瞩目的作品而走红。作为歌手,她获得了 1998 年第 12 届日本金唱片奖的年度最佳新人奖。 此后,她出演了许多作品,包括电视剧『相棒』。 由反町隆史主演的电视剧『GTO』于 1998 年夏天播出,作为 関西・富士电视台开台 65 周年纪念特别剧集『GTOリバイバル』,这是 26 年来首次播出。 这部代表平成时代的电视剧备受关注,时隔 26 年后在 令和時代重新播出。 我们询问了他对出演该角色的热情和想法、他的教师职业以及他对初中生和高中生的寄语。 我曾多次被问及是否愿意出演『GTO』。我曾多次被问及是否愿意出演『GTO』。 但当时我对不同的角色很感兴趣,想尝试新的角色,而且作为演员,我担心重演过去的作品,所以不能积极地接受。...

大川知

俳優・ミュージシャン 及川光博

未来のビジョンを描いたら、逆算して〝今、何をすべきか〞を考え、努力する 俳優・ミュージシャン 及川光博(おいかわみつひろ) ■プロフィール1996年、シングル「モラリティー」でアーティストとしてデビュー。独自の音楽性とその個性が注目を集め、1998年ドラマ「WITH LOVE」で俳優活動をスタート。以後、毎年全国ツアーを行い、ドラマ・映画・CMなどでも活躍。5月3日より全国ワンマンショーツアーを開催。 ■芸能界に入るまでの経緯を教えてください 本格的にプロを目指したのは高校生のときです。大学ではバンド活動と俳優養成所、アルバイトの日々でした。卒業後はデビューを目指しながら、イベント制作会社でプランニングの仕事をしていました。親とは「25歳までに芽が出なかったらあきらめる」と約束していたので、25歳でデビューが決まりホッとしました。ただ契約は3年間のみ。この3年間で売れないと後がないと思い、毎日必死でした。どうすれば結果を出せるのかいろいろ考えました。まずは、芸能界で目立つこと。目立てばチャンスも増えます。そして常に目標を設定するよう心がけました。「こうなりたい!」という未来のビジョンを細かく描いたら、逆算して〝いま何をすべきか〞を考え、理想に向かって努力する。今も繰り返し続けています。 ■今後の目標を教えてください もし自分に肩書をつけるなら「エンターテイナー」でありたいと思っています。エンターテインメントの魅力は多くの人に楽しんでもらえること。笑っている人を見ると僕自身も幸せな気持ちになります。今後も音楽とお芝居を続けていきたいですね。また、脚本を書いて監督をするというような、作る側にも興味があります。これまで作詞・作曲、ステージ、ドラマ・映画、バラエティなど、いろいろな仕事に取り組ませていただいたので、その集大成になるような作品を作ってみたいです。 ■学生へのメッセージをお願いします 二度とない学生時代、何事にも目的意識を持って挑んでほしいです。そして、たくさん素敵な思い出を作ってください。素敵な思い出があれば、辛いときも踏ん張れるはずです。 ■取材を終えて 「チャオ!」という挨拶で華やかに登場された及川さん。短い取材時間の中でも、各質問にユーモアを交えながら丁寧に答えてくれました。取材を通して、長年活躍し続ける及川さんのエンターテイナーとしての情熱を感じました。 New Album「DON’T THINK,POP!!」 20作目となるオリジナルアルバム4/24リリース5/3より全国ワンマンショーツアー開催 学生新聞2024年4月1日発刊号 津田塾大学4年 大川知 撮影:伽賀隆吾

学生新聞インターン

モデル・タレント アン ミカ

ハプニングやトラブルは自分を強くするための糧。乗り越えた分だけ幸せになれる モデル・タレント アン ミカ ■プロフィールモデル・タレント。1972年韓国出身、大阪育ち。モデルのほかテレビ、ラジオ、TVCMなど幅広く活躍。21個もの資格を活かし、服やコスメ、ジュエリーなどの商品プロデュースを展開。自身初の翻訳絵本『スパゲッティになりたいラーメン じぶんをすきになるえほん』(KADOKAWA)好評発売中。 ■モデルになると思ったきっかけを教えてください 母に、「あなたは手足が長いし、いつも鏡を見て笑顔の練習をしているから、モデルさんになれるかもね」と言われたことがきっかけです。でも、この後、母は病気になってしまって……。本格的にモデル活動を始めたのは中学3年生のときですが、それは早く病床の母にモデルになれたことを報告したかったからです。貧乏ゆえに家族や誰かのせいにして人生を謳歌できないのは嫌だったので、高校時代はやりたいことは全部やろうと決めていました。だから非常に忙しかったですね。朝早くから新聞配達をし、終わったら授業の予習。家族のご飯を作ってから登校。授業を終えたら部活やアルバイトをし、モデル事務所のオーディションを受けるというような生活でした。 ■常に前向きでいられる秘訣は何ですか ハプニングやトラブルは全部自分を強くする糧だと考えています。被害者意識を持たずに、知恵と工夫で困難を乗り越えれば、いつか困っている誰かに寄り添えるし、得た知恵が次の苦労に使える武器や道具になる。みんな人間は世の中で幸せになるために生まれています。だから、「今、起きている出来事は自分の器を大きくして、幸せになるために起きているんだ」という心持ちを大切にしています。 ■学生へのメッセージをお願いします あなたは自分の人生における脚本家です。いつでも人生は書き換えられます。たくさんの経験を積んで見聞を広げてください。そして、いろいろな感性に触れて、自分が楽しめる人生を作っていってください。 ■取材を終えて お会いした瞬間、現場がぱっと明るくなり、暖かな空気に包まれました。それぞれの質問に真摯に、そして丁寧に、一人ひとりと目を合わせて答えてくださったことが印象的でした。たくさんの素敵なお話を聞かせていただき、勇気と希望が湧いてきました。 学生新聞2024年4月1日発刊号 学習院女子大学3年 小川莉実 『スパゲッティになりたいラーメン じぶんをすきになるえほん』 作/キエラ・ライト=ルイズ絵/クラウディア・ラム訳/アン ミカ(KADOKAWA) 「自己肯定感」がテーマのコミカルな絵本。自分を好きになってほしい、というメッセージが込められています。全国の書店で好評発売中。 撮影:広田成太

伊東美優

川西拓実(JO1)/ 桜田ひより

“あのとき”があったからこそ今の私たちがいる ■プロフィール川西拓実(JO1)アイドル。1999年6月23日生まれ、兵庫県出身。2020年、JO1のメンバーとしてシングル『PROTOSTAR』でデビュー。 桜田ひより女優。2002年12月19日生まれ、千葉県出身。幼少期に芸能活動をスタート。オーディション『ミスセブンティーン 2018』のグランプリを獲得。 映画『バジーノイズ』 出演:川西拓実(JO1)、桜田ひより、井之脇海、栁俊太郎原作:むつき潤 「バジーノイズ」(小学館「ビッグスピリッツコミックス」刊)監督:風間太樹 「silent」「チェリまほ」配給:ギャガ5月3日(金・祝)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開©むつき潤・小学館/「バジーノイズ」製作委員会 ■ご自身と役との共通点はありますか 川西 清澄と自分の共通点はたくさんありました。人付き合いに少し苦手意識を持っているところや、音楽が心の底から好きなところなど、まるで昔の自分を見ているようでした。似ている部分が多かったからこそ、彼にたくさん共感をしながら台本を読んでいました。 桜田 潮のように、自分の意見をハッキリ言うことは難しいけれど、何か聞かれたら「その人にとって意味のある答えを伝えよう」と意識しています。もっと真っ直ぐ、自分の気持ちを言葉にして伝えられるようになりたいと、潮から気付かされたことも多いです。 ■映画の魅力を教えてください 川西 潮をはじめ大切な存在との出会いによって、だんだんと変化していく清澄の姿に、ぜひ注目して観て欲しいです。作中に流れる音楽も本当に魅力的なので、それぞれのシーンに合った音楽も楽しんでいただけたら嬉しいです。 桜田 出てくるキャラクター全員がリアルで、きっとどこか一つは共感してもらえると思います。ぜひ等身大の彼らを見届けてください。 ■人生のターニングポイントは 川西 僕は、5年前に受けたオーディションで生活が180度変わりました。それまでは普通に働いていたので、作業服を着て出勤し、工場で働く日常でした。どちらの道も自分にとって正解だったと思うけれど、あのとき一歩踏み出したからこそ今があります。皆さんも、今できることは全部やり切って突き進んでください。 桜田 高校卒業のタイミングが1番のターニングポイントでした。5歳からこのお仕事を続けていましたが、「学生」という枠から外れたことで、初めて社会に出るという意識が芽生え、一つひとつの作品への責任感も強くなりました。 学生新聞2024年4月1日発刊号 慶應義塾大学4年 伊東美優 ■取材を終えて その場にいる一人ひとりの目を見て挨拶していたり、お互いにツッコミ合ったりと、お二人の素敵な姿を垣間見ることができました。誰かのために頑張ること、好きなものを追求する姿は良いなと思える、多くの大学生の心に残る作品だと思いました。(慶應義塾大学2年 松坂侑咲) ■協力川西拓実さん(ヘアメイク:佐々木美香、スタイリスト:岡本健太郎)撮影:下田航輔

学生新聞インターン

芸人 EXIT (りんたろー。/ 兼近 大樹 )

何ごとも一生懸命にやったからこそ今につながる漫才に出会えた 芸人 EXIT(りんたろー。/兼近大樹) ■プロフィール芸人。2018年1月、りんたろー。と兼近大樹でEXITを結成。史上最速となる結成11カ月で東京・ルミネtheよしもとでの単独ライブを開催。2024年5月からは全国5都市で単独ライブ「EXIT全国お笑いツアー暗黒物質大放出SP」を開催。 ■どんな学生時代を過ごしていましたか 兼近 目立つタイプで周りからは〝てんさい〞だと言われていました。あ、天に災いの方で〝天災〞ですかね(笑)。 りんたろー。 僕は逆で、学級委員をやるような真面目なタイプでした。勉強も運動もこなす最強の生徒でしたね(笑)。周りからも人気があって、あのときは神がかっていたと思います。 ■お仕事のやりがいや魅力を教えてください 兼近 みんな何かから魅力やインスピレーションを感じ、取捨選択をしていますよね。僕の場合、漫才を始めて2年くらい経過してから〝これだ!〞と思いました。それまでは漫才に対してあまり熱がなく、今はお客様が喜んでくれることが嬉しくてやりがいになっています。 りんたろー。 何ごとも一生懸命やったからこそ、今につながっていると感じます。ニュース番組やイベント、美容関係など幅広く活動しているのは珍しいと思います。どの仕事も相乗効果で生かされている部分もあり、オリジナリティを大切にしながら頑張りたいですね。 ■東京ガールズコレクションの感想を一言 兼近 司会を通して、舞台から会場を一望できて最高でした! りんたろー。 7回目の出演でした。今回も僕の司会で会場が大いに盛り上がったと思います! ■学生へのメッセージをお願いします 兼近 皆さん大学への入学を達成しているので、ぜひ次の目標を立ててください。ただ、何かを達成するためには何かを捨てないといけません。一つのことを極めることも大切です。 りんたろー。 大学で4年間続けたサッカーをやめて漫才の道へ進むことを決めたときは、親の期待を裏切ったような気がして、申し訳なく思っていました。でもサッカーの経験は今の仕事で生かされている部分もたくさんあります。自分の適正を見極める上でもやって無駄なことはないということを伝えたいですね。 ■取材を終えて取材中も面白さを交えながら切り返してくれるEXITさん。緊張も吹っ飛び、お二人との会話を楽しみながら取材できました。お二人それぞれの考え方が今の活躍につながっているのだと感じ、何事も捉え方次第で行動も変わるのだと気付かされました。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学2年 白坂日葵 取材協力:第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER(2024年3月2日(土)開催)

学生新聞インターン

JRA日本中央競馬会 騎手 武 豊

目の前のレースに勝つために、今できることを全力でやり続けたい JRA日本中央競馬会 騎手 武 豊(たけ ゆたか) ■プロフィール1969年京都府生まれ。1984年JRA競馬学校へ入学。1987年3月1日、騎手としてデビューし、3月7日にダイナビショップに騎乗して初勝利をあげる。1995年、史上最速・最年少で通算1000勝達成。2002年、史上最速・最年少で通算2000勝、JRA新記録(世界タイ記録)となる1日8勝を達成。2005年、ディープインパクトとのコンビで皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、史上2例目となる無敗での牡馬3冠を達成。その後も勝利を重ね、2018年には前人未到の通算4000勝を達成し、現在も活躍し続けている。 ■騎手を目指されたきっかけは何ですか 父親が騎手だった影響で幼少期から騎手を志していました。競馬学校に入学してからは、競馬の仕組みやプロの騎手としての役目など、競馬の奥深さをたくさん学びました。勉強を続ける中で、「騎手一本で生活しよう」とすんなり覚悟も決まりました。 ■長年、最前線で活躍できる秘訣は 今年で騎手生活38年目を迎えますが、ここまで長く続けられたのは、やはりこの仕事が好きだからだと思います。多くの競馬関係者がいる中で、馬と一緒にゴールを駆け抜けられるのも、勝ったときに何万人ものファンからの声援を浴びられるのも騎手だけの特権です。その瞬間は何事にも代え難いですね。もちろん、人気の馬に騎乗する際は緊張しますが、プレッシャーがマイナスになることは一切ないです。プレッシャーを感じるほど人気の馬に乗れるのは期待されている証拠ですし、アスリートとして緊張感をもてるのは素晴らしいことです。もちろん、時には成績が振るわない日や怪我をして騎乗できない日もあります。でも、この仕事をやめようと思ったことは一度もありません。その理由は、馬を用意してくれる馬主さんや調教師の先生、そして応援してくださる競馬ファンの皆様が自分を待ってくれているからです。多くの人に支えられているからこそ困難なことも乗り越えられるのだと思います。 ■メディアにも積極的に出演される理由は 競馬はファンの存在があってこそ成り立つものです。ファンの獲得のために、メディアへの出演オファーがあれば、積極的に受けるようにしています。ただ、残念なことに日本には競馬人口はそんなに多くありません。まだ競馬を見たことがない方や競馬場に行ったことがない方、そして競馬に対して良いイメージを持っていない方もたくさんいらっしゃいます。そういった方たちのために、まずは「競馬を見に来て、楽しんでほしい!」という想いとともに、目の前のレースに勝つために、今できることを全力でやり続けていきたいと思っています。 ■学生へのメッセージを 若いうちに夢を持ってほしいと思います。夢を持つとワクワクすることが増えます。すべての夢が叶うとは思いませんが、努力すれば夢に近づくことはできます。その過程でいろんなことを学んでほしいです。 学生新聞2024年4月1日発刊号 武蔵野大学4年 西山流生 撮影:伽賀隆吾

大野詩織

こども政策担当大臣 加藤鮎子

若い人が安心してこどもを育てられる環境づくりが私の役目 こども政策担当大臣 加藤鮎子(かとうあゆこ) ■プロフィール1979年山形県鶴岡市生まれ。慶應大学卒業後、民間コンサルティング企業勤務。議員秘書を経て2014年第47回衆議院選挙で初当選。現在3期目。環境大臣政務官、国土交通大臣政務官を歴任。2023年9月より内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画)、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣、孤独・孤立対策担当大臣に就任。 ■どんな学生時代を過ごされていましたか 中高生の頃から政治に興味がありました。自分が暮らしている地域で気になることがあったら、「人任せではなく、自分自身何かやらなきゃ」という気持ちがあったのだと思います。学校でも学級委員に立候補したり、イベントを盛り上げるなど、人と一緒に何かを作り出すのが好きでした。大学生のときに、聴覚障害者でも運転免許が取れるよう制度改革を行ったという政治家の話を聞き、「政治とはこんなに人の役に立つ仕事なのか」と強烈に思ったことから、政治家を志すようになりました。 ■現在のビジョン・政策を教えてください こども政策担当大臣として、「子育ての経験を生かし、当事者の目線で政策を実行してほしい」と岸田総理から言われました。現在、共働きで二人の息子を育てています。その経験を活かしながら、国民の皆様にとってのロールモデルになりたいと思っています。大きな手ごたえを感じたのは、昨年末、閣議決定をした我が国初の「こども大綱」と「こども未来戦略」です。「こども大綱」は、こども政策のあるべき姿や方針など、基本的なことや重要なことをまとめたもので、日本全体で若者に目線を向けるフィロソフィーが詰め込まれています。今後、全国に周知していくことで、こどもや若い人の意見を取り入れるための基盤になればと考えています。また、「こども未来戦略」は、少子化傾向に歯止めがかからない現状を変えるため、児童手当の充実、妊娠・出産時からの支援の強化、保護者の就労にかかわらず保育所等にこどもが通える新たな仕組みの創設、育休を取得しやすい環境づくりなど、子育て環境を充実させる施策を多岐にわたって盛り込んでいます。制度を通じて、「こどもが欲しいけれど、きちんと支援を受けられるのだろうか」と悩む若い世代に希望を持ってもらえる国にすることが私の仕事です。他にも多くの若者たちの意見を取り入れるために、「こども若者★いけんぷらす」というさまざまな方法で意見を聴く取り組みも行っており、全国から4000人ほど参画いただいています。 ■学生へのメッセージを 感謝の気持ちを持つことを大切にしてほしいです。感謝の気持ちを持っていると、それが自分の軸になり、壁にぶつかっても軸が支えてくれます。また、出会いも大切ですね。いろんな人との出会いが人生を豊かにしてくれます。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学短期大学部2年 大野詩織

吉川みなみ

味の素株式会社 取締役代表執行役社長 藤江 太郎

アミノサイエンスで人・社会・地球のWell-beingに貢献 味の素株式会社 取締役代表執行役社長 藤江 太郎(ふじえ たろう) ■プロフィール 1961年大阪府出身。1985年に京都大学農学部を卒業後、味の素に入社。2011年フィリピン味の素社長、2015年ブラジル味の素社長など10年以上の海外勤務を経て2017年に常務執行役員、2021年執行役専務、2022年4月代表執行役社長CEO。同年6月から現職。 うま味調味料の「味の素」をはじめ、数々のヒット商品で知られる味の素。創業から100年を超えた今も、世界一のアミノ酸メーカーとして商品開発に注力し、幅広い事業分野で発展し続ける。その企業としての強みや魅力、大切にしているマインドなど、藤江社長にお話を伺った。 大学時代の所属学部は農学部でしたが、「ウィンドサーフィン部」と言った方が良いほどウィンドサーフィンに熱中していました。実際、ロサンゼルスオリンピックの最終予選まで勝ち上がったんですよ。惜しくも夢は叶いませんでしたが、風向きや潮の流れを予測し、臨機応変に判断する経験は、社長として会社の方向性を予測・検討する際にも活きていると思っています。スポーツに全力だった分、就活はのんびりでしたね。先輩から電話で誘われて、味の素の面接に行ったときは、すでに4年生の8月頃でした。面接で「味の素の商品を10個述べよ」と言われたのに、競合他社の商品を言ってしまい、怒られたり(笑)。でも、「面白い学生だ」と思ってもらえたようで、最終的には内定をいただきました。小学生の頃から、お年玉で調理器具を買うほど料理や食べることが好きだったので、今思えば良い縁だったと思います。 ■海外赴任の経験が今に活きる 入社後は、人事部で採用や研修の担当としてスタートしました。実は、最初は人事より営業に関心がありました。しかし、会社の紹介やエントリーのアポ取りを電話で行うことでコミュニケーション力を養ったり、人事部として社員700名ほどの顔と名前を覚えたことで信頼関係を築いたりできました。結果的に、若いうちに社会人としての基礎を学べたと思います。社長に就任した今でも人の顔と名前を覚えるのは得意です。社長室を出て、各部署に顔を出したり、エレベーターで一緒になった社員と雑談をしたりしているからですね。顔と名前を覚えるのは信頼を得る第一歩。そこから対話をとおして社員の関心事を聞き、新たなアイデアに発展していくこともあるんですよ。また、中国やフィリピン、ブラジルなどでの長期の海外赴任経験も大きかったですね。42歳で赴任した中国では、広州の支店長になりましたが、現場は大赤字。業績が伸びない影響で給料や研修も不十分な状況でした。結局、完全な黒字化はできませんでしたが、どのように働きかければチームが一丸となれるのかを実践して学ぶ機会になりました。 ■アミノ酸愛に溢れたアミノサイエンス 味の素の最大の魅力は、「アミノ酸愛」です。人間の身体の2割を占めるタンパク質は、20種類のアミノ酸からできています。味の素は、これらのアミノ酸が持つ、食べ物をおいしくする機能・栄養機能・生理機能・反応性という4つの特徴を研究する「アミノサイエンス」を行っています。たとえば、血液に含まれるアミノ酸の割合を調べることで、将来の生活習慣病の発病リスクを診断できます。診断後は「高血圧になりやすい人は食物繊維を取りましょう」というように、診断結果を元にした新たな食生活の提案も行います。食品会社はたくさんありますが、「食品× アミノ酸」に総合的に取り組んでいるところは当社が唯一無二ではないでしょうか。今は食品と「アミノサイエンス」から生まれた医薬品や電子材料などの事業利益の比率は7対3くらいですが、今後は1対1になるくらいに成長させたいと考えています。 ■一人ひとりの理想を見つけたい 私が大切にしているのは、社員やお客様と「ありたい姿」を共有することです。2011年にフィリピンに海外赴任をしたときに、現場は「1ペソなら売れる」という1ペソ神話を信じて一袋1ペソの味の素を販売していましたが、6カ月間毎月赤字の連続でした。コスト高の中でも1ペソで売るために、一袋の内容量を減らして売っていたようでしたが、「うま味調味料としての味の素の良さを十分に伝えたい」という信念に立ち返り、2ペソに値上げして内容量を増やしました。それがお客様のニーズに合い、満足度が向上し、業績もV字回復。フィリピンの社員が日本で研修する予算も生まれ、社員の意識向上にもつながったのです。このような経験を通して、「ありたい姿」を共有してワンチームで取り組み、得られた利益は分配して新たなアクションにつなげる、という幸せの循環を学びました。これは社長になった今も意識しています。一人ひとりの理想は異なっていても、それらが重なり合う部分は必ずある。つまり、会社として掲げる「アミノサイエンスで人・社会・地球のWell-beingに貢献する」という志と、社員が持つ個人の志が重なる部分を、共通の志として自発的に見つけてもらいたいんです。そして、それを仕事の動機付けにしてほしいですね。 ■大学生へのメッセージ 一度しかない人生で、自分の「ありたい姿」を明確にしてほしいですね。それが見つかったらノートに書くことをおすすめします。言葉にして残しておくと後で見返せますし、きっと面白いと思いますよ。また、何かに打ち込むのも良いです。志に熱を持って、実力を磨く、「志×熱×磨」がモットーです。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学2年 吉川みなみ 集合写真撮影:下田航輔

学生新聞インターン

株式会社ダスキン 代表取締役 社長執行役員 大久保裕行

すべての事業を通じてお客様に豊かな時間を提供する 株式会社ダスキン 代表取締役 社長執行役員 大久保裕行(おおくぼ ひろゆき) ■プロフィール 1985年、ダスキン入社。主力のクリーン・ケア事業部門で商品開発、マーケティング等に従事。その後、経営企画部等を経て、2020年取締役、2022年代表取締役 社長執行役員に就任。現在、長期戦略「ONEDUSKIN」の最終第3フェーズ「中期経営方針2022」を推進中。その他、障がい者の自立と社会との共生を願う「公益財団法人ダスキン愛の輪基金」理事長、「日本ダストコントロール協会」副理事を務める。 掃除用品のレンタル・販売やプロのお掃除サービス、家事代行サービスなどで知られるダスキン。ダスキンは「掃除のプロ集団」といったイメージが強いが、ミスタードーナツの運営も手掛け、日本初の複合フランチャイズ企業として成功している。同社の大久保社長にご自身の軌跡や事業拡大の秘訣を伺った。 小学校から高校までバレーボールをしており、大学では日本拳法部に入って日々部活に邁進していました。今思えば、学生時代はスポーツに専念して過ごしていましたね。ダスキンに入社したのは、ダスキン創業者の本を知人から薦められて読んだことがきっかけです。経営理念に興味を持つと同時に、その当時では珍しかった成果報酬制度や週休二日制など、メリハリのある社風に惹かれ、ダスキンで働きたいと思ったのです。入社後は、資材の物流・購買や商品開発のほか、経営企画部などに配属され、中長期戦略の策定やM&Aなどに携わってきました。ダスキンの魅力は、誰もがチャレンジできる風土だと思います。ダスキンは今まで100以上の事業やプロジェクトを行ってきましたが、たとえ事業に失敗しても次のチャレンジができる機会が与えられるのです。そして失敗から成長が生まれる土壌があるのも魅力といえます。また、ユニークな企業風土もあります。たとえば、ダスキンでは従業員のことを「働きさん」と呼んでいます。これは、働くことで「はた(傍)の人をらく(楽)にする」という想いが込められています。自分のことを省みずに他人のために一生懸命働くと、その人に喜ばれ感謝される。結果、自分のやりがいや生きがいにつながるのです。また、「上司が部下の話をしっかり聞く」ことも強みですね。一般の企業では管理職と呼ばれている役職は、ダスキンでは「責任を担う」という意味で、「責任職」と呼んでいます。「責任職」の大切な仕事は、部下の意見を丁寧に聞くことです。それこそが会社の風土の醸成や成長につながります。 ■お客様に豊かな時間を提供するために ダスキンはさまざまな事業を行っていますが、どの事業にも共通するのは「時間価値の提供」です。たとえば、ミスタードーナツなら「家族や友人とおいしいドーナツを食べる幸せな時間や楽しい時間の提供」が目的です。モップのレンタルは、便利なしくみと機能的な商品でお客様のお掃除にかける時間を軽減します。家事代行サービスも家事にかける時間を削減できます。どの事業においても、お客様ご自身の時間を有効に使っていただくことで豊かな時間をお届けします。ダスキンといえば清掃事業とドーナツ事業のイメージが強いのですが、合わせて16の事業を行っています。意外だと感じられる事業では、イベントの企画運営でしょうか。コロナ禍では全国で約1500拠点のワクチン接種会場を運営しました。弊社が行う清掃衛生サービスと連携することで、ただ会場を設営するだけではなく、衛生管理の面でも安心できる会場としての付加価値を提供できたと思います。このように、さまざまな事業を行っているからこそ複合的な展開ができるのもダスキンの強みです。 ■フランチャイズでの展開が強み 多くの事業をフランチャイズで展開していることも強みの一つです。フランチャイズは、その地域で生まれ育った方々が運営をすることで、土地の風土にあったお店やサービスを展開できることが魅力です。また、ダスキンには創業者の想いや大切にすべき価値観を表した「経営理念」があります。フランチャイジー(加盟店)にはこの経営理念に賛同していただくことにより、強いつながりができています。なかでも創業時から弊社が大切にしていることは、「喜びのタネをまこう」というスローガンです。これは社会からお預かりする資本を有効に活用し、商品やサービスを通して多くの喜びのタネをまき、社会にお返しするという考え方です。フランチャイジーとは、ビジネス上の付き合いだけではなく、こうした理念の共有も大切にしています。現在、力を入れている海外進出においても、この理念やコミュニケーションは大切にしていきたいと思っています。 ■循環型社会への取り組み 創業当時より行っている循環型レンタルシステムでは、お客様にご利用いただき、汚れて回収されたモップやマットなど、レンタル商品の97パーセントは再び商品化しています。残り3パーセントは、産業用の商品へ再利用しています。そのほか、モップやマットを洗う際に出てきたほこり・砂などはセメントの原料に利用しています。ミスタードーナツでも大切な資源は繰り返し使おうとの想いから、古くなったドーナツ調理オイルは工業用の原料となります。ショップで使用する液体洗剤のリサイクルや残ったドーナツを飼料として利用するなど有効活用しています。 ■大学生へのメッセージ 「将来、こうなりたい」という想いは、ぜひ大切にしてほしいです。「こんなサービスを提供したい」「こんな商品を開発したい」などの想いをもって働いてほしいと思います。想いが全ての行動の源です。想いを持って行動することが皆さんの人生をより豊かなものにしていきます。 学生新聞2024年4月1日発刊号 法政大学3年 島田大輝