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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

株式会社すかいらーくホールディングス 代表取締役会長 谷 真

人生の各シーンに寄り添い、幸せを生み出せる存在に 株式会社すかいらーくホールディングス 代表取締役会長 谷 真(たに まこと) ■プロフィール 1951年12月25日生まれ、富山県出身。1977年関東学院大学経済学部卒業後、すかいらーく入社。2000年ニラックス代表取締役社長、2007年同社社長兼すかいらーく執行役員、2008年すかいらーく代表取締役社長、2018年すかいらーくホールディングス代表取締役会長兼社長を経て、2023年同社代表取締役会長(現在)。 「価値ある豊かさの創造」という経営理念のもと、成長し続けるすかいらーくホールディングス。和・洋・中の各種テーブルレストランを中核事業に、数多くの人気ブランド店を展開している。今回は会社を支え続けてきた谷会長に、ご自身の学生時代のお話から会社の将来展望までを伺った。 「将来は建築の道に進みたい」という想いから、大学は関東学院大学理工学部に入学した。しかし、建築デザインというよりも数学との格闘。2年生が修了したタイミングで、経済学部に転部しました。大学には結局5年間通いました。休みの日は、小学生の頃から始めた山登りに熱中し、立山の山小屋で働いていました。1日に500人近い登山客が来るのに、山小屋にはアルバイトを含めて30~40人しかいないのです。そのために、少ない人数で仕事を回すにはどうすれば良いのか知恵をしぼりました。人をまとめる機会や説得する場面も多かったので、マネジメントの基礎を学ぶこともできました。同時に、山小屋生活で大勢のお客様やスタッフと接したことで高まったホスピタリティ精神は、今に活きていると感じます。大学卒業後、すかいらーくに入社を決めた理由は、強い心のときめきとビジネスとしての成長を確信したからです。レストラン業に対する心のときめきは、学生時代から持っていました。当時、ゴルフの帰り道に立ち寄ったレストランでの出来事です。泣いている子どもを見かけた従業員が子ども用の椅子とおもちゃをさっと持っていって、あやしている光景を見ました。そのとき、山小屋生活で実践していたものに似たホスピタリティに、心が強く動いたのを覚えています。また、外食産業に成長の可能性を強く感じたことも大きいです。当時、こじんまりとした定食屋やトラック運転手の方が行かれるようなお店はありましたが、一般の人がゆったりと使えるロードサイドのレストランはあまりありませんでした。必ず、このビジネスは大きくなるだろうと考え、数々の飲食業界の面接を受けました。数ある飲食系企業の中でもすかいらーくに入社を決めたのは、他社が出店数や将来性だけを語るなか、すかいらーくだけが「お客様を大事にすることが大切だ」と話していたからです。私自身、山小屋での経験から、心のときめきはシステムではなくて、人間しか与えることのできないと考えていたため、その言葉に感銘を受け、入社を決めました。 ■テーブルサービスを実現するために すかいらーくホールディングスでは、テーブルサービスオペレーションというスタイルにこだわって事業を展開しています。その背景にあるのは、「お腹を満たす」と「外食を楽しむ」の2つの要素です。それは単純にお腹を満たすためだけではなく、食事を通じて心のときめきを感じることへの価値を重要視しているからです。テーブルサービスオペレーションを遂行させる上で、5000人の社員と9万人のクルーのために人事制度にも力を入れています。日本全国に3000店舗を展開する現在、統一された人事制度のもと、異なる業態でも安定性を維持した運営を可能にしています。従業員に採用しているのは、研究熱心な人、自然が好きな人、社交的な人など、多様な人材です。企業としても、画一的な人材ではなく、自己分析を通じて自分の得意分野や個性を理解し、それを生かしてキャリアにつなげられるように考えています。また、採用時には経歴よりも個人の意志や努力を評価しています。かつて、一度面接で不合格にした応募者が、自分を信じる力と壁を乗り越える強い意志を示し、再応募で合格したこともありました。 ■すかいらーくの国内外展開 近年、マーケットでも少子高齢化は急速に進んでいます。当社は日本国民の食生活や人生に寄り添いたいとの想いのもと、ライフスタイルに合わせたさまざまな業態を展開しています。女性グループでの集まりやお一人でゆったり朝からお過ごしいただける「むさしの森珈琲」などのカフェ店舗、ファミリーやシニア層にも親しまれる蕎麦屋などの新業態の出店がそうです。人生の数々のシーンにすかいらーくが存在することで、幸せにつながるように切に願っています。また、海外進出計画も実行しつつあり、現在、東南アジアやアメリカなど日本食の需要が高まる地域を中心に、出店を拡大しています。台湾での店舗数は約70、マレーシアでは5店目がオープンします。将来的には、すかいらーくという食を世界に広め、幸せなライフスタイルを提供することが私たちのビジョンです。 ■大学生へのメッセージ 多くの学生さんは、それぞれ違うポテンシャルを持っていると思います。好きなことを仕事にするのももちろん良いですが、自分が持つポテンシャルを活かせる仕事を選択できたら、よりよい結果になると私は思います。そのためには、自分が他人よりも何が長けているのかを自己分析し、いま好きなことと社会に出てやりたいことのギャップを縮める作業が必要であるかと思います。不確かな状況に対応できる能力が求められる現在、自己改革を繰り返し、目の前の仕事を成し遂げるためのオペレーションの習得も大切です。そこから、内部結束を図るためのマネジメントの知恵と工夫が見えてきます。ぜひ、この学生時代という時間を使って、自身の生き方や考え方を見つめ直してみてください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 津田塾大学1年 石松果林

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大東建託株式会社 代表取締役 社長執行役員 竹内 啓

人とのご縁を大切に自分を磨き続けること 大東建託株式会社 代表取締役 社長執行役員 竹内 啓(たけうち けい) ■プロフィール 1965年11月生まれ、富山県出身。朝日大学経営学部卒業後、1989年4月に大東建託に入社。土地オーナー様に土地の有効活用をご提案する営業職を長きにわたり経験。その後、支店長、首都圏営業部長を経て、2014年6月取締役、執行役員テナント営業統括部長に就任。2018年4月常務取締役、不動産事業本部長に就任。2023年4月より現職となり、建築事業本部長も兼務。 賃貸住宅の管理戸数(※1)と完成戸数(※2)で全国1位を誇る大東建託。入社35年目を迎えた竹内社長に、ご自身のキャリアや仕事に対する考え方、社員の育て方などとともに、お客様に長期にわたって安心・安全な住宅を提供するための工夫などについて伺った。 学生時代は、あまり勉強をした記憶がありません。大学受験にも失敗して浪人するかどうか悩んでいたら、予備校の先生に「今度、新しい大学ができるから行ってみたら?」と勧められて、朝日大学の経済学科へ入学しました。今になって思えば、この選択は大正解でした。人生の伴侶と大東建託という会社に出会うことができたからです。大東建託の存在を知ったのは、リクルートの求人雑誌がきっかけです。雑誌に書いてあった創業者の言葉に熱意を感じ、「この人と一緒に仕事をしたい」と思ったのです。大東建託は年齢や学歴で評価せず、営業等の数字で評価する完全な実力主義の会社です。だからこそ入社時から「30歳までに課長になる。最終的には取締役になる」という明確なビジョンを抱くことができました。仕事に邁進した結果、営業として成果を残し、26歳で課長になれました。土地活用を提案する営業職の後は、不動産部門の営業を担当しました。当時は、リーマン・ショックの直後で、物件が驚くほど空いている状態でしたので、入居者様を斡旋するのにかなり苦労しました。そんな折に、当時の社長から「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という西郷隆盛の言葉をいただいたのです。この言葉は、「功績のある者でも人徳のない者には高い地位を与えてはならない」という意味です。人は実績だけを作ればよいというわけではない。苦しいときこそ自分を磨き、人として成長するべきなのだと自戒しました。 ■仕事に取り組むうえで大切なこと これまでのキャリアを振り返ると、私が大切にしてきたものがいくつかあります。その中の一つに「夢を持ち、自分を磨く意志を持つこと」というものがあります。高い成果を出す上で、夢を持つのはとても大切です。そのために日頃から社員に対しても「自分の達成したい夢や目標を書くように」と伝えています。また、何かの選択に迷ったときは、苦しい方を選ぶようにしています。営業は断られるのが前提なので、誰しも最初は苦しいものです。しかし、何度も繰り返し交渉した結果、その熱心さが実を結んで、ようやく仕事として成立する。苦しいことも多かったのですが、その経験から得たものはたくさんあります。そのほかに大切にしているのが人とのご縁です。何十年も仕事をしてきて、人は他者との縁の中で生きているものだと実感することが多いです。以前、支店長時代のお客様と再会し、「あのとき、竹内さんに託して良かった」と感謝されたこともありました。こうしたご縁がつながっていくと、やりがいを感じますね。 ■会社を利用して自分のスキルアップを 大東建託グループは、オーナー様に賃貸住宅を建てていただくだけではなく、賃貸住宅にお住まいになる入居者様が安心して暮らせるよう、さまざまな事業を展開しています。長期安定という観点で事業展開をする会社は弊社以外にほとんどなく、これは大きな魅力だと思います。また、入居者様が長く住めば外壁やクロスは汚れていくものです。そこで、メンテナンスコストを引き下げるさまざまな技術を導入しています。たとえば、美観を維持する資材として、雨水で汚れが落ちる外壁サイディングを導入。また、入居者様が入れ替わるたびに発生する原状回復費を抑える資材として、汚れが簡単に落ちるクロスや1枚から張り替え可能なフローリングなども導入しています。そのほか、入居者様同士のトラブル等、起こりうるリスクを想定し、リスクカバーできるようにシステムを構築しています。たとえば、2024年1月に起きた能登半島地震でも、震災後3日で全ての入居者様の安否確認と物資供給に対応しました。やはり、命や生活を守ることが何よりも大切ですが、このようなサービスを行っているのは弊社だけだと思います。こうしたさまざまな対策の末、管理戸数は27年連続全国1位(※1)、賃貸仲介件数は14年連続1位(※3)という実績を生むことができたのだと思います。現在の私の目標は、3兆円の利益を上げることです。そのために必要なのが社員のエンゲージメントを高めることと会社の舵を取る30代、40代の社員を育てることです。ただ、彼らには「会社のために働くのではなく、自分ために働いてほしい」と常々伝えています。自分のスキルアップのために、大いに会社を利用してほしいと思っています。 大学生へのメッセージ 学生の皆さんには可能性を信じてチャレンジしてほしいです。私も社長になるまでたくさんの経験をしてきました。経験不足で苦労することもありましたが、その中でも自分を磨こうという視点を持って取り組んできたからこそ今があると思っています。学歴や型にこだわらず、今、あなたが何に取り組み何を考えているのかを大事にし てほしいと思います。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学2年 白坂日葵 ※1 全国賃貸住宅新聞1567号(2023年8月7日発行)「2023管理戸数ランキング1093社」 ※2 全国賃貸住宅新聞1562号(2023年6月26日発行)「賃貸住宅に強い建設会社ランキング2022 大手ハウスメーカー部門」 ※3 全国賃貸住宅新聞1587号(2024年1月1日発行)「2024賃貸仲介件数ランキング409社」

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株式会社ニトリホールディングス 取締役執行役員副社長 武田政則

住まいの豊かさを世界の人々に提供する。 株式会社ニトリホールディングス 取締役執行役員副社長株式会社ニトリ 取締役武田 政則(たけだ まさのり) ■プロフィール 1966年生まれ。東京都出身。2004年、株式会社ニトリ入社。商品部のゼネラルマネジャーなどを務めた後、2020年、株式会社ニトリ代表取締役社長に就任。2024年には海外事業の管掌に専念することで、海外事業における意思決定を迅速化し、実行スピードの向上を図る。 住まいのトータルコーディネートを提案するニトリ。「お、ねだん以上。」というよく耳にするフレーズのとおり、高品質でありながらお手頃価格で商品提供ができる秘訣はどこにあるのか。商品の開発秘話やニトリが成長し続けられる秘訣をニトリホールディングス武田副社長に伺った。 家具のデザイナーになりたいとずっと思っていました。ただ、デザイナーになるにしても世界のビジネスをやるにしても英語はやはり必要だと思っていたので、英語を勉強していました。また、当時、さまざまな装飾様式のあるイギリスやフランスに家具などのデザインを見に行ったりもしていました。学生時代にやって良かったと思ったのは、アルバイトです。さまざまな職種のアルバイトをしましたが、世の中には自分が思い描いていたよりもたくさんの仕事があることを知りました。その中でいろいろな人と出会い、接客応対を学んで対人スキルを身に付けたことが今につながっているのだと思います。社会人としてのスタートは、ライフスタイルを提案する会社でした。倉庫の改善業務から始まり、最終的には商品開発の責任者になりました。その後、独立しようと考えていたときに、友人にニトリという会社があることを教えてもらい、実際にお店を見に行ったのです。並んでいた商品を見ると、私が考える原価くらいで売られていたので非常に驚いたのを覚えています。しかし、正直なところデザインはあまりよくなかったのです。そこでニトリの商品を低価格のままもっとおしゃれにしたらすごいビジネスになると思い、入社を決めました。 ■「お、ねだん以上。」の秘訣 ニトリでは製造から物流、倉庫内のオペレーション、販売も全て自前で行っています。現在、ベトナムに2つの自社工場を構えており、そこには年間約250万セットのカーテンを作る、世界で一番大きな工場があります。その工場では、品質が良くてその時期に一番安い糸を選び、編んだり染めたりする作業も全て自社工場で行っています。通常はそれらの作業を外注する場合も多いのですが、内製化することにより、他社よりも品質が良くて安価なカーテンを作ることができるのです。その結果、他社との差別化が可能となったのです。それでもカーテン工場は3年かけてようやく黒字になった程度です。しかし、この3年間はたとえ赤字でも将来大きく利益が出ると信じてやってきました。赤字でも絶対に諦めないのは2032年にニトリは3000店舗に拡大するというビジョンを掲げているため、そのときに大量に商品を作れば利益率が上がることがわかっているからです。ニトリ商品の多くは自社製品です。そのため、社員たちがこれをお客様に届けたいと思えば、売り場は100パーセント自分たちの意思どおりになります。そして一番いい商品をお客様におすすめすることができるのです。このような理由で今後の投資や売上も計算ができ、10年後に必ず成功するという将来が見えるのです。 ■「諦めない」ことが成長の秘訣 一緒に働きたいと思う社員は、Change(変化)、Challenge(挑戦)、Competition(競争)、Communication(対話)の4C主義を楽しめる人です。特に、さまざまなことに好奇心を持つ人を歓迎します。ニトリの店舗で働いていた社員が、数年後に突然新卒採用部や広告宣伝部などに配属されることもあります。そのようなときにもニトリの社員は皆好奇心があり、順応性も高いので、どの仕事も楽しむことができるのです。社員たちに常々言っているのは、「諦めないかぎり失敗はない」ということです。私自身も諦めなければ必ずできると信じています。社員たちも部署が変わっても楽しんで仕事をこなしているのは、この考えがあるからでしょう。 ■世界の「ニトリ」になる 現在は海外への進出も加速させていて、10年後には海外だけで2000店舗以上にしたいと考えています。製品を作っている場所と売っている場所の距離が近い方が物流費がかからず、お客様が買いやすい値段で商品を提供できます。今はベトナムやタイに自社工場があるためアジアを中心に展開していますが、今後はアメリカやヨーロッパにも進出していきたいと考えています。さらに家電の開発にも力を入れています。家具と家電を買うのはライフイベントのタイミングとして非常に近いものなので、両方を同時にご購入いただける状態を提供したいのです。家電量販店のように品揃え量にこだわるのではなく、ベストプライスでおすすめ商品を絞り込み、売ることを目指していこうと考えています。さらに、トータルに生活をコーディネートしていくためにアパレルやホームセンターなどの事業領域も拡大していく予定です。 ■大学生へのメッセージ 学生のうちにさまざまなところに行って多くのものを見て欲しいと思います。日本の住まいは決して豊かではありません。欧米の家などを見てどれだけ日本よりも素敵な家に住んでいるかがわかると、物事が全く違って見えます。将来のビジョンがしっかりとしていて、自分も企業と共に成長できるような場所を選び、やりたいことを実現していってくださいね。 学生新聞2024年4月1日発刊号 国際基督教大学1年 若生真衣

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グリー株式会社 取締役上級執行役員 前田悠太

「好き」を武器にしながら感動を世界中へ。 グリー株式会社 取締役上級執行役員 前田悠太(まえだ ゆうた) ■プロフィール 1982年、岐阜県各務原市生まれ。2006年よりベンチャーキャピタルのジャフコグループ株式会社において、主にIT/モバイルセクターのベンチャー投資、育成に従事。その後、2009年に株式会社ポケラボに入社、2011年に代表取締役社長に就任し、現職。ポケラボは2012年よりグリー株式会社の子会社となる。2013年よりグリー株式会社取締役上級執行役員を兼務し、現職。弁理士。 「インターネットを通じて、世界をより良くする。」のミッションを掲げ、2004年の創業以来、成長を続けるグリー。グリーのゲーム・アニメ事業を管掌する前田取締役上級執行役員に、これまでのご自身のキャリアやグリーの魅力、ゲームへのこだわりや強みについてお話を伺った。 学生時代は音楽とキックボクシングに夢中でした。高校時代からバンド活動に没頭し、大学進学の際に岐阜県から上京した当初は、音楽学校とのダブルスクールの状態でした。しかし、音楽の世界のシビアな現実に直面し、夢は断念。キックボクシングに専念するようになりました。どちらも現在の仕事とは直接関係はありませんが、今の仕事に活かされている部分は非常に多いです。音楽を通じてクリエイティブな心が育まれましたし、キックボクシングからは心と体のコンディションを整えるスキルが得られました。大学院に進んだ後は、弁理士の資格を取得。アルバイトでは特許明細書の下書きをしていました。卒業後は就職をしようと決めたものの、そもそも世の中の仕事を全然知らないという当たり前の事実に気づき、自分がどんな仕事が良いか選べないといけないと思いました。そこで、たくさんの会社や仕事と関わることができる仕事という理由で、ベンチャーキャピタル業界にフォーカスし、最終的にJAFCO(ジャフコグループ株式会社)に入社しました。入社後は、年間100社以上の社長にお会いし、投資先の取締役会や経営会議に参加しながら、さまざまな業種やフェーズの企業と仕事をさせていただく経験を積みました。そんな中で、私が特に「日本から世界に勝負できる」と注目して追っていたのが「再生医療・ナノテクノロジー・モバイルゲーム」の3分野です。当時、Facebookなど海外の大手SNS内でゲームが活況になってきており、近い将来、スマートフォンが発売されることも見えていました。この10年の時間軸で最も市場成長速度の速い分野として、モバイルゲームにフォーカスして投資を進めていきました。モバイルゲームの会社と会い、投資をしているうちに、立ち上げたばかりの株式会社ポケラボの創業者から誘いを受け、2009年7月より取締役CFOとして入社しました。当時、10億円の調達をして大きな勝負に出たのですが順風満帆とはいかず、約1年で経営危機となり、私が社長となりました。そして、スマートフォンの台頭に合わせてスマートフォン向けのモバイルゲームにいち早くシフトし、大きく成長することができました。2012年にはグリー株式会社と資本業務提携を結び、さらに業況を拡大。グリーの取締役を兼務しながら、ポケラボ、株式会社WFS、グリーエンターテインメント株式会社の3社でグリーグループのゲーム・アニメ事業を展開し、より大きな挑戦をしています。 ■「好き」だからこそファンの気持ちがわかる グリーでのゲーム・アニメ事業の魅力は、広い意味でのオタクな従業員が多いことです。「好き」が根底にある人はファンが喜ぶことがわかります。だから「好き」は、絵が上手いとか計算が速いのと同じように、重要な才能の一つだと思っています。好きだからこそ「自分たちが本当に面白いと感じるものを作りたい、作品を楽しんでくれる人を大切にしたい」という想いを持っています。また、コンテンツの制作は一見華やかな仕事に見えますが、実は非常に過酷です。リリースまでに3〜5年費やしても全然売れないこともあります。面白いと信じて作ったものが売れないと、自分たちが否定された気持ちになります。好きという強い気持ちがないと続けられない仕事でもあります。 ■日本らしいゲームを追求する ゲーム作りにおいて、グリーグループで意識していることの一つは、「日本らしい作品」を作ることです。私たちの考える「日本らしさ」とは、日本の文化や文脈の中で感動できるナラティブ(物語)を持ったゲームです。日本のゲームファンは世界中に大勢いますので、地域ごとのローカライズやカルチャライズは不要です。日本のゲームをそのまま楽しみたいというユーザーはたくさんいます。オタク文化が世界に広まった結果、ゲームクリエイターは急増しています。実際、中国には日本の10倍のクリエイターが既にいると言われています。しかし、競争相手は増えているとはいえ、日本風の見た目やシステムはマネできても、日本ならではの世界観や設定の深さなどは、簡単にはマネできません。ゲームにおいては、日本自体もブランドです。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんにはとにかく動くことをお勧めします。これまでの人生を振り返ってみて、自分の血肉になった経験や何かの起点は、自発的な行動から生まれていると思いませんか。行動「量」にこだわることです。近年、インターネットやAIの進化によって、知識や情報の入手は容易になり、頭の良さの基準も変わってきています。知識や賢さはどんどんコモディティ(汎用品)になってきます。AIをはじめとするデジタルを有効に活用できる能力、行動からの経験を通じて問いを立てる能力こそが大事です。学生という立場と時間をフル活用して、とにかく行動してください。行動する習慣を身に付けて、自分の未来を切り拓いていってください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 津田塾大学1年 石松果林

伊東美優

株式会社JR東日本びゅうツーリズム&セールス 代表取締役社長 森崎鉄郎

持続可能な地域づくりのために私たちは変革し続ける 株式会社JR東日本びゅうツーリズム&セールス 代表取締役社長 森崎 鉄郎(もりさき てつろう) ■プロフィール 立教大学経済学部卒業。1990年、東日本旅客鉄道株式会社に入社。2010年12月の東北新幹線新青森開業に向けて、2009年4月から盛岡支社営業部長を務め、2011年3月の東日本大震災の対応にも当たる。その後、東京支社びゅう事業部部長、本社営業部次長を経て、2019年6月より株式会社びゅうトラベルサービス(現・株式会社JR 東日本びゅうツーリズム&セールス)代表取締役社長に就任。 JR東日本グループの旅行会社として、JR東日本びゅうダイナミックレールパックの企画・販売などを行う、(株)JR東日本びゅうツーリズム&セールス。森崎社長は社長就任以来、大型台風の襲来やコロナ禍など、多くの危機に見舞われたが、マイナス状況から変革を起こし、黒字転換に成功。その経緯を伺った。 大学時代はゼミ、アルバイト、サークル活動の3つに注力していました。特に在籍していたゼミは自身のレポートに対して他のゼミ生や教授から容赦なく質問攻めされる形式だったので、毎回準備が大変でした。ゼミで学ぶ中で、「問題意識」を持ち、それに対しての「現状分析」を行い、「問題点」、「課題」を抽出し、その「対応策」を考えるというサイクルを徹底的に叩き込まれました。これは就職してから現在に至るまで、仕事をしていく上でのベースになっていると思います。 アルバイトについては地元のスポーツ用品店で働いていました。バイト歴が長くなるにつれて店長さんに頼られることも多くなり、マーケティングの初歩も経験できました。 私が就職したのは1990年ですが、当時のJR東日本は、3年前に国鉄から民営化されたばかりだったこともあり、JRを目指す学生はまだ珍しかったと思います。ただ、私の場合は、「この環境だったら、まっさらなキャンバスに新しい絵を描くような仕事ができるんじゃないか」と考え、入社を決めました。 新卒1年目、最初の配属先は岩手県盛岡市でした。地方暮らしの経験がない私にとって、東北での生活は凄く新鮮で、魅力的でした。そのときに、「もっと人々に旅の目的を届けられるような観光関係の仕事がしたい」と感じ、以来、幸運なことに鉄道事業というフィールドの中でも観光に多く関わることができました。 さらに東日本大震災を東北の地で体験したことは大きく、単にお客さまへ旅の手段を提供するだけでなく、震災後、東北の人々が作り直してきたもの、または作り上げてきたものを国内外の人々にお伝えする使命があると思い、今の仕事をしています。 ■「観光流動創造会社」としての使命 当社の事業の中核を成すのが旅行事業ですが、主力商品となるのは、JRの列車のチケットと、宿泊施設を自由に組み合わせられる「JR東日本びゅうダイナミックレールパック」です。この仕組みを導入する際、いくつかの変革を行いました。 まず第一に、購買時期によって商品価格を変動させた点です。従来の多くの旅行商品は、全て価格が固定されていました。しかし、私たちは、需要と供給に合わせた価格変動型へ変更したことで、お客さまだけでなく契約施設のニーズに合う価格設定が可能になりました。次にWEB販売のみにしたことです。従来は実店舗での対面販売が中心でしたが、実店舗もなくし、WEB販売中心のビジネスへと一気に切り替えました。これは対面販売ができなかったコロナ禍を経て、コスト面でも非常にフィットしたと思います。 さらに、これらの変革に合わせて、新たに設置したのが旅のコンサルティングや情報発信を行う「JR東日本駅たびコンシェルジュ」です。WEB購入のニーズが高まる一方で、特にシニア世代のお客さまは、WEBのみでは行き届かないこともあります。シニア世代が増えることを考えても、店舗はお客さまとともに旅の目的を創る場だと考え、導入に踏み切りました。 そのほか、我々のビジョンで大切にしているのが「地域共創」です。我々は「旅」の目的づくりを大事にしている会社なので、旅先となる地方は魅力的な場所であってほしいと考えています。仮に地域が衰退すればお客さまに旅の目的を提供できず、観光客が減り、さらに地方の衰退が進むという負のスパイラルが待ち受けていると考えています。特に、いま危機感を持っているのが、JR東日本管轄である東北エリアの衰退です。今後、より持続可能な地域づくりを目指して、東日本エリア、そして北海道・北陸の観光流動創造に取り組んでいきたいです。 学生の皆さんの目の前は、大きな可能性が開かれていると思います。これから先、どんな道も切り開けるポテンシャルがあります。その中で、ぜひ2つの姿勢を大切にしてほしいと思います。まず、自分の「信念」を持って、道を歩んでほしいと思います。そして、信念を絶やさないために「情熱」を燃やし続けることです。この2つが実現できる会社に出会えれば、大いに活躍できると思います。 ■大学生へのメッセージ 最後にお伝えしたいのが、人生に大切な4 つの「気き」についてです。「大人の休日倶楽部」初代イメージキャラクターである藤村俊二さんの言葉を一部拝借したものですが、一つ目の気は「元気」です。これは身体的な元気だけでなく、心も元気でなければいけません。そして2つ目の気は、「やる気」です。仕事も勉強も遊びでも、1日一つでも何かポジティブなことを見つけられると、凄く前向きな人生になると思います。3つ目は、「勇気」です。社会人になるといろいろな場面で勇気が必要になります。勇気を出すことに躊躇しないでほしいです。4つ目は「時とき」です。限りある人生の中で、2度と同じ時は返ってきません。これからも「今」という時を大切にしてください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 慶應義塾大学4年 伊東美優

人事

ソニーミュージックグループ 人事本部 人材開発部 採用企画1課 栁原 レオ

ソニーミュージックグループ 人事本部 人材開発部 採用企画1課 栁原 レオ(やなぎはら れお) ■プロフィール2014年入社。ソニー・ミュージックコミュニケーションズ(現ソニー・ミュージックソリューションズ)にてアーティストグッズの制作から販売までを担当。その後、ファンクラブ運営業務を経験し、現在は新卒採用・キャリア採用を中心とした採用業務を行う。 ソニーミュージックグループエンターテインメントの仕事とは、社会のニーズを素早くキャッチし、思いを形にするためにアーティストやクリエイターの“個性”と顧客の“感性”とを結ぶ仕事である。 ■事業の特徴を教えてください あらゆる〝変化〞への対応が求められる業界だと思います。たとえば、音楽だと20~30年前には主流だったCDの利用者が減り、ストリーミングサービスの利用者が急激に増えているように、顧客のニーズは目まぐるしく変化します。アイドルが流行っていると思ったら、シティポップブームが来るなど、数ある産業の中でもとりわけ流動的な世界だと思います。このように良い意味でも悪い意味でも社会の影響を受けやすい業界とも言えます。こういった変化やニーズの全てを予測できるわけではないので、どれだけ瞬時に変化に対応できるかが肝になると思います。 ■求める学生像を教えてください エンタメの世界は、何事も一人で成し遂げることはできないので、コミュニケーション能力や協調性がとても重要になってきます。それは一つの作品を作り上げるために、たくさんの人が携わっているので、各人の思いを形にするには何度も対話を重ねる必要が出てくるからです。また、自分の個性を大切すること、そして〝好き〞という思いが、この業界で働く上で大きな力になります。エンタメ業界に興味を持っている人は、そもそもエンタメが好きな方が多いです。特に面接の際、自分の好きな作品を語っている姿は、キラキラと輝いているように感じます。就職後も仕事ばかりにならず、そのような思いを持ち続けてほしいと思います。この業界にとって私たちが必要な理由は、より良い作品を作るためには社会のニーズをつかみ、アーティストやクリエイターの〝個性〞と顧客の〝感性〞とを結ぶことができるところにあると考えています。働く中で楽しいことばかりではないですが、とてもやりがいのある仕事だと思います。 ■学生へのメッセージを 社会人になると、物理的にも精神的にも自由に動ける時間が少なくなります。たとえ興味があっても、新しいことを一から始めることのハードルは自然と高くなります。だからこそ学生のうちに少しでも興味があることは物怖じせずに挑戦してみるといいと思います。時間を大切にしながら自分の引き出しを増やしていってください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 国際基督教大学1年 渡邊和花

人事

東宝株式会社 人事部 人材開発室勤務 矢村行寛

東宝株式会社 人事部 人材開発室 矢村行寛(やむらゆきひろ) ■プロフィール 新卒で2021年に入社。学生時代は体育会アイスホッケー部に所属し、ゼミでは西洋政治思想史について専攻。新入社員時は映画営業部で映画館を絡めた作品宣伝やポスター・チラシの管理、作品鑑賞者のアンケート分析を担当。その後、人事部に異動し新卒採用を担当。 東宝株式会社映画を中心に、アニメ、演劇、不動産の4本柱で事業を展開中。「健全な娯楽を広く大衆に提供する」という企業使命のもと、未来への企てを続けている。 ■業界の特徴を教えてください 当社は映画事業がメインの会社で、製作から宣伝、営業、二次利用まですべての業務を行っています。国内での配給(宣伝・営業)シェアは、20年連続首位です。そのほかアニメ、演劇、不動産の4本柱で事業を展開しております。仕事をする上で大事にしていることは、観てくださる方の人生にプラスアルファをもたらすような、また誰が観ても面白いと思えるような映画を作ることです。現在、東宝では創立100周年に向けて「TOHO VISION 2032」という成長戦略を掲げ、全事業においてグローバル展開を図っており、イギリス・ロンドンでは舞台『千と千尋の神隠し』の公演予定もすでに入っています。 ■求める学生像を教えてください 教えたことを何でもスポンジのように吸収し、真っ白いキャンパスに向かって絵を描いて行けるような人に来てほしいと思っています。そしてエンタメ愛があることですね。エンタメで人を感動させたいとかエンタメで何かをしたいという気持ちがないと、入社後にギャップがでてくると思います。仕事内容は企画や宣伝が主です。企画においてはコンテンツ知識と調整力が必要です。過去の映画にあったこんなイメージと言われたときに、瞬時に反応する必要があります。過去作の作品柄とその結果・興収から新作の企画をすることがあり、コンテンツ知識は必要になってきます。また、エンドロールに載っている大勢の人をまとめるのがプロデューサーの仕事なので、調整力は大事な能力です。宣伝では、アンテナの張り具合とコミュニケーション能力が必要になります。とにかく今の流行りの情報を得ることが大事です。簡単に言えば、いかに公開日までにファンの熱を高め、キャストを盛り上げられるかです。いわば文化祭の実行委員のような仕事です。 ■学生へのメッセージを 仕事は人生幸福度に関係するのでしっかり選ぶことが大切です。社会人になってからリタイアするまでの労働時間は約10万時間と言われています。だからこそいかに楽しく仕事をするかが人生の幸福度に直結します。自分に合った企業を見つけるようにしてください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 日本大学4年 和田真帆

亀井義和喜

学校法人青山学院 理事長 堀田宣彌

世界に挑戦し、サーバント・リーダー育成に邁進 学校法人青山学院 理事長 堀田宣彌(ほったのぶみつ) ■プロフィール 1943年生まれ。青山学院大学法学部卒業。株式会社守谷商会入社。2009年6月同社代表取締役社長に就任。2015年11月学校法人青山学院理事長就任、現在に至る。出身地、三重県の「みえの国観光エグゼクティブ・アドバイザー」も務める。 明治7(1874)年、一人の米国人女性宣教師が始めた女子小学校など3つの学校が源流となり、幾多の変遷を経て総合学園へと成長。創立以来、キリスト教精神を教育の根幹に据えて学校を運営。創立150周年を迎えた今年も駅伝優勝など話題に事欠かない。堀田理事長に教育や経営についてお話を伺った。 ■どんな学生でしたか 大学生のときに世界の課題に挑戦するローバースカウトを始めました。大学2年生のときにはエジプトに赴き、1ヵ月弱の間、砂漠開発事業に取り組みました。貧乏学生でしたが、いろいろなところに行くのが好きで、社会人になったら貿易業務に携わりたいと考えていました。縁あって守谷商会というエネルギープラント、産業機械等を扱う機械専門商社に入社しました。 ■理事長になって取り組んでこられた画期的な試みとは 青山学院の理事長になったのは当時の安藤孝四郎理事長に声をかけられたことがきっかけです。官庁のような学校組織を民間の活力で変えることを期待されてのことでした。理事長に就任した私は早速新しい試みを実行します。それが「大学版ふるさと納税」の導入です。日本は返済義務のない給付型奨学金の数が少ないのが現状です。そのために大学が寄付を集め、返済不要の奨学金として給付する仕組みを新たに作ったのです。寄付してくださった方には税制上の優遇と共に、寄付の返礼として110品目の商品が用意された「青学ギフト」が送られます。この大学版ふるさと納税は、文部科学省が視察に来られるなど、画期的な取り組みとして現在も注目されています。 ■青山学院の教育方針とは 青山学院は、キリスト教精神に基づく教育を行っており、スクール・モットーである「地の塩、世の光」も、聖書のマタイ福音書に記されたイエスの言葉です。今年、青山学院は創立150周年を迎えます。その目指すところはサーバント・リーダーの育成です。すなわち奉仕の精神によって他者を支え、導き、周りを照らす光となるような人材の輩出です。テーマは「Be the difference(世界は一人ひとりの力で変えられる」です。 ■大学生へのメッセージを 自分の夢を信じ、個性を活かして歩んでほしいです。特に、これからはデータサイエンスの時代です。Society5.0などの新しい社会像が提唱される中で、青山学院では2028年までにデータサイエンスに関わる学部を新設予定です。AIリテラシーを身に付けるために、皆さんも是非データサイエンスを学んでください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 中央大学2年 亀井義和喜

大川知

レゴ認定プロビルダー 三井淳平

世界で21人しかいない、日本で唯一のレゴ認定プロビルダー レゴ認定プロビルダー 三井淳平(みついじゅんぺい) ■プロフィール 1987年生まれ。東京大学在学中、「東大レゴ部」を創部。2011年、レゴ認定プロビルダーに最年少で選出される。2015年、レゴ作品制作を事業とする三井ブリックスタジオを創業。2023年にはボストン美術館で現代アートとして作品が展示される。 レゴ社に正式に認定される「レゴ認定プロビルダー」。世界に21人しかいないプロビルダーのうち、日本人は三井淳平さんただ一人だ。幼少期からレゴブロックに触れ、会社員を経て現在はレゴブロックを使った作品制作一本で生活している三井さん。好きなことを継続し、仕事にするための心構えを伺った。 ■レゴビルダーを目指した経緯は レゴブロックとの出会いは1歳のときです。3歳上の兄と一緒にレゴブロックで遊んでいました。他の組み立てるおもちゃも好きでしたが、レゴブロックは選択肢が広く、難しいものを作ることができるということでその魅力にはまっていきました。しかし、大きい作品を作るとパーツが多くなりその分お金もかかります。そこで少しでも安く上げようと中学生のときから個人輸入でパーツを取り寄せたりして作り、自分の作品をホームページにアップし始めました。なかでも等身大のドラえもんを作り、その過程をアップした際の反響は大きく、やりがいがありました。そのときにホームページを見てくださったテレビ番組の関係者から連絡をもらい、高校生のときに初めて「TVチャンピオン」レゴブロック王選手権に出演。限られた時間で作品を作ったのは初めてで、レゴブロックを使った仕事を意識する機会になりました。大学生になるとレゴブロック作品の制作依頼を受けて作品を作り、販売し始めました。東大レゴ部を立ち上げてチームとしては安田講堂を作りました。レゴ部やTVチャンピオンの影響で注目され、製作依頼が増えて実績を積んでいくうちに、レゴ社との接点ができました。大学院卒業のときはレゴビルダーの資格を持っていましたが、鉄鋼メーカーへの就職を選びました。スケールの大きな鉄鋼メーカーの仕事が魅力に感じ、やってみたいと思ったのです。しかし、就職後も作品制作の依頼が徐々に増えてきて独立を決断しました。 ■作品を作り続けるモチベーションとは これまで作品制作を続けてこられたのは、趣味ではなく仕事として取り組んでいるからです。仕事では依頼を通じて常に新しい課題を与えられたり、自分でも提案をしたりする必要があります。だからこそ一つの作品に満足することなく走り続けてくることができました。依頼されたものは自分にとって新しく、面白いことが多いです。依頼を受け入れ、自分の中のリミットを外していくことはチャレンジであり、自分にとってプラスになります。また、新しいことをやろうという気持ちを大事にすることで、飽きることなくモチベーションを継続できていると感じます。 ■将来の展望を教えてください 今後は、自分の作品づくりにシフトしていきたいです。昨年、アメリカのボストン美術館に作品が展示され、アートとしての作品の価値を認めてもらえる機会がありました。依頼を受けて作るのと自分の表現したいものを作るのとでは方向性が違いますが、オリジナル作品の割合を少しずつ増やしていけたらと思っています。レゴブロックは何といっても自分で作れるところが魅力です。そして、世界中の人が知っているというコミュニケーションツールとしての良さもあります。子どものころにレゴブロックで遊んだという共通の原体験があり、それを共有し作品を見てもらえるのが良いところだと思っています。 学生新聞2024年4月1日発刊号 津田塾大学4年 大川知

大野詩織

プラントハンター 西畠清順

植物をとおして衝撃的な体験を届けたい 株式会社 offi ce N Seijun/そら植物園株式会社 代表取締役 西畠清順(にしはたせいじゅん) ■プロフィール 日本各地や世界中を旅してさまざまな植物を収集。国内外の政府機関、企業、王族などからの依頼に応じて植物を届ける現代のプラントハンター。年間200トン以上もの植物の国際取引を行い、数々のプロジェクトを成功に導き、業界に旋風を巻き起こしている。 プラントハンターとして世界中を駆け巡 る西畠清順さん。今では植物の虜であり、この仕事は天職であると語るが、意外にも 21歳まではさほど植物に興味がなかったという。そんな西畠さんがこの仕事を始め るきっかけとなった体験や仕事の根底を なす考え方、植物に対する思いを伺った。 ■どのようなお仕事なのでしょうか 実家は植物を業者に卸す仕事が家業だったので、いつかは自分もこの仕事をするのだろうなと漠然とは思っていたものの、正直、全く植物に興味はなかったのです。しかし、昔から好奇心・冒険心が強く、秘境のボルネオ島で4000メートルの山を登った21歳のときに、世界最大の食虫植物を見て衝撃を受けました。この体験で180度価値観が変わり、植物に興味がわいてきたのです。 今はありとあらゆる人に植物を届ける仕事をしています。それは植物をただ届けるのではなく、植物を理解したうえで届けたいと思っています。そこには植物をとおして価値観が変わるような衝撃的な体験をしてほしいという思いが根底にあります。 仕事の8~9割はリピーターからの依頼や紹介が多く、新規の仕事を受ける際に、担当者の熱意を大事にしたいと思っています。それは私と仕事をしたいという方に、全力で応えたいからです。 1年のうち、8割くらいはホテル暮らしです。毎日転々としながら仕事をしていますが、植物を探し出し、仕入れて売るなど複数の仕事を同時進行で進めています。旅をしてその土地を物語る山に登ったり神社仏閣を訪れたりなど、自分の感性を磨くために自然のエネルギーを吸収したりして、楽しみながら仕事ができています。 ■西畠さんにとって植物とは 植物は人生の全てです。地球上にとって一番大切なものは植物で、これ以上の魅力あるものはないと思っています。戦友や恋人のような要素もあり、自分の中にある可能性や野心を叶えてくれるすごく便利なツールであったりもします。また、植物という魔法のツールを活用することで、影響力のある人を巻き込めることに最近気づきました。どんなにすごい人でも植物に関しては話を聞いてくれるのです。それが雲の上のような人でさえ「君のやっていることはスペシャルだよ」と言ってくれます。 ■個人が世の中で輝くために 人は誰かの真似をすることに何の疑いも抱かないものです。そのような中で何年、何十年に一人、その業界を変えるゲームチェンジャーが現れます。私は生まれてきたかぎりは、自分独自の道を歩みたいと思いました。 自分の個性を磨くためには好きなことを見つけること。また、人との出会いも大切です。仕事を夢中でしていたらテレビプロデューサーの紹介でメンターとも呼べる人との出会いがありました。その人との出会いによって自分の考え方も変わり、自分独自のフィールドができてきました。また、逆もしかりで人との別れによって人生が変わることもあります。 人は迷いがないほど強いものはなく、迷いがあるほど弱くなってしまいます。私の場合は植物に全身全霊を注ぐと決めていて、人生を後悔しない自信があるので迷いはありません。迷いがない人間は大きな壁にぶつかっても嫌なことがあってもへこたれないものです。結果としていろいろな人たちが応援してくれます。 しかし、学生のうちは迷うことも大事で価値があることだと思います。ただし、アンテナだけは高く張っていてください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学短期大学部2年 大野詩織

中高生新聞

文部科学省 官民協働海外留学創出プロジェクト 「トビタテ!留学JAPAN」 ...

日本の未来のために、「飛び立つ」留学生を官民で支援! 文部科学省 官民協働海外留学創出プロジェクト「トビタテ!留学JAPAN」プロジェクトディレクター 荒畦 悟(あらうね さとる) ■プロフィール上智大学外国語学部卒業後、人材事業会社、専門商社、外資系IT企業の3社で約13年間採用に携わり、2014年より官民協働海外留学創出プロジェクト「トビタテ!留学JAPAN」創業メンバーとして参画。現在はプロジェクトディレクターを務める。 学生時代から自分や組織が成長する楽しさを知り、社会人では人材育成の経験を積んだ荒畦さん。越境体験の重要性を考え、「トビタテ!留学JAPAN(以下、「トビタテ!」)」に携わる。「トビタテ!」のフラッグシップ事業である「日本代表プログラム」を通じて、座学だけでなくスポーツや芸術など多様な人材を世界に送り出している。そんな荒畦さんにお話を伺った。 学生時代に学生団体の活動をしていて、自分自身が成長できる楽しみを知ることができました。社会に出ても成長できる会社が良いと思い、リクルートに入社しました。在籍期間は3年ほどでしたが、企業の人事採用などさまざまな仕事をしました。その後、Googleで働いたことが人生の転機となり、「トビタテ!」につながっていきました。Googleでは新卒エンジニアを採用する仕事をしていたのですが、そこで気付いたことがありました。エントリーするのは日本人よりも圧倒的に中国人やインド人が多かったのです。それを見たときに、エンジニアという特定の領域ではありますが、数でも勝てないしマインド的にもアグレッシブさも違うと感じ、グローバルという観点で日本の人材に危機感を感じました。そのようなときに「トビタテ!」を知りました。自分がこれまでやってきた新卒採用等の経験を生かすことができ、国の人材教育に携われるというところにやりがいを感じ、2014年4月に「トビタテ!」に転職しました。 ■教育の仕組みをゼロから作る 「トビタテ!留学JAPAN」は、留学計画を学生自身が作ることができます。また、国内でもインターシップが重要視されているなかで、海外留学においても座学だけでなくインターン、フィールドワーク、ボランティアなどの実践活動を重視し、支援しています。選考基準は語学力や成績よりも好奇心、情熱、独自性です。その理由はできるだけ多様な意欲ある人材を海外に送り出したいからです。このように、今の日本に足りない新たな人材育成の仕組みを作ることは、本当にさまざまな苦労や葛藤がありました。民間から寄付を頂き、文科省と独立行政法人日本学生支援機構の中で事業を運営するという官民協働のプロジェクトです。支援対象者である大学生や高校生らとも直接接点を持ち、同窓組織(コミュニティ)も作っていくという他に類のない画期的なプロジェクトです。それをゼロから立ち上げるところに難しさがありました。結果としてトビタテ第1ステージでは約120億円という莫大な寄附金を集めることができましたが、年間約1500人を採用して海外に送り出すという規模感にも苦労しました。 ■留学は自分を成長させる 私は高校生の頃に1週間のホームステイをしました。しかし、大学では留学するチャンスはあったのに、学生団体の国内での活動に夢中になり留学はしませんでした。そのことを今でも後悔しています。居心地がいいコンフォートゾーンから抜け出す越境学習は、新しい可能性が見出され、鍛えられるので成長することができます。その最たるものが留学です。語学ができる、できないにかかわらず、できるだけ早く留学することをお勧めします。若いころは、さまざまな選択をしなくてはいけないことがあります。日本の常識が世界の常識ではないことに、できるだけ早く気付いた方が可能性が広がります。生まれた場所や所属している組織で息苦しさを感じたときに、世界に出てみるといろいろな生き方や考え方、働き方があると知ることができるのです。そうすることで生きる選択肢が広がるので、できるだけ早くそれに気付いてほしいです。留学の価値は、違う価値観や選択肢を知るところにあります。大学で長期留学するためには、高校生の段階で留学した方がいいと思っています。しかし、高校生は大人の賛同や価値観の違いで乗り越える壁が大学生以上に高いのも事実です。そういう背景もあり、「トビタテ!」は高校生への留学支援を強化していきます。 ■中高生へのメッセージ 中高生には「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム(2023年度からは新・日本代表プログラム)」に関わらず、選抜があるものに是非挑戦することをお勧めします。プログラム等の合否は、もちろん気になることですが、それ以上の効果があると思います。自分の夢や目標を考え、応募用紙に書きますが、その経験自体が尊いのです。問われなければ何も考えず、時間が過ぎていってしまいます。自分の人生や将来のことを考えたりする良い機会になるのでぜひ挑戦してほしいです。また、応募することをできるだけ多くの人に発信、共有することも重要です。発信し、自分の夢を聞いてもらうことで応援してくれる人が現れるかもしれません。一人でも応援してくれる人が見つかったら、それは人生の応援団を見つけたに等しいのです。こういうプロセスを通じて自分の夢を語ってフィードバックを貰うことはとても貴重な機会です。応援してくれる人から、自分の次の考えにつながるご縁を紹介してもらうことも実際にあるので、合否を気にせず是非チャレンジしてみてください。 「トビタテ!留学JAPAN」って何!? 「社会にイノベーションを起こす グローバル探究リーダー」を目指す! そんな高校生のための海外留学支援制度です。トビタテ! 留学JAPAN の「新・日本代表プログラム」では、返済不要の奨学金や研修等を通じて、高校生の自由な海外探究活動を産・学・官協働で支援します。4月に新高校1年生、新大学1年生を募集中! 中高生新聞2024年4月1日発刊号 日本大学2年 米満光里