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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

株式会社キャスター 代表取締役 中川 祥太

私たちは決して、リモートワークをやめない。 株式会社キャスター 代表取締役 中川 祥太(なかがわ しょうた) ■プロフィールソウルドアウト株式会社にて営業を担当。その後、イー・ガーディアン株式会社にて事業企画を担当。当該部門でクラウドソーシングと出会う。日本市場におけるオンラインワーカーの発展途上な環境にもどかしさを覚え、28歳で起業を決意。2014年9月に株式会社キャスター創業。 「リモートワークを当たり前にする」をミッションに掲げ、フルリモートで組織を運営している株式会社キャスター。創業した2014年当時は、まだリモートワークが普及していない中で、なぜ会社を立ち上げたのか。リモートワークの意義やこれからのあり方について、中川 祥太さんにお話を伺った。 ■インターネットを学ぶきっかけ 学生の頃から起業を考えていたわけではありません。もともと音楽をするために東京に出てきたのですが、当時下北沢に住んでいたこともあって、大学2年生の時は古着店で働いていました。その時、店を閉店することになった知り合いのオーナーから声がかかり、店舗を借りて古着店をオープンすることになったんです。以前にテレアポのアルバイトで貯めた資金を元手に開業しました。夜中にバイクを走らせて仕入れたり、店内のレイアウトを決めたりととても充実していましたね。ところが、商品価格は安い上に、店舗が広すぎて商品で埋められない。そんな時、インターネットでシルバーアクセサリーを売っている人に出会いました。当時30代だった彼は、1個150万円ほどするシルバーアクセサリーを売り出してからものの数分で売ってしまう。これはなかなか悔しかったですね。自分がインターネットを活用できていないことを実感し、勉強することにしたんです。そこで、まずはIT関係の会社に就職しました。 ■働き方への疑問 就職したIT関係の職場ではアウトソーシングを担当していたのですが、当時、新しい働き方としてクラウドソーシングが注目されていました。これまでもリモートワークという働き方自体は世の中で模索されていましたが、実態としては、大企業で働く人が出産・子育て・介護などの一時的なタイミングで、福利厚生の一環として家で仕事をしていた程度でした。そんななか、クラウドソーシングという働き方が台頭してきたのです。しかし、クラウドソーシングでは単価が安すぎる案件が多いという問題がありました。クラウドワーカーは業務委託で仕事を得るわけですが、業務委託契約では労働法が適用されないので最低賃金は決められていません。時給換算すると時給100円で働くような案件もザラでした。もちろん、こんな単価で良い人が集まるわけはありません。次から次に働き手が変わってしまうので、働く環境は一向に整えられません。こうした状況を見て、「自分でリモートワークの会社を興そう」と決意したのが起業のきっかけでした。働き手としてはリモートワークの需要は高い上に、雇用側としてはITの分野では人手不足が進んでいました。需要と供給のバランスが成り立つことを根拠に、リモートワークを中心とした人材事業を進めることにしました。 ■リモートワークをやめない キャスターは、2022年以降ドイツやドバイにも事業を拡大しています。これらの地域は、社会環境と労働環境が日本と似ている所もあり、これまで培ってきたノウハウとスキームを活かせると判断し、最初の海外拠点として選定しました。近しい環境とはいえ、異なる国で弊社のビジネスがどの程度通用するかを検証する目的もあります。将来的には、ヨーロッパ諸国をはじめ、さらなるグローバル展開を計画しています。これまで約10年間にわたり、リモートワークを構築してきたキャスターだからこそできる業務支援を提供することで、日本だけではなく、世界でリモートワークが普及するように事業を拡大できればと思います。世の中では、リモートワークを廃止する企業も出てきていますが、キャスターは今後もリモートワークをやめません。これは私たちの信念であり、リモートワークで働ける環境を提供することが企業としての優位性を高めると考えているからです。 ■需要と供給をマッチさせる コロナ禍で多くの会社がリモートワークを始めたものの、一時的なものでした。リモートでコミュニケーションをとることは難しいというイメージがあるかもしれませんが、単に慣れていないだけです。例えば、表情や身ぶり手振りはリモートでもわかります。相手の気持ちを読み取りにくいという方もいますが、それはリアルでも同じことです。対面であっても、相手の気持ちを完全に理解するなんてことはできません。リモートワークは特別なわけではなく、リアルで行われていることをバーチャルで構築するだけのことなのです。実際に弊社ではフルリモートワークをしていますが、社内を見ても、困ったことは全くないですね。働く側のリモートワークの需要は高く、採用倍率は100倍にものぼります。年代は20代から50代、約9割が女性社員、約7割が地方在住です。日本は、地方に行けば行くほど賃金が低くなり、男女間における賃金の格差も大きい。事務職は女性に人気の職業ですが、その仕事のほとんどは東京にあります。地方に住んでいると、周りに何もなく畑仕事しかないという場合もあるので、リモートワークをせざるを得ない人が多いんです。日本では、女性が社会的に評価されにくいという問題もありますが、キャスターでは本人の実力を見極めた上で、チャレンジする機会を提供できるようにしています。 ■大学生へのメッセージ  今の若い人たちはとても有利です。人手不足が進み、どんな職業でも自分がリードできる時代が近づいてきています。業種自体が減少している場合を除いて、何でも好きな仕事につける時代です。あと先どうなるのか、失敗するのではないかと不安になっていては非常にもったいない。リスクを恐れるのではなく、どんなチャンスも掴み取るようにしてほしいです。 学生新聞オンライン2023年11月30日取材 上智大学2年 白坂日葵

学生新聞インターン

歌手 手島章斗

等身大の自分の想いを大切にする。 歌手 手島 章斗 (てしま あきと) ■プロフィール「avex audition MAX 2013」(1万6766⼈応募)のアーティスト部⾨でグランプリ受賞し、SOLIDEMOのメンバーとしてメジャーデビュー。同年に「第56回輝く!⽇本レコード⼤賞」新⼈賞を受賞。2022年SOLIDEMOの活動が終了し、本格的にソロアーティストとしての活動を開始。OHK岡山放送にて、冠番組「えっ!?ボクがプロデューサーですか?(仮)」を担当。ミュージカルや、舞台にも出演するなど、タレントに俳優にアーティストにとマルチに活動中。 「avex aution MAX 2013」にてグランプリを受賞し、2014年に男性ボーカルグループ「SOLIDEMO」のメンバーとしてデビューし、2014年12月に「第56回 輝く!日本レコード大賞」新人賞を受賞。人気漫画「マギ」初のミュージカル『ミュージカル「マギ」迷宮組曲』、『ワールドトリガー the Stage B級ランク戦開始編』へ出演するなど、アーティストだけでなく俳優、タレントとしても幅広く活躍中の手島章斗さん。歌手としてだけではなく、俳優や地元広島県の尾道観光大使を務めるなどマルチに活躍している。今回は、ご自身のこれまでの軌跡から、2024年1月24日リリースの初のフルアルバム『Life-size』や1月13日からスタートする全国ツアー「Are you ready?!」などについてお伺いした。 ■学生時代にアーティストを志すことを決意 アーティストに憧れを持ったのは、中学2〜3年生ごろです。それ以前は、いとこの影響で始めたサッカーに熱中していました。当時はSNSも全くない時代で、なおかつ広島県の尾道に住んでいたので、アーティストはテレビの中の世界という印象でした。そんな中、中学2年生の時に広島県でEXILEさんのコンサートが行われたんです。そのコンサートでアーティストや歌手としてのカッコ良さに触れたことがきっかけで、「自分も音楽・歌手の道に進もう!」と志すようになりましたね。 ■発展途上でも一生懸命にやれば評価をしてくれる 高校を卒業した後、歌手を目指すために大阪に引っ越しをしました。その際にavexのアカデミーでレッスンを受けていたのですが、そこに「avex audition MAX 2013」のポスターが貼ってあったんです。たまたまそれを見かけて「受けてみよう」とオーディションに臨んだところ、アーティスト部門でグランプリを受賞することができました。当時、自分は音楽活動を始めて半年ほどの状態でしたし、周りの方と比べても上手いとは言えなかったと思います。それでも、審査員の方々からは将来性や可能性を感じたからとおっしゃっていただきました。今思えば、荒削りの状態でも一生懸命に歌っていたことを評価してもらえたのかもと思います。 ■グループからソロへ 苦悩と喜び ソロでの活動を始める2022年以前は、「SOLIDEMO」というグループで活動していました。グループでの活動は、嬉しかったことや苦しかったことを仲間と分かち合えますし、一つの目標に対してメンバーみんなで目指せることがとても楽しかったです。一方、ソロ活動では、「感情」や「経験」をメンバーと分かち合うことはできません。ただ、今回のアルバムに関しては、作詞、作曲を自分一人で行ったので、自分の感情や思いをそのまま等身大で表現できます。表現した想いをお客様と、より色濃く共有してライブを作り上げていけるのは、ソロならではの喜びだと思います。 ■楽しむこと、そして余白を持ち続けること 歌手活動を続ける上で、大事にしているのは「楽しむこと」です。歌手はエンタメを通して楽しさを伝える仕事なので、届ける側の人間が楽しんでいなければ伝わらないと思います。どんなときでも「楽しむこと」を忘れないよう、心がけて臨んでいます。加えて、常に「疑問」を持ち続けるようにしています。歌手として「完成されたもの」を目指してはいるのですが、裏を返せば、完成するとそれ以上の成長がなくなるし、考え方が凝り固まってしまう。そうならないためには、いろんなことに疑問を持ち続けて、新しい知識を吸収できるよう「余白」を持つようにしています。「完成」を目指すけど「完成」はしないようにする。バランスが難しいですが、そのスタンスを心掛けていきたいです。 ■等身大の自分を作品にした新アルバム『Life-size』 今回のアルバム『Life-size』は全10曲の作詞作曲を僕自身が担当しました。初めての試みなので、無理に背伸びせずに等身大の自分を作品にしようと思い、『Life-size』というタイトルをつけました。すべての曲が自分の感情や考え方が詰まった作品にはなりますが、その中でもリード曲の「Just Smile」は、過去の自分と未来の理想の自分が描いた作品になっています。「金木犀」という曲は「ルーツ」がテーマとなっているのですが、このタイトルは実家の庭に生えていた金木犀が元となっているんです。小さい頃から身近にあった植物で、ある意味、手島家の原点とも言える存在です。この金木犀が咲く時期になると自分のルーツである実家を思い出すので、「ルーツを忘れない」=「初心を忘れない」ということを重ねて「金木犀」と名付けました。実は今回のアルバムの作詞作曲は2020年のコロナ禍からスタートしています。ライブなどもできない中で、試しに曲を作ってみようと思ったことがきっかけです。コロナ禍から作詞をしたり、舞台に出演する合間や移動の時間に作曲を続けた曲もありました。ここ数年間の楽しさや辛さといったものが詰まったアルバムなので、特別な思いがありますね。 ■初のホールライブ開催を含んだ全国ツアー「Are you ready?!」 1月13日からスタートするツアーは、ソロになってから初のツアーです。その中で全て作詞作曲をしたアルバムを引っ提げて周れるのは本当に楽しみです。コロナ禍でできなかったファンのみなさんとの交流も楽しみながら、ライブをできたらなと思います。やはりライブでは曲を聞いてほしいのはもちろんですが、みなさんと一緒にライブを作っていきたいなと考えています。僕の想いとみなさんの想いが重なったとき、さらに曲が進化する。だから、ライブ会場ではファンの方々とのキャッチボールができたらと思っています。今年度はファンクラブの立ち上げ、舞台出演、作詞作曲など挑戦に溢れた年でしたが、そのなかでも今回のツアーは今年度最後の最大の挑戦です。ファイナル公演は神田スクエアホールです。ホールライブはソロとして初めての挑戦なので、ぜひ、多くの方に見届けてほしいと思います。 ■挑戦を繰り返し、いつか武道館で 今後はこれまで挑戦してきたことのブラッシュアップをしていきたいです。作詞作曲や舞台出演はもちろん、次の挑戦に繋げていければなと考えています。最終的には武道館でのライブを目標に頑張りたいです。 ■遊びも勉強も全力で挑戦!必ずヒントやキッカケが見つかる 大学時代は、人生で一番自由が多い時期だと思います。明確な夢や目標がある人は恐れず一歩踏み出して突き進んでほしいですね。夢や目標に向かっての努力や時間は叶わなかったとしても、その時の感情や経験が財産になります。夢や目標がない人は、とにかくいろんなことに挑戦してみてください。友人と遊ぶ中で、自分の特技や本気で楽しめること、「こんな場所に住んでみたい」という想いなど、色んなことに気づくと思います。これらの体験も全て財産になるので、難しいことは考えずにいろんなことに挑戦してみてください。 学生新聞オンライン2023年12月14日取材 武蔵野大学4年 西山流生 NEWS ■2024年1月24日(水) 初のフルアルバム「Life-size」リリース 全曲、作詞作曲楽曲10曲収録https://teshima-akito.jp/ ■2nd Tour「Are you ready?!」開催▼日程1月13日(土) 会場/【広島】SIX ONE Live STAR広島県広島市中区流川町8-20 エイトビル1FOPEN/17:15START/18:00ADV/¥5,600 1月20日(土)会場/【福岡】福岡BEAT STATION福岡市中央区渡辺通4-11-4OPEN/17:15START/18:00ADV/¥5,600 1月28日(日)会場/【千葉】柏PALOOZA千葉県柏市柏3-2-22 林ビル 2FOPEN/17:15START/18:00ADV/¥5,600 2月4日(日)会場/【宮城】誰も知らない劇場宮城県仙台市青葉区中央2丁目5-10 桜井薬局ビル3FOPEN/17:15START/18:00ADV/¥5,600 2月14日(水)会場/【東京】SHIBUYA PLEASURE PLEASURE東京都渋谷区道玄坂2丁目29−5...

イベント・企業紹介

プロキャディ 特別インタビュー

キャディとは、プレーヤーと一緒にゴルフ場を回り、安心してプレーできるようサポートする仕事です。またゴルフ場でのマナーやエチケットを守ってもらうようプレーヤーに働きかける業務もあります。自身がプレーしたり、華々しく目立ったりする仕事ではありませんが、ゴルフに欠かせない仕事です。 その中でもプロキャディとは、特定のゴルフ場に雇われるのではなく、大会の際にプロ選手のプレーをサポートする方です。1人の選手と専属契約を結ぶケースと、大会ごとに異なる選手と契約するケースがあります。1人の選手と専属契約を結んだ場合、トーナメントの開催期間中は国内外を帯同することになります。選手のプレーを支える大事な存在です。 アース製薬株式会社主催「アース・モンダミンカップ2023」がカメリアヒルズカントリークラブ(千葉県袖ケ浦市大竹265)にて開催されました。2023年6月19日、予選・決勝前のプロアマトーナメントに帯同していたプロキャディにお仕事の様子ややりがいについて伺いました。 <プロキャディ インタビュー> 藤野 圭祐 ■キャディー歴:8年■過去に帯同したプロゴルファー:山下美夢有/渋野日向子/西村優菜/稲見萌寧/西郷真央 男子プロとラウンドした時に「キャディーをやらないか」と声をかけていただいたのがきっかけで、キャディーを始めることになりました。私たちキャディーは沢山の観客が見守る中、選手たちと同じように、良い緊張感を持ちながら仕事をさせていただいています。それがキャディーという仕事の一番の醍醐味ではないでしょうか。ありがたいことに、毎週とても楽しく働かせていただいています。(佛教大学3年 三浦藍生) 田子 元治 ■キャディー歴:18年■過去に帯同したプロゴルファー:山本景子/穴井詩/イナリ/天沼知恵子 契約先が同じであるゴルフ5の選手に頼まれたことが、キャディーを始めたきっかけです。普段のセルフチェックやメンタルチェックを、フィールドの中で選手と一緒に確認することで、より明確なアドバイスができることがキャディーの醍醐味ですね。(法政大学3年 鈴木悠介) 佐藤 亜衣理 ■キャディー歴:8年■過去に帯同したプロゴルファー:福山恵梨/キムハヌル/大江香織/金澤志奈/宮本勝昌/安田祐香 キャディーを始めるきっかけとなったのは大江香織さんとの出会いでした。元々別の仕事をしていたのですが、自分に合わず辞めようかと迷っているときに彼女に「私のキャディーやってみない?」と声をかけていただき、そこから今に至ります。選手に「一緒に戦ってくれてありがとう」や「楽しかった」と言ってもらえることに非常にやりがいを感じますし、自分の存在意義を感じます。(中央大学2年 前田蓮峰) 石井 恵可 ■キャディー歴:19年■過去に帯同したプロゴルファー:イ・ボミ/片山晋呉/谷口徹/谷原秀人/矢野東/今井克宗 キャディーの仕事を始めた理由は、ゴルフについてより深く勉強したいと思ったからです。特に男子プロを中心に帯同してきました。キャディーの醍醐味は、やはり選手が優勝したときに一緒に喜びを分かち合えることだと思います。キャディーをする上で心がけていることは、良い意味で何も考えないということです。選手と接するときは、なるべく自然体でいるようにしています。(佛教大学3年 三浦藍生) 東 勝年 ■キャディー歴:23年■過去に帯同したプロゴルファー:岩井千怜/岩井明愛/テレサルー/上田桃子/高山忠洋 ゴルフの研修生をしていましたが、その仲間の後輩がプロになったときにキャディーとして付いたことがきっかけとなり、キャディーの仕事を始めることになりました。キャディーをしていてやりがいを感じるのは、やはり選手が優勝した時ですね。私が付いた選手で、今まで4回ほど初優勝を経験したのですが、その時はとても気持ちがよかったですし、感慨深かったです。(佛教大学3年 三浦藍生) 新岡 隆三郎 ■キャディー歴:18年■過去に帯同したプロゴルファー:上田桃子/岩田寛/北田瑠衣/片山晋呉 もともとはプロを目指していたのですが、知り合いのプロから声をかけてもらったことをきっかけにキャディーを始めました。キャディーをしていく中で大切にしていることは、選手が試合中に嫌な気持ちにならないように気を配って、とにかく寄り添うことです。(法政大学3年 鈴木悠介) 山根 彰 ■キャディー歴:24年■過去に帯同したプロゴルファー:岩井明愛/S.K.ホ /谷口徹/全美貞 最初は経験として友達のキャディーを引き受けただけでした。その翌週も予定が空いていたのでキャディーを引き受けてというのを繰り返しているうちに、キャディー歴は24年にもなっていました。選手の調子がいい時も悪い時も選手から必要とされ、一緒に乗り越えていけることがキャディーの楽しいところですね。(法政大学3年 鈴木悠介) 清水 重憲 ■キャディー歴:27年■過去に帯同したプロゴルファー:セキユウティン/上田桃子/谷口徹/田中秀道 プロになった先輩に付いて行ったことがきっかけでキャディーを始めました。この仕事はとても楽しく、毎週ワクワクドキドキできるところに魅力を感じています。人間対人間の仕事なので、人と人との繋がりを大事にしながらコミュニケーションをとっています。(國學院大学3年 島田大輝) 山下 慶弘 ■キャディー歴:5年■過去に帯同したプロゴルファー:ささきしょうこ/秋吉翔太/出水田大二郎/香妻琴乃/ペヒギョン/ユンチェヨン 元々プロゴルファーでしたが、ささきしょうこ選手専属でキャディーを始めました。そこから5年が経ちます。選手を近くで見られたり、一緒に目標に向かって頑張っていけることが魅力だと思います。選手からの「ありがとう」や、良い成績が出たときにやりがいを感じます。(國學院大学3年 島田大輝) 串田 雅実 ■キャディー歴:18年■過去に帯同したプロゴルファー:川﨑春花/ジャンボ尾崎/尾崎三兄弟/谷原秀人/小田孔明/黄重坤/藤本佳則 知人の紹介でご縁があった方がプロゴルファーを目指していて、キャディーを引き受けたことがきっかけです。自分はキャディーが天職だと思っており、楽しく仕事させていただいています。気を遣うのは多分選手にだけですし、ほとんど結果が出ています(笑)。仕事に行きたくないなと思ったこともありません。(法政大学3年 鈴木悠介) ゲリージョンストン ■キャディー歴:17年■過去に帯同したプロゴルファー:鈴木愛/田島創志/髙橋竜彦/三塚優子/全美貞 もともとはオーストラリアでゴルフに携わっていました。友達から誘われて日本に来て、キャディー生活が始まりました。今でもアメリカや海外でキャディーをすることもありますし、海外の選手のキャディーをすることもあります。(法政大学3年 鈴木悠介) 河野 清子 ■キャディー歴:22年■過去に帯同したプロゴルファー:サイペイイン/島袋美幸 プロキャディーを始めるきっかけとなったのは島袋美幸さんのキャディーをしたことでした。5年ほど島袋さんのキャディーをしましたが、現在はサイペイイン選手のコーチ兼キャディーをしています。選手にとって非常に重要な立ち位置なので責任感を持ちつつ、日々仕事をしています。キャディーをしていると選手の判断やゲームの瞬間を一番近くで見ることができますし、ゲームが動く原点のような場所にいることができるのでとてもやりがいを感じています。(中央大学2年 前田蓮峰) 川口 大二 ■キャディー歴:13年■過去に帯同したプロゴルファー:菅沼菜々/イボミ/吉田弓美子/アンソンジュ/菊地絵理香 若い頃からゴルフをしており、ゴルフに携わる職業に就きたいという思いからキャディーを始めました。初めはバイト感覚で始め、ゴルフのレッスンなどの仕事と並行してやっていたのですが、選手とともに戦えるというキャディーの魅力に惹かれ、本格的に職業にしようと思いました。選手と二人三脚で試合に臨み、良い戦績が出たときは非常にやりがいを感じ、やっていて良かったと思えます。(中央大学2年 前田蓮峰) 渋谷 一英 ■キャディー歴:24年■過去に帯同したプロゴルファー:イミニョン/李知姫/三塚優子/服部道子/西郷真央 知人から紹介を頂き、その後は同伴競技者のプロの方々のお誘い等を受け、キャディ業が始まりました。ゴルフは毎日、風も選手のコンディションも何もかもが違います。だからこそ、臨機応変にそれぞれの状況に対応することが難しいですが、それがゴルフの醍醐味でもあります。(法政大学3年 鈴木悠介) 清家 充広 ■キャディー歴:25年■過去に帯同したプロゴルファー:後藤未有/加瀬秀樹/宮瀬博文/丸山大輔/小林正則/金亨成 元々プロゴルファーを目指していました。キャディーの大変さは知っていたので、できればなりたくはなかったのですが、気づけば足を踏み入れていました(笑)。ゴルフはとても難しいスポーツですし、ほとんどが上手くいきません。だからこそ、仮に優勝したとしても、予選通過だけでも、どちらでも良いのです。たとえどんな結果であったとしても、選手が納得して試合を終えることができれば私も嬉しく思います。(佛教大学3年 三浦藍生)...

学生新聞インターン

自由民主党 衆議院議員 (広島6 区/福山市) 小林史明

この国のルールを、私たちの時代に合ったものに。 自由民主党 衆議院議員 (広島6 区/福山市) 小林史明(こばやし ふみあき) ■プロフィール自由民主党新しい資本主義実行本部事務局長。現在はスタートアップ政策、労働市場の構造改革、競争政策、政治のダイバーシティを推進している。第1-2 次岸田内閣ではデジタル副大臣兼内閣府副大臣を務め、デジタル臨時行政調査会を創設。アナログ規制の一括法改正に向けた計画を提言した。菅内閣では内閣府大臣補佐官として、ワクチン接種促進事業を統括した。広島県福山市出身。 新卒で就職した民間企業で働く中で直面した「古い規制」。自分たちが、昔の人が作ったルールで生きていることに気づいて、「自分はルールを変える側になろう」と決意し、政治家へと転身した、小林史明衆議院議員。初当選以来12 年、初志貫徹、時代に合わなくなったルールを変えることに注力されている。現在の業務内容や政治家になった経緯や想い、学生へのメッセージについてお話を伺った。 私は、幼い頃から「ものづくり」をとても面白いと感じていました。地元の福山市は製造業が盛んで、実家も漁網メーカーですし、モノづくりの会社がたくさん身近にあったからかもしれません。幼稚園の頃は、駅前にあったもみじ饅頭を作る機械を、一日2 時間見ることが日課でした(笑)。「ものをつくるときに、最後に素材がすごく価値を生み出す」と感じ、大学は、上智大学理工学部化学科に進学しました。でも学生時代は、野球とスノーボードに没頭していました。 大学卒業後は、NTT ドコモに入社し、法人営業の仕事をしていました。しかし、壁にぶち当たることもありました。当時、NTT グループではやりたくても提案できない仕組みがあり、このルールのせいで、大事なお客さんを何度か失うことがありました。この経験は、非常に悔しかったですね。このルールは、NTT グループが数十年前に国内シェアで独占的な存在感を放っていた時代に作られたものでした。当時は通用したかもしれませんが、私が働いていた当時は、このルールがあるがゆえに、NTT の国際的な競争力は失われていくばかり。正直、時代遅れのルールを今でも残しているのはおかしくないと感じ、「このままこの仕事を続けていても、時代遅れなルールに阻まれてしまうのではないか」と焦りを感じました。そこで、浮かんだのが「自分がルールを変える側に回ろう」という想いです。学生時代に1 か月選挙を手伝ったことを思い出し、選挙というプロセスを踏めば、ルールを変える側に回れると気付いて、公募で手を上げることができました。 ■ルールを変えるということ 「テクノロジーの社会実装で、多様でフェアな社会を実現する」というミッションを掲げて活動しています。これは、先ほど話した悔しい体験から来ているんです。今の日本の制度は、明治維新か戦後に作られたものがベースとなっているものが多いのです。テクノロジーがこんなに進展している前提ではないし、インターネットもなかったし、社会も多様性が低く、特定の人しか知らないことやできないことがたくさんあった。つまり、技術や社会の進展に、制度が追いついていないのです。言い方を変えるとそういう時代に作ったルールを守りながら、私たちは生きている、ということです。この国がなんとなく息苦しい、成長を実感できない理由です。 しかも、戦後に作られたものは、経済も人口も右肩上がりで伸びていくことが前提です。でも今は人口減少化社会。前提も違うのです。 だから、ルールを変えて、今を生きる私たちが、意欲と能力を自由に発揮して活躍できるようにしなくてはいけない。使えるテクノロジーをちゃんと制度に落としこんで、性別とか年齢とか、住んでいるところとか、障害とか、そういう背景的なことは関係なく、どんな人でもフェアに評価される社会にしたいのです。ルールを変えると様々な社会変化が起こります。例えば、2020 年に行政手続きからの押印の廃止を行いました。以前は、行政からの書類にハンコを押すために多くの人が会社に行っていたという事実がありました。しかし、それはコロナ禍では現実的にできなくなったと同時に、多くの無駄を生んでいました。そこで、この現状を踏まえて、「押印」のある法律を、一回の委員会において全部一括で見直すことができました。 押印が消えると、電子契約のサービスが使えるようになり、市場規模は3年間で4倍に成長しました。たった一つの押印という言葉を消すだけで、経済成長が4倍になったのです。これと同様に、ほかにもアナログなルールがたくさんあるのではないかと気づきました。それらルールを見つけ、一気になくすことができないかと考え、岸田政権が誕生した時に、作ったのがデジタル臨時行政調査会という組織です。 ■やりがいや苦労 押印の廃止をする時、様々な企業の人事部や総務部の人たちと共に改正をめざしました。関わった人からは、「自分が制度変更に関われると思っていなかったが、実際やってみると、制度は変えることができるのだと思った」と言ってもらえました。この国のルールは変わらないと多くの人に思わせてきたのは、これまでの政治と行政だったと思います。もっと政治が一般の人たちと一緒になって、法律を作り、抱えている課題を一緒に解決すれば、みんながこの国のルールは変えられるはず。ルールが自分で変えられると思ったら、面白いし、希望を持てますし、そのように思ってもらえることが、私のやりがいの一つです。 ひとつのルールには、それぞれに生まれた背景があります。だから、作った人たちに、突然「ルール変更」といってしまうと、相手も自分たちを全否定された気持ちになります。だからこそ、新しいルールを作るときは、反対しそうな人や、既存のルールの中でビジネスをしている人達と、ゆっくり話すように心がけます。なぜそのルールを作ったのか、大事なポイントは何なのかということを、対話を通じて理解することも大切です。そしてその大事なポイントは守りつつ、「社会環境が変化したからここは変えなければならないですよね」とお互いのゴールを探りつつ、コミュニケーションを取るようにしています。 納得感を得るのは簡単ではありません。しかし、そこを丁寧に解いていくと、協力も得られて、一気に改正に向けて動き出すことができます。 ■人口減少化社会の国の形 この後、全力でやろうとしているのは、「国と地方のバラバラな状態を無くす」という取り組みです。「デジタル行財政改革」という言葉がメディアでも登場するようになるので、ぜひ注目してください。 人口減少による人手不足は役所も同じです。でも人口が増えていく=仕事の担い手も増えていく前提で、ずっと地方分権が進められてきて、同じ仕事が、自治体ごとにあります。役所が逼迫すると、様々な社会経済活動が滞ってしまうので、非効率になり、企業の人手不足に拍車をかけてしまいます。国がまとめてできることはまとめてやり、地域それぞれで必要なことに集中できるようにして、行政サービスのスピードやきめ細かさをあげるようにしたいのです。 ■学生へのメッセージ 自分ではどうしようもないものにぶつかった時は、何とも言えない悔しさや諦めが出てきてしまうもの。ただ、自分の周りの環境は何かアクションをすれば変えられると思って生きてほしいです。そう思ってみるといろんな可能性が見えてきます。自分の努力で自分の未来を切り開けるのだと自覚してください。今までは、政治や行政が皆さんに対して、ルールを変えられないと思わせてしまっていたかもしれません。しかし、これからは、リーダーシップを持って、積極的にルールを変えていくことで社会は変わるのだということを皆さんにお見せしたいと思っています。自分たちもルールは変えられるし、自分たちの環境を変えられると思ってもらえる日本に出来るように頑張りますので、ぜひ皆さんも目の前のルールに阻まれても諦めず、積極的に道を切り開いていってほしいと思います。 学生新聞オンライン2023年10月23日取材:学習院女子大学 3 年 小川莉実

学生新聞インターン

C.I.A. 井阪 郁巳 / 加藤 諒 / 川原 一馬 / 坂口 涼太郎

個性豊かなC.I.A.がつくるエンターテイメントの世界とは ■プロフィール井阪 郁巳(いさか いくみ)1996年2月3日生まれ。奈良県出身。近年の主な出演作として「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」2023、舞台「パタリロ!」~ファントム~、「南都銀行」web CM などがある。ミュージカル「東京リベンジャーズ」にてドラケン役で出演する。 加藤 諒(かとう りょう)1990年2月13日生まれ。静岡県出身。現在はドラマ「ONE DAY〜聖夜のから騒ぎ〜」(フジテレビ)に出演中。映画「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜」の公開や、ミュージカル「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」への出演が控える。 川原 一馬(かわはら かずま)1990年12月26日生まれ。静岡県出身。近年の主な出演作としてハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」シリーズ、ミュージカル「りんご」、ミュージカル「シンデレラストーリー」などがある。今回のSUPERLIVEでは構成を務める。 坂口 涼太郎(さかぐち りょうたろう)1990年8月15日生まれ。兵庫県出身。近年の主な作品として、連続テレビ小説「らんまん」(NHK)、ドラマ「18/40〜ふたりなら夢も恋も〜」(TBS)、舞台「木ノ下歌舞伎『勧進帳』」など。24年夏に公開予定の映画「言えない秘密」に出演する。 C.I.A.(シーアイエー)は、芸能プロダクションの株式会社キューブに所属する俳優による、『Infinity (無限)』な可能性を秘めたアーティスト達のサポーターズクラブ。Cube Infinity Artistsを略して 『C.I.A.』。 メンバーがそれぞれ俳優として個人活動をすると同時に、C.I.A.メンバーとしてもイベントやライブなどを企画開催し、ファンと交流する場を積極的に設けていくために、2017年12月に発足。メンバーは、加藤諒・坂口涼太郎などの個性派の俳優から、TVや舞台を中心に活躍する永田崇人、木戸邑弥、川原一馬、そしてミュージカル『テニスの王子様』、ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』、舞台『鬼滅の刃』などの、いわゆる2.5次元ミュージカルで活躍している阿久津仁愛、井阪郁巳まで、現在は総勢18名が所属している。 2023年12月28日(木)~29日(金)には、2018年から過去3回おこなってきた音楽とエンターテインメントが融合された歌ありダンスあり笑いありの大規模ライブ「SUPER LIVE」シリーズの集大成となる、C.I.A. presents「SUPER LIVE FINAL」が豊洲PITで行われる。 株式会社キューブに所属する人気若手俳優達が集まって生まれたC.I.A.のメンバーである井阪郁巳、加藤諒、川原一馬、そして坂口涼太郎の4名に芸能界で働く彼らならではの話や魅力、そして今年の12月に開催される「SUPER LIVE」に関するお話を伺った。 ■学生時代と芸能業について 井阪:学生業に専念していたように感じます。特に野球や生徒会に力を入れていましたね。もちろん放課後には、友達とカラオケに行くなど青春も満喫していました。幼少期から高校野球に強い憧れがあったのですが、中学三年生の時にした怪我で、夢を諦めることになってしまって。その当時はとても辛かったですが、『タンブリング』というドラマを見て、モチベーションがとても上がりました。見ている人の気持ちも変えることができるというお芝居の力にとても感動して、この世界に強い憧れを持ったことを今でも覚えています。その後、『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』に挑戦して、準グランプリを頂き、念願だった芸能界への道を切り開くことができました。 加藤:僕は、5歳の時にミュージカルスクールに通い始め、学生時代の頃からダンスやお芝居に熱中していました。小学生の時には、すでに子役としてお仕事をしていたのですが、学校には伝えていなかったので先生から呼び出されることも多々ありました。朝ドラに出演したことがきっかけで、芸能活動をしていることが先生たちにばれ、とても驚かれました(笑)長い間このお仕事を続けてきたので、時には自分は芸能界に向いていないのではないのかと悩むこともありました。大学進学の時にも、両親と衝突することもあり、辞め時なのではないかと感じていました。ですが、芸能界でのお仕事は、自分が唯一継続してくることができた上に、ありがたいことにお仕事もいただけていたので、この世界にまだいたいと思い、今もこうしてお仕事させていただいています。 川原:小学生の時に、幼馴染に誘われて、本山新之介さんのダンススクールの見学に行きました。当時はまだ、男の子がダンスをするという風潮がまだなかったのですが、本山さんのダンスに小学生ながら魅了され、ダンスを習うことを決めました。放課後に、週5でダンスのレッスンに通う日々でしたが、忙しいと感じることはなく日々が充実していると感じていましたね。小学校卒業後には、今までよりもダンスに力を入れるために東京に上京しました。中学3年生の時に受けたオーディションでミュージカル『テニスの王子様』に出演することが決まりました。その後も、有難いことに大河ドラマや舞台に出演するなどして、目の前のことを楽しむことができていたように感じます。高校は、芸能科ではなく普通科を選びました。というのも、芸能科に進んでしまったら学生生活までもが仕事のようになってしまうのではないかと感じていたのです。その選択によって、普通に友達と遊び、他愛のない話をするような学生生活をおくることができました。芸能のお仕事と学業の両立に難しさを感じることはありましたが、この選択をしてよかったと思っています。 坂口:小学生の時に、劇団四季の『キャッツ』を見て芸能界に入りたいと思うようになりました。アトピーや赤面症などのコンプレックスを抱えていたのですが、それまでもネタにして周りの人を楽しませるのがとても好きでした。幼少期は、神戸で過ごしていたのですが、周りもそのような子たちが多くて、お互いにいじり合って、笑い合うのが当たり前というような日々を過ごしていました。高校生の時に、芸能の道に進んでいきたいという思いが強くなり、東京に近い神奈川の高校に通うことを決めました。新天地でも、神戸で過ごしていた時のように、自分をネタにして盛り上げようとしたことがあったのですが、神奈川では通じなかった。そのことは、私にとってとてもカルチャーショックのように感じて、神戸に帰りたいと思うことが増えました。そのように感じていた時に、森山未來さん演出のオーデションを受ける機会を頂きました。見事オーディションに合格して、初めて舞台に立つことができました。その後も、高校3年生の時に今の事務所に入ることになるなど、高校3年間は、自分の夢に近づくために、自分自身と表現の分野に全力で向き合っていました。 ■俳優たちが感じる仕事でのやりがい 井阪:『あなたの番です』というテレビドラマで、ベトナム人の少年クオンを演じたときは特にやりがいを感じていたと思います。まさか自分自身の国籍を超えたお仕事をすることになるとは思っていなかったので、オファーを頂いたときはとても驚きました。この役を演じる中で、難しく感じることもありましたが、周りの方からとても反響をいただくことができて嬉しかったです。国籍を超えた演技ができるという期待に演技を通じて答えることができたのではないかと感じています。 加藤:たくさんの面白い人たちと出会えることですかね。僕自身、人と関わったり、会話をしたりすることがとても好きで。この仕事をしていると、個性豊かな方々と一緒に働くことができるのですが、そのお仕事がきっかけとなって仲良くなれることもあるので。そういった人との縁を広げることにつながることは、とてもやりがいを感じますね。 川原:前提として、私にとってお芝居をすることはとても楽しく、夢のようなものだと感じています。しかし、役者という仕事をする上での1番のやりがいは、見てくれている方までも楽しませることができるというところにあると考えています。特に、舞台はお客さまの反応を実際に体感することができますし、誰かの人生に作品が影響を与えることもあるかもしれませんし。この仕事を続けてくる中で、やりがいを感じたとしても大変に感じることもありましたが、楽しさと意地でここまで続けてきています。 坂口:この仕事のやりがいは、役を通じていろいろな人の気持ちがわかるところにあると思っています。また、そこで気づいたことを自分の人生にフィードバックすることもできる。このようなことができるのは、俳優の仕事ならではの魅力だと思っています。また、世界中の面白い人たちとコミュニケーションをとって、作品を作ることができることも、とても楽しいですし、やりがいを感じていますね。 ■ファン感謝イベントC.I.A. presents「SUPER LIVE」への想い 井阪:今回のライブは、C.I.A.を卒業するメンバーたちを送り出す側でもあるので。。。感謝の気持ちを持って、しっかりライブを成功させたいなと思いますね。個性豊かなC.I.A.メンバーたちと共に楽しいライブを作りたいなと思います。ソロコーナーでもしっかり盛り上げていきます!頑張ります!!! 加藤:俳優たちがライブをするってとても特殊なことだと思っています。バラエティ番組でダンスをすることはありますが、ライブというシチュエーションの中で踊ったり、歌ったりする機会は滅多にないので。このライブで、C.I.A.を卒業することになるので、こういった機会もそうですが、応援してくれている方々との交流も当分なくなってしまうと思うと悲しいですが、今までの感謝を伝えられるようなライブをしたいですね。最後の最後だからこそ、たくさんの人に見てもらいたいと思っています。 川原:C.I.A.ができて6年。若手俳優が、私と諒くんしかいなかった時代から、少しずつだんだん広がっていってこのようなライブができるくらいまでに成長しました。SUPER LIVEが始まった当初から、演出に携わらせていただいたりしていたのでSUPER LIVEにかける想いはとても大きいと思っています。俳優は、役がないと生きることのできない職業です。言い換えると、自分自身として前に立つ機会がほとんどない職業だと思います。このSUPER LIVEは自分の本来の姿をファンの方々に身近で見てもらえる貴重な機会です。今回も構成として、ライブに携わりますが、メンバー同士でアイデアを出し合い、それぞれの個性や魅力を発揮できるライブにしたいと思います! 坂口:自分の人生の中で、自分のブロマイドが売られ、ペンライトを振ってもらえることになるとは思ってもみませんでした(笑)このSUPER LIVEはとても楽しくて、C.I.A.のメンバーと仲良くはしゃぐことができる唯一の機会だったので、なくなってしまうと思うと少し寂しいです。ですが、そろそろ潮時のようにも感じていました。私達ではなくて、他のメンバーにスポットライトが当たるよう、C.I.Aの伝統や思いを託していきたいです。そもそも、ライブ自体二年ぶりなので、この期間でどれだけ成長してきたかというところを注目してみてほしいですね。とにかく、みなさんとお祭り騒ぎのような楽しい時間を共に過ごしたいと思っています! ■学生へのメッセージ 井阪:自分を信じて、夢を諦めずに自分の道を進んでいってください。人のご縁を大切に!!! 加藤:自分のペースでいろいろなことに挑戦してみてください。また、大学で出会う人々、目指しているものが近い人々との出会いは人生の中で価値のあるものになると思っています。出会いやご縁を大事にしてみてください。 川原:学生時代は、人と比べがちになってしまうと思います。ですが、そこで焦るのではなく、その時にできることをして、自分と向き合う方が人生豊かになると思うのです。ぜひ、今しかない時間を楽しんでください。 坂口:恥を捨てて適当にもがけ! 学生新聞オンライン2023年10月12日取材 国際基督教大学1年 渡邊和花 記事構成:上智大学2年 吉川みなみ

イベント・企業紹介

ぐるなび総研 2023年「今年の一皿®」記者発表会

食を主要テーマにさまざまな調査・研究を行い、その成果や提言を広く発信する株式会社ぐるなび総研。優れた日本の食文化を人々の共通の遺産として記録に残し、保護・継承するために、2014年から「今年の一皿®」の選出を始めた。選出条件は、①その年に流行または話題になり、②その年の社会の世相を反映し、③かつ食文化として受け継ぐ価値があること。「今年の一皿®」は今年で10回目となり、日本の食文化を国内外へ発信するとともに、そのさらなる発展が目指されている。 2023年「今年の一皿®」:ご馳走おにぎり 【選定理由】・具材のしるしが食欲をそそり、見た目の華やかさからSNSを中心に話題となった。・豊富な具材から選べる楽しみと飲食店で握りたてを味わうスタイルが消費者に受け、ご馳走へと進化した。・おにぎりの消費支出額が増加傾向にあり、専門店の新規開業が相次いで、中・外食の精米消費を後押しした。・海外でも”ONIGIRI”の名で販売し、日本の伝統的な食文化を浸透させつつある。 準大賞:米粉グルメ 輸入小麦の高騰が長期化する中、代替品として供給が安定している国産米粉への注目が集まった。近年の健康志向の高まりを受け、低グルテンメニューとしての広がりも期待できると評価された。 食のポシビリティ賞:陸上養殖魚 環境問題の影響を受けにくく、持続可能な水産支援となる。鮮度維持や輸送コストの削減、先端技術による品質向上が期待されると評価された。 ノミネート:ホタテ 諸外国での水産物禁輸措置を受けた余剰在庫に対し、大手外食チェーンでのメニュー展開・ふるさと納税の返礼品などを通じた支援が行われた。国内における販路拡大やメニュー提供など消費が高まる可能性があると評価された。 ※「今年の一皿®」が食べられるお店はこちら、過去の「今年の一皿®」はこちらから。 記事構成:上智大学2年 吉川みなみ

和田真帆

アニメーション監督 大塚隆史

作品を見てくれる人々に楽しい時間を提供したい アニメーション監督 大塚 隆史 (おおつか たかし) ■プロフィール1981年、大阪府出身。東映アニメーションにて『ふたりはプリキュアMax Heart』で演出家デビュー。『映画 プリキュアオール スターズDX1 ~ 3』『スマイルプリキュア!』を監督として手掛けた後フリーランスとなり、2019年に『劇場版 ONE PIECE STAMPEDE』、2021年にテレビアニメシリーズ『三代目 JSB キッズアニメ KICK&SLIDE』を脚本・監督。2022年には映画『ハケンアニメ』内の劇中アニメ『運命戦線リデルライト』の監督を務めた。 『ふたりはプリキュアMax Heart』や『劇場版ONE PIECE STAMPEDE』など日本を代表する数々のアニメの制作に携わってきた大塚隆史監督。今回、ディズニープラスが手掛けるファンタジーアドベンチャー超大作『ワンダーハッチ‐空飛ぶ竜の島‐』のアニメーションパートを監督した。<実写>と<アニメ>で一つの物語を描くという映像表現を用いる本作は監督にとっても新たな試みだ。作品への想い・見どころや仕事のやりがいについてお話を伺った。 幼い頃からアニメーション監督を目指していたわけではなく、ただ絵を描くことが好きという程度でした。現在に繋がる専門学校への進学を決めたのは高校3年生の時です。周りの人がみな当たり前に大学進学を選択する環境の中で、自分にはピンとくるものがなかった。そんな時、スタジオジブリ・宮崎駿監督の『もののけ姫』の誕生秘話に着目するドキュメンタリー作品に出会ったんです。それまで考えたこともなかったアニメにまつわるお仕事を知り、興味を持ちました。その後、専門学校の見学で自分の絵をアニメーションする体験をした時、非常に感銘を受けました。とても衝撃を受けて面白いなと思ったので、その専門学校に進学することにしました。卒業後、ご縁があって入社した東映アニメーションで様々な作品に関わっていく中で、その都度、目標を見つけていきました。その時々の目標に向かって進んでいくうちに、気づいたらアニメーション監督になっていたという感じです。 ■自分たちの生み出したものを楽しんでくれている人たちがいる 『プリキュア』シリーズの成功は、自分の中で非常に印象的な経験です。今でこそ定番化しているプリキュアですが、開始当初は世間にどう思われるか、いちスタッフとしてとても不安でした。原作もない、まっさらな状態からの制作だったからです。しかし、放送開始後、すぐに続編や映画上映が決定するなど、思っていた以上の良い評価に驚きました。街中でもコラボお菓子やグッズを身に着けた子どもたちを目にするようになって、「誰も見ていないと思っていた僕らの仕事が世間に注目されている」と実感して、素直に嬉しかったです。自分がプリキュアの映画を監督した際には、自ら映画館に行って一番前か後ろの席に座って、観客席全体を眺めては、観てくれている方々の反応を観察したりもしましたね。自分たちの生み出したものを楽しんでくれる、喜んでくれる人がいることが目に見えて分かったとき、改めてこの仕事にやりがいを感じました。常に放送や公開などの絶対的な締め切りがある仕事なので大変なときもありますが、好きでやっていることなので、仕事とプライベートの境界線が曖昧で、ずっと仕事と言うかアニメ作りに没頭していました。それが全部楽しいんですよね。そういう意味で、この仕事に自分は適性があったんだなと思います。 ■アニメと実写の2つの世界『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』を通しての挑戦 『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』のお話を頂いたとき、単純に面白そうだなと思いました。アニメのキャラクターが実写にやってきたという設定はありそうでなかったからです。僕自身、20年ほどこの仕事を続けてきてルーティン化してしまっていた部分もあり、いつもとは違う今回の企画にぜひ挑戦してみたいと思いました。実写の監督と1つの作品を作り上げていく今回の制作は新鮮でしたね。アニメの世界を作る際には、実写の監督、萩原さんの世界観を忠実に再現することを特に重要視しました。すでに練り込まれた世界観が存在していたので、アニメとしてもそうありたいという想いが強くあったんです。そのために実写チームと円滑なコミュニケーションを心がけました。本作では、空を飛ぶシーンやドラゴン、異世界の言語が登場します。こういった“異世界の常識”について、他のスタッフたちがどういったイメージで作り上げているのかを念入りに確認しました。さらに、作り上げられた世界観にコミットして、自分にできる+αを提案したりなどもしましたね。完成した作品を観て、素直に「面白いな」と思いました。普段は「もっとこうすればよかった」と思う部分にばかり目が行ってしまうのですが、今回はすごくフラットに観ることができたと思います。本作を御覧になる方には、今回の大きな挑戦である実写とアニメの融合感はもちろん、アニメの画にも着目してほしいです。ドラゴンのアクションシーンなども見応えがあると思います。最後までわくわくしながら観てもらえたら嬉しいですね。 ■反応をもとにブラッシュアップしていく 日頃は、「もらったフィードバックを活かす」ことを大切にしています。自分の特性としても、反応をその後に活かすことを日常的に行っているような気がします。自分では「いいな」と思った部分が意外とうけないことも多々あります。そんな時はなぜこのようなギャップが生まれてしまったのか、研究して次回に活かしてやろうという気持ちになります。実際、プリキュアの映画も3回連続で監督をするとその積み重ねで良くなっていったと実感していました。作品を作るにあたって、自己表現に完結しない、独りよがりにならないようにということを強く意識しています。なぜなら、人々に楽しんでもらえる作品でないと僕にとってはあまり意味がないからです。その意味で、今回の『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』では世界中の人々の反応が見られるのではないかという点でも、非常に期待しています。もしまたこういった作品に関わる機会があれば、今回の経験を活かしてよりよいものを作りたいですね。今後も見てくれる人に楽しんでもらうことを目標に据えた作品作りを行っていきたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 目標や夢が定まっていない人へ。僕もまさか自分がアニメーション監督になるとは思っていませんでした。想定していたものと違う未来になることは全く悪いことではありません。今、興味があることに積極的にチャレンジしてほしいです。他人のことは気にせず、紆余曲折してもいいと思います。そうして進んでいく中で自分の適性ややりたいことが見つけられると思います。一生懸命動いていれば、きっとその先に良いご縁や出会いに巡り合えると思います。 学生新聞オンライン2023年11月15日取材 上智大学2年 池濱百花 / 日本大学4年 和田真帆 『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』■配信:ディズニープラス「スター」で12月20日(水)独占配信 ■監督:萩原健太郎■アニメーション監督:大塚隆史■脚本:藤本匡太、大江崇允、川原杏奈■原案: solo、日月舎■キャラクター原案・コンセプトアート:出水ぽすか■プロデューサー:山本晃久、伊藤整、涌田秀幸■制作プロダクション:C&Iエンタテインメント■アニメーション制作:Production I.G■キャスト:中島セナ、奥平大兼、エマニエル由人、SUMIRE津田健次郎、武内駿輔、嶋村侑、三宅健太、福山潤、土屋神葉、潘めぐみ、宮寺智子、大塚芳忠田中麗奈、三浦誠己、成海璃子/新田真剣佑(友情出演)、森田剛■話数:全8話■© 2023 Disney

コラム

テリー伊藤 コラムVol.15  2024年、時代はHappy富士山!

先日関越自動車道を軽井沢に向かって埼玉県の大宮辺りを走行中、突然目の前にビックリするほど大きな富士山が現れた。混雑を抜けて東京から北西に1時間走った地で、富士山がこんなに大きく見えるなんて!秩父の山々とは一線を画す雄大な佇まい、雪に包まれた姿は本当に美しい。浅間山を目指していたのに、嬉しい出会いだった。旅先で突然富士山に遭遇すると元気が出てくる。更には歌も歌いたくなる。そしてスマホで撮影したくなるのは私だけではないはず!富士山の見える街に住みたいというのは日本人の夢かもしれない。 そこで調べてみました。どれだけ遠く離れた街で富士山が見えるのか。ちなみに確認出来る最も遠い場所は和歌山県の色川富士見峠とされている。富士山からなんと322キロも離れている。北は福島県北郡、南は東京都の八丈島、南は千葉県銚子市のポートタワーからも見えるそうだ。冬になると中央線から丹沢、奥多摩、秩父越しにその姿がくっきり見えるという。日本各地から臨みたくなった!情けない事に私は一度も登頂したことはないが、富士景勝地巡りは今からでも出来そう。以前山梨県富士吉田市で間近で見た時の清々しい気分と高揚感をまた味わいたい。 それにしても富士山偉い!時代がどんなに移り変わっても常に人々の心を豊かにしてくれる。喜びも悲しみも受け止めてくれる。江戸時代、東海道を行き交う旅人がどんな思いで富士山を眺めて旅していたのか・・・想いを馳せるだけでも楽しくなってくる。 2024年の目標が出来ました!「富士山の見える街を旅する」こと。富士山を一望できる宿に泊まるも良し、日帰り旅行も良し、絶景温泉も楽しそうだ。静岡、山梨辺りでは富士山に便乗した名産品が沢山あるのでお土産に買いたい。先日食べた富士山型オムライスは微妙だったが、雪どけ湧水ミネラルウォーター、富士山の形のプリンや湯飲み等など…。河口湖で見たラベンダーの香り付フジヤマ石鹼は目に留まった。 話が逸れてしまったが、みんな富士山が好きなことに変わりはない。お正月にテレビ中継される箱根駅伝マラソンに登場する「新春の富士山」のカッコイイ姿には、しばし走る選手を忘れて画面を見入ってしまう。私、決めました!スタートはお約束の日本橋、そして目指すは箱根八里に行きます、車で。 厳しい寒さの冬、早起きをして見る富士山は美しく神々しい。「今年一年ご利益がある」と思えるに違いない。東京から近い湘南葉山でも江の島を従え夕日に染まる富士山を息を吞むほど綺麗に見ることができる。皆さんも地図を片手に富士見探索楽しんでください! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 執行役員 古高大輔

高い視座、広い視野を持ち、行動し続ける。 デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 執行役員 古高大輔(コダカ ダイスケ) ■プロフィール 1998年に上智大学を卒業後、外資系コンサルティング会社やITベンチャーなどを経て現職。現在は業務オペレーション変革やテクノロジー戦略立案、DX人材の育成や社会課題対応など、西日本地域の産官学民の諸課題の解決に取り組んでいる。 日本で最大級のプロフェッショナルグループのひとつであるデロイト トーマツ グループにおいて、コンサルティングに取り組む。学生時代から社会課題への関心が強く、「自分に何ができるか」を常に意識してきたという古高大輔氏。そんな高い視座、広い視野を持ち続けてきた古高氏に、諸課題への向き合い方を伺った。 私の学生時代を振り返ると、バブル崩壊直後で、経済的に不透明な時代でした。また、政界再編 、阪神淡路大震災やオウム真理教事件など世間を揺るがす大きな事象が相次いだこともあり、社会やマクロな課題に自然と目がいきがちだったかと思います。また、塾講師など教育関連のアルバイトをやっていたのですが、様々なタイプの生徒に対してどのようにコミュニケーションを取るかに苦心をしつつ、工夫をしていました。社会課題への関心から、当時はマスコミ関係の道に進むのかな、と漠然と考えていました。それもあってサークルでは弁論部に属し、様々なトピックについて学びとディスカッションを重ねる日々を送っていました。いざ就職となり、景気の問題、また終身雇用の崩壊が始まった頃でもあったことから、大企業に勤めてゼネラリストとして成長するということではなく、専門性を磨いていくスペシャリストとしてのキャリアを考え始めました。そのタイミングで、発展途上にあり新卒の採用も目立ってきていたマネジメントコンサルティング業界に関心を持ち、志望、そして入社するに至りました。新卒で入社したコンサルティング会社では、業務改革やパッケージシステムの導入に伴う諸変革に関わるプロジェクトを多く経験しました。若手の時からリードロールを任せてもらえるなど充実した日々を過ごせたかと思います。 その後、ビジネスとして違う面を経験したいという思いから、Webコンテンツや商用の電子新聞を手がけるベンチャー企業で営業やプロジェクトマネジメントなど幅広に奔走する日々を過ごしました。全国津々浦々の顧客を訪問しつつ、コンテンツの発行、運用も担うなど、働き方としては今では大きな声で言えない日々が続きました(笑)。多くのことを学べたのですが、一方で、クライアントと話を重ねる中で、プロダクトやソリューションありきの提案に難しさも感じるようになってきました。そして、自己の中でのあるバランスを取ることが難しくなっていたのです。そのバランスとは「やりたいこと、やれること、やらなきゃいけないこと」でした。その思いから再びコンサルティングの世界に戻ろうと決意し、今に至ることになります。 ■なぜ現在のデロイト トーマツ コンサルティングへ? デロイト トーマツに入社した背景には、私の社会的な関心や価値観、地域に対して貢献したいという意識が影響していると考えています。学生時代から社会の事象に興味を抱き、社会的な価値にどう貢献できるかを考えていました。その中で、デロイト トーマツが他のファームより早くから地域に根ざして、地域の課題に目を向けつつ、価値提供をしていることに魅力と可能性を感じたのです。入社後は、主に西日本の担当として広く活動をしています。プロジェクトとしては、クライアントと伴走をさせていただき、構想から実現まで一貫して、また長期にわたって支援させていただくことが多いと考えています。 ■バイアスをかけないことの大切さ 仕事を進める上で大切にしているのが、バイアスをかけないことです。データや事例、また経験則から事象を捉える際にも、また様々な方々とコミュニケーションをする際にも、バイアスをかけずに、広い視点、視野を持つことが重要になってきます。 ■どんな人と働きたいですか? ご自身の想い、自分の意志を持っている方と働きたいです。「私はこういうことに関心があって、こういう想いを持っています、こういうことをやっていきたいです」と仰るとすると、それがご自身で考えられて、ご自身の言葉でお話ができる方、ということがまずものお話かと思っています。あとは、客観的、俯瞰的にものをみようとする方です。例えば就職時の面接のシーンを想像していただければと思いますが、「自分が面接官だったら自分をどう思うか?」「自分のエピソードを振り返った時に、どこに凄さがあるのだろうか。うまくイベントが成功したから?動員数が多かったから?お金を集めたから?」など、突き詰めて考えればもっと話せることもあるかと思います。 ■大学生へメッセージ 世の中、社会も、またご自身、周辺も変化をし続けています。そのなかで悩み、考え、上手くいくと思っていても挫折することもあれば、コントロールできない状況に陥ることもあるかと思います。しかし、「明けない夜はない」といわれるように、状況が好転するときは必ずやって来るはずです。どんな人と働きたいか、という点でも触れましたが、ご自身の考え、思いや言葉を意識し、不断の努力を持って何事にも取り組んで頂ければと思います。 学生新聞オンライン2023年8月14日取材 関西外国語大学4年 岡崎友哉

学生新聞インターン

株式会社サンウェルズ 代表取締役社長 苗代亮達

他と違うことをする。それが成功の鍵。 株式会社サンウェルズ 代表取締役社長 苗代亮達(なわしろりょうたつ) ■プロフィール 1973年7月20日 石川県生まれ。2001年に株式会社アイテムを起業。2006年、株式会社ケア・コミュニケーションズ(現:株式会社サンウェルズ)創立し、介護施設の運営を開始。その後2011年介護施設運営会社2社を吸収合併し現在の株式会社サンウェルズへ商号変更、代表取締役社長に就任。2018年に現在運営の軸となる『PDハウス』事業を開始。 従業員1人の小さな会社から上場を果たした株式会社サンウェルズ。その代表である苗代亮達氏は、高校中退からの大学受験を成功させるも腎臓病に罹り、大学中退を迫られた過去を持ちます。しかし、そこから新しい介護のあり方を確立した経緯と介護業界の最先端を伺いました。 高校時代は地元・石川県でサークル活動に明け暮れていました。やんちゃで、勉強もせず、3年の時に高校を中退し、いろいろな仕事を経験しました。18歳か19歳の時に「大学に行きたい」と思うようになり、大検(大学入学資格検定)を取得するため、通信制の高校に通いました。大検を取得した後は、予備校に入り、なんとか埼玉県の大学に入学できました。しかし、入学してすぐ腎臓病に罹ってしまい、治療のため長期で入院することになりました。大学休学の費用もかなり高額だったので、入ったばかりの大学を中退することにしました。高校中退、大学中退と面白い経歴になりましたね(笑)。度重なる入退院と治療を繰り返し、25歳の時に専門家の治療を受け、今ではほとんど症状はありません。手術で摘出したので、腎臓は6割程度しか機能していませんが、ゴルフ、キックボクシング、マリンスポーツなども楽しみ、なんの問題も無く生活しています。 ■周りに迷惑をかけたくなくて起業 25歳まで腎臓病の影響で社会に出ることはできませんでした。病気のことで周りに迷惑をかけたくなかったので、起業して、1人で細々と働くことにしました。どんな分野で起業するかを考えたとき、病気や障害を持つ高齢の方に、自分の長い入院経験が役に立つのではないかと思い、介護を選びました。また、日本には2000年4月に介護保険ができ、介護認定を受けた方のご自宅に手すり設置などのバリアフリー工事を行うと、国が9割負担してくれるようになりました。しかし、工事の上限金額は20万円と少額なので、小さい規模の工事しかできないとの問題もありました。「手すりをつけるくらいなら自分でもできる」と思い、バリアフリー専門の工務店を創業しました。4〜5万円の小さな仕事ばかりを相手にしていられない普通の建築屋さんと差別化するため、小さな工事でも一生懸命やるように心がけた結果、たちまち仕事が増えていきました。そのうち1人では仕事が回らなくなり、最終的に10人くらいまで社員を雇いましたね。 ■人と同じことをやっていては成功できない 事業が大きくなってきたある日、「介護施設もやってみないか」というお話をいただきました。当時の介護施設は収容所のような場所が多かったのですが、たまたま富山県で見学した古民家を利用したデイサービスがアットホームで雰囲気も良かったので、その施設を参考に石川県で初めての古民家デイサービスを開始しました。その後、デイサービスに宿泊やリハビリなど新たな要素を加えたサービスを開始しました。人と同じことをしては成功しない。だから、人がやっていないことが何かを常に考えていました。その時に施設の利用者様の中にパーキンソン病の方が30名ほどいたのですが、どの方も施設に入ると病状が悪化することに疑問を抱きました。そこでパーキンソン病に特化した施設を思い付き、地元で建ててみたら、とても大きな反響がありました。自分が闘病した病気が、腎臓の専門医と出会い回復したことから専門医の重要性を強く意識していました。脳神経内科の専門医が訪問診療してくれるパーキンソン病に特化した施設が国内外になく、世界的に認められる可能性があるなと思い、専門のドクターと一緒にサービスを考え、論文も書いていただきました。さらに、職業として介護業界は不人気の業界なので、上場してブランド力を上げれば、業界を盛り上げることもできます。規模を大きくするためには採用が重要ですが、介護業界は不人気なので人材が集まりにくい。だからこそ、上場して、営業や利益管理まで徹底することで、事業自体を底上げ式に強くすることを意識しています。 ■なぜ介護業界には特化型施設が少ないのか? 2000年に介護保険ができた頃は、高齢化も進み、施設を作れば集客しなくても人が入ってくる状況でした。しかし、最近になり、競争が厳しくなって、倒産する会社まで出てくるようになりました。以前のような状況からこれまでやってきた企業は、差別化の仕方や採用方法が分からず、業界全体としてビジネス面で出遅れているのが業界の現状です。当社の施設運営の方針としては国内で一般の介護施設に入っているパーキンソン病の方は約4万人もいるので、他の病気に特化した施設は今まだ考えてないですね。会社の体制も整えて、出店数も増やしてはいますが、1店舗建てるにも億単位の費用がかかり、60〜70人近い従業員が必要になるので、まずはパーキンソン病の方に一生懸命向き合っていこうと思っています。よりクオリティの高いサービスを届けるため、施設では『ホロメディスン』という3D遠隔治療を可能にする実証実験を始め、多くの人が手軽で正確な診療を受けられるようなサービスづくりに取り組んでいます。 ■大学生へのメッセージ 最近の学生は非常に優秀な人が多いように感じます。それこそ情報がたくさんあるので、知識も得やすいはず。これからはそういった知識を活かして、世界でチャレンジしていってほしいと思いますね。あとは、どんどん稼いでいってほしいですね。「車も服も安くていい」みたいな人が少し増えてきているので、欲を抑えずに、それでいて迷惑をかけずに成功していってほしいと思います。 学生新聞オンライン2023年月日取材 立教大学4年 須藤覚斗

イベント・企業紹介

第49回 ANAオープンゴルフトーナメント

大会名称:第49回ANAオープンゴルフトーナメント開催日程:2023年9月14日(木)~17日(日)の4日間開催場所:札幌ゴルフ倶楽部・輪厚(わっつ)コース〒061-1264 北海道北広島市輪厚77 TEL:011-376-2231主催:全日本空輸株式会社運営協力:ブリヂストンスポーツ株式会社 2023年9月14日から4日間にわたり、北海道北広島市にある札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コースにおいて第49回ANAオープンゴルフトーナメントが開催されました。北海道の自然を雄大に感じながら、ゴルフ界の頂点を争う見どころいっぱいの大会でした。ANA事務局のみなさまへ大会に向けてどのような準備が行われているのか、その裏側についてお聞きしました。 取材協力:ANA事務局 全日本空輸株式会社 CX推進室 業務推進部 総務人事チーム 蓑原 規文(みのはら もとふみ) / 正見 大志(しょうけん たいし) ■ダイナミックで景観豊かなコース1973年よりANAオープンゴルフトーナメントを開催し、今年で第49回目を迎えました。こちらの輪厚コースは、自然あふれる景観美が楽しめる非常に見どころのあるコースです。バラエティ豊かなコースなので、男子プロゴルファーのダイナミックさと多彩なテクニックを感じることができるのではないでしょうか。選手たちがどのように攻略していくのかも興味深いですね。ゴルフの魅力は、雄大な自然の中でプレーできること、そして自然を感じながら、プレーを通して人と交流できるところだと思います。プレーする側だけではなく、観戦者にもベストポジションで見ていただけるように、スタンド席の位置を工夫しています。一人でも多くの方に楽しんでいただければ嬉しいです。 ■北海道北広島市との繋がり私たち事務局では、大会に向けた準備や協賛企業との提携、広報活動などを行っています。今年は記録的な猛暑の影響で芝焼けが多かったのですが、札幌ゴルフ倶楽部様が昼夜問わず懸命に整備してくださったおかげで、無事開催することができました。開催1日目も大雨で中止になるなどハプニングもありましたが、今日は晴れて本当に良かったです。また、ANAオープンゴルフトーナメントでは、地元北海道とのつながりを大切にしています。本大会では、ギャラリープラザというコーナーにおいてふるさと納税等の商品を販売しております。北海道の美味しい料理を堪能することができるだけでなく、地域活性化にも貢献しています。来年は50回目ということで、半世紀を迎えます。一過性では終わらないよう、地元北広島市から優勝者が出ることで世界との繋がりを作ることができることを目標に頑張りたいと思います。 ■大学生へのメッセージ学生の持っている力は無限大です。夢に向かって努力することは、とても素敵なことです。たとえ周りに反対されても、自分で可能性の限界を決めず、夢を全力で追いかけて欲しいです。 特別に選手のみなさまにもゴルフの魅力などを伺いました。 ■選手インタビュー 1位 谷原 秀人(たにはら ひでと) 周りの刺激をうけて、練習に注力するようになり、次第にプロを目指すようになりました。大変なことは、一年をとおしてコンディションを一定に保ち、アップダウンをできるだけ少なくすることです。調子が悪くても、期待しない方がいいし、調子が良い時はそれを抑えるということを意識してプレーしています。ゴルフの魅力は、年代を問わず、子どもとも一緒にプレーできる、そして全世界で出来るという点だと思っています。大学生には、常に目標を見つけ、それに満足せず新しいものを見つける欲を持ち続けて欲しいです。 4位タイ 今平 周吾 (いまひら しゅうご) 父親の影響でゴルフを始めてからというもの、小学生の頃から毎日遊びに行くような感覚で練習場に通っていました。とにかくゴルフが大好きで、せっかくやるからにはプロを目指したいと思うようになりました。飛距離だけではなく、パター等のアプローチの仕方によって自分より強い選手にも勝てるチャンスがある。ここにゴルフの魅力を感じます。もちろん上手くいかずに辛いこともありますが、自分の好きなことを仕事にできることはとても大切なことだと思います。 6位タイ 蝉川 泰果 (せみかわ たいが) ゴルフに触れるようになったのは、1歳半の頃です。ゴルフ好きな父が、アンパンマンのおもちゃのクラブをプレゼントしてくれたことがきっかけでした。初めてクラブを握ってからというもの、保育園生の頃にはすでにプロを夢み、小学校3年生で初めて大会に出場しました。ゴルフは1人で長い時間をかけてプレーする競技なので、上手く飛ばないときは苦労します。しかし、上達するための解決策を考え、練習を重ねてこそ、ボールがカップに入った瞬間はたまりません。私も昨年まで大学生で、プロゴルファーを目指して努力し続けた結果、夢を掴むことができたと思っています。諦めずに頑張れば夢は叶うということを伝えたいです。 16位タイ 金谷 拓実 (かなや たくみ) ゴルフは、両親の影響で始めました。ゴルフの最大の魅力は、年代を問わずに出来ること、そして他人ではなく自分との戦いであるというところだと思います。練習では大変なこともたくさんあります。しかしその辛さや苦しさという経験が、結果として大会に出てくると思っています。大学生活を送る上で、楽しいことも辛いこともあると思います。その感情や思い出はかけがえのないものなので、一日一日を大切に過ごして欲しいです。 20位タイ 堀川 未来夢 (ほりかわ みくむ) 小学生の頃、兄と一緒に父親の練習場に通っていたことがきっかけでした。テニスや水泳などもしていましたが、高校時代に競技ゴルフ部に所属したことが、進学先を考える上で重要な要素となりました。プロへの道を決意したのは大学3年で、プロの中ではかなり遅いスタートでしたね。しかし、1つの事に夢中になって極めたことが、現在の仕事に繋がったのだと思っています。様々なご縁があって積み上げられたこそのゴルフなので、年をとっても続けていきたいです。 44位タイ 池田 勇太 (いけだ ゆうた) ゴルフは祖父の影響で始めました。幼い頃から、ゴルフに対してとても魅力を感じ、始めてすぐにプロを目指そうと思いました。好きなことが仕事になると、楽しいことばかりではありません。身体の調子など様々な壁を乗り越えていくために、その時の気持ちをどのように組み立てていくかということをとても大事にしています。今後もプロとして、飛距離やテクニックがテレビ越しでも伝わるようなプレーをしていきたいです。大学生活は、自分の人生の中でもかけがえのない思い出です。大学生の時のつながりは今でも大切にしているので、皆さんにも素敵な仲間との出会いを大切にして欲しいです。 石坂 友宏 (いしざか ともひろ) 両親の影響でゴルフを始めました。もともと野球をしていたのですが、チームスポーツではなく、大会を通して様々な人と出会えることがとても魅力的だと感じ、惹かれるようになりました。プロを目指したのは、中学生の時に出場した大会での予選落ちがとても悔しかったことがきっかけです。ゴルフは天候やコースで変わってくるので、そこが楽しさであり難しさでもあります。自然の中でできることも大きな魅力ですね。大学生には、これから先様々なことがあると思いますが、何事にもまっすぐ一生懸命に取り組むことが未来につながると思います。頑張ってください。 学生新聞オンライン2023年9月15日取材:立教大学3年 緒方成菜 / 上智大学2年 白坂日葵  

大川知

俳優 若葉竜也

人間の多面性を大事に、生々しく演じることで共感を掻き立てる 俳優 若葉 竜也(わかば りゅうや) ■プロフィール1989年生まれ、東京都出身。2016年『葛城事件』でTAMA映画賞・最優秀新進俳優賞を受賞。NHK連続テレビ小説『おちょやん』(20)で注目を集める。主な出演作は『愛がなんだ』(19)、『生きちゃった』(20)『AWAKE』(20)、『街の上で』(21)、『あの頃』(21)、『くれなずめ』(21)、『前科者』(22)、『窓辺にて』(22)、『ちひろさん』(23)など多数。現在、『愛にイナズマ』(23/石井裕也監督)が全国公開中。公開待機作に、『ペナルティループ』(24年3月公開予定/荒木伸二監督) 人間味溢れる演技で、観客に鮮烈な印象を残す若葉さん。映画『市子』では、主人公である市子の恋人・長谷川義則を演じ、恋人の真実を知る過程の心の機微を繊細に表現する。物語の軸を握る長谷川を演じた若葉さんに、役を演じる上で大切にしていることや、『市子』の見どころについて聞いた。 小さい頃から役者をやっていました。ただ、高校生の時は役者をやりたくなくて、アルバイトに明け暮れていました。幼い頃から役のオーディションを受け続けていたこともあり、「俺は人生で何回テストを受ければいいんだ?」という想いから、将来、大学進学は考えていませんでした。卒業後、周囲が就職していく中、学生時代と変わらない生活をしていたのは自分くらいだったので、24、25歳の時は役者である自分に嫌気がさしていました。映画『葛城事件』のオーディションの話をもらったのはちょうどその時期でした。このオーディションに落ちたら俳優を辞めるつもりで受けたところ、合格し、新人賞をいただくことができました。役者としてしっかりやっていこうと思ったのはそこからです。役者としっかり向き合うようになってからは、この仕事には大きな責任があり、求められることに応じなければならないという想いから緊張を感じるようになりました。しかし、毎回作品と向き合って、緊張から逃げずに戦い切ることで、少しずつ自信に繋がっている感覚があります。 ■「そこに生きる」市子と長谷川 オファーが来た時は、既に杉咲花さんが市子を演じることが決まっていて、市子というとんでもない人物を杉咲さんがどう演じるのかに興味がありました。その演技を長谷川として一番近くで見たいと思ったのが、オファーを受けた大きな要因です。実際に共演してみて、「杉咲花という人は別格なんだな」「こんなレベルに到達しているのか」と驚かされました。突飛なことやエキセントリックなこともせず、「そこにただ生きる人」を見事に演じていて、一つひとつの瞬間が嘘ではなく、細胞レベルで表現していると感じました。例えば、僕が声のボリュームを上げて話すと杉咲さんもボリュームを上げて返してくれたり、色々なことを感じとりながら嘘のない表現を自然にやってのけていました。そんな杉咲さんの「市子」という人物への造形の深さもこの映画の見どころの一つだと思います。実は、僕はあまり長谷川に共感するところはないんです。最も共感できなかったのは、長谷川が3年間一緒に暮らしていた市子の過去に介入していかなかった点です。それを優しさからだという人もいますが、僕は大切な人の真実を知るのが怖いから聞かなかった、長谷川の弱さやずるさからきた行動だと思っています。僕はどんどん介入してしまうタイプなので、「役になりきる」というよりは、長谷川という人間の一番近くにいる人・存在として、「一番同情して話を聞いてあげられる人になること」を心がけていました。 ■多面性を大事に、生々しい人間を演じる この作品は観客も一緒に市子の過去を辿ります。どれだけその過去を新鮮に、生々しく見せられるかが試されていると感じ、とても緊張しました。長谷川を演じる上で、何より大事にしたことは「決めつけない」ことでした。形骸的にならないように、「こういう風に演じよう」と決めることはしませんでした。多面的であるのが人間だから、「この人物ならこうする」と決めつけてしまえば嘘っぽいただのキャラクターになって、人間ではなくなってしまうという思いが強かったんです。だから、市子の真実を知る場面の台本もざっとしか読みませんでした。長谷川と市子の時間を中心に考えて、あとは周りの役者さんの声や汗、熱量など現場に委ねました。決めつけないで、鮮度を大切にすることが、人物造形として生々しくなるのかなと思います。 ■観客が共感し心動かされる人間らしさ 一人の視聴者として映画を観ていて、「普段生きていてそんなこと言わないでしょ」とか、「24時間ずっと格好良かったり可愛かったりする人なんかいない」と感じることがありました。例えば、映画の中でわーっと泣く登場人物。泣こうと思って泣いている役者さんを観ても、「映画の中の人」という感覚が強くて、感情移入や共感ができないんですよね。少なくとも、人前で恥ずかしげもなく号泣した経験は僕にはありません。日常生活では怒ることや泣くことを我慢して、なんとか感情を押し殺している人が大半だと思います。だから、人前で号泣してしまう人は、普段から感情を押さえて我慢することができている人で本当は強い人なんじゃないかと思います。そんな風に普段押さえ込んでいるものがドロっと出てしまう瞬間を映画の中に組み込みたいという意識がずっとありますし、そんな瞬間こそが観る側にとっても一番心が動かされるのではないでしょうか。役作りはあまり意識したことがなくて、周りの人とのコミュニケーションから得たヒントを、役として表現している感じに近いです。 ■大学生へのメッセージ 僕が20代の頃、夢ややりたいことがないことをコンプレックスに思っている人が多くいました。夢ややりたいことがある人が立派で、そうじゃない人は不安定だという風潮があったんですね。でも、夢ややりたいことがなくても負い目に感じる必要は全然ありません。僕は昔から抱負や展望が本当になくて、健康にご飯を食べられれば満足です。周りの大切な人たちを優先して、仕事のために生きるのではなく、生きるために仕事をしていきたいと思っています。例えば「好きな人ほしいんだよねー」って、言う人がいるじゃないですか。でも、簡単に好きになれるなら、本当に好きな人とは呼べないかもしれないですよね。それと同じで、「見つけたい」と思っているうちは、本当にやりたいことは見つからないのかもしれません。「あいつ中途半端だな」と思われても良いから、いろんなことに手を出して、挫折をして、琴線に触れるものを見つけることが大事だと思います。 学生新聞オンライン2023年11月6日取材 津田塾大学4年 大川知 『市子』12月8日(金)テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開 杉咲 花若葉竜也森永悠希 倉 悠貴 中田青渚 石川瑠華 大浦千佳渡辺大知 宇野祥平 中村ゆり監督:戸田彬弘 原作:戯曲「川辺市子のために」(戸田彬弘)脚本:上村奈帆 戸田彬弘 音楽:茂野雅道 ©2023 映画「市子」製作委員会配給:ハピネットファントム・スタジオ https://happinet-phantom.com/ichiko-movie/

大野詩織

monoAI technology株式会社 取締役COO 山下 真輝

メタバースでn対nのコミュニケーションを心がける monoAI technology株式会社 取締役COO 山下 真輝 (やました まさき) ■プロフィール 1981年愛知に生まれ、20歳の時に起業。広告代理業、店舗ビジネスなど複数事業を立ち上げ年商15億まで拡大させたのち売却。その後、SBI証券にて資金調達業務などを行い、イーファクター株式会社(現metaps)に入社。2013年にライヴエイド株式会社を創業。2018年からはエンタメ系メディアなど複数立ち上げ、営業利益1億円を達成。2021年3月に弊社取締役XRCLOUD事業本部長に就任。 クオリティの高いバーチャル空間を提供するメタバースプラットフォームであるXR CLOUDを手掛け、メタバース業界初の上場企業となったmonoAI technology株式会社。取締役COOに就任する前にはさまざまな事業の起業を経験された山下取締役に、現在の仕事に生かされた経験や企業の強みなどを伺った。 高校2年生の時に、大手の音楽事務所にデモテープを送ったことがきっかけで、プロミュージシャンとして3年半ほど活動していました。しかし、音楽の先行きが怪しいと思った頃、叔父が起業する姿を見て「おもしろそうだな」と思い、起業にチャレンジしました。手掛けたのは、メイクサロンや金券ショップ、カレー屋さんなどの店舗ビジネスを立ち上げて、規模を大きくするというビジネスです。その後、店舗ビジネスのMAの仲介がきっかけとなって、「会社組織もおもしろそうだな」と思ったことから、SBI証券へ入社したり、ベンチャー企業の取締役を担当するなど、組織に入る経験もしました。ただ、そこから「もう一度自分で起業してみよう」と思い、それまで手掛けていた事業を売却して新たな会社を作り、IoT、民泊など、いろいろな事業を展開しました。そんな中、知人のベンチャーキャピタルを通して、弊社の代表取締役の本城を紹介されました。彼は当時VR事業を行っていたので意気投合し、自分の会社を社員にお任せしてジョインしました。monoAIに入った一番の動機は、「いまこの会社に自分が入って、上場を果たしたい」という大きな目的があったからです。私が入社した当時は、今の主力ビジネスであるXR CLOUDというメタバースを簡単にできるサービスはまだ試験段階でした。もともと、弊社はクライアントから仕事を受託してゲーム開発を手掛けるエンジニアが多い会社でした。また、営業がいなかったため、新しく営業組織を作るなど、ビジネスや管理体制を整えることに取り組みました。また、株主に対してどのような見せ方をしたら会社の価値を上げられるかなど、上場に向けて必要な作業は、証券会社での勤務経験や起業の経験が役に立っていると思いますね。そうした努力が実り、2年間をかけて2022年10月に上場できました。 ■大人数とクオリティの高いブラウザ 元々ゲーム開発をしていたことを生かして、「モノビットエンジン」というツール上で動くソフトやVRを作るunityのエンジニアが多いため、通信の部分で強みがあります。メタバース空間内に1000人以上が同時に入れるのは、国内でうちだけです。これが大きな差別化ポイントになっています。また、メタバースを使うパターンにはいくつか種類があります。大きく分けるとブラウザとアプリの2種類です。ブラウザではシームレスに入ってもらえるものの、画素数を落とさなければならないというデメリットがあります。一方のアプリは、画像のクオリティが高いもののインストールをしないと利用できません。両者はそれぞれメリットとデメリットがあります。そこで、うちではクラウドゲーミングという機能を使い、ブラウザで入りつつも、アプリと同じクオリティの画像を提供できるという独自性があります。まさに、ブラウザとアプリ両方のいいとこ取りですね。少しコストがかかるのですが、どちらの利点も得たいというクライアントからは好評です。 ■n対nのコミュニケーションを大切に お客様のやりたいことに寄り添いつつ、n対nのコミュニケーションを必ずコンテンツに入れています。日頃から「こういうものがあった方がいいのではないか」という議論をたくさんするように心がけています。例えば、展示会や企業内の納会、医療交流会などでは、ユーザー同士で交流できる仕掛けを作るなど、一方通行の情報発信ではなく、コミュニケーションツールとしても活用されています。基本的にクライアントは企業が多いのですが、最近では地方自治体の案件もあります。XR CLOUDだけではなくFortniteの運用もしていて、渋谷の街をゲーム空間にしてPRを行うという取り組みもあります。1-2年前までは、メタバースは、ライブイベントのような形で活用されることが多かったのですが、n対nのコミュニケーションはほぼ行われないため、興業用にするのが難しい点がありました。しかし、最近はコミュニケーション部分を中心にクライアントの課題解決をする形でメタバースを活用できるので、いい傾向にあるなと感じています。 ■一緒に働きたいのは素直な人 リモートが中心の会社なので、素直な人と一緒に働けたらなと思いますね。やる前から「これはやっても意味がないのではないか」という邪念を持ってしまうのは良くないので、食べず嫌いではなく、言われたことはまずいろいろと自分で取り組んでいった中で自分のオリジナリティを出しつつ、PDCAを回していける人がいいと思います。 ■産業に組み込まれるメタバースを提供 monoAI technologyは、XRというジャンルにおいて、国内で唯一上場している会社です。今後もその軸はぶらさずに、産業に組み込まれるメタバースという強みを生かしていきたいです。XRというジャンルで言うと、ARはAppleなどがビジョンを出したので、今後も伸びていくという印象を持っています。技術者が多いという強みを活用して、メタバースの非現実な部分に加えて、もう1個の軸としてリアルな場にも拡張現実も進めていないかと画策しています。 ■学生へのメッセージ 学生のうちだからと限定せず、何事もいつでもできるのではないかと思っています。一つ挙げるとすると、学生のうちは周りに迷惑をかけられる時期だと思うので、たくさん迷惑をかけてもいいのではと思いますね(笑)。その人がどういう風に生きたいかによってだいぶ変わってくると思いますが、もし起業に興味があれば、大企業ではなく、自分のビジネスに転用できそうな事業を手がける会社にインターンに行き、実際のビジネスの泥臭さなどを味わってみるのもいいかもしれないです。学生時代に事前にやっていると、就職活動の面接などでも、実際は大したことないかもと思えるようになるかもしれないです。 学生新聞オンライン2023年10月13日取材 上智大学短期大学部2年 大野詩織

学生新聞インターン

株式会社QLSホールディングス 代表取締役社長 雨田武史

Quality of Life 全ての人に質の高い生活を‼ 株式会社QLSホールディングス 代表取締役社長 雨田武史(あめだたけし) ■プロフィール 1977年、千葉県にて産声をあげる。大学時代から就職まで人生の荒波に揉まれながら自信の芯を磨きあげ、2005年に有限会社クオリス(現株式会社クオリス)を設立。その後、株式移転により株式会社QLSホールディングスを設立。時間の経過とともに事業は拡大し、仲間も増え、2023年6月には名古屋証券取引所への上場を果たす。46歳になった今も精力的に活動中。 5つの子会社の経営指導・管理を行う株式会社QLSホールディングス。事業内容は保育、介護・障がい福祉、人材派遣など多岐にわたり、そのベースを支えるのは地域貢献、社会問題の解決といった強い課題意識だ。代表取締役である雨田武史社長に、大学時代から就職、会社の立ち上げ、そして事業拡大までの経緯や想いを伺った。 高校卒業後は、法政大学夜間コースに入学しました。しかし、学べる内容が限られることが窮屈だったため、明治大学昼間コースへの編入を決意しました。その際、昼間コースの試験のためにおこなった勉強が、自分の将来に大きく役に立ちました。当時は、1日10冊のペースで様々な著者の幅広いジャンルの本を読みましたが、多角的な見方を身に付けられた上に、その後の起業や経営につながる基盤が形成され、すごくプラスになったと思います。 学生時代に行ったたくさんのアルバイトも良い経験になりましたね。飲食店のアルバイトではいろいろな背景を持つ人と接する中で、仕事を円滑に進めるためのコミュニケーション能力の重要性を感じました。私は介護や保育の分野で事業を展開しているので、アルバイトで得た「人との関わりの大切さ」という学びは、現在も役立っていると思います。 ■ピンチでも諦めないで挑戦する 就職氷河期世代だったので就職活動にはかなり苦労しました。ご縁があった会社に入社したのですが、しばらく働いてみて、自分の求めている雰囲気とは異なることに気が付きました。会社を辞めようかどうか悩んでいた頃、社内で新規事業立ち上げのための社長募集が行われていたので、せっかくなら挑戦してみようと思い応募したところ、採用され、介護事業の立ち上げ・経営をさせていただくことになりました。ビルの小さな一角から事業を始めたのですが、介護事業に携わったことで地域社会毎に様々な問題やそれに伴うニーズが存在するのだと実感しました。 振り返ると「会社を辞める」のではなく、「社長募集に立候補する」というチャレンジをしてよかったと思っています。その後、会社を辞めて自分自身で起業することになりましたが、介護や保育といった業界を選択したのは、この時の気づきや経験があったからです。 ■5つの子会社を軸に行う幅広い事業 QLSホールディングスは株式会社クオリス・株式会社エルサーブ・株式会社ダウイン・株式会社和み・株式会社ふれあいタウンという5つの子会社の経営指導、管理を行っている会社です。主な業務内容は、保育、介護・障がい福祉、人材派遣の3種類に分類されます。もともとは介護事業を中心に展開をしていたのですが、地域のニーズに応え、より充実したサービスを提供するために事業を拡大しました。手掛ける事業が増えたからこその苦労もありましたが、それぞれに共通点や関連性があるので全体としての利便性や柔軟性が高まったと考えています。 幅広い事業展開を行うメリットのひとつは、業界での生き残りに繋がる点です。利用してくださるお客様がいる以上、経営は常に安定させておく必要がある。これは、コロナ禍を通してひしひしと感じたことです。特に私たちのサービスは、人の生活に密着しているため「安定した経営」は非常に大切です。そのため、どの事業に関してもご利用者様の生活を充実させること・地域社会に貢献することを目標に掲げています。 ■差別化が難しい中での工夫 実は、保育園や介護施設を差別化するのは、非常に難しいです。どちらも制度的な仕組み上、自由度が低いからです。これは施設の特性のためやむをえないことなので、できる範囲内で工夫することを心がけています。例えば、保育園では、地域によってニーズが異なるため、英語教育や美術の時間、小学校受験向けのプログラムなど独自のカリキュラムを用意しています。すべての子どもたちに質の高い教育を提供したいという想いから始めた取り組みですが、もちろん勝手に追加料金を設定することはできないので全額こちらが負担しています。こうした工夫が結果的に自社の強みになっていっていると思います。 また、私たちは“日本一の給食”を目指しています。味覚の幅は児童期にしか広がらないと言われています。そうした貴重な時期をお預かりしているので、できるだけの経験を提供したいと考えています。具体的には、産地にこだわった原材料の使用、親御さんにも情報が伝わるような仕組みの導入などがあります。自分自身が食の大切さを重要視している影響もあって、日本一の給食を目指すために始めました。これらの取り組みについては、利用者様からも高評価をいただいています。 ■従業員の心身の状態にも気を配る そのほか、私たちが力を注いでいるのは、従業員が働きやすい環境作りです。人様の健康を支える保育、介護の現場では、従業員が心身ともに健康であることが最も重要であると考えているからです。いろいろな取り組みを行っていますが、一例として「ビューティー補助」というものがあり、従業員の美容代の補填をしたりしています。美容に充てる時間を意識することで、自分のために割く時間を増やしてほしい、私生活でも幸せな気持ちになってほしいという想いから始めました。子どもは大人の感情を敏感に感じ取ってしまうものです。どれだけ社員教育を充実させても、従業員がポジティブな気持ちで仕事に取り組んでいなければ有意義な信頼関係は築けません。 ■諦めずに挑戦し続ければ、どうにかなる 最後に、学生のみなさんに伝えたいことは、「諦めずに挑戦すること」です。私自身は決して優秀な学生だったわけではありません。就活は思い通りにいかないことの方が多く、会社に入ってからもたくさん悩みました。しかし、出会ったチャンスを逃さないこと、常にやり続けることを意識してきました。学生のみなさんも今後、大変な状況に置かれることがあるかもしれません。とにかくあきらめないでやっていればどうにかなります。その中で自分に何ができるか、よりよい方を目指して努力してみてほしいです。 学生新聞オンライン2023年8月23日取材 上智大学2年 池濱百花

加藤心渚

東京大学 公共政策大学院教授 鈴木 寛

教育改革を起こし若者と共に新たな時代を作る 東京大学 公共政策大学院教授 鈴木 寛(すずき かん) ■プロフィール  東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策・メディア研究科特任教授1964年生まれ。1986年東京大学法学部卒業後、通商産業省に入省。山口県庁出向中に吉田松陰の松下村塾に何度も通い、若者の無限の可能性を実感し、人材育成の大切さに目覚める。通産省勤務の傍ら、大学生などを集めた「すずかんゼミ」を1995年に立上げ、教え子は1000名を超える。慶應義塾大学SFC助教授を経て2001年参議院議員初当選(12年)。 新たな時代の先陣をきる若者を多々輩出し、全国各地から学生の応募が殺到している「すずかんゼミ」。その主宰はすずかん先生の愛称で親しまれる鈴木寛氏だ。通産省勤務や元文部科学副大臣、大学教授などの豊富な経験から培われた知見やすずかんゼミの魅力、これからの教育や若者に対する熱い思いを伺った。 私は昔から政治経済に興味がありました。小学生の時、少年ジャンプに掲載されていた『田中角栄物語』を読んで、田中角栄さんが小学校卒業でも総理大臣まで上り詰めたというお話に衝撃を受けたのがきっかけです。その頃から田中角栄さんや政治経済のニュースが目に留まるようになり、中学高校とそれらに関する活動をしていました。大学生になってからはゼミと課外活動で忙しい毎日でした。2年生までは国際政治学、3年生からは労働法のゼミに入りながら、劇団の音楽監督、東京六大学の合唱連盟の理事、テニスサークルに所属など、楽しくやりがいのある学生生活を送っていました。卒業後は通商産業省(現経済産業省)に就職しました。役人が脚本を書いたり演出をしたりするという意味では、国会も学生時に取り組んだ劇団も同じだという意外な共通点を見つけたからです。学生の頃から憧れていた電子政策課の総括課長補佐のポストにもつくことができ、兼ねてから希望していた情報政策に従事することができました。通産省は2年に1度様々な部署に異動します。山口県に出向した際、関心を持っていた吉田松陰が主宰した「松下村塾」に訪れました。10畳ほどの狭い空間に集められた、選抜されていない地域の子ども達がのちに日本・アジアを変える人材として輩出されていることに非常に感動し、若者には無限の可能性があると感じました。その後、松下村塾に触発され、1995年に東京に戻った際に現在も続けている「すずかんゼミ」を設立しました。 ■日本の教育をより良くするために官僚から助教授、そして参議院議員へ これからは松下村塾で学んだ、若者の可能性を引き出す「教育」を中心に活動していきたいと思い、通産省を退職して慶應義塾大学環境情報学部の助教授になりました。今まで行ってきた情報の分野と新たに教育の分野に専念することにしたのです。その後、金子教授の友人の鳩山由紀夫さんからお誘いいただき、参議院議員になりました。私には「どんな家に生まれても、どんな地域で育っても、すべての子ども・若者に最善の学びを」というライフワークがあったことから、当時興味のあった奨学金制度の充実、コミュニティ・スクール運動の2つの課題に取り組むために、12年の間に2度文部科学副大臣も務め、教育政策に従事しました。任期を終えた際に東京大学と慶應義塾大学からお声がかかり、日本で初めての国立・私立大学のクロスアポイントメントとなりました。 ■学生の成長のために徹する 教授の仕事は楽しいことしかないです。私にとって、若い人の可能性を見守り、時には手助けをすることほど好きなことはない。政治家や役人の時にたくさん苦労してきたからでしょうか(笑)。私はどんな人にも必ず良いところがあると思っています。その若者の良いところはどこなのかを見出し、何か一つその人の真骨頂を作るお手伝いをして寄り添えられればと思います。若者は上から教えて育つものではなく、自発的に成長するものです。そこに濃い仲間がいればお互いに切磋琢磨し、流れに乗っていく。その状況を28年ずっと見てきました。志を持った若者たちが出会う環境づくりに徹するのが今の私の役目です。一方で大学生は多感な時期。心が折れる時だってたくさんありますよね。私はそんな時にいつでも帰ってくることができる場所でありたいと思っています。 ■これから目指すところは「卒近代」 私は28年の間「卒近代」という言葉を言い続けてきました。ポストSDGsと言われているウェルビーイング学会の副代表理事も勤めていますが、いよいよ時代が追いついてきていることを実感しています。今まですずかんゼミから、これからの未来を担うエポックメーカーが続々と巣立っていってくれたことはこの上ない喜びです。新時代でも様々な分野で活躍する若者を輩出できるようなコミュニティにしていきたいと思っています。そのために、すずかんゼミは今年から完全インカレ化しました。どこの大学からでもどの地域からでも気軽に参加できるようになっています。私自身も卒近代を目指す仲間が集まる環境を作るエポックメーカーになりたいと思っています。文部科学大臣補佐官として学習指導要領を改訂した際、「探究」という時間を高校に入れました。これからの時代は各々の関心に対して皆が深く探求できるように教育していくためです。近代ではGDPに貢献できる人材にするためにマニュアルを覚えてそれを正確に迅速に再現できる人を育成していましたが、今ならAIでもできますよね。それから「公共」という教科書も高校生に向けて作成しました。毎年80万人の高校生が公共を学んでくれることは非常に嬉しいです。「卒近代」という時代を作るために今まで様々な取り組みをしてきましたが、これからも日本の教育のために活動していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 一つはやりたいことを思う存分やってほしいということ。やらない後悔よりもやって後悔する方がいいです。もう一つは同じ世代の友人と同志を増やしてほしいということ。SNSが普及した今、知人ならば簡単にできると思います。一晩語り明かすと友人になり、苦楽を共にすると同志になります。社会人になると契約というものが発生します。契約先との契約は守らなければいけないけれど、学生時代は縛られるものが圧倒的に少ない。義務を負っていない最後の時代なのです。人生のラストチャンスに自由を謳歌してください。 学生新聞オンライン2023年7月12日取材 慶應義塾大学2年 加藤心渚

コラム

テリー伊藤 コラムVol.14  古いレンジローバー買いました!

車好きの私、またまた購入してしまった。通称クラシックレンジと呼ばれている1991年式英国レンジローバーです。YouTubeロケで出会い一目惚れ、何か月か迷った末買いました。迷った訳は、お店のオーナーに購入を考えていると言うと「テリーさんこの車苦労しますよ、30年以上前の車だし。イギリス車は基本的にはよく走るのですが、マイナートラブルが多くて。」といきなり盛り上がる気分に水を差すお言葉。とてもお店のオーナーとは思えない返事が返ってきた。少し萎えたが気を取り直して、どの辺が故障になるのかを聞くと「電気系統かな。その他諸々。」の大雑把なお答え。お互い無言。そのまま静かに帰宅した。熟考の日々が続く・・・。 一目惚れしたレンジは普通とは違った。オリジナルを重視した車が多い中、前オーナーがボディーカラーをベントレーの純正ブルーに塗替え、内装も真っ赤な超派手な皮張りに替えている。保守的なレンジファンから眉をひそめられる佇まいなのだが、私にとってそこが良い。問題はトラブル対応が出来るかということ。メカに弱い私には大きな課題だ。現在乗っている国産EV車はよく出来ているのだが面白みに欠ける。決断は早い。「そうだ!もう一度車で苦労をしてみたい。」ここからは早かった。4日後には国産車を売却し、遂に念願のレンジを手にした。 浮き浮き気分の納車日に、店のオーナーから再び「エンジンをかける時にはキーを回して15秒経ってから。冬の暖機運転は忘れずに。パワーウインドウはゆっくりと上げ下げしてください、急にやると壊れる場合が。ドアの開閉も静かにお願いします。電気系統が弱いので冬の雨の日は注意が必要。ヒーター、ワイパー、ライトでバッテリーを大量に消費しますので…。」のお言葉。30年以上前の英国車の納車式、とても晴れやかとは言えない重い空気になったのだが、私めげない。 乗ってしまえば気分爽快!そのまま海に向かって突っ走る!これが至極快適。エンジンも調子良く、レストアされた外観も新車のよう。海沿いの134号線はレンジが似合う。鎌倉の駐車場では車好きのオーナーが声をかけてくる。湘南デビューは大成功となった。 あのオーナーのアドバイスを忘れかけていた3日後、最初のトラブルが。助手席のウインドウが下りないのだ。そして集中ドアロックが効かない。慌ててオーナーに連絡をとったら、落ち着いた声で「テリーさんスイッチを強く何度も押して下さい、動き出しますから。」の指示。しかし直る気配はなく・・・現在車は整備工場に長期の入院中。私とクラシックレンジの生活は始まったばかり。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

レオス・キャピタルワークス株式会社 代表取締役 会長兼社長 最高投資責...

一つのブランドを大切にし続けることが、信用と信頼に繋がる。 レオス・キャピタルワークス株式会社 代表取締役 会長兼社長 最高投資責任者 藤野英人 (ふじの ひでと) ■プロフィール 国内・外資大手資産運用会社でファンドマネージャーを歴任後、2003年レオス・キャピタルワークス創業。「ひふみ」シリーズ最高投資責任者(CIO)。投資啓発活動にも注力し、東京理科大学上席特任教授、叡啓大学客員教授、淑徳大学地域創生学部客員教授を務める。一般社団法人投資信託協会理事。近著に『プロ投資家の先の先を読む思考法』(クロスメディア・パブリッシング)、『投資家がパパとママに伝えたい たいせつなお金のはなし』(星海社新書)。 効率的に資産運用ができていない現預金を、少しでも投資に向けること。それにより、将来の国民資産を増やし、日本および世界の明るい未来を作ることを目指すのが、資産運用会社であるレオス・キャピタルワークス。代表を務める藤野英人さんの価値観・考え方の変化、投資信託としての信用と信頼をどのように得たのか伺った。 大学2年生までは志望大学に合格できなかったショックで引きこもり気味になっていて、自宅でピアノをよく弾いていました。引きこもっている時は、「このままで良いのかな」と考えていました。久しぶりに学校に行った時、掲示板に「日中学生会議」という案内を見つけました。「訪中無料!」と書いてあって、参加すれば人生やり直せる良い機会になると参加を決意しました。実際はとても気合が入った団体で、「これから営業に行くぞ」と言われ、驚きました。中国への渡航費無料と書いてあるのに、営業に行くのはなぜだろうと思っていたのですが、訪中したい学生が企業に営業してスポンサーになってもらうことで成り立っているようでした。僕は営業なんてしたことがなかったので、営業周りをしても1件も契約が取れなかったのですが、別の学生はたくさんの契約を取ってきて、実際に無料で中国へ渡航することができました。学生が「契約を取った」と聞いた時、「頭を下げて営業して、プロジェクトを成功させることが大事だったんだ」と気がつきました。 ■価値観が変わる経験をして、人生への捉え方も大きく変わりました。 その後、僕自身も中国に訪問する機会があったのですが、清華大学の数学科の先生との出会いは、私の人生における大きな財産といえます。こ数学教諭なのに筋肉ムキムキの先生でした。あまりにも立派な体格だったので、「なぜそんなに筋肉があるのですか?」と質問をしました。すると、先生は高校時代の写真を僕に見せてくれたのですが、そこには身体がガリガリの人が写っていました。その先生は数学オリンピックで金メダルを取ったものの、文化大革命の時代に西洋資本主義に染まっているとレッテルを貼られ、新疆ウイグル自治区で強制労働に10年間従事することになったそうです。放下期間は数学に触れることを一切禁止され、牛や馬と一緒に荒野を耕し、思想教育を受けたと言います。10年後、解放されてからようやく、数学の研究を再開すことができたそうです。悲惨な経験をしているのに、先生はずっとニコニコ笑顔でいるんですよね。なんでそんなに過酷な経験をしているのに、笑顔でいられるのですかと聞いたら、「君たちが日本から来てくれたことが嬉しいから幸せ」と言ったのです。これを聞いた時、「君が来たから幸せだ」と言えるような人になることが大事だと感じましたね。学生時代のこの経験で、自分の価値観が激変しました。僕は裁判官や検察官になりたくて法学部に進学したのですが、結果として、在学中に司法試験には合格できませんでした。でも、就活浪人はできないと感じていたので、どこかで働かねばならないと思いました。当時は金融業界の景気が良かったので、お金を稼ぐのにはちょうど良いと考えて、一旦、野村投資顧問(現:野村アセットマネジメント)に就職しました。大学を卒業して、また司法試験を受ける予定で就職したんですけど、配属された部署が面白くて、結果、腰掛けで働いていることを忘れていましたね。配属された部署の仕事内容は、中堅中小企業の上場前の社長の調査だったのですが、サラリーマンのような人ばかりではなく、海千山千の粗暴な人が多かったのです。検事を目指していたので、こういう人たちを法で裁いてやろうと考えていた時期もありましたね。でも、その仕事を通して、画期的なアイデアを持った会社や世界のトップクラスの会社、上場して資産家になった人達と出会い、世の中にはいろんな会社があるのだと学ぶことができました。知名度は低い会社でもみんなが日常的に使っている製品を作る会社もあるのだと知るうちに、企業の面白さを感じるようになりました。最初は粗暴だと感じていた上場前の社長も、次第にヒーローのように見えてきたのです。商品は、必ず誰かが企画して作って生まれるもので、情熱や愛なくして存在しません。今、目につくもの全てに創業者がいて、その人が工場を作り、資金調達をし、勝負したから生まれている。多くの人はこれに気がつくことができないんですよね。僕は全ての商品には一つ一つ命が宿っているのだと気がつくことができ、世の中がカラフルに見えるようになりました。そこで、自分も起業に興味を持ちました。でも起業するにはお金も経験も足りないので、外資系の会社を2社経て、36歳で創業しました。 ■商品ブランドを大事にすることが会社を強くする。 起業には信用と信頼が大切なので、創業当初はコンサルティングをやって、次第に、運用事業にシフトしました。現在は、日本で最大級のアクティブ投資信託「ひふみ」シリーズの運用・販売を行っています。お客様は全国でのべ約100万人を超え、日本株のアクティブファンドでは最大級となり、世界株のファンドとしても日本有数の規模になっています。現在のような規模に成長できたのは、一つのブランドを大切に育ててきたからだと思っています。会社のブランドはあるけど、投資信託には商品ブランドがない。だからこそ僕たちは商品ブランドを作ることに注力し、そして「ひふみ」というブランドをずっと伝え続けてきました。最初は「一つのブランドに注力するなんて、藤野くんは分かっていない」と言われ続けたのですが、それは誰も手をつけていないからこそ。逆にチャンスだと思ったんですよね。だからこそ僕たちの会社では商品ブランドとして、「ひふみ」を大切にして事業展開をしてきました。今後の展望として、日本を資産運用立国にしたいのと、成長企業を見出し、長期で支援していくことの面白さを伝えていきたいです。投資はものづくりに関わることでもあるので、そのような投資の魅力を日本の隅々まで行きわたらせたいです。 ■大学生へのメッセージ いろんなことに挑戦してほしいです。「勝つか負けるか」ではなく、「勝つか学ぶか」という考え方が大事です。失敗は学ぶチャンス、失敗を気にして挑戦しないのはもったいないです!あなたの失敗はあなたしか味わうことができないのですから。成功している人は失敗もしています。失敗という投資の先に成功というリターンが隠れていますよ! 学生新聞オンライン2023年10月23日取材 國學院大學1年 寺西詩音

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三和酒類株式会社 取締役会長 工学博士 下田雅彦

「体験」を通じて「いいちこ」を全世代・全世界に届ける 三和酒類株式会社 取締役会長 工学博士 下田雅彦(しもだ まさひこ) ■プロフィール 1955年生まれ、大分県出身。大阪大学工学部醗酵工学科卒業後、兵庫県の日本酒メーカーに勤務。1984年にUターンで三和酒類株式会社に入社。専門技術者として焼酎製造技術開発、商品開発、品質管理に従事しながら、1998年に大阪大学工学博士号取得。1999年に取締役に就任後、2017年、オーナー家以外から初の社長に就任。2023年、取締役会長に就任。 下町のナポレオンの愛称で親しまれる本格麦焼酎「いいちこ」を製造・販売する三和酒類株式会社。1979年に発売されたいいちこは40年以上のロングセラーを誇る。今回は取締役会長である下田雅彦様に、長く愛飲されるための秘訣や時代にとらわれないビジネス展開についてお伺いした。 ■発酵に向き合い続け、代表になるまでの道のり 小さい頃、父がお酒好きだったので、私にとってお酒は非常に身近な存在でした。その流れでお酒造りに必要な発酵にも興味を持ちましたね。当時、関西地方で唯一発酵を研究できる国立大学だった大阪大学の工学部に進学しました。発酵学はお酒の醸造以外にも醤油などの調味料を作る工程にも必要なもので汎用性が非常に高いので、将来性を含めて研究に力を入れていました。発酵学を学んでいると、卒業時は日本酒メーカーなどの発酵技術を求められる業界から、いろいろ声をかけられました。その中から灘の日本酒メーカーに入社し、研究所などでお酒を造るために必要な発酵技術の研究や発酵に必要な酵母の研究をするようになりました。その後、27歳の時に高校時代からお付き合いしていた方と結婚をしたのですが、彼女の地元が自分と同じ大分県だったのです。彼女のためにも大分に戻って過ごそうかなと考えていた時に、いいちこ発売4年目の三和酒類から技術職のオファーをいただいたので、Uターン転職しました。三和酒類に入社してからは、研究職を続ける一方で、博士号の取得を目指しました。お酒の発酵の改良のためにというのもありましたが、直属の上司からの指示もありました(笑)。1999年に取締役に就任、2017年より社長を務めた後、2023年10月に取締役会長に就任したのですが、自分は運が良かったのかなと思っています。ただ、ここまでくる大きな要因になったのは、発酵の研究に必要な「選択する」という視点だったように思います。発酵に必要な酵母菌というのは何十億もあり、どの菌が優良な酵母かはわかりません。何十億ある中でいい菌を選び取るという「選択する経験知」を持っていたからかもしれません。 ■いいちこをカジュアルに身近な存在へ 三和酒類のメインの事業は、麦焼酎いいちこの製造と販売で約95%を占めています。三和酒類は4つの蔵元が集まってできた会社なので、焼酎の原酒の豊富さはもちろん、お酒の製造免許を数多く所持しています。ワインや日本酒・スピリッツ(蒸留酒)など色んなお酒を一つの会社で造れるのが強みです。他にも焼酎を蒸留した際の残留液からGABAと呼ばれる成分を発酵生産し、食品メーカーなどへの原料供給も事業として行なっています。いいちこを飲まれているお客さまで1番多いのは60〜70代で、発売当初から飲まれている方々が非常に多いです。ただその方たちは年齢が上がるに連れてお酒を召し上がる量が少なくなる方も出てきます。なので、10年前から30〜40代の世代をターゲットに商品PRを行なっています。その中には焼酎が苦手、飲んだことがない人もいらっしゃるので、いいちこをソーダで割った焼酎ハイボールやお茶割りを提案したり、缶入りのRTDとして販売することで麦焼酎をカジュアルに体験できるようにしています。他にも6年ほど前からフジロックフェスティバルでの出店を行うことで、30〜40代の方たちだけでなく、お酒を飲み始めた20代の方たちや海外のお客様にも体験していただけるようになりました。出店をするたびに提供杯数も増えており、今年は4日間で約9000杯にも到達しました。そのほか、WEBではkoji noteという「麹」や「発酵」についての情報サイトや、Instagramでいいちこの飲み方の提案も行なっています。焼酎はどうしても年齢層が高めのイメージがあるので、音楽などの身近にあるものとコラボして、焼酎も身近な存在と認識してもらえる工夫をしています。 ■いいちこを世界に誇れるお酒へ 現在は30〜40代向けに事業開拓をしていますが、ゆくゆくは世界に誇れるお酒にしたいと考えています。私が入社したときの上司であった和田会長(1991年当時)が「いいちこを世界のお酒にしたい」と仰っていたのがきっかけです。実際にアメリカのバーテンダーさんとコラボをしてバー向けの商品「iichiko彩天」を開発したり、日本国内では[TUMUGI」という焼酎ベースのスピリッツの商品を開発したりしています。他にもボトルのデザインはアートディレクターの河北秀也氏が担当するなど容器にこだわりもありますが、あくまでもお酒ですのでデザインに負けないように三和酒類が誇る多種多様な原酒を用いて魅力的な商品作りを、これからも続けていきたいですね。 ■素直で前向きに、そして謙虚に これから事業を展開していく中で、素直で前向きな人と一緒に働きたいと思っています。先ほどもお伝えしたように、国内・国外問わずに新規事業を展開をしているので、前向きで新しいことへのチャレンジを厭わない人達と働けたら嬉しいですね。また会社の社是に「おかげさまで」という言葉があります。感謝を伝える・謙虚でいることを表しているので、人に感謝をできる人が社風に合っていると思います。 ■成功への道のりは多種多様 今の大学生は自分の将来をしっかり計画している人が多いと思います。ただ、人生は必ずしも思い通りになるわけではありません。目標の達成や成功には多様なルートがあるので、壁にぶつかったら臨機応変に色んな乗り越え方をしてほしいですね。それと自分自身の中で成功体験を反芻して自信につなげてほしいなと思います。成功体験を褒めてくれる人はなかなかいません。なので自分の中で成功体験を繰り返しイメージして、強みに変換しながら自己実現につなげていってほしいです。 学生新聞オンライン2023年9月5日取材 武蔵野大学4年 西山流生

大野詩織

株式会社Globee 代表取締役社長 幾嶋 研三郎 

ビジネスはやってみないと分からない!だからこそ、チャレンジする 株式会社Globee 代表取締役社長 幾嶋 研三郎(いくしま あきさぶろう) ■プロフィール2015年3月に慶應義塾大学法学部卒業。2014年6月、大学在学中に株式会社Globeeを創業。英語学校の運営を通して、IT×英語教育の可能性を感じ、現在は『学習量×学習効率の最大化』をミッションとしたAI英語教材「abceed」と、『学習支援効率の最大化』をミッションとした反転学習プラットフォーム「abceed for school」の開発を行う。 最短での英語力UPを支援する、AI英語学習サービスのabceedを手掛ける株式会社Globee。AIを活用することで、利用者一人一人にパーソナライズされた効果的な英語学習を提供している。前向きで真摯に取り組む姿勢が印象的な幾嶋社長に、大学在学中の起業に関するエピソードや会社の強みを伺った。 受験英語は自信がありましたが、大学に入学してみると、帰国子女や留学生を含む、英語が流暢な非ネイティブスピーカーが多くいることに驚きました。そこではじめて自分のスキル不足を痛感し、大学時代に実践的な英語力を磨くことを志しました。具体的には大学1年生の終わり頃からフィリピンでの短期留学を経験し、国際交流サークルで留学生の友達を作りながら英語学習に取り組んでいましたね。その結果、英語を「話す」・「聞く」能力が飛躍的に向上し、自分の英語力に自信がつくようになり、多くの人から英語力向上の方法を尋ねられました。それが結果的に英語教育に関心を持つきっかけになったと思います。その後、大学3年生から英語教育を広めるために、大学生や社会人向けの国際交流イベントやディスカッショングループの運営などを積極的に展開していきました。それがGlobeeの創業に繋がっています。起業に関してですが、在学中でも会社を立ち上げることは可能であり、制約はなかったので、起業しない理由はありませんでした。しかし、「なんか起業ってかっこいいな」という漠然とした思いがきっかけで会社を作ってしまったので、時折、無名な会社の代表取締役でいることは世の中に大きな影響を与えられているのかという疑問を持つ瞬間もありました。 ■イノベーティブな事業にシフト 最初は国際交流イベントと英会話教室の運営からスタートしました。友達や留学生をアルバイトの講師として雇用し、自らも講師としてレッスンと教室の管理を行っていましたが、色々なトラブルが発生し、思うように授業を進められない日々もありました。その際、自身の時間に依存せず、かつストレスを最小限に抑えながら事業を展開する方法を模索する必要があると感じ、マネジメントコストを削減し、より効率的な事業展開が可能であるソフトウェア開発への転換を選択しました。また、自社の存在意義を考えた際に、他の英語教室との差別化が不十分で、革新的な要素が欠けていることに気付きました。そこから、「英語を習得したい人が実際に英語を習得できていない」という英語教育産業の課題に注目し、AIなどのテクノロジーを活用することで、学習効率を大幅に向上させようというアイデアが生まれました。この英語教室を立ち上げた経験があったからこそ今があると思っています。「ビジネスはやってみないとわからない」ということに気づきましたね。 ■泥臭い努力を積み重ねる abceedの正式ローンチまでの約1年5か月は、本当に大変でした。最初はアプリ開発の方法も分からなかったので、周りのエンジニアの友達に声をかけたり起業した人に話を聞いたりしていました。その中で、会社に入ることで優秀なエンジニアと出会えると思いソフトバンクに一度入社し、そこで現在弊社のCTOを担当する上赤に出会いました。また、abceedの魅力であるAIを作る上で重要視していたのが、コンテンツ、学習ツールとしてのソフトウェア開発、ユーザー獲得の3つの要素です。しかし、コンテンツのライセンス取得の問い合わせを全部断られたり、ローンチ後も1か月に30ダウンロードあるかないかの時期があったりと、苦難の連続でした。その中でも、愚直な努力を積み重ねて1つ1つの課題を解決していったことが、現在に至る大きな要因だったのではないかと思います。abceedの他社との差別化ポイントは、圧倒的なデータ量とコンテンツの質だと自負しています。現在、私たちのデータベースには約15億件分の学習データが蓄積されており、このデータ量の多さを誇りにしています。利用者の年齢層は、学生が全体の約4割を占め、残りの6割は社会人です。中には中高生も利用しており、一部の学校でもabceed for schoolが導入されているため、学校を通じて利用されている方も増えています。 ■英語のハードルを下げたい 受験勉強で一生懸命英語の勉強をしたにもかかわらず、実際に英語を使う場面で自信を持てないという課題を払拭したいと考えています。これまでも小中高校生から大学生、社会人まで、幅広い年齢層の方が必要とする英語スキルを網羅できるようなコンテンツのバリエーションを増やすことに、非常に力を入れて取り組んできました。これからも学生時代からabceedを活用することで、社会に出てからもスムーズに英語を使えるレベルに到達できるよう、英語の壁を低くし、汎用性のある英語力を身に付けられるようなサービスにしていきたいですね。そのためにコンテンツのバリエーションを増やすことや、機能面をブラッシュアップしていくことを続けていきます。また、グローバルに事業を展開し、世界中の人が信用してくれるようなグローバルブランドを作りたいです。そして、現在約10万人弱の有料会員数を、100万人にすることを一つ大きな目標として持っています。新卒採用はまだ行っていませんが、選考の際には、仕事をする上でのプロ意識、つまり責任と誇りを持って自分の仕事に向き合っているかを非常に大事にしています。自分で自分の仕事に価値を見いだせない人が、よい仕事をできるとは考えていないため、役職問わず自分の仕事に対してどういう気持ちで向き合ってきたのかを重要視したいです。 ■大学生へのメッセージ リスクを取ろう、チャレンジしようと伝えたいですね。難しいとは思いますが、大人になると自分のためだけに挑戦することができなくなってくると思いますし、何か大きなことを成し遂げるには、ある程度のリスクを取る必要があると思います。志や自分の追い求める夢などがあるのであれば、ぜひ積極的にチャレンジしてみてほしいです。 学生新聞オンライン2023年9月14日取材 上智大学短期大学部2年 大野詩織

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株式会社 資さん 代表取締役社長 佐藤崇史

大切なものを守りながら絶えず進化させていく 株式会社 資さん 代表取締役社長 佐藤崇史(さとう たかふみ) ■プロフィール 広島県出身。1997年慶應義塾大学環境情報学部卒業。ソニー株式会社、ボストン・コンサルティング・グループを経て、2006年株式会社ファーストリテイリングに入社。経営変革/人事/店舗運営/社長室等の責任者を歴任し、変革を推し進めた。2018年3月北九州のソウルフード「資さんうどん」を運営する株式会社資さんの代表取締役社長に就任。同社の第二創業をけん引する。 「資さんうどん」は1976年に北九州で誕生し、絶大な人気を誇るうどんチェーン店。現在は九州・山口・岡山で64店舗を展開しており、11月には関西1号店を大阪市内に出店する予定だ。経営理念である「幸せを一杯に。」という使命のもと、常に美味しさへの挑戦と進化を続けている。「北九州のソウルフード」とも呼ばれるまでに、多くの人に愛されている「資さんうどん」。運営会社である「株式会社資さん」の佐藤崇史社長に、これまでの経歴や「資さんうどん」の魅力についてお話を伺った。 幼少時代は広島で過ごし、中学は慶應義塾普通部に入学。高校はエスカレーターで慶應義塾高校に、大学は当時新設されたばかりの慶應義塾大学環境情報学部に進学しました。大学では、2年でケガをして早めの引退をするまでは高校からはじめたアメフトに、後半はゼミの活動に没頭することになるのですが、その中でも様々なアルバイトも経験しました。人材会社で営業の仕事をしたり、引越し、某放送局等、とにかくいろんなことに挑戦していましたね(笑)。様々な経験は、その後の仕事にも活きていると感じます。当時の私は、アメフトの経験を通じて、チームで戦略を立てることや組織作りに興味を持つようになり、組織・人事論がテーマのゼミに所属していました。その中のプロジェクトでソニーの方と関わる機会があったのですが、お話を聞く中で、ソニーの方が目を輝かせながら言われた「ソニーでの仕事を通じて世界を変えていきたい」という熱い言葉に魅力を感じたことがきっかけで、大学卒業後はソニーに就職しました。ネットが普及し始めて変革する時代の中で、様々なことに挑戦できたことはとても楽しく、刺激的な毎日だったと記憶しています。しかし、働いている中で、自分は期待に十分に応えられているのかという葛藤と共に、仕事をしながら勉強できる環境で、さらに成長したいという思いが生まれてくるようになりました。ソニーで4年間働いた後、もっと世の中に貢献できる人材になりたいと決意し、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に転職しました。世界を舞台にトップ企業の優秀なお客さまや仲間たちと過ごした日々は、とてもやりがいを感じるものであり、自分の成長にも繋がった6年間だったと思います。BCGで働く中で、日本がかつてのように世界の経済をけん引するような勢いを取り戻すことが出来ないかと考えるようになりました。そして、これまで経験したことや学んだことを活かし、日本発の企業にコミットして、日本の成長に貢献したいという思いを持つようになりました。その気持ちを、ファーストリテイリングの柳井さんに直談判しに行き、熱意が認められてファーストリテイリングで働き始めます。以来、10年間、様々な仕事に取り組ませて貰いました。ユニクロ時代に九州へ出張する機会があり、同僚から「美味しいうどんがある」と教えてもらって食べに行ったのが「資さんうどん」でした。これが「資さんうどん」との初めての出会いでしたね。「こんなに美味しいうどんがあるのか!」と感動したことを今でも覚えています。うどんだけではなく、他のメニューもとても美味しかったです。お店の中は活気と暖かさであふれており、今まで味わったことのない美味しさとその雰囲気がとても魅力的でしたね。その後、「資さんうどん」の経営者になってくれないかというお話を頂いたときには、とても嬉しかったです。このうどんの魅力は日本の財産であり、その宝をもっとたくさんの人に知っていただきたいという思いがあったからです。 ■愛される「資さんうどん」をこれからも守り続ける 「資さんうどん」は北九州のソウルフードであり、多くのお客さまに本当に深く愛されています。資さんうどんを食べに行くことを「スケる」という造語も生まれているほどです(笑)。従業員さんも、お客さまも、深い愛情を持ってくれています。「資さんうどん」に関わってくれる方たちを笑顔にしたいという思いが、今、仕事を頑張れる原動力になっていますね。より多くのお客さまに、より深く「資さんうどん」を好きになってもらうためには、お客さまの声を知ることが必要です。日々、お店や本社に寄せられるお客さまの声はもとより、SNS等で発信されているご意見ももちろんですが、実際に、新しくお店がオープンした際には店頭に立ち、直接感想を聞くことも心掛けています。また、今年の7月には、新たな取り組みとして、お客さまと直接コミュニケーションが出来る場を持とうと初の「ファンミーティング」を実施しました。お客さまから伺った生のお声を、商品開発や店舗運営に活かしていければと思っています。また、お客さまだけでなく、従業員さんの声を聞くことも大切にしています。働いている理由や、「資さんうどん」に感じる魅力、気になっていること等を定期的に聞いて、取り入れられることがないかを常に意識しています。みんなの考えていることを知ることが、愛される理由を突き詰めていけるコツかもしれません。創業者がお客さまに喜んでもらえるようにと、味やメニューにこだわり続け、お客さまの期待に応えてきた結果として、今の味や雰囲気が作られています。今ではメニューも100種類以上に増えました。長い間愛されているうどんには沢山のこだわりが込められています。出汁は鯖節や昆布、椎茸等の素材の旨味を強く感じることができる味わいで、表面はなめらかで、中はモチモチとした食感の麺も、他にはない特徴だと思います。うどんだけではなくカツとじ丼やぼた餅も、資さんうどんの名物として知られています。これから、九州以外の地域にも店舗展開を拡げていこうという動きの中、商品のへのこだわりや味がぶれない様に、そして創業からの思いが薄れていかないように、我々が大切にしていることが経営理念です。全員が同じ軸を持ち、経営理念の体現に取り組んでいくことで、出店エリアが広がっても、創業からの歴史や成り立ちを知らない従業員さんが増えたとしても、「資さんうどん」であり続けられると思いますし、これまで培った伝統をさらに進化させ続けることができると思います。大切なことは残しつつ、変わりゆく時代やニーズに応えられるように、進化し続けていきたいと思っています。今後の目標は、「北九州の資さんうどん」から「九州の資さんうどん」、ひいては「日本の資さんうどん」にしていくことです。そのためにも少しずつですが、着実にエリアを拡大していきます。私たちの自慢の味を、ひとりでも多くのお客さまにお届けし、多くのお客さまに愛されるうどんチェーンを目指します。 ■学生へのメッセージ 今しか出来ないことに沢山チャレンジしてください。無理して背伸びする必要はありません。今の環境の中で自分が出来ることに一生懸命に取り組むことは、必ず将来に繋がるし、一生懸命にやったことは誰かが見ています。毎日を全力で過ごすことで結果はついてきます。いざチャンスが来たときにそれをつかめる人になってください。そのチャンスをつかむことが、自分の大きな成長に繋がります。 学生新聞オンライン2023年8月17日取材 立教大学3年 緒方成菜