
JICA地球ひろば / 株式会社PETOKOTO 取締役・獣医師 佐藤貴紀
中高生新聞2024年4月1日発刊号
中高生新聞2024年4月1日発刊号
中高生新聞2024年4月1日発刊号
株式会社ゼクサバース/ZEXAVERSE TOKYO 中高生新聞2024年4月1日発刊号
「サウナ習慣の普及によって、人々の幸せを増やしたい」という想いを軸に、サウナを広める活動に尽力。2023年3月には株式会社Brave Valleyを設立し、事業の拡大を目指している。
東洋キャンパスコンテスト2022でグランプリに輝く。在学中はモデル活動にも取り組んでいた。2024年3月に大学卒業。
大学休学中、自分の知らない世界を知りたいという想いから、アフリカの小学校で教員を経験。発信活動にも注力しており、今後は本の出版が目標の一つと語る。
「変態文学大学生」として、文学の変態性をブログや書評等で発信。また大学院では、ポルノグラフィティに関する研究を進めている。
タイガーエア台湾(所在地:No.1, Hangzhan S. Rd., Dayuan Dist., Taoyuan City 337, Taiwan (R.O.C.) 代表者: 最高経営責任者 陳漢銘)が俳優として活躍している内田理央さんをアンバサダーとして起用することを決定!それを記念し、アンバサダー就任発表会見が3月25日(月)に東京都内にて開催されました。 同イベントにはアンバサダーに就任する内田理央さんのほか、パンサー(菅良太郎さん、向井慧さん、尾形貴弘さん)、台湾出身のよしあきさんが参加しました。 タイガーエア台湾は2014年9月26日に発足。2015年3月25日付で、国土交通省から外国人国際航空運送事業の経営許可を取得し、日本へ上陸した初の台湾LCCとして運行。日本への運行を開始して9年が経ったこの度、女優として活躍中の内田さんをアンバサダーに迎えることになりました。 MCの紹介でタイガーエア台湾会長のチェンハンミン氏が登壇し、操縦士の飛行ジャンパーを着用して「日本人乗客に対するサービスをより向上させ、皆さんの御搭乗をお待ちしております」と流暢な日本語で挨拶しました。 タイガーエア台湾の新CMで着用した襟と袖にタイガー柄を取り入れた衣装で登壇した内田さん。特大アンバサダー名刺を贈呈されると「台湾好きとして日本の皆さんにタイガーエア台湾と台湾の魅力を沢山伝えるために頑張ります!」と意気込みを明かしました。 また、内田さんは新CMについて「CMと言いつつも、ただただ台湾を楽しませていただきました。休日に台湾へ旅行したような、リラックスした雰囲気で撮影が行われたので、沢山食べすぎて体重が増えました」と照れ笑いを浮かべながら撮影を振り返りました。 イベントの最後、タイガーエア台湾から全員へ航空券がプレゼントされると、内田さんは「このメンバーで一緒に台湾に行きたい!」と提案していました。 台湾にまつわるゲストとして登場したパンサーの3名。尾形さんは「もう俺は今日からタイガー尾形でいい!」と宣言し、「台湾のグルメは全部美味いよ!一つに選べるわけがない!」と大興奮の様子でした。またタイガーエア台湾機内食のサンドイッチを試食して「ウマー!お茶もリンゴジュースも全部美味いよ!」と完食していました。 イベント終盤、気候の影響で台湾旅行が中止になったという向井さんのために航空券を懸けたクイズ大会が実施されるも、パンサーは最下位に。 代表して尾形さんが台湾版「サンキュー!」を全力で披露するも笑いを取り損ねた際、内田さんから「台湾の皆さんには届いた気がします!」と優しくフォローされたことで「…優しいなあ」と漏らしました。 台湾で生まれ、6歳のときに日本に移住したよしあきさん。イベントに登場した際、台湾語で自己紹介をして場を盛り上げました。また、よしあきさんは以前タイガーエア台湾を利用したことがあり「フーちゃんのぬいぐるみを購入して飼っている犬にプレゼントしました」と明かしました。さらに、台湾には気軽に帰るといい「夢に台湾料理が出てきたら台湾に帰りたくなります。僕は台湾料理が世界で一番好きです。特に魯肉飯(ルーローハン)は絶対に食べてほしいです。個人的に僕が死ぬ前に食べたいものは臭豆腐です。水キムチと一緒に食べると臭豆腐の独特な臭みが美味しさに変わるなと感じます。確かに匂いは強いけれど、クセになる美味しさなので味わってほしい」とお勧めしました。 【タイガーエア台湾】 タイガーエア台湾は、台湾で唯一であり、初の格安航空会社(LCC)です。 設立以来、「安全第一」の理念のもとに運航しています。 「情熱・温もり・真心」の企業精神で、お客様により便利で多様な旅を提案し、すべてのお客様が搭乗するたびに素晴らしい体験をしていただけるよう努めています。 2014年に初路線を運航して以来、日本市場への展開を積極的に行っています。 旭川(AKJ)、新千歲(CTS)、函館(HKD)、花巻(HNA) 、仙台(SDJ)、新潟(KIJ)、秋田(AXT)、福島(FKS)、小松(KMQ)、 名古屋(NGO) 、 大阪関西(KIX) 、岡山(OKJ)、 東京成田(NRT) 、東京羽田(HND) 、茨城(IBR) 、 福岡(FUK) 、佐賀(HSG) 、高知(KCZ)、 沖繩(OKA) など日本国内19空港、24路線を運航しています。タイガーエア台湾は、創業時から堅実に歩み、アジア太平洋地域でのネットワークを積極的に拡大し、市場で強い存在感を確立し、最も選ばれる格安航空会社(LCC)になるという企業理念を一貫して堅持し、将来を見据えてきました。 この10年間で築き上げた強固な基盤をもとに、「情熱・温もり・真心」の精神を貫き、「持続可能な開発に関する規制」に基づくタスクフォースを設置します。ESG (Environment, Social, and Governance) を積極的に実践し、アジア太平洋地域で最高の格安航空会社(LCC)を目指します。 学生新聞オンライン2024年3月25日取材 駒澤大学4年 本多杏衣
2024年3月2日(土)国立代々木競技場第一体育館にて『第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER』が開催されました。今回のテーマは「百花繚乱」。百花が一同に満開となるその瞬間は、儚さをも秘めた夢の瞬間。春の訪れとともに迎えたマイナビ TGC 2024 S/Sの多彩な豪華出演者の中からモデル・女優の香音さんにお話を伺いました。 ■TGCのステージを終えて 今回、TGCが行われた代々木・原宿という場所は、私自身もよく行くスポットなので、親近感がありました。また、こんな大きな舞台でランウェイを歩けるのは嬉しかったです。大勢のお客さんがうちわやペンライトを振ってくれている様子がきれいで、みなさんとの一体感も強く感じられて、「やっぱりTGCはみんなで作りあげていくものだな」と思いましたね。 ■仕事を始めたきっかけ ランウェイを歩いているモデルさんのキラキラした姿を見た時に、「自分もこうなりたい」と思ったのが、このお仕事を始めたきっかけです。自分が好きなことをお仕事にできてよかったなと嬉しく思いましたね。ランウェイを歩いている時は、自分もキラキラした気持ちになれます。いつも支えてくださるファンの皆さんは、私にとって温かい家族みたいなもの。自分を支えてくれる大事な存在です。今後も自分がいいと思ったものをみなさんに上手く発信したりする人でありたいですし、みんなの期待に応えるためにも、いつでも「自分の好きな自分」でいたいと考えています。 ■仕事をする上で大切にしていること お仕事をする上では、「これをやりたい!」という自分の目標をしっかりと決めて取り組むようにしています。ときにはモチベーションが続かないときもありますが、そんなときは、好きな音楽を聞いたり、「ここまでできたら、何か好きなものを食べよう」とご褒美を設定したりして、気持ちを保っています。今後は、女優として、かっこいい役をはじめ、今までに経験したことのない役に挑戦したいです。また、普段、自分のSNSでドラム演奏を発信しているのですが、いつか誰かとセッションができたらいいなと思います。 ■大学生へのメッセージ 私も現役大学生なのですが、勉強と勉強以外のことを両立するのは大変だなと日頃から思っています。でも、「どれも好きでどれも選べない」というほど好きなことであれば、その頑張りは無駄になりません。頑張った自分をすごく褒めてあげることこそが次のレベルアップに繋がると思うので、何事もポジティブにとらえ、自分へのご褒美もたくさん与えてあげつつ、勉強と好きなことを両立してほしいなと思います。 取材者:上智大学短期大学部2年 大野詩織 イベント名称:第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER(略称:マイナビ TGC 2024 S/S)開催日時:2024年3月2日(土) 開場12:00、開演14:00、終演21:15会場:国立代々木競技場第一体育館公式サイト:https://tgc.girlswalker.com/24ss/
事業発展とサステナビリティの両立で、心豊かな社会へ 日本たばこ産業株式会社 サステナビリティマネジメント部長 向井芳昌(むかいよしまさ) ■プロフィール 京都府宇治市生まれ。1992年 日本たばこ産業株式会社へ入社。大津営業所、枚方営業所勤務の後、1996年より約10年間、本社で広報・開示関連業務に従事。2009年から約4年間、JT International Internal Audit(オランダ) に赴任。帰国後、飲料事業部企画部長、経営企画部部長などを経て2019年1月より現職。 JTグループの発展と共に、人々や地域との繋がりを大切にし、持続可能な社会の構築を目指すサステナビリティマネジメント部。2019年の設立後、初代部長として数々のサステナビリティに関する取り組みを展開させている向井芳昌さんに、持続可能な社会に向けた具体的な取り組みや今後の課題などについて伺った。 大学時代は、映画ばかり観ていました。ビデオショップに行けば棚の端から端まで全作品をレンタルしたり、映画館でアルバイトをしたり、当時は観たことがない映画がないほどでした。この情熱を何か形にできないかと考え、「映画を作りたい」という憧れを抱くようになりました。当時は、バブル景気を背景に文化芸術活動を支援している会社が多く、JTも音楽イベントや映画製作を行っていました。「たばこ会社」というJTの印象よりも、「映画を作れるかもしれない」という好奇心がきっかけで、この会社に興味を持ったんです。そして、面接まで進むと、喫煙者率の低下の風潮の中で、中心に据えていた国内たばこ事業の他にも新しいことを始めようとするムードを感じました。大企業ならではの安定したビジネス基盤があるからこそ、新しさを受容する柔軟性があると感じ、その面白さに惹かれて入社を決めました。 ■事業の発展と社会課題の解決は、繋がっている。 5年前の2019年、CSR(企業の社会的責任)推進部に変わってサステナビリティマネジメント部が設立され、私が初代部長に就任しました。就任前までにサステナビリティに関する取り組みに携わったことはほとんどなかったので、私にとって新しい挑戦でした。しかし、仕事に取り組む中で、次第に、以前に担当していたリスクマネジメントとの共通点を見つけたのです。会社が円滑に発展し続けられるよう、今後を予測して対策を打つリスクマネジメントと、自然や社会と企業が共に持続可能であるために環境や人権などの課題解決に取り組むサステナビリティマネジメントは似ていると思いませんか。おかげで、これまでの経験を活かして、新しい挑戦に繋げていくやりがいを新たに感じられました。 就任後に私が注力したことは、全ての社員にサステナビリティに関する取り組みを自分ごととして考えてもらうことです。過去にはCSRは社外からの評価のために「やらなければいけないもの」として捉えられている時代もありました。「事業は事業として行い、その中で得た利益をCSRに回す」というように、事業とCSRは別物だと考えられていたんです。しかし、現在のESGやSDGsといった考え方においてはそうではなく、社会課題を解決することと、事業を発展させていくことは繋がっている。サステナビリティを事業戦略の中にきちんと組み込むことが必要です。そうした考え方の変化につれて、世の中でサステナビリティに対する認識も高まる中で、社内でも「JTだからこそできるサステナビリティ活動を実践しよう」とする意識が生まれたことは、大きな進歩だと感じています。 ■人権問題に向き合い、心の豊かさを実現する課題に挑む 昨年、JTは、非連続に変化していく社会の中で、社会とJTグループが持続的な存在であり続けるための方向性を明確にするものとして、「心の豊かさを、もっと。」というパーパスを策定しました。我々は、このパーパスを実現するために、自然や社会が持続可能であってはじめて、人の暮らしや企業の活動も持続可能になるという考えのもと5つのマテリアリティ(重要課題)を設定しました。自然との共生、お客様の期待を超える価値創造、人財への投資と成長機会の提供、責任あるサプライチェーンマネジメント、良質なガバナンス、の5つです。これらのマテリアリティへの取り組みを、社員全員が自発的に意識し、実践してほしいと思っています。 また、これらのマテリアリティには、全て「人権尊重」という考え方が共通しています。JTが事業を展開する地域の中には人権リスクが高い国も多く含まれています。例えば葉たばこはアフリカなどで作られていますが、児童労働のリスクがあります。児童労働には、労働による児童の教育機会の喪失などの根本的な課題が潜んでいるほか、背景にはたばこ栽培農家が労働者に対して人件費を十分に支払えないことなどが挙げられます。これらの課題を解決するために、現地の学校づくりなどの教育支援や、たばこ栽培農家への経済的支援も行っています。リスクを回避するために人権問題を抱える取引先と関係性を切る、というような企業側の理屈だけでは、課題の解決につながりません。人権被害を受ける側の立場に立って、根本的な解決をすることが求められます。こういった人権問題への取り組みも、社会の持続可能性を追求していく上で重要だと考えています。 もちろん、JTだけでは補いきれない場合もあるので、他の企業やNPOとも協力しあって、共にサステナビリティを目指していきたいと考えています。 ■社会にアプローチする鍵は、サステナビリティ活動の「見える化」 今後は、JTが現在どのようなサステナビリティへの取り組みを行っているのかを、より大きく社外に発信し、その領域に貢献する企業として様々なステークホルダーの方からの信頼度を高めていきたいと思っています。JTはたばこ事業の他にも医薬事業や加工食品事業なども行っていますが、商品やサービスを通じてのみでは、多くの方たちにアプローチする機会が少なくなってしまうんです。この問題に対して、JTグループならではの価値を、サステナビリティという視点から情報発信することでより多くのステークホルダーの皆様に会社の魅力をお届けできるのではないかと考えています。近年の会社の評価軸は、利益率だけではなくESGへの取り組みを通じた社会課題解決への貢献も視野に入れられてきました。サステナビリティ活動の「見える化」は今後も発展させていきたいと思っています。 ■大学生へのメッセージ 世界にも目を向けてほしいですね。私も4年間ほどオランダに赴任したことがありましたが、海外から日本を見るという経験はとても勉強になりました。環境の変化を恐れず、チャンスがあればぜひ飛び込んでみてください。少しの好奇心と柔軟性を持って、好きなことに全力で取り組み、充実した大学生活を送ってください。 学生新聞オンライン2024年2月14日取材 上智大学2年 吉川みなみ
今、地方都市で面白い現象が起きていると「読売新聞」に掲載されていた。公立図書館を空洞化した市街地の再生拠点として活用する動きが広まっている。静かな環境の中、本を読める空間を確保し、会話を出来るスペースもありカフェなども設け人気を博していると。 宮崎県都城市図書館は、2011年に経営破綻した「都城大丸」のショッピングモールの建物を改築して出来上がった。再び百貨店にする計画もあったが、市立図書館を移転する事を決断。計画当時の来館者見込みは年間27万人だったが、今年は2月まで約6年間に3倍以上の約555万人が来館し、シャッター商店街だった市街地再生の拠点となったそうだ。嬉しいニュースじゃないか。最近地方都市の駅前百貨店の閉店報道が続く。原因は郊外に設けられる大型ショッピングモールに客の流れが変わったからとも言われている。確かに駐車場完備、フードコート、遊戯施設も併設され、ファミリーにとっては半日過ごす事が出来るまさに遊園地感覚が需要を伸ばす要因と思われるが、日常の過ごし方そんな人々ばかりとは限らない。もっとリラックスして、ゆっくり本やネットを見ながらコーヒーの香りを楽しみたいと思っている人には、ピアノの音色が流れる図書館は最高の隠れ家なのでは。 不思議なものだ。活字離れ、本離れと言われて久しい。読者好きも電子書籍で楽しむことが増えている現状なのに。図書館が地方都市を活性化してくれるのは嬉しい限り。他の地方都市も賑わっている。愛知県安城市駅前の総合病院跡地に開館した公立図書館は、今年度2月末までに55万人が来館。三重県亀山市駅前の4階建てビルに入居の公立図書館は電車通学の高校生らが訪れ賑わっている。この動きに出版界も連携。日本出版インフラセンターによると2004年度全国の約2万店舗あった書店は今年約1万1000店舗まで減少した。これはまずい「活字は日本の大切な文化」なのだ。出版界も応援したい。 考えてみると懐刀寂しいとショッピングモールに行っても楽しくない。時間もつぶせない。図書館ならお金が無くても平気。むしろ初めての書籍との出会いもあり有意義でオシャレな時を過ごせる。この流れこれからも地方都市で更に進むのでは。これからの人生テーマは「お金が無くても時を過ごせる」。最近都心にオープンした高級モールは敷居も値段も高すぎる。ラーメン2500円が普通に登場している。インバウンド狙いも良いが都内の人も気楽に過ごせる「ゆったりオシャレ図書館」があったらいいな。そんな場所なら恋も芽生えるのに! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry
2024年3月2日(土)東京・フジテレビ湾岸スタジオにて、カンテレ・フジテレビ開局65周年特別ドラマ『GTOリバイバル』制作発表会見が行われました。1998年に放送された連続ドラマ『GTO』が26年ぶりに、一夜限りのスペシャルドラマとして復活する今作。 制作発表会見には、出演者の反町隆史さん、岡崎紗絵さん、小手伸也さん、八木莉可子さん、畑芽育さん、日向亘さんが登場。MCは山崎裕太さんが務めました。 いよいよ放送日となる4月1日が迫るなか、キャストの皆さんに出演が決まった時の心境や撮影現場でのエピソード、本作の見どころなどを詳しく伺いました。 ◼︎26年ぶりに鬼塚を演じることについて、心境を教えてください。 反町さん:これまでにも何度か、「『GTO』の復活どうですか?」というお話をいただくことはありました。ただ、26年経った今だからこそ、言いたいことを言うというか、僕自身もより多くのことを語れるなと思ったんです。子供たちにとって1番大切な時期に、鬼塚なら今どんなメッセージを届けられるのか、僕自身も凄く興味がありました。 ◼︎出演が決まった時、どんなことを感じましたか? 八木さん:私は『GTO』の放送時、まだ生まれていなかったのでリアルタイム視聴はできませんでしたが、再放送やDVDでよく視聴していた作品でした。そんな作品に私が生徒役として出演できるなんてと、光栄ながらも恐れ多いというのが、正直なところでした。ですが、撮影現場では常に鬼塚先生が鬼塚先生として居続けてくださり、私も安心して飛び込んでいけました。 小手さん:出演が決まった時は純粋に嬉しかったです。今回は、鬼塚先生が赴任する高校の教頭を演じるということで、前作のインパクトに負けないくらい個性を意識して頑張りました。撮影中は反町さんとディスカッションしながら、お互いのキャラクターをうまく確立していけたと感じています。 ◼︎役を演じてみての感想は? 岡崎さん:教師役を演じるのは今作が初めてで、正直かなり緊張していました。それと同時に、少し前までは生徒役だった私が、「ついに教師役をやるようになったか……」と少し感慨深さを感じる瞬間もありました。撮影現場では、常に鬼塚先生がリードしてくださり、キャスト全員何度も支えられたと思います。 日向さん:僕は鬼塚先生が赴任することとなる、私立相徳学院高校の生徒役を演じました。元々『GTO』という作品を知っていたので、撮影中は鬼塚先生とお芝居できているということに、とにかく興奮しっぱなしでした。ただ、教師と生徒という立場で対立するシーンもあったので、その撮影中はグッと堪えて、緊張感を持って演じていましたね。 ◼︎どんな学生時代を過ごしていましたか? 反町さん:僕は小学2年生から、サッカーに明け暮れる日々を過ごしていました。当時は喉が渇いていても水を飲んではいけない、という風潮があり……。真夏の試合中などでも水分補給することができず、トイレの洗面台の水にお世話になっていたという思い出があります(笑)。 岡崎さん:私は行事を全力で楽しむ学生でした。文化祭や体育祭では、率先して自主練習をしたり、ミシンと睨めっこしながら衣装作りを頑張ったりしていました。どんな些細なことでも楽しむ気持ちを忘れずに、こちらから楽しんでやるという思いで、学生生活を送っていました。 学生新聞オンライン2024年3月2日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優 ■ドラマ『GTO』、『GTOリバイバル』について『GTO』は、藤沢とおる氏による同名漫画が原作で、元暴走族の高校教師・鬼塚英吉が、破天荒な行動で生徒や学校の問題に体当たりでぶつかっていく学園ドラマ。立場や損得とは無縁の教師・鬼塚が、本音をぶつけ合い、命がけで生徒に向き合うことで、社会の裏側にくすぶっている問題を解決していく。1998年の放送当時、大きな話題を呼んだ。反町隆史さんが作詞し、歌いあげた主題歌「POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~」も大ヒットとなった。『GTOリバイバル』は、かつてグレート・ティーチャーと呼ばれた鬼塚が問題だらけの高校に教師として赴任し、悩みを抱えた令和の高校生たちに鬼塚流の熱血授業を繰り広げる物語。 4月1日(月)午後9:00~10:48 放送カンテレ・フジテレビ開局65周年特別ドラマ
いまだに治療法のないがん患者さんを助けるために新しい薬を開発したい ノイルイミューン・バイオテック株式会社 代表取締役社長 玉田 耕治(たまだこうじ) ■プロフィール1992年九州大学医学部卒業。1998年から米国で10 年以上にわたってがん免疫研究に取り組み、ジョンズホプキンス大学医学部、メリーランド州立大学医学部にて Principal Investigator(主任研究者)として研究室を主宰。2011年に帰国し、山口大学医学部免疫学教授として就任。2015年にノイルイミューン・バイオテック株式会社を創業。2020年に同社代表取締役社長に就任。 最新のがん免疫療法を介して、これまで有効な治療効果を示すことのできなかった固形がんに対する治療薬を開発する事業に取り組む大学発ベンチャー企業であるノイルイミューン・バイオテック株式会社。同社代表の玉田耕治社長は、安全かつ有効な治療法をすべてのがん患者さんに届けるため、長年に渡り最先端の技術を研究してきた。玉田社長にこれまでの軌跡を聞いた。 大学では医学部に入学しました。入学当初は学業だけでなく、テニスなどで友人との楽しい時間を過ごし、家庭教師や単発のイベント運営のアルバイトも経験しました。ただ、医学部では基礎医学や臨床医学に関する多くの授業や試験があり、卒業時には医師国家試験もあるため、学年が上がるにつれて勉強に打ち込むようになりました。 ■現実の医療現場を見て、新たながんの治療法をめざす 医学部を卒業して医師国家試験に合格し、医師の肩書を得ても、すぐに患者さんを診れるようになるわけではありません。車の免許を取得したばかりのペーパードライバーと同じように、医師としての技術はまだ不十分であり、一人前の医師になるにはたくさんの臨床経験が必要になります。最初の2年間は研修医として診療に従事し、医師としての一般的な知識や技術を学びました。その際、多くの患者さんを診察する中で、当時の最先端の医療方法を駆使しても治療することができず、亡くなっていくがん患者さんを何例も目の当たりにしました。そのような経験から、もっと治療効果の高いがん治療法を自分で創り出したいという想いが高まっていきました。そこで免疫の力を利用してがんを治す方法の研究に注力するため、大学院への進学を決めました。 ■渡米後は、ノーベル賞に関係する研究にも取り組む 大学院在学中には、努力の甲斐もあり、新しい治療法につながるようなアイディアをたくさん出すことができました。ところが、アメリカやヨーロッパなどの世界のトップレベルのがん研究に目を向けると、日本の大学に在籍しながらできることには限界を感じました。私はなんとしても、トップレベルのがん免疫研究に携わり、1人でも多くのがん患者さんに提供できる治療法を創り出したいと思い、大学院を3月に卒業した後すぐに渡米し、博士研究員として現地の大学へ留学しました。その後、アメリカでの私の研究は13年に及びました。渡米して数年後には自らが主体となって研究室をマネジメントし、がんにおける免疫チェックポイント機構やその阻害薬に関する研究に深くかかわるようになりました。当時の研究内容について少し説明しますと、私たちの体の中にある免疫システムは、自分たちの身体を危険にさらすような細胞を排除する力を備えています。しかし、がん細胞は免疫チェックポイント機構という力を利用して、免疫からの攻撃を無効にする術をもっていて、そのために治療が難しいのです。そこで、免疫チェックポイント機構を阻害する薬剤(=免疫チェックポイント阻害薬)を開発し、免疫のがん細胞への攻撃を強化するための研究を行っておりました。世界中の研究者がそのような研究に取り組んでおり、2018年には京都大学特別教授であった本庶佑先生が免疫チェックポイント機構の発見や免疫チェックポイント阻害薬の開発にてノーベル医学生理学賞を受賞されました。 ■人類をがんから救う可能性となる新たな治療法を見つけたことが、起業のきっかけ 2011年に日本へ帰国してからは、アメリカで研究していた時とは別のメカニズムによるがん免疫療法について研究を始めました。遺伝子組み換え技術によって攻撃力を高めたT細胞の一種にCAR-T細胞と呼ばれるものがあります。CAR-T細胞の技術自体は既に開発されていて、血液がんと言われるがんには非常に効果が高い一方、がんの大部分を占める固形がんに対しては効果が不十分であることが知られていました。そこで、私の研究チームはCAR-T細胞を改良してその攻撃力をさらに増強させ、固形がんに対しても効果を発揮できるようにするための新たな技術を創り出しました。こうした新たな技術に基づく治療法を薬として実用化するためには大学だけでは不十分であると考え、当社を起業いたしました。当社は世界的な最先端技術をベースに、大手製薬会社とも連携しつつ、実際に治療薬として有効かどうか確認するための臨床試験を進めています。 ■ほしい人材は、失敗してもチャレンジを継続できる人 管理部門においては、応募書類が丁寧な方は非常に印象が良く、「この人は仕事においても丁寧に対応頂けるのでは」と思います。もちろん、書類だけで採用を決めることはなく、面接での受け答えなどを拝見しながら採用を判断します。一方で研究者の採用については、天才肌の人も多いので一概には言えないのですが、譲れない条件を上げるのであれば、人がやらない研究に積極的に挑戦し、失敗しても新たなチャレンジを継続できる人がいいですね。また、部門に関わらず、私たちの使命である「効果の高いがんの治療法を一刻も早くがん患者の方へ届けること」を目標に、常に熱意を持って業務に取り組んでいただける方と是非一緒に働きたいと思っています。 ■夢は、一人でも多くのがん患者さんを治すこと 私が目指しているのは、大学卒業後に研修医としてスタートした時から変わらず、1人でも多くのがん患者さんに治療を提供することです。そのために会社として、研究と技術開発に焦点をあてて邁進し、その結果として創薬を行い、収益を得ながらそれをもとに新たな研究を進めて、さらに新しい薬を創るというサイクルを回していくことを目指しています。日本の大学には、新しい薬の種になるアイディアがたくさんあります。私たちがそれらを実用化し、日本の医療における開発力や創薬力を世界へ誇れるようにしたいですね。また、研究開発の成果を出し、この会社ならしっかり事業に取り組んでいるから信頼できると、皆さまから認知していただけるように、日々の研究に励んでいきたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 私はこの仕事を30年以上やっていますが、できることはまだまだあると感じていますし、挑戦し足りないことばかりだと考えています。このように思えるのは、紛れもなくこの仕事に魅力を感じているからです。そして、研究開発が自分の好きなことであり、その仕事ができる環境に身を置くことができているから、同じ仕事を継続できるのだと確信しています。そんな仕事を選ぶためにも、大学生の皆さんにアドバイスしたいのは「一見、大変なことに思えても、自分にとっての価値を自分の頭でよく考えてみることが大事」ということです。そして、何事にも自分の意思をもって積極的に挑戦すること、その積み重ねこそが豊かな人生を作ってくれるのではないかと私は思います。 学生新聞オンライン2023年10月20日取材 日本大学1年 大森雨音
めざすのは、日本の種苗販売におけるトップシェアとグローバルな海外展開 株式会社 サカタのタネ 代表取締役社長 坂田宏 (サカタヒロシ) ■プロフィール 1974年、慶應義塾大学卒業、株式会社第一勧業銀行(現・株式会社みずほ銀行)入行。カリフォルニア大学デービス校にて農園芸、種苗について学び、1981年、坂田種苗株式会社(現・株式会社サカタのタネ)入社。国内営業を経験後、オランダ現地法人総支配人、取締役社長室長、広報宣伝部長、経営企画室長、常務取締役管理本部長などを歴任し、2007年、代表取締役社長就任 創業から110年という長い歴史を持つ、国内最大手種苗メーカーのサカタのタネ。プロの農家さんにおける支持率ナンバー1をめざし、日々品種開発を行なっている。現在は12カ国に研究開発拠点を持ち、世界23か国で事業を展開している。今回は同社の代表取締役社長の坂田宏様にお話を伺った。 学生時代は、勉学のみならず、テニスサークルの活動に力を入れていました。3、4年はゼミに入って、かなり熱心に活動していた記憶があります。当時、日本は高度経済成長の時期で、私自身が経済学部だったこともあり、企業に強い興味を持っていました。「社会を幅広く見たい」という気持ちがあったことから、様々な業種と関わり、学びが多い業界を志望し、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行しました。祖父が当社の創業者で、父も社長を務めていたものの、当時は種苗業界を意識することはあまりありませんでしたが、金融業界にいる中で種苗業界やその将来性を知り、「面白い業種だな」と感じてサカタのタネへの入社を決断しました。しかし、私には農業や園芸の知識がなかったため、カリフォルニア大学のデービス校へ2年間留学し、英語の勉強と基本的な農業の知識を学びました。入社後は、農場や国内営業、海外営業、ヨーロッパ支社の立ち上げ、管理部門など、幅広い部署を経験しました。社長に就任してからもその経験がいきています。大変なことはたくさんありましたが、苦労と思うことはほとんどなかったですね。 ■110年の歴史を活かし、ニーズに応える 当社は、花と野菜の品種の研究開発を行なっています。今は「F1(エフワン)」と呼ばれる、遺伝的に異なる形質の固定種を親に持つ子世代の品種を開発しています。新しい品種の開発は、世の中にないものを新たに作り出す仕事なので、非常にチャレンジングです。例えば、トマトひとつにしても、国内で販売する当社品種だけでも20品種以上あります。当社の種苗販売の約90%が生産者向けです。種苗店に卸して、種苗店からプロの生産者へ販売されます。プロの生産者は、農業のプロです。彼らが使うものはナンバー1のものだけです。選んでもらえる品種になるよう、常にオリジナリティを追求しています。110年の歴史の中で脈々と受け継がれてきたオリジナリティというDNAが他社との差別化につながっています。一つの品種が完成するまでには10年から15年かかりますが、その上で、流通過程のニーズと消費者のニーズを先取りして、品種を開発していきます。毎年種を蒔き、その中からニーズに合ったものを選んで掛け合わせていく。そして、掛け合わせを続けることで、求める形質を持った親品種を作る。掛け合わせに使う為の親を長い時間をかけて作り、それらをかけ合わせることで雑種強勢の仕組みでよい形質をもった品種を作り出すことができます。それ以外の試交品種は、全部捨ててしまいます。9割は捨てることになりますが、より良いものだけを残し、残りは潔く捨てることが肝心なのです。 ■世界へ羽ばたく食料の種を生み出すために サカタのタネは、世界12か国に研究拠点があります。各国に研究拠点を作った理由は、世界の食文化や園芸文化のニーズに合わせる必要があるからです。海外には14カ所の研究拠点を持っていますが、それぞれの拠点ごとに開発する野菜や花の種類が異なります。国によって環境が違うので、その拠点の風土に合った品目を選ぶことも肝心です。国や地域によって、土も違うし、栽培方法も違うし、全部違います。たとえば、アメリカの場合は、西海岸か中西部か東海岸かという大まかな場所だけでも気候や土壌が大きく異なります。これは、日本でも同様ですね。こうした気候差や土壌の違いも加味した上で、品種開発は行われています。また、日本で作った種を海外に持っていくためには、植物防疫のハードルも越える必要があります。サカタのタネで共に働く従業員には、情熱を持ち、何事も積極的、かつ前向きに取り組んでほしいと伝えています。また、海外の拠点も多いので、グローバルな思考も持っていてほしいと思っています。国内外で常に新しいことへ挑戦していることから、チャレンジ精神も忘れないでほしいです。野菜と花のカテゴリーの中で、まだ当社がトップシェアを取れていない品目もあるので、そのシェアNO1を目指して国内外で、共に挑戦していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 学生時代は社会人に比べると、自分の自由にできる時間が多いと思います。その時間を使って、ぜひご自身の見聞を広めてほしいです。また、その中で、自分が集中できることを見つけてほしいです。あと、学生時代にぜひ実践してほしいのが、日本を外から見つめる機会を持つことです。日本だけに居ると、なかなか周囲と自分を客観的に比較することが難しくなってしまいます。だからこそ、ぜひ世界から日本を見てほしいなと思います。また、以前に比べれば、格段に情報を入手しやすい時代になってきています。多種多様かつ膨大な情報の整理ができるように、日頃からトレーニングしていくことも大切ですね。 学生新聞オンライン2023年12月13日取材 國學院大學1年 寺西詩音
ブロックチェーン技術を活用し、「直接金融」の実現へ 株式会社BOOSTRY 代表取締役CEO 佐々木 俊典(ささきとしのり) ■プロフィール 筑波大学大学院システム情報工学研究科卒後、SAPジャパンで金融ITコンサルに従事。2008年から野村證券IB部門で資金調達業務を経験。2016年から野村グループ内で新規事業開発部署に所属、野村ホールディング子会社のN-Villageに所属し、ブロックチェーンを活用した資金調達の調査研究等に従事。2019年9月にBOOSTRYを立上げて現職。P2P金融とマーケティング×金融の実現に取組中。 ブロックチェーンを通じた、新たな資金調達モデルを提供する株式会社BOOSTRY。挑戦者とファンを繋ぎ、世の中に新しい価値を生み出すことをビジョンに掲げる。半数は野村総合研究所からの出向メンバーで構成された25人の少数精鋭の社員たちと共に、新たな金融市場開拓を進める同社の佐々木俊典社長に、その想いや今後の展望を伺った。 ■IT×金融の可能性を模索し、会社を設立 「これからの時代は、人工知能かバイオテクノロジー産業が伸びる」。そう考えたとき、生物は苦手だったので、AIの研究をするために筑波大学に進学しました。プライベートの時間も含めて研究室に足を運ぶほど、AIの研究に没頭していました。就職を考えた際には、ITとビジネスが分かるコンサルタントになりたいと考え、ドイツのソフトウェア会社の日本法人の会社に入社。IT導入プロジェクトやシステム開発を通じて、企業向けのITサービスに関する幅広い知見を学ぶことができました。その後、企業のビジネスに直結する金融の勉強をするために、野村證券に入社しました。野村證券では投資銀行部門で企業や自治体等の資金調達業務や、さまざまな金融商品による資金調達の実務を経験しました。転機となったのが、2016年です。グループ内に新設されたFintechの新規事業開発部で公募があり、異動を決意。そこでの新規部署や別会社の立ち上げで経営や戦略に携わったのち、「自分のやりたいことを実現したい」という想いから、2019年に野村ホールディングスの傘下としてBOOSTRYを設立しました。 ■目指すのは、金融機関がいない世界 私たちはブロックチェーンを活用して有価証券の管理ができるプラットフォーム「ibet」を提供しています。従来、株式や債券といった有価証券の権利者になるためには、証券会社を介する必要がありました。そこで、我々が考えたのが、これまで証券会社が担っていた機能を、ブロックチェーン技術で再定義することで、証券会社を通さない証券取引の仕組みです。ブロックチェーンとは、簡単に言えば情報をみんなで共有するシステムのこと。この技術を応用することで、有価証券の権利者が誰なのか、一瞬で分かるようになりました。ブロックチェーン上では、全員で情報を共有するため、セキュリティが高く、悪用されにくいとの利点もあります。また、「ibet」の利用は無料なので、様々な企業がネットワークに参加することで、日々システムの機能がアップデートされ、利用しやすいものになります。特定の企業に依存せず、オープンかつ無料なブロックチェーンの仕組みを提供している点が他社サービスとの差別化となっています。 ■挑戦者と応援者を結ぶ ibetの利用者のニーズは大きく分けて2つあります。1つ目は、資金調達。社債や不動産の証券化品の発行により、資金を調達できる点です。2つ目は、ファン創りです。アプローチが難しい個人投資家との交流をibetのプラットフォームで実現できます。大企業をはじめとする挑戦者とファンである投資家との繋がりを強化できるのが、我々のサービスの強みです。そして近年、このような仕組みを使った社債は個人投資家のニーズだけではなく、法人の投資家のニーズも高まってきています。これはいわゆるグリーンボンドといった環境事業の資金調達で発行される債券に注目が集まっているためです。このように時代に即したサービスを提供するには、ibetのようなオープンソースのプラットフォームが最適だと言えます。そんなibetのネットワークを利用して、有価証券ではないもので私たちが提供するサービスの1つにibetアプリというスマホアプリがあります。このアプリを使うと、企業が発行する会員権やチケットなどの売買が、アプリ上で完結しますし、優待のようなチケットを受取れます。また、電子上の権利を流通させられる仕組みを、クレジットカードだけで取引を完結させられます。なお、金融機関向けサービスの運営を行う際、有価証券の発行者の集客までは自社で行なっていません。なぜなら、社員が25人と少人数なので、全部を自分たちでカバーするのは難しいからです。代わりに、有価証券を買った投資家に優待をデジタルチケットで配布したいという要望に対してアプリを提供し、投資家とのリレーション作りをサポートなどをしています。 ■金融機関がいない世界を目指して BOOSTRYのメンバーとして来てほしいのは、好奇心とバランス感覚を持った人です。好奇心がないと人は成長しませんし、成長し続けることが成功に繋がると考えているからです。また、入社後は、与えられたことだけではなく、好奇心をもって、様々なことを吸収してほしいですし、一つのことだけに興味を持つのではなく、バランスよく物事に関心を持ってほしいです。そのためには、アンテナを高く張り巡らせて、専門領域外の周辺の事にも興味を持ち引き出しが増やすことが重要です。自分の仕事だけではなく、組織についても語れる人を社内で増やしたいですね。あと、仕事のスタンスとして、私が社員によく言っているのが「何事も楽しむこと」です。仕事は真剣に取り組んでほしいですが、楽しくないと吸収は遅くなってしまいます。ですから、私たちは進め方ややり方は個人の裁量に任せ、会社としての方針だけ定めています。社員に任せる文化だからこそ、新しい事業が生まれやすくなります。実際に、法人の財務部向けに作ったインベスターズというサービスは、現場レベルの課題を抽出して、事業化したものですが、これも社員に任せる風土があったからこそ、生まれたものだと思います。今後の展望は、今あるサービスで市場を広げていくことです。大企業の中にあるベンチャー企業なので、自分たちの収益を増やすより、市場をひろげ、その市場の中で活動する企業にに貢献したいと考えています。そして、究極的には、金融機関がいない世界を作りたい。そんな真の直接金融の社会を実現させるために、ブロックチェーンの参加者や活用事例を増やし、挑戦者と支援者の繋がりをさらに強固にしていきたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 学生のみなさんへ伝えたいのは、自分が好きになったことには、全力で取り組んでほしいということです。「将来の役に立つ」とか「仕事に活かせそう」とかは気にせず、自分が本気になれるものをいくつか見つけて取り組んでほしいです。そのとき得たものは、社会に出てからきっとあなたの力になります。 学生新聞オンライン2024年2月5日取材 明治大学大学院1年 酒井躍
店舗DXを推進することで人にしかできないことを。 株式会社USEN 代表取締役社長 貴舩靖彦(きふねやすひこ) ■プロフィール 1995年に株式会社大阪有線放送社(のちのUSEN)に営業職で入社し、その後、支店長・支社長・営業企画部長を経て、2012年に海外事業立ち上げで上海に駐在。2016年に日本へ帰国後、事業推進統括部長・営業本部長・執行役員・取締役を歴任し、2023年9月に株式会社USEN 代表取締役社長に就任。 創業より60年以上、店舗向けにBGMを届ける音楽配信サービスで国内シェアNo.1※を誇るUSEN(USEN-NEXT GROUP)。BGMだけでなく、開業支援から運営サポートまで総合的なサービスを展開。店舗の持つ真の価値創出の実現を目指すUSENはどのような戦略や思いで事業を展開しているのか。代表取締役社長である貴舩靖彦氏にお話を伺った。 ※2023年8月期 統合報告書よりhttps://usen-next.co.jp/ir/integrated_report.html 高校ではゴルフ部に所属しており、ゴルフ中心の高校生活を過ごしていました。周りは進学する中で、大学に行って勉強をするのではなく、プロゴルファーになるために研修生となり、夢を追いかけていました。ゴルフは個人戦です。自分自身の技量を上げるだけでなく、どうマインドを変えていくかが大切であり、当時培った経験は今でも活きています。その後、就職を選択したのですが、人とのコミュニケーションが苦手だったため、自分を変えたいという思いが強くありました。そこで、苦手を克服するために営業ができる会社を志望することにしました。営業はどの会社にもありますが、音楽が好きだった私は、音楽に携わる仕事がしたいと思うようになりました。そして、あらゆる店舗で音楽配信サービスが使われているUSENに入社することを決めました。 ■コミュニケーション下手を克服したい想いから重ねた、お客様との対話 営業配属後、なるべく多くのお客様と話すことを心掛けました。話す際に意識したことは、お客様の店舗状況を理解して最適なサービスを提案できるかです。その後、USENでは営業職だけでなく、様々な職種、事業、企画などを担当しました。特に今に活きていると思うのが、海外での営業経験です。上海に駐在して音楽配信事業のスタートアップの投資に携わったのですが、その際、中小企業のCOOとして参画して初めて、会社のすべての部門が一つにつながっていることに気づきました。そこで経営の思考を学んだことが、今の仕事につながっています。当時は慣れない海外でしたが、海外にも音楽配信事業を広げるという使命が自分を突き動かしてくれましたね。社長になった今では、様々な事業に携わったことで見える角度も変わり、多くの経験が仕事に活きていると思います。 ■店舗DXによってお店の未来を創造する USENは人出不足と業務効率の改善につながるサービスを提供することで、空き時間を店舗の未来に向けた有益な時間に使ってほしいという思いで事業を展開しています。店舗運営の場合、効率化されることで、その時間をオーダー促進、メニュー説明といった本来の接客業務に専念できます。その結果、業務効率の改善だけでなく店舗に集う人が笑顔になれる空間創り、すなわち店舗の持つ真の価値創出の実現につながると考えています。そのために力を入れているのが、店舗に必要なサービスのプロダクト開発です。今までは音楽配信サービスが中心でしたが、現在は開業支援、開店準備、販売促進、運営サポートといった店舗のあらゆる課題に対応する総合的なサービスをサブスクリプションで展開しています。サブスクリプションはお客様の信頼を失ってしまうとすぐに解約につながってしまう可能性があります。そのため、どのサービスでもすぐにメンテナンスサポートができるよう全国に約1,000名のフィールドエンジニアを約135拠点に配備し、いつでも保障や修理、24時間体制のサポートを維持しています。また、自社でプロダクトを開発しているからこそ、お客様の声を聞きながら開発できるというメリットもあります。一つのサービスだけだと差別化が難しいのですが、複数のサービスをパッケージで提案することで業務ごとのアフターケアを一元化できるので、お客様も「USENに頼めば大丈夫」と考えていただけます。 ■目標は400万店舗以上への導入と各サービスのNo.1 そのほか、グループ会社25社と連携して、様々な業界、店舗にサービスが届くようにと意識しています。現在は約82万店舗にサービスを導入していますが、いずれは400万店舗以上に導入したいと思っています。そのためにも弊社のリソースだけでなく、協力会社を増やしアプローチできていない店舗に展開することで、新たなニーズを獲得したいと思っています。音楽配信サービスでは国内シェアNo.1を取れていますが、POSレジなどの部門ごとではNo.1を取れていないので、部門ごとのサービスでNo.1を取ることで、シェアを拡大できると思っています。これを目指すにはお客様が使いやすく、売り上げにつながるものでなければならないため、製品を開発して終わりではなくお客様の声を聞きながら改善していきたいです。 ■音が人に与える影響も研究中 USENでは音が人に与える影響を大学などの研究機関と共同研究しています。ただBGMを流すのではなく、どの音楽をどこで流すと人に変化が起きるのかを研究することで、オフィスや学校など目的に応じて音楽を活用することができます。かつて約440チャンネルを提供していた時代は、お客様がなかなかチャンネルを変えず、流れる曲を固定する店舗が多くありました。そこでAIを活用して、店内にいるお客様の層に合わせてプレイリストを自動作成するなど、それぞれの店舗ごとに店内に合いそうなBGMを選曲できるようになりました。「こういったサービスがあったらいいよね」というお客様の声を聞きながら、新しいサービスやコンテンツを展開できるのがUSENの強みだと思います。 ■大学生へのメッセージ 自分の夢にチャレンジできたからこそ、今の自分があると思っています。大学生のみなさんは、率先的に行動してみてください。インプットも大事ですが、アウトプットも意識してほしいです。また大切なのが素直さです。世の中の動きや人に言われたことに対して真摯に受け止めながら自分に落とし込める人が大きく成長すると思います。時代が大きく進んでいく中で、吸収しよう、アウトプットしようという能動的なアクションやチャレンジ精神を、ぜひ大事にしてほしいです。 学生新聞オンライン2024年1月12日取材 法政大学3年 島田大輝
いちばん強くパッションがある領域で戦いたい 株式会社スピークバディ 代表取締役CEO 立石剛史(たていしつよし) ■プロフィール 慶應義塾大学在学中に会計士二次試験当時最年少合格。外資系投資銀行で上場企業の資金調達やM&Aアドバイザー業務に従事、香港駐在も経験。就職内定当時TOEIC280点だったことから、業務上必要な英語レベルに達するのに大いに苦労し、その経験が現在のサービス開発に繋がった。現在はTOEIC満点・英検1級。 累計300万ダウンロードを突破し、App Store教育ランキング1位を獲得したAI英会話「スピークバディ」。中学生の頃から大の英語嫌いで、全く話せなかったという立石剛史さんが、なぜ英会話アプリの開発に至ったのか。そこには、自身の挫折経験とそこから生まれたパッションがあったのだとか。 ■史上最年少で会計士試験に合格 高校時代は内部進学だったこともありほぼ勉強せず過ごしていましたが、大学に入ってからは、公認会計士の勉強に多くの時間を費やしました。きっかけは、高校3年生の時、父の経営していた会社が倒産し、生活が一転したことです。「これからは自分で稼がなくては」と思い、本屋で仕事図鑑を読み漁っては、自分の力で稼げて結果の出せる仕事を探しました。そこで見つけたのが、経営コンサルタントです。経営コンサルタントになるには、会計士の資格が有利だと知り、商学部への進学を決めました。 大学1年の冬から会計士の資格勉強を始め、1日14時間みっちり勉強し、勉強の邪魔になるからと携帯電話から友人の連絡先を消したり、テレビの電源コードを抜いたりするほどでした。大学3年生の時、その努力がついに実を結ぶこととなります。会計士の試験に史上最年少で合格したんです。それまで小学校から内部進学で、あまり勉強してこなかった自分でしたが、この時初めて「自分もやればできる」と思えました。 ■人生の転機は大病の経験から 大学卒業後は、外資系投資銀行に就職しました。ただ、外資系ということもあり業務には英語が必要。でも先ほどもお伝えしたようにほとんど中高で勉強していなかったこともあり、ただでさえハードな仕事に加えて、英語で本当に苦労しました。 人生の大きな転機となったのは、20代半ばで大病を患ったこと。現在は完治していますが、当時は突然死の可能性もあると告げられて、自分の人生を振り返りました。やりたいことをやって成果も出せたことに満足してはいましたが、死の瀬戸際に立たされた時、ふと「世の中に自分が生まれた意味があっただろうか」と思ったんですよね。私はその問いにはっきりYesと答えることはできませんでした。もし手術が成功して生きられるのであれば、今度は世の中の役に立つことがしたい。それで社会にインパクトを残したい。それで起業することを決意しました。 ■友人の一言で英語学習アプリ開発へ 起業すると決めた上で、どんなサービスを展開するか。もともと「世の中にこんなサービスが有るべきなのでは」とよく考えていたこともあり、アイデア自体はいくつも浮かびました。そんな中、帰国子女の友人から「英語アプリを作ったらどうか」と提案されたんです。でも私は昔から大の英語嫌い。英語だけはするものかと、断固拒否という状態でした。実際、外資系の企業で働いていた当時、私自身が話せないコンプレックスを抱えながら必死に勉強を頑張っていたのですから。 でもまあ、ものは試しにやってみるか、とアプリを作り始めてみたら、とめどなくアイデアがあふれて来たんです。そして素人ながらに作った英語学習アプリが、2014年のApple年間ベストアプリになり、マインクラフトに続いて第2位を獲得しました。ユーザーの反応を見て、英語を学びたい人はこんなにたくさんいるんだと驚きましたし、同時に自分がこんなにも語学習得にパッションを持っているんだとも気づきました。 そこからの数年、機能を増やしていったり、他にも幾つかアプリをリリースしました。ただ、それぞれヒットはしたものの、「これで英語を話せるようになった」という声は聞こえてきませんでした。自分と同じように英語習得に励んでいるけれど、話せなくて苦労している人を助けたい。であれば、もっと画期的なもの・よりインパクトを与えられるものを出さなくては、と思いました。その一心で、再びアプリ開発に奮闘し、新たに生まれたのがAI英会話「スピークバディ」です。 ■人ではなく、AIで学ぶ言語学習 私は英語学習に5000時間・500万円以上と、膨大な時間とお金を費やしたんです。だからこそ、もっと効率良く学べて英語が身に付くサービスが必要だと強く思っていました。でもAI英会話アプリを起案した当初は周りからは反対の声がたくさん挙がりました。音声認識技術もまだ発達し始めた頃で、スムーズに会話できるレベルではなかったこともあります。ですが、以前金融機関でIT関係の仕事を担当していたこともあり、音声認識やAIの分野はどんどん進化していくであろうと確信していました。そして何より、英語を話せるようになりたい人の役に立ちたかった。オンライン英会話をはじめ人間の講師との英会話は、高価で予約をとるのが大変だったり、講師が変わると英語レベルの確認に時間がかかったりして非効率だと感じていました。そして、間違えるのを恥ずかしく感じたり、気をつかったりもする。その点、AI相手だと気楽です。スピークバディは言語習得をサポートする会社として、人ではなく、AIで学ぶ社会を目指しています。今後も、人と区別がつかないくらい流暢に会話ができて、人よりもっと効率的・効果的に言語習得できるAI英会話の開発に取り組んでいきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 自分自身のキャリアを選択する際は、稼げるだけではなく、自分が情熱を持って取り組めるかどうかも非常に大事だと思います。「ikigai」という概念をご存知でしょうか。「得意なこと」「好きなこと」「世の中が必要とすること」「お金をもらえること」の4つが全て重なることで人は生きがいを感じられる、という考え方です。私も初めは金銭面を第一に考えていましたが、いま取り組んでいる事業は、この4つが重なることだと強く感じています。ぜひ、皆さんにも学生生活を通して、自分が情熱を感じるものを見つけてほしいですね。 学生新聞オンライン2024年1月23日取材 上智大学2年 白坂日葵
中小企業を支え日本をより良くしたい 弥生株式会社 代表取締役 社長執行役員 前山貴弘 (まえやまたかひろ) ■プロフィール 1977年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)及びシンガポール国立大学の経営大学院修了。プライスウォーターハウスクーパース税務事務所(現 PwC税理士法人)にて国内およびクロスボーダーの税務コンサルティングに携わる。2007年弥生株式会社入社、2011年退社。その後、デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社にて日系企業の海外子会社再建、国内事業再編等の支援業務に従事。2020年に再び弥生に入社し、取締役管理本部長に就任。2023年より代表取締役 社長執行役員。税理士・公認会計士資格を保持。 会計初心者でも簡単にできる会計ソフトウェアの開発、販売、サポートを行う弥生株式会社。起業・開業や事業支援などを通じ、会計ソフトの枠を超えたサービスを展開している。前山社長は新しい弥生を「挑戦」と表現し、進化を目指す。2度弥生に入社された「出戻り組」である前山社長に、会社と製品の魅力、そして目指す弥生の未来について伺った。 ■ゼミに熱中した大学時代 大学はゼミ中心の生活でした。内閣府の顧問なども務めていた島田晴雄先生の経済学部のゼミに所属していました。先生は、1人の人間として社会を生きるためには、複雑な世の中を体感し、様々な観点から物事を見るべきだとよくおっしゃっていました。そのため、ゼミでは理論を学ぶだけではなく、イベントにも積極的に参加して世の中の流れを理解することに努めていました。 実家が会計事務所であることから、会計にはもともと興味があり、公認会計士の資格を取得しました。公認会計士に合格した人の多くは監査法人に就職しますが、私は違う道を進みたいという思いから、プライスウォーターハウスクーパース(現 PwC税理士法人)の税務部門に就職を決めました。 ■弥生へ2度、入社した理由 実は2007年と2020年に弥生に入社しているんです。初めての入社はPwCで出会った先輩の紹介がきっかけでした。その後、一度弥生でのキャリアを中断し、海外留学をして経営を学びました。将来、言葉による制限で、やりたいことが制限されることがあったら嫌だと感じていたことが留学を決めた理由です。語学の面では結構苦労しましたが、会計という自身の強みで人とのつながりを築くよう努力しました。2度目の入社は、前社長に戻ってこないかと声をかけていただいたことがきっかけです。二つ返事で引き受けました。その理由は、私が会社として弥生を好きだったからです。同時に、弥生の事業と親和性のあるバックグラウンドを活かし、以前とは違った形で会社に貢献できるのではと思ったからです。私は会計事務所の家で育ち、実際に弥生の製品を使っていたため、ユーザー視点での改善に役立ちたいと考えていました。また。馴染みのあり仲間とまた一緒に仕事ができることにも、魅力を感じていました。最初はCFOという財務責任者として入社しました。会社の数字を管理し、レポートすることや、社内外で適切なコミュニケーションを行うことが求められる仕事です。経営陣の一員であるCFOになるにあたり、公認会計士としてのアプローチや、留学で培った経営の知識を活かし、会社の課題を解決したいという思いがありました。入社後は、予想外の苦労もありました。例えば、親会社を含むステークホルダーとの調整です。自分たちがやりたいことを主張しながらも、関係者がが求めることを理解し、バランスを取ることは想像以上に難しかったです。 ■弥生ならではの魅力 弥生の社員に共通していることは、愛社精神とプロダクトへの愛情です。また事業を通じて、中小企業を支援して、日本や経済を良くしたいという想いを持っていますね。熱い想いを持っている社員が揃っている会社は珍しいと思います。製品に関しては、専門家である会計事務所の方だけでなく、会計初心者の事業者の方にも使いやすいというフィードバックをいただいています。製品そのものだけでなく、購入いただいた後のサポートにも力を入れています。特に、カスタマーセンターは年間120万件のお問い合わせがあり、多くの方に利用いただいています。インタラクティブなやり取りをタイムリーにできるカスタマーセンターの存在は、お客様に安心感を持っていただいているのではないでしょうか。 ■莫大なユーザー数を活かしたサービス 我々の1番の強みは、310万以上という登録ユーザー数と蓄積されたデータです。我々のソリューションは、多くの中小企業の方に使っていただいています。中小企業は日本の経済を支えています。私たちは、そんな中小企業のお客様が、幸福感を持ち元気になれるようお手伝いしたいと思っています。今までは、お客様の業務を効率化することにフォーカスをあてて、その中で幸福感を実現する努力をしていました。しかし、お客様の幸福度を上げ続けるには、業務の効率化だけでは限界があるため、事業自体の成功を支えることも必要だと感じています。我々が目指しているのは、ユーザーにマッチした情報を提供していく取り組みです。Googleが個々のユーザー情報を得て、広告に反映させているのと同じようなイメージです。弊社ソリューションは中小企業の多くの方に使っていただいており、クラウド上には全国の中小企業の業務データが一円単位で保存されています。データを読み解くことで彼らの経済活動を把握することが可能です。中小企業は大企業と比べて、競合企業で何が起きているか把握しづらく、競合との業績の差の理由がわからないことも多い。そこで、我々が共有している多くの経済データを参考に、中小企業の方々に経営情報をフィードバックし、次のアクションに生かしてほしいという展望があります。 ■大学生へのメッセージ 大学生のときしかできないことは本当にたくさんあります。自身の興味関心の赴くままに、楽しいと思えることを見つけて一生懸命取り組んでほしいです。採用の際には、物事に対して前向きに取り組める人かどうかを重視しています。新しい環境でも積極的に学びながら主体的に成長しようという意識を持った方と一緒に働きたいですね。 学生新聞オンライン2024年1月15日取材 津田塾大学4年 大川知
遅まきながらインスタ始めました。食わず嫌いだったのか、興味がなかったのか、仲間はやっていてもまったく触手が動かなかった。今日何食べた、何処へ行ったとインスタで毎日報告する気がしない。面倒くさいのです。一番はプライベートを余り知られたくない。そんな事から縁遠い存在のはずが、ある日起きたら突然「インスタ始める!」…そこからのスタートです。 とは言っても食事など日常生活を写真に撮っても、皆さんきっと興味がないはず。第一、私、食に貪欲では無く、好物がカレーライスやハンバーグ、鍋焼きうどんにパスタと子供達が好きな料理と変わらない。グルメでもない。行きつけのお店も数店しかない。これでは2週間で終わってしまう。地元鎌倉の人気スポットを今更紹介しても皆さんの方が詳しいだろうから新鮮味もない。車は大好きだけどYouTubeチャンネル『お笑いバックドロップ』で毎回お宝中古車を紹介しているので同じことをやっても始まらない。TBSラジオ『テリー伊藤、昭和モーレツ天国』で一緒にやっている吉竹史ちゃんに話したところ「絶対にファションが良い!毎日出掛ける時に着る服を紹介したら。」のアドバイス。確かに洋服は呆れる程クローゼットにあるけれど、日常は身近にある同じような服を着ているのが現状。毎日替えるのもプレシャーになりそう。スタートする前からこんな調子。 悩みました。考えました。決めました!長年に渡り買い続けた摩訶不思議な、意味のないお宝を紹介していきます。何たって “無駄遣いの王様” の異名を持つ私ですから。これなら納戸の扉が閉まらない程持っている。「これ最高」と購入してきたが、多くは一般の方が全く興味の無い物ばかり。例えば、レディ・ガガが愛用して話題になった日本人デザイナー舘花さんが作った靴。あまりの格好良さに私もお願いして作って貰った作品。実際に履くと大変なのですが、そこは気合で。1894年生まれのシルクハットは何とも哀愁漂う佇まい。1970年代の名作ハリウッド映画『イージーライダー』で、あのピーター・ホンダが被っていた星条旗柄のヘルメットの同型を所有。人間の大きさ程ある不気味な木製昆虫…などなど。 早速インスタに挙げたので是非見て笑って下さい!ですがフォロワー数が笑っちゃう位少ないのです。現在204名。「人気ない」と冷やかされています。こうなったら面白いインスタにする決意!! 皆さん是非「テリー伊藤 インスタ」に登録お願いします!! 笑って下さい。とは言っても飽きっぽい性格なので〈シーズン1〉と称してすぐインスタ止める可能性あり。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry
現場のニーズを察して、日本一の和食レストランへ導く SRSホールディングス株式会社 代表取締役執行役員社長 重里政彦(しげさとまさひこ) ■プロフィール 大阪府生まれ。大学卒業後、総合商社で海外勤務、M&Aなどを経験した後に2008年当社に入社。「和食さと」で食べ放題メニュー「さとしゃぶ」の発売、キッチンや店内の改革を断行し、業績回復を果たした。2017年に代表取締役執行役員社長(現職)に就任。「明るく仕事をする」をモットーに、外食・中食を地域に欠かせないインフラとすべく取り組んでいる。 父の急死によって兄が家業を継いだ際、商社で勤務をしていた重里さんは、父の飲食業界を継ぐことは全く考えていなかったという。そんな重里さんが、なぜ父の会社に関わるようになったのか。和食レストランチェーンとして大成功を収めるまでの道のりをお伺いした。 ■研究職から商売の道へ 大学時代は、農学部獣医学科を選択しました。私はもともと「医者になりたい」と思っていたのですが、実は大学受験の際、父からは医学部への進学に反対されていたからです。「医学部に入ったら学費は出さない」とまで言われてしまったんですよね。(笑)我が家の家業は、和食外食チェーンの運営です。今思えば、その頃、癌が発覚していた父にとって、そう長くはないと感じた自分の後継として仕事を手伝ってほしかったのだと思います。獣医学科で専攻した実験動物学研究室では、主にあるウイルスにより、発症させた疾患モデル動物を利用して、その疾患を解析する研究をしていました。ですが、やればやるほど研究職が自分とは肌に合わないのではないかと感じるようになりました。実験が上手くいくかどうかではなく、研究職では達成感を得られないのではと迷うようになったんです。大学6年生(獣医学科は6年制)で就職活動を始め、いろんな会社を目の当たりにしたら、もっと広い世界で学びたいという気持ち強くなりました。当時新しいブランドや商品が世界から日本へどんどん入ってきた時代ということもあり、商売に興味をそそられたんですよね。リクルーターの先輩たちの話を聞いていく上で、1番楽しそうに仕事をしていて魅力を感じたのが商社でした。 ■父と兄の会社を継ぐ 商社に入ってからは、アメリカで日本のメーカーの商品を開発し、販売につなげる仕事をしていました。5年間の海外勤務を終えて帰国する直前に、自社と他の総合商社が合併することとなり、実質的には私の会社が吸収される側になりました。私がいた部署はファンドに売却されたこともあり、それまでとは違った経営が進められました。わかりやすく言えば数字至上主義という感じでしょうか。その後、さらにファンドからファンドへ売却されることが決まった39歳の時に、これを繰り返すことに抵抗があり転職を決意します。念の為、父の死後、会社を継いだ兄にも報告しようと連絡を入れたところ、人生で初めて2人で食事をすることになりました。そこで、兄から「うちの会社を手伝ってくれないか」と言われたんですよね。外資系の製薬会社などからも誘いはあったのですが、これまで自分を育ててくれた亡き父親への感謝もあり、今まで積み重ねてきたことが少しでも会社の役に立てばと思い、家業を手伝うことに決めました。 ■現場のニーズを汲み取る 当初は、商社出身ということもあり、海外戦略や仕入の部分を期待されて入社しましたが、リーマン・ショックによる打撃を受け、急遽、会社の立て直しに向き合うようになりました。そこでまず着手したのは、自社のメインブランドである「和食さと」の改革です。同ブランドのトップに立ち、業務改革だけではなく商品開発も行いました。全店長他社員250人ほどにインタビューして現状を把握し、街中を歩き回って、世の中で支持されているお店の特徴を探しました。そこで、自社の得意なことでできることを考えた時、「さとしゃぶ」が生まれたんです。天ぷら商品のバリューアップやドリンクバーの導入など、できることは全てやってみました。他にタッチパネルの導入も考案したところ、当初は経営層はじめ多くの社員からは大反対を受けました。社員たちからすれば、従来通り注文を受けるというやり方を大切にしたいという想いがあったのでしょう。ただ、目の前にいるお客様と対峙しているのは現場であり、私たち事業のトップではありません。そんな現場のニーズは、お客様とのコミュニケーションでしか分かりません。私は外から飲食業界に飛び込んだ立場でしたが、客観的に「現場のニーズや時代にあった要望をくみ取ることが大事」と感じたからこそ、タッチパネルの導入を実施しました。結果的に、現場の負担が減り、売上にも貢献するように。大胆な考案で会社のピンチを救うことができたのは、大きな成果だと思っています。 ■お客様の数=社会貢献度 近年はコロナの影響により、お客様のライフスタイルは大きく変わったように思います。夜21時頃までのお客様は多く戻ってきていますが、それ以降の時間帯のお客様はかなり減りましたね。大人数での宴会も減り、仕事が終わると家に帰るというスタイルが浸透しているのでしょうか。これまでは宴会の需要が高かった時代でしたが、ご家族でも楽しめるようにと、大部屋のあった多くの店舗を少人数で利用できる、半個室に改装しました。このように、時代の流れに合わせた変化が、お客様にどれだけ足を運んでもらえるかの鍵となります。よく社員にも伝えていることですが、お客様の数が社会貢献の指標になると私は考えています。お客様が楽しそうに食べている姿を見られるのは、何よりのモチベーションです。和食レストランとしてお客様に満足していただけるよう、これからは日本だけではなく、海外で、そして最終的にはアメリカでのブランド展開も目標にしています。 ■大学生へのメッセージ 就職活動においては、「どこの会社の給料が高くて人気」といった情報をたくさん目にすると思いますが、給料や労働環境、福利厚生などは二の次だと私は思います。まずは自分に正直になってほしいと思います。キャリアを積むにしても、長い人生なので、自分にとって楽しいと思える仕事が良いですね。自分は何をしたらイキイキとしていられるか、学生生活で得た経験をもとに考えてみてください。楽しい仕事であれば、苦労があっても乗り越えられるものです。 学生新聞オンライン2024年1月12日取材 上智大学2年 白坂日葵