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Archive for 運営スタッフ

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「アンメット ある脳外科医の日記」制作発表記者会見

来週4月15日(月)にスタートするカンテレ・フジテレビ系月10ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」制作発表記者会見が7日に行われた。本作は講談社「モーニング」で連載中の漫画「アンメット-ある脳外科医の日記-」(原作:子鹿ゆずる/漫画:大槻閑人)を原作に、杉咲花演じる“記憶障害の脳外科医”の主人公、川内ミヤビが、目の前の患者を救い、自分自身も再生していく医療ヒューマンドラマである。 制作発表会見には主演の杉咲花さんをはじめ、若葉竜也さん、岡山天音さん、生田絵梨花さん、千葉雄大さん、吉瀬美智子さん、井浦新さんが登場。様々な想いを持つキャストのみなさんに今の心境や撮影現場でのエピソード、裏話について伺った。 ■撮影はいかがでしたか? 杉咲さん:今日までアンメットに関わる方々と何百時間と作品に向き合ってきたと思うと、非常に感慨深いものがあります。昨年脚本家の篠﨑さんにお会いし、作品に対する想いを伺い、川内ミヤビを演じることを決めました。撮影現場は非常に和気藹々としていて、毎日撮影現場に行くのが楽しみでした。それでも、本番になるといい緊張感があって、とんでもなく素敵なシーンがたくさん収められた作品になっています。放送が近づいてきてなんだか息が速くなるような気持ちです。 若葉さん:米田プロデューサーの熱い想いに応えたいと思い、今回演じさせていただきました。それに杉咲さんからも「やるよね?」と直接電話をいただいたので、やろうと思いました。 杉咲さん:三瓶先生役は若葉さんしかいない!と思って、気付いたら電話していましたね(笑)。 井浦さん:作品や役に一人ひとりが真正面から向き合っていて、最年長ですが、自分も緊張していましたね。みんな様々なジャンルの第一線で活躍している方々で、千葉君以外はほぼ初共演の方だったこともあり、いい緊張感をもって作品に挑むことができました。 吉瀬さん:今回の作品は早めにオファーをいただいたので、髪を伸ばして原作に見た目を寄せようと意識しました。”安全の鬼”と言われる役を演じたのですが、自分自身も真面目で緊張してしまうタイプなので、演じる津幡玲子と通ずる部分がありましたね。 生田さん:私も緊張するタイプなんですけど、カメラが回っていないところでスタッフさん含め演者のみなさんとコミュニケーションをとる時間を作っていただいたので、周りに鼓舞されながら頑張ることができました。 岡山さん:最初の撮影が生田さんとの二人のシーンだったのですが、現場の隅っこの方に杉咲さんが来ているのを見つけて、一気に芝居が固くなりました(笑)。座長パンチを食らいましたね(笑)。座長として忙しいスケジュールの中、自分の出演シーンがないのに現場を見に来てくれて、自分も頑張ろうと思いました。 杉咲さん:共演者のみなさんのクランクインも見届けたいなって気持ちでしたから。とても素敵なシーンだったので、自分も気合いが入りましたね。 千葉さん:医療ドラマをがっつりやるのは初めてだったので、実際にお医者さんの方々にたくさん指導していただきました。個人的には、「熱いムードメーカー」という役柄を何度も唱えられるのが少し恥ずかしかったですね(笑)。撮影現場では、杉咲さんの屈託のない笑顔が空気を和ませてくれましたね。 ■現場で流行っていたことは? 若葉さん:吻合(ふんごう)練習ですかね? 杉咲さん:流行ってたの?(笑) 若葉さん:血管の吻合シーンは入念に練習して撮影に臨んでいました。吻合練習はだいぶホットな話題ですね。本番は実際に杉咲さんが疑似血管を吻合したんですけど、医療指導のお医者さんが度肝を抜かれるくらいでしたよ。杉咲さんの一生懸命さがみんなのいい刺激になっていました。僕は吻合のシーンないんですけどね。 千葉さん:僕も以前から吻合の練習をしてるんですけど、若葉さんも空いてる時間に吻合してましたよね。 杉咲さん:そうなんですよ。困ったことに若葉さんはコツを掴むスピードが本当に早くて。私はすごく時間をかけて吻合の練習をしたのに「ちょっと貸して」って言われて貸すとすぐできちゃったんですよ。やめて欲しいですね(笑)。 ■杉咲さんからのメッセージ 私は昨今生きていて、世の中不安なことだらけだなと感じますし、同じように感じている方も多いのではないかと思います。でも、自分が恐怖に感じることや苦手なことを、そばにいる人が理解してくれようとしたり、想像してくれるだけで、自分をもう少しだけ受け入れてみようと思えたり、明日のことを考えてみようと感じられると思うんです。「アンメット」は直訳すると「満たされない」という意味ですが、そんなふうに光で包み込めるようなドラマになったら嬉しいです。アンメットに関わる全ての人は、血のにじむような日々を過ごし、いい作品のためなら険しい道を進んで選ぶような方々です。こんな気概のある現場で、一緒にものづくりができていることに幸せを感じています。様々なドラマがあると思いますが、その中でも指折りの傑作になってくれたらいいなと思います。みなさん、期待していてください。 学生新聞オンライン2024年4月7日取材 中央大学3年 前田蓮峰記事構成:上智大学3年 吉川みなみ 『アンメット ある脳外科医の日記』【放送枠】2024年4月15日スタート 初回15分拡大 毎週月曜よる10時(カンテレ・フジテレビ系全国ネット)【出演】杉咲花 若葉竜也 岡山天音 生田絵梨花 山谷花純 尾崎匠海(INI) 中村里帆 ・ 安井順平 野呂佳代 千葉雄大 ・ 小市慢太郎 酒向芳 吉瀬美智子 井浦新【主題歌】あいみょん「会いに行くのに」【原作】子鹿ゆずる(原作)・大槻閑人(漫画)「アンメット-ある脳外科医の日記-」 (講談社「モーニング」連載)

学生新聞インターン

現役女子高生プロゴルファー 清本美波 

トライ&エラーを繰り返し、自分に最適な方法で勝利をめざす 現役女子高生プロゴルファー 清本美波 (きよもとみなみ) ■プロフィール父の影響で6歳からゴルフを始める。2018年「全国中学校ゴルフ選手権春季大会」優勝。21年「樋口久子 三菱電機レディス」では18位でローアマタイトルを獲得した。23年のプロテストにトップ合格。好きなゴルファー、憧れはタイガー・ウッズ。身長153センチ。好きなクラブは8番アイアン強気のパッティングが長所。 2023年、現役高校生でありながら、ゴルフのプロテストをトップの成績で合格し、今後の活躍が期待される清本美波選手。当初、ゴルフは「遊び感覚で始めた」というが、いつしか本気で向き合うようになり、プロゴルファーへと転身。そんな清本選手にゴルフの魅力や今までの経験を伺った。 これまで様々なスポーツに触れてきましたが、一番継続できたスポーツがゴルフだったんです。たとえば、幼稚園の頃は、毎週金曜日にダンスを習っていましたが、なかなか楽しめず、2年ほどしか続きませんでした。ゴルフに出会ったのは、6歳の頃。きっかけは、父の会社でのコンペです。私自身は付き添いで参加したものの、ゴルフを初めて経験しました。以来、父と一緒にゴルフに行くようになったのですが、当時はプロになりたいという想いはなく、公園に遊びに行く感覚でゴルフをしていました(笑)。でも、小学3年生の頃から、プロゴルファーになることを本気で目指すようになりました。以来、毎日ゴルフをすることで、ますます「自分にはゴルフしかないな」と思い、練習への真剣度が高まっていったと思います。今は試合で思ったようなパフォーマンスができなくても、雰囲気を楽しみながら、最初から最後までやり切る事や、全力で楽しむことを大切にしながら、ゴルフを続けています。 ■家族の全力サポートのおかげで今がある 高校2年生の終わり頃に一度だけゴルフを本気で辞めたいと思ったことがあります。それまでは感じたことがなかったのですが、ラウンドの第一打目であるティーショットを打つことが怖くなってしまったのです。前に進めない恐怖から、本気で「無理だ」と思いました。私は父に「克服できる自信がない」と告げたところ、父が「失敗を恐れなくていい。大切なのは、挑戦をし続ける事、すぐには難しいと思うけど家族で一緒に乗り越えていこ」と言われ、これまでサポートしてくれた父の想いを感じて、心にあったもやもやが吹っ切れました。ただ、そんな経験をしたからこそ、「どうせ辞めるならプロテストだけ受けてみよう。そして受けるなら本気で挑もう」と考え、気合を入れなおし、練習を頑張りました。現在でも、家族全体が私をサポートし、ゴルフ中心の生活をしてくれているので、「頑張らなくちゃ」と思うことが多いです。また、試合で勝った時の楽しさや嬉しさも、ゴルフに真面目に取り組むモチベーションに繋がっていると思います。 ■大切なのは技術力と分析力 本格的にプロゴルファーを目指すと決めてから、トレーニングを始めたり、コースのマネジメントを考えたりするようになりました。芝の深さや自分自身の体調、ピンから逆算した距離など、技術だけでなく、どう攻めていくかの戦略立ても意識しています。また、ミスした時に備えて、ミスした時でも焦らずに進めるように、いくつか対応パターンも考えておきます。その結果、後悔が生まれるようなミスが減り、ミスをしても戦略があるので、焦らずに試合を続けることができます。個人的な課題としては、目の前にあるものを狙いすぎてスコアを落としてしまうことが多いので、色々な人のプレーを見たり、先輩から話を聞いたり、人と自分の何が違うのかを考えて分析する習慣をつけています。2023年のプロテストの時期、自分のパワーがボールに伝わるフォームにこだわり、ひたすら練習していました。その結果、690人が受けた中でプロテストをトップ通過できました。独特な雰囲気のなかでも堂々と落ち着いて自分のプレーができていたと思います。私は周りと自分を比べてしまう癖があるのですが、周囲を見ずに最後まであきらめず頑張ったことがよかったのかもしれません。そして、父の助けも大きいです。父はゴルフをしませんが、ゴルフゲームやゴルフ観戦が好きで、ゲームや観戦で学んだことを熱心に教えてくれます。実際プレーしないため知らないがゆえに無理を言うこともありますが、先入観がないからこそできる提案があり、それにチャレンジできることがスキルアップに繋がっていると思います。 ■リフレッシュがあるからこそ頑張れる 高校生活とゴルフを両立させることはとても大変です。朝から学校に行き、一日勉強して帰宅したら、軽い練習をします。そして、夕飯の後に毎日練習場に行き、ゴルフ練習に打ち込む日々を送っています。週3回程度はトレーニングに行き、体幹やウエイトを中心的に鍛えています。そんなゴルフ中心の生活をしていますが、休日に友達とテーマパークに行ったり、遊んだり、好きなコスメやスキンケア用品を集めたりします。この楽しみがリフレッシュとなり、「よし、ゴルフを頑張ろう」いう気持ちになります。 ■私が思うゴルフの魅力 ゴルフの魅力はいくつかありますが、なかでも色々な人と交流が出来ることが大きいです。ゴルフのおかげで、全国各地に友達が増えました。全国大会でしか会えない友達もいますが、「一緒に全国行こうね」と、お互い切磋琢磨しながらゴルフに取り組めています。また、ゴルフは個人スポーツなので、コースに対しての戦略を自分で分析する面白さがあります。トライ&エラーを繰り返して上達が見えた時や、戦略的に動けた時のやりがいも魅力だと思っています。将来、私はタイガー・ウッズのようなスター性の溢れる選手になりたいと思っています。ゴルフのプレーや技術はもちろん、人間性でも立派な人になりたいです。 ■大学生へのメッセージ 日々、私のことを応援してくださっている方々に感謝しています。InstagramのDM等でメッセージを頂くことも多いですが、そのおかげで頑張れているのを実感しています。この気持ちを忘れずに、「2028年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを取る」という目標に向かって、頑張っていきたいです。 <お父様 清本宗健様よりコメント> 私は海外の試合をよく見ますが、ギャラリーと選手が一体となって盛り上がったり、感動が得られたりする点が、ゴルフの魅力だと感じています。娘はとにかく気が強く、悔しさを糧に頑張っているのがよく伝わってきます。それが、娘の強みであり、魅力です。今後、娘には見ている人を惹きつけ、感動を与えられる人になってほしいと思っています。 学生新聞オンライン2024年2月14日取材 共立女子短期大学2年 猪本玲菜 武蔵野大学4年 西山流生 / 清本宗健 / 共立女子短期大学2年 猪本玲菜 / 清本美波 / 上智大学短期大学部2年 大野詩織

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一般社団法人日本飲食業経営審議会 代表理事 高橋英樹

飲食業の未来を守るため。国や政治家に、自分たちの声を届ける。 一般社団法人日本飲食業経営審議会 代表理事 高橋英樹(たかはしひでき) ■プロフィール1970年、福岡県生まれ。15歳から大阪の飲食店で修業し、24歳の時に有限会社夢笛コーポレーション設立のため、先代社長とともに広島の福山へ。34歳で会社を引き継ぎ同社代表取締役に就任。2008年から2年間はNPO法人居酒屋甲子園の二代目理事長も務めた。2021年11月、コロナ禍で甚大なダメージを被った飲食業界を立て直すべく業界団体「日本飲食業経営審議会」を設立し、代表理事に就任。飲食関連の48団体が加盟する一般社団法人日本飲食団体連合会の専務理事も務め、日本の飲食業界が抱える課題解決に取り組んでいる。 飲食業界の声をまとめて国に届けることでルールから変えていくため、48団体が所属する日本飲食団体連合会。どのような経緯で日本飲食団体連合会が立ち上がったのか。また、団体の目指す未来とは。日本飲食団体連合会の専務理事であり、日本飲食業経営審議会の代表理事である高橋さんにお話しを伺った。 ◾️たった一つの出会いが人生を大きく変える 人生は、時に予期せぬ分岐点から導かれるもの。私の人生も、高校時代の偶然から始まりました。小学生時代からサッカーが好きだった私は、大学生までサッカーを続けたいと思っていました。しかし、いざ入学した高校ではラグビー部しかなく、学校に行く目的を見失ってしまいます。失意から、高校はわずか3か月で中退してしまい、小学生からの夢だった教師への道も遠ざかりました。しかし、そこで出会ったのが飲食の世界です。当時始めた居酒屋のアルバイトが楽しくて、サッカーからアルバイトに好奇心の矢印が向くようになりました。その後、中卒だった私を唯一雇ってくれた居酒屋さんとの出会いから、私の人生は大きく変わっていきました。 その後も、大きな人生の分岐点が4つありました。 1つ目は仕事の意識の変化です。16歳のとき、居酒屋で働き始めたものの、私は常にさぼっていました。365日中360日働いていたものの360日遅刻していましたから、やる気のなさがよくわかるはず(笑)。ですが、16歳のときに、一人の先輩が「このままでいいのか?」と諭してくれました。その言葉がきっかけとなり、「どうせならちゃんとやろう」と考え、板前の世界に入ることを決意します。 2つ目は20歳のとき、中卒だった私を唯一雇ってくれたお店の専務からの声かけです。当時、私は板前をめざし、神戸の料亭で働いていました。すると、最初に雇ってくれた居酒屋の専務から、居酒屋の店長をしないか?という話をいただきました。専務への恩もあったので、板前の勉強を中座して大阪に戻りました。大阪に戻ってからは店長として3店舗かけもちして働きます。初の店長職でしたが、3店舗の売上はすべて前年比を超えることができました。特別なことをしたわけではなく、挨拶や店をきれいにするなど当たり前のことをしただけです。そこで私は当たり前が実績を作ることを学びました。 3つ目は、34歳で社長になったことです。3店舗の店長を始めてから3年後、15歳の時に私を面接してくれた人が「広島で開くお店の総料理長としてこないか」と声をかけてくれました。いい経験になるだろうと思った私は総料理長として入り、店長、マネージャーを経て10年がたったころには営業部長になっていました。お店は6店舗になっていたものの、自分の将来を考え、「独立するならいまだ」と会社を辞める決意をします。辞める表明をしたものの全店舗の店長が「私が辞めるなら辞める」と言ってくれたため、MBOで会社を買い、34歳で社長になりました。 4つ目は、大嶋啓介さんとの出会いと日本飲食団体連合会の立ち上げです。まず、「居酒屋から日本を変えよう。居酒屋業界を元気に」という思いで、大嶋啓介さんと日本一の居酒屋店を競い合う、居酒屋甲子園を立ち上げました。居酒屋甲子園を通じてロマンをひたすら追いかけることはできましたが、そろばん部分、すなわち収益構造を改善していかないと業界が変わらないことにも気づかされました。居酒屋甲子園引退後はFC、ブライダルなど自分の事業を拡げていきました。コロナ禍において、政府の方針に従わざるを得ない状況の中、さまざまルールが変わっていき、飲食業界の声が届いていないことをとても痛感しました。しかし、そうした飲食業界の声がまとまることで政府や国に届くのです。正攻法で政治家の人と対話をできるきっかけが必要だと感じた私は、飲食業界の団体をまとめようと決意します。そこで48団体が所属する日本飲食団体連合会を立ち上げました。 ◾️生の声を国に届ける。ルールが変わることで未来も変わる。 飲食業界では東京と地方の差も大きく、地方を助けなければと思い、食団連の地方支部の1つとして、日本飲食業経営審議会も立ち上げました。食べる食文化と職人の文化を未来に繋ぎ、文化的価値の向上と金銭的な価値を向上させる。これが食団連の目指すビジョンになります。そのためにもルールが必要です。ルールを作るための団体でもあり、ルールを学ぶ団体として食団連があります。飲食業界の健全な価値観を作るためにも実際に政治家の方との勉強会を開催したりなどしています。政治家だけでなく飲食業界にも訴えていく動きも必要です。労働者の7パーセントは飲食業界で働いています。だからこそ働いている人たちが報われるように、飲食従業者の未来を作ります。飲食で働いている人たちが誇りをもって働けるように。それは1000円の居酒屋でも同じです。飲食業界の明るい未来を、食団連を通じて創り上げていけたらなと思っています。 ◾️message 私が子どもに伝えているのは、嘘をつかないこと、命を大事にしてほしいこと、兄弟力を合わせることです。また、素直さも大切です。素直さとは人を否定するのではなく、肯定的な態度をもち、笑顔になる思考です。ポジティブに物事を変換できるだけでも大きく変わってくると思います。このことは会社でも一緒です。そして、会社は守ってくれません。会社に期待するのではなく、常に自分の意志で考えながら動いてください。意思のない歯車ではないのですから。 学生新聞オンライン2024年3月4日取材 法政大学3年 島田大輝 法政大学  3年 島田大輝 /慶應義塾大学大学院  2年 賀彦嘉/東洋学園大学 3年 石原秀真/武蔵野大学 4年 西山流生

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マルコメ株式会社 代表取締役社長 青木時男

発酵の可能性を信じて、「世界初」の商品開発に挑む マルコメ株式会社 代表取締役社長 青木時男(あおき ときお) ■プロフィール 1957年、長崎県生まれ。1979年、慶應義塾大学卒業。食品問屋を経て1984年、マルコメ入社。1998年、代表取締役社長に就任。 味噌を中心に、さまざまなカテゴリーの発酵食品を展開しているマルコメ株式会社。これまで数々のヒット商品を生み出し、今も発酵の新たな可能性に挑戦している。今回は、代表取締役社長である青木時男様に、枠にとらわれない商品開発の秘訣や今後の展望についてお話を伺った。 ◾️音楽好きの学生から社長へ。変わりゆく環境で学んだこと  大学生の頃から音楽が大好きで、同好会でバンドを組んでいろいろな大学を演奏して回っていました。演奏するたびに、周りが楽しんでくれるのが嬉しかったです。周囲を楽しませるのが好きなので、今でも仕事で楽しい瞬間をどうやって作っていくか意識しています。  ただ、大学卒業後、環境が大きく変わりました。というのも、私がマルコメの創業家の女性と結婚したからです。当時マルコメでは、代々長男が後を継ぐのがならわしでした。しかし、生まれたのは2人とも女の子。そこで、長女が家を出て、次女と結婚した私が会社の後を継いでほしいと打診されたのです。お話をいただき、マルコメを継ぐことを決めてからは、「会長の言うことは全て聞き、全力で取り組んでいこう」と決意しました。  まず、会長からは「これから流通が大きく変わっていくから、会社に入る前に勉強をしてきなさい」というお言葉をいただき、まずは流通を行っている明治屋という食品会社に入り、三鷹にある出張所で働きました。当時は、作っても作っても商品が売れる時代だったので、寝る間もなく働きました。倉庫内の油圧エレベーターに乗る20秒間だけが、唯一休憩できる至福の時間でしたね(笑)。 そこでの5年間はとても苦しいものでしたが、学んだこともあります。それは、苦しんでいる人の気持ちを理解できるようになったことです。会社でも苦しんでいる人、頑張っている人は顔を見ると分かるんです。働く覚悟もここで身に着けました。仕事は上手くいくことばかりではありません。苦しい経験は、お金では買えない貴重な経験であり、今でも宝物だと思っています。 ◾️時代に合わせて、新たな挑戦を続ける  マルコメは、1854年の創業以来、味噌を軸とした商品展開を行ってきました。そして私が社長に就任した後、「日本古来の発酵技術を通じて生活者のすこやかな暮らしに貢献する。」という経営理念をみんなで考えました。そこから第二のステージとして、発酵の可能性に着目しチャレンジするというミッションに向けて走り出しました。  その際、着目したのが、味噌が大豆と糀(こうじ)から作られていることです。素材を輝かせ、お客様に喜んでもらえる商品を作ろうと決意しました。そこで開発したのが、生塩糀です。これまで味噌や醤油などは男手中心で製造していました。しかし、当時料理をするのは女性が多かったことから、女性が商品を企画することを当たり前にしようと考え、女性を中心に開発が進められました。糀をきっかけに商品作りをして、塩糀ブームとともに商品が大ヒットしました。このように、長年培ってきた味噌のノウハウを活用できるのは当社の強みだと考えています。味噌は今や最先端の食品です。大豆由来なのでヴィーガン対応の食品でもあり、グルテンフリーでもあります。健康を意識している人が増えている現代でも、時代を超えて愛され続けている素晴らしい食品です。  他にも新たな挑戦として糀甘酒づくりを行っています。生き残るためには圧倒的な商品力が必要です。そこで糀を活用し、アルコール・砂糖が含まれていない糀甘酒を開発しました。糀甘酒は今までにない分野だったので、お店に置いてもらうまでに直接交渉を重ね、やっと陳列させてもらえるようになりました。  また、私たちは大豆ミートの開発も行っているのですが、学校の給食で大豆ミートを提供する取り組みも行っています。コストはかかりますが、添加物をいれないで、なるべくそのままのおいしさを味わってもらえるよう日々研究を重ねています。会社が170年続いて行く中で、お客様のニーズや世の中のトレンドに合わせて、常に新たな挑戦を続けています。 ◾️驚きと感動を世界へ  今後は世界初の商品を世の中に届けていきたいです。たとえば、糀の可能性は無限大です。最近は糀から作る糀みつも誕生するなど、夢のようなアイデアが商品になっていきます。これらの商品は日本古来のものであり、世界の市場にも挑戦できる魅力があると思います。今後も、我々は固定概念にとらわれない商品を生み出し、お客様に届けていきたいですね。  お客様に楽しんでもらうには、自分がまず楽しむことが大切です。自分の個性を活かし、自由に考えを生み出せる人と一緒に働きたいです。何に対しても、エネルギーがある人の顔はキラキラしていて希望に満ちています。そのパッションが大事ですね。  今までにない新しいカテゴリーを提案することは、成熟しているものとは違い、手探りです。苦労もありますが、その分やりがいもあります。これからも世の中のトレンドに合わせて新たなカテゴリーを生み出し、お客様に驚きと感動を与え続けていきたいです。 ◾️message 大学生の皆さんは、好きなことを見つけてたくさん挑戦してほしいです。好きなこと、熱中出来ることを見つけるまでには時間がかかる人もいると思います。それでも諦めずに、探し続けて欲しいです。好きなことに出会い、情熱を注いでください。「好き」が生み出す可能性は無限大です。皆さんが生み出す大きなエネルギーに期待しています。 学生新聞オンライン 2024年2月6日取材 立教大学3年 緒方成菜 立教大学3年 緒方成菜 / 國學院大學1年 寺西詩音 / 武蔵野大学4年 西山流生

学生新聞インターン

高橋文哉 周りと異なれ!意識を変えて道を切り開こう

俳優 高橋文哉(たかはしふみや) ■プロフィール2019年『仮面ライダーゼロワン』で俳優デビュー。以降、ドラマ『最愛』『君の花になる』『女神の教室~リーガル青春白書~』などに出演。昨年は映画『交換ウソ日記』で恋愛映画初主演、ドラマ『フェルマーの料理』ではW主演を務めた。直近では『劇場版 君と世界が終わる日に FINAL』が公開し、映画『からかい上手の高木さん』(5月31日)が公開を控えている。 2019年のデビュー以来、映画やドラマに大活躍の高橋文哉さん。大人気コミックの『からかい上手の高木さん』の映画化で、主人公の同級生である西片役を演じている。しかも役どころはコミックで描かれている世界の10年後という設定だ。イメージを膨らませるのも大変そうだが、本作品の見どころや役者としての心構えなどを伺った。 ■仮面ライダーへの出演が役者としての基礎に 幼少期は木に登ったり缶蹴りをしたりと、外遊びが好きな子どもでした。また兄の影響で、小学校から中学校まではバレーボールに夢中でした。自分にとってターニングポイントとなった『仮面ライダーゼロワン』でも、オーディションを受けたときは、「正直、受からないだろう」と思っていました。でも、そんな中で強く意識したのは「周りと違うことをすること」です。たとえば、アドリブの一人芝居にしても、他の参加者が10秒ほどで終わらせるところを1、2分かけてアピールしたりしました。こうした他者との差別化が功を奏したのか、思いがけず合格できました。『仮面ライダーゼロワン』は役者としての基礎を作っていただいた作品です。撮影中は、周囲からの意見は全部受け入れようと意識しました。 ■見てくれる人がいるから頑張れる 役をいただいてからは、まず頭の中でその人物のイメージを作りあげて、お芝居に落とし込んでいきます。演じた中で一番大変だったのは、ドラマ『君の花になる』のアイドル役。歌とダンスは未経験だったので、当時は大変さより苦しさという感情に近かったです。周りとの差を埋めるために、歌やダンスの練習を日々の習慣に取り入れながら、コツコツ努力を重ねました。今までにない経験でしたが、その分ライブシーンの撮影は感無量でした。撮影中は、カメラの先にいる視聴者の方々を想像しながらお芝居をしています。なぜなら、僕にとって視聴者の方が「あの作品を観た」と言ってくれることが一番嬉しいからです。どんなに辛くて大変な状況でも、「周りに褒めてもらいたい」「視聴者の方に喜んでほしい」という気持ちがモチベーションとなって、いつも僕を奮い立たせてくれます。 ■俳優としての使命と責任感 俳優業は一作品ごとに期限とゴールが決まっている分、やると決めたらやる。たとえ次の作品が決まっていても、まずは目の前の役に全力で向き合います。クリエイティブの現場では、自分が失敗するとチーム全体を巻き込み、多くの人に迷惑をかけてしまいます。もちろん失敗はできないですし、遅刻や体調を崩すこともできません。そのくらい、俳優業は大きな責任の伴う仕事だと考えています。だからこそ僕自身、常に気を引き締めています。最近は僕のことを知ってくれる方が増えて、本当に嬉しいかぎりです。それと同時に、「俳優・高橋文哉」として責任を持つ覚悟もできつつあります。昔から自分を強く見せようと生きていましたが、最近はそんな理想の自分に追いついてきたと感じています。これからも俳優として成長し続けたいと思っていますが、僕がきっかけで俳優を目指す人がいてくれたら幸せですね。 ■映画『からかい上手の高木さん』について 以前から原作漫画を知っていただけに、自分に「西片」という役が務まるのか、最初は少し不安な気持ちもありました。原作がある作品は毎回完コピを意識しているのですが、今回は原作の10年後という設定。漫画とアニメを何度も見て、頭をかく癖や手を置く位置など、西片の癖や西片らしさを意識した上で本番に臨みました。シーンごとに西片の動きや表情などの特徴を台本に書き出したりもするのですが、本番直前には一旦すべて忘れるんです。演技をわざとらしくしないためにも、頭の中を空の状態にしてから撮影に入ります。役についてインプットした履歴があると、一度頭を空っぽにしても身体が勝手に動くんです。撮影で印象的だったのは、自然豊かな小豆島ですね。「高木さん」の聖地でもある小豆島で撮影できたことに、凄くワクワクしましたし、島の魅力を肌で感ました。クランクイン前にはサイクリングをしながら、西片がどんな場所で育ってきたのか、この島でどんな人に成長するのかを想像して、島の雰囲気を存分に堪能しました。地元の人とコミュニケーションを取ることで、西片が小豆島に24 年間居続ける理由が分かったような気がしました。「西片役は僕にしかできない」と思いながら自信を持っているつもりですが、一方で皆さんがこの作品に対して、どのような反応をするのか少し怖い気持ちもあります。あくまでこの作品が原作の10年後だということを忘れずに、観ていただきたいです。この作品には、原作でも描かれてきた西片と高木さんのちょうどいい関係や、2人にしか出せない空気感があります。そんな2人の日常会話や関係性を見て、「こんなことでキュンとできるんだ」と感じてもらえたら嬉しいですね。 学生新聞2024年4月1日発刊号 国際基督教大学1年 若生真衣 映画『からかい上手の高木さん』 出演:永野芽郁 高橋文哉監督:今泉力哉公開:2024年5月31日(金)全国東宝系にて公開©2024映画『からかい上手の高木さん』製作委員会 ©山本崇一朗/小学館 撮影:広田成太 <中国語記事> 演员 高橋文哉 (Takahashi Fumiya) ■简介2019年凭借『仮面ライダーゼロワン』出道。此后,她出演了ドラマ『最愛』『君の花になる』『女神の教室~リーガル青春白書~』等电视剧。去年,她首次主演爱情电影『交換ウソ日記』并在电视剧『フェルマーの料理』中扮演双主角。最近,『劇場版 君と世界が終わる日に FINAL』已上映,电影『からかい上手の高木さん』(5月31日)也即将上映。 与周围的人不同!让我们转变观念,开辟道路。 高橋文哉自2019年出道以来,一直在电影和电视剧中非常活跃。在根据人气漫画『からかい上手の高木さん』改编的电影中,他饰演主角的同学西片。而且,这个角色的背景设定在漫画所描绘的世界10年后。塑造他的形象似乎很难,但我们向他询问了这部作品的亮点以及作为演员的心态。 ■出演『仮面ライダー』成为成为演员的基础 小时候,我喜欢在外面玩,爬树和踢罐头。另外,受哥哥的影响,我从小学到初中都痴迷于排球。当我试镜『仮面ライダー』这对我来说是一个转折点,我想,“老实说,我不会得到它。”然而,在这段时间里,我变得非常有意识“做一些与周围人不同的事情”。例如,在进行即兴的单人表演时,我会花一两分钟展示其他参与者将在大约 10 秒内完成的内容。我能出乎意料地通过考试,可能就是因为这种与别人的区别。『仮面ライダーゼロワン』是为我作为演员奠定基础的作品。在拍摄过程中,我有意识地接受周围人的所有意见。 ■我能做到最好,因为有人在看着我。 当我接到一个角色时,我首先在脑海中塑造出这个角色的形象,然后将其融入到剧本中。我演过的最难的角色是在电视剧『君の花になる』中扮演偶像角色。我没有唱歌、跳舞的经验,所以当时感觉更多的是痛苦而不是困难。很接近了。为了拉近与周围人的距离,我努力将唱歌和跳舞融入到自己的日常生活中。这是一次前所未有的经历,但拍摄现场场景时我感慨万千。在拍摄过程中,我会一边想象镜头前的观众一边表演。因为,对我来说,最让我高兴的是当观众说:“我看到了那件作品。”无论情况多么困难或困难,“我希望周围的人称赞我”和“我希望观众幸福”的感觉就是我的动力。它激励着我,并且永远激励着我。 ■作为演员的使命感和责任感 在演艺界,每部作品都有一个既定的期限和目标,所以如果你决定去做,就去做吧。即使我已经决定了下一个项目,我也会全力以赴地专注于眼前的角色。在创意领域,如果你犯了一个错误,整个团队都会受到牵连,很多人都会受到不便。当然,我不能犯错误,更不能迟到、生病。这就是为什么我认为表演是一项责任重大的工作。这就是为什么我总是保持警惕。最近,越来越多的人认识我,我真的很高兴。同时,我也更加准备好承担“演员 高橋文哉”的责任。我一直试图表现出自己坚强,但最近我觉得我已经赶上了理想的自己。我想作为一名演员继续成长,如果有人因为我而想成为演员,我会很高兴。 ■关于电影『からかい上手の高木さん』 由于我了解原作漫画已有一段时间,一开始我对能否扮演西片这个角色有点紧张。每次创作有原作的作品时,我都会尝试制作完整的副本,但这一次的时间设定在原作10年后。我看了很多遍漫画和动画,并在实际表演中了解了西片的习惯和性格,例如他挠头的习惯和双手的位置。有时我会在剧本中记下西片的每个场景的动作、表情和其他特征,但在实际表演之前我就忘记了一切。为了避免做作,我在开始拍摄之前先理清思路。当我有输入角色信息的历史时,即使我清空脑袋,我的身体也会自行移动。 拍摄过程中给我留下深刻印象的是自然风光丰富的小豆岛。我很高兴能够在小豆岛拍摄,这里也是「髙木さん」的圣地,我能够亲身体验小豆岛的魅力。出发之前,我骑着自行车,想象着西方长大的地方,在这个岛上长大后会成为什么样的人,充分享受岛上的氛围。通过与当地人的交流,我觉得我终于明白了西方为什么会在小豆岛待了24年。我努力保持自信,想着“只有我才能扮演西片这个角色”,但同时,我也有点害怕每个人对这部作品的反应。观看时请记住,这部作品发生在原作10年后。本作有着原作中所描绘的西片和高木之间的完美关系,以及只有他们两个人才能营造出的氛围。如果人们能够看到这两个人之间的日常对话和关系并感到“我可以兴奋地做这样的事情”,我会很高兴。 翻訳担当:中山美緒

中高生新聞

反町隆史 子どもたちの大切な時期に何を伝えるべきか

俳優・歌手 反町 隆史(そりまち たかし) ■プロフィール1973年12月19日生まれ、埼玉県出身。1997年放送のドラマ『バージンロード』や『ビーチボーイズ』(主題歌はシングル「Forever」)、1998年放送のドラマ『GTO』(主題歌はシングル「POISON ~言いたい事も言えないこんな世の中は~」)などの話題作に出演し、人気を集める。歌手として、1998年『第12回日本ゴールド・ディスク大賞』ベスト・ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。以降、ドラマ『相棒』シリーズなど数々の作品へ出演。 1998年の夏に放送された反町隆史さん主演の連続ドラマ『GTO』が、26年ぶりにカンテレ・フジテレビ開局65周年特別ドラマ『GTOリバイバル』として放送された。平成を代表する話題作が、26年の時を経て令和の時代に復活。演じるに当たっての意気込みや想い、教師という職業や中高生へのメッセージを伺った。 これまでに何度か『GTO』やりませんか? というお話をいただいたことがあります。ただ、その時はもっと違う役に興味があったり、新しい役を開拓したいという思いや、俳優として過去の作品を復活させることに対して不安もあり、前向きに捉えることができませんでした。しかし、ある取材をきっかけに「POISON」の歌詞を見直したとき、けっこういいこと言っているなと感じたんです。今の社会に置き換えたらどうだろうか、もしかして今の時代でも通用するのかなと考えることがありました。そんな中、映画『トップガンマーヴェリック』が35年ぶりに復活したのを見たときに、「なぜ復活させたんだろう?」という気持ちとともに、俳優としてのトム・クルーズさんの生きざまに感動を覚えました。そして、「今ならできる!」と、自分の中でつながったんです。今だからこそ「鬼塚」として伝えられることがあり、このタイミングで復活することに意味があると思い、今回は自分から声をかけさせていただきました。また、26年間ずっと『GTO』を心の底から愛して、待ってくれていたファンの方々の存在も大きかったです。今の年齢で鬼塚役をやることの意味と責任を感じながら、『GTO』を応援してくださるファンの方々の期待を裏切らないようにと撮影に臨みました。 ■「子育て」という経験を経て 僕自身2人の子どもがいますが、子どもたちにも子どもたちなりの世界があることに気が付いたんです。それとともに、子どもが大人から受ける影響の大きさは計り知れないと感じるようになりました。だからこそ僕自身、親としてだけでなく一人の人間として、子どもに何を伝え、何を語るべきなのかを日々考え続けています。こうした中で、『GTO』で今の僕と重ねながら改めて鬼塚役を演じられたことは、すごく貴重な機会だったと思います。これからさらに年齢を重ねても、物事の変化に対して柔軟に、考え方や価値観を受容できる人間であり続けたいです。 ■自分が感じる理想の教師とは ドラマの復活にあたり、一番伝えたいと思ったことは、生徒に対しての「愛情」です。今の子どもたちは尊敬している教師がいるのか、教師からの愛情を感じているのかというと、いささか疑問に思うところもあります。生徒の目線にたって、生徒に愛情をかけて全力でぶつかっていく鬼塚をこの令和でも表現したいと思いました。教師は、生徒に尊敬される存在であってほしいですね。自分が学生の頃より教師と生徒の間に少し距離があるのかなと感じます。時代に関係なく、教師と生徒の関係で大切なことは愛情をもって接することだと思います。大人にもそれぞれ世界があるように、子どもは子どもの世界の中で生きているので、それは尊重してあげないといけない。ただ、変化が早く不安要素が多い時代、この先どうなるのか、どうやって生きていくのか、大人になったらどんな社会になるのかなど、不安を抱えている子どもたちも多いのではないでしょうか。大人ならお互いを尊重しあい、意見を交わしながら、上手く調整していけるけれど、子どもたちにはハードルが高い。そして子どもの目線に立つことは大事だけれど、間違っていたり、ある一線を超えてしまったときは、大人のサポートが必要になるときが必ずあると思います。それを見て見ぬふりをしてはいけないし、自分の立場を意識して躊躇してしまうことがあったとしたらそれは残念です。この一線を越えて行けるのも鬼塚の魅力ではないでしょうか。 ■中高生へのメッセージ 学生生活はやっぱり人生で一番大事な時期だと思います。自分自身を振り返ってみても、部活、勉強、先輩・後輩との関わり方や友達付き合いなど、自分のベースを作ったのは学生時代でした。そんな人間力を養う期間をどう過ごすのか、考えてみてください。楽しいことばかりではなく、もちろん辛いこともあるでしょう。そんなときは鬼塚のこの台詞を思い出してみてください。「辛かったら笑うんだよ。無理してでも笑っているうちに、いつかきっと心の底から笑える日がくる」。明るく前向きに感じる習慣がつけば、自然と心がポジティブになり、物事もよい方向へ進んでいくと思いますよ。 中高生新聞2024年4月1日発刊号 慶應義塾大学4年 伊東美優 写真・渞 忠之 『GTO』は、藤沢とおる氏による同名漫画が原作で、元暴走族の高校教師・鬼塚英吉が、破天荒な行動で生徒や学校の問題に体当たりでぶつかっていく学園ドラマ。立場や損得とは無縁の教師・鬼塚が、本音をぶつけ合い、命がけで生徒に向き合うことで、社会の裏側にくすぶっている問題を解決していく。1998 年の放送当時、大きな話題を呼んだ。反町隆史さんが作詞し、歌いあげた主題歌「POISON ~言いたい事も言えないこんな世の中は~」も大ヒットとなった。『GTO リバイバル』は、かつてグレート・ティーチャーと呼ばれた鬼塚が問題だらけの高校に教師として赴任し、悩みを抱えた令和の高校生たちに鬼塚流の熱血授業を繰り広げる物語。 ■関西テレビ放送株式会社〈インフォメーション〉・公式サイト: https://www.ktv.jp/gto-revival/・公式X(旧Twitter): https://x.com/gtorevival・公式Instagram: https://instagram.com/gtorevival・公式TikTok: https://www.tiktok.com/@gtorevival・カンテレドーガ:https://ktv-smart.jp/・TVerで1998年版アーカイブを一挙配信中:https://tver.jp/series/src565pb2j(配信期間~4月30日(火)23:59) <中国語記事> 反町隆史  在孩子的重要时期我们应该告诉他们什么? 演员・歌手 反町 隆史(Sorimachi Takashi ) ■简介 1973 年 12 月 19 日出生于埼玉县,因出演 1997 年的电视剧『バージンロード』和『ビーチボーイズ』(主题曲:单曲「Forever」)以及 1998 年的电视剧《GTO》(主题曲:单曲「POISON ~言いたい事も言えないこんな世の中は~」)(在这个世界上,我连想说的话都说不出来) 等备受瞩目的作品而走红。作为歌手,她获得了 1998 年第 12 届日本金唱片奖的年度最佳新人奖。 此后,她出演了许多作品,包括电视剧『相棒』。 由反町隆史主演的电视剧『GTO』于 1998 年夏天播出,作为 関西・富士电视台开台 65 周年纪念特别剧集『GTOリバイバル』,这是 26 年来首次播出。 这部代表平成时代的电视剧备受关注,时隔 26 年后在 令和時代重新播出。 我们询问了他对出演该角色的热情和想法、他的教师职业以及他对初中生和高中生的寄语。 我曾多次被问及是否愿意出演『GTO』。我曾多次被问及是否愿意出演『GTO』。 但当时我对不同的角色很感兴趣,想尝试新的角色,而且作为演员,我担心重演过去的作品,所以不能积极地接受。...

大川知

俳優・ミュージシャン 及川光博

未来のビジョンを描いたら、逆算して〝今、何をすべきか〞を考え、努力する 俳優・ミュージシャン 及川光博(おいかわみつひろ) ■プロフィール1996年、シングル「モラリティー」でアーティストとしてデビュー。独自の音楽性とその個性が注目を集め、1998年ドラマ「WITH LOVE」で俳優活動をスタート。以後、毎年全国ツアーを行い、ドラマ・映画・CMなどでも活躍。5月3日より全国ワンマンショーツアーを開催。 ■芸能界に入るまでの経緯を教えてください 本格的にプロを目指したのは高校生のときです。大学ではバンド活動と俳優養成所、アルバイトの日々でした。卒業後はデビューを目指しながら、イベント制作会社でプランニングの仕事をしていました。親とは「25歳までに芽が出なかったらあきらめる」と約束していたので、25歳でデビューが決まりホッとしました。ただ契約は3年間のみ。この3年間で売れないと後がないと思い、毎日必死でした。どうすれば結果を出せるのかいろいろ考えました。まずは、芸能界で目立つこと。目立てばチャンスも増えます。そして常に目標を設定するよう心がけました。「こうなりたい!」という未来のビジョンを細かく描いたら、逆算して〝いま何をすべきか〞を考え、理想に向かって努力する。今も繰り返し続けています。 ■今後の目標を教えてください もし自分に肩書をつけるなら「エンターテイナー」でありたいと思っています。エンターテインメントの魅力は多くの人に楽しんでもらえること。笑っている人を見ると僕自身も幸せな気持ちになります。今後も音楽とお芝居を続けていきたいですね。また、脚本を書いて監督をするというような、作る側にも興味があります。これまで作詞・作曲、ステージ、ドラマ・映画、バラエティなど、いろいろな仕事に取り組ませていただいたので、その集大成になるような作品を作ってみたいです。 ■学生へのメッセージをお願いします 二度とない学生時代、何事にも目的意識を持って挑んでほしいです。そして、たくさん素敵な思い出を作ってください。素敵な思い出があれば、辛いときも踏ん張れるはずです。 ■取材を終えて 「チャオ!」という挨拶で華やかに登場された及川さん。短い取材時間の中でも、各質問にユーモアを交えながら丁寧に答えてくれました。取材を通して、長年活躍し続ける及川さんのエンターテイナーとしての情熱を感じました。 New Album「DON’T THINK,POP!!」 20作目となるオリジナルアルバム4/24リリース5/3より全国ワンマンショーツアー開催 学生新聞2024年4月1日発刊号 津田塾大学4年 大川知 撮影:伽賀隆吾

学生新聞インターン

モデル・タレント アン ミカ

ハプニングやトラブルは自分を強くするための糧。乗り越えた分だけ幸せになれる モデル・タレント アン ミカ ■プロフィールモデル・タレント。1972年韓国出身、大阪育ち。モデルのほかテレビ、ラジオ、TVCMなど幅広く活躍。21個もの資格を活かし、服やコスメ、ジュエリーなどの商品プロデュースを展開。自身初の翻訳絵本『スパゲッティになりたいラーメン じぶんをすきになるえほん』(KADOKAWA)好評発売中。 ■モデルになると思ったきっかけを教えてください 母に、「あなたは手足が長いし、いつも鏡を見て笑顔の練習をしているから、モデルさんになれるかもね」と言われたことがきっかけです。でも、この後、母は病気になってしまって……。本格的にモデル活動を始めたのは中学3年生のときですが、それは早く病床の母にモデルになれたことを報告したかったからです。貧乏ゆえに家族や誰かのせいにして人生を謳歌できないのは嫌だったので、高校時代はやりたいことは全部やろうと決めていました。だから非常に忙しかったですね。朝早くから新聞配達をし、終わったら授業の予習。家族のご飯を作ってから登校。授業を終えたら部活やアルバイトをし、モデル事務所のオーディションを受けるというような生活でした。 ■常に前向きでいられる秘訣は何ですか ハプニングやトラブルは全部自分を強くする糧だと考えています。被害者意識を持たずに、知恵と工夫で困難を乗り越えれば、いつか困っている誰かに寄り添えるし、得た知恵が次の苦労に使える武器や道具になる。みんな人間は世の中で幸せになるために生まれています。だから、「今、起きている出来事は自分の器を大きくして、幸せになるために起きているんだ」という心持ちを大切にしています。 ■学生へのメッセージをお願いします あなたは自分の人生における脚本家です。いつでも人生は書き換えられます。たくさんの経験を積んで見聞を広げてください。そして、いろいろな感性に触れて、自分が楽しめる人生を作っていってください。 ■取材を終えて お会いした瞬間、現場がぱっと明るくなり、暖かな空気に包まれました。それぞれの質問に真摯に、そして丁寧に、一人ひとりと目を合わせて答えてくださったことが印象的でした。たくさんの素敵なお話を聞かせていただき、勇気と希望が湧いてきました。 学生新聞2024年4月1日発刊号 学習院女子大学3年 小川莉実 『スパゲッティになりたいラーメン じぶんをすきになるえほん』 作/キエラ・ライト=ルイズ絵/クラウディア・ラム訳/アン ミカ(KADOKAWA) 「自己肯定感」がテーマのコミカルな絵本。自分を好きになってほしい、というメッセージが込められています。全国の書店で好評発売中。 撮影:広田成太

伊東美優

川西拓実(JO1)/ 桜田ひより

“あのとき”があったからこそ今の私たちがいる ■プロフィール川西拓実(JO1)アイドル。1999年6月23日生まれ、兵庫県出身。2020年、JO1のメンバーとしてシングル『PROTOSTAR』でデビュー。 桜田ひより女優。2002年12月19日生まれ、千葉県出身。幼少期に芸能活動をスタート。オーディション『ミスセブンティーン 2018』のグランプリを獲得。 映画『バジーノイズ』 出演:川西拓実(JO1)、桜田ひより、井之脇海、栁俊太郎原作:むつき潤 「バジーノイズ」(小学館「ビッグスピリッツコミックス」刊)監督:風間太樹 「silent」「チェリまほ」配給:ギャガ5月3日(金・祝)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開©むつき潤・小学館/「バジーノイズ」製作委員会 ■ご自身と役との共通点はありますか 川西 清澄と自分の共通点はたくさんありました。人付き合いに少し苦手意識を持っているところや、音楽が心の底から好きなところなど、まるで昔の自分を見ているようでした。似ている部分が多かったからこそ、彼にたくさん共感をしながら台本を読んでいました。 桜田 潮のように、自分の意見をハッキリ言うことは難しいけれど、何か聞かれたら「その人にとって意味のある答えを伝えよう」と意識しています。もっと真っ直ぐ、自分の気持ちを言葉にして伝えられるようになりたいと、潮から気付かされたことも多いです。 ■映画の魅力を教えてください 川西 潮をはじめ大切な存在との出会いによって、だんだんと変化していく清澄の姿に、ぜひ注目して観て欲しいです。作中に流れる音楽も本当に魅力的なので、それぞれのシーンに合った音楽も楽しんでいただけたら嬉しいです。 桜田 出てくるキャラクター全員がリアルで、きっとどこか一つは共感してもらえると思います。ぜひ等身大の彼らを見届けてください。 ■人生のターニングポイントは 川西 僕は、5年前に受けたオーディションで生活が180度変わりました。それまでは普通に働いていたので、作業服を着て出勤し、工場で働く日常でした。どちらの道も自分にとって正解だったと思うけれど、あのとき一歩踏み出したからこそ今があります。皆さんも、今できることは全部やり切って突き進んでください。 桜田 高校卒業のタイミングが1番のターニングポイントでした。5歳からこのお仕事を続けていましたが、「学生」という枠から外れたことで、初めて社会に出るという意識が芽生え、一つひとつの作品への責任感も強くなりました。 学生新聞2024年4月1日発刊号 慶應義塾大学4年 伊東美優 ■取材を終えて その場にいる一人ひとりの目を見て挨拶していたり、お互いにツッコミ合ったりと、お二人の素敵な姿を垣間見ることができました。誰かのために頑張ること、好きなものを追求する姿は良いなと思える、多くの大学生の心に残る作品だと思いました。(慶應義塾大学2年 松坂侑咲) ■協力川西拓実さん(ヘアメイク:佐々木美香、スタイリスト:岡本健太郎)撮影:下田航輔

学生新聞インターン

芸人 EXIT (りんたろー。/ 兼近 大樹 )

何ごとも一生懸命にやったからこそ今につながる漫才に出会えた 芸人 EXIT(りんたろー。/兼近大樹) ■プロフィール芸人。2018年1月、りんたろー。と兼近大樹でEXITを結成。史上最速となる結成11カ月で東京・ルミネtheよしもとでの単独ライブを開催。2024年5月からは全国5都市で単独ライブ「EXIT全国お笑いツアー暗黒物質大放出SP」を開催。 ■どんな学生時代を過ごしていましたか 兼近 目立つタイプで周りからは〝てんさい〞だと言われていました。あ、天に災いの方で〝天災〞ですかね(笑)。 りんたろー。 僕は逆で、学級委員をやるような真面目なタイプでした。勉強も運動もこなす最強の生徒でしたね(笑)。周りからも人気があって、あのときは神がかっていたと思います。 ■お仕事のやりがいや魅力を教えてください 兼近 みんな何かから魅力やインスピレーションを感じ、取捨選択をしていますよね。僕の場合、漫才を始めて2年くらい経過してから〝これだ!〞と思いました。それまでは漫才に対してあまり熱がなく、今はお客様が喜んでくれることが嬉しくてやりがいになっています。 りんたろー。 何ごとも一生懸命やったからこそ、今につながっていると感じます。ニュース番組やイベント、美容関係など幅広く活動しているのは珍しいと思います。どの仕事も相乗効果で生かされている部分もあり、オリジナリティを大切にしながら頑張りたいですね。 ■東京ガールズコレクションの感想を一言 兼近 司会を通して、舞台から会場を一望できて最高でした! りんたろー。 7回目の出演でした。今回も僕の司会で会場が大いに盛り上がったと思います! ■学生へのメッセージをお願いします 兼近 皆さん大学への入学を達成しているので、ぜひ次の目標を立ててください。ただ、何かを達成するためには何かを捨てないといけません。一つのことを極めることも大切です。 りんたろー。 大学で4年間続けたサッカーをやめて漫才の道へ進むことを決めたときは、親の期待を裏切ったような気がして、申し訳なく思っていました。でもサッカーの経験は今の仕事で生かされている部分もたくさんあります。自分の適正を見極める上でもやって無駄なことはないということを伝えたいですね。 ■取材を終えて取材中も面白さを交えながら切り返してくれるEXITさん。緊張も吹っ飛び、お二人との会話を楽しみながら取材できました。お二人それぞれの考え方が今の活躍につながっているのだと感じ、何事も捉え方次第で行動も変わるのだと気付かされました。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学2年 白坂日葵 取材協力:第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER(2024年3月2日(土)開催)

学生新聞インターン

JRA日本中央競馬会 騎手 武 豊

目の前のレースに勝つために、今できることを全力でやり続けたい JRA日本中央競馬会 騎手 武 豊(たけ ゆたか) ■プロフィール1969年京都府生まれ。1984年JRA競馬学校へ入学。1987年3月1日、騎手としてデビューし、3月7日にダイナビショップに騎乗して初勝利をあげる。1995年、史上最速・最年少で通算1000勝達成。2002年、史上最速・最年少で通算2000勝、JRA新記録(世界タイ記録)となる1日8勝を達成。2005年、ディープインパクトとのコンビで皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、史上2例目となる無敗での牡馬3冠を達成。その後も勝利を重ね、2018年には前人未到の通算4000勝を達成し、現在も活躍し続けている。 ■騎手を目指されたきっかけは何ですか 父親が騎手だった影響で幼少期から騎手を志していました。競馬学校に入学してからは、競馬の仕組みやプロの騎手としての役目など、競馬の奥深さをたくさん学びました。勉強を続ける中で、「騎手一本で生活しよう」とすんなり覚悟も決まりました。 ■長年、最前線で活躍できる秘訣は 今年で騎手生活38年目を迎えますが、ここまで長く続けられたのは、やはりこの仕事が好きだからだと思います。多くの競馬関係者がいる中で、馬と一緒にゴールを駆け抜けられるのも、勝ったときに何万人ものファンからの声援を浴びられるのも騎手だけの特権です。その瞬間は何事にも代え難いですね。もちろん、人気の馬に騎乗する際は緊張しますが、プレッシャーがマイナスになることは一切ないです。プレッシャーを感じるほど人気の馬に乗れるのは期待されている証拠ですし、アスリートとして緊張感をもてるのは素晴らしいことです。もちろん、時には成績が振るわない日や怪我をして騎乗できない日もあります。でも、この仕事をやめようと思ったことは一度もありません。その理由は、馬を用意してくれる馬主さんや調教師の先生、そして応援してくださる競馬ファンの皆様が自分を待ってくれているからです。多くの人に支えられているからこそ困難なことも乗り越えられるのだと思います。 ■メディアにも積極的に出演される理由は 競馬はファンの存在があってこそ成り立つものです。ファンの獲得のために、メディアへの出演オファーがあれば、積極的に受けるようにしています。ただ、残念なことに日本には競馬人口はそんなに多くありません。まだ競馬を見たことがない方や競馬場に行ったことがない方、そして競馬に対して良いイメージを持っていない方もたくさんいらっしゃいます。そういった方たちのために、まずは「競馬を見に来て、楽しんでほしい!」という想いとともに、目の前のレースに勝つために、今できることを全力でやり続けていきたいと思っています。 ■学生へのメッセージを 若いうちに夢を持ってほしいと思います。夢を持つとワクワクすることが増えます。すべての夢が叶うとは思いませんが、努力すれば夢に近づくことはできます。その過程でいろんなことを学んでほしいです。 学生新聞2024年4月1日発刊号 武蔵野大学4年 西山流生 撮影:伽賀隆吾

大野詩織

こども政策担当大臣 加藤鮎子

若い人が安心してこどもを育てられる環境づくりが私の役目 こども政策担当大臣 加藤鮎子(かとうあゆこ) ■プロフィール1979年山形県鶴岡市生まれ。慶應大学卒業後、民間コンサルティング企業勤務。議員秘書を経て2014年第47回衆議院選挙で初当選。現在3期目。環境大臣政務官、国土交通大臣政務官を歴任。2023年9月より内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画)、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣、孤独・孤立対策担当大臣に就任。 ■どんな学生時代を過ごされていましたか 中高生の頃から政治に興味がありました。自分が暮らしている地域で気になることがあったら、「人任せではなく、自分自身何かやらなきゃ」という気持ちがあったのだと思います。学校でも学級委員に立候補したり、イベントを盛り上げるなど、人と一緒に何かを作り出すのが好きでした。大学生のときに、聴覚障害者でも運転免許が取れるよう制度改革を行ったという政治家の話を聞き、「政治とはこんなに人の役に立つ仕事なのか」と強烈に思ったことから、政治家を志すようになりました。 ■現在のビジョン・政策を教えてください こども政策担当大臣として、「子育ての経験を生かし、当事者の目線で政策を実行してほしい」と岸田総理から言われました。現在、共働きで二人の息子を育てています。その経験を活かしながら、国民の皆様にとってのロールモデルになりたいと思っています。大きな手ごたえを感じたのは、昨年末、閣議決定をした我が国初の「こども大綱」と「こども未来戦略」です。「こども大綱」は、こども政策のあるべき姿や方針など、基本的なことや重要なことをまとめたもので、日本全体で若者に目線を向けるフィロソフィーが詰め込まれています。今後、全国に周知していくことで、こどもや若い人の意見を取り入れるための基盤になればと考えています。また、「こども未来戦略」は、少子化傾向に歯止めがかからない現状を変えるため、児童手当の充実、妊娠・出産時からの支援の強化、保護者の就労にかかわらず保育所等にこどもが通える新たな仕組みの創設、育休を取得しやすい環境づくりなど、子育て環境を充実させる施策を多岐にわたって盛り込んでいます。制度を通じて、「こどもが欲しいけれど、きちんと支援を受けられるのだろうか」と悩む若い世代に希望を持ってもらえる国にすることが私の仕事です。他にも多くの若者たちの意見を取り入れるために、「こども若者★いけんぷらす」というさまざまな方法で意見を聴く取り組みも行っており、全国から4000人ほど参画いただいています。 ■学生へのメッセージを 感謝の気持ちを持つことを大切にしてほしいです。感謝の気持ちを持っていると、それが自分の軸になり、壁にぶつかっても軸が支えてくれます。また、出会いも大切ですね。いろんな人との出会いが人生を豊かにしてくれます。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学短期大学部2年 大野詩織

吉川みなみ

味の素株式会社 取締役代表執行役社長 藤江 太郎

アミノサイエンスで人・社会・地球のWell-beingに貢献 味の素株式会社 取締役代表執行役社長 藤江 太郎(ふじえ たろう) ■プロフィール 1961年大阪府出身。1985年に京都大学農学部を卒業後、味の素に入社。2011年フィリピン味の素社長、2015年ブラジル味の素社長など10年以上の海外勤務を経て2017年に常務執行役員、2021年執行役専務、2022年4月代表執行役社長CEO。同年6月から現職。 うま味調味料の「味の素」をはじめ、数々のヒット商品で知られる味の素。創業から100年を超えた今も、世界一のアミノ酸メーカーとして商品開発に注力し、幅広い事業分野で発展し続ける。その企業としての強みや魅力、大切にしているマインドなど、藤江社長にお話を伺った。 大学時代の所属学部は農学部でしたが、「ウィンドサーフィン部」と言った方が良いほどウィンドサーフィンに熱中していました。実際、ロサンゼルスオリンピックの最終予選まで勝ち上がったんですよ。惜しくも夢は叶いませんでしたが、風向きや潮の流れを予測し、臨機応変に判断する経験は、社長として会社の方向性を予測・検討する際にも活きていると思っています。スポーツに全力だった分、就活はのんびりでしたね。先輩から電話で誘われて、味の素の面接に行ったときは、すでに4年生の8月頃でした。面接で「味の素の商品を10個述べよ」と言われたのに、競合他社の商品を言ってしまい、怒られたり(笑)。でも、「面白い学生だ」と思ってもらえたようで、最終的には内定をいただきました。小学生の頃から、お年玉で調理器具を買うほど料理や食べることが好きだったので、今思えば良い縁だったと思います。 ■海外赴任の経験が今に活きる 入社後は、人事部で採用や研修の担当としてスタートしました。実は、最初は人事より営業に関心がありました。しかし、会社の紹介やエントリーのアポ取りを電話で行うことでコミュニケーション力を養ったり、人事部として社員700名ほどの顔と名前を覚えたことで信頼関係を築いたりできました。結果的に、若いうちに社会人としての基礎を学べたと思います。社長に就任した今でも人の顔と名前を覚えるのは得意です。社長室を出て、各部署に顔を出したり、エレベーターで一緒になった社員と雑談をしたりしているからですね。顔と名前を覚えるのは信頼を得る第一歩。そこから対話をとおして社員の関心事を聞き、新たなアイデアに発展していくこともあるんですよ。また、中国やフィリピン、ブラジルなどでの長期の海外赴任経験も大きかったですね。42歳で赴任した中国では、広州の支店長になりましたが、現場は大赤字。業績が伸びない影響で給料や研修も不十分な状況でした。結局、完全な黒字化はできませんでしたが、どのように働きかければチームが一丸となれるのかを実践して学ぶ機会になりました。 ■アミノ酸愛に溢れたアミノサイエンス 味の素の最大の魅力は、「アミノ酸愛」です。人間の身体の2割を占めるタンパク質は、20種類のアミノ酸からできています。味の素は、これらのアミノ酸が持つ、食べ物をおいしくする機能・栄養機能・生理機能・反応性という4つの特徴を研究する「アミノサイエンス」を行っています。たとえば、血液に含まれるアミノ酸の割合を調べることで、将来の生活習慣病の発病リスクを診断できます。診断後は「高血圧になりやすい人は食物繊維を取りましょう」というように、診断結果を元にした新たな食生活の提案も行います。食品会社はたくさんありますが、「食品× アミノ酸」に総合的に取り組んでいるところは当社が唯一無二ではないでしょうか。今は食品と「アミノサイエンス」から生まれた医薬品や電子材料などの事業利益の比率は7対3くらいですが、今後は1対1になるくらいに成長させたいと考えています。 ■一人ひとりの理想を見つけたい 私が大切にしているのは、社員やお客様と「ありたい姿」を共有することです。2011年にフィリピンに海外赴任をしたときに、現場は「1ペソなら売れる」という1ペソ神話を信じて一袋1ペソの味の素を販売していましたが、6カ月間毎月赤字の連続でした。コスト高の中でも1ペソで売るために、一袋の内容量を減らして売っていたようでしたが、「うま味調味料としての味の素の良さを十分に伝えたい」という信念に立ち返り、2ペソに値上げして内容量を増やしました。それがお客様のニーズに合い、満足度が向上し、業績もV字回復。フィリピンの社員が日本で研修する予算も生まれ、社員の意識向上にもつながったのです。このような経験を通して、「ありたい姿」を共有してワンチームで取り組み、得られた利益は分配して新たなアクションにつなげる、という幸せの循環を学びました。これは社長になった今も意識しています。一人ひとりの理想は異なっていても、それらが重なり合う部分は必ずある。つまり、会社として掲げる「アミノサイエンスで人・社会・地球のWell-beingに貢献する」という志と、社員が持つ個人の志が重なる部分を、共通の志として自発的に見つけてもらいたいんです。そして、それを仕事の動機付けにしてほしいですね。 ■大学生へのメッセージ 一度しかない人生で、自分の「ありたい姿」を明確にしてほしいですね。それが見つかったらノートに書くことをおすすめします。言葉にして残しておくと後で見返せますし、きっと面白いと思いますよ。また、何かに打ち込むのも良いです。志に熱を持って、実力を磨く、「志×熱×磨」がモットーです。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学2年 吉川みなみ 集合写真撮影:下田航輔

学生新聞インターン

株式会社ダスキン 代表取締役 社長執行役員 大久保裕行

すべての事業を通じてお客様に豊かな時間を提供する 株式会社ダスキン 代表取締役 社長執行役員 大久保裕行(おおくぼ ひろゆき) ■プロフィール 1985年、ダスキン入社。主力のクリーン・ケア事業部門で商品開発、マーケティング等に従事。その後、経営企画部等を経て、2020年取締役、2022年代表取締役 社長執行役員に就任。現在、長期戦略「ONEDUSKIN」の最終第3フェーズ「中期経営方針2022」を推進中。その他、障がい者の自立と社会との共生を願う「公益財団法人ダスキン愛の輪基金」理事長、「日本ダストコントロール協会」副理事を務める。 掃除用品のレンタル・販売やプロのお掃除サービス、家事代行サービスなどで知られるダスキン。ダスキンは「掃除のプロ集団」といったイメージが強いが、ミスタードーナツの運営も手掛け、日本初の複合フランチャイズ企業として成功している。同社の大久保社長にご自身の軌跡や事業拡大の秘訣を伺った。 小学校から高校までバレーボールをしており、大学では日本拳法部に入って日々部活に邁進していました。今思えば、学生時代はスポーツに専念して過ごしていましたね。ダスキンに入社したのは、ダスキン創業者の本を知人から薦められて読んだことがきっかけです。経営理念に興味を持つと同時に、その当時では珍しかった成果報酬制度や週休二日制など、メリハリのある社風に惹かれ、ダスキンで働きたいと思ったのです。入社後は、資材の物流・購買や商品開発のほか、経営企画部などに配属され、中長期戦略の策定やM&Aなどに携わってきました。ダスキンの魅力は、誰もがチャレンジできる風土だと思います。ダスキンは今まで100以上の事業やプロジェクトを行ってきましたが、たとえ事業に失敗しても次のチャレンジができる機会が与えられるのです。そして失敗から成長が生まれる土壌があるのも魅力といえます。また、ユニークな企業風土もあります。たとえば、ダスキンでは従業員のことを「働きさん」と呼んでいます。これは、働くことで「はた(傍)の人をらく(楽)にする」という想いが込められています。自分のことを省みずに他人のために一生懸命働くと、その人に喜ばれ感謝される。結果、自分のやりがいや生きがいにつながるのです。また、「上司が部下の話をしっかり聞く」ことも強みですね。一般の企業では管理職と呼ばれている役職は、ダスキンでは「責任を担う」という意味で、「責任職」と呼んでいます。「責任職」の大切な仕事は、部下の意見を丁寧に聞くことです。それこそが会社の風土の醸成や成長につながります。 ■お客様に豊かな時間を提供するために ダスキンはさまざまな事業を行っていますが、どの事業にも共通するのは「時間価値の提供」です。たとえば、ミスタードーナツなら「家族や友人とおいしいドーナツを食べる幸せな時間や楽しい時間の提供」が目的です。モップのレンタルは、便利なしくみと機能的な商品でお客様のお掃除にかける時間を軽減します。家事代行サービスも家事にかける時間を削減できます。どの事業においても、お客様ご自身の時間を有効に使っていただくことで豊かな時間をお届けします。ダスキンといえば清掃事業とドーナツ事業のイメージが強いのですが、合わせて16の事業を行っています。意外だと感じられる事業では、イベントの企画運営でしょうか。コロナ禍では全国で約1500拠点のワクチン接種会場を運営しました。弊社が行う清掃衛生サービスと連携することで、ただ会場を設営するだけではなく、衛生管理の面でも安心できる会場としての付加価値を提供できたと思います。このように、さまざまな事業を行っているからこそ複合的な展開ができるのもダスキンの強みです。 ■フランチャイズでの展開が強み 多くの事業をフランチャイズで展開していることも強みの一つです。フランチャイズは、その地域で生まれ育った方々が運営をすることで、土地の風土にあったお店やサービスを展開できることが魅力です。また、ダスキンには創業者の想いや大切にすべき価値観を表した「経営理念」があります。フランチャイジー(加盟店)にはこの経営理念に賛同していただくことにより、強いつながりができています。なかでも創業時から弊社が大切にしていることは、「喜びのタネをまこう」というスローガンです。これは社会からお預かりする資本を有効に活用し、商品やサービスを通して多くの喜びのタネをまき、社会にお返しするという考え方です。フランチャイジーとは、ビジネス上の付き合いだけではなく、こうした理念の共有も大切にしています。現在、力を入れている海外進出においても、この理念やコミュニケーションは大切にしていきたいと思っています。 ■循環型社会への取り組み 創業当時より行っている循環型レンタルシステムでは、お客様にご利用いただき、汚れて回収されたモップやマットなど、レンタル商品の97パーセントは再び商品化しています。残り3パーセントは、産業用の商品へ再利用しています。そのほか、モップやマットを洗う際に出てきたほこり・砂などはセメントの原料に利用しています。ミスタードーナツでも大切な資源は繰り返し使おうとの想いから、古くなったドーナツ調理オイルは工業用の原料となります。ショップで使用する液体洗剤のリサイクルや残ったドーナツを飼料として利用するなど有効活用しています。 ■大学生へのメッセージ 「将来、こうなりたい」という想いは、ぜひ大切にしてほしいです。「こんなサービスを提供したい」「こんな商品を開発したい」などの想いをもって働いてほしいと思います。想いが全ての行動の源です。想いを持って行動することが皆さんの人生をより豊かなものにしていきます。 学生新聞2024年4月1日発刊号 法政大学3年 島田大輝

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株式会社すかいらーくホールディングス 代表取締役会長 谷 真

人生の各シーンに寄り添い、幸せを生み出せる存在に 株式会社すかいらーくホールディングス 代表取締役会長 谷 真(たに まこと) ■プロフィール 1951年12月25日生まれ、富山県出身。1977年関東学院大学経済学部卒業後、すかいらーく入社。2000年ニラックス代表取締役社長、2007年同社社長兼すかいらーく執行役員、2008年すかいらーく代表取締役社長、2018年すかいらーくホールディングス代表取締役会長兼社長を経て、2023年同社代表取締役会長(現在)。 「価値ある豊かさの創造」という経営理念のもと、成長し続けるすかいらーくホールディングス。和・洋・中の各種テーブルレストランを中核事業に、数多くの人気ブランド店を展開している。今回は会社を支え続けてきた谷会長に、ご自身の学生時代のお話から会社の将来展望までを伺った。 「将来は建築の道に進みたい」という想いから、大学は関東学院大学理工学部に入学した。しかし、建築デザインというよりも数学との格闘。2年生が修了したタイミングで、経済学部に転部しました。大学には結局5年間通いました。休みの日は、小学生の頃から始めた山登りに熱中し、立山の山小屋で働いていました。1日に500人近い登山客が来るのに、山小屋にはアルバイトを含めて30~40人しかいないのです。そのために、少ない人数で仕事を回すにはどうすれば良いのか知恵をしぼりました。人をまとめる機会や説得する場面も多かったので、マネジメントの基礎を学ぶこともできました。同時に、山小屋生活で大勢のお客様やスタッフと接したことで高まったホスピタリティ精神は、今に活きていると感じます。大学卒業後、すかいらーくに入社を決めた理由は、強い心のときめきとビジネスとしての成長を確信したからです。レストラン業に対する心のときめきは、学生時代から持っていました。当時、ゴルフの帰り道に立ち寄ったレストランでの出来事です。泣いている子どもを見かけた従業員が子ども用の椅子とおもちゃをさっと持っていって、あやしている光景を見ました。そのとき、山小屋生活で実践していたものに似たホスピタリティに、心が強く動いたのを覚えています。また、外食産業に成長の可能性を強く感じたことも大きいです。当時、こじんまりとした定食屋やトラック運転手の方が行かれるようなお店はありましたが、一般の人がゆったりと使えるロードサイドのレストランはあまりありませんでした。必ず、このビジネスは大きくなるだろうと考え、数々の飲食業界の面接を受けました。数ある飲食系企業の中でもすかいらーくに入社を決めたのは、他社が出店数や将来性だけを語るなか、すかいらーくだけが「お客様を大事にすることが大切だ」と話していたからです。私自身、山小屋での経験から、心のときめきはシステムではなくて、人間しか与えることのできないと考えていたため、その言葉に感銘を受け、入社を決めました。 ■テーブルサービスを実現するために すかいらーくホールディングスでは、テーブルサービスオペレーションというスタイルにこだわって事業を展開しています。その背景にあるのは、「お腹を満たす」と「外食を楽しむ」の2つの要素です。それは単純にお腹を満たすためだけではなく、食事を通じて心のときめきを感じることへの価値を重要視しているからです。テーブルサービスオペレーションを遂行させる上で、5000人の社員と9万人のクルーのために人事制度にも力を入れています。日本全国に3000店舗を展開する現在、統一された人事制度のもと、異なる業態でも安定性を維持した運営を可能にしています。従業員に採用しているのは、研究熱心な人、自然が好きな人、社交的な人など、多様な人材です。企業としても、画一的な人材ではなく、自己分析を通じて自分の得意分野や個性を理解し、それを生かしてキャリアにつなげられるように考えています。また、採用時には経歴よりも個人の意志や努力を評価しています。かつて、一度面接で不合格にした応募者が、自分を信じる力と壁を乗り越える強い意志を示し、再応募で合格したこともありました。 ■すかいらーくの国内外展開 近年、マーケットでも少子高齢化は急速に進んでいます。当社は日本国民の食生活や人生に寄り添いたいとの想いのもと、ライフスタイルに合わせたさまざまな業態を展開しています。女性グループでの集まりやお一人でゆったり朝からお過ごしいただける「むさしの森珈琲」などのカフェ店舗、ファミリーやシニア層にも親しまれる蕎麦屋などの新業態の出店がそうです。人生の数々のシーンにすかいらーくが存在することで、幸せにつながるように切に願っています。また、海外進出計画も実行しつつあり、現在、東南アジアやアメリカなど日本食の需要が高まる地域を中心に、出店を拡大しています。台湾での店舗数は約70、マレーシアでは5店目がオープンします。将来的には、すかいらーくという食を世界に広め、幸せなライフスタイルを提供することが私たちのビジョンです。 ■大学生へのメッセージ 多くの学生さんは、それぞれ違うポテンシャルを持っていると思います。好きなことを仕事にするのももちろん良いですが、自分が持つポテンシャルを活かせる仕事を選択できたら、よりよい結果になると私は思います。そのためには、自分が他人よりも何が長けているのかを自己分析し、いま好きなことと社会に出てやりたいことのギャップを縮める作業が必要であるかと思います。不確かな状況に対応できる能力が求められる現在、自己改革を繰り返し、目の前の仕事を成し遂げるためのオペレーションの習得も大切です。そこから、内部結束を図るためのマネジメントの知恵と工夫が見えてきます。ぜひ、この学生時代という時間を使って、自身の生き方や考え方を見つめ直してみてください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 津田塾大学1年 石松果林

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大東建託株式会社 代表取締役 社長執行役員 竹内 啓

人とのご縁を大切に自分を磨き続けること 大東建託株式会社 代表取締役 社長執行役員 竹内 啓(たけうち けい) ■プロフィール 1965年11月生まれ、富山県出身。朝日大学経営学部卒業後、1989年4月に大東建託に入社。土地オーナー様に土地の有効活用をご提案する営業職を長きにわたり経験。その後、支店長、首都圏営業部長を経て、2014年6月取締役、執行役員テナント営業統括部長に就任。2018年4月常務取締役、不動産事業本部長に就任。2023年4月より現職となり、建築事業本部長も兼務。 賃貸住宅の管理戸数(※1)と完成戸数(※2)で全国1位を誇る大東建託。入社35年目を迎えた竹内社長に、ご自身のキャリアや仕事に対する考え方、社員の育て方などとともに、お客様に長期にわたって安心・安全な住宅を提供するための工夫などについて伺った。 学生時代は、あまり勉強をした記憶がありません。大学受験にも失敗して浪人するかどうか悩んでいたら、予備校の先生に「今度、新しい大学ができるから行ってみたら?」と勧められて、朝日大学の経済学科へ入学しました。今になって思えば、この選択は大正解でした。人生の伴侶と大東建託という会社に出会うことができたからです。大東建託の存在を知ったのは、リクルートの求人雑誌がきっかけです。雑誌に書いてあった創業者の言葉に熱意を感じ、「この人と一緒に仕事をしたい」と思ったのです。大東建託は年齢や学歴で評価せず、営業等の数字で評価する完全な実力主義の会社です。だからこそ入社時から「30歳までに課長になる。最終的には取締役になる」という明確なビジョンを抱くことができました。仕事に邁進した結果、営業として成果を残し、26歳で課長になれました。土地活用を提案する営業職の後は、不動産部門の営業を担当しました。当時は、リーマン・ショックの直後で、物件が驚くほど空いている状態でしたので、入居者様を斡旋するのにかなり苦労しました。そんな折に、当時の社長から「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という西郷隆盛の言葉をいただいたのです。この言葉は、「功績のある者でも人徳のない者には高い地位を与えてはならない」という意味です。人は実績だけを作ればよいというわけではない。苦しいときこそ自分を磨き、人として成長するべきなのだと自戒しました。 ■仕事に取り組むうえで大切なこと これまでのキャリアを振り返ると、私が大切にしてきたものがいくつかあります。その中の一つに「夢を持ち、自分を磨く意志を持つこと」というものがあります。高い成果を出す上で、夢を持つのはとても大切です。そのために日頃から社員に対しても「自分の達成したい夢や目標を書くように」と伝えています。また、何かの選択に迷ったときは、苦しい方を選ぶようにしています。営業は断られるのが前提なので、誰しも最初は苦しいものです。しかし、何度も繰り返し交渉した結果、その熱心さが実を結んで、ようやく仕事として成立する。苦しいことも多かったのですが、その経験から得たものはたくさんあります。そのほかに大切にしているのが人とのご縁です。何十年も仕事をしてきて、人は他者との縁の中で生きているものだと実感することが多いです。以前、支店長時代のお客様と再会し、「あのとき、竹内さんに託して良かった」と感謝されたこともありました。こうしたご縁がつながっていくと、やりがいを感じますね。 ■会社を利用して自分のスキルアップを 大東建託グループは、オーナー様に賃貸住宅を建てていただくだけではなく、賃貸住宅にお住まいになる入居者様が安心して暮らせるよう、さまざまな事業を展開しています。長期安定という観点で事業展開をする会社は弊社以外にほとんどなく、これは大きな魅力だと思います。また、入居者様が長く住めば外壁やクロスは汚れていくものです。そこで、メンテナンスコストを引き下げるさまざまな技術を導入しています。たとえば、美観を維持する資材として、雨水で汚れが落ちる外壁サイディングを導入。また、入居者様が入れ替わるたびに発生する原状回復費を抑える資材として、汚れが簡単に落ちるクロスや1枚から張り替え可能なフローリングなども導入しています。そのほか、入居者様同士のトラブル等、起こりうるリスクを想定し、リスクカバーできるようにシステムを構築しています。たとえば、2024年1月に起きた能登半島地震でも、震災後3日で全ての入居者様の安否確認と物資供給に対応しました。やはり、命や生活を守ることが何よりも大切ですが、このようなサービスを行っているのは弊社だけだと思います。こうしたさまざまな対策の末、管理戸数は27年連続全国1位(※1)、賃貸仲介件数は14年連続1位(※3)という実績を生むことができたのだと思います。現在の私の目標は、3兆円の利益を上げることです。そのために必要なのが社員のエンゲージメントを高めることと会社の舵を取る30代、40代の社員を育てることです。ただ、彼らには「会社のために働くのではなく、自分ために働いてほしい」と常々伝えています。自分のスキルアップのために、大いに会社を利用してほしいと思っています。 大学生へのメッセージ 学生の皆さんには可能性を信じてチャレンジしてほしいです。私も社長になるまでたくさんの経験をしてきました。経験不足で苦労することもありましたが、その中でも自分を磨こうという視点を持って取り組んできたからこそ今があると思っています。学歴や型にこだわらず、今、あなたが何に取り組み何を考えているのかを大事にし てほしいと思います。 学生新聞2024年4月1日発刊号 上智大学2年 白坂日葵 ※1 全国賃貸住宅新聞1567号(2023年8月7日発行)「2023管理戸数ランキング1093社」 ※2 全国賃貸住宅新聞1562号(2023年6月26日発行)「賃貸住宅に強い建設会社ランキング2022 大手ハウスメーカー部門」 ※3 全国賃貸住宅新聞1587号(2024年1月1日発行)「2024賃貸仲介件数ランキング409社」

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株式会社ニトリホールディングス 取締役執行役員副社長 武田政則

住まいの豊かさを世界の人々に提供する。 株式会社ニトリホールディングス 取締役執行役員副社長株式会社ニトリ 取締役武田 政則(たけだ まさのり) ■プロフィール 1966年生まれ。東京都出身。2004年、株式会社ニトリ入社。商品部のゼネラルマネジャーなどを務めた後、2020年、株式会社ニトリ代表取締役社長に就任。2024年には海外事業の管掌に専念することで、海外事業における意思決定を迅速化し、実行スピードの向上を図る。 住まいのトータルコーディネートを提案するニトリ。「お、ねだん以上。」というよく耳にするフレーズのとおり、高品質でありながらお手頃価格で商品提供ができる秘訣はどこにあるのか。商品の開発秘話やニトリが成長し続けられる秘訣をニトリホールディングス武田副社長に伺った。 家具のデザイナーになりたいとずっと思っていました。ただ、デザイナーになるにしても世界のビジネスをやるにしても英語はやはり必要だと思っていたので、英語を勉強していました。また、当時、さまざまな装飾様式のあるイギリスやフランスに家具などのデザインを見に行ったりもしていました。学生時代にやって良かったと思ったのは、アルバイトです。さまざまな職種のアルバイトをしましたが、世の中には自分が思い描いていたよりもたくさんの仕事があることを知りました。その中でいろいろな人と出会い、接客応対を学んで対人スキルを身に付けたことが今につながっているのだと思います。社会人としてのスタートは、ライフスタイルを提案する会社でした。倉庫の改善業務から始まり、最終的には商品開発の責任者になりました。その後、独立しようと考えていたときに、友人にニトリという会社があることを教えてもらい、実際にお店を見に行ったのです。並んでいた商品を見ると、私が考える原価くらいで売られていたので非常に驚いたのを覚えています。しかし、正直なところデザインはあまりよくなかったのです。そこでニトリの商品を低価格のままもっとおしゃれにしたらすごいビジネスになると思い、入社を決めました。 ■「お、ねだん以上。」の秘訣 ニトリでは製造から物流、倉庫内のオペレーション、販売も全て自前で行っています。現在、ベトナムに2つの自社工場を構えており、そこには年間約250万セットのカーテンを作る、世界で一番大きな工場があります。その工場では、品質が良くてその時期に一番安い糸を選び、編んだり染めたりする作業も全て自社工場で行っています。通常はそれらの作業を外注する場合も多いのですが、内製化することにより、他社よりも品質が良くて安価なカーテンを作ることができるのです。その結果、他社との差別化が可能となったのです。それでもカーテン工場は3年かけてようやく黒字になった程度です。しかし、この3年間はたとえ赤字でも将来大きく利益が出ると信じてやってきました。赤字でも絶対に諦めないのは2032年にニトリは3000店舗に拡大するというビジョンを掲げているため、そのときに大量に商品を作れば利益率が上がることがわかっているからです。ニトリ商品の多くは自社製品です。そのため、社員たちがこれをお客様に届けたいと思えば、売り場は100パーセント自分たちの意思どおりになります。そして一番いい商品をお客様におすすめすることができるのです。このような理由で今後の投資や売上も計算ができ、10年後に必ず成功するという将来が見えるのです。 ■「諦めない」ことが成長の秘訣 一緒に働きたいと思う社員は、Change(変化)、Challenge(挑戦)、Competition(競争)、Communication(対話)の4C主義を楽しめる人です。特に、さまざまなことに好奇心を持つ人を歓迎します。ニトリの店舗で働いていた社員が、数年後に突然新卒採用部や広告宣伝部などに配属されることもあります。そのようなときにもニトリの社員は皆好奇心があり、順応性も高いので、どの仕事も楽しむことができるのです。社員たちに常々言っているのは、「諦めないかぎり失敗はない」ということです。私自身も諦めなければ必ずできると信じています。社員たちも部署が変わっても楽しんで仕事をこなしているのは、この考えがあるからでしょう。 ■世界の「ニトリ」になる 現在は海外への進出も加速させていて、10年後には海外だけで2000店舗以上にしたいと考えています。製品を作っている場所と売っている場所の距離が近い方が物流費がかからず、お客様が買いやすい値段で商品を提供できます。今はベトナムやタイに自社工場があるためアジアを中心に展開していますが、今後はアメリカやヨーロッパにも進出していきたいと考えています。さらに家電の開発にも力を入れています。家具と家電を買うのはライフイベントのタイミングとして非常に近いものなので、両方を同時にご購入いただける状態を提供したいのです。家電量販店のように品揃え量にこだわるのではなく、ベストプライスでおすすめ商品を絞り込み、売ることを目指していこうと考えています。さらに、トータルに生活をコーディネートしていくためにアパレルやホームセンターなどの事業領域も拡大していく予定です。 ■大学生へのメッセージ 学生のうちにさまざまなところに行って多くのものを見て欲しいと思います。日本の住まいは決して豊かではありません。欧米の家などを見てどれだけ日本よりも素敵な家に住んでいるかがわかると、物事が全く違って見えます。将来のビジョンがしっかりとしていて、自分も企業と共に成長できるような場所を選び、やりたいことを実現していってくださいね。 学生新聞2024年4月1日発刊号 国際基督教大学1年 若生真衣

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グリー株式会社 取締役上級執行役員 前田悠太

「好き」を武器にしながら感動を世界中へ。 グリー株式会社 取締役上級執行役員 前田悠太(まえだ ゆうた) ■プロフィール 1982年、岐阜県各務原市生まれ。2006年よりベンチャーキャピタルのジャフコグループ株式会社において、主にIT/モバイルセクターのベンチャー投資、育成に従事。その後、2009年に株式会社ポケラボに入社、2011年に代表取締役社長に就任し、現職。ポケラボは2012年よりグリー株式会社の子会社となる。2013年よりグリー株式会社取締役上級執行役員を兼務し、現職。弁理士。 「インターネットを通じて、世界をより良くする。」のミッションを掲げ、2004年の創業以来、成長を続けるグリー。グリーのゲーム・アニメ事業を管掌する前田取締役上級執行役員に、これまでのご自身のキャリアやグリーの魅力、ゲームへのこだわりや強みについてお話を伺った。 学生時代は音楽とキックボクシングに夢中でした。高校時代からバンド活動に没頭し、大学進学の際に岐阜県から上京した当初は、音楽学校とのダブルスクールの状態でした。しかし、音楽の世界のシビアな現実に直面し、夢は断念。キックボクシングに専念するようになりました。どちらも現在の仕事とは直接関係はありませんが、今の仕事に活かされている部分は非常に多いです。音楽を通じてクリエイティブな心が育まれましたし、キックボクシングからは心と体のコンディションを整えるスキルが得られました。大学院に進んだ後は、弁理士の資格を取得。アルバイトでは特許明細書の下書きをしていました。卒業後は就職をしようと決めたものの、そもそも世の中の仕事を全然知らないという当たり前の事実に気づき、自分がどんな仕事が良いか選べないといけないと思いました。そこで、たくさんの会社や仕事と関わることができる仕事という理由で、ベンチャーキャピタル業界にフォーカスし、最終的にJAFCO(ジャフコグループ株式会社)に入社しました。入社後は、年間100社以上の社長にお会いし、投資先の取締役会や経営会議に参加しながら、さまざまな業種やフェーズの企業と仕事をさせていただく経験を積みました。そんな中で、私が特に「日本から世界に勝負できる」と注目して追っていたのが「再生医療・ナノテクノロジー・モバイルゲーム」の3分野です。当時、Facebookなど海外の大手SNS内でゲームが活況になってきており、近い将来、スマートフォンが発売されることも見えていました。この10年の時間軸で最も市場成長速度の速い分野として、モバイルゲームにフォーカスして投資を進めていきました。モバイルゲームの会社と会い、投資をしているうちに、立ち上げたばかりの株式会社ポケラボの創業者から誘いを受け、2009年7月より取締役CFOとして入社しました。当時、10億円の調達をして大きな勝負に出たのですが順風満帆とはいかず、約1年で経営危機となり、私が社長となりました。そして、スマートフォンの台頭に合わせてスマートフォン向けのモバイルゲームにいち早くシフトし、大きく成長することができました。2012年にはグリー株式会社と資本業務提携を結び、さらに業況を拡大。グリーの取締役を兼務しながら、ポケラボ、株式会社WFS、グリーエンターテインメント株式会社の3社でグリーグループのゲーム・アニメ事業を展開し、より大きな挑戦をしています。 ■「好き」だからこそファンの気持ちがわかる グリーでのゲーム・アニメ事業の魅力は、広い意味でのオタクな従業員が多いことです。「好き」が根底にある人はファンが喜ぶことがわかります。だから「好き」は、絵が上手いとか計算が速いのと同じように、重要な才能の一つだと思っています。好きだからこそ「自分たちが本当に面白いと感じるものを作りたい、作品を楽しんでくれる人を大切にしたい」という想いを持っています。また、コンテンツの制作は一見華やかな仕事に見えますが、実は非常に過酷です。リリースまでに3〜5年費やしても全然売れないこともあります。面白いと信じて作ったものが売れないと、自分たちが否定された気持ちになります。好きという強い気持ちがないと続けられない仕事でもあります。 ■日本らしいゲームを追求する ゲーム作りにおいて、グリーグループで意識していることの一つは、「日本らしい作品」を作ることです。私たちの考える「日本らしさ」とは、日本の文化や文脈の中で感動できるナラティブ(物語)を持ったゲームです。日本のゲームファンは世界中に大勢いますので、地域ごとのローカライズやカルチャライズは不要です。日本のゲームをそのまま楽しみたいというユーザーはたくさんいます。オタク文化が世界に広まった結果、ゲームクリエイターは急増しています。実際、中国には日本の10倍のクリエイターが既にいると言われています。しかし、競争相手は増えているとはいえ、日本風の見た目やシステムはマネできても、日本ならではの世界観や設定の深さなどは、簡単にはマネできません。ゲームにおいては、日本自体もブランドです。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんにはとにかく動くことをお勧めします。これまでの人生を振り返ってみて、自分の血肉になった経験や何かの起点は、自発的な行動から生まれていると思いませんか。行動「量」にこだわることです。近年、インターネットやAIの進化によって、知識や情報の入手は容易になり、頭の良さの基準も変わってきています。知識や賢さはどんどんコモディティ(汎用品)になってきます。AIをはじめとするデジタルを有効に活用できる能力、行動からの経験を通じて問いを立てる能力こそが大事です。学生という立場と時間をフル活用して、とにかく行動してください。行動する習慣を身に付けて、自分の未来を切り拓いていってください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 津田塾大学1年 石松果林

伊東美優

株式会社JR東日本びゅうツーリズム&セールス 代表取締役社長 森崎鉄郎

持続可能な地域づくりのために私たちは変革し続ける 株式会社JR東日本びゅうツーリズム&セールス 代表取締役社長 森崎 鉄郎(もりさき てつろう) ■プロフィール 立教大学経済学部卒業。1990年、東日本旅客鉄道株式会社に入社。2010年12月の東北新幹線新青森開業に向けて、2009年4月から盛岡支社営業部長を務め、2011年3月の東日本大震災の対応にも当たる。その後、東京支社びゅう事業部部長、本社営業部次長を経て、2019年6月より株式会社びゅうトラベルサービス(現・株式会社JR 東日本びゅうツーリズム&セールス)代表取締役社長に就任。 JR東日本グループの旅行会社として、JR東日本びゅうダイナミックレールパックの企画・販売などを行う、(株)JR東日本びゅうツーリズム&セールス。森崎社長は社長就任以来、大型台風の襲来やコロナ禍など、多くの危機に見舞われたが、マイナス状況から変革を起こし、黒字転換に成功。その経緯を伺った。 大学時代はゼミ、アルバイト、サークル活動の3つに注力していました。特に在籍していたゼミは自身のレポートに対して他のゼミ生や教授から容赦なく質問攻めされる形式だったので、毎回準備が大変でした。ゼミで学ぶ中で、「問題意識」を持ち、それに対しての「現状分析」を行い、「問題点」、「課題」を抽出し、その「対応策」を考えるというサイクルを徹底的に叩き込まれました。これは就職してから現在に至るまで、仕事をしていく上でのベースになっていると思います。 アルバイトについては地元のスポーツ用品店で働いていました。バイト歴が長くなるにつれて店長さんに頼られることも多くなり、マーケティングの初歩も経験できました。 私が就職したのは1990年ですが、当時のJR東日本は、3年前に国鉄から民営化されたばかりだったこともあり、JRを目指す学生はまだ珍しかったと思います。ただ、私の場合は、「この環境だったら、まっさらなキャンバスに新しい絵を描くような仕事ができるんじゃないか」と考え、入社を決めました。 新卒1年目、最初の配属先は岩手県盛岡市でした。地方暮らしの経験がない私にとって、東北での生活は凄く新鮮で、魅力的でした。そのときに、「もっと人々に旅の目的を届けられるような観光関係の仕事がしたい」と感じ、以来、幸運なことに鉄道事業というフィールドの中でも観光に多く関わることができました。 さらに東日本大震災を東北の地で体験したことは大きく、単にお客さまへ旅の手段を提供するだけでなく、震災後、東北の人々が作り直してきたもの、または作り上げてきたものを国内外の人々にお伝えする使命があると思い、今の仕事をしています。 ■「観光流動創造会社」としての使命 当社の事業の中核を成すのが旅行事業ですが、主力商品となるのは、JRの列車のチケットと、宿泊施設を自由に組み合わせられる「JR東日本びゅうダイナミックレールパック」です。この仕組みを導入する際、いくつかの変革を行いました。 まず第一に、購買時期によって商品価格を変動させた点です。従来の多くの旅行商品は、全て価格が固定されていました。しかし、私たちは、需要と供給に合わせた価格変動型へ変更したことで、お客さまだけでなく契約施設のニーズに合う価格設定が可能になりました。次にWEB販売のみにしたことです。従来は実店舗での対面販売が中心でしたが、実店舗もなくし、WEB販売中心のビジネスへと一気に切り替えました。これは対面販売ができなかったコロナ禍を経て、コスト面でも非常にフィットしたと思います。 さらに、これらの変革に合わせて、新たに設置したのが旅のコンサルティングや情報発信を行う「JR東日本駅たびコンシェルジュ」です。WEB購入のニーズが高まる一方で、特にシニア世代のお客さまは、WEBのみでは行き届かないこともあります。シニア世代が増えることを考えても、店舗はお客さまとともに旅の目的を創る場だと考え、導入に踏み切りました。 そのほか、我々のビジョンで大切にしているのが「地域共創」です。我々は「旅」の目的づくりを大事にしている会社なので、旅先となる地方は魅力的な場所であってほしいと考えています。仮に地域が衰退すればお客さまに旅の目的を提供できず、観光客が減り、さらに地方の衰退が進むという負のスパイラルが待ち受けていると考えています。特に、いま危機感を持っているのが、JR東日本管轄である東北エリアの衰退です。今後、より持続可能な地域づくりを目指して、東日本エリア、そして北海道・北陸の観光流動創造に取り組んでいきたいです。 学生の皆さんの目の前は、大きな可能性が開かれていると思います。これから先、どんな道も切り開けるポテンシャルがあります。その中で、ぜひ2つの姿勢を大切にしてほしいと思います。まず、自分の「信念」を持って、道を歩んでほしいと思います。そして、信念を絶やさないために「情熱」を燃やし続けることです。この2つが実現できる会社に出会えれば、大いに活躍できると思います。 ■大学生へのメッセージ 最後にお伝えしたいのが、人生に大切な4 つの「気き」についてです。「大人の休日倶楽部」初代イメージキャラクターである藤村俊二さんの言葉を一部拝借したものですが、一つ目の気は「元気」です。これは身体的な元気だけでなく、心も元気でなければいけません。そして2つ目の気は、「やる気」です。仕事も勉強も遊びでも、1日一つでも何かポジティブなことを見つけられると、凄く前向きな人生になると思います。3つ目は、「勇気」です。社会人になるといろいろな場面で勇気が必要になります。勇気を出すことに躊躇しないでほしいです。4つ目は「時とき」です。限りある人生の中で、2度と同じ時は返ってきません。これからも「今」という時を大切にしてください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 慶應義塾大学4年 伊東美優

人事

ソニーミュージックグループ 人事本部 人材開発部 採用企画1課 栁原 レオ

ソニーミュージックグループ 人事本部 人材開発部 採用企画1課 栁原 レオ(やなぎはら れお) ■プロフィール2014年入社。ソニー・ミュージックコミュニケーションズ(現ソニー・ミュージックソリューションズ)にてアーティストグッズの制作から販売までを担当。その後、ファンクラブ運営業務を経験し、現在は新卒採用・キャリア採用を中心とした採用業務を行う。 ソニーミュージックグループエンターテインメントの仕事とは、社会のニーズを素早くキャッチし、思いを形にするためにアーティストやクリエイターの“個性”と顧客の“感性”とを結ぶ仕事である。 ■事業の特徴を教えてください あらゆる〝変化〞への対応が求められる業界だと思います。たとえば、音楽だと20~30年前には主流だったCDの利用者が減り、ストリーミングサービスの利用者が急激に増えているように、顧客のニーズは目まぐるしく変化します。アイドルが流行っていると思ったら、シティポップブームが来るなど、数ある産業の中でもとりわけ流動的な世界だと思います。このように良い意味でも悪い意味でも社会の影響を受けやすい業界とも言えます。こういった変化やニーズの全てを予測できるわけではないので、どれだけ瞬時に変化に対応できるかが肝になると思います。 ■求める学生像を教えてください エンタメの世界は、何事も一人で成し遂げることはできないので、コミュニケーション能力や協調性がとても重要になってきます。それは一つの作品を作り上げるために、たくさんの人が携わっているので、各人の思いを形にするには何度も対話を重ねる必要が出てくるからです。また、自分の個性を大切すること、そして〝好き〞という思いが、この業界で働く上で大きな力になります。エンタメ業界に興味を持っている人は、そもそもエンタメが好きな方が多いです。特に面接の際、自分の好きな作品を語っている姿は、キラキラと輝いているように感じます。就職後も仕事ばかりにならず、そのような思いを持ち続けてほしいと思います。この業界にとって私たちが必要な理由は、より良い作品を作るためには社会のニーズをつかみ、アーティストやクリエイターの〝個性〞と顧客の〝感性〞とを結ぶことができるところにあると考えています。働く中で楽しいことばかりではないですが、とてもやりがいのある仕事だと思います。 ■学生へのメッセージを 社会人になると、物理的にも精神的にも自由に動ける時間が少なくなります。たとえ興味があっても、新しいことを一から始めることのハードルは自然と高くなります。だからこそ学生のうちに少しでも興味があることは物怖じせずに挑戦してみるといいと思います。時間を大切にしながら自分の引き出しを増やしていってください。 学生新聞2024年4月1日発刊号 国際基督教大学1年 渡邊和花