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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

株式会社Mizkan 代表取締役社長 吉永智征

変わりゆく社会に、日々進化して適応し続ける 株式会社Mizkan 代表取締役社長 吉永智征(よしなが ともゆき) ■プロフィール1969年12月、千葉県出身。早稲田大学社会科学部卒。1993年3月、株式会社Mizkanの前身である株式会社中埜酢店に入社。営業、マーケティング、総務部門などを経験後、株式会社Mizkan Partners総務部長、株式会社MizkanHoldings専務執行役員 日本・アジア事業COOなどを歴任。2017年10月より現職である株式会社Mizkan 代表取締役社長 兼 CEO。 味ぽんや鍋つゆなどの商品をはじめ、長年多くの家庭に愛されて、食卓を支えてきたミツカン。創業以来、魅力的な商品を生み出し続けている秘訣はどのようなところに隠されているのか。商品に込められた工夫や思いについて、吉永社長に伺った。  学生時代は、勉強というよりも社会勉強に明け暮れていましたね。競馬が好きだったので、フリーライターとしてスポーツ新聞の記事を書く仕事などをしていました。学生時代から今に至るまで、「日々を楽しく生きよう」という思いは変わっていないです。当時から、上に上がりたいという気持ちは全くありませんでした。卒業後は、会社という大きな場所の中で商品作りや物作りに好きなだけ取り組みたいという思いで、身近な商品で安定した需要と市場を持つ食品業界に飛び込みました。 ■前向きな気持ちでつかんだ成功 入社当初から新規事業を次々と担当しました。誰も取り組んだことのない事業で結果を出すのはとても難しく、大変なこともたくさんありました。取引先に相手にされなかったり、商品化が上手くいかなかったりする中、納豆事業のマーケティング担当として、赤字だった事業の黒字化に成功しました。勝負事が好きだったので、挑戦やミッションは、ゲーム感覚で楽しかったですね(笑)。忙しかったですが、お客様の潜在的なニーズに気づけることや、考えたことが結果に繋がる瞬間を実感することが出来てとてもやりがいがありました。その時の成功が、今の役職にも繋がっています。 前例がないことに対して結果を出せた秘訣は、物怖じしないことだと思います。経験豊富な人に対して真っ向勝負を仕掛けても勝てません。逆に未熟さも含めてオープンにして、周りの人に面白いな、と思ってもらうことで心の距離をつめることを心がけていました。今でも大切にしていることは、常に前向きであることです。組織は明るい方が、成果に繋がると考えているので、前向きな気持ちは忘れないようにしています。常に将来を見据えて行動することも大切にしています。物事に取り組むときに、何のためにしているのかという目標意識を常に持ち、ゴールを設定することで、やるべきことを可視化して取り組むことが出来ます。 ■200年続くミツカンの底力 ミツカンの強みは、発酵に関する技術とこだわり抜かれた味作りです。販売当初、水炊き用に発売された味ぽんは、春夏の需要が伸びず苦労しました。そこで、一年を通してお客さまに愛用してもらえるように、春夏用のメニュー提案を続け、通年化に成功しました。使うメニューの変化に合わせて味も変えていきました。ただ、一気に味を変えるのではなく、徐々に変化させ、お客さんが違和感を持たないように何回かにわけて、少しずつ時間をかけて改良し続けました。その長きにわたる努力の上に、今の商品は成り立っています。変わりゆく時代の中で、よりよいものを作れるように、今も技術を磨き続けています。発酵事業は原料を仕入れて売上になるまでの期間が長く、設備投資もかかるので参入障壁が高いことが特徴です。ミツカンは利益が出ていない事業であっても、自社の強みが活かせる領域であれば、すぐにやめることはしません。苦しい時期があっても、長期的な判断で残すようにしています。それを残す判断も、企業としての体力がないとできないことだと思うので、そこはミツカンの強みだと思っています。今後の社会状況の中で日々経営を変えていくことが、企業としての継続性を高めます。一見効率が悪いように見える事業であってもあえて残すことが、苦しい時の助け船になることもあるのです。また、北米や欧米など、海外にも事業を展開しています。グローバル化に踏み切ったきっかけは、200年以上続いているミツカンを今後50年、そして100年存続させるためには日本だけではなく、世界でビジネスを展開することが必要だと考えたことです。市場を広げることで、為替市場の動向に関わらず利益を生み出すことが出来る強みがあります。 ■「食は文化」という考え方 私たちの商品は、食の「原体験」をとても大切にしています。「家庭でも水炊きが食べられる社会にしたい」という思いから生まれた味ぽんは、今年で55年の歴史を持ちます。55年愛され続けると言うことは、3世代をつなぐ商品になっていると言うことです。子どもの頃の思い出というのは、大人になっても覚えているものですよね。商品を通して、世代間でのコミュニケーションが生まれ、今後も愛され続けることで、子どもの頃の楽しい思い出を次の世代に引き継いで欲しいです。今後は、健康を意識したマーケットに目を向けていきたいと考えています。現在、健康に関する食品は比較的高い価格で販売されています。ミツカンブランドとしては、買いやすい価格で、無理せず健康になれる商品の提供を行っていきたいと考えています。健康寿命を延ばすだけではなく、食を通した楽しさを感じるものにこだわっていきます。食は、コミュニケーションを生みだすきっかけになります。これからも、この価値観を軸にした商品を開発していきます。 ■大学生へのメッセージ 新しいことに積極的に挑戦してください。大学生は、たくさん社会と関わる時間と、経験できる機会があります。大人になっても、前向きさと素直さを忘れないこと、そして失敗を恐れないことを大切にすれば、きっと成功します。経験を通して自分のネットワークを増やしたり、やりたいことを探したりして、世界を広げて欲しいです。 学生新聞オンライン2023年7月6日取材 立教大学3年 緒方成菜

大野詩織

株式会社セクションエイト 専務取締役 太田光則

クリエイティブによって“出会い”の質と量を向上させる 株式会社セクションエイト 専務取締役 太田光則(おおたみつのり) ■プロフィール1975年3月生まれ、千葉県千葉市出身。大学卒業後、1997年:専門商社に入社。2002年:株式会社レインズインターナショナル(牛角・温野菜等運営)に入社。同社で店長やマネージャー・部長と経験を積み「かまどか」の業態長を経て、2011年3月:株式会社セクションエイトに入社。2014年6月に同社取締役就任、2016年6月に同社専務締役就任。 「相席屋」をはじめとした出会いの場を提供している株式会社セクションエイト。“出会い”を元に多くのユニークな取り組みを行っているのも業態にこだわらず挑戦的であるからこそ。同社の太田光則専務のキャリアとともに会社の強みや経営戦略などについて伺った。 大学の時はアルバイトで飲食店と公園の管理、販売業など3つくらい掛け持ちしていて、アルバイト中心の学校生活でした。仕送りなしの奨学金のみでやりくりしていたので稼がなきゃという気持ちもありましたね。アルバイトではリーダーを任せてもらい、シフトを組んだり、食材の発注をしたりといろいろな仕事をしましたが、この経験が今に生きている部分もあると思います。大学4年生の時に就活を終えて、内定者研修も受けていたのですが、留年をすることに。卒業がずれたことを契機にもう1度就職活動をして、地元千葉の測量機やコピー機を売る代理店の営業職として就職し、5年ほど勤めました。今までのアルバイトではチームの活動が多かったのですが、営業は個人競技がメイン。あまり達成感を感じられなかったため、転職を決意しました。そのとき、学生時代の経験を思い出し、「飲食店が面白かったな」という理由から、牛角や温野菜やかまどかの会社である株式会社レインズインターナショナルに一般社員として入社しました。店長やマネージャーや部長などを経て、本部長の地位にまでたどり着くことができました。その後、会社がファンドにバイアウトされて方向性が変わったタイミングで、株式会社セクションエイトへ紹介という形で入社しました。当時は「居酒屋はなこ」のブランド力が強すぎて業績は良いけれど、運営力が追いついていないという状態だったので、マネージャーの教育や会社のガバナンスを作るなど、段階を踏んで立て直しに力を入れました。その後、色々な業態を作り上げてきて現在に至ります。ここまで来れたのも仕事が好きだからなのではないかと思います。出世はサラリーマンのダイナミズムだと思いますが、私は「趣味が仕事」という想いで働いていました。仕事の質も大事ですが、量をこなさないと生産性や効率などの質が上がらないと思っています。 ■出会いをピラミッドとして捉える 弊社のメイン業態は3つで、自由なスタイルで楽しめる「The Public stand」、従業員がマッチングをしてくれて、合わなければ席替えができるというシステムがある「相席屋」、アプリ等も連携し、真剣交際を行いたい方向けの一対一の会員制相席屋である「THE SINGLE」などがあります。「THE SINGLE」の強みは、最近はマッチングアプリでの出会いがあるかと思いますが、いろんな人と出会えるからこそ誰がいいのか分からなくなったり、連絡を取ってから会うまでにすごく時間がかかり、疲れてしまうことが多いです。私たちのサービスでは、お店に来ると自動的に出会えて、1回でだいたい4、5人と相席ができるところが強みだと思います。しかも「THE SINGLE」のアプリでは、相席をした後にお互いに点数をつけて評価をする点が、普通のマッチングアプリとは違う点です。点数が低い方には入店をお断りしております。 ■敷居を低くして出会いの数を増やす 他社の店舗との違いは、銀だこさんやゴーゴーカレーさん・焼肉ライクさんなどとコラボをするなどして、お客様がイベント感覚で来られるようにと敷居を低くすることを心がけています。また、客層が幅広いところも特徴かもしれません。マッチングアプリや結婚相談所との違いは、出会いの多さです。私たちは「出会いの数を多くすれば必ずいい出会いがあるのではないか」という考え方で、出会いのクオリティはもちろんの事、出会いの量にもこだわっているところが圧倒的に他社さんとの違いかと思います。 弊社はヒット業態を当てているイメージがあるかもしれませんが、過去38個のブランドをスクラップ&ビルドしてきました。最近ではカラオケで100点を取れたら店舗で使える10万円分の商品券をプレゼントするKARAOKE HUNDREDや、水煙草のシーシャを扱うTHE SHISHA HOUSEなどが新規業態としてあります。常に何かに疑問を持って「これがいいのでは?」と新しい提案ができる、挑戦的でクリエイティブな人と一緒に働きたいですね。今後の目標は、人々の出会いの数を増やすこと。業態にはこだわっていないので、出会いを元に面白いことをどんどんやっていって、セクションエイトを大きくしていきたいです。 ■Message 学生時代はモータースポーツのF1の予選と似ているように感じます。F1は予選の順位で決勝のスタート順が変わるため、予選のタイムが遅い人は決勝で優勝するのは難しいと思います。その反面、予選でポールポジションを取れば決勝で優勝する確率が上がりますよね。同様に、今の学生時代は社会人になる前の準備期間、すなわちF1では予選であり、社会人になる時が決勝だと思ってみてください。そして勝負はもう始まっていると捉えて、一つ一つ真面目に取り組むことが大切だと思います。中途半端だと何も生まれないので、「これは絶対将来に繋がる」と確信を持って、何事も一生懸命にやってみるといいと思います。 学生新聞オンライン2023年8月1日取材 上智大学短期大学部2年 大野詩織

学生新聞インターン

学校法人ミスパリ学園 理事長 下村朱美

グローバルに活躍するビューティのプロフェッショナルを育てる 学校法人ミスパリ学園 理事長 下村朱美(しもむらあけみ) ■プロフィール 1957年鹿児島県出身。池坊短期大学卒。82年「やせる専門店 シェイプアップハウス(現:ミス・パリ)」86年「男のエステダンディハウス」をオープン。90年ミスパリインターナショナルスクールを開校。2008年学校法人ミスパリ学園を設立し、専門学校を開校。23年4月、日本で初の美と健康を学び人々のQOLの向上を目指す大学「ビューティ&ウェルネス専門職大学」を開学。大阪難波に資金600万円から始めたサロンは、全国に95店舗、美容室15店舗。上海店、台湾店と海外進出も果たす。業界では「教育のミス・パリ」と呼ばれるほどエステティシャンの養成に力をいれているミスパリ学園の下村朱美理事長。若干25歳の女性が、エステティックサロンを起業し、2023年4月には、日本初のビューティ&ウェルネス専門職大学を開学。美容と健康のプロフェッショナルを育成し続ける下村理事長に、これまでの経緯や現在の想いを伺った。 ■茶道や華道など、日本文化を学んだ大学時代  大学は京都にある池坊短期大学の家政科を卒業しました。短大は63単位取れば卒業できるのですが、77単位取得して卒業しました。学校では一般教養の他に格式高い日本文化を学び、茶道や華道は京都の一流の先生から学ぶ事ができました。当時は短大を卒業したら地元に帰ってお見合いをして結婚するというのが一般的でした。しかし、私は一人っ子でしたので、両親のためにも自立したいと考え、短大卒業後、文化学院、中央研修科と2年を経て、華道の看板をいただいた後、半年間カルフォルニア大学へ留学しました。いよいよ日本に帰国する時、飛行機の中で「これで私の学生生活は終わった。これからは、必死に働いて親やお国に恩返しをしよう」と覚悟を決めました。 ■理論に基づいたサロンを作りたいと、独立起業を決意 仕事をしようと思っても10月に帰国した私にどんな仕事があるのかも分からず、知り合いに、ある化粧品会社を紹介されました。その会社のビジネスモデルは、美容室にあるシャンプー台を使い美容師に美顔を教えて、お客様に提供できるサービスメニューを増やし、化粧品の販売などでお客様一人当たりの単価を上げるというものでした。私は美容材料屋さんの車に同乗し、美容室を回り、講習会への案内や、講習会が始まると、美容室を周り、営業終了後の研修を受け持っていました。23歳の頃でしたが美容室の先生から「お客様に対して美容カウンセリングをしてほしい」といわれ、美容室で美容相談会を開催し、お客様の美容に関する悩みを解決・相談する仕事も始めるようになりました。すると美容室の化粧品売り上げが向上し、お客様からの感謝の声も多くなりました。そんな時期、エステティックサロンだともっと専門的な指導ができているのかと思い、私自身がサロンの客として通う事にしました。しかし、サロンでは体や肌の構造も学んでいない人達が汗をかきながら技術をしている状況でした。 そのとき、私が痛感したのは、お客様はご自身の悩みに対して、適切な知識を求めているのだということ。お客様に向けて、その商品や技術がどのようにお客様の体や肌に作用するのかを知らせるためには、技術者たちがもっと体や肌や商品のことをきちんと勉強して、その知識をお客様に伝えることが大事だと感じました。当時のエステティック業界では、その知識が足りないと感じ、「ならば自分が理論に基づいた技術を提供できるサロンを作ろう!」と思いました。そこで、貯金600万円でサロンを開業したのです。 ■技術や知識だけでなく、礼儀や作法も忘れない 以前から、弊社は美容業界で「教育のミス・パリ」と言われてきました。実際に、弊社の新入社員は入社後850時間もの研修を受けます。これは元々エステティックサロンを立ち上げる時から決めていた「教育を受け資格を持ったエステティシャンを育成したい」という想いがあったからこそ。化粧品代理店時代、お客様は基礎医学や商品、美容法に関してきちんと知識を持ったエステティシャンを求めていると強く感じたからです。また、より質の高いサービスを提供するためには、お客様の期待を上回る知識や技術を常にアップデートする必要があります。そのためにも社内のエステティシャンの育成に力を入れ、現在はサロンスタッフの90%が認定エステティシャンの資格を持っています。しかし、技術や知識だけではなく、礼儀や作法なども大切にしています。最近、メンズ美容エステ3ブランド114店舗の口コミ分析レポートと言うものが、ネットに出ていたと友人から知らされました。口コミ評価平均でダンディハウスが★4.53と業界TOPの高評価。他ブランドと比較すると高価格設定であるが、サービスの質が価格の期待値を 超えているためお客様の満足度が高い。とありました。客層が素晴らしいと言うのが、ダンディハウスとミス・パリの特長でもありますが、私達は私達のサービスを好いてくださるお客様達を大切にしながら、20年も30年も通ってくださるお客様を作っています。 ■エステティックの最前線を学べるミスパリ学園 「教育を受け資格を持った人たちが働くサロンを作りたい」という思いは、サロン開業を決断した当時からありました。そこで、1990年には大阪の23坪ほどの狭い土地に、地下1階地上5階のビルを建て、エステティックスクールを開校しました。現在ではミス・パリエステティック専門学校が大阪と名古屋に、ミス・パリ・ビューティ専門学校が池袋と大宮にあり、毎年500人以上の卒業生を美容業界に輩出しています。卒業後の就職率は100%。ミス・パリ・グループにも25%程が入社して来ます。専門学校では即戦力人材の養成をしていますが、大学は演習や実習、研究を行いながら基礎医学、美学、一般教養、経営学等を学び、サロンマネジャーや商品・技術の開発者、教育者や指導者、コンサルタント等を養成していきます。 ■大学生へのメッセージ 「将来自分は何がしたいのか」をよく考えなければならないと思います。近年アメリカでは大学を出ただけの新卒学生を入社させない企業が増えてきています。そうした企業では、応募者の学歴や学習した内容などではなく、「何ができるのか」を面接時に聞くそうです。つまり、何もできない経験のない新卒社員は戦力にならないということ。以前の日本は終身雇用が主だったため、スキルがない新卒の学生が入社しても、長いスパンで人材育成を考え企業内で教育して来ました。大学受験にしても今の自分の学力で受かる大学を受験し、学部の選択も深く考えず、入れる偏差値の学部に入学する傾向にあったのではないでしょうか。しかし、現代の日本では、入社後4〜5年で転職することが普通になり、入社後の人材育成は企業にとって負担になりつつあります。つまり、日本も近年のアメリカのように、「今できること」に注目した採用へと変化しているのだと思います。そんな日本社会で大切なのは、自分が今後どのような生活をしたいのか、どのような仕事がしたいのかをよく考え、それに合わせて自分でスキルや経験を身につけることです。ぜひ学生のみなさんにも、いまから「何がしたいのか」をしっかり考えてもらえればと思います。 学生新聞オンライン2022年12月27日取材 立教大学4年 須藤覚斗

学生新聞インターン

株式会社まんだらけ 代表取締役社長 田中幹教

「好き」を持つ人たちに商品や楽しさを提供し続けていく 株式会社まんだらけ 代表取締役社長 田中幹教(たなかよしゆき) ■プロフィール 生年月日:1979年2月10日生まれ。出身地 :北海道 様似町(さまに ちょう)2001年3月まんだらけ入社、Web制作部長(取締役兼務)として社内PCのメンテナンス、店舗ネット環境のインフラ整備、POSシステムやネット通販システムの開発など、まんだらけの根幹に関わる業務を推進している。2020年12月副社長就任を経て、2023年3月に現職に就任。 漫画やアニメ・特撮のグッズから懐かしの看板まで幅広く誰かの「好き」を提供する株式会社まんだらけ。近年、アニメや漫画などのカルチャーが世界的に人気を集める中、代表取締役社長である田中幹教様に まんだらけ独自のサービスや考え方についてお話をお伺いした。 ■インターネットに魅せられた学生生活 大学生のときに幾つかアルバイトをしており、その一つが古本屋でした。当時はインターネットが普及し始めたばかりで、ホームページを1つ作るのにも苦労した時代でした。その古本屋でカタログをページに乗っけて電話で注文を受けるといった「通信販売」の仕事を経験しました。他にも大学内のアルバイトでPC設備の管理やSE業務も行っていましたね。この2つのアルバイトが、人生に大きく影響したかなと感じていますね。また、個人でパソコンを自作したり、ホームページを作成した事もあり、パソコン周りは強かったですね。大学で単位が危なかったときもありましたが、教授のPCをメンテナンスしたりしてうまく単位を取っていました。 ■就職氷河期にたどり着いた先が「まんだらけ」だった 当時は就職氷河期と呼ばれた時代で、新卒学生には厳しい時代でした……。自分も何回も採用面接に落ちましたね。最終的に大学生活で培ったパソコンのスキルを生かして何社かに逆オファーを出す形で就活して、そこで出会ったのがまんだらけでした。当時のまんだらけは創業約10年の会社で、会社としての体制が整っていない状態でした。面接を受けてから二ヶ月経ったとき、急に「採用だから明後日から来てくれ」と言われ、「なんてファンキーな会社なんだ!」と感じました(笑) ■ホームページづくりから経営まで幅広くサポート 入社後はweb制作部に配属されてホームページの制作からスタートしました。ホームページを作ると言っても一人では作ることができません。コンテンツを作る人、商品に詳しい人など色んな人と関わって制作していました。その後、社内でインターネットの導入が必要になり、たまたま自分が詳しかったことから、社内のパソコンメンテナンスや他の社員のPCでの作業を手伝ったり、店舗のネット環境のインフラ整備もやったりするようになりました。そこで信頼されて、店舗の運営や会社の経営の部分の相談を受けるようになっていきましたね。色んなところで仕事をさせていただけたこと、そこで信頼をしてもらえたことが、今の立場に繋がったのではないでしょうか。 ■国内や海外のお客様のためにアップデートをし続ける まんだらけでは早くからオンライン販売を行っていましたが、現在は大きく改良しています。たとえば、前は、在庫数の把握や受注数の把握がされていない状態でしたが、在庫管理の基幹システムを改良し、常に在庫数が表示されて、在庫切れで販売できない状態を解消しました。他にはECサイトの英語や中国語といった多言語展開をすすめました。現在のまんだらけの売上のうち、約50%は海外での売上となっています。以前は海外販売を考えていませんでしたが、様々な国の人から「ぜひ売ってほしい」と声がかかり海外での販売もスタートしました。そのため色んな国の人が商品を手に入れられるように多言語対応には力を入れています。また商品を届けるための「輸送」の部分にも注力しています。配送業者とのデータ連携はもちろんのこと、商品が多くなっても従業員の負担にならないように自動化できる部分は自動化して効率を上げています。海外の輸送では世界情勢に左右されるので毎月システムはアップデートを続けています。 ■買えなくても魅力がある大オークション まんだらけ独自の事業として「大オークション」というネットオークションを展開しています。YouTubeもない時代にストリーミング配信をしながらスタートしました。大オークションでは生配信をしながら商品を紹介し、興味のある方に落札してもらう形式になります。ネット上だと手を上げる必要がないので、匿名性を保ちつつ落札できるのが売りです。それに加えて毎月発行しているオークションの「カタログ誌」が強みです。「カタログ誌」は商品が記載されている冊子なのですが、毎月テーマや商品によって特集を組んでいます。もしオークションで商品を買えなかったとしても、「こういう商品があったんだ!」という歴史資料としてカタログに価値が生まれるので、楽しさが生まれます。 ■新しいものだけでなく、古くて懐かしいものまで まんだらけでは、新しいものだけではなく、古くて懐かしいものも商品として取り扱っていますね。具体的にはブリキのおもちゃや昔のカルピスの看板といったものです。そのような商品はご年配の方々が生前整理として売りに来る場合があります。それを価値が分かる人へ繋げていく事も、まんだらけとしてのひとつの事業と考えています。 ■相場の中で一番高く買い取って信頼を得る まんだらけではコレクションを売る方に満足してもらうため「相場の中で一番高く買い取る」ことを心がけています。売る方の中にはコレクションの価値がわかる人に届いてほしいという思いがある人がいます。そこで相場の中で一番高く買い取ることで「価値」がわかる会社だという信頼を得られます。そういった買い取り実績を積み重ねることが、まんだらけに売ってもらえる理由だと考えています。 ■なにか夢中になれるものを持っている人と一緒に 新卒や中途採用関係なく「なにか好きになれるもの」を持っている人と一緒に働きたいですね。なにか好きなものを持っていれば、「好き」という強みにもなりますし、いろんなモノも好きになることができると思います。色んな「好き」が集まって新しい事業も生まれてくるのでそこは求めていきたいですね。 ■これからもまんだらけ独自の商品やサービスを展開し続ける これからも漫画やアニメの商品だけでなく、お客様や従業員の声からどんどん好きなものを提供していけるように商品やサービスを拡大していきたいですね。実際にお客様からの声や従業員の声で自作シールやドールの展開も始まったので、誰かの「好き」を満たせるようにしていきます。それと以前ほどではありませんが、オタクはマイノリティな存在として嫌われている風潮がまだあります。その人達が交流して楽しめる場やサービスを提供していければと思います。 ■どんなことでも、小さいことでも経験は将来につながる 経験というものは後々に生きてくると身を持って感じているので、大学の勉強はもちろん、色んな社会経験をできるのであれば経験してほしいです。小さいことでも将来の仕事に影響するかもしれないので、何事にも挑戦してほしいですね。あとはきっちりと計画を立てると破綻することが多いので、「今」を大切に過ごして将来に繋げていってほしいと思います。 学生新聞オンライン取材2023年5月8日取材 武蔵野大学4年 西山流生

学生新聞インターン

玉木 宏 作品を通して多くの人に希望や夢、あるいは何かを投げかけたい

俳優 玉木 宏(たまきひろし) ■プロフィール1980年1月14日生まれ、愛知県出身。1998年俳優デビュー。近年の主な出演作は映画『極主夫道 ザ・シネマ』(22)、『キングダム2遥かなる大地へ』(22)、『この子は邪悪』(22)、『キングダム 運命の炎』(23)など。2024年には『ゴールデンカムイ』の公開が控えている。 ◆芸能界に入ったきっかけを教えてください 昔からドラマが好きで夢のある世界だと思っていました。そのような芸能界で自分が発信する側になりたいと思い、18歳で俳優デビューしました。ドラマや映画の撮影は時間がない中で進められることも多く、役作りを含めて大変だなと感じることもありますが、「作品を通して多くの人に希望や夢、あるいは悲しいことも含めて何かを投げかけたい」と思いながら、自分を叱咤激励しています。仕事をする中で大切にしているのは、「見てくれている人を忘れない」ことです。撮影に入ると、作品を届ける先にある皆さんのことを忘れがちになります。しかし、それではダメで「どう見せたいか」を常に意識するようにしています。みんなで一丸となって作品を作り上げることにより、すごいパワーを届けられるのではないかと思っています。 ◆映画『沈黙の艦隊』について教えてください 『沈黙の艦隊』では、深町洋を演じました。深町という人物は、原作では「屈強な男」のイメージですが、あえてそのイメージに寄せることはせず、台本から読み取れる内面のリアリティーを重視しました。また、撮影現場では緊張感を醸し出すことに注力し、潜水艦の中というシチュエーションなので、狭いがために同じ動きにならないように心掛けました。この映画は、今日的な問題が凝縮された作品です。「相手が見えない」「外に出られない」という場面を想像していただいて、潜水艦のドキドキ感を楽しんでくれたらと思います。 ◆学生へのメッセージを 今の若い人は自分のビジョンを持っている人が多いと思います。「もっと面白いことができる」と考えていれば、日本を面白く変えていけるのではないでしょうか。どのような日本にしていきたいかを想像してみてください。 『沈黙の艦隊』2023年9月29日(金) 全国東宝系にて公開中出演:大沢たかお、玉木宏、上戸彩、江口洋介 ほかⒸかわぐちかいじ/講談社Ⓒ2023 Amazon Content Services LLC OR ITS AFFILIATES. All Rights Reserved. ■取材を終えて 到着の瞬間に場の空気が一瞬で変わり、その凛とした立ち姿とオーラに圧倒されました。我々の質問一つひとつに目を見て回答してくださったことがとても印象的でした。取材を通して玉木さんの作品に対する熱い思いと、真っすぐで真摯なお人柄を感じました。 学生新聞2023年10月1日発刊号 中央大学3年 松島鈴音 撮影協力:カメラマン 広田成太

学生新聞インターン

安藤サクラ 想像を超えた自分になるために、どう表現するかを探し続ける

女優 安藤 サクラ(あんどうさくら) ■プロフィール1986年2月18日生まれ。主な出演作品は『百円の恋』(2014)、『万引き家族』(2018)、『ある男』(2022)、『怪物』(2023)、日本テレビドラマ「ブラッシュアップライフ」(2023)。9月29日に『BAD LANDS バッド・ランズ』が公開された。 ◆出演が決まったときどういうお気持ちでしたか 原田監督の作品は今回が初出演なのですが、実はかなり緊張していたんです。監督は厳しい人だと聞いていたので(笑)。ただ、この『BAD LANDS バッド・ランズ』は新たなステップになると確信し、引き受けることを決めました。まず最初に監督とお会いして、私の演じたいネリと監督のイメージに齟齬がないか、しっかりとお話をさせていただきました。ネリの周りのキャラクターの個性が強いので、印象の薄い主人公として演じられたらいいなと思っていたのです。それと同時に、見終わった人の心に残るように演じたいと思いました。この映画では悪いことをしているけれど、善悪を問うのではなく、彼らの生きざまを見てほしいと思います。 ◆学生時代についてお聞かせください 良い生徒ではなかったと思いますが、人にどう思われようと、そのときにしかできないことをやっていました。大学に入ってからは、お芝居を学びながら舞台や映画に出るようになりました。オーディションや撮影、ワークショップに向けて勉強する日々でしたね。しかし、どういうふうに勉強していいかも分からずモヤモヤしていました。 ◆学生へのメッセージを 私は勉強法や表現法を今も確立したわけではなく、どうやってステップアップしていくかをずっと探し続けています。目標は固めず、自分の想像を超えた自分になりたいと思っています。みなさんも学校から求められる目標と心の中と必ずしも一致していなくていいと思いますよ。 BAD LANDS バッド・ランズ 出演:安藤サクラ、山田涼介監督:原田眞人公開:9月29日(金)全国ロードショー配給:東映/ソニー・ピクチャーズエンタテインメントヘアメイク:星野加奈子(新緑団)/スタイリスト:吉田恵Ⓒ2023「BAD LANDS」製作委員会 ■取材を終えて お会いした瞬間から安藤さんの空気感に惹きこまれ、一つひとつ紡ぎ出される言葉がずしりと心に響きました。役へのビジョンを持ちながらも、表現方法を探し続ける姿勢が大きな可能性につながっているのだと感じました。感激しっぱなしの時間になりました。    学生新聞2023年10月1日発刊号 日本大学4年 石田耕司 撮影協力:カメラマン 広田成太

三上山明里

岡田将生 枠から出ると弾かれる社会だからこそ自分らしく生きることが大切

俳優 岡田将生(おかだまさき) ■プロフィール1989年8月15日生まれ。2006年俳優デビュー。近年の主な出演作として映画『ドライブ・マイ・カー』(2021)、『さんかく窓の外側は夜』(2021)、『1秒先の彼』(2023)、ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021)、『ザ・トラベルナース』(2022)などがある。 ◆仕事上、大事にしていることを教えてください 求められていることに対して誠実に答えようと心掛けています。その上で僕にとっての自分らしさは個性を活かすことです。個性が強いと生きづらい社会なのかもしれないですが、表現者として個性の大切さを知ってほしくて個性的な役を選んで演じています。 ◆『ゆとりですがなにか インターナショナル』映画化への思いを教えてください 7年越しに最高のスタッフ・キャストと集まれるので、僕にとって映画化はご褒美のような感覚です。30代になり、責任や仕事への重みも感じています。ただ、この映画は気負わずに軽やかに頑張りたいという気持ちで臨みました。映画化に際しては台本や映像を見直しました。続編ということで、坂間正和の家庭環境は変わりますが、なるべく大きな変化を出さないようにしました。人間ってそんなに変わらないですからね。ドラマを見てくださった方々は、正和、山路、まりぶの3人に会いに映画館へ足を運んでくださると思うので、映画ではドラマ当時の正和を思い出しながら演じていました。この3人の切っても切れない関係性は、僕の理想です。手が届く範囲で家族、友人どうしの助け合いがあって、正和に共感できるところが必ずあると思うので、そこに注目してください。 ◆学生へのメッセージをお願いします 自分の未来がどうなるのか不安で仕方なく、悩んでいる方がいると思います。しかし、人にはいろいろな可能性があり、その可能性を信じて新たな経験をすることで自分の未来が広がるのだと思います。4年間を大事にそして楽しく! 『ゆとりですがなにかインターナショナル』 出演:岡田将生 松坂桃李 柳楽優弥 安藤サクラ 仲野太賀 吉田鋼太郎脚本:宮藤官九郎監督:水田伸生Ⓒ2023「ゆとりですがなにか」製作委員会 10月13日(金)公開 ■取材を終えて どんな役柄も素のように演じられる岡田さんに魅了されっぱなしでした。観る人の心に残る演技は、誠実に自分らしさを活かそうとする心掛けから生まれていることを知り、岡田さん自身のお人柄にも惹かれました。映画館で正和さんに共感しつつ3人を応援してこようと思います。 学生新聞2023年10月1日発刊号 駒澤大学4年 三上山明里 撮影協力:カメラマン 広田成太

吉川みなみ

葵わかな お芝居という架空の世界を演じることで、誰かの背中を押したい

女優 葵わかな(あおいわかな) ■プロフィールデビュー以来、映像作品で活躍し、近年は舞台やナレーションと活躍の幅を広げている。2017年には連続テレビ小説『わろてんか』にてヒロインを務め、2019年にはミュージカル『ロミオ&ジュリエット』で初舞台に挑戦。最近の出演作にTVドラマ「三千円の使いかた」「Dr.チョコレート」など。 ◆学生時代のエピソードを教えてください スカウトがきっかけで、10歳の頃から芸能のお仕事をしているので、仕事と学業の両立はずっと行っていました。大変な時期もありましたが、幼い頃から仕事を重ねていく中で、架空の世界を演じる楽しさや表に立つ責任をより強く抱くようになりました。私自身、学生時代に小説やアニメのキャラクターに悩みを救われたことがあったので、今は、私もこの仕事を通して誰かのお役に立ち、背中を押したいと思っています。 ◆ミュージカル『アナスタシア』の魅力について この作品は、記憶を無くした主人公アーニャが過去を取り戻し、愛する家族と自分の帰る場所を見つける旅路を描く、愛と冒険の物語です。作品全体の魅力は、ファンタジーの世界を大胆かつロマンチックに表現しているところです。また、私が演じる主人公のアーニャのキャラクターにも注目してほしいです。アーニャは、記憶がない不安な中でも自分で人生を切り開いていく強い女の子。演じるうえで、その強さの裏にどんな不安や思いを抱えているのか、脚本には書かれていないところまで考えて向き合うことを意識しました。サクセスストーリーであるこの作品の中で、皆さんが応援したくなるような、現実味のある立体的なアーニャを演じたいです。 ◆学生へのメッセージを 私自身、18歳になってからの仕事への向き合い方で人生が変わりました。学生の皆さんも変化が訪れやすい頃だと思います。『アナスタシア』でアーニャの姿を通して、皆さんの背中を押せれば嬉しいです。ぜひ舞台を観に来てください! ミュージカル「アナスタシア」 ■東京 9月12日~10月7日 東急シアターオーブ ■大阪 10月19日~31日 梅田芸術劇場メインホール 出演者:葵わかな、木下晴香、海宝直人、相葉裕樹、内海啓貴 ■取材を終えて 質問一つひとつに真摯に向き合ってくださいました。お話の中で、「作品の時代背景を勉強したり、脚本に書かれていない部分まで役のキャラクターのことを想像するなど、役作りの過程も楽しんでいます」という言葉が印象的でした。貴重な機会に感謝でいっぱいです。 学生新聞2023年10月1日発刊号 上智大学2年 吉川みなみ

前田蓮峰

えなこ 好きなことを仕事に!アニメ好きが安心して目指せる職業にしたい

コスプレイヤー えなこ ■プロフィール内閣府クールジャパン広報大使も務める世界的に活躍するコスプレイヤー。テレビ・イベント・ゲーム・CMなどさまざまな分野へ活躍の幅を広げ、特にグラビアでは2021年、2022年と2年連続カバーガール大賞を獲得する大躍進。2023年6月、『ドラゴンボール』『NARUTO』『ONE PIECE』などとコラボしたコスプレ写真集を発売。 ■今の仕事を始めるきっかけは何ですか 中学生の頃、友人に誘われコスプレに目覚めたことがきっかけでした。初めは衣装を着るだけのような簡単なコスプレだったのですが、高校、大学と進学するにつれ、本格化していきました。苦手だったメイクの練習をしたり、ボディメイクの努力をしたり。休日はコミケのコスプレイベントに積極的に参加していて、それがきっかけで今の事務所の社長に出会いました。 ■コスプレイヤーとして留意していることは コスプレイヤーは、視聴者の方に「このキャラクターはこんなんじゃない」というようなお声をいただくことがあるのですが、実は私自身も同じことを思っていたりするんですよね。趣味のコスプレでは衣装の素材、写真の構成に至るまで全て自分で決めることができるのですが、お仕事の場合はそれらが既に決められた状態がほとんどです。「このキャラクターの衣装はワンピースだ」と思っていても、ズボンで依頼されたらズボンを穿かなくてはいけません。その一方で、最近では私の意見が反映されることも多くなりました。先日発売された『cosplayer2』に収録されている「推しの子」星野アイちゃんのコスプレ衣装では素材について私の意見が反映され、とても嬉しかったです。自分の意見を取り入れてもらうためにも、最近では「コスプレイヤーの地位向上」を目標に掲げて精進しています。コスプレイヤーが職業として認められるようになってからまだ日が浅いです。だからこそTVやSNSで不適切な発言をしないように意識したり、他のコスプレイヤーの方がまだ取り組んだことのない新しい仕事に挑戦したりすることを心がけています。私と同じように、アニメが好きでコスプレイヤーになりたいと思っている人が安心して目指せる職業にしたいと考えています。 ■学生へのメッセージを 大学時代は自分が将来何をしたいのか分からず、迷いや不安を抱えていました。でも好きなことがお仕事につながった今だからこそ思えるのが、「どんな失敗をしても命までは取られないんだから失敗を恐れるな」ということです。失敗したらすぐに路線変更すればいいと思います。先のことを考えすぎずに、“今”を楽しんでください! 学生新聞2023年10月1日発刊号 中央大学2年 前田蓮峰 撮影協力:カメラマン 広田成太

学生新聞インターン

ANAホールディングス株式会社 代表取締役社長 芝田 浩二

環境が人を育てる。常に環境を変える努力をすること ANAホールディングス株式会社 代表取締役社長 芝田 浩二(しばた こうじ) ■プロフィールアジアを代表する航空会社グループの代表取締役社長。奄美群島の加計呂麻島出身で、幼少時代より、島に来る多くの外国船と広い空を見て過ごす中で世界への憧れを持つように。ANA入社後は主に国際畑でANAの国際線拡大を果たしてきた。 鹿児島県の加計呂麻島出身の芝田社長。島から世界へ羽ばたく姿は、まるで飛行機が飛び立つかのようだ。学生時代の在中国日本国大使館(北京)での外務省在外公館派遣員制度(以下、派遣員)の経験から始まった世界への挑戦はまだずっと続いている。先頭を走る芝田社長にANAグループの今後についてお話を伺った。 ■大学生で外交官!?の時代 私は鹿児島県の加計呂麻島で生まれました。大学進学のタイミングで上京し、東京外国語大学の中国語学科に入学しました。大学生活は空手着を着たまま授業に出席するほど部活に没頭していました。空手部のキャプテンを引退したのは大学3年生の11月頃でしたが、ある先生との出会いがきっかけで人生が変わったのです。「中国語学科にいたとなると、中国語は喋れるとみられる。勉強にも力を入れてはどうか」と、尊敬する先生の叱咤激励を受けたことで勉強意欲が湧き、在中国日本国大使館で派遣員を務めることになるのです。ある日、大学キャンパス内を散策していたときに、在中国日本国大使館の求人を偶然見つけて応募。大学を2年間休学して、在中国日本国大使館で働くことにしたのです。派遣員は社会人同様に平日は毎日8時間ほど勤務し、勤務後の時間は勉強に充てるという毎日です。中国各地から大使館に届く新聞を活用し、2年間中国語の勉強を継続したことにより、語学力を身に付けました。また、大使館で派遣員として働いたことで、日本の社会の仕組みを肌で感じて学べたことも大きな収穫だったと思っています。 ■夢を叶えるため憧れのANAに 中国から日本へ帰国したときは大学3年生の3月で就職活動目前でした。その後、中国に支店があった多くの企業からお声がけいただいたりしていたのですが、私にとって思い入れがあったANAからは連絡が来ませんでした。そこで思い余って自ら「僕のこと知りませんか?」とANAの担当者に電話をしました(笑)。当然ですが知る由もありません。というのも、当時ANAは海外への定期便が就航しておらず、中国にオフィスがありませんでした。北京にいた頃、たまたまチャーター便で訪中していたANAの客室乗務員を見て、故郷日本の鹿児島空港を思い出して感動したことがありました。当時の鹿児島県民にとって航空会社といえばANAで、特別な思い入れがありました。鹿児島空港で見たときと同じように、キラキラした客室乗務員がそのまま北京の空港にいる姿を見たとき、離れた故郷への想いと憧れを抱きました。加えて、丁度、ANAが国際線の定期便就航に向けて動き出しており、自分もその一助になりたいと思ったのです。ANAグループは非常に風通しの良い会社です。風通しが良いということは、やりたいことができるということでもあります。私は国際線定期便就航に携わりたくて入社したのですが、入社2年目にして早くも国際部に配属されたのです。国際部では定期便就航のためのチャーター便の実績作りや支店の立ち上げを行いました。そして入社5年目の1986年、グアム・ロサンゼルス・ワシントンへ、日の航空会社として初めての定期便就航が実現し、手探り状態のANAと共に自分自身も成長したと思っております。 ■コロナ禍から学んだこと 航空業界はコロナ禍で大打撃を受けました。コロナ禍前は売上が2兆円ほどあり、そのうち航空事業が約9割を占めていました。そのほとんどが止まったのです。今後は航空事業だけでなく、非航空事業にも注力していきます。航空会社としてこれまでのサービスだけではなく、持続可能な航空燃料と言われている、国産のSAF(Sustainable Aviation Fuel)の活用による環境課題への取り組みを進めることに加え、リアルとバーチャルを融合したメタバース空間を利用したANAGranWhaleや、移動の可能性を広げるAvatarinのnewmeといったビジネスなど、今後より幅広く事業を行っていこうと思っています。このように、コロナ禍を乗り越えることで、主力事業である航空事業が振るわないときのリスクヘッジも強く意識するようになりました。また、コロナ禍では「徹底的に小さくしゃがむ」ことを意識し、自社所有の飛行機の数を大幅に縮減したり、雇用自体は守りつつも、一時的な賃金削減策なども行い、社員の皆さんにも共に乗り越えてもらいました。今に採用も再開し、今後は生産量に応じて人員確保も積極的に行う予定です。航空会社はチームワークが命です。個人のスキル向上は当たり前、さらに同僚のスキルをも「さりげなく」高められる人を積極的に採用したいと思います。 *message* 「環境が人を育てる」ので、環境を変える努力をしてください。人は今いる環境に順応しようとします。たとえば登山を想像してください。少しずつ高度を上げて、身体を慣らしていきますよね。同じように、今いる場所より少し上のレベルに身を置く。そうすると、それがだんだんと普通になっていきます。そうしたらまた、さらに上のレベルに挑戦する。この上がる努力を継続することが個々の成長につながります。同じことの継続ではなく、少しずつでも新しい経験を積む心がけを持つと良いと思います。 学生新聞2023年10月1日発刊号 成城大学3年 小笠原萌

DX・WEBマーケティング

パナソニック ホールディングス株式会社 テクノロジー本部 デジタル・AI ...

知っているようで知らない仕事 データサイエンティストとは パナソニック ホールディングス株式会社 テクノロジー本部 デジタル・AI 技術センター AI ソリューション部 2課 阪田 隆司(さかた りゅうじ) ■プロフィール航空宇宙工学専攻を修了後、2012年にパナソニック株式会社(当時)に入社。未経験からデータサイエンスに携わり、Kaggleという世界的機械学習プラットフォームで実力を付ける。現在では全社のAI人材育成や大学での講義なども。 ■データサイエンティストとはどのようなお仕事なのでしょうか データを解析して意味のある情報を抽出し、企業や組織の意思決定に役立てるのがデータサイエンティストの仕事です。多種多様なデータに対し、プログラミングや統計学を駆使して分析し、傾向やパターンを見つけ出す。その結果を可視化し、時には予測モデルを構築することで、事業の効率化や向上につなげていきます。パナソニックでは商品や事業、会社の経営に関するさまざまなデータの分析を幅広く担当します。たとえば、製品の製造工程のデータを分析して不良の原因を特定し、製造プロセスの改善や設備の調整につなげる。ここで、分析の結果は必ずしも正しいわけではないので、現場の人との連携をしっかり取ることが大事です。また、SNSの意見や顧客データを活用し、リアルの声も考慮しつつ、キャンペーンなどの施策の立案にも携わります。 ■やりがいや将来展望をお聞かせください データサイエンティストとしてのやりがいは、データから新たな気づきを得られ、問題解決に貢献できることです。自分の分析結果が実際に現場で活かされるとモチベーションのアップにもつながります。また、データの探索や発見に対して探究心を持つことで成長し、自身のスキルを磨いていくことができる点も魅力的です。一方では、データサイエンティストの仕事には難しさもあります。データ解析は確実に結果を得られるわけではなく、宝探しのような試行錯誤が必要とされます。予測したい結果を得るためには、手元のデータをどう分析するのが適切なのかを判断し、分析方法を見極めることが求められます。今後は、新規技術が開花したときにキャッチできるように、技術に対する知識の幅を広げていき、プロフェッショナルの高みを目指します。 ■学生へのメッセージ 今後もますます技術は進歩していくでしょう。そんな中にあって、たくさんの情報を吸収していく必要がありますが、フラットな目で見て、どんなことに最も興味が持てそうか、自分の中で決めるといいと思います。新しいものだけに触れて流行を追っていくのではなく、新旧の両方に触れて判断することです。今の世の中の流れに負けないように、絶えず変容することが求められていますが、やりたいことをやっているときが、一番成長できます。 学生新聞2023年10月1日発刊号 明治大学大学院1年 酒井躍

学生新聞インターン

株式会社マツキヨココカラ&カンパニー 代表取締役社長 松本 清雄

ブレずにやり続ける強さを基盤に、美と健康を届ける 株式会社マツキヨココカラ&カンパニー 代表取締役社長 松本 清雄(まつもと きよお) ■プロフィール1995年6月、マツモトキヨシ入社。その後、2005年6月、取締役商品部長等を経て2011年4月、マツモトキヨシ代表取締役社長。2013年4月、マツモトキヨシホールディングス代表取締役副社長経営企画管掌兼営業企画・商品統括管掌。2014年4月、代表取締役社長、マツモトキヨシ代表取締役会長。2021年10月、マツキヨココカラ&カンパニー代表取締役社長(現任)、マツモトキヨシグループ代表取締役社長(現任)。 「マツキヨ」でお馴染みのドラッグストアグループに関する戦略策定や実行支援、経営管理を担うマツキヨココカラ&カンパニー。誰しもが一度は訪れたことがある、圧倒的知名度を誇るマツキヨの成功の秘訣とはなにか。代表取締役社長である松本清雄氏に自身の経験と会社の今後の展望についてお話を伺った。 私はあまり勉強が好きではなかったので、勉強する時間があるくらいだったら、仕事してお金をもらう方がいいなと思い、早くから働き出しました。初めは、自動車整備の仕事をし、次にスポーツクラブで働き、1995年にマツモトキヨシに入社しました。当時は新卒以外は採用しないというような方針があり、1年間アルバイトとして働いたら社員にするとのことで当時のホームセンターで働き始めました。1年以上働いても待遇が変わらないので聞いてみたところ、既に正社員になっているものと思われていて、実際に正社員になるまでには2年近くかかりました(笑)。社員になってからは、ドラッグストアの医薬品や日用雑貨などを担当し、副店長や店長を経験しました。その間には、化粧品担当の女性が産休を取る期間があり、メイクのセミナーに参加したこともありました。いろいろな職務を経験し役職が上がるにつれ、責任も増えていくので現場と本社との板挟みになることも多くありました。ただ、現場を経験したことで、これは上司になったらやらない方が良い、ここは変革しなければダメだなどと気づくようになりました。そして今できること、将来できるようになることを整理して考えられるようにもなりました。そうした経験があるからこそ、変えるべきところは変えようとして今の会社があります。私が社員になった頃のマツキヨは他社と比べると時給は低く、重たい商品の品出しを少ない人数で行うため女性が働きにくい職場でした。また、休みの日も疲れが溜まって趣味の時間がなかなか取れないといった環境でしたが、そこからいろいろと改革を進め、今では週休3日を選択できる制度も導入しています。 ■強さは継続する力から生まれる マツキヨの強みは、美と健康です。この点をブレることなくやり続けることが大切です。平均寿命が伸長するなかで、美しく健康な毎日を送ることができる健康寿命を延伸することに貢献するのが当社グループの役割です。そのためには、収益性の伴った全てのステークホルダーにとって有益な会社にならなければなりません。売上の規模だけに固執すると、利益が取れなくなりバランスが悪くなってしまいます。私が社長に就いたときは、そのバランスを良くすることを意識しました。たとえば、売上を取りに行こうとすると、新しいことをしたくなります。マツキヨも初めは薬局だけでしたが、スーパーやコンビニ、本屋や美容室、ホームセンターも作ったりしました。しかし、今は化粧品、医薬品、調剤を中心としたドラッグストアに経営資源を集中し、各種の戦略を推進しています。それは「お客様のために同じことをやり続けるところに力強さが生まれ」、「周りの企業が他のことをやっていても流されずに自分たちの信念を貫くことが大切」という祖父松本清の教えが生きています。 ■情報を集め、解析し、商品提供につなげる 小売業は同質化し、どこでも同じものが買える状況です。だからこそ我々のグループでしか購入できない商品やサービスを提供することが差別化につながります。従って、今は生活者の皆様の一番身近な1店舗ごとに強くなくてはならないので、トップダウンではなく、ボトムアップの経営を推進しています。現場から上がってくる情報、お店が必要だと思っているものをプライベートブランド商品として商品化し、お客様に参加してもらう商品開発も行っています。9歳の女の子の夢を叶えた「matsukiyo 指にまきやすい絆創膏」という画期的な商品が発売されました。さらに、当社はデジタル広告も強みなんです。Google さんと当社のデータを合わせて、広告をどこに出せばいいかを見出し、効果の少ないものには放映しない。また、その広告によってお客様が商品を買ったかどうかの購買データが採れるので、テレビCMを流すよりも分析しやすく、その効果もわかりやすくなっています。これからは、買う楽しさや探す楽しさを提供して行きたいと考えています。そこから、皆さんがきれいになったとか健康になったとかいう喜びが生まれてくるといいなと思います。海外にも出店していて、海外から面白いモノを見つけて来たいとも思っています。「アジアだったらどこに行ってもマツキヨがあるよ」となるにはまだまだ時間がかかりそうですが、夢はあります。 *message* 夢や目標を持つことが大事です。経営もそうですが、人生は目印のない海の上に出て、どこかへ向かっていく船長のようなものです。真っすぐ進んで行くかもしれないし、同じところをぐるぐると回るかもしれない。大切なのは、自分で目的地を決めることではないでしょうか。もう一つ、感情のまま怒らないことです。怒られた人は覚えていても、怒った人はそのことを覚えていない。嫌な雰囲気のまま一緒にいるのだったら、怒らない方がいいはずです。我慢する忍耐力や人を許す力が必要です。円満な人間関係を構築するよう努力し、怒ることも怒られることもないようにしてくださいね。 学生新聞2023年10月1日発刊号 慶應義塾大学2年 松坂侑咲

学生新聞インターン

株式会社家族葬のファミーユ 代表取締役社長 中道 康彰

株式会社家族葬のファミーユ 代表取締役社長 中道 康彰(なかみち やすあき) ■プロフィール 京都産業大学卒業。1990年、株式会社リクルート(現・株式会社リクルートホールディングス)に新卒入社。株式会社リクルートコミュニケーションズ代表取締役社長を経て2016年、株式会社エポック・ジャパン(現・株式会社家族葬のファミーユ)に経営参画。2017年、代表取締役社長。2018年、株式会社きずなホールディングス代表取締役社長兼グループCEOに就任。 大切な方との最後の時間を「1日1組・貸切」でゆっくりと過ごせる家族葬ホールを、全国で展開する家族葬のファミーユ。多様性が求められる現代において、お葬式もご家族の思いや価値観に寄り添って行いたい。そんな思いを抱く中道社長に、家族葬への思いやここに至るまでの道のりについてお話を伺った。 学生時代は、学費のためにアルバイトに勤しみました。授業後にはバーテンダー、ボウリング場に併設されたカフェ、休日には日雇いの建設現場など、数多くのアルバイトを経験しました。どんな職種でも問題なくこなしていた私でしたが、一つだけ続かなかったアルバイトがあります。それはベルトコンベアで運ばれてくる商品を段ボールに詰める仕事でした。夜勤が体力的に厳しかったのではありません。誰とも話さず、自分なりの工夫を凝らせない、ということが自分にはつらかったのです。この時、人間には向き不向きがあるのだと気づくことができました。そのようなアルバイト経験をとおして、人と関わる仕事が好きだと実感し、大学卒業後は営業職に就こう、やるなら日本一の営業マンを目指そうと思っていました。残念ながら、第一志望の証券会社は不採用となりましたが、ご縁をいただいたリクルートに入社を決めました。当時は毎日、売上ランキングが発表されるような環境。新人部門でトップを狙える位置につけていたのですが、残り1日で大口契約を取ってきたライバルに逆転されるなど、悔しい思いをしながらも、将来生き抜く力を身に付けるためにはより厳しい環境にて鍛錬すべきと、日々奮闘していました。「経営者」としての道を強く意識し始めたのは30代前半の頃です。当時倒産寸前だった日産自動車がわずか1年で経営を立て直したり、IBMがルイス・ガースナーという経営者によって倒産を免れたりと、経営に関するプロフェッショナルの存在を知り、「経営者」という職業に惹かれるようになりました。そこで、リクルートでの経験を活かして、次のキャリアステージは職業経営者として生きよう、と決心したのです。最終的にリクルートには25年間勤めました。ご恩もあったので、退職後は競争相手になるような業種を避けた結果、リクルートが参入していなかった葬祭分野に転じることにしました。 ■その街の〝生活者目線〟になって考える 多くの会社が売上を目標に掲げている中、家族葬のファミーユは「NP SⓇ (ネット・プロモーター・スコア※ )」と呼ばれる、「当社を人に薦めたいかどうか」という指標を大事にしています。これは当社のサービスにどれだけ満足できたかという、いわゆる顧客満足度とは違います。お葬式は故人様が暮らしていた街で執り行うことがほとんどですので、地域における評判が何より重要です。そのため、その街に住む生活者の目線で評価をいただくこと、つまりNPSⓇが会社の評価に直結します。このことを忘れないよう、全従業員で徹底的に生活者目線にてサービスを見直し、NPSⓇ指数の向上に取り組んでいます。 ■令和の葬儀スタイルは〝家族葬〟が主流に 令和時代も日本人の平均寿命は伸びる一方で、長生きすればするほど知り合いが減っていき、地域とのつながりが薄れていく傾向にあります。核家族化も進み、お葬式は家族や親しかった友人のみでお見送りする家族葬を希望される方が増えてきました。特にコロナ禍において、多くの方が参列する一般葬の実施が難しくなったこともあり、家族葬のニーズが一気に高まりました。私が社長に就任した頃は、まだ家族葬の割合というのは全体の3割程度でしたが、今では6割を超え、現代の葬儀スタイルのスタンダードになったと言えるでしょう。 ■葬儀にも多様性が求められる時代 現代は何事にも多様性が叫ばれる時代です。これまでのしきたりを尊重するだけではなく、個々の思いも大切にするよう求められています。家族葬のファミーユが提供する家族葬は、打ち合わせや準備などに追われて気づいたらお葬式が終わっていた、ということがないよう、ご家族や親しかった方と心ゆくまでお別れの時間を取ることができるようにしたいと考えています。故人様との思い出も、お葬式に対する価値観も皆それぞれ異なるはずです。これまでに多かった葬儀社目線の「型」にはめたサービスではなく、ご家族の思いや希望に寄り添ったお葬式を提供できるよう、常に生活者目線で考えることが大切だと思います。家族葬をとおしてお葬式に対する価値観に変化をもたらすことで、家族の絆、人との絆が強く結ばれ、命の大切さを深く感じられる社会を目指して取り組んでいきたいです。 *message* 目の前のことに地に足をつけて一生懸命取り組むこと。シンプルだけど、これが自分にできることを見つけられる第一歩です。やりたいことが見つからない、と焦る気持ちもわかりますが、大学生のうちに見つけられた人は多くはないはずです。無理に自分探しをしなくても、焦らずともやりたいことは必ず見つかります。私の大学時代のアルバイトの話もしましたが、逆にこれは自分には向いていないなと思うものを知っておくことは大切だと思います。将来について考えすぎず、今、目の前にあることを着実にやり遂げてほしいですね。 ※ネット・プロモーター、ネット・プロモーター・システム、ネット・プロモーター・スコア、NPS、そしてNPS関連で使用されている顔文字は、ベイン・アンド・カンパニー、フレッド・ライクヘルド、NICE Systems,Inc.の登録商標またはサービスマークです。 学生新聞2023年10月1日発刊号 上智大学2年 白坂日葵

学生新聞インターン

株式会社ヘヤゴト 代表取締役社長 宮島 一郎

社員とお客様を満足させる「100年企業」を目指す 株式会社ヘヤゴト 代表取締役社長 宮島 一郎(みやじま いちろう) ■プロフィール関東学院大学経営専攻を終了後、株式会社菱食(現三菱食品)に入社。2006年12月に株式会社ヘヤゴトの前身となる株式会社セイルーを起業。2023年、創業19年目にしてIT の力で家具業界とユーザーの架け橋となることをミッションに掲げ、ネット集客で業界の地位を築いている。学生時代から続けている剣道は5段の腕前。 家具インテリア/寝具ポータルサイト「ヘヤゴト」https://heyagoto.com 大学生時代は、人生で一番時間にゆとりがあって、好きなことができた時期だったかもしれません。アルバイトでは仕事の基本とお金を稼ぐ大変さを学び、そこで養ったコミュニケーション能力は、今の仕事にも非常に役立っています。就職活動を始めたのは3年生の3学期ごろと非常に遅かったです。就職したい業界すら決まっていなかったのですが、唯一自分の頭にあったのは「海外に携わる仕事をしたい」という想いです。そんな中、就職した菱食(現三菱食品)でインターネットに初めて触れ、その利便性に驚いた私は「インターネットに携わる仕事をしたい」と思うようになりました。その想いから起業を考え、会社を辞めたのですが、その後、しばらく手伝っていた父の会社が倒産してしまったのです。原因は営業やマーケティング力はあったものの財務や会計、管理の知識が不十分だったことです。それから財務、会計、マネジメントやインターネットを猛勉強し、経営コンサルタント会社で数年間会計を学び、最終的に起業に至りました。 ■100年間続く会社を作るため、採用にも注力家具インテリア業界での集客サービスは、ナンバーワンのシェアを獲得しています。マーケティング分析を通じて、お客様に合わせた形でアプローチを行っているために満足度も高く、リピート率は90パーセントを誇っています。また、女性も働きやすい会社を目指しており、社員の過半数以上が女性です。さらに有給休暇や残業などの就業規則も整え、長時間労働をしない決まりをつくり、社員が働きやすい環境になっております。この会社が100年、200年と続いてほしいという思いから、「100年企業」という目標を掲げ、人材や組織づくりに尽力しています。中でも採用には力を入れ、会社の経営理念に賛同してくれる人を積極的に採用しています。 ■学生へのアドバイスさまざまな人から学び、自分の信念を持つことです。そして自分の人生と進む道をできるだけ早く考えましょう。また、語学を身に付け、海外の人と話ができるようになることも非常に重要です。今後は、外国人が部下になったりする機会が増えてきます。そんなとき、外国の文化や思想に精通しているとより彼らと交流しやすくなると思います。 学生新聞2023年10月1日発刊号 国際基督教大学1年 若生真衣

亀井義和喜

株式会社リジョブ 代表取締役社長 鈴木 一平

事業と社会課題解決を融合し、持続可能なビジネスに 株式会社リジョブ 代表取締役社長 鈴木 一平(すずき いっぺい) ■プロフィール学生時代に起業し、2社の創業を経験。2011年株式会社じげん入社、2014年株式会社リジョブ代表に28歳で就任。「人と人との結び目を世界中で増やし、心の豊かさあふれる社会を創る」というビジョンを掲げ、美容業界従事者の育成・雇用・活躍ステージを一気通貫で支援する「SPA構想」を軸に、事業とコミュニティ創りを推進。 〈採用サイト〉https://rejob.co.jp/recruitment/ 将来、自分でビジネスを起こしたいと思っていた私は、プロジェクトマネジメントを学ぶために専門学校へ入学しました。東大起業サークルへの参加を経て20歳で起業したのですが、当初は順調に売上げをあげていたものの5年後に倒産してしまいました。利益追求を優先しすぎて、お客様や働くメンバーの気持ちが離れていったことが原因です。この倒産を教訓にして、次こそは「より多くの方に貢献する社会的意義のある会社」を創ろうと決意しました。 ■「We思考」で人々に価値を提供することが大切その後、株式会社じげんへ入社し、3年後にM&Aによって、リジョブの社長就任を打診されました。リジョブは、美容・ヘルスケア業界に特化した求人メディア事業を展開し、「高い採用コスト」「高い離職率」という業界課題に向き合い、採用コストを大幅に削減する改革を推進していました。そこで、事業を通して課題を解決することで会社も成長していけると思い、社長を引き受けることにしました。社長になってはじめに取り組んだのは、全社員との面談です。メンバーやサービスのことをできるだけ深く知ろうとしました。面談を経て、リジョブには「全社視点で会社を主語に語る」「社会課題を事業で解決し、世の中を良くしたいと考える」メンバーが多いことが分かり、そこから介護事業、CSV推進プロジェクトなどの新規事業を立ち上げ、事業とコミュニティの融合に挑んでいます。リジョブには、「自分だけ(=I)」ではなく、お客様や業界、世の中のためになりたいという、「私たち(=We)」という意識を持ったメンバーが集まっています。中でも新卒を中心とした経営幹部候補メンバーは当事者意識が強く、日々志や想いをもって事業創りや組織創りにチャレンジしています。そして、メンバーの志を叶える土台を増やしてこれたことが、社長としてのやりがいにもなっています。 ■学生へのアドバイス自分の可能性を広げるための行動をおすすめします。具体的なアクションの一例としては、興味や関心のあることに対しては、背伸びをしてでも新しいコミュニティに飛び込むことです。私自身も学生時代に起業サークルへ思い切って参加したことが、今につながっています。ストレッチゾーンに飛び込み、ぜひ自分の可能性を広げ、成長を加速させてください。 学生新聞2023年10月1日発刊号 中央大学2年 亀井義和喜

学生新聞インターン

株式会社エコリング 代表取締役 桑田 一成

お客様のために全部買い取り、知恵を使って売り切る 株式会社エコリング 代表取締役 桑田 一成(くわた いっせい) ■プロフィール郵政省経験後の極貧生活の中でリユース業に着目し、2001年に株式会社エコリングとして全国初のブランド品買取専門店を創業。2021年にHDグループ全体で業界初となる国際認証「Bコーポレーション」を取得し、「価値を見いだす使命共同体」を掲げ、物心共に豊かな会社を目指して奮闘中。 〈採用情報サイト〉https://recruit.eco-ring.com/ 大学は農獣医学部だったのですが、畑違いの郵政省に入省しました。その後、郵政民営化のタイミングで退省し、インターネットコンテンツの会社を起業しました。最初は上手くいったのですが、しばらくすると他社から出た技術によって一気に奈落の底へ突き落とされました。仕方がないので、身の回りの品物をヤフオクへ販売し始め、それがきっかけで質屋さんでは買い取らないランクのブランドを買い取る店を始めようと考えたのがエコリングの第一歩となり、現在にまでつながっています。 ■本当にダメになったら、そのときに知恵は出てくるエコリングは他社で買い取ってもらえないような商品も買い取ることで、お客様にとって便利な店であることが魅力だと考えています。お客様に支持していただくために全部買い取って、買い取ったものを売り切らないのは知恵が足りないからだと思っています。「儲かるから買う、儲からないから買わない」というのはプロの仕事ではない、潰れるまで買い取るぞ、と思っています。コロナ禍で大変な時期もありましたが、それでも買い取り、それで潰れたら本望だと思っていました。実際はそんな大変なときこそ知恵が出てくるものだし、なんとかなるだろうと信じられる強い気持ちがあります。こればっかりは性格も大きいと思います。もちろん買ってもらうためにリペアの技術を使ったり、売る個数を変えるのか、商品としてのあり方を変えるのかなど、変化をもたらしながらさまざまな工夫をします。しかし、最終的には人と人のコミュニケーションだと信じて、相あい対たいで販売する業者さんにもしっかりと営業をかけることもしています。全ての商品に価値を見出していくことで、ゴミ問題などの社会問題の解決に貢献する会社でありたいです。 ■学生へのアドバイス今の学生は何をしたいか分からない学生が多いという声を聞きますが、その理由は明確です。それはそれだけの知識量しかないから、その答えしか出てこないのです。私の学生時代はとにかくいろいろなアルバイトをすることで、仕事に対する学びを得たりしながら自分の中の判断材料が積み上がっていきました。経験値がないのに考えても仕方がないですよね。とにかくいろいろなことをやってみて、感じてみてから考えればいいと思います。 学生新聞2023年10月1日発刊号 東洋大学4年 濱穂乃香

イベント・企業紹介

「JRE POINTステージ」1日PR大使就任イベント

東日本旅客鉄道株式会社(以下、JR東日本)では、JR東日本グループの共通ポイントサービス JRE POINTの新たなサービス、JRE POINTステージを10月1日からスタートします。9月26日には都内でJRE POINTステージのスタートイベントが行われ、足立梨花さん、パンサー(菅良太郎さん・向井慧さん・尾形貴弘さん)、鈴川絢子さん(鉄道好きタレント/YouTuber)が出席しました。 イベントでは、JRE POINTステージの1日PR大使任命式を実施。JR東日本の制服や法被を着用した足立さんとパンサーの面々に、竹島副本部長から1日PR大使の委嘱状が贈呈されました。 尾形さんは「嬉しい!左へまいります!サンキュー!」と身振り手振りで駅員の真似をして、足立さんは「尾形さんと同じ格好なのが気になる…」と苦笑いも「出発進行サンキュー!」と2人で仲良く駅員のようなしぐさでポーズを取っていました。 また今年結婚した足立さんは、夫と出かけたい場所について聞かれると「ちょうど今(出演作の朝ドラ)『あまちゃん』が再放送していて一緒に観ています。ドラマの舞台の一つである岩手県に行って聖地巡礼をしてみたい」と語っていました。 宮城県出身の尾形さんは「東北新幹線は本当に乗りやすくスーっと行く!本当にビックリする!都内からもあっという間に行けるので大好きです!」とJR東日本に感謝。 菅さんは「僕は高校が板橋だったので、埼京線を使って自分の聖地巡礼をしたい」と笑いを誘いました。ラジオ番組のレギュラーを複数持つ向井さんは「トークのネタ作りのためによく旅行に行きます。先日も電車に乗って越後湯沢や新潟に行きました。そこでトークの内容を考えています」とルーティンを明かしました。 JRE POINTステージにちなんで、ポイント・トークにも花が咲きました。足立さんは「お得な感じがするので、ポイントを貯めるのが大好き。ポイントをいい形に使いたい」と話し、菅さんも「買い物でのポイントもさることながら、僕は常日頃から心のポイントを貯めています。今日のように誰も笑わないイベントでも経験ステージを貯めてきているので平気です」と笑わせました。 向井さんは「お笑い賞レースのチャンピオンになれば新幹線のグリーン車に乗れる」という吉本興業のセオリーに触れて「JRE POINTステージでポイントを貯めればグリーン車にも乗れる。ということはポイントを貯めれば勝者と一緒ということ。チャンピオンと同じ待遇になるのであれば、もう貯めるしかない!」と決意。尾形さんも「僕もポイント大好き!もはやポイントの“ポ”自体が好きだ!」と大きな声で訴えていました。 イベント後半には、YouTubeチャンネル登録者数100万人超えの鉄道大好きタレント・鈴川さんがJRE POINTステージに関するクイズを出題。クイズではSuicaでJRE POINTを貯めることが可能なこと、新幹線往復チケットを提供するサービスがお得に利用できる特典が「どこかにビューーン!」という名称であること、JR東日本が運行するクルーズトレイン名が「TRAIN SUITE 四季島」であることなどが出題されました。 爆笑に次ぐ爆笑で大盛り上がりとなったこの日のイベント。最後に鈴川さんは「鉄道ファンとしてJRE POINTステージの開始を待ち望んでいました。プレミアムステージ継続を目指して沢山のポイントを貯めたい」、尾形さんは「これからもJR東日本さんと一緒に歩みたい!」、菅さんは「素晴らしいサービスが始まるということで、心のポイント含めてどんどん貯めていきたい」、向井さんは「クイズに敗れた分、ポイント面でプレミアムステージを目指したい!」、足立さんは「JRE POINTステージでプレミアムステージを目指してそこでもプレミアムサンキュー!を取りたい」と10月1日からのサービススタートを前に、それぞれ意気込んでいました。 PRイベント参加:立教大学4年 須藤覚斗 / 日本大学4年 和田真帆 / 中央大学2年 川名梨々花 / 日本大学1年 大森雨音

学生新聞インターン

株式会社明光ネットワークジャパン 代表取締役社長 山下一仁

「自分のなりたい姿」を大切にした指導で個性を伸ばす! 株式会社明光ネットワークジャパン 代表取締役社長 山下一仁(やました かずひと) ■プロフィール 1959年12月生まれ、北海道江別市出身。大学卒業後、1984年に株式会社ダイエーに入社。同社にて店長・支配人を経て、数社で経験を積み、2007年3月に株式会社明光ネットワークジャパンに入社。2007年11月に同社取締役就任、2018年11月に同社代表取締役就任。 個別指導塾のパイオニアとしてたくさんの生徒を一人ひとりの第一志望校合格に導いてきた明光義塾。「意識するのは、生徒に楽しんでもらえる空間作り」だと語る明光ネットワークジャパンの山下社長に、教育に対する思いや今後の展望について語っていただきました。 学生の頃は剣道に打ち込んだ4年間でした。経営者になることに興味はなく、ひたすら部活動に励んでいました。就職活動をしていた当時は、流通業界が注目されていたので、待遇の最も良かったダイエーに就職しました。仕事を始めてから、「働くことってとても楽しいんだな」と感じるようになりました。そこから何度か転職を経験しましたが、すべて教育とは全く関係のない業界でした。しかし、明光義塾の創業者、現会長の渡邉の話を聞き、「教育・文化事業への貢献を通じて、人づくりを目指す」という理念に深く共感しました。そして今まで様々な商品を販売してきた経験を「子どもの将来を担う」という目に見えないサービスに活かすことに、大きな魅力と可能性を感じて明光ネットワークジャパンに入社しました。 ■生徒の自主性を重んじ、真剣に向き合うことが大切 明光義塾は日本の個別指導のパイオニアです。教育の形として、個別指導が一番適していると考えています。もちろん集団塾にも良い特徴はたくさんあります。学力別にクラス編成され、切磋琢磨し、競争力が生まれて学力向上を目指せる点などは、集団塾の強みだと思います。しかしその一方で集団塾ではついていけない生徒も山ほどいます。個別指導の魅力は、勉強が得意な生徒も苦手な生徒でも、一人ひとりに合った教育スタイルで最もマッチした内容を提供できる点だと思います。私が考える明光義塾の魅力は、二つあります。一つ目の魅力は、「将来を見据えた教育」を徹底して行っているところにあります。生徒の思う将来像や、行きたい学校を聞くカウンセリングをとても大切にしています。学習指導ももちろん大切ですが、個人の思いを明確にすることも重要です。ただ単に高いレベルの学習を目指すのではなく、レベルに関係なく自分がなりたい姿を目標に設定し、達成する事に重きをおいています。例えば、以前、北海道網走の教室に通う生徒が、沖縄の琉球大学を志望したことがありました。志望理由を聞いたところ、修学旅行で美ら海水族館に行った際に琉球大学の学生が研究結果をプレゼンしていたのを見かけ、海洋生物の研究に興味を惹かれたそうです。私たちはこのような子どもの自主性がとても大切だと感じます。当社の個別指導塾の高校・大学合格者数No.1という実績は、そういった姿勢から達成されたものだと思います。二つ目の魅力として、第二の学校のような存在でいたいという点です。明光義塾の役割は、自分で目標設定をするという機能的な価値だけではなく、自主的に教室に来たくなるような情緒的な価値を提供することです。だからこそ、教室長や講師が生徒の話をしっかり聞いてあげられる空間作りを徹底して行っています。生徒は嫌々勉強するのではなく、教室の場にいるのが楽しいから通塾する、という点が「明光らしさ」だと思っています。また、どんな時でも安心できる環境作りも重要です。以前、岡山の真備地区で水害が発生し、教室の二階まで浸水してしまったことがありました。まだ消防車や自衛隊しか活動していない中、明光義塾はどこよりも早く明かりを灯して営業を再開しました。明光義塾の生徒ではない人もみんな教室に集まり、勉強を教えました。どんな状況でも人と人とのつながりはずっと大切にしています。 ■求める人材は「人が好き」 明光義塾で働く人に共通している特徴は、「人が好き」というところだと思います。新卒の採用をする際の面接では、「面接前の控え室ではどんな会話をしたの?」というような質問をしています。他の参加者がどういった人なのか、その人の魅力を引き出せたのか。人が好きで興味がないと、こうした受け答えは出来ないと思うからです。人が好きだという思いさえあれば、考え方は違っても全く問題ありません。いろいろな個人の興味が集まって組織は強くなるので、そういった方は大歓迎です。現在、技術が発達し知識はAIなどに代用されつつあります。しかし思考力はこれからも必要とされていきます。私たちが今まで行ってきた自立学習はこれからも変わらず必要とされる学習法です。今後は、外国人材を対象としたサービスを展開していきたいと考えています。日本は外国人がいて成り立っている国ですし、今後インバウンド需要はさらに伸びると予想されています。また外国人観光客が訪れるのは主要都市だけではなく地方にも多く訪れます。しかし、地方のホテルや旅館はそれに対応しきれてはいない部分もあります。そういったところにビジネスチャンスを見いだして、外国人材に対する教育サービスを提供していこうと考えています。 ■学生へのメッセージ 学生のみなさんには、自分らしさを大切にして欲しいです。自分がしたいことを見つけて、それに向かって全力で頑張ってください。そして、自分の軸をしっかり持ち、周りに流されないような大人になって欲しいです。日本人は他の国と比べたときに意欲が低いと感じています。今日よりも明日をもっと輝かせたいという一人ひとりの強い思いが、国力の差になるのではないかと思っています。みなさんには無限の可能性があります。意欲を持って何事にも挑戦してみてください。 学生新聞オンライン2023年8月8日 取材 立教大学 3年 緒方成菜

イベント・企業紹介

第37回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2023 AUTUMN/WINTER ~柏木由...

2023年9月2日(土)さいたまスーパーアリーナにて『第37回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2023 AUTUMN/WINTER』が開催されました。今回のテーマは無限を意味する「INFINITY」。多彩な豪華出演者の中からアイドル、歌手、プロデューサーとして活躍するAKB48 柏木由紀さんにお話を伺った。 ■ステージを終えていかがでしたか? TGCには13年前にライブ出演したことがあったのですが、ランウェイを歩くのは今回が初めてでした。ドレスということもあり、非常に緊張しました。しかしSBC湘南美容クリニック SPECIAL BEAUTY STAGEのゲストということで、肌のイオン導入の施術や小顔マッサージなどを実際に受けさせていただき、本番に臨んだので、自信を持って歩くことができました。TGCは流行のファッションや美容に対するモチベーションが高い方々が集まっていると思います。私自身もコスメやファッションが好きなので、このような素敵な空間を皆さんと共有できて楽しかったです。 ■仕事のやりがいについて ランウェイを歩いたときに私の名前が書いてあるうちわを持ってくださっている方を見つけました。TGCにはたくさんのキャストが出演していますが、その中で私を応援してくださる人がいることを実感できて非常に嬉しかったです。AKB48として16年活動してきて、今では一番先輩という立場になりました。中高生のメンバーも多いので相談を受けたり、時には指導をしたりすることもあります。その際、経験談やアドバイスを語りすぎないようにしています。年齢関係なく、同じいちメンバーとして同じ目線に立ったり、自分が分からないことがあった時はプライドを捨てて後輩に聞いたりして、「先輩と後輩」という関係性が広がらないよう心がけています。幅広いメンバーと一緒に同じ目標に向かって進んでいくことにやりがいを感じます。 ■今後の夢や目標について グループとしての目標はグループとしてだけではなく、メンバー一人ひとりの名前や個性をもっと知って欲しいと思います。新たにAKB48からデビューしたユニット「UNLAME」が今回のTGCで初ステージを経験しました。今後、彼女たちが安心して活躍できる場を作って行けたらいいなと考えています。そして個人として頑張りたいことは自分のブランド「upink(ユーピンク)」です。コスメが好きなのでYouTubeでも度々コスメ系の動画を公開していたのですが、やっと自分のコスメブランドを立ち上げることが出来ました。自分が思う「かわいい」をみなさんに共有し、私が作ったコスメが多くの人たちの手元に届くように努力したいと思います。 ■学生へのメッセージ 私は中学時代からAKB48として活動してきて今に至りますが、もっと学生の間にしかできないことを満喫しておけばよかったと時々思います。学園祭や修学旅行などに行ったことがないのです。当事者は当たり前のこととして、学校行事のかけがえのなさに気づかない人も多いと思います。学生の皆さんには今、目の前にある、今しかできないものを精一杯楽しんで欲しいと思います。 取材者:中央大学2年 前田蓮峰 イベント名称:第37回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2023 AUTUMN/WINTER(略称:マイナビ TGC 2023 A/W)開催日時:2023年9月2日(土) 開場12:00、開演14:00、終演21:30会場:さいたまスーパーアリーナショー&ステージレポート公開中! https://tgc.girlswalker.com/23ss/

伊東美優

ブラザートム

生きている限り、世の中に作品を遺し続ける ミュージシャン・俳優・タレント ブラザートム ■プロフィール 生年月日1956年2月23日/A型/ハワイ州マウイ島出身映画・TV・舞台・ラジオ・ライブ・講演会等、ミュージシャン・俳優・タレントとしてマルチに活躍中。 平成から令和へと、時代を超えて歌い継がれる『WON’T BE LONG』。この曲を一度は耳にした学生も多いだろう。そんな名曲を生み出したアーティストであり、現在タレント・俳優・作家と幅広く活躍するブラザートム氏。芸能界でこれまで数多くの経験をしてきた彼が語る、音楽の在り方、そして生き方の流儀とは。 幼少期から楽器が好きで、高校卒業後は楽器店で働いていました。その後は河合楽器ピアノ調律技術養成所で勉強をして、ピアノ調律師として仕事をしていました。楽器を好きになったきっかけは、小学生の時に母親からギターをもらったこと。そこから音楽の世界へ飛び込んでいき、中学からバンド活動も続けていました。私の活動の中心は、昔から今も変わらず「音楽」にあります。活動を続ける理由は、私が作らないと世の中に生まれない物語・作品があると、信じているから。生きている間は自身のワクワクを追い求めて、物語・作品を世に遺していきたいです。 ◾️飛躍のきっかけ 芸能界に入るきっかけは、実はお笑い番組への出演だったのです。バンドメンバーに誘われて番組出演のオーディションに参加したのですが、当日急に相方が辞退してしまって。1人で出演することになり、結果的にコメディアンとして世間から評価されたのがスタートでした。1983年にはバブルガム・ブラザーズというユニットを結成し、『WON’T BE LONG』をリリース。この影響によって、音楽活動という主軸は持ちながら、どんどん仕事の幅を広げていきました。しかしコロナ禍で仕事の本数が減っていき、新たなチャレンジを考え始めたのです。そこで生まれたのが、YouTube配信の総合キッズエンタメ番組『MOUCHABoooK(モチャブク)』でした。 ◾️『MOUCHABoooK(モチャブク)』について 『MOUCHABoooK(モチャブク)』が生まれた背景として、近年子ども向け番組が少ないということがありました。特に昔と比べて、母と子が一緒に歌える曲が非常に少なくなっているんですね。音楽をベースに、子どもたちが単純に観ていてワクワクするような作品を作りたいと思いました。とにかく「楽しそう」「なんだか心が踊る」という感覚を味わってもらえればいいなと。ストーリーとしては、実際にハワイ島に存在するニイハウ島という島を「モチャブク島」と名付け、物語の舞台としています。このニイハウ島は現在170人だけが住んでいる島で、島民以外は誰も立ち入ることのできないことになっています。だから、この島が今どうなっているのか、島民以外は誰も分からないのです。つまりモチャブク島については全部フィクション、私の考えたでたらめです(笑)。脚本を書く上で意識したことは、キャラクターの国籍。肌の色が違うキャラクターをあえて入れることで、多国籍が当たり前だというイメージを持って欲しいなと考えました。1番の願いは、言語関係なくコンテンツが世界へ広がっていくことです。特に私の経験上、音楽は本来言葉が要らないものなのです。音楽にルールなんて存在しないし、自由に歌って踊り出していいもの。そこに必要なのは言葉ではなく、ワクワクの感情です。もっと日本の子どもたちにも純粋なワクワクを、エンターテインメントを通じて感じて欲しいという想いが強いですね。 ◾️川の流れのように生きるということ 最近感じるのは、周りに流されることは悪いことではないということ。10代・20代の頃は周りに流されず、自分の信念を貫くことが是だと思っていました。しかし、自分で川に竿をさしてみても、流れていくところは大体決まっているような気がするのです。もちろん、選んだ先でどんな結果になるか、自分自身の努力次第で変わっていくと思います。ただ何かを選択するとき、川が流れるままに身を任せてみても、案外上手くいく。神様は多分私たちが必要なときに必要な人と出会うように仕組んでいるのだと感じますね。このことを意識するだけで、もっと楽に生きられる人がいるかもしれません。 ◾️message 大学はとにかく自由な場所だと感じています。その自由は、ぜひ自身の「好き」を目一杯やり切ることに使って欲しいと思いますね。多くの大学生はやりたいこと、学びたいことが明確にならないことに、不安や焦りを覚えるでしょう。ですが色々なことをやってみて、はじめてやりたいことや学びたいことは分かるのだと考えます。経験していないから知らない、分からないだけなのです。まずはこれまでの大学生活を振り返ってみて、少しもったいない過ごし方をしていたなと感じる人は、ぜひ行動してみてください。寄り道はいくらでもしていいものですよ。 学生新聞オンライン2023年8月29日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優 『総合キッズエンタメ番組『MOUCHABoooK(モチャブク)』 番組概要・配信日:毎週火・金曜日18時(初回放送は5/5)・配信時間:各20分程度https://www.youtube.com/@MOUCHABoooK/featured 制作総指揮・脚本・演出:ブラザートム楽曲提供:GAKU-MC/陣内大蔵・Skoop On Somebody/ナオトインティライミ/中西圭三/原田喧太他音楽制作:MOUCHABoooK_ (ブラザートム/濱崎大地/菅野大地)AIディレクション:西田真弓企画制作:ハートフルファミリープロジェクトオーナー:藤澤哲也