• 運営スタッフ
  • HOME
  • 運営スタッフ

Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

SMDO(Sano Minami Design Office) 代表 アートディレクター 佐野みなみ

理系で培った分析で、何色にでも染めていくクリエイティブを SMDO(Sano Minami Design Office) 代表 アートディレクター 佐野みなみ(さのみなみ) ■プロフィール1983年生まれ。東京理科大学理学部化学科卒業。同大学院 中退2010年4月より独立しSano Minami Design Office(SMDO)を設立。2023、2024年発売『MdNデザイナーズファイル』にて最前線で活躍しているトップクリエイターの1人として掲載された。VIの策定をはじめ、グラフィックデザイン、撮影、WEBデザイン、イラスト、パッケージデザイン等幅広く扱っている。 東京理科大学大学院にまで進学するも、中退。その後、研究とはまったく畑の違うアートディレクターへ転身するという、異色の経歴を持つ佐野みなみ氏。彼女の強みであるロジカルなディレクションは、多くの名だたる企業の信頼を得てきた。研究職からクリエイティブの道へ大きく舵を切った背景や、その後の成功の秘訣を伺った。 高校時代は、デザインではなく絵画に興味があったので、美術部の部長をしていました。鉛筆画では数々賞をいただくなど、努力はしたものの、苦労は感じませんでしたね。その後、東京理科大学へ進学しました。学業は大変でしたが、アルバイトとして原宿でバーテンダーをやったり、趣味でカメラをやったりと、色々経験をしました。フォトグラファーとして活動したい気持ちはありつつ、将来は研究職を目指すため、大学院へと進みました。研究対象だった無機化学は、未知のことを調べる研究です。答えがあるものではないので、センスや運も必要で、努力はするけど苦労はしなかったクリエイティブとは違って、努力しても報われないことが続きました。その中で、大学院1年生のときに、「自分は研究職には適性がないのだ」と気がつきました。両親には猛反対されましたが、自分の強い意向で、新たにクリエイティブの道を志そうと決めました。 ■SMDOとしてのアートディレクター アートディレクターは、クリエイティブに関わることは何でも携わる、いわば美術監督です。グラフィックデザインやパッケージデザインなどクライアントの要望を聞いて整理し、提案した後、デザイナーに具体的なディレクションをすることで、ビジュアルを形にしていきます。ポスターやCDのジャケット写真などの他にも、空間デザインやテレビ番組のキービジュアル、ホームページのデザインなども手がけています。自身がフォトグラファーとして撮影をすることもあります。現在はビューティー系やスイーツ案件の依頼が8割ほどを占めています。ときには、「一つのブランドを作りたい」というオーダーに対して、総合的なビジュアルブランディングをすることもあります。私の強味は、理系出身ということもあり、分析・検証型のディレクターである点です。現在SMDOには20人ほどが働いていますが、アートディレクター は私1人です。完全オンラインのスタイルをとっていて、私がパソコンに向かって話している動画を収録し、スタッフに送っています。動画は何度も見直すことができますので、スタッフから同じ質問をされる事もありませんし 「言った、言わない」の揉め事の心配も必要なくなりました。出勤しないことで、人間関係にも影響されず、成果物だけを見て評価できます。多い時で20個ほどのプロジェクトを抱えるという鬼のようなマルチタスクをするのですが、この体制のおかげで、余計な雑念を取り除いてタスクに関われるようになったことが成功のポイントだと思います。好きな環境で好きな格好をして好きな時間に仕事ができるので、今のスタイルは非常に満足しています。 ■圧倒的な量と分析でクライアントに寄り添う 「私の色を出したい」というアーティスト的なアートディレクターもいますが、私の場合はクライアントさんの要望を叶えることを1番意識します。私のホームページのSMDOのロゴは、案件によって表示される色が変わるのですが、これは「クライアントさんの色に染まる」との意味を込めています。相手の色に染まるためには、分析は欠かせません。クライアントさんが何を求めているかをヒアリングし、参考画像や様々な事例を提示します。デザインを出す際は3〜5案ほどが一般的なのですが、相手の許可を得た上で、100案ほど提示することもあります。これも、限られた条件の中で考えうる可能性を提示し、相手の本当に求めているクリエイティブを探るためです。 特に競合のコンペを開催する企業さんは、多くの案から検討したいとの目的があるので、全力投球して沢山の案を出します。複数の企業から沢山の案を募るところを、私たちはそれを1社でできるのもアピールポイントです。沢山の案を出すためには、情報を集めて、検証して、何を掛け合わせるか。 寝ている間も何か考えていて、起きたらすぐにメモするほど、常にデザインのことを考えていますね。 ■デザインで生活を彩る この仕事の醍醐味としては、自分がデザインしたものがお客様の手に届くことだと感じています。ある案件で桜をモチーフにした焼き菓子のパッケージをデザインした際は、コロナのシーズンで世の中のムードが沈んでる時期だったので、桜を見上げているようなパッケージにしました。コロナの時代はネガティブな気持ちで下を向きがちだったので、上を見上げて頑張っていきましょうというメッセージを込めました。この商品を手に取った方から、SNSのDMで、「生まれたばかりの赤ちゃんがいて、コロナでお花見もできませんでした。でも、このパッケージで初めてお花見をさせてあげることができました。このパッケージを作ってくれてありがとうございました」とのご連絡をいただきました。自分のデザインを通じて、どこかで喜んでくれる誰かがいたことがとても嬉しかったです。 ■大学生へのメッセージ 人生は一度しかありません。20代であれば、まだまだ180度違う方向にでも行けると思います。私自身、大学院まで進学して中退し、当時は親に勘当された中で、クリエイティブの道に進みました。ただし、180度違う方向に行くには、そこにかかる労力は半端ではありません。私も独立したての頃には、魔法瓶にアイスコーヒーを入れて、寝る間を惜しんでひたすら働くような日々を3年くらい過ごしました。でも、その生活を苦痛だとは思いませんでした。苦労ではなくて努力だったと思います。大変なことでも「苦しい」ではなくて「楽しい」と自分が思えることは、きっと自分の力を伸ばせるジャンルだと思います。適性に悩んだり迷ったりしても、大丈夫です。本気になれば人生を変えられるのだと、ぜひ皆さんにお伝えしたいです。 学生新聞オンライン2024年9月3日取材 慶應義塾大学3年 松坂侑咲 上智大学3年 吉川みなみ / 慶應義塾大学3年 松坂侑咲 / 京都芸術大学1年 猪本玲菜 / 東洋大学3年 橋本千咲 / 文化服装学院2年 橋場もも

学生新聞インターン

株式会社Big Belly 代表取締役 大林芳彰

新しい飲食業の形、地域と共に歩む未来 株式会社Big Belly 代表取締役 大林芳彰(おおばやしよしあき) ■プロフィール 1973年4月2日成田生まれ。父親がエアラインで勤務していた関係で、幼い頃から海外に行く機会に恵まれる。大学卒業後は住宅メーカーに入社し日本各地で営業活動をした後、26歳で退職。当時行列が絶えなかった人気店「代官山モンスーンカフェ」に食事に行き感動して運営元の株式会社グローバルダイニングで勤務。料理長として渋谷店・お台場店・ららぽーと店・舞浜店を経験し、2011年3月に独立して株式会社BigBellyを創業。現在「アガリコオリエンタルビストロ」「アガリコ餃子楼」「アガリコ食堂」等、運営中。一般社団法人日本居酒屋協会 会長にも就任。 池袋を中心に数々の飲食店を展開する株式会社Big Bellyの代表取締役である大林芳彰さん。地域に根ざした経営スタイルを貫き続けています。そんな大林さんの過去、現在、未来を伺いました。 僕は東京都練馬区で生まれ、千葉県成田市で育ちました。祖父と父が拓殖大学に通っており、僕も自然に同じ道を選びました。学生時代は両親の仕事の影響で頻繁に海外旅行をする機会があったことが、国際的な視野を広げる大きなきっかけとなりました。また、大学時代にはサーフィンに熱中し、週末は成田から海へ通う日々を送り、春休みには毎年ハワイに行っていました。 ■住宅メーカー勤務から飲食業界への転身 大学卒業後は住宅メーカーに就職し、全国各地で営業活動を行いました。4年間営業に携わったのですが、この経験は、ただ商品を売るだけでなく、長期にわたる信頼関係を築く重要性を学ぶ貴重な期間だったと思います。地方での営業活動を通じて、お客様との会話力や一般常識を養い、メンタル面でも成長したと感じます。また、地方に赴任して感じたのは、東京とは異なる豊かな食文化の魅力です。特に九州で味わった新鮮なサバは、当時の東京では食べられないような味わいでした。住宅メーカーを退職後、祖父の経営していたサンドイッチ店を引き継ぎました。その店は、地域の皆さんに愛されており、当時はコンビニがまだ普及していなかったこともあり大変繁盛していました。しかし、飲食業の営業時間の厳しさを痛感し、さらに成長したいと考え、モンスーンカフェでの修業を決意しました。 ■池袋に根ざし、飲食業を拡大する モンスーンカフェで経験を積んだ後、その経験を活かし、池袋西口方面に自分の店を持ちました。お店の場所として池袋の西口方面を選んだのは、僕自身が住んでいる地域だったので、住民のニーズをよく理解していたからです。池袋の西口には親子代々で長年住み続けている地元住民が多く、東口のように人の入れ替わりが激しいエリアよりも商売を営むには適していると感じたのです。僕の店舗は、タイ料理など様々な業態を展開していますが、その根底には常に地域の声を反映する姿勢があります。例えば、池袋西口には他にない新しい業態を導入し、「ちょっと遠くてもあの店に行きたい」と思わせる店作りを心がけています。さらに、自分が本当に食べたいものを提供することも大切にしています。もうひとつ、力を入れているのが、従業員の働き方改革です。業界では珍しく週休3日制を導入し、社員が休みの日に自己成長や趣味に没頭できる環境を整えています。これは、従業員が充実したプライベートを送ることで、仕事のパフォーマンスが向上することを期待しての取り組みです。加えて、フランチャイズ展開にも注力しており、飲食業未経験者でも簡単に始められる業態を開発しています。例えば、タイの焼き鳥にしても、自動化されたシステムを取り入れたおかげで、調理経験が少なくても高品質な状態で提供できるようになりました。 ■未来への展望 今後の目標としては、社員の独立を支援することです。これまでにも多くのスタッフが僕のもとを巣立ち、店を作り、成功を収めています。今後、特に力を入れたいのは、女性社員一人ひとりが自分の力で成長し、ビジネスを展開できるような環境を提供することです。彼女たちが独立することで、その地域に新しい価値を生み出し、僕たちが築いてきた信頼関係をさらに広げていくことができると思います。 ■大学生へのメッセージ 大学生に伝えたいのは、積極的に外の世界に出て経験を積むことの重要性です。僕自身、学生時代に様々な国を訪れ、そこで得た経験が現在の仕事に大きな影響を与えました。特に予定を立てずに旅をすることで、予想もしなかった出会いや体験が得られることがあります。その経験が、後々のキャリアや人生において貴重な財産になると思います。僕がタイで得た経験が、今の飲食店経営に繋がっているように、皆さんも未知の世界に飛び込むことで、思いもよらないアイデアやチャンスに出会えるかもしれません。まずは一歩踏み出し、自分自身の可能性を広げていってください。 学生新聞オンライン2024年9月20日取材 城西国際大学 1年 渡部優理絵 城西国際大学 1年 渡部優理絵/慶應義塾大学 3年 山本彩央里/京都芸術大学 1年 猪本玲菜

イベント・企業紹介

「KIMONOIST (キモノイスト)2024」開催

今年で4回目を迎える「KIMONOIST2024」(キモノイスト)。コロナ禍の2021年に発足した「KIMONOIST」は、本アワードを通じて、時代と共に変わりゆく美意識や価値観の中で、日本の民族衣装である 「キモノ」が、大人の嗜みとして愛されるファッション文化として、サスティナブルかつグローバルに定着することを目指しています。4回目を迎えた今年は、かたせ梨乃さん・森口瑤子さん・町田啓太さん・篠田麻里子さん・堀田茜さん・高橋大輔さんの6名が「KIMONOIST (キモノイスト)2024」を受賞。それぞれのパーソナリティをイメージさせるような華やかな着物にぜひ注目したい。 ■町田啓太さんグレーを基調とした中に、ブルーのボーダー柄が散りばめられていて、とても都会的な着物だというのが第一印象です。これは羽織紐がないので、ジャケットを着ているような感覚でとても着やすいですね。まさに、現代を代表するファッショナブルなデザインだと思います。普段はなかなか着物を着る機会はないのですが、現在は時代劇の出演でよく着ているので、とても身近に感じています。 ■高橋大輔さんランウェイを歩くのは初めてで、とても緊張しました。(笑)フィギュアスケートでも和物の衣装を着ることがありますが、改めて日本伝統の素晴らしさを感じています。エレガントでシンプルすぎない、少し遊び心を取り入れたような着物で、私服の感じと似ていてとてもしっくりきています。アスリートかつ表現者として、フィギュアの「洋」と着物の「和」を融合させた新しいスタイルにも挑戦したいです。 ■堀田茜さん私は番組のロケで海外に行くことが多いので、その度に日本文化の素晴らしさを肌で体感しています。着物を着ていると必ず褒めていただけますし、受賞を機に着物の魅力を伝えていきたいと思っています。今回の着物は「灰桜」といってグレーとピンクを用いたシックな衣装です。これまでは赤や青など、はっきりとした色を合わせることが多かったので、とても新鮮ですね。年齢を重ねるごとに、似合う着物が変化していくのも1つの楽しみだと思います。 ■篠田麻里子さん着物を着てのランウェイは初めてでした。黒を基調とした深い色合いの中に、じっと咲いているような薔薇が描かれている着物です。黄色の帯締めが圧倒的なトレンド感を出していて、しなやかな女性を演出していただきました。普段着物を着る機会は少ないかもしれませんが、洋服と同じように合わせ方を楽しむことができるのが魅力だと思います。私も子供の入学式や卒業式など、門出の際にぜひ着たいです。 ■森口瑤子さんドラマの撮影で着物を着ることが多く、ちょうど着物に虜になっていたので、受賞者として発信できることにとても嬉しく思っております。甘辛なイメージを取り入れたクールさ引き立つ着物にしていただき、品は崩さずにファッショナブルな着物にも挑戦していきたいと思っています。私が出演しているバラエティ番組「プレバト」で、俳句の永世名人になれた暁には、今回の着物をぜひ着たいです。 ■かたせ梨乃さんデビューしてからというもの、時代劇にはじまり、現在は三味線など、着物を着る機会は多いですね。まるでブラジルの蝶を想起させる、空に羽ばたいていけるような着物で、このまま雨の西麻布に消えてゆきたいような気持ちです。(笑)着物を着て船旅に出て、夕食やディスコを楽しんだ、そんなこともありました。友人からは、お食事の際に「着物で来て」と言われることもあるので、今後も可愛らしい着こなしを楽しみたいと思っています。 ■取材の感想6名の受賞者それぞれの個性や雰囲気をデザインに落とし込んだ着物は、どれも優美で嫋やかでした。受賞者の雰囲気や人柄をイメージされていたスタイリングは、その人の魅力をさらに引き立たせており、ランウェイで着物を披露されている時は、息を呑むほど圧倒されました。着物は小物の組み合わせによってもバリエーション豊かになり、老若男女問わず纏えるファッションだと思います。日本文化としての継承はもちろん、ファッションとしての魅力をたっぷり味わえる空間でした。慶應義塾大学3年 松坂侑咲 学生新聞オンライン2024年10月8日取材:上智大学3年 白坂日葵

すごい大学生・すごい学生団体・ミスコン・ミス学生新聞

ミスミスター青山コンテスト2023 準グランプリ 伊藤日菜子

ミスコン挑戦が導く自分の成長 ミスミスター青山コンテスト2023 準グランプリ青山学院大学 法学部法学科 4年 伊藤日菜子(いとうひなこ)愛知県出身 ミスミスター青山コンテスト2023の準グランプリの伊藤日菜子さんに出場を決めた理由やこの挑戦から学んだことなどを伺った。 ■新たな挑戦を求めて ミスコンへの出場を決めた理由は、自己挑戦と成長を求めたからです。高校までフラメンコや体操、陸上とスポーツを続けてきましたが、大学では熱中することが見つかりませんでした。新しいことに挑戦したいと思い、ミスコンを選びました。自己表現の幅を広げたいという思いもあり、この挑戦が自分をより良くするための大きなステップになると信じていたのです。 ■挑戦を支えた努力 ミスコンに向けて私が苦労したのは、SNSのフォロワーが可視化されることと忙しい日々をどう過ごしていくかです。どうしてもフォロワー数が注目されるため、プレッシャーを感じていました。フォロワー数が少ないと自信を失いそうになりましたが、自分のペースで発信を続け、フォロワーとの交流を大切にすることで乗り越えました。応援してくれる方々の期待に応えたいという気持ちが強まり、みなさんの声が私のモチベーションになりました。また、ミスコンの準備や本番に向けて多忙な日々が続きました。学業との両立が難しく、スケジュール管理に苦労しましたが、優先順位をつけて効率よく時間を使うことで乗り切りました。忙しい中でも、ステージ上でのパフォーマンスやスピーチ練習に時間を費やし、自己表現の技術を磨きました。これらの努力が報われる瞬間はとても楽しく、自分の成長を実感できる貴重な経験となりました。 ■ミスコンがもたらした変化 ミスコンへの挑戦を通して、私は大きな変化を経験しました。最初は緊張や不安がありましたが、ステージに立つことで自信を持てるようになりました。また応援してくれる方々の存在はとても大きくて、私の支えとなり、パワーに繋がりました。ミスコンが終わった後も、自己肯定感が高まり、様々な挑戦に前向きに取り組む姿勢が身につきました。 ■大学生へのメッセージ 挑戦することを恐れないでください。ミスコンへの挑戦を通じて、私は多くのことを学び、成長することができました。不安や緊張を乗り越えるとその先には必ず成長と自信が待っています。自分を信じて、一歩踏み出してください。やらない後悔よりやって後悔の方が良いという言葉を胸に、ぜひ挑戦してみてください。 学生新聞オンライン取材2024年6月22日 津田塾大学2年 石松果林

学生新聞インターン

損害保険ジャパン株式会社 執行役員CDaO データドリブン経営推進部長 ...

データの力で、すべての人の健康な一生を実現したい 損害保険ジャパン株式会社 執行役員CDaO データドリブン経営推進部長 村上明子(むらかみ あきこ) ■プロフィール1999年日本アイ・ビー・エム(株)入社、同社東京基礎研究所において研究に従事。2021年に損保ジャパンに転職、損害保険のDXを推進。2022年4月に執行役員Chief Digital Officerに就任。2024年4月より執行役員Chief Data Officerとして損害保険におけるデータ活用やデータガバナンスを推進している。また、政府に設立されたAIセーフティ・インスティテュートの所長も兼任している。 震災のボランティア経験を経て、「苦しんでいる方々の力になりたい」と損害保険ジャパンへの転職を決めた村上明子さん。保険業界にデジタル技術を取り入れることで、保険業界の役割そのものを変革したいと語る村上さんに、同社の魅力からDX推進の取り組みや思いについて伺った。 ■「災害に遭われた方を助けたい」との想いがつないだ転職 前職では、コンピューターで言語を理解するにはどうしたら良いかという基礎研究を十数年行った後、ソフトウェア製品開発に携わりました。働くうちに、次第に残りの社会人としての人生は、ソフトウェアを有効活用して社会貢献できたらと思うようになりました。そんな中コロナ禍になり、損害保険ジャパンに在籍していた前職の先輩から「DXを進めようと思っているから、力を貸してくれないか」と声をかけていただきました。しかし、ユーザー会社だったらどこでも良いと思っていたわけではありません。転職の大きなきっかけになったのは、2011年の東日本大震災のとき、自分に何かできることがないかとボランティアに参加したことです。私は力仕事ではお手伝いできないので、ITで被害に遭われた方の復旧に携われないかと考え、ボランティア団体を立ち上げました。復旧にあたっているボランティア団体をITで間接的に助けるという団体です。その経験もあって、この会社であれば災害に遭われた方の力になれるのではないかと感じたことが決め手となり、損害保険ジャパンに入社しました。 ■世のため、人のために励む社員たちが魅力 自分の会社なので少し照れ臭いのですが、社員が本当に良い人ばかりです。自分のことはさておき、世のため人のため、苦しんでいる方を保険で支えたいという想いを持つ人が、多くて本当に驚きました。プロジェクトのアイディア出しでも「事故を減らすためにはどうしたら良いか」「復興のお支払いを一日でも早くするためにはどうしたらよいのか」など、自分ごとになって考える社員が多いという印象を持っています。このような志が、仕事の柱になっている人が多いということがこの会社の強みです。また、当社は非常に新しいもの好きな会社だなと思います。古いものにとらわれず、「新しいことをやってやろう!」というチャレンジ精神を感じます。 ■膨大なデータで経営方針を決めていく 蓄積されたデータを使って経営を進めるというデータドリブン経営の方針の下、現在、私は「チーフデータオフィサー」としてデジタルやAIを活用するための根本となるデータを扱っています。データドリブン経営では、経営判断するときや物を販売するときに客観的なデータに基づく判断が大切になってきます。しかし、当社は自動車保険をはじめとする2千万人以上のお客さまとの契約があり、今までデータを安易に使うことが難しい状況でした。そこで簡単にデータが活用できる環境を用意し、社員の皆さんが自分の仕事に集中できるように業務にあたっています。デジタルというと、きらびやかなイメージを持たれている方が多いと思いますが、私はデジタルやデータは手段にすぎないと考えています。私たちの部署は、保険を世の中に役立て     るために、 現場の人たちを下支えする「縁の下の力持ち」のような存在です。そして、それを誇りに思っています。しかし、私達が業務内容を理解していないと、現場で受け入れられないデジタルのツールを押し付けることになってしまいます。そこで大切にしているのが、科学者である金出武雄さんの本のタイトルにある「素人のように考え、玄人として実行する」という考え方です。慣れてしまうと客観性がなくなってしまうので、いつも素人のように新しい気持ちで見る。しかし、実行するときは現場での制約や慣習があるため、玄人のように行動して実現していく。これはデジタルやツールを扱う上で大切な考え方だと思います。 ■デジタルによる変革で保険の在り方を変える DXを通じて労働力が確保できない状態に備えて効率化を進めていくことも大事ですが、どちらかというとデジタルの台頭によって保険の在り方そのものを変えていくことが、保険業界がデジタル面で果たすべき役目だと思っています。たとえば、今までの保険は対面で申し込みを紙に書いていましたが、WEBでも更新できるように変わってきています。一方で、WEBを通じて、もっと気軽に保険に入っていただきたいとも思っています。たとえば、万が一旅行をキャンセルせざるを得ない場合、高いキャンセル料を賄うことが出来る保険があります。入った方が良いと分かりつつも、予約した後は面倒になり、忘れがちです。そこで、旅行予約のWEBページから簡単に保険に入れたら便利ですよね。これはまさにデジタルでお役に立てることだと思います。単にデジタル化するのではなく、デジタルトランスフォーメーション(DX)によって保険の在り方を変革することが求められているのです。 ■「効率化」だけでなく、DXを進める意義を重要性 DXによる効率化で自分の仕事が楽になるとしても、現場の人たちが抵抗を示すことがあります。「これをやるとあなた達の仕事が楽になります」と説明しても、思うように現場の方に伝わらないこともありました。しかし、「そのアプローチの仕方は間違っている」とアドバイスをいただく機会があり、ハッとしました。SOMPOグループでは世のため人のため     を考えている人がすごく多いと思います。だからこそ、現場の人達は「効率的なのはいいが、しっかりお客様に寄り添えなくなるのではないか」という抵抗感を持っていたことに、こちら側が気付いていなかったのです。以来、「ここを効率的にすることで、皆さんがお客様に向き合う時間を増やすことになる」としっかり伝えるようになったことで、現場レベルでもDXやデジタルによる効率化を進めるモチベーションが生まれているように思います。 ■お客様の大切なデータで世の中を良い方向へ まずは今のデジタル時代に遅れていかないように、デジタルを使った変革を進めていくこと。また、保険会社である以上、常にお客様の貴重なデータを扱うことになります。それはただのデータではなく、いろんな方が被害に遭われた記録です。そのデータを使って世の中を良い方向にもっていく力添えをすることに、これから注力していきたいです。グループ会社一体となって、皆さんが生まれたときからお亡くなりになるそのときまで、健康に過ごせる環境を整えていきたいと思っています。 ■学生へのメッセージ  世の中は本当に変化が早いです。だから、「将来のために準備をしておこう」と逆算するよりは、とにかく学生のときはいろんな経験をしてほしいと思います。そして、いろんな人に会っておきましょう。会うというのは、ただ知り合いになるのではありません。私の場合は、一緒になってこの問題を解決しようと真剣に語り合った人達が、今の仕事に繋がっています。東日本大震災でのボランティアがまさか当社への転職につながると想像もしていませんでした。あまり打算的にならず、考える暇があったら一個でも多くの経験を積んでいくことが、人生をより豊かなものにしてくれるのではないでしょうか。 学生新聞オンライン2024年7月17日取材 東洋大学2年 越山凛乃 法政大学4年 鈴木悠介 / 上智大学3年 白坂日葵 / 昭和女子大学3年 竜澤亜衣 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 上智大学3年 網江ひなた

学生新聞インターン

自由民主党北海道第六選挙区支部長 衆議院議員 東国幹

やりたいこと突き詰め、心地よく、“あずましい、国づくり”へ 自由民主党北海道第六選挙区支部長 衆議院議員 東国幹(あずまくによし) ■プロフィール 衆議院:法務委員会 委員、農林水産委員会 委員、災害対策特別委員会 委員、沖縄及び北方問題に関する特別委員会 委員 自由民主党:国会対策委員会 委員、北海道総合開発特別委員会 事務局次長、組織運動本部 団体総局(農林水産関係団体委員会 副委員長・厚生労働関係団体委員会 副委員長)、地方組織・議員総局 次長、広報本部 新聞出版局 次長 東くによりチャンネル You Tube:https://www.youtube.com/channel/UCk0mGdVNPeG6TvXqOcnWJmA?si=dxqNfx1IjRpJ_-fY 「あずましい、国づくりへ」をモットーに、心地よく住みやすい国をつくろうと日々奮闘する衆議院議員の東国幹さん。現在、主軸として携わる農林業にはじまり、その取り組みは多岐にわたる。「かつては自衛隊を目指していた」という東議員は、なぜ政治の世界へ足を踏み入れたのか。政治への思いとともに、今後の展望について伺った。 中学から高校卒業までは、自衛隊への加入を希望していました。理由は、ヒエラルキーがはっきりしている社会が好きだったからです。しかし、高校教師である父親に相談すると、自衛隊に入ること自体は反対されなかったものの、「まずは普通校に進学してはどうか」と強く勧められ、大学進学を決めました。その際、東海大学法学部を選択したのは、「法学部に行けば、弁護士や司法書士にならなくても、社会の常識を学ぶことができる」と祖父から言われたのがきっかけでした。 大学入学後はスキーに熱中し、インストラクターとしても働いていました。入学した当初は、卒業後はいずれ自衛隊に入ろうと考えていたのですが、ひとつの転機があり、政治家を目指すことを決めたのです。その転機とは、旭川、盛岡、長岡、長野市の4都市で行われた冬季オリンピックの誘致競争でした。旭川は50票中4票しか獲得できず、トップだった長野に大差で負けました。このとき、「政治の力があれば旭川に誘致できたのでは?」と強く思いました。この悔しい気持ちが、政治家を志す大きな原動力となりました。 しかし、政治家を目指したものの、その道は決して平らではありませんでした。政治家を目指したとき、自由民主党に入ろうとしましたが、いざ党に所属する政治家を見てみると、両親が政治家であるパターンが非常に多かったのです。また、一流大学を卒業後、省庁に入って官僚になり、政治家になる人も多かったので、自分もその道を目指すべきなのか悩みました。しかし、結局は、ご縁があって、元環境大臣である原田義昭先生の書生として、横須賀事務所で働くことになったのです。 大学卒業後、北海道に帰郷したのは、「政治家になるには北海道でなければならない」と強く思ったからです。本来自民党は農村政党であり、土着性を基本とし、生まれ故郷をとても大切にしていました。そこで、原田先生から3人の議員さんの事務所を紹介され、北海道の選挙区に所属していた国会議員の佐藤静雄先生の秘書として活動することになりました。その後、27歳で旭川市議会議員に就任し、青年会議所で活動しました。元気のよい会で、お祭り実行委員会にも1年間入りました。そして、北海道議会へ進み、自由民主党北海道第六選挙区支部長としての活動を通じて、地域社会に貢献したいという思いを強く持つようになったのです。 ■若者が農業にアプローチしやすい土壌を作る 現在、私が主軸としている取り組みは食料安全保障の強化です。その取り組みのひとつとして、今年2月、「食料・農業・農村基本法」を25年ぶりに可決しました。これは、「農政の憲法」とも呼ばれ、農政の基本理念や政策の方向性を定めた法律です。この法律の可決により、農業や林業の基盤を強化し、食料安全保障を確保するための法的枠組みを整備することができます。 同時に行っているのが、生産者の持続可能な経営や人材不足などの課題解決です。現在の、農業界における人材不足の解決の糸口は、若者が農業に従事する上でのアプローチを見直すことだと考えます。農業や林業は、国家が成り立つ上では欠かせないものですから、人材不足はなんとしてでも解消しなければなりません。現代の若者は潜在的に農業に興味を持っている方が多いので、いかにその想いを実現化し、支援できるかが重要です。興味のある新規就農者をサポートし、農業に取り組む機会を提供することが私たちの役割となっています。自然の中で食べ物を作ることには大きな達成感がありますし、人と接することが苦手な方でも活躍できる場ですので、たくさんの若者に取り組んで欲しいです。 私自身、政治家としての取り組みには大きなやりがいを感じています。法律の改定や予算案の提案で、地方都市と大都市との格差を縮めることも可能です。地域社会に貢献できるという感覚は素晴らしいものです。提案が実現した際には、生まれ故郷の方々からの感謝の言葉をいただけることもあり、やりがいのひとつになっています。 ■安全安心な食糧を、きちんと提供し続ける国を作る 今後、力をいれていきたいのが食料安全保障の確立です。世界の人口が80億人を超え、耕地面積や水資源が減少している中で、日本の食料自給率は一つの問題になっています。私たちの国の食料自給率は63%と低い。その理由は貿易市場主義にあるのではないかと考えています。今後、日本は、1億人の日本人に食べさせることを確保するべきだと思っています。現在、米は供給過多で市場に余り気味なのに対して、小麦や大豆の自給率は10%前後とかなり低いです。この自給率を向上させるためには、畑作の構築を増やす必要があります。米の生産を減らす必要はありませんが、畑作の自給率を高めることが重要です。さらに、食料保証を向上させるために消費を増やしたり、国産品のブランド力や価値を高めたりすることが必須です。 また、食料安全保障は環境問題とも関連しています。有機農法や化学肥料を使わない安全な食品への需要が高まっている現在、安心・安全な国産食品の美味しさをPRすることも重要だと考えています。これらの取り組みを通じて、食料安全保障を確立し、国民の健康と幸福を守っていきたいと考えています。 ■大学生に向けてメッセージ 学生の皆さん、あなたたちが将来どんな職業を選択するかは、個人の自由です。どのような選択をしても構いませんが、自分の好きな仕事に就くことができれば、より幸せだと思いませんか? 私の場合、自分がやりたいことを追求することに幸せがありました。また、「趣味と実益を兼ねる」というフレーズの通りに、好きなことで収入を得ることができれば、専門家になることも夢ではありません。給与は、やりがいを持って仕事をすることによって後からついてくるものですから、自分の夢や希望を早く見つけて、突き詰めてみてください。 学生新聞オンライン2024年4月18日取材 津田塾大学2年 石松果林 京都芸術大学1 年 猪本玲菜 / 津田塾大学2 年 石松果林

コラム

テリー伊藤 コラムVol.34 世紀の二枚目アラン・ドロンさん亡くなる

フランスの俳優アラン・ドロンが2024年8月18日フランス、ドウシーで家族に見守られながら息を引き取った。88歳だった。アラン・ドロンを紹介する時には必ず「世紀の二枚目俳優」の冠がつく。当然だろう。何たって桁外れの男前なのだから。世界中のどの国にも二枚目は存在する。日本、アメリカ、英国、イタリア、インド、韓国、他の国の二枚目も相当格好いい。しかしフランス代表のアラン・ドロンは別格ではないか。もし世界対抗二枚目オリンピックが開催されたら間違いなく金メダルを獲得する。繊細さ、野心を感じる透き通る眼差し、しなやかな肉体、整いすぎる甘いマスク。まさに神が与えた完璧な容姿の持ち主。 そんな彼の魅力を見事に引き出したのが60年制作ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』。アラン・ドロンは貧しく孤独な青年トムを演じる。大富豪の息子に奴隷のように扱われ、いつしか殺意を抱くように。衝撃のラストシーンは今も映画ファンの語り草となっている。ナポリの海、太陽の陽射し、ニーノ・ロータの主題曲、そして若干25歳のアラン・ドロンの人生を這い上がって行く瑞々しい演技が相まって、世界中で大ヒットした。今でもこの作品をフランス映画史上No.1と評価する人は多い。 日本でも大人気となり、当時の映画雑誌の表紙は各誌アラン・ドロンで埋まり、人気投票でも毎年「不動の一位」の座を譲らなかった。それだけでは収まらない。初来日の際はとんでもない騒ぎに。インターネットが無い時代にもかかわらず情報を聞きつけて、羽田空港は若い女性で大混乱。日本の芸能界も黙っちゃいない。各映画会社が若手女優を和服でお出迎えさせる大歓迎ぶり。あれ程の外国人スター大狂乱は、その後のビートルズ来日騒動しかなかったのでは。 とは言っても一般男性がアラン・ドロンになれる訳もなく、あきらめている頃。1971年ファッションブランド「レナウン」が、アラン・ドロンをイメージキャラクターに抜擢し、紳士服「ダーバン」を発表。俺もアラン・ドロンになれるかも!と、大ヒットとなった。その他1970年制作「ボルサリーノ」で被ったボルサリーノ帽は今でも男たちの憧れとなっている。世紀の二枚目にはなれなくてもせめて雰囲気だけでもと、彼の影響力は今も衰えない。 アラン・ドロンの凄いところは、死ぬまでずっと格好良かったこと。いつの時代も年齢の中で美しさを保っていたのではないか。今ごろ天国で盟友ジャン=ポール・ベルモンドと若かりし頃の映画の話やモテモテだった時代の事をワインを飲みながら夜通し語っているのでは。それとも、2人でナポリの海をビキニパンツで泳いでいるだろう。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

映画監督 日比遊一

一歩踏み出す勇気と希望を届ける 映画監督 日比遊一(ひびゆういち) ■プロフィール1964年、名古屋市出身。高校卒業後に俳優を目指して上京し、20歳でニューヨークへ。2016年、高倉健のドキュメンタリー映画『健さん』を監督。モントリオール世界映画祭ワールド ドキュメンタリー部門の最優秀作品賞、日本映画批評家大賞ドキュメンタリー賞を受賞。2019年、樹木希林企画による『エリカ38』では脚本・監督。2021年、名古屋を舞台にした『名も無い日』では製作・脚本・監督。現在、ニューヨークを拠点に活動中。 2024年10月11日全国ロードショーの映画「はじまりの日」。9月28日、第63回名古屋講演会にて、映画を手掛けられた日比遊一監督をゲストにお招きし、映画の制作背景や魅力、映画に込めた想いについて伺いました。伝説のロッカーの再生と若き歌姫の誕生の物語を描く本作では、元JAYWAILボーカリストの中村耕一さんと、圧倒的な歌唱力で注目されている歌手の遥海さんがW主演で映画に初挑戦され、従来のミュージカル映画とは一線を画す、大人のための音楽ファンタジーの世界が魅力です。 ■映画を手掛けよう思った経緯 前作の名古屋を舞台に手掛けた「名も無い日」が作家として最後に撮るような作品だったので、そのあと頭が真っ白になってしまいました。しかしコロナ禍に入り、自分にとって考える時間ができたことをきっかけに、昔から歌の力を問うような映画を作りたいと思っていたことが再燃しました。スポーツの大会や祭典などで合唱したり、何か災害や戦争が起こったら歌で慰めや祈りを行ったり、人類は歌の力を借りて生き延びてきたところがあると思います。そういった歌の力や音を映画に残したいという想いで今回の作品を作ることになりました。 ■2人の主演との出会い 毎回チャレンジのある現場を作りたいなと思っていて、今回の場合は名の知れた俳優さんよりも、皆さんが知らないような歌手を主演として起用したいなと思いました。女役の遥海さんは、実は7,8年前に彼女が路上で歌っている動画をYouTubeで見ていて、その歌唱力に魅了されて名前をメモに書き留めていた子でした。今回はソニーミュージックさんとのコラボでしたが、新人で誰もまだ知らないような子はいないかと聞いたときに、偶然紹介されたのが遥海さんだったので、これは運命だなと思いましたね。男役の中村耕一さんは、たまたま前作の繋がりで奥さんの矢野きよ実さんと出会い、ライブを拝見させていただいたことがきっかけです。久しぶりに涙が出るくらい感動して、自分の映画の構想と重なって、夜も眠れなくなったことを覚えています。演技に自信がないという理由で3回もオファーを断られましたが、どうしても諦めきれず、脚本を中村さん仕様に変更し、セリフも極力少なくし、4回目のオファーでようやく受けてくださることになりました。 ■名古屋を舞台にした理由 私の仕事の一つは、名もない公園や路地裏に命を吹き込み、新しい「聖地」を創り出すことだと考えています。40年間海外で生活していましたが、コロナ禍で久しぶりに名古屋に帰ってきたときにさびれた街の風景を目の当たりにし、映画を通して地元の観光業や飲食業の再生に少しでも貢献したいなと思いました。また、昔私の実家は今のMIRAI TOWERのちょうど真下にあったので、自分自身の心の聖地でもあり、10代で日本を出てしまったふるさとの原風景を取り戻したいという想いもありました。名古屋市や中部電力をはじめ、多くの企業様からの撮影協力や、ご協賛のお陰で名古屋を舞台にした今回の作品が仕上がったので、本当に光栄な気持ちと感謝でいっぱいです。 ■撮影のこだわり 今回はドラマの部分はデジタルではなく、フィルムで撮影しました。デジタルというのは何回も撮れて、その中で自分がいいとするテイクだけを残すことができますが、フィルムで撮影すると時間もかかりなかなか取り返しがつかないので、スタッフや俳優さんの緊張感が違います。主人公達が初めて映画で演技をやるという2人だったので 、リアル感をフィルムのトーンで出したいという狙いと、人生はやり直しやごまかしがきかないということを映画を通して次世代に伝えたいという想いがあります。歌のシーンはデジタルで撮影しているのですが、一気にファンタジーな世界観になって、皆さんが歩いている名古屋の街がパリのように、MIRAI TOWERがエッフェル塔のように見えるような演出にしました。ミュージカル要素も交えたリアルとファンタジーが融合した、邦画ではあまり見ない舞台映画になっています。 ■映画を通して伝えたいこと 70歳の一世を風靡したロック歌手の再生と、人前では喋れないようなシャイな女の子の歌姫誕生の物語で、2人の主人公達が歌を通して友情を育み、お互いの背中を押しながら新しい人生を歩んでいく物語です。「はじまりの日」というタイトルは、“皆さんのはじまりの日”になればいいなという想いを込めました。一歩踏み出す勇気が新しい未来の第一音になり、 いつか大きな旋律になって物語を奏でることができる、そんなメッセージが込められている映画です。一歩を踏み出す勇気が出ない、諦めたくないという気持ちがあるが上手く表現できない、そんな方には特にこの映画を見ていただきたいですね。名古屋から全国、そして世界へと発信できる映画だと思っているので、ぜひ劇場に足を運んでご覧ください。 映画「はじまりの日」 こんなにも自然に心の機微を映像と歌で表現した映画がかつてあっただろうか。国際映画祭受賞監督である日比遊一の描く今作は、従来のミュージカル映画とは一線を画す。抒情的な映像から、自然に生まれ出る魂の歌声。それは大人のための音楽ファンタジーであり、観る人を物語と歌の世界にやわらかに引き込んでいく。 監督・脚本・プロデュース:日比遊一 配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント製作プロダクション:ジジックス・スタジオ 2024/日本/カラー/107分 学生新聞オンライン2024年9月28日取材 学生新聞編集部

学生新聞映画大賞

第3回 学生新聞映画大賞

TOP CONNECT 株式会社(東京都中央区/代表取締役 内田雅章、以下 TOP CONNECT)は、若者の映画館離れやコロナ禍の映画館利用率の低下をうけ、映画興行の復興を目的に「第3回 学生新聞映画大賞」発表会を2024年10月9日(水)、セルリアンタワー東急ホテルB2ボールルーム(「学生新聞・小学生新聞発刊パーティ第2部内」にて開催いたしました。 <第3回 学生新聞映画大賞とは> 2024年1月1日~6月30日までに、東京地区において有料で初公開された60分以上の劇場用劇映画かつ、同一劇場で2週間以上連続して上映された邦画作品を対象に、大学生総勢200名が投票を実施。10作品の中から上位3作品の中で、男優賞(2枠)、女優賞(2枠)、若手俳優賞(25歳以下の男女各1名)、監督賞、脚本賞、主題歌賞の計6つの賞を設け、表彰。賞品総額は300万円(各受賞作品毎100万円)。 <ノミネート作品> ■ゴジラ-1.0/C■ゴールデンカムイ■サイレントラブ■劇場版「君と世界が終わる日にFinal」■夜明けのすべて■変な家■四月になれば彼女は■青春18×2 君へと続く道■映画『からかい上手の高木さん』■ディア・ファミリー ※公開日順にて記載。 ©2023 TOHO CO.,LTD / ©野田サトル/集英社 ©2024 映画「ゴールデンカムイ」製作委員会 / ©2024 「君と世界が終わる日に」製作委員会 / ©瀬尾まいこ/2024 「夜明けのすべて」製作委員会 / ©2024 「変な家」製作委員会 / ©2024「四月になれば彼女は」製作委員会 / ©2024 「青春18×2」Film Partners」 / ©2024 映画『からかい上手の高木さん』製作委員会 ©山本崇一朗/小学館 / ©2024 「ディア・ファミリー」製作委員会 <ご協賛企業様> ※順不同 アース製薬 /ピップ / タマノイ酢 / ニューバランス / アデランス / アンファー / 杉本食肉産業 / マルハン / 越後ファーム / Mizkan / 串カツ田中ホールディングス /...

イベント・企業紹介

「JAPAN SKETTT. PROJECT」新プロジェクト発表会 ~地方出身タレントが地...

株式会社Wunderbar(東京都渋谷区 代表取締役CEO 長尾慶人)は、「咲かせよう、みんなで」をキャッチコピーに、地方出身タレントがPRでお困りの地元企業さまを支援するプロジェクト「JAPAN SKETTT. PROJECT」を実施することを発表しました。 IPマーケティング包括支援サービス「Skettt(スケット)」では、タレントの宣伝素材提供を軸に、企業の認知・売上向上をサポートしています。そんな「Skettt」が、これまで以上に地方企業のPRを盛り上げていきたいという想いで始動させるのが、「JAPAN SKETTT. PROJECT」です。まち・ひと・しごと創生法(平成26年法律第136号)が2014年に施行され、10年の節目となる今、次の10年を実りあるものへ、地方創生の未来を作る国内初のプロジェクトです。大好きな地元のために立ち上がった全国のタレントが、広告塔として企業さまを応援します。また、本プロジェクトの中にはAIを活用したサービスも提供いたします。 今回、プロジェクトの立ち上げを記念して「HOKKAIDO SKETTT. PROJECT」のアンバサダーを務める北海道出身でタレントの菊地亜美(きくち・あみ)さん、「KINKI SKETTT. PROJECT」には大阪出身のお笑いコンビよゐこの濱口優(はまぐち・まさる)さん、「KYUSHU SKETTT. PROJECT」には鹿児島出身の恵俊彰(めぐみ・としあき)さん、さらに「TOHOKU SKETTT. PROJECT」には山形県出身の女優・タレントの橋本マナミ(はしもと・まなみ)さんがそれぞれアンバサダーを務めることになりました。 アンバサダー4名も登壇し、それぞれプロジェクト参加に関する思いや、自身の故郷の思い出などを伺った。 ■株式会社Wunderbar 代表取締役CEO 長尾慶人 私は北海道の札幌出身で、北海道はやはりご飯が美味しいと思っています。ビアガーデンが好きなので夏に帰ると涼しくて、お酒がおいしく感じるという所が大好きでたまりません。地方活性化には、地方企業の成長が不可欠です。このプロジェクトの3つの軸である「ツクル」「トドケル」「ササエル」そして「skettt(スケット)」というキーワードは身近にあるものなので地方企業に、難しくない分かりやすい形で届けていきたいなと考えています。 ■HOKKAIDO SKETTT. PROJECT アンバサダー 菊地亜美 アンバサダーのお話を頂いた時は率直にうれしかったです。出身地である北見市の観光大使をやらせていただいたりしていますが、こんなに大きなプロジェクトで北海道の皆さんの力のなれるというのは、地元のお仕事をしたいという私にとって光栄なお話でした。北海道は広いのでレンタカーを借りたりして、たっぷり時間かけて楽しんでほしいです。そこで、ドライブでぜひ走ってほしいのが知床にある『天まで続く道』です。奥まで続く一本道がほんとに天とつながっているように見えます。昔から家族と通ってはいたのですが、改めて行くと大人になったからこそ感じるものがありました。北海道に住んでた時は東京に行きたいという憧れが強かったのですが、地元を出たからこそ、より好きになって良さに気づいた部分もあると感じます。北海道で放映されるCMの撮影では、気持ちづくりのためにラベンダーの香りを嗅いで、北海道への思いを馳せて臨みました。いつもと違って見てくれる人が地元の人なんだと思うと“届けたい”という気持ちが強くなり、いつもより上手くできたかなと思います。 「トドケル」にまつわるエピソード私は毎日4歳の娘に気持ちを届けています。子供が何かに疑問を持った時にそれをスルーしないことを意識しています。子どもは私が言った言葉で理解して、そうなんだと思うので気持ちや言葉を一つ一つ大切に届けて生活しています。 ■KINKI SKETTT. PROJECT アンバサダー よゐこ 濱口優 アンバサダーに決まったときは、めちゃくちゃ嬉しかったです。僕でいいのかなと。近畿地方には名だたる有名人の方々がいる中選んでいただいたので、皆さんを盛り上げるために頑張っていきたいと思います。食べ物はとにかくたくさんありますし、値切るという文化は大阪特有だと思います。他の地方に行っても値切るという文化は無くて、僕的には衝撃でした。安くおいしいものが食べられるのは魅力の一つです。 近畿地方にはおすすめしたい場所がたくさんあるのですが、その中で大阪市此花区の『喫茶はまゆう』をおすすめします。実は、実家の喫茶店なんです。近畿地方で一番芸能人が集まる場所なのでは、というぐらいロケでたくさんの芸能人の方が来てくださっています。幼いところの僕の話が聞けるかもしれません。(笑) 「ササエル」にまつわるエピソード奥さんに支えられています。今日もこのイベントに来られたのも奥さんのおかげで、タクシーが捕まらなくて送ってもらいました。子供授かってから実家に連絡することも増えて、奥さんと出会って人生が変わったなと思います。 ■KYUSHU SKETTT. PROJECT アンバサダー 恵俊彰 私は18歳の時に上京して、もう42年になります。圧倒的に東京の方が長いですが、いまだに鹿児島県人だという意識が常にあります。鹿児島に帰っても東京に出ていくという思いになるんです。鹿児島の同級生たちが、地元で苦労しながら仕事を頑張る姿を見てきたので、ぜひこういう機会に地方で頑張っている企業を全力で応援したいなと思います。九州でこれから絶対に有名になるだろうというのが糸島です。現在放送中の連続テレビ小説「おむすび」の舞台でもあります。海もあって、山もあって、サイクリングもできて、とても一日じゃ周りきれない魅力的な場所です。近くにはおいしいラーメン屋さんもあって、私も家族で訪れました。福岡は最後ここで暮らしたいと思うぐらいとっても好きな街です。その中でも糸島は食べて良し、自然と親しんで良しでおすすめです。 「ツクル」にまつわるエピソード地方の企業を盛り上げるというプロジェクトの趣旨に共鳴した理由でもあるのですが、私の実家は鹿児島の伝統工芸品である大島紬を作っていました。父が特許を取ってた泥染めは色んな職人さんが携わらなければできないもので、皆さん地元のために苦労して守っています。東京一極集中と言われていますが、地方各地に産業を支える方々がたくさんいます。「ツクル」ということは一旦終わってしまったら中々復活できないものなので、終わらせないことが大切だと思います。 ■TOHOKU SKETTT. PROJECT アンバサダー 橋本マナミ 東北は、おいしいものやおすすめしたい場所も色々あるので、たくさんの人に知っていただきたいです。東北を盛り上げていけることをうれしく思っています。東北は6県あるので、青森の冷麺やマグロ、山形の肉そばなど、それぞれその土地の名物があります。また、夏に行くと、東北6県のお祭りがあるのでぜひ周ってほしいです。それぞれ時期がずれているので、ゆっくり周れば制覇することが出来ますし、ツアーもあるので色々な所を訪れて欲しいです。 私は4歳のころから両親の間に挟まれながらスキーをしていて、今でも帰ったときには蔵王に行ってスキーをします。その後はロッジでカレーを食べて、源七の湯という広い露天風呂に雪を見ながら入るというのがいつものお決まりのコースで、最高です。 「skettt(スケット)」にまつわるエピソード7月に第2子を出産して、母が山形から助っ人に来てくれています。一緒に住んで、毎日郷土料理などご飯を作ってくれているんです。17歳の時に上京してきたので母の手料理はもう食べるのは難しいのかなと思っていたのですが、この機会に食べることが出来ています。同居することが出居て本当に助かっています。今日も子供を母が見てくれているからイベントに来れたので、「スケット」にとても助けられています。 学生新聞オンライン2024年9月30日取材 東洋大学2年 越山凛乃

学生新聞インターン

一般社団法人ジャパンバレーボールリーグ 代表理事 全日空商事株式会社 ...

世界最高峰に向けて 地域とともに創るバレーの未来 一般社団法人ジャパンバレーボールリーグ 代表理事 全日空商事株式会社 顧問 國分裕之(くにぶひろゆき) ■プロフィール「人財育成」と「バレーボール」が自分のキャリアの二本柱となっています。バレーボールは、選手→コーチ→監督→リーグ・協会役員と幅広く経験しています。この二つの柱を太くするために好奇心→実践を大切にし、できる限り多種多様な経験をすることに努めています。他のスポーツの観戦、各種コンサート、歌舞伎、美術館、博物館にも積極的に足を運んでいます。 「ハイキュー!!」やパリオリンピック、アイドル的選手たちの活躍により、近年人気の高まっているバレーボール。そんなバレーボールに50年以上にわたって関わり続け、現在は一般社団法人ジャパンバレーボールリーグ代表理事として活躍するのが、國分裕之さんです。世界最高峰のリーグ創りに心血を注ぐ、國分さんにお話を伺いました。 ■バレーボールと今の仕事への出会い バレーボールとの出会いは、小学5年生の頃に体育の先生に誘われたことがきっかけでした。中学校に進んでも、バレーボール部があったので活動を続けました。中学2年生の時のミュンヘンオリンピックで、男子チームが優勝したときは興奮しましたね。大学時代も選手としてプレーしたり、高校でコーチをやったりして、ずっとバレーとの関わりを持ち続けました。その後、大学時代のゼミの影響でANAへ入社した後も、配属となった羽田空港には全国大会に出るレベルのバレーボール部があったので、所属して、週3回くらいは練習をしていました。途中で監督も経験させていただきましたが、その後、選手としては55歳の時に引退しました。 ■リーグ拡大のため意識したのは「良いことの拡大」 代表理事になってから意識したことは、いかにして57あるチームと、そのチームの所属する3つのリーグをまとめるか、です。世界ランキングでは、男子4位、女子6位とポテンシャルはあるものの、VリーグはJリーグに2周、Bリーグに1周遅れていると言われるぐらい発展途上のリーグです。観客数についても、川合俊一さんたちの頃は4000人~5000人くらいだったものの、現在は2000人ほどと低迷しています。世界最高峰のリーグになるためには、この数字を徐々に引き上げていきたいと考えています。チーム・組織を作るうえで工夫したのは、チームの意思統一・理念の浸透に特に意識を配ることです。チームの意思統一については、「良いところを生かして悪いところには多少目をつむる・試合ごとの目的意識を必ず一致させること」を徹底してチーム作りを行いました。人にはそれぞれ良いところとそうでないところがあり、6人の組織的なスポーツだからこそ、補い合うことで一人ひとりを生かせるのがバレーの良さでもあります。同様に、6人いればチームの中で意思が合致しないこともあります。そこで、試合ごとやシーズンごとなど期間を区切って、みんなの考え方の軸となる目的意識をそろえることで、チーム一丸となって試合に臨むことが可能になるのです。大切なのは、根本的な行動基準になる理念の浸透です。それには、大きく3つのステップがあります。始めに、「共感」してもらうこと。理念を創るときも、共感してもらうことを前提に考え、心から共感してもらえることが必要不可欠です。次に、「理解」してもらうこと。何を意味しているのか、本来の目的は何なのか、どんな背景があるのか。これを理解してもらったうえで、最後のステップ、「自分のアクション」につなげてもらう。この3つによって初めて理念がそれぞれのものに落とし込まれていくのです。このことは会社組織においても同じです。 ■働くことで見えてきた“働く”上で大切なこと 自分の人生について考え決定していく「キャリアパス」について感じたことがあります。キャリアパスは「偶然だ」と言われることも多いのですが、自分で描くのも楽しいし、一方で、与えられたことを突き詰めて100%でやっていくと、「偶然」が「必然」になっていくこともあります。色々なキャリアパスややりたいことがあるかもしれませんが、まずは与えられた仕事、目の前の仕事に一生懸命取り組んでいくこと。それによって開ける道や世界があります。 ■Vリーグを世界最高峰のリーグに育てるのが目標 2030年までに、Vリーグを世界最高峰のリーグにすることが目標です。男子はイタリア・ポーランド、女子はトルコに匹敵するようなレベルに引き上げるのが理想的です。しかし、東北や中国・四国地方には、まだまだリーグ参加クラブがないところも多く、高校や実業団が強い県も、母体企業がないとVリーグクラブができにくいのが実情です。そのため、良い意味で、地域と密着し、クラブ化していくことを視野に入れています。その好例が、岡山シーガールズでしょうか。母体企業はないものの、地域の皆さんに支えられることで、クラブは存続しています。こうして、地域の皆さんに愛され、支えていただけるチームを創りたいと思っています。最近は髙橋藍選手の日本への帰国の効果もあって、バレー熱が一層高まっており、春の高校バレーのチケットも益々取りにくくなってきています。これを契機に、バレーを取り巻く流れが変わってくれるのではないかと感じています。 ■学生へのメッセージ お金と時間を投資して、直接一流に触れる経験をしてみてほしいと思います。特に現代は、スマートフォンやPCといったデバイスで簡単に情報を得ることができますが、あくまでそれはバーチャルな情報です。「リアル」に触れることが大切なのです。例えば、京都には60分5000円で日本の8つくらいの伝統芸能を学ぶことのできるパッケージがあります。美術館や博物館へ行ったり、ファンクラブに入ったりして見ることもその一つです。一流に触れないと一流になることはできません。ぜひ満遍なく色々な分野の、たくさんの一流に「リアル」で触れてみることを強くお勧めします。 高崎経済大学4年 髙橋邑弥 京都芸術大学1年 猪本玲菜 / 上智大学3年 網江ひなた / 武蔵野大学4年 西山流生 /國學院大學2年 寺西詩音 / 高崎経済大学4年 髙橋邑弥

イベント・企業紹介

第三十七期竜王戦七番勝負 第一局前夜祭

第37期竜王戦七番勝負の第1局が5日から東京都渋谷区のセルリアンタワー能楽堂で行われるのを前に、セルリアンタワー東急ホテルで4日、前夜祭が開かれた。前夜祭の様子を取材させていただいた。 ◆読売新聞東京本社 代表取締役社長 村岡彰敏 今年は日本将棋連盟100周年、読売新聞も創刊150周年という節目の年に当たります。連盟100周年の記念式典で羽生善治会長がご挨拶され、「新聞などの活字文化が隆盛する中で将棋連盟もその流れに乗って発展をし、組織として大きく進むことが出来た。」と言及をされました。まさに将棋界と新聞社が手を携えてきた軌跡であります。 今期の七番勝負、藤井竜王は4連覇を懸けた防衛戦、佐々木八段は初のタイトル挑戦です。この二人には因縁があり、デビュー29連勝中だった藤井竜王の連勝を止めたのが佐々木八段でした。日本中の注目を集めたその一局、実はこの竜王戦の決勝トーナメント2回戦でした。あれから7年、ついに両者が将棋界の頂点を懸けて戦います。必ずや歴史に残る七番勝負を繰り広げてくれることでしょう。皆さんと共に期待したいと思います。 ◆日本将棋連盟 会長 羽生善治  この竜王戦というのは棋士、女流棋士、アマチュア棋士、多くの将棋のプロたちが最高峰のタイトル戦を争う棋戦です。この竜王戦は盛り立てるために様々なことをしていただいているのですが、その中の一つとして毎回ポスターを作成しています。今回のポスターのタイトルは「竜王に挑む勇気」。挑戦者の佐々木さんの名前である“勇気”と絶対王者の藤井さんに挑戦する“勇気”をかけたフレーズがすごく良いなと思っています。この最高の舞台でお二人とも勇気を振り絞った素晴らしい勝負を見せていただけるのではないかと期待しております。また、お二人とも『角換わり』という今の将棋の最先端の形を得意とされる棋士です。現代将棋の最先端の新しい手が数多く生み出されるのではないかとも思っています。 ◆渋谷区副区長 松澤香  今回、将棋界の頂点とされる竜王戦の第一局目が渋谷で開催されること、大変意義深く思っています。藤井聡太竜王はこれまで次々と最年少記録を塗り替え、昨年は史上初の八冠制覇を成し遂げられました。今回も4連覇の懸かった竜王位王位戦で、鮮やかな戦いを見せていただけることを楽しみにしております。対する佐々木勇気八段は、過去に藤井聡太竜王の公式戦30連勝を阻止されたことで有名です。今回、初のタイトル戦と伺っておりますが、ぜひ挑んでいただければと思います。そして、将棋連盟が創立100周年を迎え、新しい将棋会館が千駄ヶ谷駅前でお披露目されました。引き続き将棋の歴史を一緒に作っていけることを大変うれしく思っております。 ◆野村ホールディングス株式会社 副会長 寺口智之  将棋連盟創立100周年を迎えた、将棋界の歴史的な節目において最高峰の舞台である竜王戦に関わらせていたいてますことに心から感謝申し上げます。今期は野村ホールディングスもファンの皆様と共に竜王戦を応援する思いから、お二人にファンの方々からの質問に答えていただくインタビュー動画と対局前後に応援メッセージや感想を募集する二つの企画を実施しました。皆様と一緒に竜王戦をさらに盛り上げていきたいと思います。インタビュー動画の中で藤井竜王は印象に残っている対局として、棋士になる前に将棋まつりで佐々木八段と対戦した公開対局に触れられていました。藤井竜王のデビュー前からすでに始まっていたお二人の対戦ですが、いよいよ将棋界の頂点である竜王を懸けた戦いが始まります。どんな名局が繰り広げられるのかワクワクしております。 ◆[挑戦者] 佐々木勇気 八段 挑戦が決まってから本日まであっという間に今日を迎えたなという感じがします。自分自身も少しでも強くなれるように過ごしてきたつもりです。竜王戦は9時に開始、昼食休憩も12時半からということで普段の対局とは違います。9時に盤に向かうようにするなど普段の生活も竜王戦モードにしていました。藤井竜王は、棋譜を見ているだけでは分からない強さ、盤を挟んでみないと分からない強さがあります。出来るだけ終盤まで良い勝負で戦いたいなと思っています。 先ほど見分をしまして能楽堂という神聖な舞台、立派な将棋盤の前に座り気持ちが引き締まりました。藤井竜王と持ち時間8時間、2日制の対局が出来ることを非常にうれしく思っています。明日から最善を尽くしたいと思います。 ◆[保持者] 藤井聡太 竜王 佐々木八段は、特に攻めの鋭さが一番の特徴だと思います。しかし、今期の竜王戦の決勝トーナメントを見ていると攻めの鋭さに加え、受けの手厚さや粘り強さもあり、すごく充実した将棋を指されている印象です。自分自身、竜王戦に向けて特別なことはそれほどしていないのですが、今年の9月は対局が続いた時期もあったので、その中で体調やコンディションを崩さないように意識しながら竜王戦に向けて準備をして過ごしてきました。 セルリアンタワーに来ていよいよ竜王戦が開幕するのだということを実感しています。佐々木八段と持ち時間8時間、2日制の対局をするのは初めてになりますので私自身も緊張感と同時に楽しみな気持ちです。一手一手深く考えて、お互いの読みがぶつかり合うような充実した面白い将棋を指していけるよう全力を尽くしたいと思います。 学生新聞オンライン2024年10月4日取材 東洋大学2年 越山凛乃

学生新聞インターン

R&Bバンド HALLEY

HALLEYのサウンドを、世界中に届けたい 左から(Gt.)登山晴とやまはる 早稲田大学基幹理工学部、(Drs.)清水直人しみずなおと 国際基督教大学教養学部、(key.)西山心にしやましん 早稲田大学教育学部、(Ba.)高橋継たかはしけい早稲田大学国際教養学部、(Vo.)張太賢ちゃんてひょん 上智大学総合グローバル学部 HALLEY(ハレー) ■プロフィール張太賢(チャンテヒョン/Vo.)、登山晴(トヤマハル/Gt.)、西山心(ニシヤマシン/key)、高橋継(タカハシケイ/Ba.)、清水直人(シミズナオト/Drs.)、東京を拠点に活動している5人組R&Bバンド。2021年5月、早稲田大学ブラックミュージックサークル「theNaleio」での出会いをきっかけに結成。Jazz,R&B,Soul,Gospel,Funkなどの影響を強く受け、ポップスでありながらもブラックミュージックの文脈を感じさせる音像が特徴。 現役大学生5人によるR&Bバンド・HALLEY。現在、期待の新星バンドとして、日本のみならず各国から期待されている。そんなHALLEYのメンバー、張太賢さん(Vo.)、登山晴さん(Gt.)、西山心さん(keys)、高橋継さん(Ba.)、清水直人さん(Drs.)に話を伺った。 ■HALLEYを結成するまで、どのように過ごされていたのか? 登山晴:私は、香港で生まれ、中学3年生まで香港で過ごしていました。13歳の時に、父にギターを買ってもらい、音楽に触れるようになりましたね。とても楽しくて、ギターを学ぶために音楽大学に進むことも視野にいれましたが、他とは異なる形で音楽に関わりたいと思い、早稲田大学の表現工学科という学科に興味を持ちました。そして、その学科に入ることを目標に、早稲田大学の附属高校に受験し、入学を機に来日しました。無事に入学できた後は、フォークソング部に入り、音楽に熱中していました。UKロックのカバーやセッションなど様々なジャンルの音楽に触れていたと感じます。 高橋継:父が牧師だった影響もあり、幼少期から教会に通っていました。クリスチャンとして上辺の知識はありましたが、自分のアイデンティティの確立のためにもキリスト教について深く学びたいと思っていました。その後、早稲田大学の国際教養学部に入学し、キリスト教哲学だけではなく、ギリシャやインド思想など様々な哲学を学びました。その中で「自分は自分のままで良い」と思えるようになったように思います。また、教会で過ごすなか、幼少期の頃から、ゴスペルやヒルソングをよく聴いていました。当時の生活は、いまの自分の音楽性にも影響を与えていて、いまでも一番好きな音楽はゴスペルですね。そして、HALLEYメンバーと出会い、活動していく中でも、ブラックミュージックが好きであることを再確認しました。 ■なぜこのメンバーで、“HALLEY”というバンドを結成したのか 張太賢:私たちは、早稲田大学のブラックミュージックサークルである「TheNaleio」の新歓セッション会で出会いました。このサークルには、“セッションでバンドを組むことができないと、入部することができない”という掟があります。私たちは、各々異なる思いや境遇を抱えて、その場にいました。ですが、同学年だったことをはじめ、様々な理由が重なって、現メンバーでセッションを組むことになりました。そして、このときのセッションがきっかけとなって、HALLEYを結成しました。偶然と奇跡が重なって生まれましたが、ある意味運命だったのかなと思いますね。 西山心:音楽の趣味や熱量が似ていたこともバンドを組もうと思った理由の1つだと思います。その共通意識を強く感じたのは、吉祥寺のワープライブですね。サークル内のバンドではありましたは、学外でライブを行いたいとメンバー同士で話していました。ですが、外でライブを行うためには自分達の曲が必要なので、当然、自分達で楽曲を制作しなくてはなりませんでした。音楽制作をしていく中で、全員で自分達の音楽に真摯に向き合っていたと思います。そうした中で、口にはしないものの、自分達の熱量や趣味が似ていることをお互いに実感できたことで、バンドとしてやっていく希望がみえたのかなと思います。 清水直人:バンドを結成した直後、てひょんの留学を理由に私たちの活動は停止することになります。結成したばかりのバンドでボーカルが不在になるというのは、大きな決断が必要でした。しかし、出会って3ヶ月ほどしか経っていませんでしたが、その時にはバンドとしての結束感がすでに生まれていて。“解散”を意識することは全くありませんでしたし、4人になっても音楽活動を止めることはしませんでした。 ■ファーストアルバム『FromDuskTillDawn』への想い 張太賢:私が留学に行ってから一年後、活動を再開しました。再びメンバー全員で集まってからはとてもスピード感があり、一夏で5.6曲を制作するほどの速さでしたね。留学前に作った曲を含めて、自分達の音楽を世に残したいという思いから、アルバム制作を決意しました。 清水直人:アルバム制作にあたって、試練がたくさんありました。全く経験のなかった私たちにとって、作った曲を音源化することがとても大変でした。ただ、1年以上の間、メンバー全員で音楽に向き合い、自分達の理想を追求し続ける過程の中で、自分達自身もとても成長したと感じます。 登山晴:『FromDuskTillDawn』は、私達にとって初めてのアルバムです。有名なバンドは1作目がよい場合が多いと感じるので、このときは「ヒットするアルバム」を作るよりも、「HALLEYを好きな人たちが聴いた時に、“良い“と感じてもらえるようなアルバム」を作りたいと感じていました。振り返ってみると大変なこともありましたが、私たちHALLEYにとって、”原点“となるような良いアルバムをつくることができたと思っています。 ■“バンド”という形態で音楽をすることの魅力とは 高橋継:HALLEYで活動をし始めて、自分のやりたいことが変化したように感じています。以前までは、スタジオミュージシャンとして、アーティストのサポートを行いたいと思っていました。ですが、活動していく中で、自分達が思う良い音楽を追求したいと思うようになりました。自分の理想を突き詰める楽しさに気付いたことが、理由なのかもしれません。そういった意味でも、バンドという形態は、自分の理想の音楽を追求しやすい環境なので、自分に合っていると感じています。メンバーと音楽をする中で、大変なことやうまくいかないことももちろんありますが、それを超える楽しさや達成感があると強く確信しています。 ■今後の展望 清水直人:各々異なったルーツをもつメンバーが集まって生まれた多国籍バンドであるからこそ、日本にとどまらず、アジア中にHALLEYのサウンドを響かせたいです。日本で生まれたバンドではありますが、ターゲットは日本だけではないと思っています。テキサスで行われた『2024SXSWMusicFestival』に参加したように、いろいろな場所で“HALLEY”という名を馳せていきたいです。 高橋継:また、11月末から東名阪でワンマンツアーを行うことが決定しています。新曲2曲も演奏する予定ですので、ぜひ楽しみにしていてください。 ■大学生へのメッセージ 西山心:大学生という期間には、たくさんのことを経験できる機会があると思います。その機会を大切に自分の好きなことを見つけてみてください。 清水直人:大学は可能性を広げる場所であるはずなのに、自分の可能性を狭めてしまっている学生が多くいると思います。大学という場所だからこそできる人との出会いや体験を大切に、自分が持つ可能性を広げていってほしいですね。 高橋継:大学生という間には、自分の可能性やパーソナリティーを考えながら、自分の人生についての決断をする場面があると思います。そういう場面で合っても、やり残しがないと言い切ることができるくらい、後悔しない選択をしてほしいです。 登山晴:大学は勉強するだけの場所ではないと思います。バンドの活動をする中で、「好きなことをやっていていいね」と言われることがあるのですが、私自身は、その言葉に違和感を抱いています。大学生の中には、好きなことややりたいことが見つかっていない人も多くいると思います。ですが、きっと“楽しい”と感じることは誰しもが持っていると思います。大学は、その楽しいと感じることを沢山体験できる場所であってほしいですね。 張太賢:やりたいけれど、難しいと感じることに対して、積極的に挑戦してほしいと思っています。自分自身をかっこいいと思えることや幸せを感じることができることに挑戦してほしい。自分を誇れるように。何事にも手を抜かず、頑張ってほしいと思っています。 学生新聞オンライン(学生新聞2024年10月1日号 すごい!大学生)国際基督教大学2年 渡邊和花 ■リリース情報2ヶ月連続デジタルシングルのリリースが決定第一弾は10/2に「Chicken Crisp」リリース HALLEY 『Chiken Crisp』Release Date:2024.10.02 (Wed.)Tracklist:1. Chiken Crisp ■ツアー情報 2度目となる国内ツアー開催決定!大阪、名古屋、東京の3箇所。ツアーファイナルは東京 Shibuya WWWにて! HALLEY 2nd One-Man Tour 「CUVICLE」日時:11月23日(土)会場:大阪・Pangea時間:OPEN 17:00 / START 17:30 日時:11月24日(日)会場:名古屋・Live&Lounge Vio時間:OPEN 17:00 / START 17:30 日時:12月5日(木)会場:東京・渋谷WWW時間:OPEN 18:15 /...

学生新聞インターン

松坂桃李 過去にとらわれ過ぎず、常に〝ネクストワン〞

俳優 松坂桃李(まつざか とおり) ■プロフィール2008年、男性ファッション誌『FINEBOYS』の専属モデルオーディションでグランプリを獲得し、モデルとしてデビュー。2009年10月、テレビ朝日系特撮『侍戦隊シンケンジャー』で俳優デビュー。2018年『孤狼の血』シリーズで第42回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞をはじめ、各映画賞を受賞。現在、映画『スオミの話をしよう』が公開中。来年1月24日に時代劇映画『雪の花-ともに在りて-』の公開を控えている。 デビュー以来、話題作に出演し続けている松坂桃李さん。さわやかな見た目や謙虚な姿勢とは裏腹に、主要映画賞を数々受賞されているその演技力と存在感は、見るものを圧倒させる迫力がある。そんな松坂さんに、俳優になろうとしたきっかけや仕事に対する向き合い方、大切にしている考え方や日々心掛けていることなど、真摯にお話いただいた。 ■芝居を続ける覚悟を決めた大学時代 学生時代、将来の夢やなりたいものはありませんでした。この仕事を始めたきっかけは、大学2年生のときに応募した雑誌、『FINE BOYS』のモデルオーディションです。当時は、ノリや応援してくれた友人たちの勢いに身を任せて行動しただけで、将来のことを深く意識していなかったように思います。運よくグランプリを頂いてモデルデビューしましたが、活動は月2回と少なかったので、正直に言うとアルバイト感覚でした。ところが、グランプリ特典として所属していた事務所に勧められて『侍戦隊シンケンジャー』のオーディションを受けたら、合格してしまったのです。演技経験も知識も一切ない状態で挑んだので、本当に運がよかったなと思います(笑)。 撮影が始まってから大学に通う頻度が減ってしまい、一旦は休学という形を取りました。俳優業と向き合う中でお芝居の楽しさを知り、この仕事でやっていきたいという決意が固まりました。大学中退を親に伝えたときはかなり反対されましたが、迷いはありませんでした。何か一つのことを長く続けるという覚悟を持ったのは、このときが初めてだったように思います。この撮影は、今では考えられないような叱咤激励をされる厳しい現場でした。自分を奮い立たせたいときには、いつもこの現場を思い返すくらい大切な経験です。もう一つ、この仕事に魅力を感じたきっかけとして印象的な作品が『僕たちは世界を変えることができない。』という映画です。カンボジアで現地の子どもたちと行った撮影は衝撃的でしたし、初の海外ロケということもあって多くのことを学びました。役を演じる中で、世界を知ることができました。この映画への出演を機に、さらに俳優業への期待感が増しました。 ■自分の人生を豊かにするための〝仕事〞 仕事のために生きているのではなく、自分の人生のために仕事があると考えています。最初は仕事に全てを捧げるくらいの気持ちでしたが、今はあえて俯瞰的にとらえるようにしています。いい意味で肩の力が抜けるので、これまで気が付かなかったところにまで目が向いたり、当たり前のことに対しても感謝できるようになりました。俳優業の魅力は、いろいろなことを疑似体験できるところです。どの役を演じていても、自分にもこういう一面があるかもしれないと思うときがあり、役を通して新しい自分を発見することもあります。自分の人生を豊かにするためのものとして仕事を捉えているからこそ、うまく切り替えられている側面もあるのかもしれません。役作りも人それぞれいろんな方法がありますが、僕の場合はとにかく台本を読み込みます。平均100回前後は読むのですが、読むことで台本に書かれていない部分まで見えてきます。想像しながら役を自分の中に落とし込んでいく作業は、結構楽しいです。 仕事で一番楽しいのは、作品が終わった瞬間です。撮影期間中は楽しいことよりもつらいこと、大変なことの方が多いので、完成したときの達成感や充実感は格別です。監督やカメラマンなど関わってくれたすべての人たちと、共に走り抜けられた喜びも大きいです。一度終わった作品は大事な思い出として取っておくので、見返して反省したりすることはあまりないです。自分を見るのがちょっと恥ずかしいというのもあります(笑)。 昔、ある人がチャップリンに次のような質問をしたそうです。「あなたのベストの作品はなんですか」と。すると「ネクストワン」と答えたそうです。自分のベストは常に次。すごくいい言葉ですよね。僕もそう言えるくらい、毎回自分の力を出し切りたいです。過去にとらわれすぎず、次に進んでいくというマインドは自分の中で大切にしている考え方の一つです。 ■自分の出番に向けて力を蓄える 僕は性格的に飽きっぽいところがあるので、毎回少しずつハードルを上げるように心がけています。ハードルを越えていくためにより頑張れるし、長く続けられると思っています。届きそうで届かない小さな目標をいくつも作ることも大切です。今後は脚本を書くことにも挑戦してみたいと思っていて、表現という意味ではどちらも同じだと考えているので、裏方での表現にも興味があります。もともと妄想好きで、雑誌の連載をさせていただいていた経験もあるので、書きたい内容のストックはたくさんあります。実現のために、常にアンテナを張ることを意識しています。 俳優としては、ジャンルを問わずに出られるようになりたいです。どんな役でも呼んでもらえれば経験にも学びにもなります。そのためには、今頂いている仕事にひたむきに取り組むことが大事です。常に自分のバランスシートの円を満遍なく大きくすることをイメージしています。 学生新聞2024年10月1日号 上智大学3年 池濱百花 映画『スオミの話をしよう』出演:長澤まさみ  西島秀俊 松坂桃李 瀬戸康史 遠藤憲一  小林隆 坂東彌十郎脚本と監督:三谷幸喜2024年9月13日(金)より公開中ⓒ2024「スオミの話をしよう」製作委員会 上智大学3年 吉川みなみ/国際基督教大学2年 渡邊和花/上智大学3年 池濱百花/上智大学3年 白坂日葵 撮影:下田航輔 <中国語記事> 演员 松坂桃李( Matsuzaka Tori) ■简介2008年,在男性时尚杂志『FINEBOYS』的独家模特选秀中获得大奖,从而以模特身份出道。 2009年10月,在朝日电视台的特效电影『侍戦隊シンケンジャー』中首次亮相。 2018年,凭借『孤狼の血』系列获得第42届日本电影学院奖最佳男配角奖等多项电影奖项。电影『スオミの話をしよう』目前正在上映。历史剧电影『雪の花-ともに在りて-』计划于明年1月24日上映。 不要太沉迷于过去,永远成为“下一个” 松坂桃李自出道以来,不断出现在热门作品中。与他清爽的外表和谦逊的态度相反,他斩获无数各大电影奖项的演技和存在感却让观众们折服。我们与松坂先生真诚地谈论了他想成为一名演员的原因、他如何对待他的工作、他所看重的思维方式以及他每天为之奋斗的目标。 ■决定继续演艺事业的大学时光 当我还是一名学生时,我对未来没有任何梦想,也没有我想成为什么。我是在大学二年级的时候申请『FINE BOYS』杂志的模特试镜时开始这份工作的。那时我只是随波逐流,跟随支持我的朋友的势头,我认为我对未来并没有深刻的认识。我很幸运赢得了大奖赛,以模特身份出道,但说实话,我每个月只工作两次,所以说实话,感觉更像是一份兼职。然而,作为大奖赛的奖励,在我工作的经纪公司的鼓励下,我参加了『侍戦隊シンケンジャー』的试镜,并被录取了。我在没有任何表演经验和知识的情况下接受了挑战,所以我认为我真的很幸运(笑)。 拍戏之后,我上大学的次数就开始少了,甚至还休了一段时间。当我面对演艺圈时,我体会到了演戏的乐趣,也更加坚定了我追求演艺事业的决心。当我告诉父母我想从大学退学时,遭到了很多人的反对,但我没有犹豫。我想这是我第一次下定决心要长期继续做某件事。这次拍摄很艰难,受到了很多今天难以想象的鼓励和鼓励。这是一次非常重要的经历,每当我想激励自己时,我总是会想起这个网站。另一件令我着迷的令人印象深刻的作品是『僕たちは世界を変えることができない。』。这是一部电影,名叫。我们在柬埔寨和当地孩子们的拍摄很震撼,而且由于这是我们第一次在海外拍摄,所以我们学到了很多东西。我能够在扮演角色的同时了解这个世界。出演这部电影后,我对自己的演艺事业更加期待了。 ■ “工作”丰富你的生活 我不是为了工作而活,我相信工作就是为了我的生活。起初我只是把一切都投入到工作中,但现在我尝试从更广阔的角度来看待它。从一个好的方面来说,它减轻了我肩上的负担,所以我能够专注于我以前没有注意到的事情,而且我现在甚至能够欣赏那些显而易见的事情。表演的魅力就在于你可以经历很多不同的事情。不管演什么角色,有时候我会觉得自己可能也有自己的这一面,有时候也会通过角色发现自己新的一面。也许是因为我认为工作可以丰富我的生活,所以我能够如此成功地实现这一转变。准备角色的方法有很多种,但对我来说,我只是看剧本。我平均读了大约100遍,通过阅读,我可以看到剧本中没有写到的东西。想象这个角色并把它代入自己身上是很有趣的。 我工作中最愉快的部分是工作完成的那一刻。拍摄期间,艰巨的任务多于乐趣,因此项目完成时的成就感和成就感非比寻常。我很高兴能够和包括导演和摄影师在内的所有参与者一起完成这个项目。一旦我完成了一件作品,我就把它保存为珍贵的记忆,所以我不会经常回顾它并反思它。我自己也有点不好意思看自己(笑)。 很久以前,有人问卓别林这样的问题: “你最好的作品是什么?”然后他回答:“下一个。”我最好的永远是下一个。这真是一个好词。我可以说同样的话,我每次都想尽力而为。不沉迷于过去并继续做下一件事的心态是我看重的想法之一。 ■ 为你的回合积累力量 我很容易感到无聊,所以我每次都会尝试提高一点标准。我想我可以更加努力地克服障碍并长期持续下去。制定一些你认为会实现但实际上无法实现的小目标也很重要。以后我想尝试写剧本,我相信两者在表达上是一样的,所以我对幕后的表达也很感兴趣。我一直是一个白日梦者,而且我有为杂志写连载的经验,所以我库存了很多我想写的内容。为了使这成为现实,我总是有意识地保持我的天线。 作为一名演员,我希望能够出演任何类型的作品。如果你被要求扮演任何角色,那将是一次很棒的经历和学习经历。为了实现这一目标,一心一意地完成当前分配的工作非常重要。我总是想象着均匀地扩大我的资产负债表上的圆圈。 翻訳担当:中山美緒

イベント・企業紹介

2024 アース・モンダミンカップ プロアマトーナメント

アース製薬株式会社主催「アース・モンダミンカップ2024」がカメリアヒルズカントリークラブ(千葉県袖ケ浦市大竹265)にて開催された。予選・決勝前のプロアマトーナメントにて、選手の皆様にゴルフを始めたきっかけや魅力についてお話を伺った。 ■概要大会名称:アース・モンダミンカップ主催:アース製薬株式会社公認:一般社団法人日本女子プロゴルフ協会開催日程:2024年6月20日~6月24日開催コース:カメリアヒルズカントリークラブ(千葉県袖ケ浦市大竹265)賞金:【賞金総額】3億円 【優勝賞金】5,400万円 4位 藤田 さいき(Saiki Fujita) ※賞金 18,000,000円 13歳でゴルフを始めましたが、子供の頃はあまり楽しめていませんでした。しかし、予選会でゴルフに一生懸命向き合っている自分を感じて、私はゴルフが好きなんだと気がつきました。今は楽しいという気持ちの方が大きいです。ゴルフの醍醐味は、上手くいかないところですね。スポーツが得意な人でもゴルフは上手くできなかったりするんですよ。自分の思い通りにいかないところが面白いと思います。夢を持つことはとても素敵なことだと思うので、大学生の皆さんには諦めないで努力をして夢をつかんでほしいです。(国際基督教大学2年 丸山実友) 7位タイ 尾関 彩美悠(Amiyu Ozeki) ※賞金 9,000,000円 父と祖父の影響で、6歳頃にゴルフを始めました。プロテストを控えた高校生の頃にはテレビで試合をよく観戦していて、プロへの意識が高まっていきました。人と関わることが多いところがゴルフの魅力だと思います。成績が悪くて落ち込んでいるときに励ましの言葉をいただくと、日常生活では感じられないようなありがたさを感じます。夢に向かって迷いや苦労もあると思いますが、自分の信念を持っていれば大丈夫です。一生懸命頑張ってください。私も頑張ります!(国際基督教大学2年 新田芽依) 10位タイ 木村 彩子(Ayako Kimura) ※賞金 4,277,142円 父がゴルフを元々やっていて、当時の父のコーチにいただいたチケットで伊藤園レディースを観戦したことがきっかけでゴルフに興味を持ちました。ゴルフの競技というよりも、宮里藍さんがサインをしている姿に憧れ、私もサインを書いてみたいなと思いました。ゴルフの一番の楽しさは、男女問わず若い方からご年配の方までみんなで楽しめるスポーツだという点です。自分の得意なことや好きなことを突き詰めて、将来本当にやりたい職業に就けるように頑張ってほしいです。(国際基督教大学2年 新田芽依) 17位タイ 大里 桃子(Momoko Osato) ※賞金 2,490,000円 8歳の頃、父の練習場について行ったのがゴルフを始めたきっかけです。今までで一番辛かった時期は、1年目のプロテストに落ちた時ですね。プロになってからも、ゴルフの楽しさを感じると共に、厳しさや苦しさも感じています。落ち込んだ時には、友達と会ったりしてリラックスすることを心がけています。ゴルフは、年齢層が幅広く、どの世代でも楽しめるところが魅力だと思います。大学生活はとても楽しそうなイメージがありますが、社会に出る前の最後の学生生活、思う存分楽しんでください。(国際基督教大学2年 丸山実友) 23位タイ 桑木 志帆(Shiho Kuwaki) ※賞金 1,920,000円 4歳の頃、父に練習場へ連れていってもらったことがゴルフとの出会いでした。当時は体が小さくてボールを飛ばすのにも苦労しましたが、徐々に飛距離を出せるようになってからはとても楽しかったです。ゴルフを始めた時からプロになりたいと考えていましたが、中学生の時にプロの大会を観戦してからは明確な目標になりましたね。ゴルフの醍醐味はやはり大自然の中でプレーができることだと思います。晴れの日には景色も楽しめるのでそれも魅力の一つですね。大学生の皆さんには、目標や夢に向かって苦しいときも折れずに向かってほしいです。(武蔵野大学4年 西山流生) 23位タイ 佐久間 朱莉(Shuri Sakuma) ※賞金 1,920,000円 ゴルフと出会ったのは3歳の時、父の練習について行ったことがきっかけです。中学の頃からライバルに負けたくないという思いが強くなり、明確にプロを目指すようになりました。プロテストに合格したときは本当に嬉しかったですね。ゴルフは幅広い年代の人たちとプレーできることに加えて、思いがけず上手くいく「偶発的な体験」が出来ることも魅力の一つです。ぜひ大学生の皆さんにも興味を持っていただけたら、嬉しいです。(武蔵野大学4年 西山流生) 38位タイ 川﨑 春花(Haruka Kawasaki) ※賞金 1,440,000円 元々父と姉がゴルフをしていて、その影響で練習場について行くことがあり自然と始めました。ゴルフ部がある高校に進学したことから環境に影響されてプロになりたいと思いました。自分の思ったようなプレーがなかなか出来ない時、気持ちがいいショットが打てたり、いいパッティングが入ったりすると嬉しくて楽しいなと感じます。夢に向かっていく中で辛いこともあると思いますが、きっとその先に楽しいことやいろいろな経験が待っていますから、頑張ってほしいですね。(国際基督教大学2年 新田芽依) 54位タイ 金澤 志奈(Shina Kanazawa) ※賞金 1,005,000円 父の勧めで8歳の時にゴルフを始めました。試合に出場するようになったのは10歳で、この頃からゴルフが楽しいと感じるようになりました。毎日の練習は辛かったですが、試合で結果が出ると嬉しい気持ちになりました。辛いことはいっぱいありますが、練習した分は必ず結果で返ってきます。試合で結果が出ると楽しくて、毎回新鮮な気持ちで向上心をもってプレーできる点が魅力だと思います。たくさん友達を作って大学生活を楽しんでください。(国際基督教大学2年 新田芽依) 54位タイ 吉本 ひかる(Hikaru Yoshimoto) ※賞金 1,005,000円 両親の勧めで、9歳の頃、姉とともにゴルフを始めました。初めてゴルフをした時は、難しいと同時に楽しいなと感じましたね。始めた頃からプロを目指していましたが、本気でその夢を叶えたいと思ったのは、中学3年生の時に初めてプロの大会に出たことがきっかけです。ゴルフの魅力は、若い人からお年寄りまで楽しめるところですね。若いうちにしかできないことはたくさんあるので、大学生の皆さんには、悔いのないようにやりたいと思ったことは全て挑戦してほしいです。(国際基督教大学2年 丸山実友) 60位タイ 葭葉 ルミ(Rumi Yoshiba) ※賞金 870,000円 ゴルフ好きの両親の勧めで10歳の時に始めました。ゴルフをやめたくなる瞬間もありましたが、結果を出した時の両親の喜ぶ姿を見ると嬉しくて、プロになった今でも楽しく続けることができています。ゴルフではプレーを通じて十人十色の方々と交流することができるので、人間関係の構築という面でも非常に魅力的ですね。大学生の皆さんには「なにかに興味を持つこと」を忘れずに、ゴルフを含めた様々なことに楽しみながらチャレンジしてほしいですね。(武蔵野大学4年 西山流生) 70位 菅沼 菜々(Nana Suganuma) ※賞金 600,000円 ゴルフを始めたのは5歳の時、 練習をする父の姿に興味をもったことがきっかけです。小学生なってから練習が本格的になり、ゴルフをやめたくなることもありました。しかしプロ選手の活躍と練習で徐々に芽生えたプロへの憧れを糧にここまで続けることができました。ゴルフは緑豊かな自然の中でプレーできることがまず醍醐味です。その中でもいろんな世代の方々と一緒に楽しめることが一番の魅力ですね。ゴルフを知っていると社会人になった時に役に立つことがあると思います。自然の中でプレーできる貴重なスポーツです。この機会に大学生の皆さんもゴルフを始めてみてください。(武蔵野大学4年 西山流生) 71位タイ 高木 萌衣(Mei Takagi) ※賞金 510,000円 8歳の頃、父と一緒にゴルフの練習を始めたのがゴルファーとしての始まりです。全国大会へ出場するうちにどんどんゴルフが好きになり、中学生の頃には将来はプロとして活躍することを決心していました。プロになってからは全国の大会に遠征することが非常に楽しくて、いろんな世代の人と一緒にプレーできることもゴルフの楽しさの一つだと改めて感じています。ゴルフは最初ウェアやクラブを揃えたりと趣味で始めるにはハードルが高いかもしれませんが、打ちっぱなしなど気軽に体験できる場所もあるので、大学生の皆さんにも挑戦してほしいですね。(武蔵野大学4年 西山流生)...

企業に聞く

防衛省 統合幕僚学校 国際平和協力センター長・一等陸佐 渡邉邦嘉

国連PKOなど世界で活躍する自衛官を育成 防衛省 統合幕僚学校 国際平和協力センター長・一等陸佐 渡邉邦嘉(わたなべくによし) ■プロフィール平成23年4月、陸上幕僚監部教育訓練部(市ヶ谷)に配属。米国中央軍司令部派遣連絡官(米国・フロリダ州)や国連代表部防衛駐在官(米国・ニューヨーク)、陸上総隊司令部、第4特科群長兼上富良野駐屯地司令(上富良野)などを経て令和6年3月より現職。 ■防衛省・国際平和協力センター自衛隊は国防だけではなく、国際平和協力という重要な役割を担っている。その中心となるのが国際平和協力センターだ。ここでは調査研究の他に、国連PKOなど世界で活躍する自衛官を育成している。 ■どのようなお仕事ですか 自衛隊が任務として行う国際平和協力活動には、国連平和維持活動(国連PKO)への協力をはじめとする国際平和協力業務、海外の大規模な災害に対応する国際緊急援助活動、国際平和共同対処事態に際しての協力支援活動などがあります。国際平和協力センターの役割は、国際平和協力活動に従事する防衛省職員や諸外国軍人に対する教育と、国際平和協力に関する調査研究を行うことです。教育では基礎、中級、上級の3つの課程があり、自衛隊員や関係省庁職員の他、世界各国から留学生も参加し、PKOなどの実践的な内容を学んでいきます。 ■仕事のやりがいは何ですか ニューヨークの国連代表部で働いていたときや国際会議に出席したときは、「自分は日本の代表だ」と思っていました。日本代表を務めるのはとても名誉なことであり、自分自身をしっかりと律しなければいけません。自衛官として体力や能力を最大限に発揮して、国際平和協力の現場で貢献できたときの達成感は大きなやりがいです。国際平和協力センターでは、学生や将来的に海外勤務をする人に、私の今までのキャリアや経験を教えることができるのもやりがいの一つです。私が国連代表部でPKOを担当していたときに「もっと知っていればよかった」と実感した、ナショナル・ストラテジックな視点での議論や意思決定について伝えています。原稿準備やスピーチ、最新の情報の把握、多岐にわたるマネジメントなど苦労も多い仕事ですが、それだけに魅力も大きいです。 ■異文化理解で大切なことは 国際平和協力の仕事には、文化や習慣の異なるさまざまな国や地域の人々とのコミュニケーションが不可欠です。自分の思いを言語化して日本語の他、英語やフランス語といった外国語で正確に発信することが求められます。海外の人と仕事をすると、「自分の当たり前が当たり前じゃない」ということがよくわかります。たとえば、会議の開始時刻になっても出席者が集まらないことなどよくあります。そんなとき、「それぞれ忙しい中で会議に出席するのだから、絶対に開始時刻に間に合わなければならないということもないのだな」と理解します。相手を非難するのではなく、違いを認め、柔軟に対応することが大切です。また、それとともにさまざまな意見や情報に振り回されず、自分の軸をしっかりと持つことも大切です。私の軸は「日本のため、国民のため、国際平和・安全のため」です。この軸があれば、誰が何を言ってもぶれずにいられます。 ■大学生へのメッセージ 自衛隊では国際的な仕事を含め、さまざまな経験ができます。日本代表として国際平和に貢献できることは、大変光栄なことでもあります。自衛官を目指す人には「自分の得意なことを活かせる仕事や部署がきっと見つかるはずです」と伝えたいです。最後に、国際平和協力の未来に向けて大切なのは、「視野を広く持つこと」です。日本のメディアではあまり話題になっていなくても世界を見渡せば大変なことになっている地域がたくさんあります。ニューヨークの国連代表部での勤務が終わって日本に帰ってきてから、そのようなギャップを感じたことがありました。「あ、世界ではこんなことが起きているんだな」と視野を広げていったら、それぞれの共通項や違いが見つかって、新しい気付きや発見につながるのではないかと思います。 学生新聞2024年10月1日発刊号 早稲田大学4年 西村夏 法政大学4年 鈴木悠介/早稲田大学4年 西村夏/東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 網江ひなた/國學院大學2年 寺西詩音/N高等学校2年 石川輝

学生新聞インターン

クリエイティブディレクター 佐藤可士和

自分を俯瞰的に見ることが必要 クリエイティブディレクター 佐藤可士和(さとうかしわ) ■プロフィール日本を代表するクリエイター。物流の新しいあり方を提示した「ALFALINK相模原」は、INDUSTRIAL DESIGNERSSOCIETY OF AMERICA 2024 Environments部門 GOLD、ドイツの建築賞 ICONIC AWARDS 2023 BEST OF BEST 受賞など国内外で注目を集めている。 日本を代表するクリエイターでありデザイナーの佐藤可士和さん。企業ブランディング、ロゴデザイン、空間デザインなど多岐にわたるプロジェクトを手掛けている。その独創的なアプローチとデザイン力は、どのような発想から生まれてくるのか。仕事に取り組む姿勢などを伺った。 ■クリエイターになろうと思った理由を教えてください あらゆる物を絵を描くように表現する。これは大学時代での大きな学びです。学生のときはバンド活動に力を入れており、1年生からパンクバンドを組んでいました。自ら作曲してバンドをプロデュースし、学園祭やライブハウスで演奏するなど音楽を楽しんでいました。もちろん作品制作では絵を描いたりもしていましたが、音楽に一番力を入れていたと思います。当初、音楽は好きだというだけで始めましたが、すぐにオリジナルの創作に挑戦したいという気持ちが強くなりました。また、大学2年のときに、音楽の作曲プロセスが絵画の制作と似ていることに気がつきました。テーマを設定し、ビジュアルを作っていくのと同じように、音楽もストーリーをデザインしながら作り上げていく。このとき、「僕は何でも作れる」という感覚が突然訪れ、自己表現の無限の可能性を感じました。そして、空間デザインや映像など、さまざまな分野において根底にあるのは絵を描くように考えるということだと気付いたのです。 ■独立するきっかけを教えてください 大学卒業後、広告業界に興味を持つようになり、博報堂に入社します。入社後、すぐに自分の視野の狭さに気付きました。今まで見ていたのはクリエイティブ領域だけで、広告のビジネス的な側面や経営面での位置付けなどの認識が足りなかったのです。僕はこれまで見てきた世界の狭さを感じたことにより、広告制作におけるマーケティングや経営について学ぶことが面白くなりました。今でも「自分の見ている世界は狭い」という感覚は忘れずに大切にしています。また、一方では仕事を続けていく中で、会社や広告業界では、自分が独自に考えている時代に沿った形の新しい取り組みができずにいました。それは世の中が広告からデザインへと動くと感じていた僕は、「これからはデザインが社会を動かす原動力となる」と確信し、独立を決意しました。 ■クリエイティブさを磨く方法を教えてください 博報堂の若手時代は、自分の中からアイディアやデザインを生み出していくものだと思い、ずっと悩んでいました。しかし、自分のやりたいもののアイディアを出すのではなく、相手からアイディアを引き出すことの大切さに気が付きます。クリエイティブディレクターとして最も大切にしているのは、クライアントとのコミュニケーションです。クライアントの要望を引き出し、それを具体的にデザインすることが重要です。クライアントのいいところを引き出して社会に紹介する、とてもポジティブな仕事です。クリエイティブなプロセスを通じて、クライアントやユーザーが喜んでくれることが何よりも嬉しいですね。また、僕は日常生活の中でも周りの出来事や社会の動きに対して敏感に反応するように心がけています。その気づきを得るために、自分を俯瞰的に見ることが大切です。たとえば、話題となっているニュースを見て、なぜ自分はそう思うのか、なぜ人々がそのように反応しているのかを客観的に分析します。これによって時代の流れや社会の価値観をキャッチし、クリエイティブに活かすように心掛けています。 学生新聞2024年10月1日号 法政大学4年 島田大輝/日本大学4年 鈴木準希

学生新聞インターン

YouTubeクリエイター くれいじーまぐねっと

夢を叶えるためには継続が大切 YouTubeクリエイター くれいじーまぐねっと  エア / UraN(うらん) /  浅見めい(あさみ) ■プロフィール2018年結成。Z世代に大人気の「死ぬまで青春」をスローガンに掲げる「期限切れJK3人組クリエイター」。YouTube動画総再生回数は10億回に達する。2021年10月には登録者数100万人を突破し、さらに現在、208万人を突破して人気は加速中! YouTubeチャンネル登録者数200万人を超える若者に大人気の「くれいじーまぐねっと」。現在はYouTubeクリエイターとしてだけでなく、「女性からだ推進大使」として女性クリエイターだからこそ伝えられる女性の悩みについて、専門家と一緒に情報発信するなど精力的に活動する3人のお話を伺った。 ■YouTubeを始めるきっかけを教えてください UraN:エアがYouTubeをやろうと誘ってくれたのですが、マネージャーが2人でやるより、めいを入れた3人でやったほうが面白いんじゃないと提案してくれて、3人での活動が始まりました。3人とも同じ時期に事務所に入っているから同期ですね。 エア:こんなに長く続くとは思ってもいなかったです。数字が出なかったら辞めていたと思います。 UraN:一つの企画がバズって、登録者数が目標以上の13万人までいったのですが、結成して半年くらいまでは服装も決まらず、さまよっていました。結局、めいが学生だったこともあって制服でやっていくことになりました。 浅見:私は校章にワッペンをつけてやっていました。 UraN:視聴者からは、仲が良いのになんで制服違うんだろうと興味を持ってもらえるといいなと思っていました。 ■クリエイターとして意識していることは エア:YouTubeは普通ではできないようなことができるので魅力を感じています。 UraN:反応が早く、数字で見えたりするのも良いですね。きちんと伝わっているかがコメントでも分かるので、やる気につながります。視聴者の中には、私たちの動画を見ながらご飯を食べている子もいたりして、生活の中に入れていると思うと嬉しいです。 浅見:動画の長さは30分ほどですが、素材は1時間半くらいあります。カット割りに3時間とか2日間ほどかけます。1週間あれば余裕で編集が終わるかなという感じですね。自分たちのプライベートをありのまま届けているので、初めて見た人がわからないことは補足を入れるようにしているので、いろいろな場所で「※」印が出てきています。 UraN:コロナ禍がきっかけで事務所と相談して一緒に住むようになり、登録者数が80万人くらいに伸びました。今はやりたいことをしながら、パターンや人の組み合わせを変えたりしてたくさん動画を作っています。 ■「女性からだ推進大使」についてお聞かせください UraN:「女性からだ推進大使」に就任して、女性のヘルスケアのイベントに出たり、私たちが婦人科へ行っているところを撮ったり、みんなが悩んでいることを代表して先生に聞いたりしています。先生からのアドバイスをわかりやすく発信することも私たちの役目なので、勉強しながら発信しています。いずれは学校の保険の授業に使ってほしいなと思っているので、分かりやすいようにカリキュラムを動画にしています。 浅見:憶測で話さないようにしたりね。あとは、2024年8月30日から〝JKクリニック〞という思春期女性の婦人科受診をサポートする新プロジェクトを立ち上げたので、皆さんもぜひチェックして自分の健康管理に役立ててほしいです。 エア:私は、セカンドオピニオンは絶対にお願いする!いろんな人の話を聞くことが大切だと感じています。ちょっとおかしいなと思ったら、病院へ行く! UraN:「女性からだ推進大使」は、自分たちがやりたいと思っていて就任できたので、素直に嬉しいです。自分のためにもなるし、自分が守りたいと思う人に、正しい情報を届けられるのが嬉しいですね。 学生新聞2024年10月号 國學院大學2年 寺西詩音 津田塾大学3年 髙橋歌音/京都芸術大学1年 猪本玲菜/國學院大學2年 寺西詩音