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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

女優 アクトレスラー みあ朝子

セーラームーンになりたい!落ちこぼれだった私の挑戦の物語!  女優 アクトレスラー みあ朝子 (みああさこ) ■プロフィール『女優によるプロレス』がコンセプトのプロレスエンターテイメント団体“アクトレスガールズ”Actwres girl‘Zで異次元の存在感を放つ。年齢不詳。キラキラしたものが大好き。 ■学生時代に力を入れていたことは何ですか? 小学生の頃から運動ができず、まわりと上手く馴染めなくて休み時間に校庭の周りをくるくる歩いて、皆が遊んでるのを遠くから見ているような学生でした。そんな私が唯一頑張れたのは大学時代にやっていたラクロスです。最初は軽い気持ちで入部したのですが、練習はとても厳しかったです。朝練もありラクロスに明け暮れていました。でも、同じように練習してもまわりのように上達できず、同学年で私だけ公式戦に出場できなくて何度もやめようと思いました。大学4年生の最後の公式戦は悔しくて涙が止まらないほど絶望しました。でも、周りの人たちが支えてくれたおかげで、最後まで続けることができました。 ■プロレスラーになったきっかけは? 小学生のときからお芝居をしてみたいと思っていたのですが、現実的には難しいだろうと諦めていました。大学卒業後に就職活動をして、食品会社に就職したのですが、お芝居への思いが捨てられず、思い切って仕事を辞めてお芝居の道に進むことを決意しました。その時に、知り合いから「セーラームーンのようなチームを作るプロジェクトがある」と声をかけてもらい、セーラームーンが大好きだった私は「セーラームーンになれるならやります!」とすぐに決断して練習をはじめました。それが女優がプロレスをする「アクトレスガールズ」でした。それまで全くプロレスのことを知らず知らないからこそ飛び込めたのだと思います。 ■プロレスの魅力は何ですか? セーラームーンになりたい一心ではじめましたが、冷静になって思い出したことがあります。それは、私は運動神経が皆無だったのです。同時期に練習をはじめたメンバーがデビューしていく頃、私はまだ基本の受け身もできなくて何度も同じ注意を受けてきました。私のせいでみんなの練習が遅れることや、どんなに頑張っても人並みにもなれないこと、大学時代のトラウマも加わり、抜けることのできないトンネルにいるように、どんどん追い詰められていきました。私はキラキラしたものが大好きで、そんな自分を夢見ているのに、気がつけば真逆の自分になっていました。でも、デビュー後転機が訪れました。中々カードに組まれないなら120%の自分を出そうと無我夢中で悔しさを表現したらその顔が面白いと目が留まり、さらにアクトレスガールズならではの人格を変えるという提案を頂きました。正直いうとそれは自分のやりたい方向性ではなかったですが、思いと裏腹にそのキャラクターは私より遥かに人気者になって、そのおかげで私の試合もどんどん増えました。通常の選手であれば半年でデビューするところ、私は2年程かかっています。成長は遅いし、痛いし、何でやっているんだろう?と思うことも多々ありました。でも、落ちこぼれだった私でも諦めずに頑張り続ければ、今はその痛みを通して、笑ってもらえたり感動を伝えられることが魅力だと思ってます。 ■3月の後楽園ホール大会について教えてください。 次の大きな試合は3月16日の後楽園ホールです。アクトレスガールズは女優やアイドルがプロレスをしている華やかなチームなので、初めての人も絶対に楽しんでもらえると思います。私個人は「必殺技が見てみたい」と言われているので、しっかり技を磨いて勝ちたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 大学時代は、どうしたらいいんだろうと思うようなことがたくさんあると思います。私もセーラームーンになりたいはずが、アクトレスガールズになって、痛かったり辛かったりで悩んだ時期はありました。今もあります。でも、私の人生を明るくしてくれたのは間違いなくアクトレスガールズです。自分が目指していた夢とは違うけどそれ以上の想像していなかった楽しい未来が待っていました。悩むことは辛いことだけではありません。気持ちの持ち方次第でその先に楽しいことがいっぱい待っています。それをどこまでも信じて目の前のことを頑張ってほしいと思います。私もキラキラな挑戦を続けたいと思います。 学生新聞オンライン2024年12月4日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 青山学院大学1年 桑山葵/城西国際大学1年 渡部優理絵

丸山実友

株式会社プランテックス 代表取締役社長 山田耕資

「密閉型植物工場」で新しい食料供給システムを実現する 株式会社プランテックス 代表取締役社長 山田耕資(やまだこうすけ) ■プロフィール2007年に東京大学大学院卒業後、ものづくりの生産工程改革で有名な㈱インクスに勤務。2010年以降、日米計6社のベンチャーの創業に参加。2013年末に、人工光型植物工場と出会う。世界の食と農に革新をもたらす技術だと確信し、創業を決意。エンジニアリングの分野で卓越した実績・スキルを持つメンバーらと共に、新しい産業を興すことを目指して㈱プランテックスを創業。 近年、世界的にも注目されている密閉型の植物工場を開発したPLANTX。創業者、山田耕資氏は「植物工場は未来の農業を担う」と確信し、研究を始めた。そんな山田耕資氏に、植物工場との出会い、今の技術を確立するまでの道のり、今後の目標について伺った。 学生の頃から起業家になりたいという夢をもっていました。そう思うきっかけは、家族に起業をしている人が多かったからです。学生時代は、何をテーマに起業するのかを模索していました。自分の興味を探るために、チャンスがあれば、様々なことに参加していました。起業ができるのか分からない中でも、色々動いて、なるべく起業の可能性が高まるような選択をしてきましたね。 ■植物工場との出会い 大学院卒業後、私の親が創業しているモノづくりの会社に入社しました。モノづくりは、日本の産業の中心となっていたため、昔から興味がありました。当時非常に勢いのある会社だったので、一度中から見ておきたいという気持ちもあって、入社を決めました。その後は、創業に関わる仕事をずっとしてきました。色んな人の会社を立ち上げる手伝いをして、結果的には6社の創業に携わるような経験をしました。そんな中で、植物工場を見学するきっかけがあったのです。最初に見た時、「これが未来の農業を担っていくのだ」と感じました。今でこそ植物工場は知名度も高くなってきましたが、当時はあまり知られていなかったので、初めて見た時はやはりインパクトがありましたね。屋内でできる農業がこれだけ進化しているのだと驚くとともに、将来性の高さを感じたのです。一方で、長年モノづくりに携わってきた中で、植物工場は技術的に未成熟な状態だとも思いました。だからこそ、「ここにモノづくりの技術を入れたらものすごい成果を出せるのではないか」と思ったんです。これは確信をもって感じましたね。 ■食料問題解決のキーテクノロジー「密閉型植物工場」 植物工場を技術的に発展させるために勉強する中で、持続可能な食料を達成することの難しさを感じました。世界的にみて今、食料供給が圧倒的に足りておらず、2050年までに1.7倍の食料が必要になるだろうと言われています。水不足、農地不足、人手不足、気候変動など多くの問題を抱えます。これらを解決するキーテクノロジーは植物工場だろうと考えました。私たちが開発した植物工場は、世界初の密閉型の工場です。従来の植物工場は、閉鎖された屋内での栽培は可能にしますが、栽培室に棚を設置し栽培室全体で環境を制御する方式で、我々はそれをオープンタイプの栽培装置と呼んでいます。オープンタイプの植物工場では植物を育てる環境のコントロールが不十分であり、温度や光、空気の状態にばらつきが出てしまう。そうすると、植物工場のイメージと違うかもしれませんが、実は収穫の安定に課題を抱えておりました。予定通りの収穫ができないのです。植物工場は、農薬を使用せず、菌が少なく洗わずに食べることができたり、日持ちしたりとメリットが多いのですが、うまくいっていない最大の理由が生産の不安定さです。そこで、これらを緻密にコントロールするにはどうすればいいか考えた時に、密閉型にしようと思いついたのです。栽培装置の全体を覆う形で密閉することにより、植物の近くに狭い空間をつくり、その狭い空間の環境をコントロールするという方式です。従来のオープン型と比べて制御性が格段に高く、環境が緻密にコントロールされているので、植物の生長をより安定的に引き出すことが可能になります。作物を安定的に収穫し、供給することができます。 ■辛抱強さの先に今がある 今の技術を確立するまでは多くの苦労がありました。植物や農業についての知識がない状態で創業し、最初の2年間は主に勉強する期間でした。植物工場の技術を上げるためには、植物のことを正確に理解することが何よりも重要だと思ったのです。そして、モノづくりのエキスパートたちが、植物について熱心に勉強して、モノづくり、植物、両方について詳しくなってくれました。そういう人たちが中心になってくれたからこそ、今の私たちの植物工場がありますね。そして、最初の2年は本当に大切な期間だったと強く思います。 創業について大切なのは、業界についての知識よりも、なんとしても実現するという想いだと思います。興味をもって、それがうまくいくと確信を持てたら、迷わずに力強く推進方法を考え続けられるような人。そんな人とぜひ共に働きたいですね。今後の目標は、様々な作物の社会実装を成功させることです。今は、世界的に見て黒字を証明し社会実装を進められているのはレタスだけです。でも、植物工場で栽培できる作物はレタスだけではありません。だからこそ、植物工場では色んな作物を作れるということを示して、「これは食料問題の解決に貢献する技術なんだ」ということを、より広く認知してもらいたいです。そして、2030年までの目標として、確立したいのが栽培レシピというビジネスモデルです。栽培レシピとは、植物を育てるための環境条件の組み合わせです。私たちの研究装置と量産装置は共通規格化されており、相互に再現性高く環境条件をコントロールすることができます。。そのため、研究所で開発された植物の栽培レシピを、そのまま量産装置で再現することができます。このシステムを使うことで、研究所で次々に新しい栽培レシピを生み出し、工場は栽培レシピをダウンロードし栽培することで、効率よく社会実装を進めていくことができます。このプラットフォームを確立することで、世界的に植物工場が広がり、食料生産の問題解決に繋がっていくと信じています。 ■大学生へのメッセージ 是非、新しいことにチャレンジしてみてください。新しいことにチャレンジすることはすごく楽しいことでもあります。私自身も自分で始めた今の仕事がとても楽しく、やりがいもあります。一番いいのは、仕事の中で何かやりたいことが出てくることです。せっかくだったら、楽しくてやりがいのある仕事についてほしいなと思います。 学生新聞オンライン2024年11月13日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 国際基督教大学2年 丸山実友 / 城西国際大学1年 渡部優理絵 / プランテックス 代表取締役 山田耕資様 / シニア・マネージャー 建部輝彦 / 東洋大学2年 越山凛乃

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株式会社Looop 代表取締役社長CEO 森田卓巳

“つながり”を意識し、広い視野を持つことが未来をつくる 株式会社Looop 代表取締役社長CEO 森田卓巳(もりた たくみ) ■プロフィールネットベンチャーの中国法人にて、システムエンジニア、プロジェクトマネジャー、総経理(最高執行責任者)などを経て、2012年、Looop入社。太陽光発電所のEPC事業、太陽光、風力発電による発電事業の事業本部長・管掌取締役、電力小売事業、経営戦略、財務戦略部門の管掌取締役を経て、2023年4月より現職。東京学芸大学教育学部卒。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了。 再生可能エネルギーの普及を掲げ、太陽光発電や風力発電、電力小売事業等で挑戦を続けるLooop。電力市場の変動や資源価格の高騰を乗り越え、持続可能な未来の創造に挑む。エネルギーを提供するだけでなく、消費者のニーズを理解し未来世代に向けて重要視する取り組みとは? その魅力と新たな挑戦について、森田卓巳社長に伺った。 学生時代、私は他の学生と同じように、お金を稼ぐことに強い興味がありました。居酒屋やリゾートバイトなど、様々なアルバイトを経験する中で、「効率よく稼ぐにはどうすればよいか」と考えるようになりました。その結果、当時報酬が良かったプログラミングやIT関連の仕事に目を向けることとなりました。友人からの紹介や、「初心者歓迎」といった条件のアルバイトに応募し、Webアプリケーションの開発を行う会社に入ることができました。驚いたことに、その会社は社長や営業職以外のほとんどが学生で構成されていたのです。そこで、私は大学3年生のときからプログラミングのアルバイトを始め、技術を学びながら収益を上げる方法を模索していました。そんな生活の中、就職活動の時期を逃してしまったこともあり、大学院進学を決意します。大学院での時間を活用して新たな経験を積むことができました。その一環で、留学生のチューターを務めたことが、次なる転機を生むきっかけとなりました。中国から来た留学生との交流を通じて、キャリアや人生設計において新しい視点を得ました。「中国に行けば何かが分かるかもしれない」と考えた私は、大学院1年生の時に思い切って中国へ行くことを決めました。 ■上海での経験 ダイナミックな成長とLooopとの出会い 上海に渡った私は、日本の企業でオフショア開発を支援する仕事に関わることになります。当時の中国は経済が急速に成長しており、そのエネルギーとダイナミックな環境に圧倒されました。訪れた当初は2路線しかなかった地下鉄が、数年で20路線以上に増えるなど、目覚ましい発展を目の当たりにしました。しかし、2008年のリーマンショックが発生し、外部環境が大きく変わりました。日本からのオフショア開発の需要が激減し、現地の法人も急速に縮小していきました。最盛期には100人規模だった組織が、わずか数年で20人程度にまで縮小されるなど、経済的な厳しさを肌身で実感することになりました。その後、日本に帰国し、新たな挑戦を求めて動き出したとき、出会ったのがLooopです。創業者である中村とは上海でのフットサル仲間として知り合い、その縁が再び繋がった際、震災をきっかけに設立されたLooopの理念と挑戦に共感し、ここで再スタートを切ることを決めたのです。 ■20兆円規模の市場で、再生可能エネルギーを浸透させたい エネルギー分野のマーケットは非常に大きく、その可能性は無限大です。電力の供給事業だけでも7兆円規模、電気全体では20兆円規模とされており、脱炭素化やAI・デジタル化の進展により、さらなる成長が見込まれています。Looopでは、再生可能エネルギーを効率よく活用するためのサービスを展開しています。市場価格と連動する料金プランを採用することで、再エネが生む電力を無駄にせず、安価で消費者に提供する仕組みを構築しました。例えば、電力が余剰となり捨てられることを防ぐ「スマートタイムONE」というサービスは、再エネを有効活用する画期的な試みの一つです。また、私たちはただエネルギーを提供するだけでなく、消費者のニーズを理解し、多様なサービスを通じて「再エネっていいよね」と感じてもらえるよう努めています。未来世代に向けた教育活動や地域密着型の取り組みも重要視しており、社会全体で再生可能エネルギーを広げていくことを目指しています。 ■大切なのは、自分の役割を把握して働くこと Looopで共に働きたいのは、自分と、自分に関わる会社の役割をきちんと把握し、社会課題の解決に向けて行動できる人です。エネルギー業界は広範囲にわたる課題を抱えており、一つの企業だけで解決するのは難しいのが現実です。そのため、他の企業や団体と協力しながら、自分たちが果たすべき役割を見極める力が必要です。また、単にアイデアを出すだけでなく、それを実行に移し、社会に実装する行動力も求められます。ビジョンに共感し、自分の力を最大限に活かせる人材を歓迎しています。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんには、とにかく行動することの重要性をお伝えしたいです。私自身、学生時代の様々な挑戦や経験が、現在のキャリアの礎となっています。物事のつながりを意識し、広い視野を持って動いてください。例えば、再生可能エネルギーに関しても、現在の取り組みが将来どのような影響を与えるのかを考える必要があります。地理的・時間的なつながりを理解しながら行動することで、将来的な可能性を広げることができます。最後に、多方面で経験を積み、つながりを意識することの大切さを胸に刻みながら、自分の可能性を信じて進んでいってください。 学生新聞オンライン2024年12月13日取材 日本大学4年 鈴木準希 城西国際大学1年 渡部優理絵 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 日本大学4年 鈴木準希

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モデル・タレント・ファッションデザイナー 神田うの

仕事とは「感謝」を生み、新しい世界を見せてくれるもの モデル・タレント・ファッションデザイナー  神田うの(かんだうの) ■プロフィール1975年3月28日生まれ、神奈川県出身。14歳でモデルデビューし、その後、17歳で雑誌『プチセブン』のモデルに起用される。その後はバラエティ番組からドラマ、映画、CMまで幅広く活躍。2001年からはストッキングやウエディングドレス、ジュエリーなどのプロデュースをスタート。2004年には、ウエディングドレスをパリコレに出展。また2021年からコスメ「Peau de Bijou UNO」(ポー・ド・ビジューウノ)のプロデュースを発表し、多岐にわたりプロデュース業を手掛けている。 バレエ、モデル、バラエティタレント、商品プロデュースなど、幅広い活躍を続けてきた神田うのさん。幼少期の体験、モデル業を通じて触れた社会、そして数々の挑戦から得た強さを語ります。大学生へ向けた温かなメッセージも必見です。 ■小さなバレエ少女からのスタート   私は3月28日生まれで、予定日より約3週間早く生まれました。学年内ではいつもみんなよりも頭ひとつ分小さく、学校生活ではお兄さんやお姉さんに囲まれているような気分でした。何もできない私はお友達に「うのちゃん、こうだよ、こうだよ」と手を引いて面倒を見てもらうことが多く、自然と周りに頼るキャラクターになっていました。  親は私にさまざまな習い事をさせてくれましたが、どれもあまりうまくいきませんでしたね。でも、唯一バレエだけは楽しくて真剣に取り組み、トゥシューズを何度も履きつぶすほど練習しました。その結果、親は「この子はバレエをさせておけばいい」と思うようになったと聞いています。  ■モデルとして触れた新しい世界   芸能プロダクションには色々とスカウトされていたのですが、親からは全部「ダメだ」と反対されていました。14歳のとき、モデル事務所にスカウトされた時、ファッションが好きだった私は、このお仕事なら素敵な洋服をたくさん着られると思い、ぜひこの仕事をやりたいなと思ったんです。そして、バレエのトゥシューズは消耗品で費用がかさむため、「トゥシューズ代くらいは自分で稼ぎたい」と親に訴え、なんとかモデルの仕事を始めることができました。そして、この決断が後に私の人生を大きく変えるきっかけになったんです。親は私がすぐにこの仕事に飽きて辞めてしまうと思ったようですが、私はこの仕事がどんどん楽しくなっていきました。当時の私は学校とバレエの世界しか知らず、軽い気持ちでモデルのお仕事を始めたのですが、ここで社会の仕組みを初めて知ることになります。カメラマンやヘアメイク、雑誌ライターなど、それまで存在すら知らなかったたくさんの職業に出会うことができました。バレエを優先しながらモデルの仕事をすることは簡単ではありませんでした。モデルの仕事は土日の撮影が中心なのですが、バレエの舞台やリハーサルとスケジュールが重なることも多かったからです。せっかくオーディションに受かっても、バレエ優先。バレエの先生は「レッスンは休んではいけない」という厳しい先生だったので、やりたい仕事ができなくて、何度も悔しい思いをしました。それでも、モデル活動を通じて新しい世界を知り、多くの出会いに恵まれたことは大きな収穫でした。 ■バラエティタレントとしての葛藤   高校卒業後、今度はバラエティの仕事もやるようになりました。事務所の社長が「この子はバービードールが喋っているみたいで面白いね」と言ってプロデューサーに紹介してくれたおかげで、気に入ってもらい、いきなり番組の司会を務めることになりました。当時は「地方の祖父母は見ていないし、好き勝手に喋っちゃえ」と無邪気に取り組んでいましたが、発言が編集されて誤解を生むことが増え、バッシングを受けることも増えました。一度、社長に「タレントを辞めてモデルに戻りたい」と直談判しましたが、すでに十数本のレギュラー番組が決まっていたため、辞めることはできませんでした。  そこで、「せめてレギュラー番組を一桁にしてください」と交渉すると、社長は十数本あったレギュラーを9本に減らしてくれました。当時の私にとってはこれがギリギリ耐えられるラインで、何とか仕事を続けることができました。バッシングが激しくなった時期、同じ業界の友人たちが「気にするな」と励ましてくれたことも大きな支えになりました。この経験を通じて、社会の厳しさや妥協点を見つける大切さを学んだと思います。  ■プロデューサーとしての挑戦とやりがい   25歳のとき、ストッキングのCMに出演したんですが、私がいつも海外の柄の入ったストッキングやタイツを履いているのを見て、企業からストッキングのデザイン相談を受けたんです。これをきっかけにプロデュース業を始めました。そこで挑戦したのが、ストッキングにスワロフスキーを施すという新しい試みです。耐久性を検証するための実験など大変な作業も伴いましたが、結果的に商品が大ヒットし、多くの企業や顧客から感謝されました。街中でたくさんの女性が自分のデザインしたストッキングやタイツを履いて歩いているのを見たときは、本当に嬉しかったです。モデル業への評価とは違い、自分の感性で商品を生み出し、顧客に喜ばれる体験は、大きな達成感につながりました。すると、今度はランジェリーのデザインやウェディングドレスのデザインの依頼も入ってくるようになったのです。ドレスのデザインはかなり大がかりなもので、ヘッドドレスも作ったりしてとても大変でしたが、花嫁やそのご家族から感謝の手紙を頂くたびに大きなやりがいを感じましたね。この経験を通じて、「仕事は感謝を生むもの」という信念が育まれていったと思います。  ■学生へのメッセージ   学生時代は「守られる中で社会を学べる」特別な時間だと思います。私自身は早くから社会に出たため、大学生活のような時間を経験することはありませんでした。しかし、皆さんが今過ごしている「遊びと学び」を両立させられるこの期間は、多くの経験を積むチャンスです。その出会いや挑戦が、30代、40代になったときに大きな力になるはずです。また、相手の意見を受け入れる柔軟性を持ちながら、自分の意見を伝える力を持つことも重要です。自分の考えを持ちながら他者を尊重できるスキルは、より良い社会を作る基盤となるでしょう。ぜひ失敗を恐れず、多くのことに挑戦してください。それが、未来の自分にとって大きな財産となります。 学生新聞オンライン2024年11月16日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 国際基督教大学 2年 丸山実友 / 城西国際大学 1年 渡部優理絵

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女子プロレスラー メガトン

人との出会いが人生を変える 女子プロレスラー メガトン ■プロフィール『轟もよ子』としてドラマや舞台を中心に活躍後、2025年1月3日『メガトン』としてプロレスデビュー。「印象派レスラー」「癒し系ヒール」として絶大な人気を博すも自力では未勝利。決め台詞は「ガオーッ」 ■学生時代に力を入れていたことは何ですか? 見た目通りヤンチャだったから……と言いたいところだけど、学生時代は人とコミュニケーションをとることに力を入れてたよ。大学ではレポートが大変だったから教授に話しかけてアドバイスをもらったり、高校のときに身に付けた「成績の良い子と仲良くなって勉強を教えてもらう」という技もフル活用してたな。まわりに助けられてレポート書いてたぜ。  ■プロレスラーになったきっかけは? スカウトだ……なワケねーだろ。役者として活動していた時に知り合いから「役者や声優が集まって、プロレスを取り入れたお芝居をする『アクトレスガールズ』がある」と誘ってもらったんだよ。私はプロレスが好きだったから挑戦してみることにした。どんどんのめり込んでいったよ。でもな、その時のプロデューサーだった風香さんがマリーゴールドに移籍したのがダーニングポイントだったよ。私もついていきてくて、人生最大の覚悟を決めてマリーゴールドにきた。 ■苦労したことはなんですか? 圧倒的に練習だよ!プロテスト前に自分たちの動きを確認するためにカメラをまわしていたんだけどな、その練習がきつすぎて気づけば足が動かなくなって泣いちまってたんだよ。でもな、追い込まれた経験が私を強くした。これから極悪の道を突き進むメガトンに弱さはねぇ! ■プロレスの魅力は何ですか? 自由に大暴れできるところだな……つーのは冗談で、舞台は上演が終わった後にお客様が書いてくれるアンケートを読んで感想が分かるけど、プロレスは試合中ずっとお客様の声が聞こえるだろ。熱をずっと感じることができる。特にスリーカウントが決まる瞬間、レフェリーのカウントにあわせて「ワン、ツー、スリー」と一体となって盛り上がるところが最高なんだよ。歓声が嬉しくて「メガトン」と呼ばれると全部に「ガオーッ」って返事しちまうほどだ(笑)。お客様と対話できるのが魅力のひとつ!それからな、今私は毎日が楽しくてしかたねぇんだよ。プロレスには人生をかえる力がある。それだな! ■次の試合での注目ポイントは何ですか? 全部だ!……と言いたいところだけど、2月20日の後楽園ホール大会。誰とやってもガォーのズドーンでつぶすけど、この日はさらにバージョンアップしたものを見せてやるよ。「何をしでかすかわからない」「5カウント以内なら反則負けにならない」プロレスの醍醐味を見せてやるよ。学生は1000円で見れるから会場でメガトンを体感してくれ。 ■今後の目標は? 偉そうに言ってるけど、実はまだ自力勝利したことがねぇんだよ。つーか、デビュー直後は「たまに大人数の試合に出る」って社長から言われてたんだよ。そしたら、いきなりシングル王者の林下詩美とシングルマッチが組まれて、驚きすぎて心臓が飛び出たよ。この試練は社長からのデビュー祝いだと感謝してしっかり結果を残さないとな。燃えてるぜ。だから、まずは自力勝利が目標だ。マリーゴールドには青野未来という選手がいるんだけどな、ソイツは黙っていても存在感があるスター・令和のジャンボ鶴田だ。ヒールとして生きるからにはベビーフェイスのトップを泣かせてこそ一人前だろ?初勝利の相手は青野未来で決まりだ! ■大学生へのメッセージ 大学時代はな、誰もがとにかく色々なことで悩むんだよ、私もそうだった。でもな振り返ってみると、多くは大したことはねぇ。悩むなとは言わない、でも、考えすぎるな。大切なのは多くの人と出会って話をする努力だ。人とのつながりは新しい世界やチャンスを作ってくれる。人に優しく誠実に、笑顔でごまかすんじゃねぇ、笑顔で乗り切れ。今はSNSなどインターネットが主流の時代だからこそ、敢えて直接会って話すことが成長の鍵だぜ。まずは話しやすい同年代から、次は色々なアンテナを張って年齢が少し上の人と話をしてみると視野が広がるかわるかもしれない。年齢を重ねた人は経験も知識もある、考えすぎずに頼ってみるんだ。ガオーッ! 学生新聞オンライン2024年12月4日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵

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独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ) 理事長 石黒憲彦

世界各地を舞台に幅広い事業展開 未来の日本経済のために 独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ) 理事長 石黒憲彦 (いしぐろ のりひこ) ■プロフィール1957年生まれ。1980年に経済産業省(旧・通商産業省)に入省。以来35年間にわたり、通商、産業、エネルギーなどの政策分野に従事。スタートアップ支援、企業再生・産業再生、成長戦略の策定を中心とした産業政策のキャリアの中で、2011年から経済産業政策局長、2013年から2015年にかけて経済産業審議官を担った。2016年から2023年までは、日本電気株式会社(NEC)の執行役員副社長を担い、2023年から現職。 学生時代から世界をまたにかけて仕事をしたいと志し、経済産業省やNECでキャリアを積んだ後、ジェトロの理事長に就任した石黒憲彦氏。世界56カ国に拠点を置くジェトロは対日投資や協業連携、スタートアップの海外展開支援といった幅広い事業を取り組み続けている。自分の子どもや孫の世代に成長する日本経済と繁栄を残していきたいと語る石黒理事長にお話を伺った。 ■学生時代から経済の未来を見据えて 東京大学入学後、漠然とではありますが「世界を股にかけた仕事をしたい」と考えていました。家庭教師のアルバイト、アメフトのクラブチームでの活動、学業に打ち込みながら、当初は銀行や商社、メーカーなどへの就職を考えていました。そんな中で経済産業省に就職を決めた理由は、とても活気を感じたから。同時に、この組織は自分に合っているような気がしたためです。経済産業省で35年間勤めた後、NECで7年のキャリアを積みました。その後、現在のジェトロの理事長に就任しました。経済産業省は政策を企画立案するところですが、ジェトロは現場で任務を遂行していく組織です。公の機関であるため、公の志をもって日本経済に貢献できることが、両者の共通の魅力です。また、仕事をする上で大切にしているのが、自分の子供や孫の世代に成長する日本経済と繁栄を残していきたいという想いです。たとえば、役人時代、予算を確保する際にしても、「長期的に見て、日本の成長につながるはずだ」という確固たる意志と責任感をもって仕事をしてきました。 ■ジェトロでの挑戦とビジョン 現在はジェトロ理事長ですが、1990年代にジェトロの産業調査員としてニューヨークに勤務をしていたことがあります。アメリカの政治経済の動きは世界中に影響を及ぼします。当時は現場の調査員として現地の変化をいち早く日本側にレポートしていました。ニューヨークに限らず、現在ジェトロは世界56カ国に事務所を構えています。グローバルなネットワークを活かし、スタートアップ支援や農林水産物の輸出促進、中小企業の海外進出など、多岐にわたる活動を展開しています。組織運営を担う理事長としては、ジェトロが持つ3つの資産を最大限に活かして日本経済の成長に貢献したいと考えています。3つの資産とは、1つ目に人材です。ジェトロは世界を股にかけていますから語学が堪能な人材が多くいます。2つ目に国内外のネットワークです。国内50カ所、海外76カ所の拠点があるという強みがあります。3つ目は、長い年月を通じて築き上げた信頼、「のれん」を作ってきたという自負があります。これら3つの資産を携えて、ジェトロは4つの柱を基に活動しています。1つ目は対日直接投資や国際協業連携、スタートアップの海外展開支援、高度外国人材の活躍推進等を通じ、イノベーションの創出を支援しています。2つ目は日本の農林水産物・食品輸出を支援しています。3つ目は中堅・中小企業など我が国企業の海外展開を支援しています。4つ目は調査や研究を通じ、我が国企業の活動や通商政策等に貢献しています。また、ジェトロはグローバル時代に即した地域経済に貢献しています。例えば「日本酒を売りたい」といった地方からのニーズがあれば、海外の展示会に出展する機会を設けることで、日本の地方企業と海外を結ぶこともできます。公の機関として企業や地域から感謝され、仕事にやりがいを感じています。 ■日本経済の未来を担うグローバル展開 今後力を入れたいのは、海外のスタートアップやエコシステムとの連携を深め、日本企業の海外展開を支えることです。我が国における人口減少による経済力低下への危機感に対して、海外市場の成長を取り込むことで持続可能な発展を目指していきます。特に、優れた技術を持つ日本のスタートアップを世界に広め、新たなビジネスチャンスを創出することが重要です。ジェトロが掲げたビジョン・ミッション・バリューズ(VMVs)に共感し、コミュニケーション能力を備えた職員とともに、日本経済の成長を次世代に引き継ぎたいと願っています。 ■大学生へのメッセージ 語学力やコミュニケーション能力は重要ですが、最初から完璧である必要はありません。意欲があれば、実際に現地で鍛えながら成長していけると思います。私は環境が変わることを楽しみ、新しい挑戦を喜べる人と一緒に働きたいです。私たちの仕事では、企業の要望を受けて、どの自治体や州政府につなぐべきか、あるいは海外のどの市場を開拓するかなど、多くの場面で人と人をつなぐ役割が求められます。その際には、現地のトレンドを把握し、適切なアプローチを提案することが重要です。場合によってはバイヤーを招待したり、新しい販路を開拓したりと、多様な手法を駆使します。また、日本企業には「もっと高く売れるのに安く売ってしまう」という課題も見られます。私たちは、日本商品の海外での価値を再認識してもらい、ブランド化の支援も行っています。最近では、日本のスタートアップが技術力を武器に世界で活躍しています。特に理系の優秀な学生が、就職せずに起業するケースが増えており、その成長をサポートするアクセラレータやインキュベーターの役割も広がっています。こうしたダイナミックな環境の中、新しい仕事に怯まず挑戦できる姿勢が求められます。世界を舞台に活躍するためにグローバルな感覚を養ってください。ヨーロッパのようなきれいな街並みの国に旅行に行くのもいいですが、新興国にも行ってみてください。現地でしか味わえない、まるで大地が動いているようなエネルギッシュな感覚を味わってほしいです。 学生新聞オンライン2024年11月22日取材 東洋大学2年 小熊美玖 武蔵野大学4年 西山流生 / 立教大学4年 緒方成菜 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 東洋大学2年 小熊美玖 / 国際基督教大学2年 若生真衣 / 立教大学4年 須藤覚斗

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クラスター株式会社 代表取締役CEO 加藤直人 

目標は不老不死? メタバースから見る新たな社会の可能性 クラスター株式会社 代表取締役CEO 加藤直人 (かとうなおと) ■プロフィール京都大学理学部で、宇宙論と量子コンピュータを研究。同大学院を中退後、約3年間のひきこもり生活を過ごす。2015年にVR技術を駆使したスタートアップ「クラスター」を起業。2017年、大規模バーチャルイベントを開催することのできるVRプラットフォーム「cluster」を公開。現在はイベントだけでなく、好きなアバターで友達と集まったりオンラインゲームを投稿して遊ぶことのできるメタバースプラットフォームへと進化している。2018年経済誌『ForbesJAPAN』の「世界を変える30歳未満30人の日本人」に選出。同じく2022年、2023年には「日本の起業家ランキング」のTOP20に2年連続で選出。著書に『メタバース さよならアトムの時代』(集英社/2022年) メタバースの最前線で挑戦を続ける、クラスター株式会社代表取締役CEO 加藤直人さん。子どもの頃から宇宙に憧れを抱き、大学での学びを通して仮想空間技術の世界へ。加藤さんの歩みとビジョンには、テクノロジーが切り拓く新しい社会の姿が見えてきます。 ■大学時代に学んだ組織運営の基礎 僕が京都大学に入学したのは2007年。子どもの頃から憧れていた宇宙に対する探求心を胸に、理学部を選びました。学生時代の前半は学生委員会で組織運営を学び、後半は宇宙と量子コンピューター研究に没頭し、今はメタバースの可能性を探る会社を運営しています。大学生活で最初に力を注いだのは、大学生協の学生委員会での活動です。1年生で入会し、フリーペーパー制作の部署に所属しました。2年生になると、総勢200人規模である学生委員会の代表を任されることになりました。1年次の僕は授業にほとんど出席せず、単位もわずかしか取得していなかったため、代表の誘いを一度は断ったのですが、周囲のメンバーのサポートを受けながら代表としての役割を果たしました。組織をまとめる中で特に学んだのは、運営の仕組みをしっかり整えることの重要性です。組織が大きくなると情熱や勢いだけでは維持できません。適切な仕組みがあれば、卒業などの理由でメンバーが入れ替わっても、問題なく組織が機能し続けます。この経験は、現在のクラスター株式会社の安定した運営基盤づくりに役立っています。 ■研究に没頭し、シミュレーション技術に出会う  学生委員会を引退した後、理学部での研究活動に本格的に力を注ぎました。3年生の頃には宇宙論と量子コンピューターという異なる分野の研究室に所属し、卒業論文を2つ書きました。一見、宇宙論と量子コンピューターは全く別の分野ですが、どちらもコンピューターシミュレーションを活用して現象を再現する点が共通していました。このシミュレーション手法に触れたことが、現在のメタバース事業の土台になっています。現実の物理現象を仮想空間でシミュレートする技術を通して、人がそこにいるように感じられる体験を作り出すことが今の仕事です。学生時代に学んだシミュレーション技術が、バーチャル空間での現実再現に挑む際の強みとなっています。 ■開発への熱意と起業のきっかけ その後、大学院に進学しましたが、学費や生活費を賄うために始めたアプリ開発への関心が高まり、退学することにしました。2012年から2015年は個人でアプリを開発し、スマートフォン市場の成長期の波に乗ることができました。アプリを開発しながら、ゲームエンジンについてのブログを書いていたところ、ベンチャーキャピタルから出資の提案を受け、2015年にクラスター株式会社を設立しました。 ■現在の活動とメタバースで目指す未来 現在、クラスター株式会社は日本発のメタバースプラットフォームとして、多くの企業や自治体に採用され、バーチャル空間でのイベント開催の支援をしています。このように、仮想空間を活用してリアルな体験を提供する中で「仮想空間で現実を生きる」未来を目指しています。僕はこの事業を通じて仮想空間での人々の生活体験を豊かにし、日常に近い形での利用ができる環境を作り出したいと思っています。更に、最終的に挑戦したい目標は「不老不死」です。僕が想像する不老不死には、2つの方法があります。ひとつは、バイオテクノロジーの力で細胞の老化を防ぐこと。もうひとつは、脳とコンピュータをつなぎ、人の意識をデジタル空間に保存することです。人が現実の体を持たずとも意識を永続させることで、寿命に縛られることなく生き続ける未来が実現するかもしれません。現在、京都大学や東京大学の研究者と共同で、このような夢の技術に向けた研究も行っています。 ■大学生へのメッセージ 進路に迷う大学生の皆さんに伝えたいのは「ルールを作る側に立つ面白さ」です。僕は学生時代、数百人規模の組織をまとめたり、新しい技術に挑戦したりしましたが、「ルールを作る」という経験が今も大きな糧となっています。社会に出ると、既存のルールを守るだけでなく、どうすれば新しい価値を生むルールを作り出せるかという視点が求められます。皆さんも自分の手で未来を切り拓き、社会に必要なルールや仕組みを作る力をつけていってください。ルールに従う側から作る側へ、そして社会に影響を与えられる側へ、挑戦を続けてみてください。 学生新聞オンライン2024年11月1日取材 城西国際大学1年  渡部優理絵 東京薬科大学 2年 庄司春菜 / 城西国際大学1年 渡部優理絵 / 東洋大学 2年 越山凛乃

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俳優 鈴木 福

“全盛期は未来にある” 挑戦を続ける20歳の覚悟 俳優 鈴木福 (すずきふく) ■プロフィール東京都出身。TVドラマ「マルモのおきて」(CX)に出演し、同年NHK紅白歌合戦に7歳で出場。主な出演作に、TV「妖怪人間ベム」(NTV)、「コドモ警察」(TBS)、『決算!忠臣蔵』など。近年では、「仮面ライダーギーツ」(EX)、ミュージカル「儚き光のラプソディ」(地球ゴージャス)などに出演。 1歳で芸能界入りし、今年20歳という節目を迎えた鈴木福さん。数々の作品に出演し、その愛らしさと確かな演技力で多くの人々を魅了してきた。映画『野生の島のロズ』では雁のキラリ役で声優出演。学生生活と芸能活動を両立させながら未来を追い求める彼に、その思いを伺った。 学生時代を振り返ると、とにかく「やるべきことはすべて全力でやる」という姿勢を大切にしてきたと思います。小学校の頃から野球が好きで地域の野球チームにも所属していました。ですが仕事で行けない日もあったので悔しい思いをすることも。ただ、芸能活動で得られる貴重な経験はとても大きな財産になっています。友達から「テレビで見たよ」と声をかけられたりすることが僕にとって大きな力になり、日々の励み・原動力になっていました。大変でしたが「やらない」という選択肢は自分の中にはありませんでした。 ■俳優として成長を追い求める日々 これまでの芸能活動の中で、僕の仕事に対するマインドは少しずつ変化してきました。子役時代は「楽しいからやる」というシンプルな思いで仕事に向き合っていましたが、中学2年生のとき、自分は俳優として生きていくと決意し、それを機に、役者としての自覚が芽生え、努力を重ねてきました。仕事に対するモチベーションは、今が最も高いかもしれません。全盛期は常に未来にあると考えているので俳優として一つの作品に関わるたびに、自分の新しい側面を発見できるため、毎回の挑戦が楽しみです。 ■映画『野生の島のロズ』 声優としての挑戦と新たな発見 今回の映画『野生の島のロズ』では、渡り鳥(雁)のキラリを演じさせていただきました。キャラクターの若さや可愛らしさ、そして大人へと成長していく過程を声だけで表現する必要があり、キャラクターの変化や感情を伝えるのはとても難しかったです。俳優としての演技とは異なるので、改めて発声や声の作り方を学び直す貴重な機会となりました。これまでも声優の経験は何度かありましたが、今回の作品を通じてその奥深さを改めて実感しました。キャラクターの可愛らしさや内面の変化を表現する中で、俳優としての自分の幅を広げていただいたと感じています。完成した作品を観たときには、「この素敵な作品に参加できて本当に良かった!」と心から思いました。今回演じたキラリは、親子の絆や自然と人間の共存をテーマにした作品の中で重要な役割を担っていると思うので、このキラリを通じて皆さんに作品の魅力やメッセージを届けることができれば嬉しいです。 ■自分らしさを大切に 子役から俳優に移行する中で、肩書きの重要性を強く意識するようになりました。以前は「子役」として楽しく取り組んでいた仕事ですが、「俳優」として活動するようになると、同世代や先輩俳優との比較や、自分に何ができるのかを考える機会が増えました。中学2年生の時に「俳優として名乗る」と決意してからは、どんな場面でも自分を「俳優・鈴木福」として見てもらえることを目指しています。「子役時代の延長」ではなく、「今の自分が輝く」存在でありたいという思いがあるのでこれからも多くのことに挑戦し、自分の可能性を広げていきたいです。俳優としての今後については、漠然とした目標ながらも、「出ていたら観たいと思ってもらえる俳優になること」を目指しています。それが、どんなジャンルの作品でも皆さんに期待される存在になりたいという思いにつながっています。 ■人とのつながりを大切にする時間 僕は人と一緒にいるのが好きで、仲の良い人たちと話したり、楽しい時間を共有したりすることがエネルギーの源になっています。何気ない日常が、僕にとっては自分自身を整える大切な時間です。映画『野生の島のロズ』で描かれている親子愛や友情、自然と人間の共存といったテーマは、僕自身が大切にしていることと重なる部分がありました。作品を通じて、そういったメッセージが皆さんに伝われば嬉しく思います。動物たちの可愛らしい仕草や、キャラクターの成長物語にも注目してほしいです。 ■大学生へのメッセージ 今回の映画では、周りと違うことに悩むキャラクターたちが描かれていますが、それは僕たち一人ひとりも同じです。他人と違うからこそ、個性が輝くのだと僕は信じています。この映画を通じて、勇気や新しい視点を得ていただけたら嬉しいです。僕自身も現在大学生として、仕事と両立を頑張りながら成長できるよう頑張っています。学生生活では、自分の興味や好きなことに全力で取り組むことが大切だと思います。失敗を恐れずに新しい挑戦を続けることがきっと未来につながります。僕も挑戦を続けていくので、お互いに頑張りましょう! 学生新聞オンライン2024年12月12日取材 津田塾大学2年 石松果林 映画『野生の島のロズ』 2025年2月7日(金)TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー配給: 東宝東和、ギャガ監督・脚本:クリス・サンダース日本語吹替えキャスト:綾瀬はるか(ロズ)、柄本 佑(チャッカリ)、鈴木 福(キラリ)、いとうまい子(ピンクシッポ)、千葉 繁(クビナガ)、種﨑敦美(ヴォントラ)、山本高広(パドラー)、滝 知史(サンダーボルト)、田中美央(ソーン)、濱﨑 司(赤ちゃんキラリ)コピーライト: Ⓒ2024 DREAMWORKS ANIMATION LLC. 城西国際大学1年 渡部優理絵/津田塾大学2年 石松果林/東洋大学2年 越山凛乃

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東日本高速道路株式会社 取締役 兼 常務執行役員 サービスエリア・新事業...

協調と挑戦の姿勢で、より身近で快適な高速道路に 東日本高速道路株式会社 取締役 兼 常務執行役員 サービスエリア・新事業本部長吉見秀夫 (よしみひでお) ■プロフィール1964年生まれ、大阪府出身。1987年に日本道路公団 入社。東日本高速道路㈱ 管理事業本部 営業部長、総務・経理本部 経理財務部長などを経て、2022年に常務執行役員 サービスエリア・新事業本部長に就任。2024年6月から現職。また、同年6月から、SA・PA商業施設の管理運営を行う ㈱ネクスコ東日本エリアトラクト 代表取締役社長も兼任している。 日本の社会インフラを支えているNEXCO東日本。同社のサービスエリアは、単なる高速道路利用者の休憩所にとどまらない。地域を活性化する拠点であり、新規事業の実験場であり、さらには空飛ぶ車の発着拠点としての可能性も秘めている。そんな革新の先頭に立つ吉見秀夫取締役が語る、NEXCO東日本のビジョンと戦略に迫る。 ■競技ダンスに魅せられて 学生時代、私は競技ダンス部に所属し、4年間活動に打ち込みました。競技ダンスとは、男女がペアで背番号を付けて競技会に出場するスポーツです。華やかな競技ですが、実際は厳しい練習と多くの課題を乗り越えなければなりませんでした。特に、団体戦ではメンバー全員が目標に向かって心を一つにする必要があり、個人プレーが目立つとチーム全体が機能しません。そのため、私は部の代表として、後輩たちと向き合いながら、やめたいと悩むメンバーの心をほぐす役割を担うようになりました。その一方で、部活動の費用を補うため、塾のアルバイトをしていました。学生競技ダンス連盟の理事もやりながら、部活の練習に全力を注ぐという多忙な日々を過ごしましたが、この経験を通じて、時間管理やタスクの優先順位を考える力を磨くことができたと思います。また、競技ダンスで培った忍耐力と人間関係を円滑にするスキルは、今の仕事にも大変役に立っています。 ■原点は家族旅行 私がネクスコ東日本に入社を決めた背景には、幼少期の体験が強く影響しています。父はドライブが好きで、休日には家族で車に乗り、いろんな場所へ旅行に連れていってくれました。その中で特に印象に残っているのは、高速道路を走る快適さと、サービスエリアの楽しさでした。父が車を停めるたびに、私はワクワクしながらサービスエリアに降り立ち、売店でお菓子を買ったり、食事を楽しんだりしていました。一方で、当時の高速道路網は未完成で、途中で一般道に降りる必要がありました。くねくねした山道や信号の多い一般道と比べて、高速道路のスムーズさと快適さが際立って感じられ、「もっと高速道路が広がればいいのに」と子ども心に思ったものです。その感動が大学卒業時にふと思い出され、自分が感動した経験を提供する仕事がしたいと強く思い、ネクスコ東日本を志望しました。 ■サービスエリアを再定義する ネクスコ東日本の魅力は、高速道路という社会インフラを支えながら、自由な発想で新たな価値を創造している点にあります。例えば、サービスエリアを休憩のための場所から目的地として進化させる取り組みもそのひとつです。その一環として展開されたドラマチックエリアでは、地元の特産品や文化をテーマにした商品が並び、訪れるだけでその地域を満喫できるよう工夫されています。また、パサールと呼ばれる多店舗型サービスエリアでは、有名ラーメン店やカフェが並び、一つのショッピングモールのような魅力を提供しています。さらに、地域住民も利用できるウォークインゲートの整備は、地元の人々とのつながりを強化する画期的な試みです。このゲートは地域にお住まいの方が高速道路を使わずに一般道側からアクセスできるように設計されています。これにより、サービスエリアはただの通過点ではなく、地域の核として機能するようになりつつあります。私の夢はサービスエリアを単なる休憩施設から、地域の核となる存在に進化させることです。例えば、空飛ぶ車が普及する未来を見据え、サービスエリアをそのポートとして活用する構想もその一つです。東北道の長者原サービスエリアでは、観光用ヘリの運用実績があり、これをモデルにさらなる発展を目指しています。また、災害時の物資輸送や物流拠点としての役割も視野に入れています。公共インフラ事業を担う企業として環境への配慮も重要な課題です。カーボンニュートラルを実現するため、電気自動車(EV)の普及を支援する急速充電器の設置や、高速道路整備による渋滞緩和に取り組んでいます。これからも、地域経済と社会の持続可能性に貢献する仕組みづくりを進め、未来の高速道路のあり方を追求していきます。 ■一緒に働きたいのは「協調性×アイデア」を持っている人 私たちが採用したいと思うのは、協調性があり、多様な価値観を尊重できる学生です。高速道路事業は、多くの部門や関係者との連携が不可欠であり、相手の立場を理解しながら自分の意見を伝える能力が求められます。さらに、当社では新しい挑戦を重視しているため、柔軟な発想で物事を考えられる人材を特に歓迎しています。例えば、私たちがスタートアップ企業と進めている「ドラぷらイノベーションラボ」でも、斬新なアイデアを積極的に採用しています。学生の皆さんにも、自分のアイデアや価値観を大切にしながら、周囲の人々と協力して新しい可能性を生み出してほしいと思います。わたしたちは、そんな方々と出会い、共に新たな価値を創造していくことを楽しみにしています。 ■Message 大学生の皆さんには、「競争より共創」をキーワードに行動してほしいと思います。これからの時代は、業界や世代の壁を越え、さまざまな人々と協力することで新しい価値が生まれる時代です。固定観念にとらわれず、多くの人とつながりながら、柔軟な発想で行動してください。また、現代日本は失われた30年と言われることがありますが、私は次の30年を明るい時代にできると信じています。今の経営者世代も自ら変革を求める人が増えていますので、世代を超えてイノベーションを進めていけると感じています。その実現には、若い世代の挑戦が不可欠です。これからの日本を引っ張る皆さんとともに、新しい未来を創り出せることを心から楽しみにしています。 学生新聞オンライン2024年8月19日 明治大学大学院2年 酒井躍 京都芸術大学1年  猪本玲菜/大妻中野高等学校3年 加藤眞優花/城西国際大学1年 渡部優理絵/明治大学大学院2年 酒井躍

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[将棋]第37期竜王就位式 藤井聡太竜王 俳優 坂口健太郎さんが祝辞

昨年10~11月に行われた将棋の最高位タイトル戦、第37期竜王戦七番勝負は、藤井聡太竜王が挑戦者の佐々木勇気八段を4勝2敗で下し、竜王位を4連覇、通算タイトル獲得数を26期とした。そして第37期の藤井竜王の戴冠を祝う「竜王就位式」が1月29日(水)、東京・渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで開かれた。式では4400万円の優勝賞金や竜王杯、記念の羽織の贈呈が行われた。来賓として映画『盤上の向日葵』で天才棋士・上条桂介役を演じる俳優の坂口健太郎さんも登壇した。 ■藤井聡太竜王 今期の竜王戦で4連覇を達成できたことを大変うれしく思います。今シリーズは佐々木勇気八段の事前研究が非常に手強く、第1局から未知の作戦を多く用意されました。その中には自分が想定していなかった形もあり、毎局盤上で新手を考える状況でした。自分の強みが出せた箇所と、逆に弱さが露呈した箇所がはっきり分かれ、勉強になりました。一方で、終盤では意表を突かれても粘り強く受けに回る場面が多く、自分の中で少し新しい一手を打開できた感覚もあります。防衛がかかった重圧の中で自分なりに冷静に指せた点は、今後に生かしていきたいと思います。 来期は竜王5連覇が懸かり、達成すれば渡辺明九段、羽生善治九段に次ぐ3人目の「永世竜王」の資格を得ることになりますが、決して楽な道のりではないと感じています。引き続き一局一局を丁寧に指し、また新たな課題を克服することで、より高いレベルを目指したいです。今後とも将棋界を盛り上げられるよう、より一層精進してまいります。 ■来賓祝辞 俳優 坂口健太郎 藤井聡太竜王、このたびは4連覇おめでとうございます。私は映画『盤上の向日葵』で天才棋士役を演じるにあたり、藤井竜王をはじめ現役棋士の皆様の対局や所作を拝見し、その厳粛さと熱気に圧倒されました。実際に指してみると、将棋は想像以上に奥が深く、盤上の一手一手に込める気迫の大きさを感じます。今回の竜王戦でも、まさしく集中力と探究心がぶつかり合う壮大な“物語”を見せていただき、ファンの1人として大いに胸を熱くいたしました。映画を通じて、さらに多くの方に将棋の魅力に触れていただければと思います。今後の将棋界の発展、そして棋士の方々のさらなるご活躍を楽しみにしております。 タイトル:映画『盤上の向日葵』公開:10月31日(金)全国公開配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/松竹コピーライト:©2025映画「盤上の向日葵」製作委員会監督・脚本:熊澤尚人原作:柚月裕子「盤上の向日葵」(中央公論新社)出演:坂口健太郎 渡辺謙 ■関係者の挨拶 ・公共社団法人日本将棋連盟 会長 羽生善治 藤井聡太竜王による4連覇、本当におめでとうございます。今期の七番勝負は、佐々木勇気八段の挑戦が注目されておりました。佐々木八段は藤井竜王が29連勝を達成した直後に初黒星をつけた因縁ある相手で、両者が最高の舞台で顔を合わせるのは非常に意義深いものでした。現代最先端の将棋が連日繰り広げられ、特に第6局のスピード感あふれる進行には驚かされました。そんな中でも藤井竜王が終始盤面をリードしての4連覇達成は、データから見ても驚異的な強さといえるでしょう。各地の対局会場で地元の皆様のご協力を得て円滑に進行できたことは、棋士一同大変ありがたく思っております。来期は永世竜王獲得を懸け、さらに注目度の高いシリーズになるでしょう。将棋ファンの皆様とともに、今後も竜王戦を盛り上げていければと思います。 ・読売新聞東京本社 代表取締役社長 村岡彰敏このたびの第37期竜王戦に際し、多くの皆様にお集まりいただき、誠にありがとうございます。将棋界最高峰のタイトルを懸けた今シリーズは、挑戦者・佐々木勇気八段との七番勝負を見事に制した藤井聡太竜王が4連覇を達成されました。タイトル戦では「挑戦」よりも「防衛」の方が難しいと言われますが、最後まで白熱した勝負の末、4勝2敗で勝ち切られたことはさすがの一言に尽きます。佐々木八段は、藤井竜王のデビュー30連勝を阻んだ強敵として知られ、事前から研究を練りに練っての初タイトル挑戦でしたが、最高峰にふさわしい対局を見せてくださいました。また、藤井竜王はすでに八大タイトルのうち七冠を防衛し、今期も竜王を守り抜かれました。来期、この竜王戦を制すれば永世竜王の資格を獲得され、渡辺明九段、羽生善治九段に次ぐ史上3人目の称号となります。今後のさらなるご活躍を大いに期待いたします。 ・野村ホールディングス株式会社 副会長 寺口智之この度は、藤井聡太竜王をはじめ各組優勝者の皆様、本当におめでとうございます。今回の七番勝負は、藤井竜王と佐々木八段が互いに星を取り合う、熱戦づくしのシリーズでした。両対局者の研究と盤上でのひらめきが掛け合わさって、将棋の新たな魅力や奥深さが存分に示されたのではないでしょうか。弊社・野村グループも創立100周年を迎え、日本将棋連盟様の歩まれた歴史と未来へ向けての挑戦に共感し、特別協賛という形で竜王戦を応援できることを大変誇りに思っております。また、ファンの皆様から寄せられた熱い応援メッセージは、読売新聞朝刊のお祝い広告や会場内のメッセージボードにも掲出させていただきました。今後も棋士の皆様、そして将棋界全体がさらなる高みを目指される姿を、私たちも共に応援してまいります。 ・渋谷区副区長 松澤香第1局の開幕が渋谷で行われたことは、地元として大変意義深く感じております。対局会場となった渋谷の地から、新たな歴史に残る戦いが生まれたことは、私共にとっても大きな喜びです。藤井聡太竜王と佐々木勇気八段の激戦は連日大きな話題を呼び、改めて将棋の普及や発展に寄与できたのではないかと感じます。将棋会館が渋谷区にあることを活かし、昨年実施された「将棋の日 in 渋谷」など、今後も区としてさまざまなイベントや取り組みを実施していきたいと思います。来期の竜王戦でも藤井竜王が永世竜王の資格を懸けて挑まれる熱戦が期待されますし、佐々木八段をはじめ全ての棋士の皆様がさらなる飛躍を遂げられるよう、渋谷区としても後押ししてまいります。 ■各組優勝者のコメント ・1組優勝:山崎隆之 八段トップクラスが集う1組で優勝できたのは、まさに夢のような出来事でした。以前、竜王就位式で先輩方がメダルを受け取っている場面を見て、いつか自分もあの舞台に立ちたいと思っていたのですが、今回それが実現して本当に感慨深いです。これからも挑戦を続けながら、またもう一度夢を見られるように頑張りたいです。 ・2組優勝:佐々木勇気 八段挑戦者として臨んだ竜王戦七番勝負は、藤井竜王の強さを改めて実感するシリーズとなりました。ランキング戦から決勝トーナメント、そしてタイトル挑戦まで駆け上がった1年間は自分の将棋を「磨き」直す貴重な機会でもあり、今後に向けて大きな糧になったと思います。さらなる高みを目指し、磨き続ける姿勢を忘れずに頑張りたいです。 ・3組優勝:池永天志 六段竜王戦は私にとって相性の良い棋戦で、連続昇級で着実にステップアップを重ねることができました。実は2組に上がれば昇段という規定があるのですが、あまり意識しすぎず無心で戦ったのがよかったのかもしれません。今期の優勝を糧にして、次は2組でさらに上位を目指し、強豪に挑む気持ちで邁進してまいります。 ・4組優勝:高野智史 六段4年ぶり2回目のクラス優勝で、決勝トーナメントを戦った時期は本当に充実していました。旧関西将棋会館で指した対局もあり、今振り返るととても思い出深い内容だったと感じます。3組は人数もぐっと少なく、ひとつひとつが重みのある対局になりますが、今回得た経験を生かし、さらに上を目指して精一杯頑張りたいです。 ・5組優勝:渡辺和史 七段昇級を決めた瞬間に気が緩んでしまう経験が過去にあり、前回は決勝戦で悔しい思いをしました。そこで今回は、最後まで気を抜かずに臨んだことが優勝につながったのだと思います。表彰式の場でメダルをいただく喜びは格別で、今後もこれを励みに、さらに上位でも活躍できるよう精進してまいります。 ・6組優勝:藤本渚 五段今期のランキング戦では、最年少棋士として厳しい対局が続きました。決勝戦でも若手同士の熱い戦いとなりましたが、最後まで粘り強く指せたことが今回の優勝につながったと思います。まだまだ課題は多いですが、次のステージでも通用するように一層努力を続け、今後も勝ち続けられる棋士を目指したいです。 学生新聞オンライン2025年1月29日取材 東京大学4年 吉田昂史

コラム

テリー伊藤 コラムVol.43 中居正広の今後を考える

フジテレビと関係のある女性との不祥事で一方的に芸能界引退を発表した中居さんの今後について考えてみた。フジテレビ2度目の釈明会見は1月27日、10時間24分にも及んだ。その席で嘉納会長、港社長は辞任、翌日には遠藤副会長も3月末をもって辞任表明する事になった。中居さんは1月23日の引退声明で「全責任は私個人にあります。」とし、「トラブルの内容については示談が成立しているのでお話は出来ません。」とその後も沈黙している。相手の女性のプライバシーに関わる問題なので一方的に話すことが出来ないのは理解出来るが、なにか納得がいかないのも事実。国民的なタレントとして愛されていたが国民感情は冷やかだった。 中居正広、これからどう生きて行けばいいのか。お節介ながら考えてみた。まだ52歳、人生100年としてあと50年生きる事になる。一部報道では不動産、預貯金など推定20億円の資産を有すると言われている。これだけあれば働かなくても生きて行ける。遊んで暮らせる。とは言ってもこの先10年は、何処で飲んでいても街に出ても好奇な目で見られてしまう。皆がスマホを持つ時代、カメラで撮られてYouTubeに載せられる事も容易に想像出来る。そんな人生を中居さんは望まないだろう。では何をすればいいか。 先ずは迷惑を掛けたCMスポンサー「ソフトバンク」、スキマバイトサービス 「タイミー」他に自ら出演料の返済をしなくてはいけない。今回スポンサーサイドからの出演料返還請求は考えられないが、それに甘えてはいけない。明日から何をすべきか。人の為に生きて欲しい。古臭い言葉だが「世のため人のため」に全生命をかけてもらいたい。フジテレビ「SMAP×SMAP」では、東日本大震災の時に中居さんは現地に何度も足を運んだ。SMAPの励ましはどれ程多くの人々に勇気を与えたことか。そして現地の子供達の頑張りにSMAPも大きな勇気を貰ったのでは。あの時と事情は全く違う。当時はテレビ局、事務所がお膳立てをしてくれた。引退した今、一からスタートするのは容易なことではないが、やらなければ。巷には不登校で苦しんでいる子供、親に虐待を受けている子供、社会に上手に適応できずに悩む人など、中居さんより苦しんでいる人もたくさんいる。世間から逃げるのではなく、苦しんでいる今だからこそ立ち上がって助けてあげて欲しい。 逆境の中でどう生きるか。私財を投じて「中居シェルター」を作り、人生に苦しんでいる人々に「癒しの空間」を提供したらどうだろう。世間は冷やかな目で見るかもしれないが、信念を持ってすれば必ず結果は出る。私も応援、参加しますよ。そしていつか笑って読売ジャイアンツの話をしたいと思っている。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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テリー伊藤 コラムVol.42 「かまとと」って知っていますか

突然ですが「かまとと」の意味知っていますか。辞書を見ると「知っているのに知らないふりをして、上品ぶったりうぶに見せたりして、世間知らずを装って、男性の気をひこうとする、女性が行う行為。」更に語源の由来は「昔、ある女性が、かまぼこは魚(とと)から出来ているの?とわかりきっていることを知らない素振りで聞いた様子から生まれた言葉。」らしい。冒頭から長々と「かまとと」を話題にしているが、最近Z世代にかまととソングが注目されている。先ずは山本リンダ『困っちゃうな』(作詞作曲遠藤実、昭和41年発売)です。 困っちゃうな、デートに誘われてどうしよう、まだまだは早いかしら嬉しいような、怖いような、ドキドキしちゃう私の胸ママに聞いたら、何にも言わずに笑っているだけ困っちゃうな デートに誘われて まさに完全なるかまととソング。今どき初デートの相談を親に相談するとは思えない。困っちゃうなと言いつつ全然困ってないのが昭和的でいい。続いてはザ・ピーナツ『振り向かないで』(作詞岩谷時子・作曲宮川泰、昭和37年)だ。 振り向かないで お願いだから 今ね 靴下なおしているのよ あなたが好きな黒い靴下振り向かないで お願いだから 今ね スカートなおしているのよ あなたの 好きなタータンチェックこれから仲良くデートなの 2人で語るのロマンスを♪ さすが岩谷時子さん、見事な歌詞です。恥ずかしいからこっちを見ないでと言っているくせに、あなたの好きな黒い靴下を堂々と直しながら彼の気持を向かせるなんて、まさに上級かまととに間違いない。続いて、麻丘めぐみ『芽ばえ』(作詞千家和也・作曲筒美京平、昭和47年)は、 もしもあの日 あなたに逢わなければこの私どんな 女の子になっていたでしょう足に豆をこさえて 街から街行くあてもないのに 泪で歩いて いたでしょう悪い遊び覚えて いけない子と 人に呼ばれて 泣いたでしょう今も想い出すたび 胸が痛む もうあなたのそばを 離れないわ♪ 正統派かまととソング。あなたに逢わなければ悪い遊び覚え悪い子になっていたでしょうとけなげなのか、したたかなのか、どちらにせよ自己演出は完璧。更に清純派歌手が可憐に歌うので効果絶大。他にも伊藤咲子『ひまわり娘』、河合奈保子『スマイルフォーミー』、キャンディーズ『あなたに夢中』、林寛子『素敵なラブリーボーイ』など、かまととソング オンパレード。昭和の女の子は何を考えデートしていたがわかる名曲ばかり。学校では教えてくれない女性行動学の勉強にもなるはず。役に立つかもしれない。一度聴いてみては! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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株式会社ローソンストア100 代表取締役社長 小栗知義

人生を豊かにする食の伝統を守り革新を創造する 株式会社ローソンストア100 代表取締役社長 小栗知義(おぐりともよし) ◾️プロフィール慶應義塾大学卒業後、同大学院へ進み、在学中に米国カリフォルニア大学 奨学研究員として情報通信を研究。2004年4月三菱商事株式会社入社。英国ロンドンビジネススクールMBA。2007年米国三菱商事NYC、2014年ファーストリテイリング・アジア大洋州EC Director、2017年ユニクロタイランド最高経営執行責任者COO、2022年3月株式会社ローソン マーケティング戦略本部、2023年3月株式会社ローソンストア100上級執行役員を経て2024年4月同社代表取締役社長に就任、現在に至る。 今後の展望として「記憶に残るブランドに、そして印象に残る代表的な商品を創っていきたい」と語ってくれたのは、株式会社ローソンストア100の小栗知義社長。コンビニとスーパーどちらの便利さも持つローソンストア100の魅力や特徴、大切にしているお客様への想いまで伺った。 ◾️世界の広さを知った学生時代 大学では電子工学を学びエンジニアとして情報通信に関する研究を行っていました。卒業後も、研究を続けるため大学院へ進学しました。国際学会で論文発表した際、世界には沢山の大学や研究機関があり、様々なバックグラウンドの人たちが世界をより良くする目標に向かって切磋琢磨しているのだなと感じ、海外の大学に身を置いてみたいと思うようになりました。類似領域の研究を行っていたカリフォルニア大学の教授に「一緒に研究させてもらえませんか」と論文を送り、大学院2年の時、奨学研究員として同大学院のラボで研究を行いました。色々な国籍の方々との生活を通じ「世界は広いな」と改めて感じ、非常に多くの刺激をもらった日々でした。 ◾️自分のパフォーマンスや成長スピードを若いうちから感じ加速させたい 将来何をしようかと考えたときに、学生時代は消費者寄りの研究ではなく基礎研究の領域にいたからこそ、「自分のやっていることが世の中にどういうインパクトをもたらせるのか」とより強く考えるようになりました。人生を通じ色々な世界を見て影響を受ける中でどんどん自分の興味も変わっていくだろうと感じていたので、自分の仕事を自分で定義し、発展させられそうな仕事がしたいという理由で三菱商事に入社しました。 エンジニア出身であったため配属においてはIT系や通信、宇宙関連等のお話を頂きましたが、全く異なるコンシューマー領域で自分の培ってきたエンジニアの知見を活かし自分自身を試したいという思いから、アパレル部署への希望を出し配属されました。重厚長大な領域と比較し、若い頃から自分がどういうパフォーマンスを生み、どういうインパクトを出しているのかがよりスピーディに分かりやすい領域だと考えたからです。幸せなことに社会人として早い段階から非常に優秀で志の高い先輩方に恵まれ、「世界に貢献する経営者になろう」という刺激を受けていました。日々の仕事を通じて出来るだけ早く自分を成長させ、経営者になろうと考えていました。 ◾️コンビニとスーパーの間のポジションであるがゆえの特徴 都市圏を中心にコンビニはあらゆるエリアにありますが、スーパーは割と大型で、時間があるときに少し離れたところへ出かけるといった方も多いのではないかと思います。ローソンストア100はその間を目指し、小型でありながらも大規模なスーパーに行かなくても簡単に買い物ができるエリアを捉え、東・名・阪を中心に644店舗(2024年10月末まで)を展開しています。商品構成としてはお弁当や飲料など、コンビニの強みであるその場ですぐ食べられる商品だけでなく、生鮮品や練り物などご家庭で食卓に出すものや、食品以外の生活必需品も多く取り揃えています。商業ビルやオフィス街よりもある程度住宅立地に近いエリアの方がお客様のニーズに近いと考えています。駅前立地と住宅立地の割合は2:8で日常の食卓の買い物や買い足しなど、地域・ご家庭の冷蔵庫代わりにご来店頂くケースが多いです。 ◾️感情も動く買い物と、本当の意味でのお客様のためを目指して ローソンストア100の経営として就任した際、「衣料品と食べ物では市場が大きく異なるため環境も考え方も全く異なるのでは」と想定していました。勿論、様々な違いはありますが、より大きな括りで見ると同じコンシューマー向けの小売領域として、本質的なところや原理原則はブレないと感じています。 ローソンストア100はローソングループの中で、コンビニ仕様でありながら生活必需品などスーパーの商品構成があることを特徴とした、コンビニエンスストアとスーパーマーケットの中間のポジションにあります。その中で商品カテゴリ毎のブランディングを確立するのは非常に重要なことで、日々「あったらいいな」「あっと驚く」というような商品を打ち出しています。 お客様が単にお買い物されるだけではなく、感情的にも「面白いな」「ワクワクするな」と感じて頂ける売場にしたいという願いがあります。そのため、効率良くエネルギーを摂取できる高カロリー食品や、あえてソーセージや玉子焼きなど、おかずを一種類だけに絞った超シンプルな「だけ弁当」等、少し尖った商品を発売しています。「だけ弁当」シリーズは累計592万食(2024年10月末まで)以上でローソンストア100を代表する商品の一つになっています。 どのような商品を提供していこうかと考える際に、“我々として”商品や価格を考えるのではなく“お客様が”本当の意味で感じている・求めているニーズは何かを深く考えます。我々の利潤ファーストではなく、本当の意味でお客様が「何を」「どんなクオリティで」「どんな価格で求めているか」を考える上では、事業として矛盾や葛藤のある局面が沢山あります。しかし、売上こそが我々に対するお客様からの評価であり通知表であるので、本当の意味でお客様に貢献出来ない限り企業は成長していけないと考えています。 そのために、様々なシーンで常に“お客様”という言葉を使うようにしています。会議の中でも「お客様」を主語にすることで意思決定の視点が変わっていくので、意識的に言葉にして議論することが大切だと考えています。 ◾️「食」における伝統と革新 ローソングループのスローガンである「マチのほっとステーション」の実現に向けて、食の世界が日々進化している中で、事業のアプローチの仕方もそれ以上に進化させていかなければならないと考えています。コロナもあり人々の食生活・ライフスタイルは大きく変わりました。我々はコンビニグループとしての強みを持つと同時に、各ご家庭の生活ニーズにいかに貢献できるかを常にアップデートしていこうと考えています。 食の文化はとても伝統的で、関東と関西で出汁が違うなど地域性も大きく、土地に定着し習慣化され伝承されています。脈々と根付いてきた伝統的な要素を重視しつつ、同時に時代をリードする革新性も必要だと考えています。当社として時代をリード出来るような新しい考え方やアプローチをこれからも追い求め、提供していきたいと思います。 今ある商品構成の中でも皆さんに知って頂くことで「いいな」と思って頂ける商品は沢山あると感じています。コーポレートブランディングや商品毎のマーケティングはまだまだ伸びしろが大きいので、我々は誰なのか、作っている商品は何か、提供している価値は何なのかをしっかりと伝えていくことを強化していきます。 ◾️学生へのメッセージ どんな事でも良いので毎日の成長の積み重ねを大切にして頂きたいと思います。私自身、毎日成長したいと考えており、若い頃からこの考えをとても大切にしています。一日1%成長すると一年後には1.01の365乗で38倍成長する。それが二年、三年になると何千倍、何万倍の差になります。昨日の自分よりも毎日1%、気持ちの面でもスキルの面でも何でも良いので、一歩前に進めているか・成長出来ているかを大切にして欲しいなと思います。 食べることで笑顔になったり、誰かと一緒に食べて嬉しくなったり、人生が豊かになる瞬間が「食」の本質だと感じています。我々はそういった大きなトピックに対して向き合っているので、社会や世の中に対する貢献に向けた志を持っている方とぜひ一緒に働きたいと考えています。 学生新聞オンライン2024年10月16日取材 東洋大学2年 越山凛乃 武蔵野大学4年 西山流生 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 津田塾大学2年 石松果林 / 慶應義塾大学3年 山本彩央里 / 上智大学3年 白坂日葵

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株式会社アコーディア・ゴルフ 取締役会長 田代祐子

『ゴルフは、あなたの人生に必ず役立ちます』 株式会社アコーディア・ゴルフ 取締役会長 田代祐子(たしろゆうこ)(2024年12月13日取材時点) ■プロフィール1954年鹿児島県生まれ。19歳で結婚・渡米。子育て中に大学で会計学を学ぶ。卒業後、KPMGに公認会計士として入所し、パートナー(共同経営者)となる。帰国後、米国企業数社の日本支社にて最高財務責任者等などを歴任。2011年に東北へ移住し、ボランティアとして東北大震災被災企業をサポート。2016年からアコーディア・ゴルフの社長となり、2021年から会長職。著書に『SHINE 女性たちよ、もっとキラキラ輝こう』。 “日本一女性にやさしいゴルフ場”をコンセプトとしている四街道ゴルフ倶楽部(千葉県)をはじめ、女性目線でのゴルフ場運営や女性限定のゴルフイベントを開催し、注目を集めているアコーディア・ゴルフ(以下アコーディアという)。取締役会長の田代祐子さんは、社長に就任してから、会社の改革を進めてきた。自身のアメリカでの経験や、アコーディアでの経営方針、大切にしている考え方など様々なお話を伺った。 ■海外での苦労があったからこそ、今のキャリアがある 私は子どもを育てながら、20代後半からアメリカの大学に通いました。学生たちは自分より年下で、当時日本人は私だけ。家事も子育てもこなさなくてはならず、放課後に友達と遊びに行ったり部活動に参加したりは、全くできませんでしたが、逆に勉強に打ち込めました。そのおかげで成績があがり「努力すれば、社会で認めてもらえる。」という実感を得ました。私の人生で今につながる大きな経験でした。 卒業後の就職はどうなるのか。私は30代の主婦で日本人です。何らかの資格があれば就職できるのではと考え、会計士の資格を取得することにしました。でも今のようなキャリアを期待していたわけではありません。卒業間近に、世界4大会計事務所であるKPMGのパートナーに「日本語ができるなら、うちに来ない?」と声を掛けられました。それまでは日本人であることは自分にとってハンディだと思っていましたが、逆に選ばれる要素になりえる!と知り衝撃を受けたのです。 それは、「今、自分にとってマイナスだと思っていることでも、見方を変えればプラスになる」と教えてくれました。当時はつらい経験でも、その苦労があったからこそ、今の自分があるという事になる。大学に通う前は、アメリカでキャリアを積むなんて考えもしませんでしたが、いろいろな偶然が重なり、チャンスをポジティブに受け止めながらトライしたことが、今日に繋がったと思います。 ■人とのつながりは財産 私は、人とのつながりは、人生で一番大切な財産だと思っています。でも人とのつながりは、それぞれに環境が変わる中で、放っておくと自然消滅してしまいます。ですから、自分から繋ぎ続ける努力が必要です。ちょっとしたしたことでいい。メールで近況を報告しあったり、年賀状を送ったり。そんな努力を積み重ねることによって、人とのつながりが長く保てると感じています。そして、人とのつながりは思わぬところで、自分の人生に影響を与えます。私がアコーディアに来たのも、アメリカ時代の同僚からの「アコーディアという会社に行ってみない?」という一言から。人とのつながりを大切にし、自分から一歩を踏みだす勇気が大事だと思います。 ■変わっていくニーズに応えるゴルフ場 アコーディアの社長に就任してからは、どうしたらお客さまに選ばれるゴルフ場になるかを絶えず考えてきました。運営側の経験が長いと、どうしても運営側の目線に偏りがちですが、私は長らくゴルフ場の顧客側だったので、それを生かそうと思いました。例えば、日本のゴルフ場ももっとカジュアル化したら、さまざまな方にご来場いただけるのはないかと考えました。私はゴルフがあまり上手ではないので、友人たちとスコアを気にせず、気軽に楽しみたい、荷物は自分のタイミングで運びたい、ゴルフ場でジャケット着用が必須なのはなぜ?など、徹底的にお客さま目線で疑問を持つようにしました。また、それまで男性中心だったゴルフ業界に女性の目線を生かせば、女性のゴルファーを増やすことができるのではないか思いました。アコーディアのゴルフ場は、パウダールームに女性に人気の「ダイソン」や「リファ」ブランドのドライヤーを設置しています。髪が早く乾くことは、身支度をする女性のストレスを大きく軽減してくれるもの。男性も女性も心地よく過ごせるゴルフ場を目指しています。 ■初心者の女性や子どもを対象としたゴルフイベント アコーディアの女性限定のイベントは、初心者が一人で参加できます。スコアは気にせずに、ゴルフを楽しむ!がコンセプト。イベントではベストドレッサーコンテストや、ゴルフ専用ビンゴゲームなど、さまざまな工夫を凝らしています。子ども向けには『First Tee(ファーストティ)』というイベントを開催しています。ファーストティはゴルフを通じて、子どもたちが将来豊かな人生を歩んでいくことに貢献する教育プログラムです。あいさつや自己紹介にはじまり、自分が上手に打てなくても友だちを応援するなど、ライフスキルにつながる価値を学びます。子どもさんに人生の基本を教えながらゴルフを体験させる。私たちの役割は、ゴルフ業界全体の裾野を広げることだと思っています。 ■誰もが気軽に楽しめるスポーツ・レジャーとしてのゴルフ場へ ゴルフ運営会社の成功とは、お客さまのニーズに応え、成長しつづけることだと思います。お客さまのニーズは、時代の変化とともに変わっていきます。会社は、つねに斬新な企画と実行力で進化する必要があります。私は皆様のような新しい世代の方々の視点や価値観をどんどん取り入れていきたいと思っており、大学新卒でアコーディアに入社される方々にとても期待しています。 ■学生へのメッセージ 人は一人では生きていけません。いろいろな方たちに支えられています。感謝の心を忘れずに、人とのつながりを大切にしましょう。ゴルフは生涯にわたって楽しむことができ、人とのつながりや人生を豊かにしてくれます。なぜならゴルフは相手を選ばないスポーツだからです。「ゴルフに行きませんか?」「いいですね、行きましょう!」といえる相手なら、誰とでも一緒にプレーできます。人との繋がりを増やす手段のひとつとして、あなたの人生にゴルフを取り入れてもらえたらうれしいです。 学生新聞オンライン2024年12月13日取材 東洋大学2年 越山凛乃 東洋大学2年 越山凛乃/株式会社アコーディア・ゴルフ 取締役会長 田代祐子/東京経済大学1年 望月虎輝/TOP CONNECT株式会社 代表取締役 内田雅章

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ライオン株式会社 代表取締役会長、取締役会議長 掬川正純

ライオンの役目は、人々の健康な生活を支える「習慣づくり」 ライオン株式会社 代表取締役会長、取締役会議長 掬川正純(きくかわまさずみ) ■プロフィール1984年東京大学農学部卒業後、ライオン株式会社入社。応用研究所研究員として基盤技術を担当し、新規界面活性剤の探索や無機材料の開発に携わる。その後、粉末洗剤『トップ』の開発を担当。ファブリックケア研究所長、ヘルス&ホームケア事業本部長を経て、2019年1月代表取締役社長に就任。2023年3月代表取締役会長、取締役会議長として現職に至る。 石けんとハミガキからはじまり、1891年の創業からより良い習慣づくりを提案してきたライオン株式会社。国内のみならず、アジアを中心とした海外にも拠点を置き、人々に愛される製品を提供している。代表取締役会長、取締役会議長である掬川正純さんに、大学時代、会社の魅力、今後の展望、学生へのメッセージを伺った。 ■研究生活の喜びは「考えが裏切られること」 学生時代は、研究者として、毎日実験室で実験器具と向かい、実験データや小さな発見をしながら生活をする将来に憧れの気持ちを抱いていました。実験をするときには、仮説を立て、「こうなるだろう」と予想をして実験をはじめます。もちろん仮説が正しいことに喜びはあります。しかし、仮説とは違う結果が出るときもあります。つまり、自分が考えていたこととは全く違うメカニズムが働き、現象が起きたということ。これはまさに自分の考えが裏切られる喜びの瞬間です。自分が立てた仮説と同じような仮説を他の人が立てることもありますが、これでは面白くありません。違うときこそ、新しい発見があり面白いのです。「そういうものもあるんだ!」と裏切られる経験は、何度か経験しましたが、そのたびに楽しさを抱きました。 ■制汗剤パウダーの素材を研究 私は24歳で会社に入り、20年ほど研究所にいました。様々な仕事を経験させていただきましたが、入社後は直接商品には関わらない応用研究所に在籍し、その中でも商品素材を研究する部門にいました。最初は洗剤、ハミガキにも使われている界面活性剤の有機合成を行い、性能を調べる研究を行っていましたが、その後、無機物のシリカの研究に変わりました。シリカは、ケイ素の酸化物で硝子などにも含まれる素材で、サラサラする感触があるので、制汗剤のパウダーとして使用できるのではないかと研究開発を進めていきました。その後、素材が商品に採用され、世の中に発売された後は、自分が作った商品をお客様がバスケットに入れる姿が見たくて、ドラッグストアへと向かいました。お客様が商品を手に取り、入れてくれる姿を見ると、非常に嬉しかったです。その経験から、自分で希望を出し、直接商品開発を手掛ける研究所に異動しました。 ■歯みがき習慣を支えるこだわりのミントの秘密 この50年間でムシ歯を持っている小学生が4分の1に減りました。これは、歯みがきの習慣ができることで口の中の健康状態が改善されたからです。同時にハミガキ市場規模は4倍に拡大しました。私たちの会社は人々の健康を良くするという社会的意義を持っています。歯みがきを楽しく、楽なものに変えていくことが、私たちのミッションの一つだと感じます。その例のひとつといえば、ハミガキに使われるミント味について。私たちの会社の1階のフロアには、小さな畑があります。ここにはハミガキで使われる味を構成する植物のミントが植えられています。我々はミントに古くから大変こだわっていて、毎年ミントの収穫シーズンになると、産地であるインド、あるいは北米に研究者が行きます。そして、畑を見て回り、当社の味を一定のレベルに維持するため、数種類のミントを異なる割合で調合できるように買い付けをします。そして、毎年、調合比率を少しずつ変え、一定の味にするように調整するのです。味や香りは、毎日使う以上、違和感を抱かれてはいけません。一度気に入り、クセになってしまうと、他のものは使えなくなってしまいます。それはハミガキだけでなく、柔軟剤の香りでも同じことがあてはまります。もちろん歯みがきは味を味わうためにやってもらうものではありませんが、歯みがき後に爽快感が残り、歯をみがいてもらうことの習慣づくりになれば良いと思います。また、昨今は歯みがきを面倒なものと思う認識があるため、妊娠時にも手軽にできる新しいオーラルヘルスケアの習慣づくりを開発中です。 ■日本は、世界に先んじる挑戦が求められている 日本の少子高齢化は、今後も進んでいくと思います。暗い話に聞こえてしまうかもしれませんが、文明が進展し、社会が豊かになるとこうした事態に発展するのは仕方のないことだと思います。この事態を打破するには、世界に先んじる未知なる挑戦をしなければなりません。ライオンでも、今後我々がどう発展していくかという大きな課題に直面しています。ここで何か新しい成功モデルができれば、その経験を活かし、そのほかの国や企業でも成功事例として応用することができます。現在、私たちも日本以外の海外の10の国・地域で事業をしています。新しい挑戦を繰り返し、国内外で役立ていくことが目標です。 ■学生へのメッセージ これから次のステージとして、社会に出て、様々な人生の選択をされると思います。この先の長い人生を進むなか、悩んだり、調べたりすることが沢山あると思います。しかし、最後は必ずしも正解にたどり着くとは限りません。ネガティブに言うつもりはないのですが、正解を選ばずとも「それでいいんだ」と思うことが大切です。一番よくないのが、右に行くのか、左に行くのかで迷ってしまい、結局進まないというもの。私の場合は、軽い理由で選択肢をいくつか勝手に決めて進んでしまったのですが、今は全く後悔していません。自慢をしているわけではないですよ。大事なことは右に行くか、左に行くか、ある程度考えたら、必ずどちらかに決めて挑戦しましょう。そして重要なのは、自分が選んだ方向が正しかったといえるまで努力を重ねることです。右に行ってしまえば、左にいった自分がどうなるかは実験や研究ではないので、確認できません。こっちで良かったと思えるようになるまで努力をするという覚悟で、思い切った選択をしましょう。そんな想いを持って、いつでも自分の道をやりたい方向に進んでほしいなと思います。 学生新聞オンライン2024年11月1日取材 東京薬科大学2年 庄司春菜 武蔵野大学4年 西山流生/上智大学3年 吉川みなみ/東洋大学2年 越山凛乃/東洋大学3年 太田楓華/津田塾大学2年 石松果林/東京薬科大学2年 庄司春菜

企業に聞く

ノーシンピュアが、受験生に寄り添うWEB動画を公開。受験と生理、その不安...

1月18日と19日に大学入学共通テストが実施されるにあたり、生理痛薬ブランドの“ノーシンピュア[(株)アラクス]”(代表取締役:荒川愼太郎 所在地:愛知県名古屋市)は、10代の気持ちに深く寄り添えるよう、これまであまり語られることがなかった受験期と生理の関係に踏み込んだWEB動画を公開した。動画ではシンガーソングライターの“とた”さんがオリジナル楽曲を制作、生理がある日常の中で受験と向き合う高校生の姿を描いている。今回、企画部企画課 長瀬日向子さんに取り組みについて、お話を伺った。 アラクスの業務と生理の問題への取り組み アラクスは一般用医薬品や衛生雑貨、化粧品など、消費者の困りごとを解決する製品を製造・販売しています。主力商品の一つである生理痛薬「ノーシンピュア」は2000年の発売以来、一貫してメインのターゲットであるティーンに向けたプロモーションを行ってきました。今回“ティーンに寄り添うということはどのようなことか”ということをチームで改めて検討した際にティーン層にとって”受験”は、人生の岐路となる大切なテーマなのではないかと思いました。これまであまり触れられてこなかった“受験と生理”というテーマを生理痛薬ブランドであるノーシンピュアが取り上げることで、より深くティーン層に寄り添うことができるのではないかと考え、去年の春ごろからこの取り組みを始めました。 生理のある日常を描く動画制作 プロジェクトの一環として制作したウェブ動画は、受験生の日常の動画と生理がもたらす悩みの声を描いた動画の二本構成にしました。生理の症状を知ってもらうことが目的ではなく、思うように集中できなかったり、頑張れないもどかしさや、試験日と生理が被ったらどうしようという不安を常に抱えて過ごしているということを多くの方に知ってもらえたらと思っています。また、生理による受験の追試や日程変更の対応が都道府県よって異なるという地域差についてもこの動画がきっかけとなり、少しずつ変わっていけばいいと思います。 受験生へのメッセージ 「受験と生理」というテーマに取り組む中で、私たちは「ピュアメモ」という情報サイトを立ち上げました。私たちが行った調査では、生理に関する症状を「つらい」と感じている学生が6割、受験と生理にまつわる不安を抱えている学生が7割にも上ることがわかりました。生理周期や生理痛への対処法を紹介するこのサイトによって受験生の不安が少しでも軽減され、自分に合った生理との向き合い方を見つけられることを願っています。不安なことや困ったことがあれば、ぜひ周囲に相談し、適切な情報を得て受験準備を進めてください。私たちのプロジェクトが少しでもそのお役にたてれば嬉しいです。 取材協力: 株式会社アラクス 企画部企画課 長瀬日向子(ながせ ひなこ) プロフィール: 2021年入社。SNSや動画などの製品プロモーションの企画検討・制作・実施をメインに、貿易事務や新製品の準備段階から市場投入までのプロダクトローンチ業務を担当。2021年秋より知的財産課を兼任し、知的財産の権利化や管理も行っている。 「生理と受験」の悩みに役立つサイト ピュアメモ:https://www.arax.co.jp/norshinpure/pure/purememo ノーシンピュアシリーズ公式サイト:https://www.arax.co.jp/norshinpure/ 学生新聞オンライン2025年1月8日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵

コラム

テリー伊藤 コラムVol.41 湘南の伝説のサーファーに会った

鎌倉の家に居る時は、なるべく早く起き散歩するように心掛けている。自宅から七里ガ浜駅を通って国道134号線を歩くのがルーティンになっている。海沿いに出るとその日の波の様子が分かる。「いい波」波乗りがよく使う言葉だ。その日、湘南の伝説のサーファーISHIIさん(77歳)のヴィンテージのホンダスーパーカブが稲村ケ崎公園に停めてあった。はるばる横須賀から、佐島、葉山、逗子、材木座、由比ガ浜を通って稲村ケ崎までやって来る。自ら針金で飾り着けしたBOXを積み、カスタムしたカブにショートボードをセット。持病のヘルニアの為、ボートのフィンも特別使用に改良してある。雨の日も波が良ければ、何時でもやって来る。行動は常に一人、群れを成さない、5~6本良い波と出会えると、横須賀に帰ってしまう。そんな男が噂にならない訳がない。今までも、カブを公園で見かけるのだが、本人と遭遇する機会はなかなか難しい。なんたっていつも波の上に居るから。そんな距離感だが、やっと久しぶりに会えた。 こんな会話から始まる。「テリーさんお久しぶりです。会えて良かった。実は明日ヘルニアの手術なんですよ、その前に波に乗っておこうと思って。」にビックリ。普通なら手術前日なら家で静養するものだ。「家に居なくて平気何ですか。」にも「海に入ることがリハビリですから。」と涼しい顔で沖の波を見ている。さすが伝説の男。都会暮らしの軟な私とは気合が違う。サーファーと言うより、さすらい一匹狼の印象だが、シアトルで暮らしている娘さんに会いに行く国際的な一面も。ISHIIさんの人柄を知るエピソードがある。仲間のサーファーが亡くなった追悼式に稲村の海に向かいサックスで名曲『Amazing Grace』を奏で送った。 今、湘南のサーファーが高齢化していると言われているが、やっぱり海に入るのは楽しいし金も掛からない。ウエットスーツが有れば冬でもOK。海から上がれば、銭湯も日帰り温泉もある。美味いシラス丼も。レンタルサーフボード屋さんも充実している。サーフィンが上手に出来なくでもボードに乗って富士山を眺めているだけで良い気分になれる。鎌倉由比ガ浜であれば波も穏やかで初心者にもうってつけ。夏場には小学生向けのサーフィン教室も開催される。 話をISHIIさんに戻そう。立ち話で何故か気が合い、今月末横須賀での再会を約束。観光客が知らない穴場を案内してくれるらしい。彼の事だから飛び切り変なスポットに決まっているが、そこはさすらい男、お金の掛かるお店は案内するはずもない。どんな連中と出会えるのか。楽しみは尽きない! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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女優 秋好美桜

些細なきっかけからチャンスや夢は生まれる 女優 秋好美桜(あきよしみお) ■プロフィール2006年1月31日生まれ、宮崎県出身。俳優・モデル。2024年3月に開催された「bijoux AUDITION 2024 supported by KeyHolder Group」にてグランプリに輝く。Rakuten GirlsAward 2024 Autumn/Winter出演、ABCマート×adidas「GRADAS」広告起用、その他MV出演など続々と活動の幅を広げている。今回、2025年1月期テレビ朝日木9「プライベートバンカー」でドラマ初出演を飾る。 テレビ朝日1月期木曜9時よりはじまるドラマ『プライベートバンカー』。鈴木保奈美さん演じる飯田久美子の娘・飯田芹奈那役として出演するのが、女優の秋好美桜さん。彼女はbijoux AUDITION 2024にてグランプリを獲得し、187歳でのときに宮崎から上京し、芸能の道へと進んだ。そんな彼女に今回のドラマの魅力や役作りなどについて伺った。 私が芸能の世界に入るきっかけになったのは、母が応募したオーディションでした。最初に書類選考が通ったと聞いたときは、「福岡に行けるからいいな」と軽い気持ちで始めたのですが、そこから少しずつチャレンジ精神が芽生えてきました。福岡、大阪、東京での審査を経験するうちに、本気で取り組んでいる参加者と過ごす中で自分も本気でやらなきゃと思うようになりました。審査の中で特に印象に残っているのは、最終審査に向けた演技のワークショップです。雷が落ちるシーンを演じる際、監督から「今まで驚いたことがないのか?」と言われ、自分が経験したことのない感情を表現する難しさを痛感しました。また、大阪での審査中には、周りが台本の練習をしているのを見て影響を受け、ペアでの演技をギリギリまで練習しました。今思えばそのタイミングも芸能へのスイッチが入った瞬間だったのかもしれません。。学校と仕事の両立の難しさについてはよく質問されるのですが、私が大事にしているのは「無理をしないこと」「素の自分でいること」です。そのおかげか、スタッフさんからはよく「素直で愛されるキャラクターだ」と言っていただけます(笑)。 ■この世で一番怖いのは死ぬこと いま、一番大きなやりがいを感じるのは、現場でスタッフさんや共演者の方々と一緒に作品を作り上げていくことです。作品が完成したときの達成感や、現場で学ぶ新しい知識は、大きな刺激になります。特に、大御所の方々が当たり前のことを丁寧に行っている姿勢に触れると、自分も見習いたいと思います。役作りでは正解がわからず試行錯誤することも多いですが、台本を何度も読み込み、役の内面や背景を考えることで少しずつ形にしていけるように頑張っています。不安に襲われそうな瞬間も多くあるのですが、私は「この世で一番怖いことは死ぬこと。それに比べれば、他のことは怖くない」と考えるようにしています。そう考えることで緊張感はほとんどなくなります。負けず嫌いな性格に加えて、自分に対して妥協したくないという強い気持ちが支えになっているんじゃないかなと。周りと比べて「自分には力が足りていない」と感じるときも、「なんで自分はできないんだろう」と考え、努力を続けることで乗り越えてきました。 ■ドラマ『プライベートバンカー』への出演 出演が決まったときは大御所の方々と共演すると聞いて、現場で迷惑をかけないか心配で「私で大丈夫かな?」という不安が大きかったです。。それでも、監督さんやスタッフさんのサポートのおかげで徐々に緊張がほぐれ、多くのことを学ぶことができました。私が演じる飯田芹奈は、学校とお店を両立しながら母を支えるクールで真面目なキャラクターです。私自身とは少し違う性格ですが、役作りのために台本を読み込むほか、日常生活でも声のトーンを意識して練習しました。私は普段あまり大きな声を出すことがないのですが、今回は叫ぶシーンがあったのでそこは頑張って取り組みました。、 ■当たり前のことを丁寧に この業界に入ったのは母からの推薦がきっかけで、それまでは業界への憧れはあまりありませんでした。しかし、お芝居を続けてきた中、今は現場での新しい発見や学びを通じて、自分の可能性を広げたいと思っています。今回のドラマで共演した鈴木保奈美さんの、当たり前のことを丁寧に行う姿勢やフレンドリーな人柄には、とても憧れを抱きました。私もいつかあんな女優さんになりたいです。 ■大学生へのメッセージ 私がこの仕事を始めたのは小さなきっかけでしたが、それをつかんだからこそ今の自分があります。チャンスはいつどこで訪れるかわかりません。その一瞬を見逃さず、希望を持ち続けてください。また、どんなことにも前向きに取り組むことが大切だと思います。特に学校生活では、多くの経験や出会いを通じて視野を広げる機会がたくさんあります。その中で自分にとって大切なものを見つけ、可能性を信じて進んでいってください。 学生新聞オンライン2024年12月16日取材 法政大学4年 島田大輝 ドラマ『プライベートバンカー』2025年1月9日(木)スタート!【毎週木曜】 よる9:00〜9:54 テレビ朝日系24局 大富豪の資産を守るためなら“何でもやる”! 唐沢寿明が金融知識を武器に策動する新たなヒーローに!! 痛快マネーサスペンスが誕生!

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読売ジャイアンツ球団特別顧問 高橋由伸

置かれた場所で咲く力とは 読売ジャイアンツ球団特別顧問 高橋由伸(たかはし よしのぶ) ■プロフィール1975年(昭和50年)4月3日生まれ、千葉県千葉市出身。現役通算18年で打率・291、321本塁打、打点986慶大3年春に東京六大学野球リーグで三冠王。同リーグ通算23本塁打は現在も歴代最多記録。1997年ドラフト1位で巨人に入団し、松井秀喜氏とともに看板選手として活躍。新人特別賞、ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞7回に輝いた。2004年アテネ五輪日本代表として銅メダル獲得2015年に現役引退。翌年から3年間は巨人軍第18代監督。現在は巨人軍特別顧問、野球解説者としても活動している。 高校生のころからメディアに注目され、「天才打者」と呼ばれていた高橋由伸氏。プロ入り1年目からずっと活躍し続けてきた高橋氏だが、少し言葉を交わすだけで、その優しさや謙虚さが伝わってくる。選手、監督、解説者と、さまざまな経験をしてきた彼が、野球との出会いや考え方を語ってくれた。 ■ちょっとしたきっかけが自分を野球界に引き込んでくれた 親が野球好きだったので、子どものころはよくキャッチボールをして遊んでいました。僕が育った地域は野球以外のスポーツはあまり普及しておらず、地域のクラブチームが成立しているのは野球だけでした。小学4年生の時に地元のクラブチームに入ったことが、野球を始めたきっかけです。 ■プロ野球選手になったきっかけ 高校卒業後、慶應義塾大学へと進学しました。僕が通っていた桐蔭学園は大学進学を選ぶ生徒が多数派だったことや、先輩の髙木大成さんが慶應義塾大学へ進学したことで「先輩と同じ道を辿れば何かが見えてくるのでは」と感じたことが理由です。大学進学後、プロ野球選手になれるとは本気では思ってなかったのですが、大学3年生の時に髙木さんがプロ1年目で活躍するのを見て、「もしかしたら、自分でもできるのかもしれない」と思い、プロ入りを就職の選択肢の一つとして考えるようになりました。 ■プロ野球選手時代の思い プロになるまでは、実は「周りのために野球をしている」という想いが大きかったです。野球をすると家族が喜んでくれる。試合に出て期待に応えると、チームメイトはじめみんなが喜んでくれる。だから、野球を続けてきました。でも、プロになってからは、「仕事である以上は、自分のために頑張って稼ごう」と思うようになりました。プロ野球は不思議なスポーツです。チームスポーツという割に、チームが勝っても個人成績が悪いと評価されません。さらに、自分が打たないと居場所がなくなります。だから、できる限りのことをしようと思いました。選手時代、時にはけがをすることもありました。そのたびに、「自分には足りないことがあるから、次は気を付けよう」と意識を改めるように心がけていました。その後、監督になってから、チームの主力選手がケガで試合に出られないというのは、どれだけ大変なことなのかを知りました。 ■現在の活動と野球の魅力 監督を引退した現在は、主に野球解説者をしています。解説者の役割は、目の前で起きたことをわかりやすく説明すること。選手、監督の経験を活かした予測やコメントを、視聴者に楽しんでもらうことを意識しています。大切にしているのは、「いかにして言葉を伝えるか」です。僕は長らくこの業界にいたので、「これくらい説明すれば伝わるだろう」と、言葉足らずになってしまうことが多いんですね。でも、それだと小学生や野球をしたことがない人には、こちらの意図が伝わらないことも多々あります。だから、できるだけ丁寧に説明することを意識しています。野球の魅力は、筋書きのない点です。一発逆転がある試合もあれば、10回勝っていたチームに、番狂わせで1回負けてしまう試合もある。まるでドラマのようで、面白いんです。あと、野球は見る人全員が監督になれるところも魅力ですね。「自分だったらこうするのに」といろんな可能性を考えられるところも野球の楽しさです。 ■今後の展望 今後の目標は、野球をもっと発展させることです。最近は野球人口が減っているので、野球やスポーツ業界全体を盛り上げるために、活動したいです。実際、僕自身は、野球のために何かしなければいけない立場だと思っています。 ■メッセージ 苦しいときは、どうしても何かのせいにしたくなります。でも、自分が1番の当事者なので、何かつらいことがあっても、他人事にしない意識が大切です。苦しさから逃げていると、それを超える力がつきません。もがいたり、自分を振り返ったりするのは苦しいものですが、誰にとっても必要な時間です。僕も同じ経験をしたからこそわかるのですが、人生が順調ではなくても階段を上ることはできます。世の中は平等ではありません。でも、平等ではないからと腐るのではなく、自分が置かれた状況で努力し、次の道を探すことこそが大切です。 学生新聞オンライン2024年12月13日取材 青山学院大学1年 桑山葵/早稲田大学4年 西村夏 中学生記者(野球&ラグビー代表選手)が突撃インタビュー ■成る可くして成った球界のスター 高橋由伸 野球好きな父親と二人の兄の影響で野球を始めた高橋由伸さん。小学生で水泳も習ったが地元・千葉の野球チームで飛び級の活躍。しかし、学生時代、本人は野球選手になれるともなりたいとも思っていなかった。家を出たくなかった由伸さんと出したくなかった父親に対し、母親の強い勧めで、高校は桐蔭学園に進学。恵まれた仲間との全寮生活で必死に練習し、甲子園出場を果たしたと言う。高卒プロの道もあったが、「プロ野球は別世界」と思っていたそうだ。慶應義塾大学への進学を決めたのは、二歳上の高木大成の存在が大きかった。同じ道を辿って何か見えるかもしれない。身近な先輩がプロ指名され、自身も絶好調に活躍し、スカウトが来たことで、プロ野球が一気に現実的なものに。一位指名で読売ジャイアンツへ入団。家族と一緒に過ごす時間や周りの期待に応える事が喜びだった学生時代から一転して、職業として稼ぐ使命感が芽生え、初めて自分のために頑張ろうと決めたという。プロ野球はチームが勝っても個人の成績で評価される。だからこそ、自分に足りない部分を常に見極め、克服すべく、一生懸命やるのみ。何万人もの前でプレー出来る希少な舞台は、怪我をしても戻りたい場所だったと言う。「実は緊張するタイプ」だと自己分析するが、待ったなしがプロの世界。試合前は集中するために音楽を聴く選手が多いと言われるが、高橋氏は自身の登場曲はその時の気持ちに近い歌詞の曲や子どもたちが好きな洋楽を選んでいたという。現役最後に経験したのが、補欠という役目。補欠にも活躍の場があると知り、置かれた場所で咲く頑張り方があったと振り返る。引退後の現在は野球解説者のほか、小学生や初心者の指導者として、活動を続けている。選手と監督という両方の経験を持つからこその見解を、一般に楽しく分かりやすく伝えることを心掛けている。 由伸さん視点での野球の魅力を尋ねると「大谷劇場のように、漫画のような奇跡的な出来事も起きて一発逆転もある」「筋書きのない物語が面白い」「観る人皆が『自分ならこう采配する』などと監督気分が味わえる」と熱く語る。今後の展望としては「野球人生の経験を活かして普及のために何かをしたい、していかなくてはいけない」と宣言。海外ではシーズンごとに複数スポーツ経験をすることが主流だが、由伸さんは「職業とするなら難しいかもしれないが、多数のスポーツを経験すると、あらゆる身体の使い方を習得し、選択肢や可能性が広がる。野球人口を増やす上でも良い」と賛同する。プライベートでは趣味のゴルフで交友を深め、早朝から緑の中を歩き、健康に気を付けているのだとか。最後に、学生新聞の読者へ一言お願いすると、「苦しい時、他人事と思って逃げないこと。 自分で乗り越えないと力にならない。社会に出たら平等ではないので、置かれた現実の中で努力して、大切な場所を探して欲しい」。大きな瞳を輝かせながら、心強いメッセージを届けてくれた。 ■取材した感想 憧れの人を前に緊張しない訳が無いが、高橋由伸さんは学生に真摯・誠実にお話し下さり、その人間力に引き込まれ、取材が終わる頃には夢中で前のめりになる自分がいた。実際にお会いして、球界は2種類のスターに分かれると思った。大谷翔平選手やイチロー選手のように、小さな頃から高い目標設定で未来を描き、それを有言実行して予想を超える記録を残す天才タイプと、自分より人の為に、少し肩の力を抜いて置かれた環境で精一杯努力し、開かれた道を一歩ずつ進み、着実に達成する天才タイプ。成る可くして成ったスター、その代名詞が高橋由伸選手だ。プロスポーツ選手になることは普通に考えたら雲の上のことだ。僕もプロスポーツ選手を目指す上で、いつも高ければ高いほどの目標を持たなくてはならないと焦る時もあったけれど、高橋さんのお話を聞いて、決して正解は一つではないと気付かされた。自分が今置かれている環境がベストだと信じて、その中でひたすら努力すれば、道は見えてくるはずだ。絶対無理だよこんなのと思うんじゃなくて、一歩ずつ歩んで成長しながら階段を上っていく、僕はそんな高橋さんの生き様がカッコ良いと感銘を受けた。 執筆者: 青山学院中等部3年 吉田侍人(IMG インターナショナルクラシックベースボールU15日本代表、ラグビー U15東京都代表) 青山学院中等部3年 吉田侍人

コラム

テリー伊藤 コラムVol.40 2025年ご利益のあるスポットは?

車雑誌『ベストカー』の取材はお台場で行う事が多い。理由は交通量が少なく走行シーンの撮影がやり易いことや、平日は人もまばらで注目の新車などが目に付きづらい点だ。そんな訳で何十年もロケ地として重宝している。撮影が終わると近くのお台場ダイバーシティに行き、お茶を飲んだり食事をするのが定番のコースとなっている。その日、普段は空いているフード街がびっくりするような混雑状況。若い女性がわんさか居て各レストランに長い行列を作っていた。殆どの女性がミニスカート、それも超ミニ姿なのだ。色もカラフルで、ヒョウ柄、水玉、黒レース、革、シルバーラメ等々大変な事に。寒い季節もあって東京の街ではミニスカートの女性を見掛ける事が少なくなっているが、ここは別次元。余りの華やかさに戸惑ったが、すぐに理由が判明した。 最近売り出し中の男性アイドルグループ「NCT WISH」のイベントがあるらしい。人気のオーディション番組から誕生した日本人4名、韓国人2名からなるイケメングループなのだ。これで納得できる。ファン心理として、彼等に客席にいる自分を見つけてもらいたい一心で目一杯のおしゃれをして来ているはず。彼氏とのデートでも恐らくここまでセクシーな服は着ないだろう。男性ファンが、お目当てのアイドルのコンサートに行く時、セクシーなオーデコロンを身体中に吹き付けて行く話も聞いた事はない。この現象は恋する女性の特権かも。それにしても色とりどりのファションが街を楽しくさせてくれる。有難き遭遇だ。 そう言えばクリスマスが終わると、外国と違って日本はすぐにイルミネーションが撤去されお正月モードに切り替わる。昨日までのファンタジー感は跡形もなくなり、いきなりの松飾り。勿論お正月は嫌いではないが、クリスマスの余韻に浸る事も出来ず、サンタクロースの後ろ姿を見送る間もなく年を越して行くので、毎年複雑な気持ちになる。華やかな色が消えていく東京の街、救いは東京タワーのイルミネーションだ。澄んだ冬空の星たちを従えて輝くタワーは、春も、夏も、秋もその美しさにはかなわない。星が凍る程の寒さの中で見ることが出来る絶景ポイントは何処か。東京タワー下に建つ徳川家康家ゆかりの芝「増上寺」から眺めた東京タワーは息を吞むほど壮麗。寒さを忘れ立ち止まってしまう。 2025年色んな神社仏閣のお参りも良いが、ここから拝む神々しいタワーに願い事をするのは。きっとご利益ありますよ。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry