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Archive for 運営スタッフ

コラム

テリー伊藤 コラムVol.29 凄いぞ!オリンピック日本男子体操

パリ2024オリンピック体操男子団体がリオデジャネイロ大会以来2大会ぶりに金メダルを獲得。前回の東京オリンピックで中国に0.103点差で敗れた悔しさを晴らし、0.532差で中国に逆転勝利した。おめでとう体操JAPAN!私は感化されやすいタイプ、TVのスポーツ中継を見ていると、すぐその気になって体を動かしたくなる。マラソン、野球、空手、サッカー、スケート、ボウリング、サーフィンなど中継が終わると同時に家を出て行くことも。しかし体操は絶対に無いと言うか有り得ない…。 改めて体操競技を見ると、床、あん馬、吊り輪、跳馬、平行棒、鉄棒のどれを見てもレベルが高すぎてマネの仕様がない。床運動をみてもせいぜい私ができるのは布団の上ででんぐり返しするか、壁に向かって逆立ちするくらい。あん馬は、あん馬台の角に膝をぶつけて倒れるのが落ちだ。吊り輪は持ったはいいがそのまま動けずベランダに干された洗濯物状態になるのが目に見えている。跳馬は助走の段階で足がもつれて跳馬台にも届かず転倒、仲間に救助される。平行棒も腕力が無いので最初から平行にならない。一番厄介なのが鉄棒、競技が始まる前にスタッフの手を借りて鉄棒に手を添えるが、直後に落下する。仮に上ったとしてもその時点で力尽きる。 古くはウルトラC・ムーンサルト、後方片手車輪から、アドラー、現在最高クラスのGにランクされているカッシーナなどの超難易度高技など、宇宙旅行に一人で行くより無理。更に団体競技におけるプレシャーがどれ程大変なものか。今回日本の絶対的エース橋本大輝選手が二種目のあん馬で落下してしまった。しかしそこからの立ち直りが凄かった。「引きずっていたが、仲間が背中を推してくれた。」絶対に諦めない気持ちで最終種目鉄棒に向かう。自らの演技で勝敗、金メダルを手にするかが決まる。実力と共に凄まじい精神力が求められる。勝利インタビューで「今回の金メダルは私自身だけでは絶対に獲れなかった。仲間の力です。」と甘いマスクに微笑みを浮かべて話す。仲間と勝利を分かち合える団体スポーツの素晴らしさに感激したが、改めて体操競技は見るものであって自分では無理だと痛感。スポーツ競技は沢山あるが、一番身体能力が必要なのが体操ではないかと思ってしまう。彼らはいつの時点で体操競技を志したのか。小学校時代にすでに自分の才能に気づいていたのか興味深い。 東京は猛暑で屋外スポーツをする環境じゃない。そんな訳で私は冷房の効いたスポーツクラブのランニングマシンに乗りながら、オリンピック、パラリンピック日本選手の応援に専念する。頑張れニッポン! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

株式会社REAL JAPAN 代表取締役 高崎圭悟

自分の特性・価値に気づいて、人生を切り拓く 株式会社REAL JAPAN 代表取締役 高崎圭悟 (たかさきけいご) ■プロフィール1985年群馬県生まれ。株式会社REAL JAPAN代表取締役/NPO法人 地方創生機構 代表理事。研修講師・YouTuber・イスラエル観光親善大使。・研修事業:通算800回以上開催、のべ8万人以上が受講。・YouTube総再生数250万回・インスタグラム総再生数1800万回・保守派の世界最大カンファレンス『CPAC JAPAN』に登壇。 独自の研修プログラムを通じて、自分らしい生き方を提案する株式会社REAL JAPAN。代表取締役の高崎圭悟さんは自身の経験を通じた研修・講演会事業の展開に加えて、日本最大級の国際政治カンファレンスであるCPAC JAPAN 2023のパネラーや、イスラエル親善大使などマルチな活躍をされている。そんな高崎さんに過去の経験や事業内容、また、これからを生きる人々に伝えたい思いをお伺いした。 ■「お金」に対するコンプレックスを感じていた 信州大学に在学していた頃は、中学生からはじめたスノーボードに力を入れていました。骨折をしたままでもなお滑ったり、長野県内の大会で優勝したりと本当に夢中でした。一時期はプロになろうとも考えていましたが、スノーボードの先輩方からプロ生活の厳しさ・先のなさを教えられて断念しました。当時、僕の家庭はあまり裕福とは言えず、なんとか大学に進むことができたという状況でした。「お金で困りたくない!」という思いや貧乏に対するコンプレックスを抱えていたため、就職活動は給与が高い大企業を中心にエントリーをしていました。大学卒業後はインターンシップにも参加をしていた富士通長野システムエンジニアリングに、SEとして入社することができました。 ■お金を稼ぐが心が満たされず、すべてを投げ捨てた 入社後は、1年目からソフトウェア特許を6件出願したり、営業部と開発部の先輩を集めてプロジェクト立ち上げて21件の特許を出願したりと、全力で業務に取り組んでいました。自分で言うのもなんですが、そのお陰で「最年少課長になれるぞ!」と太鼓判を押されるほど、出世コースに進んでいましたね。しかし、最年少課長になるには、「最速でも30歳以降。それに加えて課長の枠が空く必要がある。」と言われ、どちらも自分の力ではどうにもできないため、「このまま頑張ってもなぁ」とモチベーションが下がるように。そんな中、東京出張の際に出会った人から、いわゆるネットワークビジネスに勧誘されました。当時はその実力主義の世界が、自分には魅力的に感じ、富士通を退職して参画しました。そのビジネスでは、月収250万円以上、年収3000万円近く稼ぐことができ、金銭的にはかなり結果を残すことができました。小さい頃からのコンプレックスだった「貧乏」を解消できた、と感じていました。しかし、その一方で、どこか空虚で仕事に対する満足感を得ることができませんでした。どのビジネスもそうですが、特にネットワークビジネスでは、結果を残せる人もいる一方で、結果が出せずに借金を抱えてしまう人も多くいました。彼らを見て、「自分のせいで悲しむ人や不幸になる人が生まれている。本当にこれでいいのか?」と考えるようになり、引退し、それまで得ていた収入も手放すことを決めました。 ■お金や成績などの結果主義ではなく、「使命」を追求する。 自身のしていることが悪いことなのではないかと葛藤している時にちょうど出会ったのが、キリスト教の牧師の方でした。そのことを通して自分のこれまでやってきたことを悔い改め、お金を目指すことをやめ、人がもともと生まれ持った使命に進もうと考えるようになりました。一般社会では、お金や成績など(最近ではフォロワー数・再生数など)の「結果・数字」を出さないと認められない、いわゆる成果主義が蔓延しているように感じます。そのど真ん中にどっぷりいた人間だからこそ、その違和感や問題点がイヤと言うほどわかるのです。そして、これは学生さんにも伝えたいことですが、この成果主義というものは、学校の中にも深く浸透しているイデオロギーです。数字の結果を出せない者は、落第者のレッテルを貼られてしまいますよね。でも、人間というのはそういう一つの指標で図れるものではなく、それぞれに生まれ持った特性があり、天から与えられた使命がある生き物だと思うのです。80億人の人間は、それぞれに違った特性があり、本来は優劣で図れるものではありません。そのような、一人ひとりの人間は神が創った最高傑作であるという前提に基づいて、ある牧師によって開発された研修メソッドを教わる機会がありました。一人ひとり違う人間の脳の特性を大きく4種類に分類し、生まれたままの特性を理解し、その強みを活かすことで、アイデンティティを回復し、人を助けていこうというアプローチ。それが、現在の研修事業であるRevivalシリーズの研修にもつながります。 ■人と人とを一致させる研修「Revival Union」。人間の脳の特性を4つの属性で捉え、個人の強みに着目 「Revival Union」では、脳の使い方に合わせて人を「勇」「誠」「義」「礼」の4つのタイプに分類します。「勇」は失敗を恐れず行動する人、「誠」はロジカルに計画を立てて達成する人、「義」は目的やビジョンで生きる一貫性を求める人、「礼」は人間関係や感情を大事にする人です。この4つのタイプには得意・不得意があり、それぞれのタイプが互いの弱点を補っています。日本では弱点や苦手分野を克服させ、完璧な人間を求める傾向が強いと思います。そのため、何か1つできないことがあると存在を否定され、アイデンティティが低くなってしまいがちです。この研修ではまず自分自身のタイプと得意・不得意を理解して、「自分らしさ」を再確認する一方で、他者のタイプ、つまり「違い」も理解していきます。「違い」を認識することで、互いにできること・できないことを明確にして、支え合う気持ちを育んでいきます。人々が喧嘩をしたり、争いをしたりしてしまうのは、「違い」を認めず同質化を試みた結果です。だからこそ、他者の「違い」を理解するこの研修は、人間関係において非常に有効です。また、自分の強みを発揮して生きることが、喜びをもって仕事をすることに直結します。それが、それぞれの使命を生きることに繋がってくるので、この研修はとても有用だと感じています。 ■学生たちへ。時代は急激に変化している。古い体制の評価は気にしなくていい。 最近の若い世代は特にそうですが、昔と違って家や車など、個人で何かを「所有したい」という欲求や誰かと「競争する」という発想が少なくなり、先に説明した「成果主義の呪縛」から自然と逃れている人が増えているように感じます。何よりも、生成AIやドローンといった新しい技術が次々に生み出されていて、既存の業界や考え方がどんどん破壊されています。これからはもっと加速度的に変化していきます。こういった時代や技術による社会の変化の流れは、抗おうとしてもムダで、必ず来る大きな波のようなものです。古い考えや概念の会社や組織はあっという間に消えさっていくので、いま現在の社会に求められているものではなく、技術革新の先を見据えた人生戦略を立てることを、学生さんたちには強くおすすめします。具体例を挙げると、今のホワイトカラーの仕事もブルーカラーの仕事も、軒並みAIにとって替わられることは誰でも想像がつくと思いますが、それらの消えていく仕事のスキルなどを今から勉強することは致命的な戦略ミスです。そうではなく、「AIを使いこなす」「AIで何ができるかを考える」など、思考の視座を上げて、メタ認知力を鍛えることを推奨します。そして、自分の個性を大事にしてほしいです。これからは、ChatGPTのようなことしか言えない人間は社会的な価値がゼロになっていきます。つまり、AIっぽくない人間・尖っている変わった人間の価値が上がり、当たり障りのない意見しか言えない人間は無価値になっていくということです。なので、資格やスキルがあるとかないとか、テストの点数などに一喜一憂するのではなく、そもそも自分自身の存在自体に価値があり、それを表現すればするほど社会的な価値も上がっていくのだと思って、高いアイデンティティをもって生きていっていただけたらと思います。 学生新聞オンライン2024年5月27日取材 武蔵野大学4年 西山流生 武蔵野大学4年 西山流生 / 京都芸術大学1年 猪本玲奈

コラム

テリー伊藤 コラムVol.28 パンの耳 美味しすぎる

コンビニで「寒天入りわらび餅」を購入した。冷蔵庫で冷やして早速食べてみると…すこぶる美味しい。きな粉と餅の相性が絶妙。大満足なのだ。昔懐かしい和菓子は一時絶滅状態だったが、スーパーマーケットやコンビニエンスストアのお陰で完全復活したのでは。かりんとう、乾燥芋、草餅、水ようかん、ボンタン飴。更に、こんぺい糖に代表される昔駄菓子屋さんで売っていたきびだんご、当たり付きガム、麩菓子、ココアシガレット、甘酸っぱいイカなどの懐かしい商品も容易に手に入る。挙げ出したらきりがない。 ご飯ものだって、昔はおにぎりやお稲荷さんは家庭で作るもので、お店では売っていなかった。大好きな赤飯は段取りも大変だし、私の家でもお正月やお祝い事の時にしか作ってもらえず、年に数回ほどしか食する事が無かった。それが今や「赤飯おにぎり」は毎日食べることが出来る。当時は有難みをもって食べていたが今やそれは無い、しかしいつでも食べられる便利さは魅力的だ。 長い間お祭りなどでしか見る事がなかったラムネも復活した。飲むたびに聴こえるビー玉の音色が子供時代に引き戻してくれる。カルピスも再び脚光を浴びている。家庭で作る濃縮カルピスではなく、出来上がったペットボトルのカルピスは自分で作る味と違うので最初は違和感があったが、今ではすっかり慣らされてしまった。菓子パン関係もありました。青エンドウ豆で造ったうぐいすパン、あんこをカステラで挟んだシベリア、ジャム・チョコレート・カスタードクリームの3つの味が楽しめる三食パンなど大物パンが大復活している。嬉しい限り。 そんな時、とんでもない大物が目の前に登場した。「パンの耳」です。皆さん知っていますか。パン粉は時々見かけますが、そうではなくて食パンの端の堅いところやサンドウィッチの周りだけカットして販売している商品です。横浜本牧「本牧館」で発見!何と大量に入っているのに50円と激安。子供の頃学校近くのパン工場で買った思い出があり、懐かしいのなんのって。そのまま食べるのではなく、家に持ち帰りオーブントースターで焼いた後、熱くなったフライパンでバターを絡め、お砂糖をまぶす。作り方をネットで調べたのでこれがベストかどうか判らないが、取り敢えず完成。試食タイムに移る。テーブルの横には牛乳。ベストマッチではないか。カリカリになったパンの耳にお砂糖、昔友達と公園で食べた思い出の味が一瞬で蘇る。わずか50円でタイムスリップ出来るのだ。近頃流行の高級食パンも良いけど、50円パンの耳も絶対にいい!誰でも家庭で簡単に作れる。挑戦してみませんか。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

イベント・企業紹介

GAKUSEI RUNWAY 2024 SPRING&SUMMER

2024年6月16日(日)リバープレイス(大阪府大阪市浪速区湊町1丁目3-1)にて、GAKUSEI RUNWAY 2024 SPRING&SUMMERが開催された。「GAKUSEI RUNWAY 」は関西コレクションが展開するコンテンツで、日本中の学生の「夢」を叶えるイベントです。関西コレクション実行委員長でKANSAI COLLECTIONの中川康之会長にイベントにかける想いと、ステージ出演したレジェンド学生さんへお話を伺った。 ■株式会社KANSAI COLLECTION 代表取締役 会長 関西コレクション実行委員長 中川康之 私達は日本中の女子学生が夢を叶えられるステージを提供したいという想いでGAKUSEI RUNWAYを開催しています。今回の来場者数は一万人以上と最大規模のステージで、出演者の気持ちを昂らせられるようなステージを目指しています。皆さんの憧れであり、トレンドを体感できるKANSAI COLLECTIONにもつながるGAKUSEI RUNWAYは、一万人以上のお客様が選ぶ選抜モデルが出るというところが魅力です。 今後はこのようなイベントを大阪だけではなく、47都道府県すべてのエリアで実施していきたいと思っています。事業的には地域を代表する企業様に主催をしていただき、フランチャイズ展開を視野に入れています。その地域で生まれ育った子が自分の地元で初めてステージデビューできるといった夢を叶える場を作っていきたいです。 学生の間は勉強や遊び、スポーツなどたくさんのことにチャレンジしてください。体験を通して、いろんな気持ちやいろんな瞬間に立ち会えると思いますが、自分が本気でやりたいことに覚悟を決めて狭く深く頑張ってほしいですね。  ■レジェンド インタビュー  ※2023年12月10日開催GAKUSEI RUNWAY受賞当時の部門 ◇小学生低学年グランプリ 千原ゆら    Q1 挑戦しようとしたきっかけお母さんに「やってみたら?」と勧められて、やってみたいと思ったので挑戦しました。 Q2 グランプリをとった時の気持ちとランウェイを歩いた感想グランプリをとれてKANSAI COLLECTIONも歩けたことをみんなに知ってほしい!と思っていました。「私を見て!」という気持ちで歩きました。 Q3 KANSAI COLLECTIONへ出演した時の気持ちトップバッターでお客さんも多く、距離も長かったので緊張したけど、せっかくグランプリをとったのだから堂々と歩かないとという気持ちで臨みました。 Q4 今後の夢や目標モデルでありつつ有名な女優さんになりたいです!アンミカさんのように面白くて良い人を目指しています。 O5 GAKUSEI RUNWAYを目指す仲間や後輩へのメッセージ緊張してても笑顔で、みんなと一緒にいたら緊張も忘れられると思うので、一生懸命頑張ってください。応援しています。 ◇小学生高学年グランプリ COCOA Q1 挑戦しようとしたきっかけ元々GAKUSEI RUNWAYに出ていた友達に一生に出ようと誘われて出場を決めました。 Q2 グランプリをとった時の気持ちとランウェイを歩いた感想まず心臓がドキドキで飛び上がりました。信じられない気持ちと目標だった夢のKANSAI COLLECTIONで歩けるということも本当に嬉しかったです。とても緊張したけど、前回より自信をもって歩けました。 Q3 KANSAI COLLECTIONへ出演した時の気持ち緊張の方が大きくなるかなと思ったのですが、楽しいという気持ちの方が大きくて堂々と歩けたと思います。 Q4 今後の夢や目標みちょぱさんのように面白くて、綺麗なモデルさんや女優さんになりたいです! O5 GAKUSEI RUNWAYを目指す仲間や後輩へのメッセージ胸が張り裂けそうなくらい緊張していても、笑顔だけは忘れずに歩いてほしいと思っています。応援しています。 ◇中学生グランプリ 中川乙葉 Q1 挑戦しようとしたきっかけ前大会でグランプリを取っていた友人の姿を見て、私もKANSAI COLLECTIONを目指そうと思い挑戦しました。 Q2 グランプリをとった時の気持ちとランウェイを歩いた感想結果がどうなるか不安な気持ちもありましたが、グランプリを取れて嬉しかったです。ステージは観客との距離も近くて少し緊張しましたが、楽しく歩くことができました。 Q3 KANSAI COLLECTIONへ出演した時の気持ち前にも出演したことはあったのですが、1人で歩くのは初めてでした。緊張もありましたが、全力を出し切れたと思います。 Q4 今後の夢や目標モデルや女優などマルチに活躍したいです! O5 GAKUSEI RUNWAYを目指す仲間や後輩へのメッセージ緊張してもニコニコの笑顔と自信があれば、必ず自分の魅力に気づいてくれる人がいます。頑張ってください。 ◇高校生グランプリ Rairu Q1 挑戦しようとしたきっかけKANSAI COLLECTIONのTikTokライブがきっかけです。第一回大会から出場しています。 Q2 グランプリをとった時の気持ちと今日ランウェイを歩いた感想第1回大会から出ていたので、選ばれた瞬間は涙が出るほど感情が昂りました。とても嬉しかったです。お客さんが名前を呼んで応援してくれていたので、安心して歩くことができました。 Q3 KANSAI COLLECTIONへ出演した時の気持ち緊張もありましたが、自分らしく堂々とパフォーマンスをすることができました。観客からのリアクションも嬉しかったです。 Q4 今後の夢や目標国内のコレクションを全制覇して、パリコレに出ることが目標です! O5 GAKUSEI RUNWAYを目指す仲間や後輩へのメッセージ思い切り自分の個性を出すことができたら、絶対に目標を達成できると思います。自分らしく頑張ってください。 ◇大学・専門学生グランプリ 奥穂乃香 Q1 挑戦しようとしたきっかけ最初はなかなか勇気が出ませんでしたが、学生最後の思い出として挑戦しました。 Q2 グランプリをとった時の気持ちとランウェイを歩いた感想まさか選ばれるとは思っていなかったのでびっくりしましたが、家族や友人の前で結果を残せたことが嬉しかったです。またKANSAI COLLECTIONに対して気合が入ったことを覚えています。ステージはリラックスして最大限のパフォーマンスができたと思います。 Q3 KANSAI COLLECTIONへ出演した時の気持ちリハーサルから緊張していましたが、本番は「やってやるぞ!」という気持ちで歩くことができました。家族や友人からの応援の影響も大きかったです。 Q4 今後の夢や目標社会人生活とモデル活動の両立を目指しています。まだまだこのようなイベントに出続けたいです! O5 GAKUSEI...

学生新聞インターン

マテリアルグループ株式会社 代表取締役CEO 青﨑曹 

PRを通して、より面白く、より熱い日本を創る マテリアルグループ株式会社 代表取締役CEO  青﨑曹 (あおさきそう) ■プロフィールマテリアルグループは、あらゆるビジネスのマーケティングコミュニケーションを総合的に支援する専門事業集団です。「Switch to Red.」をビジョンに掲げ、「すべての個性に情熱を灯し、可能性を最大化する」ことをミッションに、クライアントの事業課題をともに解決し、クライアントと社会の関係性を強化するパートナーとして成功に寄与します。 企業やサービスのストーリーを紡ぎあげ、PR発想に基づいてクライアントのビジネスを支援するマテリアルグループ。「PRの力で日本をより面白く、熱くしていきたい」と語るのは、同社代表の青﨑曹社長。ご自身が抱く、強く熱い想いを中心に、お話を伺った。 ■「いま」に生きる学生時代と、入社の決め手 高校3年生から大学時代にかけての5年間は、アパレルショップでアルバイトをしていました。なぜなら、服が好きだったからです。そのため、大学時代は、勉強や課外活動よりも、アルバイトに力を入れた生活を送っていましたね。アルバイトを通じて、お客様との対話は相当な数を行ってきたおかげもあり、初対面の方との会話から、その方の好きなものを予想し、ご提案する販売経験は、今にも生きていると感じます。一方、アパレル業界での就業体験を通じて、「好き」と「働く」は大きく異なることを実感しました。そのため、自分の将来を考えた時に、アップサイドを取りにいく余地のあるマーケットかつ、「人」を大切にしてくれそうな会社に入ろうと考え、PR会社であるマテリアルに入社を決めました。 ■マテリアルグループならではの強みは「人」 私たちは、PR発想をコアにしたマーケティングコミュニケーション全般を支援するPR会社です。従来型の広報業務は企業の広報予算にアクセスすることで、メディア露出獲得のための施策が主流となりますが、これらに留まらず、マーケティング課題全般を支援することで、企業の広告宣伝・マーケティング予算にアクセスし、広告・デジタルをふくむ統合的な施策をご提供することができます。これらのビジネスモデルを支えているのは、「人」です。プロジェクトごとにプロデューサーを中心としたチームを組成するプロジェクト型で取り組むほか、プランニングの専門セクションを有している点は業界内でもユニークだと思います。PRのスペシャリストによる緻密なコンサルティングが、このビジネスモデルを支えています。加えて、国内外を含めてさまざまな賞をいただいていますが、これも「人」が基軸になっています。弊社には年齢に関係なく、手を挙げることで多くの機会が得られる仕組みがあるため、チャレンジ意欲のあるメンバーが活躍する環境が整っています。このように、たとえ新人でも経験が少なくとも、プロジェクトに主体的に携わることのできる仕組みが、弊社の高い競争力を支えています。また、「良い人が多い」点も大きな強みです。弊社が掲げるバリューのひとつに、「Be a hero(誰かの英雄であれ)」がありますが、このバリューを体現するスタッフが非常に多いと感じています。プロジェクトでは、クライアントと直接やりとりする人が主役に見えがちですが、弊社にはチームでプロジェクトを完遂させるという文化が根付いているため、自分の功ばかりを築こうとするのではなく、「この人たちのために自分がヒーローになろう」という意思を持ったスタッフが多いですね。 ■人への投資を惜しまない企業風土 「人」への投資は、惜しまずに行います。たとえば、評価制度です。マネジメントメンバーたちは、“チームでつくる価値”を強く意識するため、公平性・透明性が担保されるよう、評価基準を共有し、複数のプロセスを重ねて最終的に評価を行うことを徹底しています。これにより、適切な評価が可能になります。次に、全従業員が月に1回、自分たちの視座・スタンスが下がっていないかを、マネジメントとメンバー間で確認しています。多い部署では、週に1度、アングルチェックミーティングを行いながら、目標を共有しています。さらに、パフォプレという人事評価ミーティングも行っています。これは、マネジメント層が、自分のメンバーたちのパフォーマンスを経営陣に責任をもってプレゼンするという制度です。その他には、コアタイムを設けていないスーパーフレックス制度もあります。また、夏季・年末年始以外に年1回5連休を必ず取ってもらう休暇制度があるのですが、チーム全員がこの制度を利用するとさらにインセンティブが出る仕組みを作ることで、周囲に気兼ねなく取りやすく仕組み作りも行っています。 ■今後の目指す姿・実現したい未来 今後の目標は、PR業界でNo.1になることです。私は、PRパーソンの持つポテンシャルは可能性に満ちていると考えており、その地位は今以上に向上すべきだと思っています。そして、その可能性を大きく左右するのがルールメーカーです。どんな業界でも、トップがその業界ルールを決めるものです。日本中のPRパーソンが、今よりも良い環境、良い対価、良い社会的地位に立つためには、私自身がルールに携わる人間にならなければならない。そのために、まずは弊社が業界No.1になる必要があります。その結果として、PRパーソンの存在感や任される仕事の幅が広がり、業界が発展する。最終的に、国内外で一定の力を発揮できるマーケットに育てていければと考えています。加えて、PRを通して、日本をより面白く、熱くしていきたいです。昨今の日本の国際競争力は少しずつ低下しているように感じ、悔しい思いをする場面もあります。私は、この国の産業・サービス・その根底にあるクラフトマンシップが大好きなので、PRの観点から真に価値ある“個性”を盛り上げることのできるPRエージェンシーにしていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 私たちのバリューには、「Make New.」というものがあります。PR業界は古い業界ですが、若い経営陣が率いている組織は当社くらいだと思っています。前例のないチャレンジに臆することなく、未来の可能性を信じ切ることのできる人には、非常にワクワクする会社です。「古い業界だからきっと変わらないだろう」と受け入れるのではなく、どんどん挑戦してほしいですし、私は代表として、新入社員として入ってきれくれるみなさんの能力を引き上げるための努力を惜しみません。No.1のPRエージェンシーを目指したいという思いに共感してくれる学生の方に、私たちの門を叩いてもらえたら非常に嬉しいです。 学生新聞オンライン2024年5月14日取材 高崎経済大学4年 髙橋邑弥    慶應義塾大学3年 塚紗里依/中央大学4年 松島鈴音/京都芸術大学1年 猪本玲菜/高崎経済大学4年 髙橋邑弥

イベント・企業紹介

MBS『三ツ矢先生の計画的な餌付け。』制作発表会見

2020年から2022年まで「マンガよもんが」(ぶんか社)で連載され、今年1月に待望の単⾏本化された、松本あやか原作の人気漫画『三ツ⽮先⽣の計画的な餌付け。』が実写ドラマ化し、2024年7月25日(⽊)よりMBSドラマフィル枠(MBS:毎週⽊曜25時29分〜、TVK毎週木曜25時~ほか)にて放送がスタートします。本作は、大人の色気を纏った50代のイケオジ有名料理研究家と、元球児でピュアでまっすぐな雑誌編集者が《美味しいごはん》と《丁寧な生活》によって心を通わせていくヒューマングルメラブストーリーです。イケオジ有名料理研究家・三ツ矢歩役には、シンガソングライター・山崎まさよしさん、三ツ矢に心も胃袋も掴まれる雑誌編集者・石田友也役には、酒井大成さん(さかい・たいせい)がW主演を務めます。放送前日7月24日(水)の本ドラマの制作発表会見に山崎まさよしさん、酒井大成さんが登壇しました。 ■山崎まさよしさん(三ツ矢歩役) 料理研究家で同性愛者という役どころです。これまで犯罪者とか少し変わった役を演じることが多かったのですが、この多様性の時代にお話をいただいて、やってみたら面白いかなと思いお受けしました。地上派ドラマ26年ぶりの主演だったこともあり「ええんかな?」と思ったのですが、やってみて良かったです。大成くんは好青年で、何より芝居に真摯に向き合っている姿に心打たれました。僕は投げ出しがちなんですよ(笑)。でも彼はプロなんですよね。役への向き合い方に尊敬しています。現場で「明日頑張りましょうね」「走りましょうね」と声をかけてくれて、励まされました。スタッフも監督もプロフェッショナルで、原作に対して意気込みがすごく見えた現場でした。暑い中とても大変だったと思うけれど、しっかり動いてくださって、とても感謝しています。 ■酒井大成さん(石田友也役) 元球児で、女性誌の若手編集者という役どころです。ピュアで真っすぐな性格なんですが、過去の劣等感や悔しさを抱えながら三ツ矢先生と出会い、成長していきます。僕はオーディションで合格して、この役を演じさせていただくことになりました。石田くんは元々プロ野球選手を目指していて、僕もずっとサッカーをやっていたので共感しながら役作りができることにワクワク感がありました。山崎まさよしさんは、大・大・大先輩でレジェンドという印象が強かったので、初めてお会いした時はすごく緊張しました。でも、現場で1ヵ月間ご一緒していく中で、優しい山崎さんだったり、ダジャレを言って現場の空気を明るくしてくれるお茶目な山崎さんだったり、色んな一面を知ることが出来ました。根っこの部分に揺るぎないものを持っている方だと知って、こういう素敵な大人になりたいなと思いました。劇中に出てくる料理はどれも再現度が高くて、めちゃくちゃ美味しかったです。原作からそのまま映像化されたような料理を毎話食べることができて幸せでした。 ◆第1話で特に見て欲しいシーンは? 山崎:やっぱり出会いのシーンですかね。彼が訪ねて来たときに、非常に奇妙な格好で出てきます(笑)。サングラスしたキャリーさんみたいな・・・。撮影中はすごい暑かったです。でも、あの出会いがあってこその展開なので、とても印象に残っています。 酒井:僕は、石田の夢のシーンですね。とにかく石田の妄想が過激すぎて(笑)。1話だけではなくて、これからどんどん出てきます。コミカルに描かれているので、ぜひ楽しみにしていて下さい。 ◆オープニング主題歌、山崎まさよし書き下ろし「フリト」について 山崎:同性愛者でも、動物でも無差別に愛するという想いがあります。曲名は、劇中の中で年の差や性別を乗り越えていくキーとなっている犬の「フリト」からとりました。 酒井:近い距離でご一緒させてもらった分、楽曲を聞いた時に「ああ、あのアーティストの山崎まさよしさんだ!」と鳥肌が立ちました。 ◆視聴者の方へのメッセージ 山崎:こういった設定の中で見てもらうと「こういう形もあるんだな」と思うようなドラマだと思います。BLというジャンルもありますが、差別的なものではなく、見てて温かい気持ちになれるものだと自分でも撮影して思っているので、楽しみにしていてください。 酒井:この作品を通して大切な人に「会いたいな」「食卓を囲みたいな」と思っていただいたり、そういう人がいることのありがたみ、料理が感情をつなげてくれることの素晴らしさを感じていただきたいです。そして、何より作品をご覧になって心温まっていただけたら嬉しいです。 「三ツ矢先生の計画的な餌付け。」 キャスト:山崎まさよし 酒井大成川面千晶 三原羽衣 今森茉耶丸山智己/宇野祥平 原作:松本あやか「三ツ矢先生の計画的な餌付け。」(ぶんか社刊)監督:野尻克己脚本:吉川菜美音楽:原田智英制作プロダクション:レプロエンタテインメント製作:「三ツ矢先生の計画的な餌付け。」製作委員会・MBShttps://www.mbs.jp/mitsuyasensei/ 学生新聞オンライン2024年7月24日取材 東洋大学 2年  越山凛乃

丸山実友

株式会社ヒノキヤグループ 代表取締役社長・CEO 近藤昭

枠に囚われるな。何事にも興味と疑問を持とう 株式会社ヒノキヤグループ 代表取締役社長・CEO 近藤昭(こんどうあきら) ■プロフィール 1967年兵庫県神戸市生まれ。慶應義塾大学卒業後、大手生命保険会社や外資系保険会社勤務を経て、2001年に株式会社ヒノキヤグループの前身である株式会社東日本ニューハウスに入社。専務取締役、副社長を経て、2009年株式会社桧家住宅(現・株式会社ヒノキヤグループ)代表取締役社長に就任、現在に至る。 従来の概念を覆す住宅用全館空調システム「Z空調」を生み出した、ヒノキヤグループ。看板商品であるZ空調の魅力を世の中に発信し、多くの人に理想の家を届けている。現社長である近藤昭氏は、32歳のころ、全くの未経験で住宅業界に飛び込んだ。そんな近藤昭氏の学生時代から社長に就任するまでの経験、Z空調開発までの道のり、家づくりや仕事に対する思いについて伺った。 ■全ての経験が今につながっている 学生時代はサークルやアルバイトに力を入れ、多くのスポンサーをつけたイベントも開催していました。このような経験を通して、自然とお金儲けやブランディングについて学んでいたのかもしれません。また、私の時代は、景気がよかったものですから、1ヶ月ほどアメリカにもいきましたね。そこで、見たものや感じたことは今でも鮮明に覚えています。大学卒業後は、保険会社に就職しました。いわゆる日本の昔ながらの文化が根付いている会社で、その上司をみた時に自身がなりたい姿とのギャップを感じ、将来性も見いだせなくなり、2年ほどで外資系の保険会社に転職しました。名もなき会社でしたが、新製品を売ることにやりがいを感じて、7年間働きましたね。この会社に勤めている時に、結婚し、32歳の時、全くの未経験ではあるものの、義父の会社である当社に入社しました。入社当時から、管理職のような仕事を任されていましたが、前職でも人のマネジメント業務は行っていたので特に問題はなかったですね。当社で働き、勉強する中で、気づいたことがあります。自分では大手になればなるほど商品を安く売ることができると思っていたのですが、住宅業界は逆なんですよね。大きな会社ほど値段が高く、小さな会社ほど値段が安いことが多い。これに気づいた時は、面白いなと思うと同時に、自社では良い品質のものを良心的な価格で提供したいという思いが生まれました。 ■常に変化、変革を求めている やはり、当社の魅力はZ空調ですね。一年中家の温度を快適に保つことができ、玄関や脱衣場、廊下も温度が変わらないので、身体にも家計にもやさしい全空調です。特許も取得しています。Z空調を確立するまでには、約3−4年かかりましたね。私は、入社してからすぐ自分の家を建てたのですが、吹き抜けにこだわったところ、夏は熱く、冬は寒く、とても快適だとは言えない空間になってしまいました。どうして快適な温度に保たれないのだろうかと、ずっと考えるようになりました。転機となったのは、現場発泡型(吹付)断熱材の会社(日本アクア)との出会いです。ちょうど、世の中的に地球温暖化が問題になり始めたころで、断熱材への注目度も高まっていました。そこで、「現場発泡型の断熱材を使えば、家の温度を快適に保ち、省エネも実現できるのではないか」と考えたんです。家を建てたこと、地球温暖化、断熱材の会社との出会いが偶然重なって、Z空調の開発に至りました。新しいことを始める時、一番大切なことは、自分たちで考えて、こうあるべきだと思うことを実現することです。私も常に理想とする住宅を追い求めてここまで来ました。他社と差別化を図ったからアイデアが生まれたのではなく、理想の家を作ることを最優先にした結果が他社との差別化につながっていると思います。実は、これまでをふりかえってみて「大ピンチだったな」と思うことは、一度もないんです。その理由は、私が常に変化や変革を求めているからだと思います。42歳の時、社長に就任したのですが、前社長である義父に次のように言われました。「50歳になる時、会社の売り上げを1000億、利益を50億にしてください」と。これを社員全員の前で言われたのには、びっくりしました。でも、今となっては言ってもらえてよかったと思います。当時の当社の売上は約160億円、利益は約7、8億円だったんですね。しかし、そこからがむしゃらに頑張り、経常利益50億円を達成ができ、直近では75億円になりました。これも、「理想の家を作る」という思いと、常に変化、変革を求めていたから達成できたのだと思っています。 ■一緒に働きたいのは、実行力のある人 自分でよく考え、実行する人。そんな人たちと一緒に働きたいですね。日本人は、言われたことを言われた通りにやるというマインドで働いている人が多いように感じます。しかし、これでは会社が駄目になってしまうんですよ。例えば、ルールがあるならば、そのルールに意味があるのか考える必要があると思います。そこに意味があるのであれば、従う必要があります。でも、「昔からそうだから」「世の中がそうだから」という理由で、そこに疑問を持たずに従うのは違うと思うんです。思考停止に陥らず、何に対しても疑問や興味をもつ。間違っても、失敗してもいいから、とにかく考えて思いついたことはまず実行してみる。そういう人たちが会社をより良い方向へと導いてくれると信じています。 ■大学生へのメッセージ これからの時代、自分自身でしっかり考えなければいけない時代になってくると思います。日本はこれからどうなっていくのか、世の中はどうなっていくのか、どのような仕事が必要になってくるのか。このようなことについても考えなければいけません。自分が社会人になった頃は、言われたことを行えばなんとか生きてこられる時代でした。しかし、これからはそうはいきません。色んなことを考えて、どんどん実行していかないといけない時代なんです。繰り返しになりますが、何をやるにしても、思考停止に陥らず、常に様々なことに興味や疑問をもって、実行に移すことが大切です。これの積み重ねが、自分自身の成長に繋がり、新しい分野に可能性を生み出すきっかけになります。学生の皆さんには、このような姿勢を常に持ち続けてもらいたいです。 学生新聞オンライン2024年5月30日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 立教大学4年 緒方成菜 / 国際基督教大学2年 丸山実友

学生新聞インターン

映画監督 亀井岳

学生時代のうちに、「一生追いかけられるもの」を見つけてほしい 映画監督 亀井岳(かめい たけし) ■プロフィール1969年9月3日生まれ。大阪府出身。大阪芸術大学美術学科卒業、金沢美術工芸大学院修了。2001年、造形から映像制作へと転身。旅と音楽をテーマに、ドキュメンタリーとドラマを融合させるスタイルで映画を監督。監督デビュー作はモンゴルの喉歌をテーマにした「チャンドマニ~モンゴル ホーミーの源流へ~」(09)。マダガスカルの人々の営みと音楽を主題にした2作目「ギターマダガスカル」(14)は、2016年にマダガスカルの首都アンタナナリヴでも上映された。本作は、監督3作目となる。 8月3日公開の映画『ヴァタ~箱あるいは体~』。同作の監督と脚本を務めた亀井岳さんは、「今作は人と人の関わりの映画」であり、作中では「人と亡くなった人との関わり」が描かれているという。そんな亀井さんに映画を作り始めたきっかけから今作への思いや見どころについてお話を伺った。 ■作品の記録から始まった映像制作 元々、金沢美術工芸大学在学中は、彫刻をずっと勉強していました。ただ在学当時は自分が納得できる作品は、まったく作り上げられていませんでした。大学院を卒業した後、能登半島の中学校の美術の先生として働き始め、空間自体を造形するインスタレーションと呼ばれる作品を学校の柔道場に制作しました。その作品は一時的な展示だったので、記録する必要があり、自分のビデオカメラで制作過程を撮影し5分ぐらいの映像に編集しました。その時「この感じで作品を作っていけるかな」と感じ、アートワークとしての映像作品を作り始めました。納得のいく作品を作れることもあったものの、美術館やギャラリーのように立ったまま途中から見たり、途中で見るのをやめたりするのでは無く、「もっとちゃんと見てほしい」と思うようになりました。映画館なら最初から最後まで座って見るので、映画ならちゃんと見てもらえるだろうという変な動機から映画を作ろうと考えました(笑)。 ■映画を作る中での苦悩と楽しさ 僕は今まで手掛けた3本の映画すべてを海外で作ってきたので、日本ほど整ってない過酷な現場で撮影を続けてきました。体調を崩しても自分で何とかしなくてはいけないですし、現地の人とコミュニケーションをとるのに何人もの人を挟まなければならないこともありました。一番きつかったのは、マダガスカルでの撮影中です。ダニに体中噛まれたものの、現地では痒み止めなども手に入らず、痒くて眠れない夜が続きました。今思い出しても、大変だったなぁと思いますね。映画を作るのは楽しいこともしんどいこともたくさんあります。楽しいだけで出来上がるほど甘くはないですが、基本的に好きなことをやっているので全部「楽しい」とくくれるのは幸せですね。 ■前作があったからこその今作 学生時代からマダガスカルの音楽が好きで、前作『ギターマダガスカル』を作ろうと思いました。マダガスカルの音楽自体がその土地の儀礼や考え方と結び付いていることは分かっていたのですが、現地で撮影をする中で「マダガスカルの音楽自体は祖先との交流のためにある」というさらなる深みがあることに気づかされました。それは『ギターマダガスカル』のテーマではなかったので、また時間を変えて取り組む機会があったらいいなと思っていた想いが、今作につながっていると思います。そして、『ヴァタ~箱あるいは体~』を制作するきっかけになったのは、前作の撮影中に今作のテーマでもある「箱」を運んでいる人と遭遇したことです。前作と今作は一連の流れの中にはありますが、前作はドキュメンタリーとドラマを融合した作品だったのに対し、今作はファンタジー要素のあるフィクションなので、作り方などは少し違っています。 ■撮影中の印象的なエピソード 撮影で山の中に入って、祖先の役の方と二人きりになった時、僕は見通しをよくするため鉈で木を払っていたんです。そうしたら、殺されると思ったのか、祖先役の方がそのまま逃げていなくなってしまいました。その方を探すのに丸一日かけて、結局見つからず、キャスティングし直すことになりなした。その場にマダガスカルの方がいればよかったのですが、言語が喋れなかったし、申し訳なかったなと思います。楽しかったエピソードで言うと、彼らは本当に音楽が好きで、雨で撮影ができない時もみんな演奏して楽しんでいましたね。映画にも演奏をしているシーンがあるのですが、その時の演奏は映画以上に楽しかった。音楽というと演奏する側と聴く側と分けて考えがちですよね。でも、彼らは演奏している人もしてない人も、聴いているだけの人もその場でダンスしている人も、みんなで空間を共有している状態が音楽なんです。そんな混然一体となる感じはやはり素晴らしいですね。それを、映画で表現したかったんです。 ■作品を通じて「一番大事なのかは何か」をつかみとってほしい この映画には「人と人との関わり、人と亡くなった人との関わり」が描かれています。亡くなった人は実際は見えませんが、この映画では出てきます。私たちはインターネットなど見えないものに縛られる時代に生きています。このように、見えないものは、昔も今も自分たちの生活に深く関わりがあるわけです。ただ、そのなかで一番大事なことは何かを感じてほしい。特に学生さんに、その感想を聞きたいですね。この映画はマダガスカルの音楽と死生観を描いています。遠い国の話ですが、全く異質で遠いものではなく、我々にとって身近な映画になっているところが見どころだと思います。私達日本人には祖先の概念があります。だからマダガスカルと生活は全く違うけど、同じように亡くなった人が祖先になって、その祖先に会えたら良いなと思う気持ちがあって、その想いを音楽が現実化させるという流れは、日本に住む私達にも想像しやすいのではないかと思います。 ■学生へのメッセージ 僕がいまやっていることの大半は、自分が大学生の時に出会ったことや向き合ってきたことだと感じます。その時の経験がすべてで、それが何だったのかをひも解くために創作活動しているようなところがあります。だから、学生さんにとっていまは非常に大事な時です。自分の本当に求めているものを見つけて欲しいです。いま、求めているものを見つける方法はいくらでもあります。これから先、見つけたナニカを一生追っていくのだと思います。 学生新聞オンライン2024年7月1日取材 東洋大学2年 越山凛乃 映画『ヴァタ~箱あるいは体~』 出演:フィ、ラドゥ、アルバン、オンジェニ、レマニンジ、サミー監督・脚本・編集:亀井岳撮影:小野里昌哉 音楽:高橋琢哉録音:ライヨ トキ製作:亀井岳 櫻井文 スアスア配給:FLYING IMAGE2022/日本、マダガスカル/85分/カラー/アメリカン・ビスタ/ステレオ© FLYING IMAGE 8月3日(土)より渋谷ユーロスペース、8月24日(土)より大阪・第七藝術劇場ほか、全国順次公開 公式サイト:vata-movie.com公式X: https://www.twitter.com/vatamovie公式Facebook: https://www.facebook.com/VataMadagascar公式Instagram:https://www.instagram.com/vata_movie ★劇場公開記念イベント★大阪・東京開催! 【大阪】前作『ギターマダガスカル』上映&トーク 日時:7月28日(日)16時オープン 17時上映料金:¥1,000円(1ドリンク込み)上映:『ギターマダガスカル』(2014)トーク:亀井岳(監督)×吉本秀純(音楽ライター)場所:シェ・ドゥーブル大阪府大阪市西区阿波座1丁目9−12https://chef-doeuvre.jp/ 【東京】ミュージシャン来日ライブ&トーク 日時:7月31日(水)19時オープン 20時開演料金:¥1,000円+投げ銭演奏:ジュスタン・バリ(マダガスカル)&マルク・シュミリエ(フランス)DJ:AMA UUトーク:亀井岳(監督)場所:ワールドキッチン バオバブ東京都武蔵野市吉祥寺南町2-4-6 B1FTEL:0422-76-2430https://wk-baobab.com/

コラム

テリー伊藤 コラムVol.27 サマーシュトレンって知ってますか

鎌倉の行きつけのパン屋さんPINYに、クリスマス季節に大人気の「シュトレン」が、何と真夏にも関わらず「サマーシュトレン」と名乗って並んでいた。大好きな焼き菓子なので思わず買ってしまった。シュトレン(Stollen)とは、ドイツ生まれの焼き菓子で、日本語では「坑道」の意味らしい。トンネル型の焼きケーキの上にレーズン、レモンピール、オレンジピールを乗せ、真白な粉砂糖を乗せると、まさに冬の山小屋を思わせる雰囲気に。通常クリスマスの一か月前に購入して少しずつ食べる習慣となっている。近年日本でもシュトレン人気は高く、有名ケーキ屋さんが競って販売している。そんな真冬のアイドルが、真夏の湘南に登場したのだ!作戦は大成功らしい。 季節違いの食べ物を考えてみた。「冷やしおでん」も自動販売機で売っているくらい今や人気者になっている。だったら「冷やしお雑煮」もいいかも。お雑煮をお正月だけにするのは勿体ない。考えてみたら、当たり前になっている「冷やし中華」「冷やしたぬき」「冷やしきつね」だって元は暖かいうどん、蕎麦しかなかったはず。この間まで海外では「アイスコーヒー」は存在しなかった。そう言えば、ピザにはタバスコが定番だが、今女性の間では蜂蜜が人気らしい。妄想が膨らむ。 だったら「冷やしサウナ」はどうだろう。炎天下の元で働く皆さんにキンキン冷えたサウナ。10分入った冷え冷えの身体を程よい湯加減の湯船にざぶーん、コレいいかも。冷えた休憩室に、アツアツの堀こたつを鎮座させて食事を楽しんで貰う。身体は暖かいのか冷えているのか判らないがメニューは豊富だ。「冷え冷え焼き鳥」「コールド肉まん」「冷やしカレーライス」など冷やしメニューと「熱湯チョコレート」、ふたを開けるとはじけっ放しの「アツアツポップコーン」など、アトラクションメニューが盛り沢山。いかかですか。 話が脱線してしまいましたが。こんな感じで新商品って出来ていくのかな。それにしてもクリスマス好きの私は、12月にしか会えないサンタクロースともっと会いたい。ミッキーマウスだってディズニーランドに行けば1年中会えるのに、サマーサンタクロースには会えない。暑いと可哀想なのでアロハシャツでもOK、会いたいね。でもサンタが登場するシチュエーションが無いかも。海で水上スキーやっていても普通だし。世界のアイドルだから、立派な「夢のサンタクロースランド」を誰か作ってくれないかな!沖縄あたりに。岸田総理大臣も構想ぶち上げて欲しい!そうなったら沖縄の新たな観光名所になるのに。そんな夢物語を実現して欲しいものだ。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

すごい大学生・すごい学生団体・ミスコン・ミス学生新聞

芸人 高速ぷりん

お笑いに捧げるこの人生。目指せ、日本一のお笑い芸人 芸人 高速ぷりん つるまるゆうと・れいたぴ。 ■プロフィール【つるまるゆうと】北海学園大学4年と【れいたぴ。】北海道大学大学院1年からなるコンビ。北大落研研究会所属、結成1年目。北海道大学生お笑いコンテストDAICON初代・二代目王者。大学生M-1グランプリ第5位。M-1グランプリ2022.2023 2回戦敗退。 北海道大学生お笑いコンテストDAICON初代・二代目王者。「ギャ~グショータイム」から始まる828個のギャグを持つつるまるゆうとさんと、キレキレの頭脳を持つれいたぴ。さん。大学生でありながら、お笑い芸人として挑戦を続けるお二人に、お笑いに対する想いや今後の夢について伺いました! ■学生時代はどんな風に過ごしていたんですか? れいたぴ。:小学校の頃からお笑いが大好きで、YouTubeなどを通してたくさんのネタを見ていました。大学に入る前からお笑いサークルに入ろうと思っていたので、迷わず北海道大学の落語研究会に入りましたね。しかし、コロナがあって家にこもる生活が続きました。本格的にお笑いに熱をいれたのは、大学3年生になり学校が再開してからです。その落研で、相方であるつるまると出会いました。 つるまる:小さい頃から目立つことが好きでした。芸人を意識したのは、大学3年生の時でしたね。彼女に振られて、何か頑張って欲しいと言われたときに落研の存在を知り、すぐに入ることを決めました。初日でれいたぴ。に出会いました。お笑いコンテストの締め切り前だったので、すぐコンビを組んで応募したのが、コンビ結成のきっかけです。 ■本格的に芸人を目指した経緯は? れいたぴ。:学業が忙しくなってきて、お笑いと学業の両立はできないと感じたことがありました。そのとき「もうお笑いは諦めて、趣味としてやっていこう」と思っていました。芸人になりたいという気持ちをどこかで抑え込んでいたのだと思います。しかし、つるまるがひたすら説得してきて、気がついたら、家出して、大学院をやめるという決断をしていました。 つるまる:僕が必死になってれいたぴ。を丸め込んだんですよね。こんなに面白い人を見たことがなくて、どうしてもこの人と一緒にお笑いをやりたいと思いました。れいたぴ。は一見クールに見えますが、実は誰よりも熱量があって、覚悟をもっていると感じています。彼のお笑いに関しては絶対的な信頼があるので、彼の考えてくれるネタを楽しみながら、歯を食いしばって全力でついていきたいです。 ■お笑いのやりがい・魅力は? れいたぴ。:お笑いが心の底から好きで、生活全てをお笑いに捧げることが理想なので、今は楽しいという気持ちしかないですね。もちろんお金のことや、スランプにおちいることなど日々大変なことはありますが、今は踏ん張るしかないと思っています。お笑いは世の中になくてはならないものだと思っています。ストレス解消にもなるし、人間の深層心理を代弁するものでもあります。人が面白いと感じることって、時代によって変わっていくんですよね。そういった細かいところを表すことが出来るのは、日本のお笑いならではの魅力だと考えています。 つるまる:お笑いが大好きで、自分たちがめちゃくちゃ面白い!と思ってネタをやっているので、お客さんが笑ってくれる時や、盛り上がってくれる時が本当に嬉しいです。お笑いは、世間の歯車にはなっていない職業だと思います。しかし、人を楽しませることに人生を捧げている芸人さん達が本当にかっこいいなと感じます。これまで受け継がれてきた、日本にしかない緻密なお笑いの文化がもっと根付いて、さらに気軽にお笑いライブを見に来れるような社会になって欲しいです。 ■今後の目標は? れいたぴ。:コンビとしては、日本一。まずはM1グランプリでの優勝を目指します。先のことはあまり考えすぎず、とにかく目の前の人を笑わせる。これを大切にしていきたいです。個人的な夢は、しまじろうが本当に大好きなので、いつかベネッセさんと関われたら嬉しいです。子ども向けのネタとかも得意なので、いつかやらせていただきたいです! つるまる:コンビで日本一を目指し、ピンでも日本一になりたいです。R1グランプリで優勝して、俺だって出来るんだぞというところを見せつけて、れいたぴ。を見返したいです(笑)。個人としての夢はフジテレビの「逃走中」に出ることです。芸人になろうと思ったきっかけも、大好きな「逃走中」に出られると思ったからなんですよね。いつか出演して、的場浩司さんみたいなかっこいい立ち回りがしたいです(笑)。 ■大学生へのメッセージをお願いします。 れいたぴ。:夢を持って生きてください。普通に大学行って就職して結婚する人生もいい。だけど正解はないし、いつだってやり直せる。やりたいことにとにかく挑戦することをやめないで欲しいです。 つるまる:何かに一生懸命になって欲しいです。大学生という時間が、振り返って本当に楽しかったと思えるように、とにかく頭や身体を全力で動かして、好きなことをやってください。 学生新聞オンライン2024年3月23日取材 立教大学3年 緒方成菜 津田塾大学1年    石松果林 / 立教大学3年 緒方成菜 / 日本大学1年    大森雨音 / 法政大学3年    鈴木悠介 / 国立音楽大学3年    岡部満里阿

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株式会社ビッグ・エー 代表取締役社長 打海直也

お手頃価格と安心をお客さまに届ける、ディスカウントの力 株式会社ビッグ・エー 代表取締役社長 打海直也 (うつみなおや) ■プロフィール 1990年3月都内大学を卒業後、転職を経て、1996年9月ジャスコ㈱(現イオン㈱)入社。2013年7月 イオンビッグ㈱ 食品商品部長、2016年3月 同社 商品本部長、2016年5月 同社 取締役 商品本部長、2020年3月 同社 取締役 営業管掌、2022年3月 イオン㈱ DS戦略チーム、2023年3月 マックスバリュ南東北㈱ 代表取締役社長、2024年3月 ㈱ビッグ・エー 代表取締役社長(現任)。 「いつでも、どこでも、安全で良い品をより安くご提供し、お客さま生活をより豊かにする」という経営理念のもと、生鮮食品・加工食品を中心としたハードディスカウントチェーンストアの運営をしてきた株式会社ビッグ・エー。打海直也社長に、自身のキャリアや商品の安さの秘密について、お話を伺った。 大学時代を振り返ると、あっという間に4年間が過ぎていました。その中で得た貴重な経験と時間は、仕事を順調に進める礎となっています。特に印象的だったのは、昭和から平成に変わった1989年のお正月明けです。これは、私が就職活動を始めた年でもありました。1989年は今の世界の枠組み決めるような出来事が世界各地で起こった年でもありました。経営学部に在籍していたのですが、当時は、自分が将来、代表取締役社長になるとは想像もしていなかったです。 私のキャリアは、転職の中で形成されました。28歳の時にジャスコ(現イオン)に入社し、その後も様々な業態で経験を積んできました。ビッグ・エーに入社する前は、マックスバリュ南東北でディスカウント事業に携わっていました。時には、人事異動で希望通りにならないこともありましたが、どんな困難にも立ち向かおうという姿勢でやってきました。このとき経験した多様な経験は、現在の仕事に大いに役立っています。 現在所属しているイオングループは、学歴や年齢、国籍、性別に関係なく、誰にでも公平、公正にチャンスが与えられるという魅力があります。ベトナムの方や中国の方など、国籍を問わず多様な人材が活躍しているのも特徴です。 ■お手頃な価格で提供する秘訣 ビッグ・エーでの仕事は、「お手頃な価格で、かつ短時間で提供するお店」というディスカウントの理念を実現することに力を入れています。コスト削減のために、我が社で行っていることは大きく四つあります。 まず一つ目は、物流までの一括管理です。「日本初で唯一のHDSのチェーンストア確立」を合言葉に、物流システムを整備しています。このシステムのもと、首都圏1都4県の300店舗以上に、毎日メーカー直送をしています。店舗の出店については、5カ所の物流センターを基点に展開しており、条件をクリアした場所を常に探し、出店計画を立てています。 二つ目として、品揃えやサービスを絞り込むことでコストを削減しています。生活必需品に絞ることで、お客さまに利便性を感じていただいています。サービスを限定的にすることで無駄を排除し、コスト削減を図っています。一方で、ブランドコミットメントが強い商品については、多くの選択肢を提供することを重視しています。また、店内の陳列についても効率的な運営を目指しています。 さらに三つ目には、SRP(シェルフレディパッケージ)などの導入を通じて、陳列作業時間削減に取り組んでいます。例えば、カッターを使わず誰でも簡単に開封でき、そのまま陳列ができるオリジナルの段ボールや即席のカップ麺の使用は、その代表的な事例でしょう。これにより、陳列にかかる時間が大幅に短縮され、少人数で店舗を運営できるようになりました。 最後に、イオングループの一員として、ビッグ・エーは安心・安全を最優先に考えた独自商品の開発に取り組んでいます。価格競争には限界があるため、商品にメッセージ性を込め、他社との差別化を図っています。 ■社員が働きやすい環境の整備 経営者として仕事をする上でも、現場での実務を大切にしています。しかし、それ以上に私が大事にしているのは、従業員一人ひとりの意見を聞くことです。現場の声を大切にし、経営の決定に反映させることで、社員のモチベーションを高めようとしています。店の大きさは違っても、本社が決めたオペレーションがきちんと実行されているかのチェックが必要です。出来ていない場合は決まりが悪いことが多いため、現場にはよく顔を出すように心がけています。今後も、社員が働きやすい環境を整えることには注力していきたいですね。 ■ビッグ・エーの成長へ期待 今後も成長し続けるために、出店計画を進めているところです。特に、コスト削減とローコストオペレーションの実現が成長の鍵となります。今の会社をしっかりと成長させることに集中し、社会インフラとしての役割を果たしていきたいと考えています。 ビッグ・エーの成長に向けて、一緒に働く仲間を募集する新卒採用では、柔軟性と瞬発力を重視しています。しかし、まだまだ若者に対して、会社の魅力を伝えきれていないので、どのように情報を発信していくかが課題です。特にZ世代は、生活中心の考え方を持っているため、その価値観に合わせたアプローチも進めていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 情報が溢れる現代だからこそ、自分の目標をしっかりと定め、それに向かって努力していきましょう。ただ、実際のところは、多くの学生さんが、自分の将来像をあまり描けていないように感じます。採用面接でライフステージごとの将来の姿を聞いてみても、答えられない学生がほとんどでした。情報が無自覚に入ってくる現代では、情報の処理能力を高めるだけでなく、考える習慣を身につけることも重要になります。自分の信念を持ち続け、膨大な量の情報を前にしても判断できる人に成長してください。私自身、大学時代に得た経験と人脈は、今でも大きな財産となっています。皆さんも学生生活の中で様々な経験を積み、多くの人と関わりを持ち、自分自身を成長させてください。どんな経験も無駄にはなりません。社会に出た時に、それが必ず役に立つ時がくるでしょう。 学生新聞オンライン2024年6月6日取材 津田塾大学2年 石松果林 法政大学4年 島田大輝 / 津田塾大学2年 石松果林

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アイドル 塩見きら

模試1位の才女が、アイドルと教育の二刀流を極めるワケ アイドル 塩見きら(しおみきら) ■プロフィール しおみきら 25歳 。1998年11月6日生まれ 愛媛県出身 津田塾大学数学科卒業 。2019年にアイドルグループ「神宿」に加入。2023年にグループ活動休止後はソロアイドルとして活動。数学、サウナ、野球観戦(阪神ファン)、など豊富な趣味を生かして多方面で活躍。その一方で小中高生に向けてキャリア教育授業を行っている。そのほか最新情報は公式 X(@Kira_KMYD)公式Instagram(@kira_kmyd)にて。 名門私立大学に在学中、偶然目にしたアイドルグループ「神宿」の新メンバーオーディションを受けメンバーになった塩見さん。「しおみぃ」との愛称で親しまれ、グループ活動休止後はソロで活躍の幅を広げ続けている。アイドルのみならず、キャリア講師活動やタレントとしても活躍する塩見さんに、お話を伺った。 高校時代、数学全国模試で1位を取った経験がありますが、初めから数学が得意だったわけではありません。小学生の頃は、数学は得意どころかむしろ苦手だと感じていました。でも、中学生になり、塾の先生に「算数と数学は違う」と言われて頑張った結果、最初のテストで良い成績を収めることができ、得意科目になったのです。高校卒業後、都会への憧れを抱き、津田塾大学に進学しました。キラキラした大学生活を思い描いていましたが、現実はそう輝いていませんでした。寮生活の中で徐々に引きこもりがちになり、1限のチャイムを部屋で聞く日々が続きました。この頃は、「自分は何をやっているのだろう」と疎外感や劣等感に苛まれてばかりでしたね。楽しくない生活が続いた20歳のある日、偶然Twitterで見かけたアイドルオーディションに応募しました。同い年の女の子たちがステージでキラキラ輝いている姿に強く惹かれたのです。そのオーディションで奇跡的に約3000人の中から選ばれ、晴れてアイドルになることができました。ただ、オーディションを受けてる事を、両親に報告しましたが、「何をやっているの?」と反対されたことを覚えています。最終審査で合格した後、「大学は卒業する」という約束で、ようやく芸能活動を認めてもらえました。 ■アイドルとしての喜びと苦悩 現在はグループ活動休止中の為、ソロでアイドル活動をしています。基本的に仕事はすべてが楽しいです。特に大きな喜びを感じるのは、人とのつながりを感じたとき。自分を知ってくれたり、私のことをほかの人に広めてくれたりするファンの方々や「この方が塩見さんの強みが出るよ」とアドバイスしてくれるスタッフさんたちには、本当に感謝しています。好きなことで生活できている毎日は、本当に幸せで楽しく、辛くはありません。アイドルになってよかったと心から思います。もちろん、アイドルとしての苦労もあります。一時期は、誹謗中傷に悩んだこともありました。最初は心無い言葉に落ち込んでいましたが、「私に興味を持っている人がいるんだな」「嫉妬されるくらい頑張ってるんだ」と考え方を変えてからは、あまり落ち込まなくなりました。また、スケジュールが忙しいことで、他のことを考えないという工夫もしました。朝が早いアイドルの生活には慣れるのが大変でしたが、今ではしっかりとこなしています。私のアイドルとしての目標は、ファンの方々が塩見きらのファンであることに誇りを持ってもらえるように日々頑張ることです。アイドル活動を始めた当初は、人に関心がありませんでした。けれど、最近はファンの方々がどんなことを考えているのかに興味を持ち、人と話すのが楽しいです。ファンの皆さんが楽しんでくれる限り、アイドル活動を続けていきたいと思っています。 ■初グラビア解禁、新たな挑戦に意欲 5月8日発売の週刊誌にて、初めてグラビアに挑戦しました。今後のソロ活動をさらに充実させるための第一歩として、アイドル活動を始め5周年を迎えた4月29日のタイミングを機に決断しました。「神宿」で活動していた時には一度もグラビアを経験しなかったので、ずっと挑戦してみたいと思っていました。私のアイドルとしての軸は、ステージに立ち、歌うことです。今回のグラビアを通して、より多くの人に自分を知ってもらい、ライブに足を運んでもらえたらうれしいです。実際、グラビア解禁後にはSNSのフォロワーが増え、新たに私を知ってくれた方々がいることを実感しました。これからも挑戦し続け、楽しいことに積極的に取り組んでいきますので、どうぞご期待ください。 ■アイドル活動だけではない、未来のための教育 私は今、アイドル活動に加えて、小中学生に向けたキャリア教育の授業を行っています。ファンの皆さんが私を好きなことを自慢してもらえるように、私自身の実体験を通じて誹謗中傷やネットリテラシーの怖さを伝えることを目的としています。かつて、普通の大学生からアイドルになったとき、謂れのない誹謗中傷を言われたことがありました。当時はショックでしたが、小中学生たちには「誹謗中傷の言葉は心からのものではなく、ただのストレス発散だ」と伝えています。また、誹謗中傷に対しては開示請求ができることや、加害者になる可能性があることも教えています。授業を受けた子どもたちからは、お手紙や話を聞く機会をもらい、頑張るためのパワーをもらっています。「アイドルに憧れていたけど、大変だと知った」という感想を聞くと、小学生もいろいろと考えているのだと感慨深いです。みんなが楽しんでくれるならば、いつか体育館でライブも開いてみたいです。今後は、誰かのためになるような活動を続けていきたいと思います。 ■学生に向けてメッセージ 学生の皆さん、心から「今が楽しい」と感じられていますか? もしも「楽しくない」「学校に行きたくない」と思っていても、「人生終わった」などとは絶対に思わないでください。自分の好きなことに一歩踏み出すだけで、人生は劇的に変わります。泣きながら部屋に引きこもっていた私が、今こうして心から楽しく活動できているのは、アイドルになるという夢に向かって一歩踏み出したからです。また、SNSが急速に普及している現代では、自分が傷つくリスクも高まっています。時には心無い言葉を浴びることもあるかもしれませんが、あまり気にしないで大丈夫です。まずは自分を大切に守ってあげてください。 学生新聞オンライン2024年5月16日取材 津田塾大学2年   石松果林 京都芸術大学1年 猪本玲菜/上智大学2年 小椋ソフィア/津田塾大学2年   石松果林

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株式会社JTB 代表取締役社長執行役員 山北 栄二郎

人は旅を通して学ぶ。私達はその「感動の瞬間」に寄り添い続ける。 株式会社JTB 代表取締役社長執行役員 山北 栄二郎(やまきた えいじろう) ■プロフィール 1963年生まれ、福岡県出身。1987年、早稲田大学卒業後、日本交通公社に入社。本社経営企画室等を経て、旅行事業本部グローバル戦略担当部長、JTB欧州代表、常務執行役員などを歴任。ツムラーレ・コーポレーション社長、トラベルプラザ・ヨーロッパ社長、クオニイ・トラベル・インベストメント会長など経営のトップを務め、海外戦略推進に携わる。2020年6月より現職。 旅を起点とした「交流創造事業」を事業ドメインとして、地域の観光地開発や企業のコミュニケーション課題解決にも取り組むツーリズム業界のリーディングカンパニー、株式会社JTB。同業界が大きな打撃を受けた2020年のパンデミック拡大時、社長に就任したのが山北栄二郎さんだ。「事業の9割が消滅した」というコロナ禍で、山北さんは何を考え、ピンチをどう乗り越えたのだろうか。また、会社を支えた取り組みや求める人財像についても伺った。 ※JTBグループでは、”人材”は「企業や組織の成長を支える財産となる大切なリソース」であるという意思を込め、”人財“と表記している。 小さい頃から、海外への憧れを持っていました。父親の影響で、幼少期からクラシック音楽や海外のレコードが身近だったことも大きいのかもしれません。当時、父に言われた「これからの時代はボーダレスだ。国境のない時代になるぞ」という言葉は、今でも強く印象に残っています。 大学では、国際交流に興味を持ち、英語のディベートを行うクラブに入りました。厳しい部活だったので、徹夜で調べ物をしたり、留学生と交流したりと、忙しく過ごしていましたね。就職活動では、「国際交流を通じて、世界で活躍したい」との観点から、幅広い業界の面接を受けました。その中で、興味を持ったのが、現在のJTBである日本交通公社です。初めて就職試験でオフィスに入った瞬間の衝撃は、今でも覚えています。まだ国際電話も高く、メールもない時代。タイプライターでTelex(※1)を打つ音、英語での会話も聞こえてくる、世界へ通じる仕事だと、こんな職場で働きたいという強いあこがれを抱き、入社を決意しました。そして幸運なことに、入社後は、国際交流に一番近い部署で働くことが出来ました。その後、法人営業、海外旅行のマーケティング、人事、経営企画など様々な業務を経験。ハンガリーやオランダ、デンマークなどヨーロッパ各国でも長く駐在し、文字通りグローバルなキャリアを歩んできました。 ■コロナ禍で社長に!考えて行き着いた旅行の「原点」とは 社長に就任したのは2020年6月。世界はコロナ禍で、人の移動がほとんど止まり、ツーリズム業界は大きな被害を受けました。私達の事業の9割が消滅してしまったという憂き目にあいました。当時は、「このピンチをどう乗り切るか」を日々真剣に考え続けたことをよく覚えています。 いろいろと悩んだ末、行き着いたのが「原点に戻ろう」という結論でした。この頃、世間では「旅行は無くなるだろう」「旅はGoogleマップで十分だ」という声も聞かれ、旅の存在価値自体が見失われつつありました。その中で、私たちは「そもそもなぜ人は旅をするのか」という原点に立ち返ったのです。歴史を振り返ってみると、人類は移動し、違う環境に身をおくことで進化してきました。過去にもパンデミックは存在しましたが、人類はそれを乗り越えて旅を続け、成長してきた。旅をしたいという欲求は人間の本能であり、需要は必ずいつか元に戻る。その時のために今できることをしようと決意しました。 ■人の移動が止まっても、「心」の交流は止まらない コロナ禍で進化していくために、見つめ直したものは、やはり「交流」の持つ力です。私たちの経営理念は、「地球を舞台に、人々の交流を創造し、平和で心豊かな社会の実現に貢献する」というものであり、「交流」が原点なのです。旅で重要なのは、ワクワク感ですが、この感情は、「人」の力なくしては成立しません。人の流れが止まっても、心の交流は止まりません。むしろ増幅していく。ならば、交流を通して人と何かがつながりあうしくみ作りこそ、求められるものではないかと考え、「交流創造事業」の輪郭を際立たせることに注力しました。 交流創造事業では、「ツーリズム」「エリアソリューション」「ビジネスソリューション」という3つの柱の中で、お客様や目的に応じて、さまざまな取り組みを進めています。「ツーリズム」では、個人や法人問わず、旅行者に、旅マエ・旅ナカ・旅アトといったあらゆるシーンにおいて満足をいただけるように、スタッフによるおもてなしに加えて、デジタルも活用した取り組みを進めています。また「エリアソリューション」では、観光地のDX化や観光地開発など、さまざまな事業者との共創によって地域のタカラを磨き、地域のチカラにつなげる取り組みに注力しています。「ビジネスソリューション」では、ミーティング&イベントなどのコミュニケーションを通じて、企業の抱える経営課題を解決するために、お客様に伴走しています。 このように交流創造の視点から、「人、もの、交流」のしくみを整え、解決策を提案したことが、パンデミックを乗り越えられた大きな要因だと考えています。 ■112年の歴史が紡いだ「つながり」を大事に JTBの強みは、112年の歴史の中で、たくさんの人と生み出してきた「つながり」です。強い「つながり」があるからこそ、旅の形が変わっても柔軟に対応できる。そして、この「つながり」を支えるのが、社員たちの存在です。 JTBで働く人には二つの特徴があります。ひとつは、人の喜びを自分の喜びとして感じられること。「感動のそばに、いつも。」というブランドスローガンのように、感動や喜びに共感し自分事としてとらえられる人ならば、きっと当社で活躍できるはずです。もうひとつの特徴は、「真面目さ」です。目の前の課題に対して一緒に考え、最後までやりきることができるのだと思います。今後もお客様自身に旅を起点とした交流の価値を実感していただけるよう、社員一丸となって徹底的に挑戦を続けていきたいです。 ■学生へのメッセージ とにかく世界に目を向けて欲しいです。日本のパスポート所持率は、約17%と他国と比べてとても低い。台湾の所持率60%に比べると、どれだけ少ないのかがよくわかります。グローバルに活躍するためには、まずは自分が世界を知ることが重要です。これからの時代を生きるためには、グローバルな視点は間違いなく必要です。旅をすることは、学びの絶好の機会です。旅を通して、様々なことを吸収してください。 学生新聞オンライン2024年4月10日取材 立教大学4年 緒方成菜 立教大学4年 須藤覚斗 / 慶應義塾大学3年 塚紗里依 / 立教大学4年 緒方成菜

学生新聞インターン

エステー株式会社 会長 鈴木貴子

ニッチな日用品×お客様の心に訴えるデザインで改革を エステー株式会社 会長 鈴木貴子 (すずきたかこ) ■プロフィール 1962年生まれ。1984年3月 上智大学外国語学部 卒業。同年4月 日産自動車株式会社に入社。2001年8月 LVJグループ株式会社(現ルイ・ヴィトン・ジャパン株式会社)に入社後、2010年1月 エステー株式会社に入社。2013年4月同社取締役兼代表執行役社長就任後、2021年6月 同社取締役会議長兼代表執行役社長に就任。2023年 同社会長に就任。現在に至る。 1946年にはじまり、「消臭力」や「ムシューダ」「ドライペット」などのニッチな日用品で私たちの生活に欠かせない存在となったエステー。今回は創業者の娘として第8代社長に就任し、「デザイン革命」で利益をV字回復させた鈴木貴子さんに、エステーの強みとご自身の経歴について伺いました。 ■挑戦と成長の時代 大学時代に所属していたイスパニア語学科は落第も珍しくないほど難しい学科だったので、学生時代はしっかり勉強していました。授業以外の時間も、家庭教師やサンプリングのアルバイトもびっちり入れていましたね。そのほかにも広告研究会というサークルに所属し、友人たちと新しいアクティビティに挑戦していました。例えば上智大学の学園祭であるソフィア祭で大きなイベントを主催したり、企業によるアイデア募集に応募したりです。学生時代は全てが楽しく、全力でした。経営者のキャリアは考えていませんでしたが、目の前にある市場の課題を解決していくようなマーケティングやブランディングには昔から興味がありました。 身内は会社に入れないという父の方針から、大学卒業後にエステーに入社する道はありませんでした。しかし、そのおかげで自分の好きな道を選ぶことができたように思います。当初は女性をターゲットにした最終消費財のマーケティングに興味がありましたが、当時の就職難もあり、学科指定の枠で日産自動車に入社しました。日産では中南米エリアの輸出業務を担当しましたが、市場が遠く、リアリティを持って仕事に取り組むことが難しかったため、アイデアにも限界を感じ、転職を決意しました。数々のブランド企業で経験を積み、その後、フリーランスとして記事広告を手がけたり、化粧品会社のPRを担当したりしました。 ■「情緒的価値」を追求するデザイン革命 そんな中、叔父である鈴木喬氏から、日用品のデザイン革命を依頼されました。広告以外で「人を欲しい気持ちにさせる」というのは、ブランドビジネスで学んだスキルのひとつです。その経験を生かせるのではと思い、エステーのデザイン改革に着手しました。その後、エステーに正式に入社し、デザイン以外の面からも改革を進めるようになりました。 当時の社員たちは、商品の価値を「機能」だけだと捉えており、デザインや香りといった「情緒的価値」に目を向けることがなかったので、私の意見はあまり通りませんでした。商品の価値を高め、単価を上げる努力が必要だ……と考えるなか、その状況を変えたのが、女性チームで開発した「シャルダン ステキプラス」のヒットでした。この成功を通じて、周囲のスタッフたちも情緒的価値の重要性に気付き始めたのです。これが転機となり、看板商品である「消臭力」を筆頭に、他の商品もプレミアム化され、利益のV字回復という結果をもたらしました。そして、日用品メーカーとしての枠を超え、「空気ビジネス」を再定義することで、ホテルや介護分野などのBtoB事業への拡大を図りました。 ■SDGsへの貢献 森の中に入ると空気が綺麗なのはなぜなのかに着目し、森の天然の空気浄化メカニズムを研究して、「クリアフォレスト」事業を始めました。未利用のトドマツの間伐材から、天然森林オイル、天然森林ウォーター、天然針葉パウダーを抽出しています。これらには消臭効果や大気汚染低減、森林浴効果があり、私たちはその機能性樹木抽出成分を活用しています。従来の間伐材は不要な未使用資源でしたが、この取り組みで全てが活用されるため、ゼロエミッションの達成にも繋がっています。現在では、「ほっかいどう企業の森林づくり」協定を結び、「エステークリアフォレストの森」のネーミングライツを取得して地域の児童とともに「植樹会」や「木育教室」を定期的に実施しております。 ■エステーのウェルネスビジョン エステーは今後、ウェルネスカンパニーへの脱皮を目指しています。香りを通じて人々の暮らしや心に良い効果をもたらす企業を目指し、フェムテックにも力を入れていく予定です。私は「お客様にウェルネスを提供するために、まず私たちが幸福である必要がある」という持論を持っています。「こころに響くアイデアで、ふとした瞬間を、ふふっと笑顔に。」というパーパスを制定したように、忙しさの中でもまず笑顔で幸せであることを大切にしています。 また、空気を軸にペットケア事業にも乗り出しています。花王株式会社から「ニャンとも清潔トイレ」の事業を譲り受けるなど、M&Aを通じて新たな領域でもウェルネスの観点から事業を拡大しています。今後は、タイや中国などのアジア市場への拡大も視野に入れています。 ■大学生へのメッセージ エステーで活躍している社員には、失敗を恐れずに新しい挑戦を続けるという共通点があります。エステーもこれまでたくさんの失敗を経験してきましたが、失敗の中からヒットが生まれるもの。だから、少しの失敗なんて大したことではありません。 最後に、大学生の皆さんにお伝えしたいのは、自分が情熱を持って取り組めることを見つける大切さです。学生時代に自分の生きる道を見つけるのは難しいですが、学生時代の経験がキャリアに繋がることは多いです。だからこそ、学生時代は時間を有効に使い、好奇心を抱いたことには積極的に挑戦してほしいと思います。 最近、私が学生さんや新入社員に伝えているのは「異分子であり続けてほしい」ということです。日本社会は同質化が進んでおり、それが革新を阻んでいると感じます。社会人としての礼儀を持っていれば、上の人に意見をぶつけても受け入れてくれるものです。異分子として違和感を抱いたことや、学生時代のきらきらした好奇心をずっと大切にしてほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年6月6日取材 上智大学3年 東芽衣 上智大学3年 東芽衣 / 武蔵野大学4年 西山流生

塚紗里依

STATION Ai株式会社 代表取締役社長兼CEO 佐橋 宏隆

愛知から世界へはばたく、グローバルスタートアップをつくる STATION Ai株式会社 代表取締役社長兼CEO 佐橋 宏隆 (さはし ひろたか) ■プロフィールソフトバンク株式会社入社後人事部門を経て、ソフトバンクグループ株式会社社長室にて経営戦略を担当。東日本大震災後、SBエナジー株式会社を設立し、事業企画部長として再生可能エネルギー事業を管掌。2014年よりSBイノベンチャー株式会社にて、社内起業家育成プログラムの構築やハンズオン支援を推進。2021年9月にSTATION Ai株式会社を設立し、スタートアップ支援をはじめとした日本最大級のオープンイノベーション拠点となる事業を開始。 愛知県に位置する日本最大級のオープンイノベーション拠点・STATION Ai。スタートアップや企業の成長をサポートする場所として、最新の設備と充実したリソースを提供し、起業家や企業が革新的なアイデアを実現するための理想的な環境を整えているのが特徴だ。同社代表である佐橋宏隆さんに、世界市場を見据えたグローバルな展開の拠点としての在り方やその取り組みを聞いた。 ■ソフトバンクに新卒入社したきっかけ ソフトバンクに入ったきっかけは、NHKで放送されていた番組「プロジェクトX 挑戦者たち」です。大学の先生が何本か見せてくれるなか、いつの間にかこの番組が好きになりましました。その中で、特に印象に残ったのが「プロジェクトX 挑戦者たち 町工場 世界へ翔ぶ ~トランジスタラジオ・営業マンの闘い~」という作品です。その中で描かれていたのが、戦後復興期にアメリカのマンハッタンの日本食料理屋で、夜な夜な企業の営業マンの方々が集まって話すシーンです。「敗戦後の貧しい状況を脱して、今後日本を豊かな国にするにはどうしたらいいか」という白熱した議論が交わされていました。この番組を観て、国を動かす大きなダイナミズムの中で仕事をする面白さに惹かれ、そんな企業で働きたいと思うようになりました。そして、就職活動をし始めた時に『孫正義 起業の若き獅子』という本に出会い、ソフトバンクを作った孫正義さんと働きたいと考え、同社への就職を決めたのです。 ■ビジネスの「しくみづくり」に関心を持つ 学生時代から「将来は起業して事業をしたい」と思っていたため、ソフトバンクに入った後も、事業責任者を担当してみたいという強い気持ちを持っていました。はじめて事業立ち上げを経験したのは、東日本大震災の復興支援プロジェクトです。この経験後、ソフトバンクイノベンチャーという社内スタートアップを作る制度を担当し、以来、事業を起こす人の支援やスタートアップに着手するようになりました。現状、ソフトバンクにある新しい事業の成功は孫さんが作った事業が多く、孫さん一人への依存度が非常に高い。そんな組織を変革し、「孫さんがいなくても、事業が生まれ続ける組織を作ろう」という意識から生まれたのです。 そのほかにも、今後30年も引き続き情報革命で人々の幸せに貢献し、世界の人々から最も必要とされる企業グループを目指すべく、ソフトバンクとして掲げている「30年ビジョン」の設立などにもかかわりました。 ■世界に誇れるスタートアップ輩出を狙うSTATION Ai STATION Aiは、愛知県に作ったスタートアップと大企業が集まる日本最大級のオープンイノベーション拠点です。愛知県のスタートアップ戦略は、大村秀章知事にとって肝入りのプロジェクトです。そして、その中心を担うのが、私たちSTATION Ai です。東京以外の国内で、世界と競うようなスタートアップエコシステムを作れるのは愛知県だと私は思っています。豊田をはじめ、愛知県はものづくりの集積地で、圧倒的に製造業が強く、全国的な企業の本社も多いし、オーナー企業も多い。製造業は雇用を産むので、サービス産業の発展にもつながります。  また、スタートアップエコシステムを成立させるには、既存産業の強さが重要です。スタートアップに対して、企業が大きなリスクマネーを供給したり、企業が持つ製造拠点や技術などのアセットを使ったりすることで、大きく成長できるからです。さらに、愛知県は名古屋大学をはじめノーベル賞受賞者も多く、面白い研究の種が眠っている地域です。その点でも、スタートアップが生まれる地域のポテンシャルが高いと思っています。 ここで生まれた成果を世界に対して発信して、世界からこの地域にスタートアップが集まる循環を作りたいです。この循環を作っていくことで、世界をリードするような産業地域が生まれると思っています。 ■STATION Ai の魅力とは 2024年6月のプレエントリーの時点で、STATION Aiには426社のスタートアップが集まっています。スタートアップと大企業がこの規模で同居していること自体が、世界的にもかなり珍しいことだと思います。私たちがモデルにしたのは、フランスのSTATION Fです。かつてはスタートアップ不毛の地と言われていたフランスですが、STATION Fによって大きく変化し、5年後にはEU圏のスタートアップの地として名を馳せました。  ここまで多くの企業が集まるのは、そこに大きな価値を感じる企業が多いからだと思います。たとえば、スタートアップは、ひとつの意思決定に時間がかかりやすく、コミュニケーションコストが高い。ですが、大企業が身近にいる環境では、そのスピード感が違います。さらに、スタートアップが集積していれば、お互いにできることやできないことを共有しながら協業できます。このような協業という付加価値が生まれるのも利点でしょう。  また、STATION Ai はスマートビルでもあります。いろんなセンサーがついており、データを収集し、学習する機能もある。オープン以降は、ここで得られたあらゆるデータを開放して、ビルの中での実証実験を行うしくみも整えています。ロボットフレンドリーなビル作りや、スタートアップ同士の交流ができるような偶然な出会いが生まれる場づくりにも、こだわっています。 ■大学生へのメッセージ STATION Aiを通じて、今後の時代はスタートアップに入って起業し、成功につながる、というカルチャーを根付かせていきたいです。なぜなら、これからの時代は、自分で事業を作ったり、起業をしたりするスキルを持たないと、リスクになります。みんなが起業する必要はありませんが、起業を選択肢のひとつにできるような戦闘力を、より多くの人が身につけたほうがいいと思います。起業体験を通じて、世の中にない新たな価値を提供する楽しさや魅力に触れてほしいです。 学生新聞オンライン2024年5月24日取材 慶應義塾大学3年 塚紗里依 慶應義塾大学3年 塚紗里依 / 立教大学4年 須藤覚斗

大川知

俳優 武道家 藤岡弘、

人生にマニュアルはない。人間は感性で生き抜く。 俳優 武道家 藤岡弘、 (ふじおかひろし、) ■プロフィール 1965年デビュー、’71年『仮面ライダー』で人気に。映画『日本沈没』『野獣死すべし』、ハリウッド映画『SFソードキル』でも主演。国際武道家でもあり、世界数十カ国の紛争地域などで、心情交流、支援活動も行う。2016年に公開された映画「仮面ライダー1号」では、藤岡自ら企画から参加し、45年ぶりで本郷猛が単独主演で復活し大ヒットをおさめる。2024年、芸能生活60周年を迎えた。 芸能生活60周年を迎えて、今もなお、俳優・武道として活躍の幅を広げる藤岡弘、さん。世界100ヵ国近くを訪問するボランティア活動家としての一面もある。武道家として、心身ともに強い藤岡さんだが、何度も生死を彷徨ったことがあるという。そんな様々な困難を乗り越えてきた藤岡さんにお話を伺い、人生のヒントについて学んだ。 ■自分の人生は「奇跡の連続」だった 私の人生は波瀾万丈で、恵まれた環境では一切ありません。母は戦争中、重いお腹を抱えて逃げながら私を守ってくれたといいますが、その後も、奇跡の連続によって今の私があると言っても過言ではありません。 出産のため、当初、母は松山の病院に入院したのですが、何を思ったかその日のうちに実家に帰ろうとしました。院長先生の反対を押し切り実家に帰った翌日、なんと、大空襲でその病院は全滅したのです。生き残ったのは院長先生と母だけ。そのときに母のお腹に入っていたのが私でした。そこから私の人生が始まりました。 3歳の時には肺炎を患い、生死を彷徨いました。病院の先生にも「この子はもう無理だ、遺影を今のうちに撮った方が良い」と勧められたほどでした。しかし、母は先生が見捨てても自分が治すという強い覚悟のもとに、私を看病してくれました。その時期に、私を可愛がってくれた母方のおじいちゃんが危篤になりました。最後におじいちゃんを見届けてあげたいということで、家族で会いに行こうという話になりました。真冬の豪雪の中、父は自分の命も覚悟の上で、おじいちゃんのいる西条市まで車を運転して、とても大変だったそうです。到着するとおじいちゃんはもう亡くなる寸前でした。おじいちゃんは私の手を握り、「この子の病気を私が持っていくから、大事に育てなさい」と言い、その直後に事切れました。不思議なことに、それから、私の病気は奇跡の如く回復していったのです。そんな奇跡の連続で私は今存在しているんですよ。 ■幼少期の経験から学んだ感性の大切さ 貧しい家庭で、最悪の状況の中でも私は生かされてきました。それは父と母の愛情のおかげだと思うんです。武道家だった父は、体の弱かった私を鍛え上げてくれました。そのおかげで、武道を網羅し、体が健康になり、高校の時には柔道部のキャプテンを務めるほど体力に満ち溢れていきました。 その後、小学生の時に父が戦中にやり残したことがあったと失踪し、困窮の中、自立せざるを得ない状況に陥り、絶えず挑戦して自分の未来を開く必要が出てきました。アルバイトは60個以上はやりました。そして、バイトをしながら自然と身に着けていったのが、人間関係のスキルです。それは後々に大きな財産になって、今に至っていますね。 小学校では給食費が払えない人は名前を呼ばれていたのですが、毎回呼ばれていたのが私でした。とても辛かったし、苦しかったです。だから、私は人の悲しみや苦しみ、痛みに敏感な子供になりました。普通、人間は理性と知性ばかりを高めていきます。でも、私は感性が主役で、それを支えるのが知性と理性だと思いますね。生き抜くためには、マニュアルや理論だけでは難しい。人間は、感性で生き抜くものだと感じます。 芸能界に入ったのも、直感です。戦後、海外から映像が押し寄せました。映像を通じて見る知らない世界。そこに国境も民族も全てを超えた壮大な夢を感じました。その夢を作っている場所はどこかというと、東京だと。そうして、東京を目指しました。必死にバイトして夜行列車でたどり着いた東京には、行くあてもありません。しょうがなく、上智大学の芝生で寝ましたよ。辛いことはたくさんありましたが、それでも希望を失わなかったのは武道で強化された忍耐強さからでした。 ■計算せず、自分の心に忠実に 父には「逃げるな、負けるな、屈するな、諦めるな、やり抜け」という精神を教えられてきました。苦労は買ってでもして、絶対逃げずにやり抜けと。それはいずれ己の力になり光り輝く時が来るんだというふうに語っていました。私は、100ヵ国近くを訪れ、ボランティア等、様々な実体験の中、そこでは何度も生死を彷徨う経験をしました。しかし、父の教えの通りあきらめず立ち向かうことで、生き延びることができました。 ボランティアを始めた理由は、幼少期の環境が影響しています。私はお遍路の駐在所で生まれたのですが、そこはいろいろな苦しみ、悲しみを背負って巡礼する人が集まる聖地です。おもてなしの文化があったことから、父と母に教えられ、いろいろな人をもてなしました。巡礼者の方に村で採れる食物をふるまったり、子供がいれば一緒に遊んだり。世のため、人のために行動することが小さい頃から当たり前で、自然とボランティアにつながったわけです。世界中を旅し、子どもや難民を支援したのですが、いまだに彼らの喜ぶ顔を思い出すとエネルギーをもらいます。 「なぜ、お金と時間を使って、危険なボランティアに行くんだ」と言われることもあります。でも、見返りを考えてボランティアをやっているわけではないんです。自分の心に忠実にやっているだけです。要するに計算がないんです。計算ではなく、感性で動いているのですから。 ■行動の原理は「多くの人の笑顔が見たいから」 自分がやったことに対して、感動したという言葉をもらった時にやりがいを感じますね。父には、「人の役に立つ人間になれ」とよく言われていました。皆さんに幸せを感じていただき、嬉しい言葉をもらうと、「これが父が言いたかったことなのか」と感じます。今でも、子供達からたくさんファンレターが来ます。本郷猛(仮面ライダー1号)が好きだという幼い子もとても多くて、不思議ですね。 仮面ライダーについても、ここまで続くなんて当時は考えられませんでした。私の、バイクでの大事故によって変わっていったんですよ。私の足が回復したのも運が良かったからといえます。事故を起こした際、今の医療技術では限界があり治らないと言われました。ですが、一人の先生に一つだけ試したいことがあると言われたのです。それは、ベトナム戦争で開発された医療技術でしたが、その手術をしても絶対に治る保証はありませんでした。でも、私は「やってほしい」と言ったんです。そして、驚くことに手術は成功しました。医学会にとっても奇跡ですね。手術後は、骨と皮だけになった脚を鍛えるために、過酷なリハビリを経験しました。乗り越えられたのは、もう一度復帰して、恩人たちに恩返しをしたいという一心からです。    人々に夢や希望、勇気を感じてもらえるように、私も、私の子供たちも頑張っています。子供達の夢は、家族で映画を作り、私との思い出を残すことです。この夢が、家族を団結させ、1つの原動力になっています。 ■大学生へのメッセージ 一人ひとり、この世に生を受けた人間は使命を背負った大きな宝だと思います。だから、自分の持っている、素晴らしい個性や可能性を発見する自己発見の旅をして欲しいです。そして、自己発見の旅に向かって挑戦し続けましょう。挑戦して得た実体験は、理性と知性、そして感性と合わさることでいずれ必ず力になります。人と自分を比べるのはやめたほうがいい。自分の良いところがあればそれを認めて、伸ばせば良いんです。落ちこぼれの中にこそ素晴らしい人材がいます。私だって、落ちこぼれの象徴です。見捨てられ、見放され劣等感に苛まれたことが力になり、私は大きくなってきました。自分の殻に閉じこもらず、そして、相手への愛と尊敬と感謝を忘れないで欲しいです。それが己を磨く材料になります。 それから、やっぱり心と心の交流です。損得を計算して人と付き合うのはやめましょう。出会いは本当に大事です。人生、運勢、そして歴史まで変わります。大きな夢を持って、共通の目的と価値を共有できる仲間と切磋琢磨し目標に向かいましょう。     人生は何が起きてもおかしくない。リスクも当然だと思ったほうが良いです。世の中や人のせいにするのは論外です。問題は全て自分にあります。私は、裏切られ、騙され、日本刀で叩き切ってやりたくなるような最悪な経験もたくさんしましたが、今思うと今までの人生何一つ無駄なことはありませんでした。全て宝物ですね。だから、私を騙したり裏切ったりした人には感謝です。「私を鍛えてくれてありがとう」という感じです。    この歳になって何が一番大事かというと、時間です。やりたいことや成し遂げたいことがたくさんあるのに、時間がなくなってきています。気づいた時にはもう遅いということもあるので、日々時間を大事にしてほしいですね。一瞬一瞬に命を注いで、真剣に試練に立ち向かってほしいね、大いなる夢に向かって。心臓が止まるまでが私の青春だね。生きて生きて生き抜こう。人生は永遠のサバイバル。生かされし我が命に感謝しながら、挑み続けること。 学生新聞オンライン2024年3月19日取材  津田塾大学4年 大川知 駒澤大学 4年 本多杏衣/津田塾大学 4年 大川知/中央大学 2年 前田蓮峰

学生新聞インターン

女優・モデル 岡崎紗絵

自由に形を変える水のように。何者にでもなれる女優をめざして 女優・モデル 岡崎紗絵(オカザキ サエ) ■プロフィール1995年11月2日生まれ。愛知県出身。2012年に雑誌「Seventeen」でグランプリを受賞し、専属モデルとしてデビュー。現在は雑誌「Ray」専属モデルなどで活躍。2015年より俳優としても本格的に活動を開始し、ドラマ「花嫁未満エスケープ」では主演をつとめた。2024年7月期ドラマ「マウンテンドクター」にレギュラー出演が決まっている。俳優、モデルと活躍が多岐にわたる。 17歳でモデルデビューし、女優としても幅広く活躍。多くの作品に出演し、たくさんの人を魅了させてきた岡崎紗絵さん。新ドラマ『マウンテンドクター』では麻酔科医として、山岳医療の厳しさと感動をリアルに表現している。そんな岡崎さんに、役作りのこだわりやドラマの見どころについてお話を伺いした。 私は17歳から芸能の仕事を始めました。ファッションには昔から興味がありましたが、事務所に入ってモデルになろうと具体的に考えたことはありませんでした。そんな私がモデルの道に進んだのは、とあるカメラマンさんとの偶然の出会いがきっかけでした。その方をご縁に、雑誌「Seventeen」のモデルとして活動することになって、世界が大きく変わりました。自分の意思というよりも、その出会いに導かれる形でこの道に進んだのです。学校に通いながらも、芸能活動を続けていました。部活動やイベントに参加する普通の学生生活を送り、多くの思い出を作りながらも、芸能のお仕事ができたのは、本当に幸せなことだったと思いますね。 モデルの仕事は、最初は緊張の連続でした。特に「Seventeen」の初めての撮影では、楽しさよりも緊張が勝っていました。でも、経験を重ねるうちに次第に楽しさを感じるようになりました。そして20歳頃からは、お芝居の世界に挑戦することになります。ドラマやテレビの世界は私にとって遠い存在であり、不安でいっぱいでした。台本を読むのも怖く、最初は現場のセットに慣れるのも一苦労でした。しかし、「やるならしっかり頑張りたい」という思いで挑戦を続けて、現在に至ります。 ■『マウンテンドクター』での新たな挑戦 『マウンテンドクター』に出演することが決まったときは、本当に嬉しかったです。このドラマは山岳医療をテーマにしており、私にとって初めての経験でした。はじめは、山岳医療という初めて知る医療業界についていろいろと調べるところから始まりましたね。実際に山の中と病院では状況が全く異なるので、判断力と技術が求められる分野であり、自分にとって新たな挑戦でした。だからこそ新しい一歩としてとてもわくわくもしていましたね。お医者さんと一言にいっても、所属する科によって見方や意識する点も全然変わってくるので、現場で働く医師の方から専門的な知識を学ぶなどして役作りに励みました。私が演じるのは麻酔科医の役で、患者さんの全身を俯瞰的に見守り、呼吸や心拍数などを常にチェックするため、常に視野を広く持ち、物事を俯瞰して見ることが求められるお仕事でした。 また、麻酔医という役柄と同時に、キャラクターの内面を掘り下げることも意識しました。私が演じるキャラクターは明るく芯が強い一方で、親との問題を抱える繊細な一面も持っています。内に秘めている思いとの葛藤も抱えていながらも、表に出さないように自分を隠している。そんな人間味のあるこの役を通じて、視聴者に感動や希望を与えたいと考えています。 ■ドラマの魅力について 『マウンテンドクター』は、まだ広く知られていない山岳医療の分野を描いています。医師たちの葛藤や挑戦、失敗を通じて、患者を救いたいという強い想いが伝わる作品です。山の中で行う医療は、病院内での医療とは大きく異なり、極限の状況下での判断力と技術が試されます。医師たちは、山の中で直面する予期せぬトラブルや危機的状況に対応しなければなりません。そのため、一つのミスが命取りになることもあり、緊張感が常に漂っています。このドラマを通じて、視聴者のみなさんに医療の厳しさと素晴らしさを感じ取ってもらいたいですね。 そして、ドラマの中で描かれるのは、単なる医療行為だけではなく、人間としての成長や葛藤です。医師たちは失敗を経験しながらも、患者を救いたいという強い気持ちで前に進み続けます。医師も人間の中の一人なんだと感じてもらえるのではないでしょうか。トライ&エラーの過程を描くことで、人間としての成長や希望を視聴者のみなさんに届けたいと思っています。また、病院のオペだけでない、山岳医療ならではの山での救助活動や自然の中ならではのハラハラとした臨場感も楽しんでもらえると思います。人間模様がシーンによって細かく描写されているので、各々の役の気持ちの変化や葛藤にも注目して楽しんでもらえたらうれしいです。 ■学生へのメッセージ これからも様々な役に挑戦し続けたいと思っています。特に私が意識しているのは「水になりたい」という想いです。目指すのは、どんな役でも柔軟に演じられるようになること。水は、色もないし形もありません。だからこそ何者にでもなれると考えています。そして、どんなに難しい役でも真剣に向き合い、その役に命を吹き込みたいと思っています。 学生の皆さんに伝えたいのは、挑戦することの大切さです。失敗が成功への一歩であり、ドラマでもその過程が描かれています。失敗を恐れず、どんなことにもチャレンジすることで、希望と勇気を持って前に進んでほしいと思います。私自身も多くの挑戦を通じて成長してきました。学業でも部活でも何でもいいので自分の可能性を信じて挑戦の一歩を踏み出してほしいです。 学生新聞オンライン2024年5月7日取材 法政大学4年 島田大輝 『マウンテンドクター』 【放送枠】2024 年7月8日(月)スタート(初回15 分拡大) 毎週月曜よる10時(カンテレ・フジテレビ系全国ネット)【出演】杉野遥亮 岡崎紗絵 宮澤エマ 向井康二 八嶋智人 檀れい 大森南朋 ほか【脚本】高橋悠也【演出】国本雅広、高橋貴司、保坂昭一【プロデューサー】近藤匡(カンテレ)、大城哲也(ジニアス)【制作協力】ジニアス【制作著作】カンテレ■公式サイト : https://www.ktv.jp/mountaindoctor/■公式X : https://twitter.com/_mountaindoctor■公式Instagram : https://www.instagram.com/_mountaindoctor/■公式Tiktok : https://www.tiktok.com/@_mountaindoctor クレジット・メイク 竹内研登、長縄希穂・スタイリスト 森 勇馬・カメラマン 下田航輔

学生新聞インターン

衆議院議員 鈴木貴子

政治は見るものではなく “使う”もの 衆議院議員 鈴木貴子(すずきたかこ) ■プロフィール 鈴木貴子(外務副大臣、自由民主党 衆議院議員)1986年1月5日、北海道帯広市生まれ。2008年カナダ・トレント大学卒業。NHK勤務を経て、2013年衆議院議員初当選。以来当選4回、防衛大臣政務官、党副幹事長、外務副大臣などを歴任。現在は党青年局長を務める。 27歳で初当選し、政治家として、外交・安全保障から子ども・子育て政策まで幅広く手掛ける鈴木貴子衆議院議員。「その声、鈴木貴子が届けます」をモットーに、地域の声をすくいあげながら、日々、政治の世界を邁進する。そんな彼女に、これまでの軌跡や政治家としてビジョンについて伺った。 今振り返れば、高校進学に向けた受験勉強は将来を考える大きなターニングポイントでした。元々は日本の高校に通う予定でしたが、塾の先生から「あなたの回答は面白いけど、採点者に受ける回答ではない」と言われたことがショックで、それをきっかけに受験や日本の高校進学そのものを考えるようになりました。これから国際化が更に加速すると考え、「英語の習得」そして「日本を知るためにも海外に出てみよう」と決心。自ら留学斡旋センターに出向き資料をもらって…治安も良く、学費も安かったカナダに決めて、親を説得。塾を辞めて、代わりに英会話に通い始めました。ちなみに、カナダは「人種のサラダボール」と評され、それぞれの文化、伝統、価値観などが尊重されます。そんな環境だったからこそ、時に窮屈と感じた日本の素晴らしさや可能性を改めて発見することも出来たように思います。 ■「不条理」を減らしたくて、政治家の道へ 海外生活の中で、日本との違いに対する違和感を抱くこともありました。たとえば、メディアにおける政治的中立性に対する考え方です。私がカナダ留学中によく見聞きしていた北米のメディアは、例えば選挙報道でも支持政党や候補者を明らかにした上で報道します。日本ではメディアが公に支持政党や候補者を標ぼうすることはありません。各メディアが「自分たちの立ち位置」を明確にしていれば、視聴者もメディア情報を鵜呑みにするのではなく、より自発的に比較したりするのではないでしょうか。情報の洪水とも言われる世の中で、なお一層メディアリテラシーが求められることは明らかです。日本の民主主義を守り、発展させるためにも、情報の出し手も受け手も双方が緊張感を持ちながら時にけん制、また尊重することが求められるものの、そこが未成熟だと感じました。そんな危機感から、卒業後は日本のメディア、特に国際放送を展開をするNHKを志望しました。当初は記者を志望していましたが、面接官に「記者よりもディレクターの方が向いている」と言われたため、ディレクター職を受け直し、入局しました。取材から、魅せ方など演出も考えるディレクターは今の仕事にも通じる点です。私の家庭は、父も政治家であったため、常に政治は身近なものでした。ただ、政治家である父に対しては、世間からの目も様々で、世の中の不条理を感じることも多かったです。社会の声や権力によって、事実を事実として伝えようとしても声がかき消されてしまう。それがいかに酷いことかを、身をもって体感しました。「何事も経験」と言われますが、経験する必要のない「不条理」があると知り、そのために声を上げたいと思い、政治の道に入りました。 ■妊娠に対して「おめでとう」以外の言葉をぶつけられる日本 初当選は27歳のときです。北海道の釧路・根室管内が地元ということもあり、北方領土問題の解決および日露平和条約締結に向け、当選直後から外交・安全保障に力を注いできました。安倍政権下では防衛大臣政務官を拝命し、岸田第一次・二次内閣では外務副大臣を務めました。と、いうのも各級議会がありますが、外交と安全保障に携わることが出来るのは国政を担う、国会議員のみです。言い換えれば、国政を担う者の責務だと考えます。私生活では30歳で結婚、31歳で第一子を授かりました。妊娠を報告した際に、多くの祝福の言葉を頂きましたが、なかには「任期中の妊娠は職務放棄だ」「キャリアを捨てたのか」との声も寄せられました。新たな命の誕生に「おめでとう」以外の言葉をぶつけられる現実に強いショックを感じました。新たな命の誕生を喜べない国はいくら経済的に先進国と言われようとも寂しいもの。それから、子育てや教育といった政策にも力を入れ始めました。初めての妊娠、出産、育児を自ら経験したからこそ、例えば、子育てに関する気付きや意見も、目の前の育児で手一杯。自分の時間も満足にも取れない多くのお母さんたちがいます。当事者だからこそ、その時に声をあげることも難しい現実もあります。政治の世界はまだまだ「男社会」でもあります。だからこそ、当事者目線の政策や意見を代弁すべく、子ども・子育て政策にも取り組んでいます。また、防災・減災もライフワークです。日本が抱える三大巨大地震の1つ、日本海・千島海溝沖地震が選挙区にある上、NHK勤務時代に東日本大震災を経験し被災地取材も経験しました。自然の脅威を目の当たりにし、地震をゼロにすることは出来なくとも、備えが生死を左右する重要性を痛感しました。鎮魂の想いは、事前防災、減災対策として示したいと思います。その他にも、持続可能な一次産業、国際協調、孤独・孤立対策に取り組んでいます。 ■学生へのメッセージ 学生のみなさんには、政治はぜひ見るものではなく“使う”ものだと感じてもらいたいです。日本社会では政治の話をすることはタブーという雰囲気があると思いますが、暮らしと政治は切り離せません。学校でも「政治的中立」を理由に政治や主権者教育すら十分に行われていません。しかし、18歳で選挙権を得たとたんに「選挙(投票)に行くのは義務」と言われることに、違和感を覚える方も多いのではないでしょうか。また、日本では学校が独自に定めた校則があると思います。私が通っていたカナダの学校では、生徒は校則ではなく、あくまでも“社会一般のルール”が適用されます。ゆえに、「自分は社会を構成する一員である」という意識・自覚が醸成されやすく、結果として社会活動や政治にも“当事者”として興味関心が呼び起こされるのではないか、と感じました。ぜひ日本の学生皆さんにも、社会を良くさせるのも、停滞させるのも自分だという意識を持って、行動してほしいです。自分が主体的になると、もっとワクワクする世の中になると思うし、それが本来あるべき姿だと思います。誰か一人が欠けた時に、回らなくなるのが社会ではありません。みんなで動かし、活性化させる社会、そして政治を目指していきたいです。 学生新聞オンライン取材 2024年4月22日 慶應義塾大学3年 山本彩央里 立教大学4年 須藤覚斗 / 慶應義塾大学3年 山本彩央里 / N高等学校2年   石川輝

イベント・企業紹介

富永啓生選手×カリーブランド契約発表記者会見

アンダーアーマーの日本総代理店である株式会社ドーム(本社:東京都江東区、代表取締役:北島義典)は、富永啓生選手とカリーブランドとの契約発表記者会見を2024年6月15日(土)にUNDER ARMOUR BRAND HOUSE 新宿にて開催した。 カリーブランドは、3ポイントシュート通算成功数の記録を保有しているステフィン・カリー選手(ゴールデンステート・ウォリアーズ)のシグネチャーブランドで、「CHANGE THE GAME FOR GOOD(世界中の若者たちが平等にスポーツを楽しむ機会を創出する)」という、カリー選手の意志を体現した社会活動に取り組んでいる。日本バスケットボール界を牽引する次世代のホープとしてバスケットボール発祥の地であるアメリカを拠点にプロリーグを目指しプレーを続けている富永選手の夢を一緒に実現するべく、契約アスリートとしてはステフィン・カリー、ディアロン・フォックス、マイレイジア・フルワイリーに続いて4人目、アメリカ国外の選手では史上初となるカリーブランドとの契約に至った。 記者会見で、契約書の調印式後、契約に至った経緯や、ブランドに期待すること、今後の展望などを伺った。 ■株式会社ドーム 代表取締役 北島義典 富永選手とカリーブランドの契約を発表できることに大変ワクワクしています。アンダーアーマーでは、アンダードッグ(勝つ見込みのない人が勝つために這い上がる)という精神があるのですが、富永選手がアメリカの大柄な選手相手に果敢に立ち向かう姿に感動し、その精神を感じました。また、2018年と2019年に日本で行われたカリーイベントに富永選手が参加してくれて、非常に縁が深まりました。こうして契約発表を迎えることができ嬉しく思います。今後とも富永選手が世界で活躍できるようサポートしていきたいです。 ■富永啓生選手 契約の話をいただいた時は、自分が一番尊敬しているカリー選手のブランドということで、とても光栄でしたし、信じられない気持ちと嬉しい気持ちでいっぱいでした。カリー選手は自分にとって神のような存在です。3ポイントや試合中のパフォーマンスなど真似してきた尊敬する選手でもありますし、遅咲きでNBAナンバーワンに上り詰めた選手ということで、やり続ける・諦めないというアンダードッグ精神も見習っていきたいです。またブランドミッションである「CHANGE THE GAME FOR GOOD」を一緒に目指して、世界中でブランドを大きくしていけるように頑張ります。自分がカリー選手にしてもらったように、今度は自分がバスケットをしている人たちに希望を与えられるような存在になりたいです。そして、NBA選手になるという夢に向かって、まずは目の前のパリ五輪に全集中し、この先カリー選手とコートの上で対戦出来たらいいなと思います。3年前まではこんなことが起きるとは全く思っていませんでした。夢をもつことは一番大事だと思いますし、夢をもって追いかけ続けると結果はついてくると思うので、まずは目標をたてて、それに向かって若い人たちも一生懸命頑張ってほしいです。 学生新聞オンライン2024年6月15日取材 上智大学3年 網江ひなた 

コラム

テリー伊藤 コラムVol.26 男子家を出ずれば七人の敵あり

ことわざに「男子家を出ずれば七人の敵あり」とあるが、敵とまではいかないが、毎日生活していれば試練はある。 夏日が増える中、街に日傘の女子が増えている。これが厄介なのだ。日傘の先端が丁度私の顔の位置。雨傘の場合はこちらも傘で防備できるが、私は日傘はさしていない。先日、話に夢中の日傘女子二人組が並んで向かって来た。私の存在に気付かず、傘先が私の顔に激突。痛いの何の。そのまま去って行った。ひどい話だ。試練は続く。東京駅で急にトイレに行きたくなり慌てて駆け込んだのはいいが、個室の方は順番待ち。やっと入ったら先客が流し忘れ…。何が悲しくて見なくちゃならないのか。世間は怖い。何処に怒りをぶつければいいのか。私は朝の公園を散歩するのが好きだ。早朝の爽やかな木漏れ日は気分を穏やかにしてくれる。しかし、ワンちゃんの糞を踏んだ日は辛い、辛過ぎる。突如一日がブルーな気分に。そのまま公園の水道で靴底を洗う。これは切ない。 ところで、最近の車、大き過ぎないか。車幅1900cmあるSUV車もざら。先日スーパーマーケットに行った時、空いていたスペースの両サイドに大型車が駐車してあった。やっと駐車出来ても車から出るのにひと苦労。食料を買って戻ってきてもドアが開けづらい。試練は続く。映画館での出来事。指定席の隣り合わせの女性の香水が強烈な臭いを放っていた。頭がクラクラ思考力が薄れる。気になり過ぎて映画にのめり込めず内容も途切れ途切れ。こんな時はどうしたら良いのか。試練は終わらない。帰宅時間の住宅街を走行していると、バスから降りた乗客が、バス前方から車線を超えて走り出し反対側の歩道に。これは怖すぎる。停車しているバスを右側から抜こうとした瞬間に突然飛び出してくるのだ。家に帰りたい気持ちは分かるがこれはやめて欲しい。最近のマナー違反の電動キックボードや自転車も、ドライバーにとって命が縮む思い。 最大の試練は。明らかにカツラだと分かる人と面と向かって話す時。本当に目のやり場に困る。しかもズレている。これはまずい。打ち合わせ中ず~っと見てしまう。「このカツラ何処で購入したのか。値段はどの位か。家族、友人のアドバイスはなかったのか。」妄想が止まらない。疑問は増すばかり。「いや待てよ、これって、先方さん自ら不自然なカツラを使って私の人間性を試しているのではないか。だったら大物過ぎる。」 世間には七人の敵が居ると言われるが…もっと多いかも。一瞬たりとも油断は禁物。伏魔殿のような世の中、気を引き締めて生きなくてはいけない。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry