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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

カートエンターテイメント 映画・舞台監督 柿崎ゆうじ

映画を通じて、時代を越えたメッセージを後世につなげていく カートエンターテイメント 映画・舞台監督 柿崎ゆうじ (かきざき ゆうじ) ■プロフィール 1968年生まれ、山形県出身。舞台や映画、TV番組など数多くの製作総指揮を手掛ける。映画最新作『コウイン~光陰~』では国際映画祭世界4カ国6部門にて最優秀作品賞や最優秀監督賞を受賞。また、今年で8回目の公演を迎える大戦中の特攻隊員と鳥濱トメとの交流を描いた舞台『帰って来た蛍~永遠の言ノ葉~』も製作総指揮・脚本・演出を務める。 特攻隊をテーマにした舞台『帰って来た蛍~永遠の言ノ葉~』やボディーガード時代の実体験をもとに制作し、4か国の国際映画祭で6部門を受賞した映画『コウイン~光陰~』など多数の映画や舞台に携わってきた柿崎ゆうじさん。彼が作品を通して、後世に残したいメッセージとは。 ■経験ゼロから制作をする側へ 実は、最初は映画俳優になりたかったんです。中学生の時にブルース・リーを見たことがきっかけで、その夢を抱くようになりました。しかし、俳優としては芽が出なかったので、夢を諦め、20歳の時に日本初のボディーガードの会社を始めたんです。ハリウッドスターやアメリカの元大統領、スポーツ選手などのスーパースターを担当したりもしていました。さらには危険な場所に行って、死と隣り合わせの現場で、命がけで仕事に打ち込んだこともありました。刺激的な日々ではありましたが、ある時、自分は何をしたいのか考えた際に「自分は作品を通して世の中に何か訴えたいんだ」と思うようになりました。そして37歳頃に、初めて舞台のプロデューサーに挑戦します。しかし、これが意外と面白くなかったんです。プロデューサーの仕事は、監督や俳優さんたちの世界とは一線を画していて、まるで蚊帳の外状態だったからです。「もっと俳優さんとバチバチ意見をすり合わせながら作品を作りたい」という想いが生まれたことから、自分で脚本を作り、監督をするようになりました。 ■作品とともに後世で生き続ける 作品を作る原動力は、自分の作品を見てくださった方の反応です。一番うれしいのは「作品を見て人生が変わった」という声ですね。逆に大変なのは、お金です。映画を作るには大体数千万から億単位のお金がかかります。その膨大な資金は、だいたい制作委員会が出資者を集めて確保します。ただ、それだと出資者からの口出しが多く、作品作りが制限されることが多々あるんですよ。だから私は自分だけでお金を用意して作っています。多分これをやっているのは、日本で私だけじゃないですかね。このように、伝えたいメッセージを伝えられるやり方で、自分たちの未来や後世に何かを訴えかけていくべきだと思っています。日本を冷静に見まわしてみると、世界情勢的にも、災害を考慮しても、不安な未来が待っています。そんな時代だからこそ、自分たちの子供の代まで考えた未来に向けて、メッセージを伝えることが自分たちの役割だと考えるようになりました。また、後の人にメッセージになる作品を作っていけば、自分が永遠に生きているのと一緒なんじゃないかとも思うんです。だからこそ、これだけのお金をかけて力を尽くして映画を作る価値があると思います。 ■戦時中のありのままを伝えたい 人との会話や本を読んで生まれるような、日常の中に転がっている感動から作品の発想を得ています。日々よく感動するんですが、1度聞いたら忘れないような心震える感動を映画にしたいと思いますね。6月29日から始まる舞台『帰って来た蛍~永遠の言ノ葉~』は今から16年前に作った作品です。特攻隊の存在はもともと知っていたのですが、ある本を読んだことがきっかけで、17歳くらいの若者も参加していたことや、九州だけで1036名も隊員がいたという事実に加え、これから死ぬのに笑顔で子犬を抱いている写真や家族や大事な人に遺した手紙を通じて、彼らのあふれる想いを初めて知りました。この事実があったことを、多くの現代の日本人は知らないで生活をしていると気づき、同じ世代の若者に伝えたいという想いから、作品にしています。舞台を作るには莫大なお金がかかるのですが、満席になってもほぼ3000万円は赤字が出るのが決まっているので、覚悟は必要です。それでも、やらなきゃいけないと思ってやっています。日本中から「大阪でもやってほしい」「毎年やってほしい」といった声が沢山あるのにも関わらず、予算の問題もあってなかなか実現できないのが苦悶ですね。それでも見に来てくださった方で、当時その場にいた方が「自分がかつていた、あの時あの場所と全く同じだった」という言葉に救われました。こういう声を聴くために、芝居をやっているような気もします。見どころは、再現性の高さです。当時の日記に書かれていることも参考にしながら作品を作っているので、「実は心根の優しい人達ばかりだった」というような世間には伝わっていない細かな部分も余さずに再現しています。高いクオリティの再現度を実現するために、稽古中から意識したのは「1人のミスは団体責任」というルールです。メンバー全員で「なんとかこの感動を伝えよう」という想いがあったからこそ、この再現度を実現することができたんだと思います。東日本大震災の避難所を題材にした映画など、まだまだ撮りたい作品はたくさんあります。今後も「大事な根幹は変えない」をモットーに、事実をつなぐような作品を発表していきたいです。   ■大学生へのメッセージ 皆さんの前途はまだまだ果てしないものだし、夢も沢山あると思います。今の時代、安全保障問題や災害の多発など、大変なことが多い時代だと思うのですが、過去を遡るとどの時代も大変な世代はあったはず。そんな大変さを乗り越えてきた人たちがいたからこそ、歴史がつながっていくと思います。皆さんもこれから困難に直面するかもしれませんが、夢をしっかり持って、乗り越える気概を持ち続けてほしいです。 学生新聞オンライン2024年5月10日取材 上智大学3年 網江ひなた 舞台 帰って来た蛍 ~永遠の言ノ葉~ 期間:2024年6月29日(土)〜2024年7月7日(日)※7月2日(火)は休演日となります 場所:俳優座劇場 https://www.haiyuzagekijou.co.jp/ 出演者:伊藤つかさ・竹島由夏 半井小絵・大鶴義丹・さとう珠緒 他 脚本・演出・製作総指揮:柿崎ゆうじ企画・製作:カートエンターテイメント X(旧Twitter):https://twitter.com/hotarublog 木更津総合高等学校3年 原颯太 / 昭和女子大学3年 竜澤亜依 / 京都芸術大学1年 猪本玲菜 / 慶應義塾大学3年 山本彩央里 / 上智大学3年 網江ひなた

イベント・企業紹介

井山裕太十段就位式

囲碁の大和ハウス杯第62期十段戦を制した井山裕太十段(35)の就位式が6月13日、東京都港区の明治記念館で行われた。 井山は今回の5番勝負で芝野虎丸十段(名人=24)に挑戦した。1勝2敗と後がない状況から連勝して、逆転奪取。6期ぶり6回目の獲得を果たした。同時に王座・碁聖・十段の3冠に返り咲いた。また、7大タイトルの獲得数が60期(内訳は棋聖9、名人8、王座9、天元8、本因坊11、碁聖9、十段6)に到達した。 挑戦権を争う本戦トーナメントでも1回戦で村川大介九段、準々決勝で藤沢里菜女流本因坊、準決勝で関航太郎九段、挑決で許家元九段と、年下の新旧タイトル保持者を撃破。村川にタイトルを奪われた2019年以来の十段戦登場となっていた。 井山は謝辞で、「近年挑戦権を獲得するのも難しかったのですが、今期は幸運に恵まれました。芝野十段にはここ数年、なかなか厳しい戦いを強いられており、実力や成長された部分を感じました。今回も厳しい5番勝負でしたが、最後は運も味方してくれた部分もあったと思います。30代半ばを迎え、下の世代とのタイトル戦が続いております。自分自身、成長していくこと、高めていくことができれば、まだまだ戦っていけると今回、結果で示すことができたと思っています。来期少しでもいい戦いができるよう、今後も自分の碁を磨いて臨んでいきたい」と述べていた。 ■井山裕太棋士より学生へのメッセージ 私は5歳の時にテレビゲームに興味を持ったことがきっかけで囲碁を始めました。囲碁の魅力は、年齢や性別を問わず誰でも楽しめることです。同じ土俵で対等に競い合うことができ、まるでキャンバスに絵を描くように自分の好きなようにプレイすることができます。囲碁に難しそうなイメージを持っている方がいるかもしれませんが、実はとても自由なゲームで誰でも始めやすいです。最近ではアプリなども充実しており、気軽に楽しむことができるので、まだ囲碁に触れたことがない学生さんにもぜひ挑戦してもらえると嬉しいです。 学生新聞オンライン取材 2024年6月13日法政大学4年 島田大輝

イベント・企業紹介

RED° TOKYO TOWER 見学

東京タワーに2022年4月グランドオープンした施設「RED゜TOKYO TOWER」は、最先端テクノロジーを搭載した体感型ゲームから、小さなお子様でも楽しめるボードゲームまで揃えた完全屋内施設です。東京タワー3階から入場でき、4,5階は全てRED゜TOKYO TOWERの施設となっています。本格派からファミリー層まで楽しめる新感覚アトラクションが数多くあり、誰でも楽しめること間違いなしです!今回、学生新聞インターン生が実際にアトラクションを体験させていただきました! RED°TOKYO TOWER(レッドトーキョータワー)〒105-0011東京都港区芝公園4-2-8TOKYO TOWERフットタウン内1F,3F-5F※RED° TOKYO TOWERの運営会社は、TEG株式会社となります。※東京タワーの運営会社は株式会社TOKYO TOWERとなります。 RED° 5TH FLOOR ULTIMATE ZONE 2つの次世代アリーナとeモータースポーツ、ポーカーなどのマインドスポーツ、カフェ&バーを展開。 SKY STADIUM(スカイスタジアム) esportsの大会やイベントをはじめとして、音楽ライブ、ファッションショーなど、さまざまなライブエンターテインメントを展開。メタバース(仮想空間)なども連動した新体験をお届け。イベントスペースとしての貸出しも可能。 RED° 4TH FLOOR ATTRACTION ZONE 超人スポーツやドローン競技など、体験型コンテンツが充実。超人スポーツをはじめ、ドローン競技などの体験型コンテンツが充実したフロア。多彩なフィジカルeスポーツが楽しめる。 RED° 3RD FLOOR INSPIRATION ZONE eスポーツの世界に包まれるRED°のスタート地点。 <体験した感想> VR等の先端技術を用い、自分の動きが画面やゲームに反映していることや、その映像が綺麗で没入感を体験出来たことに驚きました。体を動かすアトラクションから、ドローン操作、車の運転、VRをつけた乗り物など様々な体験型アクティビティがあり、子供でも大人でも楽しめます。各スペースに休憩できるスポットやスマートフォンの充電スポットもあるので、休憩をはさみながら長時間楽しめる施設だと感じました。京都芸術大学1年 猪本玲菜 東京タワーの中にあると聞いた時、どれくらいの広さなのだろうと気になっていたのですが、入ってみたらとても大規模な施設で驚きました。イカゲームを模したゲームがすぐゲームオーバーになってしまい、悔しかったです。VRをつけてのジェットコースターは迫力満点でした。リアルでは絶対にできないようなシーンもあって面白かったです。中央大学3年 前田蓮峰 RED°TOKYO TOWERはまさに異次元の全く新しいエンタメを体験できる場所でした。最新のXR技術を使用したボルダリングやトランポリン、縄跳びは一度のゲームでも息が上がるほどの満足感と刺激がありました。中でもハドーシュート!という実際に体を動かして手から波動を打ったりバリアをはって相手と闘うARスポーツは、誰もが子供の頃に夢見た魔法のようなアトラクションでした。人類の技術の進歩を楽しい遊びを通して肌で感じることができ、本当に貴重で楽しい体験でした。上智大学 3年 長瀬一寿 RED°TOKYO TOWERでは最新技術であるXRとトランポリンやクライミングウォールなどの現実世界の物体が融合した、没入感のある新感覚の体験が楽しめました。特にeモーターは、カーブ時のハンドルの反動まで忠実に再現されており、操作の難しさを感じました。また、ボートレースでは向かい風や水飛沫を感じ、実際のレースさながらの臨場感を味わえました。技術の素晴らしさと体感しながら体を動かし、自然と笑顔が溢れました。上智大学3年 東芽衣 AR・VRとリアルを融合した「未来の遊び」を体験することができました。特に「HADOU」というVR×ドッジボールのようなゲームは競技性が高く、友人たちとの対戦はとても楽しかったです!また他にも壁や床にLEDモニターが搭載された映像ステージも展示されており、フォトジェニックな写真も撮れます。家族やパートナーといった大切な方達とのお出かけにも最適です!武蔵野大学4年 西山流生 実際に体験してとても楽しく、小さい頃に来てたら本当に夢のような場所に感じるなと思いました。笑最先端かつ様々なアミューズメントが揃っていて非日常を味わうことができました。子供から大人まで一日中楽しめる施設になっているため東京タワーに行ったらみなさんもぜひ立ち寄って体験してほしいです。法政大学4年 島田大輝

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STEM の国際プレゼンテーションコンテスト

日本オーチス・エレベータ株式会社(代表取締役社長 ティボー・ルフェビュール、本社 東京都中央区、以下 日本オーチス)は、オーチス・ワールドワイド・コーポレーション (NYSE: OTIS) が主催する学生向けの国際プレゼンテーションコンテスト「Made to Move Communities™(メイド・トゥ・ムーブ・コミュニティズ)」で、かえつ有明高等学校 (東京都江東区) のチームがアジア太平洋地域で2位を受賞したことを発表しました。4 年目となる今大会で、各学生チームは、住民の心身の健康の向上に向け、都市での緑地へのアクセスの改善を目指す画期的なソリューションを考案しました。日本オーチスはエレベーターおよびエスカレーターの新設・据付・保守・改修を一貫して扱う世界的リーディングカンパニー、オーチス・ワールドワイド・コーポレーション(NYSE:OTIS)の日本法人です。2023 年に行われた国内予選大会には日本全国の9 校から17 の学生チーム (計115 名) の応募があり、日本オーチスの審査員による書類審査を経て5 チームがファイナリストとして選出されました。そしてその5 チームが、オンラインで審査員に英語でプレゼンテーションを披露した結果、かえつ有明高等学校のチームが優勝しました。かえつ有明高等学校のチームは日本を代表して2023 年12 月から開催されたMade to Move Communities に挑みました。Made to Move Communities で、各国を代表する学生チームは、ボランティアとして参加したオーチス社員のサポートを受け、STEM(科学、技術、工学、数学)を用いて、都市における公園へのアクセスを改善するソリューションを考案しました。かえつ有明高等学校のチームは、「グリーノマド(GreeNomad)」というソリューションを提案しました。Green(緑地)とNomad(遊牧民)を組み合わせたグリーノマドは、水素を燃料とする電池を搭載した公共バス内に植物を配置し、人々の日常の生活の中で手軽に緑地体験を提供するというアイデアです。本年度のMade to Move Communities には、15 の国と地域から240 名以上の学生が参加しました。かえつ有明高等学校には、同校のSTEM 教育プログラムをさらに推進するため、オーチスから15,000 ドルの助成金が授与されました。

コラム

テリー伊藤 コラムVol.25 ミッキーマウスとネズミ

ミッキーマウスほど世界中で愛されているネズミはいない。ミッキーを見れば老若男女大喜び、泣いていた赤ちゃんまで笑顔になる。しかし本物のネズミと台所や押し入れ、夜道で遭遇したら多くの人は顔がひきつり、悲鳴を上げるに違いない。そしてほうきで叩くか、助けを呼ぶかの大騒動になる。同じネズミでもこれ程まで扱いが変わってくる。何故ミッキーだけが人気者なのか。ミッキーマウスの生みの親、ウオルト・ディズニーの存在のおかげにほかならない。1928年スクリーンデビューした映画『蒸気船ウィリー』以来世界中の人から愛されて続けている。嫌われているはずのネズミがスーパーアイドルになっていった。これって凄いですよね。大事なのはイメージ作りです。 では、狼はどうか。アニメでもイメージは良くない。グリム童話『赤ずきんちゃん』では、赤ずきんちゃんが森の向こうのおばあちゃんの家に向かう途中、1匹の狼に遭うが、先回りされおばあちゃんは狼に食べられてしまう。そしておばあちゃんの姿に変装して、赤ずきんちゃんが来るのを待つ。ここでは狼はとんでもない殺人鬼として描かれている。これでは絶対に子供達の人気者にはなれない。キツネはどうか。英語で「AS SLY AS A FOX」と言えば「狐のようにずるい」となる。これって狐にしてみればたまったもんじゃない。人間が勝手に自分たちのイメージを作り出している。本来なら狼から訴えられても仕方がない。亀はどうか。イソップ童話『ウサギとカメ』ではウサギが油断して昼寝している間に亀はコツコツと歩みを進めてウサギを追い抜き、まじめな努力が大きな成果を生む物語だ。近年でも世界的ヒットになった映画『ミュータント タートルズ』でも正義のヒーローで登場し大人気。亀の好感度は高い。 鹿はどうか。これまたディズニー映画『バンビ』(1942年公開)で、母親を人間に殺された子鹿バンビが偉大な父の元、逞しく成長してゆく物語。世界中が涙した。私も子供の頃見た感動を今も忘れない。今でも小鹿を見るとバンビと呼んでしまう。バンビ人形も持っている。バンビという名前も良い。幼児期の思い出は一生忘れない。そこにいくとゴキブリなんてどう考えてもアイドルにはなれそうもない。「ゴキブリちゃん」「ゴッキー君」と名乗っても受けそうもないし。将来性も無い。そうこうなったら悪に徹して欲しい。世界侵略を目指し悪の巣窟を築き上げてくれ!人気者ばかりじゃつまらない。「ゴキブリ大魔王」「改造人間ゴキブリアン」もいいかも。出来れば狐軍団を引き連れて。すみません、話が変な方向に行ってしまいました。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

塚紗里依

カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 代表取締役社長 兼 CEO 髙...

社会の原動力は「人」。だからこそ、人を元気にする会社を作りたい カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 代表取締役社長 兼 CEO 髙橋誉則(たかはし やすのり) ■プロフィール 1973年東京都生まれ。1997年にカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)新卒入社後、FC事業本部で人事リーダー職を経て、2006年に自ら社内起業した株式会社CCCキャスティング代表取締役社長に就任。CCC執行役員、株式会社TSUTAYA常務取締役などを歴任。2018年3月末CCCを退社。3年間の主夫を経て、2021年4月にCCCに復帰。2024年4月よりCCC代表取締役社長兼CEO。 Vポイントによるマーケティング事業やTSUTAYAなどの書店運営、地域創生からヘルスケア事業まで、さまざまなビジネスモデルで名を馳せるCCCグループ。数々のサービスを通じて、新しいライフスタイルの提案を行なっている。新しい価値や場を提案し続けるCCCの髙橋誉則代表取締役社長に、ご自身の経歴やその価値観について伺いました。 ■バイトに明け暮れた学生時代 大学生時代は、ほとんど学校には行かず、神宮球場の雑踏警備のバイトをしていました。1年間のうち、350日はアルバイトに時間を費やしていましたね。社員が少ない会社だったので、アルバイトを戦力化しないといけない。そこで、現場のリーダーを任されていたので、責任重大でした。「僕が行かないと野球場が開かない」とすら思うほどでしたから。今思えば、期待されて、適切な量やサイズの責任を与えられると、人の原動力になるのではないかと思います。このバイトを通して、人を率いるリーダーシップやマネジメントの根幹の部分に触れました。もはやサークルみたいな感覚だったので、仲間と楽しく仕事ができるし、学ぶ部分も多いし、お給料ももらえる一石三鳥のような場所でした。 ■入社試験の時に感じた、CCCの自由な社風 就活は3社くらいしか受けませんでした。その中でも、CCCの入社試験は定型フォーマットがないのが印象的でした。「自分を表現してください」というテーマで白紙を渡されたとき、私は野球場の仕事について書いて提出したのですが、その入社試験を通じてCCCの自由な社風を感じ、波長があうと思いました。入社後、約30年間のキャリアの中で、現場から人事、企業経営を約3分の1ずつ携わってきました。入社当時から人事に携わりたかったのですが、その理由は、CCCでの仕事を通じて、社会の動きは人が原動力だと感じるようになっていたからです。自分たちの仕事で人を元気にしたいし、それがCCCの根幹であってほしい。だから、人と最も関わる機会が多い人事を希望していたのです。 ■娘と寄り添うため、主夫になってキャリアも中断 個人能力として優秀な人は沢山いる中で、心がけていたのは「何をやるべきか」を考えること。「このシチュエーションになった時に、何をやるべきか」を常に考えるようにしていました。例えば、自分のキャリアを形成する中で、主夫になるため、会社を一度退いたことがあります。その理由は、娘がダウン症だと知って、娘に寄り添う時間を作りたかったからです。障がいに対してはいろんな支援が必要になります。娘が生まれた瞬間から、見守り環境、就労環境、さらには経済的に国に頼らず生きて行ける方法を考えるため、配偶者と役割分担しながら育てることを決めます。仕事のキャリアは自分でやり直せます。でも娘に寄り添わなかったら、その期間は戻ってこない。その後、3年間の主夫生活を終えて、CCCに戻ってきました。他の会社に行くという選択肢もあったと思いますが、復帰前の自己分析を通じて、「やっぱり自分はCCCが好きだ」と感じたため、この会社で再び働きたいと強く思いました。 ■自分ならではの「軸」のある人と一緒に働きたい 人は会社のエンジンだと思うので、人とどうやって信頼関係を築けるかが非常に重要な要素になります。一人ひとり違う中で、自分としての価値観や軸を持っている人と働きたいですね。社会でいろんな人に会う中で、自分の軸がないと影響を受けすぎてしまいます。しっかりした土台がないと、その上に2階、3階と家を建てることはできません。自分の新たな付加価値を積み上げていくためにも、基礎となる強いバックボーンを持ってほしいです。そして、過去の経験から何を学んだか、という体験や経験を言語化できる人が望ましいです。抽象的なものをいかに構造分解し、再現性を持たせることは、仕事において極めて大切だと思います。また、環境に依存しすぎず、他責にせず、自分や社会と対峙することも重要な要素だと思います。 ■大学生へのメッセージ 社会にでると多様な人たちや価値観とたくさん出会います。学生時代より、自分を守ってくれる存在は少なくなるので、心配になるかもしれません。でも、その中で、多くの仲間に出会うでしょう。その中には、尊敬できる人や志高い人たちとも巡り会えます。心細いことがあっても「自分一人じゃないんだよ」と伝えたいです。現在できることとしては、アウトプットの習慣を持ってほしいです。自分の考えは、言葉にしないとなかなか伝わりません。そのため、わかりやすく伝えることは、人への親切です。自分の考えや学んだことを、構造化や図形化、文字化し、整理して伝えることを意識してみてください。時間は平等です。アウトプットの質を意識してアップデートすることを若い時から繰り返し、10年経った時、何もしなかった人とは大きな差がついているはずですから。 学生新聞オンライン2024年4月11日取材 慶應義塾大学 3 年 塚紗里依 立教大学 4 年 緒方成菜 / 日本大学 1 年 大森雨音 / 慶應義塾大学 3 年 塚紗里依 / 中央大学 3年 亀井義和喜 / 上智大学 3 年 白坂日葵 /慶應義塾大学 3 年 松坂侑咲 撮影協力:下田航輔

コラム

テリー伊藤 コラムVol.24 1席6,500円の豪華映画館登場

私、知りませんでした。1席6,500円のプレミアムシートがある映画館。2023年4月に開業した東京新宿の高層複合ビル「東急歌舞伎町タワー」9~10階の「109シネマプレミアム新宿」は全席プレミアムシートを導入。新宿は多くの映画館が並ぶ有数の映画激戦区だが、殆どが2,000円前後で楽しめる中、あえて高級路線に切り替え競合の2倍以上の価格で勝負に出た。 ラウンジは映画上映の1時間前から使用出来、ポップコーンやソフトドリンクのおかわりサービスが有る。併設されたバーでは別料金でアルコールやフードも楽しめる。ラウンジに流れるBGMは坂本龍一氏が「109シネマズプレミアム新宿」のためだけに書き下ろしたもので、贅沢な気分を味わえる。座席は隣の席が気にならないプライベート感のある革張りシート、電動リクライニング機能や受電装置付きサイドテーブルも完備され、一般的シートの2.3倍の広さでゆったりと映画鑑賞を楽しめる。 これって最高じゃないですか。月に2~3回映画館に通う映画好きには大変な出費になってしまうが、私のように年に1~2回しか行かない者にとっては嬉しい!映画館で隣の席の人が動いていてストーリーに集中出来ない事が何度もあった。そんな理由もあり足が遠のいていたが、もう安心。但し、余り気持ち良い椅子だと寝てしまう恐れがある、という新たな悩みが出るかも知れない。勿論作品自体が面白くないと始まらない。先日プライムビデオで配信になった映画「ゴジラ-1.0」(ゴジラマイナスワン)を遅ればせながら見たが、最高に面白かった。アメリカ第96回アカデミーで見事「視覚効果賞」を獲っただけある。ゴジラこそプレミアムシートで見たかった。きっと音響効果も素晴らしいはず。 私、更に知らなかったのですが「109シネマズ」が初めて高級路線を打ち出したのは東京世田谷の「109シネマズ二子玉川」で、3,000円席と6,800円席を2015年に導入し、好評を博し、満を持して新宿に進出した経緯があったそうだ。現在のところ高級路線は大成功。この流れは歌舞伎、ミュージカル、落語、大相撲などにも波及する予感が。最も考えられるのは東京築地市場後に建設が予定され、読売ジャイアンツの本拠地になると噂されている「築地新ドーム」だ。巨人は2034年に創立100周年となる。何としても新球場で迎えたいはず。そして今までに無かった世界一ゴージャスなプレミアム観客席を作る事も想像出来る。メジャーリーグファンも思わず日本に行きたくなる「ファンタジードーム」を是非見たい!100万円出しても予約殺到になるのでは。読売ジャイアンツ、首を長くして待ってますよ。今からワクワクするね。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

塚紗里依

株式会社ダイブ 代表取締役社長 庄子潔

リゾートバイトには“人生を変えるチャンス”が秘められている 株式会社ダイブ 代表取締役社長 庄子潔(しょうじ きよし) ■プロフィール 1979年3月24日、宮城県生まれ。高校卒業後、音楽を学ぶ為にアメリカの短大に留学。帰国後、派遣社員として工場勤務を経て、2001年に人材派遣会社に入社。2003年、有限会社ふらり(後に株式会社アプリ→現:株式会社ダイブ)の創業期メンバーとして参画。2012年5月に代表取締役社長に就任。2024年3月27日に東証グロース市場に上場。 2002年の創業から観光施設に特化した人材サービス「リゾートバイト」を基幹事業として、観光業を軸に事業を展開する株式会社ダイブ。人と人との直接的なコミュニケーションを大切に、信頼を獲得しながら、DX化やITのマーケティングといったデジタル面まで力を注いでいる。今回は、同社の庄子潔社長にご自身のキャリアや、コロナ禍を終え観光業が再興する中でのリゾートバイトの魅力などについて伺った。 ■派遣事業の出会いから会社の立ち上げまで 留学から帰国後、最初に派遣社員として、工場に勤務しました。そこで衝撃を受けたのが、人生で初めて大人から認められる感覚を抱けたことです。この経験やお世話になった上司との関わりなどを通して、「自分を変える環境をくれた上司や先輩のようになりたい」と思い、派遣会社の社員として働くことを決心しました。最終面接まで行った会社で、「派遣会社で働く意義は誰よりも知っている」と語り、営業として働くことになりました。人材業に携わる中で、もっと人と人との繋がりづくりをあと押ししたいと感じていたとき、当時の上司のお誘いも重なって、会社を立ち上げました。 ■リゾートバイトの魅力は「変われるチャンス」にある 「付き合う人」「場所」「時間」を変えることで、人は変わります。昔教わったこの教えがいまでも心に残っていて、いつも大切にしているのですが、リゾートバイトはこの条件をすべて満たしています。そう考えると、リゾートバイトは、その人自身の人生や考え方を変える可能性やチャンスを秘めているのです。もちろん、バイト先で嫌なことに直面することもあるでしょう。ですが、それらと向き合うことで成長や気づきが生まれ、自分の可能性が広がります。この思いを持ちながら、スタッフの夢や目標に基づいて、サポートを続けています。 ■コロナ禍を乗り越えられたのは「仲間」のおかげ コロナ禍では、売り上げの7割がなくなりました。「果たしてこの会社はどうなるのだろうか」と何度も悩みましたし、いつまで同じ状態が続くかが不安でした。それでも乗り越えられた理由は、一緒にいた仲間の存在が大きかったです。先が不安な状況な中でも会社をやめずに残ってくれているメンバーがいるからこそ、彼らと一緒に耐えていかなければならないと腹を決め、前進できたのだと思います。また、どんなに追い込まれても、「観光業は平和産業のためなくならない」と信じ続けたのも大きかったです。コロナ禍にバーチャルやリモートの観光が話題になりましたが、やはり旅は自分の五感で体感することが大切だし、リアルな体験こそ不変的で、なくならないとも感じていました。いつコロナ禍が終わるかは見えませんでしたが、同じ思いを持つ仲間も一緒に「今やれることをしよう」と業務プロセスの仕組み化やシステム化を着実に進めていきました。そのおかげで、コロナが乗り越えられたと思っています。 ■2024年3月に上場。その先にある目標や夢とは 2024年3月に東証グロース市場に上場しました。今後は、リゾートバイトの存在をあらゆる世代に認知をしてもらい、「リゾートバイトと言ったらダイブだよね」と言われるような存在になりたいです。また、日本の観光業の中に浮かぶあらゆる課題を解決していきたいと思っています。有名な観光地ではない、意外と知られていない地方にも、魅力あふれる良さがたくさんあります。その地域に入って企画や集客をして、地域を盛り上げることに力を注いでいきたいです。また、海外の方が増えている中で、ワーキングホリデーや宿泊業における特定技能の受け入れなども拡大していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 若い時は失敗しても、リカバリーできます。だからこそ、大学生の時は今しかできないことをやるべきだと思います。世の中の「当たり前」を信じずに行動した方が、後々繋がってくることも多いです。株式会社ダイブは、2019年から新卒採用を始めました。弊社は「誰もがジブンの人生を愛せる世界へ」というビジョンと「一生モノの『あの日』を創り出す。」というミッションを掲げています。このビジョンとミッションに共感してくれる人と、ぜひ一緒に働きたいですね。そして、「あのリゾートバイトの経験があったから今の自分がいる」という人を、もっと増やしていきたいなと思います。 学生新聞オンライン2024年5月1日取材 慶應義塾大学3年 塚紗里依 立教大学 4 年 緒方成菜 / 慶應義塾大学 3 年 塚紗里依 / 東洋大学 2 年 越山凛乃 / 京都芸術大学 1 年 猪本玲菜 / 早稲田大学 3 年 湯浅克巳

学生新聞インターン

京セラ株式会社 代表取締役社長 谷本 秀夫

新しいニーズに応えるため、誰にも負けない努力と挑戦を 京セラ株式会社 代表取締役社長 谷本 秀夫(たにもと ひでお) ■プロフィール 長崎市出身の谷本秀夫氏は上智大学理工学部を卒業後、1982年に京セラ入社。ファインセラミック事業を担当し、焼成工程の革新的な開発などで実績を築く。2017年に京セラ社長に就任し、3兆円の売上高目標に向け、新規事業の創出や組織再編を推進。半導体関連市場向け部品への増産投資や、グループ内のシナジー追求の取組みを通じて、京セラの成長を牽引している。 「謙虚にして驕らず」をモットーに、京セラにイノベーションを起こし続ける谷本社長。創業者の稲盛和夫氏が実体験の中で創りだした同社の経営哲学「京セラフィロソフィ」や独自の経営管理手法「アメーバ経営」は多くの経営者も注目しており、日本企業の経営の模範となっている。2029年3月期に売上高3兆円達成という目標に向け、京セラの課題や今後の展望について伺った。 ■京セラの哲学に惹かれて、エンジニアとして入社 大学では、無機化学を専攻していました。有機化学や高分子化学を選ぶ選択肢もありましたが、幅広い物質を学べる無機化学のほうが好きだったからです。学業以外の時間は思いっきり遊んでいました。その中でも、友人と一緒に日本各地を旅行したのは、今ではいい思い出です。就職活動では、東京の満員電車が嫌で、地方の企業を探していました。その中でも、急成長していた上、創業者の稲盛和夫が掲げる「京セラフィロソフィ」に魅力を感じ、京セラにエンジニアとして入社しました。 30歳になった頃、新しいセラミックスの製造ラインを作るプロジェクトリーダーを任されました。セラミックスの成形工程や焼成方法の試行錯誤を重ねた結果、焼成時間を10分の1に短縮する手法を確立しました。基礎実験を3年、製造ラインの確立に半年くらいかかりましたが、今でもその製造ラインは工場で稼働しています。 エンジニアとしての功績が認められ、46歳で事業部長、54歳で本部長になり、2017年には社長に就任しました。経営に近い立場になった本部長の時代から課題として意識していて、社長になり全社で推進している取り組みが2つあります。1つ目は工場のスマートファクトリー化です。データを収集し、デジタル化を行うことで、無駄を徹底的に無くしていく取り組みです。2つ目は組織改革です。新しいイノベーションを起こすには、社内交流が活発でないと生まれにくい。そこで、組織を3つのセグメントに分けて、部門内はもちろん事業部が違うエンジニア同士を交流させました。その結果の一つとして、衣類の染色時に汚水を排出してしまうことが世界的な課題になっていた繊維アパレル業界向けに、水の利用を極限まで抑えたインクジェット捺染プリンターを開発し、社会課題の解決に貢献できる製品を市場投入することができました。 ■京セラの二つの柱「京セラフィロソフィ」と「アメーバ経営」 京セラの発展に大きく貢献しているのが、京セラフィロソフィとアメーバ経営です。 まず、京セラフィロソフィは創業期に起源があります。会社は自分の技術を世に問うためのものではなく、従業員とその家族の物心両面の幸福を追求する使命を担っている。稲盛はこのことを京セラの経営理念として明確に定めました。そして、その実現のために必要となる日々の判断基準、行動規範、具体的な考え方としてまとめたものが、現在の京セラの根幹をなす京セラフィロソフィです。 一方のアメーバ経営は、経営者マインドを持つ人材を増やし、社員一人一人に採算意識を持ってもらうための仕組みです。やり方としては、10人程度のチーム、つまりアメーバをつくります。アメーバは独立採算で経営されますから、アメーバリーダーは、経営者感覚を持った社員が増えていきます。さらに、アメーバ同士で競争させることで、生産性を上げることができます。ただ、この手法だけではデメリットもあります。競争意識が働きすぎると、自分のアメーバさえ儲かればいいという意識が強くなり、アメーバ同士の関係がギクシャクしてしまうのです。だから、前提として、京セラフィロソフィが機能し、アメーバ同士が協力するマインドがないとうまくいきません。ですので、まずは京セラフィロソフィの教育に力を入れることを意識しています。 ■ニーズに敏感に、技術力を武器に 京セラでは、セラミックスを軸に、電子部品、通信、そしてソフトウェア事業と幅広く展開しています。中でもセラミック技術では、半導体製造装置向けセラミック部品、半導体パッケージやコンデンサなど幅広く応用されており、身近なものに京セラの技術が隠れています。過去の実験データの蓄積量と、技術力の高さが我々の強みであり、高い利益率を維持できています。今後は、生成AIの普及により、大量のデータを記憶する半導体のニーズが増えるでしょう。また、半導体の市場規模はここ数年で100兆円を超えると言われており、我々の事業展開にもスピード感が求められています。そこで、現在の中期経営計画では、半導体関連への投資を重視し、こういった新しい需要に応えていく方針で経営を進めています。 ■好きが先か、努力が先か 採用したい人の特徴は、言葉だけではなく行動できる人です。挑戦して成功するのが一番好ましいですが、失敗しても構いません。挑戦する、行動することが重要です。また、入社後は、自分の仕事を好きになってもらいたいです。世間では好きなことを仕事にしようと言われていますが、うまくいかないのが現実。大学生の段階では好きなことは分からないのではないでしょうか。会社に入って、仕事に取組み、人から感謝されて初めて面白さを感じると思います。一生懸命やったからこそ、自分の仕事を好きになる。目の前のことに本気で向き合い結果を出すと、自分の仕事が好きになります。 ■今後の展望 私が入社したとき、京セラ全体の売上高は1500億円程度でした。その後、約20年で1兆円まで到達しました。事業の拡大に伴って、この時期には仕事もどんどん増えてきたので、入社して3年目くらいの時には課長レベルの仕事を任せてもらえました。しかし、そこから1兆5000億円の売上高まで成長するのに、また約20年がかかってしまいました。私が社長に就任したのは、ちょうどそのタイミングです。そこで感じたのは、会社の成長が緩やかになったことで、社員一人当たりの裁量が少なくなり、若い人の活力が失われつつあるということ。そこで、人事制度を変え、360度評価なども取り入れ、若い人の活力を取り戻そうと意識しています。まずは、成長が見込める半導体領域に力を入れて、2029年3月期に売上高3兆円という高い目標を目指して、全社一丸となって働き甲斐のある会社づくりを進めています。 ■大学生へのメッセージ 学生生活を全力で楽しみましょう。その中で、自分が熱中できることや好きなものを見つけることができれば尚更いいでしょう。悩みがあるときは、京セラフィロソフィにもある「常に明るく前向きに」を意識してほしいです。進路や勉学、プライベートなど、悩みの多い年ごろだからこそ、辛いときは誰かに相談して尾を引かないようにしてください。自分一人で悩まず、人に助けてもらうことも大切です。そして深く考えずに、新しいことにも挑戦していくと、きっと道が拓けていくはずです。 学生新聞オンライン2024年4月5日取材 明治大学大学院2年 酒井躍 武蔵野大学4年 西山流生 / 法政大学4年 島田大輝 / 明治大学大学院2年 酒井躍

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株式会社ドムドムフードサービス 代表取締役社長 藤﨑忍

39歳で働き始め、社長へ。大切にしてきたのは「他者の尊重」 株式会社ドムドムフードサービス 代表取締役社長 藤﨑忍 (ふじさき しのぶ) ■プロフィール1966年東京都生まれ。39歳の時に就職経験ゼロの専業主婦から渋谷109のアパレルショップ店長を務め、東京・新橋で2店舗の居酒屋を経営した後、2017年ドムドムフードサービスに入社。2018年同企業の代表取締役社長に就任。 日本初のハンバーガーチェーン店であるドムドムフードサービス。独自性のある事業展開で地域の人々に愛され続けている。現社長の藤﨑忍氏は2017年11月に入社し、9ヶ月後社長に就任。21歳で結婚をし、39歳で働き始めた藤崎氏のキャリアや価値観、そして同社の魅力についてお話を伺った。 学生時代は、恋愛を頑張っていました(笑)。夢がお嫁さんだったので、短期大学の児童学科に入り、入学後すぐに12歳上の国会議員秘書をしていた夫と交際を始めました。夫との出会いは、私の実家が地方政治家一家だったことから、夫が私の父の事務所に出入りをしていたことがきっかけです。夫は所作やマナーにとても厳しく、婚約期間は結婚するか迷うこともありましたが、夫を支えたいと決意し、21歳で結婚をしました。学生時代はその傍ら、母校の高校のハンドボールのコーチや東京都議会議員である父とその後区議会議員になった夫の手伝いに奮闘していました。 ■短大卒業後から居酒屋を起業するまでの経緯 23歳の時に息子を出産した後は、私立の幼稚園へ入学させたり、小学校受験させたりと育児に専念しました。しかし、2005年の7月、私が39歳の時に夫が落選と心筋梗塞を患い、私が働かざるを得なくなりました。翌月には、友人の紹介で渋谷109の店舗に入社をし、働き始めました。派手なファッションや過激な言葉を使う若者に驚きながらも、彼女ら付き合っていくうちに、誠実さや優しさに溢れていることを知り、自分自身が限られた観念の中で生きていたんだと感じました。ここで物事を多面的に見ることを学びましたね。さらに、頑張れば頑張っただけ数字として結果が出る商売に面白さを感じていました。具体的にやったことは、「年商何億円」という目標を掲げるのではなく、店舗の汚いところを掃除するなどですね。目の前の課題を、一つずつ解決することが、年商2億に繋がったと思います。 しかし業績が良くなったことで、44歳の時に経営方針の変更から辞めざるを得なくなりました 。私はビジネスについての知識はありませんから、料理好きを生かし、居酒屋でアルバイトを始めました。同時に就職も考えましたが、この居酒屋に就職は考えていませんでした。44歳の何のスキルも持たない私ではいただける賃金に限りがありますよね。それでは夫と子供を養うことができないと思い、居酒屋を起業することにしました。そして起業して1年後には来店を断ることほど満席が続き、隣に2店舗目を開きました。 ■当社に携わったきっかけから社長就任までの経緯 自分で居酒屋を起業して4年ほどたったときに、常連客のレンブラントホールディングス専務(現社長)から、ドムドムハンバーガーの事業承継するにあたり商品開発の手伝いに誘われたことで、当社に関わりを持ち始めました。2017年7月に顧問契約を結び、月に数回の会議と商品開発に携わりました。そして9月に正社員として入社し、3ヶ月店長を経験した後、東日本地区のスーパーバイザーを務めました。その後、一期目の決算結果が思わしくないこと、コミュニケーション不足の会議体、不明瞭な企業指針などの改善が必要と感じ意見の言える立場:役員になるしかないと考えました。申し出た時は勿論断られましたがその後アプローチを続け2017年8月熱意が届き社長に就任することになりました。 ■大切にしているマインド 仕事をするときは、和をもってことを運ぶように意識しています。思いやりのある言葉がけをしながら、議論を重ねた上でことを運ぶ。他者を尊重し、自分のやり方が正しいと思い込むことなく、自分の価値観を押しつけないことを意識しています。 ■当社の魅力と今後の展望 当社1番の魅力は、日本で1番古いハンバーガーチェーンとして、お客様や従業員から長い間愛されて育ってきたことでしょう。手の込んだ工程で作るハンバーガーの提供は、ドムドムだからできることだと思います。コアコンセプトである「美味しいのはお客様との最低限のお約束。」を守り続けているのです。それ以外の魅力は、枠にとらわれないお客様とスタッフに寄り添ったブランディング力だと思います。例えば、コロナ禍真っ只中には、従業員を守るためのマスクを一早く作り、店舗で販売しました。しかし、買いに来るお客様が長蛇の列を作ってしまい、密状態になったので、すぐに取りやめました。すると、ECサイトで売って欲しいと声が上がり、10日でECサイトを作りマスクを販売し、17万枚売り上げました。今ではぬいぐるみやアクセサリーの物販をしています。このように私たちはお客様やスタッフに寄り添いながらブランドを構築することに重きを置いています。これからもお客様にとってオンリーワンの店舗作りを目指し、日々お客様と従業員のご要望に応えながら、思いやりのある事業を展開していきます。 ■どんな人と働きたいか 人は十人十色なので、決まって画一的なものを持った人を採用するという感覚はありません。多様な人がいた方が面白い会社になると思います。強いていうなら、自分がやりたいと思ったことをやる人と働きたいです。 ■大学生へのメッセージ 自分の可能性は無限大だから、壁を作らず、まずやりたいと思ったことをやって欲しいです。高い目標を持たずとも 目の前のハードルを一歩一歩超え続けたなら いつの日かかつて想像できなかったところに到達すると思います。 また、「あばたぼえくぼ」を自分にも持って欲しいと思います。自分の悪いところばかりに着目するのではなく、例えば良い笑顔や良い友達がいるなどの長所を見つけ、自分を愛でて生きてほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年2月28日取材 日本大学 1年 大森雨音 玉川大学 1年 川口英莉 / 慶應義塾大学 4年 伊東美優 / 上智大学短期大学部 2年 大野詩織 / 日本大学 1年 大森雨音/ 立教大学 3年 緒方成菜 / 慶應義塾大学大学院 2年 賀彦嘉

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合同会社MidWives 代表 / 看護師・助産師・保健師 / 国際ラクテーシ...

助産師は近くて遠い。でも一生に寄り添い続けられる 合同会社MidWives 代表 / 看護師・助産師・保健師 / 国際ラクテーションコンサルタント 高杉 絵理(たかすぎ えり) ■プロフィール総合周産期母子医療センターやクリニックで産科やNICUの経験を経て、世田谷区の保健センターやママ向けアプリ「ベビーカレンダー」で相談業務に携わる。また、メディアでの妊娠・出産・育児に関する記事や動画の監修も行う。安心して笑顔で子育てできるようなサービスを提供する場所として、品川区に育児支援HOUSE 助産師サロンを運営中。2児の母としても育児に奮闘中で、助産師としての知識や経験を子どもたちから日々アップデート中。https://josanshisalon.my.canva.site/ 助産師、保健師、看護師の資格を持ち、現在は妊婦さんやママに寄り添う助産師サロンを運営する高杉絵理さん。出生前診断や出産を巡る様々な選択肢を描いた映画『渇愛の果て、』(2024/5/18公開)の取材協力をしている。作品を通して伝えたい思いや助産師として大切にしているマインドは何か、お話を伺った。 当時は大学で看護師・保健師・助産師の資格を同時に取れたので、実習や試験勉強でとても忙しかったです。もともと、5人兄弟の長女として大家族の生活をしていた私は、家族看護や家族が形成される過程に興味がありました。NICU(新生児集中治療室)の看護師を目指していたのですが、NICUで働くなら助産師としての知識も必要だと感じ、助産師の資格も取ることにしたんです。将来の幅を広げるために、学生のうちから自分の選択肢を増やしておこうと思っていました。助産師になると医療職以外の仕事の経験はしないだろうと思っていたので、今のうちに他の社会経験をしようとスターバックスでアルバイトもしていました。しかし、4年生の実習の忙しさは桁違いでした。まず、実習ではお産を10例経験しなければならなかったのですが、お産に立ち会えるかどうかはご縁です。どうしても最後の1例が取り上げられず、1か月ほど病院に泊まり込みをしたこともありました。しかし、この時の忙しさや充実感は私の糧で、今も励みになっています 。 ■名キャッチャーのその先へ  大学卒業後は、若いうちは病院で経験を積みたいと、総合周産期母子医療センターのNICUに看護師として就職しました。出産において最後の砦と言われるこの部署には、ハイリスクな妊婦さんや赤ちゃんが来ます。大変な分、やりがいを感じる仕事でしたが、次第に助産師の研修経験が自分の中で強く残っていることに気づき、産科に挑戦しました。お産は、どれ一つ取っても同じ家族、ママ、赤ちゃんはいません。そのため、常にスキルアップや臨機応変な判断が求められ、チームで体育会競技をしているかのような一体感があります。無事に赤ちゃんが生まれた時の安心感や高揚感は、助産師という仕事ならではの面白さだと実感しました。「名キャッチャーですね」とママに言われた時はとても嬉しかったです。その後、30代半ばで結婚を機に上京することに。子育てと仕事の両立で、夜勤も多い大病院で働き続けることは難しいと感じていたし、看護師や助産師として十分に経験を積んだので、「なんでもできる!」という気持ちもありました。そこで、このタイミングでフリーの助産師として新しい働き方に挑戦しました。2023年には同期の助産師と2人で、産後ママの育児支援などを行う助産師サロンを開業しました。 ■生まれてから死ぬまで、一生に寄り添う  助産師サロンでは、「病院と自宅を繋ぐスロープになりたい」という想いで、出産・育児相談や日帰り産後ケアなどを行っています。病院はお産をお手伝いしますが、産後約5日間で退院しなければならず、産後の体調管理や育児のアドバイスなどは不十分です。赤ちゃんが0歳ならばママやパパも0歳だし、妊婦さんはマイナス0歳ですよね。私たちは、退院してすぐのママにも寄り添い、産後うつになりがちな時期やゆっくりとママやパパになる過程を支えていきたいと考えています。インターネットで簡単に情報を得られる今、常に寄り添って正しい情報を伝えること、信頼できる繋がりを生むことを大切にしています。 また、資格があっても育児に追われて働けないという助産師さんたちが、新たな働き方を見つける場になることも目指しています。助産師の仕事は、数年間のブランクがあると復帰しづらいと言われています。お産の手伝いという印象が強いですが、その他にも助産師サロンで行っているような出産や育児のサポート、子どもへの性教育や命の教育、更年期の相談など、人生のあちこちに活躍の機会があるんです。時代が移り変わるにつれて、ママも助産師の在り方も変わっているので、フリーの助産師としての働き方の一つとしても広がっていくといいなと思います。 ■知ること、考えること、向き合うこと 映画『渇愛の果て、』が、出生前診断や命の重さについて少しでも考えるきっかけになればいいなと思います。この物語は他人事ではなく、自分にも起こり得ること。もし自分だったらどう選択するか、身近な人と話してみてほしいですね。作中でも描かれる出生前診断は、障がいのある子どもを産まないためのものではなく、生まれてくる赤ちゃんを迎える心構えや準備のためのもの。気軽に検査が受けられるという情報がよく流れますが、検査結果を解釈・サポートするための受け皿が整っている機関で受診する重要性も知ってほしいと思います。 脚本執筆前に監督とお話した時は、とにかく助産師魂を熱く語りました。例えば、私が助産師として「一番近い他人」という距離感を保とうとしていること。家族には心配をかけたくなくて言えないことも、一番近くにいながらも俯瞰して寄り添う私たちには話せることがあると思うんです。そのためには、一つの情報から可能性やリスクを先回りして考える想像力が必要です。出産や育児に正解はないので、ベターな選択ができるように、困った時に頼れる存在として在りたいと思っています。 ■大学生へのメッセージ やはり子どもは人生を彩ってくれる希望だと思うので、出産・育児の魅力も改めて伝えたいです。出産育児はとても大変ですが、それを上回るほどの喜びや面白さがあります。 学生の間は、今しかできない経験をしてほしいです。学生のうちにいろんな人に会っていろんな話を聞いておくと、将来いろいろな場面でその人脈や経験が活きてくると思うからです。学生で 時間があるからこそできることを大切にして、挑戦してほしいですね。 学生新聞オンライン2024年4月25日取材 上智大学3年 吉川みなみ 映画『渇愛の果て、』 出演:有田あん 山岡竜弘輝有子 辻凪子 スタッフ監督・脚本・プロデュース:有田あん監修医:洞下由記 取材協力:高杉絵理(助産師サロン)撮影:鈴木雅也 編集:日暮謙音楽:多田羅幸宏(ブリキオーケストラ)配給協力:神原健太朗 配給:野生児童2023/日本/97分/カラー/アメリカン・ビスタ/ステレオ©野生児童 新宿K’s cinemaにて5月18日(土)〜5月24日(金)12:15〜、大阪・シアターセブンにて6月1日(土)〜6月7日(金)ほか全国順次公開 公式サイト:https://www.yaseijidou.net/katsuainohateX: https://twitter.com/katsuainohateFacebook: https://www.facebook.com/katsuainohate/Instagram: https://www.instagram.com/katsuainohate/?hl=ja

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第79期本因坊戦第1局 前夜祭

一力遼本因坊に本因坊戦初登場の余正麒八段が挑戦する、囲碁の第79期本因坊戦挑戦手合5番勝負第1局が5月14日、東京・上野「東京国立博物館」で開幕する。1873年(明6)に開設されて152年を迎える同館で、初めて囲碁の対局となる。対局前日13日の前夜祭にお伺いさせていただいた。 初防衛を目指す一力は2年前に井山裕太本因坊(当時)に挑戦した本因坊戦で、福岡県太宰府市「九州国立博物館」での対局はある。「歴史ある本因坊戦を歴史ある国立博物館でできるのは嬉しい。博物館と同じ台東区の中学、高校に通っていたのでゆかりがあります。余八段とのタイトル戦は初めてですが、ベストを尽くして頑張りたい」と決意を表明した。対する余は16年王座戦、17年十段戦、22年十段戦、王座戦、23年王座戦とタイトル戦に挑戦しているが、本因坊戦は初めてだ。今期の挑戦者決定トーナメントでは結城聡九段、小池芳弘七段、井山王座、芝野虎丸名人を下して勝ち上がってきた。「博物館での対局を楽しみにしてきました。厳しい戦いになると思いますが、自分らしく精いっぱい頑張りたいと思います」と述べていた。両者の熱い決意表明で14日の対局に期待が高まる。 また前夜祭に出席していた主催者、関係者に囲碁の魅力や学生へのメッセージをいただいた。 ■毎日新聞社 代表取締役社長 松木健東京国立博物館という伝統ある施設で、囲碁の対局ができることをとても嬉しく思っています。囲碁も東京国立博物館も歴史ある伝統的なものなので、若い人たちに是非触れていただき少しでも多くの人に囲碁の魅力を知っていただきたいと思います。 ■日本棋院 理事長 小林覚囲碁は何もない碁盤を2人でキャンパスに絵を描くようにしていくもので、自分で構想を練ることで新しい世界が広がっていきます。形が見えない碁を作り上げることが囲碁の魅力です。碁を通じて様々な想像図や知恵が広がりますので、将来何かする時に役に立つと思います。 ■関西棋院 理事長 池坊雅史19×19の361マスで、こんなに人の哲学や宇宙観が反映されるゲームは世界にないと思います。囲碁はとても深い世界ですので、若い人たちに是非興味を持っていただきたいです。勉学も重要ですが、こういった日本の伝統文化も重要です。ぜひ大学時代に、囲碁や将棋、華道、茶道、香道などの日本文化と接してください。 ■東京国立博物館長 藤原誠囲碁は日本の文化ですが、姿は見えるが形としては残らない無形文化です。博物館では絵画や書、彫刻など有形文化の保存と展示をしています。有形か無形かの違いはありますが、日本文化を大事にしていかなくてはいけません。日本文化の柱とも言える囲碁のタイトル戦第1局を初めて東京国立博物館で行えることを誇りに思いますし、ぜひ学生の皆さんにも囲碁に興味をもっていただき、日本の文化を育てるという気持ちでチャレンジしていただきたいです。 学生新聞オンライン2024年5月13日取材 京都芸術大学1年 猪本玲菜

コラム

テリー伊藤 コラムVol.23 生成AIラブレターは成功するのか

教育関係者と、生成AI(人工知能)と、生徒や学生はどう付き合えば良いか、理解すれば良いのか。日本中で議論、騒動が巻き起こっている。読売新聞によると、都内の私立中高一貫校の英語科教員が中学1年生の生徒に「英語で日記を書く」宿題を昨年の冬休みに出したところ「ミスのない素晴らしい英文」の日記が何人もの生徒から提出されたそうだ。生成AIを使われたことは疑いもないと。宿題は英語を使う習慣を身につけ文法を学んで欲しいから出していて、間違いは指摘されて学ぶものであり、生成AIが示す「正解の丸写し」から得るものではないと。生成AIに頼り過ぎると思考力や想像力の育成が阻害され、学力格差が広がる恐れがあると警鐘を鳴らす。 学生に聞くと「興味のない必修科目のリポートは基本生成AIに丸投げ。」「不必要な時間を取られたり、不完全なリポート出して単位を落としたくない。」と悪びれる様子もなく答える。由々しき問題ではあるが、一般社会を見てもこれって日常にある出来事ではないか。冠婚葬祭の案内状、お世話になった恩師や上司へのお手紙。取引先へ新商品発表のお知らせ。挙げたらきりがない。パソコン使用者の4割は利用したとも言われている。 一番厄介なのは失敗が許されない片思いの人へのラブレター。人生の勝負どころ、ここで生成AIに頼り過ぎると危険だ。最悪は、憧れの女性に他の男性から同時期に2通の同文の生成AIラブレターが届いた時だ。彼女の反応を想像するだけで怖い。更に恋敵がこちらの存在を知って偽情報のAIレターを彼女に送ることもあるかも知れない。 私の大学の恩師でもある慶応大学認知心理学者の今井むつみ教授の「子供の頃からやり過ぎると、自分で考えなくても生成AIを使えば答えを効率的に探してくれると思いかねない。生成AIはどんな質問にも回答するが間違いも少なくない。人間と違い経験を通して単語の意味を理解している訳では無い。大事なのは経験から判断力を身に付ける事です。」と述べている。これって大人も一緒ですね。インターネットの情報ばかりを信じて根拠もなく社会を憎んだり、罪を犯したり。そんなニュース見るとガッカリします。 先ずは、ラブレターは自分の実力で書くことから始めましょう。下手でもいいんです。長い文章もいりません。好きなポイントを箇条書きでもOKです。やってみては。そう言えば、私の知り合いのミュージシャンが作詞制作に行き詰まったのでAIにお願いしようかなって言っていた。反体制ソングのはずなのに。世の中どうなっているのか!生成AIに聞いてみようっと! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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株式会社NATTYSWANKYホールディングス 代表取締役社長 井石裕二 

「こんな居酒屋があったらいいな」の想いを実現し、大ヒット! 株式会社NATTYSWANKYホールディングス 代表取締役社長 井石裕二 (いせきゆうじ) ■プロフィール 1974年生まれ、東京都出身。1995年からIT関連業務に従事。独立のため退職し、2001年11月 有限会社ナッティースワンキー(現 株式会社NATTY SWANKYホールディングス)を設立。2011年「肉汁餃子のダンダダン」を開業し、現在に至る。2019年 東証マザーズ上場。 2011年、NATTY SWANKYが創業した餃子居酒屋「肉汁餃子のダンダダン」。長く地元に愛される居酒屋をモットーに、現在136店舗にまで拡大。そんな人気店舗は、果たしてどのようにして創業に至ったのか。店舗の人気はもちろん、人材育成にも力を入れるNATTY SWANKYの魅力に迫る。 ■起業の相棒との出会い 大学時代は、経営学部に通っていましたが、たった3ヶ月でやめてしまいました。というのも、学費の半分を自分で賄っていた私にとって、度重なる休講に気落ちしたからです。駅からかなりの坂を登って着いた矢先、掲示板に貼られているのは「休講のお知らせ」。1コマ5000円くらいする講義が、教授の都合でなくなるなんて馬鹿馬鹿しいと思ったんです。学費を無駄にしたくないのはもちろん、休講と知って喜んでいる周囲にも納得がいきませんでした。大学中退後は、フリーターとして2年ほど働きました。親に甘えないように家を出て、ひたすらバイト漬けの日々でしたね。魚の加工場や漬物屋、国立競技場の売店など、とにかくたくさん経験しました。働くのが好きだったんですよね。振り返れば、仕事がつまらないと思ったことは一度もありません。のちに一緒に会社を創業した田中と出会ったのもこの頃でした。週5回も通ってしまうほどお気に入りのラーメン屋があって、そこで働いていたのが彼だったんです。若いのに一際輝いていて、30人分ものオーダーを口頭で全て覚えているのには驚きました。別の場所でばったり会う機会があってから、一緒に飲みに行って、将来について語るようになりました。私はこの頃、学校のネットワークシステムを作る会社にいたのですが、お互い起業を考えていたこともあって、その点でも話が合ったんだと思います。そして、一緒に起業した後、田中はラーメン店、私はダイニングバーを経営することになったのです。 ■餃子メインの居酒屋を作りたい 「肉汁餃子のダンダダン」を作った1番の理由は、餃子が大好きだったからです。当時ダイニングバーのオーナー兼店長として毎日お店に出ていたのですが、日頃からお客さんに「餃子は好きですか?」とよく聞いていたんですよ。そしたら、誰一人「餃子が嫌い」と言う人がいなかったんです。それにもかかわらず、餃子を食べる機会といえば、ラーメン店や家が大半で、餃子がメインのお店がないことに気が付きました。自分が欲しかったお店だったし、お客さんの需要の面からも世の中に受け入れられるのではないかと思ったんです。もともと、いろんな飲食店に行くたびに、味や盛り付け、内装などが目に留まって、「どうしてもっとこうしないんだろう」と改善点を考えるタイプでした。他を見ながら、自分だったらこうするだろうなと考えていたことが、飲食店の理想像に繋がったのかもしれません。しかし、ラーメン屋とダイニングバーの営業は、俗人的な業態だったこともあって、なかなか上手くいきませんでした。でも、会社が成長しないと給料も上げられないし、社員も守れない。そこで、創業10年目にして、全てを懸ける思いで3店舗目となる「肉汁餃子のダンダダン」の開業に至りました。 ■お店に来てくれるお客さんを大切に 「肉汁餃子のダンダダン」は、現在は136店舗を構えるまでに成長しましたが、その理由は、なんと言っても餃子の美味さでしょう。本当に何度食べても飽きないんですよ。もともと田中がラーメン屋をやっていたので、餃子づくりのノウハウはありました。餃子一筋で勝負するためにも、試行錯誤の末に生まれたのが現在の餃子です。もちろん、開業当時は苦労もありました。2011年1月19日に1号店を出したのですが、直後に東日本大震災が襲い、東京も物資不足や計画停電が続きました。スーパーやコンビニも閉まっている中、わざわざうちを選んで食べに来てくれるお客さんの期待を裏切らないために、何があっても店を開け続けました。ろうそくやヘッドライトを用意して灯を補ったり、計画停電が行われる直前にお米が炊き上がるようにして、発泡スチロールにアルミを引いて保温替わりにしたりするなど、とにかく工夫を凝らしました。スーパーに物がない時期だったので、お客さんにとても感謝されました。また、コロナウイルスが流行した2020年3月、自粛の影響で売上は前年の3分の1にまで下落しましたが、大手デリバリーでの勤務経験がある社員がいたことが幸いし、デリバリーを進めることで対応を図ってきました。お客さんに喜んでもらえることが何より嬉しいので、いつでも自然とお客さんのことが頭にあるのもヒットの理由かもしれません。 ■飲食店の決定打は「人」 飲食店では、人材が将来を左右します。味が美味しいのは当然のことで、雰囲気や立地、値段設定も含めて評価になります。そして最後は人。Googleなどで低い評価をつけているのは、味の良し悪しではなく、大半が接客に対する不満です。ファストフードと違って、居酒屋はお客さんとの接点が多いので、接客がさらに大事です。基本的に、飲食業界は立ち上げとともにエスカレーターを下っていくようなもので、10年続く店は1割にも及びません。接客が悪いと、料理は美味しくても全てを台無しにしてしまう。もう一度来たいとは思いませんよね。だからこそ、お客さんとのコミュニケーションは特に大切にしています。例えば、お客さんとの時間を作るために、発注業務などのお客さんに見えない部分の効率化に注力しました。裏での作業を短縮する分、表で関わる時間を増やすということですね。そして今でも、餃子を焼く時間わずか数秒にこだわるなど、改良を重ねています。常にお客さんを喜ばせたいという気持ちがあるからこそ、最適解に辿り着くまで工夫できるのです。 ■大学生へのメッセージ 会社には色々な人がいて良いと思っています。ただ、他人に期待しすぎる人は、どこへ行っても仕事の楽しさや面白さを感じることができません。他人に期待しなければ、自分で主体的に考えられるようになります。何もかもが自分の思い通りに行くはずはないと考える方が、より何事も自分事として捉えられるようになり、吸収や成長が早いと感じています。みなさんも、ぜひ「自分で主体的に考えられる人」をめざしてください。 学生新聞オンライン2024年3月6日取材 上智大学2年 白坂日葵 武蔵野大学4年 西山流生 / 上智大学2年 白坂日葵

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合同会社DMM.com セールスソリューション本部レース事業部 部長 山...

好きなことを仕事にする。DMM競輪の新たな挑戦 合同会社DMM.com セールスソリューション本部レース事業部 部長 山本純也 (やまもとじゅんや) ■プロフィールパチンコ系出版社で雑誌の編集業務・パチンコ番組の制作。競馬雑誌では競馬場や厩舎、牧場での取材から編集業務全般を行い、それらを経てDMMに転職してから9年。仕事を通して競輪にハマり、いまでは自転車(ロードバイク)で毎朝体を動かしている。 DMM競輪の事業部長を務める山本純也さん。若い頃から競馬が好きだったものの、DMMへの転職を通じて、競輪が好きになっていったとか。「好きなことを仕事にする」という誰もが憧れる働き方を体現している山本さんに、これからも進化し続けるDMM競輪の事業や仕事への向き合い方についてお話を伺った。 ■入社した当初は、2~3年で転職しようと思っていた 私はもともとパチンコ雑誌や競馬雑誌の編集の仕事に携わっていたのですが、取引先の方がDMMに転職し、「パチンコメディアの立ち上げに協力してほしい」と依頼されたことがきっかけでDMMへと転職しました。本当は違う仕事をしようと思っていたのですが、「DMMで働いたら箔がつくから、一度就職して、2~3年したらまた転職しようかな」と、軽い気持ちで働き始めました。はじめは「DMMぱちタウン」というポータルサイト運営の編集長を務めていました。DMMのなんでも挑戦できる社風が好きで長く居着いてしまい、いつしか競輪の事業専属になりました。パチンコや競馬の仕事をしてきたので、上司が親和性のある競輪を任せたのかなと思います。最初は知らないことだらけだったので、まずは競輪を好きにならないとサービスの良いところ、悪いところがわからないし、それを他人にオススメすることもできないと思い、仕事を通じて好きになっていきました。 ■唯一無二のDMM競輪事業の特徴 2008年に競輪の民間の投票委託が始まり、楽天やソフトバンクなどの企業が続々と参入していって、我々のDMM競輪も2012年頃にサービススタートしました。競輪は家で購入できるので、コロナ禍の巣ごもり需要で人気が増加した業界のひとつです。2021年に大幅なリニューアルを行い、自信を持ってオススメできるサイトになりました。チャージ方法はPayPayをはじめとしたキャッシュレス決済やクレジット決済にも対応し、投票のしやすさを含めて、使いやすさでいえば業界トップクラスだと思っています。DMM競輪の特徴のひとつは、約2300名の選手の特徴をレースごとに記録できる“選手メモ機能”です。この独自の機能は、他社にはない強みです。競輪選手には似た名前の選手や同姓同名の選手もいるので、出走表と一緒に確認できるのが便利です。競輪は、各社のキャンペーンによってお客様が複数のサービスを行き来するので、定着率を増やせるように、競輪ユーザーに寄り添ったキャンペーンや告知を考えています。決済手法によって手数料が変わり、利益に大きな影響を及ぼすため、手数料が比較的安めな銀行決済のチャージバック率を上げる試みなども行っています。 ■人間ドラマが見られるのも競輪の魅力 競輪は365日やっています。大きなレースではなかったとしても、出走する7~9人の選手の特徴や現在の調子、それぞれの関係性を調べて予想することで十分に楽しめます。人間関係が結果に色濃く出るからです。麻雀をテーマとした小説で有名な阿佐田哲也さんも「ギャンブル好きが最後にたどり着くギャンブルの王様は競輪だ」とおっしゃっていて、実際私もたどり着きましたね(笑)。 出走選手が7名で、競走得点順に並んでいるミッドナイトレースはわかりやすいので、初心者の方でも楽しめると思います。去年はYouTuberさんとコラボしたり、居酒屋さんを借りて競輪観戦イベントを行ったりもしていますが、最近は、自分を含め周りにも競輪ファンが増えてきたので、さらに競輪ファンが唸るような企画をやっていきたいと思っています。DMM競輪を通じて、競輪自体を好きになってくれるファンの方が増えてほしいですね。 ■大学生へのメッセージ 私自身転職を3回していますが、今はより、「一つの会社でずっと働く」という時代ではありません。自分が出来ること、したいことにチャレンジして、次のステップにつなげていくのがスタンダードになりました。いつか自分に合う会社が見つかると信じて、あまり気負わずに好きなことをどんどんやっていってくださいね。 学生新聞オンライン2024年3月11日取材 上智大学1年 小椋ソフィヤ  武蔵野大学4年 西山流生/慶應義塾大学大学院2年 賀彦嘉/上智大学1年 小椋ソフィヤ/慶應義塾大学4年 伊東美優

塚紗里依

日本生命保険相互会社 代表取締役社長 社長執行役員 清水博

お客様の人生に寄り添う「安心の多面体」の提供 日本生命保険相互会社 代表取締役社長 社長執行役員 清水 博(しみず ひろし)  ■プロフィール徳島県生まれ。83年京都大学理学部卒業、同年日本生命保険入社。商品開発部長、総合企画部長などを経て、18年4月から現職。 1889年に有限責任日本生命保険会社として発足し、日本の保険業界で有数の歴史を持つ日本生命保険相互会社。長年にわたる歴史の中で、常に時代や顧客のニーズに合わせた多様な保険商品を提供し、信頼性と安定性を築いてきました。今回は、同社社長の清水博さんに同社の魅力や、ご自身の経歴について伺いました。 ■得意な数学を活かせる場が日本生命だった  高校卒業後は、地元の四国・徳島を出て、京都大学の理学部に進学しました。当時は、毎日好きな勉強をして、暇な時間は読書や芸術鑑賞をしていました。特別な何かには熱中せずいろんなものに触れた4年間で、今思えば、もっと違う過ごし方ができたかなと思いますが、後悔はしていません。通っていた大学では、1、2年生で幅広い知識に触れた後、大学3年目に専門を決めるのですが、私は数学を選びました。世界の成り立ちをシンプルに説明する数学に、美しさを感じたからです。言葉では説明できないアートも好きでしたが、自分自身はアートではなくロジックの世界の方が向いていると気づき、ロジックから成る数学の世界を選びました。 保険業界を選んだのは、自分の数学の知識が活かせると考えたからです。保険業界は、20-30年後の将来を予測し、死亡率、病気の発生率などを鑑みて、商品を作る仕事があります。その仕事に興味を持ち、日本の保険業界でトップである「日本生命」を選びました。数学を含めた理系では大きな問題を小さな問題に分解して問題にアプローチしていく思考法が求められるのですが、会社の直面する問題を紐解くことは数学に似ています。学生時代に身に着けたこの思考が、いまだに日々の仕事に役立っていると思います。 入社後は、商品開発部や主計部などに在籍し、会社全体の決算も担当しました。数字で会社全体のことを把握できるような仕事につけて幸運だったと思います。その後、資産運用に携わる中で、海外に目を向けるようになりました。 40代で念願の留学の機会に恵まれ、イギリスにも行きました。もともと、MBAに行くチャンスがありましたが、異動の関係で諦めた過去があったので、「いつかは海外に行ってやろう」と、ずっと思っていました。夢が叶って嬉しかったです。 その後、総合企画部長になった際に社長との接点が増え、近しい立場で議論をする機会を得るようになりました。身近に社長の考えを感じ、経営に対して、いろんな考えを持つようになったのです。 ■信念は、お客様に寄り添うこと  現在、日本生命では、約5万名の営業職員が約100の支社、約1600の拠点で営業を進めています。「営業職員が営業にいく」このビジネスモデルは古いと思われるかもしれません。しかし、生命保険は将来の不安に対して、20年、30年のロングスパンで引き受けるものです。信頼関係を作って加入してもらい、担当の職員が、契約の追加や変更など、お客様のその時の状態に寄り添って、対応します。近年では、ここにデジタルを組み合わせ、”人とデジタルの最高のかけあい”を目指しています。人中心の営業職員チャネルを大切にしつつもデジタルをかけ合わせて、お客様に安心をお届けしたいです。 この仕事で大切なことは、商品を売るのではなくお客様の将来を支えること。営業は「商品を売ればいいだけ」という発想に陥ってはいけません。生命保険は人の人生を預かる商品です。「お客様にとって意義がある商品を扱っている」という意識を持ち、お客様のニーズに相応しい商品を薦め、加入後もお客様と寄り添い続けてほしいのです。ですから、自分の仕事が社会の役に立っていることに喜びを感じる人と一緒に仕事したいですし、商品の重要性を心から理解して営業できる人を、一人でも多く育てていきたいと思います。 今後、私たちが目指すのは、「安心の多面体」をお客様に提供することです。2023年にニチイホールディングスを買収したので、介護という新たな安心をお客様に提供することができます。他にもアセットマネジメント、ヘルスケア、介護、保育などの要素も追加することで、お客様の人生全部に寄り添える「安心の多面体」を提供できる企業を目指しています。 日本は人口が減少しているので、生命保険の契約数自体は減っています。ですが、長生きしたいというニーズは変わりません。今後は、長生きに伴う経済的不安に備えるために、資産形成のニーズに応える商品にも力をいれていきます。 また、日本生命はサステナビリティ経営を事業運営の根幹と位置付けています。人・地域社会・地球環境の3つの領域で社会課題解決への貢献に取り組み、「誰もが、ずっと、安心して暮らせる社会」を目指します。日本生命が120年以上業界トップを維持できる原動力は2つあると考えています。 1つ目は、商品開発力がすぐれていること。2つ目は、多くの女性が活躍していることです。戦後まもなく、戦争で夫を亡くした女性に職と安定した生活を提供しようと発案したことが、現在でも多くの女性が当社で活躍する要因となりました。彼らがこれまで一生懸命お客様のもとへ足を運び続けてきたことが、業界トップを維持する強力な原動力になっています。 そして、トップを維持し続けるためには、後ろ指をさされない誠実な仕事をすることが大切です。業界ナンバー1だからこそレベルの高い仕事をすることを常に意識しています。また、首位の座を維持するために新しいことへのチャレンジも続けていきたいです。 ■大学生へのメッセージ 大学生は、すごく忙しいと思います。授業やバイト、サークル、プライベートなど、いくら時間があっても足りないかもしれません。ですが、会社に入ると、もっと忙しくなります。時間のコントロールやマネジメントが自由にできるこの大学4年間に、学生時代の今しかできないことに、大いに時間を使ってほしいです。 学生新聞オンライン2024年4月8日取材 慶應義塾大学3年 塚紗里依

伊東美優

レバレジーズ株式会社 代表取締役 岩槻知秀

一度しかない人生だから、世の中にプラスのインパクトを。 レバレジーズ株式会社 代表取締役 岩槻知秀(いわつき ともひで) ■プロフィール1980年生まれ。大阪府和泉市出身。早稲田大学社会科学部入学後、1年時からエンジニアとしてIT企業にてビジネス経験を積む。大学卒業と同時に、2005年にレバレジーズ株式会社を設立し、現在に至る。グループ会社の取締役も兼務。 創業当初から「顧客の創造を通じて、関係者全員の幸福を追求し、各個人の成長を促す」という企業理念を掲げ、これまで40以上の事業を展開してきたレバレジーズ。 創業19年で年商1000億円規模に導いた岩槻代表は、学生時代の原体験をもとに、強い意志を持って事業づくりに取り組んできたという。会社が急成長する秘訣とは一体何か、自身のキャリアや事業・組織にある成功の裏側について、詳しくお話を伺った。 ■「お金」と「仕事」で苦労した大学生活  私は大阪府出身で、大学入学と同時に上京しました。もともと起業したいという想いはあったものの、明確な目的やプランは持っていませんでした。ただ大学在学中に、父親の事業が失敗し、一気に生活に困窮するという事態を経験したんです。両親からの仕送りも減っていき、当時は借金を抱えながら日雇いバイトに明け暮れる日々でした。そんななか、「もっと稼ぐにはどうすればよいか」と考えたときに、自分自身でスキルを磨き仕事として将来に繋がることをすべきだと考えました。それからプログラミングを独学で学び始め、大学在学中に複数の企業でインターンを経験しました。また当時はインターネットバブルの時代で、IT関連企業の景気が良くなると同時にさまざまな経営者がフォーカスされる時期でもあり、私も大学在学中多くの起業家の本を読みました。そのなかで「鉄鋼王」と称されるアンドリュー・カーネギーという起業家の生き方に大変刺激を受け、私自身も一度しかない人生ならとんでもなく大きい事業をつくり「社会にプラスのインパクトを与えたい」と強く思いました。そして大学卒業後にレバレジーズを創業し、今に至ります。 ■ビジョンを実現できた瞬間  当社は元々、システム開発の会社でした。大学最後の年に始めた個人事業があり、そのときに稼いだ1500万円の資金の一部で立ち上げた会社です。現在主軸となっている人材事業を始めたのは、その後のことでした。私自身、大学時代は「お金」と「仕事」でとにかく苦労してきたので、お金と仕事に関する問題解決をミッションとして何かできないかと、ずっと考えていたんです。その中で、人材事業ならばtoBだけでなく、toCも含めて関わる人全員が幸せになれる仕組みづくりができるのではないかと思い立ち、スタートしたのが当社の「レバテック」という事業の前身となるIT領域における人材サービスでした。私自身の強みであるITスキルと、インターンなどで培った営業スキルを活かせる点でも、この事業を成功させる自信があったんです。結果、現在に至るまで増収増益が続いており、関わったたくさんのお客様から感謝される事業となりました。やはりお客さまから喜ばれると嬉しいですし、改めて「関係者全員の幸福」という理想が現実化できているなと実感できます。 ■大きな仕事を任せていくことが若手が成長する近道   当社は、基本的にメディアを中心として色んな事業を展開している会社です。人材事業の売上が最も大きくはあるのですが、最近はSaaSやHRテック、オンライン診療などにも参入し、事業は多角化しています。メディア運営を中心とする理由は、経営の安定性を高めることと、利益率を高める為です。創業当時から事業成長は見込めていたんですが、左記の目的達成の為に、フェーズや規模の異なる多数のメディアを運営し、日々改善を続けています。組織としては、企業成長に合わせて採用人数を大幅に増やしています。事業数が急激に増えているので、採用を強化しないとポジションに穴が空いてしまうんです。もちろん採用後の育成にも力を入れていますが、基準に合わない人を採用しても社内育成で変えることは難しいので、採用にはより力を入れています。育成においては、7割が実務経験(どれだけの仕事を任せられるか)、2割が上司や先輩からの指導、最後の1割が座学で決まると言われています。だからこそ、優秀な人を採用して早期から思い切って裁量権を与えていくことが、本人だけでなく会社の成長にも繋がると言えます。過去には入社前のインターン生に、数十億円の予算を渡すなどの事例があります。とにかく裁量権を与えることが、その人が成長していく過程で1番重要なことだと感じているので、年次関係なくどんどん裁量は与えています。 ■会社が急成長する最大の秘訣  これまで当社は、オペレーション改善とマーケティングの2つで急成長してきました。営業のオペレーションを細分化して改善していくことで、次はマーケティングに予算が割けるようになる。このサイクルを回し続けることで売上を伸ばしていきました。例えば、ウェブ登録から面談までの率が5%上がると利益がその分増えます。増えた分を広告などのマーケティング予算に割くことによってより多くのお客さまに知ってもらい、利用してもらうことができるようになるということを繰り返していくというイメージです。話はそれますが、営業の仕事は比較的簡単な仕事と勘違いされていますが、弊社においては細かいプロセスで成り立っている複雑性の高いものです。だからこそ、各プロセスの係数の把握などは創業の頃から細かくやってきました。 ■大学生へのメッセージ  とにかく勉強や仕事に対して、時間の投下をしましょう。学生のうちは時間にも余裕があると思うので、たくさん勉強するといいと思います。よく長時間働くと「ブラックだ」なんて言われるんですが、成功している起業家や社会人は世界共通で例外なく全員揃って当たり前のようにハードワークしているんですよね。少しでも社会で活躍したい、社会に対して大きな影響を与えたいなどと考えている人は、まず多くの時間を費やすことを大切にしてほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年2月1日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優 法政大学3年 鈴木悠介 / 津田塾大学1年 石松果林 / 慶應義塾大学4年 伊東美優 / 武蔵野大学4年 西山流生

イベント・企業紹介

第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER ~藤田ニ...

2024年3月2日(土)国立代々木競技場第一体育館にて『第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER』が開催されました。今回のテーマは「百花繚乱」。百花が一同に満開となるその瞬間は、儚さをも秘めた夢の瞬間。春の訪れとともに迎えたマイナビ TGC 2024 S/Sの多彩な豪華出演者の中からモデルの藤田ニコルさんにお話を伺いました。 ■TGCを終えて TGCは、その時のファッションの最新のトレンドを押さえているので、見に来るだけでもマインドがおしゃれになれるイベント。ファッション好きにはたまらないと思います。これまで何度も経験していますが、今回は自分のブランド「CALNAMUR(カルナムール)」のショーを行ったので、いつもとはまた違ったTGCになったかなと思います。いつも出演時は洋服をきれいに見せることを心がけているんですけど、今回は自分のブランドに出演してくれるモデルさんの洋服やヘアメイクが可愛く出来ているかが気になってしまい、自分どころではありませんでした。裏方に回りすぎていたので、「そうだ、私も出るんだった!」と途中で思い出して、ドキドキしちゃいましたね(笑)。でも、大変だった分やりがいもあり、結果的にとても可愛いショーができたので嬉しかったです。 ■お仕事について 私が毎日お仕事を頑張れているのは、ファンの方のおかげです。このお仕事は、ファンの方がいないと成り立たないと思っているので、もし居なかったらと思うと怖くなっちゃいますね。自分の価値を再認識出来るのも、ファンが応援してくれるからだと思います。昔から応援してくれる方も多く、ファンの方々は私にとって一緒に成長していける心強い仲間だと思っています。昔から大切にしているのは、ファンの方、ひとり一人にちゃんと交流することです。自分が有名になっても、このスタンスは変えていません。今でも半年に一回は直接会える機会を設けるようにしています。あと、いつも驚きを与えたいと思っていて、ファンに一年で何回サプライズできるかをずっと考えています。同じことばかりだとマンネリしてしまうので、みんながワクワクしてくれるように、イベントを企画したり、新しい仕事に挑戦したりしています。距離感も大事にしています。憧れの存在ではありたいけど、友達に近くて、すぐそばにいるような存在になりたいとですね。 ■今後の展望 今年はもう新しいチャレンジはしません(笑)! というのも、これまでアパレルとかコスメなどいろんなジャンルに挑戦してきたんですね。ただ、もうやりすぎちゃいました。やってきたことがおろそかになると、せっかく始めたものも中途半端で終わっちゃうので、これからは今取り組んでいるものに改めて丁寧に向き合っていきたいです。 ■メッセージ 学生の皆さんは、これから卒業したり、新生活が始まったりと環境がめまぐるしく変わる世代だと思います。しかし、あまり周りの人と比べず、自分がやりたいことをやってください。自分と向き合って新たな一歩を踏み出して欲しいです。 取材者:立教大学3年 緒方成菜 イベント名称:第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER(略称:マイナビ TGC 2024 S/S)開催日時:2024年3月2日(土) 開場12:00、開演14:00、終演21:15会場:国立代々木競技場第一体育館公式サイト:https://tgc.girlswalker.com/24ss/

イベント・企業紹介

第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER ~王林~

2024年3月2日(土)国立代々木競技場第一体育館にて『第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER』が開催されました。今回のテーマは「百花繚乱」。百花が一同に満開となるその瞬間は、儚さをも秘めた夢の瞬間。春の訪れとともに迎えたマイナビ TGC 2024 S/Sの多彩な豪華出演者の中からモデル・タレントの王林さんにお話を伺いました。 ■TGCについて お客さんがたくさん入っている会場に入って、「この応援や盛り上がりが自分たちにとってもパワーになっているんだな」と改めて気づかされました。ファンの方の応援やうちわがステージ上からも意外と遠くでも見えるので、それを楽しみながらランウェイを歩くことができましたね。 ■お仕事について モデルのお仕事では、バラエティで見せるのとは違う魅力を伝えたいと思っています。たとえば、身長。テレビでは座っていることが多いので、あまり知られていないんですけど、実は身長が170センチあるんです。だから、モデルのお仕事をする際は、私と同じように高身長の方が、自分の身長に自信を持って、なおかつコーデも参考になるような見せ方を意識しています。私がお仕事を頑張れる原動力のひとつは、地元の青森をPRして、もっと知ってもらいたいという強い気持ちがあるからです。お仕事を通じて私の存在を知り、そこから青森に興味を持ってもらえたら嬉しいなと思って頑張っています。辛いときはジェットコースターのように急激に落ち込むけれども、勢いよく回復することを意識しています。落ちるところまで最速で落ちてから、「自分は何をしているんだ、こんなんじゃだめだろ!」と奮い立たせますね。あとは、青森にいるとストレスがなくなるので、忙しいときでもなるべく帰るようにしています。地元にいると、ナチュラルな気持ちになれるし、周りからの愛を感じることができます。そうするとまた力が湧いてきて、頑張れるんですよね。 また「この仕事は何のためにやっているのか」を常に意識するようにしています。私は、自分のためよりも何かの為に動いた方が、パワーが湧いてくるタイプなので、「地元・青森のため」という目標を常に心に置いています。そうするといろんなアイデアが湧いて、やりたいことがどんどん生まれていくんです。今後も、「田舎だからダサイ」という昔のイメージではなく、おしゃれでかっこよくて可愛い、自分がみてきた青森の姿を伝えていきたいです。また、最近は音楽活動を始めたので、そこにも力を入れていきたいです。ゆくゆくは音楽フェスを青森で開催することが夢ですね! ■メッセージ これだけものや情報が沢山あふれている中で、何かをしたいと思えている人は本当に凄いです。また、そうでない人も、これからいろんなものに触れて、可能性を広げてほしいです。今は誰もがなんでもできてしまう時代だと思います。自分を信じて、楽しい新たな未来に向かって走り出してほしいです。 取材者:立教大学3年 緒方成菜 イベント名称:第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER(略称:マイナビ TGC 2024 S/S)開催日時:2024年3月2日(土) 開場12:00、開演14:00、終演21:15会場:国立代々木競技場第一体育館公式サイト:https://tgc.girlswalker.com/24ss/

イベント・企業紹介

第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER ~平 祐奈~

2024年3月2日(土)国立代々木競技場第一体育館にて『第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER』が開催されました。今回のテーマは「百花繚乱」。百花が一同に満開となるその瞬間は、儚さをも秘めた夢の瞬間。春の訪れとともに迎えたマイナビ TGC 2024 S/Sの多彩な豪華出演者の中から女優・タレントの平祐奈さんにお話を伺いました。 ■TGC5年ぶりの出演! 女の子の憧れがたくさんつまったTGC。私自身、今年は5年ぶりのTGCで、脱炭素社会を発信する愛知県豊田市のステージに出演させていただきました。洋服の資源循環をテーマに、もう使われなくなった車のシートやシートベルトなどを使ったスタイリッシュな衣装で登場しました。モードなファッションですが、ポケットがたくさんあって便利なんですよ!若い世代へ向けて、脱炭素への取り組みを知ってもらえるようなステージになったと思います。普段からよく笑っているタイプなので、ステージに立つのが楽しくて笑みが溢れそうでしたが、モードな衣装と合わせて、クールに決められるよう意識しました。 ■一期一会を大切に 芸能界デビューを果たしたのは、13年前。きっかけは、知らないうちに母が映画のオーディションに応募してくれていたことでした。幼い頃からシャイで緊張するタイプでしたが、ステージに立つと達成感を得られるのが楽しくて、ここまで続けられたのだと思います。今でも、自分に注目が集まると恥ずかしいですが、ファンのみんなが待ってくれていると思うとお仕事を頑張れますね。芸能界でのお仕事は、常に人とのコミュニケーションだと感じています。1回の現場だけでも数えきれないほどの人との出会いがあるんですよね。数年後、十数年後でも、現場での久々の再会はとても嬉しいものです。いろんな分野の方々と出会うと自分も良い刺激をもらえるので、一期一会をとても大切にしています。私は自分の好きなことを仕事にさせていただいているので、これからも楽しみながら挑戦していきたいと思っています。例えば、お芝居の役を通して歌ったことがまだないので、ぜひやってみたいですね。人生はチャレンジ続きだと思うので、これからのお仕事もとても楽しみです。 ■大学生へのメッセージ 私も3年前まで学生でした。お仕事との両立でかなり忙しい日々でしたが、大学に行って本当に良かったと思っています。講義で学んだことはもちろん、色々な価値観を知ることができて、お芝居にも役に立っています。学生時代は自分で履修する講義を決めて、残された時間の中でアルバイトをしたり、将来のためのスキルアップに使ったりと自由に時間を使える時期です。社会に出るとなかなか自分と向き合う時間を取ることが難しいので、今目の前にある時間を大切に過ごしてほしいです。 取材者:上智大学2年 白坂日葵 イベント名称:第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER(略称:マイナビ TGC 2024 S/S)開催日時:2024年3月2日(土) 開場12:00、開演14:00、終演21:15会場:国立代々木競技場第一体育館公式サイト:https://tgc.girlswalker.com/24ss/