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Archive for 運営スタッフ

イベント・企業紹介

ショートドラマのコンペティション「ショードラアワード2024」授賞式

ショードラ実行委員会は、2024年1月31日(水)まで募集をしていた、ショートドラマのコンペティション「ショードラアワード2024」の授賞式を、4月25日(木)に都内で開催しました。授賞式には、女優の福原遥さん、畑芽育さん、映画監督の上田慎一郎さん、日経BP総合研究所客員研究員の品田英雄さんが登壇し、フリーアナウンサーの森香澄さんが司会を務めました。最終結果の発表および賞の贈呈、“縦型ショートドラマ”をテーマとしたトークセッションが行われました。 オープニングでは、TikTok連ドラ「みつめてそらして」で主演を務めた福原遥さん、畑芽育さんが挨拶。福原さんは、「このような素晴らしい場に立たせていただいて嬉しく思っております。私自身、いつもTikTokは楽しく拝見させていただいているので、そのドラマに出られてすごく嬉しいなと思いながら撮影していました。」と挨拶。畑さんは、「今回初めてこのような授賞式のプレゼンターということで、ものすごく緊張しておりますが、こういう大切な場所で皆さんにとって記憶に残る授賞式にさせていただきたいと思っております。」と挨拶された。 ショートドラマについては知らなかったという福原さんだが、撮影が決まって見始めてみると、その新鮮な感覚についつい見入ってしまったという。実際の撮影は一人芝居。早口でセリフを言うことを意識し、一発本番に緊張感を持って撮影に臨んだと語られた。一方畑さんも、一人芝居ならではの工夫を凝らした。「画が飽きないように色々な場所を歩いてみたり、飴を使って遊んでみたり…」と撮影を振り返られた。 「クリエイター賞」に選ばれたのは、鈴木朝代さん。発表は、大ヒット映画「カメラを止めるな!」を手掛けた映画監督の上田慎一郎さんが行った。選定理由を尋ねられると、「全く先の読めない独自性と、鈴木さんにしか作れない唯一無二の世界観に虜になりましたね」とコメント。そして鈴木さんは、「自分のよくわからない動画が、こんなに大きな画面に映していただける日が来るとは思っていなかった」と心境を明かした。 「出演者賞」に選ばれたのは、大関れいかさん、倉本琉平さん、奏羽茜さん、そして辻香音さん。朝日放送テレビ総合編成局長の飯田新さんが、地上波テレビドラマ出演権と、記念のトロフィーを授与された。 続いて「風評被害クラウド賞」は、たかみち店長/みんなのたかみちさんが受賞。風評被害対策を行っている株式会社ブランドクラウド社様のご協賛により誕生した賞である。会長の井原正隆さんは、「弊社は風評被害という勘違いや誤解から生まれたケースを扱っているため、勘違いをテーマにしたみんなのたかみちさんの作品は素晴らしかった」と振り返った。たかみち店長は、「19年間お笑い芸人をやってきて初めていただいた賞。だけど僕1人ではここには立てなかった。これからもTikTok界を盛り上げていきたい。」と意気込んだ。 「バズり賞」は、2250万回再生の「毎日はにかむ僕たちは。」さんが受賞。賞金200万円と、ショードラアカウントで配信される次回作の制作費サポートと記念の盾が贈られた。ドラマに出演された豊田ルナさんは、「これからも映像業界を盛り上げていけるように一生懸命頑張っていきたい」と語られた。 そして、総合的に評価された「大賞」に選ばれたのは、「ウミガメごっこ」さん。朝日放送テレビ飯田さんは、「わかりやすさが求められるテレビとは異なり、ショートドラマは謎や伏線などユーザーの方と一緒にコンテンツを通して盛り上がれる。その意味で、ウミガメごっこさんの作品は非常に良かった」と選定理由について説明された。ドラマに出演された谷沢龍馬さんは、「コロナ禍で俳優の仕事が激減し、その時にクリエイター集団「ごっこ倶楽部」を立ち上げました。今こうして日々楽しく撮っている作品に、こんな素敵な賞をいただけたことをとても光栄に思います。」と胸中を明かした。同じくドラマに出演された大内唯さんも、「私たちはクリエイターの会社なので、私もこんなに多くの人に伝わる作品を作ってみたいという気持ちが湧きました。これからもっとクオリティの高い作品を作っていきたいです」と意気込んだ。 その後行われたトークセッションでは、畑芽育さん、上田慎一郎さん、日経BP総合研究所客員研究員の品田英雄さん、フリーアナウンサーの森香澄さんが登壇され、テーマである「縦型動画の未来」について語り合った。 そもそもショートドラマがこんなにも急成長した理由について上田さんは、「スマホという今一番身近に感じているモノを使って、誰もが発信者になれる。SNSはすぐにユーザーから反応が返ってくるので、やる気がある人やセンスのある若者がどんどん表現して、それをユーザーが評価して、また若者が表現して…というサイクルが出来上がったのではないか。」と語った。また、忙しい人でも2、3分で見られるし、縦画面の方が登場人物を身近に感じられるのも関係しているのかもしれない、と話された。 そしてショートドラマの制作面について話が変わると、「初めは普段のドラマや映画よりテンポが早いので戸惑いましたね。」とコメント。それに対して畑さんも、「テンポ感の重要さが改めてわかったし、最初の何秒かで面白いと思わせるための惹きつける力も大事だと気がついた。」と話した。 「ズバリ、バズる動画とは?」と森アナウンサーに問われると、「いっぱいコメントがついている動画は、多く再生されている感じがする。」と上田さん。就活や婚活などの身近なテーマで、何か言いたくなる動画は再生回数が増えるのかな、と自らの見解を語った。品田さんも、『情報というのは他の人に伝えたくなるもので、自分の言いたいことを他人に送ることが「その情報の価値」になっている。起承転結の物語のカタチではなく、工夫の仕様がたくさんあると思いますね。』と回答した。 続けて、「ショートドラマの可能性は、実はプロも見えていないんです。若い人がどんどん作ってマーケットを大きくしてお金も稼げるようになる。これからどんどん新しい出会いがあって、それを繋げていくとビッグビジネスにもなりますしね。」と語った。上田さんも、ショートドラマの未来はここにいる皆さんが作っていくのではないかな、とコメントされた。畑さんは、「皆さんの素敵な作品をたくさん見させていただいて有り難く思いますし、今後ぜひお仕事をご一緒できる機会があればいいです」と話された。 ●ショードラとは誰もが動画づくりを楽しみ、発信できる時代。TikTokでは、まだ無名の才能たちが、プロのクリエイターでは思いつかないような斬新なアイデアで刺激的なコンテンツを生み出し、多くのユーザーを楽しませている。 俳優、監督、プロデューサー。まだ、そんな肩書きでは呼ばれていないかもしれない。テレビドラマや映画をつくるようなスキルはこれから身につけるのだろう。 私たちは、そんな原石たちが、原石のままで輝ける場所で次のスターたちと出会い、ともにエンタメの未来をつくっていきたい。 TikTokへの投稿にハッシュタグをつけるだけ。動画づくりを楽しむというあなたの日常が、トップクリエイターという夢をつかむための第一歩になる。 ●ショードラアワード2024https://www.showdrama24.com/ ●ショードラTikTokアカウントTikTokアカウント上で、「ショードラ」とご検索ください。 ●ショードラその他SNSアカウント◇Instagramアカウント https://www.instagram.com/showdrama_24/◇X(旧Twitter)アカウント https://twitter.com/showdrama_24◇YouTubeアカウント https://www.youtube.com/@SHOWDRAMA-dw4ty 学生新聞オンライン2024年4月25日取材 国際基督教大学2年 若生真衣

伊東美優

株式会社焼肉坂井ホールディングス 代表取締役社長 髙橋仁志

職人がつくる本物の美味しさを、世界へ発信していく。 株式会社焼肉坂井ホールディングス 代表取締役社長 髙橋仁志 (たかはしひとし) ■プロフィール 1968年生まれ。三重県松阪市出身。日本料理屋を営む両親の下で「食」への関心を募らせながら育つ。大学卒業後は三重銀行(現三十三銀行)に3年間勤務。その後、飲食業界でのキャリアをスタート。全国チェーン・ベーカリーの代表取締役などを経て2023年6月に76ブランド、450店舗以上の飲食店を運営している焼肉坂井ホールディングス社長に就任。 主力事業である焼肉をはじめ、寿司や居酒屋、中華、イタリアン、フレンチなど多業態での飲食店舗経営を行う株式会社焼肉坂井ホールディングス。昨年6月に社長に就任した高橋氏は、「既存ブランドのリブランディングによって全国・海外展開を目標にしている」と熱く語ってくれた。そんな高橋氏のこれまでの経歴や焼肉坂井HDの強み、経営戦略について詳しく伺った。 大学時代は、とにかく「一生懸命遊ぶ」ということをモットーに過ごしていました。スキーサークルに参加し、仲間と雪山へ行くことが多かったです。また、私の実家は日本料理屋を営んでいて、経営・商売は幼少期から身近にありました。朝から晩まで職人として働き続ける父の仕事を見てきて、「なんだか大変そう」と当時は子どもながらに感じていましたね。経営・商売の大変さを知っていたからこそ、私自身は、平日にはかっこよくスーツを着て、サラリーマンとして働くことが夢でした。その後、就職活動を始めて、様々な会社を見ていく中で、人と接する営業の仕事に1番興味を持ち、最終的には地元の銀行へ就職することになりました。 ■独立を決意したきっかけは、父の存在と留学だった 銀行内で担当した業務は、企業への融資、営業などで、幅広く行員としての業務に携わっていました。しかし、3年で銀行を退職し、24歳で起業。当時、日本で流行りだした宅配ピザの事業を始めました。「少し前まで銀行員だった人がいきなり飲食業?」と思われるかもしれませんが、父が飲食業を営んでいることからも、社会人になってから、段々と独立への憧れを持つようになったんですね。もう一つ起業の大きなきっかけとなったのが、大学時代のロサンゼルス留学です。留学中にとある日本人の方と仲良くなり、その方の自宅へ伺ったところ、なんとビバリーヒルズにある大豪邸でした。「この人は一体何者なんだ?」と思ってしまいましたが、実はモスバーガー創業者の櫻田厚さんだったんですね。櫻田さんとの出会いもまた、いつか自分も日本の飲食業を盛り上げる担い手になりたい、という夢を持つきっかけになりました。 ■全国・海外展開に向けての経営戦略 その後は、ベーカリーチェーン(三重県発祥の「513ベーカリー(東京含む12店舗展開)」)を立ち上げたり、日本全国、そしてアメリカ・中国にも展開する高級食パン専門店「銀座に志かわ」を運営する会社を設立するなど、今に至るまで食に携わる仕事に全力でコミットしてきました。今回当社の社長に就任した経緯は、これまで成功してきたこの流れで更なる経営者としての成長、宅配ピザから始まり、数多くの業態・ジャンルの飲食ビジネスと関わってきた私にとって、「外食の総合商社」とも言える当社は挑戦し甲斐のあるものでした。当社は焼肉をはじめ、寿司、居酒屋、レストランなど多くのブランドを運営し、現在ではその数は76を抱えます。いわば「76種類の美味しさ」が当社にはございます。その多くが歴史やストーリーのあるブランドで、全国展開や海外展開を目指すには、この歴史のある業態、老舗ブランドを令和版に生まれ変わらせる必要がありました。こうした戦略一つひとつがイメージとして点で浮かび、それを線として繋げていくことで確実に成功できると考えたんです。当社の持つ強みは様々ありますが、やはり多ブランド展開は大きなポイントです。例えば主軸の焼肉では、オーダーバイキング形式とメニュー毎にご注文をしていただく2つの形式がございます。立地では郊外型と都心型、対象者も大衆向けのカジュアルレストランとハイクラスな方への高級レストランなど、客層を細かなセグメントに分けてそれぞれのニーズに合わせてアプローチできるようにしています。そのため目的ごとにお客様が自社を選んでくれるようになり、カニバリゼーションを避けられています。他にも、DX化によるオペレーションの効率化も進めていて、配膳ロボットやタブレットを使用したテーブルオーダー、モバイルオーダーなどの導入が完了していますね。今後、さらに注力していきたいのが、FC事業です。現在全店舗の約3分の1がフランチャイズとなっていますが、やはり効率的に店舗数、収益を増やしていくには、フランチャイズ拡大が欠かせません。学生さんにとってFC(フランチャイズ)は、聞き馴染みはあっても実態が掴みにくいと思いますが、成功すれば加盟店、そして本部となる我々にとっても短期間で店舗数拡大に広がる事業です。当社にとっては、店舗運営を行う上での人材管理・育成を加盟店に担っていただけることがメリットとして大きいです。また飲食店開業にあたって、やはり重要となるのが「店舗運営」力と「商品開発」力の2つです。特にメニュー開発はノウハウがないと難しく、この部分を本部に任せられることが加盟店にとっては最大のメリットだと感じますね。当社はこの2つの力を備えて、充実したサポートを届けることができるため、その先の全国展開・海外展開が見えてくるのです。 ■1人ひとりが「クラフトマン」であること 今後の展望としては、当社が抱える多くの外食ブランドの知名度を上げて全国的なブランドへと成長させていくことです。現在、西日本エリア、東日本エリアなど、特定の地域に集中しているブランドがございますが、これらのブランドも他のエリアに出店し、全国展開に繋げていきたいと思います。お客様が焼肉、居酒屋、寿司など外食を利用される時には当社のブランドが真っ先に頭に浮かぶようになっていければと思います。「そして外食といえば『焼肉坂井ホールディングス』」と、会社の認知度も高めていければと考えています。また、外食産業にとって、最も重要な経営資源は人であることに変わりません。会社として、社員1人ひとりがクラフトマンシップ(職人気質)を持ち続け、「食」を通してお客様に幸せを提供する。「食」を通してお客様を笑顔にする。スタッフ全員がこの想いを胸に美味しい料理、心からのサービス、そして、くつろぎの空間をワールドワイドに届けていくことが私たちの夢です。 ■大学生へのメッセージ 皆さんもこれまで、食事で幸せな気分を感じられたことは数知れないほど多いと思います。当社では、その幸せのために日々、仕事に励んでいます。調理を行うスタッフもいれば、接客をメインに行うスタッフ、また、新メニュー開発、ポスターなどのデザイン担当、宣伝を行う広報担当など、幸せを創り出す職種はそれぞれです。ただ、チームとしての目的は一つ、お客様の幸せのためにです。私はこんな外食業界で働いてることは天職だと思っています。大好きな仕事です。大学生である皆さまの武器は紛れもなく「無限の可能性」です。その可能性を、とことん追い続けてください。興味を持ったら、そのことにチャレンジしてみてください。様々な経験の中で「理想の自分」を見つけられると思います。そして、社会でご活躍されることを期待しています。 学生新聞オンライン2024年2月29日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優 武蔵野大学4年   西山流生/慶應義塾大学4年   伊東美優/法政大学2年   坂井りりあ/立教大学4年 須藤覚斗

学生新聞インターン

女優 桜田ひより

現状に満足したら女優業はやめる気持ちで挑んでいる。だからこそ、後悔がやりがいになる。 女優 桜田ひより(さくらだ ひより) ■プロフィール2002年12月19日生まれ、千葉県出身。幼少期に芸能活動をスタート。オーディション『ミスセブンティーン 2018』のグランプリを獲得。 5歳から子役として芸能活動を始め、持ち前の美貌と演技力でモデル業から女優業まで幅広く活躍されている桜田ひよりさん。21歳という若さにも関わらず多くの作品に出演し、確実なキャリアを築いている。そんな桜田さんに、今回出演される映画『バジーノイズ』の見どころと女優業についてお話を伺った。 5歳の時、お昼の再放送ドラマをみて「私もこれに出たい!」とお母さんへ伝えたことが、芸能界に入ったきっかけです。学生時代は学業とお仕事を両立するために、休憩時間や休日の合間をぬって、レポートなどに取り組みながら両立していました。お仕事と学業を上手く切り替えていたのが、続ける上での秘訣だったと思います。そんな学生生活を終え、高校を卒業した時が、人生において一番の節目だったと思います。5歳からこの仕事をしていたので、常に身近にお仕事と学校がある状況でした。でも、高校卒業後は、学生という枠からはずれ、決意や覚悟をもって社会に出るという意識が芽生えました。その結果、今まで以上に、作品に集中できるようになったように思います。特に、風間監督とご一緒させていただいたドラマ「silent」では、自分の演技のスタイルが確立できた瞬間があったので、それが俳優としてのひとつのターニングポイントになったと思います。プライベートでは、子ども時代と同じく、スイッチの切り替えを大切にしています。オフのときはきっちり休んで体に負担をかけないことで、よりよい仕事への向き合い方ができていると思います。家では、キャンドルを灯したり、香水をつけたりして、リフレッシュしていますね。香水は私にとっては大切なルーティーンで、演じる役によって香水の銘柄を変えたりもしています。 ■女優業の魅力は「誰かの人生を生きられること」 自分じゃない誰かの人生を生きられるのが、女優業の一番の魅力だと思います。自分の人生では味わえないことを役として体験できる上、作品が変わる度に他の誰かになれる環境は自分に合っているなと思います。また、作品では学生でなくなった今でも制服を着られるので制服が着られるうちに、学生役をたくさんしたいですね。作品が完成したときは、すごくやりがいを感じます。「頑張ってよかった」と思うと同時に、「もう少しこうすればよかったな」という後悔が生まれることもあります。でも、現状に満足したら女優業は辞める気持ちで挑んでいるので、作品のたびに生まれる後悔もやりがいにつながっているんだろうなと感じます。 ■映画『バジーノイズ』について ~この役を演じたときの化学反応が、楽しみだった~ 今回『バジーノイズ』出演が決まってから、漫画原作を読ませていただきました。この作品は、PCで音楽を自作する男性・清澄とその音楽を密かに楽しみにしている女性・潮の物語。漫画からは音は聴こえるはずがないのに、読むと作品の中から想像する音が聴こえてくる、そんな不思議な体験をしました。私が演じる潮ちゃんには作品を通じて、すごく感情移入してしまい、私と潮ちゃんがどんな化学反応を起こすのか、川西拓実さんが演じる清澄がどんな清澄なのかを想像しながら、撮影を心待ちにしていました。撮影現場も、とても居心地が良く、自分の持っている熱量をそのまま表現できる環境だったなと思います。風間監督は、その人に合わせて物事を伝えてくれる、気遣いが細やかな方だったので、それが作品の空気感にも現れているなと感じます。今回の作品で私が大切にしている場面で一発OKがでたとき、「自分と監督が思い描く潮ちゃんが一緒だったんだ!」と感じられて嬉しかったです。今回の作品の見どころは、映画を観る時の自分の置かれている状況によって、捉え方や感情移入できる人物が変わる点だと思います。状況が変われば、作品への感想も変わる。何回でも繰り返し観ることができるくらい、見どころが色々なところに散りばめられています。 ■役作りのため、いつでも音楽を流し続けた 音楽が大きなキーワードとなる作品だったので、役作りのため、日常に音楽を取り入れることを意識しました。いただいた音源は、日常生活で流し続けました。また、撮影中も音楽を流してもらうことで、音楽に救われた場面もあります。私だけではなく、この曲が、聴いてくれた皆さんの支えになるといいなと思います。演じるうえで難しかったのは、神戸弁です。初挑戦だったので神戸弁を話されている方の音源を事前にもらい、演技と照らし合わせながら、発音を調整しました。慣れるまでは大変でしたが、いつしか日常会話に神戸弁が登場するほどになりました(笑)。共演した川西さんは、実際に会ってみると想像以上に人見知りする方だったので、風間監督とも話し合い、積極的に川西さんに話かけるようにしていました(笑)。これまで周囲は大人ばかりで、相手が自然と自分に対する距離感を詰めてくれていたことを知り、自分が甘えていたんだなと痛感しました。 ■学生へのメッセージ 社会人と学生の大きな違いは、自分から行動しないとチャンスが与えられなくなってくることだと思います。そのほか、時間や場所の自由が効かなかったり、自分がやりたくないことをしなければならなくなったりする時があるかもしれません。大変なことが多いからこそ、自分にとって、ちょっとした息抜きになるような好きなことを見つけて欲しいです。そのためにも、まずは目の前のキャンパスライフを楽しんでください。 学生新聞オンライン2024年2月7日取材 慶應義塾大学2年 山本彩央里 映画『バジーノイズ』 出演:川西拓実(JO1)、桜田ひより、井之脇海、栁俊太郎原作:むつき潤 「バジーノイズ」(小学館「ビッグスピリッツコミックス」刊)監督:風間太樹 「silent」「チェリまほ」配給:ギャガ5月3日(金・祝)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開©むつき潤・小学館/「バジーノイズ」製作委員会 慶應義塾大学4年 伊東美優/慶應義塾大学 2年 松坂侑咲/慶應義塾大学 2年 山本彩央里 撮影:下田航輔

イベント・企業紹介

第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER ~福原 遥~

2024年3月2日(土)国立代々木競技場第一体育館にて『第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER』が開催されました。今回のテーマは「百花繚乱」。百花が一同に満開となるその瞬間は、儚さをも秘めた夢の瞬間。春の訪れとともに迎えたマイナビ TGC 2024 S/Sの多彩な豪華出演者の中から女優の福原遥さんにお話を伺いました。 ■ステージを終えて TGCのキラキラしたステージはとても華やかで楽しいです。ファンのみなさんのお顔や応援のうちわが近くでよく見れるので、嬉しかったですね。 ■仕事のやりがい 私の作品が誰かに届いて、喜んでもらったり感動してもらったり、いろんな反応をいただけることがやりがいに繋がっています。ファンのみなさんは背中を押してくれる存在です。私がやることを応援してくれたり、温かい言葉をいただいたりと感謝しています。また一緒に仕事をしてくれているスタッフさんの存在も大きいですね。目標に向かってみんなで頑張ることがモチベーションにも繋がっています。現場ではいろんな方とコミュニケーションをしっかりとることを意識しています。 落ち込んだ時は、誰かに相談をしたり、自分の中で解決していたら寝て忘れるなど、気持ちを切り替えることを意識しています。また、前向きでいるために心がけているのは体調管理です。早寝早起きや食事、規則正しい生活を送ることはもちろん、忙しい時も湯船に浸かって血行を良くしたり、食べ過ぎたなと思った時は次の日に調整したりと毎日意識していますね。継続して体調を整えることで、メンタルも変わると思います。 ■今後の目標 ファンのみなさんに様々な姿を届けたいという思いもあり、お芝居ではまだ演じたことがない役柄に挑戦したり、映画にもたくさん出演してみたいです。そのためにお芝居だけでなく、人としても磨いて成長していきたいと思っています。 ■大学生へのメッセージ 未来は可能性だらけだと思います。やりたいことや少しでも気になっていることがあれば、失敗を恐れずどんどん挑戦してみてほしいです。いろんなことに興味を持って、まだ見たことのない世界にいっぱい触れてみてください。失敗からも学べるので、前向きに一緒に楽しみながら頑張っていきましょう! 取材者:上智大学短期大学部2年 大野詩織 イベント名称:第38回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2024 SPRING/SUMMER(略称:マイナビ TGC 2024 S/S)開催日時:2024年3月2日(土) 開場12:00、開演14:00、終演21:15会場:国立代々木競技場第一体育館公式サイト:https://tgc.girlswalker.com/24ss/

コラム

テリー伊藤 コラムVol.22 新入社員 黒いスーツが多すぎる

春になり草花も色づき、街も華やかになってきた。陽気につられて丸の内のオフィス街を歩いていると、前から4月に入社したばかりの新入社員と見られる真っ黒いスーツ姿の10数名の男女の集団を発見。会社のユニホームではなく、皆同じ様なスーツ。女子はスカートではなく多くがパンツスーツ。ネクタイを締めている人は一人もいない。皆さん初々しいのに黒の礼服のようなスーツがフレシュマンぽくない。何か変な感じがした。 世界中の新入社員で黒いスーツで会社に出社する国があるか調べると、集団で着用しているのはどうやら日本だけ。何故こうなってしまったのか不思議だ。何時から新入社員イコール黒スーツになったか。2000年頃から巷では「リクルートスーツ」という言葉が流行し浸透していったらしい。当時こんな服装マニュアルが。「新入社員は黒、紺、グレーの3色から選ぶのが基本です。この3色から選びましょう。黒色は堅実さや誠実さを感じさせる色であり、見る人に落ち着いた印象を与えます。紺色はフレシュな印象、グレーはややカジュアルな印象が強くなり、あか抜けた印象を与えます。」とアドバイスを与えている。そうなんです、誰が言い出したか分からないが、こんな勝手な個人の主観が学生の間に広まってしまったのです。学生からしてみれば希望の会社に入社したい、面接で印象を良くしたいと思えば堅実で誠実な組織に役立ちそうな「黒スーツ」を選びますよね。会社の人事も悪い。ファションセンスが無いため黒スーツにNGを出す勇気もない。自由なフォーマルスーツを推奨したら社員の服に対する考え方や感性、個性、日常生活の背景まで読み取る事が出来るはずなのに、実に勿体ない。勿論ファション業界などは実施しているが。 実は昨年卒業した大学院仲間に、いつもヒョウ柄のコートを着て目立っていた女性がいたのですが、その乗りで上級国家公務員の試験を受けて見事合格してしまった。いつも派手な服装なのに何故合格出来たのかを聞いたところ「面接官曰く、これからの日本には君みたいなユニークな感性を持つ人が必要と言われた」と本人もビックリ合格で、現在総務省でバリバリ働いている。総務省やるね。そうなんです、変革が大事なんです。黒色ばかり着ていると鮮やかな色彩の洋服に手を出す勇気が無くなってくるし、センスも衰えてしまう。家のインテリアも超無難になっていき、クローゼットも味気無くなる。勿体ない。 新入社員の皆さん、将来社長を目指すなら2着目のスーツは明るめのグレースーツがお勧めですよ。エ!社長なんかになりたくない!? 6時になったら私家に帰ります? 失礼しました。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

イベント・企業紹介

UP-T新CM発表会

丸井織物株式会社(所在地:石川県鹿島郡、代表取締役社長:宮本好雄)は、AKB48のメンバーと西村博之さんをイメージキャラクターに起用した新CMを4月11日から公開しました。同日都内でUP-T新CM発表会見が行われ、AKB48(大盛真歩さん、小栗有以さん、佐藤綺星さん、平田侑希さん、山内瑞葵さん)、振付師の槙田紗子さん、西村博之さんが参加しました。新CMは「ひろゆき×AKB48合いの手」篇、「なんすか?だめすか?」篇、「ビジネススキル」篇の3本です。 ■丸井織物株式会社 代表取締役社長 宮本好雄さんよりご挨拶UP-Tは、オリジナルTシャツなどのグッズをオンデマンドで作れる日本最大級のサービスです。作るだけではなくUP-T WEBサイト内で販売したり、NFTデザインにしたりすることができます。東京ガールズコレクションやアイドルとのコラボ・協賛なども実施しております。 ■トークセッション(CM振付と撮影について)振付担当 槙田さん:UPとTポーズが沢山散りばめられていて、AKB48の皆さんのように可愛さを大事に踊ってほしいです。大盛さん:UPとTで覚えやすいです。CMソングの歌詞にもピタリな振り付けになっています。小栗さん:簡単かつキャッチーな振り付けだったので、すぐに覚えられてわかりやすい振付で素晴らしいです。佐藤さん:実はダンスが苦手な人は、大盛さん。最後の決めポーズでヨロっとなっていました。CM撮影中も「わからない、わからない」と言っていました。大盛さん:ちょっと!?私5年先輩だよ!?。みんなの覚えが早過ぎるの!西村さん:セリフ覚えとかAKB48のダンスに混ざるとか、自分の人生にはないことなので、正直“めんどくせえな”と思いました。セリフを喋ることに面白味も感じられなかったし。それに僕のイラストTシャツなんて喜ぶ人いないでしょ?欲しい人なんかいないだろうし。僕は地味服が好きなので不自然な感じでしたね。もし自分が作るなら、無地だけれどよくよく見るとデザインのある性格の悪い地味Tシャツを作りたいですね。大盛さん:ひろゆきさんの動きがシュールで面白かったりするので、見ていて『ふふふ』と笑ってしまうくらい面白いCM。クセになって何度でも見たくなりました。佐藤さん:私はキャラクターものが好きなので、可愛さや生地の通気性にもこだわります。カラフルなデザインが好きなので、ひろゆきさんとは真逆ですね。UP-TではTシャツを自由に選べることはもちろん、スマホだけで完結できるのも特徴です。小栗さん:スマホ一つで簡単にできるのは凄い。ひろゆきさんのような面倒くさがり屋さんでも簡単にできるのが嬉しいですね。 ■プレゼン合戦イベントの中でAKB48メンバーが、論破王ひろゆきさんを前に「自身が作ったTシャツに絡めつつ、UP-Tを全国民に知ってもらうには?」をテーマにプレゼンしました。大盛さんは「全国さんぽ」、佐藤さんは「UP-T球団を作る」、小栗さんは「ひろゆきさん とっちゃうされて切り抜かれる」、平田さんは「Tシャツをコーディネート」、山内さんは「TikTok最大活用+ひろゆきさんアフレコ」とプレゼンを展開。その中から西村さんが気に入ったプレゼンは、現実味があるということから平田さん。最下位は、実際には出来なそうという理由から大盛さんとなりました。金沢豪華グルメ旅行券をプレゼントされた平田さんは「今回のプレゼンには自信があったので見事に取れました!」と大喜び。一方、大盛さんは論破と書かれたTシャツにひろゆきさんのお面をかぶって顔出しNGの罰が…。それでも「今日はひろゆきさんの双子の兄として頑張ります!」と前向きな大盛さんでした。 ■学生新聞インターン生の感想僕はオリジナルグッズの制作経験はありませんでしたが、「UP-T」を使えば簡単にできると聞いて、自分も挑戦してみたいと思いました。学生なら、文化祭のクラスタオルや、軽音部のバンドメンバーとお揃いのTシャツなど、様々なアイデアを試すことができるでしょう。絶対盛り上がるはずです!また、今回のCMの発表会見では、AKB48のメンバーがデザインしたTシャツをいただき、実際に着用してみましたが、その肌触りの良さに驚きました。思わずすりすりしたくなるほどの感触でした。CMの内容も非常に特徴的で面白かったです。ひろゆきさんとAKB48のメンバーとの温度差にユーモアを感じました。N高等学校 2年 石川輝 N高等学校 2年 石川輝/法政大学 4年 島田大輝

学生新聞映画大賞

第2回 学生新聞映画大賞

TOP CONNECT 株式会社(東京都中央区/代表取締役 内田雅章、以下 TOP CONNECT)は、若者の映画館離れやコロナ禍の映画館利用率の低下をうけ、映画興行の復興を目的に「第2回 学生新聞映画大賞」発表会を2024年4月22日(月)、セルリアンタワー東急ホテルB2ボールルーム(「学生新聞・中高生新聞発刊パーティ第2部内」にて開催いたしました。 <第2回 学生新聞映画大賞とは> 2023年6月1日~12月31日までに、東京地区において有料で初公開された60分以上の劇場用劇映画かつ、同一劇場で2週間以上連続して上映された邦画作品を対象に、大学生総勢200名が投票を実施。10作品の中から上位3作品の中で、男優賞(2枠)、女優賞(2枠)、若手俳優賞(25歳以下の男女各1名)、監督賞、脚本賞、主題歌賞の計6つの賞を設け、表彰。賞品総額は300万円(各受賞作品毎100万円)。 <ノミネート作品> ■交換ウソ日記■キングダム 運命の炎■ミステリと言う勿れ■沈黙の艦隊■アナログ■ゆとりですがなにか インターナショナル■キリエのうた■正欲■翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~■あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。 ※公開日順にて記載。 ©2023「交換ウソ日記」製作委員会 / ©原泰久/集英社 ©2023 映画「キングダム」製作委員会 / ©田村由美/小学館 ©2023 フジテレビジョン 小学館 TopCoat 東宝 FNS27社 / ©かわぐちかいじ/講談社 ©2023 Amazon Content Services LLC OR ITS AFFILIATES. All Rights Reserved. / ©2023「アナログ」製作委員会 ©2023 T.N GON Co., Ltd. / ©2023「ゆとりですがなにか」製作委員会 / ©2023 Kyrie Film Band / ©2021 朝井リョウ/新潮社 ©2023「正欲」製作委員会 / ©2023 映画「翔んで埼玉」製作委員会 / ©2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会 <ご協賛企業様> ※順不同 アース製薬 /ピップ...

イベント・企業紹介

第82期名人戦七番勝負第1局(藤井聡太名人VS豊島将之九段)

藤井聡太名人に豊島将之九段が挑戦する 第82期名人戦七番勝負第1局が、4月10・11日(水・木)に東京都文京区「ホテル椿山荘東京」で開幕された。4月11日、熱戦となった名人戦第1局2日目を取材させていただいた。 藤井聡太名人 将棋界の歴史に刻まれる大逆転劇学生記者が見た、名人戦の重圧 名人戦七番勝負は、一つの対局につき、それぞれが9時間の持ち時間を持ち、2日間かけて行われる。先に4勝した方が名人位を獲得する。 藤井名人は、将棋の全8大タイトルを独占し、前人未到の8冠として将棋界の頂点に立つ。一方の豊島九段は、過去に将棋界で最も権威あるタイトルの竜王と名人を、同時に保持していたこともあるなど、将棋界を代表する棋士の1人だ。藤井名人に対し、ここまで公式戦で11勝しており、最も多く勝っている棋士である。この両者の七番勝負から、どのような棋譜が生み出されるのだろうか。 対局は、豊島九段の趣向を凝らした出だしとなる。定跡形から外れ、21手目にして、前例のない未知の局面に突入した。両者譲らず、互角の形勢で1日目が終了し、2日目に入った。 2日目も熱戦が続き、互角の形勢で夜になった。両者が一歩も引かず、熾烈な大激戦を繰り広げている。この対局の行方を検討している控室の棋士達からは、年間で最も優れている対局に送られる「名局賞」の単語が聞こえてくる。手が進み、豊島九段のカウンターが炸裂する。控室の棋士達の見解は、豊島九段優勢。勝負は大勢がついた。しかし、ドラマはここからだった。 122手目、豊島九段には、藤井名人の王様の逃げ場を塞いで、勝ちに近づく手があった。しかし、豊島九段は異なる手を選択してしまう。途端に、検討室の棋士達から悲鳴が起きる。この手が、敗着となる痛恨のミスだったのだ。一手のミスから勝負がひっくり返ってしまうのが、将棋の怖さだ。藤井名人は豊島九段のミスを逃さず、追い詰める。藤井名人の大逆転となり、豊島九段が投了した。 対局後の取材に対し、先勝した藤井名人は、「内容的には、押されている時間が長い将棋だったと思うので、しっかりと振り返って次局に繋げたい」と語った。敗れた豊島九段は、「少し時間もあったので、もっと考えなくてはいけなかった」と振り返り、敗因となった122手目をノータイムで指してしまったことを悔やんだ。23日、24日に行われる第二局について、「しっかりと準備して挑んでいけたらと思う」と決意を述べた。 8大タイトル全てを独占している藤井名人に対し、名人への復位を目指す豊島九段。藤井名人が名人戦を防衛し、八冠を更に磐石なものとするのか。はたまた、豊島九段が名人を奪取し、藤井八冠の一強時代に風穴を開けるのか。手に汗握る七番勝負から目が離せない。 ■取材の感想 今回の取材は、夢のような機会でした。普段から棋書を愛読し、将棋会館や将棋のイベントにも赴くような大の将棋好きな筆者にとって、タイトル戦の対局室での取材は、現実のものとは思えないほど感謝な時間でした。タイトル戦の張り詰めた雰囲気、名人戦の重圧を間近で感じました。一手のミスが勝敗を逆転させてしまうことが将棋の怖さであり、面白さです。藤井名人による、終盤での大逆転が印象的だった本局を通して、最後まで何が起こるか分からない将棋の魅力を、改めて体感しました。 検討室での棋士の先生方による対局の検討も非常に興味深かったです。張り詰めた対局室の雰囲気とは違い、棋士の先生方が、和気藹々と本局を検討されている風景がとても印象的でした。あらゆる角度から、様々な将棋の魅力を感じた取材でした。 取材:中央大学3年 亀井義和喜 写真提供:日本将棋連盟

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たばこと塩の博物館

日本たばこ産業株式会社(JT)が、かつて専売品であった「たばこ」と「塩」の歴史と文化をテーマに設立した、たばこと塩の博物館。博物館館長の菊池孝徳さんに博物館に対する思いを伺った後、実際に館内を見学させて頂いた。 たばこと塩の博物館「たばこ」と「塩」の歴史と文化をテーマに、1978年11月に東京渋谷区にオープン。その後、老朽化や常設展示室・収蔵スペースの不足などにより、2015年4月、当時たばこの専売制度と関わりが深かった墨田区に移転した。リニューアル後は、展示スペースが従来の2倍に。たばこと塩の歴史や文化をより詳しく解説する常設展示や、それらに関連した特別展示に加え、図書閲覧室、多目的スペース、さらに約4万点の資料収蔵庫まで充実している。 ■たばこと塩の歴史を教えてください。 南アメリカのアンデス山中が起源のたばこは、大航海時代を経て世界中に広まりました。日本に伝わったのは、16世紀後半。南蛮人との交流の中で、鉄砲などの貿易物と共に伝わり、17世紀前半には喫煙文化が浸透しました。仕事の合間やおもてなしのためなど、生活のあらゆる場面で使われていたんです。1904年にたばこの専売制度が始まりましたが、市場開放や行財政改革の動きにより、1985年に専売制度は廃止。現在は、健康志向が高まる中、たばこ業界全体として、たばことの共存に向けた様々な取り組みが行われています。 嗜好品のたばこに対して、塩は生活必需品。しかし、雨が多い日本は塩づくりが苦手なんです。そのため、原始・古代時代から、濃い塩水である「かん水」を採取してそれを煮詰めて塩を得る、独自の製塩技術が発展しました。その後、干満の水位差を利用する「入浜式」と、人力で海水をくみ上げる「揚浜式」という塩浜の形態に発達し、1972年からは、イオン交換膜を利用した電気エネルギーによる方式に全面的に転換されました。身近な塩が、実は苦労して作られているという事実は少し驚きですよね。 ■展示のみどころは何ですか。 来館者の方に、実在する遺跡や資料を肌で感じて頂けるように意識した再現性の高さです。例えば、たばこの常設展示の入口には、現存する最古のたばこ資料として、メキシコ・パレンケ遺跡「十字の神殿」のレプリカ(写真)があります。神殿の右側の柱には、「たばこを吸う神」のレリーフが描かれており、大スケールの展示は必見です。その他、江戸時代のたばこ屋に加え、昭和のたばこ屋の店頭も再現しており、当時の風景を思い出すなつかしさも感じて頂けると思います。 また、塩に関する常設展示でも実物が目白押し。世界遺産のポーランド・ヴィエリチカ岩塩坑で信仰されている「聖キンガ像」のレプリカ(写真)は、現地の職人によって、全て現地の岩塩を使用して作られました。彫刻はもちろん、後ろの壁やシャンデリアの飾りまで、全て塩でできているんですよ。また、塩づくりの展示に加え、塩が入ったシャーレを画面にかざすと産地や結晶が見える体験型コーナーもあり、お子さんも楽しめます。これらは、リニューアル後の広い面積だからこそできる、圧巻でユニークな展示だと思います。 ■今後の展望を教えてください。  「たばこ」と「塩」に関わる歴史と文化を取り扱う、世界的にみてもユニークな博物館として多くのお客様にご来館頂き、心から感謝しています。今後とも常にお客様の視点に立って、様々な企画や展示がお客様の関心に寄り添えているか、新たな気づきを引き出せているかを点検しながらよりよいものに改善していきたいと思っています。この繰り返しと地域の皆さまとの良好な関係を維持していくことが、博物館が存在し続ける大切な要素であると考えています。 健康志向が高まる今、たばこに対する社会の見方が変容していることは理解しています。しかし、たばこや塩が私たちと深く関わってきた歴史も、また事実です。お客様目線になって、この事実をしっかり伝えることで、たばこに対する批判的な見方や塩に関しても、これまでにない視点や気づきを与えられるのではと考えています。多様な考え方や価値観がある中、事実を学んだ上で自分はどのような見方をするのか、判断するきっかけになれば嬉しいです。この思いを博物館テーマの主軸に据えて、その上で、展示内容の質やサービスの向上、行っている取り組みの情報発信などにも力を入れていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 一方通行ではなく、お互いに意思疎通ができているコミュニケーションを大事にしてほしいです。相手に関心を持ち、向き合い、相手の反応を見ながら対話をしていくことがスタートライン。これができれば、相手との間で共感が生まれ、本音をぶつけ合えると思います。それを目指して、今自分は何ができていて何ができていないのか、改めて見つめ直してみてください。デジタルも大切ですが、アナログもまだまだ捨てたのものではないかもしれないですね。  実際に見学してみました! 2F 塩の世界 ポイント① 見て、動かして、学べる!塩の性質や結晶のつくりなどについて学べるサイエンスコーナー。中でも印象的なのが、電子パネル上に塩の入ったシャーレを置いて、産地や結晶を学ぶ展示。シャーレを回すと画面上のコマンドも連動し、詳しく調べたり、結晶の写真を見たりするボタンを選ぶこともできます。大学生の私たちも夢中になって盛り上がりました。 3F たばこの歴史と文化 ポイント② 世界各国の喫煙具が大集結各国の文化や風土に合った喫煙具がずらり。細かな装飾やデザインまで注目してしまいます。 ポイント③ たばこ寡占化の始まりに着目定型品であるたばこ(シガレット)は、機械化がしやすい。効率的に早く生産できるアメリカの機械が日本にも導入されたことで、1分間に150~200本の製造が可能に。しかし、機械化の資本がない小さなたばこ工場は大ダメージを受けます。寡占化が始まるきっかけになったアメリカ産の機械を実物で見ることができ、その事実を実感しました。  見学した学生の感想 「昔のたばこ屋を再現した展示が印象的でした。大まかな再現だけでなく、働いている人や家の中の細部まで再現されており、当時の雰囲気を自然に感じることができました。見学者の皆さんがより良い体験をするために行われた努力に感銘を受けました。」慶應義塾大学大学院2年 賀彦嘉 「たばこと塩の歴史を展示するだけでなく、国の歴史や文化なども学べる場所でした。たばこと塩に関する事前知識がなくても面白かったので、皆さんもぜひ訪れてみてください!」武蔵野大学4年 西山流生  次回の特別展は… 「時代とあゆむ袋物商 たばこ入れからハンドバッグまで」をテーマに、2024年4月27日~6月30日まで開催される。詳しくは、こちらをチェック! 学生新聞オンライン2024年3月13日取材 上智大学2年 吉川みなみ(執筆・構成)

伊東美優

株式会社トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長 中村貞裕 

“やりたいこと探し”に焦らなくていい。できることが「仕事」になる。 株式会社トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長 中村貞裕 (なかむら さだひろ) ■プロフィール 1971年生まれ。慶應義塾大学卒業後、伊勢丹を経てトランジットジェネラルオフィスを設立。その後外苑前のカフェ「Sign」オープンを皮切りに、飲食店運営や空間プロデュース、ケータリング事業などで話題となる数々のコンテンツを手がける。著書に『中村貞裕式ミーハー仕事術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン / 2012年)。2022年にゴルフブランド「パシフィック ゴルフクラブ」を始動。 カフェブームの先駆けとなった「Sign」やオールデイダイニング「bills」など、数多くの話題の店を手がけてきた株式会社トランジットジェネラルオフィス。学生時代から起業を志していたという創業者の中村貞裕氏は、「ミーハーな性格が仕事の原点」だと語る。そんな中村氏に、興味深い大学生活のエピソードや、事業成功の秘訣について詳しくお伺いした。 子どもの頃から、よく言えば好奇心旺盛、悪く言えば熱しやすく冷めやすい人間でした。今では、そんなミーハーな自分をポジティブに受け入れているのですが、昔はそんな自分があんまり好きではなかったんです。大学受験だけは唯一頑張れたものの、学生時代はバスケ、スケートボード、サーフィン、バンドなど、はじめてはすぐやめてを繰り返す日々。しかし数年経つと、1つのことをずっと継続して努力し続けた人たちが成果を出し始めるんですよね。その姿を見て、何をやっても続かない自分に悶々とする毎日を送っていました。ただ、好きなことは人一倍多かったので、現在の妻である当時の彼女と、レストランガイド本に掲載されているお店を片っ端から周ってみたり、人を集めてカフェやクラブでイベントを主催したりなど、振り返ると充実した大学生活でしたね。 ■人脈が次のステップへ進むきっかけに 僕が大学に入学したのは、バブル崩壊の年である1991年でした。そして迎えた就職活動は、就職氷河期真っ只中。ゼミナシ、部活所属ナシおまけに留年ありという学生だったので、それなりに苦労しましたよ(笑)。結果的に、卒業後は伊勢丹に入社することができましたが、きっかけになったのは元々ファッションが好きで、バイヤーの仕事に興味を持ったことでした。しかし、百貨店という華やかなイメージとは裏腹に、入社後待ち受けていたのはルーティン化したアシスタント業務ばかり。下積みとして必要なことと分かっていても、飽き性な僕には全く向いていませんでした。そして「もう辞めよう」と思っていた2年目のある日、急に憧れだった先輩の元で働けることになりました。憧れの先輩である藤巻幸大さんは、若手デザイナーの発掘や育成を目的としたプロジェクト「解放区」など、当時の百貨店では考えられない革新的なアイディアを生み出して、一躍有名になった方です。そんな藤巻さんのアシスタントとして働けるのは、まさに夢が一つ叶った瞬間でした。以来、藤巻さんが退職されるタイミングまで僕も伊勢丹で働き続け、たくさんのことを学ばせてもらいました。また、絶大な影響力を持つ藤巻さんの周りには、常に人が集まっていたので、部下である僕も、その方たちと名刺交換をする機会をいただき、気付けば膨大な量になっていました。これを活用するしかないと考えた僕は、仕事で名刺交換した方々を中心に声をかけ、毎週金曜日にイベントを開催しました。イベントはたちまち話題となり、結果1万人ほどのリストを手に入れることになりました。このリストを使って何か面白いことができないか、そう考えていたときに、日本では空前のカフェブームが起こっていました。そこで、ちょうど運よく良い物件との縁があったので、カフェを始めることを決意。このお店を皮切りに、飲食店を続々オープンするきっかけとなりました。 ■空間づくりなら「何でもやる・何でもできる」 当社はプロデュース、オペレーション、イベントの3つを軸に、いくつかの事業を展開してきました。飲食店ビジネスというとBtoCのイメージが強いと思いますが、僕たちの場合は半分以上がBtoB業務であり、クライアントの多くは大手企業や上場企業などばかりでした。そのためクリエイティブ分野では、クライアントからの案件に対して、1からプロジェクトを立ち上げ進めていきます。ユニークな事例としては、ある大学の学食や大手アパレル企業の社内カフェのプロデュースなど。また近年は、クライアント企業からオペレーション全般を委託されて手掛けるケースも多くあります。ここで大切なのは、クライアントニーズをしっかりと押さえながら、新たな視点で企業の課題解決を支援すること。海外ブランドをはじめ、幅広い業態で経験を培ってきた当社だからこそ、まだ世にない新たな価値創造を生み出すことができるんです。よく人から驚かれるのは、一つひとつのプロジェクトに対し僕らは、すべて“ALL トランジット”で挑戦していること。デザインやプロモーション、マーケティングなど各分野のスペシャリスト集団を抱える当社だからこそ、人々の期待以上に応えることができます。社員目線でいうと、本当に数えきれないほど豊富な業種があるので、社内にいながら多方面でチャレンジできる部分が魅力の一つですね。日本に朝食カルチャーを浸透させた「bills」をはじめ、海外企業とのライセンス契約も、当社だからこそ叶えられる大きな挑戦ですよね。 ■「遊び場」づくりのプロフェッショナルとして お店に来てくれたお客様に、非日常を味わってもらいたいという想いがあります。仕事が終わって帰る家がオフの場だとしたら、お店は入った瞬間にスイッチの入る、オンの場でありたいんです。そのため当社は、音楽やファッション、アート、食をコンテンツに魅力的な遊び場をたくさん提供しています。またオペレーションは、あえて「人に依存する」仕組みを採用。誰でも働けるシステム化された店は、僕らが目指す理想像ではありません。採用・育成コストがかかったとしても、お客様が「またあの人に会いたい」と思ってくれるようなスペシャリストたちを、今後さらに増やしていく予定です。当社が目指す先は、今までになかったカルチャーを日本の街に根付かせ、人々のライフスタイルに影響を与えること。僕らが仕掛けたものが単に一時的なブームとなるのではなく、より多くの人にとって素敵なライフスタイルとなれば嬉しいです。 ■大学生へのメッセージ 学生時代、やりたいことが見つからないと悩む人は多いと思います。実際、僕自身もそうでした。でもある日考えたのが、もし成功するために100の知識が必要だとしたら、小さな1を100個持つことで、100のものを1つ持つ人と対等に戦えるということ。1×100も、100×1も、かけ算してしまえば同じなんです。それ以来、僕はやりたいことが見つからない自分を肯定的に捉え、“スーパーミーハー”に徹していくことに決めました。ぜひ学生の皆さんにも、好きなことややってみたいことはとことん突き詰めて、焦らず本能のままに生きていってほしいです。 学生新聞オンライン2024年3月12日取材 慶應義塾大学4年 伊東美優 慶應義塾大学大学院2年 賀彦嘉 / 津田塾大学1年 石松果林 / 慶應義塾大学4年 伊東美優

学生新聞インターン

IG証券株式会社 代表取締役 古市知元

型にはまらない、世界基準の投資機会を日本に届ける IG証券株式会社 代表取締役 古市知元(ふるいちともはる) ■プロフィール 札幌市出身。東京大学法学部卒業、シカゴ大学経営学修士。58歳。学生時代はドラムを叩いていた。長男と長女は今年、それぞれ大学と高校を卒業。日本企業2社、外資系企業2社の経営で過去最高の業績。採用面接は、する側でもされる側でも数知れず。休日は身体のメンテや散歩、読書、家族とまったり過ごすなど。 今年で創業50年を迎えるIGグループ。15カ国以上で使用されており、通貨の種類は100をも超える。圧倒的な銘柄数で世界標準の取引できることが強みであり、多様なユーザーへ海外資産を含む投資機会の提供を目指す。古市社長のこれまでのキャリアを伺いながら、IG証券としての展望についてお話しいただいた。 ■経営コンサルティングから企業経営者に移行した時代  東京大学を卒業しましたが、当時はいかに低い点数で単位を取るかなんてことばかりを考えて、就活もあまり意識していませんでした。特にやりたいことが決まっていたわけではなく、リクルートのパンフレットの最後のページに掲載されていた外資系コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニー・ジャパンを受けることにしたんです。1つだけ言うなれば、金融業界にだけは就職したくないと思っていました。当時金融業界はとても人気で、周りと同じようなことはしたくないと思っていたからです。まだ明確な道が見えていなかった私にとって、コンサルティングはやりたいことを決めなくてもいいと思い、入社を決めました。マッキンゼーには足掛け12年間勤めましたが、そのうち一年間はディズニーの日本子会社に出向し、売上予測2万本のビデオ作品を10万本売りました。もともと映画等に興味があったこともあり、とても楽しかったです。その後2年間はマッキンゼーを休職してシカゴ大学のMBAに留学しました。マイケル・ジョーダンを生で見たかったからというのも留学した理由の1つでしたが、ちょうど留学の直前に引退してしまいました(笑)。その後2年間はマッキンゼーに戻りましたが、会社経営を実際にやってみたくなり、人材紹介や派遣などの人材サービスで上場していたインテリジェンスという企業に執行役員として転職し、会社の急成長に立ち会いました。その後はサマンサタバサで取締役、GILTでは代表取締役として企業経営のキャリアを積みました。 ■IG証券との出会い 色々な会社を経験してきましたが、IG証券に入社したのは、声をかけてもらったことがきっかけです。ロンドンで最終面接を終えた後、空港へ向かうタクシーの領収書の裏にIG証券の広告があったことに縁を感じ、入社しました。学生時代から金融業界に特段興味があったわけではなかったのですが、人との巡り合わせの末、金融業界に入ったわけです。初めは絶対に行かないと思っていた金融業界でしたが、良い人との巡り合わせで出会うことができました。IGグループはアメリカやオーストラリアなど、15カ国以上に展開し、外国為替や株価指数、原油などのコモディティ、債券などの店頭デリバティブ商品を提供しています。2018年にIGグループのグローバルCEOが交代したことを受けて、日本を戦略市場として成長させようという動きとなって入社しました。私はこれまで経営コンサルティングや企業経営に携わってきたので、成長戦略全般にアプローチするよう求められました。当時はごく一部の限られた方がお客様でしたが、より幅広いトレーダーにも使ってもらえるようにマーケティングやサービスの改善などに取り組みました。 ■これからの投資・資産運用 日本は証券市場が独特で、特に本社のあるイギリスとは規制が全く違います。資産クラスごとに細分化されていたり、暗号資産の規制が異なっていたり。ただ、共通するのは、目まぐるしく変わる時代を生きる上でも、これからもっと多くの人にとって投資や資産運用が必要になることです。その中で大切なのが、型にはまったお仕着せの投資ではなく、自分で考えて投資方法を見つけることでしょう。もちろん、投資では失敗することもありますが、多くの人に機会を提供したいと思っています。世界に目を向けた資産運用や投資が当たり前になるように、日頃からチャンスを逃さない姿勢も大事ですね。今後の弊社の課題として挙げられるのが、SBI証券や楽天証券、DMM証券など業界トップを走る金融企業に対して、どのように戦っていくかです。日本以外の海外市場や、他社にはない金融商品にも力を入れているので、多様なお客さまのニーズに応えられるようにしたいです。あと、いまだ他社が気づけていないことに目を向けていくことが必要ですね。資金力に任せた、ただの力勝負ではなく、新しい商品やサービスなどに柔軟にチャレンジしていくことが弊社の強みだと思っています。 ■大学生へのメッセージ 成功する秘訣には私は主に2つあると思っています。1つは運です。運というのは、他力本願ではなく、伸びる分野を予測したり、良い人と出会ったりすること、努力を続けることで自然と引き寄せることができます。もう1つは、見通しです。これは社員にも聞いていることですが、今何をしているのか、それがどういうふうにつながるのか、先を考えて動くことです。学生のうちにやりたいことが決まっていなくても全然構いません。それが当然だと思います。でも、上手くいかなくても、他人や環境のせいにしないことが何より大事で、損得で動くのではなく、人のいいところを見つけるようにするだけで、見方が大きく変わります。偉そうに言える立場ではありませんが、大学生の皆さんにも、ぜひこれらのことを大切に頑張ってほしいですね。 学生新聞オンライン2024年1月23日取材 上智大学2年 白坂日葵  中央大学2年 前田蓮峰 / 上智大学2年 白坂日葵

コラム

テリー伊藤 コラムVol.21 ウサギとカメ貴方はどちら

慶應義塾長の伊藤公平氏が読売新聞のインタビューで、日米の大きく異なる価値観をユニークな着眼点で答えている。イソップ童話『ウサギとカメ』に於いて、日本では昼寝して怠けたウサギに比べ、たゆまずに進んだカメが主役とされている。「才能ではなく努力で勝つ」という話。一方米国では「なぜ足の速いウサギが遅いカメに負けたのか」「相手を見くびるな」という視点で語られている。つまりウサギが主役なのです。 欧米の競争社会は、優秀なウサギが主役となり国や経済を引っ張り、伸びる子は徹底的に伸ばし格差は気にしない。優秀なウサギが集まる環境整備が優先される。伊藤氏は競争が悪いと言っている訳では無く、日本が追いつこうとする欧米の競争社会は「日本になじむのか?」という疑問を呈したのだ。「慶応大学には多くの留学生が学んでいる。当初は貪欲な実力主義と思われた学生が、日本人学生と交わる度に学生証の受け取り方や買い物の仕方を教わり、順番を守るようになった。さらに感化され、後輩の面倒を見たり、日本人の英語論文のアドバイスも。空気を読んで和を保つ文化を身につけながら勉学に励むようになる。日本スタイルは『和を以て貴しとなす』(わをもってとうとしとなす)の精神、コツコツ努力する“カメ”の姿勢と感じました。一歩一歩階段を上り、気が付いたら誰よりも高い頂に立っていた“カメ”的な美学は日本の真骨頂。“ウサギ”が成功例とは限らないのです。」と語っている。 さすが伊藤慶応義塾長、将来を見据えた洞察力が素晴らしい。ウサギの視点で『ウサギとカメ』の競走を考えた事は今まで無かった。しかしこれからの実社会で予想される出来事は、カメをなめて不覚にも寝てしまったウサギが、負けを教訓に“反省したウサギ”となってレースに挑んできたら、我が日本カメ軍団は勝機を見出せるのか! 突然ですが私、いつも「不自由の中の奇跡」を考えています。文字通り、規制や不利な条件、環境のおかげで新しい文化や発明が生まれ、そこから日本は多くの産業を生み出した。小さ過ぎると酷評されていたが温暖化対策で見直さる軽自動車、短かいと言われた制服のスカート丈から流行した女子高校生のコギャル・ルーズソックス、暗い人と言われていたのに世界の主役となるオタク文化やアニメ・コスプレ。土地が広ければ生まれなかった回転寿司、カラオケBOX等。今やワールドワイドに愛されている日本の大発明だ。これらの成功のキーワードは「狭い」「ゴチャゴチャ」「何か変」、でも「楽しい」「面白い」。 そうなんです、世界が驚く新たな成功ビジネスはこんなところに隠れているかも。勿論、見つかったら後は“カメ”になって真面目に地道に頑張りましょう。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

株式会社雨風太陽 代表取締役 高橋博之

都市と地方をかきまぜて、持続可能な社会をめざす 株式会社雨風太陽 代表取締役 高橋博之(たかはしひろゆき) ■プロフィール 1974年、岩手県花巻市生まれ。青山学院大卒。 代議士秘書等を経て、2006年岩手県議会議員に初当選。翌年の選挙では2期連続のトップ当選。震災後、復興の最前線に立つため岩手県知事選に出馬するも次点で落選、政界引退。2013年NPO法人東北開墾を立ち上げ、地方の生産者と都市の消費者をつなぐ、世界初の食べもの付き情報誌「東北食べる通信」を創刊し、編集長に就任。2015年当社設立、代表取締役に就任。 誰もが毎日向き合う“食”。食材を調達する時、生産者の顔が浮かび、「ありがとう」と感謝できているだろうか。苦しい過去を乗り越え、政治の世界を歩む最中、東日本大震災で垣間見えた地方の限界。「都市と地方をかきまぜる」をミッションに、「ポケットマルシェ」などを運営する株式会社雨風太陽が目指す未来社会について、高橋代表に伺った。 人生とは思い通りにいかないものです。まず、私は大学2年生を3回やっています。当時、私の通っていた青山学院大学は、厚木駅からバスで約30分登った山の上にあり、3年生に進級すると花の都・東京の青山に出ます。私は進級できず「厚木返し」を2度味わいましたね(笑)。進級できなかった理由は、大学に通う目的を見失ったからです。高校までは親元で暮らし、当然のように学校へ通っていました。ただ、姉が知的障害者で「なぜ自分はこう生まれたのか、人は何のために生きるのか」などを、子供ながらに考えていました。そして、大学で上京して独り暮らしを始めると、その問いがドーン!と落ちてきたわけです。“自分は一体、何のために生きているのか”と。海外へ自分探しの旅に出ても何も分かりませんでした。次に、帰国後はテレビ局のバイトを始め、やがてジャーナリストを目指すようになります。就職活動では新聞社だけを狙い、全国紙から地方紙まで3年受け続けたものの、見事に全て落ちます。ESは100枚以上書きましたよ(笑)。当時の新聞記者は花形で、100人に1人しか通らない狭き門。なので、面接に通るための社会経験として、大学の先輩で国会議員の鞄持ちを始めました。この不埒な理由で始めた政治の世界が徐々に面白くなってしまった。そのうち、“俺がマイク持って前に立って話したい”という気持ちがポッと湧いてきたんです。世話になった故郷・岩手で、地元の同級生と同じ空見て同じ空気を吸って、話を聞いてもらいたい。そう思い、岩手へ帰りましたが、田舎の選挙は組織票が多く、若者が入り込む隙間はありません。岩手は、政治家・小沢一郎の牙城でもあるので尚更です。それで私は毎朝、住宅地の交差点や田んぼの畔に立ち続け、1年と数カ月後に晴れて当選しました。人生とはなかなか思い通りにいかないものです。あまり先を見すぎず、その時々の縁や出逢いを大切にしようと切り替えてからは、歯車が動き出し今に至ります。 ■震災が浮き彫りにした、地方の限界 雨風太陽を始めたきっかけも、出会い頭の事故でした。2011年3月11日に震災が起きた当時、私もすぐに駆け付けて被災地支援をする中で、また“リーダーになって震災を復興したい”という想いがポッと芽生えたのです。その志を胸に知事選へ出ましたが、落選。自然災害が浮き彫りにした社会課題は待ってくれないので、政治家を引退しました。そして、被災地の漁師町・三陸で、ある漁師と出逢います。彼は、「震災前からこの街は行き詰まっていた。魚を捕っても食べてもらえない。そこにトドメを刺されただけだ」と言いました。今は生産と消費が離れているので漁師の顔は見えず、スーパーでは値段を見て購入しますよね。消費者として合理的な行動である、費用対効果の最大化、すなわちできるだけ安いコストで多く得るという消費が地方生産者を追い詰めていた事に気付いたのです。さらに彼の過酷な漁師生活を知るにつれ、多少スーパーの魚より高くても、「彼の魚は彼の言値で買いたい」と思うようになりました。食べ物の裏にいる生産者が見えるようにすれば、適正な価格で売れる、すなわち生産者が報われる世の中になる。そう考え、生産者と消費者を繋ぐ情報誌「食べる通信」や産直EC「ポケットマルシェ」を始めました。 ■「都市と地方をかきまぜる」 雨風太陽の事業は主に3つあります。1つ目は、「ポケットマルシェ」という食のサービスです。現在、全国8,100人の生産者様、73万人のユーザー様に登録して頂いているオンラインマルシェで、分かりやすく言うと“メルカリの一次産業版”です。「ポケマル」も、スマホ一つでやり取りでき、自分で価格を決める事ができます。2つ目は、「親子地方留学」という旅行サービスです。故郷がない人も増えているので、夏休みに帰る故郷がない親子が地方へ来て、親はワーケーションをし、子どもは農家で農業体験をするなどのプログラムを展開しています。3つ目は、自治体支援サービスです。地方自治体は今、“課題のデパート”と言われていて、過疎高齢化はじめ様々な課題を抱えています。そこで現場と繋がりを持つ我々が、地域の生産者様に直販や配送の仕方を教えたり、ワーケーションプログラムを造成したりするなど、自治体の底力が上がっていくよう生産者に寄り添った支援をしています。この雨風太陽の主軸である3事業全てに一貫しているのが「都市と地方をかきまぜる」という考え方です。現代の都市では、東京一極集中が起因して、様々な生きにくさや生活環境の悪さなどの問題が発生しています。一方、地方は人が少なすぎることに起因して担い手不足などの問題を抱えています。つまり、“かきまぜる”とは、「都市の活力を地方に、地方のゆとりを都市に」という意味です。都市の方は都会にいながら地方の旬の食材を購入して食べ、夏休みはまるで里帰りするように子どもを連れて自然体験をしてもらうことで時折ゆとりを感じ、地方の方にとっては全国各地から来てもらい適正価格で購入してもらうことで活力に繋げていきたいですね。 ■“間”を大事に、つながり育む「産直SNS」 ポケマルは単なる産直ECではなく、人間関係が生まれる「産直SNS」です。具体的な生産者と消費者の顔が見える双方向取引は、「ありがとう」が生まれます。例えばポケマルでは、「海から発送したよ」など、発送完了の連絡をいれることをルールとしています。今までスーパーでしか購入経験が無い人は驚くわけです。さらに農家は、住所と名前、先月も購入してくれたことを覚えていたりすると、購入者へのメッセージで「先月も買って下さり、今月もありがとうございます」と10秒間の手間をかけて送る。この手間はかけなくてもいいけど、かけようと思えばかけられる。手間と時間には“間”という字が入っていますよね。“人の間”と書いて、人間です。お客さんとの間に手間と時間をかけると、人間関係が生まれるのです。人間関係が生まれてインスタも繋がると、益々相手のことを知ります。ある農家さんは、赤ちゃんが生まれたばかりの家庭だと知ると、注文が入っていないにも関わらず、出産祝いとしてリンゴを送ったりしています。まるで田舎の親戚のオッチャンのようです(笑)。買う側にしたら、都会住みで故郷も無く、いつもリンゴを買っていたオジサンからプレゼントされたら、もう離れられません。そして、この農家が銀座のアンテナショップで催事を開くと、子供の顔を見せに行くわけです。めちゃエモくないですか(笑)? 同様の仕組みを持つ競合サービスもありますが、このような「生産者と消費者の距離」がポケマルのユニークポイントです。我々はサービスFAQで“間に入りません“とあえて記載し、生産者と消費者だけの直接的でクローズドなやり取りも認めています。これは、代金を払うから直接売ってくださいという、中抜きリスクに繋がる可能性がある。しかし、そのリスクよりも双方向に繋げたことで生まれるエンゲージメントを優先しています。エンゲージメントが高まると、人間関係が生まれ、長期で購入してもらうことができる。また、生産者の売る力も上がります。マーケティングの一番地とは「お客さん」を知ること。お客さんと直接つながると時には厳しい事も言われますが、それは自分の生産や販売における欠点です。その声をしっかりと反映し、改善していく生産者は、確実に売る力をつけていく。ひいては持続可能な社会に繋がるのです。 ■「関係人口」を増やし、都市も地方も元気に 2050年に日本国民は1億人を下回ると言われていて、今から2千万人以上いなくなります。そこで、極端に言えば、2050年までに日本国民全員が2ヶ所に住民票を持ち、都市と地方を往来するようになればどうでしょう。住民票を持ち、主体的に地方に関わる人、すなわち「関係人口」が増えれば、国全体の活力は増すと考えています。まずは3つのサービスを通じて、地方に関わる人の“量”を増やすことを目指しています。つまり、都会から地方へのパスポートを沢山の人に渡して、どんな形であれ地方に関わる人を増やしていきたいですね。また、1つの企業で出来ないことは、大企業さんと進めています。例えば、日本航空さんは、地方が廃ると運ぶ人がいなくなるため、地方を元気にしたいが術はない。一方、我々は都市と地方を往来する人が増えてほしいけれども、交通手段を持っていない。そのため我々は包括業務提携を結び共に協力しています。そして、同じ志を持つ仲間も募集しています。都市と地方をかきまぜて、持続可能な社会を共に作っていきましょう! ■大学生へのメッセージ 出会い頭の事故は、外に出ないと起きない。以上!(笑)。思いがけず出逢ってしまって、思いがけずその出逢いによってポッと芽生えてしまう、これは本当に大事なことです。家の中でスマホを眺めていても、出会い頭の事故は起きません!とにかく外に出て、面白そうだなと思ったら何も考えず、まずは体験してみることが大事だと思います。 学生新聞オンライン2024年2月27日取材 専修大学 4年 竹村結 / 玉川大学 1年 川口英莉 明治大学大学院 1年 酒井躍/玉川大学 1年 川口英莉/専修大学 4年 竹村結

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株式会社FS.Shake 代表取締役社長 遠藤 勇太

普段の食事に「楽しい」という付加価値を加えて、提供する。 株式会社FS.Shake 代表取締役社長 遠藤 勇太(えんどう ゆうた) ■プロフィール島根県安来市生まれ。松江工業高等専門学校卒。いったん大手飲食チェーンに就職するも、1年半で退職。改めて、料理を勉強するため上京し、「服部栄養専門学校」に入学。その後外食企業を何社か渡り歩き、2013年1月、創業。 首都圏を中心に、安くて美味いで大成功している居酒屋とりいちず。今期の年商は約80億、店舗数も今年中には100店舗を目指しており、その進化は止まる所を知らない。とりいちずをはじめ、様々な業種で食事の楽しさを提供する株式会社FS.Shakeの遠藤社長に他の追随を許さない「安くて美味い」を実現する秘訣について伺った。 自分で言うのもなんですが、学生時代はそれなりに頭が良かったんです。でも、島根県にある5年制の松江工業高等専門学校という学校に通っていたのですが、4年で中退しました。3年の時に白木屋で始めたアルバイトがとても楽しくて、学校に行かなくなったんです。しかし、20歳で白木屋に就職するも、すぐに辞めてしまいました。その時に親から「学校に行けば?」と言われて上京を決め、服部栄養専門学校で1年学んだ後、料亭に就職しました。でも、そこも結局1年で辞め、会社を転々として、外食計画株式会社で5年半働いたのちに独立しました。独立を決めたきっかけは、料理長として自由に仕事させてもらう中で、「もっとこうしたい」という欲が出てきたから。でも、経営について意見をいっても、なかなか聞いてもらえないことも多く、「だったら、自分で起業した方が良いな」と思うようになりました。ただ、この時に自分なりに研究して水炊きを作った経験が、今のとりいちずのコンセプトにつながっています。 ■とりいちず成功の要因はここにある。勇気ある経営で店舗を拡大 とりいちずを創業したとき、当初はなかなか苦労しました。半年間ずっと赤字でしたから。最初は運転資金200万円で起業したんですけど、どんどん現金が減っていくのは怖かったです。その時にターニングポイントになったのが水炊きです。当時はまだ珍しかったこともあったのか、水炊きを導入してから爆発的に売り上げが伸び、なんとか黒字化することができたんです。その後、2期目も何とか黒字にして、3期目でやっとお金を多少借りられるようになったので追加で3店舗を経営しました。さらに4期目からはもっとお金が借りられるようになったので、黒字化して全額出店にぶち込むのを繰り返して、今12期目に達しています。今期はこれまでで最多の30店舗くらい出す予定です。もちろん出店はギャンブルではないので、居抜きで出店するなど、コストをなるべく減らすことでリスクヘッジをしています。それでも僕みたいに借りられるだけお金を借りて、出店につぎ込むタイプの社長は、それほど多くはありません。事実、僕の周りは手堅く、慎重に出店するタイプが多いです。ただ、僕の場合は、「100店舗100億円にする」という目標があるので、最短で達成するには今のやり方でいくしかないと思っています。今はもんじゃとシーシャも合わせた3ブランドを経営していますが、単一ブランドで100億はなかなか厳しい時代なので、他の業態も持っていることがFS.Shakeの強みだと思います。 ■衝撃的な安さと美味さを実現するための工夫 今の若者はよく「酒離れしている」と言われますが、僕はそうは思っていません。単に「ビール離れ」だと思っています。今のとりいちずは生絞りレモンサワーを150円で提供することで、他のお店とは違うインパクトを出せるようにしています。ドリンクの安さに加えて、お通し代を取らないことで他社との差別化をはかっています。お酒が安い店にありがちなのが、お通し代が割と高くて、会計時に「意外と高かった」と感じてしまうことだと思います。そんな感想にならないように、なるべく会計の時にギャップが起きないようにして、「また来たい」と思ってもらえるよう心がけています。味の面でも、もともと僕が料理人だったので、他の激安チェーンよりも美味しい料理を、自信をもって提供するようにしています。「美味しい」と「安い」を同時に実現するには、ロスを少なくすることが大事です。ロスが限りなく抑えられて、管理もしやすい鳥を使用することで成り立っていますね。原価率がそれほど高くないものを、お得に見せるように工夫し、お客様が喜ぶメニュー設定をしています。 ■「とりあえずやってみる」という社風で、お客様に寄り添う店づくりを 働き方については、常に気を付けています。飲食業はもともと連休が取れない有休がとれないブラックな業種だったので、創業したときに、「従業員に連休をとってほしい」と休暇を取りやすいシステムを作りました。アルバイトの子達にも、「将来ここで社員として働きたい」と思ってもらえるような会社作りをしています。あと、とりいちずが若いお客様をターゲットにしている分、何を求めているのか意見を言ってくれる学生と働けるといいなと思います。実際に、その声を受けてお店に導入したのが、大盛りポテトと生無し飲み放題です。これは、お客様の声を生で聞いている社員からの要望で始めたのですが、想像よりも大きな人気を集めました。このように、自分たちにできそうなことはとりあえずやってみることを大事にしています。また、会社としては、目標だった年商100億が見えてきていて、来期には達成できそうです。その次は、海外展開を考えていて、東南アジアのフィリピンやベトナムに展開していきたいです。これらの国は平均年齢も若く、発展途上なので、「こういう店が欲しかった」というニーズに当てはまればブランドとして強く成長していけるのではと思っています。 ■大学生へのメッセージ 自分にとって楽しいことや面白いことをやればいいかなと思います。「こういうことをしておいた方がいい」というのはありません。楽しいことが正義なので、学生にしかできない楽しいことをしてください。遊びでもサークルでも全力で楽しんでほしいです。なんでも全力出していたら、結局は仕事でも出せると思うので。僕はバイトに全力で取り組んだ結果、いまのような職業につくことになりました。皆さんにも、学生時代のうちに、何かを全力で楽しむ体験をしてほしいですね。 学生新聞オンライン2024年3月6日取材 上智大学2年 網江ひなた 武蔵野大学4年 西山流生/慶應義塾大学大学院2年 賀彦嘉/共立女子短期大学2年 猪本玲菜/上智大学2年 白坂日葵/上智大学2年 網江ひなた

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Square エグゼクティブディレクター 野村亮輔

スピード感ある決済システムで、中小企業の成長力を支えたい Square エグゼクティブディレクター 野村亮輔 (のむら りょうすけ) ◾️プロフィール NTTデータでリテール業界のDX戦略立案を担当。Apple JapanではApple Payの事業統括責任者として、ユーザー獲得や新規事業に携わる。2022年に参画したSquare株式会社の取締役として事業戦略統制を図り、決済プレーヤーとのパートナーシップ機関を管掌する。米ダートマス大学で経営学修士(MBA)、早大法卒。 誰もが販売や決済を手軽に始められるよう、商取引に必要なツールを取りそろえているSquare。同社のエグゼクティブディレクターの野村亮輔さんは、弁護士を目指して大学へと進学したが、学生時代は「大学の外での学び」こそが人生を変えたという。そんな野村さんに、今回はご自身の学生時代から事業にまつわるお話を伺った。 ◾️中小企業の事業を成長させたい  弁護士になりたいという夢があったので、大学は早稲田大学法学部へと進学しました。しかし、いざ入学してみると、大学内より大学の外で得た経験が、いまに繋がっていると感じています。  当時から洋服が好きで、よく原宿など買い物に行っていた過程で入手したものをオンラインオークションサイトなどを利用して国内外に販売していたのですが、時に購入価格よりも高い金額で売れることがわかりました。そのような過程で、手に入りにくさや、良いものなのに知らなかった、といったギャップをうまく掴めばそれが金銭的価値となり、それを繰り返すことで規模も信頼も膨らみ商売というものが生まれるのだということを実体験で学びました。また、それまでは良い大学に入って良い会社に入ることが一般的な進路だと考えていましたが、人々が支持するファッションブランドのデザイナーが必ずしもそういう進路をとっているわけでもなく、「実は世間一般的に良いと言われるものに囚われたりこだわったりする必要がないのだ」と気が付いたのです。  この気付きが人生の分岐点となり、弁護士を目指すことよりも世の中で自分自身が面白いことをやりたいと強く思うようになりました。就職活動も様々な業界に挑戦し、最終的にはNTTデータという会社に入社しました。入社した理由は、すでに成長した会社より、これから成長する会社で活躍する方が面白いと感じたから。また、この会社なら自分の得意な英語を生かせるのではと思ったのも理由です。  入社して、ビジネスサービスの提案をする営業をしていく中で、「与えられた仕事こなすことより、自分で戦ってシェアを獲得する方が面白い」と感じました。そして、一つの会社にとどまらず挑戦の幅を広げていきたいと考え、Appleを経て、2022年秋からSquareに入社しました。  Squareを選んだ理由はいくつかありますが、最大の理由は「中小企業の事業を成長させたい」という想いです。Apple在籍時、私はApple Payなど支払い側に向けたサービスを担当していました。しかし、これらのシステムは、事業者向けのイノベーションが少ないと感じていました。また、大手企業に比べて、中小企業やこれから新規で事業を始める方にとっては、決済サービスの導入は、コストへの懸念やリスクが大きく、導入をためらう会社も少なくありません。でも、決済サービスを中小企業がもっと効率よく安く導入できれば、成長する可能性はもっと高くなるはず。その手伝いをしたいと思ったことから、決済サービスを軸にさまざまな商取引に必要なツールを提供するSquareを選びました。  Squareの事業の魅力は、キャッシュレスの決済サービスを、決済手数料のみでスムーズに受けられる点にあります。他に隠れたコストがないことも特長です。登録はオンラインで全て完結する上、最短で申し込み当日から決済が可能になります。売上金も最短で翌営業日に入金されます。スピードが速ければ速いほどに事業を早く回せるので、中小企業の方々が事業を拡大する上で、大きなアドバンテージになると思います。たとえば、中小企業の方々がポップアップストアなどを出す際、施設を作るだけで手いっぱいになってしまい、決済の準備は後手になりがちです。スピード感があるからこそ、そうした最後の局面にすぐ使える決済手段として活用できるのが、Squareの強みだと思います。 ◾️これからもSquareが成長するために  Squareは、どこまでも事業者の目線に立ったサービスでありたいと思います。弊社は大手企業ではなく中小企業を中心に展開しているので、大手とは違うニーズがあります。それに対してどこまで親身になれるか、プロダクトの値段以上の付加価値も届けるかを常に考えています。一番望んでいる在り方としては、弊社の存在がお店全体の雰囲気作りにつながることです。理想をいえば、「Squareをお店に置くとなんかかっこいいよね」と言われるようになりたいです。  なお、Squareが求めるのは、自分の考えを持ち、さらにそれを体現したいとチャレンジできる方々です。弊社はフラットで年齢問わず発言でき、その意見を届けられるような環境です。発言内容がしっかりしていれば、その人の声は大きくなり、会社全体の大きな流れになります。そんな方が増えることが、会社として強くなる必須要素だと思います。 ◾️message  「お金持ちになりたい」などの願望があったとしても、焦らず、まずは好きなものを本気で取り組んでほしいです。アルバイトでも、遊びでも、趣味でも何でもいいのですが、やるなら本気でやることが大事だと思います。また、自分はなぜそれに打ち込むのか、何が好きなのか、それによって何を目指したいのかを常に考えながらやることで、大きな学びに繋がります。  そして、勉強はぜひ続けてください。ただ、勉強といっても座学だけをイメージしないでほしいです。私は学生時代に服を探す中で、自分なりの商売に対する定義の発見につながる経験をしました。最後に、一般的に良いと言われている概念には囚われないこと。今後、お金の稼ぎ方や生活様式は様々な形が誕生するはずです。多様性のある社会だからこそ、人に言われたものをやるのではなく、自分の信じるものを貫いてほしいです。 学生新聞オンライン2024年1月26日取材 日本大学2年 米満光里 慶應義塾大学4年 伊東美優 / 國學院大學1年 寺西詩音 / 上智大学2年 白坂日葵 / 日本大学2年 米満光里 / 武蔵野大学4年 西山流生

イベント・企業紹介

「アンメット ある脳外科医の日記」制作発表記者会見

来週4月15日(月)にスタートするカンテレ・フジテレビ系月10ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」制作発表記者会見が7日に行われた。本作は講談社「モーニング」で連載中の漫画「アンメット-ある脳外科医の日記-」(原作:子鹿ゆずる/漫画:大槻閑人)を原作に、杉咲花演じる“記憶障害の脳外科医”の主人公、川内ミヤビが、目の前の患者を救い、自分自身も再生していく医療ヒューマンドラマである。 制作発表会見には主演の杉咲花さんをはじめ、若葉竜也さん、岡山天音さん、生田絵梨花さん、千葉雄大さん、吉瀬美智子さん、井浦新さんが登場。様々な想いを持つキャストのみなさんに今の心境や撮影現場でのエピソード、裏話について伺った。 ■撮影はいかがでしたか? 杉咲さん:今日までアンメットに関わる方々と何百時間と作品に向き合ってきたと思うと、非常に感慨深いものがあります。昨年脚本家の篠﨑さんにお会いし、作品に対する想いを伺い、川内ミヤビを演じることを決めました。撮影現場は非常に和気藹々としていて、毎日撮影現場に行くのが楽しみでした。それでも、本番になるといい緊張感があって、とんでもなく素敵なシーンがたくさん収められた作品になっています。放送が近づいてきてなんだか息が速くなるような気持ちです。 若葉さん:米田プロデューサーの熱い想いに応えたいと思い、今回演じさせていただきました。それに杉咲さんからも「やるよね?」と直接電話をいただいたので、やろうと思いました。 杉咲さん:三瓶先生役は若葉さんしかいない!と思って、気付いたら電話していましたね(笑)。 井浦さん:作品や役に一人ひとりが真正面から向き合っていて、最年長ですが、自分も緊張していましたね。みんな様々なジャンルの第一線で活躍している方々で、千葉君以外はほぼ初共演の方だったこともあり、いい緊張感をもって作品に挑むことができました。 吉瀬さん:今回の作品は早めにオファーをいただいたので、髪を伸ばして原作に見た目を寄せようと意識しました。”安全の鬼”と言われる役を演じたのですが、自分自身も真面目で緊張してしまうタイプなので、演じる津幡玲子と通ずる部分がありましたね。 生田さん:私も緊張するタイプなんですけど、カメラが回っていないところでスタッフさん含め演者のみなさんとコミュニケーションをとる時間を作っていただいたので、周りに鼓舞されながら頑張ることができました。 岡山さん:最初の撮影が生田さんとの二人のシーンだったのですが、現場の隅っこの方に杉咲さんが来ているのを見つけて、一気に芝居が固くなりました(笑)。座長パンチを食らいましたね(笑)。座長として忙しいスケジュールの中、自分の出演シーンがないのに現場を見に来てくれて、自分も頑張ろうと思いました。 杉咲さん:共演者のみなさんのクランクインも見届けたいなって気持ちでしたから。とても素敵なシーンだったので、自分も気合いが入りましたね。 千葉さん:医療ドラマをがっつりやるのは初めてだったので、実際にお医者さんの方々にたくさん指導していただきました。個人的には、「熱いムードメーカー」という役柄を何度も唱えられるのが少し恥ずかしかったですね(笑)。撮影現場では、杉咲さんの屈託のない笑顔が空気を和ませてくれましたね。 ■現場で流行っていたことは? 若葉さん:吻合(ふんごう)練習ですかね? 杉咲さん:流行ってたの?(笑) 若葉さん:血管の吻合シーンは入念に練習して撮影に臨んでいました。吻合練習はだいぶホットな話題ですね。本番は実際に杉咲さんが疑似血管を吻合したんですけど、医療指導のお医者さんが度肝を抜かれるくらいでしたよ。杉咲さんの一生懸命さがみんなのいい刺激になっていました。僕は吻合のシーンないんですけどね。 千葉さん:僕も以前から吻合の練習をしてるんですけど、若葉さんも空いてる時間に吻合してましたよね。 杉咲さん:そうなんですよ。困ったことに若葉さんはコツを掴むスピードが本当に早くて。私はすごく時間をかけて吻合の練習をしたのに「ちょっと貸して」って言われて貸すとすぐできちゃったんですよ。やめて欲しいですね(笑)。 ■杉咲さんからのメッセージ 私は昨今生きていて、世の中不安なことだらけだなと感じますし、同じように感じている方も多いのではないかと思います。でも、自分が恐怖に感じることや苦手なことを、そばにいる人が理解してくれようとしたり、想像してくれるだけで、自分をもう少しだけ受け入れてみようと思えたり、明日のことを考えてみようと感じられると思うんです。「アンメット」は直訳すると「満たされない」という意味ですが、そんなふうに光で包み込めるようなドラマになったら嬉しいです。アンメットに関わる全ての人は、血のにじむような日々を過ごし、いい作品のためなら険しい道を進んで選ぶような方々です。こんな気概のある現場で、一緒にものづくりができていることに幸せを感じています。様々なドラマがあると思いますが、その中でも指折りの傑作になってくれたらいいなと思います。みなさん、期待していてください。 学生新聞オンライン2024年4月7日取材 中央大学3年 前田蓮峰記事構成:上智大学3年 吉川みなみ 『アンメット ある脳外科医の日記』【放送枠】2024年4月15日スタート 初回15分拡大 毎週月曜よる10時(カンテレ・フジテレビ系全国ネット)【出演】杉咲花 若葉竜也 岡山天音 生田絵梨花 山谷花純 尾崎匠海(INI) 中村里帆 ・ 安井順平 野呂佳代 千葉雄大 ・ 小市慢太郎 酒向芳 吉瀬美智子 井浦新【主題歌】あいみょん「会いに行くのに」【原作】子鹿ゆずる(原作)・大槻閑人(漫画)「アンメット-ある脳外科医の日記-」 (講談社「モーニング」連載)

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現役女子高生プロゴルファー 清本美波 

トライ&エラーを繰り返し、自分に最適な方法で勝利をめざす 現役女子高生プロゴルファー 清本美波 (きよもとみなみ) ■プロフィール父の影響で6歳からゴルフを始める。2018年「全国中学校ゴルフ選手権春季大会」優勝。21年「樋口久子 三菱電機レディス」では18位でローアマタイトルを獲得した。23年のプロテストにトップ合格。好きなゴルファー、憧れはタイガー・ウッズ。身長153センチ。好きなクラブは8番アイアン強気のパッティングが長所。 2023年、現役高校生でありながら、ゴルフのプロテストをトップの成績で合格し、今後の活躍が期待される清本美波選手。当初、ゴルフは「遊び感覚で始めた」というが、いつしか本気で向き合うようになり、プロゴルファーへと転身。そんな清本選手にゴルフの魅力や今までの経験を伺った。 これまで様々なスポーツに触れてきましたが、一番継続できたスポーツがゴルフだったんです。たとえば、幼稚園の頃は、毎週金曜日にダンスを習っていましたが、なかなか楽しめず、2年ほどしか続きませんでした。ゴルフに出会ったのは、6歳の頃。きっかけは、父の会社でのコンペです。私自身は付き添いで参加したものの、ゴルフを初めて経験しました。以来、父と一緒にゴルフに行くようになったのですが、当時はプロになりたいという想いはなく、公園に遊びに行く感覚でゴルフをしていました(笑)。でも、小学3年生の頃から、プロゴルファーになることを本気で目指すようになりました。以来、毎日ゴルフをすることで、ますます「自分にはゴルフしかないな」と思い、練習への真剣度が高まっていったと思います。今は試合で思ったようなパフォーマンスができなくても、雰囲気を楽しみながら、最初から最後までやり切る事や、全力で楽しむことを大切にしながら、ゴルフを続けています。 ■家族の全力サポートのおかげで今がある 高校2年生の終わり頃に一度だけゴルフを本気で辞めたいと思ったことがあります。それまでは感じたことがなかったのですが、ラウンドの第一打目であるティーショットを打つことが怖くなってしまったのです。前に進めない恐怖から、本気で「無理だ」と思いました。私は父に「克服できる自信がない」と告げたところ、父が「失敗を恐れなくていい。大切なのは、挑戦をし続ける事、すぐには難しいと思うけど家族で一緒に乗り越えていこ」と言われ、これまでサポートしてくれた父の想いを感じて、心にあったもやもやが吹っ切れました。ただ、そんな経験をしたからこそ、「どうせ辞めるならプロテストだけ受けてみよう。そして受けるなら本気で挑もう」と考え、気合を入れなおし、練習を頑張りました。現在でも、家族全体が私をサポートし、ゴルフ中心の生活をしてくれているので、「頑張らなくちゃ」と思うことが多いです。また、試合で勝った時の楽しさや嬉しさも、ゴルフに真面目に取り組むモチベーションに繋がっていると思います。 ■大切なのは技術力と分析力 本格的にプロゴルファーを目指すと決めてから、トレーニングを始めたり、コースのマネジメントを考えたりするようになりました。芝の深さや自分自身の体調、ピンから逆算した距離など、技術だけでなく、どう攻めていくかの戦略立ても意識しています。また、ミスした時に備えて、ミスした時でも焦らずに進めるように、いくつか対応パターンも考えておきます。その結果、後悔が生まれるようなミスが減り、ミスをしても戦略があるので、焦らずに試合を続けることができます。個人的な課題としては、目の前にあるものを狙いすぎてスコアを落としてしまうことが多いので、色々な人のプレーを見たり、先輩から話を聞いたり、人と自分の何が違うのかを考えて分析する習慣をつけています。2023年のプロテストの時期、自分のパワーがボールに伝わるフォームにこだわり、ひたすら練習していました。その結果、690人が受けた中でプロテストをトップ通過できました。独特な雰囲気のなかでも堂々と落ち着いて自分のプレーができていたと思います。私は周りと自分を比べてしまう癖があるのですが、周囲を見ずに最後まであきらめず頑張ったことがよかったのかもしれません。そして、父の助けも大きいです。父はゴルフをしませんが、ゴルフゲームやゴルフ観戦が好きで、ゲームや観戦で学んだことを熱心に教えてくれます。実際プレーしないため知らないがゆえに無理を言うこともありますが、先入観がないからこそできる提案があり、それにチャレンジできることがスキルアップに繋がっていると思います。 ■リフレッシュがあるからこそ頑張れる 高校生活とゴルフを両立させることはとても大変です。朝から学校に行き、一日勉強して帰宅したら、軽い練習をします。そして、夕飯の後に毎日練習場に行き、ゴルフ練習に打ち込む日々を送っています。週3回程度はトレーニングに行き、体幹やウエイトを中心的に鍛えています。そんなゴルフ中心の生活をしていますが、休日に友達とテーマパークに行ったり、遊んだり、好きなコスメやスキンケア用品を集めたりします。この楽しみがリフレッシュとなり、「よし、ゴルフを頑張ろう」いう気持ちになります。 ■私が思うゴルフの魅力 ゴルフの魅力はいくつかありますが、なかでも色々な人と交流が出来ることが大きいです。ゴルフのおかげで、全国各地に友達が増えました。全国大会でしか会えない友達もいますが、「一緒に全国行こうね」と、お互い切磋琢磨しながらゴルフに取り組めています。また、ゴルフは個人スポーツなので、コースに対しての戦略を自分で分析する面白さがあります。トライ&エラーを繰り返して上達が見えた時や、戦略的に動けた時のやりがいも魅力だと思っています。将来、私はタイガー・ウッズのようなスター性の溢れる選手になりたいと思っています。ゴルフのプレーや技術はもちろん、人間性でも立派な人になりたいです。 ■大学生へのメッセージ 日々、私のことを応援してくださっている方々に感謝しています。InstagramのDM等でメッセージを頂くことも多いですが、そのおかげで頑張れているのを実感しています。この気持ちを忘れずに、「2028年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを取る」という目標に向かって、頑張っていきたいです。 <お父様 清本宗健様よりコメント> 私は海外の試合をよく見ますが、ギャラリーと選手が一体となって盛り上がったり、感動が得られたりする点が、ゴルフの魅力だと感じています。娘はとにかく気が強く、悔しさを糧に頑張っているのがよく伝わってきます。それが、娘の強みであり、魅力です。今後、娘には見ている人を惹きつけ、感動を与えられる人になってほしいと思っています。 学生新聞オンライン2024年2月14日取材 共立女子短期大学2年 猪本玲菜 武蔵野大学4年 西山流生 / 清本宗健 / 共立女子短期大学2年 猪本玲菜 / 清本美波 / 上智大学短期大学部2年 大野詩織

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一般社団法人日本飲食業経営審議会 代表理事 高橋英樹

飲食業の未来を守るため。国や政治家に、自分たちの声を届ける。 一般社団法人日本飲食業経営審議会 代表理事 高橋英樹(たかはしひでき) ■プロフィール1970年、福岡県生まれ。15歳から大阪の飲食店で修業し、24歳の時に有限会社夢笛コーポレーション設立のため、先代社長とともに広島の福山へ。34歳で会社を引き継ぎ同社代表取締役に就任。2008年から2年間はNPO法人居酒屋甲子園の二代目理事長も務めた。2021年11月、コロナ禍で甚大なダメージを被った飲食業界を立て直すべく業界団体「日本飲食業経営審議会」を設立し、代表理事に就任。飲食関連の48団体が加盟する一般社団法人日本飲食団体連合会の専務理事も務め、日本の飲食業界が抱える課題解決に取り組んでいる。 飲食業界の声をまとめて国に届けることでルールから変えていくため、48団体が所属する日本飲食団体連合会。どのような経緯で日本飲食団体連合会が立ち上がったのか。また、団体の目指す未来とは。日本飲食団体連合会の専務理事であり、日本飲食業経営審議会の代表理事である高橋さんにお話しを伺った。 ◾️たった一つの出会いが人生を大きく変える 人生は、時に予期せぬ分岐点から導かれるもの。私の人生も、高校時代の偶然から始まりました。小学生時代からサッカーが好きだった私は、大学生までサッカーを続けたいと思っていました。しかし、いざ入学した高校ではラグビー部しかなく、学校に行く目的を見失ってしまいます。失意から、高校はわずか3か月で中退してしまい、小学生からの夢だった教師への道も遠ざかりました。しかし、そこで出会ったのが飲食の世界です。当時始めた居酒屋のアルバイトが楽しくて、サッカーからアルバイトに好奇心の矢印が向くようになりました。その後、中卒だった私を唯一雇ってくれた居酒屋さんとの出会いから、私の人生は大きく変わっていきました。 その後も、大きな人生の分岐点が4つありました。 1つ目は仕事の意識の変化です。16歳のとき、居酒屋で働き始めたものの、私は常にさぼっていました。365日中360日働いていたものの360日遅刻していましたから、やる気のなさがよくわかるはず(笑)。ですが、16歳のときに、一人の先輩が「このままでいいのか?」と諭してくれました。その言葉がきっかけとなり、「どうせならちゃんとやろう」と考え、板前の世界に入ることを決意します。 2つ目は20歳のとき、中卒だった私を唯一雇ってくれたお店の専務からの声かけです。当時、私は板前をめざし、神戸の料亭で働いていました。すると、最初に雇ってくれた居酒屋の専務から、居酒屋の店長をしないか?という話をいただきました。専務への恩もあったので、板前の勉強を中座して大阪に戻りました。大阪に戻ってからは店長として3店舗かけもちして働きます。初の店長職でしたが、3店舗の売上はすべて前年比を超えることができました。特別なことをしたわけではなく、挨拶や店をきれいにするなど当たり前のことをしただけです。そこで私は当たり前が実績を作ることを学びました。 3つ目は、34歳で社長になったことです。3店舗の店長を始めてから3年後、15歳の時に私を面接してくれた人が「広島で開くお店の総料理長としてこないか」と声をかけてくれました。いい経験になるだろうと思った私は総料理長として入り、店長、マネージャーを経て10年がたったころには営業部長になっていました。お店は6店舗になっていたものの、自分の将来を考え、「独立するならいまだ」と会社を辞める決意をします。辞める表明をしたものの全店舗の店長が「私が辞めるなら辞める」と言ってくれたため、MBOで会社を買い、34歳で社長になりました。 4つ目は、大嶋啓介さんとの出会いと日本飲食団体連合会の立ち上げです。まず、「居酒屋から日本を変えよう。居酒屋業界を元気に」という思いで、大嶋啓介さんと日本一の居酒屋店を競い合う、居酒屋甲子園を立ち上げました。居酒屋甲子園を通じてロマンをひたすら追いかけることはできましたが、そろばん部分、すなわち収益構造を改善していかないと業界が変わらないことにも気づかされました。居酒屋甲子園引退後はFC、ブライダルなど自分の事業を拡げていきました。コロナ禍において、政府の方針に従わざるを得ない状況の中、さまざまルールが変わっていき、飲食業界の声が届いていないことをとても痛感しました。しかし、そうした飲食業界の声がまとまることで政府や国に届くのです。正攻法で政治家の人と対話をできるきっかけが必要だと感じた私は、飲食業界の団体をまとめようと決意します。そこで48団体が所属する日本飲食団体連合会を立ち上げました。 ◾️生の声を国に届ける。ルールが変わることで未来も変わる。 飲食業界では東京と地方の差も大きく、地方を助けなければと思い、食団連の地方支部の1つとして、日本飲食業経営審議会も立ち上げました。食べる食文化と職人の文化を未来に繋ぎ、文化的価値の向上と金銭的な価値を向上させる。これが食団連の目指すビジョンになります。そのためにもルールが必要です。ルールを作るための団体でもあり、ルールを学ぶ団体として食団連があります。飲食業界の健全な価値観を作るためにも実際に政治家の方との勉強会を開催したりなどしています。政治家だけでなく飲食業界にも訴えていく動きも必要です。労働者の7パーセントは飲食業界で働いています。だからこそ働いている人たちが報われるように、飲食従業者の未来を作ります。飲食で働いている人たちが誇りをもって働けるように。それは1000円の居酒屋でも同じです。飲食業界の明るい未来を、食団連を通じて創り上げていけたらなと思っています。 ◾️message 私が子どもに伝えているのは、嘘をつかないこと、命を大事にしてほしいこと、兄弟力を合わせることです。また、素直さも大切です。素直さとは人を否定するのではなく、肯定的な態度をもち、笑顔になる思考です。ポジティブに物事を変換できるだけでも大きく変わってくると思います。このことは会社でも一緒です。そして、会社は守ってくれません。会社に期待するのではなく、常に自分の意志で考えながら動いてください。意思のない歯車ではないのですから。 学生新聞オンライン2024年3月4日取材 法政大学3年 島田大輝 法政大学  3年 島田大輝 /慶應義塾大学大学院  2年 賀彦嘉/東洋学園大学 3年 石原秀真/武蔵野大学 4年 西山流生

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マルコメ株式会社 代表取締役社長 青木時男

発酵の可能性を信じて、「世界初」の商品開発に挑む マルコメ株式会社 代表取締役社長 青木時男(あおき ときお) ■プロフィール 1957年、長崎県生まれ。1979年、慶應義塾大学卒業。食品問屋を経て1984年、マルコメ入社。1998年、代表取締役社長に就任。 味噌を中心に、さまざまなカテゴリーの発酵食品を展開しているマルコメ株式会社。これまで数々のヒット商品を生み出し、今も発酵の新たな可能性に挑戦している。今回は、代表取締役社長である青木時男様に、枠にとらわれない商品開発の秘訣や今後の展望についてお話を伺った。 ◾️音楽好きの学生から社長へ。変わりゆく環境で学んだこと  大学生の頃から音楽が大好きで、同好会でバンドを組んでいろいろな大学を演奏して回っていました。演奏するたびに、周りが楽しんでくれるのが嬉しかったです。周囲を楽しませるのが好きなので、今でも仕事で楽しい瞬間をどうやって作っていくか意識しています。  ただ、大学卒業後、環境が大きく変わりました。というのも、私がマルコメの創業家の女性と結婚したからです。当時マルコメでは、代々長男が後を継ぐのがならわしでした。しかし、生まれたのは2人とも女の子。そこで、長女が家を出て、次女と結婚した私が会社の後を継いでほしいと打診されたのです。お話をいただき、マルコメを継ぐことを決めてからは、「会長の言うことは全て聞き、全力で取り組んでいこう」と決意しました。  まず、会長からは「これから流通が大きく変わっていくから、会社に入る前に勉強をしてきなさい」というお言葉をいただき、まずは流通を行っている明治屋という食品会社に入り、三鷹にある出張所で働きました。当時は、作っても作っても商品が売れる時代だったので、寝る間もなく働きました。倉庫内の油圧エレベーターに乗る20秒間だけが、唯一休憩できる至福の時間でしたね(笑)。 そこでの5年間はとても苦しいものでしたが、学んだこともあります。それは、苦しんでいる人の気持ちを理解できるようになったことです。会社でも苦しんでいる人、頑張っている人は顔を見ると分かるんです。働く覚悟もここで身に着けました。仕事は上手くいくことばかりではありません。苦しい経験は、お金では買えない貴重な経験であり、今でも宝物だと思っています。 ◾️時代に合わせて、新たな挑戦を続ける  マルコメは、1854年の創業以来、味噌を軸とした商品展開を行ってきました。そして私が社長に就任した後、「日本古来の発酵技術を通じて生活者のすこやかな暮らしに貢献する。」という経営理念をみんなで考えました。そこから第二のステージとして、発酵の可能性に着目しチャレンジするというミッションに向けて走り出しました。  その際、着目したのが、味噌が大豆と糀(こうじ)から作られていることです。素材を輝かせ、お客様に喜んでもらえる商品を作ろうと決意しました。そこで開発したのが、生塩糀です。これまで味噌や醤油などは男手中心で製造していました。しかし、当時料理をするのは女性が多かったことから、女性が商品を企画することを当たり前にしようと考え、女性を中心に開発が進められました。糀をきっかけに商品作りをして、塩糀ブームとともに商品が大ヒットしました。このように、長年培ってきた味噌のノウハウを活用できるのは当社の強みだと考えています。味噌は今や最先端の食品です。大豆由来なのでヴィーガン対応の食品でもあり、グルテンフリーでもあります。健康を意識している人が増えている現代でも、時代を超えて愛され続けている素晴らしい食品です。  他にも新たな挑戦として糀甘酒づくりを行っています。生き残るためには圧倒的な商品力が必要です。そこで糀を活用し、アルコール・砂糖が含まれていない糀甘酒を開発しました。糀甘酒は今までにない分野だったので、お店に置いてもらうまでに直接交渉を重ね、やっと陳列させてもらえるようになりました。  また、私たちは大豆ミートの開発も行っているのですが、学校の給食で大豆ミートを提供する取り組みも行っています。コストはかかりますが、添加物をいれないで、なるべくそのままのおいしさを味わってもらえるよう日々研究を重ねています。会社が170年続いて行く中で、お客様のニーズや世の中のトレンドに合わせて、常に新たな挑戦を続けています。 ◾️驚きと感動を世界へ  今後は世界初の商品を世の中に届けていきたいです。たとえば、糀の可能性は無限大です。最近は糀から作る糀みつも誕生するなど、夢のようなアイデアが商品になっていきます。これらの商品は日本古来のものであり、世界の市場にも挑戦できる魅力があると思います。今後も、我々は固定概念にとらわれない商品を生み出し、お客様に届けていきたいですね。  お客様に楽しんでもらうには、自分がまず楽しむことが大切です。自分の個性を活かし、自由に考えを生み出せる人と一緒に働きたいです。何に対しても、エネルギーがある人の顔はキラキラしていて希望に満ちています。そのパッションが大事ですね。  今までにない新しいカテゴリーを提案することは、成熟しているものとは違い、手探りです。苦労もありますが、その分やりがいもあります。これからも世の中のトレンドに合わせて新たなカテゴリーを生み出し、お客様に驚きと感動を与え続けていきたいです。 ◾️message 大学生の皆さんは、好きなことを見つけてたくさん挑戦してほしいです。好きなこと、熱中出来ることを見つけるまでには時間がかかる人もいると思います。それでも諦めずに、探し続けて欲しいです。好きなことに出会い、情熱を注いでください。「好き」が生み出す可能性は無限大です。皆さんが生み出す大きなエネルギーに期待しています。 学生新聞オンライン 2024年2月6日取材 立教大学3年 緒方成菜 立教大学3年 緒方成菜 / 國學院大學1年 寺西詩音 / 武蔵野大学4年 西山流生