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Archive for 運営スタッフ

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株式会社ビッグ・エー 代表取締役社長 打海直也

お手頃価格と安心をお客さまに届ける、ディスカウントの力 株式会社ビッグ・エー 代表取締役社長 打海直也 (うつみなおや) ■プロフィール 1990年3月都内大学を卒業後、転職を経て、1996年9月ジャスコ㈱(現イオン㈱)入社。2013年7月 イオンビッグ㈱ 食品商品部長、2016年3月 同社 商品本部長、2016年5月 同社 取締役 商品本部長、2020年3月 同社 取締役 営業管掌、2022年3月 イオン㈱ DS戦略チーム、2023年3月 マックスバリュ南東北㈱ 代表取締役社長、2024年3月 ㈱ビッグ・エー 代表取締役社長(現任)。 「いつでも、どこでも、安全で良い品をより安くご提供し、お客さま生活をより豊かにする」という経営理念のもと、生鮮食品・加工食品を中心としたハードディスカウントチェーンストアの運営をしてきた株式会社ビッグ・エー。打海直也社長に、自身のキャリアや商品の安さの秘密について、お話を伺った。 大学時代を振り返ると、あっという間に4年間が過ぎていました。その中で得た貴重な経験と時間は、仕事を順調に進める礎となっています。特に印象的だったのは、昭和から平成に変わった1989年のお正月明けです。これは、私が就職活動を始めた年でもありました。1989年は今の世界の枠組み決めるような出来事が世界各地で起こった年でもありました。経営学部に在籍していたのですが、当時は、自分が将来、代表取締役社長になるとは想像もしていなかったです。 私のキャリアは、転職の中で形成されました。28歳の時にジャスコ(現イオン)に入社し、その後も様々な業態で経験を積んできました。ビッグ・エーに入社する前は、マックスバリュ南東北でディスカウント事業に携わっていました。時には、人事異動で希望通りにならないこともありましたが、どんな困難にも立ち向かおうという姿勢でやってきました。このとき経験した多様な経験は、現在の仕事に大いに役立っています。 現在所属しているイオングループは、学歴や年齢、国籍、性別に関係なく、誰にでも公平、公正にチャンスが与えられるという魅力があります。ベトナムの方や中国の方など、国籍を問わず多様な人材が活躍しているのも特徴です。 ■お手頃な価格で提供する秘訣 ビッグ・エーでの仕事は、「お手頃な価格で、かつ短時間で提供するお店」というディスカウントの理念を実現することに力を入れています。コスト削減のために、我が社で行っていることは大きく四つあります。 まず一つ目は、物流までの一括管理です。「日本初で唯一のHDSのチェーンストア確立」を合言葉に、物流システムを整備しています。このシステムのもと、首都圏1都4県の300店舗以上に、毎日メーカー直送をしています。店舗の出店については、5カ所の物流センターを基点に展開しており、条件をクリアした場所を常に探し、出店計画を立てています。 二つ目として、品揃えやサービスを絞り込むことでコストを削減しています。生活必需品に絞ることで、お客さまに利便性を感じていただいています。サービスを限定的にすることで無駄を排除し、コスト削減を図っています。一方で、ブランドコミットメントが強い商品については、多くの選択肢を提供することを重視しています。また、店内の陳列についても効率的な運営を目指しています。 さらに三つ目には、SRP(シェルフレディパッケージ)などの導入を通じて、陳列作業時間削減に取り組んでいます。例えば、カッターを使わず誰でも簡単に開封でき、そのまま陳列ができるオリジナルの段ボールや即席のカップ麺の使用は、その代表的な事例でしょう。これにより、陳列にかかる時間が大幅に短縮され、少人数で店舗を運営できるようになりました。 最後に、イオングループの一員として、ビッグ・エーは安心・安全を最優先に考えた独自商品の開発に取り組んでいます。価格競争には限界があるため、商品にメッセージ性を込め、他社との差別化を図っています。 ■社員が働きやすい環境の整備 経営者として仕事をする上でも、現場での実務を大切にしています。しかし、それ以上に私が大事にしているのは、従業員一人ひとりの意見を聞くことです。現場の声を大切にし、経営の決定に反映させることで、社員のモチベーションを高めようとしています。店の大きさは違っても、本社が決めたオペレーションがきちんと実行されているかのチェックが必要です。出来ていない場合は決まりが悪いことが多いため、現場にはよく顔を出すように心がけています。今後も、社員が働きやすい環境を整えることには注力していきたいですね。 ■ビッグ・エーの成長へ期待 今後も成長し続けるために、出店計画を進めているところです。特に、コスト削減とローコストオペレーションの実現が成長の鍵となります。今の会社をしっかりと成長させることに集中し、社会インフラとしての役割を果たしていきたいと考えています。 ビッグ・エーの成長に向けて、一緒に働く仲間を募集する新卒採用では、柔軟性と瞬発力を重視しています。しかし、まだまだ若者に対して、会社の魅力を伝えきれていないので、どのように情報を発信していくかが課題です。特にZ世代は、生活中心の考え方を持っているため、その価値観に合わせたアプローチも進めていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 情報が溢れる現代だからこそ、自分の目標をしっかりと定め、それに向かって努力していきましょう。ただ、実際のところは、多くの学生さんが、自分の将来像をあまり描けていないように感じます。採用面接でライフステージごとの将来の姿を聞いてみても、答えられない学生がほとんどでした。情報が無自覚に入ってくる現代では、情報の処理能力を高めるだけでなく、考える習慣を身につけることも重要になります。自分の信念を持ち続け、膨大な量の情報を前にしても判断できる人に成長してください。私自身、大学時代に得た経験と人脈は、今でも大きな財産となっています。皆さんも学生生活の中で様々な経験を積み、多くの人と関わりを持ち、自分自身を成長させてください。どんな経験も無駄にはなりません。社会に出た時に、それが必ず役に立つ時がくるでしょう。 学生新聞オンライン2024年6月6日取材 津田塾大学2年 石松果林 法政大学4年 島田大輝 / 津田塾大学2年 石松果林

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アイドル 塩見きら

模試1位の才女が、アイドルと教育の二刀流を極めるワケ アイドル 塩見きら(しおみきら) ■プロフィール しおみきら 25歳 。1998年11月6日生まれ 愛媛県出身 津田塾大学数学科卒業 。2019年にアイドルグループ「神宿」に加入。2023年にグループ活動休止後はソロアイドルとして活動。数学、サウナ、野球観戦(阪神ファン)、など豊富な趣味を生かして多方面で活躍。その一方で小中高生に向けてキャリア教育授業を行っている。そのほか最新情報は公式 X(@Kira_KMYD)公式Instagram(@kira_kmyd)にて。 名門私立大学に在学中、偶然目にしたアイドルグループ「神宿」の新メンバーオーディションを受けメンバーになった塩見さん。「しおみぃ」との愛称で親しまれ、グループ活動休止後はソロで活躍の幅を広げ続けている。アイドルのみならず、キャリア講師活動やタレントとしても活躍する塩見さんに、お話を伺った。 高校時代、数学全国模試で1位を取った経験がありますが、初めから数学が得意だったわけではありません。小学生の頃は、数学は得意どころかむしろ苦手だと感じていました。でも、中学生になり、塾の先生に「算数と数学は違う」と言われて頑張った結果、最初のテストで良い成績を収めることができ、得意科目になったのです。高校卒業後、都会への憧れを抱き、津田塾大学に進学しました。キラキラした大学生活を思い描いていましたが、現実はそう輝いていませんでした。寮生活の中で徐々に引きこもりがちになり、1限のチャイムを部屋で聞く日々が続きました。この頃は、「自分は何をやっているのだろう」と疎外感や劣等感に苛まれてばかりでしたね。楽しくない生活が続いた20歳のある日、偶然Twitterで見かけたアイドルオーディションに応募しました。同い年の女の子たちがステージでキラキラ輝いている姿に強く惹かれたのです。そのオーディションで奇跡的に約3000人の中から選ばれ、晴れてアイドルになることができました。ただ、オーディションを受けてる事を、両親に報告しましたが、「何をやっているの?」と反対されたことを覚えています。最終審査で合格した後、「大学は卒業する」という約束で、ようやく芸能活動を認めてもらえました。 ■アイドルとしての喜びと苦悩 現在はグループ活動休止中の為、ソロでアイドル活動をしています。基本的に仕事はすべてが楽しいです。特に大きな喜びを感じるのは、人とのつながりを感じたとき。自分を知ってくれたり、私のことをほかの人に広めてくれたりするファンの方々や「この方が塩見さんの強みが出るよ」とアドバイスしてくれるスタッフさんたちには、本当に感謝しています。好きなことで生活できている毎日は、本当に幸せで楽しく、辛くはありません。アイドルになってよかったと心から思います。もちろん、アイドルとしての苦労もあります。一時期は、誹謗中傷に悩んだこともありました。最初は心無い言葉に落ち込んでいましたが、「私に興味を持っている人がいるんだな」「嫉妬されるくらい頑張ってるんだ」と考え方を変えてからは、あまり落ち込まなくなりました。また、スケジュールが忙しいことで、他のことを考えないという工夫もしました。朝が早いアイドルの生活には慣れるのが大変でしたが、今ではしっかりとこなしています。私のアイドルとしての目標は、ファンの方々が塩見きらのファンであることに誇りを持ってもらえるように日々頑張ることです。アイドル活動を始めた当初は、人に関心がありませんでした。けれど、最近はファンの方々がどんなことを考えているのかに興味を持ち、人と話すのが楽しいです。ファンの皆さんが楽しんでくれる限り、アイドル活動を続けていきたいと思っています。 ■初グラビア解禁、新たな挑戦に意欲 5月8日発売の週刊誌にて、初めてグラビアに挑戦しました。今後のソロ活動をさらに充実させるための第一歩として、アイドル活動を始め5周年を迎えた4月29日のタイミングを機に決断しました。「神宿」で活動していた時には一度もグラビアを経験しなかったので、ずっと挑戦してみたいと思っていました。私のアイドルとしての軸は、ステージに立ち、歌うことです。今回のグラビアを通して、より多くの人に自分を知ってもらい、ライブに足を運んでもらえたらうれしいです。実際、グラビア解禁後にはSNSのフォロワーが増え、新たに私を知ってくれた方々がいることを実感しました。これからも挑戦し続け、楽しいことに積極的に取り組んでいきますので、どうぞご期待ください。 ■アイドル活動だけではない、未来のための教育 私は今、アイドル活動に加えて、小中学生に向けたキャリア教育の授業を行っています。ファンの皆さんが私を好きなことを自慢してもらえるように、私自身の実体験を通じて誹謗中傷やネットリテラシーの怖さを伝えることを目的としています。かつて、普通の大学生からアイドルになったとき、謂れのない誹謗中傷を言われたことがありました。当時はショックでしたが、小中学生たちには「誹謗中傷の言葉は心からのものではなく、ただのストレス発散だ」と伝えています。また、誹謗中傷に対しては開示請求ができることや、加害者になる可能性があることも教えています。授業を受けた子どもたちからは、お手紙や話を聞く機会をもらい、頑張るためのパワーをもらっています。「アイドルに憧れていたけど、大変だと知った」という感想を聞くと、小学生もいろいろと考えているのだと感慨深いです。みんなが楽しんでくれるならば、いつか体育館でライブも開いてみたいです。今後は、誰かのためになるような活動を続けていきたいと思います。 ■学生に向けてメッセージ 学生の皆さん、心から「今が楽しい」と感じられていますか? もしも「楽しくない」「学校に行きたくない」と思っていても、「人生終わった」などとは絶対に思わないでください。自分の好きなことに一歩踏み出すだけで、人生は劇的に変わります。泣きながら部屋に引きこもっていた私が、今こうして心から楽しく活動できているのは、アイドルになるという夢に向かって一歩踏み出したからです。また、SNSが急速に普及している現代では、自分が傷つくリスクも高まっています。時には心無い言葉を浴びることもあるかもしれませんが、あまり気にしないで大丈夫です。まずは自分を大切に守ってあげてください。 学生新聞オンライン2024年5月16日取材 津田塾大学2年   石松果林 京都芸術大学1年 猪本玲菜/上智大学2年 小椋ソフィア/津田塾大学2年   石松果林

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株式会社JTB 代表取締役社長執行役員 山北 栄二郎

人は旅を通して学ぶ。私達はその「感動の瞬間」に寄り添い続ける。 株式会社JTB 代表取締役社長執行役員 山北 栄二郎(やまきた えいじろう) ■プロフィール 1963年生まれ、福岡県出身。1987年、早稲田大学卒業後、日本交通公社に入社。本社経営企画室等を経て、旅行事業本部グローバル戦略担当部長、JTB欧州代表、常務執行役員などを歴任。ツムラーレ・コーポレーション社長、トラベルプラザ・ヨーロッパ社長、クオニイ・トラベル・インベストメント会長など経営のトップを務め、海外戦略推進に携わる。2020年6月より現職。 旅を起点とした「交流創造事業」を事業ドメインとして、地域の観光地開発や企業のコミュニケーション課題解決にも取り組むツーリズム業界のリーディングカンパニー、株式会社JTB。同業界が大きな打撃を受けた2020年のパンデミック拡大時、社長に就任したのが山北栄二郎さんだ。「事業の9割が消滅した」というコロナ禍で、山北さんは何を考え、ピンチをどう乗り越えたのだろうか。また、会社を支えた取り組みや求める人財像についても伺った。 ※JTBグループでは、”人材”は「企業や組織の成長を支える財産となる大切なリソース」であるという意思を込め、”人財“と表記している。 小さい頃から、海外への憧れを持っていました。父親の影響で、幼少期からクラシック音楽や海外のレコードが身近だったことも大きいのかもしれません。当時、父に言われた「これからの時代はボーダレスだ。国境のない時代になるぞ」という言葉は、今でも強く印象に残っています。 大学では、国際交流に興味を持ち、英語のディベートを行うクラブに入りました。厳しい部活だったので、徹夜で調べ物をしたり、留学生と交流したりと、忙しく過ごしていましたね。就職活動では、「国際交流を通じて、世界で活躍したい」との観点から、幅広い業界の面接を受けました。その中で、興味を持ったのが、現在のJTBである日本交通公社です。初めて就職試験でオフィスに入った瞬間の衝撃は、今でも覚えています。まだ国際電話も高く、メールもない時代。タイプライターでTelex(※1)を打つ音、英語での会話も聞こえてくる、世界へ通じる仕事だと、こんな職場で働きたいという強いあこがれを抱き、入社を決意しました。そして幸運なことに、入社後は、国際交流に一番近い部署で働くことが出来ました。その後、法人営業、海外旅行のマーケティング、人事、経営企画など様々な業務を経験。ハンガリーやオランダ、デンマークなどヨーロッパ各国でも長く駐在し、文字通りグローバルなキャリアを歩んできました。 ■コロナ禍で社長に!考えて行き着いた旅行の「原点」とは 社長に就任したのは2020年6月。世界はコロナ禍で、人の移動がほとんど止まり、ツーリズム業界は大きな被害を受けました。私達の事業の9割が消滅してしまったという憂き目にあいました。当時は、「このピンチをどう乗り切るか」を日々真剣に考え続けたことをよく覚えています。 いろいろと悩んだ末、行き着いたのが「原点に戻ろう」という結論でした。この頃、世間では「旅行は無くなるだろう」「旅はGoogleマップで十分だ」という声も聞かれ、旅の存在価値自体が見失われつつありました。その中で、私たちは「そもそもなぜ人は旅をするのか」という原点に立ち返ったのです。歴史を振り返ってみると、人類は移動し、違う環境に身をおくことで進化してきました。過去にもパンデミックは存在しましたが、人類はそれを乗り越えて旅を続け、成長してきた。旅をしたいという欲求は人間の本能であり、需要は必ずいつか元に戻る。その時のために今できることをしようと決意しました。 ■人の移動が止まっても、「心」の交流は止まらない コロナ禍で進化していくために、見つめ直したものは、やはり「交流」の持つ力です。私たちの経営理念は、「地球を舞台に、人々の交流を創造し、平和で心豊かな社会の実現に貢献する」というものであり、「交流」が原点なのです。旅で重要なのは、ワクワク感ですが、この感情は、「人」の力なくしては成立しません。人の流れが止まっても、心の交流は止まりません。むしろ増幅していく。ならば、交流を通して人と何かがつながりあうしくみ作りこそ、求められるものではないかと考え、「交流創造事業」の輪郭を際立たせることに注力しました。 交流創造事業では、「ツーリズム」「エリアソリューション」「ビジネスソリューション」という3つの柱の中で、お客様や目的に応じて、さまざまな取り組みを進めています。「ツーリズム」では、個人や法人問わず、旅行者に、旅マエ・旅ナカ・旅アトといったあらゆるシーンにおいて満足をいただけるように、スタッフによるおもてなしに加えて、デジタルも活用した取り組みを進めています。また「エリアソリューション」では、観光地のDX化や観光地開発など、さまざまな事業者との共創によって地域のタカラを磨き、地域のチカラにつなげる取り組みに注力しています。「ビジネスソリューション」では、ミーティング&イベントなどのコミュニケーションを通じて、企業の抱える経営課題を解決するために、お客様に伴走しています。 このように交流創造の視点から、「人、もの、交流」のしくみを整え、解決策を提案したことが、パンデミックを乗り越えられた大きな要因だと考えています。 ■112年の歴史が紡いだ「つながり」を大事に JTBの強みは、112年の歴史の中で、たくさんの人と生み出してきた「つながり」です。強い「つながり」があるからこそ、旅の形が変わっても柔軟に対応できる。そして、この「つながり」を支えるのが、社員たちの存在です。 JTBで働く人には二つの特徴があります。ひとつは、人の喜びを自分の喜びとして感じられること。「感動のそばに、いつも。」というブランドスローガンのように、感動や喜びに共感し自分事としてとらえられる人ならば、きっと当社で活躍できるはずです。もうひとつの特徴は、「真面目さ」です。目の前の課題に対して一緒に考え、最後までやりきることができるのだと思います。今後もお客様自身に旅を起点とした交流の価値を実感していただけるよう、社員一丸となって徹底的に挑戦を続けていきたいです。 ■学生へのメッセージ とにかく世界に目を向けて欲しいです。日本のパスポート所持率は、約17%と他国と比べてとても低い。台湾の所持率60%に比べると、どれだけ少ないのかがよくわかります。グローバルに活躍するためには、まずは自分が世界を知ることが重要です。これからの時代を生きるためには、グローバルな視点は間違いなく必要です。旅をすることは、学びの絶好の機会です。旅を通して、様々なことを吸収してください。 学生新聞オンライン2024年4月10日取材 立教大学4年 緒方成菜 立教大学4年 須藤覚斗 / 慶應義塾大学3年 塚紗里依 / 立教大学4年 緒方成菜

学生新聞インターン

エステー株式会社 会長 鈴木貴子

ニッチな日用品×お客様の心に訴えるデザインで改革を エステー株式会社 会長 鈴木貴子 (すずきたかこ) ■プロフィール 1962年生まれ。1984年3月 上智大学外国語学部 卒業。同年4月 日産自動車株式会社に入社。2001年8月 LVJグループ株式会社(現ルイ・ヴィトン・ジャパン株式会社)に入社後、2010年1月 エステー株式会社に入社。2013年4月同社取締役兼代表執行役社長就任後、2021年6月 同社取締役会議長兼代表執行役社長に就任。2023年 同社会長に就任。現在に至る。 1946年にはじまり、「消臭力」や「ムシューダ」「ドライペット」などのニッチな日用品で私たちの生活に欠かせない存在となったエステー。今回は創業者の娘として第8代社長に就任し、「デザイン革命」で利益をV字回復させた鈴木貴子さんに、エステーの強みとご自身の経歴について伺いました。 ■挑戦と成長の時代 大学時代に所属していたイスパニア語学科は落第も珍しくないほど難しい学科だったので、学生時代はしっかり勉強していました。授業以外の時間も、家庭教師やサンプリングのアルバイトもびっちり入れていましたね。そのほかにも広告研究会というサークルに所属し、友人たちと新しいアクティビティに挑戦していました。例えば上智大学の学園祭であるソフィア祭で大きなイベントを主催したり、企業によるアイデア募集に応募したりです。学生時代は全てが楽しく、全力でした。経営者のキャリアは考えていませんでしたが、目の前にある市場の課題を解決していくようなマーケティングやブランディングには昔から興味がありました。 身内は会社に入れないという父の方針から、大学卒業後にエステーに入社する道はありませんでした。しかし、そのおかげで自分の好きな道を選ぶことができたように思います。当初は女性をターゲットにした最終消費財のマーケティングに興味がありましたが、当時の就職難もあり、学科指定の枠で日産自動車に入社しました。日産では中南米エリアの輸出業務を担当しましたが、市場が遠く、リアリティを持って仕事に取り組むことが難しかったため、アイデアにも限界を感じ、転職を決意しました。数々のブランド企業で経験を積み、その後、フリーランスとして記事広告を手がけたり、化粧品会社のPRを担当したりしました。 ■「情緒的価値」を追求するデザイン革命 そんな中、叔父である鈴木喬氏から、日用品のデザイン革命を依頼されました。広告以外で「人を欲しい気持ちにさせる」というのは、ブランドビジネスで学んだスキルのひとつです。その経験を生かせるのではと思い、エステーのデザイン改革に着手しました。その後、エステーに正式に入社し、デザイン以外の面からも改革を進めるようになりました。 当時の社員たちは、商品の価値を「機能」だけだと捉えており、デザインや香りといった「情緒的価値」に目を向けることがなかったので、私の意見はあまり通りませんでした。商品の価値を高め、単価を上げる努力が必要だ……と考えるなか、その状況を変えたのが、女性チームで開発した「シャルダン ステキプラス」のヒットでした。この成功を通じて、周囲のスタッフたちも情緒的価値の重要性に気付き始めたのです。これが転機となり、看板商品である「消臭力」を筆頭に、他の商品もプレミアム化され、利益のV字回復という結果をもたらしました。そして、日用品メーカーとしての枠を超え、「空気ビジネス」を再定義することで、ホテルや介護分野などのBtoB事業への拡大を図りました。 ■SDGsへの貢献 森の中に入ると空気が綺麗なのはなぜなのかに着目し、森の天然の空気浄化メカニズムを研究して、「クリアフォレスト」事業を始めました。未利用のトドマツの間伐材から、天然森林オイル、天然森林ウォーター、天然針葉パウダーを抽出しています。これらには消臭効果や大気汚染低減、森林浴効果があり、私たちはその機能性樹木抽出成分を活用しています。従来の間伐材は不要な未使用資源でしたが、この取り組みで全てが活用されるため、ゼロエミッションの達成にも繋がっています。現在では、「ほっかいどう企業の森林づくり」協定を結び、「エステークリアフォレストの森」のネーミングライツを取得して地域の児童とともに「植樹会」や「木育教室」を定期的に実施しております。 ■エステーのウェルネスビジョン エステーは今後、ウェルネスカンパニーへの脱皮を目指しています。香りを通じて人々の暮らしや心に良い効果をもたらす企業を目指し、フェムテックにも力を入れていく予定です。私は「お客様にウェルネスを提供するために、まず私たちが幸福である必要がある」という持論を持っています。「こころに響くアイデアで、ふとした瞬間を、ふふっと笑顔に。」というパーパスを制定したように、忙しさの中でもまず笑顔で幸せであることを大切にしています。 また、空気を軸にペットケア事業にも乗り出しています。花王株式会社から「ニャンとも清潔トイレ」の事業を譲り受けるなど、M&Aを通じて新たな領域でもウェルネスの観点から事業を拡大しています。今後は、タイや中国などのアジア市場への拡大も視野に入れています。 ■大学生へのメッセージ エステーで活躍している社員には、失敗を恐れずに新しい挑戦を続けるという共通点があります。エステーもこれまでたくさんの失敗を経験してきましたが、失敗の中からヒットが生まれるもの。だから、少しの失敗なんて大したことではありません。 最後に、大学生の皆さんにお伝えしたいのは、自分が情熱を持って取り組めることを見つける大切さです。学生時代に自分の生きる道を見つけるのは難しいですが、学生時代の経験がキャリアに繋がることは多いです。だからこそ、学生時代は時間を有効に使い、好奇心を抱いたことには積極的に挑戦してほしいと思います。 最近、私が学生さんや新入社員に伝えているのは「異分子であり続けてほしい」ということです。日本社会は同質化が進んでおり、それが革新を阻んでいると感じます。社会人としての礼儀を持っていれば、上の人に意見をぶつけても受け入れてくれるものです。異分子として違和感を抱いたことや、学生時代のきらきらした好奇心をずっと大切にしてほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年6月6日取材 上智大学3年 東芽衣 上智大学3年 東芽衣 / 武蔵野大学4年 西山流生

塚紗里依

STATION Ai株式会社 代表取締役社長兼CEO 佐橋 宏隆

愛知から世界へはばたく、グローバルスタートアップをつくる STATION Ai株式会社 代表取締役社長兼CEO 佐橋 宏隆 (さはし ひろたか) ■プロフィールソフトバンク株式会社入社後人事部門を経て、ソフトバンクグループ株式会社社長室にて経営戦略を担当。東日本大震災後、SBエナジー株式会社を設立し、事業企画部長として再生可能エネルギー事業を管掌。2014年よりSBイノベンチャー株式会社にて、社内起業家育成プログラムの構築やハンズオン支援を推進。2021年9月にSTATION Ai株式会社を設立し、スタートアップ支援をはじめとした日本最大級のオープンイノベーション拠点となる事業を開始。 愛知県に位置する日本最大級のオープンイノベーション拠点・STATION Ai。スタートアップや企業の成長をサポートする場所として、最新の設備と充実したリソースを提供し、起業家や企業が革新的なアイデアを実現するための理想的な環境を整えているのが特徴だ。同社代表である佐橋宏隆さんに、世界市場を見据えたグローバルな展開の拠点としての在り方やその取り組みを聞いた。 ■ソフトバンクに新卒入社したきっかけ ソフトバンクに入ったきっかけは、NHKで放送されていた番組「プロジェクトX 挑戦者たち」です。大学の先生が何本か見せてくれるなか、いつの間にかこの番組が好きになりましました。その中で、特に印象に残ったのが「プロジェクトX 挑戦者たち 町工場 世界へ翔ぶ ~トランジスタラジオ・営業マンの闘い~」という作品です。その中で描かれていたのが、戦後復興期にアメリカのマンハッタンの日本食料理屋で、夜な夜な企業の営業マンの方々が集まって話すシーンです。「敗戦後の貧しい状況を脱して、今後日本を豊かな国にするにはどうしたらいいか」という白熱した議論が交わされていました。この番組を観て、国を動かす大きなダイナミズムの中で仕事をする面白さに惹かれ、そんな企業で働きたいと思うようになりました。そして、就職活動をし始めた時に『孫正義 起業の若き獅子』という本に出会い、ソフトバンクを作った孫正義さんと働きたいと考え、同社への就職を決めたのです。 ■ビジネスの「しくみづくり」に関心を持つ 学生時代から「将来は起業して事業をしたい」と思っていたため、ソフトバンクに入った後も、事業責任者を担当してみたいという強い気持ちを持っていました。はじめて事業立ち上げを経験したのは、東日本大震災の復興支援プロジェクトです。この経験後、ソフトバンクイノベンチャーという社内スタートアップを作る制度を担当し、以来、事業を起こす人の支援やスタートアップに着手するようになりました。現状、ソフトバンクにある新しい事業の成功は孫さんが作った事業が多く、孫さん一人への依存度が非常に高い。そんな組織を変革し、「孫さんがいなくても、事業が生まれ続ける組織を作ろう」という意識から生まれたのです。 そのほかにも、今後30年も引き続き情報革命で人々の幸せに貢献し、世界の人々から最も必要とされる企業グループを目指すべく、ソフトバンクとして掲げている「30年ビジョン」の設立などにもかかわりました。 ■世界に誇れるスタートアップ輩出を狙うSTATION Ai STATION Aiは、愛知県に作ったスタートアップと大企業が集まる日本最大級のオープンイノベーション拠点です。愛知県のスタートアップ戦略は、大村秀章知事にとって肝入りのプロジェクトです。そして、その中心を担うのが、私たちSTATION Ai です。東京以外の国内で、世界と競うようなスタートアップエコシステムを作れるのは愛知県だと私は思っています。豊田をはじめ、愛知県はものづくりの集積地で、圧倒的に製造業が強く、全国的な企業の本社も多いし、オーナー企業も多い。製造業は雇用を産むので、サービス産業の発展にもつながります。  また、スタートアップエコシステムを成立させるには、既存産業の強さが重要です。スタートアップに対して、企業が大きなリスクマネーを供給したり、企業が持つ製造拠点や技術などのアセットを使ったりすることで、大きく成長できるからです。さらに、愛知県は名古屋大学をはじめノーベル賞受賞者も多く、面白い研究の種が眠っている地域です。その点でも、スタートアップが生まれる地域のポテンシャルが高いと思っています。 ここで生まれた成果を世界に対して発信して、世界からこの地域にスタートアップが集まる循環を作りたいです。この循環を作っていくことで、世界をリードするような産業地域が生まれると思っています。 ■STATION Ai の魅力とは 2024年6月のプレエントリーの時点で、STATION Aiには426社のスタートアップが集まっています。スタートアップと大企業がこの規模で同居していること自体が、世界的にもかなり珍しいことだと思います。私たちがモデルにしたのは、フランスのSTATION Fです。かつてはスタートアップ不毛の地と言われていたフランスですが、STATION Fによって大きく変化し、5年後にはEU圏のスタートアップの地として名を馳せました。  ここまで多くの企業が集まるのは、そこに大きな価値を感じる企業が多いからだと思います。たとえば、スタートアップは、ひとつの意思決定に時間がかかりやすく、コミュニケーションコストが高い。ですが、大企業が身近にいる環境では、そのスピード感が違います。さらに、スタートアップが集積していれば、お互いにできることやできないことを共有しながら協業できます。このような協業という付加価値が生まれるのも利点でしょう。  また、STATION Ai はスマートビルでもあります。いろんなセンサーがついており、データを収集し、学習する機能もある。オープン以降は、ここで得られたあらゆるデータを開放して、ビルの中での実証実験を行うしくみも整えています。ロボットフレンドリーなビル作りや、スタートアップ同士の交流ができるような偶然な出会いが生まれる場づくりにも、こだわっています。 ■大学生へのメッセージ STATION Aiを通じて、今後の時代はスタートアップに入って起業し、成功につながる、というカルチャーを根付かせていきたいです。なぜなら、これからの時代は、自分で事業を作ったり、起業をしたりするスキルを持たないと、リスクになります。みんなが起業する必要はありませんが、起業を選択肢のひとつにできるような戦闘力を、より多くの人が身につけたほうがいいと思います。起業体験を通じて、世の中にない新たな価値を提供する楽しさや魅力に触れてほしいです。 学生新聞オンライン2024年5月24日取材 慶應義塾大学3年 塚紗里依 慶應義塾大学3年 塚紗里依 / 立教大学4年 須藤覚斗

大川知

俳優 武道家 藤岡弘、

人生にマニュアルはない。人間は感性で生き抜く。 俳優 武道家 藤岡弘、 (ふじおかひろし、) ■プロフィール 1965年デビュー、’71年『仮面ライダー』で人気に。映画『日本沈没』『野獣死すべし』、ハリウッド映画『SFソードキル』でも主演。国際武道家でもあり、世界数十カ国の紛争地域などで、心情交流、支援活動も行う。2016年に公開された映画「仮面ライダー1号」では、藤岡自ら企画から参加し、45年ぶりで本郷猛が単独主演で復活し大ヒットをおさめる。2024年、芸能生活60周年を迎えた。 芸能生活60周年を迎えて、今もなお、俳優・武道として活躍の幅を広げる藤岡弘、さん。世界100ヵ国近くを訪問するボランティア活動家としての一面もある。武道家として、心身ともに強い藤岡さんだが、何度も生死を彷徨ったことがあるという。そんな様々な困難を乗り越えてきた藤岡さんにお話を伺い、人生のヒントについて学んだ。 ■自分の人生は「奇跡の連続」だった 私の人生は波瀾万丈で、恵まれた環境では一切ありません。母は戦争中、重いお腹を抱えて逃げながら私を守ってくれたといいますが、その後も、奇跡の連続によって今の私があると言っても過言ではありません。 出産のため、当初、母は松山の病院に入院したのですが、何を思ったかその日のうちに実家に帰ろうとしました。院長先生の反対を押し切り実家に帰った翌日、なんと、大空襲でその病院は全滅したのです。生き残ったのは院長先生と母だけ。そのときに母のお腹に入っていたのが私でした。そこから私の人生が始まりました。 3歳の時には肺炎を患い、生死を彷徨いました。病院の先生にも「この子はもう無理だ、遺影を今のうちに撮った方が良い」と勧められたほどでした。しかし、母は先生が見捨てても自分が治すという強い覚悟のもとに、私を看病してくれました。その時期に、私を可愛がってくれた母方のおじいちゃんが危篤になりました。最後におじいちゃんを見届けてあげたいということで、家族で会いに行こうという話になりました。真冬の豪雪の中、父は自分の命も覚悟の上で、おじいちゃんのいる西条市まで車を運転して、とても大変だったそうです。到着するとおじいちゃんはもう亡くなる寸前でした。おじいちゃんは私の手を握り、「この子の病気を私が持っていくから、大事に育てなさい」と言い、その直後に事切れました。不思議なことに、それから、私の病気は奇跡の如く回復していったのです。そんな奇跡の連続で私は今存在しているんですよ。 ■幼少期の経験から学んだ感性の大切さ 貧しい家庭で、最悪の状況の中でも私は生かされてきました。それは父と母の愛情のおかげだと思うんです。武道家だった父は、体の弱かった私を鍛え上げてくれました。そのおかげで、武道を網羅し、体が健康になり、高校の時には柔道部のキャプテンを務めるほど体力に満ち溢れていきました。 その後、小学生の時に父が戦中にやり残したことがあったと失踪し、困窮の中、自立せざるを得ない状況に陥り、絶えず挑戦して自分の未来を開く必要が出てきました。アルバイトは60個以上はやりました。そして、バイトをしながら自然と身に着けていったのが、人間関係のスキルです。それは後々に大きな財産になって、今に至っていますね。 小学校では給食費が払えない人は名前を呼ばれていたのですが、毎回呼ばれていたのが私でした。とても辛かったし、苦しかったです。だから、私は人の悲しみや苦しみ、痛みに敏感な子供になりました。普通、人間は理性と知性ばかりを高めていきます。でも、私は感性が主役で、それを支えるのが知性と理性だと思いますね。生き抜くためには、マニュアルや理論だけでは難しい。人間は、感性で生き抜くものだと感じます。 芸能界に入ったのも、直感です。戦後、海外から映像が押し寄せました。映像を通じて見る知らない世界。そこに国境も民族も全てを超えた壮大な夢を感じました。その夢を作っている場所はどこかというと、東京だと。そうして、東京を目指しました。必死にバイトして夜行列車でたどり着いた東京には、行くあてもありません。しょうがなく、上智大学の芝生で寝ましたよ。辛いことはたくさんありましたが、それでも希望を失わなかったのは武道で強化された忍耐強さからでした。 ■計算せず、自分の心に忠実に 父には「逃げるな、負けるな、屈するな、諦めるな、やり抜け」という精神を教えられてきました。苦労は買ってでもして、絶対逃げずにやり抜けと。それはいずれ己の力になり光り輝く時が来るんだというふうに語っていました。私は、100ヵ国近くを訪れ、ボランティア等、様々な実体験の中、そこでは何度も生死を彷徨う経験をしました。しかし、父の教えの通りあきらめず立ち向かうことで、生き延びることができました。 ボランティアを始めた理由は、幼少期の環境が影響しています。私はお遍路の駐在所で生まれたのですが、そこはいろいろな苦しみ、悲しみを背負って巡礼する人が集まる聖地です。おもてなしの文化があったことから、父と母に教えられ、いろいろな人をもてなしました。巡礼者の方に村で採れる食物をふるまったり、子供がいれば一緒に遊んだり。世のため、人のために行動することが小さい頃から当たり前で、自然とボランティアにつながったわけです。世界中を旅し、子どもや難民を支援したのですが、いまだに彼らの喜ぶ顔を思い出すとエネルギーをもらいます。 「なぜ、お金と時間を使って、危険なボランティアに行くんだ」と言われることもあります。でも、見返りを考えてボランティアをやっているわけではないんです。自分の心に忠実にやっているだけです。要するに計算がないんです。計算ではなく、感性で動いているのですから。 ■行動の原理は「多くの人の笑顔が見たいから」 自分がやったことに対して、感動したという言葉をもらった時にやりがいを感じますね。父には、「人の役に立つ人間になれ」とよく言われていました。皆さんに幸せを感じていただき、嬉しい言葉をもらうと、「これが父が言いたかったことなのか」と感じます。今でも、子供達からたくさんファンレターが来ます。本郷猛(仮面ライダー1号)が好きだという幼い子もとても多くて、不思議ですね。 仮面ライダーについても、ここまで続くなんて当時は考えられませんでした。私の、バイクでの大事故によって変わっていったんですよ。私の足が回復したのも運が良かったからといえます。事故を起こした際、今の医療技術では限界があり治らないと言われました。ですが、一人の先生に一つだけ試したいことがあると言われたのです。それは、ベトナム戦争で開発された医療技術でしたが、その手術をしても絶対に治る保証はありませんでした。でも、私は「やってほしい」と言ったんです。そして、驚くことに手術は成功しました。医学会にとっても奇跡ですね。手術後は、骨と皮だけになった脚を鍛えるために、過酷なリハビリを経験しました。乗り越えられたのは、もう一度復帰して、恩人たちに恩返しをしたいという一心からです。    人々に夢や希望、勇気を感じてもらえるように、私も、私の子供たちも頑張っています。子供達の夢は、家族で映画を作り、私との思い出を残すことです。この夢が、家族を団結させ、1つの原動力になっています。 ■大学生へのメッセージ 一人ひとり、この世に生を受けた人間は使命を背負った大きな宝だと思います。だから、自分の持っている、素晴らしい個性や可能性を発見する自己発見の旅をして欲しいです。そして、自己発見の旅に向かって挑戦し続けましょう。挑戦して得た実体験は、理性と知性、そして感性と合わさることでいずれ必ず力になります。人と自分を比べるのはやめたほうがいい。自分の良いところがあればそれを認めて、伸ばせば良いんです。落ちこぼれの中にこそ素晴らしい人材がいます。私だって、落ちこぼれの象徴です。見捨てられ、見放され劣等感に苛まれたことが力になり、私は大きくなってきました。自分の殻に閉じこもらず、そして、相手への愛と尊敬と感謝を忘れないで欲しいです。それが己を磨く材料になります。 それから、やっぱり心と心の交流です。損得を計算して人と付き合うのはやめましょう。出会いは本当に大事です。人生、運勢、そして歴史まで変わります。大きな夢を持って、共通の目的と価値を共有できる仲間と切磋琢磨し目標に向かいましょう。     人生は何が起きてもおかしくない。リスクも当然だと思ったほうが良いです。世の中や人のせいにするのは論外です。問題は全て自分にあります。私は、裏切られ、騙され、日本刀で叩き切ってやりたくなるような最悪な経験もたくさんしましたが、今思うと今までの人生何一つ無駄なことはありませんでした。全て宝物ですね。だから、私を騙したり裏切ったりした人には感謝です。「私を鍛えてくれてありがとう」という感じです。    この歳になって何が一番大事かというと、時間です。やりたいことや成し遂げたいことがたくさんあるのに、時間がなくなってきています。気づいた時にはもう遅いということもあるので、日々時間を大事にしてほしいですね。一瞬一瞬に命を注いで、真剣に試練に立ち向かってほしいね、大いなる夢に向かって。心臓が止まるまでが私の青春だね。生きて生きて生き抜こう。人生は永遠のサバイバル。生かされし我が命に感謝しながら、挑み続けること。 学生新聞オンライン2024年3月19日取材  津田塾大学4年 大川知 駒澤大学 4年 本多杏衣/津田塾大学 4年 大川知/中央大学 2年 前田蓮峰

学生新聞インターン

女優・モデル 岡崎紗絵

自由に形を変える水のように。何者にでもなれる女優をめざして 女優・モデル 岡崎紗絵(オカザキ サエ) ■プロフィール1995年11月2日生まれ。愛知県出身。2012年に雑誌「Seventeen」でグランプリを受賞し、専属モデルとしてデビュー。現在は雑誌「Ray」専属モデルなどで活躍。2015年より俳優としても本格的に活動を開始し、ドラマ「花嫁未満エスケープ」では主演をつとめた。2024年7月期ドラマ「マウンテンドクター」にレギュラー出演が決まっている。俳優、モデルと活躍が多岐にわたる。 17歳でモデルデビューし、女優としても幅広く活躍。多くの作品に出演し、たくさんの人を魅了させてきた岡崎紗絵さん。新ドラマ『マウンテンドクター』では麻酔科医として、山岳医療の厳しさと感動をリアルに表現している。そんな岡崎さんに、役作りのこだわりやドラマの見どころについてお話を伺いした。 私は17歳から芸能の仕事を始めました。ファッションには昔から興味がありましたが、事務所に入ってモデルになろうと具体的に考えたことはありませんでした。そんな私がモデルの道に進んだのは、とあるカメラマンさんとの偶然の出会いがきっかけでした。その方をご縁に、雑誌「Seventeen」のモデルとして活動することになって、世界が大きく変わりました。自分の意思というよりも、その出会いに導かれる形でこの道に進んだのです。学校に通いながらも、芸能活動を続けていました。部活動やイベントに参加する普通の学生生活を送り、多くの思い出を作りながらも、芸能のお仕事ができたのは、本当に幸せなことだったと思いますね。 モデルの仕事は、最初は緊張の連続でした。特に「Seventeen」の初めての撮影では、楽しさよりも緊張が勝っていました。でも、経験を重ねるうちに次第に楽しさを感じるようになりました。そして20歳頃からは、お芝居の世界に挑戦することになります。ドラマやテレビの世界は私にとって遠い存在であり、不安でいっぱいでした。台本を読むのも怖く、最初は現場のセットに慣れるのも一苦労でした。しかし、「やるならしっかり頑張りたい」という思いで挑戦を続けて、現在に至ります。 ■『マウンテンドクター』での新たな挑戦 『マウンテンドクター』に出演することが決まったときは、本当に嬉しかったです。このドラマは山岳医療をテーマにしており、私にとって初めての経験でした。はじめは、山岳医療という初めて知る医療業界についていろいろと調べるところから始まりましたね。実際に山の中と病院では状況が全く異なるので、判断力と技術が求められる分野であり、自分にとって新たな挑戦でした。だからこそ新しい一歩としてとてもわくわくもしていましたね。お医者さんと一言にいっても、所属する科によって見方や意識する点も全然変わってくるので、現場で働く医師の方から専門的な知識を学ぶなどして役作りに励みました。私が演じるのは麻酔科医の役で、患者さんの全身を俯瞰的に見守り、呼吸や心拍数などを常にチェックするため、常に視野を広く持ち、物事を俯瞰して見ることが求められるお仕事でした。 また、麻酔医という役柄と同時に、キャラクターの内面を掘り下げることも意識しました。私が演じるキャラクターは明るく芯が強い一方で、親との問題を抱える繊細な一面も持っています。内に秘めている思いとの葛藤も抱えていながらも、表に出さないように自分を隠している。そんな人間味のあるこの役を通じて、視聴者に感動や希望を与えたいと考えています。 ■ドラマの魅力について 『マウンテンドクター』は、まだ広く知られていない山岳医療の分野を描いています。医師たちの葛藤や挑戦、失敗を通じて、患者を救いたいという強い想いが伝わる作品です。山の中で行う医療は、病院内での医療とは大きく異なり、極限の状況下での判断力と技術が試されます。医師たちは、山の中で直面する予期せぬトラブルや危機的状況に対応しなければなりません。そのため、一つのミスが命取りになることもあり、緊張感が常に漂っています。このドラマを通じて、視聴者のみなさんに医療の厳しさと素晴らしさを感じ取ってもらいたいですね。 そして、ドラマの中で描かれるのは、単なる医療行為だけではなく、人間としての成長や葛藤です。医師たちは失敗を経験しながらも、患者を救いたいという強い気持ちで前に進み続けます。医師も人間の中の一人なんだと感じてもらえるのではないでしょうか。トライ&エラーの過程を描くことで、人間としての成長や希望を視聴者のみなさんに届けたいと思っています。また、病院のオペだけでない、山岳医療ならではの山での救助活動や自然の中ならではのハラハラとした臨場感も楽しんでもらえると思います。人間模様がシーンによって細かく描写されているので、各々の役の気持ちの変化や葛藤にも注目して楽しんでもらえたらうれしいです。 ■学生へのメッセージ これからも様々な役に挑戦し続けたいと思っています。特に私が意識しているのは「水になりたい」という想いです。目指すのは、どんな役でも柔軟に演じられるようになること。水は、色もないし形もありません。だからこそ何者にでもなれると考えています。そして、どんなに難しい役でも真剣に向き合い、その役に命を吹き込みたいと思っています。 学生の皆さんに伝えたいのは、挑戦することの大切さです。失敗が成功への一歩であり、ドラマでもその過程が描かれています。失敗を恐れず、どんなことにもチャレンジすることで、希望と勇気を持って前に進んでほしいと思います。私自身も多くの挑戦を通じて成長してきました。学業でも部活でも何でもいいので自分の可能性を信じて挑戦の一歩を踏み出してほしいです。 学生新聞オンライン2024年5月7日取材 法政大学4年 島田大輝 『マウンテンドクター』 【放送枠】2024 年7月8日(月)スタート(初回15 分拡大) 毎週月曜よる10時(カンテレ・フジテレビ系全国ネット)【出演】杉野遥亮 岡崎紗絵 宮澤エマ 向井康二 八嶋智人 檀れい 大森南朋 ほか【脚本】高橋悠也【演出】国本雅広、高橋貴司、保坂昭一【プロデューサー】近藤匡(カンテレ)、大城哲也(ジニアス)【制作協力】ジニアス【制作著作】カンテレ■公式サイト : https://www.ktv.jp/mountaindoctor/■公式X : https://twitter.com/_mountaindoctor■公式Instagram : https://www.instagram.com/_mountaindoctor/■公式Tiktok : https://www.tiktok.com/@_mountaindoctor クレジット・メイク 竹内研登、長縄希穂・スタイリスト 森 勇馬・カメラマン 下田航輔

学生新聞インターン

衆議院議員 鈴木貴子

政治は見るものではなく “使う”もの 衆議院議員 鈴木貴子(すずきたかこ) ■プロフィール 鈴木貴子(外務副大臣、自由民主党 衆議院議員)1986年1月5日、北海道帯広市生まれ。2008年カナダ・トレント大学卒業。NHK勤務を経て、2013年衆議院議員初当選。以来当選4回、防衛大臣政務官、党副幹事長、外務副大臣などを歴任。現在は党青年局長を務める。 27歳で初当選し、政治家として、外交・安全保障から子ども・子育て政策まで幅広く手掛ける鈴木貴子衆議院議員。「その声、鈴木貴子が届けます」をモットーに、地域の声をすくいあげながら、日々、政治の世界を邁進する。そんな彼女に、これまでの軌跡や政治家としてビジョンについて伺った。 今振り返れば、高校進学に向けた受験勉強は将来を考える大きなターニングポイントでした。元々は日本の高校に通う予定でしたが、塾の先生から「あなたの回答は面白いけど、採点者に受ける回答ではない」と言われたことがショックで、それをきっかけに受験や日本の高校進学そのものを考えるようになりました。これから国際化が更に加速すると考え、「英語の習得」そして「日本を知るためにも海外に出てみよう」と決心。自ら留学斡旋センターに出向き資料をもらって…治安も良く、学費も安かったカナダに決めて、親を説得。塾を辞めて、代わりに英会話に通い始めました。ちなみに、カナダは「人種のサラダボール」と評され、それぞれの文化、伝統、価値観などが尊重されます。そんな環境だったからこそ、時に窮屈と感じた日本の素晴らしさや可能性を改めて発見することも出来たように思います。 ■「不条理」を減らしたくて、政治家の道へ 海外生活の中で、日本との違いに対する違和感を抱くこともありました。たとえば、メディアにおける政治的中立性に対する考え方です。私がカナダ留学中によく見聞きしていた北米のメディアは、例えば選挙報道でも支持政党や候補者を明らかにした上で報道します。日本ではメディアが公に支持政党や候補者を標ぼうすることはありません。各メディアが「自分たちの立ち位置」を明確にしていれば、視聴者もメディア情報を鵜呑みにするのではなく、より自発的に比較したりするのではないでしょうか。情報の洪水とも言われる世の中で、なお一層メディアリテラシーが求められることは明らかです。日本の民主主義を守り、発展させるためにも、情報の出し手も受け手も双方が緊張感を持ちながら時にけん制、また尊重することが求められるものの、そこが未成熟だと感じました。そんな危機感から、卒業後は日本のメディア、特に国際放送を展開をするNHKを志望しました。当初は記者を志望していましたが、面接官に「記者よりもディレクターの方が向いている」と言われたため、ディレクター職を受け直し、入局しました。取材から、魅せ方など演出も考えるディレクターは今の仕事にも通じる点です。私の家庭は、父も政治家であったため、常に政治は身近なものでした。ただ、政治家である父に対しては、世間からの目も様々で、世の中の不条理を感じることも多かったです。社会の声や権力によって、事実を事実として伝えようとしても声がかき消されてしまう。それがいかに酷いことかを、身をもって体感しました。「何事も経験」と言われますが、経験する必要のない「不条理」があると知り、そのために声を上げたいと思い、政治の道に入りました。 ■妊娠に対して「おめでとう」以外の言葉をぶつけられる日本 初当選は27歳のときです。北海道の釧路・根室管内が地元ということもあり、北方領土問題の解決および日露平和条約締結に向け、当選直後から外交・安全保障に力を注いできました。安倍政権下では防衛大臣政務官を拝命し、岸田第一次・二次内閣では外務副大臣を務めました。と、いうのも各級議会がありますが、外交と安全保障に携わることが出来るのは国政を担う、国会議員のみです。言い換えれば、国政を担う者の責務だと考えます。私生活では30歳で結婚、31歳で第一子を授かりました。妊娠を報告した際に、多くの祝福の言葉を頂きましたが、なかには「任期中の妊娠は職務放棄だ」「キャリアを捨てたのか」との声も寄せられました。新たな命の誕生に「おめでとう」以外の言葉をぶつけられる現実に強いショックを感じました。新たな命の誕生を喜べない国はいくら経済的に先進国と言われようとも寂しいもの。それから、子育てや教育といった政策にも力を入れ始めました。初めての妊娠、出産、育児を自ら経験したからこそ、例えば、子育てに関する気付きや意見も、目の前の育児で手一杯。自分の時間も満足にも取れない多くのお母さんたちがいます。当事者だからこそ、その時に声をあげることも難しい現実もあります。政治の世界はまだまだ「男社会」でもあります。だからこそ、当事者目線の政策や意見を代弁すべく、子ども・子育て政策にも取り組んでいます。また、防災・減災もライフワークです。日本が抱える三大巨大地震の1つ、日本海・千島海溝沖地震が選挙区にある上、NHK勤務時代に東日本大震災を経験し被災地取材も経験しました。自然の脅威を目の当たりにし、地震をゼロにすることは出来なくとも、備えが生死を左右する重要性を痛感しました。鎮魂の想いは、事前防災、減災対策として示したいと思います。その他にも、持続可能な一次産業、国際協調、孤独・孤立対策に取り組んでいます。 ■学生へのメッセージ 学生のみなさんには、政治はぜひ見るものではなく“使う”ものだと感じてもらいたいです。日本社会では政治の話をすることはタブーという雰囲気があると思いますが、暮らしと政治は切り離せません。学校でも「政治的中立」を理由に政治や主権者教育すら十分に行われていません。しかし、18歳で選挙権を得たとたんに「選挙(投票)に行くのは義務」と言われることに、違和感を覚える方も多いのではないでしょうか。また、日本では学校が独自に定めた校則があると思います。私が通っていたカナダの学校では、生徒は校則ではなく、あくまでも“社会一般のルール”が適用されます。ゆえに、「自分は社会を構成する一員である」という意識・自覚が醸成されやすく、結果として社会活動や政治にも“当事者”として興味関心が呼び起こされるのではないか、と感じました。ぜひ日本の学生皆さんにも、社会を良くさせるのも、停滞させるのも自分だという意識を持って、行動してほしいです。自分が主体的になると、もっとワクワクする世の中になると思うし、それが本来あるべき姿だと思います。誰か一人が欠けた時に、回らなくなるのが社会ではありません。みんなで動かし、活性化させる社会、そして政治を目指していきたいです。 学生新聞オンライン取材 2024年4月22日 慶應義塾大学3年 山本彩央里 立教大学4年 須藤覚斗 / 慶應義塾大学3年 山本彩央里 / N高等学校2年   石川輝

イベント・企業紹介

富永啓生選手×カリーブランド契約発表記者会見

アンダーアーマーの日本総代理店である株式会社ドーム(本社:東京都江東区、代表取締役:北島義典)は、富永啓生選手とカリーブランドとの契約発表記者会見を2024年6月15日(土)にUNDER ARMOUR BRAND HOUSE 新宿にて開催した。 カリーブランドは、3ポイントシュート通算成功数の記録を保有しているステフィン・カリー選手(ゴールデンステート・ウォリアーズ)のシグネチャーブランドで、「CHANGE THE GAME FOR GOOD(世界中の若者たちが平等にスポーツを楽しむ機会を創出する)」という、カリー選手の意志を体現した社会活動に取り組んでいる。日本バスケットボール界を牽引する次世代のホープとしてバスケットボール発祥の地であるアメリカを拠点にプロリーグを目指しプレーを続けている富永選手の夢を一緒に実現するべく、契約アスリートとしてはステフィン・カリー、ディアロン・フォックス、マイレイジア・フルワイリーに続いて4人目、アメリカ国外の選手では史上初となるカリーブランドとの契約に至った。 記者会見で、契約書の調印式後、契約に至った経緯や、ブランドに期待すること、今後の展望などを伺った。 ■株式会社ドーム 代表取締役 北島義典 富永選手とカリーブランドの契約を発表できることに大変ワクワクしています。アンダーアーマーでは、アンダードッグ(勝つ見込みのない人が勝つために這い上がる)という精神があるのですが、富永選手がアメリカの大柄な選手相手に果敢に立ち向かう姿に感動し、その精神を感じました。また、2018年と2019年に日本で行われたカリーイベントに富永選手が参加してくれて、非常に縁が深まりました。こうして契約発表を迎えることができ嬉しく思います。今後とも富永選手が世界で活躍できるようサポートしていきたいです。 ■富永啓生選手 契約の話をいただいた時は、自分が一番尊敬しているカリー選手のブランドということで、とても光栄でしたし、信じられない気持ちと嬉しい気持ちでいっぱいでした。カリー選手は自分にとって神のような存在です。3ポイントや試合中のパフォーマンスなど真似してきた尊敬する選手でもありますし、遅咲きでNBAナンバーワンに上り詰めた選手ということで、やり続ける・諦めないというアンダードッグ精神も見習っていきたいです。またブランドミッションである「CHANGE THE GAME FOR GOOD」を一緒に目指して、世界中でブランドを大きくしていけるように頑張ります。自分がカリー選手にしてもらったように、今度は自分がバスケットをしている人たちに希望を与えられるような存在になりたいです。そして、NBA選手になるという夢に向かって、まずは目の前のパリ五輪に全集中し、この先カリー選手とコートの上で対戦出来たらいいなと思います。3年前まではこんなことが起きるとは全く思っていませんでした。夢をもつことは一番大事だと思いますし、夢をもって追いかけ続けると結果はついてくると思うので、まずは目標をたてて、それに向かって若い人たちも一生懸命頑張ってほしいです。 学生新聞オンライン2024年6月15日取材 上智大学3年 網江ひなた 

コラム

テリー伊藤 コラムVol.26 男子家を出ずれば七人の敵あり

ことわざに「男子家を出ずれば七人の敵あり」とあるが、敵とまではいかないが、毎日生活していれば試練はある。 夏日が増える中、街に日傘の女子が増えている。これが厄介なのだ。日傘の先端が丁度私の顔の位置。雨傘の場合はこちらも傘で防備できるが、私は日傘はさしていない。先日、話に夢中の日傘女子二人組が並んで向かって来た。私の存在に気付かず、傘先が私の顔に激突。痛いの何の。そのまま去って行った。ひどい話だ。試練は続く。東京駅で急にトイレに行きたくなり慌てて駆け込んだのはいいが、個室の方は順番待ち。やっと入ったら先客が流し忘れ…。何が悲しくて見なくちゃならないのか。世間は怖い。何処に怒りをぶつければいいのか。私は朝の公園を散歩するのが好きだ。早朝の爽やかな木漏れ日は気分を穏やかにしてくれる。しかし、ワンちゃんの糞を踏んだ日は辛い、辛過ぎる。突如一日がブルーな気分に。そのまま公園の水道で靴底を洗う。これは切ない。 ところで、最近の車、大き過ぎないか。車幅1900cmあるSUV車もざら。先日スーパーマーケットに行った時、空いていたスペースの両サイドに大型車が駐車してあった。やっと駐車出来ても車から出るのにひと苦労。食料を買って戻ってきてもドアが開けづらい。試練は続く。映画館での出来事。指定席の隣り合わせの女性の香水が強烈な臭いを放っていた。頭がクラクラ思考力が薄れる。気になり過ぎて映画にのめり込めず内容も途切れ途切れ。こんな時はどうしたら良いのか。試練は終わらない。帰宅時間の住宅街を走行していると、バスから降りた乗客が、バス前方から車線を超えて走り出し反対側の歩道に。これは怖すぎる。停車しているバスを右側から抜こうとした瞬間に突然飛び出してくるのだ。家に帰りたい気持ちは分かるがこれはやめて欲しい。最近のマナー違反の電動キックボードや自転車も、ドライバーにとって命が縮む思い。 最大の試練は。明らかにカツラだと分かる人と面と向かって話す時。本当に目のやり場に困る。しかもズレている。これはまずい。打ち合わせ中ず~っと見てしまう。「このカツラ何処で購入したのか。値段はどの位か。家族、友人のアドバイスはなかったのか。」妄想が止まらない。疑問は増すばかり。「いや待てよ、これって、先方さん自ら不自然なカツラを使って私の人間性を試しているのではないか。だったら大物過ぎる。」 世間には七人の敵が居ると言われるが…もっと多いかも。一瞬たりとも油断は禁物。伏魔殿のような世の中、気を引き締めて生きなくてはいけない。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

カートエンターテイメント 映画・舞台監督 柿崎ゆうじ

映画を通じて、時代を越えたメッセージを後世につなげていく カートエンターテイメント 映画・舞台監督 柿崎ゆうじ (かきざき ゆうじ) ■プロフィール 1968年生まれ、山形県出身。舞台や映画、TV番組など数多くの製作総指揮を手掛ける。映画最新作『コウイン~光陰~』では国際映画祭世界4カ国6部門にて最優秀作品賞や最優秀監督賞を受賞。また、今年で8回目の公演を迎える大戦中の特攻隊員と鳥濱トメとの交流を描いた舞台『帰って来た蛍~永遠の言ノ葉~』も製作総指揮・脚本・演出を務める。 特攻隊をテーマにした舞台『帰って来た蛍~永遠の言ノ葉~』やボディーガード時代の実体験をもとに制作し、4か国の国際映画祭で6部門を受賞した映画『コウイン~光陰~』など多数の映画や舞台に携わってきた柿崎ゆうじさん。彼が作品を通して、後世に残したいメッセージとは。 ■経験ゼロから制作をする側へ 実は、最初は映画俳優になりたかったんです。中学生の時にブルース・リーを見たことがきっかけで、その夢を抱くようになりました。しかし、俳優としては芽が出なかったので、夢を諦め、20歳の時に日本初のボディーガードの会社を始めたんです。ハリウッドスターやアメリカの元大統領、スポーツ選手などのスーパースターを担当したりもしていました。さらには危険な場所に行って、死と隣り合わせの現場で、命がけで仕事に打ち込んだこともありました。刺激的な日々ではありましたが、ある時、自分は何をしたいのか考えた際に「自分は作品を通して世の中に何か訴えたいんだ」と思うようになりました。そして37歳頃に、初めて舞台のプロデューサーに挑戦します。しかし、これが意外と面白くなかったんです。プロデューサーの仕事は、監督や俳優さんたちの世界とは一線を画していて、まるで蚊帳の外状態だったからです。「もっと俳優さんとバチバチ意見をすり合わせながら作品を作りたい」という想いが生まれたことから、自分で脚本を作り、監督をするようになりました。 ■作品とともに後世で生き続ける 作品を作る原動力は、自分の作品を見てくださった方の反応です。一番うれしいのは「作品を見て人生が変わった」という声ですね。逆に大変なのは、お金です。映画を作るには大体数千万から億単位のお金がかかります。その膨大な資金は、だいたい制作委員会が出資者を集めて確保します。ただ、それだと出資者からの口出しが多く、作品作りが制限されることが多々あるんですよ。だから私は自分だけでお金を用意して作っています。多分これをやっているのは、日本で私だけじゃないですかね。このように、伝えたいメッセージを伝えられるやり方で、自分たちの未来や後世に何かを訴えかけていくべきだと思っています。日本を冷静に見まわしてみると、世界情勢的にも、災害を考慮しても、不安な未来が待っています。そんな時代だからこそ、自分たちの子供の代まで考えた未来に向けて、メッセージを伝えることが自分たちの役割だと考えるようになりました。また、後の人にメッセージになる作品を作っていけば、自分が永遠に生きているのと一緒なんじゃないかとも思うんです。だからこそ、これだけのお金をかけて力を尽くして映画を作る価値があると思います。 ■戦時中のありのままを伝えたい 人との会話や本を読んで生まれるような、日常の中に転がっている感動から作品の発想を得ています。日々よく感動するんですが、1度聞いたら忘れないような心震える感動を映画にしたいと思いますね。6月29日から始まる舞台『帰って来た蛍~永遠の言ノ葉~』は今から16年前に作った作品です。特攻隊の存在はもともと知っていたのですが、ある本を読んだことがきっかけで、17歳くらいの若者も参加していたことや、九州だけで1036名も隊員がいたという事実に加え、これから死ぬのに笑顔で子犬を抱いている写真や家族や大事な人に遺した手紙を通じて、彼らのあふれる想いを初めて知りました。この事実があったことを、多くの現代の日本人は知らないで生活をしていると気づき、同じ世代の若者に伝えたいという想いから、作品にしています。舞台を作るには莫大なお金がかかるのですが、満席になってもほぼ3000万円は赤字が出るのが決まっているので、覚悟は必要です。それでも、やらなきゃいけないと思ってやっています。日本中から「大阪でもやってほしい」「毎年やってほしい」といった声が沢山あるのにも関わらず、予算の問題もあってなかなか実現できないのが苦悶ですね。それでも見に来てくださった方で、当時その場にいた方が「自分がかつていた、あの時あの場所と全く同じだった」という言葉に救われました。こういう声を聴くために、芝居をやっているような気もします。見どころは、再現性の高さです。当時の日記に書かれていることも参考にしながら作品を作っているので、「実は心根の優しい人達ばかりだった」というような世間には伝わっていない細かな部分も余さずに再現しています。高いクオリティの再現度を実現するために、稽古中から意識したのは「1人のミスは団体責任」というルールです。メンバー全員で「なんとかこの感動を伝えよう」という想いがあったからこそ、この再現度を実現することができたんだと思います。東日本大震災の避難所を題材にした映画など、まだまだ撮りたい作品はたくさんあります。今後も「大事な根幹は変えない」をモットーに、事実をつなぐような作品を発表していきたいです。   ■大学生へのメッセージ 皆さんの前途はまだまだ果てしないものだし、夢も沢山あると思います。今の時代、安全保障問題や災害の多発など、大変なことが多い時代だと思うのですが、過去を遡るとどの時代も大変な世代はあったはず。そんな大変さを乗り越えてきた人たちがいたからこそ、歴史がつながっていくと思います。皆さんもこれから困難に直面するかもしれませんが、夢をしっかり持って、乗り越える気概を持ち続けてほしいです。 学生新聞オンライン2024年5月10日取材 上智大学3年 網江ひなた 舞台 帰って来た蛍 ~永遠の言ノ葉~ 期間:2024年6月29日(土)〜2024年7月7日(日)※7月2日(火)は休演日となります 場所:俳優座劇場 https://www.haiyuzagekijou.co.jp/ 出演者:伊藤つかさ・竹島由夏 半井小絵・大鶴義丹・さとう珠緒 他 脚本・演出・製作総指揮:柿崎ゆうじ企画・製作:カートエンターテイメント X(旧Twitter):https://twitter.com/hotarublog 木更津総合高等学校3年 原颯太 / 昭和女子大学3年 竜澤亜依 / 京都芸術大学1年 猪本玲菜 / 慶應義塾大学3年 山本彩央里 / 上智大学3年 網江ひなた

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井山裕太十段就位式

囲碁の大和ハウス杯第62期十段戦を制した井山裕太十段(35)の就位式が6月13日、東京都港区の明治記念館で行われた。 井山は今回の5番勝負で芝野虎丸十段(名人=24)に挑戦した。1勝2敗と後がない状況から連勝して、逆転奪取。6期ぶり6回目の獲得を果たした。同時に王座・碁聖・十段の3冠に返り咲いた。また、7大タイトルの獲得数が60期(内訳は棋聖9、名人8、王座9、天元8、本因坊11、碁聖9、十段6)に到達した。 挑戦権を争う本戦トーナメントでも1回戦で村川大介九段、準々決勝で藤沢里菜女流本因坊、準決勝で関航太郎九段、挑決で許家元九段と、年下の新旧タイトル保持者を撃破。村川にタイトルを奪われた2019年以来の十段戦登場となっていた。 井山は謝辞で、「近年挑戦権を獲得するのも難しかったのですが、今期は幸運に恵まれました。芝野十段にはここ数年、なかなか厳しい戦いを強いられており、実力や成長された部分を感じました。今回も厳しい5番勝負でしたが、最後は運も味方してくれた部分もあったと思います。30代半ばを迎え、下の世代とのタイトル戦が続いております。自分自身、成長していくこと、高めていくことができれば、まだまだ戦っていけると今回、結果で示すことができたと思っています。来期少しでもいい戦いができるよう、今後も自分の碁を磨いて臨んでいきたい」と述べていた。 ■井山裕太棋士より学生へのメッセージ 私は5歳の時にテレビゲームに興味を持ったことがきっかけで囲碁を始めました。囲碁の魅力は、年齢や性別を問わず誰でも楽しめることです。同じ土俵で対等に競い合うことができ、まるでキャンバスに絵を描くように自分の好きなようにプレイすることができます。囲碁に難しそうなイメージを持っている方がいるかもしれませんが、実はとても自由なゲームで誰でも始めやすいです。最近ではアプリなども充実しており、気軽に楽しむことができるので、まだ囲碁に触れたことがない学生さんにもぜひ挑戦してもらえると嬉しいです。 学生新聞オンライン取材 2024年6月13日法政大学4年 島田大輝

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RED° TOKYO TOWER 見学

東京タワーに2022年4月グランドオープンした施設「RED゜TOKYO TOWER」は、最先端テクノロジーを搭載した体感型ゲームから、小さなお子様でも楽しめるボードゲームまで揃えた完全屋内施設です。東京タワー3階から入場でき、4,5階は全てRED゜TOKYO TOWERの施設となっています。本格派からファミリー層まで楽しめる新感覚アトラクションが数多くあり、誰でも楽しめること間違いなしです!今回、学生新聞インターン生が実際にアトラクションを体験させていただきました! RED°TOKYO TOWER(レッドトーキョータワー)〒105-0011東京都港区芝公園4-2-8TOKYO TOWERフットタウン内1F,3F-5F※RED° TOKYO TOWERの運営会社は、TEG株式会社となります。※東京タワーの運営会社は株式会社TOKYO TOWERとなります。 RED° 5TH FLOOR ULTIMATE ZONE 2つの次世代アリーナとeモータースポーツ、ポーカーなどのマインドスポーツ、カフェ&バーを展開。 SKY STADIUM(スカイスタジアム) esportsの大会やイベントをはじめとして、音楽ライブ、ファッションショーなど、さまざまなライブエンターテインメントを展開。メタバース(仮想空間)なども連動した新体験をお届け。イベントスペースとしての貸出しも可能。 RED° 4TH FLOOR ATTRACTION ZONE 超人スポーツやドローン競技など、体験型コンテンツが充実。超人スポーツをはじめ、ドローン競技などの体験型コンテンツが充実したフロア。多彩なフィジカルeスポーツが楽しめる。 RED° 3RD FLOOR INSPIRATION ZONE eスポーツの世界に包まれるRED°のスタート地点。 <体験した感想> VR等の先端技術を用い、自分の動きが画面やゲームに反映していることや、その映像が綺麗で没入感を体験出来たことに驚きました。体を動かすアトラクションから、ドローン操作、車の運転、VRをつけた乗り物など様々な体験型アクティビティがあり、子供でも大人でも楽しめます。各スペースに休憩できるスポットやスマートフォンの充電スポットもあるので、休憩をはさみながら長時間楽しめる施設だと感じました。京都芸術大学1年 猪本玲菜 東京タワーの中にあると聞いた時、どれくらいの広さなのだろうと気になっていたのですが、入ってみたらとても大規模な施設で驚きました。イカゲームを模したゲームがすぐゲームオーバーになってしまい、悔しかったです。VRをつけてのジェットコースターは迫力満点でした。リアルでは絶対にできないようなシーンもあって面白かったです。中央大学3年 前田蓮峰 RED°TOKYO TOWERはまさに異次元の全く新しいエンタメを体験できる場所でした。最新のXR技術を使用したボルダリングやトランポリン、縄跳びは一度のゲームでも息が上がるほどの満足感と刺激がありました。中でもハドーシュート!という実際に体を動かして手から波動を打ったりバリアをはって相手と闘うARスポーツは、誰もが子供の頃に夢見た魔法のようなアトラクションでした。人類の技術の進歩を楽しい遊びを通して肌で感じることができ、本当に貴重で楽しい体験でした。上智大学 3年 長瀬一寿 RED°TOKYO TOWERでは最新技術であるXRとトランポリンやクライミングウォールなどの現実世界の物体が融合した、没入感のある新感覚の体験が楽しめました。特にeモーターは、カーブ時のハンドルの反動まで忠実に再現されており、操作の難しさを感じました。また、ボートレースでは向かい風や水飛沫を感じ、実際のレースさながらの臨場感を味わえました。技術の素晴らしさと体感しながら体を動かし、自然と笑顔が溢れました。上智大学3年 東芽衣 AR・VRとリアルを融合した「未来の遊び」を体験することができました。特に「HADOU」というVR×ドッジボールのようなゲームは競技性が高く、友人たちとの対戦はとても楽しかったです!また他にも壁や床にLEDモニターが搭載された映像ステージも展示されており、フォトジェニックな写真も撮れます。家族やパートナーといった大切な方達とのお出かけにも最適です!武蔵野大学4年 西山流生 実際に体験してとても楽しく、小さい頃に来てたら本当に夢のような場所に感じるなと思いました。笑最先端かつ様々なアミューズメントが揃っていて非日常を味わうことができました。子供から大人まで一日中楽しめる施設になっているため東京タワーに行ったらみなさんもぜひ立ち寄って体験してほしいです。法政大学4年 島田大輝

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STEM の国際プレゼンテーションコンテスト

日本オーチス・エレベータ株式会社(代表取締役社長 ティボー・ルフェビュール、本社 東京都中央区、以下 日本オーチス)は、オーチス・ワールドワイド・コーポレーション (NYSE: OTIS) が主催する学生向けの国際プレゼンテーションコンテスト「Made to Move Communities™(メイド・トゥ・ムーブ・コミュニティズ)」で、かえつ有明高等学校 (東京都江東区) のチームがアジア太平洋地域で2位を受賞したことを発表しました。4 年目となる今大会で、各学生チームは、住民の心身の健康の向上に向け、都市での緑地へのアクセスの改善を目指す画期的なソリューションを考案しました。日本オーチスはエレベーターおよびエスカレーターの新設・据付・保守・改修を一貫して扱う世界的リーディングカンパニー、オーチス・ワールドワイド・コーポレーション(NYSE:OTIS)の日本法人です。2023 年に行われた国内予選大会には日本全国の9 校から17 の学生チーム (計115 名) の応募があり、日本オーチスの審査員による書類審査を経て5 チームがファイナリストとして選出されました。そしてその5 チームが、オンラインで審査員に英語でプレゼンテーションを披露した結果、かえつ有明高等学校のチームが優勝しました。かえつ有明高等学校のチームは日本を代表して2023 年12 月から開催されたMade to Move Communities に挑みました。Made to Move Communities で、各国を代表する学生チームは、ボランティアとして参加したオーチス社員のサポートを受け、STEM(科学、技術、工学、数学)を用いて、都市における公園へのアクセスを改善するソリューションを考案しました。かえつ有明高等学校のチームは、「グリーノマド(GreeNomad)」というソリューションを提案しました。Green(緑地)とNomad(遊牧民)を組み合わせたグリーノマドは、水素を燃料とする電池を搭載した公共バス内に植物を配置し、人々の日常の生活の中で手軽に緑地体験を提供するというアイデアです。本年度のMade to Move Communities には、15 の国と地域から240 名以上の学生が参加しました。かえつ有明高等学校には、同校のSTEM 教育プログラムをさらに推進するため、オーチスから15,000 ドルの助成金が授与されました。

コラム

テリー伊藤 コラムVol.25 ミッキーマウスとネズミ

ミッキーマウスほど世界中で愛されているネズミはいない。ミッキーを見れば老若男女大喜び、泣いていた赤ちゃんまで笑顔になる。しかし本物のネズミと台所や押し入れ、夜道で遭遇したら多くの人は顔がひきつり、悲鳴を上げるに違いない。そしてほうきで叩くか、助けを呼ぶかの大騒動になる。同じネズミでもこれ程まで扱いが変わってくる。何故ミッキーだけが人気者なのか。ミッキーマウスの生みの親、ウオルト・ディズニーの存在のおかげにほかならない。1928年スクリーンデビューした映画『蒸気船ウィリー』以来世界中の人から愛されて続けている。嫌われているはずのネズミがスーパーアイドルになっていった。これって凄いですよね。大事なのはイメージ作りです。 では、狼はどうか。アニメでもイメージは良くない。グリム童話『赤ずきんちゃん』では、赤ずきんちゃんが森の向こうのおばあちゃんの家に向かう途中、1匹の狼に遭うが、先回りされおばあちゃんは狼に食べられてしまう。そしておばあちゃんの姿に変装して、赤ずきんちゃんが来るのを待つ。ここでは狼はとんでもない殺人鬼として描かれている。これでは絶対に子供達の人気者にはなれない。キツネはどうか。英語で「AS SLY AS A FOX」と言えば「狐のようにずるい」となる。これって狐にしてみればたまったもんじゃない。人間が勝手に自分たちのイメージを作り出している。本来なら狼から訴えられても仕方がない。亀はどうか。イソップ童話『ウサギとカメ』ではウサギが油断して昼寝している間に亀はコツコツと歩みを進めてウサギを追い抜き、まじめな努力が大きな成果を生む物語だ。近年でも世界的ヒットになった映画『ミュータント タートルズ』でも正義のヒーローで登場し大人気。亀の好感度は高い。 鹿はどうか。これまたディズニー映画『バンビ』(1942年公開)で、母親を人間に殺された子鹿バンビが偉大な父の元、逞しく成長してゆく物語。世界中が涙した。私も子供の頃見た感動を今も忘れない。今でも小鹿を見るとバンビと呼んでしまう。バンビ人形も持っている。バンビという名前も良い。幼児期の思い出は一生忘れない。そこにいくとゴキブリなんてどう考えてもアイドルにはなれそうもない。「ゴキブリちゃん」「ゴッキー君」と名乗っても受けそうもないし。将来性も無い。そうこうなったら悪に徹して欲しい。世界侵略を目指し悪の巣窟を築き上げてくれ!人気者ばかりじゃつまらない。「ゴキブリ大魔王」「改造人間ゴキブリアン」もいいかも。出来れば狐軍団を引き連れて。すみません、話が変な方向に行ってしまいました。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

塚紗里依

カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 代表取締役社長 兼 CEO 髙...

社会の原動力は「人」。だからこそ、人を元気にする会社を作りたい カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 代表取締役社長 兼 CEO 髙橋誉則(たかはし やすのり) ■プロフィール 1973年東京都生まれ。1997年にカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)新卒入社後、FC事業本部で人事リーダー職を経て、2006年に自ら社内起業した株式会社CCCキャスティング代表取締役社長に就任。CCC執行役員、株式会社TSUTAYA常務取締役などを歴任。2018年3月末CCCを退社。3年間の主夫を経て、2021年4月にCCCに復帰。2024年4月よりCCC代表取締役社長兼CEO。 Vポイントによるマーケティング事業やTSUTAYAなどの書店運営、地域創生からヘルスケア事業まで、さまざまなビジネスモデルで名を馳せるCCCグループ。数々のサービスを通じて、新しいライフスタイルの提案を行なっている。新しい価値や場を提案し続けるCCCの髙橋誉則代表取締役社長に、ご自身の経歴やその価値観について伺いました。 ■バイトに明け暮れた学生時代 大学生時代は、ほとんど学校には行かず、神宮球場の雑踏警備のバイトをしていました。1年間のうち、350日はアルバイトに時間を費やしていましたね。社員が少ない会社だったので、アルバイトを戦力化しないといけない。そこで、現場のリーダーを任されていたので、責任重大でした。「僕が行かないと野球場が開かない」とすら思うほどでしたから。今思えば、期待されて、適切な量やサイズの責任を与えられると、人の原動力になるのではないかと思います。このバイトを通して、人を率いるリーダーシップやマネジメントの根幹の部分に触れました。もはやサークルみたいな感覚だったので、仲間と楽しく仕事ができるし、学ぶ部分も多いし、お給料ももらえる一石三鳥のような場所でした。 ■入社試験の時に感じた、CCCの自由な社風 就活は3社くらいしか受けませんでした。その中でも、CCCの入社試験は定型フォーマットがないのが印象的でした。「自分を表現してください」というテーマで白紙を渡されたとき、私は野球場の仕事について書いて提出したのですが、その入社試験を通じてCCCの自由な社風を感じ、波長があうと思いました。入社後、約30年間のキャリアの中で、現場から人事、企業経営を約3分の1ずつ携わってきました。入社当時から人事に携わりたかったのですが、その理由は、CCCでの仕事を通じて、社会の動きは人が原動力だと感じるようになっていたからです。自分たちの仕事で人を元気にしたいし、それがCCCの根幹であってほしい。だから、人と最も関わる機会が多い人事を希望していたのです。 ■娘と寄り添うため、主夫になってキャリアも中断 個人能力として優秀な人は沢山いる中で、心がけていたのは「何をやるべきか」を考えること。「このシチュエーションになった時に、何をやるべきか」を常に考えるようにしていました。例えば、自分のキャリアを形成する中で、主夫になるため、会社を一度退いたことがあります。その理由は、娘がダウン症だと知って、娘に寄り添う時間を作りたかったからです。障がいに対してはいろんな支援が必要になります。娘が生まれた瞬間から、見守り環境、就労環境、さらには経済的に国に頼らず生きて行ける方法を考えるため、配偶者と役割分担しながら育てることを決めます。仕事のキャリアは自分でやり直せます。でも娘に寄り添わなかったら、その期間は戻ってこない。その後、3年間の主夫生活を終えて、CCCに戻ってきました。他の会社に行くという選択肢もあったと思いますが、復帰前の自己分析を通じて、「やっぱり自分はCCCが好きだ」と感じたため、この会社で再び働きたいと強く思いました。 ■自分ならではの「軸」のある人と一緒に働きたい 人は会社のエンジンだと思うので、人とどうやって信頼関係を築けるかが非常に重要な要素になります。一人ひとり違う中で、自分としての価値観や軸を持っている人と働きたいですね。社会でいろんな人に会う中で、自分の軸がないと影響を受けすぎてしまいます。しっかりした土台がないと、その上に2階、3階と家を建てることはできません。自分の新たな付加価値を積み上げていくためにも、基礎となる強いバックボーンを持ってほしいです。そして、過去の経験から何を学んだか、という体験や経験を言語化できる人が望ましいです。抽象的なものをいかに構造分解し、再現性を持たせることは、仕事において極めて大切だと思います。また、環境に依存しすぎず、他責にせず、自分や社会と対峙することも重要な要素だと思います。 ■大学生へのメッセージ 社会にでると多様な人たちや価値観とたくさん出会います。学生時代より、自分を守ってくれる存在は少なくなるので、心配になるかもしれません。でも、その中で、多くの仲間に出会うでしょう。その中には、尊敬できる人や志高い人たちとも巡り会えます。心細いことがあっても「自分一人じゃないんだよ」と伝えたいです。現在できることとしては、アウトプットの習慣を持ってほしいです。自分の考えは、言葉にしないとなかなか伝わりません。そのため、わかりやすく伝えることは、人への親切です。自分の考えや学んだことを、構造化や図形化、文字化し、整理して伝えることを意識してみてください。時間は平等です。アウトプットの質を意識してアップデートすることを若い時から繰り返し、10年経った時、何もしなかった人とは大きな差がついているはずですから。 学生新聞オンライン2024年4月11日取材 慶應義塾大学 3 年 塚紗里依 立教大学 4 年 緒方成菜 / 日本大学 1 年 大森雨音 / 慶應義塾大学 3 年 塚紗里依 / 中央大学 3年 亀井義和喜 / 上智大学 3 年 白坂日葵 /慶應義塾大学 3 年 松坂侑咲 撮影協力:下田航輔

コラム

テリー伊藤 コラムVol.24 1席6,500円の豪華映画館登場

私、知りませんでした。1席6,500円のプレミアムシートがある映画館。2023年4月に開業した東京新宿の高層複合ビル「東急歌舞伎町タワー」9~10階の「109シネマプレミアム新宿」は全席プレミアムシートを導入。新宿は多くの映画館が並ぶ有数の映画激戦区だが、殆どが2,000円前後で楽しめる中、あえて高級路線に切り替え競合の2倍以上の価格で勝負に出た。 ラウンジは映画上映の1時間前から使用出来、ポップコーンやソフトドリンクのおかわりサービスが有る。併設されたバーでは別料金でアルコールやフードも楽しめる。ラウンジに流れるBGMは坂本龍一氏が「109シネマズプレミアム新宿」のためだけに書き下ろしたもので、贅沢な気分を味わえる。座席は隣の席が気にならないプライベート感のある革張りシート、電動リクライニング機能や受電装置付きサイドテーブルも完備され、一般的シートの2.3倍の広さでゆったりと映画鑑賞を楽しめる。 これって最高じゃないですか。月に2~3回映画館に通う映画好きには大変な出費になってしまうが、私のように年に1~2回しか行かない者にとっては嬉しい!映画館で隣の席の人が動いていてストーリーに集中出来ない事が何度もあった。そんな理由もあり足が遠のいていたが、もう安心。但し、余り気持ち良い椅子だと寝てしまう恐れがある、という新たな悩みが出るかも知れない。勿論作品自体が面白くないと始まらない。先日プライムビデオで配信になった映画「ゴジラ-1.0」(ゴジラマイナスワン)を遅ればせながら見たが、最高に面白かった。アメリカ第96回アカデミーで見事「視覚効果賞」を獲っただけある。ゴジラこそプレミアムシートで見たかった。きっと音響効果も素晴らしいはず。 私、更に知らなかったのですが「109シネマズ」が初めて高級路線を打ち出したのは東京世田谷の「109シネマズ二子玉川」で、3,000円席と6,800円席を2015年に導入し、好評を博し、満を持して新宿に進出した経緯があったそうだ。現在のところ高級路線は大成功。この流れは歌舞伎、ミュージカル、落語、大相撲などにも波及する予感が。最も考えられるのは東京築地市場後に建設が予定され、読売ジャイアンツの本拠地になると噂されている「築地新ドーム」だ。巨人は2034年に創立100周年となる。何としても新球場で迎えたいはず。そして今までに無かった世界一ゴージャスなプレミアム観客席を作る事も想像出来る。メジャーリーグファンも思わず日本に行きたくなる「ファンタジードーム」を是非見たい!100万円出しても予約殺到になるのでは。読売ジャイアンツ、首を長くして待ってますよ。今からワクワクするね。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

塚紗里依

株式会社ダイブ 代表取締役社長 庄子潔

リゾートバイトには“人生を変えるチャンス”が秘められている 株式会社ダイブ 代表取締役社長 庄子潔(しょうじ きよし) ■プロフィール 1979年3月24日、宮城県生まれ。高校卒業後、音楽を学ぶ為にアメリカの短大に留学。帰国後、派遣社員として工場勤務を経て、2001年に人材派遣会社に入社。2003年、有限会社ふらり(後に株式会社アプリ→現:株式会社ダイブ)の創業期メンバーとして参画。2012年5月に代表取締役社長に就任。2024年3月27日に東証グロース市場に上場。 2002年の創業から観光施設に特化した人材サービス「リゾートバイト」を基幹事業として、観光業を軸に事業を展開する株式会社ダイブ。人と人との直接的なコミュニケーションを大切に、信頼を獲得しながら、DX化やITのマーケティングといったデジタル面まで力を注いでいる。今回は、同社の庄子潔社長にご自身のキャリアや、コロナ禍を終え観光業が再興する中でのリゾートバイトの魅力などについて伺った。 ■派遣事業の出会いから会社の立ち上げまで 留学から帰国後、最初に派遣社員として、工場に勤務しました。そこで衝撃を受けたのが、人生で初めて大人から認められる感覚を抱けたことです。この経験やお世話になった上司との関わりなどを通して、「自分を変える環境をくれた上司や先輩のようになりたい」と思い、派遣会社の社員として働くことを決心しました。最終面接まで行った会社で、「派遣会社で働く意義は誰よりも知っている」と語り、営業として働くことになりました。人材業に携わる中で、もっと人と人との繋がりづくりをあと押ししたいと感じていたとき、当時の上司のお誘いも重なって、会社を立ち上げました。 ■リゾートバイトの魅力は「変われるチャンス」にある 「付き合う人」「場所」「時間」を変えることで、人は変わります。昔教わったこの教えがいまでも心に残っていて、いつも大切にしているのですが、リゾートバイトはこの条件をすべて満たしています。そう考えると、リゾートバイトは、その人自身の人生や考え方を変える可能性やチャンスを秘めているのです。もちろん、バイト先で嫌なことに直面することもあるでしょう。ですが、それらと向き合うことで成長や気づきが生まれ、自分の可能性が広がります。この思いを持ちながら、スタッフの夢や目標に基づいて、サポートを続けています。 ■コロナ禍を乗り越えられたのは「仲間」のおかげ コロナ禍では、売り上げの7割がなくなりました。「果たしてこの会社はどうなるのだろうか」と何度も悩みましたし、いつまで同じ状態が続くかが不安でした。それでも乗り越えられた理由は、一緒にいた仲間の存在が大きかったです。先が不安な状況な中でも会社をやめずに残ってくれているメンバーがいるからこそ、彼らと一緒に耐えていかなければならないと腹を決め、前進できたのだと思います。また、どんなに追い込まれても、「観光業は平和産業のためなくならない」と信じ続けたのも大きかったです。コロナ禍にバーチャルやリモートの観光が話題になりましたが、やはり旅は自分の五感で体感することが大切だし、リアルな体験こそ不変的で、なくならないとも感じていました。いつコロナ禍が終わるかは見えませんでしたが、同じ思いを持つ仲間も一緒に「今やれることをしよう」と業務プロセスの仕組み化やシステム化を着実に進めていきました。そのおかげで、コロナが乗り越えられたと思っています。 ■2024年3月に上場。その先にある目標や夢とは 2024年3月に東証グロース市場に上場しました。今後は、リゾートバイトの存在をあらゆる世代に認知をしてもらい、「リゾートバイトと言ったらダイブだよね」と言われるような存在になりたいです。また、日本の観光業の中に浮かぶあらゆる課題を解決していきたいと思っています。有名な観光地ではない、意外と知られていない地方にも、魅力あふれる良さがたくさんあります。その地域に入って企画や集客をして、地域を盛り上げることに力を注いでいきたいです。また、海外の方が増えている中で、ワーキングホリデーや宿泊業における特定技能の受け入れなども拡大していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 若い時は失敗しても、リカバリーできます。だからこそ、大学生の時は今しかできないことをやるべきだと思います。世の中の「当たり前」を信じずに行動した方が、後々繋がってくることも多いです。株式会社ダイブは、2019年から新卒採用を始めました。弊社は「誰もがジブンの人生を愛せる世界へ」というビジョンと「一生モノの『あの日』を創り出す。」というミッションを掲げています。このビジョンとミッションに共感してくれる人と、ぜひ一緒に働きたいですね。そして、「あのリゾートバイトの経験があったから今の自分がいる」という人を、もっと増やしていきたいなと思います。 学生新聞オンライン2024年5月1日取材 慶應義塾大学3年 塚紗里依 立教大学 4 年 緒方成菜 / 慶應義塾大学 3 年 塚紗里依 / 東洋大学 2 年 越山凛乃 / 京都芸術大学 1 年 猪本玲菜 / 早稲田大学 3 年 湯浅克巳

学生新聞インターン

京セラ株式会社 代表取締役社長 谷本 秀夫

新しいニーズに応えるため、誰にも負けない努力と挑戦を 京セラ株式会社 代表取締役社長 谷本 秀夫(たにもと ひでお) ■プロフィール 長崎市出身の谷本秀夫氏は上智大学理工学部を卒業後、1982年に京セラ入社。ファインセラミック事業を担当し、焼成工程の革新的な開発などで実績を築く。2017年に京セラ社長に就任し、3兆円の売上高目標に向け、新規事業の創出や組織再編を推進。半導体関連市場向け部品への増産投資や、グループ内のシナジー追求の取組みを通じて、京セラの成長を牽引している。 「謙虚にして驕らず」をモットーに、京セラにイノベーションを起こし続ける谷本社長。創業者の稲盛和夫氏が実体験の中で創りだした同社の経営哲学「京セラフィロソフィ」や独自の経営管理手法「アメーバ経営」は多くの経営者も注目しており、日本企業の経営の模範となっている。2029年3月期に売上高3兆円達成という目標に向け、京セラの課題や今後の展望について伺った。 ■京セラの哲学に惹かれて、エンジニアとして入社 大学では、無機化学を専攻していました。有機化学や高分子化学を選ぶ選択肢もありましたが、幅広い物質を学べる無機化学のほうが好きだったからです。学業以外の時間は思いっきり遊んでいました。その中でも、友人と一緒に日本各地を旅行したのは、今ではいい思い出です。就職活動では、東京の満員電車が嫌で、地方の企業を探していました。その中でも、急成長していた上、創業者の稲盛和夫が掲げる「京セラフィロソフィ」に魅力を感じ、京セラにエンジニアとして入社しました。 30歳になった頃、新しいセラミックスの製造ラインを作るプロジェクトリーダーを任されました。セラミックスの成形工程や焼成方法の試行錯誤を重ねた結果、焼成時間を10分の1に短縮する手法を確立しました。基礎実験を3年、製造ラインの確立に半年くらいかかりましたが、今でもその製造ラインは工場で稼働しています。 エンジニアとしての功績が認められ、46歳で事業部長、54歳で本部長になり、2017年には社長に就任しました。経営に近い立場になった本部長の時代から課題として意識していて、社長になり全社で推進している取り組みが2つあります。1つ目は工場のスマートファクトリー化です。データを収集し、デジタル化を行うことで、無駄を徹底的に無くしていく取り組みです。2つ目は組織改革です。新しいイノベーションを起こすには、社内交流が活発でないと生まれにくい。そこで、組織を3つのセグメントに分けて、部門内はもちろん事業部が違うエンジニア同士を交流させました。その結果の一つとして、衣類の染色時に汚水を排出してしまうことが世界的な課題になっていた繊維アパレル業界向けに、水の利用を極限まで抑えたインクジェット捺染プリンターを開発し、社会課題の解決に貢献できる製品を市場投入することができました。 ■京セラの二つの柱「京セラフィロソフィ」と「アメーバ経営」 京セラの発展に大きく貢献しているのが、京セラフィロソフィとアメーバ経営です。 まず、京セラフィロソフィは創業期に起源があります。会社は自分の技術を世に問うためのものではなく、従業員とその家族の物心両面の幸福を追求する使命を担っている。稲盛はこのことを京セラの経営理念として明確に定めました。そして、その実現のために必要となる日々の判断基準、行動規範、具体的な考え方としてまとめたものが、現在の京セラの根幹をなす京セラフィロソフィです。 一方のアメーバ経営は、経営者マインドを持つ人材を増やし、社員一人一人に採算意識を持ってもらうための仕組みです。やり方としては、10人程度のチーム、つまりアメーバをつくります。アメーバは独立採算で経営されますから、アメーバリーダーは、経営者感覚を持った社員が増えていきます。さらに、アメーバ同士で競争させることで、生産性を上げることができます。ただ、この手法だけではデメリットもあります。競争意識が働きすぎると、自分のアメーバさえ儲かればいいという意識が強くなり、アメーバ同士の関係がギクシャクしてしまうのです。だから、前提として、京セラフィロソフィが機能し、アメーバ同士が協力するマインドがないとうまくいきません。ですので、まずは京セラフィロソフィの教育に力を入れることを意識しています。 ■ニーズに敏感に、技術力を武器に 京セラでは、セラミックスを軸に、電子部品、通信、そしてソフトウェア事業と幅広く展開しています。中でもセラミック技術では、半導体製造装置向けセラミック部品、半導体パッケージやコンデンサなど幅広く応用されており、身近なものに京セラの技術が隠れています。過去の実験データの蓄積量と、技術力の高さが我々の強みであり、高い利益率を維持できています。今後は、生成AIの普及により、大量のデータを記憶する半導体のニーズが増えるでしょう。また、半導体の市場規模はここ数年で100兆円を超えると言われており、我々の事業展開にもスピード感が求められています。そこで、現在の中期経営計画では、半導体関連への投資を重視し、こういった新しい需要に応えていく方針で経営を進めています。 ■好きが先か、努力が先か 採用したい人の特徴は、言葉だけではなく行動できる人です。挑戦して成功するのが一番好ましいですが、失敗しても構いません。挑戦する、行動することが重要です。また、入社後は、自分の仕事を好きになってもらいたいです。世間では好きなことを仕事にしようと言われていますが、うまくいかないのが現実。大学生の段階では好きなことは分からないのではないでしょうか。会社に入って、仕事に取組み、人から感謝されて初めて面白さを感じると思います。一生懸命やったからこそ、自分の仕事を好きになる。目の前のことに本気で向き合い結果を出すと、自分の仕事が好きになります。 ■今後の展望 私が入社したとき、京セラ全体の売上高は1500億円程度でした。その後、約20年で1兆円まで到達しました。事業の拡大に伴って、この時期には仕事もどんどん増えてきたので、入社して3年目くらいの時には課長レベルの仕事を任せてもらえました。しかし、そこから1兆5000億円の売上高まで成長するのに、また約20年がかかってしまいました。私が社長に就任したのは、ちょうどそのタイミングです。そこで感じたのは、会社の成長が緩やかになったことで、社員一人当たりの裁量が少なくなり、若い人の活力が失われつつあるということ。そこで、人事制度を変え、360度評価なども取り入れ、若い人の活力を取り戻そうと意識しています。まずは、成長が見込める半導体領域に力を入れて、2029年3月期に売上高3兆円という高い目標を目指して、全社一丸となって働き甲斐のある会社づくりを進めています。 ■大学生へのメッセージ 学生生活を全力で楽しみましょう。その中で、自分が熱中できることや好きなものを見つけることができれば尚更いいでしょう。悩みがあるときは、京セラフィロソフィにもある「常に明るく前向きに」を意識してほしいです。進路や勉学、プライベートなど、悩みの多い年ごろだからこそ、辛いときは誰かに相談して尾を引かないようにしてください。自分一人で悩まず、人に助けてもらうことも大切です。そして深く考えずに、新しいことにも挑戦していくと、きっと道が拓けていくはずです。 学生新聞オンライン2024年4月5日取材 明治大学大学院2年 酒井躍 武蔵野大学4年 西山流生 / 法政大学4年 島田大輝 / 明治大学大学院2年 酒井躍

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株式会社ドムドムフードサービス 代表取締役社長 藤﨑忍

39歳で働き始め、社長へ。大切にしてきたのは「他者の尊重」 株式会社ドムドムフードサービス 代表取締役社長 藤﨑忍 (ふじさき しのぶ) ■プロフィール1966年東京都生まれ。39歳の時に就職経験ゼロの専業主婦から渋谷109のアパレルショップ店長を務め、東京・新橋で2店舗の居酒屋を経営した後、2017年ドムドムフードサービスに入社。2018年同企業の代表取締役社長に就任。 日本初のハンバーガーチェーン店であるドムドムフードサービス。独自性のある事業展開で地域の人々に愛され続けている。現社長の藤﨑忍氏は2017年11月に入社し、9ヶ月後社長に就任。21歳で結婚をし、39歳で働き始めた藤崎氏のキャリアや価値観、そして同社の魅力についてお話を伺った。 学生時代は、恋愛を頑張っていました(笑)。夢がお嫁さんだったので、短期大学の児童学科に入り、入学後すぐに12歳上の国会議員秘書をしていた夫と交際を始めました。夫との出会いは、私の実家が地方政治家一家だったことから、夫が私の父の事務所に出入りをしていたことがきっかけです。夫は所作やマナーにとても厳しく、婚約期間は結婚するか迷うこともありましたが、夫を支えたいと決意し、21歳で結婚をしました。学生時代はその傍ら、母校の高校のハンドボールのコーチや東京都議会議員である父とその後区議会議員になった夫の手伝いに奮闘していました。 ■短大卒業後から居酒屋を起業するまでの経緯 23歳の時に息子を出産した後は、私立の幼稚園へ入学させたり、小学校受験させたりと育児に専念しました。しかし、2005年の7月、私が39歳の時に夫が落選と心筋梗塞を患い、私が働かざるを得なくなりました。翌月には、友人の紹介で渋谷109の店舗に入社をし、働き始めました。派手なファッションや過激な言葉を使う若者に驚きながらも、彼女ら付き合っていくうちに、誠実さや優しさに溢れていることを知り、自分自身が限られた観念の中で生きていたんだと感じました。ここで物事を多面的に見ることを学びましたね。さらに、頑張れば頑張っただけ数字として結果が出る商売に面白さを感じていました。具体的にやったことは、「年商何億円」という目標を掲げるのではなく、店舗の汚いところを掃除するなどですね。目の前の課題を、一つずつ解決することが、年商2億に繋がったと思います。 しかし業績が良くなったことで、44歳の時に経営方針の変更から辞めざるを得なくなりました 。私はビジネスについての知識はありませんから、料理好きを生かし、居酒屋でアルバイトを始めました。同時に就職も考えましたが、この居酒屋に就職は考えていませんでした。44歳の何のスキルも持たない私ではいただける賃金に限りがありますよね。それでは夫と子供を養うことができないと思い、居酒屋を起業することにしました。そして起業して1年後には来店を断ることほど満席が続き、隣に2店舗目を開きました。 ■当社に携わったきっかけから社長就任までの経緯 自分で居酒屋を起業して4年ほどたったときに、常連客のレンブラントホールディングス専務(現社長)から、ドムドムハンバーガーの事業承継するにあたり商品開発の手伝いに誘われたことで、当社に関わりを持ち始めました。2017年7月に顧問契約を結び、月に数回の会議と商品開発に携わりました。そして9月に正社員として入社し、3ヶ月店長を経験した後、東日本地区のスーパーバイザーを務めました。その後、一期目の決算結果が思わしくないこと、コミュニケーション不足の会議体、不明瞭な企業指針などの改善が必要と感じ意見の言える立場:役員になるしかないと考えました。申し出た時は勿論断られましたがその後アプローチを続け2017年8月熱意が届き社長に就任することになりました。 ■大切にしているマインド 仕事をするときは、和をもってことを運ぶように意識しています。思いやりのある言葉がけをしながら、議論を重ねた上でことを運ぶ。他者を尊重し、自分のやり方が正しいと思い込むことなく、自分の価値観を押しつけないことを意識しています。 ■当社の魅力と今後の展望 当社1番の魅力は、日本で1番古いハンバーガーチェーンとして、お客様や従業員から長い間愛されて育ってきたことでしょう。手の込んだ工程で作るハンバーガーの提供は、ドムドムだからできることだと思います。コアコンセプトである「美味しいのはお客様との最低限のお約束。」を守り続けているのです。それ以外の魅力は、枠にとらわれないお客様とスタッフに寄り添ったブランディング力だと思います。例えば、コロナ禍真っ只中には、従業員を守るためのマスクを一早く作り、店舗で販売しました。しかし、買いに来るお客様が長蛇の列を作ってしまい、密状態になったので、すぐに取りやめました。すると、ECサイトで売って欲しいと声が上がり、10日でECサイトを作りマスクを販売し、17万枚売り上げました。今ではぬいぐるみやアクセサリーの物販をしています。このように私たちはお客様やスタッフに寄り添いながらブランドを構築することに重きを置いています。これからもお客様にとってオンリーワンの店舗作りを目指し、日々お客様と従業員のご要望に応えながら、思いやりのある事業を展開していきます。 ■どんな人と働きたいか 人は十人十色なので、決まって画一的なものを持った人を採用するという感覚はありません。多様な人がいた方が面白い会社になると思います。強いていうなら、自分がやりたいと思ったことをやる人と働きたいです。 ■大学生へのメッセージ 自分の可能性は無限大だから、壁を作らず、まずやりたいと思ったことをやって欲しいです。高い目標を持たずとも 目の前のハードルを一歩一歩超え続けたなら いつの日かかつて想像できなかったところに到達すると思います。 また、「あばたぼえくぼ」を自分にも持って欲しいと思います。自分の悪いところばかりに着目するのではなく、例えば良い笑顔や良い友達がいるなどの長所を見つけ、自分を愛でて生きてほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年2月28日取材 日本大学 1年 大森雨音 玉川大学 1年 川口英莉 / 慶應義塾大学 4年 伊東美優 / 上智大学短期大学部 2年 大野詩織 / 日本大学 1年 大森雨音/ 立教大学 3年 緒方成菜 / 慶應義塾大学大学院 2年 賀彦嘉