食育日本料理家 梛木春幸
食は命をつなぎ、人は何度でも立ち上がれる。

食育日本料理家 梛木春幸(なぎしゅんこう)
■プロフィール
食育日本料理家。鹿児島県枕崎市出身。辻調理師専門学校卒業後、京都の老舗料亭で修業し、ホテルや割烹で総料理長を歴任。帰郷後、株式会社樹楽を設立し、食育講演、料理教室、商品開発、地域活性化に取り組む。フランスでも日本料理の講演・実演を行う。著書に『フランスで大人気の日本料理教室』。モットーは「日本の食文化で世界を笑顔にする」。
日本料理一筋39年。年間約300回の講演をこなす食育日本料理家の梛木春幸氏。しかし、その背景には修行時代の壮絶な過去と事業の倒産など数々の困難があった。現在は「日本の食文化で世界を笑顔にする」をテーマに活動。今回の取材では梛木春幸氏の体験談と食文化の危機や課題についてお話を伺った。
学生時代は結構やんちゃだったと思います。“やんちゃ”と言ってもカツアゲをされたやつを助けに行ってケンカをするような感じだったのですが、度が過ぎて高校もすぐに辞めました。勉強もしてこなかったので「手に職をつけるしかない」と思い、料理の世界に入りました。調理師学校に通いながら飲食店に住まわせてもらっていたので、朝はお店の仕入れをして、昼間は学校に行き、帰ってきたら夜中まで店の手伝いをするという生活をしていました。調理師学校で全ての料理を学ぶなかで、一番美味しいのは日本料理だと感じて日本料理の道に進みました。調理師学校の同期が約2500人居ましたが、私は模範生としてトップクラスだったので、人気のあった京都の嵐山にある料亭に就職することができました。でも、そこからは、壁だらけでしたね。寮は屋根に穴が空いたプレハブで、雪が降ると顔に積もったり。仕事場に行って「おはようございます」と言うと「声が小さいんじゃ」と言って殴られ。次の日は大きな声で入ると「声がデカすぎるんじゃ」と言って殴られ、ボコボコにされました。30人居た同期はみんな夜逃げして、最後は2人ぐらいしか残りませんでした。最初の頃は雑用ばかりで料理をさせてもらえなかったので、いつになったら料理人になれるのかと思い、こっそり調理場に入って魚の鱗を剥いていたのですが、もちろん先輩にバレてボコボコにされます。それでも1週間続けました。1週間も殴られると顔が腫れ上がって、人間の顔じゃなくなるんですよね。それを見て先輩達も怖くなってきたのか、「もう明日から調理場入れ」と言われて比較的早く調理場に入らせてもらい、28歳で料理長になりました。
■日本を襲う食の危機
戦後、日本の食環境は大きく変わりました。便利さと引き換えに、添加物や防腐剤にまみれた食品が日常にあふれています。現代では孤独死が増加していますが、昔なら異臭で近所が異変に気づけていたものが、最近は「孤独死しても臭いがしない遺体」が増えています。日常的にコンビニ弁当などを食べ続け、体が防腐剤に染まってしまっているからです。 コンビニ弁当に入っているのと同じ量の防腐剤をネズミに食べさせた実験では即死でした。体内で化学物質は消化できずに男性は肝臓に溜まり、女性は子宮に溜まってしまいます。しかし、自然の力は凄まじいものです。化学調味料を断ち、無農薬の有機野菜や生命力あふれる「旬の野菜」を摂れば、人間本来の「自己治癒力」が働き、毒素を排出してくれます。7歳の子供なら1週間でリセット。成人でも半年でリセットできます。また、日本の農業の現場も深刻です。農家が減っている本当の理由は、単なる「人手不足」ではありません。「どれだけ苦労しても収入が少ないから、親が子どもに継がせたくない」という悲しい現実があるのです。このままでは30年後には日本の農家がいなくなり、食料を海外に頼るしかなくなってしまいます。 だからこそ私は講演で言い続けています。「スーパーで買い物をするとき、ほんの少しでも国産や地元の野菜を選んでほしい」と。消費者が国産を買うことで農家の収入を守り、子どもたちの未来の食卓と命を守ることに繋がるのです。
■ドン底に落ちてもチャレンジ
順風満帆だったキャリアが一変したのは、母の病気がきっかけでした。看病のため地元の鹿児島へ戻る決断をした私に、周囲は「梛木はこれで終わった」と冷ややかな視線を向けました。業界の幹部としての出世コースを捨て、関西を離れることは「都落ち」と同義だったからです。その悔しさをバネに独立し、全国、そして世界へと挑戦の場を広げました。食育の講演は海外でも反響を呼び、53歳の時にはパリ・コレクションの舞台で鯛の姿造りを披露しました。さらに「桜島の火山灰」を使った「灰干し」の駅弁開発を提案した際も「できるわけがない」と笑われましたが、電気やガスを止められるギリギリまで困窮しながらも商品化に成功。大ヒットを記録しました。しかし、コロナ禍で経営は難しくなり下手なプライドが邪魔してSOSを出せず、自殺未遂を起こしたこともありました。生死の中をさまようなかで税理士と話して「死ぬくらいだったら倒産しましょう」と言われ、破産宣告しました。それからは、ファンの方などが「梛木を助ける会」を作って応援してくれました。この時は口座も差し押さえられてしまい、缶コーヒーすら買えなかったのですが、3ヶ月経ってようやくお金が入りコンビニで缶コーヒーを買って握りながら泣きました。まさか人生でこんな経験をするとは思わなかったので、当たり前のことに深く感謝ができるようになりました。この経験があっったからこそ、一度きりの人生で後悔をしたくないと思い、学生時代の夢だった歌手になろうと56歳でチャレンジしてオーディションに合格し、来年メジャーデビューが決まりました。56歳でも夢は叶えられます。
■学生へのメッセージ
人生のテーマは「人を喜ばせる」ことだと思います。人を喜ばせることが出来た人が成功します。世の中の成功者は失敗の積み重ねです。世間は失敗と言っても本人は失敗だとは思っていません。「これをやったらこうやって転ぶんだ」と学ぶのです。転びなくして成功なしというわけです。ですが、現代の人は転ぶのが怖くて挑戦しない人が多いです。「転んで学ぶ」の繰り返しです。20代30代で諦めるのは早過ぎます。頭で考え過ぎず、まずは行動。チャレンジする気持ちを大事にしてほしいです。
学生新聞オンライン2026年8月31日取材 日本大学1年 田中秀弥

情報経営イノベーション専門職大学2年 山田千遥/日本大学1年 田中秀弥


No comments yet.