衆議院議員 菊田真紀子

誰一人置き去りにしない社会へ

衆議院議員 菊田真紀子(きくたまきこ)

■プロフィール

1969年生まれ、新潟県立加茂高校卒業、中国黒竜江大学留学。1995年加茂市議会議員に全国最年少(25歳)で初当選、2003年新潟4区から衆院選初当選し、以来6期連続当選、外務大臣政務官、衆議院沖縄及び北方問題特別委員会委員長などを歴任。現在、衆議院文部科学委員会理事、立憲民主党筆頭幹事長代理。好きな食べ物は、カレーライス、麻婆豆腐(激辛)。

政治家になるつもりはなかった一人の女性が政治家の道へ進むことになった。その原点は何だったのか、また原動力はどこからきたのか。政治家として一人でも多くの人を救うために行ってきた活動と、今後の展望について伺った。

■価値観を大きく広げた中国への留学

私は高校卒業後、中国語を勉強するために中国黒龍大学で二年間の留学生活を送りました。私にとって、この頃の中国という国は近いけれど遠い存在で、大国なのに発展していない謎めいた国でした。この様な興味が、私を中国へ留学させるきっかけとなりました。当時の中国は今と違って、貧しく、発展していませんでした。そのため留学中の生活は苦しく、生きていくのが大変でした。さらに、中国と日本の国家間の交流も少なく、日本からの留学生は10人程しかいない状況でした。最初は中国人と日本人のパーソナリティの違いにとても戸惑いました。人と人との距離感の違いや、コミュニケーションの取り方の違いなどから最初は好きにはなれないと感じていました。しかし、時の経過とともに考え方が異なる人たちとの付き合い方や、お互いの違いを受け入れていく姿勢を学んでいきました。この経験から私はいろいろな価値観に気づきました。そして日本に帰国してみると、改めて日本は恵まれている国だと実感しました。毎日報道番組ではコメンテーターが様々な発言をしていますが、これは表現の自由や報道の自由があるからこそできていることです。当時の中国では、このようなことは全くできませんでした。日本にいては気づけなかった良さを、中国に行ったことで発見することができました。

■政治に全く興味がなかった私が政治家の道へ

留学から帰国後、私は中国語講座の開設や外国人支援のボランティアを行っていました。当時の地方は、排他的で外国人慣れもしていませんでした。国際結婚や働きに来る外国人の方々を支援していく活動を行っていく中で、行政の対応があまりにも遅く、オープンではないことに気づきました。これは実際に自分が行政の立場に立って変えていく必要があると感じました。そして周りの協力もあり、25歳で市議会議員の道に進みました。当時は女性が1人しかいなかったため、話題になりました。トップ当選で市議会議員になりましたが、今まで感じたことがなかった女性差別を政治の世界に入って目の当たりにしました。女性差別によるいじめもあった環境の中で市議会議員を5年間勤め、国政に挑戦しました。国政選挙で当選後、先輩に「1期生の仕事は2期生になることだ」と言われました。衆議院の場合はいつ選挙があるかわかりません。1期生、2期生の時は次の選挙で勝つために、政策を語るよりも時間があれば地元に帰り、選挙活動を行っていました。

■実体験こそが一人でも多くの人を救う術に

その後、経験を積み当選回数を重ねて、様々な政策や仕事に関わるようになりました。民主党政権時代では外務政務官を務めました。アフリカやパプアニューギニア、ミクロネシアなどの国々に日本政府の代表として行き、いろいろな外交交渉を行いました。その当時も、女性政務官ということで職務にあたり多く心配されました。しかし、女性だからと言われることがとても悔しかったため、率先して職務にあたりました。渡航してみると、現地の方々は日本から若い女性政務官が来たことを歓迎してくださって、友好的に話すことができました。また、当時から軍事政権が続いているミャンマーに行き、アウンサンスーチーさんともお会いしました。そして日本政府の意思を伝えました。これらの仕事は私にとって良い経験となり、やりがいのあるものだったと感じています。他にも、本当に困っている人々の現実に目を向けて、法律をより良いものに変えていくことで役に立つことができると喜びを感じます。実際に、災害にあった場合の支援が既存の法律では対応できない事例が多くあることを知り、被災者生活再建支援法を議員立法で改正させることも行ないました。また現在は、コロナ禍での在日外国人労働者の支援が足りていません。この様な問題において、かつて外国人支援ボランティアの経験がある私は、国会において説得力のある発言がしやすいのです。多くの経験が政治家としての幅を広げ、今に活きていると感じています。

■女性がより政治の世界に飛び込めるような社会実現に向けて

今後は“普通の人々がいろいろな問題意識をもって、政治の世界に入りやすい時代“を目指し、多様性のある政治にしたいと考えています。現在の衆議院議員の女性の割合は1割です。この数字は、戦後の女性が参政権を獲得した時代から、ほとんど変わっていないのです。女性の議席は圧倒的に少なく、増えていきません。女性の議員が増えにくい原因は、選挙活動が体力勝負なところがあることや、資金的な面、家族の了解が得にくいことなどが挙げられます。私は自然に増えるのを待っているのではなく、入り口を作ることがとても必要だと考えます。政治活動のバックアップを行うことや、3,4割を女性の議員にすることなどを法律化していかない限り、この現状は変わらないと考えています。

■大学生に向けてメッセージをお願いします

大学生は、興味の持った問題に対して学び、考え続けることをしてほしいです。更には、それを発信できると政治の入り口になるのではないかと思います。たとえ失敗したとしても、その経験から得られたものを糧に、立ち上がっていってほしいですね。私の経験上、楽をして身についたことはあまりなく、葛藤の中でやり遂げたことが何年経っても忘れずに身についています。今苦しくてやめたいと思っていることでも、あと少し頑張って継続することで必ず自分の財産になると思います。

学生新聞WEB2021年2月18日取材 文教大学 2年 坂本鈴佳

文教大学 2年 早乙女太一 / 文教大学 2年 坂本鈴佳 / 津田塾大学 1年 佐藤心咲 / 慶応義塾大学 1年 伊東美優

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