ストレッチーズ

慶應卒の高学歴コンビが、就活後も諦められなかった「お笑いの道」

ストレッチーズ 福島敏貴(左) 高木貫太(右)

■プロフィール

太田プロダクション所属の漫才師。
漫才師の頂点を決めるM-1グランプリでは
2017年から4年連続準々決勝進出。
ラジオアプリGERA「ストレッチーズのプリ右でごめん」が毎週水曜日20:00最新回更新。
K-PROライブ多数出演中。

共に慶應義塾大学卒業というスーパーインテリお笑いコンビ、ストレッチーズの高木貫太さんと福島敏貴さん。そんな天才頭脳を持った2人は、何故お笑いの道を目指そうと思ったのか?奇抜な学生時代の仰天エピソードをはじめ、ここまで共に歩んできた2人の軌跡に迫りました。

■僕らは高校時代からずっと一緒でした

高木:僕たちの出会いは高校生の頃でした。埼玉県立高校の中でも最難関校である浦和高校に通っていた僕らは、勉強が大好きな“ガリ勉”でした。ほとんど勉強に明け暮れる高校時代を過ごしていましたが、唯一文化祭の時だけはかなり気合を入れていましたね。何故なら浦和高校は男子校なんです。文化祭は一年に一回だけの女子と触れ合えるチャンスですから、気合が入りましたね。女子からの注目を浴びたくて、文化祭のイベントである“ミスコン”に福島と一緒に出場していました。浦和高校は男子校なのにミスコンがあるんですよ。男子が女装して出場するんです。この頃から僕らは人前に出て、たくさんの人を笑わせることが好きだったんです。

福島:僕らは大学も同じで、どちらも慶應義塾大学を卒業しています。僕はずっとお笑いが好きだったため、入学してすぐに慶應のお笑いサークルに入りました。入った初日に「何か面白いことをしないと!」と思い、みんながゲームキューブをやっている中に、キューブを投げて「1がでましたー!」というギャグをしたら、部長の大目玉を食らって出禁になりました。さすがにやってしまったなと思いました。
そして入学早々ハプニングを起こした春も過ぎ去り、ある夏の日、同窓会で高木に再会しました。そこで、僕が出禁になったお笑いサークルで高木が普通に活動していることを聞きました。高木が僕に「そろそろ熱も覚めたし、謝れば大丈夫!」と言うので、ある秋の日、正装である(と思っていた)スウェットを着て部長に謝りに行きました(笑)それらを経て、サークルに復帰することができました。そして高木とコンビを結成しました。高木はすでに違う人とコンビを組んでいたのですが、「出禁を食らった人」というレッテルが貼られたままで、コンビになってくれる人が見つからない僕ともコンビを組んでくれたんです。

■お笑いの道に進もうと思ったきっかけ

高木:実は僕、大学生の時に2回『学生M-1グランプリ』で優勝しているんです。2回目は福島とコンビで優勝したのですが、1回目はお笑いサークルで福島の前から組んでいた人とのコンビで優勝しています。その経験から「プロのお笑いの道に進もうかな」と思い、1回目の優勝時にコンビを組んでいた相方とお笑いの事務所のオーディションを受けに行きました。でも、そこで僕は挫折を味わいましたね。その時の面接官が僕を指差して「君、才能ないね」って言ったのです。本当にショックで、当時の相方に「俺はもうお笑いは辞める」と言って、お笑いの道を一度諦めました。
そんな僕でしたが、お笑いの道への熱意が再燃したのは2回目の『学生M-1グランプリ』でのことでした。諦めていたはずだったのですが、お笑いへの道を意識していた福島に誘われて2回目の出場を決めました。僕は「福島と最後にお笑いをやって、就活して卒業しよう」と思っていましたが、なんと2回目の『学生M-1グランプリ』でも優勝することができたのです。2度目の優勝を果たし、僕のお笑いの道への憧れが蘇ってきたのです。

福島:僕が初めにお笑いへの道を意識したのは、三井住友海上の5日間のインターンでのことでした。学生5人グループで、「保険にどうしたら入会してもらえるのか」というテーマでプレゼンをする機会がありました。そこでお笑い好きの僕が「コントをやりたい!」と言ったら、学生も、社員の人もみんな賛成してくれて、コントでプレゼンをすることになりました。そこで披露したコントが、かなりウケたんですよ。自分が作ったネタで、みんなを喜ばすことができました。それが嬉しくて、「お笑いをしたい」と思うようになりました。そして高木と出場した『学生M-1グランプリ』での優勝を経て、さらにお笑いへの想いが強くなったのです。

高木:このようにお笑いに意識を向けていた僕らですが、実は普通に就活もしています。両方とも親がお笑い芸人になることを反対していたので、3年生の1月~3月くらいまでは悩みながらも就活をしていました。全く身が入らなかったんですけどね(笑)。そんな就活の中でのエピソードなのですが、電通さんの面接日に朝起きることができず、面接をすっぽかしてしまったことがありました。15時くらいに起きてしまって、青ざめたのを覚えています。リビングに向かうと、母がとても怒っていました。なんとか言い訳をして、母の怒りをおさめなければと思った僕は、とっさに「お笑いをやるから!だから面接に行かなくていいんだ!」と言ってしまいました。この時初めて母にお笑いをやりたいと打ち明けたため、今思えば覚悟を決めた瞬間であったように感じます。

■message

福島:大学時代は自分にとって濃厚な時間であったため、今でも週5日は当時のことを思い出します(笑)大学時代の思い出が、明日を生きる希望になっていることもあると感じています。だから皆さんにも、「あの時よかったな」って後々振り返ることができる思い出を作ってほしいです。限られた青春時代の時間を、ただただぼーっと過ごすのは勿体ない。寝る間も惜しん様々なことにチャレンジして、頑張ってほしいですね。

髙木:僕は大学でお笑いサークルに入ったことがきっかけで、お笑いを目指そうと思うようになりました。元々お笑いは好きだったけど、芸人になるっていう感覚は持ったことがありませんでした。しかし、お笑いを目指す先輩、目指していたけど辞めた先輩、実際にお笑い芸人になった先輩にサークルで出会って、僕の意識が変わりました。だから皆さんには、色んな人と出会って、話してほしいです。多くの人との出会いの中で、自分のやりたいことを発見できると思います。あと、僕みたいに就職の面接日に寝過ごしてしまわないよう、気をつけてくださいね(笑)

学生新聞オンライン2021年2月22日取材 津田塾大学1年 佐藤心咲

津田塾大学 3年 脇山真悠 / 津田塾大学 3年  川浪亜紀 / 津田塾大学 1年 佐藤心咲

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