自由民主党 幹事長代行 衆議院議員 野田聖子

100%の正義はない。だからこそ「選択」できる社会を作りたい

自由民主党 幹事長代行 衆議院議員 野田聖子(のだせいこ)

■プロフィール

1960年生まれ。上智大学卒業。帝国ホテルに入社。その後、岐阜県議会議員を経て衆議院議員当選9回。郵政大臣、総務大臣などを経て、2020年9月から現職。

自民党の国会議員として、女性の社会進出に大きな影響を与えている野田聖子さん。これまで、長年に渡って、女性の地位向上や、外国人、障害者などのマイノリティのマジョリティ化に向けて、第一線で活躍されている野田さんが歩んできた政治家としての道のりや、ご自身が考える今後の日本社会のあるべき姿について迫りました。

■人生で一番勉強した大学時代と苦労した就職活動

私は高校時代にアメリカへの留学経験を経て、上智大学外国語学部比較文化学科に推薦入試で合格しました。当時、比較文化学科は四ツ谷ではなく市ヶ谷にキャンパスがあり、留学生や帰国子女など、多様な学生の集まっている学部として知られていました。留学生たちはとても勉強熱心で、私もそれに感化され、人生で一番勉強をした時期であったと思っています。また学業と並行して、サークル活動として小学校低学年から大好きであったスキーを続け、充実した大学生活を送っていました。
そして、いよいよ就職活動の時期を迎え、応募したエアラインからは内定をもらうことができませんでした。振り返ると、当時の私には特に希望職種がなく、友達と一緒にいろいろな職種の試験を受けてみるといった状態。帝国ホテルもその中の一つでした。三次募集で狭き門でしたが、英語を話せることに魅力を感じてくださって、やっと内定を掴むことができたのです。

■女性幹部として採用された帝国ホテルでの、厳しい研修の日々

当時、大卒の女性社員は珍しく、幹部候補として採用されました。入社後すぐに研修を行い、私は客室係として現場に出ることになりました。ホテルでの華やかな仕事を想像していた私は、客室掃除が仕事だと知ったとき、とてもがっかりしたことを覚えています。しかも任されたのはバスルームの掃除。手袋もない時代でしたから素手でトイレ掃除をしたり、四つん這いになって、床に落ちている髪の毛を一本一本拾ったりと、家でもそんなふうに掃除をしたことがありませんでしたから、本当に辛い業務でした。
その後、暫くしてレストラン部の業務へ移ることができましたが、そこで出会った先輩の指導が厳しく苦労しました。最終的にはその先輩と仲良くなることができましたが(笑)。そのほかにもお客様にコーヒーをかけてしまったり、目玉焼きを落としてしまったりと、何度も失敗を重ね、仕事を辞めたくなる時もありましたが、「すぐにやめたらかっこ悪い!」と自分を鼓舞して何とか続けました。今思えばこのような経験をしたからこそ、困難に直面しても、きっと何とかなると前向きに考えられるようになったのだと感じています。

■祖父からの「しごかれて来い」の一声で、国会議員の道へ

帝国ホテルでは、女性初の国際セールス営業を任されるまでになり、充実した日々を過ごしていました。そんな折、政治家であった祖父を支えていた後援会の方々から、突然「選挙に出馬してみないか」と連絡があったのです。急なことで戸惑いましたが、その後援会の方たちは保守的な岐阜を変えたいと考えていて、「君しかいない」という言葉に背中を押され県議会議員選挙に出馬し当選、26歳で政治の世界へ足を踏み入れることとなりました。地元の方々に支えてもらいながら県議会議員として日々を過ごすうち、「もっと岐阜を、日本を良くしたい。」「皆の要望を実現させたい」と考えるようになりました。祖父からも「政治を極めるなら国会議員になって、しごかれて来い」と後押しされ、32歳で衆議院議員に初当選し、国会議員となったのです。

■国会議員の仕事とは

私が国会議員となった時、自民党の衆議院議員で女性は私一人でした。ある日、女性の国会議員にどうしても話を聞いて欲しいと、ある1人の女性が訪ねて来ました。話を聞いてみると「日本の富裕層の男性の中に、海外で性的暴力をしている人がいる。何とかしてほしい」という相談でした。カンボジアなど東南アジアの国で幼い女の子を安いお金で買い、性的暴力をしている男性たちがいるというのです。当時の日本は性的暴力の取締りが進んでおらず、海外からも「児童ポルノ大国」などと呼ばれてしまうような時代で、このような犯罪を裁く法律がなかった日本に、私は酷く失望したことを今でもよく覚えています。そして、顔も知らない海外の女の子たちを、何とか助けようと懸命に働きかけているその女性の行動力に突き動かされ、「国会議員である自分が法律を作って、この国を変えないといけない」と強く思いました。私も実際に日本人男性が性犯罪をしていると思われる現地に赴き、聞き込み調査などを行って実態を顕にし、7年かけて海外での性犯罪も取り締まる法律(「児童買春、児童ポルノ禁止法」)を作り上げました。このように「国民の声、多様な考えや想いに耳を傾け、それを実現するために法律をつくる」これが国会議員の仕事なのです。

■社会のマイノリティをマジョリティにしたい

今後の展望のひとつは、初当選の頃から呼びかけている「選択的夫婦別性」の法律を成立させることです。選択的夫婦別性は多様な国作りに欠かせないものであると思っています。
多様性を認め、受け入れることは、寛容な社会を作るために大切なことです。自分の正義と他人の正義、正義は人それぞれ異なる。100%の正義、100%の完璧はないからこそ、選択できる社会を作っていく必要があるのです。また、社会のマイノリティをマジョリティにしていきたいと思っています。外国人や女性、障害者などのマイノリティの生きにくさに目を向け、多様な個性を持った人たちが、この国で暮らしやすく、そして大いに活躍してもらう。それを当たり前にしていきたいのです。例えば今は「政治=男性が行うもの」という印象が強く根付いてしまっていますが、私はこのような古い固定観念を打破したいと思っています。女性の職業選択の中に、当たり前に政治家が入る時代の到来を望んでいるのです。

■人に接するときは、自分の偏差値は0だと思うこと

私は推薦入試で大学に入学したため、自分の「偏差値」というものを知りません。日本では偏差値を物差しとして比べ合い、卑下したり、優越感を抱いたりしますよね。しかし実際には、偏差値はその人自身を測るものさしになりはしません。私たちは、自分自身の目でその人を見つめ、動物的感覚でその人となりを見極めるべきでしょう。私は自分の偏差値を知らないことで、何の先入観も持たず、平等に人を見極めることができているのではないかと思っています。だから皆さんも、自分の偏差値は0だと思って、人に接してみてください。その人の本質が見えてくるのではないでしょうか。

学生新聞オンライン2021年3月12日取材 津田塾大学1年 佐藤心咲

日本女子大学 2年 神田理苑 / 津田塾大学 1年 佐藤心咲 / 津田塾大学 2年 宮田紋子




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