衆議院議員 復興大臣 西銘恒三郎

復興大臣として福島の今を届け、福島を世界に冠たるものに

衆議院議員 復興大臣 西銘 恒三郎(にしめ こうさぶろう)

■プロフィール

1954年生まれ。上智大学経済学部卒業。沖縄振興開発金融公庫に入社後、米国Tulane大学院留学。その後、沖縄県知事秘書、沖縄県議会議員を経て、衆議院議員当選5回。これまでに総務副大臣、経済産業副大臣、自由民主党副幹事長等を歴任し、2021年10月から復興大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)。

復興大臣として被災地に寄り添い、現状課題の解決に日々尽力している衆議院議員の西銘恒三郎大臣。西銘大臣自身の思い出深い大学時代の青春や、被災地に向ける思いに迫りました。また、設置が10年延長された復興庁が期待を込めて今後設置を試みる「福島国際研究教育機構」の目標とは。

■勤勉で、男の絆を深めた学生時代

大学では柔道に明け暮れていて、大学を卒業したというよりか柔道部を卒業したようなものです。中高時代は野球少年だった私は、柔道は大学から始めたので、中高と柔道をやってきた仲間に混ざって練習をするのは大変でした。厳しい練習の日々で柔道部に入ったことを後悔した日もありましたが、柔道部の男友達と友情を深めることのできた良い経験でしたね。

しかし、毎日柔道部の仲間と共に学校生活を過ごしていたことで、女性とは4年間で全く関わりを持つことができませんでした。私が通っていた大学は上智大学だったので、女性が多い大学ではあったのですが、本当に一度も女性と会話をしたことがなかったのではないかと思うくらいに、女性と過ごした大学時代の思い出がないのです。

しかし、気になった女性に自らアタックは、何度か試みたことがありましたね。
1人目は私が応援団をしていた時に、チアガールとして踊っていた先輩の女性でした。当時は携帯電話がなく、連絡先も聞くことができなかったのですが、その先輩の卒業式に花を渡しました。会話もすることができず、花を渡して去っただけですが、良い思い出です。
2人目は授業に遅れて教室に入ってきた女性でした。とても美しい女性で興味が湧いた私は、想いを手紙に書き留めて渡したのです。お手紙でお返事をもらうことができたのですが、「お友達でいましょう」という内容で、残念ながら恋が実ることはありませんでした。しかし、どちらの思い出も、大学時代の素敵な思い出になっていますよ。

また、私は大学時代勉強にもよく励んでいました。3年生の頃には単位をほとんど取り終わって、4年生ではゼミしか残っていなかったくらいに、授業には熱心に取り組んでいました。勉強に励むことができたのは、いつかアメリカかフィリピンに留学したいという気持ちを持っていたからでしょう。その夢は学生時代には実現することができませんでしたが、社会に出てからも勉強を続け、アメリカ留学の機会を得ることができました。しかし、留学先でも勉強をする日々が続き、毎日図書館と学校の往復で、夢が叶ったものの正直苦痛ではありましたね。ですが、この経験は現在の自分の土台となっている経験でもあったと今は思っています。

■復興大臣として福島の今を世界に届ける

復興大臣としてなによりも大切な事は、現場主義に徹し、被災者に寄り添った仕事をすることです。震災を受けた現場に何度も赴き、現場を見て、現場で生の声を聞くことによって、被災者に寄り添った課題解決ができるよう務めています。東日本大震災はこの3月で、被災から11年を迎えますよね。しかし、福島では現在3.4万人ほどの方々が、まだ避難生活を余儀なくされている状態です。震災から11年という月日は経ちましたが、震災の爪跡はまだ被災地に残っているのです。だからこそ、当初震災から10年という期間で内閣に設置された復興庁は、期間を延長して2031年まで設置されることになりました。

令和4年度の復興事業に係る予算案は5790億円となりますが、そのうち原子力災害からの復興・再生のために使われる予算として4452億円を計上しています。被災地にはまだ除染作業が済んでいない地域や、一時的な避難によって人口が減ってしまった地域、インフラや住宅設備が整っていない地域など、それぞれの市町村ごとの課題は違います。現場主義に徹し、市町村ごとの課題を見極め、限られた予算の中でどれだけ被災者に寄り添った課題解決ができるかが要でしょう。

また、福島にロボットなどの国内外の専門家を集め、研究と教育の拠点を造るための「福島国際研究教育機構」を置くことで、福島の復興により近づいていくのではないかと期待しています。3月までに枠組みを作り、法律を国会で通すことが直近の目標になるでしょう。私は、この「福島国際研究教育機構」を世界に冠たるものにしなければいけないと思っています。

現在、福島県産の食品等は14の国・地域から輸入規制をかけられています。最近では、台湾が規制緩和案を発表する等、各国・地域で規制の撤廃や緩和に関する動きもあります。今後、規制が残る中国や韓国等での輸入規制撤廃にもねばり強く取り組んでいかなければならないのですが、未だに世界において福島の食品等へのイメージは改善されていません。データで見れば被災地の食品等が安全ということがわかるのですが、なかなか世界にそのことが届いていないのが現状と言えるでしょう。「福島国際研究教育機構」を置くことで、福島の現状が世界に届くことを私は切に願っているのです。

■学生へのメッセージ

67歳になった私が今人生で一番大切であると思う事はコツコツと努力することと、歯の健康を守ることだと思っています、アメリカに留学するときに、私は「アメリカで虫歯になったら大変だ」と思い、事前に歯を治療してから日本を出ました。歯は食事をするのに欠かせないものであり、食事は毎日とる必要がありますよね。私はアメリカ留学へ行った26歳の時にそのことに気が付き、人生は歯が一番大事だと思いました。朝昼晩の食事をする前の5分間で、何か一つでも自分のためになる学びをしてみるだけでも、目標に近づくのではないでしょうか。実際、その5分を毎日続けるのは難しいと思いますが、コツコツ努力を続ける事は必ず皆さんの力となります。コツコツとした努力と丈夫な歯を大切に、4年間の大学生活を有意義なものにしてください。

学生新聞オンライン2022年2月14日取材 津田塾大学2年 佐藤心咲

津田塾大学2年 佐藤心咲 / 立教大学3年 須藤覚斗 / 明治大学3年 酒井躍 / 関東鍼灸専門学校2年 竹原孔龍

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