参議院議員 今井絵理子

障がい者との健常者の垣根を超え、共に交流し暮らしていく社会へ

参議院議員 今井絵理子(いまい えりこ)

■プロフィール

八雲学園高校卒業。平成8年、SPEEDのメンバーとしてデビュー。平成12年、SPEED 解散後、ソロとして活動開始。平成16年、長男を出産。平成20年、息子の聴覚障がいを公表。NHK「みんなの手話」の司会を歴任し、講演・執筆などを行いながら幅広く活動を展開。平成28年、第24回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国比例区より立候補し、初当選。

人気グループ・SPEEDのボーカルから政治家に転身した今井絵理子氏。歴史上はじめて手話を含めた代表質問を行った政治家だ。自身も聴覚障がいを持つ子どもの母親であり、障がい者やその家族の代表者として、障がい者と健常者との壁を取り払うべく最前線で活動している。今井氏が政治家になるまでの経緯や今後の展望について、その詳細を伺った。

■人気グループのメンバーとして駆け抜けた10代

12歳のころからSPEEDのメンバーとして活動していたので、一般的な学生生活を送ることはできませんでした。本当に忙しく、振り返ってもあまり記憶にないほど駆け抜けた日々でした。でも、当時の夢であった歌とダンスに趣味の延長線上として取り組むことができていたので、充実したお仕事でしたね。10代半ばで親元を離れて生活していたことからホームシックになることもありましたが、活動を通して海外に行くこともあり、若い頃から貴重な経験ができていたと感じています。

■障がい者家族の声を実現するため政治家に

21歳で出産を経験したのですが、子どもに聴覚障がいがあったことから障がいについて学び始め、同じ境遇の親御さん方や子どもたちのためになることはないかと考え始めました。そこでSPEEDの音楽活動の傍ら、特別支援学校や養護施設にてボランティアで歌を届けるようになりました。その活動の中、現参議院議長である山東昭子さんと出会い、声を掛けていただいたことをきっかけに政治の道を選択することに。
実はお声がけいただいた当時は、子育てと音楽活動が中心でしたので政治に関心があるほうではありませんでした。ですが、今振り返ると、ボランティア活動を通して、最終的には政治家になる道だったのかなと感じています。歌を届ける活動の中で、同じ境遇のお母さんたちや障がい当事者と出会い、直接様々な意見を聞いてきました。しかしそれらの問題を共有しても一人のアーティストとしての意見でしかなく、世の中を変える仕組みづくりをするには、政治家になるしかないと思い、決意しました。

■多くの人が障がいについて考える社会を作りたい

議員としての柱は、障がい者施策です。日本の障がい者施策は先進的である一方で、手話など情報保障の面では、まだまだ不足しているのが現状です。例えば、防災無線は聴覚障がいの方には届かないため、東日本大震災の時には、多くの聴覚障がい者の方が被害に遭われました。安全な街づくりの実現のためにも、障がい者の方々の声を政策に取り入れていかないといけません。当たり前ですが、政治活動は一人で実現できることはなく、法律や政策を作るためには多くの議員の賛同を得る必要があります。時間が掛かって大変なことではありますが、やりがいや充実感を感じています。障害者差別解消法ができて、もうすぐで8年が経ちますが、障がい者に対してわからないがゆえの無意識な差別的対応をしている可能性もあると思います。SNSのツールや多くの人と直接、あるいはメディアを通じて触れ合うことで、障がいについて考え始めるきっかけになればと思います。

■国会史上初となった「手話」での決算質疑

大きな一歩としては、130年にわたる国会史上初の取り組みとして、私が本会議の代表質問に立った際、手話を併用した決算質疑をしたことです。そして、令和3年からは参議院の本会議中継の一部で、手話通訳が配置されることになりました。まだ委員会などには、手話通訳士や字幕などの情報保障がない状況なので、そんな現状を改善し、誰にとっても平等に情報が行き渡る世の中にしていきたいです。
内閣府大臣財務官時代には、男女共同参画について取り組んでいました。幅広い方々と意見交換する中で、女性のキャリア形成についての難しい現状も把握しています。しかし私は、女性活躍社会という名目ではなく、個人が性別や障がい、年齢に関係なく、その人らしく輝き、生きていけるような多様な選択肢がある世の中を作ることが重要だと感じています。

■無意識的な差別を取り払うため共に学ぶ場を

無意識に障がい者を差別してしまう風潮を減らすためには、教育面での変化も大切です。幼いころから障がいの有無にかかわらずに学びの場や楽しく交流する場を提供していくことで、健常者と障がい者の垣根を取り払っていきたいです。たとえば、特別支援学校だけではなく自分の住んでいる地域の学校で教育を受けたいという声もあります。現状はまだみなさんが納得していただける支援体制が整っていません。柔軟に対応できる教育システムを構築していきたいと思います。また、障がい者本人や家族が安心して暮らすためには、雇用されるだけではなく、自ら起業していくなどというチャレンジできる環境を整えることが大切だと思います。今後も、社会が生み出す障がいという壁を取り除くべく、働きかけていきたいです。
障がいの壁を取り払う取り組みの一つとして、デフリンピック誘致活動があります。活動の目的は二点あります。一点目はスポーツを通して健常者も障がい者も垣根を取り払うこと。二点目は、スポーツを通して障がい者やその家族に体を動かす楽しみを知ってもらう機会を提供していきたいです。

■自分の目で見て、体験する機会を増やしてほしい

多くのことにチャレンジし、恐れずに一歩進んで取り組んでほしいです。大人になると何かと自分に制限をしてしまいがちなので、大学生の時間を有意義に様々なことにチャレンジして欲しいです。壁にぶつかることもありますが、壁は自分自身を成長させるものと捉えること。それが、物事に取り組む際の心構えとして大事になっていくと思います。また、情報社会だからこそ、多くの情報を収集できるため、体験していなくても知識が増えていきますが、現場に行き、自らの目で見て、聞いて心で感じる「体験」をたくさんしてください。
また、もし周囲に障がいのある方がいたら、ぜひコミュニケーションをとってみてください。「何か困っていることはありますか」「どのような対応がいいですか」と素直に聞くことも大事です。わからないままにするのではなく、進んで心を開いて、少しでも理解することで、障がい者に対する無意識な差別も減少していくのではないでしょうか。

学生新聞オンライン2021年3月17日取材 横浜市立大学 3年 小熊結菜

文教大学 2年 早乙女太一 / 横浜市立大学 3年 小熊結菜 / 津田塾大学 1年 佐藤心咲 / 津田塾大学  2年 宮田紋子/ 東洋大学 2年 伊佐茜音


 

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