立憲民主党所属の衆議院議員 立憲民主党副代表 同大阪府連合代表 辻元清美
ピースボートの運営で知った「夢」を持つことの大切さ
■プロフィール
1960年奈良県生まれ、大阪育ち。早稲田大学教育学部卒業。
学生時代にNGOを創設、世界60カ国と民間外交を進める。
1996年、衆議院選挙にて初当選。
2009年 国土交通副大臣、2011年 災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官、2017年史上初の野党第一党の女性国対委員長を歴任。現在、立憲民主党副代表。
やりたいことは、行動に移すこと。若者に宛てたこの言葉は、衆議院議員の辻元清美氏の「これまで」を物語っていた。大学では国内外の諸問題に向けたNGO団体を発足後、まさかの船で国際交流。卒業後には時代の潮流を問わず、新しい仕事の分野として開拓。その延長にあった議員としての国際化に向けた取組みについて伺った。
■教科書問題への問題意識から立ち上げた、NGO団体「ピースボート」
社会科の先生を目指していた大学時代、私にとって非常にショックな出来事が起こりました。1980年代に起こった教科書問題について、理解できなかったことです。当時、歴史の教科書において、世界大戦時の日本政府の行いに関する記述が問題視されていたのですが、私はこうした歴史認識について何も知りませんでした。
それを機に立ち上げたのが「ピースボート」でした。これは平和・民主主義・人権問題など様々な社会問題をテーマに、各国の現地で国際交流をするというNGO団体です。
東西冷戦の時代に東西の壁を近くし、最初に風穴をあけるべく、全力を尽くしました。戦後のカンボジアへ援助物資を運んで女性支援をしたり、抗生物資をパレスチナへ送るために、東西冷戦時代に、西側諸国のベトナムやカンボジアに船を入国させたり、時には韓国に行った船で北朝鮮へ行ったりと、様々な活動を行いました。
現在、ピースボートは、今や国連の特別協議資格を持ち、核兵器の禁止・廃絶に向けて活動するNGOの連合体「ICAN」に加わって、ノーベル平和賞を受賞するに至っています。学生4人から始めたサークルがここまで成長するとは、いまだに感慨深いです。
■NPOの法的ステイタスの確立のため、議員を志す
しかし、1980年代当時、環境や人権問題を取り扱う社会事業が主流となる欧米の波に、日本は未だ追いついていませんでした。私たちは、ピースボートを社会事業の草分け的存在として成立させようと手探りでやっていましたが、特に大変だったのが費用の調達と世間の信用を得ることでした。ピースボートは「世界一周旅行」でも知られていますが、初めての世界一周には15億円近くもかかり、借金をすることもありました。
より安く船を借りるために、ギリシャやウクライナなど各国へ交渉しに行きましたが、株式会社でもないため信用を得るのは大変でした。最初のギリシャの船主との交渉も、浴衣を着てアテネへ行くというアタックを繰り返して、ようやく成立しました。また、阪神淡路大震災におけるボランティアでは、当時の日本では非営利団体への信用が乏しく、怪我をしても保険が効かないというのが現状でした。
そこで、「日本にも欧米のNPO法のように法的なステイタスをどうにかして作りたい」と考えたのが、議員になったきっかけの一つです。実際に当選後には、NPOという言葉すら日本になかった時代に議員立法として成立させることが出来ました。
■「やらずに後悔するより、やって後悔」を選択。そして議員に。
議員になったもう一つのきっかけは、当時日本で初めての女性の衆議院議員議長になった土井たか子さんから、立候補の要請を受けたことです。日本では女性議員が少ないため、女性代表としてこれまでの経験を政界で活かして欲しいとのことでした。世襲議員でもなければ、お金は一文もなく、最初は躊躇いもありました。でも「やって後悔した方が自分で納得がいく」と、要請を受けた翌日にはもう、中立的存在であったピースボートを辞め、決断していました。選挙がすでに1週間前に迫っていたからです。これを踏まえ、若い方には人生の転機があった時には、「迷わずにやる」ということを伝えたいです。若ければ、失敗をしてもまだやり直せます。そして考えるのは一時間だけに。1日中考えると、失敗が恐くて、挑戦をやめてしまうことがあるからです。
■政治家になって痛感した、現場の声に耳を傾けることの大切さ
NPO法の立法の他、阪神淡路大震災の被災者と共に被災者再建生活支援法を作りました。かつては、災害で家が全壊しても「私有財産だから」という理由で国から1円も保証されなかったのですが、その状況を変えたことで、東日本大震災や集中豪雨時の被災者救済に役立てることができました。その後、震災を受け、命を守ることも政治の役目だと思うようになり、防災士の資格も取り、災害対応に取り組んでいます。
また、政治家として活動する一方で、介護ヘルパーの資格も取りました。議員にとって大切なのは、直接現場を知ることです。高齢化社会になり、誰もが自分でなくとも親の介護など、誰しも介護の必要可能性が出てくる現在、現場を知る必要性を強く感じたからです。
■誰もが生き方を選択できる、男女平等の社会に向けて
現在、私が取り組む課題のひとつが、選択的夫婦別姓です。オリンピック参加国206カ国のうち、法律で結婚後にどちらかの姓に決めなくてはならないのは日本だけで、夫婦別姓が認められないのは国際的に見て非常識だと思います。“家”同士の結婚が当たり前だった時代は過ぎ去り、現在は、結婚後に専業主婦ではなく、働く女性も増えてきています。今後は姓を国ではなく、家族や個人が決めるという選択肢を増やすべきだと考えます。
また同性婚の実現に向けた取り組みも進めています。台湾ではデジタル担当大臣のオードリー・タン氏がトランス・ジェンダーを公言したり、ニュージーランドでは少数民族や移民出身者の閣僚の数を決めているのに加えて、男女同数も導入されています。こうした各国に倣い日本も多様化を尊重すべきと考えています。
さらに、働く女性の雇用形態、給与の現状から、意思決定の場に意識的に女性を取り込むという風潮が必要だと考えます。実際に男女が同じ人数だけ意思決定の場にいる国では、情報公開度が高く、社会保障政策も進んでいます。これは結果的に老後の安心、経済循環、財政赤字の減少にも繋がっていきます。ただし、どこの国も初めから男女平等が実現していたわけではなく、一定の割合で女性を取り入れるクオータ制などで徐々に実現してきています。私もこのような男女同数の平等な議会の成立や少子化問題の解決に向けて、今後も活動していきたいと考えています。
■「今を生きること」を大切にしてほしい
大学生へのメッセージとしてお伝えしたいのが、「いくつになっても夢を持とう」ということ。ある一定の歳になると「現実を見なさい」と言われるかもしれません。でも、いつまでも夢みたいなことを言い続けるのには、エネルギーがいるんです。このエネルギーを持ち続けるうちに、夢は言葉になり、言葉が意志になる。やがて意志が行動を生み、行動が連帯を生む。このプロセスの大切さを、ピースボートを運営する中で気づき、信じてきました。今後もこのプロセスを追い求めていく人でありたいし、みんなにもそうであって欲しいと思っています。例え夢がまだ無くとも、「今を生きるということ」を大切にして欲しいです。今を精一杯生きていたら、次に何かしらが繋がっていくと思いますから。
学生新聞オンライン2021年3月10日取材 津田塾大学2年 宮田紋子
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