株式会社キッズライン 代表取締役社長 経沢香保子

今がある理由は、どんなに周囲から反対されても、ただ「諦めなかった」こと。

株式会社キッズライン 代表取締役社長 経沢香保子(つねざわかほこ)

■プロフィール

桜蔭高校・慶應義塾大学卒業。リクルート、楽天を経て26歳で「トレンダーズ」を設立し、2012年、当時女性最年少で東証マザーズ上場。2014年に再びベビーシッター・家事代行サービスを展開する「キッズライン」を創業。日本にベビーシッターの文化を広め、女性が輝く社会の実現を目指す。著書に「すべての女は、自由である。」等。

「日本にベビーシッターの文化を」「家事代行をあたりまえに」をビジョンに、女性が輝ける社会を目指して、子育て中の家庭を支える株式会社キッズライン。2014年にサービスを開始して以来、サービス提供は累計150万件を超え、3300人を超えるサポーターが在籍。共働き世代の増加や女性の社会進出が課題となる現代において、ベビーシッターや家事代行の意義とこれまでの経沢さんのキャリアについてお話を伺った。

中学・高校は女子校だったので、俗にいう世間知らずだったかもしれません。大学に入ってからは、高校時代にはできなかった、スポーツとアルバイトに打ち込んでみたいと考えました。そこで、せっかくやるなら一番を目指したいと、大学から始める人が多いスカッシュに打ち込みました。部活が忙しかったので、効率よく収入を得るために、自分の特技を活かしてアルバイトする方法を考え、家庭教師を選びました。中学受験で鍛えた算数の力が、中学受験を控える算数の苦手なお嬢さんを持つご家庭から大人気で、口コミで広まりました。算数の苦手な女の子にとって、男性の先生よりはロールモデルになるような女性の先生の方が受け入れやすいと考えるようで、女性ならではの立場を生かして、たくさんの生徒さんに恵まれました。

■女性としてどう生きていくのか

学生時代の頃から、大学を卒業したら自分はどのように生きていくのかずっと考えていました。将来どんな職業につけば、仕事と育児が両立できるのか?私が就職したのは、就職氷河期と言われる1997年ごろでしたので、当時は、女性が家庭と仕事を両立するという考え方が企業側にも、女性側にもなかったので、どうしていいのか全くわかりませんでした。
であれば、たくさんのOB訪問をして、男女関わらず実力で勝負できる環境に入社したいと考え、新卒でリクルートに入社しました。営業1年目でも5年目の実績が出せればシンプルに評価されるのではないかと思い、仕事に打ち込みました。入社直後、配属されたチームの同僚や上司に新人の私が強く喜んでもらえることはないかと考え、新人の関門である名刺集めで1位になろうと決めました。先輩に名刺集めのコツやペースを相談したり、自分の顔とプロフィールを載せたチラシを配ったりして、1日100枚、1時間で20枚など小刻みに目標設定し、ただひたすら頑張っていました。そんな努力の成果もあって、名刺集めで関東No.1に輝くことができ、チームにも喜んでもらえたと思います。

■女性も社会に進出できるように

その後、インターネットのブームがやってきて、自分の持っている「営業力」という武器をIT業界で活かすことを考え、創業間もない楽天に転職しました。楽天ではまだ社員が17人くらいしかいなかったので、社長のそばで、新規事業の立ち上げなどをどんどん任せていただきました。その経験が、「社長という人間の頭の中身をインストール」できた貴重な機会となりました。
楽天ではMBAホルダーも多く、私も30歳になるまでに何者かになりたいと思った際、選択肢の一つとして「留学」があるのではと考えるようになり、その後楽天を退職し、留学することにしました。
しかし、会社を辞めて留学準備をするつもりが、自宅にいることでただのニートのようになってしまいました。そのうち知り合いの社長さんたちに「新しい女性向けビジネスを考えているのでリサーチして欲しい」など、個人事業主としてさまざまな仕事を任されるようになりました。そこで初めて「女性という視点が世の中に必要とされている」と実感しました。世の中の95%は男性社長だけれど、消費の中心は女性。だからこそ、女性ならではの立場を生かしたマーケティングをしようと考えたんです。
最初は一人で女性向けのリサーチなどの仕事を受けていたところ、「取引するのなら会社にしてほしい」と依頼を受け、26歳で初めて起業しました。その時は、自室のマンションで、まさに何もないところからのスタートでした。ネット上で無料の求人広告を出し、ポツポツとメンバーを集め、そして1社目の「トレンダーズ」が軌道に乗り始めました。すると、次は、妊娠が発覚。社長が出産することも珍しかった時代だったので、出産することを周囲に特には言わずに、普通通り出産の直前まで働いていましたし、生んだ後も変わらずに働くつもりでした。
しかし、生まれた子に障がいが見つかり、24時間看護が必要なことが分かって、私の人生は一変しました。社長を辞めることも考えましたが、社員の人生も抱える責任があります。どうにか助けてもらえる人はいないかと、看護ができるベビーシッターを必死に探しました。
当時、ベビーシッターは富裕層だけが利用できるもの、そんな時代でした。ベビーシッターを雇うには、電話やFAXでやり取りが必要で、コーディネーターが自宅に来るなど、手間も多くかかります。自分の収入以上の費用をベビーシッターさんに払いながら、仕事に向き合う日々が続きました。ある日、ベビーシッターさんに聞いてみると、自分が払っている時給よりもずっと少ない額しか受け取っていなかったんですね。双方にとってまだまだ課題があるシステムだと感じました。世の中の全ての人が使いやすく、働く方も幸せになるベビーシッターサービスはなんだろうかと考えました。
そのような出来事や、経営者をしながら3人の子育てをした経験を経て、私が2度目の起業したのが、株式会社キッズラインです。キッズラインは、インターネットを通して、スマホでベビーシッターや家事代行を依頼できるシステムです。ベビーシッターや家事代行として働く側の人も、自分で時給を設定できたり、好きな時間にだけ働けるなど、依頼する側と働く側双方の希望が叶えられるようになっています。実際に自分が子育てを経験したからこそ、生まれたビジネスモデルだと自負しています。

■自分の信念を貫くことが成功へ繋がる

「キッズライン」を創業する前に周囲に相談すると、多くの方に反対されました。「日本にはベビーシッターは広まらないよ」とか、一度起業して大変な思いをしたからこそ、自分の親にも「大人しく子育てに専念するのはどう?」など言われたこともあります。今思うと、当時は誰しもが、育児は女性がするものという観念があり、「ベビーシッターなんて海外では広まっているかもしれないけれど、日本には広まらないでしょ」と、みんなが思い込んでいたと思います。そんな状況だったので、当時は理解してもらうのがなかなか難しかったのかもしれません。それでも、とにかく失敗してもいいから、まずは一人でやってみようと考え、ただひたすら、女性の出産や育児の負担を減らすため、必死に動きました。
でも、サービスがスタートしても実際はなかなか社会的信用が得られず、「まだ使ったことがない」というハードルの高さを感じました。そこで私は「男性経営者に訴えかけてみてはどうか?」と、視点を変えてみました。
その時チャレンジしたのが、企業の社長さんたちが多く集まるサービスのピッチイベントで、ベビーシッターの必要性をプレゼンすることでした。当時は、今よりもベビーシッターという概念が世に浸透しておらず、人に子供を預けるという考えが受け入れられていませんでした。そこで多くの女性社員を抱える社長に「あなた方の会社でも、出産や育児で、女性が辞めてしまって大変ではないですか」と訴えました。
それから徐々にベビーシッターを利用してくださる方が増え、今では、「日本にベビーシッター」のみならず「家事代行をあたりまえに」をビジョンに掲げ、たくさんのお客様から支持をいただいていることを、とても嬉しく思っています。そして創業した10年前に比べると、随分「ベビーシッター」が育児の選択肢の一つに入ってきていると実感しています。とはいえ事業としてはまだまだなので、これからも精一杯頑張ります。

■大学生へのメッセージ

今の大学生は、昔に比べて授業も忙しく、とても大変だと思います。特に現代はSNSなどの普及によって様々な情報が入ってくる分、選択肢がとても多い。数ある選択肢の中から、自分のやりたいことを信じて貫いてほしいと思っています。たとえ周りに反対されても、心折れずに立ち向かっていってほしいです。自分に自信を持つことは難しいことですが、失敗してもいいからやってみようという気持ちで、行動に移すことが大切です。私が今このような立場にいるのは、「自分は諦めなかった」「自分の信じたことをただただ行動に移した」それだけです。人生の中で信念を持って、自分の信じた道を、オンリーワンの道を生きることで、社会の役に立てることが、自分にとっても周囲にとっても何より大切だと感じています。

学生新聞オンライン2023年5月10日取材 上智大学2年 白坂日葵

慶應義塾大学4年 伊東美優 / 上智大学2年 吉川みなみ / 専修大学4年 竹村結 / 慶應義塾大学2年 加藤心渚 / 上智大学2年 白坂日葵

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