株式会社エスワイフード 代表取締役 山本久美
一緒に守り続けていく、山ちゃんの成長と独自の文化
株式会社エスワイフード 代表取締役 山本久美 (やまもとくみ)
■プロフィール
1980年 名古屋市立守山中学校 入学
バスケットボール部に所属し、3年間全国大会優勝を果たす
1986年 愛知教育大学入学
1990年 名古屋市内小学校教諭となる
小学校男子クラブチーム(ミニバスケットボール)の監督として全国で3度優勝
2000年 結婚を機に退職
株式会社エスワイフード入社、役員となる
2016年 8月に夫である前会長山本重雄の急逝により、株式会社エスワイフード代表取締役となり、現在に至る
“世界の山ちゃん”で有名な株式会社エスワイフードの代表取締役である山本久美氏。創業者であるご主人の急逝をきっかけに専業主婦から急遽経営者となった山本氏に、学生時代と小学校教諭時代の経歴と、今もなお成長し続ける山ちゃんの魅力と変革について伺った。
私の学生時代を振り返ると、中学時代は名古屋で有名なバスケットボール強豪校に通い、中学時代の恩師に憧れて教職を志しました。恩師は、私が悩んでいるときには大人の考えを押し付けるのではなく、最後まで話を聞き、その後にアドバイスをくれる方でした。その姿勢に感銘を受け私もそんな教師になりたいと思いました。
その後の大学生活は、勉強に限らず多岐にわたる経験の場だったと感じます。教育大学の体育科に在籍していた私は、部活動とアルバイトで充実した日々を送っていました。チームは1部リーグに所属し、練習に励む一方、飲食店や家庭教師のアルバイトで多くの人と触れ合うことができました。異なる職種での経験はすべて楽しく、それぞれの仕事における喜びや学びを見出すことができました。
大学卒業後は、小学校教員の道へ進みました。学校教員としての経験は人を見る力が養われたと思います。教職の傍らで教えていたクラブチームでも、バスケットボールを教える中で、子供たち一人一人の個性を見出す喜びを感じました。どの子供にもそれぞれの良さがあり、それを引き出しチームとして上手くまとめることは、私にとっても大きなやりがいでしたし、この経験は現在の会社経営に役立っていると感じています。
現代社会ではストレスも多く、大人でも心を痛めることが多々あります。早期に異変に気がつくことができれば、解決も早くなります。対象が大人にはなりましたが、人を見るという点においては同じで、教員やクラブチームでの経験が活かされているように感じます。
■引き継ぐ「運命」
それから専業主婦として16年間を過ごした後、夫の急逝により会社を引き継ぐことになりました。夫は会社の創業者ゆえトップダウン型の経営を行っていました。主人が亡くなってからは組織の縦割りを進めていきました。多くの本を読みましたが、実情とのギャップを感じることが多く、最終的には夫のやり方を真似することにしたのです。とにかくその頃は危機を乗り越えようと、毎日必死でした。
M &Aなどの話も出ましたが、やはり私が引き継ごうと決意したのは、結婚当初から続けてきたかわら版通信の「てばさ記」でした。「てばさ記」を執筆し続ける中で、会社やお客様への感謝の気持ちを再認識し、私自身が引き継ぐ運命だと感じたからです。自信はありませんでしたが、社員たちと共に成長し、会社を守っていく覚悟を決めました。
夫が亡くなってからの数年間で、助け合いの文化はさら更に強まりました。以前は関東と名古屋のエリアが分断されていて、関東からは「打倒名古屋」という言葉も聞こえていました。でも、現在は、毎月の総会で直接話し、「ワンチーム」としての意識を持つように努めました。その結果、社員の顔つきも変わり、社内の一体感が高まったように感じます。
■変革を続ける山ちゃん
ワンランク上の山ちゃんをコンセプトにした「山」というブランドに力を入れています。「山」は世界の山ちゃんの看板商品「幻の手羽先」を落ち着いた空間で召し上がっていただきたいという気持ちから誕生しました。
それまで門外不出だった幻の手羽先を外販商品として販売のすることを提案した時は夫の考えが残っていたため反対も多く紆余曲折はありました。夫は揚げたての幻の手羽先をお店で食べてもらうのが一番おいしい、その一番おいしい状態の物を召しあがって頂きたいと考えていたため、冷凍販売には消極的でした。でも、私はスーパーで冷凍のものを購入されるお客様層と来店されるお客様層は違うと感じたんです。そこで門外不出の手羽先を解禁して、レンジ対応の幻の手羽先の冷凍食品の販売を始めたり、コメダさんとコラボして監修の手羽先を販売したりしました。また、全国のスーパーやコンビニで販売することによって、山ちゃんを知らない人が新たにその存在を知ったり、来店動機に繋がったりするのではと思いました。もちろん反対意見もありましたが、コロナ禍に後押しされて、新たな挑戦を開始しました。
店舗の外観も私が経営を受け継ぐ前は、「ザ・赤提灯」のような店舗のスタイルでしたが、現在は、もっとカジュアルなスタイルに変わりつつあります。渋谷センター街店や天王寺ミオ店は特に新しい挑戦で、店内にネオン管を使用し、若者やファミリー層にも山ちゃんのファンになってもらえるように変化をし続けています。
そのほか、店舗ごとに個性が違う「究極の個人店」を意識した店づくりをしています。お客様に喜んでいただけるように、店舗ごとに工夫したり、オリジナルメニューを出したりする取り組みをしています。また、山ちゃんでは「何を食べてもハズレがない」ことにこだわっています。手羽先がいくら美味しくても、何か一つでも美味しくないものがあれば、悪い印象が強くなってしまうと考えているからです。
今後の目標は、店舗を100店舗にすることと外販を拡充していくことです。また、海外においては新規出店、外販拡大を考えています。
■変わらない文化
数々の変革を行いつつも、大切にしたいのは世界の山ちゃんの文化です。私は、従業員たちが集まる「総会」は堅い印象を抱いていたので、当初、常に笑いが生まれる山ちゃんの総会に違和感がありました。でも、現在ではその文化こそ、大事に守っていくべきだと考えています。そのほか、多様性を認める文化も残していきたいです。店は店長が全てと考えがちですが、接客が得意な人、料理の得意な人もいますし、目立たないけれど、皆が嫌がる仕事を黙々とこなしてくれる人もいます。いろいろな人がいて店は成り立っているのです。ですから、それぞれに大切な役割があることを認め、お互いに敬意を払うことが大切です。
また、弊社には「立派な変人たれ」というテーマがあり、明るくて元気でいろいろなことに挑戦して変化していきたいです。
■大学生へのメッセージ
人生には数多くの岐路がありますが、楽な道よりも険しい道を選んでほしいです。険しい道は自己成長につながり、最終的には近道になることが多いと思います。「獅子の子落とし」や「可愛い子には旅をさせよ」といった先人の言葉は、私自身の経験からも本当にそうだと感じます。若くてパワーがあるうちにどんどん難しいことに挑戦して成長していってほしいと思います。
学生新聞オンライン2024年6月17日取材 上智大学3年 東芽衣
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