株式会社インターネットイニシアティブ 取締役 副社長執行役員 村林聡

日本初の商用インターネットを支えた技術と志で、「データ駆動社会」の実現に挑む

株式会社インターネットイニシアティブ 取締役 副社長執行役員 村林聡(むらばやし さとし)

プロフィール
1958年生まれ。81年名古屋大学経済学部卒業、株式会社三和銀行(現 株式会社三菱UFJ銀行)に入行。国内支店やシステム部門の業務に従事し、株式会社三菱東京UFJ銀行 執行役員 システム部長や同専務取締役コーポレートサービス長兼CIO等を歴任。2017年三菱UFJリサーチ&コンサルティング代表取締役社長。21年にIIJに入社し、取締役 副社長執行役員として現在、管理本部、リスクマネジメント本部を所管する。趣味は読書、ゴルフ。

1992年に日本で最初の国内インターネット接続事業者として創業して以来、30年以上インターネット業界をリードし続けてきた株式会社インターネットイニシアティブ(以下IIJ)。現在も、インターネットインフラの構築・運用から、クラウドサービス、セキュリティ対策、システム構築など企業のITニーズに幅広く対応し、新たな技術革新を追求し続けている。変化の激しいインターネット業界で、第一線を走り続けるIIJの副社長・村林聡さんに、銀行時代のシステム部での経験、IIJの強みについて伺った。

学生時代は、体育会のゴルフ部に入り、部活動に力を注いでいました。大学がゴルフ場と提携していたため、ゴルフ場で平日は練習し、土日はキャディとして働いていました。他にも、家庭教師や個別指導の塾講師のアルバイトもしていましたね。勉学の面では、経済学部だったので、金融論のゼミに入り、単位習得が難しい授業には必死に取り組んで勉強していました。
 就職活動では、当時「体育会採用」という慣行があり、部活やゼミの先輩方が金融機関で多く働いていたため、自分も誘われていました。また、高校は理数科だったので、数学は得意でしたが、物理が苦手で文転しました。数学受験が可能な経済学部を志望していたこともあり、就職先としても理系が中心に就職する企業よりも、文系的な仕事ができる会社に就職したいと考えていました。そこで、銀行を選び、実際に働く人たちと話していくうちに、自由があって官僚的ではない社風が自分の性に合っていると感じ、旧三和銀行(現 三菱UFJ銀行)に入社しました。

■プロジェクトマネジメントの基礎が作られた、銀行のシステム部での経験

 入社後は、支店勤務で窓口業務などを担当していましたが、1974年に銀行業務の第二次オンライン化がスタートし、次の第3次に向け全国から人を集めていました。その最中、ある日突然私もシステム部への転勤を命じられました。最初は、文系的な仕事がしたくて銀行に入ったので、理系的な仕事を任されてしまい、正直あまり乗り気ではありませんでした。しかし、若いころは銀行業務に携わってもあまり大きな融資はできず、企業の育成など責任が重い業務は任されることがありません。その一方で、システム部の仕事は、一人一人、自分の任された役割に責任感があり、非常にやりがいを感じることができました。転勤後は、元居た部署に戻る人が多い中、自分は一生この部署にいてもよいと思えるほど、システム部が性に合っていると感じていました。
さらに、この転勤を機に仕事への熱も一層高まったおかげで、さまざまなプロジェクトを任されるようになりました。なかでも印象に残っているのが、30歳のころに担当した副元帳システムのプロジェクトリーダーとしての経験です。これは、災害や地震によるシステムダウン時に、瞬時に別の場所でシステムを稼働させるという、当時としては画期的な仕組みでした。チームのみんなの協力もあり、このシステムは国際特許を取得し、その後、このシステムは他の金融機関でも採用されるほど広く普及しました。
その後、旧三和銀行と旧東海銀行が合併してUFJ銀行となる段階で、システム統合を経験し、統合後システム企画部長に就任しました。この経験を通じて、プロジェクトマネジメントやリスク管理の基礎が築かれたと感じています。

■銀行時代に培った経験を活かし、IIJの副社長へ

銀行時代にはネットワーク分野における専門知識とスキルを有しており、「ネットワークスペシャリスト」の資格も保有していました。ITに関する素養に加え、プロジェクトマネジメントの実務経験もあったことから、専務CIOを経て、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの代表取締役社長に就任しました。ちょうどその頃、取引先であったIIJから、仮想通貨交換業を行う株式会社ディーカレットを立ち上げるにあたり、「一緒にやらないか」と誘いを受けましたが、そのときは一度お断りしました。しかし、四年後にその職を退任する際、再びお声がけをいただき、現職を引き受けました。
IIJはテクノロジーカンパニーであり、技術者たちがソフトウェアを組み合わせてサービスを開発しています。私自身はその技術力の部分に直接貢献することはできませんが、どのような対象物であっても、リスクを管理し、マネジメントすることには自信がありました。実際にIIJに入社した直後、トラブルが発生し、監督官庁である総務省から行政指導を受ける事態となりました。その際、銀行時代に培ったリスク管理や内部統制のノウハウを活かし、データガバナンス会議の議長として再発防止にあたりました。

■他社にはないIIJの強み

IIJの強みは、高い技術力と、それを支える優れた社員たちにあります。新しい技術を積極的に取り入れ、次々とサービスを展開できる背景には、フラットな組織体制が存在します。技術者が自ら開発した技術を、そのままサービスづくりに反映できる環境が整っており、個人の力量を発揮しやすい自由な風土が根付いています。
IIJは、インターネットの歴史において世界で2番目に古い企業であり、皆さんが日常的に利用するインターネットサービスの裏側にある、複雑なネットワークやシステムの設計・運用管理を得意としています。まだインターネットがほとんど知られていなかった時代から、この分野を切り開き、数多くの技術を創出してきました。その豊富な経験と知見が、技術力の研鑽や新技術の開発・普及に活かされています。
だからこそ、自ら課題を見つけ、解決策を考え、社会に貢献できるサービスやプロダクトを生み出す、そんなチャレンジ精神あふれる学生の皆さんに、ぜひIIJの仲間として参加してほしいですね。

■学生へのメッセージ

私は、三つの「し」を大切にしています。一つは、“志”で「志本主義」とも呼んでいます。そう思わせてくれたきっかけが、司馬遼太郎の『世に棲む日日』という本です。幕末の時代に倒幕に挑んだ志士・高杉晋作の姿から、志を持って行動することの大切さを学びました。50年後の未来ではなく、数年後の近い将来に向けた短期的な目標でよいので、常に志を持っていてほしいです。付け加えると、私の今の志は、「ITで日本を豊かにする」ことです。IIJが様々なデータを安全に流通させ、組織や産業の領域横断的な活用により、より高度で広範な社会課題を解決できる、「データ駆動社会」の実現を目指していきます。二つ目は、“師”です。先生や先輩などの目上の方を大切にすることは、成長するうえで欠かせません。私にとっての「師」は高杉晋作です。彼の行動力と信念から、多くのことを学びました。三つ目は、“詩”です。本を読むことが私の人生を大きく変えてくれたきっかけでもあります。そのため、皆さんもたくさんの本に出会い、自身の感性を磨き続けてください。

学生新聞オンライン2025年7月8日取材 法政大学1年 渡辺碧羽

昭和女子大学2年 阿部瑠璃香/法政大学1年 渡辺碧羽

関連記事一覧

  1. No comments yet.