キッコーマン株式会社 代表取締役社長CEO 中野 祥三郎

キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料に

キッコーマン株式会社 代表取締役社長CEO 中野 祥三郎(なかの しょうざぶろう)

1957年3月生まれ。千葉県出身。1981年、慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了。キッコーマン入社。国内営業、海外勤務などを経て、2011年、常務執行役員経営企画室長。2012年、CFO(最高財務責任者)。2015年、取締役常務執行役員。2019年、代表取締役専務執行役員。2021年、代表取締役社長COO(最高執行責任者)。2023年、代表取締役社長CEO(最高経営責任者)に就任。

60年以上前から海外に進出し、今では100カ国以上でしょうゆを販売しているキッコーマン。しょうゆを世界中で使ってもらうために、地道に続けてきた取り組みや、リーダーシップについて中野社長に伺った。キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料にする挑戦は、これからも続いていくに違いない。

 私は大学生の頃から旅が好きでした。お金が貯まると夜行列車に乗って北海道など、遠方へ出かけていました。当時は青函連絡船が本州と北海道を行き来していたり、ローカル線には蒸気機関車が走っていたりと、今では想像もできないような時代です。夜行列車に乗ると、寝ている間に、いつの間にか向かいの席におばあさんが座っていたなどということもありました。このような旅先で出会う風景や人との触れ合いは、普段とは違う視点を与えてくれました。

 大学時代は旅行の傍ら、テニスサークルに所属したり、新聞社の原稿取りのアルバイトをしたりと、興味の赴くままに行動していました。原稿を受け取りに都庁やホテルに行くのは、単純作業ながら責任の重い仕事でした。締め切り時間に遅れることは許されず、期限内にきちんと原稿を届ける粘り強さが要求された仕事だったと思っています。

 私の家系は、江戸時代から続く野田・流山の醸造家が合同して誕生した野田醤油(現・キッコーマン)の創業家一族です。もっとも私は次男であり、就職先として金融機関などを考えていました。しかし、兄が体調を崩したことで私がキッコーマンに入社することになり、経営を学ぶために慶應義塾大学の大学院へ進んだのです。そこでは年上の社会人学生と一緒に、ケーススタディを中心としたビジネス論を学びました。ビジネススクールでは実地経験の豊富なクラスメイトとの議論を通じて、多角的に物事を考える視点を得られたと思います。

◾️アメリカでの挑戦と社長の仕事

 入社後は国内営業を経験し、30歳の頃にアメリカ西海岸へ赴任しました。今ではアメリカでもキッコーマンのしょうゆは広く受け入れられていますが、当時はまだ規模も小さく、まさに「じわじわと広げていく」段階でした。

 現地の人は自分の意見を率直に主張します。給料や労働条件についても遠慮なく話し合う文化は、日本とは大きく異なる点でしたが、そこに違和感を覚えるよりも「何でもストレートに言い合うって面白い」と感じました。

 アメリカに本格的に進出した当初より、しょうゆを「日本食限定の調味料」と捉えず、アメリカでよく食べられている肉料理や家庭の定番メニューにとり入れてもらう提案を続けていました。たとえば、魚の照り焼きを発想源として、アメリカの食卓で親しまれている牛肉や鶏肉を照り焼き風にするレシピを提案するのです。そうすると違和感なく受け入れてもらえ、現地の人たちにも好評でした。レシピ開発と試食販売という地道な活動を重ねた結果、しょうゆの認知度はじわじわと高まり、今ではアメリカの家庭用しょうゆのシェアの半分以上をキッコーマンが占めるようになりました。

 私がキッコーマンの社長になったのは、今から数年ほど前のことです。ちょうどコロナ禍の時期と重なり、出張や社外行事が激減する一方で、社内に向き合う時間が増えました。そこで始めたのが、マネジャークラスを対象にした対話セッションです。営業や研究、製造など、異なる部門の管理職が一堂に集まり、会社全体のビジョンをどう自分たちの部署や仕事に落とし込むかを発表し合いました。

 セッションでは、自分たちが2030年にどんな組織やチーム、成果を目指すのかを共有しました。他部署の事例から学び、時には「そのやり方はうちでも応用できそうだ」とヒントを得ることもあったと聞いています。会社全体の風土を育てるには、トップダウンだけでなく、こうした対話の積み重ねが必要だと改めて実感しています。

◾️世界中の人たちが豊かで健康的に

 キッコーマンの海外展開は、アメリカや欧州だけにとどまりません。アジア各国はもちろん、南米やインド、アフリカでの挑戦もはじめています。キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料にするために、まだまだ多くの国や地域でしょうゆを使っていただく提案を続ける必要があると考えています。

 しょうゆは重く単価が低い商品ですから、効率を考えると各地に工場をつくり、現地で生産し、現地で売るという形が望ましいのです。現在は海外の生産拠点が8カ所になり、さらにアメリカに9つ目の新工場も建設中です。世界中の人たちが我々の商品を使って豊かで健康的な生活を送ってほしいですね。そのために地道にレシピ開発と試食販売を続けながら、現地の食文化に合わせたしょうゆの使い方を提案することで、長く親しまれる商品になっていくと信じています。これは5年、10年ではなく30年、50年のスパンでじわじわと広まっていけばいいなと考えています。

*message*

 これから社会に出る学生の皆さんには、「今、自分がなにをやりたいか」という強い思いを持ってほしいです。それはずっと変わらないものでなくてもいいです。とにかくそれに向けて学んだり、いろいろな経験をしたり、挑戦していくことで一生懸命自分を磨いてほしいと思います。また、企業に入ると自分一人で行動するのではなく、「組織の力を活かす」ことが大切です。そのためには柔軟性を持つことも必要です。その上でそれぞれの目標に向かって粘り強く進んでいく人が成功するのではないかと思います。

学生新聞2025年4月発刊号 東京大学4年 吉田昂史

立教大学 4 年 緒方成菜/国際基督教大学2 年 若生真衣/城西国際大学 1年 渡部優理絵/上智大学 3 年 網江ひなた/東京大学4 年 吉田昂史

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