株式会社獺祭 代表取締役社長 桜井一宏
お酒の魅力を、世界と宇宙に届けたい

株式会社獺祭 代表取締役社長 桜井一宏(さくらいかずひろ)
■プロフィール
1976年生まれ、山口県周東町(現岩国市)出身。早稲田大学卒業後、酒造とは関係のない東京のメーカーに就職。東京の居酒屋で「獺祭」のおいしさに気づき、2006年実家に戻る形で旭酒造に入社。その後ニューヨークに赴任し海外進出の礎を築き、常務取締役となる。2010年より取締役副社長として海外マーケティングを担当。2016年9月代表取締役社長に就任、四代目蔵元となる。
地酒「獺祭」を世界へ広げるため、酒蔵の息子として海外販路を切り拓き、伝統を守りながらもデータを駆使した酒造りに挑むのが、株式会社獺祭の桜井一宏社長。ご自身のこれまでの経歴や、現在挑戦中の宇宙での発酵実験や月面酒蔵構想まで、幅広いお話をお伺いしました。
学生時代は様々なことをしていました。だから、「どんなことに力を入れていたのか?」と聞かれると難しいのですが、とにかく忙しかったですね。古着屋やドーナツ屋でアルバイトをする一方で、無人島に行く旅行サークルや、ファッションショーなどのイベントを主催するサークルに所属していたので、時間がどんどん過ぎていきました。
■家業継承を再考させた、一杯の出会い
実家が山口県にある酒蔵だったので、「魚屋さんの息子は魚屋さん、八百屋さんの息子は八百屋さんになる」という感覚で、「いずれは自分が家は継ぐものだ」と自然に思っていました。
しかし、東京の大学に進学した後は、その気持ちが少し薄らいでいきました。実家から物理的に距離が離れたことによる心情的な部分もあったのでしょうし、酒蔵の経営は斜陽なのではないかとも感じたので、大学卒業後は家業を継がずにメーカーに就職しました。その会社は本社が群馬にあったのですが、ヘッドオフィスをできたばかりの六本木ヒルズに作るという話が出て、六本木行きのチームの(下っ端として)一員にしてもらいました。そのときに訪れた六本木の居酒屋さんで見つけたのが、実家のお酒です。親からはお酒を送ってもらったり、帰省した際に実家で飲んだりするのですが、自分でお金を払って飲んだことがなかったので、実家のお酒を買っていただいているお客様の気持ちを想像できない部分がありました。しかし、いざ自腹で様々なお酒を飲んだら、自分の家のお酒が一番美味しいと感じ、そのときから、改めて家の酒蔵の魅力を考えるようになりました。当時、この会社は今の二十分の一以下の規模だったので、正直、不安がなかったと言えば嘘になります。ただ、規模というより家業自体が意味があると感じたため、メーカーを辞めて実家に戻るという決断をしました。
■輸出ゼロから海外展開へ。足で築いたグローバル市場
私がこの会社に入った頃には、東京では獺祭に関する認知がある程度広がり始めていて「知る人ぞ知る、お酒に詳しい人はご存知のお酒」になっていました。ただ、海外については、私がこの会社に入る1年ほど前にようやく輸出が始まったばかりで、まだ何も整っておらず、もちろん国内もまだまだ道半ばという、市場を作っていくのに手を変え品を変えしていかなければならない状態でした。
入社直後は、製造現場で下働きをしながら仕事を理解しました。加えて、百貨店や酒屋さんでの試飲販売にも出ていました。年末やお中元の時期には、百貨店でお酒の試飲販売もしていました。そのあと最初にニューヨークの担当になり、その後次第に、進出が始まりつつあった香港、イギリスなどの担当もするようになり、最終的に海外全体の担当になりました。実はニューヨーク進出を決めたのは父でしたし、私自身は「外国人に日本酒が理解されるわけがない」と思っていたので、海外担当になったことは、あまり乗り気ではありませんでした。実際に現地に行っても、山口県のお酒を誰も知らず、また英語も全然出来なかったこともあり、全然うまくいきませんでした。けれどもありがたいことに、いくつかのお店でお酒を扱ってもらえたことで、スタッフやお客様へのアプローチを重ねていきました。そういった店のお客さんが口コミで市場を作っていただく形ができ、次第に海外認知度も高まっていったのです。
当時はあまり意識していませんでしたが、今振り返ってみると、自分が海外で実践していたことは、山口から東京で広げるために父がやってきたことと同じだったように思います。海外と国内で、言語や商習慣の違いはありますが、本質的な部分は共通していたと思います。
味に関しても、現地に合わせて変えることは基本的にはしていません。それでも受け入れてもらえたのは、「英語が喋れないのに一生懸命来た」という姿勢を応援してもらえたのに加えて、また、美味しいものは人を幸せにする力があるし、その部分を追求しているからこその結果だと考えています。味を変えないというのも、より良い美味しさを追求する努力を分散させないためという事を理解していただけているのだと思います。
■3000回の仕込みとデータ活用で実現する品質管理
獺祭の魅力は、「とにかくうまい酒をつくる」ことに真剣な点です。年間の仕込み回数は約3000回です。それだけ多く仕込んでいれば、仮に1回失敗しても残りの2999回でフォローが利きます。だからこそ、新しいことにも挑戦しやすいnのです。
伝統とは過去の形を守ることではなく、良質な酒を継続して生むための“積み重ね”だと考えています。データなど利用できるものは利用し、手作りと両立してこそが、今の革新だと言えます。さらに、若いメンバーに、二人一組で一から十まで酒造りを経験してもらうような酒が存在したり、全体を理解する人材育成にも力を入れています。
■月面酒蔵構想と宇宙発酵実験
今後も海外展開は更に伸ばしていきたいです。今は売上が国内と海外で半々くらいですが、将来的には海外を9割にすることが目標です。日本酒市場はさらに世界中の人が注目する市場になると予測しています。一方で、世界にきちんと出ていくためには、日本の市場は大事なショーケースになります。日本の国内のお客様にちゃんと愛してもらえる状態をつくることも、大事にしていきたいです。
そして、現在の夢は「月に酒蔵を作りたい」というもの。2040年、2050年くらいから、数千人規模で街が月面にできて、人が住めるようになるとも言われています。もし実現したら、そこに酒蔵を作りたい。私たちが美味しい酒というもので人の幸せに貢献することを目指す以上、お酒を飲む楽しさを月にも届けることを追求したいのです。
実際、何社からか「宇宙で何か一緒にしないか」という話をいただいており、「月で酒を作る」という夢に少し近づいています。まずは、国際宇宙ステーションでお酒を発酵させるため、今年の秋頃に打ち上げを目指すロケットにお酒を乗せて、宇宙ステーションに送り込むことを目指しています。もちろん「月でお酒を作りたい」とは言っても、月の六分の一の重力でどう発酵するか、そもそもアルコールが生まれるかもわかりません。だからこそ、まずは「やってみよう」と思っています。
■大学生へのメッセージ
私は、学生時代にアルバイトなど色々やりましたが、海外には行かなかったなという後悔もあります。社会人になれば時間も機会も限られ、挑戦できる選択肢の幅は圧倒的に狭まります。学生のうちに失敗を恐れず、様々な経験をしてほしいです。失敗してそこから学んで前に進む姿勢こそが、社会で自分を成長させる力になると思います。
学生新聞オンライン2025年7月18日取材 城西国際大学2年 渡部優理絵

法政大学4年 島田大輝 / 城西国際大学2年 渡部優理絵
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