陸上指導者 瀬古利彦

練習で泣いて試合で笑うために目標に向かって走れ

陸上指導者 瀬古利彦 (せことしひこ)

■プロフィール
1956年、三重県桑名市生まれ。 
高校時代は陸上インターハイで、800m、1,500m 2年連続2冠達成。早稲田大学では箱根駅伝はもとよりマラソンでも開花し、のちにボストンマラソンを筆頭に15戦10勝を誇る。
実業団(エスビー食品、DeNA)、日本陸連の指導者を経て、現在、DeNAスポーツグループ フェローとしてマラソンの普及に努めている。

陸上競技の第一線で活躍し、現在は解説や指導者として日本の陸上界を牽引する瀬古利彦さん。恩師である中村清監督との強烈な出会いや、苦しい練習を乗り越えた現役時代、そして指導者としての想いや目標を叶えるための自分との向き合い方など、ご自身の陸上人生を振り返りながら伺いました。

私は小学生の頃から足が速く、徒競走やマラソン大会で負けたことがありませんでした。野球が好きだったので、中学では野球部に入部しました。ところが、運動会でトップだった私を見ていた陸上部の先生に頼まれて市の大会に出場すると、800メートル、2000メートルで優勝してしまったのです。さらに力試しで出た県大会でも優勝し、「将来的に陸上の方が絶対に良い」と勧められ、高校から本格的に陸上を始めました。
本格的な指導を受けると記録は一気に伸び、高校2年生と3年生でインターハイ優勝を果たしました。
その後、早稲田大学から勧誘を受けましたが、試験に落ちてしまい1年間の浪人生活を送ることになりました。そして浪人中に「英語を勉強してほしい」と言われ、なぜかアメリカの南カリフォルニア大学へ1年間留学することになりました。18歳の少年にとって、受験と英語の勉強、慣れない海外生活は過酷で、ホームシックになってしまいました。ストレスを発散するために食べまくった結果、アメリカで10キロ近く太ってしまったのです。

■恩師、中村清監督との強烈な出会いと覚悟

一年間苦労してなんとか早稲田大学に入学しましたが、体重が増えていたためすぐに活躍できるわけがありません。当時は大学の陸上部(競走部)も箱根駅伝に出られないほど弱く、「3年くらいかけて体重を落として箱根に出られれば良いな」と考えていました。そこで出会ったのが、生涯の恩師となる中村清監督でした。
初対面の時、監督の情熱は並外れたものでした。学生の前で「早稲田が弱いのはお前たちのせいじゃない。私が謝る」と言い、自身の頬を口から血が吹き出すほど強く叩き続けたのです。そして「瀬古くん、私が命をかけて教えてやるから、中長距離ではなくマラソンをやりなさい」と言われました。そして、あるとき、海岸で話をしていた際、監督は海岸の砂を手に盛り、「これが世界一になれる薬ならお前は食べられるか? 私は簡単だ」と本当に砂を食べてしまったのです。そんな監督の背中を見て、「この人は命懸けでやる人だ」と圧倒されました。そして、アメリカで一度潰れた身なのだから、この際潰れてでもこの人を信じてみようと決意しました。以来、一気に練習にのめり込み、3ヶ月で元の体重に戻すことができました。

■練習で泣いて試合で笑いたかった

マラソンの練習は苦しいのが当たり前です。当時は監督から「陸上に集中しろ。男女交際も禁止だ」と言われ、周囲が遊んでいる週末も、ひたすら公園などを走っていました。強くなるためには監督のその言葉を守り、走るしかなかったです。「試合で負けて泣くくらいなら、練習で泣こう。試合で笑うために、練習の苦しさを乗り越えよう」と心に決めていました。
陸上競技の魅力は、個人競技ゆえに人のせいにできないところです。勝っても負けても自分次第で、逆に言うと、やれば記録として目に見えて成長がわかり、サボればすぐに結果に表れます。言い訳ができない世界だからこそ、自分との勝負であり、やりがいがありました。
学生時代に言われたことは、一生心に残ります。中村監督の「練習で手を抜く人間に将来人を指導する資格はない」という言葉は、私が指導者になってからもずっと胸に刻まれています。あるチームメイトが、自分のお姉さんの結婚式に参列した後、夜の8時に監督の家へ挨拶に行った時のことです。監督は「お姉さん綺麗だったか。そうか、じゃあ今から走ってこい」と命じました。お祝いの後だろうと、勝負の世界は待ってくれません。妥協や言い訳を一切許さない、毎日の真剣勝負だということを監督は体現していました。

■指導者の背中とこれからの夢

現在は現場の指導からは退き、駅伝やマラソンの解説、企業での講演活動、市民マラソンでの普及活動などを行っています。指導者として私が大切にしてきたのは、「自分の背中を選手たちに見せること」です。中村監督は、雨が降っていても傘を差さず、何時間も立ったまま私たちの練習を見守ってくれていました。70歳近い恩師が雨に打たれながら見ている姿を見ると、さらに熱量が入るのが人間です。私も現役を退いてから50歳くらいまでは、家庭のことは妻に任せきりで、365日休みなしで選手たちと生活を共にしてきました。
今後の夢は、私の教え子でもあり、現在早稲田大学で駅伝監督を務めている花田勝彦監督を、箱根駅伝で優勝させて胴上げしたいということです。そして、日本のマラソン界においては、男女ともにオリンピックでもう一度メダルを取らせてあげたいです。そのために日本陸連に関わる人たちの背中を押し、サポートしていくことが私の今の仕事だと思っています。

■大学生へのメッセージ

世の中は、決してうまくいくことばかりではありません。だからこそ、失敗を恐れないでください。いっぱい失敗して、そこから多くのことを学んでほしいです。「急がば回れ」と言いますが、近道を行こうとしたり、綺麗に進もうとしたりせず、遠回りをして苦労してでも、それを乗り越えた先に本当の真実や本物があると思います。
また、目標を持つことも大切です。どんなに小さな目標でも構いません。短いスパンで目標を設定すれば、自信に繋がると思います。
そして、友達をたくさん作ってください。学生時代に築いた人との繋がりは、将来社会に出た時、必ず自分を助けてくれます。若い時に流さなかった汗は、年をとってから涙となって流れます。かけがえのない学生生活を大切に送ってください。

学生新聞オンライン2026年7月22日取材 武蔵野大学4年 吉松明優奈

日本大学 2 年 原田達司/城西国際大学 3 年 渡部優理絵/武蔵野大学4年 吉松明優奈/早稲田大学 3 年 伊藤健太/法政大学 2 年 森川葵/京都芸術大学 1 年 猪本玲菜

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