三重県知事 鈴木英敬 「寂しがりの自分だからこそできる、共感される政治を。」
■プロフィール
1974年、兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業後、通商産業省(現、経済産業省)入省。2011年、三重県知事就任、現在3期目。家族は、妻と子ども2人。尊敬する人物は、坂本龍馬。座右の銘は、「夢なき者に理想なし 理想なき者に計画なし 計画なき者に実行なし 実行なき者に成功なし ゆえに夢なき者に成功なし」(吉田松陰)。
2011年に三重県知事に初当選し、36歳の全国最年少現職知事となった鈴木英敬知事。
自身もイクメン・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、あらゆる面で積極的な改革に挑んできた。三重県を住みやすい町にするために邁進し、愛され、信頼される関係性を築いてきたその根源はどこにあるのか、お話を伺った。
■「みんなを巻き込みたい」との強い想い
小さい頃から、楽しいことをするのが好きでした。学級委員や、生徒会長を率先してやるタイプでしたね。なぜかというと、楽しいことを自分で考えて、みんなを巻き込んでやってみたい、という気持ちが強かったからです。多分、すごく寂しがり屋なんです。楽しいことをやって、みんなと一緒にいたかったんですよね。それは、大学でも一緒でした。大学で上京したのですが、寂しがり屋の一人暮らしの家には毎日誰かが遊びに来ていました(笑)。大学時代は、大半の時間をテニスサークルで過ごしました。アルバイトも、家庭教師やオペレーター、ヤマト運輸のスタッフなど本当に色々なことを経験して、本当に楽しかったです。そうして経験する中で、たくさんの人と出会いました。今も続く、価値観を共有できる仲間がたくさんできました。すごく充実していましたね。
■就活は自分のものさしで考える
大学3年の夏に、「自分は将来、何になりたいのか」をじっくり考えてみました。その結果、たどり着いた結論が「何をやりたいかはわからない、ただ面白い人がいる場所で働きたい」というもの。そのため、就活は、「一般企業の会社員」や「公務員」などとジャンルを絞らず、幅広く行いました。
今振り返ってみると、就活で大切だったのは、自分のものさしをどこに置くかだったと思います。早く就活を終えて、大企業に就職したからと言って、それが自分にとって良い企業とは限りません。人気だからと言う理由で大企業に進むよりも、自分が就職した後、どんな風に働いているのかを真剣に考えることの方が、就活では重要なことだと思います。なぜなら、自分の人生は自分で責任を取るしかないからです。だからこそ、周りを見るのではなく、自分のものさしを信じて就活をするべきだと思います。
僕の場合は、自分が就職した後にどんな風に働きたいかを見定めるべく、色々なところでお話を聞いて、どんな面白い人がいるのか聞きまくりました。官庁も10省庁くらい回って話を聞きました。その結果、面白い人が多くて、たくさんの経験を積める場所だと耳にした、通産省(現在の経済産業省)への入省を決めました。
■共感して信頼してもらって物事を進めたい
もともと政治に興味を持っていましたが、通産省に入ってからますますその思いは強くなりました。安倍総理のスタッフになったときに強く感じたのが、行政で論理的に選択肢を作るよりは、国民に信頼されて物事を進めていく人間になりたいという想いです。今の政治には共感が足りない。ならば、自分はもっと国民のみなさんの気持ちに寄り添い、納得や共感がうまれるような政治を目指したいと思いました。そして、官僚を辞め、政治に主体的に携わるため、父方の本籍地である三重県で選挙活動を行うことを決意しました。
そして、最初の選挙の後に入った青年会議所で、三重県のPRに携わることがありました。そこで感じたのは、「三重にはいいところがたくさんあるのに、うまくそれが伝わっていないのではないか。もったいない」との強い想いです。この「地域の魅力をもっと発信したい」という気持ちから、知事への立候補を決めました。
■知事の仕事は「決めること」と「説明すること」
知事の仕事は、大きく分けて二つあると思っています。一つ目が決めること、二つ目が説明することです。僕は、令和2年度の一年間で275回の会見を行いました。知事の職に就いてから、10年間で1,482回記者会見をしています。危機の時だけではなく、日頃から会見などの機会を通じて人々に説明し、共感してもらうことを大切にしている。だからこそ、コロナ禍でも県民の皆様に信頼され、協力いただける関係ができたのだと思います。
■三重県をより魅力的な町にする
自分が携わった三重県知事としての仕事で印象に残っているのは、G7伊勢志摩サミットです。日本で最初に開催されたG7サミットは1979年の東京ですが、伊勢志摩での開催を迎えるまでの日本の首脳会合開催地は東京、沖縄、北海道のみでした。その次に選ばれたのが、「普通」の県である三重県であることは大変誇らしいです。
このサミット開催にあたって強く意識したのは、「市民の手で町を良くする」ということです。これは知事として職務に就く中で常に大切にしていることでもあります。行政のみで盛り上がるのではなく、県民が自分たち自身で考えて、納得して、一緒に頑張る。そうすることで、他人事ではなく、愛着が湧くまちづくりができるのだと思います。
そこで、伊勢志摩サミット開催前には、全29市町でお花を植えて、みんなでおもてなしをしたり、「サミット給食」という取り組みを通じて、小中学生にサミットについて勉強する機会を持ってもらったりもしました。
また、三重県は日本酒が有名です。現在、日本では日本酒の消費量が減っていますが、そんな中、三重県はサミット開催前と比較すると、酒蔵の売り上げが増加しています。これは、酒蔵の人たちが自分たちで考えて努力してきたからです。この伊勢志摩サミットを通じて、多くの県民の方々が、自らの手でイノベーションを起こす方法を知り、また実際にイノベーションを起こしたことで自分たちのプライドを確立できたのではないでしょうか。そのため、この2016年の伊勢志摩サミットは、県全体を良くするための大きなきっかけになったのではないかと感じています。
■誰もが望む土地に生きられる時代へ
今、僕自身が目指すのは、「誰もが住みたいと願ったところに住み続けられるような社会」です。住みたいと思った場所があっても、交通機関が整っていなかったり、病院や学校がなかったりすると居住地にそこを選択することができません。だからこそ、医療・教育・子育て・防災などに率先して取り組んできました。防災施設の整備や、子育て環境を整えて男性のイクボス全国一位を獲得したのもその一環です。また、この10年間で増えた医師の数は、全国で11番目になっています。
現在の日本では、若者が出稼ぎのために都会へ、高齢者は田舎に残り、美しい風景が保てなくなる事態が発生しています。これは、日本にとって本当に良いことなのでしょうか。地方でも環境の整備が進むことで、東京一極集中である必要はなくなります。人々のライフサイクルは様々です。こうした自分自身のライフサイクルを、それぞれに選択できる方が多くの人が幸せになれるはずです。だからこそ、誰もが住みたいと思った場所に住み続けられる、そんな日本を目指して、「令和の日本列島改造論」を進めていきたいと思っています。
■大学時代こそ、異なる価値観に触れる
自分自身の大学生活は、本当に楽しかった。それは同じ考えとか同じ価値観を持っている人と出会えたことが大きいです。十分いろんな人に出会えた学生時代だとは思うものの、「もっと多様な価値観の人と話してみたら良かった」と思うこともあります。人間は意識しなくては、どうしても楽な方に流れます。異なる価値観の人に触れることはときに苦しいことではありますが、それは将来自分自身が多様性の社会の中で生きていくためには必要なことだと思います。社会に出たら、全く違う価値観を受け入れて前に進んでいかなくてはならない場面がたくさんあります。苦手だと思っても、そこで人間関係をシャットアウトせず、好き嫌いをせずに多くの人と向き合うことも成長のために大切だと思います。自分にとって、価値観の合う仲間は大切にしつつ、色々な人と触れ合って、将来に向かってほしいなと思います。
学生新聞オンライン2021年7月14日取材 津田塾大学4年 川浪亜紀
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