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Archive for 運営スタッフ

コラム

テリー伊藤 コラムVol.41 湘南の伝説のサーファーに会った

鎌倉の家に居る時は、なるべく早く起き散歩するように心掛けている。自宅から七里ガ浜駅を通って国道134号線を歩くのがルーティンになっている。海沿いに出るとその日の波の様子が分かる。「いい波」波乗りがよく使う言葉だ。その日、湘南の伝説のサーファーISHIIさん(77歳)のヴィンテージのホンダスーパーカブが稲村ケ崎公園に停めてあった。はるばる横須賀から、佐島、葉山、逗子、材木座、由比ガ浜を通って稲村ケ崎までやって来る。自ら針金で飾り着けしたBOXを積み、カスタムしたカブにショートボードをセット。持病のヘルニアの為、ボートのフィンも特別使用に改良してある。雨の日も波が良ければ、何時でもやって来る。行動は常に一人、群れを成さない、5~6本良い波と出会えると、横須賀に帰ってしまう。そんな男が噂にならない訳がない。今までも、カブを公園で見かけるのだが、本人と遭遇する機会はなかなか難しい。なんたっていつも波の上に居るから。そんな距離感だが、やっと久しぶりに会えた。 こんな会話から始まる。「テリーさんお久しぶりです。会えて良かった。実は明日ヘルニアの手術なんですよ、その前に波に乗っておこうと思って。」にビックリ。普通なら手術前日なら家で静養するものだ。「家に居なくて平気何ですか。」にも「海に入ることがリハビリですから。」と涼しい顔で沖の波を見ている。さすが伝説の男。都会暮らしの軟な私とは気合が違う。サーファーと言うより、さすらい一匹狼の印象だが、シアトルで暮らしている娘さんに会いに行く国際的な一面も。ISHIIさんの人柄を知るエピソードがある。仲間のサーファーが亡くなった追悼式に稲村の海に向かいサックスで名曲『Amazing Grace』を奏で送った。 今、湘南のサーファーが高齢化していると言われているが、やっぱり海に入るのは楽しいし金も掛からない。ウエットスーツが有れば冬でもOK。海から上がれば、銭湯も日帰り温泉もある。美味いシラス丼も。レンタルサーフボード屋さんも充実している。サーフィンが上手に出来なくでもボードに乗って富士山を眺めているだけで良い気分になれる。鎌倉由比ガ浜であれば波も穏やかで初心者にもうってつけ。夏場には小学生向けのサーフィン教室も開催される。 話をISHIIさんに戻そう。立ち話で何故か気が合い、今月末横須賀での再会を約束。観光客が知らない穴場を案内してくれるらしい。彼の事だから飛び切り変なスポットに決まっているが、そこはさすらい男、お金の掛かるお店は案内するはずもない。どんな連中と出会えるのか。楽しみは尽きない! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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女優 秋好美桜

些細なきっかけからチャンスや夢は生まれる 女優 秋好美桜(あきよしみお) ■プロフィール2006年1月31日生まれ、宮崎県出身。俳優・モデル。2024年3月に開催された「bijoux AUDITION 2024 supported by KeyHolder Group」にてグランプリに輝く。Rakuten GirlsAward 2024 Autumn/Winter出演、ABCマート×adidas「GRADAS」広告起用、その他MV出演など続々と活動の幅を広げている。今回、2025年1月期テレビ朝日木9「プライベートバンカー」でドラマ初出演を飾る。 テレビ朝日1月期木曜9時よりはじまるドラマ『プライベートバンカー』。鈴木保奈美さん演じる飯田久美子の娘・飯田芹奈那役として出演するのが、女優の秋好美桜さん。彼女はbijoux AUDITION 2024にてグランプリを獲得し、187歳でのときに宮崎から上京し、芸能の道へと進んだ。そんな彼女に今回のドラマの魅力や役作りなどについて伺った。 私が芸能の世界に入るきっかけになったのは、母が応募したオーディションでした。最初に書類選考が通ったと聞いたときは、「福岡に行けるからいいな」と軽い気持ちで始めたのですが、そこから少しずつチャレンジ精神が芽生えてきました。福岡、大阪、東京での審査を経験するうちに、本気で取り組んでいる参加者と過ごす中で自分も本気でやらなきゃと思うようになりました。審査の中で特に印象に残っているのは、最終審査に向けた演技のワークショップです。雷が落ちるシーンを演じる際、監督から「今まで驚いたことがないのか?」と言われ、自分が経験したことのない感情を表現する難しさを痛感しました。また、大阪での審査中には、周りが台本の練習をしているのを見て影響を受け、ペアでの演技をギリギリまで練習しました。今思えばそのタイミングも芸能へのスイッチが入った瞬間だったのかもしれません。。学校と仕事の両立の難しさについてはよく質問されるのですが、私が大事にしているのは「無理をしないこと」「素の自分でいること」です。そのおかげか、スタッフさんからはよく「素直で愛されるキャラクターだ」と言っていただけます(笑)。 ■この世で一番怖いのは死ぬこと いま、一番大きなやりがいを感じるのは、現場でスタッフさんや共演者の方々と一緒に作品を作り上げていくことです。作品が完成したときの達成感や、現場で学ぶ新しい知識は、大きな刺激になります。特に、大御所の方々が当たり前のことを丁寧に行っている姿勢に触れると、自分も見習いたいと思います。役作りでは正解がわからず試行錯誤することも多いですが、台本を何度も読み込み、役の内面や背景を考えることで少しずつ形にしていけるように頑張っています。不安に襲われそうな瞬間も多くあるのですが、私は「この世で一番怖いことは死ぬこと。それに比べれば、他のことは怖くない」と考えるようにしています。そう考えることで緊張感はほとんどなくなります。負けず嫌いな性格に加えて、自分に対して妥協したくないという強い気持ちが支えになっているんじゃないかなと。周りと比べて「自分には力が足りていない」と感じるときも、「なんで自分はできないんだろう」と考え、努力を続けることで乗り越えてきました。 ■ドラマ『プライベートバンカー』への出演 出演が決まったときは大御所の方々と共演すると聞いて、現場で迷惑をかけないか心配で「私で大丈夫かな?」という不安が大きかったです。。それでも、監督さんやスタッフさんのサポートのおかげで徐々に緊張がほぐれ、多くのことを学ぶことができました。私が演じる飯田芹奈は、学校とお店を両立しながら母を支えるクールで真面目なキャラクターです。私自身とは少し違う性格ですが、役作りのために台本を読み込むほか、日常生活でも声のトーンを意識して練習しました。私は普段あまり大きな声を出すことがないのですが、今回は叫ぶシーンがあったのでそこは頑張って取り組みました。、 ■当たり前のことを丁寧に この業界に入ったのは母からの推薦がきっかけで、それまでは業界への憧れはあまりありませんでした。しかし、お芝居を続けてきた中、今は現場での新しい発見や学びを通じて、自分の可能性を広げたいと思っています。今回のドラマで共演した鈴木保奈美さんの、当たり前のことを丁寧に行う姿勢やフレンドリーな人柄には、とても憧れを抱きました。私もいつかあんな女優さんになりたいです。 ■大学生へのメッセージ 私がこの仕事を始めたのは小さなきっかけでしたが、それをつかんだからこそ今の自分があります。チャンスはいつどこで訪れるかわかりません。その一瞬を見逃さず、希望を持ち続けてください。また、どんなことにも前向きに取り組むことが大切だと思います。特に学校生活では、多くの経験や出会いを通じて視野を広げる機会がたくさんあります。その中で自分にとって大切なものを見つけ、可能性を信じて進んでいってください。 学生新聞オンライン2024年12月16日取材 法政大学4年 島田大輝 ドラマ『プライベートバンカー』2025年1月9日(木)スタート!【毎週木曜】 よる9:00〜9:54 テレビ朝日系24局 大富豪の資産を守るためなら“何でもやる”! 唐沢寿明が金融知識を武器に策動する新たなヒーローに!! 痛快マネーサスペンスが誕生!

学生新聞インターン

読売ジャイアンツ球団特別顧問 高橋由伸

置かれた場所で咲く力とは 読売ジャイアンツ球団特別顧問 高橋由伸(たかはし よしのぶ) ■プロフィール1975年(昭和50年)4月3日生まれ、千葉県千葉市出身。現役通算18年で打率・291、321本塁打、打点986慶大3年春に東京六大学野球リーグで三冠王。同リーグ通算23本塁打は現在も歴代最多記録。1997年ドラフト1位で巨人に入団し、松井秀喜氏とともに看板選手として活躍。新人特別賞、ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞7回に輝いた。2004年アテネ五輪日本代表として銅メダル獲得2015年に現役引退。翌年から3年間は巨人軍第18代監督。現在は巨人軍特別顧問、野球解説者としても活動している。 高校生のころからメディアに注目され、「天才打者」と呼ばれていた高橋由伸氏。プロ入り1年目からずっと活躍し続けてきた高橋氏だが、少し言葉を交わすだけで、その優しさや謙虚さが伝わってくる。選手、監督、解説者と、さまざまな経験をしてきた彼が、野球との出会いや考え方を語ってくれた。 ■ちょっとしたきっかけが自分を野球界に引き込んでくれた 親が野球好きだったので、子どものころはよくキャッチボールをして遊んでいました。僕が育った地域は野球以外のスポーツはあまり普及しておらず、地域のクラブチームが成立しているのは野球だけでした。小学4年生の時に地元のクラブチームに入ったことが、野球を始めたきっかけです。 ■プロ野球選手になったきっかけ 高校卒業後、慶應義塾大学へと進学しました。僕が通っていた桐蔭学園は大学進学を選ぶ生徒が多数派だったことや、先輩の髙木大成さんが慶應義塾大学へ進学したことで「先輩と同じ道を辿れば何かが見えてくるのでは」と感じたことが理由です。大学進学後、プロ野球選手になれるとは本気では思ってなかったのですが、大学3年生の時に髙木さんがプロ1年目で活躍するのを見て、「もしかしたら、自分でもできるのかもしれない」と思い、プロ入りを就職の選択肢の一つとして考えるようになりました。 ■プロ野球選手時代の思い プロになるまでは、実は「周りのために野球をしている」という想いが大きかったです。野球をすると家族が喜んでくれる。試合に出て期待に応えると、チームメイトはじめみんなが喜んでくれる。だから、野球を続けてきました。でも、プロになってからは、「仕事である以上は、自分のために頑張って稼ごう」と思うようになりました。プロ野球は不思議なスポーツです。チームスポーツという割に、チームが勝っても個人成績が悪いと評価されません。さらに、自分が打たないと居場所がなくなります。だから、できる限りのことをしようと思いました。選手時代、時にはけがをすることもありました。そのたびに、「自分には足りないことがあるから、次は気を付けよう」と意識を改めるように心がけていました。その後、監督になってから、チームの主力選手がケガで試合に出られないというのは、どれだけ大変なことなのかを知りました。 ■現在の活動と野球の魅力 監督を引退した現在は、主に野球解説者をしています。解説者の役割は、目の前で起きたことをわかりやすく説明すること。選手、監督の経験を活かした予測やコメントを、視聴者に楽しんでもらうことを意識しています。大切にしているのは、「いかにして言葉を伝えるか」です。僕は長らくこの業界にいたので、「これくらい説明すれば伝わるだろう」と、言葉足らずになってしまうことが多いんですね。でも、それだと小学生や野球をしたことがない人には、こちらの意図が伝わらないことも多々あります。だから、できるだけ丁寧に説明することを意識しています。野球の魅力は、筋書きのない点です。一発逆転がある試合もあれば、10回勝っていたチームに、番狂わせで1回負けてしまう試合もある。まるでドラマのようで、面白いんです。あと、野球は見る人全員が監督になれるところも魅力ですね。「自分だったらこうするのに」といろんな可能性を考えられるところも野球の楽しさです。 ■今後の展望 今後の目標は、野球をもっと発展させることです。最近は野球人口が減っているので、野球やスポーツ業界全体を盛り上げるために、活動したいです。実際、僕自身は、野球のために何かしなければいけない立場だと思っています。 ■メッセージ 苦しいときは、どうしても何かのせいにしたくなります。でも、自分が1番の当事者なので、何かつらいことがあっても、他人事にしない意識が大切です。苦しさから逃げていると、それを超える力がつきません。もがいたり、自分を振り返ったりするのは苦しいものですが、誰にとっても必要な時間です。僕も同じ経験をしたからこそわかるのですが、人生が順調ではなくても階段を上ることはできます。世の中は平等ではありません。でも、平等ではないからと腐るのではなく、自分が置かれた状況で努力し、次の道を探すことこそが大切です。 学生新聞オンライン2024年12月13日取材 青山学院大学1年 桑山葵/早稲田大学4年 西村夏 中学生記者(野球&ラグビー代表選手)が突撃インタビュー ■成る可くして成った球界のスター 高橋由伸 野球好きな父親と二人の兄の影響で野球を始めた高橋由伸さん。小学生で水泳も習ったが地元・千葉の野球チームで飛び級の活躍。しかし、学生時代、本人は野球選手になれるともなりたいとも思っていなかった。家を出たくなかった由伸さんと出したくなかった父親に対し、母親の強い勧めで、高校は桐蔭学園に進学。恵まれた仲間との全寮生活で必死に練習し、甲子園出場を果たしたと言う。高卒プロの道もあったが、「プロ野球は別世界」と思っていたそうだ。慶應義塾大学への進学を決めたのは、二歳上の高木大成の存在が大きかった。同じ道を辿って何か見えるかもしれない。身近な先輩がプロ指名され、自身も絶好調に活躍し、スカウトが来たことで、プロ野球が一気に現実的なものに。一位指名で読売ジャイアンツへ入団。家族と一緒に過ごす時間や周りの期待に応える事が喜びだった学生時代から一転して、職業として稼ぐ使命感が芽生え、初めて自分のために頑張ろうと決めたという。プロ野球はチームが勝っても個人の成績で評価される。だからこそ、自分に足りない部分を常に見極め、克服すべく、一生懸命やるのみ。何万人もの前でプレー出来る希少な舞台は、怪我をしても戻りたい場所だったと言う。「実は緊張するタイプ」だと自己分析するが、待ったなしがプロの世界。試合前は集中するために音楽を聴く選手が多いと言われるが、高橋氏は自身の登場曲はその時の気持ちに近い歌詞の曲や子どもたちが好きな洋楽を選んでいたという。現役最後に経験したのが、補欠という役目。補欠にも活躍の場があると知り、置かれた場所で咲く頑張り方があったと振り返る。引退後の現在は野球解説者のほか、小学生や初心者の指導者として、活動を続けている。選手と監督という両方の経験を持つからこその見解を、一般に楽しく分かりやすく伝えることを心掛けている。 由伸さん視点での野球の魅力を尋ねると「大谷劇場のように、漫画のような奇跡的な出来事も起きて一発逆転もある」「筋書きのない物語が面白い」「観る人皆が『自分ならこう采配する』などと監督気分が味わえる」と熱く語る。今後の展望としては「野球人生の経験を活かして普及のために何かをしたい、していかなくてはいけない」と宣言。海外ではシーズンごとに複数スポーツ経験をすることが主流だが、由伸さんは「職業とするなら難しいかもしれないが、多数のスポーツを経験すると、あらゆる身体の使い方を習得し、選択肢や可能性が広がる。野球人口を増やす上でも良い」と賛同する。プライベートでは趣味のゴルフで交友を深め、早朝から緑の中を歩き、健康に気を付けているのだとか。最後に、学生新聞の読者へ一言お願いすると、「苦しい時、他人事と思って逃げないこと。 自分で乗り越えないと力にならない。社会に出たら平等ではないので、置かれた現実の中で努力して、大切な場所を探して欲しい」。大きな瞳を輝かせながら、心強いメッセージを届けてくれた。 ■取材した感想 憧れの人を前に緊張しない訳が無いが、高橋由伸さんは学生に真摯・誠実にお話し下さり、その人間力に引き込まれ、取材が終わる頃には夢中で前のめりになる自分がいた。実際にお会いして、球界は2種類のスターに分かれると思った。大谷翔平選手やイチロー選手のように、小さな頃から高い目標設定で未来を描き、それを有言実行して予想を超える記録を残す天才タイプと、自分より人の為に、少し肩の力を抜いて置かれた環境で精一杯努力し、開かれた道を一歩ずつ進み、着実に達成する天才タイプ。成る可くして成ったスター、その代名詞が高橋由伸選手だ。プロスポーツ選手になることは普通に考えたら雲の上のことだ。僕もプロスポーツ選手を目指す上で、いつも高ければ高いほどの目標を持たなくてはならないと焦る時もあったけれど、高橋さんのお話を聞いて、決して正解は一つではないと気付かされた。自分が今置かれている環境がベストだと信じて、その中でひたすら努力すれば、道は見えてくるはずだ。絶対無理だよこんなのと思うんじゃなくて、一歩ずつ歩んで成長しながら階段を上っていく、僕はそんな高橋さんの生き様がカッコ良いと感銘を受けた。 執筆者: 青山学院中等部3年 吉田侍人(IMG インターナショナルクラシックベースボールU15日本代表、ラグビー U15東京都代表) 青山学院中等部3年 吉田侍人

コラム

テリー伊藤 コラムVol.40 2025年ご利益のあるスポットは?

車雑誌『ベストカー』の取材はお台場で行う事が多い。理由は交通量が少なく走行シーンの撮影がやり易いことや、平日は人もまばらで注目の新車などが目に付きづらい点だ。そんな訳で何十年もロケ地として重宝している。撮影が終わると近くのお台場ダイバーシティに行き、お茶を飲んだり食事をするのが定番のコースとなっている。その日、普段は空いているフード街がびっくりするような混雑状況。若い女性がわんさか居て各レストランに長い行列を作っていた。殆どの女性がミニスカート、それも超ミニ姿なのだ。色もカラフルで、ヒョウ柄、水玉、黒レース、革、シルバーラメ等々大変な事に。寒い季節もあって東京の街ではミニスカートの女性を見掛ける事が少なくなっているが、ここは別次元。余りの華やかさに戸惑ったが、すぐに理由が判明した。 最近売り出し中の男性アイドルグループ「NCT WISH」のイベントがあるらしい。人気のオーディション番組から誕生した日本人4名、韓国人2名からなるイケメングループなのだ。これで納得できる。ファン心理として、彼等に客席にいる自分を見つけてもらいたい一心で目一杯のおしゃれをして来ているはず。彼氏とのデートでも恐らくここまでセクシーな服は着ないだろう。男性ファンが、お目当てのアイドルのコンサートに行く時、セクシーなオーデコロンを身体中に吹き付けて行く話も聞いた事はない。この現象は恋する女性の特権かも。それにしても色とりどりのファションが街を楽しくさせてくれる。有難き遭遇だ。 そう言えばクリスマスが終わると、外国と違って日本はすぐにイルミネーションが撤去されお正月モードに切り替わる。昨日までのファンタジー感は跡形もなくなり、いきなりの松飾り。勿論お正月は嫌いではないが、クリスマスの余韻に浸る事も出来ず、サンタクロースの後ろ姿を見送る間もなく年を越して行くので、毎年複雑な気持ちになる。華やかな色が消えていく東京の街、救いは東京タワーのイルミネーションだ。澄んだ冬空の星たちを従えて輝くタワーは、春も、夏も、秋もその美しさにはかなわない。星が凍る程の寒さの中で見ることが出来る絶景ポイントは何処か。東京タワー下に建つ徳川家康家ゆかりの芝「増上寺」から眺めた東京タワーは息を吞むほど壮麗。寒さを忘れ立ち止まってしまう。 2025年色んな神社仏閣のお参りも良いが、ここから拝む神々しいタワーに願い事をするのは。きっとご利益ありますよ。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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女子プロレスラー 天麗皇希

天を舞うアメジストバタフライ自分のもっているものが活きる世界へ「キャリアアップ」 女子プロレスラー 天麗皇希(あまれいこうき) ■プロフィール 2024年5月後楽園ホールでプロレスデビューする。キャリアで上回る相手に苦戦するも最後はアメジスト・バタフライ(コーナー最上段からの旋回式ボディプレス)で白星デビューを飾った。旗揚げ以降負け無しを続け、8月には青野未来の持つマリーゴールド・ユナイテッド・ナショナル王座に挑戦したが、スタイルズクラッシュの前に屈し王座獲得ならず。しかし、11月にはプロレスリング・ノアの「GHC女子王座」の初代王者となり異例の快進撃を続ける。 ■どんな学生時代を過ごしていましたか? 中学の時から音楽をやっていて、高校生の時は軽音部でエレキギターを弾いていました。高校卒業後に半年だけ音楽の専門学校に通っていました。専門学校をやめた後はアルバイトをしながら友達とチームを組んでダンスのパフォーマンスをしていました。  ■プロレスをはじめたきっかけは? ダンスチームを組んでいたメンバーの一人にアイドルグループに誘われて、少しだけアイドル活動をした中でたまたま舞台を観に行く機会があり、舞台に興味を持ち役者を始めました。そこで出会った方に、舞台の中でプロレスをやる企画に誘っていただきました。もともとアクションがやりたかったこともあり、その舞台に出演することを決めました。その時に初めてプロレスというものを知りました。最初はあくまで役者としてプロレスをやっていたのですが、キャリアアップとしてプロレスラーになろうと思いました。役者のときは自分の体の大きさが周りと比べると浮いているように思えてしまうこともあったのですが、プロレスラーは体が大きい方が有利になることや自分の体の特徴を受け入れてくれるものだと感じました。プロレスラーなら一つ上のステージに進めると思い、半年前にプロレスラーになりました。  ■プロレスの魅力とは 私はもともと舞台やドラマの非日常感や気持ちが動く瞬間が好きなのですが、プロレスを見たときにも同じような感覚がありました。それに加えてプロレスは、人間味がより強く感じられる、舞台とは違うベクトルの感動があることが魅力だと思います。試合では、小さい選手が大きい選手を倒すこともあるので、そのときのスカッとする瞬間もプロレスならではの大きな魅力です。  ■1月3日の大会の意気込み プロレスラーになって約半年の11月にGHCのシングルベルトを獲りました。ちょっと試合が特殊な形だったので賛否あったんですけど、私もまだまだプロレスラーとして全然未熟だし、このベルトと一緒にどんどん大きくなりたいです。誰もが納得のチャンピオンになりたいと思っています。1月3日はかつてタッグを組んでいた後藤智香との防衛戦が決まっていて、もちろん負ける気はないけど、チャンピオンとして初めてのビッグマッチで会場も地元太田区なので勝敗以外も負けてられないなと思います。  ■大学生へのメッセージ 学生の時は悩むことが多いと思います。例えば、周りの大人や友達にいろいろ言われることがあるかもしれません。もしその意見に悩んでいる人がいたら、それはひとつの意見ではあるけど正解かは分からないし、正解だとしても他にも正解はあるかもしれない。だから一回受け取って、横に置いておいていいと思います。悩むことがあっても自分を信じて自分を大事にしてほしいです。むしゃくしゃしたときは私たちがプロレスで戦っている姿を見てすっきりしてもらえたらいいなと思います。1月3日は大田区総合体育館で待っています。 学生新聞オンライン2024年12月4日取材 青山学院大学1年 桑山葵 MARIGOLD FIRST DREAM2025 〜初夢〜 2025年1月3日(金)14時30分 試合開始大田区総合体育館 VIPシート(特典付): 50,000円Sシート(特典付): 30,000円Aシート(特典付): 15,000円1階スタンド席: 8,000円2階Aシート: 6,000円2階Bシート: 5,000円2階自由席: 3,000円 青山学院大学1年 桑山葵/城西国際大学1年 渡部優理絵

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株式会社三才 代表取締役社長 斉藤上太郎

新しいキモノが、時代のアイデンティティを象徴する 株式会社三才 代表取締役社長・キモノデザイナー 斉藤上太郎 (さいとうじょうたろう) ■プロフィール1969年京都市生まれ。27才での作家デビュー以降、時代の価値観と美意識に合致したファッションとしてのキモノスタイルを探求し続ける。「最新の伝統」を確立すべくコレクションショーを継続開催する唯一のキモノデザイナー。2020年ロンドンV&A博物館にキモノ収蔵。銀座シックスにJOTARO SAITO旗艦店を展開。昨年、名古屋松坂屋店オープン。 従来の常識に囚われず、他にはないスタイルを提案し続け、今年創業90周年を迎えたキモノ会社・株式会社三才。先代の意志を継ぎながら令和の新しいファッションとしてのキモノを発信し続ける3代目社長の斉藤上太郎さん。革新を極めるキモノデザイナーが織り成す、クリエイティブなスタイルの根源にある熱いコンセプトを伺った。 ■やりたいことに没頭していたのは、学生時代から 高校までは好きなラグビーに没頭していましたが、大学は芸術系に進学しました。もともと斉藤家は京都の染屋でしたが、若い頃はキモノや染屋の家を継ぐことはあまり意識していませんでした。進学後は染の仕事の勉強ではなく、印刷や写真などのビジュアルデザインを学んでいました。家に職人さんのいる環境にいたため、クリエイティブな現場の過酷さはよく知っていたので、将来への希望に満ち溢れているわけではありませんでした。ただ、漠然とその方向に進みたい気持ちはありました。また、絵を描くことやデザインをすることは好きだったので、今振り返るとやっぱり興味があったからこそ芸術の道に進むことを選んだのだと思います。 ■先代が作り上げてきたクリエイティブなスタイル 株式会社三才は、今年創業90周年になります。京友禅ベースの伝統的な技術・技法を持ち合わせていますが、うちはその中でもちょっとへそ曲がりな、どの染屋さんよりも作家のようにクリエイティブで革新的な染屋として有名です。初代才三郎の頃は、マニアックな洒落物を作らせたら面白いものを作るような意味合いとして「斉藤さんのところに鼠(ねず)を使わせたら京都一」として名を馳せていました。 現代の日本では、キモノに対するイメージは、普段使いするものではなく、結婚式のような特別な日に着るものへと変化しました。このような中で、日本人の立ち振る舞いを美しく見せるためのキモノのセットアップを初めて発表したのは、2代目である父の三才です。三才は、小柄な日本人を美しく見せられるように、太い帯で上下を分断するのではなく、同色や同柄で合わせるなど、職人にはできないスタイルの提案を意識してきました。 洋服よりもキモノを着ている方が、正直モテます。なぜなら、キモノを着ている時は、物を取る際に袂を押さえたり、座る時には裾をさばいたりなど、あらゆる所作に素敵な色気が出るからです。それらのことは着てみないとわからないので、より多くの方にキモノを着てもらってその感覚を体感してもらいたいと思います。 ■昭和を懐かしむキモノではなく、令和のファッションとしての新しいキモノを 僕は、年に2回ファッションショーを行っています。それは、キモノをモノとしてではなく、アイデンティティを象徴するファッションとして発信したいからです。キモノと帯だけではなく、小物やモデルも発表のテーマに合わせ、常に日本人の「ルーツ」や「らしさ」を考えてきました。 僕は、キモノはこうあるべきだという考えはありません。ファッションショーでは、「ほらね、キモノを着ることが1番新しいでしょ」と令和のファッションとしての新しいキモノを発信しています。決して昭和時代を懐かしむようなキモノの姿としてではなく、伝統文化・工芸こそが新しいと発信することにこだわっています。しかし、新しければ良いというわけではありません。やりすぎるとアニメのコスプレになってしまいますし、何もしなければ進化はありません。進化の程度に注意することは難しいですが、キモノによって素敵に美しくスタイルを良く魅せつつ、時代の変化に合わせたキモノを提案しています。 例えば、今着ているもの(※編集部注:取材時に斉藤さんが着ていたキモノ)はデニム生地を使用したキモノになっています。デニムですから洗濯機で洗えますし、長襦袢に見えるものはTシャツです。デニムやジャージなど、メンテナンスフリーの素材を使ったキモノもありますが、このような略式的な素材のキモノは一見初心者向けですが、ファッションが好きなマニアの人が手に取れるようにこだわっています。絹は確かに最高の素材ですが、いかに令和の美意識や価値観に合わせて新しいキモノを作っていけるかが大事だと思っています。 ■周りに合わせるよりも、自分のやりたいことを 自分がデザインしたキモノを発表するようになった最初の年では、自分のやりたいものを押し殺し、周りの目を気にしてウケを狙いに行きました。自分が作りたいものを作ってもどうせわかってもらえないだろうと思っていたからです。しかし、それはウケる事も無く、評判も悪く、自分でも納得の行かない結果となってしまいました。 その経緯もあり、2年目の発表は自分のやりたいようにやってみることにしました。これが成功しなかったら辞めるという勢いで予算もかけていただき、生地もオリジナルにこだわりました。そのように自分のやりたいことを詰め込んだ2年目の発表には、たくさんのお褒めの言葉を頂くようになりました。その時に「わかっていないのは自分やったんや」と気づきましたね。 ■学生へのメッセージ とにかく目の前のことにがむしゃらになって欲しいです。計算高さより目の前のものを信じ、邪念なく一生懸命に向き合った先には、必ず道が開けます。何かに打ち込んでいる方は素敵に見えますし、周りの人は意外としっかりと見ているものです。様々な困難のハードルを越えていけば自信にも繋がり、自信によって言動も変わっていくことで成功へのチャンスにも近づくはずです。是非色々なことにチャレンジしてみてください。 学生新聞オンライン2024年5月15日取材 昭和女子大学3年 竜澤亜依 N高等学校 2年 石川輝/慶義塾大学 3年 塚紗里依/昭和女子大学3年 竜澤亜依/法政大学4年 島田大輝

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株式会社エスワイフード 代表取締役 山本久美

一緒に守り続けていく、山ちゃんの成長と独自の文化 株式会社エスワイフード 代表取締役 山本久美 (やまもとくみ) ■プロフィール1980年 名古屋市立守山中学校 入学    バスケットボール部に所属し、3年間全国大会優勝を果たす1986年 愛知教育大学入学1990年 名古屋市内小学校教諭となる    小学校男子クラブチーム(ミニバスケットボール)の監督として全国で3度優勝2000年 結婚を機に退職    株式会社エスワイフード入社、役員となる2016年 8月に夫である前会長山本重雄の急逝により、株式会社エスワイフード代表取締役となり、現在に至る “世界の山ちゃん”で有名な株式会社エスワイフードの代表取締役である山本久美氏。創業者であるご主人の急逝をきっかけに専業主婦から急遽経営者となった山本氏に、学生時代と小学校教諭時代の経歴と、今もなお成長し続ける山ちゃんの魅力と変革について伺った。 私の学生時代を振り返ると、中学時代は名古屋で有名なバスケットボール強豪校に通い、中学時代の恩師に憧れて教職を志しました。恩師は、私が悩んでいるときには大人の考えを押し付けるのではなく、最後まで話を聞き、その後にアドバイスをくれる方でした。その姿勢に感銘を受け私もそんな教師になりたいと思いました。その後の大学生活は、勉強に限らず多岐にわたる経験の場だったと感じます。教育大学の体育科に在籍していた私は、部活動とアルバイトで充実した日々を送っていました。チームは1部リーグに所属し、練習に励む一方、飲食店や家庭教師のアルバイトで多くの人と触れ合うことができました。異なる職種での経験はすべて楽しく、それぞれの仕事における喜びや学びを見出すことができました。大学卒業後は、小学校教員の道へ進みました。学校教員としての経験は人を見る力が養われたと思います。教職の傍らで教えていたクラブチームでも、バスケットボールを教える中で、子供たち一人一人の個性を見出す喜びを感じました。どの子供にもそれぞれの良さがあり、それを引き出しチームとして上手くまとめることは、私にとっても大きなやりがいでしたし、この経験は現在の会社経営に役立っていると感じています。現代社会ではストレスも多く、大人でも心を痛めることが多々あります。早期に異変に気がつくことができれば、解決も早くなります。対象が大人にはなりましたが、人を見るという点においては同じで、教員やクラブチームでの経験が活かされているように感じます。 ■引き継ぐ「運命」 それから専業主婦として16年間を過ごした後、夫の急逝により会社を引き継ぐことになりました。夫は会社の創業者ゆえトップダウン型の経営を行っていました。主人が亡くなってからは組織の縦割りを進めていきました。多くの本を読みましたが、実情とのギャップを感じることが多く、最終的には夫のやり方を真似することにしたのです。とにかくその頃は危機を乗り越えようと、毎日必死でした。M &Aなどの話も出ましたが、やはり私が引き継ごうと決意したのは、結婚当初から続けてきたかわら版通信の「てばさ記」でした。「てばさ記」を執筆し続ける中で、会社やお客様への感謝の気持ちを再認識し、私自身が引き継ぐ運命だと感じたからです。自信はありませんでしたが、社員たちと共に成長し、会社を守っていく覚悟を決めました。夫が亡くなってからの数年間で、助け合いの文化はさら更に強まりました。以前は関東と名古屋のエリアが分断されていて、関東からは「打倒名古屋」という言葉も聞こえていました。でも、現在は、毎月の総会で直接話し、「ワンチーム」としての意識を持つように努めました。その結果、社員の顔つきも変わり、社内の一体感が高まったように感じます。 ■変革を続ける山ちゃん ワンランク上の山ちゃんをコンセプトにした「山」というブランドに力を入れています。「山」は世界の山ちゃんの看板商品「幻の手羽先」を落ち着いた空間で召し上がっていただきたいという気持ちから誕生しました。それまで門外不出だった幻の手羽先を外販商品として販売のすることを提案した時は夫の考えが残っていたため反対も多く紆余曲折はありました。夫は揚げたての幻の手羽先をお店で食べてもらうのが一番おいしい、その一番おいしい状態の物を召しあがって頂きたいと考えていたため、冷凍販売には消極的でした。でも、私はスーパーで冷凍のものを購入されるお客様層と来店されるお客様層は違うと感じたんです。そこで門外不出の手羽先を解禁して、レンジ対応の幻の手羽先の冷凍食品の販売を始めたり、コメダさんとコラボして監修の手羽先を販売したりしました。また、全国のスーパーやコンビニで販売することによって、山ちゃんを知らない人が新たにその存在を知ったり、来店動機に繋がったりするのではと思いました。もちろん反対意見もありましたが、コロナ禍に後押しされて、新たな挑戦を開始しました。店舗の外観も私が経営を受け継ぐ前は、「ザ・赤提灯」のような店舗のスタイルでしたが、現在は、もっとカジュアルなスタイルに変わりつつあります。渋谷センター街店や天王寺ミオ店は特に新しい挑戦で、店内にネオン管を使用し、若者やファミリー層にも山ちゃんのファンになってもらえるように変化をし続けています。そのほか、店舗ごとに個性が違う「究極の個人店」を意識した店づくりをしています。お客様に喜んでいただけるように、店舗ごとに工夫したり、オリジナルメニューを出したりする取り組みをしています。また、山ちゃんでは「何を食べてもハズレがない」ことにこだわっています。手羽先がいくら美味しくても、何か一つでも美味しくないものがあれば、悪い印象が強くなってしまうと考えているからです。今後の目標は、店舗を100店舗にすることと外販を拡充していくことです。また、海外においては新規出店、外販拡大を考えています。 ■変わらない文化 数々の変革を行いつつも、大切にしたいのは世界の山ちゃんの文化です。私は、従業員たちが集まる「総会」は堅い印象を抱いていたので、当初、常に笑いが生まれる山ちゃんの総会に違和感がありました。でも、現在ではその文化こそ、大事に守っていくべきだと考えています。そのほか、多様性を認める文化も残していきたいです。店は店長が全てと考えがちですが、接客が得意な人、料理の得意な人もいますし、目立たないけれど、皆が嫌がる仕事を黙々とこなしてくれる人もいます。いろいろな人がいて店は成り立っているのです。ですから、それぞれに大切な役割があることを認め、お互いに敬意を払うことが大切です。また、弊社には「立派な変人たれ」というテーマがあり、明るくて元気でいろいろなことに挑戦して変化していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 人生には数多くの岐路がありますが、楽な道よりも険しい道を選んでほしいです。険しい道は自己成長につながり、最終的には近道になることが多いと思います。「獅子の子落とし」や「可愛い子には旅をさせよ」といった先人の言葉は、私自身の経験からも本当にそうだと感じます。若くてパワーがあるうちにどんどん難しいことに挑戦して成長していってほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年6月17日取材 上智大学3年 東芽衣

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株式会社山本海苔店 代表取締役社長 山本貴大

先祖代々守り続けてきた伝統を、後世に繋ぐ 株式会社山本海苔店 代表取締役社長 山本貴大 (やまもとたかひろ) ■プロフィール2005年慶應義塾大学法学部卒、同年東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)入行、2008年山本海苔店に入社、仕入部配属。翌年より海外事業に従事。2016年専務取締役営業本部長、2017年専務取締役営業本部長兼管理本部長、2021年7月19日代表取締役社長就任。 嘉永2年(1849年)に日本橋室町で創業以来、高品質な“おいしい海苔”を提供し続けてきた山本海苔店。そのような老舗企業の次期7代目として、伝統を守り続ける山本貴大代表取締役社長にお話を伺った。 学生時代はサッカーに夢中で、幼い頃は“サッカー選手”になりたいと思っていました。将来の夢はあったものの、代々続く“山本海苔店”の息子として生まれ、成長していく中で、後継者になることをどこかで自覚していたように思います。会社を継ぐことを強要されてはいなかったので、反抗したり、プレッシャーを感じたりすることはありませんでした。実際に就活をする時には、大学卒業後すぐに山本海苔店に就職するか、他の企業に就職して経験を積むかで父親に相談しました。結果としては、まずは社会について学ぶことを優先し、東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)に就職しました。 銀行では4年間勤務し、最初は景気が良かったこともあり、池袋支社に在住中は、充実した日々を過ごすことができました。また色々な企業に関わっていく中で、社会における常識や知識は徐々に身についてきたように思います。しかし新宿支社に異動後、私の状況は大きく変わりました。お客様が一般の中堅企業から不動産会社になり、後のリーマンショックにつながる不動産不況の影響を受け景気も悪化。これらの変化により、お客様に対するアプローチ方法が180度変わり、池袋支社で勤務していたころのようにはいきませんでした。元々父親と外で働くのは3年から5年以内と約束していたこともあり、東京三菱銀行を離れ山本海苔店に入社することを決めました。 ◾️海苔を製造する上で大切なこと 海苔屋の中でとても大事な業務は“仕入れ”です。漁師さんからどれだけ良い海苔を仕入れることができるかで、その年の商売が決まります。海苔の味には芽を若い段階で早く切ることができるかがとても大事です。早く刈れば刈るほど、味や色ツヤが良くなる反面、芽を早く摘んでしまうと、採れる海苔の量が減ってしまいます。質の良い海苔を仕入れたい私たちと量を増やして売上を上げたい漁師さん。このような状況の中で、両者にとって不利益にならない状況を生み出すためには、“高い値段で海苔を仕入れる”ということが肝になるのです。このことは、銀行で勤務していた私にとって一番驚いた出来事でした。一般的に、仕入れの金額をできる限り安く抑え、高く売れる企業が優れた企業であると思います。しかし、弊社は売上を上げるのはもちろんですが、仕入れ価格を下げることは決してしません。なぜなら、「海苔産業のリーディングカンパニーである私たちが海苔を安く仕入れるということは、海苔業界の衰退に繋がる。漁師さんから高く仕入れてでも、おいしい海苔をたくさん作ってもらうことが大切」という考えが根本にあるからです。海苔製造業として、“おいしい海苔”をお客様に届けるために、海苔漁師さんとの良い関係を保ち続けることはとても重要な要素となっています。 ◾️海苔業界の将来性 海苔の国内生産量は下降傾向ですが、世界の海苔の需要はとても高まっています。2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、世界中で日本料理店が増加傾向にあります。この傾向は、人口や富裕層の伸び方などの要素を考慮して、2050年まで続くといわれています。今の時代、ここまで伸びる市場は他にはあまりなく、そのような点からも海苔業界は他の業界に比べて強みがあると思います。海苔需要の世界的な高まりは、グローバル市場への期待が見込まれることを意味します。弊社でも、上海やロサンゼルスなどの各国に拠点がある子会社の髙岡屋と協力しながら、海外での営業活動を強化していく予定です。 ◾️今後の展望          だれかに贈り物をする際、普段自分では買わないような高価な果物や食品を贈ることが多いと思います。私たちが作っている海苔製品もギフト市場での販売を主な目的として作っていました。それは、スーパーなどで購入する海苔の価格と10倍ほど異なる商品もあります。ですが、近年の日本での市場規模は縮小傾向にあり、私たちの商いは2015年頃より贈答品からお土産市場にフォーカスしていきました。そして、切り替えて10年ほど経った今、業務用に挑戦したいと考えるようになりました。しかし、業務用海苔の平均価格は枝のりサイズ1枚20円ほどが平均ですが、海苔業界を守る為にも100円~150円ほどで販売をしたいと考えています。これを実現するためには、高品質のおいしい海苔を使用した料理を提供する飲食店が必要です。そこで私は山本海苔店として、このような海苔を使用する飲食店を経営したいと考え始めるようになりました。おいしい海苔を提供する飲食店を開業し、一つの市場として成長させることが私の夢ですね。 ◾️学生へのメッセージ とにかく今を楽しんでほしいですね。自分の興味あることに積極的に挑戦して、今を充実させていきましょう! 学生新聞オンライン2024年8月20日取材 国際基督教大学2年 渡邊和花 東洋大学2年 越山凛乃/東洋大学3年 橋本千咲/国際基督教大学2年 渡邊和花/京都芸術大学1年 猪本玲菜/上智大学3年 吉川みなみ

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三井住友海上火災保険株式会社 常務執行役員 津田卓也

未知のリスクにも対応できる、時代に合わせた保険をめざして 三井住友海上火災保険株式会社 常務執行役員 津田卓也(つだ たくや) ■プロフィール89年早稲田大学理工学部卒業、同年住友海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)入社。新種保険部長、商品・サービス企画部長などを経て、22年4月から現職。 自動車保険や火災保険などの損害保険事業に加えて、異常気象やサイバー攻撃に対するリスクソリューション事業まで、時代に求められる安心と安全を提供し続ける三井住友海上。今回は常務執行役員の津田卓也氏に、新たなリスクに対する取組や「DX×保険」サービスなどについてお伺いした。 ■「最適化」することを学んだ大学生活 大学時代は、「経済学×数学×コンピューター」を掛け合わせた学問を専攻しており、その技術を用いて物事を「最適化」する研究をしていました。具体例としては、当時、手作業で行っていた電車のダイヤグラム計算と調整をコンピューターを用いて「最適化」する、といった感じですね。他にも統計や確率を用いて、効率の良い商品配置を考えたりもしていました。この経験から、数学やコンピューターの技術を用いれば、どの業界でも物事を「最適化」することができると考えるようになりました。大学卒業後は、様々な業界と関わり、自身の見聞を広げながら、物事を「最適化」していく仕事がしたいと考えていました。その中で、金融機関での仕事に興味を持ち、大学の先輩の勧めもあって、当社への入社を決めました。入社当時は、営業として新規の顧客獲得を中心に行っていました。製造業の方々と出会う機会が多く、ファイナンスに関する相談を数多く受けるようになりました。このとき、先方の技術に強く関心を持てたのは、大学の講義で学んだ知識のおかげですね。その後は、サイバー攻撃など新たなリスクに対応する保険商品の開発に携わりました。過去の統計データがない中、何がフェイクなのか見極め、正しい情報を集めることが、新たな保険商品を開発する上で大切だったと思います。 ■データ流出防止にはトレーニングが最適 データマネジメント部としての仕事は、大きく分けて二つあります。一つ目は、サイバー攻撃を受けた際に自社の情報を守ることです。サイバー攻撃を防ぐ方法として、外部システムとのやり取りにフィルタリングをかけるファイアウォールの強化も行っています。しかし、それ以上に力を入れているのは、自社の社員に対するトレーニングです。代表的なサイバー攻撃の中には、怪しいリンクやウイルスが添付されたメールが送られてくる、フィッシングメール詐欺があります。メールを開いただけで、システムが乗っ取られたり、データが流出したりするおそれがあります。これらのメールを開かないように、日常の業務の中でトレーニングを行っています。実際に詐欺メールに似せた訓練メールを社員に送付し、開封率や人数を調査することもあります。もしメールを開けてしまった場合は、個別にフィードバックをしたり、講座を受けてもらったりなど、念入りに対策を行っています。このトレーニングを繰り返し行ったところ、訓練メールの開封率は1%を下回るようになりました。しかし、データを守るうえでは0%が最低基準ですので、メールを開けてしまいやすい新入社員等を中心にトレーニングを継続しています。二つ目は、誤って情報を流出させないことです。データ流出の原因で多いのは、メールの誤送信や書類の誤送付です。こういった事例にもトレーニングは有効であり、根本的な技術面や確認作業といった方法で対策を行っています。 ■「何か起きた時」だけでなく「起きる前に」と「復旧する時にも」 これは、商品・サービス企画部時代の仕事ですが、当社では「DX valueシリーズ」という保険も取り扱っています。今までの保険は事故が起きたら保険金のお支払いをするのみに留まっていました。しかし、「DX valueシリーズ」では、事故が起きないようにする予防の段階や、事故が起きてからの復旧作業にかかる段階でもサービスを提供開始しています。例えば、サイバー攻撃に対する保険を例にしましょう。この場合、予防の段階では、ウイルスを侵入させないために監視システムが導入できます。復旧の段階では、仮にウイルスに侵入されて、システムが破壊された場合にかかるデータ復旧費用やシステム復元費用なども補償します。このようにBeforeとAfterの両方をカバーできる商品を、自動車保険などでもシリーズとして展開しています。 ■既存からの変化とバランスを取りつつ、未知のリスクと要望に向き合う 変化が常に起こる社会ですので、今までにない未知のリスクはもっと増えてくると思います。自動運転など技術の変化もあれば、為替やパンデミックといった経済環境の変化もあります。こういった社会の変化が、当社の保険商品にどう影響するか、常に考え続けていく必要があります。損害保険会社は、サービス提供するシステムを24時間機能させ続ける必要がありますので、サイバー攻撃やシステム障害などでサービスが使えなくなることは許されません。そういった事態を未然に防ぐためにも、新しい技術を取り入れながらシステム基盤を「最適化」していくことが重要です。ただし、新しい技術を取り入れることで起こりうるリスクも考慮しなければなりません。既存の技術と新しい技術とのバランスを取りながら、時代やお客様に求められるサービスを提供し続けていきたいと考えています。 ■学生へのメッセージ キャリア形成には、学生自身が「自ら選ぶ」姿勢が非常に大切です。会社の知名度や待遇で仕事を選ぶと、理想と現実にはギャップが生じてしまいます。会社と学生はフラットな関係にあるので、学生の皆さんが会社を「自ら選ぶ」という感覚を強く持ちながら、キャリア選択を積極的に行ってみてほしいです。 学生新聞オンライン2024年8月28日 武蔵野大学4年 西山流生

イベント・企業紹介

株式会社フォーチュンエンターテイメント 2024年を振り返る会

2024年11月11日(月)渋谷カルチャーカルチャー(渋谷区渋谷1-23-16)にて、株式会社フォーチュンエンターテイメント(本社:名古屋市中区松原 代表取締役:谷口誠治)主催の2024年を振り返る会が開催され、関係者各位への感謝を伝えました。谷口誠治社長とSAKURA GRADUATIONのMireiさん、カラフルダイヤモンドの設楽賢さん、関優樹さんに今後の夢や大学生へのメッセージを伺いました。 株式会社フォーチュンエンターテイメント 代表取締役 谷口誠治 (たにぐちせいじ) ■プロフィール株式会社NDP、株式会社NDR 代表取締役。学生時代関西でローラースケートリンク3ヵ所をオープン、マネージメントをする傍ら、プロスケーターとしてTVやイベントに出演。その後、地方公務員に。しかし、自らの夢を実現させるため市役所を辞めて上京。NHKドキュメンタリーでとりあげられ、レギュラー番組を持つ。TV、CM、映画、雑誌、イベントなど様々なメディアで活動後、ロンドンへ渡り、その後、ミュージカル”スターライト・エクスプレス”世界ツアーに出演する。 ▼名古屋から世界に通用するタレントを 私たちは「夢を形にする」会社です。最初は“自分が面白いことができる会社を作りたい”という思いから始まり、世界に通用するタレントの育成に着手しました。25年前、日本のイベントが世界に通用するのは難しいとされていたからこそ挑戦したのです。 当時、名古屋にはエンタメがなく、東京や大阪に比べて地元タレントも少なく、「名古屋飛ばし」として興行も入りづらい状況でした。そんな中で、みんなが「無理」と言うことに挑戦したい気持ちが強まり、夢は寝て見るものではなく叶えるものだと実感しました。 夢を形にする会社として、名古屋で夢を持てない人々に、夢を見られる場所を提供することが僕の夢の一つです。 ▼大学生へのメッセージ 夢を見ることを恥ずかしいと思わないでほしいです。就職でどんな会社に入るとしても、自分の夢を形にできる場所に変えればいいのです。そうでなければ、きっと面白くないと思います。 《SAKURA GRADUATION》 Mirei 2024年2月28日にオーディション番組でデビューして、今は2ndシングル「CANDY TOWER」をリリース中です。7大都市ツアーもやらせてもらい、世界コスプレサミットの応援サポーターもしています。ZIPやJUNONなど、メディアにも出させてもらっています。これからも更に活躍できるよう頑張りますので、応援よろしくお願いします!私たちは6人組で、現役大学生が2人いるので、ぜひ友達になって応援してくれたら嬉しいです。 《カラフルダイヤモンド》 設楽 賢 / 関 優樹 ▼活動を通して感じるやりがい 設楽:活動している事全てです。最初は大変に感じていた稽古も今ではメンバーと和気藹々ありながら切磋琢磨しながらすることが出来て楽しいです。 関:やっぱりファンの方の笑顔です。活動していく中で、大変なことも多いのですが、それを乗り越えた時、皆さんが笑ってくれたり、良かったよって言ってくれたりする一言が活動の糧になっています。1人でも多くの方に僕らも笑顔を届けられるように頑張るので、これからも応援お願いします。 ▼今後の夢 設楽:やっぱり東京ドームです! 関:名古屋はもちろん、東京を含めた全国で活躍できるようなグループになるのが今の目標です。 ▼大学生へのメッセージ 関:大学時代の友達との繋がりは、ずっと続いていくものなので色々な付き合いを大事に、楽しい学生生活を送っていただけたらと思います。あとは今目の前にあるやりたいこと楽しいことを全力で頑張ってください。 学生新聞オンライン2024年11月11日取材 東洋大学3年 太田楓華 SAKURA GRADUATION 『サクラ グラデュエーション』通称『クラグラ』。新たなるJ-POPを名古屋から全国、世界へ!クラグラ旋風を巻き起こします!オーディション番組で結成された平均年齢18歳の6人組のダンス&ボーカルガールズグループ。オーディションの全貌は、Huluにて配信中! カラフルダイヤモンド 名古屋発エンターテイメント集団「BOYS AND MEN(ボイメン)」の弟分。デビューシングル『あまキュン』では15万枚、2ndシングル『まるごとJELLY NE∀NS』では10万枚、2作連続ゴールドディスクを獲得した注目のボーイズグループ!2024年12月21日(土)に、3rdシングル『キミジェニック』が発売! 今回のシングルは、2024年12月21日(土)に第1弾、2025年1月18日(土)に第2弾、2025年2月12日(水)の第3弾と3連続でリリース。 第1弾、第2弾は異なるカップリング曲が収録され、第3弾には、ミュージックビデオのメイキング映像が付属。 2024年を振り返る会の様子

イベント・企業紹介

舞台『カラフルダイヤモンド~君と僕のドリーム2~』

2024年11月26日(火)⾚坂 RED/THEATER(東京都港区⾚坂3-10-9)にて、TBSテレビ(本社:東京都港区赤坂)主催の舞台『カラフルダイヤモンド~君と僕のドリーム2~』公開ゲネプロが開催されました。メンバーそれぞれが本人役として出演し、夢に向かって進む等身大の姿を描いた舞台の見どころや公演を通じて学生に伝えたいことを伺いました。 前列(左から):小辻庵 / 内海太一 / 古川流唯 / 中下雄貴 / 設楽賢 / 後列(左から):加藤青空 / 高垣博之 / 國村諒河 / 岡大和 / 関優樹 / 永遠 < カラフルダイヤモンド >名古屋発エンターテイメント集団「BOYS AND MEN(ボイメン)」の弟分。デビューシングル『あまキュン』では15万枚、2ndシングル『まるごとJELLY NE∀NS』では10万枚、2作連続ゴールドディスクを獲得した注目のボーイズグループ!2024年12月21日(土)に、3rdシングル『キミジェニック』が発売!今回のシングルは、2024年12月21日(土)に第1弾、2025年1月18日(土)に第2弾、2025年2月12日(水)の第3弾と3連続でリリース。第1弾、第2弾は異なるカップリング曲が収録され、第3弾には、ミュージックビデオのメイキング映像が付属。 ■公演の見どころ 國村:今回の舞台は異世界ファンタジー「キラキラ王国」を舞台に、アイドルグループ「カラフルダイヤモンド」が光と影の二面性をテーマにしたストーリーを展開します。前作では僕たちの中で実際にあった出来事をオマージュしたお話が多かったのですが、今作はアイドルとしての輝きと、普段は見せない影の部分を本人役以外で演じ分けることが見どころではないでしょうか。また、現実世界と異世界でキャラクター名や性格が大きく異なりますので、そのギャップを楽しむことができると思います。アイドルを脱ぎ捨てたカラフルダイヤモンドを見れるのは今回だけだと思います。 関:異世界ファンタジーなので、アイドルが見せてはいけない一面を見ることができます。設楽君は特に変わりようがすごいですよ(笑)。 小辻:舞台中にはラップバトルや、観客も参加できるフラッグ振りのシーンなど、一体感を味わえる演出が盛り込まれています。新曲の披露から、この舞台でしか体験できない特別な内容になっています。 ■学生へのメッセージ 加藤:自分も今高校3年生で学業との両立は難しいです。ですが、学生の皆さんにとっての部活と同じようなものだと思うので、僕たちを見て一緒に頑張ろうと思ってくれたら嬉しいです。 國村:今回、親と子がテーマの部分もあるので、子から親への気持ち、親から子への気持ちなど、共感できる部分がたくさんあると思います。 学生新聞オンライン2024年11月26日取材 法政大学4年 島田大輝 後列:加藤青空 / 高垣博之 / 國村諒河 / 法政大学4年 島田大輝 / 東洋大学3年 太田楓華 / 岡大和 / 関優樹 / 永遠前列:小辻庵 / 内海太一 / 古川流唯 / 中下雄貴 / 設楽賢 ■感想 ~...

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女子プロレスラー 翔月なつみ

挫折したあとも自分を諦めなければ、きっと夢が見つかる 女子プロレスラー 翔月なつみ(しょうづき なつみ) ■プロフィール美容師として働いていたが一時地元の尼崎に戻り、女優を目指して再度上京。プロレスをつかった演劇プロジェクトをきっかけに女子プロレス団体スターダムの練習生となる。紆余曲折あり2024年にマリーゴールドの旗揚げに合流。わずか2ヶ月後の7月、両国国技館で行われた初代王座決定戦で優勝し初代スーパーフライ級王者となる。 ■学生時代に力を入れていたことは? 高校卒業後は美容学校に通っていました。人をきれいにして喜ばせたいという思いから、美容に興味を持ちました。美容学校では土日にコンテストがあったので、部活のようにコンテストに力を入れていました。 ■プロレスを始めたきっかけは? 美容師の道に挫折したことです。美容師1年目で肌や爪が弱くて荒れてしまい完治が難しく、新人時代に必要な仕事ができずに退社。その後、特にやりたいことがなかった時に芝居をやっている友達に誘われ私も芝居を始めました。上京して初めての役がプロレスラーを目指す女子高生だったので、役作りのためにプロレスを見に行ったことがプロレスとの出会いです。活躍しているプロレスラーには私より若くて可愛くて細い選手もいました。その姿を見て「やってみたい!」と思ったことがプロレスを始めたきっかけです。今のプロレスは入口が広いので私も始めることができました。 ■いとこの存在 実はプロ野球・広島東洋カープの床田寛樹は従兄弟なんです。私は25歳くらいの時、怪我もありプロレスと芸能活動を一度やめました。ちょうどその頃、私の5歳下の寛樹が広島カープに入ることになりました。小さい頃から努力を見てきたから嬉しかったし、夢を叶えた姿に勇気をもらい、自分ももう一回頑張ろうと30歳でこの世界に戻ってきました。寛樹にはいいところを見せたいです。いつか試合を見にきてほしいし、広島カープの始球式に出ることが私の目標です! ■プロレスの魅力 プロレスはエンターテインメント色が強いので、どうしたらお客さんを楽しませることができるのか、応援を引き出せるのかを考えることがやりがいでもあり、魅力です。応援をしていただけると私も力が出るし、見てくれた人に「元気が出た」と言葉をいただくと嬉しいです。初めて見る人は、推しの選手を見つけるとより楽しめると思います。感情移入できる選手が絶対にいるので、自分の「推し」を見つけられると、ルールがわからなくても楽しく見ることができると思います! ■2025年1月3日の大会の意気込み 私は初代マリーゴールド・スーパーフライ級王座のベルトを持っています。大きな選手がぶつかり合うのは迫力がありますが、軽量級にしかできない闘いもあるので、私の熱い戦いを見にきてほしいです。私は現在4回防衛に成功しているので、絶対にまた防衛してベルトを掲げたいです。他にもこの日は4つのベルトのタイトルマッチがあって、どの試合も違った色があって楽しんでもらえると思います。 ■大学生へのメッセージ 今、夢を持っていなかったり、将来に不安を抱えている学生さんがいるかもしれません。でも大丈夫です。私は美容師になりたかったけれど挫折をしてしまいました。それでも、プロレスに出会えて、今こうして新しい夢を追っています。ふとした時に新しいことに出会えると思います。だから自分を諦めないでください。私のようにプロレスを見て世界が変わる人もいるかもしれないので、興味があればマリーゴールド大田区総合体育館大会をぜひ観に来てください。 学生新聞オンライン2024年12月4日取材 青山学院大学1年 桑山葵 MARIGOLD FIRST DREAM2025 〜初夢〜 2025年1月3日(金)14時30分 試合開始大田区総合体育館 VIPシート(特典付): 50,000円Sシート(特典付): 30,000円Aシート(特典付): 15,000円1階スタンド席: 8,000円2階Aシート: 6,000円2階Bシート: 5,000円2階自由席: 3,000円 青山学院大学1年 桑山葵/城西国際大学1年 渡部優理絵

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プロレスラー・女優 青野未来

Brilliant Future王道プロレスの新旗手 プロレスラー・女優 青野未来(あおのみく) プロフィール2011年に女優としてデビュー。2012年には「-ナナとカオル 第2章」にて映画初主演を果たす。数々の作品に出演する中でActwres girl’Zの代表にスカウトされ2017年プロレスデビュー。2つのベルトを戴冠し絶対エースとして君臨するも2024年4月にマリーゴールドへの移籍を発表。現在ユナイテッド・ナショナル(以下UN)のベルトを保持し人気急上昇。 ■学生時代に力を入れていたことは何ですか? 学生時代はメイク、ネイル、エステなどをトータルで学べる専門学校で美容を学んでいました。入学した最初の年は全般的なスキルを学び、2年目にはネイルを専攻しました。美容学校の授業のみならず、アルバイトにも力を入れていました。埼玉に住んでいたのですが、できるだけ様々な出会いや何かのきっかけが欲しいと思い、都内でアルバイトをしていました。  ■プロレスラーになったきっかけは? 私がプロレスと出会ったのは、女優業など芸能活動をしている人がプロレスに挑戦するというコンセプトのActwres girl’Z(アクトレスガールズ)がきっかけでした。初めてお会いしたアクトレスガールズの社長に「絶対にスターになれるで!」と言っていただけました。このような力強い言葉をかけてくれる人はなかなかいないですし、自分に可能性を感じてもらえることが嬉しかったです。俳優としても武器になるものが欲しいと思っていたタイミングだったのでプロレスをすることを決めました。アクトレスガールズでは様々な経験をさせて頂き徐々に団体も大きくなっていったのですが、メンバーが様々な事情で辞めたり移籍して団体の危機がありました。それでも私はアクトレスガールズとして成功したかったし守りたい気持ちが強かったので残ったんですけど、だんだん私にできることがなくなっていってる気がしたんです。それで引退も考えたんですけど、ちょうどその頃新団体「マリーゴールド」が旗揚げすると聞いて最後に挑戦しようと思いました。 ■プロレスの魅力とは? リングで自分自身を表現できることや、お客さんの感情がダイレクトに伝わってくるところにやりがいを感じます。7月にUN王座をとったのですが、ベルトをとるまでの闘いが経験したことがないほど過酷で、勝った瞬間の歓声は忘れられないです。応援してくれる人とひとつになって喜べることもプロレスの魅力だと思います。 ■2025年1月3日の大会の意気込みを教えてください。 マリーゴールドとして2度目のビッグマッチ、私は4度目の防衛戦です。相手は同じアクトレスガールズ出身の桜井麻衣で、私は彼女のデビュー戦の相手を務めたんです。でも、生まれた場所は同じでもその後は別々の場所で育ったので、自分が知らない桜井麻衣を見られることに期待しています。別人みたいに成長した彼女と戦えることは嬉しくもあるけど絶対に負けたくない相手。ベルトだけではなくお互いの思いをかけて闘わなきゃいけないと思っていますし、防衛して2025年勢いをつけたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 私は紆余曲折あり、学生時代に想像もしていなかったプロレスラーになっています。文字にしていただくと順風満帆に見えるかもしれませんが、芽が出なくて苦しんだことも、母に心配をかけていた時期もあります。でも、目の前のことを一生懸命やることで、描いていた夢ではなくても素敵な未来が広がっていくと思いました。私は今を楽しんでいるし、プロレスと出会えたから夢がどんどん生まれ続けています。少し苦手だなということもトライすることできっと成長や変化を得られると思うので、みなさんも色々なことにチャレンジしていってください。まだプロレスを見たことがない学生のみなさんは1月3日大田区体育館にぜひ見に来てください。  学生新聞オンライン2024年12月4日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 MARIGOLD FIRST DREAM2025 〜初夢〜 2025年1月3日(金)14時30分 試合開始大田区総合体育館 VIPシート(特典付): 50,000円Sシート(特典付): 30,000円Aシート(特典付): 15,000円1階スタンド席: 8,000円2階Aシート: 6,000円2階Bシート: 5,000円2階自由席: 3,000円 青山学院大学1年 桑山葵/城西国際大学1年 渡部優理絵

イベント・企業紹介

吉野家ホールディングス新規事業発表会

株式会社吉野家ホールディングス(本社:東京都中央区、代表取締役社長:河村泰貴)は、美容と健康の領域で優れた機能を発揮する高付加価値素材オーストリッチ(ダチョウ)に関する新規事業の発表を2024年8月28日(水)、スパイラルホール(東京都港区南青山5-6-23)にて行いました。 株式会社吉野家ホールディングス執行役員・農学博士 辻智子/株式会社吉野家ホールディングス代表取締役社長 河村泰貴/フリーアナウンサー・俳優 宇垣美里/獣医師・獣医学博士・京都府立大学学長 塚本康浩 フリーアナウンサー/俳優 宇垣美里 ▼株式会社吉野家ホールディングス 代表取締役社長 河村泰貴 吉野家ホールディングスは、“オーストリッチ”に関する事業を始めることになりました。私たちがオーストリッチに着目した理由は二つあります。一つ目は、社会的な課題に対し、明るい兆しが見えたからです。社会は、人口増加や食糧問題などの様々な課題を抱えています。そのような中で、オーストリッチは、食料の集中化を防ぐという点から食材としての価値を感じました。2つ目は、事業の持続化への取り組みとしてです。吉野家は、“牛丼”を基幹事業として126年の歴史を紡いできましたが、事業一つに偏っているとリスクが伴ってきます。そのため、牛丼と並走して、他の事業を発展させる必要がありました。そのような時に出会ったのが、“オーストリッチ”です。食べた時に、牛肉の赤身に似た味で、素直に「うまい」と感じ、“オーストリッチ”の事業に、可能性を感じ始めました。 実際に、“オーストリッチ”について研究している中で、ある特徴が明らかになりました。それは、食用だけではなく、美容価値をもたらすものとしての可能性が高いということでした。オーストリッチオイルは、融点が人間の体温に近いことが特徴です。そのため肌馴染みが良く、美肌成分に対して浸透を促す効果も持っているのです。 吉野家ホールディングスは、この浸透効果を活かして、“SPEEDIA”という化粧品ブランドを立ち上げます。主力商品は、お手持ちの化粧品や美容液の成分をより高い効果へともたらすグラバースブースターボールです。性別や年齢問わず、どなたでもご利用できる商品となっています。 株式会社吉野家ホールディングス代表取締役社長 河村泰貴 日本におけるダチョウ研究の第一人者である獣医師・獣医学博士の京都府立大学学長 塚本康浩氏と、吉野家ホールディングスの執行役員であり、ダチョウ素材の機能性研究を続けてきた農学博士 辻智子氏による、ダチョウに関する最新の動向及び、オーストリッチオイルを使用したスキンケア商品について発表しました。 ▼獣医師・獣医学博士/京都府立大学 学長 塚本康浩 ダチョウは牛の4分の1の量しか食べないといった少食なのにも関わらず、地球上で一番大きな卵を生み、わずか1年ほどで2m50㎝くらいに成長します。そして何より環境にやさしい動物であり、メタンガスの発生量もとても少ないのです。ただ見た目が地味で、鳴かない、そして家畜ではないのでこれまであまり流通経路が確保されてきませんでした。 ▼株式会社吉野家ホールディングス 執行役員/農学博士 辻智子 今回発表されたSPEEDIA、オーストリッチオイルですが、動物でありながら植物性に似た使いやすく扱いやすい性質があります。またこのオイルには他の利用成分を浸透させやすくする働きがあるという研究結果をもとに測定したところ、驚くことに最近美容成分として注目されているナイアシンアミドの浸透率が23倍上がったことがわかったのです。またダチョウのお肉は赤身で鶏のささみに似ていることからタンパク質や鉄分が多く含まれています。これからは羽根や骨などオーストリッチ全ての資源を有効に活用していく予定です。 ▼フリーアナウンサー/俳優 宇垣美里 私にとって美容とは、自分を甘やかすための時間です。美容に費やしている時間は心が癒されますし、その結果として自分の肌の調子が良くなると、もっと気分が上がるので、とても大切にしています。オーストリッチオイルは、初めはイメージがあまりなかったので、どういうものだろうとドキドキ、ワクワク、早く使ってみたいなっていう風に思いました。実際に使ってみると、肌にのせた瞬間に馴染むので、スッと浸透していきますし、普段の化粧品とも一緒に使うことができるので、とても嬉しいです。メイクをする上で、スキンケアはすごく大切な土台作りなので、綺麗な肌を作るためにオーストリッチオイルを利用しています。私は乾燥肌ですが、この商品を使うと肌が柔らかくなるので乾燥対策もできます。 フリーアナウンサー/俳優 宇垣美里 ▼感想 ~取材を終えて~ 吉野家と化粧品。ぱっと聞いただけだと、そのふたつの共通性が見えませんでした。しかし、この取材を通して社会問題に真剣に向き合っている吉野家さんだからこその取り組みだと強く感じました。ダチョウの生息数が減少傾向にあるなど問題はまだあるとはいえ、革新的な挑戦だと思いました。オーストリッチオイルを使用した感想を伝えてくださった宇垣美里さんのお肌が遠くからでもわかるほどのツヤを放っていて、ぜひ一度使ってみたいと思いました。またダチョウのお肉も初めて食べたのですが、とても柔らかくて臭みも一切なくて美味しかったです!この取材を通して、ダチョウの強みが社会問題解決に繋がっていくことを学びました。大妻中野高等学校3年 加藤眞優花 学生新聞オンライン2024年8月28日取材:国際基督教大学2年 渡邊和花/国際基督教大学2年 若生真衣/國學院大學2年 寺西詩音 国際基督教大学2年 若生真衣/國學院大學2年 寺西詩音/国際基督教大学2年 渡邊和花/大妻中野高等学校3年 加藤眞優花/城西国際大学1年 渡部優理絵/東洋大学3年 橋本千咲

コラム

テリー伊藤 コラムVol.39 青山通りからVANが消える

青山に店を構え日本のIVYファッション発祥の地とも言われる伝説の「VAN・KENT SHOP」が来年3月をもって閉店する事になった。学生時代から憧れ、お店に入ることすら緊張したVAN。当時アメリカIVYリーグの学生達が着て流行っていたボタンダウンのシャツ、エンブレム付きの紺のブレザー、スタジアムジャンバー、マドラスチェックのバミューダパンツ、コインローファーなど、学生服しか知らない日本の若者にとってその格好良さは黒船以上の衝撃だった。アメリカでは学生の普段着だったが、1ドル360円時代、VANSHOPのスタジアムジャンバーは9千円、地方出身の大学生の住む家賃が早稲田辺りで4畳半5千円、新入社員の初任給が1万8千円、如何に高額だったか。欲しくても自分たち学生にはとても手が出る価格ではなかった。そんな訳で着飾ったウインドウを青山通りの外から眺めることしかできなった。そんな憧れからか、この歳になった今でもお店に行くとドキドキする。若い頃の思い出が甦る素敵な空間だ。 青春の聖地が来年3月になくなる。店長に聞いた。「若い顧客がどうしても育たない。顧客の平均年齢が55歳以上。70歳以上のお客様はリタイヤして年金生活の方が多く新しい洋服の購入を控えています。」そうなんです、当時若者に大流行したVANファッションも新しいファンを掴めず、オシャレな高齢者と共にブランド事態も歳をとってしまった。これって芸能界でもよくある話。デビューした時は青春スターだったが、年齢を重ね、気が付けばスターもファンもみんな老人になっている。先日舟木一夫さんのコンサートに行った時、舟木さん本人がこの現象をギャグにしてお客さんに話していた。しかし、スターはともかく、ブランドは回復のチャンスは幾らでもある。トラディショナルファッションなら、若い女性にダーゲットを広げては。カラフルなウインドブレーカー、ヨットパーカー、赤やベージュのダッフルコートも小太りな中年男性が着るより似合う。ボルドーカラーのクールネックセーターも親父が着ると日曜日のパパだが、娘が素肌にルーズに着こなせばセクシー。洋服って着る人によって生まれ変わることが出来る。 青山のお店は閉店になるが、このままでは勿体なさ過ぎる。2025年VAN復活計画は発進するに決まっている。小さな店でも、青山じゃなくても、セレクトSHOPでも構わない。創立者の石津謙介氏の精神「金が無くても創造力さえあれば」を心に頑張って欲しい。いつの日かZ世代が憧れるブランドになる事を信じて。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

前田蓮峰

ライフイズテック株式会社 代表取締役 CEO 水野 雄介

世界中にワクワクする教育を普及する ライフイズテック株式会社 代表取締役 CEO 水野 雄介(ミズノ ユウスケ) ◾️プロフィール1982年生まれ。慶應義塾大学理工学部卒、同大学院修了。大学院在学中に開成高等学校の物理非常勤講師を2年間務めた後、人材コンサルティング会社を経て、2010年にライフイズテックを創業。中高生一人ひとりの「世界を変える学び」のための教育×テクノロジーに注力しながら、企業や自治体とも連携し、社会をより良く変えていく次世代のデジタル・アントレプレナー育成に取り組む。 学生時代から「教育」と「社会」に強い関心を持っていたというのが、ライフイズテック株式会社・CEOの水野雄介氏。これまで、理想の教育を実現するために、教師としての経験を経て、社会全体を変える必要性を感じ、起業を決意。現在では、教育とITを融合させ、実社会に役立つ学びの場を提供する水野氏にお話を伺った。 学生の頃から、私は「教育」と「社会」に対する深い興味を抱いていました。特に、熱中していたのが理系の学問である物理です。でも、その一方で教育制度に対して深い疑問も持っていました。周囲の学生たちを見ても、まるで進学するためだけに勉強しているように感じることが増え、私自身も「このままで本当にいいのだろうか」と考えるようになりました。そんなとき、私が理想とする教育とは何か、そしてその実現方法について真剣に考えるようになったのです。 既存の教育は、非常に堅苦しく、画一的であるということ。そもそも、物理という学問自体が「本質を探る学問」だと、私は思っていました。それに対して、世間が押し付ける「正解」を教える既存の教育制度に強く疑問を感じ、もっと個性を尊重する教育が必要だと考えるようになったのです。この思いが、私を教員免許取得の道へと駆り立てたのです。 ◾️教育だけでなく社会も変える 大学の1年生から4年間、私は「教育制度を変えたい」という想いを胸に教員免許を取得しました。忙しい理系のカリキュラムの中で教育実習や教員免許の勉強を並行させるのはかなり大変でしたが、それ以上に充実感を感じることが多かったです。教育実習中も、私は生徒と向き合う中で、自分がいかに「理想的な教育」を実現したいかを再確認しました。その後、大学院での研究と並行して、私立の高校で非常勤として2年間教鞭をとりました。この経験が、後の私のキャリアの方向性を決定づけたのです。教師として働きながらも感じたのは「社会に出てみないと本当の教育はわからない」ということでした。次第に「教育を変えるためには、教育現場だけではなく、社会全体を変える必要がある」と強く思うようになりました。そこで、社会経験を積むために、ベンチャーとしても注目を集めていた人材コンサルタント会社に就職することを決めました。 業務上、中小企業の社長に接することが多かったのですが、彼らの挑戦心や事業への熱意に触れ、「自分も何か新しいことをしたい」という気持ちが強くなりました。そうした経験を通じて、学問だけではなく、社会全体が「変化を求めている」という感覚を強く抱くようになり、教育を変えるために行動を起こす決意を固めるようになったのです。 ◾️理想の教育のために 企業での経験の後、私が選んだのは起業の道です。メンバーは、テニスサークルの友人や、同じベンチャー企業で働いていた仲間たちです。 最初は教育の具体的なビジネスモデルやサービス内容を考えるよりも、「どんな教育を提供したいか」を強く意識していました。理想の教育を提供するためには、まずその世界観を作り、みんなでそのビジョンを共有することが重要です。この起業の段階で、私は本当に多くの本を読み、さまざまな成功者のケーススタディを学びました。中でも印象に残っているのは、スープストックの創業者である遠山正道さんの話です。彼の「スープのある1日」というアイデアに触発され、私は「教育もストーリーとして語れるものだ」と考えるようになりました。教育を提供するだけではなく「どんな世界を作りたいのか」「どんな人々がどんな人生を歩むのか」というビジョンを明確に描き、それをサービスに反映させようと決意しました。起業から少し経ち、私たちは中高生向けに職業体験ができるキャンプを企画したのですが、これは実現しませんでした。では何をしようかと思った時、非常勤講師時代に、ITが好きで自分が作ったものを「見て見て!」と言ってくる生徒が多かったのを思い出しました。 ちょうどシリコンバレーで子ども向けのITキャンプが行われていることを知り、これを日本でも展開したいと考えました。実際に現地に視察に行き、IT分野に興味がある中高生たちを対象としてプログラミングキャンプを開催しました。これが、「ライフイズテック」の始まりです。その後、様々な事業に挑戦しつつ現在では学校向けのプログラミング学習用オンライン教材「ライフイズテック レッスン」の提供にも力を入れています。これにより、地理的な格差を超えて、より多くの中学生・高校生に質の高いデジタル教育を届けることができるようになりました。さらに、企業のリスキリング支援やDX(デジタルトランスフォーメーション)の支援といった分野にも展開し、教育だけでなく社会全体に変革をもたらすための取り組みを進めています。 また、ライフイズテックのキャンプで中高生を教えるのは大学生メンターです。次世代の教育に関わりながら、同時にデジタルやコミュニケーションの力を伸ばしていく大学生メンター育成プログラム「Leaders」も開催しています。 ◾️学生へのメッセージ 学生のうちに海外に行っておくことを強くおすすめします。卒業してから職に就くと、時間はどんどん取れなくなっていきます。自分だけの価値観で生きるのではなく、こういった生き方をしている人もいると、多様性を知ることが自分への最大の投資になるはずです。そして、情熱と意思を持って日々を過ごしてください。私の場合、教育に対する情熱と、社会全体を変えていく意志が、私を起業という道へと導いてくれました。これからも、教育という分野を通じて、より多くの人々に影響を与え、社会をより良い方向へと導くために努力し続けていきたいと思っています。 学生新聞オンライン2024年11月7日取材 中央大学3年 前田蓮峰 中央大学3年 前田蓮峰 / 立教大学4年 緒方成菜

学生新聞インターン

縁petit株式会社 代表取締役社長 丸尾聖

「仕事をするのではなく、楽しいことをする」 ■プロフィール辻学園調理技術専門学校卒業後、同校で勤務を経て独立。現場で培った店舗経営ノウハウが評価され、多くの飲食店を再生。その経験から「美味しい≠売れる」の重要性に気づき、2017年に縁petit株式会社を設立しマーケティング特化型の飲食店を運営。2020年には革新的なFCビジネスを展開する01ヌードルJAPANを設立し、12店舗を展開中。2022年には財務支援を行うToSee株式会社も設立し、事業拡大を図る。  フランス料理とラーメンを組み合わせた「フレンチラーメン」を展開する縁petit(エンプティ)株式会社。学生時代にフレンチ料理を学んだ経験を生かしながら、女性が訪れやすい空間作りにも注力している。同社代表の丸尾聖社長は、カレーバーや餃子店も経営経験がありながら、なぜラーメンを選択したのか。イベントやフェスで売上No.1店舗になるまでの道のりを伺った。 ◾️調理師を目指した学生時代 高校時代はアルバイトに明け暮れる日々を送っていました。キャディや新聞配達、神社、ピザ屋など、とにかくたくさん経験しましたね。飽き性なので、仕事を覚えるまでが楽しくて、ある程度覚えてしまったら次のアルバイトを探していました。高校卒業後は、大阪の辻学園調理技術専門学校へ入学。苦手な学業では追いつけないと考え、同時にスタートして一流になれる分野を探したところ、行き着いたのが調理師だったんです。専門学校でフレンチの世界を学んだこともあり、この時、洋食の道に進んで30歳で独立することを決意しました。調理師という世界の真新しさと、「こんな料理を作れたら最高だな」というワクワクで満たされた1年間でしたね。そのまま同じ学校に就職し、講師として教えていました。ただ、この頃はもっと料理漬けになって学びたかった。講師を辞めたタイミングで上京し、食べ歩きで見つけたフランス料理店に就職を希望しましたがタイミングが合わず、ショットバーで働くことにしました。 ◾️何をするかよりも誰とするか お酒を学ぶために勤めたショットバーは、キャッチでお客さんを捕まえ、自分で売上を稼ぐシステム。自分の名前の伝票の数が勝負なので、人一倍声をかけ、2ヶ月目にして店内で売上1位、3ヶ月目にはグループで1位を達成しました。その後、縁あって赤字店舗を任されることになったんです。毎月赤字店舗をもらい、7店舗黒字化しました。経営の勉強をしたことはなくて、とにかくやってみて答え合わせをするという感じ。ただ、10年先も同じように働ける未来が見えなかったので、株式会社Ambienteを設立しました。阪急電鉄が所有していた7坪のテナントでカレーバーを始めたんです。業績は好調でしたが、カレーバーでは100店舗展開するのは厳しいと知り、餃子店の設立に至ります。居酒屋は「人につく」業態です。つまり、商品や接客、空間があるとしたら、一般大衆に最も大事にされるのは接客なんですね。ただ、接客に依存してしまうと、店舗ごとに接客の差が生まれてしまう。そこで、私は「何をするか」よりも「誰とするか」の方が価値が高いと思ったんです。そのため、現在、縁petitの社員も全員自分でヘッドハンティングして働いてもらっている人ばかりです。 ◾️女性を虜にしたフレンチラーメン 飲食店を経営するからには100店舗以上展開したいと思い、マーケットの大きいラーメンを選択しました。外国人観光客がおすすめする日本食の1位2位を争うのが、ラーメン。世界からみたら、ラーメンは日本食になるそうです。最も入れ替わりの激しい業界で、年間約40%が廃業してしまう世界ですが、当時女性の顧客は全体の2割しか取れていませんでした。「脱サラ」でラーメンを立ち上げる話はよく聞きますが、フレンチラーメンは参入障壁が低い。そこで、専門学校時代から仲が良く、フレンチレストランを経営している友人を呼び、フランス料理とラーメンを組み合わせた「フレンチラーメン」を開発しました。日本食といえば魚介だと思ったので、特に廃棄部分をスープやパウダーにできる鯛を選び、2017年にできたのが「鯛塩そば 縁」です。その後は、長期的にビジネスを続けられるように、実験的に店舗を出してはデータを集めてブラッシュアップしました。現在、客層の6割が女性です。もっと気軽にフレンチを楽しめるように、日本一安いフレンチを作りました。 ◾️ラーメンビジネスを世界へ これからは、先進国に縁petitが築いた仕組みを届けることが目標です。ラーメンを使ったビジネスで市場が潤ってほしい。そのためには、社員全員が優秀なメンバーでなければなりません。サラリーマンマインドではなく、経営者マインドである必要があります。先ほどもお伝えしましたが、縁petitの社員は、学生時代の同級生や元お客さん、元営業マンなど全員私のヘッドハンティングです。相手にとって利益になるように交渉して、引き連れてきました(笑)。みんな性格の良い人たちばかりで、「仕事ができる」というよりも人間味があって伸び代がある人たちです。そして、いつか労働が厳しくなって来た時に、労働対価ではなく知識や体験を生かした知識対価の働き方が求められていると思います。「仲間と自由に働きたい」という目標を達成するためには、この仕組みが必要です。1人1人が経営者として自分でビジネスをできるように育てたいと思っています。優秀なメンバーたちが縁petitで確立したラーメンのビジネスを世界に展開してほしいです。 ◾️大学生へのメッセージ 「努力は必ず報われる」という言葉は半分間違いだと思っています。なぜなら、適切な目標と正しい努力が必要だからです。やみくもな努力は報われないこともあります。人間は1日のうちにも約5000回の決断をしていると言われていますから、夢や目標は何回変わっても問題はありません。ただ、その中でブレない芯を見つけられたら、それが本質です。人間は少なからず適材適所があるので、自分が楽しいと思うことを見つけられたら勝ちです。私が天才だと思う人はみな、とにかく好きなことを仕事にして楽しんでいます。特に何も頑張っていないんです。ただ、自分にとって楽しいことをしているだけ。その領域に達することができたのであれば、どんな天才にも勝てる、はっきり言って無敵です。 学生新聞オンライン2024年10月25日取材 上智大学3年 白坂日葵 上智大学3年 白坂日葵 / 東洋大学2年 越山凛乃

太田楓華

Aiロボティクス株式会社 代表取締役社長 龍川誠

起業そのものはゴールではない。もはやライフスタイルのようなもの Aiロボティクス株式会社 代表取締役社長 龍川 誠 (たつかわ まこと) ◾️プロフィール大学在学中にwebサービスや通販化粧品ブランドの立ち上げを経験したのちに、2013年に女性向けメディアを運営するロケットベンチャー株式会社(現4MEEE株式会社)を設立。サービス開始から8ヶ月で上場企業に会社を6億円でバイアウトし、メディア事業に参画。2016年4月にAiロボティクス株式会社を創業し、2024年9月に東証グロースに上場。 独自開発のAIシステムである「SELL」など自社で培ったAI技術を活用したD2Cブランド「Yunth(ユンス)」の販売など幅広い分野に絶えずチャレンジし続けている龍川誠氏。まさに、起業家たちの次世代リーダー的存在である龍川氏に、現在に至るまでの道のりや今後の展望について伺った。 ◾️“小学生”の頃から起業家という職業に関心を持つ 会社を経営しようという想いは、小学生の頃から抱いていました。小さい頃から僕は世の中で高い成果を出している人は何をしているのかを研究するのが好きなのですが、その人たちはだいたい経営者をしていたからです。 また、フォーブスランキングに載っている世界の長者番付ランキングなどを見ていくと、 上位にいる人たちは、エクイティ、つまり自社の株式を保有している人ばかりです。自分の株式の価値を高めることが、資産を形成する上での基本原則であり、最短の道だと思いました。そこで漠然と「将来は自分もエクイティに絡む必要があるな」と思うようになりました。  そこで「株式会社とは何か」を学ぶため、ロバート・キヨサキさんの『金持ち父さん貧乏父さん』という本を読みました。その本を通じて、結局、「自分で働く場合は、得られる結果には限界がある。よって、起業家として、資本をベースに成長していくことが、成功者になるには一番早い道のりだ」と感じました。  つまり、途方もない資産を作ろうと思ったら、 自分で作った会社を売るか、あるいは自分の作った会社を上場させるかの2つ以外に道がない。なので、まずは起業を進めていきました。 ◾️事業をすることの本質 事業をすることの本質は、自分のためではありません。何か社会において不便だったり、誰かしらの困難だったりに対して、「こういう改善がある」「もっと便利にできる」という提案をする、すなわち課題解決です。起業そのものが本質ではなく、社会の課題に向き合い、それを解決することが自分たちの目的だと感じています。そのために、結果的には組織が必要になって、人を採用し、お金の流れが生まれていきます。一部の人にとって起業やバイアウトがゴールだと思うのですが、僕にとっては自分の生き様そのもの。いまや自然と息を吸うようにビジネスをするので、もはやライフスタイルの一部のようなものですね。 ◾️AIの活用により増える選択肢 AIの力は、本当にすごいと思っています。通常のRPA (ロボティック・プロセス・オートメーション) にはAIは搭載されていないですが、僕らはそのRPAにAIを搭載し、独自のシステムを作り、それによって精度の高いオートメーション化を進めています。だからこそ、社名をAiロボティクスにしました。 AIを活用することで、人々の選択肢はかなり広がると感じています。まず、仕事がかなり効率化されるので、収入を増やせるでしょうし、これまでは100人、200人で成り立っていた事業タスクを、二十数名で運営することも可能になります。その場合、各社員に払う給与条件を高められるようになります。 そして、AIを導入するかどうかで生まれる経済格差が、今後、人々の選択の幅を広げていくのかなと思います。 選択肢の幅は、経済力にかなり左右されるものです。たとえば、お金があれば5,000円のランチを食べられますが、お金がなかったら100円のおにぎりしか食べることが出来ないし、所持金が0円だったら何も食べられません。ただ、どんなにお金があっても時間がなかったら意味がないとも感じます。AIを利用することで、これまで忙しかった人が時間を捻出できるようになります。AIを利用することで起こる変化はすごい。だからこそ、幅広い選択肢を届けることが、今のビジョンとなっています。 ◾️大学生へのメッセージ 学生さんと話をするときによく思うのが、世の中を知らないがゆえに、自分の限界を勝手に決めてしまっている点です。この世の中は、何があるかわかりません。コロナ禍になることもあるし、未来も読めない。もしかしたら、5年後には宇宙人が街中歩いている可能性だってあります。そんな現代において、大学や就職先に違いはあっても、世の中の常識に囚われる必要は全くありません。自分の考えを狭めるのではなく、それこそ選択肢を幅広く考え、できる限り挑戦し、早く失敗することが大事だと考えています。多分、多くの人は成功したいと思うのですが、早く失敗した分だけうまくいくと思います。 周囲の人がみんな優秀で能力も高いという状況で、一番大事なことは、人に好かれることです。人に愛され、信頼されるような、真心を持った人がベストです。たとえば、相手を徹底的に分析して、徹底的に理解して、誰よりも、なんならその人自身よりもその人に詳しくなる。そんな状況になった場合、相手は必ずあなたのことが好きになると思います。  幻冬舎の社長である見城徹さんが、よく「他者への想像力」とおっしゃられています。他者への想像力を働かせるということは圧倒的に努力しなければならないことなので、すごく大変です。でも、努力して、相手の心を動かすことが出来れば、仕事においてはできないことがなくなるので、この世では無敵だと思います。これは、Aiロボティクスの行動方針 (VALUE) として定めております。  あと、大切なのは“人生無駄なし”というポリシーです。どんなことでも将来に繋がるのでやってみてください。また、「自分は周りより抜きんでていて天才だ!」と思う人がいたら、ぜひ我が社に応募してください。一緒に働きましょう! 学生新聞オンライン2024年11月8日取材 東洋大学3年 太田楓華 武蔵野大学4年 西山流生 / 東洋大学3年 太田楓華 / 法政大学4年 島田大輝  

人事

株式会社ジーニー 人事部 採用グループ マネージャー 池田真弓

「誰もがマーケティングで成功できる世界」に向け、事業成長を加速中 株式会社ジーニー 人事部 採用グループ マネージャー 池田真弓(いけだまゆみ) ■プロフィール2023年5月入社。人事部採用グループマネージャーとして、新卒・中途採用のマネジメント業務に携わる。 広告プラットフォームやマーケティングSaaS事業を中心に展開する、株式会社ジーニー。最先端のテクノロジーを駆使し、日本企業にとって使いやすい製品を提供することで、急成長し続けている。テクノロジーの力で成長を続ける同社で、人事部採用グループのマネージャーを務める池田真弓さんにお話を伺った。 私たちは、最先端の技術を活用し、広告プラットフォーム事業・マーケティングSaaS事業を中心に展開しています。例えば、広告プラットフォーム事業では、Web上の広告枠を売りたい側と買いたい側のニーズをマッチさせる仕組みを提供しています。また、マーケティングSaaS事業では、最新のテクノロジーを活かしつつ、ユーザーが商品やサービスを認知して購入し、さらに再購入に至るまでのプロセスを一気通貫で解決する仕組みを提供しています。 ■日本企業が抱えるマーケティングの課題を解決したい 「マーケティング」と一口に言っても、その領域は非常に広く、実行には大きなコストがかかります。最近ではSNSの多様化を始め、企業がお客様と接点を持つ場が増えたことにより、マーケティングが複雑化しています。このため、多くの日本企業では専門的な知識やスキルを持つ人材を確保できず、マーケティングを効果的に実行できていないという課題があります。 ジーニーでは、このコストや知識の壁を取り払い、「誰もがマーケティングで成功できる世界を創りたい」と考えています。そのために、シンプルで使いやすい製品を手の届きやすい価格で提供し、企業がマーケティングを実行できるようになるまで、しっかりとサポートするサービスを提供しています。 ■社員の半数が新卒社員!活気ある職場が特長 弊社はビジネスパーパスとして「誰もがマーケティングで成功できる世界を創る」を、コーポレートパーパスとして「日本発の世界的なテクノロジー企業となり、日本とアジアに貢献する」を掲げています。これらを実現するために乗り越えるべき壁は大きいため、成長意欲高く、一緒に様々な課題に挑戦いただける方を求めています。 募集はビジネス職とエンジニア職で行い、合計60名程度を毎年採用しています。オーナーシップとコミットメントが高い方を求めており、学生時代に粘り強く課題解決に取り組んだり、困難を乗り越えたりした経験をお持ちの方を歓迎しています。 全社員の半数がプロパー社員であるため、活気あふれる社風の中、同じ目標をもつ仲間たちと世界的なテクノロジー企業づくりに挑戦していただきたいです。 ■大学生へのメッセージ 大学生活は、興味関心を追求し、没頭することができる貴重な時間です。失敗を恐れず壁を作らずに挑戦を続けることで、将来の人生に影響を与える経験が得られるはずです。すべての経験には意味があり、主体的に取り組むことでその価値が増していくもの。ぜひ、大学生活でさまざまな活動に取り組み、幅広い視点を持って未来を切り開いてください。 学生新聞オンライン2024年9月18日取材 京都芸術大学1年 猪本玲菜 京都芸術大学1年 猪本玲菜/城西国際大学1年 渡部優理絵

コラム

テリー伊藤 コラムVol.38 私の唯一のセレブな友人

パリに住む友人から美しいエッフェル塔の夜景の写真を添えたとんでもないLINEが届いた。「テリーさん、エッフェル塔の一番上に泊まれますよ。以前はこの場所にはエッフェル家しか入れなかったんです。中のレストランも素敵ですよ。私は外から見るのが一番好きですが。是非パリにいらしてください!エッフェルさんとも知り合いです、ご紹介しますね。」と夢のようなお誘い。知りませんでした、エッフェル塔の名前の由来がエッフェルさんだったとは。ましてエッフェル塔に泊まれるなんて。あまり観光ガイドにも書いてないのでは。エッフェル塔の上に泊まる、どんな感じなのだろう。パリの夜景を眼下にシャンソンを聴きながら、飲めないシャンパンを飲む。当然タキシードで決めたい。お隣には素敵なパリジェンヌがいて欲しい。夢は広がるばかり。 それにしてもヨーロッパの社交界は相変わらず華やかだ。フランスでは移民問題、高い失業率、物価高など、一般社会では難しい課題はあるが、一方セレブな文化、芸術、ファッションが常に生活に根づき憧れの対象となっているのが羨ましい。 実は40年以上パリに行っていません。全くのおのぼりさんですが、こんなチャンスは絶対にないはず。夢のようなお誘い、出来れば来年の春頃「花の都パリ」に行きたいと思っています。エッフェルさんの顔も見たいし歴史も知りたい。当時の貴重な写真も見たい。出来ればエッフェル塔とスリーショットを撮影したい。パリに行くなら勢いついでにモンマルトルの丘に上って画家気取りで油絵も描いてみたい。学生時代から大好きだった、詩人アルチュール・ランボーが眠るシャルルヴィルの街のお墓も訪ねてみたい。先日亡くなられた世紀の二枚目アラン・ドロンの自宅の前だけでも行ってみたい。完全に話が逸れてしまった。 肝心のセレブの友人だが、間もなく日本に来るそう。帰ってくるとは言わない。友人は勿論日本人だが長いフランス暮らしと世界を駆け巡る日常なので、国際感覚なのだろう。羨ましい。私なんて、長年日本で、しかも東京しか行動範囲がないのが情けない。ヨ~シ、まだ体力に自信がある今こそ行動しないと。先ずはドジャースに優勝してもらい、ワールドシリーズでヤンキースとの対決があると信じてニューヨーク行きのスケジュールを空ける。ドジャース大谷翔平の活躍で優勝するのを目にして、その勢いでパリに飛ぶのも悪くない。でもそんなゴージャス旅行いったい幾らかかるのか。最近ドルが安くなったとはいえ…パソコンで調べてみると…。いかん、この考え方がまずい。いつまでたってもセレブ社交界には入れそうもない。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry