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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

太陽ホールディングス株式会社 代表取締役社長 佐藤英志 

自ら考えて動く、自律した社員が集まる会社に 太陽ホールディングス株式会社 代表取締役社長 佐藤英志 (さとうえいじ) ■プロフィール’69年、東京都出身。’92年、大学卒業後、監査法人トーマツへ入所。’99年、株式会社エスネットワークス設立。 その後、株式会社有線ブロードネットワークス(現株式会社USEN)常務取締役、株式会社ギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ株式会社)取締役副社長等を経て、’11年、太陽インキ製造株式会社(現太陽ホールディングス株式会社)代表取締役社長に就任。 私たちが日常で使う電子機器に欠かせないのが、ソルダーレジストという電子基板に塗布する絶縁インキ。このソルダーレジスト製造において世界トップシェアを誇るのが、太陽ホールディングス株式会社である。常にスピード感をもって先を見据える代表取締役社長の佐藤英志さんに、会社の魅力や展望、大事にしているマインドなどを伺った。 ■学生時代から大事にしている、人の話を聞くこと  学生時代に公認会計士の試験に合格し、卒業後は監査法人トーマツに入社しました。会計士を目指したきっかけは、中学生の時に体育の先生から言われた「お前は会計士になれ」という一言でした。大学1年生の時に一度はあきらめたものの、大学3年生で就職を考えた時「何かやらなきゃ」と思い、再び会計士の勉強を始めました。先生からの一言がなければ会計士になっていないですね。アルバイト先はラーメン屋で、気づけば従業員が20~30人にいる店を任されるくらいの立場になっていました。父親よりも年上の人にも指示を出さねばならない上、様々な事情や個性を持った人達がいたので、大事にしていたのはとにかく人の話を聞くことです。実際、聞く姿勢を持つようになってからは、周囲から色んなことを教わることが出来ました。この姿勢は、今も心掛けています。自分がいまの会社の社長に就任してからも、特に重視しているのがコミュニケーションです。その環境づくりとして、まずは社員食堂を作ることから始めました。きっかけは、11年前に元々あった食堂をリニューアルした時。そのときの社員のうれしそうな顔を見た瞬間に「これだ!」と思いました。現在、より一層食事と空間にこだわった立派な食堂を作った結果、いまでは社内のコミュニケーションの場の中心になっています。 ■自分で考えて動くスタイルへのシフト  私が監査法人トーマツに入社し、初めて名刺交換をしたのが太陽ホールディングスの社長でした。その後、独立した時に、社長に声を掛けていただき、グループ会社の会計顧問に就きました。 社長に就任して力を入れたのは、「人に代わって仕事をしてもらうこと」です。当時はオーナー企業だったので、社員たちは言われた通りに一生懸命やるというスタイルが一般的でした。そこで、私が新たに目指したのは、自走する組織です。上からの指示を極力出さないように意識し、指示はなくても社員が自分で考えて動く。そんな自律したスタイルに変えていこうと、経営理念を変えたり、ユニフォームを無くしたりと注力しました。これはすべての社員に自律した意識を持ってもらうためです。結果、自律型社員が増えた事で、社内も会話が増え、明るくなった印象があります。 ■世界トップシェアを誇る理由は、これまでの実績とスピード感  太陽ホールディングスは、プロジェクターやパソコンなどあらゆる電子機器に使用されるソルダーレジストの販売・製造などを行っています。一般基板用で世界の約5割、半導体パッケージ基板用では約8割のシェアを占めており、世界シェアトップクラスを誇っています。これだけのシェアを誇り、他社が真似できないのは、私達がいち早く参入し幅広い特許を取ったからです。特許が他社の参入障壁になり、太陽ホールディングスはこれまで多くの実績を作ってきました。車や半導体の世界では実績が重視されるので、実績がないと参入することが難しいのです。実は私たちが高いシェアを誇るようになったのは、スマホが登場してからです。初期のスマホに採用されていた基板に、弊社のソルダーレジストが使われていました。以来、スマホ向けではスタンダードな材料となっています。仕事の中で大切にしているのは、言われたときにすぐ材料が出せるという、スピード感です。我々のバリューであるスピード感を実現させるため、マーケティングチームが世の中のニーズを察知し、お客様が「ほしい」と口に出す前に「次はこういうのが必要なんじゃないか」と技術メンバーに伝え、用意しておくことが必要になります。お客様が「ほしい」と口にした時には、すでに出せる状態でないと遅いのです。常にお客様の先を読んで、用意をしていく意識が大事だと感じます。 ■恐怖心を背景に参入した医薬品事業  業績については、2000年からずっと右肩上がりに見えるのですが、4年に1回ぐらいガタっと業績が落ちることがありました。業績が落ちた時とは、「もう復活しないのでは」と思うぐらい怖い状況です。元に戻ったとしても、「また同じことが起こるのでは」と会社にとって強烈な不安感が生まれます。 その不安を抜け出したいという思いで、安定的に需要がある医薬品事業に参入しました。一見、電子基板や半導体とは関係ない業界に見えるのですが、そこには矛盾はありません。太陽ホールディングスは、エレクトロニクス製品を作っているというより、化学を強みにしている会社です。車やスマホを作るよりも、同じ化学という土台に乗っているケミカル(化学)が関わる医薬品事業を行う方が、関連性や信用性は高いと考えました。事実、医療・医薬品業界に参入してから、業績も安定しています。 現在は、受託生産での薬の製造を伸ばしていこうと考えています。医薬品業界での一定のシェアを目指し、自分たちの技術がないと作れない薬を世の中に提供したいと思います。これまでにエレクトロニクス製品で培ってきた技術力を、存分に生かした挑戦ができればと思っています。 ■原動力は楽しむこと 一緒に働きたいのは、自律していて、事業を通して何か世の中に訴えることを楽しめる人です。私自身も、自分が楽しむことを大事にしています。新しく工場を作ったり、新しい事業に挑戦したり、自分が楽しみながら事業を行うからこそ、いち早くスピード感を持って取り組める。だから、結果に繋がっています。仕事は楽しいか、楽しくないか。その軸を持って仕事を選ぶ視点も、ぜひ忘れないでくださいね。 ■大学生へのメッセージ  いつの時代も型にはまりたがる傾向がありますが、それを一歩外してみる習慣をつけてみてください。大学生だけど、株の勉強をする、趣味の資格を取ってみるなど、あえて人とは違うことをやってみる試みは非常に大事です。就職人気ランキングがありますが、数年後にはその企業がどうなっているか分かりません。皆さんは、いま現在人気がある会社に入りたいかもしれませんが、もっと長期的な視点で物事をみて欲しいなと思います。私自身も、「他人は興味を持たないが、これからもっと伸びるだろう」と信じてやってきたことが、現在の結果に結びついていますから。ぜひ、「他人と違う試み」や「他人と違う関心」を大事にしてみてくださいね。 学生新聞オンライン2025年1月22日取材 東洋大学2年 越山凛乃 城西国際大学1年 渡部優理絵/東洋大学2年 越山凛乃/東京大学4年 吉田昂史

コラム

テリー伊藤 コラムVol.46 白湯大人気!知ってましたか

最近コンビニで一躍人気商品になった白湯(さゆ)。去年まではあまり見かけなかった。涼しくなる10月頃から爆発的に売れ出し、当初はセブンイレブンだけしか販売していなかったが、今や各コンビニのHOT飲料水で一番いい場所に置かれている。白湯とは文字通りお湯なのだ。それが緑茶、爽健美茶。麦茶、烏龍茶など人気商品と肩を並べる勢い。購買層も幅広く、高齢者から赤ちゃんのミルク用、美容に気を使う若い女性まで世代を越えて支持されている。数年前は想像出来なかった現象。冬の飲料水界に突如大物新人が現れた感じ。 この現象、ミネラルウォーターが初めてコンビニに登場した時に似ている。おそらく「お金を出して水を買う」ようになったのは2000年前後ではないか。それ迄もミネラルウォーターは存在していたが、水商売の皆さんが水割りを作る時に使用するもので、水道水が安全な日本では一般的には普及していなかった。ペットボトルの登場も相まって、スポーツや盛り場のクラブシーンで人気となり、瞬く間に「お金を払って水を買う」がトレンドになった。今や甘味性の強いコーラ、コーヒー、ジュースを避けて健康的な白湯が注目されるのは当然なのか。 そう言えば、午前2時に毎日起き仙人のような生活をしている片岡鶴太郎さんも一年365日、起きて先ずは白湯を飲み、身体を整え始めると話していた。付き合いで飲み屋に行っても白湯らしい。トイレの近い私もドクターから膀胱を刺激するカフェインの入ったコーヒー、紅茶禁止令が出ているので、5年前から白湯を飲みだした。当初は味気ない気分だったが、今や一番落ち着く。 最近の日本人の健康志向は商店街にも波及し、マッサージ店が続々開店。指圧治療、整体院、足つぼマッサージ、手専門マッサージ、タイ式マッサージ、中には英国マッサージを名乗る店も。一体何をしてくれるのか行ってみたくなる。ということで先日、今まで在った漬け物屋の後に店を構えた武蔵小山商店街の整体院を訪れた。内容は普通だったが、客層が幅広いのは面白かった。学校帰りのサッカー部員、会社帰りの女性、地元の商店主など多岐に渡る。昔なら下町商店街にマッサージ店は場違いな感じだったが、今は違和感無し。カフェが隣にあり、その横の店ではガラス越しに普通に治療を受けている。道路から人が見ていても気にしないどころか、逆に通行人が羨ましい顔で通り過ぎて行くのは妙な雰囲気だ。 日本の健康志向は留まる事を知らない。アルプスの空気や北極大陸の氷だとかが販売される日も近いかもしれない。いや、もう既に大手企業は始動しているはず。取り敢えず私は、白湯を常飲し週3日1日1万歩を目標に歩きます! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

株式会社ネオキャリア 代表取締役CEO 西澤亮一 

人と本気で向き合い、未来を切り拓く。 株式会社ネオキャリア 代表取締役CEO 西澤亮一 (にしざわ りょういち) ■プロフィール2000年、新卒で投資会社に入社。同年11月、株式会社ネオキャリアを共同設立し取締役に就任。2002年に代表取締役社長へ就任。新卒・中途採用支援、エンジニア採用、介護・保育事業、HR Techなど多岐にわたる事業を展開し、人に関わる社会課題の解決を目指す。 人材業界トップクラス成長率を誇る株式会社ネオキャリア。企業の採用支援にとどまらず、求職者の就労支援、さらには、アウトソーシング事業などを手掛ける業務支援など、幅広く人に関わるサービスを展開している。今回は代表取締役CEOである西澤亮一さんに創業の経緯や事業内容についてお伺いした。 大学生時代は、レンタルビデオ店でアルバイトをしていました。当時住んでいた場所で新店舗のオープニングスタッフを募集しており、なんとなく興味をもったのがきっかけです。当時は24時間営業だったのですが、深夜の時間帯は正社員の方がいなかったため、自分が店長代理のような形で働いていましたね。深夜だとお客様が来ないので、作品の売れ行きの分析や、陳列の見直し、商品POPの作成など、“ミニ経営者”みたいなことをしていました。責任も大きかったですが、この4年間は楽しかったですね。 大学では金融を学んでいたので、就職活動では銀行・証券会社・生命保険会社などの金融業界を中心に見ていました。ただ当時の金融業界は年功序列が激しく、30代後半からでないと支店長にすらなれないといった状態でした。私は30歳になるまでに「三つの自由」である「精神的自由」「時間的自由」「金銭的自由」を得ようと考えていました。それぞれ具体例を挙げると、精神的自由は人に気を遣いすぎないこと、時間的自由はいつでも旅行がいけること、金銭的自由はお金を気にせず行動できること、といった感じでしょうか。年功序列の金融業界では三つの自由が得られないと思い、別の業界を目指しました。その流れで偶然、一年目から起業ができるベンチャーキャピタルからお誘いをうけました。半信半疑な部分もありましたが、リスクを取らずに自由は得られないと思い、その会社に就職をしました。 ■成功パターンの共有が黒字化への第一歩 入社して一年目の11月に、早速自社と人材会社、求人メディアの三社のジョイントベンチャーとして、人材紹介と求人メディアの代理店の会社を作ることになりました。私を含めた新卒9人で会社を立ち上げましたが、苦難の連続でした。2000年11月に立ち上げをして2002年3月までの1年4か月の間は黒字になることはなく、4000万円の赤字となりました。資本金もなくなり給与も止まり、代表が辞めるまでに事態は悪化していましたね。学生上がりのメンバーばかりなので、頑張っているけど、赤字の原因すら分からない。そんな状態でした。その中で、私だけは営業成績で黒字を出していたため、株主やメンバーの声もあり、辞めた代表の後任として代表に就任しました。黒字化を図るために、ばらばらだったメンバーの目標を、方向性を示して足並みをそろえることを始めました。そこからメンバーに対して自分が行ってきた営業の成功パターンを伝授していきました。一か月後から徐々に黒字化していき、1年半後には、赤字を解消しました。 ■社員を守るために逆張りの決断 その後は年々売上も社員数も右肩上がりで伸びていき、営業利益は20億、純利益は2億超を達成しました。しかし、2008年のリーマンショックの影響により、人材業界全体で毎週のように人が辞めていく状況に陥りました。ただ、そのような状況でも私についてきてくれる社員をリストラしないために、他の人材会社が撤退した地方で、あえて人材紹介の事業を展開しました。その結果、地方における求人需要を満たすことができ、市場シェアを獲得することができました。ピンチの時こそ、どちらかというと逆張りの戦略を考えることが、会社の成長に繋がるかもしれませんね。 ■求人広告と採用代行で独自の立ち位置を築く 人材業界と一言で言っても、人材紹介・人材派遣・求人広告・採用代行といった様々なビジネスモデルがあります。当社ではこれらの事業をすべて提供していますが、中でも求人広告に関しては、トップクラスの販売実績を誇っています。例えるならマイナビ社などから求人媒体を仕入れて、それをお客様に提供をする「求人広告の代理店」といった立ち位置でしょうか。マイナビ社など大手の企業が当社のクライアントになってくださるという、人材業界の中でも特殊な立ち位置となっております。また、採用代行の領域においては、求人への応募受付から応募者への連絡、最終選考まで、採用プロセス全体を一気通貫でサポートするサービスも提供しています。特に最終面接までカバーしているのが特徴的であり、新卒・中途採用だけでなく、アルバイト採用まで幅広く対応しております。 ■ビジネスの違いを生むのは「人」の力 当社のパーパスとして「人と本気で向き合い、未来を切り拓く。」という言葉を掲げています。人材業界のビジネスモデルは、そこまで大きな違いはなく、媒体の量や質、業界の種類によっても若干の違いはありますが、一番「違い」がでるのは、やはり「人」だと思います。仕事への意欲が高い人であれば、お客様に対してもクオリティの高いサービスを提供できると考えています。お客様から見ても丁寧で熱心な会社や人に対して、仕事を頼みたいと思うことは当然のことです。仕事を頑張る理由は何でも良くて、意欲があり熱意を持っていれば、必ずどんな環境でも活躍できます。今後の当社の目標として、2030年までに少なくとも営業利益100億円の企業規模を作り上げたいと考えています。ただそれを達成するには20~40代の人たちが中心になっていく必要があります。40代が経営の中心、30代が事業の中心、20代が現場の中心となれば、永続して事業の拡大につなげられると考えています。そのためにも意欲の高い人たちには、ぜひ当社に入社してほしいですね。 ■思考が人生を大きく変える鍵 学生の皆様には、社会に出る際には大学の入学式と同じようにワクワクしてほしいと思います。人間は思考の生き物です。物事の捉え方によって人生は大きく変わってきます。今の社会は情報量が非常に多く、意思決定も物事を捉えることも難しくなりつつあります。その中でも自分の意思をしっかり持ち、自分の人生を良い方向に持っていってほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年12月3日取材 武蔵野大学4年 西山流生

丸山実友

亀田製菓株式会社 代表取締役社長COO 髙木政紀

“ライスイノベーションカンパニー”として米の未来を切り開く 亀田製菓株式会社 代表取締役社長COO 髙木政紀(たかぎまさのり) ■プロフィール1972年2月11日生まれ、新潟県出身。小学生のころの夢は「亀田製菓に入ること」。その夢を実現し、1990年4月に入社。その後、工場長や経営企画、総務部長、営業本部長など多岐にわたる業務を歴任し、2022年6月代表取締役社長COOに就任。“現場出身のリーダー”として、従業員との対話を重視した経営の舵取りを行う。プライベートでは最近孫が生まれたので、孫の写真が届くことが楽しみのひとつ。 1975年から40年以上にわたり米菓業界を牽引してきた亀田製菓。亀田の柿の種やハッピーターンなどの米菓を通じて、人々の暮らしに喜びを届けてきた。現社長・髙木政紀氏は幼い頃から亀田製菓への入社を夢見ていたという。そんな誰よりも会社に対して深い愛情を持つ髙木氏に、亀田製菓の魅力やこれからの米菓産業について伺った。 幼い頃から、亀田製菓に入ることが夢でした。1975年、私が3歳の頃、亀田製菓は日本一の米菓会社になりました。私は亀田製菓が創業した町に生まれたので、近隣の方々や親族で亀田製菓に関わっている人が多く、「あの会社いいよ」と言われて育ってきました。印象深かったのは、会社を推薦する大人たちが亀田製菓について話すとき、いつも楽しそうですごく幸せそうだったことです。そんな環境から、「あの会社に入ると、僕の人生はハッピーになるんだ」と自己暗示をかけ、その思いは決して薄れることなく、小学校の卒業文集にも「亀田製菓に絶対入る」と書くほどでした。 ■憧れの「亀田製菓」 高校を卒業したらすぐに亀田製菓で働きたいと思っていました。その想いが届き、卒業後すぐに入社することができました。入社してからも、幼い頃に抱いていた亀田製菓へのイメージは変わらず、むしろ更に大好きになっていきましたね。働いている人たちも、みんながフォローし合う温かい会社だと感じています。入社後は、多くの工場と職場を経験し、チームのマネジメントや、工場長、営業所長、人事、さらには会長のおつきなど、さまざまな経験をしました。大好きな会社で、色んな部署に携わり、様々な方々とお話をしながら、喜びを分かち合うことは、私にとっては大きなやりがいでした。社長に就任したのも、こうした経験があったからだと思います。 ■お米の魅力を米菓に込めて 私たちは、常にお客様のニーズを第一に商品を作っています。市場環境を捉えたり、トレンドを察知したりしながら、独自価値を創造する企業として、皆さんに驚きを届けられるように工夫しています。具体的な商品開発は、マーケティング戦略部の企画開発チームと技術開発チームが協力して行っています。市場から情報を得てお客様にどのような商品がヒットするのかを考える企画開発チームと新しいネタを研究開発する技術開発チーム。この2つのチームが、それぞれの知識を共有し、常に対話することで、商品を開発しているんです。良い商品を生み出すには、自社で持っている技術力をはじめとした財産をどのように生かすかが大切で、社員の皆さんが思う存分アイデアをだせる環境を経営陣がつくることが必要だと考えているので常にその環境づくりに徹しています。亀田製菓の一番の強みはお米の加工技術力です。お米には日本産、タイ産、アメリカ産など沢山の種類があり、それぞれに特徴があります。その特性を分析した上で、技術条件を工夫しながら品質を向上させ、クオリティの高い商品を作ることができる技術力こそが、亀田製菓の宝です。たとえば、近年では米不足と言われていますが、やはり日本のお米を使い続けたい思いは変わりません。近い将来、日本の皆さんが食べるお米の量と日本の農家が作る量は逆転してしまうと言われています。しかし、お米がとれないからといって、商品を終売するわけにはいきません。様々な国のお米を、適切な配合条件等に変えながら、培った技術を駆使して、美味しい商品として提供していきます。また、お米はアレルギーが少なく、宗教も年齢も関係なく食べられるなど、たくさんの可能性があると思っています。ただ美味しいだけでなく、そうしたメリットも生かした活用を進めていきます。 ■次世代の米菓産業を作る 私たちは、これからも人類の健康をサポートする、ワクワクする美味しい食品を作り続けていきます。そのなかでお米の効果について日夜研究する一方、最近では農家の方と共に地元新潟の持続可能な稲作に寄与する取り組みを始めました。我々は、お米を用いて成長してきた会社です。将来、お米の収穫量が少なくなる状況を考えた時に、私たちが農家の皆さんとともに米づくりを行い、知恵を出し合いながら稲作の生産性を高めることができると感じています。今後もアグリビジネスを通じて、日本の大切な稲作が衰退せず、持続可能な未来へ導く一助となれるよう取り組んでまいります。そして、日本を代表する“ライスイノベーションカンパニー”として、米業をリードしていきたいですね。亀田製菓で一緒に働きたいと思う人材は、純粋に会社の未来について一緒に語り合える人です。また、会社は人生の一部なので、会社と共に家族や自分の人生をハッピーにしていこうと思える人が素敵です。それらの探求心は自身やチームを成長させ、会社を動かすことができるはずですから。 ■大学生へのメッセージ 学生時代の今しかできないことが沢山あります。是非、学生生活を全うしてください。今できることに精一杯取り組み、やりきる。その結果よりもやりきった経験こそが自分の成長の糧にもなります。そして、自分と周りと比べず、自分の個性を大切にしてください。新入社員の中には、同期と自分を比べて落ち込んでしまう方がいます。しかし、みなさんは自分のカラーが認められ、入社する会社からオファーをいただいていますので、そのことを誇りに思い、自身の強みにするべきです。周りと比べてしまうと、自分の個性が揺らいでしまいます。ぜひ、自分のカラーを大切に進み続けてください。 学生新聞オンライン2025年2月18日 国際基督教大学2年 丸山実友

学生新聞インターン

マツダ株式会社 MDI&IT担当常務執行役員 木谷昭博

技術者からシステムエンジニアへ DXで創るマツダブランド マツダ株式会社 MDI&IT担当常務執行役員 木谷昭博(きだにあきひろ) ■プロフィール1982年マツダ入社。2002年MDIプロジェクト推進室長、2007年パワートレイン革新部長、2013年R&D技術管理本部長、2019年MDIプロジェクト室長兼ITソリューション本部長を経て、同年執行役員MDI&IT本部長などを歴任。2022年より常務執行役員MDI&IT担当に就任し現在に至る。 入社42年目を迎え、以来デジタル技術を活用した自動車製造に携わるのが、マツダ株式会社の常務執行役員である木谷昭博氏だ。デジタル化の幕開けから常に最前線を担ってきた木谷氏に、自動車業界におけるDXとは何なのか、また、マツダのDXはどのように変化してきたのか伺った。急速な進歩を遂げる、自動車会社のDX最先端を紐解いていく。 私の大学生活は、朝8時から深夜0時まで研究室に篭っては、モノづくりに専念する日々でした。図面を書いたり、テストピースを作ったり、納得いくものができるまでひたすら手を動かしていました。今思えば、この経験が技術者への第一歩だったんでしょうね。材料工学を学ぶ学生の多くが設計段階に留まる中、職人に任せず自分の手で作ることを大切にする教授からは、真の技術者としての姿勢を教わったように思います。 ■デジタル人生の始まり 技術職に憧れて入社したマツダ。新入社員のほとんどが研究開発を希望する中、私は製造現場希望という珍しいタイプでした。というのも、研究生時代に教授から「頭脳レベルは中高校生の段階で決まっているのだから、あなたが勝負できるのは製造現場だ!」と言われていたからです(笑)。もちろん、これまで磨いてきた材料工学を生かしたいという気持ちも強く、まずは10年かけて製造現場を1通り学ぶつもりでした。憧れの試作部に配属が叶い、向かった仕事場は、小さな町工場の片隅にある事務所でした。想い描いていた製造現場を目の前に、期待が膨らみましたね。職人さんに教えてもらいながら、半年かけてわずか30μの部品を製作できた時の達成感はこの上ないものでした。ところが配属後まもなく、CAD/CAM開発 のプロジェクトへ異動となり、システムエンジニアとしてプログラミングに携わることになります。CADはコンピューターで図面作成を行うツールのことで、CAMはCADで作成した図面を使って製作段階のプログラムを作成するツールを指します。まさか自分がシステムを作る側になるとは思ってもいませんでしたが、研究生時代から汗水垂らして製作していたものが、プログラミングによって一気に効率化されることへの期待を胸に、ゼロから学び始めました。私のデジタル部門の仕事は、実にここから始まります。 ■3D化×シミュレーションがもたらしたもの DX化はここ数年の出来事だと思われるかもしれませんが、実は1996年のMDIプロジェクト開始時から、マツダのDXは始まっています。MDIプロジェクトとは、Mazda Digital innovationの略で、3次元のCAD/CAMを使い、設計から生産まで全て3次元による製造に挑戦するものです。以前はCADのデータが完璧でなかったので、生産段階で再度設計に戻ってデータを修正しながら金型を製作するのが主流でした。しかし、設計図面の3D化によって、テストピースを作る前に製造後のイメージを確認できるようになったのです。町工場で地道に手を動かしていた頃と比べると、たった20年ほどで技術が大きな進歩を遂げたことがよくわかるのではないでしょうか。2010年代に入ると、技術による効率化だけではなく、“マツダブランド”としてのデジタル革新が推し進められます。例えば、粘土で作られた実物モデルとコンピューター上の3Dモデルを同時に操作することで、車体に複雑な陰影を付けられるようになり、マツダ独自の商品開発に成功しました。また、自動車会社にとって何より大切なのは、車体の安全性を高めることです。シミュレーションを用いた衝突実験を行い、燃費を良くするための軽量化を維持しながら、車体の高剛性や高強度化がどこまでできるか研究しました。このように、3D化やシミュレーション技術は開発期間や試作車の台数を削減し、自動車生産に大きな変革をもたらしました。そして、単に製造の効率化を図っただけではなく、デザインや安全性がマツダのブランディングにも寄与したのです。 ■お客様まで届くDX さらに2016年からは、MDI2と呼ばれる、ロジスティックスのDX化に取り組んでいます。自動車が購入に至るまでには、受注・生産・輸送・在庫・店舗といった大きな流れがありますね。こうしたサプライチェーンを可視化することで、どの店舗でどの車種が売れているかなど、1台1台の車の動きを関係者全員が共有できるようになっています。つまり、これまで開発から生産の領域に留まっていたDXが、開発からお客様まで広がったということですね。現在は、企業活動を陰から支える、経理部や人事部などのDX化を進めている段階です。これまでは各部門がそれぞれに分類されたデータを使用していましたが、部門ごとの壁をなくし、皆が同じデータを活用できるシステムの構築に取り組んでいます。そして、DXのみならず、AIには無限の可能性があると思っています。今後はAIを駆使して、どれだけ少ない人数で多くの仕事ができるようになるかが鍵ですね。例えば、経理予算などの文書作成から、自動車の開発や生産など、AIをどこまで活用できるか考えていかなければなりません。 ■大学生へのメッセージ 技術職を目指す学生に向けて、「卒業研究は、技術者への登竜門」という言葉を贈りたいと思います。これは、私が学生時代に教授から貰った言葉でもあり、実際に技術者としての道を経験した今思うことでもあります。大切なのは、とにかく手を動かして、テストピースを自分で作れるようになること。そして、未知の課題に対してどのようにアプローチするか実験し続けること。あなたがしようとしている研究は、まだ誰もしたことのない世界初の研究です。「なぜ?」と問い続けることを忘れずに、常に深掘りして新たな発見を生み出してほしいと思います。 学生新聞オンライン2025年2月17日取材 上智大学3年 白坂日葵 MAZDA TRANS AOYAMA 住所:東京都港区南青山5丁目6-19営業時間:8:30 AM ~ 6:30 PM*8:30 AM ~ 10:00 AM 1Fカフェのみ営業定休日:月曜日https://www.mazda.co.jp/experience/mazda_trans_aoyama/

学生新聞インターン

株式会社ツクルバ 代表取締役CEO  村上浩輝

いつかやろうと思っていることはすぐやれ 〜幸福度の上がる家に〜 株式会社ツクルバ 代表取締役CEO  村上浩輝(むらかみ ひろき) ■プロフィール2011年8月にツクルバを創業、デザインファームとして事業を拡大。2015年に中古・リノベ住宅流通プラットフォームのカウカモをローンチ。サービス開始から成長を続け、4年後の2019年に不動産業界最年少で東証マザーズ上場を果たす(現役の業界最年少社長)。『住まいの「もつ」を自由に。「かえる」を何度でも。』を掲げ、カウカモは会員登録数50万人を超えて成長中。 学生時代のダンスイベント運営やリクルート系企業での経験を経て、不動産業界に革新をもたらすIT企業「ツクルバ」を創業。日本の住宅市場に新たな選択肢を生み出し、業界の変革を推進する村上浩輝氏に、これまでのキャリアや学生時代の経験、そして大学生へのメッセージを伺いました。 ■NIKEも注目したダンスイベントの主催 学生時代はダンスに打ち込んでいました。小学生の時にロックバンドが好きになり、中学生から楽器をやり始めて、高校生の時はバンドをやるだけではなく、バンドをやっている仲間を集めてライブハウスを貸し切ってイベントをする。お祭り好きでしたね。高校生の時にこのままバンドを続けてもプロにはなれないと挫折し、鬱屈としていた時にストリートダンスに出会いました。実際にダンスをやってみると、学生ダンサーにはプロ並に上手い人もいるのですが、プロのダンサーとの交わりがない。そこで、プロのダンサーと学生ダンサーを混ぜるようなイベントをやってみたら、世に羽ばたく学生ダンサーが増えるのではないかと考え、自分でイベントを主催しました。すると規模がどんどん大きくなっていき、最終的には1000人規模のイベントとなり、NIKEから協賛を受けるまでに成長しました。 ■リーマンショックと震災を経て見出した起業への道 学生時代にイベントの企画運営はしていましたが、起業の真似事に過ぎないのではと感じるようになりました。今まで自分がやってきたものより、たくさんの人が使ったり、多くの人に影響を与えたりするようなサービスで、もっと大きく社会に貢献するような事業を作りたいと思いました。そのためには、まずは自分より優秀な人がたくさんいるところに行って修業して、さらに将来の仲間を見つけられたらいいなと考えたのです。面接時に「3年で起業します」と伝え、それを面白がってくれる会社を探しました。そしてリクルート系の会社に就職が決まりました。ただ、最初に入社した会社はリーマンショックで潰れかかってしまい、新卒50人ほどがリストラに。元々起業するつもりでしたが、やはりどこに行っても通用する人材にならないと生き残れないということを改めて強く実感しました。その後、IT企業に転職活動し、休みなくがむしゃらに働きました。そして2011年の東日本大震災をきっかけに、「いつか起業しようと思っていたけれど、 自分もいつか死ぬ、だったら早くやろう」と感じ、起業に至りました。 ■どんな人と一緒に働きたいか 僕たちが求める人材には、「STO」という3つの要素を大事にしています。S:素直柔軟に考えを変え、成長のために他者から学ぶ姿勢がある人。T:チームワーク仕事は個人戦ではなく、チームで成果を出すものだと理解できる人。O:オーナーシップ「やらされている」ではなく「自分が決めたこと」として責任を持てる人。 採用の際は面接のときに目を見て、その人の纏う空気で直感的にこの人と働きたいかを判断します。採用するのが難しいのは、自信過剰で素直になれない人。また、「自分に自信がなくて、会社に入っていっぱい働いて、自分を変えたいんです」とアピールする人も採用しにくいです。他人の圧力によって自分を変えたい人は”向上心がある人に憧れている”。もしくは”向上心がある自分に憧れている”だけだと思います。また、「会社の理念に共感しています」とは言うものの、その理念を叶えるために努力する覚悟がない人も厳しいですね。 ■ツクルバが目指す「住まいの新しい選択肢」 現在ツクルバは、中古マンションのリノベーション市場に注目し、リノベーション物件の売買プラットフォームを提供しています。転勤族ではない限り、多くの人は親と一緒に10年、20年、1〜2軒の家に住むと思います。次に、学生になって初めて1人暮らしするとなると、とりあえず賃貸に住むことになります。その場合、壁も床もいじれないような、 横の部屋と何も変わらない賃貸マンションに住むことになります。そこには、「家を楽しむ」という概念はありませんよね。その後、社会に出たら結婚するか、もしくは結婚はしばらく先だから単身で家を買うかというタイミングで、初めて自分の家を考えますね。そこで「はい、家を好きにしていいよ」と言われても、”家は楽しいもの”という感覚はありません。でも、僕らのサービスを使ってくれる人は、「家を持ったことで人生がもっと楽しくなりました」と言ってくれる方が多くいらっしゃいます。これからも、さらにスムーズにたくさんの物件の売り買いができるサービスを目指します。さらに、その先に自分らしい暮らしを手に入れて、少しでも幸福度が上がる方が増える世の中にしたいと思います。この事業は、この国のインフラとなるサービスなので、 規模的にも5倍、10倍と責任を持って大きくしていきたいと思っています。また、自分の代だけで事業を考えるのではなく、しっかり次の世代にバトンを繋ぎ、自分たちがこの世を去る時になっても、この会社が世の中に貢献しているという状態にできたらいいなと思っています。 ■大学生へのメッセージ 僕が学生時代にやってよかったと思ったことは、「何かを突き詰めること」です。趣味でもアルバイトでも、とにかく夢中になれるものを見つけて、それに全力で取り組んでください。中途半端に「なんとなく授業を受けて」「なんとなくバイトして」「なんとなく就活して」と過ごすよりも、何か一つに没頭する経験をした方が、必ず人生の糧になります。若いと、未来は無限に思えてしまうのですが、例えば、毎日、24時間で無くなる1万円をもらえてその日のうちに使い切らなければ消えてしまうとしたら、きっとみんな必死に使いますよね。皆さんの命というのはそういうものです。人生は短いので、いつかやろうと思っていることは、すぐやったほうがいいです。全力で取り組んで生き切ってください。 学生新聞オンライン2025年1月29日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 法政大学 3年 佐伯桜優 / 城西国際大学 1年 渡部優理絵

丸山実友

ビットバンク株式会社 代表取締役社長 廣末紀之

暗号資産とは、“マネーのインターネット”だ ビットバンク株式会社 代表取締役社長 廣末紀之(ひろすえ のりゆき) ■プロフィール野村證券にてキャリアをスタートし、その後インターネットに魅了されIT系スタートアップの立上げ、経営に長年携わる。GMOインターネット株式会社常務取締役、株式会社ガーラ代表取締役社長、コミューカ株式会社代表取締役社長などを歴任。2012年暗号資産技術はマネーのインターネットになると確信し、2014年ビットバンク株式会社を創業。2022年デジタルアセット信託事業への参入に向けて、日本デジタルアセットトラスト設立準備株式会社を設立し、同社代表取締役を兼任。 暗号資産(仮想通貨)という新しい産業で暗号資産取引所「bitbank」を運営するビットバンク株式会社は、安心安全な暗号資産取引所として多くの人から絶大な信頼を得ている。創業者である廣末紀之氏は、暗号資産の可能性を信じ続け、事業を推進してきた。そんな廣末氏が“ビットコイン”に出会うまでの道のりや多くのお客様に愛される取引所の秘訣、今後の目標について伺った。 大学生時代は、勉強よりもサークル活動など遊び中心の生活でした。そんな生活を送る中で、ビジネスマンへの憧れを持つようになりました。そして、社会人になったら、誰よりも真面目に働こうと考えるようになりましたね。 ■常に将来を見据えて… ビジネスマンへの憧れを持つとともに、将来、自分で起業したいという気持ちも持っていました。起業するにあたり、金融の知識は不可欠であることや様々なビジネスに触れる機会があることが決め手となり、金融の世界を選びました。そして、当時、金融業界でも一番厳しいとされる野村證券に就職しました。入社した当初は、やはり厳しい洗礼を受けましたね。そんな中でも、仕事に直向きに取り組み、同期500人の内、営業成績一位を収めることができました。しかし、インターネットの登場をきっかけに野村證券を退職することにしました。証券会社にいて、身についたことは、「未来に社会や企業がどのように変化していくか」を考えることです。社会全体が工業社会から情報社会へ移行すると言われる中で、未来がどうなるのかを考えていた頃、インターネットに出会いました。この時、インターネットの普及が情報化社会の中心になり、産業の構造も激変するはずだと考えました。そこで、インターネット業界のど真ん中に行かないとダメだと感じて、GMOインターネット(現 GMOインターネットグループ株式会社 )にジョインしました。GMOでは、会社の経営に携わりましたし、東証一部上場まで果たしました。その後、カーシェアリングの事業を始めるのですが、リーマンショックの影響もあり、事業の売却をしました。私は、常に社会がどうなっていくのか、将来がどのように変化していくのかを考えているのですが、「次のビジネスは何をしようか」と模索していた時に出会ったのが、ビットコインだったのです。 ■ビットコインへの確信 最初は、私も暗号資産には良いイメージをもっていなかったですね。しかし、一つ一つの技術を自分で消化して、この技術にどのような意味があり、どのような可能性があるのかを、自分自身できちっと理解しないと、事業の打ち手を間違えるので、ビットコインはどういうものなのかを色々と研究しました。調べていくうちに、ビットコインとは「マネーのインターネット」だと思ったんです。インターネットは情報の流通ができますが、本質的にはデータの盗聴や改ざんが可能であり、ビットコイン誕生前は、二重支払いが許されないマネーとしてのデータの流通は不可能と考えられていました。ビットコインのすごいところは、複数の技術を組み合わせ、最大の課題であった二重支払い問題を解消し、その取引が改ざんされていない正常なデータであるということを、信頼できる仲介者を必要とせずに証明できるところです。これを理解した時、この技術を持っていれば、現在の信頼できる仲介者を必要とする金融構造を大きく変えることができると確信し、2014年に創業しました。現在、私たちがおこなっている事業を簡単にいうと、取引所はビットコインを売りたい人、買いたい人をマッチングさせるなどといったサービスです。 ■アマチュアからプロへ この変化の極めて激しい暗号資産業界で生き残るポイントは、致命的なミスをしないことです。新しい産業は、みんなアマチュアでスキルが低いところからのスタートです。そのため、ミスを起こしやすい。我々の場合のミスといえば、ハッキングによる流出事故やシステムダウンなどですね。そうすると、ミスをした会社が次々と落ちていく。その結果、ミスをしていない会社が勝つのです。つまり、勝ちにいって勝つのではなく、相対的に勝つという感じですね。 これは、敗者のゲームです。だからこそ、私たちは絶対に流出事故などを起こさないようにシステム準備をおこなっています。これを成し遂げるには、技術やノウハウがある人材採用と資金を集める必要があります。致命的なミスを防ぐことを心掛けてきた結果、多くのお客様から信頼を勝ち得ることができ、支持され続けているのだと思います。しかし、市場が成熟してくると、みんながプロになってきます。今度は、自ら勝ちに行かなければいけません。これは勝者のゲームです。私たちは、最近、テレビCMなどのマーケティング活動も強化しています。商売は、品質だけが良くても、お客様は集まらないですからね。やはり、品質とマーケティングの二つが重要であると実感しています。 ■これからのビットバンク 今後10年間で起こる最も大きな変化は、AI社会への転換です。これによって、産業のあり方、人々の働き方が大きく変わると思います。人間の能力を超えるものがデジタル上で存在することで、これからの仕事は全て機械にやらせるような社会になるかもしれません。暗号資産の視点から考えると、暗号資産は全てデジタルで完結できるので、AIが使うには最適なのです。私は、AIによる機械化経済が起こった時、暗号資産はAI同士の支払いに適していると考えています。そのため、これからはAIエージェントに特化した事業も考えていきたいです。現在は、人や会社に向けた商売をおこなっていますが、AI向けの商売をしたいですね。これからもビットバンクが成長し続けるために、私が一緒に働きたいと思う人は、やはり素直で行動力がある人です。正しい倫理観、正しいモノの見方ができるかが重要です。そして、プラスアルファでこの業界に関する技術や興味をもっている人ならば、なお良いですね。 ■大学生へのメッセージ 常に今取り組んでいる領域で1番を目指すという姿勢が大切です。1番を目指して物事に真剣に取り組むことで、次のステージが切り開けてくると信じています。この「1番」を目指したプロセスが最終的に繋がって、人生という一連のストーリーを作り上げることになると考えています。ぜひ、自分の信じた道を突き進んでください。 学生新聞オンライン2024年12月4日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 国際基督教大学2年 丸山実友 / 東洋大学 2年 越山凛乃

学生新聞インターン

株式会社AIメディカルサービス 代表取締役 CEO 多田智裕

挑戦し続ける医療革新のフロンティア 株式会社AIメディカルサービス 代表取締役 CEO 多田智裕 (ただともひろ) ■プロフィール 東京大学医学部ならびに大学院卒。東京大学医学部附属病院などで勤務。2006年にただともひろ胃腸科肛門科を開業。2017年株式会社AIメディカルサービスを設立。2025年より医療法人SCジェイズ胃腸内視鏡・肛門クリニック名誉理事長。『行列のできる 患者に優しい“無痛”大腸内視鏡挿入法』『東大病院をやめて埼玉で開業医になった僕が世界をめざしてAIスタートアップを立ち上げた話』など著書複数。 AI技術を活用した内視鏡検査の革新で、医療業界に新たな風を吹き込む多田智裕さん。学生時代から医師、起業家としての道を切り開き、現在はAIメディカルサービスのCEOとして活躍。革新的な挑戦を続ける多田さんに、医療とテクノロジーの未来、そして大学生へのメッセージを伺いました。 ■医学部時代、努力の積み重ね 学生時代は、勉強とアルバイトにほとんどの時間を費やしていました。医学部に在籍していたため、朝から晩まで授業や実習が詰まっており、他学部の友人たちが「週1回の授業だけでいい」と話しているのを聞くと驚くばかりでした。医学部のカリキュラムは非常に過密で、9時から夕方までの授業が連日続く上、実習が長引いて帰宅が夜遅くなることもしばしばありました。一方で、学費や生活費は全て自分で賄う必要がありました。塾講師のアルバイトをしながら、勉強と仕事を両立する日々は厳しかったですが、自分自身で努力して道を切り開く経験は大きな財産となりました。医学部を志した理由は、シンプルに「医師という職業が面白そうだ」と感じたからです。周囲には医師を目指す友人や先輩が多く、「人の命に関わる医療分野なら、自分の可能性を最大限に試せる」と思いました。大きな決断というよりは、興味や好奇心が背中を押してくれた形です。当時の私にとって、医師になることは確かなハードルではありましたが、挑戦してみる価値があると感じました。 ■開業医としての自由と責任 医学部を卒業後、東大病院を始めとする複数の病院で研修医として勤務し、外科専門医を取得しました。そののちに東大大学院に進み、卒業後に埼玉でクリニックを開業しました。開業医として働くことで、医療の現場で必要とされる自由と責任を強く感じました。開業医は、すべての決定権を自分で持つことができます。例えば、スタッフの採用や医療機器の導入も私自身の裁量で進められます。大学病院のように予算申請や承認プロセスに時間を取られることなく、患者さんのために迅速な判断ができる。そのことは大きな魅力でした。私が開業した当時は、まだまだ専門性を持つクリニックが少ない時代でした。多くのクリニックが幅広い診療科目を掲げていた中で、私が選んだのは内視鏡検査に特化する道です。内視鏡検査は、胃がんや大腸がんといった消化管がんを早期に発見するために非常に重要な検査です。特に、ステージ1で発見できれば治癒の可能性が高く、私はこの分野で専門性を磨くことで、患者さんの命を救う可能性を広げたいと考えました。また、内視鏡検査の普及には患者さんの負担を軽減する必要がありました。当時、胃カメラや大腸内視鏡は苦痛を伴う検査というイメージが強く、検査を受けること自体を敬遠する患者さんが少なくありませんでした。そのため、私は技術を改良し、苦痛を最小限に抑えた検査方法を追求しました。この取り組みを通じて、患者さんが安心して検査を受けられる環境を整えることができたと感じています。 ■AIと医療を融合させた新たな挑戦 クリニックを運営する中で、内視鏡検査の精度についても問題意識を持っていました。というのも内視鏡検査は人の目で診る検査のため、どれだけ技術が発達しても最後は医師の画像診断能力に依存するからです。そんなときに東京大学の松尾豊教授から「AIの画像認識能力が人間を超えた」ということを伺い、AIを活用すれば内視鏡検査の精度をさらに高め、究極的には見逃しをゼロにすることができると考え、内視鏡AIの研究開発に挑戦することにしました。そして、世界初の胃がん検出AIの研究開発に成功したのです。この技術を研究で終わらせず社会実装すべく、2017年に株式会社AIメディカルサービスを設立しました。内視鏡AIは徐々に医療現場に取り入れられ始めており、内視鏡専門医の目でも見逃されていた難しい病変の検出が期待されています。また、当社のソフトウェアに関してはベンダーフリーである点が大きな特徴です。検査機器を問わないため導入のハードルを下げつつ、診断精度の向上を支援することで、多くの患者さんの命を救う可能性を広げています。私たちのミッションは、内視鏡検査の普及と診断精度の向上を通じて、がん死亡率を減らすことです。この取り組みを通じて、日本発の医療技術を世界に広げたいと考えています。特に、胃がんや大腸がんといった消化管がんの早期発見は、患者の生存率を劇的に向上させることができるはず。これを可能にする内視鏡AIは、日本のみならず世界でも注目されており、私たちの技術が患者さんの未来を変える一助になればと思っています。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんには、「自分の可能性を信じて挑戦してほしい」とお伝えしたいです。例えば、スタートアップという選択肢も、今後のキャリアを広げる上で非常に有効な道です。AIやデータサイエンスなどの分野では、スタートアップがイノベーションの中心となっています。私もクリニックの開業やAI技術の開発に挑戦してきましたが、どちらも「失敗を恐れない」精神が大きな原動力でした。大企業でのキャリアも魅力的ですが、スタートアップでは短期間で大きな成果を生み出すチャンスがあります。成功や失敗を繰り返しながら、自分自身の可能性を追求してほしいです。また、起業という選択肢についても、ぜひ検討していただきたいと思います。日本ではまだ起業が少ない現状ですが、自分で道を切り開く経験は、他では得られない貴重な学びをもたらしてくれます。自分の興味や情熱を軸に行動し、一歩踏み出すことで、新しい世界が開けるはずです。失敗を恐れず挑戦する皆さんの姿が、日本の未来を切り開いていくことを心から期待しています。 学生新聞オンライン2024年11月20日取材 津田塾大学2年 石松果林 武蔵野大学 4年 西山流生/城西国際大学 1年 渡部優理絵/津田塾大学 2年 石松果林/青山学院大学4年 北嶋里奈子/法政大学4年 鈴木悠介

イベント・企業紹介

最高を超える山田錦プロジェクト2024

日本酒の人気銘柄「獺祭」を醸造している旭酒造株式会社(本社:山口県岩国市、代表取締役社長:桜井一宏)は、6回目となる「最高を超える山田錦プロジェクト」の2024年度の表彰式を、2025年1月12日(日)に、帝国ホテル東京にて開催しました。見事グランプリを受賞された、栃木県大田原市の五月女農場 代表の五月女文哉さんと旭酒造株式会社の会長 桜井博志さんと社長 桜井一宏さんにお話を伺いました。 ■グランプリ 五月女農場 五月女文哉  今回初めてグランプリを受賞させていただき、率直に信じられない気持ちでいっぱいです。長年努力してきたことが、ようやく実を結んだと思いました。小さい頃から手伝ってくれていた子供たち、そして30年間ずっと一緒に頑張ってくれている妻の存在があってこそなので、今回の受賞は本当に嬉しいです。また、先輩方や、同年代、後輩たちとお互いに良い影響を与えながら情報交換をしてきたので、関わってくださっている方々全員に感謝しています。私たちは、これからもより良い山田錦をつくっていけるよう頑張っていきたいと思います。 ■旭酒造株式会社 会長 桜井博志 / 代表取締役社長 桜井一宏 この大会を開催されたその想いや背景とは? 会長:山田錦の使用量がある時期に急激に増え、結果的に他の業者が山田錦を確保できなくなるといった問題が起こりました。それをきっかけに、兵庫県だけでなく他県にも山田錦の産地を広げる必要性を感じ、農家の方々と直接向き合うようになったんです。その中で「山田錦は作りにくい」「飼料米のほうが補助金も多くて楽だ」という農家の本音を聞き、正直、夢のない農業の現実を目の当たりにしました。でも、夢がない現状に甘んじていてはいけない。農業が「ワクワクするもの」になるよう、そして農家さんたちが誇りを持てるようにと、この大会がスタートしました。 社長: “夢を農家さんに持ってほしい”というのが一番の想いです。農家という職業はどうしても「辛い」「苦しい」といったイメージが先行してしまい、若い人たちが興味を持ちにくい、夢を抱きにくい現状があります。私たちは国ではないので、補助金を出して支援するような形は取れません。だからこそ「スペシャリストになろう」「プロとして高みを目指そう」と、農家さんたちが前向きに頑張れるよう、私たちができる形でお手伝いをしたいという気持ちでこの大会を始めました。プロフェッショナルの道を目指すことで、農業界全体を盛り上げられると信じています。 開催して、参加者からはどのような声がありましたか? 会長:今日も皆さんが笑顔で帰っていく姿を見て「ああ、これが全てだな」と思いました。「来年もぜひ参加したい」と言っていただけることが何よりの励みです。大会を通じて喜びや達成感を感じていただけたことが伝わってきて、本当に開催して良かったと思います。 社長:これまでこういう全国規模の大会はほとんどありませんでした。例えば、県単位での大会で優勝しても、賞金が少し出るくらいで終わるものが多いのではないでしょうか。でも、この大会では「自分たちが真剣に頑張って、良いものを作る姿をしっかり見せられる」という点で、多くの方に喜んでいただいています。「他の酒造がチャレンジしているなら、俺もやってやるぞ!」と周りに影響を与えるような競争心が生まれ、それが農業界全体の活性化につながっていると感じます。 日本酒の文化としての魅力とは? 会長:日本酒は、ある意味「切磋琢磨すべきもの」なんです。数量的にも品質的にも、まだまだ将来的に伸びる可能性があります。特に品質面では今後も伸び続ける余地が大いにあると感じています。それを実現するには、やはり努力を惜しまないことが大切です。昔、稲盛和夫さんが「仕事への関与度は99.9%、残りの0.1%で家族のことを考える」とおっしゃっていたことを思い出しますが、現代社会ではその精神をもう一度見直すことが必要だと思いますね。 社長:文化というものは、完成した瞬間に止まってしまえばそれで終わりです。ユネスコなどで認められるのは素晴らしいことですが、「これで完成」としてしまうのではなく、常に挑戦し続けることが大事だと思っています。この大会も、その挑戦の一環だと考えています。若い人たちに農業や日本酒作りに興味を持ってもらい、「これから先の50年、100年、1000年の文化を作っていこう」という気持ちを共有したいですね。 若者へのメッセージ 会長:人生を信じて、自分自身を信じて歩んでいってほしいです。それができれば、きっと素晴らしい人生が待っています。頑張ってください! 社長:世界には、若いから経験がないという理由で挑戦を諦めるのではなく、どんどん先に進む若者がたくさんいます。学生の皆さんも、今しかできない挑戦があると思います。失敗を恐れずに挑戦してください。そして、頑張るだけでは人生は大変なので、ぜひお酒などを楽しむことも忘れないでください。仕事を頑張ることも大事ですが、それと同じくらい人生を楽しむことも大事です。 学生新聞オンライン2025年1月12日 城西国際大学1年 渡部優理絵 武蔵野大学4年 西山流生 / 城西国際大学 1年 渡部優理絵 / 旭酒造 桜井一宏社長 / 旭酒造 桜井博志会長 文化服装学院2年 橋場もも ■取材した感想 今回のコンテストを通じて、農業全体の課題や可能性について深く学ぶことができました。グランプリ受賞者のスピーチからは、日々の努力や家族の支えの大切さが感じられ、農業にかける情熱が伝わってきてお酒づくりの魅力を大いに感じました。また、酒粕を使った料理からも、素材の魅力を再発見させるという取り組みがあることを知りました。農業の現状と未来、そしてその可能性について考えさせられる貴重なコンテストでした。 (武蔵野大学4年 西山流生)

学生新聞インターン

株式会社Robot Consulting 代表取締役会長 横山英俊

『ロボット弁護士で法律をもっと身近に』 株式会社Robot Consulting 代表取締役会長 横山英俊(よこやまひでとし) ■プロフィールリーガルテックを主に扱うAIサービスを開発、提供する株式会社Robot Consultingを2020年に設立。ファウンダーとして代表取締役会長に就任。 AIを活用して誰もが無償で利用できる法律相談の実現を目指しているのが株式会社Robot Consultingである。現代のAI時代にAI×法律に目を付けた、代表取締役会長の横山英俊さんは「法律に支配されていない人間はいない」と言う。今回そんな横山さんに、起業に至った背景からロボット弁護士の魅力、今後の展望までを伺った。 ■投資を通して磨いた先見性 高校卒業後は大学進学が一般的かもしれませんが、私の場合は都市の規模も経済的にも日本で一番大きく活発な東京に行って一旗揚げたいと思っていました。高校卒業時のバイトは、その上京資金を貯めるためでした。そして上京後、株式投資で有名なトレーダーに出会い投資家の道が開けました。株式投資の銘柄は、例えばITや自動車、医療、不動産などありとあらゆるものがありますが、銘柄の上がり下がりというのは時代のトレンドや経済的な先行き、景気などに左右されます。新たなトレンドを見る目が重要ですが、IT産業が今とは全く違うまがまがしいものと認識されていた20年前から、家庭の固定電話が携帯電話やスマートフォンに代わって、一家に一台パソコンがあるなど、時代の変化を見てきました。そういった実体験や投資を通じて時代の先を読む先見性や経済的な感性を磨けたと思います。 ■着目した士業のDX化 社労士業務や弁護士業務は、今も紙文化が残っています。特に弁護資料や証拠書類、訴状も紙で行っていて、ファックスで裁判所に送って、送くられてきます。だからファックスを置いている事務所がほとんどでDX化が進んでいません。少し前にはコロナ給付金が遅れたという問題がありましたが、あれも行政インフラのDX化が進んでいない結果だと思っています。起業するにあたって、まずそこをDX化するのが良いのではと考えたのとAIの会社はいっぱいあるのに、リーガル系はまだ少ないというところに目を付けました。また、生きていくうえで法律に支配されていない人間はいません。例えば労働基準法の中で働いているように、誰もが法律というルールに則って生きているわけです。つまり、法律を知らないということは、それだけ不利になるということです。だからこそAIを掛け合わせることによって、法律をもっと身近で利用しやすいものにしたいという想いがありました。 ■24時間無償で法律アドバイスができるロボット弁護士 あるデータによると、日本では10人相談したい者がいても弁護士に相談に行ったことがある人は1人ぐらいしかいません。ということは9人が泣き寝入りの状態です。その理由は、弁護士に相談したくてもどこの事務所に行ったらいいか分からない、弁護士費用は高額であるなど、さまざまなハードルがあるからだと思います。そこで私たちはAIでチャットボットを介して法律家を繋ぐというものを開発しています。弁護士に直接会って相談するのは、色々気が重くなりますし、電話がストレスに感じるデジタル時代に直接嫌なことを話すよりも、携帯ひとつでいつでも気軽に相談できて法律家を繋ぐことができたら、弁護士と会わなくても訴訟が進みます。基本的には弁護士がチャットで返してくれることはあっても、我々のようにLLM(大規模言語モデル)の技術を活用したAIとの対話によって、その人に適切な法律家を繋ぐサービスというのはほとんどないので他社とは違う強みです。相談内容は人それぞれですが、若年層と中年層の悩みは違ってきます。今の弁護士会は、過払い金請求や離婚など中年層の悩みを中心としたビジネスモデルが多いと思います。しかし、パソコンやスマートフォンに慣れたデジタル世代の若い人たちは、ネットやSNS上でのトラブルを抱えている傾向にあるので、ボット型のロボット弁護士ならば24時間無償で気軽に利用できることで、新しいマーケットが開拓出来るのではないかと思います。 ■今後の展望 会社の展望としては、日本のリーガルテックスタートアップ企業でありながらグローバルに市場を拡大していくことです。将来的にロボット弁護士は、世界各国の法律を学習させて各国の言語に対応可能なサービスとしての展開を目指しているので、世界最大のリーガルテック国である米国市場への挑戦を皮切りに日本のスタートアップ企業のグローバル展開を盛り上げていけたら良いなと思っています。 ■大学生のメッセージ これからの時代は、人間関係が希薄になるので人間らしい生き方を追求していくべきだと感じています。AIが進めば進むほど、人間生き方の需要が高まってくるので「人間とは」というのをもう一度問い詰める時代なのかなと思います。勉強だけして、大学に行けば生涯的に幸せという指数にはあたらなくなってきています。多くの大学生を必要として、多くの優秀な人を必要とした大企業の時代がありましたが、それが全部AIに代わるとなったときにAIの方が優秀で、AIの方がコスパが良くて大企業で代替できるとなったら、「人間は何が出来ますか?」というのを多く考えなければいけないなと思います。自分自身はAIが進むなかで一緒に働きたい人材として、やはり“素直な人”と働きたいなと思います。 学生新聞オンライン2024年12月6日取材 東洋大学2年 越山凛乃 法政大学4年 島田大輝 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 立教大学4年 須藤覚斗

亀井義和喜

株式会社エンパワー 代表取締役社長 増井俊介

「責任感を持って、1つのことを極める」 株式会社エンパワー 代表取締役社長 増井俊介 (ますい しゅんすけ) ■プロフィール1973年9月28日、大阪府生まれ。大学卒業後、大手通信会社に入社し、法人・個人営業に携わる。複数の関連会社代表を歴任したのち、2011年にコールセンター事業を起業し、その後事業を売却。2016年、株式会社エンパワー代表取締役に就任。2021年には著書『学歴なし、人脈なしなら、社長になれ!』を出版。 現在、急成長している市場がある。それがリユース市場だ。その中でも「買取大吉」は業績、フランチャイズオーナー数を共に大幅に伸ばしている。中古品などを売買して再利用するリユース市場は、なぜ魅力的なのか。リユース市場の成長を牽引する「買取大吉」の運営企業であるエンパワーの増井俊介社長にお話を伺った。 学生時代は音楽とテニスに力を入れていました。中学生までピアノを習い、今でもショパンなどを弾きます。ピアノのレッスンを通じて、弾けるようになるまで弾き続けること、結果が出るまで諦めずにやり続けることを学びました。この精神が今のビジネスライフに生きています。高校時代は、テニスに打ち込みました。中学生の時からテニスに取り組んでいたメンバーの中で、初めて挑戦したので私が一番下手でした。全くボールが打てず、レギュラーとは程遠かったです。しかし、朝練に行き、毎日素振りを練習しました。みんながやっていない努力をした結果、50人中4人のレギュラーに選ばれました。このピアノとテニスの経験から、諦めずに一つのことをやり続けることで、結果が出るのだと学びました。何でも良いので、一つのことに集中し、突き詰めた経験が、現在にも活きています。 ■実力主義の会社への入社 大学卒業後は、通信業界に行きました。年功序列の風土がない会社が良いと考え、当時としては珍しく「実力主義」を掲げていた光通信への入社を決めます。その後、光通信の子会社の社長などを歴任した後、コールセンターの回線販売の会社を立ち上げ、そこで数年間仕事をしました。そして、2016年にエンパワーへと入社しました。 ■業績が急成長 エンパワーは、現在、買い取り専門店の「買取大吉」を全国で1200店舗展開しています。直営店が168店舗(2025年3月現在)、残りがフランチャイズ(以下FC)の店舗です。個人のお客様から商品を買い取らせていただき、それを業者や海外のお客様、バイヤーの方々に販売するビジネスモデルです。店舗買取、出張買取、ショッピングモールにブースを出す催事部の3つの方法で仕入れを行なっています。2016年の社長就任時、店舗数はFC 200店舗で、直営店はありませんでした。 しかし、激しい競争がある中で、FC加盟店のオーナーの方々に最新のノウハウを提供し続けていく必要があり、ノウハウや蓄積を増やすため、直営店を増やしました。人生がかかっているオーナーの方々を絶対に失敗させるわけにはいかなかったからです。また、80店舗ほどは、直営店を出店しました。その結果、当時月間1~2件だったオーナーさんの加盟が、現在では月間50件にまで拡大しました。特に、この3年で店舗数が急激に増加しております。昨年度の年間FC伸び率ランキングは僅差で、セブンイレブンに次ぐ2位となりました。今年は前期だけでも昨年度の合計を上回るペースで店舗拡大しているので、次回のランキングでは買取大吉が1位になっていると予想されます。業績も大幅に伸び、4年前65億円だった売上は、今期810億円にまで成長しました。 オーナーさんに選んでいただける理由は、店舗の継続率とマーケットが伸びていることです。顧客を大切にすることに注力し、リピート率にこだわっているため、店舗の継続率は高いです。また、現在3兆円のリユース市場は、顕在市場のみでも、2030年には4兆円に成長することが予想されています。現在、リユースの利用率はわずか30%です。リユース未経験の潜在市場も含めると、その市場規模は60兆円のマーケット規模になります。現在の3兆円に比べて、あと20倍のポテンシャルがあります。少子高齢化であらゆる市場が小さくなる中、市場が伸びている稀有な業界です。 店舗ビジネスで一番コストがかかるのは、家賃と人件費です。しかし、買取大吉では、5坪の低い家賃で、またワンオペで人件費もかからずに運営できます。直営店の平均粗利額が1ヶ月850万である上、家賃と人件費も抑えられるところが「買取大吉」のオーナーになることの魅力です。 ■共に働きたい人材 これからのエンパワーを引っ張ってくれる方と、共に働きたいです。そのために、やる気、能力、将来性がある方を採用しています。将来性がある方とは、謙虚さ、素直さ、他責にしない考え方をお持ちの方々のことです。このような方々は、今後伸びる可能性が十分にあります。社会に出ると厳しいことが沢山あります。全てをプラス思考で捉えられる方、自分を犠牲にして事業に注力できる方と一緒に働きたいです。 ■ドラフト指名を蹴って入社 新卒採用で入社した1人である加藤真浩さんは、プロ野球のドラフト指名を断って弊社に入社しました。大手総合商社などからも内定を受けていた中で、弊社を選んでもらえたのは、情に熱く、弊社のビジョンに心打たれたのが理由だとか。自分を作る環境がエンパワーにあると考えたからこそ、大企業ではなく弊社を選んだのだとのことでした。 ■27才での取締役就任 弊社は、若い人材に責任を与え、会社を成長させて欲しいと考えています。そのため、3年前、当時27才だった清水さんを取締役に抜擢しました。会社の戦略、予算への責任を明確にするため、選ぶ責任者が取締役です。その時の判断材料として重要なのが、如何にコミットして、実績をあげるかです。清水取締役にはこの両方があったため、取締役を任せることができました。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんには、自分の可能性を信じ、新しいことへの挑戦を恐れずに進んで欲しいです。誰よりも努力し、考えることを通して、自分を信じることが大切です。誰よりも大きな目標に挑んでいることがあれば、自信を持って自分を信じることができます。何でも良いので、学生時代に何か一つを極めることをお勧めします。 学生新聞オンライン2024年10月29日取材 中央大学3年 亀井義和喜

学生新聞インターン

株式会社Kyash 代表取締役社長 鷹取真一

人びとと世の中の価値をつなぎ、お金の流れを自由に 株式会社Kyash 代表取締役社長 鷹取真一(たかとりしんいち) ■プロフィール早稲田大学国際教養学部卒業後、三井住友銀行に入行。法人営業を経て、経営企画にて海外拠点設立、金融機関との提携戦略の担当として国内外の銀行モデルを研究。その後、米系戦略コンサルファームの日米拠点にてB2C向け新規事業に携わる。次世代の通貨を構想し、株式会社Kyashを創業。 昨今、支払いの仕方は非常に多様化している。そんな中でスマホの決済サービスとクレジットカードの機能を融合したユニークなサービスを展開するのが、株式会社kyashだ。代表取締役社長の鷹取真一さんは、キャッシュレスが急速に進行している今だからこそ「お金と人びとの関係性を取り戻したい」と言う。そんな鷹取さんに学生時代のお話から会社の魅力、そしてこれからの展望まで伺った。 ■留学を通して学んだ多様性 私は高校で1年間アメリカに留学をしていました。帰国後は、すぐに受験をして、大学に入学しました。日本とは違う教育を経て、大きなカルチャーショックを受けて帰ってきたので「みんなと同じようにやっていては、確実に周囲には追いつかない」と考え、どうやったら周囲に追いつけるのか、“自己流”で編み出すことを考えるようになりました。自分なりのやり方は何なのか、自分と向き合った大学時代でした。在籍していた早稲田大学の国際教養学部は、新設の学部で、授業は全部英語で行われた上、在学中のカリキュラムに留学が含まれていました。高校生の時にも留学をしていたのですが、もう一度したいと考えていたので、その学部を選びました。名古屋の実家はホストファミリーをやっていて、家には海外からの留学生がいる環境だったので、自然と自分も海外に行きたいとの思いがありました。高校、大学とアメリカに留学をして学んだことは、世界における多様性の広さ。そして、アメリカは、日本のようにはいかず、誰も何もしてくれないということです(笑)。海外では全て自己責任で、自分から手を挙げて行動しないと何も起きません。そこで学んだ主体性の重要性は、今の自分の考えを作っていると思います。 ■日本の銀行サービスを見直す機会になった銀行員時代 起業をしようとは思っていなかったものの、何かを生み出すことは素晴らしいなと思っていました。三井住友銀行に入行して、銀行の海外拠点を作る業務を行う中で、銀行に何が出来るのか、外国では銀行はどういう存在なのかを学びました。国によって現地での銀行の存在は違っていて、銀行がどのような金融機能を提供すれば人びとの利便性を高められるかという銀行の多様性を見ることができ、日本の銀行サービスの課題も知りました。そして、銀行の本店に移って間もなく東日本大震災が起こり、銀行は寄付金を募るために現金口座を開設しました。しかし、被災地に100円を送るにも手数料がかかったんです。必要としている場所にデジタルなお金を届けるだけなのに、手数料によって価値が目減りしているように思いました。いわば、お金の高速道路の通行料が高すぎると感じたんです。その後、コンサルに転職し、店舗体験とスマホ体験をいかに融合していくかという、今で言うDXについて関わるようになりました。お金の高速道路、すなわちモバイルやインターネットを通してお金が移動できれば、通行料はゼロになる。自らそのシステム構築にチャレンジしてみたいと考え、創業に至りました。 ■真の価値移動のインフラを創る Kyashのサービスは、創業期にVisaと提携するに至り、他のスマホ決済サービスと同じように、スマホのデジタルウォレットにチャージして使います。特徴としては、Visaが利用できる場所であればどこでも使えることです。ウォレット間の価値移動は当然お金がかからないですし、事前にチャージをするだけでなく、お金が足りない時に後払いが出来るサービスも展開しています。イメージとしては、スマホの決済サービスとクレジットカードの機能を融合したようなものでしょうか。また、Kyashは利用する人の年齢制限がありません。クレジットカードは後で払うというシステムを取っているので、考え方としてはお金を貸しているのと同じです。その場合、未成年にお金を貸すのはどうなんだという議論もあるでしょう。しかし、みんなが使いすぎるわけではないですし、現金での支払いが難しい場面がある時代になってきている以上、年齢にかかわらず、スマホさえ持っていれば制限なくお金が使えるシステムが登場するのは当然ではないかと考えています。 ■未来の人・社会への貢献もKyashのミッション 送金機能を利用すれば、自分のQRコードを作って開示し、応援してくれる人にお金を投げ込んでもらうという簡単なクラウドファンディングも出来ます。今後は、個人の発信力が増して、“個”が強くなっていく時代だと思います。有名人でなければ挑戦できないのではなくて、よいアイデアがあれば思い立ってチャレンジできる環境が生まれるはずです。たとえば、自分で絵を描いてみて、絵の下にQRコードを付けていたら、その絵を気に入ってくれた人から100円が送られてきた……といった小さな成功体験は、色んなチャンスを芽生えさせると思います。そんな明るく良い未来に、Kyashが貢献できればなと思います。また、挑戦する人、必要とする人に、移動コストなしで価値を届けていく役割を大きくしていくことも創業のミッションの一つです。Kyashを通じて、お金の動き方が変わり、経済活動がより活発化する社会が作れたら、社会への貢献にも繋がると信じています。 ■人びととお金の関係性を取り戻す 創業時には、お金を届けたい人と必要とする人の間に、滑らかなお金の通り道を作るインフラを考えていました。しかし提供する過程で、キャッシュレスがすごい勢いで社会に浸透した結果、キャッシュレスが人びとを混乱させているという誤ったイメージが植え付けられてしまった節があります。たしかに、現在の社会を見ていると、お金というコンセプトと、それを扱うビジネスや仕組みが便利になりすぎて、人びとがお金に対する主導権を失って、逆に振り回されているのではと思います。そこでKyashが重要視しているのが、人びととお金の関係性を取り戻していくことです。いくら、どんなことにお金を使っているかを、Kyashアプリで見られる仕組みを導入しているのも、その想いが根本にあります。もちろん創業して当時決めたビジョンを守り続けることが良いとは限りませんし、社会の変化に合わせて柔軟に対応することも求められています。そんな中、いかに社会で必要な存在として認めてもらえるかが、おもしろさでもあり、難しさでもあると感じます。 ■学生へのメッセージ 現在は、インスタなどのSNSを開けば、自分の好きなもの、関連のあるものばかりがでてきて、個々人に最適化されたコンテンツを見ることが当たり前になっています。インターネットを通じて色んなものにアクセスできるように見えて、結局は社会の極めてごく一部、しかも自分の思考に偏ったものしかアクセスできていないということもあると思います。そう考えると、本当の意味での多様性や世界を知る行為が、大切になってきます。私も家族や仲間たちに教えてもらい、いろんな経験をしたことが、財産になっています。多様な価値観に触れたうえで、世界の広さを感じ、自分が作っていきたい未来について考えてみてください。 学生新聞オンライン2024年11月6日取材 東洋大学2年 越山凛乃 東洋大学2年 越山凛乃/東洋大学3年 太田楓華

DX・WEBマーケティング

日本マイクロソフト株式会社 業務執行役員 Modern Work GTM本部 本部長...

Copilotと共に、あなたの未来をはばたかせるサポートを 日本マイクロソフト株式会社 業務執行役員 Modern Work GTM本部 本部長  山田恭平 (やまだきょうへい) ■プロフィール2007年に米ワシントン大学を卒業後、マイクロソフト株式会社(現、日本マイクロソフト株式会社)に入社。サポートエンジニアリングマネージャー、カスタマーエクスペリエンスリード職など経て、2023年8月より現職 今、企業で急速に広がるMicrosoft Copilot。「副操縦士」という意味のAIツール「Copilot」を導入することで、会議進行やレポート作成、データ分析等の通常人間が時間を費やしていた多くの業務を効率化できるようになったという。AIを使って働くことが日常化する時代に、「操縦士」である私たちはどう向き合っていくのがいいのだろうか。その最前線で自身も操縦士として、また働く環境におけるAI活用推進を率いる山田氏に、これまでのキャリアを通じて得た成長、そして日々進化するAIとの向き合い方について伺った。 ■顧客理解がすべてである 米ワシントン大学を卒業後、新卒でマイクロソフト株式会社(現、日本マイクロソフト株式会社)に入社しました。まず、配属されたのはサポートエンジニアのポジション。企業のお客様が使用しているマイクロソフト製品やシステムのトラブルシューティングが主な仕事でした。当然、最初は右も左もわからない状態。周りの先輩方に支えられながら、一歩一歩成長していきました。この時期に得た最も大きな財産は、顧客の本質的なニーズを理解する力でした。単に目の前の質問に回答するだけでなく、お客様がなぜその質問に至ったのか、どういうポイントを支援すればお客様が役に立ったと感じて頂けるか、を考えるようになりました。表面的な対応ではなく、関わる人々の未来まで見据えて考える習慣が身についたのです。この経験は、後に別部署でマネジメントを担当することになった際にも、大きな糧となっています。 ■AI活用推進で創造的に働ける環境づくりへ貢献 現在、私はMicrosoft 365 Copilotというアツいツールの導入に携わっています。その最大の魅力は、なんといっても社員の業務効率化です。具体例を挙げてみましょう。 弊社だと海外のメンバーと英語で会議をすることが非常に多いのですが、人によっては英語が苦手で中々 ディスカッションには入れ込めないということがありました。そんな中、Copilot を使うことで、相手が喋った内容を日本語で質問しながら会議で話されている文脈を理解することで ディスカッション に入ることができるようになりました。また、その会議のまとめや今後のアクション等もAIが適切に提案してくれるのです。従来なら、実現できなかった人同士のつながりが、テクノロジーを介して作れるようになったり、また時間のかかっていた作業も、あっという間に完了する。その結果、社員はより創造的な仕事に時間を使えるようになりました。また、効率化だけでなく、安全面も見逃せないポイントです。企業の機密情報を扱う際、Copilotは厳格なセキュリティ基準に則ってデータを処理します。情報漏洩のリスクを最小限に抑えることで、安心してAIを業務に取り入れられる環境を実現しています。私自身、このツールを使って社内トレーニングや導入プロジェクトを進めていますが、面白い変化を目にしています。最初はAIに抵抗感を示していた社員も、実際に使ってみるとその便利さに目を見張り、どんどん業務改善が進んでいく。単なる効率化を超えて、社員一人ひとりがより自由に、より創造的に働ける環境づくりに貢献できる。それこそが、この仕事の醍醐味だと感じています。 ■AI活用の未来 – 「操縦士」であることの役割と責任 日本は新しい技術、特にAIへの関心が非常に高い国です。多くの企業や個人がAIの可能性に注目していますが、単に導入するだけでは不十分です。本当の課題は、その技術をいかに継続的に活用していけるかということにあります。例えば、Microsoft 365 CopilotのようなAIツールを企業で定着させるには、組織文化が重要な役割を果たします。AIツールを導入しても、社員が自然に使いこなせるようになるわけではないので、自社の業務フローの中でどのようなポイントであれば AI で変革ができるかを検討する必要があります。 ここで成功の鍵となるのは、社内の情報連携です。部門間の垣根を越えて情報がスムーズに流れ、それぞれがAIツールを効果的に活用できる環境を整えることが大切です。日本マイクロソフトでは、弊社社長の津坂自らがCopilotの活用方法を率先して示すことで、大きな効果が得られました。このようなトップダウン、ボトムアップの双方のアプローチにより、AI活用が企業文化として根付き、社員一人一人がその価値を実感できるようになったのです。ただし、AIツールを使用する際は、プロフェッショナルとしての責任も忘れてはいけません。AIの出力をそのまま採用するのではなく、必ず人間の目でレビューし、検証することが重要です。これは、パイロット(操縦士)と副操縦士の関係に似ています。AIはあくまでもサポート役であり、最終的な判断は人間が下すべきなのです。AIを使う際には、この境界線を意識し、責任を持って活用することが求められます。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんに一番伝えたいのは、失敗を恐れず、どんどん挑戦してほしいということです。マイクロソフトでは、「グロースマインドセット」を大切にしています。これは、どんなに困難な状況に直面しても、それを成長のチャンスとして捉える考え方です。自分の能力は固定されたものではなく、努力や学びによって成長できると信じることが重要です。どんな壁にぶつかっても、乗り越えた先に必ず成長が待っているので、挑戦し続けること。私も入社した当初は分からないことだらけでしたし、うまくいかないことも多かった。でもそれを乗り越えたからこそ、今の自分があります。皆さんも社会に出ると、上司や同僚との関係でうまくいかないこともあるかもしれませんが、「自分ができることは何か?」と常に考えて行動してください。そうすることで、周りとの信頼関係を築き、チーム全体で成長できるようになると思います。自分の力を信じて、前向きに挑戦を続けていけば、必ず大きな成果が得られます。どんな状況でも自分の成長を最優先に考え、学び続けましょう。社会に出ると、また違った挑戦が待っていますが、挑戦することでこそ、真の成長が得られます。 学生新聞オンライン2024年12月20日取材 明治大学大学院2年 酒井躍 ■Information   「Surface ソーシャル動画コンテスト開催」 最新の Surface と Copilot を活用し、学生生活にどのように役立つかを自由に表現してみませんか? 応募期間:2025年2月7日 (金) から 2025年3月9日 (日) 23:59 まで。 応募資格:2025 年 2 月時点で現役の大学生、短大生、または専門学校に通っている学生であること。 詳細は下記を確認ください。https://blogs.windows.com/japan/2025/02/07/surface-social-video-contest-entries-now-open/

学生新聞インターン

株式会社キッズスター 代表取締役 平田全広

『ポジティブな疑似体験を通して、子どもと社会の距離を縮めたい』 株式会社キッズスター 代表取締役 平田全広(ひらたまさひろ) 広告制作会社に3年従事後、バックパッカーとして海外を旅し、(株)サイバーエージェント⼊社。アメブロ事業⽴ち上げに従事し、メディアマネージャーを務めた後、(株)アイフリークモバイルに入社し、コンテンツ事業部⾨執⾏役員就任。⼦どもが⽣まれたことをきっかけに⼦ども向け事業を⽴ち上げ、 2014年より(株)キッズスターの代表取締役を務める。 ゲームを通して、実在する企業の体験が出来る知育アプリ『ごっこランド』は、子どもたちが社会の仕組みを学べる上、新しい企業のファン作りにも貢献している。そんなサービスを提供する株式会社キッズスターの代表取締役平田全広さんに、『ごっこランド』の構想までや魅力、今後の展望についてまで伺った。 ■様々なことを考える時間になった2年間の旅 旅をするのが好きで、学生の頃はインドなどアジア諸国を周りました。大学卒業後も3年間広告会社で働いた後、バックパッカーとして海外放浪の旅を2年くらい経験しました。サッカーとプロレスがずっと好きだったので、本場を見に行こうとヨーロッパや南米、中米など32か国を巡りました。時間がたっぷりあったので、色々なことを考えながら、自分自身の考え方が形成することができた有意義な時間だったと思います。特に、たくさんの国をまわる際は、事前にその国のことを調べて行くのではなく、現地で聞いて宿を取ったりしていたので、思い立ったら、臨機応変に行動するという考えが身につきました。また、この経験があったからこそ、多少の事ではビビらなくなったと思います。 ■新しい出会いがくれた起業という新しい選択肢 帰国後はサイバーエージェントに入社し、藤田社長をはじめ、インターネット業界で同じ年代の人たちが新しい事業を立ち上げているのを目の当たりにしました。これまでベンチャーや起業という選択肢は考えていませんでしたが、サイバーエージェントの中で上昇志向の強いギラギラした人達が、自分達の責任で事業を運営している姿を見て、「自分もできるかもしれない、やってみたいな」と思うようになりました。サイバーエージェントで働いた8年間はしんどい部分もあったけれど、楽しい部分もあり、これと同じくらい熱量を持ってできることがしたいと考えていました。その後、子どもが生まれ、育てていく中で、絵本などに触れる機会が増えていきました。絵本は自分達が幼かった時と変化がないと感じ、もう少し現代に合わせて、なおかつ自分のインターネットの経験も生かせるような事業が出来ないかなというところから、キッズスターが始まっていきました。 ■企業がもつ思いをゲーム体験を通して伝える『ごっこランド』 『ごっこランド』は実在する企業やブランドの仕事や取組みを、ゲームで体験できる社会体験アプリです。企業の広告だと歯磨き粉を“売る”ことが中心になるけれども、例えば、ライオン株式会社さんは“虫歯を無くすこと“を目標として歯磨き粉を提供しています。虫歯を無くすには歯磨き粉で歯を磨くだけじゃ足りないので、定期的に歯医者も一緒にセットで行くことが大切です。そのことを伝えるために、歯を磨いた後でも汚れは残っていること、歯医者でのクリーニングやフッ素塗布をすることもゲーム化して表現しています。現在80社もの企業が出店しており、体験の種類の豊富さは他と比べても一番です。各企業が目指すビジョンを子どもたちに理解してもらうために、かみ砕いて、どうゲーム化していくのかを考えるのは骨が折れる部分でもあり、やりがいでもあります。 ■ゲームでの体験をリアルな体験に繋げてほしい ゲームをつくる上で大切にしているのが「子どもテスト」という開発工程です。事業開始当初から続けていて、ゲームをリリースする前に子どもたちにプレイしていただき、反応を見て、ブラッシュアップしています。子育て中の社員も多いため、親目線と子ども目線のゲーム作りにこだわっています。そしてもう1つ大切にしていることがあります。それは、ポジティブな疑似体験が能動的な行動を生むということです。子どもが幼いころは親御さんがすすめた物をやることが多いと思いますが、子どもが自ら「やってみたい!行ってみたい!」から行うリアルな体験は、学びの深さが変わります。実際私たちは『ごっこランドEXPO』というリアル体験イベントも、大型ショッピングモールなどで開催しているのですが、1開催あたり約2000名に参加いただいています。ゲーム内で「私も出来るかも」という成功体験を積み重ね、リアルなアクションに結び付けて欲しいと考えています。 ■子どもたちにとって社会をもっと身近に 『ごっこランド』は企業との接点作りやファンを増やす動きを、子どもたちを通して行っています。例えば、街を普通に歩いているだけでは気にならなかった看板などに対して、子どもが突然「あれ知ってる!この店ってこんなものがあるんだよ!」と親御さんに話しかけてくるといったご感想をいただくことがあります。楽しく遊びながらも様々な知識を自然に得ることが出来ます。学校はどうしても社会と切り離されている部分があるので、ゲームを通じて、子どもと社会の距離を近づけていきたいと思っています。  『ごっこランド』には、約20万件ものレビューをいただいています。当初からお父さんお母さんの口コミをベースとして広がり、現在では700万ダウンロードを突破。どのゲームも月に20万回近く遊ばれています。現在は、子どもたち本人からのレビューが一番多いです。レビューには、ゲームに入れて欲しい企業名がリクエストされることもあるので、実際の子どもたちの声を聞いて営業に行くこともします。我々にとってレビューが全てと言っても過言ではありません。 ■『ごっこランド』を世界中のもっと多くの子どもたちに  2023年8月からは、海外版である『Gokko World』をベトナムで配信し始め、日本版より早いペースで累計120万ダウンロードを突破しています。『ごっこランド』のゲームは、3歳の子どもから遊べるゲームなので、流れる音声の言葉が理解できれば海外でも変わらずプレイしていただけると確信を持てました。ベトナムをしっかり成功させ、次はインドネシアに広げていこうと考えています。2024年の日本の子どもの出生数は約70万人ですが、インドネシアは約400万人もいます。現在、経済発展もしている中、『ごっこランド』の意味合いが増し、活用する企業さんも増えていくはずです。まず、日本で築いた1位をアジアで獲りにいきたいと思っています。 ■大学生へのメッセージ 自分自身、はじめから起業家を目指していたわけではなく、広告会社で働いたり、バックパッカーになったり、その時にあった自分のやりたい事を突き進んできました。大学生の段階で「これをやる!」と一本に決めなくても、なにか始めてみて、思い切ってそこにどっぷりはまって夢中になって、また違うものが見たくなったら次に行けば良いと思います。給与の高さや有名だからという点だけに引っ張られ過ぎず、好きや得意を生かせ、自分が成長できる環境を一番に考えて、将来を選んで欲しいなと思います。そうした選択の積み重ねが、今後の人生で、本当にしんどい時、乗り越えられるパワーになるはずです。 学生新聞オンライン2024年11月14日取材 東洋大学2年 越山凛乃

学生新聞インターン

株式会社エアウィーヴ 代表取締役会長兼社長 高岡本州

眠りの常識を変えたエアウィーヴ、世界への挑戦 株式会社エアウィーヴ 代表取締役会長兼社長 高岡本州(たかおかもとくに) ■プロフィール1960年名古屋市生まれ。名古屋大学工学部応用物理学科卒、慶応義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了後、父が経営する日本高圧電気に入社。87年米スタンフォード大学大学院修士課程修了。98年日本高圧電気代表取締役社長(現在は取締役)に就任。2004年に伯父から中部化学機械製作所(現エアウィーヴ)の経営を引き継ぐ。 愛知県名古屋市で生まれ育ち、父の会社を引き継ぎ、さらに倒産寸前だった伯父の会社を再生させるため、持っていた技術を生かして寝具ブランド「エアウィーヴ」を立ち上げたのが、代表取締役会長兼社長の高岡本州さん。長年培った経験を基に、国内外で挑戦を続ける高岡さんにお話を伺いました。 私は愛知県名古屋市で生まれ育ちました。私の父は社員が300人程度の規模の地元の中小企業で電力関連の事業を経営していたため、大学時代は、いつかのタイミングで父の事業に関わるかもしれないと思いながら日々を送っていました。 ■学びと挑戦を重ねた学生時代の歩み 大学時代はゴルフ部に所属し、授業よりもゴルフ場に通う毎日でした。工学部で応用物理学を専攻していたものの、本当に物理が好きな学生たちに囲まれる中で「実は物理はあまり得意ではないな」と感じ、文系の分野である経営学に興味を持ち始めました。 卒業後、当時は日本でも数少ないMBAを修得することができる慶應義塾大学ビジネススクールに進学しました。しかし同級生の多くは企業から派遣された社会人であり、自分のような学生にはハードルが高い環境でした。課題も膨大で、明け方4時まで勉強する日もあるような2年間でした。 修了後は一旦東京で就職をしようと思い、就職活動を経てシンクタンクに入社が決まりました。しかし、父から猛烈に反対され、議論の末に名古屋に戻り、父の経営する電力会社向け配電機器メーカーの日本高圧電気に入社する道を選びました。そして、会社の人事担当の方にご挨拶に伺ったところ、すぐに海外留学するよう勧められました。理系のバックグラウンドを活かし、スタンフォード大学大学院の工学部に進学し、2年で卒業しました。 ■エアウィーヴ誕生までの軌跡 日本高圧が製造する配電機器は、国内の電柱の約半数に使われています。1998年には同社の社長になりましたが、ここで培った真面目なものづくりへの姿勢はエアウィーヴの事業に活かされています。 エアウィーヴ誕生のきっかけは、釣り糸を作る機械を製造していた伯父の会社を引き継いだ際、なんとか再建しなければと苦悩する中で、当時製造していたクッション材の反発力を寝具に応用できるな、と気がついたことです。 ひらめきの背景には、若い頃にむちうちになった私自身の経験がありました。当時広く流通していた低反発の寝具は疲れが取れにくく、「身体をしっかり支える高反発のクッション材を使った寝具を作りたい」と思うようになりました。手元にあった技術を寝具に活用することで新たな価値を生み出し、会社を存続させるとともに発展させられるのではないかと考えたのです。 従来、寝具の多くにウレタンやスプリングが使われていました。しかし、我々はエアファイバーという全く新しい樹脂素材を使用したユニークな製品を開発したのです。 ■社会インフラを支える祖業の資産を活用し、睡眠革命へ 寝具業界は歴史が長く、老舗企業が既に存在します。新規参入するには簡単な製品改良ではなく、新しい付加価値を生むイノベーションを起こさないといけません。 しかし、効果を比較する機会が少ない寝具は、既存品に対して不満を持つ消費者は少ないため、私たちがエアファイバーをイノベーションだと思っていてもお客様からは求められません。 そこで私たちは、まず買い足し商品であるマットレスパッドを作りました。薄いマットレスパッドは、売り場スペースが比較的小さくて済みます。そして、この薄さゆえに宅配便でも送ることができるため、自社物流を持たなくても事業への参入ができました。また、エアウィーヴのよさに最初に気づいてくれたのが身体に敏感なアスリートであったことから、睡眠にこだわるオリンピック選手に選んでもらえるような寝具を目指しました。 その後、東京オリンピックの選手村に寝具を提供することになり、アスリートの体形に合わせて個別化できるベッドマットレスを開発し、昨年のパリオリンピックでも約1万6,000床の寝具を1社で納入しました。現在では3分割でカスタマイズできるベッドマットレスが主力となっています。 日本の従来のBtoC企業は実店舗とネットショップで商品ラインを変えて販売することもありますが、私たちはHermès (エルメス)やChanel(シャネル)といったヨーロッパのラグジュアリーブランドが採用する手法と同様に、実店舗とネットショップで同一商品を展開し、どちらでも購入できるビジネス設計をしています。 こうした緻密に行ったブランディングとマーケティングが、商品のヒットにつながりました。なお、この両輪は、いまだに当社で最も重要にしている部分です。 エアウィーヴは18年前に事業を始め、国内では売り上げが200億を超えました。寝具は世の中にとって必要不可欠な商品です。おかげさまで超一流の方も含めて様々な方々に使っていただき、皆様に知られる存在になりました。私たちの寝具を通して人々の健康を支えていると自負しています。 今後は、企業理念である「眠りの世界に品質を」というメッセージを世界中に広めていきたいと考えています。製品の海外展開にも力を入れており、若手社員が海外で活躍する機会を作り、自分たちのブランドがまだ知られてない地域でもチャレンジしてもらうことで、彼らの視野が広がり、成長してくれることを期待しています。 ■大学生へのメッセージ チャレンジングな目標を設定してそこに向かって挑戦しないと、人は能力を伸ばせません。 そして、伸びることによって、新しい人々との出会いと発見があって、自身の器が大きくなったり、心が広くなったりして、自分たちの生活が豊かになります。エアウィーヴがオリンピックへの寝具提供という非連続なチャレンジをするのは、自分たち自身の能力を伸ばして商品を進化させようと思うからです。 大事なことは、 チャレンジ精神を持ち、素直で誠実でいること。そうすれば失敗した時に学ぶことができ、成長できると思っています。 学生新聞オンライン2024年12月11日取材 城西国際大学 1年 渡部優理絵 城西国際大学 1年 渡部優理絵 / 武蔵野大学 4年 西山流生

コラム

テリー伊藤 コラムVol.45 私のせっかちは治らない

スターバックスの店内でコーヒーを飲んでも10分も居られない。飲み終わるとすぐに店を出てしまう。夏場はアイスラテをオーダーするが、熱いコーヒーより早く飲み終えてしまうので更に滞在時間は短い。ファミレスでも行動パターンは変わらない。レストランに行っても料理が来ると次の料理が早く来ないかとつい調理場の方に目が行く。焼肉屋、回転寿司のように自分のペースで食事が出来る方がイライラしないで楽しめるので、どうしてもそんなお店を選んでしまう。昼時の混雑の中、席待ちをしている人の姿を見るだけで、席を空けてあげないと、と急いで食べてしまう。ひどい時はレジでまだ口をモグモグしながら精算することもある。要はせっかちなのだ。スタバに2,3時間居るなど、同じ場所にずっと滞在できる精神力の持ち主は尊敬に値する。 料理を注文する時にはメニューを見た試しがほとんどない。お勧め料理か、写真の載っている料理に指をさし「お勧めは?」「コレお願いします。」とオーダーする。ひどい時はとりあえず一番早い料理をお願いする。スペイン料理のパエリアなど、1時間以上掛かる時はよっぽどの覚悟が必要だ。振り返っても、スタバ15分、ファミレス40分、レストラン1時間45分が平均時間だ。店側から見ると回転率が良い客に思われるかもしれないが、とはいっても褒められることではない。回りの目を気にし過ぎたり、落ち着きが無いだけ。 料理だけではない。好きな洋服を選ぶ時もじっくりというより瞬間のひらめきで決めることが多い。若い頃は女性を見る目もせっかちで即決していた。付き合ってみて「え?こんな子だったの?」とびっくりしたことも。一見清楚な子だと思いデートに誘ったところ、大の辛い物好きで、My七味、Myタバスコを持参し、日本蕎麦屋では天ぷらうどんの天ぷらが見えなくなるほど七味を掛けまくり、ピザ屋ではクワトロチーズピザがタバスコで真っ赤な海になった。知り合ったばかりなので注意することもできず茫然と見つめるだけだった。その後キッスのチャンスもあったが彼女の胃液から逆流する匂いを想像して早々と別れた思い出がある。 話を元に戻そう。では何故私がすぐに店を出てしまうのか。その原因を回りの友人に聞いてみた。「テリーさんはお酒飲まないからひとつのお店に居続ける環境に慣れてないからだよ。」と冷静な答えが返ってきた。確かに。夕方から夜中まで飲んでいるという話はよく聞くが、私は2時間程で早々帰ってしまう。今更酒を飲めるようになれる訳もなく、今現在八方塞がりの状態だ。私の試練は続く…。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

丸山実友

株式会社ロフト 代表取締役社長 安藤公基

雑貨でエンタメ空間をお届けする 株式会社ロフト 代表取締役社長 安藤公基(あんどうこうき) ■プロフィール1981(昭和56)年3月 中央大学 法学部卒業1981(昭和56)年 4月 株式会社西武百貨店 入社1993(平成 5 )年3月 同社 商品部 趣味雑貨ロフト部 バイヤー2004(平成16)年8月 株式会社ロフト 商品部 ホームファッション事業部 部長2010(平成22)年 9月 同社 梅田ロフト 館長2012(平成24)年 2月 同社 商品部 部長2015(平成27)年 5月 同社 取締役 執行役員 商品部 部長2016(平成28)年 8月同社代表取締役社長 執行役員社長(現任) 様々な生活雑貨を販売し、多くの人に愛されるロフト。そんなロフトの立ち上げに携わり、今もなお雑貨を通してお客様の生活を豊かにするため日々邁進するのが、現社長である安藤公基氏。ロフトはどのような想いの元立ち上げられたのか、安藤氏のロフト愛に迫る。 ■何事も直向きに取り組んだ入社当時 学生時代は、遊んでばかりいましたね。法学部で司法試験をめざしていたので、就職活動もしていませんでした。しかし、よく渋谷に来ており、渋谷西武が好きでよく通っていたので、唯一、西武百貨店を受けたんです。そして、運よく合格し、縁あって西武百貨店に就職しました。西武百貨店に入社して、渋谷西武の趣味雑貨部門に配属されました。しかし、若かったこともあり、趣味雑貨よりは、営業企画やファッション系の仕事に興味がありました。当時の渋谷西武の趣味雑貨部は百貨店の中で地味な売り場だったんですよ。その中でも、外れにある書籍の売り場で1年半働き、その後、当時、渋谷西武の7階の売り場に異動しました。7階では、文具などを担当していましたが、あまり楽しくはありませんでした。当時の渋谷西武は、伊勢丹と並んでおしゃれと言われており、ハイブランドのお店が多くあって、ファッションでは最先端のお店でした。一方で、趣味雑貨部門は魅力がなかった。しかし、これからは雑貨の時代だということで、新しい生活雑貨の専門大店を作るために、まずは7階をリニューアルすることになったんです。私も、小さな特選文具の売り場を任せてもらいました。そこで、システム手帳を差別化商品の中心として、それに合うように革製品や万年筆を置くようになりました。初めて、自分で自由に商品を選び、レイアウトもデザイナーと相談しながら、一つの小さな売り場を作り上げる経験をしたんですね。その際、自分がしっかりと商品知識をもっているものをお客様に販売することで、初めて百貨店にきて充実した時間を過ごすことができたと感じました。その後、渋谷西武がライフスタイル型のアパレルに特化したお店を作ることになり、合わせて雑貨の売り場も作るということで、フロアのテーマに合わせた雑貨選びの仕事を1年ほどしました。他のメンバーはアパレル担当で、私だけが雑貨担当だったので、そこでの経験は本当に辛かったですね。しかし、とても勉強になった期間でした。この時の経験がロフトを立ち上げる時に大きく影響してくるんです。 ■「感性」を大事にする館 ロフトを立ち上げた時、目の前のライバルはハンズ(東急ハンズ)でした。いかにハンズを凌駕するか考えていましたね。最初はやはり、敵の一番強いところに勝たなければと思い、毎日のように素材と道具の売り場を見に行きました。しかし、様々な特殊な商品と出会い、どこからこんなもの仕入れているのだろうと思うと同時に、とてもじゃないけれどできないなと思ったんです。そこで、西武百貨店の強みを生かすことに着目しました。西武百貨店の強みと言ったら、やはり感性。これをテーマにしようと決めたんです。ハンズは、都市部型のDIYセンターで用途を分けた売り場づくりが特長です。一方で私たちは、目的購買型ではなく、時間消費型のエンターテイメントある空間を作りたいなと思いました。買い物をしなくても楽しい空間、そんなエンタメ空間を作ることで、差別化しようと決めました。また、ハンズは男性や年配層のお客様が多いのに対し、渋谷西武は若い女性のお客様が多くいらっしゃいました。そこで、25歳前後のお客様をメインのターゲットにしていこうと考えました。当時からロフトのコンセプトは「時(トキ)の器」です。自らの変化を恐れず、時代のトレンドをしなやかに切り取って、それを商品や売り場を通じて常に刺激的な情報を発信する。これは、定番的な用途だけの館ではなく、感性を大事にする館にしようというロフト立ち上げ時の思いから変わらないですね。 ■雑貨の老舗ブランドロフトとこれから 最近は、コラボ商品も多く販売させていただいています。様々なクリエイターさんとコラボができるのは、渋谷ロフトができてから37年、雑貨店のブランドとして知名度が高くなったことが大きいと思います。そして、全国展開できるだけのパワーがあるのも大きいですね。また、クリエイターさんの中にはロフトのファンの方も多いのも理由です。ロフトで一緒に働きたい人材は、コミュニケーション能力と素直さを持った人です。店頭で働くにしても、商品部や本部で働くにしてもコミュニケーション能力は非常に必要です。一番伸びていくのは、素直でフットワークの良い人です。だからこそ、私はそんな人たちと共に働きたいですね。今後の目標は、標準店舗(売り場面積200~300坪前後)の多店舗化と大型店の構造改善です。展開当初、ロフトの標準店舗はあまり儲かりませんでしたが、ある時期から一気に効率があがり、逆に大型店が厳しくなってきました。この利益を上げる標準店舗が私たちの強みだと思うんです。だからこそ、この標準店舗を多店舗化することでしっかりと会社全体の利益を出していき、そして、大型店の赤字がその動きを阻害しないように、移転や面積の適正化で、構造改善、効率化を図っていこうと考えています。 ■大学生へのメッセージ 若いうちは何でもやってやるぞという気持ちが大事だと思います。常に好奇心をもって、色々なところに顔を出してほしいです。そして、皆さんはこれからどんどん大人になっていきます。しかし、「young at heart」という言葉があるように、どうか今の若い気持ちはいつまでも忘れないでいてほしいです。 学生新聞オンライン2024年11月14日取材 国際基督教大学2年   丸山実友

学生新聞インターン

東急リバブル株式会社 代表取締役社長 太田陽一

川上の情報を捉え、組織に展開することで多様なニーズに応える 東急リバブル株式会社 代表取締役社長 太田陽一(おおたよういち) ■プロフィール1960年9月生まれ、東京都出身。早稲田大学法学部卒業後、1983年東急不動産に入社。1995年東急リバブルに出向。2007年経営企画部長、2012年流通事業本部副本部長と、事業部門・スタッフ部門の業務を幅広く経験。2012年6月同社取締役執行役員、2014年4月取締役常務執行役員、2019年4月代表取締役社長。趣味はサックス、読書、城めぐり。 東急不動産や東急リバブルで営業や労務、経営企画など、幅広い業務を経験された太田社長。不動産流通業界を牽引する東急リバブルは、なぜ多様化する顧客のニーズに応えられるのか。太田社長の考える会社の魅力と、仕事において大切にされている価値観についてお伺いした。 ■バレーボールコーチと読書から学んだこと 大学1・2年生の頃は、高校バレーボール部の学生コーチに熱を注いでいました。私自身、バレーボール部だったのですが、やりがいがある一方、年の変わらぬ後輩の指導は難しくもありました。その中でストレッチした目標を目指したハードな練習や、体育会系の熱い指導方法に耐えられず、辞めてしまうメンバーも多かったです。でも、それでも残ってくれた高校生たちをどう導くべきか、試行錯誤しながらの日々でしたね。学生生活後半は、とにかくよく本を読んでいた気がします。ジャーナリストの仕事に憧れていたこともあり、まずは世の中の仕組みや自分自身を知ろうと、近現代の「古典」といわれる本を読んでいました。世の中に自分を当てはめて、自分とは何者か見つけていく。大学は法学部でしたが、専門的な知識だけではなく、今後の生き方を考えることに時間を割いていたように思います。バレーボールコーチの経験からは、「組織における人の動かし方」を学び、読書からは「自分が大切だと思う価値観」を得られたように感じます。 ■街づくりへの憧れと苦労 私は新卒で東急不動産に入社しました。当時はメーカー全盛の時代でしたが、あまり知識がなかったので、自分がメーカーで何をするかイメージが湧かなかったんですね。ただ、就職活動をする中で、自分が一番ワクワクすると思えたのが「街づくり」でした。鉄道を敷いたり、大学を誘致したりと、街づくりに関わって社会資本を整えていくことに憧れを抱き、最終的には、大手デベロッパーの中で街づくりに1番力を入れていた東急不動産を選択しました。そのころ東急不動産は、大規模開発事業に力を入れていました。大規模開発というのは、資金回収に10年かかるような大きな事業です。新卒で配属となった関西での新築を販売する営業職から始まり、その後は再開発事業に携わり、建て替えプロジェクトのため、団地の居住者に交渉して周っては、地権者との合意形成に奔走するなど苦労の毎日でした。関西で約10年過ごし、本社で労務管理を3年した後、東急リバブルに出向となり、新築販売部門を経て、本社スタッフ部門を担当することとなります。ここでは主に管理職として、人事や経営企画なども含め、スタッフの仕事を経験しました。 ■情報を共有し価値を付ける 東急リバブルは、事業領域が広いことと、会社が好きな社員が多いことが魅力だと思っています。個人のお客さま向けに不動産の査定や物件紹介をしたり、法人向けに企業の不動産活用をサポートしたりと、様々なニーズに応えられるようにしています。全国に200ヶ所以上の営業所があるので、直接お客さまと接点があることを生かし、不動産に関連する情報の流れを捉えて、その活用方法を見出しています。これは全事業部門が連動し、情報がスムーズに行き渡る仕組みがあってこそできることです。私たちの仕事は、不動産を売るのではなく、情報に価値をつけること。例えば、街の仲介業者から得られた情報を、都心の分譲マンション事業に生かすなど、情報が流れる仕組みがあってこそ最適解を得ることができるのです。そして、企業理念はありますが、それだけではなく、当事者として社員各々が組織の目標設定にかかわり、その中で自分の役割を定めることで、自然と求心力が湧いてくる風土があるように思います。定量的な視点だけではなく、定性的な観点からものごとを考えることも、目標やプロセスの立て方として大切ですね。 ■3つの好循環が生むメリット 東急リバブルでは、「お客様評価・働きがい・事業競争力」の3つをバランスよくレベルアップすることを目標としています。お客さまのニーズに応えることができれば、社員の達成感ややりがいが生まれ、仕事へのモチベーションが事業に勢いを生むという好循環が生まれるわけです。昨今はIT化やDX化が進み、手続きや契約も全てデジタルでできてしまう時代ですね。ですが、最も重要なのは“お客さまがどう感じているか”です。お客様対応のリアルとデジタルの境界という課題について、ホスピタリティをもってニーズを紐解くことは、我々人間にしかできないことだと思います。そして、ニーズに応えると同時に、今の時代の要請に応えることも両立しなければなりません。地価の高騰や空き家の増加などといった時勢から、市場を見て事業方針を判断することもあれば、個々のお客様ニーズから視点を得ることもあります。どちらかに偏るのではなく、両方をバランスよく検討しながらチャンスを見定めることも仕事の醍醐味なのです。 ■学生へのメッセージ 学生の皆さんにはぜひ、「二刀流・三刀流」を意識してほしいと思います。大谷翔平選手が投手と打者の二刀流でどちらも成功していますが、1つのことだけではなく、同時に複数の事を全力で挑戦することが大切だと感じます。というのも、社会人になると、仕事に家庭に趣味にと「二刀流・三刀流」の連続だからです。まさに、最近は2・3年生から就職活動が始まりますが、勉強もサークルなどの活動も手を抜かないで欲しい。時間を効率よく使いさえすれば、どれも中途半端にすることなく、自分自身の進化に繋げることができます。就職活動は自分を見つめ直す絶好の機会でもあるので、勉強やサークルと両立して、自分を探す今の時期を楽しんでほしいです。 学生新聞オンライン2025年2月6日取材 上智大学3年 白坂日葵 上智大学3年 白坂日葵/城西国際大学1年 渡部優理絵/文化服装学院2年 橋場もも/日本大学4年 鈴木準希

学生新聞インターン

アリナミン製薬株式会社 代表取締役社長/CEO 森澤 篤

消費者の視点に寄り添い、笑顔と健康を広げるリーダーシップ アリナミン製薬株式会社 代表取締役社長/CEO 森澤 篤(もりさわ あつし) ■プロフィール京都大学工学部建築学科卒業。南カリフォルニア大学にて経営学修士(MBA)を取得。株式会社リクルートを経て、1994年にボストンコンサルティンググループへ入社。パートナー&マネージング・ディレクターを歴任。その後、Alix Partnersを経て、マースジャパンリミテッド社長、マースグローバルペットニュートリション チーフカスタマーオフィサーを務める。2019年より工機ホールディングス株式会社の代表取締役社長執行役員兼CEOを務め、2022年6月にアリナミン製薬株式会社 代表取締役社長COOに就任。2023年7月より現職。 「明日の元気を変えていく」というコーポレートメッセージのもと、消費者の健康と活力を支えるアリナミン製薬。その舵を取る森澤篤氏は、建築学、コンサルティング、食品、機械、医薬品と多岐にわたる業界経験を経て、社会に貢献する製品づくりに情熱を注ぐ。その豊富な経験と鋭い洞察力をもとに、消費者の「明日の元気」をどのように創造しているのか。そのリーダーシップの真髄に迫る。 ■幅広いキャリアが築いたビジネス視点 高校時代からラグビーに打ち込み、大学でも関西大学Aリーグでプレーしました。当時は競技に熱中するあまり、建築学の面白さに気づいたのは随分後のことでした。その後、次第に「自ら全体を設計し、形にする」という建築の魅力に惹かれ、大学院進学を決意しました。幼少期からものづくりに興味を持ち、建築や航空工学に関心を抱いていた私にとって、建築は創造性と論理性を融合させる最適な分野でした。リクルートに入社後は、不動産開発の仕事を担当していましたが、同社の制度を利用して南カリフォルニア大学でMBAを取得。この経験が大きな転機となり、ビジネスの構造や消費者行動に対する洞察力を養いました。MBA修了後はボストンコンサルティンググループへ転職し、論理的思考と総合的視点を駆使しながら、コンサルタントとしてのキャリアを積みました。 ■消費者視点で成長を促す経営哲学 アリナミン製薬との縁は、株主からの打診がきっかけでした。特に魅力を感じたのは、医薬品としての強みを活かし、消費者視点を取り入れながらビジネスを成長させる挑戦ができる点です。これまで培ってきたマーケティング、営業戦略、製品開発の知見を活かし、市販薬市場に新たな価値を生み出せると確信しました。アリナミンは誰もが知るブランドであり、そのリーディングブランドを本格的に伸ばす挑戦はやりがいがあります。特に、「この会社が世の中に存在する意味」を問い直して、「社会にどう貢献できるのか」を考えることを重視しています。製品を通じて、人々が元気を取り戻し、生活がより豊かになることを目指しています。私も驚いたことですが、アリナミン製薬では、お客様相談室に毎日大変多くの感謝の声が寄せられています。これが、私の仕事への大きなモチベーションになっています。例えば、膝の痛みで杖が必要だった80代の方が、製品を試して3週間後には杖が不要になったと喜びの声を届けてくれました。また、首の痛みで夜も眠れなかった方が痛みから解放され、「人生が明るくなった」と話してくれることもあります。このような生の声をいただくと、私たちの製品が本当に役に立っていると実感します。アリナミンの認知度は非常に高く、約85%の方が名前を知っていますが、実際の利用者は同程度のブランド認知度を持つ一般消費財に比べると比較的限られます。そこで現在では、試しに一度使ってもらえる機会を増やすということに注力しています。例えば、大容量の商品だけでなく、1000円程度の「トライアルサイズ」をドラッグストアの目立つ場所に配置するなど、購入しやすい環境を整えました。この結果、新規ユーザーの獲得が加速しユーザー層の大幅な拡大が実現できています。また、製品のパッケージと広告戦略もシンプルにしました。「全身のだる重疲れには赤のアリナミン」「目・肩・腰の疲れには銀のアリナミン」「疲れが痛みにまで来たら青のアリナミン」というように、視覚的に分かりやすく伝えることで、消費者に覚えてもらいやすくしています。 ■社会課題を見据えた研究開発 日本人の睡眠時間は主要国の中で最も短く、特に女性の多くが睡眠の質に悩んでいます。この社会課題に向き合い、筑波大学の柳沢教授と共同研究を進め、睡眠の質を改善しつつ疲労回復をサポートする新製品の開発に取り組んでいます。これにより、アリナミンブランドの枠を超え、コンシューマーヘルスケア領域における日本のリーディングカンパニーを目指しています。私が共に働きたいと考えているのは、「日本を元気にしたい」という熱意を持ち、果敢に挑戦できる人材です。アリナミン製薬の使命は単なる製品販売ではなく、消費者の悩みを解決し、社会に価値を提供することにあります。そのため、すべての業務において「お客様に最大の価値を提供するにはどうすべきか」という視点を持つことが不可欠です。 ■大学生へのメッセージ 今の大学生は非常に真面目で、多くのことを深く考えていると感じます。「失われた数十年」と称される時代を経て、日本の成長力に疑問を抱く人もいるかもしれません。しかし、日本にはまだ大きな可能性があり、皆さんには世界を舞台に活躍できる力が備わっています。自分の可能性を信じ、挑戦を恐れずに進んでください。皆さん一人ひとりの挑戦が、未来の社会をより良いものへと導いていくと信じています。 学生新聞オンライン2024年11月18日取材 日本大学4年 鈴木準希

学生新聞インターン

WCD日本支部 共同幹事 斎藤聖美

女性の社会進出の変遷を経験し、女性役員の支援へ動く WCD日本支部 共同幹事 斎藤聖美(さいとうきよみ) ■プロフィール1950年生。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本経済新聞社、ソニーを経て、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。モルガン・スタンレー投資銀行などを経て、2000年、現在のジェイ・ボンド東短証券株式会社を設立、日本国債電子取引システムを運営。何社か社外取締役を務める傍らビジネス書を25冊ほど翻訳・出版している。 日本経済新聞からソニー、モルガン・スタンレーを経て、現在2000年に創設したジェイ・ボンド東短証券株式会社を経営。多数の会社の社外取締役を務めながら、WCD日本支部の共同幹事として女性役員が相互に切磋琢磨、協力しながらレベルアップを目指す場の提供に力を入れている。まだ女性が働くことが珍しかった時代に、斎藤さんがどのように社会進出を考えてきたのか、女性役員の支援に至るまでの経緯についてお聞きした。 ■人間関係が広がった学生時代  当時は女性が大学に進学することが珍しく、さらには就職する女性も少ない時代でした。入学した慶應義塾大学経済学部は2000人ほどいる大きな学部なのですが、女性はたった20人ほど。私自身、幼少期から本を読んだり、文章を書いたりすることが好きだったので文学部を志望していたのですが、強制されなければ経済や政治などの専門書を読むことはないという兄の助言もあり、経済学部を選択しました。当時は勉強一筋というのはファッショナブルではなかったので、バスケや柔道の同好会に入って色々な友人と出会いました。社会に出る前の準備期間として、人間関係の幅が広まり、周囲の人たちとの接し方を学んだ4年間だったと思います。それまで女子高だったこともあり、世の中の広さを知りました。 ■女性のキャリアプランがない時代、どう生き抜いたか ずっとジャーナリストに憧れ、新聞社を志望していたのですが、当時は女性を採用する新聞社はなく、唯一日本経済新聞の電算機本部だけ女性も入社可能でした。一旦入社して、のちに編集部への異動を期待していたのですが、女性にとってそれは難しい時代でしたね。50年前、女性は短期大学を卒業して、会社で数年働いたのちに結婚して辞めるというのが一般的なルートでした。当時のコンピューターは今に比べてとても性能が悪く仕事の達成感が低かったこともあり、泣く泣く寿退職することにしました。再就職を考えたのですが、やはりそれも厳しい時代。新聞の求人欄を見てソニーに入社することができたのですが、もちろん女性のためのキャリアプランはなく、女性もほとんどいない環境。女性に与えられる仕事は限られていて、面白い仕事をする選択肢はありませんでした。そこで、何か資格を取得して専門知識を得たいと思い、いろいろな選択肢を見た後、ハーバード大学の経営大学院でMBAを取得に至ります。 ■女性の登用を目指す  WCDは様々な企業の役員が会員として参加しています。いまだ取締役を務める女性は少ないので、女性が互いに勉強して切磋琢磨する団体として誕生しました。私自身、あるとき参加した勉強会で刺激を受けたことで、積極的に活動するようになりました。KPMGという監査法人社のサポートを受け、会員が企業に貢献できる人材になることを目標に活動しています。女性取締役というのは、依然アメリカでもあまり認められていません。経営経験のある女性はかなり少数で、大学教授や公認会計士、弁護士などの専門的な知識のある方が取締役になることが多いのですが、経営経験のないそういった方々には、とても役に立つサポート機関になっているかと思います。企業が優秀な女性社外役員候補を探すのは難しく、WCDのネットワークを活用して、コンタクトをいただくことも増えていますね。男性社会の中で難しさや働きにくさを抱えている女性たちが、勉強会の後に意見交換をしたり、互いの問題意識を共有したりできる点が大きな支えになっていると感じています。 ■専業主婦の経験から働く女性のサポートへ  まだまだ企業における女性というのはマイノリティなので、「女性起業家」「女性取締役」など、どうしても女性という言葉が前に付きますね。ただ、新しくビジネスを始める際の融資枠など、マイノリティである女性を育成するための機会があったり、女性という珍しさから名前を覚えていただけるなどのメリットもあります。女性の起業家に関する題材は記事になりやすいというのも、依然として女性がマイノリティだからだと言えるのではないでしょうか。私は仕事を通して達成感を味わうことができるので、仕事が大好きになりました。この楽しさを知らない女性がたくさんいるのはもったいない。そう思って、後進女性のサポートに関心を持つようになったんです。実は日本経済新聞を辞めてから、私は専業主婦になったことがあります。専業主婦になるということは、まず名前がなくなるということ。ご近所さんから、自分の名前ではなく、「〇〇さんの奥さん」と呼ばれるんですね。私はそれに憤りを感じました。今までの私の人生は何だったのだろうかと。専業主婦は家事をするのが当たり前、ご飯は美味しくて当たり前、そうでないと文句を言われてしまう。専業主婦は0からマイナスの評価しかないと感じてしまったのです。そんな経験もあり、ハーバード大学で貴重な学歴を取得したことも生かして、働く女性を手助けしたいと思うようになりました。 ■大学生へのメッセージ  学生時代というのは、選択肢がたくさんある分、「不自由」だと思います。自分の人生を選ぶというのはとても大変で、やりたいことなんてそんな簡単に見つかりません。ただ、その不自由があるだけに、数ある選択肢から迷える素晴らしさも実感してほしいと思っています。その中で自分の人生を切り開いていくためには、どこに行っても通用するだけのクオリティを身につけることが大切だと思います。大学という与えられた環境を大切にしながら、皆さん自身のスキルを高めてほしいですね。 学生新聞オンライン2025年1月23日取材 上智大学3年  白坂日葵