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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

Terra Drone 株式会社 代表取締役社長 徳重徹

己を知り、挑戦し、空の産業を創出する Terra Drone 株式会社 代表取締役社長 徳重徹(とくしげとおる) ■プロフィール1970年山口県生まれ。九州大学工学部を卒業後、大手損害保険会社に入社し商品企画・営業企画を担当。2000年に米サンダーバード国際経営大学院で経営学修士号(MBA)を取得し、米国でベンチャー企業の支援会社を立ち上げる。帰国後、2010年にTerra Motors株式会社を設立。2016年にTerra Drone株式会社を設立。世界市場で勝てる、日本発のメガベンチャーの創出を志し、創業時から海外展開に力を入れている。 2024年「ドローンサービス企業 世界ランキング」で世界1位に輝いたTerra Drone株式会社。その快挙の裏には、大企業を飛び出し、シリコンバレーで挑戦を重ねてきた徳重氏の熱い信念と経験がある。今の日本社会に警鐘を鳴らしながら、新しい産業と価値を生み出す徳重氏は、どのように社会を見ているのかをお話を伺った。 ■学生時代の経験としてプラスになった、世界旅行と読書 学生時代の経験で、現在に強く影響していると思うのは、世界旅行と読書です。幼少期は、山口県の人口約6000人の村で育ちました。外国人にも一度もあった事がないような環境だったので、世界を広く見てみたいと思い、大学に入ってからは数十カ国を旅しました。また、偉人や経営者の本もたくさん読むようにしていました。本を読むようになったのは、大学受験に失敗したときのこと。そして、本を読むなかで、色々な不幸は皆に降ってくるけれど、最終的に成功するのは物事をプラスに考えている人なのだと気が付きました。しかも、その職業は起業家の人ばかり。彼らはすごく気骨があるので、諦めずにやり続ける精神やその生き方が格好良いと感じて、起業家に憧れるようになりました。そこから、「世界でやる、大きなことをする、人生を楽しむ」という軸が形成されていきました。しかし、就職活動の際は、地元に支店がある大企業に行くように父親から言われ、大手損害保険会社に入社します。毎日が充実していましたし、学びもありました。しかし、入社して5年目の意見交換会で、現場の声が上に届かないことを経営層に直訴しようと伝えると、「私にも妻や子供がいるから立場が悪くなると困る」という発言が相次ぎ、反対されたのです。この周囲の姿勢にショックを受け、退社を決意しました。そこから、念願だったスタートアップの道を歩むべく、「シリコンバレーで起業する」と周囲に宣言して、再出発を試みました。しかし、残念ながらシリコンバレー近郊の大学には進学できませんでした。有言実行できない自分に悔しさを感じつつも、アメリカのThunderbird経営大学のMBAを取得し、その後も「シリコンバレーで仕事したい」という想いを強めていきました。そして、その想いが実り、最終的には、シリコンバレーで起業する夢を叶えました。 ■ベンチャーは産業を創る まだまだ当時の日本では、ベンチャーは人を騙す「山師」という印象が強かったのですが、シリコンバレーでは、すでにベンチャー企業が新しい産業を創るのが当たり前でした。Googleなどのスタートアップが急成長し、イノベーションを起こし、新たな雇用を生み、税収増で国に貢献する。そして、その企業のメンバーがスピンアウトして、また新たな会社を創って同じような流れを作っていく。これはまさに産業の創出そのもので、私が目指していた世界観そのものでした。働いている人たちも、優秀な人ほどクレイジーで、本気で世界を変えてやるという強い意志を持っていました。スタートアップに対する日本のイメージは、大きく違っていましたね。その中で、私が一番最初に始めたのがTerra MotorsというEV の二輪、三輪を扱う会社です。当時から、私が抱いてたテーマは、いかにスケールがある大きなベンチャーを世界で展開するか、新産業において世界で勝てる会社を創るか、でした。松下幸之助が当時高級だった家電製品を日本に普及させたように、「日本社会をよくするためにビジネスをする」というパブリックなマインドは大切にしています。「ベンチャー=ニッチ」ではない。世界市場で大きなビジネスを展開するには、テクノロジーの構造そのものが大きく変わるタイミングをとらえることが重要です。たとえば、インターネットのように新たな巨大産業が立ち上がり、成長局面にあるときにシェアを獲得していくということです。そうした考えのもと、新たに立ち上げたのが、測量・点検・農業におけるドローンなどのハード・ソフトの開発などを手掛けるTerra Droneです。 ■世界No.1の先に見据えるもの ドローンには、大きく分けて、ハード・ソフト・サービスの3つの領域があり、さらに運航管理のプラットフォーム事業があります。ハードについては中国の会社が強いのですが、サービスとプラットフォーム事業に関しては、Terra Droneは世界No.1です。次に目指しているのは、ドローンをインターネットと同じような大きな産業にすることです。ドローンはまだ黎明期なので、私たちが起点となって活性化していきたいですね。今は地上での車の自動運転や宇宙のデータは出てきていますが、低空域の領域は未開拓です。「低空域経済圏」という言葉があるように、その先の未来には、空飛ぶクルマやドローンがどんどん飛ぶような世界観を私たちの手で創っていく。それを日本だけでなく、世界の市場で行っていきたいです。 ■学生へのメッセージ 今の日本には、夢を持つことに消極的です。私が世界を見て感じるのは、日本人はポテンシャルが極めて高いです。しかし、制度が悪かったり、真面目なルールがあって仕方なくやらされていたり、押さえつけられたりするような雰囲気が、ポテンシャルを下げてしまう。これは非常に、もったいないなと感じています。私の高校時代、世界の時価総額トップ20のうち15個が日本の会社でした。今は、トヨタ1社がトップ50番以内に入っているかどうかです。就活ランキングの上の会社に入ったら勝ちというわけではありません。自分が何に好奇心を持ち、どうなりたいかを自己分析した上で、その夢を実現できそうな会社を選ぶことが大切です。今の時代、真に実力をつけていくことも重要ですが、日本にはチャレンジできる場所があまり無い。そういう意味では、叶えたい夢があるならば、スタートアップに行くのは良い選択だと思います。例え誰かに何かを言われようとも、自分を信じてチャレンジをしてください。私も最初からはそうはなれませんでしたが、シリコンバレーで無一文になり毎日マクドナルドを食べる日が続いても、夢を持ち続けられたからこそ、ここまで来ました。若い皆さんも、夢をもち、行動をしてほしいと思います。 学生新聞オンライン2025年4月21日取材 慶應義塾大学4年 松坂侑咲 ■インフォメーション徳重氏の行動と思想を描いたノンフィクション『常識を逸脱せよ。』(山口雅之著)が、6月3日にプレジデント社より刊行されます。https://terra-drone.net/21686 慶應義塾大学4年 松坂侑咲 / 城西国際大学 2 年 渡部優理絵 / 立教大学 4年 須藤覚斗

伊藤凜夏

株式会社TENTIAL 代表取締役CEO 中西裕太郎

健康に前向きな社会を創り、体の不調を理由に挑戦を諦める人がいない世の中にしたい 株式会社TENTIAL 代表取締役CEO 中西裕太郎(なかにしゆうたろう) ■プロフィール埼玉県出身。プロサッカー選手を目指した高校時代に病気で夢を絶たれた経験から、起業に関心を持つ。ベンチャー企業と大手企業などで数々の経験を積み、2018年に株式会社TENTIALを創業し、翌年コンディショニングブランド「TENTIAL」を立ち上げ。人がポテンシャルを発揮するためには健康で前向きな生活が重要と考え、スポーツコンディショニングを社会に還元できる仕組みづくりを目指している。 高校時代に掲げていたのは、「プロサッカー選手になる」という夢。ところが、その夢は病に倒れた高3の夏に絶たれることになる。それでもめげず前へ進み、健康に悩む全ての人を後押しする商品を開発し続けるのが、株式会社TENTIALの中西さんだ。着て寝ることで血行を促進し、疲労回復をサポートするパジャマ・BAKUNE大ヒットまでの苦労をはじめ、彼の原動力と会社で大切にしている理念、そして今後の展望まで幅広く伺った。 高校時代は、本当にサッカーのことしか考えていない毎日を送っていました。プロサッカー選手を目指して夢中になって取り組んでいて、遠征や試合で学校行事にもほとんど参加できず、「自分がどこまで目指せるのか」という挑戦心を持ってひたすら前に進んでいました。いま振り返ると、「もっとサッカーに真剣に取り組めばよかった」という思いもありますが、それと同時に、「サッカー以外の幅広い経験をしておけばよかった」という気持ちもあります。たとえば、自分たちで練習メニューを考えたり、プロの選手をはじめ、さまざまな人と出会って視野を広げたりしていれば、もっと成長できたのではないかと感じています。そんな高校3年生のときに病気を患い、突然サッカーができなくなってしまいました。当時は、自分のアイデンティティやこれまで積み重ねてきたものを失ったような感覚の中でもがき続けていました。でも、サッカー選手になることだけを夢見ていたからこそ、そのタイミングで初めて「これからの人生をどう生きていくか」を真剣に考えるようになったのだと思います。サッカーのない自分の人生を、どうやって輝かせていくか。あの時の経験が、今の自分をつくる大きなきっかけになったと思っています。 ■プログラミングの世界へ羽を広げる 将来を考えていた頃、オバマ大統領の「未来の子供達には、ゲームをするのではなく、作る人になってほしい」という演説に心を打たれ、プログラミングやITの重要性を感じて勉強を始めました。学びを通じて出会った方々とのご縁から、インフラトップ(現・DMM Group)でプログラミング教育事業の立ち上げに参画しました。その後、リクルートキャリア(現・リクルート)に入社し事業開発に携わったことで、ベンチャーと大手、それぞれの良さを実感できました。ベンチャーでは、リスクを恐れず前向きに挑戦し続ける姿勢や、「自分が会社を動かしている」という当事者意識を学んだ一方で、大手企業では、分析や戦略に基づいて行動し、社会全体への価値を考える視点の重要性を体感しました。環境は違っても、「お客様に価値を届ける」という本質は共通していて、仕事に対する視野が大きく広がった経験でした。 ■高校時代の経験を機に起業に踏み出す 病気になって以来、人生を逆算して考える癖がつきました。人よりも残された時間が短いのではないかという思いが頭をよぎったことで、「挑戦しないことがリスクだ」と感じるようになったんです。だからこそ、一日でも早く前に進みたいという思いが強まり、23歳で会社を立ち上げました。それまでに培ってきた経験の濃さもあって、若さへの不安はほとんどなかったように思います。そして何より、自分の中で大切にしてきた想いや目指す方向性は、当時からずっとぶれていません。「TENTIAL(テンシャル)」という会社の名前は、「POTENTIAL(ポテンシャル)」に由来しています。自分自身には、病気で夢を諦めざるを得なかった過去があります。実力で届かなかったのではなく、「挑戦すらできなかった」ことが何より悔しかった。その経験が原点となって、同じように健康上の問題によって挑戦を諦めざるを得ない人を減らしたい、そんな思いを胸に生まれました。 ■身の回りの「あたりまえ」を疑う 楽観的な思考で、あらゆるリスクを想定して計画を立てる。この信念のもと、立ち上げ当初から目指してきたのは、スポーツ選手に限らず、誰もが日常をより健康に過ごせる社会をつくることです。それを実現するために、衣食住といった日常生活の中にある健康に目を向けてきました。最初に開発したのは、インソールです。これは、競技中だけではなく、日常生活のコンディションをサポートするプロダクトとして開発しました。そして、TENTIALの代表的な商品となった疲労回復パジャマ「BAKUNE」は、睡眠に課題を抱えるアスリートが多いという点に着目し、開発を進めました。開発において大事にしてきたのは、仮説を立てることです。あたりまえを問い直し、今日よりも明日、より健康的になれる方法を考え続けています。そして、その仮説を形にし、実際に使ってもらい、改善する。その繰り返しが私たちのスタイルです。今後は、BAKUNEをより多くの方々に届けていくことはもちろん、さらに日常の中にある多様なシーンに目を向け、人々の生活に自然に溶け込む製品やサービスを生み出していくことが目標です。一方で、まだTENTIALという会社を知らない人たちも多くいます。だからこそ、健康に悩む多くの人たちにしっかりと届けるための工夫や発信の仕方も、今後の重要な課題だと考えています。 ■ポテンシャルを信じる仲間に期待する 2025年2月の上場をきっかけに、新たに「だれも奪えないもの。それがポテンシャルだと思う。」というメッセージを発信しました。TENTIALには、この理念のもと、会社の利益を追い求めるだけでなく、本気で人の可能性を引き上げるために健康に前向きな社会を作ろうと挑戦している人たちがたくさんいます。だからこそ、自分に対して可能性やポテンシャルを持って働ける人が増えたらいいと思っています。今の社会は、失敗や目立つことを恐れる人も多いと思いますが、その中でも、自分自身や世の中に可能性を持って挑戦をする人と働けると嬉しいです。 ■大学生へのメッセージ 一人ひとりのポテンシャルは、誰にも奪うことはできません。しかし、自分で自分自身の可能性に蓋をしてしまうことは意外と多いものです。だからこそ、自分の可能性を自分で奪わないでほしいと思っています。誰よりも自分が自分の一番の理解者ですから、周りに期待するだけでなく、自分自身に期待し、自分のポテンシャルを信じて思いきり発揮してほしいです。 学生新聞オンライン2025年4月7日 田園調布雙葉高等学校3年 伊藤凜夏 上智大学4年 吉川みなみ / 東洋大学3年 越山凛乃 / 中央大学1年 加藤眞優花 / 田園調布雙葉高等学校3年 伊藤凜夏

学生新聞インターン

株式会社セブン&アイ・ホールディングス 執行役員 ESG推進本部長 宮地...

持続可能な未来をつくる現場からの挑戦 株式会社セブン&アイ・ホールディングス 執行役員 ESG推進本部長 宮地信幸(みやぢのぶゆき) ■プロフィール1991年に株式会社CSK(現SCSK)入社。1994年に株式会社セブン-イレブン・ジャパン入社後、株式会社アイワイバンク銀行(現セブン銀行)出向を経て、2006年に株式会社セブン&アイ・ホールディングスへ転籍。広報やCSR統括部、秘書室等を担当し、現在は執行役員 ESG推進本部長として、サステナビリティやガバナンスの責任者を担う。 全国で2万店以上の店舗を展開する株式会社セブン&アイ・ホールディングスは、環境負荷の低減や地域社会との連携など、さまざまな社会課題の解決に取り組んでいます。単なる小売業にとどまらず、日々の買い物を通じて社会をより良くしていくという思いを持つ同社のESG推進本部長の宮地信幸氏にその思いを迫った。 ■「現場を知る」ためのキャリア選択 学生時代を振り返ると、学業やアルバイト、1人旅を通じて、非常に充実した時間を過ごせたと実感しています。もともとはジャーナリストになりたくて、上智大学の新聞学科に入学しました。当初は、取材を通じて社会の現実を伝えるアンカーマンのような存在を目指し、ゼミに所属しながらニュース番組の制作にも取り組んでいました。しかし、学びを進める中で、自分が想像していたものとは少し違うと感じるようになり、メディア業界を目指すことを断念しました。当時はまだ「IT」という言葉が一般的ではありませんでしたが、今後の世の中を考えた際、グローバル化、ITシステム、情報といったキーワードが、今後のテーマになると考えました。その中で選んだのが、独立系IT企業であるCSK(現SCSK)です。新聞学科を卒業したので、職種は広報を希望して入りました。しかし、IT業界での広報活動を続ける中で、「現場を知らずに情報を発信すること」に限界を感じ始めました。現場を知ることの大切さを痛感し、広報職にとどまらず、よりリアルな現場で経験を積みたいという思いが強くなりました。そんな折、たまたま転職エージェントから電話がかかってきたことがきっかけで、セブン‐イレブン・ジャパンに出会いました。当時、コンビニエンスストアに特別な関心があったわけではありませんでしたが、セブン‐イレブンの実質的な創業者である鈴木敏文氏の哲学や躍進するセブン‐イレブンについて書かれた書籍を読み、その考え方に共鳴しました。特に、現場からキャリアを積むことができるという企業の方針に強く惹かれました。私は現場を体験した上で情報発信や企業活動に携わりたいと考えていたため、迷わずセブン‐イレブンへの入社を決意しました。最初は店舗勤務からスタートし、レジ操作、品出し、シフト管理、売上分析など、店舗運営の基本を一から学ぶことになりました。お客様との直接のやりとりを通じて、現場でしか得られない知見を蓄積しました。 ■リアル拠点から社会を動かす挑戦 セブン&アイ・ホールディングスの強みの一つは「現場力」にあると考えています。2万店を超えるリアルな拠点を持ち、セブン‐イレブンだけでも、毎日約920人のお客様が1店舗に訪れます。グループ全体では、1日で約2220万人を超えるお客様との接点が生まれています。この圧倒的なスケールを通じて、私たちは施策の結果をダイレクトに感じ取ることができます。例えば、ある商品を改善すれば、すぐに売れ行きやお客様の反応に現れます。さらには、加盟店オーナー様に対しても、売上向上の支援を行うことで、オーナー様自身の笑顔や感謝の言葉を直接受け取ることができます。お客様とオーナー様という二重の「お客様」が存在し、そのどちらに対しても貢献できる。この距離の近さとリアルな反応こそが、流通小売業、特にセブン&アイグループで働く醍醐味だと思っています。私が担当するESG推進の分野では、環境・社会・ガバナンスの3つの観点から、持続可能な社会を目指して取り組みを進めています。環境面では、店舗のCO₂排出量削減や、ペットボトルやプラスチックトレーのリサイクル促進、食品ロス削減に取り組んでいます。また、社会面では、移動販売やデリバリーサービス「7NOW」を通じて、買い物弱者への支援を強化しています。さらに、国内外のサプライチェーンにおける人権侵害の防止、フェアトレード商品の推進など、広範な活動を展開しています。災害時には、セブン‐イレブン記念財団の募金活動を通じて被災地支援にも貢献しており、募金には多くのお客様からのご協力をいただいています。私は、今、2万店舗以上のリアル拠点を持つこの企業だからこそできる、新しい社会貢献の形を模索しています。例えば、店頭で気候変動や生物多様性保護について啓発を行い、お客様一人ひとりの意識を少しずつ変えていく。また、寄付付き商品やエシカル商品を拡充することで、日々の買い物が自然に社会貢献につながる仕組みを作る。AIが進化し、情報が溢れる時代だからこそ、人の心に届くリアルな「世界観」や「哲学」を持った商品・サービスを提供することが、これからの小売業には求められていると感じています。このように、我々は2万店を超えるリアルな接点を持つ企業として、社会課題に向き合い、商品やサービスを通じて「より良い社会」の実現を目指しています。日常的な買い物を通じて社会貢献できる、そんな小さな素晴しさをもっと広げたい。今後も社会や地域と共に、本業を通じた社会課題解決の取り組みを続けていきたいと思っています。単なるモノの売り買いではなく、お客様と共により良い未来をつくっていく。そのために、私はこれからも現場を見つめ、社会課題と真摯に向き合いながら、セブン&アイらしい持続可能な価値提供に取り組んでいきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 社会人になると、想像以上に日々が速く過ぎていきます。だからこそ、大学時代にはぜひ自分自身としっかり向き合い、将来何をやりたいのかをよく考えてほしいと思います。家族や友人とも対話を重ね、自分の強みや興味を見つめ直す時間を持ってください。また時間に余裕のある今のうちに、英語力や財務に関する基本知識も身につけておくことをおすすめします。英語は必ずといっていいほど必要になりますし、企業活動には数字の理解が不可欠です。とはいえ、大学時代を思いきり楽しむことが何よりも大切です。学生時代は人生で特別な輝きを持つ時期です。学びも遊びも、すべてを全力で味わってください。その経験は、必ず未来の自分を支える力になります。 学生新聞オンライン2025年4月2日取材 国際基督教大学3年 若生真衣 慶應義塾大学4年  松坂侑咲/城西国際大学2年 渡部優理絵 / 津田塾大学3年 石松果林 / 国際基督教大学3年 若生真衣

コラム

テリー伊藤 コラムVol.52 “しまむら”AIモデル瑠菜ちゃん大人気

ファションセンターしまむらのAIモデル瑠菜の人気が大変な事になっている。AIモデルにもかかわらず、埼玉県警察サイバーセキュリティ広報に就任し、幅広い世代にサイバーセキュリティ対策を啓発している。芸能のジャンルならわかるが、警察からオファーが来るとは!完全に市民権を得たのでは。改めて彼女のプロフィールを見ると、年齢は20歳、両親と姉の4人家族、将来の夢はファッションモデル、特技は可愛い物を見つける事で、趣味は家族にファッションのコーディネートを披露する事となっている。ネットでも「瑠菜ちゃんメチャ可愛い」「魅惑の微笑」「私もこんな風になりたい」と応援の声が。ファンクラブまであるらしい。広告で瑠菜が着た洋服がこれまた売れ行き好調。企画を考えたしまむらも、してやったりなのでは。 有難いことにAIモデルはスキャンダルを起こさない。何処かで男性と遊んで週刊文春の記事になることも無い。ネットで失言して炎上することも無い。今のご時世、生身のアイドルは一歩家を出るとスキャンダルにいつ遭遇するか分からない、まったくもって安心できない世の中。その点瑠菜は会社のイメージを落とす事も無い。 この人気、他の企業も注目している。お酒メーカー、水着や下着メーカー、スポーツウエアー業界などがこの夏の目玉として計画を練っている。80年代~90年代と、競って有望な女性タレントを自社のCMに起用して来たが、時代の流れで女性のセクシーさを狙ったCMには企業も躊躇するようになってきた。しかしAIモデルには女性たちも何故か寛容。 ただし良い事ばかりではない。AIモデルが人間の仕事を奪っている現状がある。先日、長年グラビアアイドルをしている女性に話を聞くと「グラビアだけでは食べて行けず、居酒屋さんでアルバイトしています。生身の人間よりAIが好きな男性が確実に増えていて変なの。」と屈託のない笑顔で答えてくれた。となると、女性AIだけではなく、当然男性AIモデルも大人気になることは間違いない。そうなれば女性陣が生身の男性に見向きもせず、そちらに関心が移るのも時間の問題。かつて韓国ドラマ『冬のソナタ』の主演ペ・ヨンジュンのヨン様ブームの時、日本中の男性が相手にされず一大韓流ドラマブームが起こったことは記憶に新しい。 もしかしたら騒動が再び起きるかもしれない。いや、既にZ世代では生成AI革命は地殻変動のように起きている。こうなったら、しまむらの瑠菜ちゃんを見ている場合ではない。私好みのAIマダムを捜す事にします。何処にいるのかな。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

イベント・企業紹介

2025 Vポイント×SMBC レディスゴルフトーナメント

大会名称:Vポイント×SMBC レディスゴルフトーナメント開催コース:紫カントリークラブ すみれコース千葉県野田市目吹1116,668Yards Par72(36,36)開催期間:3月21日~3月23日賞金総額:10,000万円主催:CCCMKホールディングス株式会社、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社公認:一般社団法人日本女子プロゴルフ協会特別協賛:株式会社三井住友銀行後援:野田市大会URL:https://vpointgolf.com/ 2025年3月21日から3日間にわたり、紫カントリークラブ すみれコース においてVポイント×SMBC レディスゴルフトーナメントが開催されました。出場選手のみなさまにゴルフを始めたきっかけや魅力を伺いました。 22位タイ 金田久美子 ※賞金83万円 まさか自分がゴルフを楽しめるようになるなんて、最初は思ってなかったんです。始めたのは3歳で、きっかけは両親がゴルフ好きだったから。でも、プロになって、仕事としてプレーするようになってから、ようやく「楽しい」って思えるようになりました。ゴルフは全部自分で判断するスポーツです。審判もいないし、いいショットばかりじゃない。いかにミスを減らせるかが勝負だと思っています。今週のVポイントレディスは、難しいコースだけど、とにかく一打一打に集中して、ミスを少なく戦いたいです。学生の皆さんには、嫌なことでも続けてみてと伝えたいですね。私はそうやってここまで来たし、続けることで何か見えることもあると思います! 22位タイ 鈴木愛 ※賞金83万円 ゴルフを始めたきっかけは、妹が宮里藍さんに憧れて「やりたい」と言い出したことでした。私は興味はなかったのですが、父に「一緒にやりなさい」と言われて始めることに。しばらくは楽しいと思えませんでしたが、14歳の時に海外大会に出場して初めてゴルフが楽しいと感じました。違う環境や芝、世界の選手のプレーに触れたことが大きな転機になりました。これまで続けることができたのは、負けず嫌いな性格と「見返したい」という強い気持ちがあったからだと思います。現在ツアー通算20勝。30勝で得られる永久シードを目指し、これからも上を目指して戦い続けていきたいです。 28位タイ 桑木志帆 ※賞金72万円 ゴルフを始めたのは4歳の頃です。父の練習について行ったのがきっかけで、最初から楽しくてずっと続けています。頑張れば結果が目に見えるのがゴルフの魅力で、特にベストスコアを更新できた時はすごく嬉しかったです。ヤード刻みのアプローチ練習や、何時間もパター練習をするなど、地道な積み重ねを大事にしています。今は、観に来てくれる人たちに楽しんでもらえるようなプレーがしたいと思っています。今年のVポイントレディスでは、まずは予選通過、そして優勝を目指して頑張りたいです。学生のみなさんへ、「好きなことを諦めずに頑張れば、きっと夢は叶うと思います。」 37位タイ 中村心 ※賞金513,750円 ゴルフを始めたのは5歳のときです。姉の影響で始めましたが、保育園の卒園アルバムにはすでに「プロゴルファーになりたい」と書いていて、プロになることは小さな頃からの目標でした。東京出身でプロの試合を間近で観る機会も多く、ロープの中で堂々とプレーする姿に自然と憧れを抱いていました。ここまで続けてこられたのは、「絶対にプロになる」という気持ちと、地元の方々のあたたかい応援があったからかなと。今回のVポイントレディスは、私にとってプロとしてのデビュー戦。緊張も大きいですが、ツアーに出場できる喜びをかみしめながら、ひとつひとつのプレーを楽しみたいと思っています。夢を叶えるために、これからもしっかり前を向いて進んでいきたいです。学生のみなさん、一緒に夢を追いかけていきましょう。 ■皆吉愛寿香 ゴルフを始めたきっかけは、10歳の時にお父さんの練習について行ったことでした。ちょうどその時に参加したのが、Vポイントレディスの第1回大会のレッスン会。それをきっかけに「本格的にやってみよう」と思ったのが始まりでした。ゴルフは年齢問わず楽しめるのが魅力で、応援してくれるファンや家族の存在が、今も自分の力になっています。今年はこの大会を含めてステップアップツアーにも出場予定なので、まずは予選通過、そして初優勝を目指して頑張りたいです。学生のみなさんも、夢に向かって一緒に頑張っていきましょう! ■鳥居さくら ゴルフを始めたのは7歳のときで、両親がやっていたのがきっかけです。気づいたら競技にも出ていて…正直、やめようかなって思ったこともあったんですけど、今まで頑張ってきたことが無駄になるのが嫌で、続けてきました。ゴルフは、その日の体調や気温などで難しさが変わるし、頭も使うし、健康にもいいし、すごく面白いスポーツだなって思います。今はナショナルチームに入っていて、海外の試合にも出ているので、いつか世界で活躍できるプロになれるように頑張りたいです。学生のみなさんも夢に向かってそれぞれ頑張っていると思うので、私も一緒に頑張ります!ゴルフ、ちょっとお金かかるけど…始めたら本当に楽しいので、ぜひやってみてください! 学生新聞オンライン2025年3月20日取材 法政大学4年 島田大輝/法政大学3年 佐伯桜優

伊藤凜夏

スパイダープラス株式会社 代表取締役社長 伊藤謙自

DXツールで建設業界にイノベーションをもたらす スパイダープラス株式会社 代表取締役社長 伊藤謙自(いとうけんじ) ■プロフィール伊藤謙自 昭和48年8月4日生まれ(51) 北海道紋別市で育つ。高校卒業後に上京し建設資材商社営業、熱絶縁工事の施工管理を経て、1997年に伊藤工業を創業。建設業界のIT化の遅れを自ら体感し、タブレット登場とともに建設業をターゲットにしたIT事業を開始。ものづくりの原点は子供時代のガンプラ作り。建設現場の目線を常に忘れず、プロダクト開発のモットーは「俺でも分かるように作れ」。 祖業である保温断熱工事業を営んでいた際に、多くの紙図面や情報共有の遅さなど建設業界のデジタル化の遅れを痛感し、アプリの開発によって現場の効率性や生産性を向上させることに成功した伊藤氏。業界全体の働き方を変える第一歩となった彼の発明はどのような思いのもと生まれたのか。きっかけから会社全体の働き方、そして今後の展望まで幅広く伺った。 小学生の頃は、漫画や絵、そして当時流行していたガンダムのプラモデル作りに夢中になり、誰よりも丁寧に仕上げることに情熱を注いでいました。中学3年生ではハードロックに惹かれてギターを始め、高校では友人とバンドを組んで音楽にも没頭する毎日でしたね。卒業後は、起業家だった祖父や父の姿を見て育った影響から、「いつか自分も社長になりたい」という思いで地元を離れ、東京に移り住みます。バブル崩壊直後とはいえ、高校生を卒業したばかりでも条件の良い企業に勤めることができました。就職先の会社では断熱材を販売する部署で経験を積みました。2年半後には保温断熱工事会社に転職し、現場管理や見積もりなどマネジメントにも携わるようになりました。その中で「これなら自分でもやれる」と独立を決意し、非常に腕の良い親方のもとで1年間修行を積み、24歳の時に一人親方として独立。プラモデルや絵に打ち込んだあの頃のように、断熱工事でも見た目の美しさにこだわり、丁寧な仕事を信条にしていました。 ■海外進出とITに目を向ける 仕事は非常に順調に進んでいたのですが、さらに事業を拡大するには「元請け」として責任と裁量を持つ立場に立つべきだと考え、1999年に法人化しました。その後、現場での経験を重ねるなかで、少しずつ実績を伸ばしていきました。その背景には、高校時代のバンド活動で培った「どう伝えれば相手に響くか」という工夫や、営業力・交渉力といった対人スキルが活きていたと思います。また、知り合いの材料屋さんから「海外では主流だった発泡ゴム断熱材「アーマフレックス」を日本にも導入したい」と声をかけてもらったことが大きな転機になりました。その後、アーマセル社の正規認定施工店の第一号として登録され、業界内でも高い評価をいただくことに。これは、非常に印象に残っています。また、当時はドットコムバブルという時代だったこともあり、イノベーションの少ない建設業界にITの事業を取り入れることができないか模索していました。そこで、転機となったのが、初代iPadの登場。どこでも自由にデータを見て、更新できる「クラウド」の便利さに衝撃を受け、当時最も悩みの種だった「積算作業」の効率化に使えるのではないかと思いついたのです。紙の図面をやめてデータで管理すれば、保管スペースも不要になり、現場でも即座に活用できます。そして、さらに幸運だったのが、ある設備工事会社の常務さんとのご縁です。自分の構想を話すうちに、なんと大企業の幹部80人を前に、自分のビジョンをプレゼンする機会をいただいたのです。これは本当に大きなチャンスでしたし、その後の事業の流れを大きく変える経験になりました。初めの反応は少し冷ややかなものでしたが、その企業のIT推進室の方に声をかけてもらって。現場写真の整理や報告書作成の効率化が求められたので、iPad上で撮影から出力まで完結する仕組みを提案しました。実際、数時間かかっていた作業が30分で終わるようになり、現場ではかなりの評価を受けました。iPad2の発売直後にApp Storeにリリースできたとき、「これは本当にいける」と確信しました。建設業界から紙をなくす。そんな夢を本気で追い始めた瞬間でしたね。 ■知識ゼロでも上場企業に もともと自分が全くITについて詳しくなかったこともあり、説明書がなくてもわかるアプリを作るべく奮闘していましたが、当時はまだクラウドに対する不信感が根強くて、「情報漏えいが起きた時に信用を失う」といった現場の声も大きかったです。そんな中でも、セキュリティチェックをクリアして「試してみようか」と言ってくださる企業が現れてきて、様々な大手企業さんと共同開発を進めながら信頼を築くことができました。大きな転機はスーパーゼネコンの方針転換ですね。業界の五大企業が「これからはタブレットで現場の生産性を上げる」と方針を打ち出したことで、当社への引き合いも一気に増えました。5年くらいは本当に苦しかったですが、そこをなんとか乗り越えて、資金調達も最小限に抑えながら、3年半で上場。建設DXの領域で国内初の上場企業として注目されるようになりました。 ■建設業の魅力を生かし、DXツールを海外に展開する 社員のみんなに常に伝えているのは、「人生で一番時間を費やすのは仕事だからこそ、楽しくポジティブに取り組んで欲しい」ということです。そうした思いから、半期ごとの社員総会や新年の書き初めなどのイベントを開催し、社内のリレーションシップをとても大切にしています。そのおかげで、社員同士の仲が良く、チームワークの良さも大きな強みだと感じています。また、建設業界の魅力は、何と言っても自分たちの仕事が「形」として街の中に残っていくことです。私自身、自社で開発したアプリが使われて完成したビルを見ると、とても誇らしい気持ちになります。建設業は、その形や美しさを通じて人々の目を惹きつけ、感動を与えられる業界です。建物が完成した瞬間の達成感は、何ものにも代えがたいですね。今後は、もっと広範囲でDXツールやプロダクトを提供していきたいと思っています。まだまだ建設業界のDX自体は始まったばかりですし、海外では建設業のIT化が全く進んでいないところも多くあります。今はその第一弾としてベトナムに子会社を作り、展開している最中です。 ■大学生へのメッセージ 社会に出て必要なのは、コミュニケーション能力と誰にも負けない強みを持っておくことだと思います。好きなものを見つけて突き詰めてみたり、たまには勉強以外にも特技を持つために行動を起こしてみたりしてもいいんじゃないでしょうか。 学生新聞オンライン2025年月日取材 田園調布雙葉高等学校3年 伊藤凜夏 田園調布雙葉高等学校3年 伊藤凜夏 / 法政大学4年 島田大輝

学生新聞インターン

大和ハウス工業株式会社 代表取締役副社長 技術本部長  村田誉之

「技術の大和ハウス工業」から「世界の大和ハウス工業」へ 大和ハウス工業株式会社 代表取締役副社長 技術本部長 村田誉之 (むらた よしゆき) ■プロフィール1954年7月19日生まれ、埼玉県出身。東京大学工学部建築学科卒業後、1977年大成建設株式会社入社、建築工事作業所長などを経て、2009年大成建設ハウジング株式会社 代表取締役社長、2011年大成建設株式会社執行役員、2013年同社取締役常務執行役員、2015年同社代表取締役社長、2020年同社代表取締役副会長就任、2021年同社を退任後大和ハウス工業株式会社取締役副社長就任、2022年同社代表取締役副社長(現) スーパーゼネコンである大成建設の社長や副会長を経験後、2021年には、業界最大手の大和ハウス工業の副社長に就任した村田誉之氏。当時、業界で話題となった移籍の理由からご自身の経歴について伺った。 ◾️高校1年生から、建築士をめざす 私が高校一年生の春休みの時のことです。将来は国際弁護士になりたいと考えていたのですが、兄が法学部に入ったことから、「兄とは違う業界に行こう」と思いました。そこで、選んだのが建築の世界です。数学は苦手でしたが建築学科へ行くために理系を選択し、受験勉強に励みました。入学した東京大学理科Ⅰ類は、教養課程の成績が悪いと希望する専門課程に進学できないシステムでした。当時建築学科は一番人気があったのですが、何とか私はギリギリの点数で進学することができました。建築学科で自分が得意な分野、不得意な分野を見極め、卒論のテーマは戸建住宅でしたが、就職先はゼネコンに決めました。 勉強以外に取り組んだのは、体育会系のアメフト部の活動です。身体を鍛えることと苦手な団体行動にも慣れ、とてもよい経験になりました。 ◾️大成建設へ入社 卒業後は、大成建設へ入社しました。理由はいくつかあります。まず、中学一年生の時からの友人の父親が大成建設の社員だったこともあり、「建設といえば大成建設」というイメージが強かったこと。さらに、リクルーターの方から風通しが良い社風だと聞いたからです。そして、何より「大きいものを作る仕事」に惹かれました。最初は現場監督として働き、工事課の主任や課長、現場の所長、そして最終的には社長を務めました。所長は社内のどの部門からも認められる立場なので、やりがいもあると同時に、自分に全て任されたという責任感を抱きながら仕事をするという面白さがありました。発注者や業者さんと共にプロジェクトをまとめることに楽しさを感じるようになりましたね。 ◾️建築の5つの面白さ 私が考える建築の面白さは5つあります。1つ目は、一人ではできないものをみんなの力で作ること。2つ目は、作ったものが形になって残るということ。3つ目が、ものづくりのプロセスがやっぱり楽しい。そして4つ目が、お客さまの喜ぶ顔が見られること。最後に5つ目が、社会貢献に繋がるというところです。これは、私が若い頃から現在に至るまで、ずっと色あせることのない建築の魅力ですね。 ◾️大和ハウス工業副社長に異例の就任 私は2020年に大成建設社長を退任し副会長に就任しました。社長時代にやり残したと感じていた「安全面の改革」と「働き方改革」を本気になってやろうと思いましたが、副会長は業務執行に直接関わることが少なく、物足りなさがありました。1年後に副会長を辞任することになり、何かやりがいのあることはないかと考えていたところ、大和ハウス工業の芳井社長(現会長)と食事をする機会がありました。その際に「是非当社に来て技術を見て欲しい」と声をかけていただいたのです。 芳井社長の話は今も憶えています。「当社 は1955年創業で100周年を迎える2055年に売上高10兆円という目標を掲げています。それにはもっと技術力の強化が必要です。ゼネコンとハウスメーカーの両方を経験したことは貴重です。是非うちに来て技術を見てもらいたい。技術の社員も喜びます。2055年には私はいないが、その為の組織をつくるのが自分の役割だと思っています」ということでした。 私は、円満に退任した後、大和ハウス工業に入って、もし芳井社長のお話の通りに役に立てたら、とてもやりがいがあるし、素晴らしい社会貢献になると思いました。私がひとつのピースになって、大きな会社が変わっていく様子を見てみたいと思い、直ぐに入社を決断しました。 ◾️大和ハウス工業の良さ 大和ハウス工業の良さは、ハウスメーカー、ゼネコン、デベロッパーのハイブリッド企業であり、事業領域が広いことです。自社で住宅部材や建築鉄骨工場や技術研究所も持っています。また、創業者が掲げた創業100周年に売上高10兆円の目標を役職員全員が共有し、企業は右肩上がりで成長するものだというDNAがあります。ゼネコンは発注を待つ側なので受動的な姿勢になりがちですが、当社は自ら不動産投資をし、土地を購入して建物を建て、売却することで仕事を作り出しています。失敗を恐れず果敢です。出身校や前職のキャリアを問わないのも特徴です。また最近では社内から起業するプロジェクトが始動し、将来の新しい事業も考えています。 ◾️日本の建設のこれから、そして世界の大和ハウス工業へ 大和ハウス工業はさらなる技術力の強化を進めます。スーパーゼネコンに引けをとらない技術力を目指します。DX(デジタル・トランスフォーメーション)を加速するため、BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)などには毎年投資を続け、既に業界のトップランナーですが、さらに加速していきます。建設業は衰退していくイメージを持たれがちですが、そんなことは無いと私は思います。建設技能労働者は確かに減っていますが、設計者や現場監督、研究者などの建設技術者は2011年3月11日に発生した東日本大震災以降増加に転じています。なぜ増えたのか、私はリアルなものづくりはやはり面白く、やりがいがあり、社会貢献に繋がるからだと思います。DXやBIMを駆使してスマートに仕事ができることが魅力になったのです。日本の建設業は衰退ではなく、新しい形に変わりつつあるのです。 また、日本の建設業、住宅産業、不動産業界は経済規模が大きく、企業成長に繋がります。当社は米国、オーストラリア、イギリス、オランダ、ドイツ、東南アジアなど海外でも事業を展開しており、技術力を持ったデベロッパーとして信頼を得ています。世界の大和ハウス工業になるための課題は、各国で信頼を得ること。そのために、DXとBIMを建設業界の共通言語として駆使して、世界各国でのビジネスを展開していくのが、私の将来の夢です。 ◾️大学生へメッセージ 自分が何をしたいか、何が得意かを見つけることが重要です。学生時代に社会に出るときの仕事を実際に見て、何が自分に合っているのか、そのためには何をすべきなのかを考えてみてください。漫然と大学生活を送るのではなく、将来を見すえて行動して欲しいです。 学生新聞オンライン2025年3月27日取材 東京経済大学 1年 望月虎輝 東京経済大学 1年 望月虎輝 / 国際基督教大学 2年 渡邊和花 / 上智大学 3年 白坂日葵 / 国際基督教大学 2年 丸山実友

伊藤凜夏

際コーポレーション株式会社 代表取締役 中島武

唯一無二の感性とオリジナリティで飲食業界を席巻する。 際コーポレーション株式会社 代表取締役 中島武(なかじまたけし) ■プロフィール1948年福岡県生まれ。’70年 拓殖大学卒業。東急航空㈱、東洋ファクタリング㈱を経て’82年に独立、翌年デモデトレーディング㈱(軽衣料品輸入卸)を設立。’90年際コーポレーション㈱設立。「紅虎餃子房」を代表とする中華、和食、イタリアンなどの飲食業態、アンティーク家具や骨董器、アパレル、ホテル・旅館を展開。ライフスタイル全般に関わる店舗を運営している。 全国各地に300を超える店舗を運営する際コーポレーション。代表取締役の中島武氏は、その類い稀なセンスで「紅虎餃子房」や「万豚記」をはじめ、ジャンルを問わず、数々の事業で成功を収めてきた。どのような信念のもと飲食業界に飛び込み、展開してきたのか。学生時代の経験から今後の展望までお話を伺った。  小さい頃から弱虫だった私は、「強い人になってほしい」という母の思いのもと、拓殖大学の附属高校に入学し、その後、応援団を立ち上げました。応援団への熱中は、拓殖大学進学後も継続しました。当時は、男臭い友人に揉まれながら、将来どうしたら人間として恥ずかしくない生き方ができるのかをずっと模索していたのを覚えています。大学卒業後は普通のサラリーマンとして一般企業に入社したのですが、1ヶ月で辞めてしまいました。自分が大学4年間で抱いてきた希望は、ここでは叶えられないと感じてしまったんです。  その後は、大学生時代に取り組んでいた海外ボランティアでの経験もあってか、「いつかは独立するんだ」という強い気持ちのもと職を転々としていました。35歳で独立、不動産会社を始めましたが、バブル崩壊も重なり、業績は悪化。正直、お手上げ状態でした。それでも、「誰かに頼るのではなく、自分で道を切り開かなければいけない」と思い、これまでのスキルや仲間をすべて捨てて、新たに飲食業界に踏み出すことを決めました。 ◾️スキルゼロの状態から話題性ある店舗を展開  その後、学生時代から慣れ親しんでいた街、福生で中国料理屋を始めることを決意しました。中国料理店を始めたのは、台湾や香港など海外に何度も訪れるなか、海外と日本の中華料理屋の味の違いに疑問を持ち、現地っぽさのあるお店の展開を夢見たからです。スキルゼロから始めましたが、あっという間に話題性を呼び、正直自分でも驚きましたね。  2軒目は目黒の鷹番に、かつて高級外車を販売していたときのショールームを改装して香港料理を出す高級中国料理店を始めました。でも、ある日近所から来てくれていたお客さんから言われたんです。「毎日ここに来るには高いから、安くてもっと気軽に楽しめるお店を作って欲しい」と。そこから、八王子の川沿いの空き店舗を改修し、新たなお店「万豚記」を開業します。合計約450万円の出資をもとに、踏み出しました。すべてが初めてで、どうなるかまったく予想もつかないスタートでしたが、12席しかない小さな店舗で、1500万円の売上を記録することができました。その後も一軒家の空きスペースなどを活用し、「紅虎餃子房」や「万豚記」をはじめとする安くて手の届きやすいお店をオープンしました。3年間で30億ほどの売り上げを記録したときは、流石に自分でも天才なんじゃないかと思いましたよ(笑)。さらに、その頃には、ハンバーガー屋やイタリアンも展開していました。 ◾️目線は低く。オリジナルの精神で。  事業を展開する際は、「人と違うことをする」というオリジナルの精神をずっと持っています。もともと古着屋やアンティーク屋をやっていたこともあり、店舗のスタッフがTシャツを着て働く文化を日本で初めて導入するなど、あらゆる所にこだわりを持っていました。  周囲の同業者の方を見ていると、海外の三つ星レストランなどの高級レストランを真似た事業を始める人が多かったように思います。しかし、私は反対で、路地裏のお店など街中のお店に目をつけ、「これを日本に導入したら面白いんじゃないか」という視点を持って、ビジネスを始めました。たまには自分も格好つけて高いフレンチのお店などを始めたいと思うこともありましたが、それよりも「どんな人達でも楽しめるお店を作ろう」と意識したことが、結果的によかったんだろうなと思います。  さらに、身近に溢れているような事業であっても、オリジナル性を取り入れています。たとえば、とんかつ屋のオープンに伴い、厚切りとんかつや骨付きとんかつを導入した際は、世界各国から注目され、他チェーン店に真似されるほどでした(笑)。また、うなぎ屋を開業した際も、生きたうなぎを見せるというライブ感や、蒸さないうなぎを提供するなど、他店にはない工夫をしています。当時はコロナ禍で、客足も途絶え、飲食業界は大打撃を受けていたので、あえて昼夜で値段の変わらないうなぎに目をつけました。宣伝方法はSNS一本だったものの、安さと質へこだわったことが、瞬く間に客足を獲得できた秘訣だと思っています。  繰り返しになりますが、みんながやっていることをやっても成功はしません。マーケットを分析すると、成功の秘訣が見えてきます。格やブランドにこだわらず、誰もが憧れるようなカフェではなくて、あえてとんかつ屋にチャレンジするような独自性が必要なのだと思います。 ◾️感性とアイデアで働き手が誇れる会社に  お店作りでは、訪れた人々の記憶に残ること、インパクトがあること、過ごしていて楽しい雰囲気を提供することが大切だと思います。一方で、今の時代は働き手が少ないからこそ、今後は働き手が誇れるようなお店にしていきたいです。  例えば、餃子屋よりもビストロを始めた方が、若い働き手を取り込みやすくなるかもしれません。しかし、「有名人やDJが集まる餃子屋」と聞いたらどうでしょうか。それだけで「格好良いお店」になりますよね。こうした感性やアイデアのもとで働ける環境にしたいと思っています。 ◾️大学生へのメッセージ  リスクを選ばなければ大きな糧は得られません。だからこそ、学生のうちに常にチャレンジをして、リスクのある選択をしていってほしいと思っています。たとえ一流企業に入っても、会社の名前が無くなった定年退職後には、自分自身の生きる力や魅力が必ず問われます。年をとっても輝いている人、いわゆる価値あるビンテージ品になるためには、仕事が一番大事です。たまには計算もしないで、感性に頼り、リスクをとりながら何かを発見していってほしいなと思います。 学生新聞オンライン2025年4月3日取材 田園調布雙葉高等学校3年 伊藤凜夏 法政大学4年 島田大輝 / 城西国際大学2年 渡部優理絵 / 田園調布雙葉高等学校3年 伊藤凜夏

コラム

テリー伊藤 コラムVol.51 田中将大、完全復活なるか

2025年日本プロ野球がスタートした。各球団、各地でのキャンプが盛り上がっている。読売ジャイアンツ一番の注目の的は楽天から移籍して来た田中将大だ。スポーツニュース、新聞、YouTubeと話題を独占している。日米通算200勝は達成出来るのか。田中投手は23年に右ひじを手術し、その影響で昨年はコンデションが上がらず、1軍登板は9月28日の1試合のみ。オリックス戦に先発登板したが5回6安打4失点で黒星。プロ18年で初の一軍未勝利に終わり、田中限界説が言われ出した。オフには球団との契約がこじれ自由契約となった。 その後、なかなか手を挙げる球団が無く去就が心配されたが、読売ジャイアンツに落ち着く事に。獲得に動いてくれてありがとう。もしどの球団も名乗りを挙げなかったら、日本プロ野球全体が冷たいと言われてしまう。何といっても球史に残る名投手なのだから。実は田中投手が最も復活出来る環境はジャイアンツではないか。楽天時代、田中投手だけが別格のスターだった。しかし巨人は小学校時代の同級生坂本勇人や先輩の長野久義、ベテランの丸佳浩とビックネームに事かかない。これは彼にとって気楽なはずだ。昨シーズンの成績が不本意だった坂本とはキャンプ前に今シーズンに掛ける熱い決意も話し合った。更に昨シーズン菅野選手を15勝3敗と完全復活させた名伯楽久保コーチが、阿部監督指令のもと、付きっきりで田中を指導する姿が連日報道されている。新投球フォームも徐々に様になってきた。好調を裏づけるように早くもチームに溶け込み、日増しにグランドで笑顔を見掛けるのも印象的だ。若手投手陣も最初は遠慮がちだったが、休憩時間には近寄りアドバイスを受けている。 実際の所、今シーズンどのくらい活躍が期待出来るのか。あと3勝で200勝は問題ないが、勝つことと同等に大切なのが負けないこと。田中投手のメジャーリーグから戻って来た4年間の成績を見ると、2021年4勝9敗、2022年9勝12敗、2023年7勝11敗、2024年0勝1敗で4シーズンとも負け星が先行している。数字だけ見ると復活は並大抵な事ではない。3勝しても6敗するかもしれないのだ。まして菅野の15勝なんて大変な数字になってくる。しかしなのだ。2013年開幕から24勝0敗のギネス記録を作った活躍が脳裏に焼き付いているマー君ファンは復活を信じている。もちろん野球は過去の栄光では投げられないが、野球には夢とファンタジーもあるのだ。怪我も治って開幕から物凄いピッチングをする事も考えられる。どちらにせよ田中将大から目が離せない。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

イベント・企業紹介

UP-T ...

オリジナルTシャツなどが作れるサービス「UP-T」の新CM発表会見が30日、都内で行われた。昨年からイメージキャラクターを務める西村博之(ひろゆき)さんとAKB48に加え、新たに就任するSKE48、NMB48、ラフ×ラフ(佐久間宣行プロデュースの8人組アイドルグループ)、すもっぴー(SNSの人気キャラクター)が登壇。新CMのダンス披露やグループ対抗のじゃんけん大会が行われ、盛り上がりを見せた。 UP-Tとは…  丸井織物株式会社が展開する、オリジナルグッズが簡単に作れるサービス。Tシャツやパーカーに加えて、スマホケースやネイルチップも作成することができ、豊富なバリエーションがある。また、作るだけでなく、自分で作ったものを売ることができる販売ページもあるのが特徴。 ■新CM撮影秘話  登壇した総勢45名が新CMのダンスを披露し、イベントが始まった。「(ダンスは)小中学校の体育祭ぶり」と戸惑うひろゆきさんは、「なかなか難しかったですけど、それっぽくごまかせたかな。もうちょっと頑張ればできたのかもしれないと思いつつも、もう大丈夫です(笑)」と苦笑して会場を笑わせた。  48グループのメンバーも、撮影にひとハプニングがあった様子。AKB48の千葉恵里さん「昨年よりダンスが難しくなっていました」、SKE48の熊崎晴香さん「『UP-T!』という声を録る時に地方出身の”なまり”が出て、中々揃わなくて苦戦しました」、NMB48の芳賀礼さん「片足でピタッと止まる振り付けで、可愛く自己流にアレンジしようとしたら中々止まれなくてNGテイクを重ねちゃいました」と振り返った。  撮影の感想を受けて、振り付けを担当した槙田紗子さんはダンスの見どころを語る。「4グループを起用するいうことで、各グループの個性を出すことを意識しました。AKB48さんは“王道アイドル”のイメージがあったので、手を振るライブっぽい動きを入れて、SKE48さんはアグレッシブなイメージだったので大きくかっこいい雰囲気に。また、関西のNMB48さんは豹をイメージしたポーズ、ラフ×ラフさんはグループ名の由来から“笑顔”を想像させるポーズを入れてみました。『UP-T』ポーズがイチオシなのですが、ぜひ振り付けの違いにも注目してみてくださいね」と語った。 ■グループを越えたトーク ひろゆき節も  続くトークセッションでは、ひろゆきさんらしい鋭いツッコミが随所に入る場面も。新CM「世界をプリントしちゃおう篇」にちなんで「世界を〇〇で埋めつくしたい」というテーマでは、NMB48の塩月希依音さんが「私たちはアイドルだし、関西ということでお笑いも頑張りたいので、“笑顔”で埋め尽くしたい」と回答。すると、ひろゆきさんは「無難な回答と見せかけて、実はラフ×ラフ潰しですね。“笑顔”というキーワードは渡さないぞと(笑)」とコメントした。  また、「UP-Tを使って新商品を作るとしたら?」というテーマでは、各グループ代表がアイデアをひろゆきさんにプレゼン。メイク用の前髪ピン(AKB48)、名前をプリントするのぼり(SKE48)、手元を可愛くするネイルチップ(NMB48)、嫌いな人や好きな人の顔がプリントされたトイレットペーパー(ラフ×ラフ)が並ぶ中、ひろゆきさんがジャッジすることに。「商品化するなら、実現性の高いネイルチップがいいかなと思ったけど、アイデア商品として話題になるのはトイレットペーパーかと思ったので、ラフ×ラフで!」と、さすが実業家の視点。「ちなみに、ラフ×ラフで嫌いなメンバーの顔を印刷するなら誰にするんですか?」と、“らしい”コメントも忘れなかった。 ■個性やものづくりを楽しむきっかけに  オリジナルグッズを誰でも作ることができるUP-T。この気軽さに対して、イメージキャラクターを務める方々はどう思うのか。 ひろゆきさん 小中学生の子や、デザイナー志望の子も使ってみたらいいのではと思いますよね。自分で思い描いたものが実際に形になったら、具体的なイメージも湧くと思います。 AKB48 小栗有以さん まず、とても便利ですよね。作りたいなって思った時に自分でデザインできる嬉しさがあると思います。UP-Tには、Tシャツだけじゃなくて色々と種類があるのも楽しいですし、世界にも広がっていってほしいですね。今回の新CMは「個性で世界を面白く」というテーマがあるので、ぜひみんなにも自分の個性を楽しんでほしいです。 SKE48 熊崎晴香さん 私は学校では美術の成績が悪かったんですが、UP-Tで作ってみたらとても可愛くできました。学園祭の時って、デザインが得意な子が一人で作るイメージがありますが、UP-Tを使えばみんなの意見を反映させて作れるんじゃないかなと思いますね。楽しんで使ってほしいです。  自分でデザインをアップデートしながら、自分らしさを形にできるUP-T。学校行事や推し活、クリエイティブ体験など、誰にとっても色々な場面で大活躍してくれそうだと感じた。 学生新聞オンライン2025年4月30日取材(執筆・構成) 上智大学4年 吉川みなみ

丸山実友

株式会社 robot home  代表取締役CEO  古木大咲

好きなことの延長線に仕事がある。自分の「楽しい」を仕事にしよう 株式会社 robot home  代表取締役CEO  古木大咲(ふるきだいさく) ■プロフィール1979年生まれ、鹿児島県出身。21歳の頃、福岡の不動産会社にて当時は今ほど注目されていなかったインターネット集客による販売手法を考案。アパート経営サイトの立ち上げから物件売買など多くの実績を積み、2006年、株式会社インベスターズ(現: robot home)を設立。「アプリではじめるアパート経営」という斬新かつ独自のビジネスモデルを確立。不動産業界における社会的問題を解決すべく、テクノロジーを活用した様々な事業を立ち上げる。 「テクノロジーで、住宅を変え、世界を変えていく。」というミッションのもと、不動産業界の最先端を走るrobot home(ロボットホーム)。同社の創業者である古木大咲氏は、これまで数々の目標を達成し、不動産業界に新しい風を吹きこんできた。そんな古木氏の会社創業までの道のりや仕事に対する思いについて伺った。 ■「弱い自分を変えたい」という思いが起業の原点 私の実家は鹿児島で土木業を営んでおり、幼少期は何不自由ない生活をさせてもらっていました。しかし、中学校3年生の時に父が他界し、生活環境が大きく変わりました。その後、高校に進学したのですが、2回の停学により留年が確定したため、高校を退学して16歳から20歳までフリーターをしていましたね。熱しやすく冷めやすいタイプだったので、多くのアルバイトに挑戦しました。20歳頃になると、周囲の同級生が就職活動を始めて、一流企業に内定を決める姿を見かけるようになりました。それまで将来の話を一切していなかった周りの友達が、急に進路の話をするようになり、自分の将来に危機感を覚えましたね。また、私は何を始めてもすぐに辞めるタイプだったので、弱い自分を変えたいと思うようになりました。その時に、土木会社の社長であった父のことが思い浮かびました。幼い頃、父の姿を見て、経営者とは厳しい世界だと感じていました。そして、弱い自分を変えるには、父と同じように経営者になる道を目指せばいいのではないかと考えたのです。この気持ちが、起業の原点でしたね。中卒である自分でも、ほかの人に勝てるものは何かと考えたとき、思い付いたのが「営業職」でした。かつ、営業で圧倒的に差をつけるには、大きい金額のものを売りたい。そこで、不動産の営業にしようと決めたのです。 ■50億円の売り上げのうち、半分を自分が占めるように 20歳の時、三和エステートに入社しました。営業マンとして、入りたかったのですが、中卒だったので清掃係からのスタートでした。しかし、毎週水曜日が休みだったので、水曜日だけ営業をさせてくださいと打診して、活動をはじめました。試行錯誤の末、三和エステートで初めてマンションの建築受注工事を受けることに成功したのです。これをきっかけに、晴れて営業マンとして働くことになりました。その後、新築アパートの事業部に転属し、働く中で、「インターネットで集客することで、より売上を上げることができるのではないか」と考え、インターネット広告を始めました。そして、25歳の時には会社の売り上げ50億円のうち、25億円は自分の事業部で作るほどの成果を生み出すことができました。だんだんと自分に自信がつき、「この会社を徹底的に大きくしていきたい」という思いから、経営者目線で会社に様々な意見を出しました。しかし、そんなことをすると、多くの場合は上司とぶつかるんですよね。意見を言っても、予算の承認が得られなかったり、意思決定が遅かったりで、いよいよ「自分で会社をやった方が早いんじゃないか」と思い、独立を決めました。 ■この仕事が楽しくて仕方がない 2006年の創業後、3年後には東京、名古屋に支店を出すほどになり、順調に規模は拡大していきました。しかし、2008年のリーマンショックで一度会社が倒産しかけましたね。大きな原因となったのは、借りていた資金の早期返済です。私は営業出身であったため、財務や経理などの資金繰りに弱いのだと気付きました。そこで、財務や経理について徹底的に勉強し、在庫を持たないアセットライトなビジネスモデルを作れないかと考えたんです。やると決めたはいいものの、売上は2009年までの3年間ずっと20億円を推移して、ほとんど伸びませんでした。やはり新しいビジネスモデルを浸透させるのが難しく、お客様に説明することが大変だったんです。そこで、次の3年間を通して業務を楽にするシステムを作りました。このシステムのおかげで、2013年には売上が100億に到達し、2015年に上場を果たしました。上場後も、IoTを活用したスマートホーム技術の開発や、不動産管理のプラットフォーム構築など、テクノロジー投資を積極的に行い続けました。これにより、単なる不動産ビジネスではなく、テクノロジーを駆使した住宅の未来を創る企業へと進化しました。これらを成し遂げられたのは、目標を課して、達成することがとても楽しかったからです。今後の目標は、売上を1000億にすることです。さらに、IoTとAIを活用した賃貸住宅の自動化・効率化を推進し、不動産業界における新たなスタンダードを築いていきたいと考えています。私の原動力は、この仕事が楽しくて仕方がないという気持ちです。実際、賃貸住宅の間取り作りがとても得意なんですよ。なぜ得意なのか考えた時に、親が土木業をやっていたこともあり、昔から間取りが好きだったからと気が付きました。だから賃貸住宅に興味があるし、部屋の間取りを見ていても飽きなかったりするんでしょうね。一緒に仕事をするなら、同じように「この仕事が楽しい」と思える人と働きたいですね。オーナーさんと接する機会が多いので、人と接することが好きな人も良いかもしれません。不動産について詳しい必要はまったくありません。この仕事を楽しいと思って働いてくれる人、そんな人と共に働けたら嬉しいです。 ■大学生へのメッセージ 学生の皆さんには、毎日思いっきり好きなことをして、遊んでもらいたいです。私自身も好きなことをやってきて、その延長線に今の仕事があります。それが仕事を見つける上でベストな方法だと思うんです。だからこそ、大学生の皆さんには自分の好きなことを徹底的にやりきることを大事にしてほしいですね。 学生新聞オンライン2024年10月28日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 法政大学4年 鈴木悠介/早稲田大学1年 村上弥礼/国際基督教大学2年 丸山実友

DX・WEBマーケティング

キリンホールディングス株式会社 デジタルICT戦略部 DX戦略推進室 室長 ...

“人が主役のDX”で、会社を変革 キリンホールディングス株式会社 デジタルICT戦略部 DX戦略推進室 室長 皆巳 祐一(みなみゆういち)(※2025年3月取材当時) ■プロフィール食品メーカーにて営業、マーケティングに従事した後、デジタル化の重要性を感じて2017年キリンホールディングスのデジタルマーケティング部へキャリア入社。SNS、オウンドメディア運営を担当後、2020年経営企画部DX戦略推進室の立ち上げメンバーとして参画。2023年より現職。 営業やマーケティングの現場を経験し、現在はキリンホールディングス全体のDXを推進する皆巳祐一さん。DXは単なるデジタル技術の導入ではなく、業務や組織の在り方を根本から見直す「変革」であると語る。今回は、自社で進めているDXの取り組みや、大学生へのメッセージを伺った。 私は学生時代、サッカーに熱中しながらアルバイトにも励み、将来は教員を目指して教職課程を履修していました。ただ、就職活動を進める中で「より多くの人・社会と接点を持てる仕事」に魅力を感じ、企業への就職を選択しました。最初に入社したのは食品メーカーで、営業として約10年間、什器の設置や店舗の支援など、現場業務に従事しました。店舗や施設に足を運び、お客様に喜んでもらうための小さな工夫を丁寧に行っていきました。一つひとつの作業は地味かもしれませんが、「お客様の目に映る場を、自分の手で整えること」に大きな誇りを持って取り組んでいました。今振り返ると、この経験が「現場を見る」「現場から変えていく」という、現在のDX推進の姿勢につながっていると実感しています。まさか当時、自分が将来グループ全体のDXを担うとは思ってもいませんでしたが、どんな仕事にも意味があり、その積み重ねがキャリアを形作っていくのだと信じています。その後マーケティング部門に異動し、SNSを活用したデジタル施策を次々と展開し、デジタルの可能性を肌で感じる機会をいただきました。その後、キリンへ転職し、デジタルマーケティング部にキャリア採用で加わりました。戦略的なプロモーションの設計・実行を担いながら、次第に全社的なデジタル戦略にも関わるようになり、社内に新設された「DX戦略推進室」へ。今は「デジタルICT戦略部」へと進化したこの部署で、室長としてグループ全体のDXを統括しています。キリンで働く中で面白いと感じるのは、「変えたい」「挑戦したい」という想いが歓迎される風土があることです。また、バックグランドの多様なメンバーが組織を超えて連携しあい、価値を生み出そうとする力強さを感じることもキリンならではの雰囲気だと思います。 ■キリンが取り組むDX 私たちは、キリンにおける全ての領域を対象としてDXを推進しています。特に、現在話題となっている生成AIに注力しており、2024年11月から、『KIRIN BuddyAI for Marketing』をマーケティング領域で働く従業員に展開しています。キリングループのマーケティング業務に特化した「エグゼキューション開発」「調査・分析」「汎用業務」の3つのカテゴリーに分類された約15種類のプロンプトテンプレートが用意されています。マーケティング業務の担当者は自身の業務に最適なテンプレートを選ぶことで、生成AIを効率的に活用し、迅速かつ質の高いアウトプットを得ることが可能です。また、カテゴライズされたテンプレートを用意することで、生成AIの使用に慣れていない従業員でも、簡単に操作できる点も大きな利点です。今回の『BuddyAI』導入により、国内のキリングループのマーケティング業務に携わる従業員約400名が、業務の効率化とクリエイティブな価値創造に向けた時間の確保を実現できるようになります。生成AIが企業の競争力強化において不可欠な存在になると考えています。また、全社員のDXリテラシー向上を目指して「DX道場」を開設しています。この取り組みは、単なるeラーニングにとどまらず、白帯から師範までの段位制を取り入れた“学びと対話”の仕組みです。受講者はすでに延べ3500人を超えており、部門長や役員クラスの方々も積極的に参加しています。DXを特別なものとして捉えるのではなく、「日々の業務の中に活かせる身近な力」として浸透させることを目指しています。私たちが大切にしているのは、単にデジタルツールを導入することではありません。社員一人ひとりが、「よりよく働く」ためにDXを活用するという意識と行動の変化こそが、最も重要だと考えています。 ■DXが生み出す“働き方の未来” 私が目指すDXの理想は、業務の効率化だけにとどまりません。AIやデジタルの力を借りて、社員が価値を生み出していく業務に集中できる環境をつくることが目標です。たとえば、議事録の自動作成や資料翻訳といった汎用業務はAIが担い、人は創造性や判断力を発揮できる時間を確保できるようになります。そうした「人とAIの役割最適化」を進めることで、仕事の質とやりがいの両方が高まっていくと考えています。 ■大学生へのメッセージ 「やりたいことが分からない」「自信がない」と感じる大学生は多いと思います。私もかつてはそうでした。営業、デジタルマーケティング、DX推進── 今の自分をつくっているのは“やってみた”経験の積み重ねです。よく「自信がついたら、始めたい」という声を聞きますが、私は「始めたことで、自信がつく」と思っています。小さくてもいい、一歩を踏み出すこと。それが次の道を切り拓き、自分の可能性を広げてくれます。人生にはリハーサルがありません。すべてが本番です。だからこそ挑戦を恐れず、自分の未来を自分の手で切り拓いていってほしいと願っています。 学生新聞オンライン2025年3月25日取材 津田塾大学2年 石松果林

学生新聞インターン

モデル・タレント 花音 

座右の銘は「自分を信じて努力を惜しまない」 モデル・タレント 花音 (かのん) ■プロフィール中学2年生までロサンゼルスで育ち2013年に日本に移住。TOKYO GIRLS AUDITON 2015モデル部門で準グランプリを獲得し、NYLONレギュラーモデルとして活動開始。その後、NHK Eテレ「Rの法則」R’s7期生として出演し、CX「めざましテレビ」のイマドキガールを務める。AbemaTV「恋愛ドラマな恋がしたい2」、NHKラジオ「小学生の基礎英語」のメインパーソナリティ、ELLEgirl UNIレギュラーモデルを務めるなど、幅広く活動中。 カンテレ・フジテレビ4月より放送中のドラマ『MADDER(マダー) その事件、ワタシが犯人です』。同作の主人公のクラスメイトで絶対音感を持つ藝大志望の小野優伽役を演じる花音さん。そんな活躍が期待される彼女に、今作のドラマの役づくりや見どころに加えて、新たに始まった日本テレビ『ZIP!』の新レポーターとして加入した意気込みを伺った。 元々、私は芸能界には興味を持っていたんです。以前、竹下通りでスカウトされたこともあったのですが、中々勇気がでませんでした。でも、商業施設で今所属している事務所のavexにスカウトされたときは、お母さんが背中を押してくれたこともあり、事務所に入ることになりました。本格的に活動を始めたのは、高校生の頃。授業後にレッスンに通っていたのですが、一緒にレッスンを受けているメンバーのオーラにビックリしました。「同い年なのにこんなにキラキラしているなんて……!」と自分との違いに驚きました。周りのメンバーから刺激を受けたおかげで、今があるのかなと思います。 ■大変さの中にあるやりがい このお仕事のやりがいのひとつは、テレビに出られることです。それがとても嬉しいです。私の祖父の世代の人は、テレビをよく観るんですよね。だから、祖父は私がテレビに出ていると、その写真を撮ってくれたりするんです。今後も、祖父にテレビを通じて、自分の姿を届けていきたいなと思います。これまではモデルのお仕事もたくさん機会をいただきましたが、今後、新たに力を入れたいのは、女優のお仕事です。モデルは自分ありきで服を見せる。女優は自分ありきで役を生きる。両者には、そういった違いがあるのかなと考えています。AbemaTV『恋愛ドラマな恋がしたい』への出演を契機に、ますます本格的に女優業に進みたいなと感じています。女優業の魅力は、とにかくおもしろいこと。ほかの人の人生を演じることはやりがいがあるし、役作りもとても楽しいです。私の場合は、最初にセリフを覚えて、実際に話してみて、自分の役を作っていきます。正解がないので考えれば考えるほどわからなくなることもあり、準備も大変ですが、そんな部分にもやりがいを感じます。 ■初の連続ドラマ出演決定『MADDER(マダー)その事件、私が犯人です』について 出演が決まった時、以前からの夢だったレギュラーでのドラマ出演だったのでとても嬉しかったです。去年、私の舞台を見に来てくれた、キャスティングの方に声をかけていただいたのですが、その話を聞いたとき、「今まで頑張ってきたことが少し実って来たかも」と感じました。私が演じる小野優伽は、勉強よりも芸術が好きなタイプ。そういう所も自分と共通していると思います。また、彼女はピアノを弾いている時に感情を出すので、ピアノを弾きながら演技をしないといけません。10年ぶりにピアノを弾いたので、ほぼ0からのスタートで、練習が大変でした。やっと弾けるようになってきても、一音でも間違えると「あー」とがっくりしてしまうことも多かったです。そんな中でも、「この役を届けたい」「観ている人の心を動かしたい」という気持ちで、向き合ってきました。撮影中は同世代の方々と撮影やプライベートの話など沢山しました。また、同世代の方々が奮闘している姿を見て、「自分も頑張らないと」と影響もうけましたね。作品の見どころのひとつは、犯人捜しです。ミステリーなので誰が犯人なのか考察しながら楽しんでください。あと、コメディ要素もありますし、個人的には私のピアノシーンに是非注目してほしいです。 ■4月から始まった日本テレビ「ZIP!ファミリー」への意気込み この4月から「ZIP!」のレポーターになりました。特集コーナーを担当する予定です。レポーターになれると聞いた時、朝の時間をみなさんと一緒に過ごす事ができると思い、すごく嬉しかったです。美味しいごはんも食べられるので、不安より、「どんな撮影になるのかな」といったワクワク感が大きいです。最近はどうやって食べ物のレポートをみなさんに届けられるかをよく考えますね。いろんなことを勉強して、みなさんへわかりやすく詳細を伝えられるように頑張ります! そして、私の姿を見て、「今日も一日頑張ろう」と思ってくださる方がいたら嬉しいです。 ■自分を信じて努力を惜しまない 今後の夢は、英語を使った役に挑戦することです。海外でも観られる作品に日本人として出演したいです。そして、日本と海外の架け橋となり、海外の人に日本を知ってもらうきっかけになりたいです。また、舞台にも出演したいです。去年、チャレンジして、自分なりの成長を感じたし、周りの方からたくさんのことを吸収もできました。ちょっととがっている役が多いので、これを極めて、悪役も演じてみたいです。私がこのお仕事を続けていられるのは、周りの皆さんの支えがあるからです。15歳から活動しているのですが、スタッフさんや家族のサポートがなければ難しかったと思います。このお仕事は家族から反対された経験がある方の話を聞くこともありますが、私の場合は「芸能に向いているよ!」と家族が後押ししてくれたことが大きかったです。支えてくれている人がいるからこそ、くじけたり、落ち込んだりしていられないなと、いつも気持ちが高まります。そして、私は幼い頃から大事にしていている英語の座右の銘があります。それは、「Believe in yourself and spare no effort」。これは、「自分を信じて努力を惜しまない」ということです。これからもこの言葉を胸に突き進んでいきます。 ■大学生へのメッセージ 私も、以前は大学に通っていました。サークルなどには入っていなかったのですが、大学でできた友達と授業を受けたり遊びにいったりするのがとても楽しかったです。そんな当たり前の毎日を大事にしていました。大学生の段階では、「将来どうしよう」と不安に思っている人も多いと思います。でも、失敗しても、結果がよくなくても、その時頑張った過程はあとからついてくるもの。くじけずに大学生活を楽しんでください。 学生新聞オンライン2025年3月25日取材 昭和女子大学1年 阿部瑠璃香 『MADDER(マダー)その事件、ワタシが犯人です』 2025年4月10日(木)スタートカンテレ :毎週木曜24時15分-24時45分フジテレビ:毎週木曜26時15分-26時45分※放送時間は変更になる可能性があります 【配信】カンテレ1話放送直後からFODにて1週間の先行配信 カメラマン 伽賀隆吾

コラム

テリー伊藤 コラムVol.50 北海道物産展が大人気

この時期になると都心のデパートでは各地の物産展が開催される。土日になると新聞の折込みチラシに各県の物産品の写真がびっしり掲載された広告が入ってくる。これが実に楽しい。中でもダントツ人気は北海道の物産展だ。東京育ちの私にとって北海道は幾つになっても憧れの地。厳しい冬のオホーツク海で獲れた海産物、北の大地と太陽で育ち清らかな水で成長した野菜、それだけでもう参ってしまう。実際どんな物産品が売れているか調べてみた。 1位毛ガニ。いきなり笑顔になる。北の4番バッター千歳空港でも人気No.1。2位生ウニ。ウニ本来の濃厚な味を堪能出来、その甘さに舌鼓。3位はバーベキューの王様、タラバガニ。食卓が盛り上がること間違いなし。4位イクラ醬油漬け。これさえあればご飯は何杯でもおかわりできるに決まっている。5位ホタテ。鉄板に並べて北海道産バターに醬油を垂らせば涙が止まらない美味しさに。6位は秋の風物詩、鮭。豪快なお客さんは鮭の一本買いを土産に。7位ホッケ。都心では普通干物しか食べられないが、生ホッケは一度食べたらやめられない旨さ。8位北海シマ海老。北海道東部地域でしか水揚げされない希少価値の高いエビ。海の宝石の異名に間違いなし。9位は駅弁の王様、イカ飯。学生時代初めて食べて余りの美味しさにビックリした想い出が。10位のすじこは生で食べてよし、醬油漬けにしてもよし。11位たらこ。変わらない伝統の手法での製造が嬉しい。12位鮭のルイベは、氷漬けにして食べる北海道の郷土料理。夏の暑い時期に口の中でシャキシャキトロトロ食感がたまらない。13位イカの塩辛は酒の肴として日本が世界に誇る逸品ではないか。 まずい、好きな海産物が後から後から出てくる。止まらない。さすが北海道。私の中のトドメは札幌ラーメン!昨今は豚骨ブームで味噌ベースの札幌ラーメンは影が薄いが、私は断然味噌派。完全にお腹が空いてきた。しかし北の食はこれだけじゃない。スウィーツも忘れてはいけない。1位白い恋人。お土産のド定番。2位のジャガポックリはオホーツク海の塩を使ったポテトスナックで女性達に絶大な支持を。3位六花亭マルセイのバターサンド。ホワイトチョコと北海道産生乳100%バターにレーズンを合わせたビスケットサンド。私の一押し! 原稿書いている場合ではない、お腹がどんどん減ってくる。5月7日まで横浜そごうで物産展が開催されている。行くしかない。女性には4層仕立てのチーズステーキバーガー1,458円が大人気らしい。更に北海道和牛4層ミルフィーユステーキ弁当箱3,240円も話題に。食べたい。もう我慢出来ない、行ってきます~! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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世界の子ども達へ届け! 平和への祈り音楽祭 in 東京

一般社団法人 日本未来支援機構(本社:東京都港区、代表理事:浅野敬子)は、東京国立博物館にて、「世界の子ども達へ届け! 平和への祈り音楽祭 in 東京」を2025年3月29日(土)に開催しました。 世界中の世界遺産や美しい場所から、未来を担う子ども達が中心となって、世界の⼦ども達の幸せと平和を祈る音楽祭として、主催の浅野敬子さん、作曲家の大西亜里さん、そして、セネガル大使、カンボジア副大統領夫人にお話を伺いました。 ◾️主催:浅野敬子(一般社団法人 日本未来支援機構 代表理事) 津田塾大学2年 石松果林/青山学院大学4年 笠原優輔/主催 浅野敬子/啓明学園1年 永井花里菜/東洋大学2年 越山凛乃 私は2036年8月にNYのセントラルパークのベゼスダの噴水前で「世界の子ども達へ届け 平和への祈り音楽祭」を開催する事を予定しています。そのパーティのインビテーションメダルが入った石けん(Ami♡soap)を2014年から世界の子ども達に届けています。 まず、手を洗って元気に生きて! そして夢を持って生きて!そして夢を叶えて2036年にNYで会おう! そんなメッセージと共に、メダル入り石けんを配ってきましたが、子どもって普通に夢を持っていて、インドのスラムの親がいない子でも「私はプリンセスになりたい!」などキラキラした目で夢を語ってくれます。その活動から夢を持っていないのは子どもではなく大人なんだと気づきました。大人が夢を持たずに生きて社会の愚痴ばかり言って子どもの目の前で夫婦喧嘩をして。だから、せっかく夢を持ってる子ども達が「夢って叶うんだ」って思えない。大人にも夢を持ってと配るようになりましたが 夢を持て、夢を持てと言っても 爆弾が落ちてくる空の下では大人も子どもも夢なんて叶わない。だから大人が子ども達に世界に作らなきゃいけないのは「平和」、そして子どもが作らなきゃいけないのは友達。子どもの時に国境を超えて、肌の色を超えて宗教や言語、大人が作った全てのボーダーを超えて、友達になっておけば彼らは大人になった時に戦争なんかしないだろう。そう強く思ったことが、子ども達が世界の子ども達の平和を祈る音楽祭の開催に至るきっかけです。 なぜピアノか ピアノこそ、白と黒の鍵盤が仲良くして素敵なメロディを作り、人を癒してるので、白人さんと黒人さん仲良くしてねって意味でピアノなのですが、それを2024年に開催したセネガル🇸🇳ゴレ島の子ども達にその話しをしていたら、ある子どもが「アジアいないね」と言った言葉を人間国宝で漆芸家の室瀬先生に伝えました。「では黄色い蝶々を描きましょう」ということでピアノには黄色い蝶が舞っています。 未来の世界を作るキミたちへ 未だ世界の大人達が繰り広げている戦争、破壊され続ける世界のなかで、音楽や文化、美しいものを人生をかけて作ってる人達がいます。そんな人を私は心から尊敬します。美しい世界の中には平和がある。世界中のそれぞれの国にそれぞれのルールがあるけど、たった一つの正しい事は「守り、与えること」。そしてどんな世界でもいけない事は、「奪うこと」です。守り分け与える事は正しくて、命でも物でも人から奪う事はいけない事。それだけをみんながわかっていれば世界は平和になると思います。大人は子ども達に友達と仲良くしなさいとか喧嘩はダメとかいうけど、大人は戦争してるよね。まずは友達や近くにいる人に優しくしてね。そうすれば、その人はまた誰かに優しくして、その優しさがくるくる地球を回って いつか地球の誰かがキミやキミの大切な人に優しくしてくれる。それが平和だと思います。立派な人というのは「人の事を大切にできる人」の事です。立派な人になってください。そして大人が今もできないでいる「仲良く生きる」ことを実現してください。大人になったキミ達は必ずできると私は強く信じています。そしてこれから生まれてくる未来の子ども達のために、キミ達の力で平和を作ってやってください。 ◾️作曲家:大西亜里 津田塾大学2年 石松果林/青山学院大学4年 笠原優輔/作曲家 大西亜里/啓明学園1年 永井花里菜/東洋大学2年 越山凛乃 この音楽祭は以前、広島で開催され、今後は他の国々でも開催予定です。「友達」という言葉は、世界平和に欠かせないものだと思っており、これから世界各地で音楽祭を開催する際に、楽しく「友達」という言葉を覚えてもらえればいいなと思っています。そのため、作詞を主催者である浅野さんの娘さんに依頼しました。彼女は高校二年生でスイスに住んでいるので、連絡を取り合いながら作詞を進めました。作曲は、最近音楽に強い関心を持っている私の息子が担当しました。プロではない彼らに頼んだことで、曲作りが難しいというイメージが減り、子どもたちの音楽への関心をさらに高めることができればと思っています。  人生はお金がいくらあっても、一人きりでは楽しさが半減してしまうように思います。周りの人々と深いつながりを持つことが、人生を豊かにするために欠かせないと信じています。ですので、子どもたちには色々な場所で友達を作り、その友達を大切にしてほしいと思います。 ◾️カンボジア副大統領夫人 PEN VIMUOL(ペンビモル) カンボジア副大統領夫人通訳 CHENG PHALA(チェンパラ)/啓明学園高等学校1年 永井花里菜/カンボジア副大統領夫人 PEN VIMUOL(ペンビモル)/青山学院大学4年 笠原優輔 今回の音楽祭は普通の大人による音楽祭ではなく、子どもが参加する音楽祭であり、そして世界平和がテーマになっていることが素晴らしいと思いました。カンボジアもポルポト政権下による長く辛い内戦の経験に苦しみました。子どもや大人、民族や国を超えて協力し繋がる事が平和への第一歩になるという事を今回の音楽祭を通して改めて実感する事が出来ました。カンボジアでは、クメールルージュ(ポルポト政権下)で文化、芸術、芸能といった豊かな文化遺産の大半が消されてしまいました。日本の皆様には想像がつかないと思いますが、音楽が禁止された時代がありました。ですからあまり音楽に触れる習慣がありません。もちろん最近はカンボジアのアーティストなども活躍しており、伝統的なダンスや歌もありますが、このような音楽祭的なイベントはありません。また、歌を歌う習慣もありますが、ピアノやギター、ベースなどの楽器を上手に演奏出来る人はまだまだ少ないです。 未来の子ども達へ こういうイベントを通して、子ども達が大人に対して平和が必要と伝えることは大切です。現在、戦争や戦いがあるような社会なので、世界中で平和が必要です。みんなに平和になってくださいというメッセージを聞けて嬉しいです。日本もカンボジアも近代史に戦争を経験しています。世界平和は日本とカンボジアから、そんな思いにさせていただいた素晴らしい時間になりました。また今日お会い出来た子ども達がカンボジアにも来ていただける日を待ち望んでおります。 ◾️駐日セネガル共和国大使 ジャン・アントワーヌ・デュフ閣下 津田塾大学2年 石松果林/青山学院大学4年 笠原優輔/駐日セネガル共和国大使 ジャン・アントワーヌ・デュフ閣下/啓明学園高等学校1年 永井花里菜/東洋大学2年 たくさんの才能あるアーティスト達を見られて、とても楽しかったです。若いアーティストも多く、日本は本当にたくさんの才能にあふれていると感じさせられました。セネガルにはいくつかの伝統的な音楽があり、主に使われるのは太鼓で、大きな太鼓「Jembe」や、持ち運びができる小さな太鼓「Tama」があります。他にも、笛の「Balafon」や、西アフリカの国々で使われる「Cora」というハープのような楽器があります。音楽は結婚式や葬式、成人式などの通過儀礼で奏でられることが多く、セネガル国内でも民族ごとに異なる音楽や儀式のスタイルがあります。 音楽はユニバーサルなものであり、国と国をつなぐことができると思います。そのため、様々な国の人々が集まるイベントでは、今日演奏していた若いアーティスト達のように音楽を通じて、今後も国同士のつながりを強化していってほしいと思います。 ________________________________________ 英語訳 ◾️Mr. Jean Antoine DIOUF Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary of the Republic of Senegal  I was really impressed by all the talented artists today,...

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アーティスト 與 真司郎

「人生そんなもん」と笑って進む アーティスト 與 真司郎(あたえ しんじろう) ■プロフィール1988年生まれ。京都府出身。現在は日本と海外を拠点に活動中。男女混合のパフォーマンスグループ、AAA(トリプル・エー)のメンバーとして、 2005年にデビュー。グループは2021年、AAA初となる6大ドームツアーを終えたタイミングで本格的な活動休止に入る。2023年7月、「與真司郎 announcement」にて、自身が同性愛者であることを無料招待した約2000人のファンの前で公表。現在は自身の人生を題材にしたドキュメンタリーをハリウッドにて制作中。著書に『すべての生き方は正解で不正解』(講談社)などがある。ソロアーティストとして、最新シングル「Kizuketa」を2024年10月30日に配信リリースし、11月には5都市9公演を回る「SHINJIRO ATAE LIVE BAND TOUR & BIRTHDAY TALK SHOW 2024」を完走。 小学生でダンスに出会い、芸能界へ。カミングアウトを経て、ありのままの自分で生きることの大切さを伝え続ける與真司郎さん。新たに出版したフォトエッセイ「人生そんなもん」では、家族や恋愛、葛藤の日々を赤裸々に綴りました。これから挑戦したい未来への思いと、大学生への温かいメッセージを伺いました。 小学校5年生のときにダンスに出会い、夢中になりました。もともとは野球少年でしたが、ダンスを習ううちに、「ダンスの先生になりたい」と思うほど好きになったんです。芸能界に憧れていたわけではないのですが、周りの人たちに勧められてオーディションを受けたら、合格してしまって。スターになりたい気持ちは特になかったので、合格したときは驚きましたし、「自分で大丈夫かな?」と不思議な気持ちになりました。その後、高校に通いながらレッスンを重ね、デビューが決まったタイミングで学校を辞め、芸能活動に専念する決断をしました。中途半端にどちらも続けるよりも、自分の夢に賭けたいと思ったからです。若かったこともあり、不安よりも覚悟の方が強かったです。親も「好きなことをやりなさい」と背中を押してくれたのは、ありがたかったですね。 ■ファンとのつながりが生きがい 芸能界でのやりがいは、何といってもファンのみなさんと直接会えることです。特にカミングアウト後も変わらず応援してくれているファンのみなさんには、ものすごく愛を感じます。愛をもらうと、僕も返したいと思うし、お互いに愛を育んでいるような感覚になります。ライブやイベントはもちろん、最近は地方にも足を運び、普段なかなか会えない人たちと触れ合える機会が増えたのは本当にうれしいことです。最近ではコメントやダイレクトメッセージもできるだけ目を通すようにしていて、みなさんの応援が大きな励みになっています。フォトエッセイの発売を記念して、お渡し会も実施します。ファンのみなさんと直接会える場なので、うれしいです。みなさんの顔を見ると、「本当に来てくれたんだ」と感動しますし、イベントのたびに生きがいを強く感じます。 ■芸能界で感じた葛藤とメンタルの成長 華やかに見える芸能界ですが、実際には厳しい現実もたくさんあります。特に、人と比べられることや、アンチコメントに耐えることは大きなストレスでした。デビュー当時は自信がなかったので、小さな否定の言葉にもすごく傷ついていました。そんな自分を変えたくて、26歳でアメリカに渡りました。英語も話せず、知り合いもいない環境でしたが、小さな挑戦を重ねる中で、「自分って意外とできるんだ」と自己肯定感を育むことができました。9年間のアメリカ生活は、メンタルヘルスを大切にするきっかけにもなり、自分を愛するという考え方を学ぶ大きな転機になりました。一人で世界を旅した2カ月間も、人生を変える大きな経験でした。異国のカフェで偶然隣に座ったおばあさんと会話を交わしたり、知らない土地で髪を切ったりと、小さな冒険の積み重ねが自分に自信を持たせてくれました。行動するたびに、「なんだ、できるじゃん」と思えたことが、自分らしさを育てる土台になったと思います。 ■カミングアウトとフォトエッセイ「人生そんなもん」に込めた思い カミングアウトの前後では、正直、メンタルの浮き沈みも激しかったです。カミングアウトする前は周囲の反応が怖く、した後もアンチの声に悩んだことがありました。それでも今は、カミングアウトして本当によかったと心から思っています。苦しかった時期があったからこそ、今の自分があり、自分らしく生きることの大切さを実感できています。今回出版したフォトエッセイでは、家族との関係や恋愛についても正直に書きました。元彼の話や、海外で感じた自由さ、日本との違いなど、なかなか普段は話せないこともすべて詰め込んでいます。この本を読んだ誰かが、「こんなクレイジーな人生もあるんだ」と思ってくれたり、「自分も頑張ろう」と思えるきっかけになったりしてくれたら、うれしいです。自分を偽らずに生きることは、簡単ではないかもしれません。それでも、自分らしく生きることが、自分の心を楽にする一番の手段だと、今では心から思っています。 ■大学生へのメッセージ 大学生のみなさんには、ぜひ自分を信じて、恐れずに行動してほしいです。失敗を怖がらずに動けば、必ず何かが得られるし、失敗さえも自分を成長させてくれるものです。そして、自分を理解してくれる仲間や友人を大切にしてください。自分らしくいられる環境を見つけることが、これからの人生にとってとても大切な支えになります。行動力は本当に大事です。頭で考えるだけでなく、少しでもやってみること。動くことで世界が広がり、やがて自身へとつながっていくはずです。完璧を求めすぎず、うまくいかないときは「人生そんなもん」と肩の力を抜いてください。人生は白か黒かだけではなく、グレーでもいい。力を抜きながら、自分だけの道を楽しんでください。自分を大切にしながら、自分の人生を堂々と歩んでいってほしいと思います。 学生新聞オンライン2025年3月29日取材 津田塾大学2年 石松果林 / 昭和女子大学1年 阿部瑠璃香 フォトエッセイ 人生そんなもん あなたはひとりじゃない--そのメッセージを伝えるために。 カミングアウトまでの壮絶な半生、そしてその後の思いをエッセイで赤裸々に明かす。4月16日講談社より刊行。 津田塾大学2年 石松果林/城西国際大学1年 渡部優理絵/昭和女子大学1年 阿部瑠璃香 カメラマン 下田航輔

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オムロン株式会社 代表取締役社長 CEO 辻永 順太

オートメーションを進化させ、事業を通じて"よりよい未来"をつくる オムロン株式会社 代表取締役社長 CEO 辻永 順太(つじなが じゅんた) 1966年生まれ。1989年に立石電機(現オムロン)へ入社。工場の自動化を担う制御機器事業(インダストリアルオートメーションビジネスカンパニー)の営業職や商品企画職を経て、2016年 商品事業本部長、2017年 執行役員、2019年 執行役員常務、2021年インダストリアルオートメーションビジネスカンパニー社長を歴任。2023年より現職。 ヘルスケア機器だけでなく、工場の自動化(オートメーション)や社会システムの構築にも注力し、幅広い分野で技術革新を続けるオムロン。現在は「カーボンニュートラルの実現」や「健康寿命の延伸」といった社会的課題の解決にも積極的に取り組んでいる。辻永社長にこれまでのキャリアや会社の目指すべき方向についてお話を伺った。  大学での専攻は数学でしたが、並行してソフトウェア開発を学び、ゲーム制作やプログラミングの実践にも意欲的に取り組んでいました。就職活動を行う際、技術開発の仕事も選択肢に入れましたが、より人と接することができる仕事を選びたいという気持ちが大きくなって志望先を探すように。理系出身者を技術職種で採用する企業が多いなか、当時の立石電機(現在のオムロン)が理系の営業職を募集していると知り、応募しました。父が製造業で働いており、「オムロンは良い会社だ」と助言をくれたことも入社を決意した理由の一つです。 ◾️営業とはお客様の課題解決である  入社後、最初に配属されたのは営業部門です。主に製造業に製品を販売する仕事でしたが、当時、私が担当していたのはまだ市場に浸透していない新しい技術を使った製品でした。  たとえば、「画像処理技術」を活用した製品も当時はまだ多くの企業にとって馴染みがなく、販売に苦戦しました。そこから学んだのは、「どんなに良い技術でも、相手に伝わらなければ採用されない」ということです。技術の良さだけを語るのではなく、相手が抱えている課題を理解し、それを解決する手段として製品を提案することの大切さに気付きました。  先進的な製品だけになかなか売れない時期もありましたが、それでも諦めずにお客様にとっての価値を伝え続けたことで少しずつ信頼を得ることができ、「あなたから買いたい」と言ってもらえたときは、本当に嬉しかったですね。印象に残っているのは、ある製造業のお客様が「最初は必要ないと思ったが、説明を聞いて導入を決めた。今では必要不可欠な存在だ」と言ってくれたことです。経営を担う立場になった今でも当時の経験が活きていると感じています。 ◾️事業を通じて〝よりよい社会〟をつくる  オムロンは創業以来、事業を通じて社会課題を解決することで社会の発展に貢献し、成長してきました。その発展の原動力が、会社の憲法である社憲「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」です。社憲には、世に先駆けてイノベーションを創出し、よりよい社会を実現するという想いが込められています。オムロンは、これまでオートメーション(自動化)技術を軸に、世界初、日本初の製品を多数生み出してきました。  たとえば、皆さんが駅で使う自動改札機です。通勤ラッシュ時の混雑緩和を目的に、現在、普及している自動化システムをオムロンが世界で初めて開発しました。また、健康分野では1970年代の経済成長とともに「成人病」が社会問題になっていたため、予防ニーズを先読みし、自動化技術を搭載した血圧計を製品として開発するだけでなく、「家庭で血圧を測る文化」を作り、健康寿命を延ばすことに貢献してきました。  なお、オムロンというとヘルスケアのイメージが強いかもしれませんが、オムロンの主力事業は、工場のオートメーションに貢献する制御機器事業です。売り上げの半分を占めています。直近では、モノづくりだけでなく、モノにデータ活用や人材育成ソリューションなどサービスを組み合わせて、世の中の社会的課題の解決に取り組んでいます。  オムロンは、2030年までに「カーボンニュートラルの実現」「デジタル化社会の実現」「健康寿命の延伸」という3つの社会的課題を解決し、よりよい未来をつくることを宣言しています。これからもコア技術※を進化させ、事業を通じてよりよい社会をつくってまいります。 ◾️現場の声を経営に活かす  私はこれまでの営業経験から、社長になってからも現場の声を大切にすることを心掛けています。単なる一方通行のメッセージ発信ではなく、社員の意見を反映する場をオンラインやリアルで設け、対話を重視しているのです。現場の社員が何を考え、どのような課題かを深く理解することが、経営判断において重要な鍵になると考えています。  また、イノベーションの創出を担う部門を設置し、意志のある人財が社内外から集まって、新規事業などに取り組むことができる仕組みを作っています。人事制度を活用し事業部門から参画した人財は、事業創造を経験して成長したあと元の部門へ戻って活躍することで、社内を活性化することができます。これからも会社の方向性と、社員たちの「これを実現したい!」という熱意やチャレンジを大事にして、オムロンはイノベーションを起こし続けます。  大学時代は多くの経験を積んでほしいと思います。勉強ももちろん大切ですが、さまざまなことに挑戦することで視野が広がります。社会に出ると、何が正解かわからない場面が多くなります。そんなときに大切なのは「チャレンジする気持ち」です。たとえ小さなことでも一歩踏み出して挑戦することが、成長につながります。いろいろなことに挑戦し、自分の可能性を広げていってください。 ※オムロンが誇る全社共通のコア技術。"Sensing" 技術、"Control" 技術、そしてAIなど人の知恵や知見を機械に取り込む"+Think" の技術をコア技術に据えて、それぞれを連携させながら独自技術として進化させ、製品やサービスの形で社会実装してきました。 学生新聞2025年4月発刊号 日本大学4年 鈴木準希 日本大学4年 鈴木準希/青山学院大学 1年 桑山葵/上智大学 3 年 白坂日葵/城西国際大学 1年 渡部優理絵/上智大学 1年 張芸那/立教大学 4 年 須藤覚斗

学生新聞映画大賞

第4回 学生新聞映画大賞

TOP CONNECT 株式会社(東京都中央区/代表取締役 内田雅章、以下 TOP CONNECT)は、若者の映画館離れやコロナ禍の映画館利用率の低下をうけ、映画興行の復興を目的に「第4回 学生新聞映画大賞」発表会を2025年4月22日(火)、セルリアンタワー東急ホテルB2ボールルーム(「学生新聞・中高生新聞・中高生新聞別冊eスポーツ特集発刊パーティ第2部内」にて開催いたしました。 <第4回 学生新聞映画大賞とは> 2024年1月1日~6月30日までに、東京地区において有料で初公開された60分以上の劇場用劇映画かつ、同一劇場で2週間以上連続して上映された邦画・洋画作品を対象に、大学生総勢200名が投票を実施。邦画は10作品の中から上位3作品の中で、洋画は5作品の中から上位2作品の中で、男優賞(2枠)、女優賞(2枠)、若手俳優賞(25歳以下の男女各1名)、監督賞、脚本賞、主題歌賞の計6つの賞を設け、表彰。賞品総額は300万円(各受賞作品毎100万円)。 <ノミネート作品 邦画> ■キングダム 大将軍の帰還■ラストマイル■傲慢と善良■六人の嘘つきな大学生■正体■劇場版ドクターX■はたらく細胞■推しの子-The Final Act-■聖☆おにいさん THE MOVIE~ホーリーメンVS悪魔軍団~■グランメゾン・パリ ※公開日順にて記載。 <ノミネート作品 邦画> ■デッドプール&ウルヴァリン■ビートルジュース ビートルジュース■ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ■ヴェノム:ザ・ラストダンス■レ・ミゼラブル デジタルリマスター/リミックス ※公開日順にて記載。 <ご協賛企業様> ※順不同 アース製薬 /ピップ / タマノイ酢 / ニューバランス / アデランス / アンファー / 杉本食肉産業 / マルハン / 越後ファーム / Mizkan / 串カツ田中ホールディングス / マルコメ / ジェイフロンティア / 花キューピット / セルリアンタワー東急ホテル / ビジョングランピング /すかいらーくレストランツ / MTGプロフェッショナル / ティーケーピー / バスクリン / ミス・パリ /...

コラム

テリー伊藤 コラムVol.49 70過ぎにモテ期がやって来た!

70歳を過ぎて何故か女性にモテる男になってきた。今頃になって不思議だ。若い頃はモテようと必死だったのに。やれ髪型がどうだ、ファションもこちらの方が女性に好かれるのではないか、格好いいスポーツは何かを考えて冬はアイスホッケー部、夏はヨット部に所属するなど、モテるために頑張っていたのだが、その努力も虚しく残念ながら全く女性に縁のない恋愛無しの高校生活だった。大学時代彼女はいたのだが、全体的にはモテていた実感は無かった。それが、何故か最近よく女性から声を掛けられる。「何処か食事連れってください。」これって何?考えてみた。 私の中で男性としての “怪しさ” や “危険な匂い”が無くなって来たのではないか。確かに若い頃はやましい気持ち満載で女性に接していた。私の助平心を相手に見透かされてしまい敬遠されていたのでは。しかしこの歳になり、幸か不幸か怪しさは消え、動物大好き、ディズニーランド大好き、恵比寿の美味しいケーキ屋さんを誰よりも知っている “いい人” になってきている。最近はそこを見通されて「この人と一緒にいても危険が無い」と判断され、遅まきながらモテ期がやって来たのでは。 これってどう分析すればいいのか。年齢を考えると、誘われるだけでいいじゃん!なのだが… 私と同世代の矢沢永吉、舘ひろしは相変わらず “危険な雰囲気” と “後戻り出来ない覚悟が要る” “付き合えば火傷する” というオーラがある。そうなんです、身の程知らずにも矢沢永吉、舘ひろしになりたいのです。とは言ってもミッキーマウスにも会いたいし、温泉に入っている猿も見たいし、カピバラと友達にもなりたい。危険と癒しの頃合いが難しい。 そこで誘ってくれたか女性に聞いてみた。答えは「テリーさんは街で普通に自ら見知らぬ人に笑顔で声を掛ける。それを側で見ていたら街が明るくなった。」と答えてくれた。確かに一人で歩いていても、朝の交通整理のママさん、会社のトイレ掃除の人、交番のお巡りさんにも気がつけば普通に声を掛けている。若い頃は声を掛ける勇気はなかったが、この歳のテリー伊藤だから声を掛けることが出来るのかもしれない。そう言えば、私を知らない小学生にも「おはよう!」ってよく挨拶します。これじゃ、危険な雰囲気しませんよね。これからの人生、矢沢永吉、舘ひろしを目指すか。ミッキーマウスとお友達になるか。悩みどころの岐路に立っているが、やっぱり怪しい男でいたいのだ! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

イベント・企業紹介

ショートドラマのコンペティション「ショードラアワード2025」授賞式

ショードラ実行委員会は、ショートドラマのコンペティション「ショードラアワード2025」の授賞式を、2025年4月16日(水)に大手町三井ホール(東京都千代田区)で開催しました。授賞式には、俳優の髙嶋政伸さん、松本まりかさん、スタートアップファクトリー代表の鈴木おさむさん、俳優の阿部なつきさんがゲストで登壇し、司会はフリーアナウンサーの森香澄さんが務めました。 “縦型ショート動画”の持つ〈身近さ〉と、ドラマの持つ〈物語性〉を通して、次世代のクリエイターやスタータレントの発掘、新しい動画の表現方法を目指す、ショートドラマ(略して、ショードラ)プロジェクトのコンペティションとして授与式が行われました。 ◾️ショードラ実行委員長 長田俊哉(株式会社プログレス 代表取締役)  マイナビショードラアワード2025、無事に開催できましたこと、関係者の皆様、そして何よりクリエイターの皆様に心より感謝申し上げます。昨年からわずか1年で、ご協力いただける放送局や芸能事務所の数も大きく増え、応募数も1573作品から3711作品へと、大幅に増加しました。この盛り上がりを一過性のブームで終わらせず、次世代へと受け継がれる「伝統」として残していけるよう、皆様と共にさらに盛り上げていきたいと考えております。 そして本日お集まりの皆様の中から、新たな才能が世に羽ばたき、世界を驚かせるような作品が生まれることを、私自身とても楽しみにしております。 ◾️ショートドラマ出演に挑戦した松本まりかさんよりコメント ショードラという新しいコンテンツの始まりに立ち会えてすごく光栄ですし、これがレガシーになっていくことが本当に印象的でした。ショードラの撮影は狭い空間だからこそ画角とか距離感を意識して、引きつける工夫もたくさんしました。 ショートドラマ「この顔であってる?」 タレントとマネージャーのぶつかり合いや、マネージャーとしての奥深さを私なりに考えて表現した作品です。私なりの解釈で演じたものですが、マネージャーという職業にスポットライトを当てた面白い作品になっていると思います。ぜひ楽しんで、マネージャーという仕事について知っていただけたら嬉しいです。 ◾️これからショートドラマ出演を控えている髙嶋政伸さんよりコメント 6月配信予定のショードラ作品に出演することを聞いたときは、本当に嬉しかったですね。その時に色々なショードラの作品を見て、アイデアとやる気さえあれば誰でも参加できる新しいエンターテイメントだと感じて、すごくワクワクしました。 新しいことにチャレンジさせていただけることに感謝し、頑張ります。短い時間で最高のものを作り、観てくださる方に楽しんでいただけるよう真心込めて演じますので、ぜひご期待ください。 《大賞作品「星の四谷三丁目シアター」》 ◇監督の谷口恒平さんより受賞コメント今回、この素晴らしい賞を頂けるとは思っていなかったので、非常に驚いています。星の四谷三丁目シアターは、太田プロダクションからのお声がけで、ショードラに挑戦することになりました。そして本日参加し、他の方々の作品を見て、再生回数などに囚われず、面白いものを作りたいという熱意を持って、皆さんが必死で作り上げている姿を改めて感じることが出来ました。だからこそショードラが、1つの文化として続くことを願っております。 《受賞作品一覧》 ◾️マイナビ賞:「毎日はにかむ僕たちは。」 ◾️ABEMA賞:「Coyane’s World」 ◾️マテリアルショートドラマPR賞:「グッとSubtitLe」 ◾️新人賞:「STU48」「双葉タクシー ショートドラマ」 新人賞:「STU48」 新人賞:「双葉タクシー ショートドラマ」 ◾️クリエイター賞:「大阪の棒人間鈴木」「多分こんな感じドラマ」/「毎日はにかむ僕たちは。」の大内唯さん クリエイター賞:「大阪の棒人間鈴木」「多分こんな感じドラマ」 クリエイター賞:「毎日はにかむ僕たちは。」の大内唯さん ◾️出演者賞:「Coyane’s World」より三宅朱莉さん、「たかみちホラー」よりショウゴさん、「ただつわたなべ」より花柳のぞみさん、「パンダフィルム」より佐藤竜さん、「星の四谷三丁目シアター」より水島麻理奈さん (左から)花柳のぞみさんの代理・三宅朱莉さん・水島麻理奈さん・ショウゴさん・佐藤竜さん・飯田新さん ●ショードラとは誰もが動画づくりを楽しみ、発信できる時代。TikTokでは、まだ無名の才能たちが、プロのクリエイターでは思いつかないような斬新なアイデアで刺激的なコンテンツを生み出し、多くのユーザーを楽しませている。 俳優、監督、プロデューサー。まだ、そんな肩書きでは呼ばれていないかもしれない。テレビドラマや映画をつくるようなスキルはこれから身につけるのだろう。 私たちは、そんな原石たちが、原石のままで輝ける場所で次のスターたちと出会い、ともにエンタメの未来をつくっていきたい。 TikTokへの投稿にハッシュタグをつけるだけ。動画づくりを楽しむというあなたの日常が、トップクリエイターという夢をつかむための第一歩になる。 ●ショードラTikTokアカウントTikTokアカウント上で、「ショードラ」とご検索ください。 ●ショードラその他SNSアカウント◇Instagramアカウント:https://www.instagram.com/showdrama_24/◇X(旧Twitter)アカウント:https://x.com/showdrama_24◇YouTubeアカウント:https://www.youtube.com/@SHOWDRAMA_24◇LINE VOOMアカウント:https://linevoom.line.me/user/_dSeWa23HOwgrMk1I7BqyiTOpsGgpq8ATT0qaoMg 学生新聞オンライン2025年4月16日取材 東洋大学4年 太田楓華 城西国際大学2年 渡部優理絵/東洋大学4年 太田楓華/田園調布雙葉高等学校3年 伊藤凜夏