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Archive for 運営スタッフ

人事

日本テレビ放送網株式会社 人事局人事部主任 秋山雅美

日本テレビ放送網株式会社 人事局人事部主任 秋山雅美(あきやままさみ) ■プロフィール 2008年日本テレビ入社。スポーツ局でディレクターとして野球や柔道、フィギュアスケートを担当し、オリンピックや大型スポーツイベントの現地取材などを多数経験。Going! のプロデューサーを経て、2022年より人事局人事部で新卒採用などを担当。 テレビ局は今、変革のとき。安全かつ正確な放送が使命なのはもちろん、地上波だけでなく配信やイベント、舞台、映画…。「多様なコンテンツの創造」を目指している。 ■業界の特徴を教えてください 業界の魅力は「文化」を創り出せることです。学校や職場の話題の中心になったり、社会現象の発端になったりもします。日本テレビでは今、「コンテンツ中心主義」を掲げています。テレビ離れと言われる昨今、実は「コンテンツ」自体は以前に増して求められており、出口がテレビだけでなくSNSや配信プラットフォームなど多様化してきているといったほうが良いかもしれません。また、海外マーケットでのフォーマット販売・コンテンツ販売にも力を入れており、『マネーの虎』や『はじめてのおつかい』など、世界中にそのフォーマットを販売しているコンテンツもあります。当社では常に良質なコンテンツをマス向けに作ることを意識しています。日本中の人たちに楽しんでもらえるように、また、安心して見ていただけるような信頼されるコンテンツ作りが一番だと考えています。 ■求める学生像を教えてください 1つ目は「普通の感覚」を持った人を求めています。マス向けに仕事をしているからこそ一般的な考え方、人の気持ちに寄り添える「人間力」のある人を求めています。また、テレビの仕事はチームワークが大切です。個人の能力よりもチームでいかに仕事ができるかが問われています。24時間テレビや箱根駅伝などは1000人以上のスタッフがかかわって仕事をしています。 2つ目は「課題解決力」のある人です。24時間、番組を放送しているからこそ問題を瞬時に解決できる力が必要です。最後の3つ目は「熱量を持って好きを突き詰めていける人」です。放送は締切があるものなので、追いつめられる瞬間もあります。いいものを作りたいという熱量を持って細部にこだわる人は、同時に“これのためなら”と最後まで諦めないタフな人でもあると思います。当社は若い人の成長を全力でサポートする体制があります。安心して仕事ができると思います。 ■学生へのメッセージを 学生らしいことをたくさんしてほしいです。アルバイトや旅行、テレビを見るなど、いろんなインプットをしてください。妄想、空想、想像することは将来すごく力になると思います。そして、気軽にエントリーしてほしいです。あなたの好きを仕事にできることが日本テレビには必ずあります。 学生新聞2025年4月号 東洋大学3年 橋本千咲 東洋大学3年 橋本千咲/東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 網江ひなた

学生新聞インターン

東急株式会社 取締役社長 社長執行役員 堀江 正博

開発地域の価値を高める、比類なき東急のまちづくり 東急株式会社 取締役社長 社長執行役員 堀江 正博(ほりえ まさひろ) 1961年、福岡県生まれ。1984年に慶應義塾大学卒業後、東京急行電鉄(現:東急)入社。2002年、東急リアル・エステート・インベストメント・マネジメント社長。2003年、東急リアル・エステート投資法人執行役員(代表)。2015年、東京急行電鉄執行役員生活創造本部リテール事業部長。2016年、取締役執行役員生活創造本部リテール事業部長。2020年、取締役執行役員ビル運営事業部長。2022年、取締役常務執行役員を経て2023年6月、社長就任。 鉄道と不動産を中心に、スケールの大きなまちづくりを長期的な視点で手掛ける東急。多様な事業を展開する東急グループだが、その地域コングロマリット型経営について、トップとして舵を取る堀江社長に学生時代の経験や東急入社の決め手、まちづくりにかける想いなど東急の今後の展望とともにお話を伺った。  私は慶應義塾大学法学部出身ですが、在学中は体育会競走部に所属し、短距離走を専門とする選手でした。特に400メートルリレーには力を入れ、インカレ2位、日本選手権3位という成績を収めました。しかし、当時の筑波大学は圧倒的な強さを誇り、日本代表のリレーチームのほとんどが筑波の選手で構成されていました。勝つことの難しさを痛感すると同時に、強い相手と競い合うことの面白さを学びました。  在学中は競技だけでは飽き足らず、「関東法学部学生親善陸上競技大会」という公認大会を立ち上げました。これは体育会、同好会を問わず参加できる大会で、多くの学生アスリートに挑戦の機会を提供することが目的でした。キャッチフレーズは「健全なリーガルマインドは健全な肉体に宿る」。運営にはスポンサー集め、競技場や審判団の手配など多くの困難がありましたが、それを乗り越えた経験は、社会に出てからのキャリアにも活きています。  また、学業にも力を入れ、政治・経済・社会学など幅広い分野について学びました。当時から将来的には企業の経営に関わる仕事をしたいと考えていました。 ◾️東急を就職先に選んだ理由  東急を志望する決め手となったのは、まちづくりや生活サービス事業など、鉄道以外にもさまざまな事業領域で仕事ができることに魅力を感じたからです。入社後の配属面談では「10年間で5カ所異動したい」という希望を出し、鉄道部門で駅務や車掌を経験し、その後、不動産、ホテル、リテール事業と多岐にわたる部門を経験しました。こうして多様な業種を経験することで経営の全体像を学ぶことができました。 ◾️東急グループの経営の特徴 東急の特徴は「地域コングロマリット型経営」です。鉄道、不動産、リテール、ホテル、エンタメなど多様な事業が相互に連係しながら発展しています。たとえば、鉄道の沿線開発が進むことで人口が増加し不動産価値が向上、商業施設やエンタメ施設の需要が高まるといった好循環を生み出します。そのため、業種が異なっても配属された部署に柔軟に適応し、前向きに挑戦する姿勢が求められます。私は「どんな部署でも学びがあり、経験は必ず将来に活きる」と考えています。  また、一般的に鉄道会社としての印象が強かった東急ですが、実際は、単なる鉄道会社ではなく、まちづくり全体に関与する企業です。都市開発に携わる仕事に魅力を感じて入社し、まちづくりの最前線で働くことのやりがいを認識しました。私のキャリアの中で特に印象的だったのは、都市開発や再開発に携わったことです。再開発を進める際には、地域の状況を把握しながら適切な計画を立てることが重要です。まちづくりは単なる建物の建設ではなく、周囲の環境や交通、商業施設とのバランスを考えながら進めていくものです。地域の課題を解決しながら、そこに住む人々の暮らしをより豊かにすることが、まちづくりに携わる者の使命だと考えています。 ◾️まちづくり会社としての東急  東急は鉄道と不動産開発を核としながら、商業施設や住環境の整備を一体的に進め、渋谷や沿線といったエリアに長期的に関与することを特徴としています。たとえば、渋谷の再開発では鉄道、オフィス、商業施設、ホテル、エンタメなど多様な要素を組み合わせて、まち全体の価値向上を目指して開発を行います。また、コロナ禍のさなか、新宿では東急歌舞伎町タワーを建設し開業にこぎつけました。インバウンド需要を見据えた施設設計、文化・芸術を取り入れたイベントの開催など、あらゆる角度からまちづくりを行い、まち全体の付加価値を上げるべくさまざまに取り組んでいます。  当社は「循環再投資モデル」を採用し、商業施設やインフラの収益をまちの発展に再投資することで、長期的な視点で地域の価値を向上させる戦略性を有しています。この長期的な視点を持った都市開発こそが、東急のまちづくりの強みであり、企業としての独自性を際立たせる要素です。そのため、単に建物を建てるだけでなく、鉄道やバス、オフィス、商業施設、住宅などあらゆる用途の利便性向上に努め、まちの魅力を持続的に高めています。 *message*  最後に、大学生の皆さんに伝えたいことが3つあります。1つ目は、「海外や地方を巡り、視野を広げてほしい」ことです。社会人になるとまとまった時間を取るのが難しくなります。今のうちに多様な文化や価値観に触れる経験を積んでください。2つ目は、「さまざまなアルバイトを経験してほしい」ことです。社会に出てからの仕事と共通する部分が多くあると思います。実践的な経験は、どんな業界に進んでも役立ちます。3つ目は、「20代はじっくりと仕事に向き合う」ことです。最初の会社でしっかりと経験を積み、専門性を磨くことが将来的なキャリアの基盤となります。すぐに転職するつもりで働くのではなく、まずは目の前の仕事に全力で取り組み、自分の価値を高めることが重要です。  どんな経験も糧になります。皆さんの挑戦が、未来のまちづくりや社会の発展につながることを期待しています。 学生新聞2025年4月発刊号 慶應義塾大学3年 能願結 武蔵野大学4年 西山流生/慶應義塾大学3年 能願結

イベント・企業紹介

「新しい東武カード」発表会&アンバサダー就任記念イベント

左:公式アンバサダー 松下雄一郎さん/右:マッスル応援ゲスト 武田真治さん 東武マーケティング株式会社(本社:東京都豊島区、代表:鈴木熊野)は4月3日(木)、東京スカイツリーイーストタワー(東京都墨田区)にて、「新しい東武カード」発表会&アンバサダー就任記念イベントを開催しました。東武カードの誕生から40年を迎える節目に「スタイリッシュ&パワフル」をテーマに、新しい「東武カード」が、5月29日(木)より発行が開始します。イベントゲストには、公式アンバサダーに就任したタレントでフィットネスモデルの松下雄一郎さん、マッスル応援ゲストとしてタレントの武田真治さんが登壇しました。 ◾️東武マーケティング株式会社 代表取締役 鈴木熊野 新しい東武カードに構想3年、実準備3年、実に6年の歳月をかけて準備してまいりました。東武ポイントが始まったのが、2020年11月ですので、東武カードは東武ポイントが始まる前から裏側で準備を始めています。その当時から決めていたコンセプトが「スタイリッシュ&パワフル」です。それは、縦型のカードにスカイツリーが描かれたスタイリッシュなデザイン、そしてポイントは最大の還元率にすることを決めていました。 ◾️ アンバサダー 松下雄一郎 / 応援ゲスト 武田真治   松下:「今回、東武カードさんのテーマが“スタイリッシュ&パワフル”ということで、お声がけいただきました。実はこのCM撮影のために15キロダイエットをした上で臨み、編集前の素材を見て自分でも『いいな』と思うくらいの筋肉の隆起だったんですけれども、編集していただいたら大分ソフトになっていて、逆に名誉だなと感じました。本当に魅力あふれるパワーアップした東武カードなので、その魅力を1人でも多くの方にお届けできるように頑張って活動していきたいなと思います!」 松下:「脂っこい食事を控えて、コツコツと毎日1~2時間のトレーニングを積み重ねています。」 武田:「やっぱり、やってみたいことや、自分がやりたいなと思うことを日々楽しみながら生活の中に取り込むことで、スタイリッシュ&パワフルな人間になっていられると思います。」 武田:「今までポイントのことやカードのことをよくわかっていなかったんですけど、いろいろ勉強になりました。この東武カードを持ってポイントを貯めて、ますます楽しい豊かな生活を送りたいと思います!」 松下:「東武カードがパワーアップ!」 学生新聞オンライン2025年4月3日取材 昭和女子大学2年 阿部瑠璃香/城西国際大学2年 渡部優理絵

イベント・企業紹介

第83期名人戦 七番勝負 第1局(藤井聡太名人 対 永瀬拓矢九段)前夜祭

2025年4月9日(水)・10日(木)、ホテル椿山荘東京にて、第83期名人戦(毎日新聞社、朝日新聞社、日本将棋連盟主催)第一局が開催されるにあたり、前日前夜祭が行われた。対戦前の藤井さん、永瀬さんの意気込みを伺った。 ■永瀬拓矢九段 (ながせ たくや) 対局の舞台となる椿山荘様には何度か伺わせていただいておりまして、第73期名人戦第一局では羽生先生と行方先生の対局を一日検討して勉強していました。感想戦は対局室で拝見させていただいたので対局室に入るのは二度目ですが、今回は勉強ではなく対局者として挑みますので重さが違うなと思っています。名人戦は、歴史・重み・伝統があります。藤井名人とは3月まで王将戦で教えていただいておりまして、2日制でしか経験出来ない経験をたくさんすることが出来ました。名人戦は棋界最長9時間という、初めて経験する持ち時間となります。一局でも多く指せればと思います。 ■藤井聡太名人(ふじい そうた) 椿山荘に来て、いよいよ名人戦が始まるのだなということを実感しております。永瀬九段とは1月から3月まで王将戦の方でも対戦をしていて、色々勉強になる経験が出来たと感じています。今回の名人戦ではその経験を生かしたいと思っています。また、持ち時間が公式の中で最も長い9時間での対局になりますので一手一手をより深く考えて、シリーズを通して面白い将棋を指していけるように全力を尽くしたいと思います。

コラム

テリー伊藤 コラムVol.48 祇園で舞妓さん、芸妓さんと会った

大学時代の友人に会うため、久しぶりに京都に行って来た。年始めの同窓会に各地から旧友が京都に集合し大変な盛り上がりを見せた。普段なら食事をするだけの集いだが、その後に豪華に老舗料亭に向かう事に。「一見さんお断り」の由緒あるお店、京都在住の地元で名士の学友のおかげで有難い事に入ることが出来た。料亭までの道中も祇園の街も観光客で凄い混雑。人波をかき分けやっとのことで到着。しかし一歩暖簾をくぐるとそこは別次元。100年を越す格式ある佇まいは、江戸時代にタイムスリップしたと思える静寂さ。きしみ音のする階段を上り私達は2階のお座敷に案内された。 暫くすると襖が開き「おいでやす」の挨拶で静々と登場した舞妓さん、芸妓さんに一同大歓声。お酒も飲めず、遊び方も知らない私は失礼にもいきなりの質問攻め。「どうして舞妓さんを志したの」「出身地は何処」「修行は大変では」「辛いことは」「将来の夢は」と場の空気も読まずにまるで芸能レポーターのように矢継ぎ早に聞いてしまった。二人は嫌な顔ひとつせずにおっとりとした祇園言葉で答えてくれた。芸妓さんは高知、舞妓さんは茨城の出身で、共に中学時代に「都をどり」を見てこの道に入ろうと決意したそう。これって甲子園大会を見て将来プロ野球の選手になりたいのと一緒じゃないか。動機がわかり易くていい。祇園言葉を覚えることはとても大変だったようで、特に東北育ちにはイントネーションで苦労するらしい。困惑するのは、各料亭に向かう道中や横断歩道待ちで外国人観光客に強引に写真を撮られる事のようだ。心配なのは、舞妓さんのなり手が年々減少している事と顔を曇らせた。現在京都の舞妓さんはたった11名しかいないらしい。3年から5年の舞妓時代を経て芸妓さんになるのだが、先ずは舞妓さんになるための見習い期間として1年の仕込み時代があり、この時に辞めてしまう少女も多いそう。この4月に沢山の新人さんが入ってくれるのを期待していると、その表情は真剣にそのもの。 話を聞いて俄然関心が湧いてきた。応援したくなる。高級料亭に行ける身分ではないが、舞妓さん希望者がそんなに少ないのは困る。日本文化の継承を手助けしたい。宴の最後は先輩芸妓さんの三味線の音色に合わせて2人の舞いを見せて貰った。これが素晴らしく美しい。格式ある座敷で見ていると、まるで討ち入り前に祇園で遊興した大石内蔵助になった気分に。この奥深い遊びこそ日本の伝統文化に違いない。 如何ですか、貴方の周りに舞妓さん、芸妓さんに興味のある方はいらっしゃいませんか。先ずは4月に京都で開催される「都をどり」を見に行きませんか。人生変わりますよ。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

株式会社立飛ホールディングス 取締役広報部長 上保達雄

利益は二の次に地域に貢献を第一に。 株式会社立飛ホールディングス 取締役広報部長 上保達雄(うわぼたつお) ■プロフィール1969年8月3日生まれ、東京都出身。1993年立飛企業株式会社入社。2012年のグループ再編後、株式会社立飛ホールディングス広報部長を経て、2024年に現職就任。 東京都立川市の約25分の1の約98万㎡の敷地を所有する立飛グループ。立川飛行機を前身に、現在は立川市で不動産賃貸・開発を中心に地域社会の発展のための事業展開を行っている。教育・文化・芸術・スポーツにも力を入れている立飛ホールディングスの魅力を取締役広報部長である上保達雄氏に伺った。 ■学生時代に培った現代の感覚 私の実家は、学生時代そろばん塾を経営しており、週4日、昼の15時から19時30分くらいまで授業を行っていました。私もそろばんの資格を持っていたので、大学の授業が早く終わった時には18時30分くらいまで塾の手伝いをしていましたが、当時様々な子ども達に教えていたので、自分の中でも知らぬうちに子供たちの性格を見ながら教えるという感覚が身についていきました。現代では、パワハラなど様々なハラスメントが問題になっていますが当時からハラスメントへの意識が備わっていたように思います。 ■当時では珍しい定時始業・定時終業 大学を卒業する頃は、ちょうど就職氷河期の初めでした。当初は安定した公務員を目指していましたが、偶然、学校の就職課の方に立飛企業(現在の立飛ホールディングス)を勧められましたので、自分で調べたり、家族に相談したりしたところ、とても良い会社だと感じて入社試験を受け、無事試験に合格し入社することができました。入社して先ず驚いたのは、勤務時間についてです。就業時間は基本的に8時30分から17時までですが、一部を除いて、ほとんどの社員が17時には退社していたのです。私は現場採用だったので施設管理を行っていましたが、その業務でさえも17時になると上司から「早く帰るように」と促されていました。さらに驚いたことは、私の勤めていた隣の部署では17時5分になると部屋の照明が消され、みんな一斉に帰宅していたこと。早く帰れるのはもちろん良いことなのですが、一方で「こんな早く帰っていいものか」と複雑な心境もありました。 ■経験を活かした部署の異動 施設管理の部署の後、グループ会社や不動産部で経験を積み、財務広報企画部を経て、現在では広報部を担当をしています。不動産部に所属していた時には、当時100社ほどいるテナントの担当者の方と契約交渉や日々の窓口として、対応していました。テナントの担当者の方から賃貸している物件の不具合やテナント工事として先方で造作を検討する際など、さまざまな相談を受けることがありましたが、前部署で施設管理の業務を行っていた経験が活かされ、素早い回答ができたこともありましたので、自分にとって自信となりました。その後、財務広報企画部に配属された際は、会社の収入と支出のしくみを理解することができ、当時当社の収入の大半であったテナントからの賃料収入がどのように使われていくのかを知り、大きく成長できたと感じています。現在の広報部門では、メディアとのリレーション構築や会社のブランディング、会社の様々な情報を広く伝えることを主に行っています。会社のことを伝えるには、自分自身が自社のことをよく知っている必要があるので、過去に様々な部署を経験したことで得た知識は、会社の魅力を伝える上で大きな武器になっていると感じます。 ■立飛ホールディングスの魅力 立飛グループは立川駅の北側に約98万㎡の敷地をほぼ一体となって所有しており、その敷地の真中には多摩モノレールの駅が二つもあります。その一つが立飛駅と名づけられており、大変珍しいことのようです。立川市にこれだけの広大な社有地があるからこそ、ららぽーと立川立飛やアリーナ立川立飛、グリーンスプリングスなどの施設を我々の意思で開発することができますが、独自でこれほどまでに多様な施設を開発できる会社は、あまりないと思います。また、立飛では年齢や経験に関係なく、積極的に大きな事業に関わる事ができます。また、トップ(代表取締役社長)との距離がとても近いのも特長的です。新入社員でも社長室に入る事ができ、社内の新年会や懇親会の他、社長の都合があえば、個別に話しをすることもあります。これほどトップと接する機会がある会社は、なかなかないと思います。 ■スポーツで地域活性化を 当社の企業ビジョンのひとつとして、スポーツの分野で地域に貢献する、ということを掲げています。具体的な施策として2017年にアリーナ立川立飛、タチヒビーチ、2018年にドーム立川立飛という施設を建設しましたが、アリーナ立川立飛の建設中にバスケットボールB1リーグで活躍のトヨタアルバルク東京からホームコートとしてアリーナ立川立飛を使用させてほしいとの依頼があり、お貸ししていた時期もありました。現在は様々なスポーツチームを応援させて頂いているのですが、地域の方を中心にアリーナ立川立飛やタチヒビーチ等に試合の応援に来てくださる機会も多く、街の盛り上げのお手伝いができているのでないかと感じています。 ■目先の利益を追わず、地域のために 立飛ホールディングスは広大な土地を所有していますが、この社有地は我々だけの資産ではなく社会資本財として捉え、地域の人のためになるものを作っていくことが必要だと考えており、社長である村山正道は「そのために大切なのは、目先の利益は追わないことだ」とずっと言い続けています。立川には戦前から基地があり、戦後は米軍が駐留していたこともあった為、「基地の街」というイメージがずっとありました。当社はもともと1924年に株式会社石川島飛行機製作所として月島で創業しましたが、1930年から当時の陸軍の命を受け、立川に移転し(1936年から立川飛行機株式会社に名称変更)、基地の隣で飛行機の製作をしていた歴史があるため、一部の地域の方からはあまり快く思われていない時期もありました。現在は地域のために貢献していこうという強い意志を持って事業を進め、また、地元の様々な会合等に積極的に参加することで、商工会議所や警察・消防関係等を中心に、地域とのかかわりが増えています。これからも地域の方々に喜んでいただける開発を進めていき、後々「実はあの事業は立飛がやっていたのか」と分かってもらえるのが理想です。立飛ホールディングスは、昨年ちょうど100周年を迎えました。様々なイベントを開催して地域への恩返しをしながら、50年後のビジョンを達成するために、今できることを取り組んでいきたいと考えています。 ■大学生へのメッセージ 学生時代に知り合った学校の友人はもとより大学のサークルや部活動等で知り合った仲間、バイト先の先輩後輩等との関係を大切にし、多くの人脈を作っていくことをおすすめします。社会人になってからも関係を続けていくことで同業種のみならず異業種の仕事をしている人と様々な情報交換ができることや仕事上で壁にぶつかったときなど、周囲に話を聞いてくれる友人や頼れる人がいることで相談がしやすくなり、問題を解決するヒントを貰えたりすることがあるからです。また、経験を積み年齢を重ねてからもプライベートな付き合い以外でも参考になることや仕事上でお互い協力しあえることが必ず出てきます。だからこそ、人との繋がりを大切にしてくださいね。 学生新聞オンライン2025年3月3日取材 東京経済大学1年 望月虎輝 東京経済大学1年 望月虎輝/国際基督教大学 2年 丸山実友 / 城西国際大学 1年 渡部優里絵/国際基督教大学 2年 若生真衣

学生新聞インターン

群馬県知事 山本一太

人生に無駄なことは一つもない、全てが役に立つ 群馬県知事 山本一太(やまもといちた) ■プロフィール1958年群馬県吾妻郡草津町生まれ。中央大学法学部卒業後、米国ジョージタウン大学大学院修士課程を修了。国際協力事業団(JICA)などでの勤務を経て、1995年に群馬県選出の参議院議員として当選後、4期約24年の間に内閣府特命担当大臣、参議院予算委員長などを歴任。2019年に群馬県知事に就任し、現在2期目。 参議院議員を長く務め、閣僚も経験したのち、現在は群馬県知事として活躍する山本知事。他にもシンガーソングライターや、執筆継続20年以上でAmeba政治家部門ランキング1位を長く維持するブロガーとしての顔も持つ。多方面へ情熱を持ち続ける山本知事のこれまでの歩みと県政についてお話を伺った。 ◾️遊びに夢中だった学生時代 学生時代は、正直言ってあまり勉強しませんでした。ただ、力を入れたことがなかったわけではありません。情熱を注いだのは、ロックバンドの活動で、夏場には小さなライブハウスでライブも開催していました。また、冬場になると草津温泉で何十人もの友達とスキーをしていました。とにかく、勉強よりも遊びに夢中でした。 そのような中でも、英語は一生懸命勉強していました。留学したいという気持ちが強くて、毎日授業のある英語の塾に通っていました。そこで他大学の友達がたくさんでき、結果的にすごく大きな財産になったと思います。 ◾️留学先で国際政治を学び、外交に興味を持つ 大学を卒業して、アメリカのジョージタウン大学院で国際関係論を学びました。アメリカでの大学院時代は、日本の大学時代とは大違いで、必死で勉強しなければとても授業にはついていけませんでした。だから、留学中は毎日図書館で夜の3時くらいまで勉強していました。 当時、日本のODA(政府開発援助)は世界一だったこともあり、日本の国際的な立ち位置について強く関心を持つようになりました。最初はジャーナリストになりたいと思い、朝日新聞の記者になりましたが、わずか数ヶ月で辞めてしまいました。その後、一人でアジアを旅しながら、自分が本当にやりたいことは何なのかを考えた結果、日本の外交に関わる仕事をしたいと思い、JICA(国際協力機構)に入ることを決意しました。 ◾️国連での経験と政治家への転身 JICAでは、UNDP(国連開発計画)に出向し、ニューヨーク本部で3年間勤務しました。経済協力や援助の面で、環境関係の業務に従事していたのですが、国連にいると日本の国際的な立ち位置が嫌でも突きつけられました。 一方で、父は政治家で、国会議員として活躍していました。自分は政治家になるつもりはありませんでしたが、父が体調を崩し、その後急逝したことをきっかけに、周囲の勧めもあって政治の世界に飛び込むことになりました。国連での経験がなければ、政治家になる決断はしなかったかもしれません。 ◾️国会議員から「プレーヤー」である知事へ 政治家になってから、国会議員として20年以上活動しました。国会議員の最大の役割は法律を作ること、つまりルールメーカーです。しかし、国会議員時代は政策決定のプロセスに直接関与できる場面は限られていました。それに引きかえ、知事は現場で先頭に立って仕事をする「プレーヤー」です。自ら政策を決め、それを実行するための予算を編成することが出来ます。知事の判断で地域の未来を大きく変えられる圧倒的な臨場感があります。 例えばコロナ禍では、群馬県民を得体の知れないウイルスから守らなければいけません。知事の主導し編成した予算次第で、県民の命や健康に直接影響が生じてしまいます。プレッシャーで夜眠れないこともありましたが、そんな中でも知恵を絞りました。毎日が小さな決断の連続でした。 決断の際は、政策や予算が県民全体の利益に繋がるかどうかを念頭に置いています。一部の人たちの利益になることか、それとも県民全体の利益になるのか。そこを意識しながら判断しています。その中でも一番のポイントは「お天道様のもとでできないことはやらない」ということを強く意識しています。 ◾️群馬県職員ナンバーワン 6年間知事を務めてきて、群馬県職員が全国の都道府県の中でナンバーワンだと思っています。もちろん、県庁は大きな組織で色んな人がいて100%完璧というわけではありませんが、コロナ対策も、デジタル戦略も、全国の都道府県と比べても、群馬県の職員はとても優秀です。ご当地キャラのぐんまちゃんのプロモーションも日本一になりましたし、YouTubeの登録者数の伸びも全国トップ。これら全て職員の頑張りのおかげです。だから私は色々なところで「群馬県職員はナンバーワン」だと言い続けています。やっぱり、リーダーとして大事なことは、相手を本当に頼りにすることだと思います。頼って信頼するほどに、人は一生懸命頑張ってくれるのだと思います。 ◾️デジタル・クリエイティブ産業を群馬の新たな主要産業に 現在の群馬県の主要産業は製造業で、自動車関連産業が集積していますが、今後の群馬県の発展を見据え、新しい主要産業として「デジタル・クリエイティブ産業」に力を入れています。「デジタル・クリエイティブ産業」とは、日々猛烈に進化していくデジタル技術を活用したコンテンツ制作、デザイン、映像、ゲーム、アプリ開発など、クリエイティブな分野に特化した産業を指します。産業の集積を図るためには、人材育成が不可欠であることから、群馬県内に在住、在学の小中高生が無料で利用ができる人材育成拠点として「tsukurun(ツクルン)」を整備しました。また中央アジアのアルメニアが開発したTUMOセンターを誘致して、中高生向け教育機関「TUMO Gunma」も今夏、オープンします。 また、映画会社とも連携し、大規模なロケ誘致を進めています。すでに多くの映画やドラマが群馬県で撮影され、エンタメ産業の拠点としての存在感を増しています。 群馬県を単なる「東京の劣化版」にはしたくありません。東京で流行しているものをそのまま持ち込むのではなく、群馬ならではの強みを生かした独自の文化と経済圏を築くことが重要です。そのためにも、デジタル・クリエイティブ産業を軸に、若者が定着し、活躍できる環境を整えていきます。 ◾️大学生へのメッセージ 67歳になった今、振り返って思うことは「人生に無駄なことは一つもない」ということです。回り道だと思っても絶対に無駄なことはありません。学生時代にロックバンドやスキーに熱中したこと、ジャーナリストを目指したこと、国連で働いたこと、そのすべてが、今の自分にとって価値のある経験になっています。 だからこそ、無駄なことをしたり、失敗したりすることが、最終的に魅力的な人間になると思うので、恐れず進んでいってほしいです。  学生新聞オンライン2025年3月17日取材 N高等学校2年 服部将昌 立教大学4年 須藤覚斗/東洋大学2年 越山凛乃/N高等学校2年 服部将昌

吉田昂史

俳優 西野七瀬

迷うなら挑戦を!困難な中での挑戦がチャンスを引き寄せる 俳優 西野七瀬(にしのななせ) ■プロフィール1994年5月25日生まれ、大阪府出身。2011年に「乃木坂46」のメンバーとしてデビュー。18年に卒業後、本格的に俳優として活動。主な映画作品に「シン・仮面ライダー」、「52ヘルツのクジラたち」、「帰ってきた あぶない刑事」、「君の忘れ方」など。「孤狼の血 LEVEL2」では日本アカデミー賞優秀助演女優賞と新人俳優賞を受賞し、「恋は光」でヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞した。 ◆俳優を続ける中で成長を感じた瞬間はありますか 高校時代はダンス部に所属していました。文化祭などがあると楽しく練習する日々でした。ちょうどその頃に乃木坂46のオーディションがあって合格し、アイドルの道を歩み始めました。最初、演技にあまり興味がなかったのですが、経験を重ねるうちに作品を作る楽しさに気づくようになりました。現場では、各分野のプロたちが一つのチームになって作品を作り上げていきます。そして出来上がった作品が公開され、多くの人に届けられる。この過程がとても素敵だと感じるようになりました。役作りといっても事前にするのはセリフを覚え、流れを把握することです。細かな部分は現場で組み立てます。監督から「オッケー」が出たら、それが正解だと信じています。 ◆映画『少年と犬』について教えてください 脚本を初めて読んだときは、大変そうだと思う気持ちと同時にワクワクしました。美羽という女性は可哀想に見えるけれど、どこにでもいる普通の女の子です。この物語は、多聞という犬がいなければ始まりません。犬が人と人とをつなぎ、信頼関係を築いていく様子が丁寧に描かれています。ぜひ、その過程をじっくり楽しんでいただけたら嬉しいです。 ◆学生へのメッセージを 私自身、楽な道か大変な道かを選ぶときは、大変な方を選びます。それは困難の中で挑戦する方がチャンスも多いと感じるからです。そしてぜひ仲間を大事にしてください。辛い経験も後になればきっと笑い話になります。笑い話ができる仲間が大切なのです。 学生新聞2025年4月号 国際基督教大学2年 若生真衣 ■取材を終えて 画面で見たまま、柔らかな笑顔と控えめながらも確かな存在感のある素敵な方でした。取材では、西野さんの想いや考えに触れることができ、さらに魅力が深まりました。(東京大学4年 吉田昂史) 映画『少年と犬』 全国東宝系にて公開中原作:馳星周「少年と犬」(文春文庫)監督:瀬々敬久出演:高橋文哉、西野七瀬、伊藤健太郎、伊原六花、宮内ひとみ、柄本明、斎藤工Ⓒ2025映画「少年と犬」製作委員会 東京大学4年 吉田昂史/国際督教大学2年 丸山実友/国際基督教大学2年 若生真衣 カメラマン 下田航輔

吉田昂史

株式会社Progmat 代表取締役 齊藤達哉

新しい金融インフラをつくる挑戦と変革 株式会社Progmat 代表取締役 Founder and CEO 齊藤達哉 (さいとうたつや)三菱UFJ信託銀行株式会社 Adviser一般社団法人日本セキュリティトークン協会 理事 ■プロフィール2010年、三菱UFJ信託銀行に入社。法人営業、業務企画、IT企画を経て、2016年にFinTech推進室設立、1人目の専任担当として三菱UFJ信託銀行のデジタル戦略を企画・推進。“シリアルイントレプレナー(連続社内起業家)”として、情報銀行基盤「Dprime」、デジタル証券基盤「Progmat」、ステーブルコイン基盤「Progmat Coin」、機能型NFT基盤「Progmat UT」、数多くの組織が入会する「デジタルアセット共創コンソーシアム」等を立ち上げる。2022年、複数の金融機関や取引所、ソフトウェア企業の出資による、デジタルアセット基盤事業の独立会社化を発表し、2023年10月創業より代表就任。特許登録8件。 金融は社会の仕組みを支え、人々の生活を豊かにする。そんな想いから、より多くの人が安心して利用できる仕組みづくりを通じて、新たな可能性・金融インフラの提供に取り組む株式会社Progmat。今回、同社の代表取締役Founder and CEOである齊藤達哉さんに、Progmatの活躍と大学生が持つべき心構えについて伺った。 ◾️証券とお金を繋ぐ新しい金融インフラ 私たちProgmatは、新しい形の金融のインフラを提供しています。事業内容は大きく二つあります。一つ目はみなさんが投資可能な資産の新しい市場を創る事業です。具体的には、これまで機関投資家しか取引できなかった非上場証券や資産そのものをトークン化(ブロックチェーン上のデータとして移転可能な形にすること)し、個人でも少額からアクセスできる仕組みを提供しています。二つ目は送金や決済の新しいネットワークを創る事業です。日本円や米ドルをトークン化することで、特に海外送金において発生する様々な問題を解決し、国境を越えた資金移動をスムーズにできます。従来の海外送金は複数の銀行を経由するために手数料が高額で不透明だったり、送金完了までに数日を要したりすることが一般的でした。しかし、Progmatが提供するインフラを活用することで、多様な地域との送金を即時かつ低コストで実現します。 Progmatは、国内で唯一、資産やお金をトークン化するプラットフォームをどちらも提供しています。このような独自のポジションを築くことができた背景には、ブロックチェーン技術と信託法を融合させている点があります。私の信託銀行員時代に、社内の専門家の皆さんにアクセスできる関係性と知見を得て、それをブロックチェーン技術と組み合わせることで、競合他社が容易に真似できないユニークなサービスを作り上げることができました。特許を8つとれたのも、信託とブロックチェーンを結びつける取り組みは世間一般では希少だからです。実際、この分野では日本国内はもちろん、世界的に見ても同じことをしている企業はごく少数しか存在していません。私たちは、資産とお金の流れをより自由にし、社会全体の取引を活発化させるインフラを提供しています。こうしたProgmatが提供するユニークな金融インフラが実現した背景には、私自身の予測できなかったキャリアの道筋が深く関係しています。 ◾️予測不可能だからこそ面白い人生  今振り返ってみれば、私のキャリアは先が見えない状態で始まったものでした。私は青森県青森市で生まれ育ち、大学は東北大学の経済学部で過ごしました。学生時代は特に真面目なタイプではなかったです。就職活動では幅広く業界を見ましたが、金融業界特有の、民間サービスと公共インフラの中間のような独自のポジションに惹かれました。三菱UFJ信託銀行に入社後、当時希望していた法人営業も若手のうちに経験できましたが、キャリア的な失敗や意図しないバックオフィス部門への異動もありました。非常に戸惑い、正直なところ退職を考えたことも1度ではないのですが、私は時々の上司からもらった「転ぶことはある。立ち上がるかどうかは自分次第」「捲土重来」の言葉で奮起。部長直下でエンジニアと二人三脚で取り組んだ立て直しプロジェクトが、その後の大きな転機になりました。結果として生産性を劇的に上げられたことで、部署内外からの評価を得ることができました。この成功体験がきっかけで新設されるIT企画部署に呼んでいただき、「FinTech推進室」の立ち上げを企画することになります。唯一の専任担当者として数々の新規事業に挑戦し、その一つが、現在のProgmat事業です。  キャリアを通じて私が学んだ最も重要なことは、「目の前のことに全力で取り組む姿勢」です。キャリアプランは、描いた通りに進まないことが多く、予測できない出来事や異動、変化が必ず起こります。しかし、その予期せぬ状況に遭遇したときにこそ、自分の可能性を広げるチャンスがあります。入社当時は、まさかブロックチェーンを駆使するスタートアップの代表をやるとは想像もしていませんでした。しかし、常に目の前の課題に誠実に取り組んだ結果として、新しい事業の立ち上げや独立のチャンスが訪れました。人生に偶然はつきものです。キャリアの中で訪れる偶然を前向きに受け入れる姿勢こそが、自分の可能性を広げる最大の鍵だと実感しています。思い通りにならないことがあったとしても、それをチャンスに変えられるかどうかは自分次第です。その時々の環境で精一杯努力することで、新たな未来を切り拓くことができるのだと思います。 ◾️大学生へのメッセージ 大学生の皆さんに伝えたいことは二つあります。一つ目は「計画的偶発性理論」です。人生は予測がつきませんが、だからこそ変化が起きやすい環境に身を置くことで、予期せぬ素晴らしいチャンスに巡り合うことができます。迷ったら常に変化が多い選択をすることをおすすめします。私自身もキャリアの中で、最初は想像もしなかったバックオフィスの仕事を任されました。最初は落胆しましたが、それが結果的に次の大きなチャンスに繋がりました。自分では選ばないような出来事も、前向きに取り組むことで大きな転機になりうるのです。二つ目は、スティーブ・ジョブズが語った「コネクティング・ザ・ドッツ」です。これは今やっていることの意味が、その瞬間には分からなくても、後になって必ず意味を持つという考え方です。私も学生時代や社会人になってから経験した数々の困難や予期せぬ出来事が、後から振り返ると現在の成功の土台になっています。例えば、IT企画の仕事やFinTech推進室の立ち上げなど、一見関係のないような経験も後に全て繋がっているのです。皆さんも、目の前の小さな挑戦を決して無駄だと思わず、一つ一つ全力で取り組んでください。それが未来を形作る重要なピースになることを信じて進んでほしいと思います。 学生新聞オンライン2025年2月14日取材 東京大学 4年 吉田昂史 中央大学 3年 向井来幸/京都芸術大学 1年 猪本玲菜/東京薬科大学 2年 庄司春菜/城西国際大学 1年 渡部優理絵/東京大学 4年 吉田昂史

イベント・企業紹介

Surface ソーシャル動画コンテスト

2025年3月14日(金)、日本マイクロソフト株式会社品川オフィスで最終選考会としてプレゼンテーションが行われた。このコンテストは、大学生の創造性を存分に発揮する場として企画されました。最終選考まで残った大学生が最新の Surface と Copilot を活用し、学生生活にどのように役立つかをプレゼンしました。優勝者、審査員、主催者に感想を伺った。 ■優勝者 東京理科大学3年 山口莉玖 もともとSurfaceの学生アンバサダーをしていたこともあり、Surfaceの魅力をもっと多くの人に伝えたいという気持ちで、今回のコンテストに応募しました。動画制作は初めての挑戦で、撮影から編集まで分からないことも多く、何度も試行錯誤しました。けれども、実際の学生生活や学びのシーンでSurfaceがどれだけ役に立っているか、自分の言葉で素直に表現できたことが評価されたのだと思います。発表当日は緊張もありましたが、こうして結果に繋がって本当に嬉しいです。何よりも、自分の想いを形にして伝える経験は、自信にも繋がりました。大学生のうちは、いろんなことに挑戦できる貴重な時期です。少しでもやってみたいと思ったら、ぜひその気持ちを大切にして、一歩踏み出してみてください。 ■審査員 株式会社インプレス こどもとIT 編集部/編集長 神谷加代私は普段、Webコンテンツの制作を行っています。そのため、今回のSurface ソーシャル動画コンテストでは、まず「誰に何を伝えたいのか」という点をしっかり考えているかどうかを重視して拝見しました。いくら完成度が高くても、視聴者の心をつかむ工夫がなければ内容が埋もれてしまいます。さらに、動画自体にストーリー性があるかどうかもポイントだと思います。クリエイティブに作品を作り上げるためには、普段から新しいことに興味を持ち、同じことを繰り返さない姿勢が必要だと感じます。前例通りに進めるのではなく、人と違うアプローチを試してみることも大切です。今の若い世代には主体性が求められると言われますが、それよりも思いきって“あえて人と違うこと”をやってみる勇気がほしいですね。成功や失敗を気にせず、「まずはやってみる」姿勢こそが、魅力ある動画コンテンツを生み出す原動力になるのではないでしょうか。 株式会社AOI Pro. エンタテインメントコンテンツプロデュース部 クリエイティブプロデューサー 芝村至ソーシャル動画はあくまでも広告だと思います。だからこそ、私は作品をできるだけフラットに見て、そこから生まれる疑問や感想を深掘りするようにしています。評価基準というものはもちろん大切ですが、もう少し感覚的な部分も意識して見ています。今回の動画を拝見して特に驚いたのは、単に映像を制作するだけでなく、「なぜその表現に至ったのか」という具体的な理由づけが明確だったことです。ただ、皆さんがロジックや情報を十分に活用している一方で、もっと感性を前面に押し出した作品があってもいいのではないかと感じました。理路整然としていても、目を引く工夫やユーモア、人間臭さのようなものが加わると、ぐっと印象に残りやすくなります。情報があふれる時代だからこそ、想像を働かせてみることが大事だと考えています。しっかり下調べをした上で、そこに自分の感性をどう融合させるか。その姿勢がこれからのソーシャル動画には求められると思います。 ■主催 日本マイクロソフト株式会社 業務執行役員 コンシューマー事業本部 デバイス戦略本部 本部長 當野喬之今回の「Surfaceソーシャル動画コンテスト」は、学生の皆さんがどのようにSurfaceやCopilotを捉え、日々の生活や学びに取り入れているのかを知ることを目的に開催しました。実際に応募いただいた作品からは、それぞれの想いや工夫がひしひしと伝わってきて、私たちにとっても新鮮な学びが多くありました。特にファイナリスト3名の発表は、ユーモアや独自性が光っており、学生だからこそ語れるリアルな声を改めて感じることができました。マイクロソフトは「地球上のすべての個人と組織が、より多くを達成できるようにする」というパーパスを掲げて活動しています。だからこそ、若い世代の発信に耳を傾け、共に可能性を広げていきたいと考えています。今回のコンテストで得た気づきは、今後の学生向けマーケティング施策やプロダクト改善にも活かしていきたいと思います。 学生新聞オンライン2025年3月14日取材 明治大学大学院2年酒井躍 / 立教大学4年 須藤覚斗

学生新聞インターン

動画クリエイター kemio

人生をもっと自由に。焦らず、自分らしく生きていけばいい 動画クリエイター kemio(けみお) ■プロフィール1995年生まれ。高校時代、6秒動画アプリVineで注目を集める。2016年に海外に拠点を移し、YouTube配信を本格的にスタート。クリエイター、モデル、俳優など幅広い分野で活躍している。本作で初めて吹替作品に挑戦。 ◆自分らしく生きるために意識していることは 以前から「今いる環境にとらわれず、必ず道はある」と考える意識が強かったと思います。昔から「言葉にしたことはすべて叶えられる人になりたい」と思っていました。エンターテインメントの世界に憧れ、当時流行していた動画共有サービス「Vine」への動画投稿が多くの人に知ってもらうきっかけになりました。日本では一度の失敗が重く受け止められがちですが、アメリカに来て「もっと自由に楽しめばいい」と考えるようになりました。私には「どうにでもなる」という考え方と、積み重ねた経験からくる自信があります。そして何より大切なのは、自分の考えを相手に汲み取ってもらうのではなく、自分から発信していくことです。 ◆映画について教えてください もともとウィキッドの大ファンで、英語版のキャラクター像が自分の中にできあがっており、日本語で演じることに苦労しました。映画『ウィキッド ふたりの魔女』は、違いを受け入れながら成長する大切さを教えてくれる作品です。観る人それぞれが迷いや葛藤と向き合うことで、勇気をもらえると思います。 ◆学生へメッセージをお願いします 今の学生たちは変化の速い時代を生きています。SNSの影響で他人と比べたり、将来に不安を感じたりするかもしれません。でも、焦らなくて大丈夫。人生はどうにでもなるし、自分で切り開くものなのです。私自身、演技の仕事を増やしたいと考えていたときに「ウィキッド」のお話をいただきました。皆さんもぜひ夢は口に出してみてくださいね。 ◆取材を終えて 気さくで話しやすかったkemioさん。自分らしく、好きなことを楽しむ姿が本当に素敵で、私もそんなふうに生きたいと感じました。「人生はどうにでもなる」という言葉に、深く考えがちな私の肩の力を抜くきっかけになった気がします。 学生新聞2025年4月号 国際基督教大学2年 若生真衣 映画『ウィキッドふたりの魔女』 2025年3月7日(金)より全国公開中配給元:東宝東和ⒸUniversal Studios.All Rights Reserved. カメラマン 下田航輔

学生新聞インターン

株式会社リコー 代表取締役会長 山下良則

「作業」の効率化を追求し、創造性のある「仕事」をする 株式会社リコー 代表取締役会長 山下良則(やましたよしのり) ■プロフィール 1980年、リコー入社。フランス工場や中国工場の立ち上げをはじめ、英国生産会社の管理部長、米国生産会社の社長を務め、リコーのグローバル化を牽引。2017年に代表取締役社長執行役員・CEOに就任し、多様な社員の活躍を促す社内改革を推進。2023年、代表取締役会長に就任。 リコーはオフィス機器の製造販売で知られているが、近年は顧客の業務DXを支援するデジタルサービスの提供に力を入れている。その根底に流れている思想は、「作業」の効率化により、いかにして人が創造性のある「仕事」をするかだ。山下良則会長にリコーの強みや働くことへの意識について伺った。 学生時代は卓球とアルバイトに精を出していました。もちろん授業には出席をしていましたが、「学校以外で学べること」の重要性に気づき、アルバイトなどの学業以外の活動にも力を入れました。大学では経営工学分野を専攻していたのですが、その頃は高度成長期であり、理系学生は電気メーカーに就職するのが大半でした。そういった中にあって、収益性・将来性・安定性の3つを軸にデータを集め、企業分析を行いました。その結果、収益性と将来性の2つが圧倒的に高かったのがリコーだったので、入社を決めました。 ■人は「作業」ではなく「仕事」をするべき 入社後、さまざまな土地で仕事をしてきましたが、特に印象に残っているのは7年間に及んだイギリス駐在です。当時は三六協定もなく、働けるだけ働くことが当然とされていました。私自身も管理部長として身を粉にしながら毎日働いていました。しかし、その中にあってこれだけ仕事をしていても本当に成果として結びついているのか、と疑問に思うようになりました。「仕事」という言葉は、業務内容や作業といった意味でひとくくりに使われていますが、私は機械で代替できる業務は「作業」、創造をもたらす業務を「仕事」と分けて考えています。作業が続くと非常に退屈ですし、なによりも仕事に対する価値を感じなくなってしまいます。作業を一生懸命にしたとしても、競合他社や世界相手に勝てる保証はありません。それならば作業を何かしらの手段を使って効率化し、効率化できた分、人間が本来やるべき仕事をするべきだと気づいたのです。そのほうがたくさんの経験が得られますし、人の幸せにつながるのではないかと考えています。 ■働く人の創造性のある仕事を支援 当社では1977年からオフィスオートメーション(OA)という考え方を提唱し始めました。OAとは、事務作業の機械化の意味なのですが、我々は47年以上も前から「作業」を効率化しようとしていました。それを体現するために、コピー機やワードプロセッサー、ファクシミリといった事務作業を効率化するためのハードウェアを開発し、世の中の“はたらく”を支え、進化させてきました。また、リコーは2020年にOAメーカーからデジタルサービスの会社に変革することを宣言。ハードウェアだけでなく、オフィスロボティクスのためのRPAといったソフトウェアの活用やAI技術の開発、他社との提携やオープンイノベーションなども積極的に行っています。また、文字や画像はデジタル化されましたが、まだ完全にデジタル化されていないものがあります。それは人間の感覚です。うれしいといった感情や肌に当たって痛いなどの感覚をとらえてデータ化していきます。そして認識技術・AI技術によって行動や思考を体系化し、ワークフローと結びつけることにより、創造力を最大限に発揮させられると信じています。 ■自律型人材が活躍できる環境づくり 最後に人事制度についてお話をさせていただきます。リコーでは2022年度から国内約3万人の従業員に対し、リコー式と呼ばれる独自のジョブ型人事制度を導入しました(リコージャパンは2023年度から導入)。この制度は、デジタルサービスの会社への変革に向けて、当事者意識を持って能動的に実力を磨き、チャレンジする、自律型人材が活躍できる環境づくりを目的としたものです。欧米で見られるジョブ型ではポジションごとに給与がつけられますが、異動などでポジションが変わると給与も変わるといったことが起きてしまいます。対して、リコー式ジョブ型人事制度では、グループグレード設計にして、同一グレード内でポジションが変わるような異動が起きても給与は変わらないようにすることで、適所適材による機動的な登用を実現しました。このように欧米のジョブ型をそのまま導入するのではなく、自社に最適な制度にカスタマイズすることで、社員自身が自らの成長のために自律的なキャリア設計を描くことができるようになります。また、ジョブディスクリプションに応じた公平で納得感のある評価も行えるようになりました。社員の成長と会社の成長は同軸だと考えています。しかし、人が人を評価するのは非常に難しいことです。評価する人自身も成長していかなければ評価される側も頑張ろうとは思いません。そのためにも評価する側のトレーニングも欠かせません。 ■message 人間は逆境に立たされたときに大きく成長をします。当社もコロナ禍でプリンティング事業が大打撃を受け、赤字になってしまいました。そのような中にあって、イギリスからコロナ対策の医療用シェルターの開設に必要なネットワーク構築の支援を依頼されました。もちろん赤字の中での苦しさはありましたが、コロナが終息に向かい始めた頃に、世界中からこのネットワーク製品の受注が舞い込み、利益を生み出すことができました。このように逆境の中でも、利他の精神で行動し続ければ、何かしらの成果となって成長するものです。皆さんもぜひそのような成長を目指してほしいと思います。 学生新聞2025年4月号 武蔵野大学4年 西山流生 武蔵野大学4年 西山流生/城西国際大学1 年 渡部優理絵

DX・WEBマーケティング

西日本電信電話株式会社 執行役員 デジタル革新本部長 デジタル革新本部...

つなぐ力にDXの革新を。NTT西日本が描く未来とは 西日本電信電話株式会社 執行役員 デジタル革新本部長デジタル革新本部 デジタル改革推進部長(兼務)  小田 孝和(おだ よしかず) プロフィール1994年日本電信電話株式会社(NTT)入社。1999年に西日本電信電話株式会社(NTT西日本)勤務となり、西日本エリアのフレッツ網の立ち上げ・NW設備のマイグレーション等に従事。2019年ネットワーク部企画部門長を経て、2022年執行役員デジタル改革推進部長に就任(現職)。2024年より開発・技術系組織を統括するデジタル革新本部長に就任し現在に至る。 DXの力で社会を支える通信インフラの未来とは——。デジタル技術を活用し、地域の課題解決や業務の効率化を進めるNTT西日本。その取り組みや今後の展望について、デジタル改革推進部長の小田孝和氏にお話を伺った。 大学時代は、情報システムやITを専門で学んでいました。研究室のワークステーションで学生がパソコンやサーバーが使えるよう、私はシステム・ネットワークの環境整備や管理を担当させてもらっていました。雑用も多かったのですが、自分が設計構築したネットワークを他の学生が使ってくれて、感謝されたのがとても嬉しかったです。この経験から自分の手で通信の仕組みをつくり、社会を支えるインフラを提供していきたいと考え、当社に入社しました。入社当時は、ちょうどインターネットが普及し始めた頃で、携帯電話もこれから登場するといった時期でした。インターネットは大学機関などに属する一部の限られた人々が利用するもので、一般家庭にはまだ普及していなかったんです。当時のインターネット環境は通信速度が非常に遅く、ホームページ1ページを開くのに4〜5分かかるような時代でしたね。私は入社後、主に通信環境・ネットワークをより高速にしていくこと、光ファイバーをインターネットにアクセスする回線に用いること等、インターネットのブロードバンド化に関する開発導入を担当していました。 ■多くの人々の頑張りが支えた黎明期のネット環境 今は当たり前のようにインターネットがつながりますが、当時はまだまだ黎明期で、なかなか簡単にネットワーク機器同士が繋がらなかった時代でした。開発しているメーカーのエンジニアに「ここ直してほしい、ここ変えてほしい」などと議論を重ねながら調整し、お客様に使ってもらえるよう実際のフィールドに導入していくことが仕事でした。導入し多くの皆さんが使ってくれるようになった後も、故障やトラブルなど予想外の問題が起きるものです。その対処にも苦労しましたね。また、通信設備を苦労しながら構築しても、台風や地震などの災害が起きれば、壊れることもあります。「壊れたら直す」の繰り返しで苦労も多かったです。でも、すべての地域に安定的にインフラを届けることは、私たちの使命でもあるので、大変でも使命感をもってやりとげる仲間たちが一杯います。そんな仲間たちの頑張りがあってこそ、皆さんが当たり前に使える現在のネットワーク環境が実現できていると思っています。 ■DXは目的ではなく手段である 現在私が所属するデジタル改革推進部では、DXやAIなどの技術を社内に展開して、業務をサポートする社内システムを開発し、業務を効率化する仕掛け作りを行なっています。私は、DXとは目的ではなく手段だと思っています。例えば、業務の効率化という目的を果たすためには、組織や人が変っていくことが重要です。そのため、組織や業務の仕組みを変えるための道具としてDXを活用する必要があるのです。一つの例えになりますが、Aという組織とBという組織があって、その仕組みをDXで変えようとしたとき、両方の組織の役割分担を見直さなければならない場合もあります。その際には各組織の立場を超えて、俯瞰的に第三者の目線としてみる必要もあります。その観点でデジタル改革推進部の果たすべき役割は大きいと思います。現在、NTT西日本グループでは、通信事業を始めとする業務に約5万人以上の人が携わっています。通信設備を構築する人、故障を直す人、お客様から回線の申し込みを受けたら、その注文を処理する人など、職種はさまざまです。そのような皆さんが効率的に仕事を行えるようにオペレーションシステムを導入し、DXの色々な仕掛けを入れていきます。DXを進めることで、例えば今まで1000人かかってやっていた業務が100人で出来るようになり、生まれたリソースを活用して「人間にしかできない付加価値のある仕事」をやってもらうことが可能になります。こうした営みを継続することがとても大事です。 ■人口減少をはじめ、社会課題をDXの力でどう解決するか 我々、NTT西日本グループは様々な地域に通信環境を提供しています。そして、その各地域には社員・パートナーの皆さんがいて、それらの方々は通信環境を整備・提供するだけでなく、地域のお客様のDXをサポート・手助けすることも行っています。DXを進めるには通信でつながっている事が大事です。あらゆるものがデジタル化により通信で「つながる」ことが、より大きな価値を生み出します。だからこそ、地域の皆さんのDXを支え、それに寄り添っていくことは私たちの大きな使命だと思います。その営みが、地域の様々な社会課題を解決することにもつながっていきます。例えば、労働人口の減少をDXやAIによって補うこともできます。インフラの維持が難しくなってきている過疎地域等では、自動運転のバスを導入していくといった仕掛け作りも、各自治体の方と協力して進めています。これに限らず、DXやAIでできることは幅広く、あらゆる場面で社会や人々を支えていくことになります。 また、通信事業は私たちのメインの事業になりますので、そこを強みや接点にしながら、ICT導入のサポートを行ったり、我々のサービスを使ってもらうのはもちろんのこと、お客様のDXを進めるためのコンサルティングを行っています。地域・業種・組織等が異なるさまざまな方々がインターネットを中心とした通信でつながることにより、デジタル化のメリットや影響・効果が更に大きくなります。そのサイクルを回すことがとても重要だと思っています。今後注目すべき技術は、やはりAIです。現在、AIがものすごいスピードで広がっています。世の中も大きく変わってきています。これまでも、インターネットが登場し、ガラケーがスマホになり、技術の進化で仕事のやり方や世の中の価値観も、ここ10年20年で大きく変わりました。同じく、今後の10年20年も、ものすごいスピードで世の中が変わっていくと思います。なので、やはり新しいものはどんどん取り入れて、自分たちが変化していかないといけないと思います。ダーウィンの進化論のように「強いものよりも変化していけるものが生き残る」と思いますね。 今は変化の時代なので、自分たちも変わっていくし、自分たちが変わることによって進化したノウハウなどを地域や社会に還元することで、一緒になって変わっていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 今、生成AIやインターネット検索などを使えば、「調べると簡単に答えがでる時代」です。でも、そこに決して満足せずに、「その答えは本当なのか?」という想いを持ち、その裏側にある本質を是非探求してほしいな、と思いますね。やはり「苦労した時の経験こそ、現在の自分の成長や力に繋がっている」と経験上思うので、学生の皆さんにもどんどんいろんな苦労を自ら買って出て、さまざまな経験をしてほしいですね。あとは、好奇心と成長欲求は持ちつづけて、いろんな壁にぶち当たって成長していってほしいです。私がよく言っているのは「いくつになっても日々成長! 年を取っても昨日より今日! 今日より明日!」です。そういう意識で日々私も過ごしています。若い皆さんは成長度合いが大きいと思うので、今を大切にどんどん挑戦してほしいです。 学生新聞オンライン2025年2月21日取材 中央大学3年 向井来幸

加藤眞優花

女優 安倍乙

どの道に歩むにしろ、正解にするのは自分次第 女優 安倍乙(あべおと) ■プロフィール2000年1月18日生まれ、大阪府出身。2017年より秋元 康プロデュース「劇団4ドル50セント」の劇団員として活動。ABEMA『真冬のオオカミくんには騙されない』に出演後、グラビアで人気を博し、2023年にはテレビ朝日系『仮面ライダーガッチャード』に銀杏蓮華役でレギュラー出演を果たす。現在は雑誌『美的』のレギュラーモデルも務める。 さまざまな役柄を巧みに演じ分けるその演技力や登場人物の心情を見事に体現する表現力で、多くの視聴者を魅了する女優の安倍乙さん。誰をも惹きつける演技の秘訣と、出演するドラマ「きみは面倒な婚約者」にて花澤優衣を演じる上で意識した点や伝えたい思いを伺いました。 私が舞台に立つようになったのは、姉の存在が大きいです。姉は大学で舞台芸術学科を専攻していたのですが、彼女の様子をそばで見ているうちに、演じることに憧れを抱きました。「劇団4ドル50セント」のオーディションに合格し、高校三年生の時に上京しましたが、不安よりも自由を感じる気持ちのほうが大きかったです。東京の大学に進学したものの、稽古と重なり、大学にはあまり通えませんでした。当時は、お芝居の道に進みたいという想いと、就職した方が良いよなという想いで葛藤することもありました。でもやっぱり、自分がやっていて楽しいことをするべきだと思い、芸能の道一本に絞ったのです。  お芝居にやりがいを感じる瞬間は、見てくださった方々の反応を直に知れる点です。視聴者の方から、ここが良かったと生の声を聞いたり、SNS等でコメントをいただいたりすると、すごく嬉しく、やりがいを感じます。もうひとつのお芝居の魅力は、別人になれることですかね。もちろん難しさもありますが、それを超えた役者ならではのやりがいや楽しさがあります! 時には、朝から夜まで何日も撮影が続くので、リフレッシュもかねて早寝早起きを徹底したり、帰ってきたら早めにお風呂に入ったりするようにしています。現場の雰囲気もそれぞれの撮影によって変わりますね。仮面ライダーの撮影のように長時間一緒にいるとキャストもスタッフも家族のような雰囲気になるし、シリアスな役を演じる時には現場でも少し静かめに過ごすことも多いです。どんな役を演じるかで、現場での過ごし方も変えるように意識しています。 ■テレビ朝日&TELASA 恋愛ドラマシリーズ「きみは面倒な婚約者」注目ポイント 「きみは面倒な婚約者」という作品では、ぜひモノローグの表情に注目していただけたらと思います。登場人物たちの内面に秘める想いと顔の表情が異なるため、それぞれの葛藤を感じてもらえたら嬉しいです。他にも表情の違いで雰囲気を切り替えている箇所もあり、シリアスな部分とコミカルな場面は、舞台で鍛えられた表情演出を意識しながら演じています。 ■花澤優衣と安倍乙 今回のドラマへの出演が決まった時は素直に嬉しかったです。花澤優衣は、私が今まで挑戦したことのない、あざと女子で前髪がぱっつんのキャラクターです。新しいヘアスタイルに挑戦できるのも楽しいし、あざとい女の子を演じるのもとてもワクワクしました。 しっかりしているようでドジっ子。そんな花澤優衣の性格は、私と少し似ているなと思います。演じる上で気をつけたことは、明るくてあざといキャラなので、私生活でも日常的に明るい感じでふるまったり、友達に上目遣いなどのあざとさのコツを聞いたりしました。また、花澤優衣というキャラクターは、何事にも諦めない性格が印象的です。芯が強く、フラれても前向きに捉えて切り替えていくキャラクターなので、きっと今恋している人も参考にできるのではと思います。そして、背中を押すキャラクターだなと感じます。恋敵は嫌われやすいですが、花澤優衣は嫌われつつも誰かの背中を推してくれるキャラクターです。最初は、「なんだこの子は!」と思われるかもしれませんが、きっと最後には視聴者の方にも「いい子だな」と思っていただけるのではないかと思います。 ■今後の展望 お芝居がたくさんできたらいいなと思っています。今までは、明るいキャラクターを演じることが多かったので、ぜひ真逆のキャラクターにもチャレンジできればと思います。あとは、どの役を演じるのであれ、感動と共感を与えられる役者になりたいです。「こんなふうになりたい!」と誰かに思ってもらえるような役者になれたらと思います。 ■大学生へのメッセージ 「自分の人生の選択を正解にしていく」。このことを軸に活動することが大事だと思います。私も大学に通い続けるか、女優の道に進むのかかなり悩みました。自分の進みたい道に踏み切れないときは、リスクを考えずに、とにかく自分の心にしたがってほしいと思います。どんな選択も自分次第だと思います。その選択を正解にするのは自分です。また、大学生という時期は、失敗してもまだやり直せることを念頭において考え込みすぎず、チャレンジしてほしいです。 学生新聞オンライン2025年2月26日取材 大妻中野高等学校3年 加藤真優花 ☆テレビ朝日&TELASA 恋愛ドラマシリーズ☆ きみは面倒な婚約者「きみは面倒な婚約者 ダイヤ」TELASA:2025年3月3日(月)ひる12時~配信中 「きみは面倒な婚約者  プラチナ編」地上波:2025年3月28日(金)深夜1時30分~放送予定(関東ローカル) 津田塾大学2年 石松果林/大妻中野高等学校3年 加藤眞優花 カメラマン:下田航輔

イベント・企業紹介

インフルエンサーズEXPO 2025SS

株式会社M CLOUD(本社:東京都渋谷区、代表取締役 CEO:南美沙)は、2025年3月13日(木)に10回目となる「Influencer’s EXPO 2025 SS」を開催しました。今回のイベントには、ALLIE、ロート製薬株式会社、株式会社プロラボホールディングス、株式会社 SUNGRAN、生活の木、株式会社メディプロデュース、株式会社サンギ、株式会社ゴンチャ ジャパン、チョーヤ梅酒株式会社など多くの企業が協賛していました。 Influencer’s EXPOとは、InstagramやTikTokなどのSNSで人気のインフルエンサーが来場するイベントです。SNS世代に大きな影響力を持つ厳選された300名以上(マイクロインフルエンサーやトップ・ミドルインフルエンサー)を完全招待制で案内しています。本イベントは「インフルエンサー」という言葉のイメージや価値を確固たるものにしたいという思いから2019年に発足されました。M CLOUDの考える「インフルエンサー」は、フォロワーが多いことだけではなく、職種や発信内容を問わず、世の中に対して有益な情報を発信し、影響を与える人たちのことを指します。 イベント会場では人気商品や新商品をいち早く体験できるなど、最新トレンドをチェックすることができます。企業ブースでは、インフルエンサーに商品の良さを説明、体感してもらえる場になっています。 次回は初の大阪開催「Influencer’s EXPO in OMO7大阪 by 星野リゾート」が2025年5月29日(木)に決定しています。ぜひインフルエンサーのみなさま、足を運んでみてはいかがでしょうか。 株式会社MCLOUD 代表取締役 南美沙 モデル、女優、インフルエンサーとして映画、雑誌や様々な広告に出演した後に起業。キャスティングサービス「キャストドン」の提供をはじめ、日本最大級のインフルエンサーイベント「インフルエンサーズEXPO」の主催を務めるなど多岐にわたり活躍をしている。 https://mcld.jp/ <当日の会場の様子> 学生新聞オンライン2025年3月13日取材 学生新聞編集部

イベント・企業紹介

「BENI BITES(ベニバイツ)」お披露目イベント

~日本のさつまいもを世界のスーパーヒーローに~手が汚れない。持ち運びやすい。新発想の干し芋バー BENI BITESで革命を起こす! 干し芋の新たな可能性を切り開く「BENI BITES(ベニバイツ)」が全国発売しました。2025年2月7日、東京都港区のBROOKS GREENLIT CAFEで開催されたお披露目イベントには、驚くほど多くの来場者が詰めかけ、注目の高さが伺えた。ブランド誕生の背景や開発のこだわり、そして今後の展望について、BENI BITESを運営している株式会社morning boost代表の神宮司希望さんに話を伺った。 株式会社 morning boost 代表取締役兼 CEO 神宮司希望(じんぐうじのぞみ) ■プロフィール鹿児島県生まれ。大学卒業後、航空会社に入社。世界中のさまざまな食とふれあう中で、食文化の多様性に魅了され、2013年 朝食卵料理専門店「eggcellent」をオープン。2018年にプラントベース&グルテンフリースイーツ「UPBEET!Tokyo」、2024年 プラントベース&グルテンフリースナック「BENI BITES」をリリース。ミッションは「日本の食の素晴らしさを通じて、世界中の皆さまに健康と笑顔をお届けすること」。東京都女性ベンチャー成長促進事業 「APT WOMEN」 第8期生。経済産業省×JETRO 「J-Star X Food Frontiers USA」第1期生。農林水産省フードテック官民協議会『食スタートアップ未来会議』メンバー。 ■干し芋バーの誕生した経緯 私は鹿児島で育ち、幼い頃から干し芋に親しんできました。干し芋は昔からある伝統的なおやつですが、手にくっつきやすく、外で食べるには少し不便な点がありました。カバンの中に入れて持ち運ぶのが不便だったり、食べた後にパソコンを触るとベタついてしまったりと、日常生活の中で使いづらい場面も多かったのです。そこで、もっと手軽に、どこでも食べやすい形にできないかと考えたのが干し芋バーの始まりです。従来の干し芋の良さを活かしつつ、スティック状にすることで、持ち運びやすく、衛生的に食べられるようにしました。これなら忙しい現代のライフスタイルにも溶け込み、さらに世界中の人々にも受け入れていただけると考えております。 ■干し芋バーのこだわり 市場にはすでに多くの干し芋製品が存在していますが、「干し芋バー」は独自の特長があり差別化を図ることができます。美味しい干し芋バーにするために、鹿児島・桜島の溶岩で長時間かけて焼き芋にした「南九州産の良質なべにはるか」を丁寧に干し芋にし、独自の製法で甘さと栄養を閉じ込めバーに仕上げました。商品の嬉しいポイントとしては、プラントベース、グルテンフリー、低GI、良質な食物繊維が豊富で腸活によいことに加えて、一般的な干し芋はそのままの形状で販売されますが、「干し芋バー」はスティックバー状に加工されており、手を汚さずにワンハンドで手軽に食べることができる仕様になっております。また、パッケージデザインにもこだわり、若い世代や海外の消費者にも受け入れられやすいスタイリッシュでインパクトのあるデザインを採用しました。単なる食品としてではなく、ライフスタイルの一部として取り入れられることを目指しています。そのため、細部にまで工夫を凝らし、現代の消費者のニーズに応える商品に仕上げました。 ■カラダにも健康にも嬉しい 干し芋は美味しいだけでなく健康にもいいと、幅広い年代に古くから親しまれてきた日本が誇るスーパーフードです。「干し芋バー」はカラダにも環境にも配慮した商品として開発されました。その理由として、さつまいもは食物繊維やビタミンなどが豊富に含まれていますが、干し芋にすると食物繊維はさつまいもの約2.7倍!カリウムやカルシウムなど他の栄養素も増えます。食物繊維が豊富で腸内環境の改善も期待できるため、健康を意識する方にもおすすめです。また、干し芋の原料となるさつまいもは、少ない水で手を加えずに栽培することが可能であり、CO2の吸収力が高いため、環境配慮の農作物です。                            近年、健康志向やサステナブルな消費に関心を持つ人が増えていますが、「干し芋バー」はまさにそうした時代のニーズに応える商品だと考えています。 ■さつまいもを世界のスーパーヒーローに 私のミッションは、干し芋バーを通じて、この素晴らしいさつまいもの魅力を国内外に発信し、「さつまいもを世界のスーパーヒーローに」することです。この度の「干し芋バー」はその第一弾アイテムとして開発してきました。今後は、さつまいもを使ったさまざまな商品を展開し、日本の農産物の魅力を世界中に伝えていきたいです。 学生新聞オンライン2025年2月7日取材 津田塾大学2年 石松果林

学生新聞インターン

CBcloud株式会社 代表取締役CEO 松本隆一

「ドライバーの価値を上げる」というぶれない軸 CBcloud株式会社 代表取締役CEO 松本隆一(まつもとりゅういち) ■プロフィール1988年生まれ、沖縄県出身。高校時代に独学でプログラミングを修得。高校卒業後、航空保安大学校を経て国土交通省に入省。航空管制官として羽田空港に勤務。2013年に退省、他界した義父の運送業を継ぎ、配送ドライバーを経験。同年CBcloud株式会社を設立。 2024年問題を筆頭に、物流業界には多くの課題がある。それらの課題をテクノロジーを駆使して解決しているのがCBcloud株式会社だ。同社はピックゴーやスマリューというサービスを提供しており、登録する個人事業主のドライバー数は6万人と日本一の登録数を誇る。今回は同社を率いる松本隆一氏に学生時代の話や社長になるまでの経緯、大学生へのメッセージをお伺いした。 高校時代はゲームが好きすぎて、夜中までゲームをし、授業中は寝て、放課後に野球をするという生活を送っていました。そんな中、塾の恩師から「ゲームを“やらされている”うちはまだまだだ。自分でゲームを作って人を幸せにするくらいになりなさい」と言われ、衝撃を受けました。それまで「作る」という発想がなかったのですが、この言葉をきっかけにエンジニアリングに興味を持ち始めました。  ちょうどその頃、実家が塾を起業していて、オンデマンド授業システムを作ることになりました。座席についてIDとパスワードを入力すると、受講している授業を受けられる仕組みです。これは恩師の一言で始めたエンジニアリングで、人に価値提供できたいい経験になりました。  その後、大学受験のタイミングでエンジニアリングの道に進むことも少し考えましたが、最終的には小さい頃から持っている航空への興味が強く、航空管制官を目指して航空保安大学校へ進学しました。 ■義父の思いを引き継いで 航空管制官時代に現在の妻と出会いました。付き合っていく中で、妻の父が運送業をやっていることを知りました。彼の営んでいた運送業が、いまのCBcloudの前身に当たります。  義父はもともと国道沿いの新古車販売業をしていました。多店舗展開していない車屋は、基本的には地域密着型のビジネスのため、売上の上限がすぐに見えてしまいます。そこでアイデアマンだった義父は、冷凍軽貨物車を開発・販売し始めました。20~30年前はどこのメーカーも冷凍軽貨物車を作っていなかったため、この車は飛ぶように売れました。 しかし、次第に義父は物流業界の闇に直面します。彼は定期点検で戻ってくるドライバーたちの話を聞くうちに、その裏側にある厳しい実情を知るようになりました。物流業界は多重下請け構造になっており、最終的に仕事を請け負うのは個人事業主のドライバーたちです。仕事の依頼を一度断ると次の仕事が回ってこなくなるなど、彼らの社会的地位は決して高くありませんでした。そんな話を聞くうちに、義父は「冷凍軽貨物車を売ることで、結果的に人を不幸にしてしまったのではないか」と考えるようになったのです。  普通の車屋さんであれば車を売って儲かれば終わりですが、義父が違ったのは、困っているドライバーたちと向き合い始めたことです。具体的には、自社の車を買ってくれた人に対して、仕事を確保し、割り振るという、運送事業を始めたのです。これを聞いた時に私はただただ感動しました。誰かの困り事を解決して、さらにそれをビジネスにしていることがかっこいいなと思ったのです。そこに共感し、航空管制官を辞めて義父の事業を手伝うことを決めました。  私が手伝い始めた当初、運送業界は本当にアナログな世界でした。義父のもとには、配送依頼の電話が朝夜問わず電話でかかってきて、受けた依頼を、自分がつながっている個人事業主のドライバーに電話で依頼する形で対応していました。これだと義父が24時間対応しなければならず、事業も拡大しません。そこで私たちは、お客さんから来た依頼が全部自動でドライバーさんに流れるような仕組みを作ることにしました。しかし、この仕組みづくりを始めたタイミングに、義父が亡くなってしまいました。その後、彼の想いを引き継いで私が社長になり、今のCBcloudが立ち上がったのです。 ■ぶれない軸があれば、失敗しても成功できる 創業以来、大切にしてきたのが「ドライバーさんの価値を上げる」という軸です。  たとえば、以前某EC事業者さんが日本で物流事業を始める時、弊社に声がかかりました。当時、社員が10名のときに100億円もの案件のオファーをもらい、非常に魅力的ではありました。しかし、この案件を受けるとドライバーさんをただ派遣するだけになってしまい、彼らの価値向上につながらないと感じたため、お断りしました。  普通の会社は、お金を落としてくれる人のために何をするかを考えます。しかし、弊社はドライバーの皆さんの支援を最優先に考え、彼らのために何ができるかを一貫して追求してきました。ピックゴーではドライバーさんに仕事を正当な対価で提供できる仕組みを、スマリューでは仕事を遂行する上で生産性を上げられるシステムを提供してきました。これが結果的に個人事業主のドライバーさん6万人の登録につながり、紹介できるドライバーが多いという弊社の強みにつながっているのだと感じています。  「軸をちゃんと持つ」ということは、一緒に働く人に求める条件でもあります。ぶれない軸さえ持っていれば、たとえ失敗をしても最終的に成功できると考えています。これは仕事でも人生でも大事なことです。  弊社では、今後もドライバーさんの価値を高めつづけ社会的地位向上に努めていきたいです。今は「自分はドライバーだ」と胸を張って言える人は少ないです。私たちの仕事にゴールがあるとしたら、ドライバーさんたちの親友や子供が「自分もドライバーという職業を目指す」と言い出したときに、自信を持って背中を押せることです。また、物流業界に限定せず、地方人材などのポテンシャル発掘にも力を入れていきたいと考えています。 ■大学生へのメッセージ 興味があることだけでなく、興味がないことにも積極的に挑戦してほしいと思います。  僕自身の例を挙げると、飲み会に誘われたら基本的に全部行きます。なぜかというと、どんな場でも新しい出会いや気づきがあるからです。大人になると、つい「あの人がいると楽しくなさそう」「この話題になりそうだから面白くない」と決めつけがちですが、実際にそうなるかどうかはやってみないとわかりません。結局のところ、場の面白さは自分次第。自分が楽しもうとすれば、どんな環境でも価値ある時間に変えられます。  人は、自分の過去の経験をもとに判断しがちです。しかし、それでは新たに得られる経験の幅も連鎖的に狭くなってしまいます。僕自身も、37年間生きてきましたが、自身の経験のみで判断してはいけないなと感じています。  ぜひ、与えられた機会にすべてトライしてください。興味の有無に関係なく、一歩踏み出してみることで、新しい世界が広がります。経験は、あなたの未来を形作る大きな財産です。 学生新聞オンライン2025年2月21日取材 法政大学4年    鈴木悠介 法政大学4年    鈴木悠介/東洋大学2年 越山凛乃

コラム

テリー伊藤 コラムVol.47 戸塚トツカーナモールが凄すぎる

鎌倉への帰路、普段なら寄り道はしないが、中華料理が突然食べたくなり戸塚に向かうことに。以前にも来た駅前のショピングセンター『トツカーナモール』へ。いつもなら和食を選ぶが今日は中華と決めている。とは言っても初めて入る店、それもモールにあるお店「華林菜館」、余り期待はしていなかった。しかし、店内に入ってみると、店員さんも料理人も全て中国人でやる気満々、びっくりの美味しさだった。天津麺、回鍋肉、酸辣湯全てが旨い。それも大衆料金。横浜中華街の名店にも引けを取らない味なのだ。帰り際、レジの横を見ると若き植木等さんと黒沢年男さんの写真が飾ってあった。昔の「華林」の店内での撮影と思われる。さすが植木さん、安くても美味しいお店を知っていた。大満足でお店を出たが、お腹いっぱいになりモール内を徘徊すると、とんでもない事に気付く。人生の全てがここで手に入る仕組みになっていた。 B1FはTOKYU PLAZで食料品。ファーストフードが網羅され、更に工務店、カルチャースクール、ベビーパーク、ダンススタジオ二つを設置。保健相談窓口も開設され、地下鉄入口もある。1Fには大衆的飲食店が30店舗以上軒を連ねる。と思えば靴修理、合鍵作成店、宝飾店、処方箋薬局、横浜銀行と凄い事になっている。2Fは宝くじ売り場、補聴器センター、歯科医院、りそな銀行、メンズカジュアル洋品店、女性が好むレストランから牛丼吉野家まで飲食店多数。凄いのはパチンコ屋さんまで。都心ではパチンコ屋さんはモールには入らないが、恐らくこの場所の開発以前からこの地で営業していた関係で優先的に許可が下りたのでは。歯科医院、スマートフォン修理店。最後に介護施設の紹介所も。バラエティーに富んでいる。 3FはJR戸塚駅改札に続く道とバスターミナルに行ける玄関となる。正面らしく3つの大手銀行が並ぶ中、女性の集客に力を入れているのか美容関係であるネイル、エクステ、リラクゼーション、整体マッサージ、寝具、ドラッグストアーなど、女性の興味を引くショップが良い位置を占めている。4Fはユニクロを始め都内には無さそうなファション店多数。新鮮で面白いため私も思わずセーターを2枚購入。呉服店、パソコン教室、英会話教室、更に眼科、またまた歯科医院、産婦人科医院も揃う。5Fにも眼科、人工透析院とヘルスケアも完璧。 トツカーナで産まれ、学んで、綺麗になって、オシャレして、美味しい物食べて、太って、ダイエットして、恋して、貯金して、家を探して、病気になって、老人ホーム探し、まさに「ゆりかごから墓場まで」全て手に入るとんでもないモールなのだ。トツカーナという名前もいい。2025年はトツカーナ詣で始まった。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

モデル・タレント 山口厚子

夢を叶える力は、自分を信じること モデル・タレント 山口厚子(やまぐち あつこ) ■プロフィール1996年4月16日生まれ。福岡県出身。現在モデル・インフルエンサーとして東京を拠点に活動中。また地元福岡県八女市の”八女市茶のくに親善大使”として活動中。過去に『踊る!さんま御殿‼︎』『今夜くらべてみました』に出演。札幌コレクション2023でランウェイデビュー。写真集制作やバスツアーを企画・実行するなど活躍は多岐にわたる。 「自分を信じて、夢を叶えるために努力を続ける」。そんな信念を持ち、モデル・タレントとして活躍する山口厚子さん。福岡で育ち、一度は就職するも、再び夢を追い東京へ。独立し、試行錯誤を繰り返しながらも、SNSを活用し多彩な活動を展開。挑戦し続ける彼女の軌跡と、大学生へのメッセージを伺った。 小学校6年生のとき、外見にコンプレックスを持っていました。地黒で眉毛も濃く、周りと違うことに悩んでいたんです。でも、ある日叔母が『長谷川純ちゃんに雰囲気が似てる』と言ってくれて、どんなモデルさんなんだろうと本屋で雑誌を探しました。表紙で輝いている姿にすごく感動して『私もモデルになりたい!』と興味を持ちました。長谷川潤さんのナチュラルでヘルシーな姿を見た時、衝撃が走ったのを今でも鮮明に覚えています。自分がコンプレックスだと思っていたことが唯一無二の個性なんだと気づかせてくれたのです。その後、地元のフリーマーケットで偶然参加したオーディションでグランプリを獲得し、事務所に所属することになりました。自分が選ばれるとは思ってもおらず、「まさか私が?」と信じられない気持ちでした。何が起きているのか分からないまま、驚きと戸惑い、そして少しの喜びが入り混じっていました。しかし、所属当初はアイドルの候補生としての活動が中心で、「私が目指したいのはアイドルではなくモデルだ」と強く感じるようになりました。そして中学2年生のとき、モデル部門のレッスンを受ける決意を固めたのです。 ■挫折を経験しながらも夢を諦めなかった理由 地元・福岡の事務所でレッスンを受けながら、モデルのオーディションに挑戦していました。でも、なかなか受からなくて……。自分の実力不足を痛感しましたし、学業優先の家庭だったこともあり、芸能一本で進むのは厳しいと感じました。東京の短大進学後は、学業と両立しながらエキストラの仕事にも挑戦しました。現場の空気に触れ、「やっぱりこの世界が好きだ」と再確認しました。しかし、卒業後は一度地元に戻り、和菓子店に就職しました。「親孝行のために地元に残ることが幸せ」と考えていたのですが、心のどこかで芸能への未練があったのです。目が覚めたのは、妹に言われた「やればいいじゃん」という一言です。3連休を使って東京に行き、かつての業界関係者と話すうちに「私の居場所はここだ」と確信しました。帰りの新幹線で涙を流しながら、両親に「東京で頑張りたい」と伝えたのです。 ■仕事をする上で楽しい3つのこと 仕事をする上で、私には3つの楽しみがあります。1つ目は「撮影」です。撮影の現場では、多くの人と協力して一つの作品を作り上げます。ヘアメイクさん、カメラマンさん、スタイリストさんなど、さまざまなプロフェッショナルと一緒に仕事をするのがとても楽しいです。チームとして一つの目標に向かい、形にしていく過程がやりがいになっています。2つ目は「形に残ること」です。自分が出演した広告や映像作品が世の中に出て、それを見た人がクスッと笑ってくれたり、ちょっとでも気持ちが明るくなったりすることを願っています。映像作品などで演じた役が視聴者の印象に残ると、とても嬉しくなります。3つ目は「反響」です。SNSを通じて、ファンの皆さんがリアクションをくれることが本当に励みになっています。仕事を通して誰かの心に残ること、応援してもらえることが、次の仕事へのモチベーションにつながっています。 ■夢を叶えるために大切なこと 「願い続ければ夢は叶う」と信じています。私にとって、夢を叶えるために最も大切なことは「行動し続けること」です。例えば、ランウェイを歩くという夢は、26歳でようやく叶いました。14年間諦めずに願い続けたからこそ実現したんです。大切なのは、目標を口に出すこと。自分だけで抱え込まず、誰かに話すことで「やらなきゃ」という意識が生まれます。 不安を乗り越える方法については、「向き合うことが大事」と思います。久しぶりの演技仕事で、台本を3パターン覚えなきゃいけないことがありました。不安でしたが、先輩に相談すると『あなたに依頼が来た時点で自信を持っていい』と言われました。その言葉を受けて、とにかく練習し続けた結果、自信を持って現場に挑めました。 また、このとき気づいたのは、不安にとらわれることは、自分に仕事を任せてくれた人への信頼を裏切ることになりかねないということです。誰かが私を必要として声をかけてくれた以上、その期待に応える努力をすることが大事だと強く思いました。 これからの目標は、より幅広い分野で活動しながら、さらに多くの人とつながっていくことです。地元・福岡での活動を増やし、地域の魅力を発信する仕事にも力を入れたいと思っています。また、いつか妹と一緒にランウェイを歩く機会があれば嬉しいです。さらに、SNSを通じて、より多くの人にポジティブなメッセージを届けたいと考えています。私の活動を見て、「挑戦するのって楽しい」と思ってもらえたら、それ以上の喜びはありません。 ■大学生へのメッセージ 大学時代は人生の土台を築く大切な時間です。遊ぶのも、学ぶのも、自分次第。だからこそ、1日1日を大切に過ごしてほしいと思います。特に、周りと比べるのではなく「昨日の自分より成長すること」を意識してほしいですね。また、「生涯の友人を見つけてほしい」と思います。私が結婚式をした際、参列してくれたのは、大学時代の友人が8割を占めていました。大人になってから友達を作るのは難しいからこそ、大学時代に築く友情は貴重です。楽しいことだけでなく、お互いの弱さも見せ合える関係が、一番の財産になると思います。挑戦を続ける私の姿が、皆さんの背中を押せたら嬉しいです。 学生新聞オンライン2025年3月12日取材 津田塾大学2年 石松果林 カメラマン:下田航輔

イベント・企業紹介

「大人の休日倶楽部」プレス発表会

東日本旅客鉄道株式会社(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:喜㔟陽一)は、3月12日(水)に、東京ステーションホテルにて「大人の休日倶楽部」のプレス発表会を開催。ゲストには、同サービスの新メインキャストに就任した竹野内豊さんを招き、出演した新CMの撮影秘話や、「大人」「休日」をテーマにトークを行いました。「大人の休日倶楽部」は、50歳からの旅と暮らしを応援する、会員向けサービス。2005年にサービスを開始し、以降20年にわたり俳優の吉永小百合さんに計71本のCMに出演してもらいました。竹野内さんを起用した新たな広告は『大人はみんな、旅の途中。』をキャッチコピーに展開していきます。 ■「大人の休日倶楽部」の概要「大人の休日倶楽部」は、50歳以上の方々を対象としたJR東日本の有料会員制サービスです。会員は「大人の休日倶楽部ミドル(満50歳以上)」と「大人の休日倶楽部ジパング(満65歳以上)」の2つのカテゴリーに分かれ、会員限定きっぷ・割引きっぷの提供や会員限定イベント・キャンペーン、カルチャースクール「趣味の会」など、様々な種類の特典を受けることができます。2005年のサービス開始以来、50歳からの旅と暮らしを応援し、多くの会員に愛されてきました。 ■竹野内豊さんメインキャストに選ばれた時は、嬉しさと共に特別な使命感も感じました。20年にわたり、吉永さんやスタッフさんが思い出を織り交ぜながら丁寧に作り上げてきたCMだったので、そのバトンパスを私がしっかりと受け継ぎ、素敵なCMを作ろうと思いました。 完成したCMをみた時は、ゆったりと大切な人と過ごせる時間の大切に気づきました。とくに、「これからどうする?」という言葉に対し、「まだ決めてない」と返答するシーンは印象的です。撮影地の美しい福島の景気は、自然が豊かで四季折々を感じられるような場所でした。幼い頃から自然に出かけるのが好きだったので、撮影を忘れて満喫しました。このような景色や伝統は多くの人々が守り続けたからこそ、今に続いているものだと感じ、改めて日本を誇らしく感じました。 子供の頃に思い描いていた大人は、意のままに問題を解決できるイメージを持っていましたが、いざ自分が大人になると、なかなかその通りにはいかず、幾度と苦しみを超えてきました。しかし、沢山の出会いのおかげで、その障壁を乗り越える選択肢が増えたような気もします。これから先は、仕事以外の面でまだ経験できていないことに挑戦し人生を豊かにできたらなと思います。 このCMを見てくださった皆さんが新たな旅に出て、日本の良さを再認識し、日本の伝統を守っていただけたらなと思います。 ■吉永小百合さんビデオメッセージ私は2005年から20年間、大人の休日倶楽部のキャストを務めてまいりました。東北や北海道、北陸などを旅し、地元の方々との交流はかけがえのない思い出です。震災後の復興を願いながらの旅も心に残っています。この度、竹野内豊さんが後を継がれるということで、私もとても楽しみにしています。皆様、これからも素敵な旅をお楽しみください。 カメラマン:下田航輔