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Archive for 運営スタッフ

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株式会社ドミノ・ピザ ジャパン CEO マーティン・スティーンクス

ドミノで挑み続けた27年、進化するピザ戦略 株式会社ドミノ・ピザ ジャパン CEO マーティン・スティーンクス ■プロフィールオランダ出身。学生時代にドライバーとしてドミノ・ピザ オランダに入社、入社後まもなく店長として「ルーキー・マネージャー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。その後、マネージャー、 エリアマネージャーを経て、2011年にはフランチャイズオーナーとなり、店舗を8店舗まで拡大。2021年9月 ドミノ・ピザ 台湾 CEOに就任、2022年7月 ドミノ・ピザ ジャパン CEOに就任して現在に至る。 宅配ピザのパイオニアとして、国内No.1店舗数を誇り、今や日本国民にとって身近な存在となっているドミノ・ピザ 。16歳でドミノ・ピザ のドライバーとして始まり、現在ドミノ・ピザ ジャパン の代表として活躍しているマーティン氏に、自身がこれまで成長のために行ってきたことや、クルーへの想い、今後の展望について伺った。 ■ドミノ・ピザ との出会いは16歳のとき 小さい頃から、「自分に何が出来るか」を考えることが好きで、疑問があるとすぐに先生に聞きにいくような子どもでした。ドミノ・ピザ との出会いは、「16歳までに何かをやれ」と両親に言われるなか、近くにドミノ・ピザ が出来たと友達から聞きつけ、アルバイトに応募したのがきっかけでした。最初はドライバーとして入り、ピザの配達をしていました。当時、まだネット注文は存在しておらず、電話予約か店頭注文 がほとんどでした。そのため、お客様と顔を合わせる機会が今よりも多く、お客様との会話やホスピタリティをとても意識していたのが印象的でした。その時の経験から、ドライバーは企業の顔としてとても大切な存在だと考えているため、今でもクルーの研修に力を入れています。 ■大切なのは、誰と働くか 18歳になり、その後の進路をどうしようかと考えました。当時、私の周囲の友人はタクシードライバーになる人が多く、窓を開けて顔を覗かせる感じに憧れて、自分もタクシードライバーになろうと思っていました。しかし、当時のドミノ・ピザ のFCオーナーに声をかけてもらったことがきっかけで、店舗運営に携わることになりました。そこから店舗数が8店舗まで増え、独立して社長として20店舗ほど管理するようになりました。2019年に、全ての店舗を売却し、今までのスキルを活かして、本社、もしくは本部の仕事に就きました。そこでの実力が認められ、台湾のドミノ・ピザ CEOを経て、2022年からは日本のCEOを努めています。自分でもかなり早くキャリアアップしたと思っています。ここまで来るために意識していたことは、誰と働くか、ということです。もともと人と働くことは好きでしたが、それ以上に優秀な人と一緒に働きたいという想いがありました。自分が得意な分野は限られています。それ以外の分野で優秀な人と沢山関わり、一緒に働くことによって、自分も能動的に成長できたと思っています。これまで27年間、ドミノ一筋で働いてきました。ここまで続けることができた秘訣は、「仕事ととらえないようにする」ということです。妻にも「仕事だと思ったら辞める」と伝えているくらいです。「好きなことをしにいく」という感覚で働くことで「こうしよう!」という改善点を自分から見つけられる事が出来るし、モチベーションも自然と上がり、楽しく働くことが出来るのです。 ■自ら動ける人が成長する 私達の利益を生み出せるのは、本社ではなく各店舗の存在があるからです。だからこそ、働くクルーメンバーのことをとても大切にしています。正社員625名、アルバイト 23,000名(FC店含む、2024年1月現在)が一定のクオリティのサービスを提供できるよう、対面・オンラインでそれぞれトレーニングを行っています。取り組みの一つとして、3ヶ月に一度、サービスレベルを競う社内コンテストが行われます。全国のドミノ・ピザの中から、No.1に輝いた店舗のクルー全員が、特別有給休暇をもらうことができ、その休暇の日は代わりに役員が店舗に出て、店舗を通常通りに運営します。働いていて「いいな」と思う人は、正しいマインドセットをもっている人です。自ら前に進んでいける人はとても魅力的だと思います。また、アイデアを考えるだけではなく、行動に移せる人もとても魅力的だと思います。実際、「チーズボルケーノ」という商品も、最初は実現不可能だと思われていましたが、苦労の末、一年かけて商品化に成功しました。そこに居るだけではなく、自ら袖をまくって働く人が本当に活躍できるのだと思います。 ■「素早く、美味しく」の実現 ドミノ・ピザ の一番の強みは、他の競合他社よりも速く、お客様に届けられることです。迅速かつ安全な 配達が可能なのは、システム開発にとても力を入れ、最も効率よくお客様に提供できるよう日々研究を重ねているからです。新しく出す店舗も、事前に分析をかけ、 そのエリアの人口密度、人口の増減、年齢層など様々な指標から判断しています。もう一つの強みは、お客様の声をよく聞いているという特徴です。ドミノが日本に初上陸した39年前は、まだチーズの消費量も少なく、苦労しました。そこから、お客様の声を聞き、「炭火焼チキテリ 」など日本独自の味が誕生し、今では国内No.1店舗数を展開するまでに成長しました。現在、定期的に消費者調査を行い、リアルなお客様の思いを 調査し、結果をみて改善していくことで、お客様が何を求めているのかを深く調査し、より良い商品を提供できるようにしています。 ■需要に合わせ、変化していく 私達は、日本の皆さんにピザを届けたい、ワクワクする商品を届けたい、という思いで、時代の変化に合わせて、様々なことに挑戦してきました。たとえば、コロナを経て、私たちのライフスタイルは大きく変化しましたよね。その際はパーティー用の大量オーダーは減りましたが、代わりにお一人様需要が増加しました。そこで、「ピザBENTO 」という商品を開発し、手に取ってもらいやすい価格で提供しています。これからも、ライフスタイルに合わせ、将来的には、朝食や24時間営業などの検討も視野に、様々な可能性を探していきたいです。また、今後も人口減少は進み、ますますドライバー不足が深刻になっていくでしょう。海外ではすでにロボットによる配達も検討されています。今後も、日本の社会変化にあわせ、より速く、安全に、 美味しいピザを届けられるよう努力していきます。 ■大学生へのメッセージ 学生の皆さんは、これから沢山悩んで、選択しなければならない瞬間があるでしょう。そんなときには、ただ自分の心を信じてください。大切なのは、自分のモチベーションが湧くことに取り組むことです。私も自分の心を信じてここまで頑張ることができました。皆さんも、自分が好きだと思うことを信じて頑張ってください。 学生新聞オンライン2024年10月22日取材 立教大学4年 緒方成菜  武蔵野大学4年 西山流生 / 津田塾大学2年 石松果林 / 上智大学3年 吉川みなみ / 上智大学3年 白坂日葵 / 国際基督教大学2年 若生真衣 / 立教大学4年 緒方成菜/ 法政大学4年 鈴木悠介

学生新聞インターン

レバテック株式会社 代表執行役社長 髙橋悠人

点ではなく線で繋げる人材支援で、「日本を、IT先進国へ。」 レバテック株式会社 代表執行役社長 髙橋悠人(たかはしゆうと) ■プロフィール大阪大学を卒業後、2014年にレバレジーズに新卒入社。2年目に大阪支店を立ち上げ、その後、国内4支店の立ち上げや戦略策定を担う支店統括に就任。国内での業務を遂行する傍ら、インド支店でエンジニア紹介事業を立ち上げる。2019年にはレバテックITソリューション事業部部長に就任し、「レバテックフリーランス」の戦略立案や経営管理を担当。2021年より代表執行役社長を務める。 急成長中のレバレジーズのグループ会社として、「日本を、IT先進国に。」というビジョンのもと、幅広い人材サービスを展開するのがレバテック。日本のIT人材不足が課題になっている中、その難問をいかにして解消していくのか。代表執行役社長の髙橋悠人氏に、日本のITに関する現状や企業の魅力についてお話を伺った。 大学生活の中での強い原体験となったのは、大学3年生から4年時に1年間休学してアメリカのシアトルに留学したことです。初めの9ヶ月は現地の学生に混ざって勉強し、残りの3ヶ月はインターンをしていました。シアトルは、マイクロソフトやアマゾンの本社があり、そこで勤めている方々と気軽に話せる機会がありました。当時は、スティーブ・ジョブズが環境への配慮のためにトヨタの自動車を乗っていたこともあって、日本の製造業に対して強いリスペクトの眼差しが向けられていました。一方で、パソコンやアプリは日本のものが少なく、日本のITの遅れを暗に指摘されて悔しかった経験がありました。日本に戻り、大学院に進むか就職をするかで迷ったのですが、就活を1ヶ月ほどして、ベンチャー企業のレバレジーズに入ることを決めました。決め手は、アメリカのインターンを通して、手触り感を持って物事を進められる感覚が楽しいと思ったこと。また、今の日本企業は10年後どうなっているか分からない中で、自分自身で生きていけるようにしたいという就活軸があり、ベンチャーという、色々な仕事ができ、自分の力で作り上げられる環境を選びました。 ■日本のIT人材についての現状と課題 レバテックでは、「日本を、IT先進国に。」というビジョンのもと、IT企業と人材を「増やし、伸ばし、繋げる」事業を行なっています。メインの事業は企業と人材を繋げること。具体的には、フリーランスの方と企業のマッチングに加えて、中途採用・新卒採用のサポートを行います。「伸ばす」という部分は、プログラミングスクールや社会人向けにIT未経験の人が勉強できるようなプログラミングスクールの運営をしています。たとえば、パソコンの使い方がわからない方々向けにDXのコンサルティングをしたり、ソフトウェアの品質管理や品質コンサルを行うクオリティアシュアランス事業も行なったりしています。そして、課題感の大きい「増やす」という部分は、開発組織を増やしていく取り組みです。アメリカと日本ではITエンジニアが所属する郡が違うのが特徴的です。アメリカでは8割のエンジニアが自動車会社、ホテル会社などに直接入り、残り1割はITの開発専門の会社に入っています。ところが日本は全く逆で、自動車・ホテルのような企業に2割のエンジニアがいて、8割がITの開発専門の会社にいるんです。実はこれは、IT運用において大きな弊害になっています。なぜなら、アプリのアップデートの際にシステムの会社に依頼すると、すごく時間がかかってしまう。でも、自分達の自前で開発できるように、開発組織を増やしていく必要性があるのです。そのため「増やす」の部分は課題感が大きく、ITエンジニアがいない企業に対してチームを作り、自分達で回していけるように、力を入れようとしています。私たちは、エンジニアのなり始めから、なり終えるまで、全てを支えるコンセプトでサービスを開発しています。エンジニアは4~5回転職することも珍しくないので、短期的な「点」での支援ではなく、長期的な「線」での支援を行なうように意識しています。 ■「人」と「ロイヤリティ」での差別化を  他社の場合は、人事から求人票をいただくことが多いと思うのですが、レバテックは年間1万回ほど企業の訪問をし、現場のプロジェクトマネージャーと接するビジネスモデルになっています。つまり、「一緒に働いている人がどういう人か」を観察することも重要な要素なので、訪問することで、内部の情報を収集しながら、人材をマッチングできることは大きな強みです。また、今の時代、サービスでの競合優位性はかなり難しくなっている中で、お客さんのロイヤリティを上げることよりも、下げないことの方が重要だと言われています。例えば、美容室に行った際に、スムーズに予約取れるか、待たされないかといった要素が大切ですよね。手間暇を無くしたり、待ち時間を減らしたりといった基本的なことをどれだけ徹底できるかが鍵になってくるので、ムダのないオペレーションを緻密に決め、繰り返すことで、ロイヤリティを大きくしていくという企業努力をしています。そして、それを支えているのは「人」です。向上心があり、挑戦することが好きな人を採用し、育成していることも根本的な強みだと思います。また、自社への採用という観点では、「信頼、知性、情熱」を持っている人たちと、ぜひ一緒に働きたいですね。仕事を任せられるという信頼と、人と円滑にコミュニケーションをとれるかの対人知性、論理的思考力。そして、何より情熱をもっている人が勝つと思うので、採用時はこの三点を大切にしています。 ■大学生へのメッセージ 学生時代は、自分が学んだ環境を直接活かせる環境に行きたいと思いがちです。それは悪いことではないですが、自分が学んだことは世界の1%にも足りなくて、その周辺だけで仕事を考えることは不幸なことだと思っています。いまの大学生はSNSにも触れていると思いますが、ネット空間はオープンなようで断絶されているので、SNSでも同じものだけではなく多彩なものに触れてみたり、自分には関係ないけど面白そうなものに触れてみたりすることが重要だと思っています。私自身も大学生時代に海外に10カ国ほど行き、得た新しい発見や経験が、社会人に活きていると実感しています。社会人は会社以外のことを知る時間が少なくなってしまうので、大学生の間に自分の知らなかった世界に触れてみてください。 学生新聞オンライン2024年12月11日取材 慶應義塾大学3年 松坂侑咲 中央大学3年 亀井義和喜 / 大妻中野高等学校3年 加藤眞優花 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 慶應義塾大学3年 松坂侑咲

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株式会社エブリー 代表取締役 吉田大成

今までにないものを作り、利便性の高い社会へ 株式会社エブリー 代表取締役 吉田大成(よしだたいせい) ■プロフィールヤフー株式会社、グリー株式会社を経て、2015年9月、株式会社エブリーを創業。2017年、「Forbes JAPAN 日本の起業家ランキング2018ライジングスターアワード」第1位を受賞。同年、「DELISH KITCHEN」がApp Store・Google Play共に「BEST OF 2017」に選出。エブリーとしても「Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2017 企業部門 300名未満の部」を受賞。 レシピ動画メディア『デリッシュキッチン』などを運営する株式会社エブリー。料理・育児など日常生活に関わるメディアコンテンツを通じて、利便性の高い社会の拡大に大きく貢献している。今回は代表取締役である吉田大成さんに、起業までの道のりや事業内容、そしてエブリーの目指す社会についてお伺いした。 大学1~2年生の時には、アルバイトに力を入れていました。普通のアルバイトをしたくなかったので、飲食店での集客や名古屋ドームでビールの売り子などをしていましたね。自分の成果が給与に反映されることが、モチベーションにつながったのかなと思います。大学生活の後半では、エンジニアとしてのスキルを高める目的で、ホームページの制作受注や大手企業との共同研究をゼミで行なっていました。当時から将来的にエンジニアリングを用いて社会課題を解決したい、社会にインパクトを残したいという気持ちがありましたね。当時は、会社経営や企業には興味はありませんでした。僕が在籍していた工学部の生徒の大半は、研究職の道に進みます。しかし、研究職は成果が出るまで数十年かかるのが一般的なうえ、成果が出るかもわからない世界だと言われています。しかし、海外では20代の人たちがインターネットを用いて、社会課題を解決するなどの成果を挙げていました。自分ももっとスピード感をもって仕事をしていきたいと思い、当時、インターネット業界でNo.1だったヤフー株式会社に入社をしました。 ■社会インフラに向き合う姿勢を学んだ一年半 ヤフーに在籍した1年半では、非常に多くのことを学びました。エンジニアとして大規模なWEBサービスの基盤をみたり、サービスの品質へのこだわりや社会インフラに対して向き合ったりなど、今につながる経験を多数積むことができました。一方、ヤフーでは、海外のサービスを日本に持ってくることがメインの業務でした。そのため自分たちで何かを発信して社会にインパクトを残すといったことは、あまりできない環境でした。当時からインターネットは「どこでも・誰でも」サービスを発信できるのが強みだと考えていたことから、日本をサービスの発信地にしたいと思うようになりました。そこで、ヤフーを退社し、ゲーム会社のグリー株式会社に転職をしました。 ■正しい情報が届くインフラづくりへ グリーで過ごした10年間では、ゲームを開発しつつ、モバイルゲーム業界の開拓に努めていました。日本初のモバイルゲームを世界に発信できたことは、今でも誇りに思っています。ゲーム業界での技術革新が進む中で、高性能なスマートフォンが年代問わず多くの人に普及していきました。しかし、自分の母親の世代は、検索などの機能をうまく使いこなせていないという実情を垣間見るようにもなりました。しかも、「検索結果の一番上=正しい」と認識してしまい、情報の取捨選択が難しくなっている。その様子を見るようになってから、「信憑性のある正しい情報を発信していけるインフラ・サービスを提供しよう」と思うようになりました。グリーを含む多くの企業は、そこに焦点を当てていなかったため、自身が起業する形で、株式会社エブリーを立ち上げました。立ち上げ当初は、再生回数が乏しく、厳しい状況でした。でも、その中でもユーザーやマーケットに対して、コンテンツを提供し続けることで、データを集め続けました。仮説を立てるよりも、アウトプットを繰り返す方が、ニーズなどを確認しやすいからです。そのデータを分析して再度アウトプットをすることを、ひたすら繰り返したことで、一か月後には再生回数が大きく伸びました。現在でも、アウトプットをし続ける「感性」の部分、得られたデータの「数字」の二つの要素は、当社の大事なカルチャーとなっています。 ■3つの情報メディアを軸に、より便利な社会へ 当社では「デリッシュキッチン」「トモニテ」「TIMELINE」の3つを主軸にサービスを展開しています。それに加えて、メディアと小売店・店舗といった「オフライン」の世界を繋げるリテールメディアを展開しています。4つのサービスの根幹には、「世の中がどれだけ良くなるか」という思いがあります。世の中が当社に求めているのは「日常生活の利便性を高めること」です。そのために当社では日々、技術と情報のアップデートをし続けて、ユーザーに継続利用してもらえるようにしております。まず「デリッシュキッチン」では20〜30代の料理初心者を含む幅広いターゲットに、「だれでもおいしく簡単に作れるレシピ」をテーマにして、サービスを提供しています。文字と写真をベースにした既存のレシピサイトでは、料理初心者がレシピの難易度や味を想像するのが難しい傾向にありました。そのため当社では、実際に調理する人と同じ目線になるように、調理シーンはすべて動画で手元を映しています。また、全レシピを管理栄養士が監修し、なおかつ調理手順や衛生基準といった300項目以上のルールを設定しています。そのため、手軽さ・味・栄養などが保証されたレシピを提供できています。「トモニテ」では、子育て世代を対象に育児に関する情報を発信しています。現在、子育ては女性だけが行うものではなく、家族やコミュニティ全体で行うものだと社会全体が変化しています。その際に、起こりうる課題や不安を解消するためのコンテンツを、専門家の監修のもと提供しています。最終的には子供を産むこと・育てることへの不安を解消することが目標になっております。「TIMELINE」では、動画×マーケティングのサービスを提供しています。地方の名産品やアピールポイントを、当社のメディア媒体を通じて全国に発信することをサービスとしており、メディアを通じた地方創生を行っています。タイアップ動画の制作やWEB広告、ライブコマースなどの媒体を通じて、お酒や土鍋といった名産品から話題のスポットまで幅広く情報を発信しています。 ■「野心」と「挑戦」がより良い社会と新たな安定を生み出す 当社は、今までにないものを作り、社会をより良くすることを目標に掲げています。そのため、何かを成し遂げたいという野心をもった人と一緒に働きたいと考えています。人生において、社会に出て働く時間は非常に大きな割合を占めています。安定した給与や仕事を好む人たちも増えていますが、せっかくならその時間は社会を良くする・生活を便利にすることに使う方が、より有意義なものになると思います。そして学生の皆様には、在学中に野心が湧いてくるもの・人生を賭けて成し遂げたいことを見つけてほしいです。もし仮に在学中に見つからなかった場合は、ぜひ当社のようなベンチャー企業に入社をしてほしいです。ベンチャー企業は野心をもった社員が多いため、一緒に仕事していく中で見つかるかもしれません。また「安定」という言葉を改めて考え直してほしいと思います。現在、社会では終身雇用がなくなり、実力主義に変化してきています。国としても「安定」の反対の存在である「ベンチャー企業」に期待やリソースをかけています。そのためお金や優秀な人材も集まってきています。将来性や自身のキャリアを考えるうえでも、スキルを磨いてキャリアの選択肢を増やすことも、一種の安定といえるかもしれません。選択肢を増やすうえでもベンチャー企業をキャリアのスタートにぜひ選んでほしいです。 学生新聞オンライン2024年11月8日取材 武蔵野大学4年 西山流生

吉田昂史

リノベる株式会社 代表取締役社長 山下智弘

人生の「点」を結ぶことで、未来を築く。 リノベる株式会社 代表取締役社長 山下智弘 (やました ともひろ)  ■プロフィール近畿大学卒業後、社会人ラグビーを経てゼネコンに入社。2010年リノベる株式会社設立。ミッション「日本の暮らしを、世界で一番、かしこく素敵に。」のもと、既存ストックの中古流通・利活用を推進するリノベーションプラットフォームを構築。国内No.1のワンストップ・リノベーション事業者に急成長させた。CRE活用を支援する都市創造事業や省エネ性能向上も積極的に展開。 学生時代に没頭したラグビーの経験や、ゼネコン時代のおばあちゃんとの出会い。それらの経験を経て、現在はリノベーション事業で世界へ挑む山下社長。その挑戦とビジョンとは。挫折を糧にし、夢を現実に変えてきたその歩みから、未来を築くヒントが見えてくる 。 僕の大学時代は、ほとんどラグビー漬けでした。高校でラグビーに出会ってから夢中になり、進学する大学も「ラグビーができるかどうか」で決めたくらいです。ただ、うちの家は裕福ではなく、新聞社で夜通し働くアルバイトもしていました。朝日新聞の編集補助をやっていて、4年間で約300日は新聞社にいましたね。学費や生活費を稼ぐためだったんですが、ラグビーとアルバイトで大学生活があっという間に過ぎていきました。 ■「おばあちゃん事件」とリノベーションとの出会い 卒業後は、ラグビーを続けられる企業に入社しました。実業団での採用だったので、ラグビーが半分、仕事が半分という特殊な環境です。でも、1年目の夏、合宿で「もう自分の体では限界だ」と気づいたんです。その壁を感じて絶望の淵に立たされました。ラグビーも会社も辞めるしかない。そこからはお世話になった恩を返して辞めようと決意し、「同期110人の中で圧倒的な営業成績を出すこと」を退職の条件にがむしゃらに働き、1位を達成したところで会社も卒業させてもらうことにしました。次に進んだのは建設業界、いわゆるゼネコンです。先輩の紹介で施工現場の仕事を始めたのがきっかけでした。ものづくりが意外と楽しくて、やりがいを感じたんです。「自分にはラグビー以外にもできることがある」と気づけたのは大きかったですね。その後、正社員となり、団地再開発プロジェクトなどに関わるようになりました。ゼネコン時代の忘れられない出来事があります。それは、団地再開発プロジェクトでの「おばあちゃん事件」です。その団地は100戸以上の住居がありましたが、ほぼ全員が転居してくれた中で、1人のおばあちゃんだけがどうしても退去しない。僕はそのおばあちゃんを説得する担当になりました。まずは仲良くなろうと、毎朝、おばあちゃんを接骨院に送り迎えし、一緒に買い物に行く。そんな生活を1か月以上続けたある日、ようやくおばあちゃんの家に入ることを許されました。そこで、お孫さんの写真を見つけたんです。おばあちゃんは、「疎遠になってしまった孫に会いたい、孫のためにこの家を残しておきたい」と話してくれました。それなら新しい家にお孫さんの部屋を作りませんか、新しい家なら帰ってきてくれるんじゃないですか、と提案したところ、なんと立ち退きを納得してくれたんです。新しいマンションが完成し、喜んでくれるかなと会いに行った引っ越し当日、おばあちゃんは僕に掴みかかってきて「私の人生を返せ」と泣き叫んだんです。周りが喜ぶ新しいマンションが、彼女には「過去を奪われた場所」にしか見えなかった。ショックでした。どう返事してどう会社に帰ったかも覚えていません。団地再開発プロジェクトが落ち着き、3ヶ月の長期休暇を認められた僕は、海外をまわってみることにしました。ニュージーランドやヨーロッパのラグビー仲間を訪ねて回ったんですが、そこで気づいたのは「海外では古い建物を壊さない」という文化でした。衝撃的でした。それに比べて日本では新築至上主義。これが「リノベーション」との出会いだったんです。 ■リノベるが目指す「かしこく素敵な暮らし」 帰国後、僕はリノベーションという概念を広めるために会社を立ち上げました。それがリノベるの始まりです。リノベるは、古い建物を「新しい価値に生まれ変わらせる」リノベーションのプラットフォームを提供しています。個人のお客さまには、お客さまご自身が自分でも気づいていない「こんな暮らしをしたい」という心の奥底にある本当の想いを引き出すところから始め、不動産や金融機関、設計・施工パートナーなどをマッチングします。法人向けには築古ビルの利活用をサポートし、個人・法人・産業の課題を価値にしながら、社会全体に貢献することを目指しています。社員は全員、「愛され感、頼られ感、おしゃれ感(機転が利くこと)」の3つの要素を持つ人たちです。お客さまや職人さんたちとの関係性を大事にし、ただのビジネスではなく、信頼と感動を生み出すことを意識しています。そして、「日本の暮らしを、世界で一番、かしこく素敵に。」というミッションを掲げ、暮らしを提供しています。 ■日本から世界へ、そして大学生へのメッセージ これからの10年、僕は欧州から始まったリノベーションに、ジャパニーズクオリティをのせて世界に広げたいと考えています。日本の建築の施工精度、収まりの美しさは世界に誇れるものです。それを「ジャパニーズクオリティ」として海外に展開していく。これが次の挑戦です。成長と革新を楽しんで、これに一緒に挑戦してみたいという学生さんがいたら、ぜひ応募いただきたいです。最後に、大学生の皆さんに伝えたいのは、「今ある時間の価値に気づいてほしい」ということです。学生時代は、時間的にも頭の中にも余裕があります。その余白を使って、たくさんの「点」を集めてください。そして、その点を「糸」に結びつけ、自分だけのストーリーを紡いでほしいんです。それはアルバイトでも、旅でも、何でもいい。新しいことに飛び込む勇気を持って、自分を広げていってください。僕が大学時代に戻れるなら、もっと多くのことに挑戦したかったと思います。皆さんはもっといろんなことを吸収してたくさんアウトプットしてください 。 学生新聞オンライン2024年11月21日 東京大学4年 吉田昂史

吉川みなみ

小説家 平野啓一郎(ひらの けいいちろう)

拝啓 今を生きる現代人。激動の時代に、どう生きるか。 小説家 平野啓一郎(ひらの けいいちろう) ■プロフィール1975年、愛知県蒲郡市生まれ、福岡県北九州市出身。京都大学法学部卒。在学中の1999年に文芸誌『新潮』に投稿した小説『日蝕』で第120回芥川賞を受賞した。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。主な著書に、小説『マチネの終わりに』、『ある男』、『本心』等、エッセイに『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『三島由紀夫論』等がある。2024年、短篇集としては10年ぶりの発表となる最新作『富士山』を刊行。 大学在学中に執筆した「日蝕」が芥川賞を受賞し、小説家デビューした平野啓一郎さん。社会問題や倫理を交えながら人間の多面性に触れる作風で、特に生きづらさを抱える現代人に深く刺さる。読者から高い共感を得る物語はどのように生まれるのか、平野さんには現代がどう映っているのか、お話を伺った。 大学入学時は、実は“文学少年”から脱しようと思っていました。中高生から岩波文庫や海外文学などを読んでいたのですが、もっと実際的な人間になりたかったんです。バーテンダーのアルバイトをしたり、バンドを4つ掛け持ちしてエレキギターを演奏したり。ただ、授業用の教科書を買おうと訪れた書店で、地元と比べてはるかに多くの本が並んでいるのを見て夢中になってしまいました。幸か不幸か、文学の世界にまた浸かっていきましたね。恩師である小野紀明先生の情熱的な政治思想史の授業からも影響を受けました。 ■これでやっと「小説家」 小説家としてデビューしたのは、大学5年生の時。周りが就活する中で執筆していた「日蝕」が文芸誌「新潮」に掲載されたことがきっかけです。小説は高校生から書いていましたが、当時は自分が小説家になる未来は見えず。ですが、本を読むと「自分ならもっとこう書くのに」と感じることは多々ありました。子供の頃の読書感想文でも、純粋な感想というよりその違和感を書いていましたし(笑)。時間があれば本を読みたくなるし、読んだら書きたくなる。大学でもそれは変わらず、やがて「小説家になりたい」と強く意識するようになりました。ただ、「小説を書いている」と言うと馬鹿にされるような感じで、誰かに打ち明けることはありませんでした。しかし「新潮」で客観的な評価をもらえたことで、「これでようやく周りに話せる」と嬉しくなりました。後に「日蝕」は芥川賞を受賞するのですが、批評はあれど、当時は初めて自分の作品が評価されることに大きな喜びを感じていました。 ■作品の“ボーカル”に思いを託して 基本的に、自分が書きたいことを表現するようにしています。「なんとなく」や思いを一方的に綴るだけでは、読者はついてきてくれません。そのため、語りたいことをどんなキャラクターにどう託すかを考えています。特に主人公は重要なので「脳内オーディション」を開いています。作品の主人公は、バンドのボーカルみたいなもの。オーディエンスが、ボーカルの歌声を通じてバンドの世界観を受け止めるように、読者は主人公を通じて物語の世界を受け止めます。思考する能力が高い主人公には深い内容を語らせますし、そうでなければ、思考する能力の高いキャラクターを脇役で登場させて補ったりしています。物語のアイデアは、いくらでも思いつきます。ですが、そのアイデアが“使えるかはまた別物。使えない種は次第に消えていくし、良い種は磨かれて雪だるま式に大きくなっていきます。そしてその先でクライマックスを想像できたら、それは“書ける”。それからはそのクライマックスを逆算してその間の物語を表現していく、という形で書くことが多いですね。 ■“40人中1人のネットワーク“を全世界へ 僕は、「読者」というより「現代社会を共有している現代人」に向かって書いています。作家が書きたいことが必ず全員に響くかと言えば、難しいかもしれません。ただ、同じ社会システムの中で生きる僕たちが経験する苦しみや喜びは、多くの共通点があるはずです。そう考えると、「自分は今どんな時代を生きて、何に苦しんで何に喜びを感じるのか」を考えることが、読者との共感の道を探ることに繋がると思っています。僕は子供の頃から、40人のクラスの中で39:1になるような少数派の人間でした。「自分の方が正しい」と思っても理解されづらく、「あの輪に入ったら楽しいだろうな」と寂しく思うこともありました。ただ文学の世界は、僕と同じように「40人中1人」の経験をしている作家や読者が意外と多いんです。この小さな世界は、1000人中なら25人くらいになるし、日本や世界の中ならそれなりの規模になりますよね。自分が孤立していると思っても「自分だけじゃない」と読者が共感や感動できる作品を書ければ、表現者として嬉しい限りです。 ■揺れる時代でも、愛という人間らしさを 今後も「社会構造の中からテーマを考える」というスタイルは続けていくつもりです。ただ、2000年代に入ると社会の変化が非常に速い。激動の時代に生きていること自体が一つのテーマになるし、10年後や20年後を書こうとしてもその時には時代遅れになる可能性が高いです。だからこそ、「今」に目を凝らすことが必要だと考えています。そして、変化の中でも生きていく上で抱く喜びや愛という根本的な人間らしさは変わりません。変化に翻弄される部分と、その中でも変わらない人間らしさ。この両方を描きたいと考えています。「10万部売れるとベストセラー」と言われる文学の世界ですが、作家の生前はそうだとしても、その後に作品がじわっと広がる場合もある。その時代の社会や作家の考え方が残り続けていくことが、文学の在り方だと感じています。 ■大学生へメッセージ  社会や自分の現状で「何が問題なのか」を直視してほしいです。社会人になると、上手くいかない理由や対処法を考える機会は多くなりますし、その時に自分の考えを持っている人は重宝されるからです。そのためには、まず社会に関心を持つことです。役に立つ情報だけを得ることはできないので、表面的な情報だけでなく歯ごたえのある本も読んで、思考力を身につけてほしいです。上手くいかない時は「この自分はダメだったけど、他のコミュニティには違う自分がいる」と考えてみてください。自分を一点投資するのではなく、力を分散しながら課題に向き合ってほしいですね。 学生新聞オンライン2025年1月20日 上智大学3年 吉川みなみ 早稲田大学4年 西村夏 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 上智大学3年 吉川みなみ / 日本大学4年 鈴木準希

佐伯桜優

株式会社いーふらん 代表取締役会長 渡辺喜久男

理想を掲げ、信念をもって生きよ。 株式会社いーふらん 代表取締役会長 渡辺喜久男(わたなべ きくお) ■プロフィール1947年6月19日生まれ。茨城県石岡市出身。1970年に拓殖大学を卒業後、家庭用品の百円均一販売を始め、1975年に日用品市場株式会社を設立。骨董品、美術工芸品、海外の商品などを扱うようになる。2000年、横浜市に「おたからや」本店を出店。2008年にフランチャイズ展開を開始。様々な事業を行う中で、物販ビジネスにはない魅力を買取ビジネスに見出し、一般顧客から買い取る業態を確立した先駆者である。 貴金属やブランド品の買取を手掛ける「おたからや」は、国内1,300店舗以上(2025年1月現在)展開しており、リユース市場で急成長を遂げている。同社の渡辺喜久男会長に高いシェアを獲得できた秘訣や売上高840億円達成の背景、そして1兆円企業への成長に向けての想いを伺った。 私が学生の頃は、ちょうど学生運動が盛んな時期でした。しかし、私自身学生運動には全く興味がなく、アルバイトばかりしている学生でした。野球場の弁当売りやトラックのドライバーなど、色々しましたね。アルバイトを通じて、自身の社会人生活を模索していたんでしょうね。就活についてはあまり真剣に考えておらず、会社員になるとの考えもありませんでした。むしろ「自分で何かやりたい」という考えの方が強かったです。実家が貧乏だったので、会社員では生活するお金が足りないんじゃないかという感覚を持っていました。ただ、大学生の私は何をやりたいかは分からなかったので、行き当たりばったりで色々とやってみました。その中で「これだ!」と思ったのが、家庭用品の100円均一ショップです。当時はまだ100円均一は今のように一般的な事業ではなかったので、家庭用品に絞って挑戦しました。物珍しさもあったのか、スーパーでの店頭やデパートの催事などに出店するたびに、集客も問題なく、よい売れ行きを叩きだしていました。 ■「おたからや」は趣味の延長線から生まれた 同時に、自分が好きな骨董品や収集品の仕事も行っていました。事業内容としては、刀剣、切手、古銭などを仕入れて販売するというものです。私自身の趣味に近いのですが、これがおたからやの原点になっています。買取事業は当時は一般的ではなく、質屋が主流でした。しかしながら、買取事業が少ないからこそ、逆に伸びしろがあるなと感じました。それまで、様々なビジネスをしてきましたが、市場が小さいから成長できないと思うことも多々ありました。ですが、買取は海外展開も含めると大きな市場があります。そこに目をつけたんですね。その後、「ブランド品があるほうが売上も多いな」と思ったことがきっかけで、本格的に現在のおたからやの原型が出来てきました。おたからやをはじめた当時、私はすでに50歳を越えていました。普通の起業に比べると、かなり遅いスタートではありました。最初の5、6年は鳴かず飛ばずでなかなか糧が回っていなかったのですが、現社長の鹿村が入社してきた時に、「この人にやってもらいたいな」と思ったのをきっかけに、フランチャイズを始め、大きく成長できました。今の事業形態はフランチャイズと直営の2本立てで、全国店舗数1,300店と、同業種の中で一番の店舗数になっています。今後は、おたからやを世界中でフランチャイズ展開することを考えています。きっと、今ここまで考えている会社は他にはないのではないでしょうか。現在、香港、台湾、シンガポール、タイ、インドネシアの店舗は全て決まり、次の決算となる6月までに、全店オープン予定です。 ■1兆円企業を目指して 私はおたからやを売上が1兆円以上の「1兆円企業」に成長させたいと思っています。1兆円企業は日本全国でも意外と少なく、60社ぐらいしかないんです。現実的に考えて、国内展開だけで1兆円企業を目指すのは難しいです。だからこそ、海外にも目を向け、展開を進めています。それに伴い、経営の面で2つのことを意識しています。1つは優先順位を決めることです。これは事業の中で非常に大事な部分になります。現在の経営方針は、現状に則しているかなど、常時しっかりと見極める必要があります。会社の経営では、資金繰りと利益の獲得が重要です。私は、絶対に赤字を出さないという方針を置きつつ、しっかりと優先順位をつけて物事に取り組むようにしています。2つ目は、社員を大切にすることです。現在、社員の幸福度日本1を目指しており、100種類の福利厚生を目指すなど、かなり力を入れています。バスツアーも毎月開催していますし、クルージングも毎週開催しています。毎週、月曜日には20名ずつ高級ホテルビュッフェでの昼食会も開催しています。また、100坪弱の休憩室にはマッサージチェアや運動器具、水素吸引器やマッサージルームなども導入しています。そして、私自身の休みも、全て社員と過ごしています。ゴルフには週3回行くのですが、新卒社員も含めた社員と一緒にプレーしています。私は「社員の人と長く一緒にいたい」という気持ちが強いので、社員とのつきあいで遊びも仕事も全て完結したい。だから、社外の人と食事することもほぼありません。このスタンスは、死ぬまで続けたいです。また、社員と接する機会を増やすのは、よい人材を見抜くためでもあります。多くの創業者は、後継者に親族を立てることが多いのですが、私はその気が全くなく、いつもダイヤの原石を探しています。なので、わが社の場合は、新卒で入っても、若くして役員になれる可能性は大いにあります。現在、私は77才なので、今後何があるか分かりませんが、今後の人生も、深く社員と関わっていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 今の若い人は「仕事は仕事」と割り切っている人が多いと感じます。でも、その考えでは上には行けません。上にいく為には、ときには自分の時間も使わないといけません。そして、自分自身が変わらないと、会社の役職につくことも難しいです。また、上に行けば上に行くほど、何かを捨てないと、何かを得ることが難しくなります。もし、上にいきたいなら、自分自身が変わらないと無理です。変化自体は、何でも良いんです。仕事について考える時間を捻出するために、たばこ辞める、お酒辞める……などでも良い。ただ、それぐらいの意思がないと、人の上に立ってより重い責任のある立場に立つことはできません。戦国武将の織田信長の言葉のなかに、私が好きな言葉があります。「理想を掲げ、信念をもって生きよ」。皆さんも、信念を持って、強い意志を持って自身の人生をより良い方向に向けるために、また仕事を楽しんでしまうためにチャレンジしてみてください。 学生新聞オンライン2024年12月23日取材 法政大学3年 佐伯桜優 慶應義塾大学3年 松坂侑咲 / いーふらん 渡辺喜久男会長 / 法政大学3年 佐伯桜優

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株式会社HIKKY 代表取締役CEO 舟越靖 / CVO(Chief Virtual Officer)...

バーチャルの可能性を追いかけて 現実世界にバーチャルを 年に2回、バーチャルの世界でリアル商品や3Dアイテムなどの売り買いができる「バーチャルマーケット」。数百~数千人規模の一般クリエイターによる3Dモデルの展示販売や、過去類を見ない大手企業やアーティストの参加もあり、期間中は世界中から120万人以上が訪れ熱い盛り上がりを見せている。いわば現実とバーチャルの良いとこ取りの空間である。そんな夢のような世界を提供している株式会社HIKKY・CEOの舟越さんと、同社CVOの動く城のフィオさんのお二人に話を伺った。 <株式会社HIKKY 代表取締役CEO 舟越靖(ふなこしやすし)> ■プロフィール 大手通信会社退職後、⾃身の夢だったクリエイティブ分野へ進出。2008年からクリエイターの潜在力を既存市場以外で活かす挑戦を試みる。あらゆるシーンで成果を得て、ハードウェアからゲーム・アニメ・映画など様々なコンテンツ制作・広告サービス、サービス開発を手掛ける法人を複数社立ち上げた。2018年メタバース事業に特化した「株式会社HIKKY」を設立。 ■“動く城のフィオ”との出会いで、バーチャル世界へ参入 学生時代、意識して作っていたのは学校外のネットワークです。親が事業をやっていたため、中学生の頃から経営には触れていました。そこで働き方やお給料の話を聞いていたので、経営においてのメリットやデメリットなどを感覚的に覚えていきました。在学中からお花屋さんやアルバイト斡旋など複数の事業を立ち上げどれも上手くいきました、そこから一度全てを畳んで勉強のために大手通信会社へ就職。しばらくして退職後に複数のクリエイティブにまつわる会社を立ち上げることになりました。そのうちの一つが今のHIKKYです。バーチャル関係の仕事を始めるにあたってのとまどいは、フィオちゃん(動く城のフィオ ※以下 フィオ)が払拭してくれました。正直、VRビジネスは難しいです。しかし、フィオは「バーチャル世界で生きていきたい」という強い希望と施策を持っていました。その本気度をフィオに感じたので、自分が学生時代や会社を経営していて培った得意分野を生かして、バーチャル世界の可能性を最大化させつつ彼の夢と僕のやりたい事も実現できると考えました。 ■「バーチャルマーケット」にある商品や作品が輝くように 我々は「バーチャルマーケット」という、メタバース(仮想空間)上のマーケットを作っています。元々「バーチャルマーケット」は、アバターなどの3Dモデルを制作している一般のクリエイターさんのためのイベントとして始めましたが、クリエイターさんの活躍をみて、興味を持ってくれる企業さんが増えました。クリエイターさんと一緒にやってきたからこそ、実現できたことだと思います。企業からは、バーチャルという新しい手段でのPRやブランディングができることに注目していただきました。バーチャルマーケットでは車、医療、エンターテインメント、ゲーム、音楽、地方自治体や省庁など、様々な業種の企業や団体とコラボをしています。バーチャルの中に様々な業種を持ってくることができたのが、他にはない強みです。新しい取り組みはSNSやメディアで話題になり、評価をもらってから、有難いことにバーチャルマーケットに出展したいという来場者数も増えていきました。これからもバーチャルマーケットは”行くだけで楽しい夢の国のような場所”を提供したいという想いで開催していければと思っています。  ■バーチャルの可能性を常に追いかけて実現していく人と働きたい クリエイティブな世界は常に進化しています。バーチャル業界も素晴らしい発展を遂げています。さらにバーチャルの世界や可能性を広げるために、次の挑戦やアクションができる人。そんな人たちと仕事をしていきたいです。 ■大学生へのメッセージ 時代がだいぶ変わってきていて、 経済的に日本は斜陽を迎えかけていると感じています。ただ、経済が落ち込んでいる時こそ、商売の考え方を展開すると、非常に有利に立ち回れます。そうした先を見据えている会社を就職先に選ぶ、または自分で起業するのも良いと思います。こんな時代ですけど、希望を持って考え方を変えれば十分に立ち回れる。むしろチャンスはたくさんあるんじゃないかと感じています。 学生新聞オンライン2024年10月30日取材 東洋大学 3年 橋本千咲 <株式会社HIKKY CVO(Chief Virtual Officer) 動く城のフィオ> ■プロフィール 世界最大のVRイベント「バーチャルマーケット(Vket)」創設者。大手広告代理店やエンターテインメントのベンチャー企業を経て、2018年2月、VR空間に生きることの可能性を見出し、アバター姿での活動を開始。現在はVketの世界観・コンセプト設計などを担うプロデューサーとして活躍中。VR空間での生活圏・経済圏を確立する未来を提唱し、2022年『メタバース革命 バーチャル経済圏のつくり方』を出版。 ■学生時代はプロマジシャン!? 大学生の時はプロマジシャンをやっていました。大学のサークルの新歓で財布から火を出している人がいて、「何だあの人!?」と衝撃を受け、その人にマジックを教えてもらいました。それからプロマジシャンに弟子入りをして、大学4年間は、レストランやバー、結婚式などのイベントでマジックを披露していました。マジックは、種がそのままだと楽しんでもらえないので、そこに話術や見せ方、キャラクター性などを組み合わせ、パフォーマンスをつくっていきます。クリエイティブなことを意識してやっていたわけではないのですが、小さい頃から自分で世界観を考えたり、モノづくりをしたりするのが好きでした。昔から楽しんでやっていたことが、現在にまで繋がっているなと感じています。 ■直感を信じて飛び込んだバーチャルの世界 6年間勤めたリクルートを退社した後は、大好きなマジックやクリエイティブなことをやりたいなと考え、しばらくはマジックバーの経営に携わりました。しかし、その後、うつ病や対人恐怖症などを併発し、働けなくなるどころか、人の目を見て喋ることも出来なくなってしまいました。ひきこもりの状態が続く中、2018年、VTuberが多く出始め、VRが脚光を浴びるようになりました。それを見たときに「これかも!」という直感がありました。VRは一回被ったことがあるくらいだったのですが、その直感だけを頼りに、イチから勉強を始め、VRの世界に飛び込みました。バーチャル空間はアバターが相手なので、以前のように社交的にコミュニケーションを取ることが出来ました。VRのユーザーさんやVTuberさんたちを集めて大きな配信企画を作っていくうちに、“バーチャル空間で生きていくこと”を真剣に考えるようになりました。私はバーチャル空間で何かを創ることやアバターの文化を最前線で知ることは得意ですが、一方でビジネス的なことや外に出て人と関わることは出来ません。そういう苦手な部分を助けてくる舟越さんたちのようなパートナーに出会えたことで、自分が思い描いていた世界が実現していきました。 ■たくさんのきっかけが生まれる場所 “Vket” バーチャルマーケット(通称Vket(読み:ブイケット))は、私たちが運営しているバーチャル空間上でのマーケットイベントです。現在は、ソニーや花王、サントリーなど様々な業種の多くの企業が出展するようになりましたが、元々は個人のクリエイターのためのフリーマーケットから始まっています。バーチャル空間は、誰かが何かを作らないと何もないので、まずはクリエイターたちにとって良いきっかけの場でありたいと思っています。Vket では、自分の作った作品を出展する場があるので、「次のVketで、このアバターを出そう!」というひとつの目標を持ってくださる方も多いです。人間は締め切りがあると頑張れるものなので、クリエイターたちにとって良いきっかけになっています。また、作品を出展することで、Vketに来るユーザーの間にもきっかけが生まれます。インターネットの買い物はおすすめされたものが出てくることが多く、偶然の出会いが少ないです。でも、バーチャル空間なら、デジタルの空間なのにウィンドウショッピングのように見て回って、自分が今まで知らなかったクリエイターの作品や世界観に出会えます。クリエイターやユーザー、Vketに関わる多くの人にとって、“きっかけが生まれ、人生が変わっていく場所”。これがVketの根本的な価値です。そこに価値があるから出展したい人も来場者も増え続けています。実際「Vketで人生が変わった」という人はすごく多い。これからも、そういう場所を作っていきたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 現在バーチャルを仕事にしている人はごく一部で、まだ遊び・ゲームというイメージだと思います。しかし、今後は、バーチャル空間で暮らして、お給料をもらって年を重ねていくことが当たり前に選択できる社会にしたいと思っています。そして、私はその社会の到来にワクワクしています。大学生の皆さんも、自分が一番ワクワクするものを探して、本気で取り組んでみてください。それは、これからの人生における物事の取り組み方のベースになり、失敗しても成功しても大切な経験になります。今を大切にして、大好きなことだけをひたすらやる4年間にして欲しいなと思います。     学生新聞オンライン2024年10月30日取材 東洋大学2年 越山凛乃  中央大学3年 亀井義和喜/東洋大学2年 越山凛乃/東洋大学3年 橋本千咲

イベント・企業紹介

GAKUSEI RUNWAY 2024 AUTUMN&WINTER

「関西コレクション」プロデュースのイベント「GAKUSEI RUNWAY 2024 AUTUMN&WINTER」が2024年12月28日、大阪・なんばHatchで開催された。前回開催のGAKUSEI RUNWAY 2024 SPRING&SUMMERのグランプリ受賞者とアンバサダーを務める高橋かのさんと塩見きらさんにお話を伺った。 ◇小学校低学年グランプリ けいな Q1 挑戦しようとしたきっかけお友達に一緒に出ようと誘ってもらって出ました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いた時の気持ち家でウォーキングやポージングの練習をたくさんしました。グランプリをとれると思っていなかったので、選ばれた時はびっくりしたし、すごく嬉しかったです。 Q3 KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERに出演した時の気持ち学生ランウェイステージが大きくて、人の数が全然違いました。たくさんの人に見てもらいながらランウェイを歩くことができたので楽しかったです。 Q4 今後の夢や目標モデルにもなりたいし、獣医さんにもなりたいです。犬を飼うことができないので飼っていないのですが、犬が好きなので獣医さんになりたいです。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ頑張ればきっとうまくいく!応援しています! ◇小学校高学年グランプリ hannちゃん Q1 挑戦しようとしたきっかけ大好きなYouTuberのフォーエイト48さんが出ると聞いて、一緒に学生ランウェイのステージを歩きたかったので、応募しました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いたときの気持ちもう言葉に表せないほど、とても嬉しかったです。グランプリを取ってランウェイを歩くために、表情管理をいっぱい練習しました。実際にランウェイを歩いた時は、お客さんがいっぱい手を振ってくれたので、本当に楽しかったです。 Q3  KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERに出演した時の気持ち緊張はちょっとしましたが、いろんな人が見てくれていたので、「緊張」よりも「楽しい」が勝ちました。手を振ってくれる人もいつもより多かったので、もっと楽しかったです。また出演したいです。 Q4 今後の夢や目標憧れの中条あやみさんみたいに、日本でも世界でも活躍できるモデルさんになって、将来はパリコレにも出演したいです。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ学生ランウェイに出ると、絶対楽しいので、ぜひみんなも応募してみてください! ◇中学生グランプリ 黒田千乃 Q1 挑戦しようとしたきっかけ学生ランウェイが、関西コレクションのステージに立つチャンスだと思って応募しました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いた時の気持ち夢か現実かわからないくらい、とてもびっくりしたし、嬉しかったです。 Q3 KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERに出演した時の気持ち出演する前は心臓がバクバクだったのですが、出演したら緊張もなくなり、言葉にいい表せないくらいとても嬉しかったし楽しかったです。 Q4 今後の夢や目標関西コレクションから呼ばれる存在になりたいです。そして橋本環奈さんのような、誰もが知っているモデルや女優さんになってCMにも出てみたいです。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ最後まで諦めない気持ちを持って、 応援してくれている人たちへの感謝の気持ちを忘れないでランウェイを歩いてください。 ◇高校生グランプリ 奥村桃夏 Q1 挑戦しようとしたきっかけ元々、関西コレクションのような大きいステージに立ちたいと思っていました。その中で、母から学生ランウェイを紹介されたのをきっかけに挑戦をしました。 Q2 グランプリをとった気持ちグランプリを取るつもりで参加したので、受賞した時はとても嬉しかったです。ここまで支えてくれた家族と友達に感謝!という感じでした。ランウェイはまぶしかったですが、とても楽しかったです。 Q3  KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERへ出演した時の気持ちは?大人数の前で自分を見てもらうことはなかなかないので、とても楽しかったです。もう一度ライト輝くランウェイを歩きたいと思うようになりました。 Q4 今後の夢や目標また関西コレクションに呼んでもらえるような、笑顔が素敵で明るいモデルさんになりたいです。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ学生ランウェイを通じて、自分に自信が持てたり様々な経験ができたので、最後まで諦めずにやり切ってください! ◇大学・専門学生グランプリ 木下ひより Q1 挑戦しようとしたきっかけ1年前に関西コレクションを見に行ったときに、私もこのステージに立ちたい!と思い、その日に応募しました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いた時の気持ち1回目の出場ではグランプリを取ることができず、2回目はグランプリを取ることを目標に参加したので「ついにきた!」という気持ちでした。 Q3 KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERへ出演した時の気持ちステージから見た景色が想像を遥かに超えたキラキラした世界で、とても楽しかったです。 Q4 今後の夢や目標KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERに制服で出演させていただき嬉しかったのですが、次はモデルとして衣装を着て出てみたいなと思っています。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ1年前に自分を信じて行動したことが私の人生を変えてくれました。皆さんと夢に溢れた学生ランウェイのステージを作り上げたいです。 ◇レジェンド COCOA Q1 挑戦しようとしたきっかけ身近な友達が「一緒に出よう」と声をかけてくれたことがきっかけです。学生ランウェイを実際に見てからは、出場したい!ともっと思うようになりました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いた時の気持ちまずは応援してくれた家族や友人に感謝でいっぱいでした。それに加えて言葉や数字では表せないほど、とても嬉しかったです。ランウェイを歩く前は緊張しましたが、応援の団扇を作ってくれた友達を見つけて、安心して歩けました。 Q3  KANSAI COLLECTION...

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NO YOUTH NO JAPAN 代表 能條 桃子 

「どうせ無駄」よりも「ちょっとやってみるか」が面白い NO YOUTH NO JAPAN 代表 能條 桃子 (のうじょう ももこ) ■プロフィール1998年生まれ。慶應義塾大学院経済学研究科修士卒。2019年、若者の投票率が80%を超えるデンマークに留学し、若い世代の政治参加を促進するNO YOUTH NO JAPANを設立。Instagramで選挙や政治、社会の発信活動をはじめ、若者が声を届け声が響く社会を目指して、アドボカシー活動、自治体・企業・シンクタンクとの協働を展開中。 2019年のデンマーク留学中に若者の政治に対する意欲と向上心に感化され、2019年にNO YOUTH NO JAPANを設立した能條桃子さん。若者たちの声を世間に届け、その声が響く社会となるよう日々奮闘する。そんな能條さんに、ご自身の経歴や学生へのメッセージを伺った。 ■スキー、インターン、選挙と共に過ごした大学時代 大学では1年からスキーサークルに入り、季節関係なくずっと滑っていました。でも、サークルの参加費が年間100万円ほどかかるのが大変で、ずっとこのサークルを続けていくのは難しいと判断し、スキーは程々に。大学2年生の春からは、ベンチャー企業でインターンを始めました。5人程度の小さな会社だったのでいろいろな経験をすることができました。当時の経験は、今のビジネスの基礎や活動のベースになっています。大学2年生の秋には、インターンと同時平行で選挙の手伝いをしました。その中で印象的だったのは、若者ではなく高齢者の政治参加率が高いこと。高齢者の方がビラを受け取ってくれたり、イベントを開いたら高齢者ばかり来てくれたり。次第に、若い人が政治に参加するようにならないと変わらないなと思うようになり、日本の政治について問題意識を持つようになりました。 ■大きく意識が変わったデンマーク留学 意識が変わった1番の理由は、デンマークへの留学です。留学先としてデンマークを選んだのは、この国の若い世代の投票率が非常に高いからこそ。その中で、フォルケホイスコーレ(国民高等学校)に行きました。その学校は、入学試験も成績表もないし、資格が取れるわけでもありません。でも、デンマークでは、大学に行く人であっても、高校卒業した後、大学に行くまで大体2年ほど空けるのが一般的です。その間に、フォルケホイスコーレに行って、今後の人生についてじっくり決めてから進学する人も少なくありません。こうしたデンマークでの留学の経験が、自身の考え方の基礎になりました。 ■まず、若者に求めることは「投票に行くこと」 私と同世代の人に強くお願いしたいのは、投票に行くということ。現在の自分の生活や今の日本が素晴らしくて、日本は問題のない国だと思っている人はいないと思います。だからこそ、「自分が動いたら変わるかも」と思う人が増えたらいいなと思いながら活動しています。どんなに偉い人に投票に行けと言われても、あまり心に響かない。だからこそ、私たち同年代が同じ目線で話して影響力を広げるために、わかりやすい情報を提供するべく、NO YOUTH NO JAPANを作りました。この団体は、若い世代の政治参加を促進する団体で、メディアチーム・アドボカシーチーム・シンクタンクチームに分かれて活動しています。インスタグラムやノートの運営、被選挙権年齢の引き下げを実現するための取り組み、地方自治体から受託した活動、政治の意識調査や政策定例などを行っています。最初のきっかけは、インスタグラムです。このアカウント作成当初は、2週間限定のつもりでした。でも、開設してから2週間でフォロワーが1万5000人になったことが続ける最初のモチベーションになり、現在も続けています。当初は、わずか5名程度でスタートしましたが、現在は参加者が増えて、60人くらいにまで拡大しています。割合は、大学生と会社員が半分ずつ程です。インスタグラムを見て入ってくれる人がほとんどですが、社会問題を通じて政治に関心を持ち、団体に入る人もいます。 ■活動での大変だったエピソード 若い女性が前に立って発信することへの反発は、少なからずあります。以前、友人と署名活動をした時も、私のXの投稿に批判の声がたくさん書かれていましたね。同時に応援してくださる声もたくさんあったので続けられましたが、声を上げる人を叩きたいというカルチャーが日本には根強いなと感じました。私たちは政治参加を促進するために活動していますが、決して政治オタクを増やしたいわけではありません。生活している中でおかしいと思うことは政治で変えられること、「どうせ無駄」ではなく、「何かやってみるか」って思う人が増えるようなことをしたいなと思っているだけですから。 ■NO YOUTH NO JAPANの今後の展望 短期的な目標は、被選挙権年齢の引き下げを実現することです。デンマークで同い年の子が選挙に出ているのを見た時、政治をより近いものに感じるようになりました。自分が実際に立候補しなかったとしても、同年代でそういう人がいるということを知るだけで政治へのハードルが低く感じられるんですね。また、長期的な目標は、NO YOUTH NO JAPANの世代交代を実現させることです。今は共同代表を担っているのですが、このままずっと続くように世代交代ができる団体にしなきゃいけないと思っています。団体を残すことが最終的な目標ではないのですが、そういう団体がないからこそ、若い世代の声が社会に届きづらいと感じます。私はデンマークの留学生に日本には良い政治家がいないと話をした時、「良い政治家がないってことは、良い国民がいないってことじゃない」と言われたんです。良い政治家を育てるには、政治に関わる人を増やすべきだと思います。その中で投票に行くことやアクションすることも含め、一人一つずつだけではなく、団体単位などの束の声として届くようにしたいです。 ■学生へメッセージ 自分の感情や感性を大事にしてほしいです。何かをしようとしても、社会で良いとされていることへ引きずられやすいし、嫌なことを我慢するほど何が嫌だとかわからなくなっていくと思うんですよね。いきなり活動は始められなかったとしても、その時の気持ちはなんか大事にしてほしいなと思いますね。人間は機械じゃないから、働く時にパフォーマンスが高いことを求められたとして、失敗したり上手くいかなったりしても、それでいいような気がしていています。その中で声を上げる余裕がある人は何かやってみたり、ちょっとでも言ってみたり、団体に参加してみたりしてくれたらいいなと思っています。 学生新聞オンライン2024年10月18日取材 昭和女子大学 3年 竜澤亜依 東洋大学2年 越山凛乃/国際基督教大学2年 丸山実友/早稲田大学4年 西村夏/昭和女子大学3年 竜澤亜依

丸山実友

株式会社PLEIN 代表取締役 中尾太一 (なかおたいち)

原動力は「決めたこと」に向かって、無我夢中で突き進むこと 株式会社PLEIN 代表取締役 中尾太一 (なかおたいち) ■プロフィール 18歳の時に高校時代のアルバイトをきっかけにフードビジネスに興味を持ち、料理人と経営者を志す。調理師学校を卒業後、株式会社星野リゾートへ入社。料理人として軽井沢ホテルブレストンコートにてフランス料理を研鑽。その後、同社全体の飲食事業を統括するグループ料飲統括アドバイザリーメンバーに最年少で抜擢。株式会社smiles:に転職し、レストラン事業部にて商品開発、採用責任者、新規開業などに従事。2017年株式会社PLEINを設立する形で起業し、現職。 外食産業を憧れの仕事にというビジョンの元、お客様に食を通して幸せを届けている株式会社PLEIN。2021年には、「はばたく中小企業300」に唯一の飲食業として選ばれた。そんなPLEIN創業者である中尾太一氏に、ご自身の学生時代から創業までの道のりや自社に込める思いについて伺った。 ■人生を逆算して行動する 学生時代は、マクドナルドやユニクロ、レストランなど多くのアルバイトをやっていました。その中でもマクドナルドでのアルバイト経験が、飲食業界に進む大きなきっかけとなりました。マクドナルドでのアルバイトはとても楽しくて、出勤前に自ら掃除したり、退勤後はハンバーガーを作る練習をしたりと、部活動のように能動的な働き方をしていましたね。そして、始めて3ヶ月、高校生で店長代理に抜擢されました。努力が実を結び、このような成果を残すことができてとても嬉しかったです。この成功体験によって、自分はこの業界が向いているのだと思いました。また、やる気があり、一生懸命働くことで成果がでるというマクドナルドの職場の環境や仕組みが素晴らしいと感じました。そこから、マクドナルドのような会社を作りたいと思い、進路を全て変えて飲食業界の道へ進むことを決心したのです。飲食業界に進むと決めた18歳の頃、経営者である父に「飲食店を経営するならば、マーケットをみて、人生を逆算して行動しなさい」というアドバイスをもらいました。そして、最初のゴールとして、私は7年間他社で勉強し、25歳で独立するということを決めました。専門学校卒業後、星野リゾートに就職し、その後、株式会社smiles:に転職し、レストラン事業部に配属されました。7年間という短い時間で、独立し、経営することを考えて、この二社で働かせていただくことを決めたのです。色々勉強する中で、飲食業界で成功している経営者は、職人的な専門性やマネージメント力、資金が整っていることが共通点だと気がつきました。星野リゾートとsmiles:はこの3点が十分に整っている会社だったので、沢山のことを学ばせていただきました。そして、25歳の時に南青山にフレンチビストロのお店を開きました。その頃は、お金も実績もなかったので、若さと勢いだけがブランディングでしたね。 ■外食産業を「憧れられる仕事」にしたい 私たちの会社のビジョンは、外食産業を憧れられる仕事にすることです。私は、飲食業界で働き始めた当時、憧れていた業界に入ることができ、とても楽しく働いていました。また、自分の仕事も評価してもらい、やりがいも感じていました。一方で、友達と話していた時に、世の中の飲食業界へのイメージはあまり良いものではないと気付かされました。そこで、飲食業界という仕事のイメージ全てを変えることはできないけれど、PLEINという会社があることで、飲食業界も素敵な仕事の一つだと認められたらいいなと思ったのです。PLEINでは、現在、9店舗展開しています。全店舗違う名前、違う業種で行っておりますが、どの店舗にも共通している3つのベストというものがあります。それは「PLEIN is ベスト」という、お客様、企業業者様、従業員にとってPLEINという会社がベストだと思ってもらえるような考え方です。これには3つの指標があります。1つめは、シンプル is ベストです。ビストロならビストロ、フレンチならフレンチなど、シンプルにプロダクトを作ることで、無駄なコストを削ぎ落とし、お客様に適正な価格で届けることができます。2つ目は、リーズナブル is ベストです。全業種、全店舗、お客様がお支払いした時に、人それぞれお財布事情は違うけれど、同じような体験をした時よりも10%くらいお安く楽しめたという体験価値を共通化しています。3つ目は、シェア is ベストです。これは従業員向けで、利益率など様々な数字を公開します。そして、うまくいったところの利益はみんなでシェアします。会社だけが儲かるのではなく、従業員たちも頑張った分だけ利益を得ることができるので、結果的にサービスレベルもあがります。これら3つの指標があるからこそ、業態が異なっても、サービスクオリティが統一されています。 ■「決めたこと」を達成する 日々の原動力は「決めたこと」を達成することです。本当はやろうと思えば何でもできるのです。でも、大事なのは、色々な選択肢があるなかで自分はもうこれしかできないと覚悟を決めて、そこに向かってがむしゃらに頑張ることだと思います。私の場合は、25歳までに独立すると決めたことです。あの時は、これを達成しなければ自分はもういく場所がないんだと覚悟を決めて無我夢中に頑張りました。このように、自分でやると決めたことは、盲目的に行うのが大事だと思います。これからも、「決めたこと」を達成し、成功体験を積み重ねていきたいです。素直で能動的に働いてくれる人、私はそんな人たちと共に働きたいです。今の会社のメンバーはこのようなマインドを持った人たちが集まっています。素敵な仲間と共に飲食業界を憧れられる仕事に導いていきたいです。 ■大学生へのメッセージ 特別な経験や能動的な経験を沢山してください。そして、やりたくないと思うことをやってみることも大切にしてほしいです。私も、学生の時に様々なバイトを経験して、辞めたこともあります。社会に出ると辛いことにぶつかり、逃げ出したくなる瞬間に多く出会います。しかし、自分に向いていないことや嫌なことの経験を沢山積んでおくことで、辛い時に「あの時の方が辛かった」と思うことができます。特別な経験も辛い経験もすることで、世界が広がると思います。だからこそ、学生の皆さんにはそんな経験を大切にして欲しいです。 学生新聞オンライン2024年月日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 立教大学 4 年 緒方成菜 / 国際基督教大学 2 年 若生真衣 / 立教大学 4 年 須藤覚斗 / 法政大学 4 年 鈴木悠介 / 国際基督教大学2年 丸山実友 / 上智大学 3 年 白坂日葵 / 東洋大学 2 年 越山凛乃

イベント・企業紹介

映画『ウィキッド ふたりの魔女』日本語吹替版キャスト会見

左から 海宝直人さん/kemioさん/高畑充希さん/入野自由さん/清水美依紗さん/塩田朋子さん/田村芽実さん この度、不朽のミュージカルとして20年以上愛され続けている「ウィキッド」が待望の映画化。エミー賞、グラミー賞、トニー賞と数々の受賞歴を持つ実力派俳優シンシア・エリヴォ(ミュージカル「カラーパープル」)と、グラミー賞の常連で世界を魅了し続けるアーティストのアリアナ・グランデを主演に迎え、『クレイジー・リッチ!』や『イン・ザ・ハイツ』のジョン・M・チュウが監督を務める、音楽と魔法が彩る感動のエンターテインメント超大作『ウィキッド ふたりの魔女』が、 3月7日(金)に全国ロードショーとなります。この度2月3日に『ウィキッド ふたりの魔女』日本語吹替版キャスト会見が開催されました。まだ本当の強さを知らない、後の“悪い魔女”エルファバ役(シンシア・エリヴォ)の高畑充希さん、まだ本当の優しさを知らない、後の“善い魔女”グリンダ役(アリアナ・グランデ)の清水美依紗さん、ウィンキー国のハンサムな王子・フィエロ役(ジョナサン・ベイリー)の海宝直人さん、自立を望むエルファバの妹・ネッサローズ役(マリッサ・ボーディ)の田村芽実さん、ひそかにグリンダに思いを寄せている素朴な学生ボック役(イーサン・スレイター)の入野自由さん、グリンダの友人でゴシップ好きの皮肉屋ファニー役(ボーウェン・ヤン)のkemioさん、シズ大学の魔法学の権威マダム・モリブル役(ミシェル・ヨー)の塩田朋子さんら、7名の日本語吹替版を彩る豪華なキャストが登壇。吹替製作時の秘話や作品の魅力とあわせて、映画にちなみ「もしルームメイトになったら相手に伝えたいマイルール」、「“まだ世に知られていない”本当の自分の姿」などを語ってくれました。 ■エルファバ役(シンシア・エリヴォ) 高畑充希 『ウィキッド』という作品のファンとして、映画の制作が決定した頃から映画の公開を待ち望んでいました。自分がエルファバの吹き替えを務められるということにとても感動しました。また、私はエルファバを演じるシンシア・エリヴォさんの大ファンでもあるので、彼女が演じる映像に自分自身が声をあてること自体も感慨深くて。一貫して、この作品に携わられたことは、私にとってとても幸せで、ありがたい出来事でしたね。長年愛されている作品であるからこそ、劇中の楽曲がどれも素晴らしいのです。歌っていてとても楽しかったですし、同時にやりがいを感じていました。特に、『The Wizard and I』という圧倒的な映像美の中で歌われる曲では、あたかも自分自身もその世界の中で歌っているような他にない感動を味わうことができました。この曲は、クールなエルファバが、人生の転機を迎え、彼女の可憐さや繊細さが見えてくるシーンが描かれていたので、そのような彼女の姿を表現しようと意識しました。『ウィキッド ふたりの魔女』は、音楽、映像など全てに勢力が注ぎ込まれた素晴らしい作品となっていると思います。この感動を皆様にもぜひ映画館で体感していただきたいです。 国際基督教大学2年 渡邊和花 ■グリンダ役(アリアナ・グランデ) 清水美依紗 アリアナ・グランデさんの大ファンだった私は、学生時代から彼女の楽曲を聴き、歌ってきました。彼女が『ウィキッド』のグリンダ役を熱望していたことも知っていたので、その夢が叶った作品で自分が吹き替えを担当できると決まった時は、本当に驚きと喜びでいっぱいでした。同時に、責任の重さも感じましたね。収録では、グリンダの表情や仕草を細かく表現することを意識しました。特に「ポピュラー」は、彼女の性格がよく表れている楽曲で、音の強弱やテンポの変化をつけながら、エルファバとの掛け合いを楽しみながら演じました。吹き替えという形でこの作品に携われたことは、歌手としても新しい挑戦でしたし、私自身にとっても大きな経験になりました。この映画は、魔法の世界のファンタジーでありながら、人と人との関わりや葛藤、成長がリアルに描かれています。多くの方に共感していただける作品だと思うので、ぜひ劇場で観ていただけたら嬉しいです。 津田塾大学2年 石松果林 ■フィエロ役(ジョナサン・ベイリー) 海宝直人 私は、2004年のトニー賞の授賞式で行われたパフォーマンスがきっかけで、『ウィキッド』を知りました。以来、その時に感じた感動が忘れられず、ことあるごとにミュージカルを観劇していたとても思い入れのある作品でした。フィエロ役の日本語版吹き替えとして、この作品に携わることがとても光栄に感じていました。自分自身も含め、多くの方々に愛され続けている大切な作品なので、期待に応えられるよう身を引き締めて臨みました。日本語吹き替え版もクリエイターの方々が作品に愛をもって、楽曲もお芝居も丁寧に作り上げています。オリジナル版はもちろんですが、日本語吹き替え版もたくさんの人に楽しんでいただけると嬉しいですね。 国際基督教大学2年 渡邊和花 ■ネッサローズ役(マリッサ・ボーディ) 田村芽実 「ウィキッド」は私の青春と言ってもいいくらい、本当に大好きで、お小遣いをためて劇場にも通い詰めた作品なので、このような形で作品に参加させていただくことができて本当に光栄で幸せに思います。こうやって映画化されることでこの素晴らしい作品がより多くの方に見ていただけるというのはとてもうれしいです。私はゲームが大好きなのですが、この前美依紗ちゃんのSNSを見たら同じゲームで遊んでいることを知りました。いつかそのゲームで美依紗ちゃんと通信するのが楽しみです!美依紗ちゃんとは連絡はとりあっていたのですが、この会見でやっとお会いすることができました! 上智大学3年 網江ひなた ■ボック役(イーサン・スレイター) 入野自由 『ウィキッド』は、舞台を何度も観劇していた作品なので、ボック役を担当することが決まった時は本当に驚きました。20代の頃、ロンドンで観た舞台の感動は今でも鮮明に覚えています。その作品に自分が関われるなんて、まるで夢のようでした。ボックは、純粋で真っ直ぐな性格の持ち主ですが、物語の中で大きく変化していくキャラクターです。演じる上では、彼の成長や葛藤をしっかりと表現することを意識しました。特に、グリンダへの想いが報われず、やがて運命に翻弄されていく姿には、演じながらも感情を揺さぶられる瞬間がありました。ミュージカル映画ならではの魅力が詰まった『ウィキッド』を、多くの方に楽しんでいただけると嬉しいです。 津田塾大学2年 石松果林 ■ファニー役(ボーウェン・ヤン) kemio もともとこの作品の大ファンで、今まで10回近くミュージカルを拝見していました。僕が今住んでいるアメリカでは去年公開されて社会現象になるくらい話題の作品なので、今回日本に上陸するということですごくワクワクしています。今までSNSでウィキッドの話をたくさんしてきたので、まさか今回自分が吹き替えという形で携わらせていただけることが信じられない気持ちでした。アメリカで何度か映画を観ていたのですが、勇気をもらえる、何か挑戦するときに背中を推してくれる作品です。こうして関われるなんて、本当夢みたいです。16歳ぐらいの頃から自分の私生活を全部投稿しまくっているので、「まだ知られていない自分」はないかもしれないですね。料理もできないですし、部屋もフリーマーケットみたいに散らかっていますし、想像通りだと思います。(笑) 上智大学3年 網江ひなた ■マダム・モリブル役(ミシェル・ヨー) 塩田朋子 ニュースを見たときに「映画になるの!?」と本当にワクワクして、ミシェル・ヨーさんが出ると聞いて「やりたい!」とすぐに思いました。こうして実現してこの場に立てて本当に幸せです。ミシェル・ヨーさんとは何度も吹き替えのご縁がありましたが、アクションシーンはあっても歌のシーンは一回もなくて、今回初めてだったのですが、思わず言葉がメロディーになってしまったかのような彼女の愛らしい表情が歌に込められていたので、語りかけるような歌というのを壊さないように努めました。ここにいる皆さんよりもかなり長く生きてきた人生の先輩として言わせると、人から見た自分が本当の自分だったりするというか(笑)それも本当の自分の中の一つだったりするのかなと思います。 上智大学3年 網江ひなた 映画『ウィキッド ふたりの魔女』 2025年3月7日(金)より、全国ロードショー!配給元:東宝東和 © Universal Studios. All Rights Reserved. 公式サイト:https://wicked-movie.jp/X:https://x.com/wickedmovieJPFacebook:https://www.facebook.com/universal.eiga/Instagram:https://www.instagram.com/universal_eiga/TikTok:https://www.tiktok.com/@universal_eiga 津田塾大学2年 石松果林/国際基督教大学2年 渡邊和花/上智大学3年 網江ひなた カメラマン 下田航輔

コラム

テリー伊藤 コラムVol.44 スケボー選手 堀米優斗はカッコイイ

東京・パリオリンピックで「スケートボード男子Street」2大会連覇の堀米優斗(25)が秋の園遊会に招待され、天皇陛下と懇談された。最後の大逆転の話など大変盛り上がったと聞く。女子部門では吉沢恋選手(15)金メダル、赤間凛音選手(15)銀メダルと、今やスケートボード競技は日本のお家芸になりつつある。かつて冬の時代もあっただけにスケートボードを愛する人々にとって万感の思いでは。1970年になった頃ファション雑誌「ポパイ」などが毎週LA特集を組み、その中で取り上げられたのがきっかけでスケートボードは日本で知られるようになった。折からのサーフィンブームもあり、瞬く間に大流行に。しかしスケボーを楽しむ場所が日本には余り無く、車道、公園の階段、神社仏閣の広場など遊ぶ場所はごく限られた。そうなると騒音問題などで住民との間にあつれきが生じ、いつの日かスケボー、イコール不良のイメージがついてしまい世間から白い目で見られるように…。そんな事もあり80年代スケボー愛好者は減少。 日本に於いてスケボーの復活はまさにオリンピック競技に採用されたことが要因に他ならない。今まで不良のアイテムと思われていたスケボーがオリンピックの正式種目に。となると日本の企業も一気に風向きを変え、応援支援へとなってゆく。こういった辺りが、いかにも日本っぽい感じがするが。更なる追い風としては、80年代白い目で見られていた当時の少年たちがパパになっていて、自らの夢を子供達に託すよう、幼い頃からスケボーの英才教育をしだす。堀米選手などまさに典型的な例だ。 幼少時代から競技に親しむとことは野球、サッカーとあまり変わらない。決定的に違うのはファッション。野球、サッカー、ラグビーはユニホーム着用となるが、スケボーは個性的なストリートファション、この違いが新鮮で格好いい。SupremeやAdidasなど若者に大人気ブランドを着こなしアクロバットな技を見せる。今や小学生が一番憧れのスポーツとなってきた。ブレイクダンス競技にも同じ現象が起きている。少し前までスポットが当たらなかったスポーツが今や時代の寵児になっている。 巨大化しすぎたオリンピックに賛否両論はあるが、このようなムーブメントは大歓迎。さて、次回のロサンゼルスオリンピックで開催予定の日本のテレビ番組「サスケ」からインスパイヤーされたと言われる「新障害物レース」も絶対に面白そう。新たなるスターアスリートの誕生となるのか!楽しみは尽きない。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

女優 アクトレスラー みあ朝子

セーラームーンになりたい!落ちこぼれだった私の挑戦の物語!  女優 アクトレスラー みあ朝子 (みああさこ) ■プロフィール『女優によるプロレス』がコンセプトのプロレスエンターテイメント団体“アクトレスガールズ”Actwres girl‘Zで異次元の存在感を放つ。年齢不詳。キラキラしたものが大好き。 ■学生時代に力を入れていたことは何ですか? 小学生の頃から運動ができず、まわりと上手く馴染めなくて休み時間に校庭の周りをくるくる歩いて、皆が遊んでるのを遠くから見ているような学生でした。そんな私が唯一頑張れたのは大学時代にやっていたラクロスです。最初は軽い気持ちで入部したのですが、練習はとても厳しかったです。朝練もありラクロスに明け暮れていました。でも、同じように練習してもまわりのように上達できず、同学年で私だけ公式戦に出場できなくて何度もやめようと思いました。大学4年生の最後の公式戦は悔しくて涙が止まらないほど絶望しました。でも、周りの人たちが支えてくれたおかげで、最後まで続けることができました。 ■プロレスラーになったきっかけは? 小学生のときからお芝居をしてみたいと思っていたのですが、現実的には難しいだろうと諦めていました。大学卒業後に就職活動をして、食品会社に就職したのですが、お芝居への思いが捨てられず、思い切って仕事を辞めてお芝居の道に進むことを決意しました。その時に、知り合いから「セーラームーンのようなチームを作るプロジェクトがある」と声をかけてもらい、セーラームーンが大好きだった私は「セーラームーンになれるならやります!」とすぐに決断して練習をはじめました。それが女優がプロレスをする「アクトレスガールズ」でした。それまで全くプロレスのことを知らず知らないからこそ飛び込めたのだと思います。 ■プロレスの魅力は何ですか? セーラームーンになりたい一心ではじめましたが、冷静になって思い出したことがあります。それは、私は運動神経が皆無だったのです。同時期に練習をはじめたメンバーがデビューしていく頃、私はまだ基本の受け身もできなくて何度も同じ注意を受けてきました。私のせいでみんなの練習が遅れることや、どんなに頑張っても人並みにもなれないこと、大学時代のトラウマも加わり、抜けることのできないトンネルにいるように、どんどん追い詰められていきました。私はキラキラしたものが大好きで、そんな自分を夢見ているのに、気がつけば真逆の自分になっていました。でも、デビュー後転機が訪れました。中々カードに組まれないなら120%の自分を出そうと無我夢中で悔しさを表現したらその顔が面白いと目が留まり、さらにアクトレスガールズならではの人格を変えるという提案を頂きました。正直いうとそれは自分のやりたい方向性ではなかったですが、思いと裏腹にそのキャラクターは私より遥かに人気者になって、そのおかげで私の試合もどんどん増えました。通常の選手であれば半年でデビューするところ、私は2年程かかっています。成長は遅いし、痛いし、何でやっているんだろう?と思うことも多々ありました。でも、落ちこぼれだった私でも諦めずに頑張り続ければ、今はその痛みを通して、笑ってもらえたり感動を伝えられることが魅力だと思ってます。 ■3月の後楽園ホール大会について教えてください。 次の大きな試合は3月16日の後楽園ホールです。アクトレスガールズは女優やアイドルがプロレスをしている華やかなチームなので、初めての人も絶対に楽しんでもらえると思います。私個人は「必殺技が見てみたい」と言われているので、しっかり技を磨いて勝ちたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 大学時代は、どうしたらいいんだろうと思うようなことがたくさんあると思います。私もセーラームーンになりたいはずが、アクトレスガールズになって、痛かったり辛かったりで悩んだ時期はありました。今もあります。でも、私の人生を明るくしてくれたのは間違いなくアクトレスガールズです。自分が目指していた夢とは違うけどそれ以上の想像していなかった楽しい未来が待っていました。悩むことは辛いことだけではありません。気持ちの持ち方次第でその先に楽しいことがいっぱい待っています。それをどこまでも信じて目の前のことを頑張ってほしいと思います。私もキラキラな挑戦を続けたいと思います。 学生新聞オンライン2024年12月4日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 青山学院大学1年 桑山葵/城西国際大学1年 渡部優理絵

丸山実友

株式会社プランテックス 代表取締役社長 山田耕資

「密閉型植物工場」で新しい食料供給システムを実現する 株式会社プランテックス 代表取締役社長 山田耕資(やまだこうすけ) ■プロフィール2007年に東京大学大学院卒業後、ものづくりの生産工程改革で有名な㈱インクスに勤務。2010年以降、日米計6社のベンチャーの創業に参加。2013年末に、人工光型植物工場と出会う。世界の食と農に革新をもたらす技術だと確信し、創業を決意。エンジニアリングの分野で卓越した実績・スキルを持つメンバーらと共に、新しい産業を興すことを目指して㈱プランテックスを創業。 近年、世界的にも注目されている密閉型の植物工場を開発したPLANTX。創業者、山田耕資氏は「植物工場は未来の農業を担う」と確信し、研究を始めた。そんな山田耕資氏に、植物工場との出会い、今の技術を確立するまでの道のり、今後の目標について伺った。 学生の頃から起業家になりたいという夢をもっていました。そう思うきっかけは、家族に起業をしている人が多かったからです。学生時代は、何をテーマに起業するのかを模索していました。自分の興味を探るために、チャンスがあれば、様々なことに参加していました。起業ができるのか分からない中でも、色々動いて、なるべく起業の可能性が高まるような選択をしてきましたね。 ■植物工場との出会い 大学院卒業後、私の親が創業しているモノづくりの会社に入社しました。モノづくりは、日本の産業の中心となっていたため、昔から興味がありました。当時非常に勢いのある会社だったので、一度中から見ておきたいという気持ちもあって、入社を決めました。その後は、創業に関わる仕事をずっとしてきました。色んな人の会社を立ち上げる手伝いをして、結果的には6社の創業に携わるような経験をしました。そんな中で、植物工場を見学するきっかけがあったのです。最初に見た時、「これが未来の農業を担っていくのだ」と感じました。今でこそ植物工場は知名度も高くなってきましたが、当時はあまり知られていなかったので、初めて見た時はやはりインパクトがありましたね。屋内でできる農業がこれだけ進化しているのだと驚くとともに、将来性の高さを感じたのです。一方で、長年モノづくりに携わってきた中で、植物工場は技術的に未成熟な状態だとも思いました。だからこそ、「ここにモノづくりの技術を入れたらものすごい成果を出せるのではないか」と思ったんです。これは確信をもって感じましたね。 ■食料問題解決のキーテクノロジー「密閉型植物工場」 植物工場を技術的に発展させるために勉強する中で、持続可能な食料を達成することの難しさを感じました。世界的にみて今、食料供給が圧倒的に足りておらず、2050年までに1.7倍の食料が必要になるだろうと言われています。水不足、農地不足、人手不足、気候変動など多くの問題を抱えます。これらを解決するキーテクノロジーは植物工場だろうと考えました。私たちが開発した植物工場は、世界初の密閉型の工場です。従来の植物工場は、閉鎖された屋内での栽培は可能にしますが、栽培室に棚を設置し栽培室全体で環境を制御する方式で、我々はそれをオープンタイプの栽培装置と呼んでいます。オープンタイプの植物工場では植物を育てる環境のコントロールが不十分であり、温度や光、空気の状態にばらつきが出てしまう。そうすると、植物工場のイメージと違うかもしれませんが、実は収穫の安定に課題を抱えておりました。予定通りの収穫ができないのです。植物工場は、農薬を使用せず、菌が少なく洗わずに食べることができたり、日持ちしたりとメリットが多いのですが、うまくいっていない最大の理由が生産の不安定さです。そこで、これらを緻密にコントロールするにはどうすればいいか考えた時に、密閉型にしようと思いついたのです。栽培装置の全体を覆う形で密閉することにより、植物の近くに狭い空間をつくり、その狭い空間の環境をコントロールするという方式です。従来のオープン型と比べて制御性が格段に高く、環境が緻密にコントロールされているので、植物の生長をより安定的に引き出すことが可能になります。作物を安定的に収穫し、供給することができます。 ■辛抱強さの先に今がある 今の技術を確立するまでは多くの苦労がありました。植物や農業についての知識がない状態で創業し、最初の2年間は主に勉強する期間でした。植物工場の技術を上げるためには、植物のことを正確に理解することが何よりも重要だと思ったのです。そして、モノづくりのエキスパートたちが、植物について熱心に勉強して、モノづくり、植物、両方について詳しくなってくれました。そういう人たちが中心になってくれたからこそ、今の私たちの植物工場がありますね。そして、最初の2年は本当に大切な期間だったと強く思います。 創業について大切なのは、業界についての知識よりも、なんとしても実現するという想いだと思います。興味をもって、それがうまくいくと確信を持てたら、迷わずに力強く推進方法を考え続けられるような人。そんな人とぜひ共に働きたいですね。今後の目標は、様々な作物の社会実装を成功させることです。今は、世界的に見て黒字を証明し社会実装を進められているのはレタスだけです。でも、植物工場で栽培できる作物はレタスだけではありません。だからこそ、植物工場では色んな作物を作れるということを示して、「これは食料問題の解決に貢献する技術なんだ」ということを、より広く認知してもらいたいです。そして、2030年までの目標として、確立したいのが栽培レシピというビジネスモデルです。栽培レシピとは、植物を育てるための環境条件の組み合わせです。私たちの研究装置と量産装置は共通規格化されており、相互に再現性高く環境条件をコントロールすることができます。。そのため、研究所で開発された植物の栽培レシピを、そのまま量産装置で再現することができます。このシステムを使うことで、研究所で次々に新しい栽培レシピを生み出し、工場は栽培レシピをダウンロードし栽培することで、効率よく社会実装を進めていくことができます。このプラットフォームを確立することで、世界的に植物工場が広がり、食料生産の問題解決に繋がっていくと信じています。 ■大学生へのメッセージ 是非、新しいことにチャレンジしてみてください。新しいことにチャレンジすることはすごく楽しいことでもあります。私自身も自分で始めた今の仕事がとても楽しく、やりがいもあります。一番いいのは、仕事の中で何かやりたいことが出てくることです。せっかくだったら、楽しくてやりがいのある仕事についてほしいなと思います。 学生新聞オンライン2024年11月13日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 国際基督教大学2年 丸山実友 / 城西国際大学1年 渡部優理絵 / プランテックス 代表取締役 山田耕資様 / シニア・マネージャー 建部輝彦 / 東洋大学2年 越山凛乃

学生新聞インターン

株式会社Looop 代表取締役社長CEO 森田卓巳

“つながり”を意識し、広い視野を持つことが未来をつくる 株式会社Looop 代表取締役社長CEO 森田卓巳(もりた たくみ) ■プロフィールネットベンチャーの中国法人にて、システムエンジニア、プロジェクトマネジャー、総経理(最高執行責任者)などを経て、2012年、Looop入社。太陽光発電所のEPC事業、太陽光、風力発電による発電事業の事業本部長・管掌取締役、電力小売事業、経営戦略、財務戦略部門の管掌取締役を経て、2023年4月より現職。東京学芸大学教育学部卒。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了。 再生可能エネルギーの普及を掲げ、太陽光発電や風力発電、電力小売事業等で挑戦を続けるLooop。電力市場の変動や資源価格の高騰を乗り越え、持続可能な未来の創造に挑む。エネルギーを提供するだけでなく、消費者のニーズを理解し未来世代に向けて重要視する取り組みとは? その魅力と新たな挑戦について、森田卓巳社長に伺った。 学生時代、私は他の学生と同じように、お金を稼ぐことに強い興味がありました。居酒屋やリゾートバイトなど、様々なアルバイトを経験する中で、「効率よく稼ぐにはどうすればよいか」と考えるようになりました。その結果、当時報酬が良かったプログラミングやIT関連の仕事に目を向けることとなりました。友人からの紹介や、「初心者歓迎」といった条件のアルバイトに応募し、Webアプリケーションの開発を行う会社に入ることができました。驚いたことに、その会社は社長や営業職以外のほとんどが学生で構成されていたのです。そこで、私は大学3年生のときからプログラミングのアルバイトを始め、技術を学びながら収益を上げる方法を模索していました。そんな生活の中、就職活動の時期を逃してしまったこともあり、大学院進学を決意します。大学院での時間を活用して新たな経験を積むことができました。その一環で、留学生のチューターを務めたことが、次なる転機を生むきっかけとなりました。中国から来た留学生との交流を通じて、キャリアや人生設計において新しい視点を得ました。「中国に行けば何かが分かるかもしれない」と考えた私は、大学院1年生の時に思い切って中国へ行くことを決めました。 ■上海での経験 ダイナミックな成長とLooopとの出会い 上海に渡った私は、日本の企業でオフショア開発を支援する仕事に関わることになります。当時の中国は経済が急速に成長しており、そのエネルギーとダイナミックな環境に圧倒されました。訪れた当初は2路線しかなかった地下鉄が、数年で20路線以上に増えるなど、目覚ましい発展を目の当たりにしました。しかし、2008年のリーマンショックが発生し、外部環境が大きく変わりました。日本からのオフショア開発の需要が激減し、現地の法人も急速に縮小していきました。最盛期には100人規模だった組織が、わずか数年で20人程度にまで縮小されるなど、経済的な厳しさを肌身で実感することになりました。その後、日本に帰国し、新たな挑戦を求めて動き出したとき、出会ったのがLooopです。創業者である中村とは上海でのフットサル仲間として知り合い、その縁が再び繋がった際、震災をきっかけに設立されたLooopの理念と挑戦に共感し、ここで再スタートを切ることを決めたのです。 ■20兆円規模の市場で、再生可能エネルギーを浸透させたい エネルギー分野のマーケットは非常に大きく、その可能性は無限大です。電力の供給事業だけでも7兆円規模、電気全体では20兆円規模とされており、脱炭素化やAI・デジタル化の進展により、さらなる成長が見込まれています。Looopでは、再生可能エネルギーを効率よく活用するためのサービスを展開しています。市場価格と連動する料金プランを採用することで、再エネが生む電力を無駄にせず、安価で消費者に提供する仕組みを構築しました。例えば、電力が余剰となり捨てられることを防ぐ「スマートタイムONE」というサービスは、再エネを有効活用する画期的な試みの一つです。また、私たちはただエネルギーを提供するだけでなく、消費者のニーズを理解し、多様なサービスを通じて「再エネっていいよね」と感じてもらえるよう努めています。未来世代に向けた教育活動や地域密着型の取り組みも重要視しており、社会全体で再生可能エネルギーを広げていくことを目指しています。 ■大切なのは、自分の役割を把握して働くこと Looopで共に働きたいのは、自分と、自分に関わる会社の役割をきちんと把握し、社会課題の解決に向けて行動できる人です。エネルギー業界は広範囲にわたる課題を抱えており、一つの企業だけで解決するのは難しいのが現実です。そのため、他の企業や団体と協力しながら、自分たちが果たすべき役割を見極める力が必要です。また、単にアイデアを出すだけでなく、それを実行に移し、社会に実装する行動力も求められます。ビジョンに共感し、自分の力を最大限に活かせる人材を歓迎しています。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんには、とにかく行動することの重要性をお伝えしたいです。私自身、学生時代の様々な挑戦や経験が、現在のキャリアの礎となっています。物事のつながりを意識し、広い視野を持って動いてください。例えば、再生可能エネルギーに関しても、現在の取り組みが将来どのような影響を与えるのかを考える必要があります。地理的・時間的なつながりを理解しながら行動することで、将来的な可能性を広げることができます。最後に、多方面で経験を積み、つながりを意識することの大切さを胸に刻みながら、自分の可能性を信じて進んでいってください。 学生新聞オンライン2024年12月13日取材 日本大学4年 鈴木準希 城西国際大学1年 渡部優理絵 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 日本大学4年 鈴木準希

学生新聞インターン

モデル・タレント・ファッションデザイナー 神田うの

仕事とは「感謝」を生み、新しい世界を見せてくれるもの モデル・タレント・ファッションデザイナー  神田うの(かんだうの) ■プロフィール1975年3月28日生まれ、神奈川県出身。14歳でモデルデビューし、その後、17歳で雑誌『プチセブン』のモデルに起用される。その後はバラエティ番組からドラマ、映画、CMまで幅広く活躍。2001年からはストッキングやウエディングドレス、ジュエリーなどのプロデュースをスタート。2004年には、ウエディングドレスをパリコレに出展。また2021年からコスメ「Peau de Bijou UNO」(ポー・ド・ビジューウノ)のプロデュースを発表し、多岐にわたりプロデュース業を手掛けている。 バレエ、モデル、バラエティタレント、商品プロデュースなど、幅広い活躍を続けてきた神田うのさん。幼少期の体験、モデル業を通じて触れた社会、そして数々の挑戦から得た強さを語ります。大学生へ向けた温かなメッセージも必見です。 ■小さなバレエ少女からのスタート   私は3月28日生まれで、予定日より約3週間早く生まれました。学年内ではいつもみんなよりも頭ひとつ分小さく、学校生活ではお兄さんやお姉さんに囲まれているような気分でした。何もできない私はお友達に「うのちゃん、こうだよ、こうだよ」と手を引いて面倒を見てもらうことが多く、自然と周りに頼るキャラクターになっていました。  親は私にさまざまな習い事をさせてくれましたが、どれもあまりうまくいきませんでしたね。でも、唯一バレエだけは楽しくて真剣に取り組み、トゥシューズを何度も履きつぶすほど練習しました。その結果、親は「この子はバレエをさせておけばいい」と思うようになったと聞いています。  ■モデルとして触れた新しい世界   芸能プロダクションには色々とスカウトされていたのですが、親からは全部「ダメだ」と反対されていました。14歳のとき、モデル事務所にスカウトされた時、ファッションが好きだった私は、このお仕事なら素敵な洋服をたくさん着られると思い、ぜひこの仕事をやりたいなと思ったんです。そして、バレエのトゥシューズは消耗品で費用がかさむため、「トゥシューズ代くらいは自分で稼ぎたい」と親に訴え、なんとかモデルの仕事を始めることができました。そして、この決断が後に私の人生を大きく変えるきっかけになったんです。親は私がすぐにこの仕事に飽きて辞めてしまうと思ったようですが、私はこの仕事がどんどん楽しくなっていきました。当時の私は学校とバレエの世界しか知らず、軽い気持ちでモデルのお仕事を始めたのですが、ここで社会の仕組みを初めて知ることになります。カメラマンやヘアメイク、雑誌ライターなど、それまで存在すら知らなかったたくさんの職業に出会うことができました。バレエを優先しながらモデルの仕事をすることは簡単ではありませんでした。モデルの仕事は土日の撮影が中心なのですが、バレエの舞台やリハーサルとスケジュールが重なることも多かったからです。せっかくオーディションに受かっても、バレエ優先。バレエの先生は「レッスンは休んではいけない」という厳しい先生だったので、やりたい仕事ができなくて、何度も悔しい思いをしました。それでも、モデル活動を通じて新しい世界を知り、多くの出会いに恵まれたことは大きな収穫でした。 ■バラエティタレントとしての葛藤   高校卒業後、今度はバラエティの仕事もやるようになりました。事務所の社長が「この子はバービードールが喋っているみたいで面白いね」と言ってプロデューサーに紹介してくれたおかげで、気に入ってもらい、いきなり番組の司会を務めることになりました。当時は「地方の祖父母は見ていないし、好き勝手に喋っちゃえ」と無邪気に取り組んでいましたが、発言が編集されて誤解を生むことが増え、バッシングを受けることも増えました。一度、社長に「タレントを辞めてモデルに戻りたい」と直談判しましたが、すでに十数本のレギュラー番組が決まっていたため、辞めることはできませんでした。  そこで、「せめてレギュラー番組を一桁にしてください」と交渉すると、社長は十数本あったレギュラーを9本に減らしてくれました。当時の私にとってはこれがギリギリ耐えられるラインで、何とか仕事を続けることができました。バッシングが激しくなった時期、同じ業界の友人たちが「気にするな」と励ましてくれたことも大きな支えになりました。この経験を通じて、社会の厳しさや妥協点を見つける大切さを学んだと思います。  ■プロデューサーとしての挑戦とやりがい   25歳のとき、ストッキングのCMに出演したんですが、私がいつも海外の柄の入ったストッキングやタイツを履いているのを見て、企業からストッキングのデザイン相談を受けたんです。これをきっかけにプロデュース業を始めました。そこで挑戦したのが、ストッキングにスワロフスキーを施すという新しい試みです。耐久性を検証するための実験など大変な作業も伴いましたが、結果的に商品が大ヒットし、多くの企業や顧客から感謝されました。街中でたくさんの女性が自分のデザインしたストッキングやタイツを履いて歩いているのを見たときは、本当に嬉しかったです。モデル業への評価とは違い、自分の感性で商品を生み出し、顧客に喜ばれる体験は、大きな達成感につながりました。すると、今度はランジェリーのデザインやウェディングドレスのデザインの依頼も入ってくるようになったのです。ドレスのデザインはかなり大がかりなもので、ヘッドドレスも作ったりしてとても大変でしたが、花嫁やそのご家族から感謝の手紙を頂くたびに大きなやりがいを感じましたね。この経験を通じて、「仕事は感謝を生むもの」という信念が育まれていったと思います。  ■学生へのメッセージ   学生時代は「守られる中で社会を学べる」特別な時間だと思います。私自身は早くから社会に出たため、大学生活のような時間を経験することはありませんでした。しかし、皆さんが今過ごしている「遊びと学び」を両立させられるこの期間は、多くの経験を積むチャンスです。その出会いや挑戦が、30代、40代になったときに大きな力になるはずです。また、相手の意見を受け入れる柔軟性を持ちながら、自分の意見を伝える力を持つことも重要です。自分の考えを持ちながら他者を尊重できるスキルは、より良い社会を作る基盤となるでしょう。ぜひ失敗を恐れず、多くのことに挑戦してください。それが、未来の自分にとって大きな財産となります。 学生新聞オンライン2024年11月16日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 国際基督教大学 2年 丸山実友 / 城西国際大学 1年 渡部優理絵

学生新聞インターン

女子プロレスラー メガトン

人との出会いが人生を変える 女子プロレスラー メガトン ■プロフィール『轟もよ子』としてドラマや舞台を中心に活躍後、2025年1月3日『メガトン』としてプロレスデビュー。「印象派レスラー」「癒し系ヒール」として絶大な人気を博すも自力では未勝利。決め台詞は「ガオーッ」 ■学生時代に力を入れていたことは何ですか? 見た目通りヤンチャだったから……と言いたいところだけど、学生時代は人とコミュニケーションをとることに力を入れてたよ。大学ではレポートが大変だったから教授に話しかけてアドバイスをもらったり、高校のときに身に付けた「成績の良い子と仲良くなって勉強を教えてもらう」という技もフル活用してたな。まわりに助けられてレポート書いてたぜ。  ■プロレスラーになったきっかけは? スカウトだ……なワケねーだろ。役者として活動していた時に知り合いから「役者や声優が集まって、プロレスを取り入れたお芝居をする『アクトレスガールズ』がある」と誘ってもらったんだよ。私はプロレスが好きだったから挑戦してみることにした。どんどんのめり込んでいったよ。でもな、その時のプロデューサーだった風香さんがマリーゴールドに移籍したのがダーニングポイントだったよ。私もついていきてくて、人生最大の覚悟を決めてマリーゴールドにきた。 ■苦労したことはなんですか? 圧倒的に練習だよ!プロテスト前に自分たちの動きを確認するためにカメラをまわしていたんだけどな、その練習がきつすぎて気づけば足が動かなくなって泣いちまってたんだよ。でもな、追い込まれた経験が私を強くした。これから極悪の道を突き進むメガトンに弱さはねぇ! ■プロレスの魅力は何ですか? 自由に大暴れできるところだな……つーのは冗談で、舞台は上演が終わった後にお客様が書いてくれるアンケートを読んで感想が分かるけど、プロレスは試合中ずっとお客様の声が聞こえるだろ。熱をずっと感じることができる。特にスリーカウントが決まる瞬間、レフェリーのカウントにあわせて「ワン、ツー、スリー」と一体となって盛り上がるところが最高なんだよ。歓声が嬉しくて「メガトン」と呼ばれると全部に「ガオーッ」って返事しちまうほどだ(笑)。お客様と対話できるのが魅力のひとつ!それからな、今私は毎日が楽しくてしかたねぇんだよ。プロレスには人生をかえる力がある。それだな! ■次の試合での注目ポイントは何ですか? 全部だ!……と言いたいところだけど、2月20日の後楽園ホール大会。誰とやってもガォーのズドーンでつぶすけど、この日はさらにバージョンアップしたものを見せてやるよ。「何をしでかすかわからない」「5カウント以内なら反則負けにならない」プロレスの醍醐味を見せてやるよ。学生は1000円で見れるから会場でメガトンを体感してくれ。 ■今後の目標は? 偉そうに言ってるけど、実はまだ自力勝利したことがねぇんだよ。つーか、デビュー直後は「たまに大人数の試合に出る」って社長から言われてたんだよ。そしたら、いきなりシングル王者の林下詩美とシングルマッチが組まれて、驚きすぎて心臓が飛び出たよ。この試練は社長からのデビュー祝いだと感謝してしっかり結果を残さないとな。燃えてるぜ。だから、まずは自力勝利が目標だ。マリーゴールドには青野未来という選手がいるんだけどな、ソイツは黙っていても存在感があるスター・令和のジャンボ鶴田だ。ヒールとして生きるからにはベビーフェイスのトップを泣かせてこそ一人前だろ?初勝利の相手は青野未来で決まりだ! ■大学生へのメッセージ 大学時代はな、誰もがとにかく色々なことで悩むんだよ、私もそうだった。でもな振り返ってみると、多くは大したことはねぇ。悩むなとは言わない、でも、考えすぎるな。大切なのは多くの人と出会って話をする努力だ。人とのつながりは新しい世界やチャンスを作ってくれる。人に優しく誠実に、笑顔でごまかすんじゃねぇ、笑顔で乗り切れ。今はSNSなどインターネットが主流の時代だからこそ、敢えて直接会って話すことが成長の鍵だぜ。まずは話しやすい同年代から、次は色々なアンテナを張って年齢が少し上の人と話をしてみると視野が広がるかわるかもしれない。年齢を重ねた人は経験も知識もある、考えすぎずに頼ってみるんだ。ガオーッ! 学生新聞オンライン2024年12月4日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵

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独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ) 理事長 石黒憲彦

世界各地を舞台に幅広い事業展開 未来の日本経済のために 独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ) 理事長 石黒憲彦 (いしぐろ のりひこ) ■プロフィール1957年生まれ。1980年に経済産業省(旧・通商産業省)に入省。以来35年間にわたり、通商、産業、エネルギーなどの政策分野に従事。スタートアップ支援、企業再生・産業再生、成長戦略の策定を中心とした産業政策のキャリアの中で、2011年から経済産業政策局長、2013年から2015年にかけて経済産業審議官を担った。2016年から2023年までは、日本電気株式会社(NEC)の執行役員副社長を担い、2023年から現職。 学生時代から世界をまたにかけて仕事をしたいと志し、経済産業省やNECでキャリアを積んだ後、ジェトロの理事長に就任した石黒憲彦氏。世界56カ国に拠点を置くジェトロは対日投資や協業連携、スタートアップの海外展開支援といった幅広い事業を取り組み続けている。自分の子どもや孫の世代に成長する日本経済と繁栄を残していきたいと語る石黒理事長にお話を伺った。 ■学生時代から経済の未来を見据えて 東京大学入学後、漠然とではありますが「世界を股にかけた仕事をしたい」と考えていました。家庭教師のアルバイト、アメフトのクラブチームでの活動、学業に打ち込みながら、当初は銀行や商社、メーカーなどへの就職を考えていました。そんな中で経済産業省に就職を決めた理由は、とても活気を感じたから。同時に、この組織は自分に合っているような気がしたためです。経済産業省で35年間勤めた後、NECで7年のキャリアを積みました。その後、現在のジェトロの理事長に就任しました。経済産業省は政策を企画立案するところですが、ジェトロは現場で任務を遂行していく組織です。公の機関であるため、公の志をもって日本経済に貢献できることが、両者の共通の魅力です。また、仕事をする上で大切にしているのが、自分の子供や孫の世代に成長する日本経済と繁栄を残していきたいという想いです。たとえば、役人時代、予算を確保する際にしても、「長期的に見て、日本の成長につながるはずだ」という確固たる意志と責任感をもって仕事をしてきました。 ■ジェトロでの挑戦とビジョン 現在はジェトロ理事長ですが、1990年代にジェトロの産業調査員としてニューヨークに勤務をしていたことがあります。アメリカの政治経済の動きは世界中に影響を及ぼします。当時は現場の調査員として現地の変化をいち早く日本側にレポートしていました。ニューヨークに限らず、現在ジェトロは世界56カ国に事務所を構えています。グローバルなネットワークを活かし、スタートアップ支援や農林水産物の輸出促進、中小企業の海外進出など、多岐にわたる活動を展開しています。組織運営を担う理事長としては、ジェトロが持つ3つの資産を最大限に活かして日本経済の成長に貢献したいと考えています。3つの資産とは、1つ目に人材です。ジェトロは世界を股にかけていますから語学が堪能な人材が多くいます。2つ目に国内外のネットワークです。国内50カ所、海外76カ所の拠点があるという強みがあります。3つ目は、長い年月を通じて築き上げた信頼、「のれん」を作ってきたという自負があります。これら3つの資産を携えて、ジェトロは4つの柱を基に活動しています。1つ目は対日直接投資や国際協業連携、スタートアップの海外展開支援、高度外国人材の活躍推進等を通じ、イノベーションの創出を支援しています。2つ目は日本の農林水産物・食品輸出を支援しています。3つ目は中堅・中小企業など我が国企業の海外展開を支援しています。4つ目は調査や研究を通じ、我が国企業の活動や通商政策等に貢献しています。また、ジェトロはグローバル時代に即した地域経済に貢献しています。例えば「日本酒を売りたい」といった地方からのニーズがあれば、海外の展示会に出展する機会を設けることで、日本の地方企業と海外を結ぶこともできます。公の機関として企業や地域から感謝され、仕事にやりがいを感じています。 ■日本経済の未来を担うグローバル展開 今後力を入れたいのは、海外のスタートアップやエコシステムとの連携を深め、日本企業の海外展開を支えることです。我が国における人口減少による経済力低下への危機感に対して、海外市場の成長を取り込むことで持続可能な発展を目指していきます。特に、優れた技術を持つ日本のスタートアップを世界に広め、新たなビジネスチャンスを創出することが重要です。ジェトロが掲げたビジョン・ミッション・バリューズ(VMVs)に共感し、コミュニケーション能力を備えた職員とともに、日本経済の成長を次世代に引き継ぎたいと願っています。 ■大学生へのメッセージ 語学力やコミュニケーション能力は重要ですが、最初から完璧である必要はありません。意欲があれば、実際に現地で鍛えながら成長していけると思います。私は環境が変わることを楽しみ、新しい挑戦を喜べる人と一緒に働きたいです。私たちの仕事では、企業の要望を受けて、どの自治体や州政府につなぐべきか、あるいは海外のどの市場を開拓するかなど、多くの場面で人と人をつなぐ役割が求められます。その際には、現地のトレンドを把握し、適切なアプローチを提案することが重要です。場合によってはバイヤーを招待したり、新しい販路を開拓したりと、多様な手法を駆使します。また、日本企業には「もっと高く売れるのに安く売ってしまう」という課題も見られます。私たちは、日本商品の海外での価値を再認識してもらい、ブランド化の支援も行っています。最近では、日本のスタートアップが技術力を武器に世界で活躍しています。特に理系の優秀な学生が、就職せずに起業するケースが増えており、その成長をサポートするアクセラレータやインキュベーターの役割も広がっています。こうしたダイナミックな環境の中、新しい仕事に怯まず挑戦できる姿勢が求められます。世界を舞台に活躍するためにグローバルな感覚を養ってください。ヨーロッパのようなきれいな街並みの国に旅行に行くのもいいですが、新興国にも行ってみてください。現地でしか味わえない、まるで大地が動いているようなエネルギッシュな感覚を味わってほしいです。 学生新聞オンライン2024年11月22日取材 東洋大学2年 小熊美玖 武蔵野大学4年 西山流生 / 立教大学4年 緒方成菜 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 東洋大学2年 小熊美玖 / 国際基督教大学2年 若生真衣 / 立教大学4年 須藤覚斗

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クラスター株式会社 代表取締役CEO 加藤直人 

目標は不老不死? メタバースから見る新たな社会の可能性 クラスター株式会社 代表取締役CEO 加藤直人 (かとうなおと) ■プロフィール京都大学理学部で、宇宙論と量子コンピュータを研究。同大学院を中退後、約3年間のひきこもり生活を過ごす。2015年にVR技術を駆使したスタートアップ「クラスター」を起業。2017年、大規模バーチャルイベントを開催することのできるVRプラットフォーム「cluster」を公開。現在はイベントだけでなく、好きなアバターで友達と集まったりオンラインゲームを投稿して遊ぶことのできるメタバースプラットフォームへと進化している。2018年経済誌『ForbesJAPAN』の「世界を変える30歳未満30人の日本人」に選出。同じく2022年、2023年には「日本の起業家ランキング」のTOP20に2年連続で選出。著書に『メタバース さよならアトムの時代』(集英社/2022年) メタバースの最前線で挑戦を続ける、クラスター株式会社代表取締役CEO 加藤直人さん。子どもの頃から宇宙に憧れを抱き、大学での学びを通して仮想空間技術の世界へ。加藤さんの歩みとビジョンには、テクノロジーが切り拓く新しい社会の姿が見えてきます。 ■大学時代に学んだ組織運営の基礎 僕が京都大学に入学したのは2007年。子どもの頃から憧れていた宇宙に対する探求心を胸に、理学部を選びました。学生時代の前半は学生委員会で組織運営を学び、後半は宇宙と量子コンピューター研究に没頭し、今はメタバースの可能性を探る会社を運営しています。大学生活で最初に力を注いだのは、大学生協の学生委員会での活動です。1年生で入会し、フリーペーパー制作の部署に所属しました。2年生になると、総勢200人規模である学生委員会の代表を任されることになりました。1年次の僕は授業にほとんど出席せず、単位もわずかしか取得していなかったため、代表の誘いを一度は断ったのですが、周囲のメンバーのサポートを受けながら代表としての役割を果たしました。組織をまとめる中で特に学んだのは、運営の仕組みをしっかり整えることの重要性です。組織が大きくなると情熱や勢いだけでは維持できません。適切な仕組みがあれば、卒業などの理由でメンバーが入れ替わっても、問題なく組織が機能し続けます。この経験は、現在のクラスター株式会社の安定した運営基盤づくりに役立っています。 ■研究に没頭し、シミュレーション技術に出会う  学生委員会を引退した後、理学部での研究活動に本格的に力を注ぎました。3年生の頃には宇宙論と量子コンピューターという異なる分野の研究室に所属し、卒業論文を2つ書きました。一見、宇宙論と量子コンピューターは全く別の分野ですが、どちらもコンピューターシミュレーションを活用して現象を再現する点が共通していました。このシミュレーション手法に触れたことが、現在のメタバース事業の土台になっています。現実の物理現象を仮想空間でシミュレートする技術を通して、人がそこにいるように感じられる体験を作り出すことが今の仕事です。学生時代に学んだシミュレーション技術が、バーチャル空間での現実再現に挑む際の強みとなっています。 ■開発への熱意と起業のきっかけ その後、大学院に進学しましたが、学費や生活費を賄うために始めたアプリ開発への関心が高まり、退学することにしました。2012年から2015年は個人でアプリを開発し、スマートフォン市場の成長期の波に乗ることができました。アプリを開発しながら、ゲームエンジンについてのブログを書いていたところ、ベンチャーキャピタルから出資の提案を受け、2015年にクラスター株式会社を設立しました。 ■現在の活動とメタバースで目指す未来 現在、クラスター株式会社は日本発のメタバースプラットフォームとして、多くの企業や自治体に採用され、バーチャル空間でのイベント開催の支援をしています。このように、仮想空間を活用してリアルな体験を提供する中で「仮想空間で現実を生きる」未来を目指しています。僕はこの事業を通じて仮想空間での人々の生活体験を豊かにし、日常に近い形での利用ができる環境を作り出したいと思っています。更に、最終的に挑戦したい目標は「不老不死」です。僕が想像する不老不死には、2つの方法があります。ひとつは、バイオテクノロジーの力で細胞の老化を防ぐこと。もうひとつは、脳とコンピュータをつなぎ、人の意識をデジタル空間に保存することです。人が現実の体を持たずとも意識を永続させることで、寿命に縛られることなく生き続ける未来が実現するかもしれません。現在、京都大学や東京大学の研究者と共同で、このような夢の技術に向けた研究も行っています。 ■大学生へのメッセージ 進路に迷う大学生の皆さんに伝えたいのは「ルールを作る側に立つ面白さ」です。僕は学生時代、数百人規模の組織をまとめたり、新しい技術に挑戦したりしましたが、「ルールを作る」という経験が今も大きな糧となっています。社会に出ると、既存のルールを守るだけでなく、どうすれば新しい価値を生むルールを作り出せるかという視点が求められます。皆さんも自分の手で未来を切り拓き、社会に必要なルールや仕組みを作る力をつけていってください。ルールに従う側から作る側へ、そして社会に影響を与えられる側へ、挑戦を続けてみてください。 学生新聞オンライン2024年11月1日取材 城西国際大学1年  渡部優理絵 東京薬科大学 2年 庄司春菜 / 城西国際大学1年 渡部優理絵 / 東洋大学 2年 越山凛乃

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俳優 鈴木 福

“全盛期は未来にある” 挑戦を続ける20歳の覚悟 俳優 鈴木福 (すずきふく) ■プロフィール東京都出身。TVドラマ「マルモのおきて」(CX)に出演し、同年NHK紅白歌合戦に7歳で出場。主な出演作に、TV「妖怪人間ベム」(NTV)、「コドモ警察」(TBS)、『決算!忠臣蔵』など。近年では、「仮面ライダーギーツ」(EX)、ミュージカル「儚き光のラプソディ」(地球ゴージャス)などに出演。 1歳で芸能界入りし、今年20歳という節目を迎えた鈴木福さん。数々の作品に出演し、その愛らしさと確かな演技力で多くの人々を魅了してきた。映画『野生の島のロズ』では雁のキラリ役で声優出演。学生生活と芸能活動を両立させながら未来を追い求める彼に、その思いを伺った。 学生時代を振り返ると、とにかく「やるべきことはすべて全力でやる」という姿勢を大切にしてきたと思います。小学校の頃から野球が好きで地域の野球チームにも所属していました。ですが仕事で行けない日もあったので悔しい思いをすることも。ただ、芸能活動で得られる貴重な経験はとても大きな財産になっています。友達から「テレビで見たよ」と声をかけられたりすることが僕にとって大きな力になり、日々の励み・原動力になっていました。大変でしたが「やらない」という選択肢は自分の中にはありませんでした。 ■俳優として成長を追い求める日々 これまでの芸能活動の中で、僕の仕事に対するマインドは少しずつ変化してきました。子役時代は「楽しいからやる」というシンプルな思いで仕事に向き合っていましたが、中学2年生のとき、自分は俳優として生きていくと決意し、それを機に、役者としての自覚が芽生え、努力を重ねてきました。仕事に対するモチベーションは、今が最も高いかもしれません。全盛期は常に未来にあると考えているので俳優として一つの作品に関わるたびに、自分の新しい側面を発見できるため、毎回の挑戦が楽しみです。 ■映画『野生の島のロズ』 声優としての挑戦と新たな発見 今回の映画『野生の島のロズ』では、渡り鳥(雁)のキラリを演じさせていただきました。キャラクターの若さや可愛らしさ、そして大人へと成長していく過程を声だけで表現する必要があり、キャラクターの変化や感情を伝えるのはとても難しかったです。俳優としての演技とは異なるので、改めて発声や声の作り方を学び直す貴重な機会となりました。これまでも声優の経験は何度かありましたが、今回の作品を通じてその奥深さを改めて実感しました。キャラクターの可愛らしさや内面の変化を表現する中で、俳優としての自分の幅を広げていただいたと感じています。完成した作品を観たときには、「この素敵な作品に参加できて本当に良かった!」と心から思いました。今回演じたキラリは、親子の絆や自然と人間の共存をテーマにした作品の中で重要な役割を担っていると思うので、このキラリを通じて皆さんに作品の魅力やメッセージを届けることができれば嬉しいです。 ■自分らしさを大切に 子役から俳優に移行する中で、肩書きの重要性を強く意識するようになりました。以前は「子役」として楽しく取り組んでいた仕事ですが、「俳優」として活動するようになると、同世代や先輩俳優との比較や、自分に何ができるのかを考える機会が増えました。中学2年生の時に「俳優として名乗る」と決意してからは、どんな場面でも自分を「俳優・鈴木福」として見てもらえることを目指しています。「子役時代の延長」ではなく、「今の自分が輝く」存在でありたいという思いがあるのでこれからも多くのことに挑戦し、自分の可能性を広げていきたいです。俳優としての今後については、漠然とした目標ながらも、「出ていたら観たいと思ってもらえる俳優になること」を目指しています。それが、どんなジャンルの作品でも皆さんに期待される存在になりたいという思いにつながっています。 ■人とのつながりを大切にする時間 僕は人と一緒にいるのが好きで、仲の良い人たちと話したり、楽しい時間を共有したりすることがエネルギーの源になっています。何気ない日常が、僕にとっては自分自身を整える大切な時間です。映画『野生の島のロズ』で描かれている親子愛や友情、自然と人間の共存といったテーマは、僕自身が大切にしていることと重なる部分がありました。作品を通じて、そういったメッセージが皆さんに伝われば嬉しく思います。動物たちの可愛らしい仕草や、キャラクターの成長物語にも注目してほしいです。 ■大学生へのメッセージ 今回の映画では、周りと違うことに悩むキャラクターたちが描かれていますが、それは僕たち一人ひとりも同じです。他人と違うからこそ、個性が輝くのだと僕は信じています。この映画を通じて、勇気や新しい視点を得ていただけたら嬉しいです。僕自身も現在大学生として、仕事と両立を頑張りながら成長できるよう頑張っています。学生生活では、自分の興味や好きなことに全力で取り組むことが大切だと思います。失敗を恐れずに新しい挑戦を続けることがきっと未来につながります。僕も挑戦を続けていくので、お互いに頑張りましょう! 学生新聞オンライン2024年12月12日取材 津田塾大学2年 石松果林 映画『野生の島のロズ』 2025年2月7日(金)TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー配給: 東宝東和、ギャガ監督・脚本:クリス・サンダース日本語吹替えキャスト:綾瀬はるか(ロズ)、柄本 佑(チャッカリ)、鈴木 福(キラリ)、いとうまい子(ピンクシッポ)、千葉 繁(クビナガ)、種﨑敦美(ヴォントラ)、山本高広(パドラー)、滝 知史(サンダーボルト)、田中美央(ソーン)、濱﨑 司(赤ちゃんキラリ)コピーライト: Ⓒ2024 DREAMWORKS ANIMATION LLC. 城西国際大学1年 渡部優理絵/津田塾大学2年 石松果林/東洋大学2年 越山凛乃