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Archive for 運営スタッフ

丸山実友

株式会社 robot home  代表取締役CEO  古木大咲

好きなことの延長線に仕事がある。自分の「楽しい」を仕事にしよう 株式会社 robot home  代表取締役CEO  古木大咲(ふるきだいさく) ■プロフィール1979年生まれ、鹿児島県出身。21歳の頃、福岡の不動産会社にて当時は今ほど注目されていなかったインターネット集客による販売手法を考案。アパート経営サイトの立ち上げから物件売買など多くの実績を積み、2006年、株式会社インベスターズ(現: robot home)を設立。「アプリではじめるアパート経営」という斬新かつ独自のビジネスモデルを確立。不動産業界における社会的問題を解決すべく、テクノロジーを活用した様々な事業を立ち上げる。 「テクノロジーで、住宅を変え、世界を変えていく。」というミッションのもと、不動産業界の最先端を走るrobot home(ロボットホーム)。同社の創業者である古木大咲氏は、これまで数々の目標を達成し、不動産業界に新しい風を吹きこんできた。そんな古木氏の会社創業までの道のりや仕事に対する思いについて伺った。 ■「弱い自分を変えたい」という思いが起業の原点 私の実家は鹿児島で土木業を営んでおり、幼少期は何不自由ない生活をさせてもらっていました。しかし、中学校3年生の時に父が他界し、生活環境が大きく変わりました。その後、高校に進学したのですが、2回の停学により留年が確定したため、高校を退学して16歳から20歳までフリーターをしていましたね。熱しやすく冷めやすいタイプだったので、多くのアルバイトに挑戦しました。20歳頃になると、周囲の同級生が就職活動を始めて、一流企業に内定を決める姿を見かけるようになりました。それまで将来の話を一切していなかった周りの友達が、急に進路の話をするようになり、自分の将来に危機感を覚えましたね。また、私は何を始めてもすぐに辞めるタイプだったので、弱い自分を変えたいと思うようになりました。その時に、土木会社の社長であった父のことが思い浮かびました。幼い頃、父の姿を見て、経営者とは厳しい世界だと感じていました。そして、弱い自分を変えるには、父と同じように経営者になる道を目指せばいいのではないかと考えたのです。この気持ちが、起業の原点でしたね。中卒である自分でも、ほかの人に勝てるものは何かと考えたとき、思い付いたのが「営業職」でした。かつ、営業で圧倒的に差をつけるには、大きい金額のものを売りたい。そこで、不動産の営業にしようと決めたのです。 ■50億円の売り上げのうち、半分を自分が占めるように 20歳の時、三和エステートに入社しました。営業マンとして、入りたかったのですが、中卒だったので清掃係からのスタートでした。しかし、毎週水曜日が休みだったので、水曜日だけ営業をさせてくださいと打診して、活動をはじめました。試行錯誤の末、三和エステートで初めてマンションの建築受注工事を受けることに成功したのです。これをきっかけに、晴れて営業マンとして働くことになりました。その後、新築アパートの事業部に転属し、働く中で、「インターネットで集客することで、より売上を上げることができるのではないか」と考え、インターネット広告を始めました。そして、25歳の時には会社の売り上げ50億円のうち、25億円は自分の事業部で作るほどの成果を生み出すことができました。だんだんと自分に自信がつき、「この会社を徹底的に大きくしていきたい」という思いから、経営者目線で会社に様々な意見を出しました。しかし、そんなことをすると、多くの場合は上司とぶつかるんですよね。意見を言っても、予算の承認が得られなかったり、意思決定が遅かったりで、いよいよ「自分で会社をやった方が早いんじゃないか」と思い、独立を決めました。 ■この仕事が楽しくて仕方がない 2006年の創業後、3年後には東京、名古屋に支店を出すほどになり、順調に規模は拡大していきました。しかし、2008年のリーマンショックで一度会社が倒産しかけましたね。大きな原因となったのは、借りていた資金の早期返済です。私は営業出身であったため、財務や経理などの資金繰りに弱いのだと気付きました。そこで、財務や経理について徹底的に勉強し、在庫を持たないアセットライトなビジネスモデルを作れないかと考えたんです。やると決めたはいいものの、売上は2009年までの3年間ずっと20億円を推移して、ほとんど伸びませんでした。やはり新しいビジネスモデルを浸透させるのが難しく、お客様に説明することが大変だったんです。そこで、次の3年間を通して業務を楽にするシステムを作りました。このシステムのおかげで、2013年には売上が100億に到達し、2015年に上場を果たしました。上場後も、IoTを活用したスマートホーム技術の開発や、不動産管理のプラットフォーム構築など、テクノロジー投資を積極的に行い続けました。これにより、単なる不動産ビジネスではなく、テクノロジーを駆使した住宅の未来を創る企業へと進化しました。これらを成し遂げられたのは、目標を課して、達成することがとても楽しかったからです。今後の目標は、売上を1000億にすることです。さらに、IoTとAIを活用した賃貸住宅の自動化・効率化を推進し、不動産業界における新たなスタンダードを築いていきたいと考えています。私の原動力は、この仕事が楽しくて仕方がないという気持ちです。実際、賃貸住宅の間取り作りがとても得意なんですよ。なぜ得意なのか考えた時に、親が土木業をやっていたこともあり、昔から間取りが好きだったからと気が付きました。だから賃貸住宅に興味があるし、部屋の間取りを見ていても飽きなかったりするんでしょうね。一緒に仕事をするなら、同じように「この仕事が楽しい」と思える人と働きたいですね。オーナーさんと接する機会が多いので、人と接することが好きな人も良いかもしれません。不動産について詳しい必要はまったくありません。この仕事を楽しいと思って働いてくれる人、そんな人と共に働けたら嬉しいです。 ■大学生へのメッセージ 学生の皆さんには、毎日思いっきり好きなことをして、遊んでもらいたいです。私自身も好きなことをやってきて、その延長線に今の仕事があります。それが仕事を見つける上でベストな方法だと思うんです。だからこそ、大学生の皆さんには自分の好きなことを徹底的にやりきることを大事にしてほしいですね。 学生新聞オンライン2024年10月28日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 法政大学4年 鈴木悠介/早稲田大学1年 村上弥礼/国際基督教大学2年 丸山実友

DX・WEBマーケティング

キリンホールディングス株式会社 デジタルICT戦略部 DX戦略推進室 室長 ...

“人が主役のDX”で、会社を変革 キリンホールディングス株式会社 デジタルICT戦略部 DX戦略推進室 室長 皆巳 祐一(みなみゆういち)(※2025年3月取材当時) ■プロフィール食品メーカーにて営業、マーケティングに従事した後、デジタル化の重要性を感じて2017年キリンホールディングスのデジタルマーケティング部へキャリア入社。SNS、オウンドメディア運営を担当後、2020年経営企画部DX戦略推進室の立ち上げメンバーとして参画。2023年より現職。 営業やマーケティングの現場を経験し、現在はキリンホールディングス全体のDXを推進する皆巳祐一さん。DXは単なるデジタル技術の導入ではなく、業務や組織の在り方を根本から見直す「変革」であると語る。今回は、自社で進めているDXの取り組みや、大学生へのメッセージを伺った。 私は学生時代、サッカーに熱中しながらアルバイトにも励み、将来は教員を目指して教職課程を履修していました。ただ、就職活動を進める中で「より多くの人・社会と接点を持てる仕事」に魅力を感じ、企業への就職を選択しました。最初に入社したのは食品メーカーで、営業として約10年間、什器の設置や店舗の支援など、現場業務に従事しました。店舗や施設に足を運び、お客様に喜んでもらうための小さな工夫を丁寧に行っていきました。一つひとつの作業は地味かもしれませんが、「お客様の目に映る場を、自分の手で整えること」に大きな誇りを持って取り組んでいました。今振り返ると、この経験が「現場を見る」「現場から変えていく」という、現在のDX推進の姿勢につながっていると実感しています。まさか当時、自分が将来グループ全体のDXを担うとは思ってもいませんでしたが、どんな仕事にも意味があり、その積み重ねがキャリアを形作っていくのだと信じています。その後マーケティング部門に異動し、SNSを活用したデジタル施策を次々と展開し、デジタルの可能性を肌で感じる機会をいただきました。その後、キリンへ転職し、デジタルマーケティング部にキャリア採用で加わりました。戦略的なプロモーションの設計・実行を担いながら、次第に全社的なデジタル戦略にも関わるようになり、社内に新設された「DX戦略推進室」へ。今は「デジタルICT戦略部」へと進化したこの部署で、室長としてグループ全体のDXを統括しています。キリンで働く中で面白いと感じるのは、「変えたい」「挑戦したい」という想いが歓迎される風土があることです。また、バックグランドの多様なメンバーが組織を超えて連携しあい、価値を生み出そうとする力強さを感じることもキリンならではの雰囲気だと思います。 ■キリンが取り組むDX 私たちは、キリンにおける全ての領域を対象としてDXを推進しています。特に、現在話題となっている生成AIに注力しており、2024年11月から、『KIRIN BuddyAI for Marketing』をマーケティング領域で働く従業員に展開しています。キリングループのマーケティング業務に特化した「エグゼキューション開発」「調査・分析」「汎用業務」の3つのカテゴリーに分類された約15種類のプロンプトテンプレートが用意されています。マーケティング業務の担当者は自身の業務に最適なテンプレートを選ぶことで、生成AIを効率的に活用し、迅速かつ質の高いアウトプットを得ることが可能です。また、カテゴライズされたテンプレートを用意することで、生成AIの使用に慣れていない従業員でも、簡単に操作できる点も大きな利点です。今回の『BuddyAI』導入により、国内のキリングループのマーケティング業務に携わる従業員約400名が、業務の効率化とクリエイティブな価値創造に向けた時間の確保を実現できるようになります。生成AIが企業の競争力強化において不可欠な存在になると考えています。また、全社員のDXリテラシー向上を目指して「DX道場」を開設しています。この取り組みは、単なるeラーニングにとどまらず、白帯から師範までの段位制を取り入れた“学びと対話”の仕組みです。受講者はすでに延べ3500人を超えており、部門長や役員クラスの方々も積極的に参加しています。DXを特別なものとして捉えるのではなく、「日々の業務の中に活かせる身近な力」として浸透させることを目指しています。私たちが大切にしているのは、単にデジタルツールを導入することではありません。社員一人ひとりが、「よりよく働く」ためにDXを活用するという意識と行動の変化こそが、最も重要だと考えています。 ■DXが生み出す“働き方の未来” 私が目指すDXの理想は、業務の効率化だけにとどまりません。AIやデジタルの力を借りて、社員が価値を生み出していく業務に集中できる環境をつくることが目標です。たとえば、議事録の自動作成や資料翻訳といった汎用業務はAIが担い、人は創造性や判断力を発揮できる時間を確保できるようになります。そうした「人とAIの役割最適化」を進めることで、仕事の質とやりがいの両方が高まっていくと考えています。 ■大学生へのメッセージ 「やりたいことが分からない」「自信がない」と感じる大学生は多いと思います。私もかつてはそうでした。営業、デジタルマーケティング、DX推進── 今の自分をつくっているのは“やってみた”経験の積み重ねです。よく「自信がついたら、始めたい」という声を聞きますが、私は「始めたことで、自信がつく」と思っています。小さくてもいい、一歩を踏み出すこと。それが次の道を切り拓き、自分の可能性を広げてくれます。人生にはリハーサルがありません。すべてが本番です。だからこそ挑戦を恐れず、自分の未来を自分の手で切り拓いていってほしいと願っています。 学生新聞オンライン2025年3月25日取材 津田塾大学2年 石松果林

学生新聞インターン

モデル・タレント 花音 

座右の銘は「自分を信じて努力を惜しまない」 モデル・タレント 花音 (かのん) ■プロフィール中学2年生までロサンゼルスで育ち2013年に日本に移住。TOKYO GIRLS AUDITON 2015モデル部門で準グランプリを獲得し、NYLONレギュラーモデルとして活動開始。その後、NHK Eテレ「Rの法則」R’s7期生として出演し、CX「めざましテレビ」のイマドキガールを務める。AbemaTV「恋愛ドラマな恋がしたい2」、NHKラジオ「小学生の基礎英語」のメインパーソナリティ、ELLEgirl UNIレギュラーモデルを務めるなど、幅広く活動中。 カンテレ・フジテレビ4月より放送中のドラマ『MADDER(マダー) その事件、ワタシが犯人です』。同作の主人公のクラスメイトで絶対音感を持つ藝大志望の小野優伽役を演じる花音さん。そんな活躍が期待される彼女に、今作のドラマの役づくりや見どころに加えて、新たに始まった日本テレビ『ZIP!』の新レポーターとして加入した意気込みを伺った。 元々、私は芸能界には興味を持っていたんです。以前、竹下通りでスカウトされたこともあったのですが、中々勇気がでませんでした。でも、商業施設で今所属している事務所のavexにスカウトされたときは、お母さんが背中を押してくれたこともあり、事務所に入ることになりました。本格的に活動を始めたのは、高校生の頃。授業後にレッスンに通っていたのですが、一緒にレッスンを受けているメンバーのオーラにビックリしました。「同い年なのにこんなにキラキラしているなんて……!」と自分との違いに驚きました。周りのメンバーから刺激を受けたおかげで、今があるのかなと思います。 ■大変さの中にあるやりがい このお仕事のやりがいのひとつは、テレビに出られることです。それがとても嬉しいです。私の祖父の世代の人は、テレビをよく観るんですよね。だから、祖父は私がテレビに出ていると、その写真を撮ってくれたりするんです。今後も、祖父にテレビを通じて、自分の姿を届けていきたいなと思います。これまではモデルのお仕事もたくさん機会をいただきましたが、今後、新たに力を入れたいのは、女優のお仕事です。モデルは自分ありきで服を見せる。女優は自分ありきで役を生きる。両者には、そういった違いがあるのかなと考えています。AbemaTV『恋愛ドラマな恋がしたい』への出演を契機に、ますます本格的に女優業に進みたいなと感じています。女優業の魅力は、とにかくおもしろいこと。ほかの人の人生を演じることはやりがいがあるし、役作りもとても楽しいです。私の場合は、最初にセリフを覚えて、実際に話してみて、自分の役を作っていきます。正解がないので考えれば考えるほどわからなくなることもあり、準備も大変ですが、そんな部分にもやりがいを感じます。 ■初の連続ドラマ出演決定『MADDER(マダー)その事件、私が犯人です』について 出演が決まった時、以前からの夢だったレギュラーでのドラマ出演だったのでとても嬉しかったです。去年、私の舞台を見に来てくれた、キャスティングの方に声をかけていただいたのですが、その話を聞いたとき、「今まで頑張ってきたことが少し実って来たかも」と感じました。私が演じる小野優伽は、勉強よりも芸術が好きなタイプ。そういう所も自分と共通していると思います。また、彼女はピアノを弾いている時に感情を出すので、ピアノを弾きながら演技をしないといけません。10年ぶりにピアノを弾いたので、ほぼ0からのスタートで、練習が大変でした。やっと弾けるようになってきても、一音でも間違えると「あー」とがっくりしてしまうことも多かったです。そんな中でも、「この役を届けたい」「観ている人の心を動かしたい」という気持ちで、向き合ってきました。撮影中は同世代の方々と撮影やプライベートの話など沢山しました。また、同世代の方々が奮闘している姿を見て、「自分も頑張らないと」と影響もうけましたね。作品の見どころのひとつは、犯人捜しです。ミステリーなので誰が犯人なのか考察しながら楽しんでください。あと、コメディ要素もありますし、個人的には私のピアノシーンに是非注目してほしいです。 ■4月から始まった日本テレビ「ZIP!ファミリー」への意気込み この4月から「ZIP!」のレポーターになりました。特集コーナーを担当する予定です。レポーターになれると聞いた時、朝の時間をみなさんと一緒に過ごす事ができると思い、すごく嬉しかったです。美味しいごはんも食べられるので、不安より、「どんな撮影になるのかな」といったワクワク感が大きいです。最近はどうやって食べ物のレポートをみなさんに届けられるかをよく考えますね。いろんなことを勉強して、みなさんへわかりやすく詳細を伝えられるように頑張ります! そして、私の姿を見て、「今日も一日頑張ろう」と思ってくださる方がいたら嬉しいです。 ■自分を信じて努力を惜しまない 今後の夢は、英語を使った役に挑戦することです。海外でも観られる作品に日本人として出演したいです。そして、日本と海外の架け橋となり、海外の人に日本を知ってもらうきっかけになりたいです。また、舞台にも出演したいです。去年、チャレンジして、自分なりの成長を感じたし、周りの方からたくさんのことを吸収もできました。ちょっととがっている役が多いので、これを極めて、悪役も演じてみたいです。私がこのお仕事を続けていられるのは、周りの皆さんの支えがあるからです。15歳から活動しているのですが、スタッフさんや家族のサポートがなければ難しかったと思います。このお仕事は家族から反対された経験がある方の話を聞くこともありますが、私の場合は「芸能に向いているよ!」と家族が後押ししてくれたことが大きかったです。支えてくれている人がいるからこそ、くじけたり、落ち込んだりしていられないなと、いつも気持ちが高まります。そして、私は幼い頃から大事にしていている英語の座右の銘があります。それは、「Believe in yourself and spare no effort」。これは、「自分を信じて努力を惜しまない」ということです。これからもこの言葉を胸に突き進んでいきます。 ■大学生へのメッセージ 私も、以前は大学に通っていました。サークルなどには入っていなかったのですが、大学でできた友達と授業を受けたり遊びにいったりするのがとても楽しかったです。そんな当たり前の毎日を大事にしていました。大学生の段階では、「将来どうしよう」と不安に思っている人も多いと思います。でも、失敗しても、結果がよくなくても、その時頑張った過程はあとからついてくるもの。くじけずに大学生活を楽しんでください。 学生新聞オンライン2025年3月25日取材 昭和女子大学1年 阿部瑠璃香 『MADDER(マダー)その事件、ワタシが犯人です』 2025年4月10日(木)スタートカンテレ :毎週木曜24時15分-24時45分フジテレビ:毎週木曜26時15分-26時45分※放送時間は変更になる可能性があります 【配信】カンテレ1話放送直後からFODにて1週間の先行配信 カメラマン 伽賀隆吾

コラム

テリー伊藤 コラムVol.50 北海道物産展が大人気

この時期になると都心のデパートでは各地の物産展が開催される。土日になると新聞の折込みチラシに各県の物産品の写真がびっしり掲載された広告が入ってくる。これが実に楽しい。中でもダントツ人気は北海道の物産展だ。東京育ちの私にとって北海道は幾つになっても憧れの地。厳しい冬のオホーツク海で獲れた海産物、北の大地と太陽で育ち清らかな水で成長した野菜、それだけでもう参ってしまう。実際どんな物産品が売れているか調べてみた。 1位毛ガニ。いきなり笑顔になる。北の4番バッター千歳空港でも人気No.1。2位生ウニ。ウニ本来の濃厚な味を堪能出来、その甘さに舌鼓。3位はバーベキューの王様、タラバガニ。食卓が盛り上がること間違いなし。4位イクラ醬油漬け。これさえあればご飯は何杯でもおかわりできるに決まっている。5位ホタテ。鉄板に並べて北海道産バターに醬油を垂らせば涙が止まらない美味しさに。6位は秋の風物詩、鮭。豪快なお客さんは鮭の一本買いを土産に。7位ホッケ。都心では普通干物しか食べられないが、生ホッケは一度食べたらやめられない旨さ。8位北海シマ海老。北海道東部地域でしか水揚げされない希少価値の高いエビ。海の宝石の異名に間違いなし。9位は駅弁の王様、イカ飯。学生時代初めて食べて余りの美味しさにビックリした想い出が。10位のすじこは生で食べてよし、醬油漬けにしてもよし。11位たらこ。変わらない伝統の手法での製造が嬉しい。12位鮭のルイベは、氷漬けにして食べる北海道の郷土料理。夏の暑い時期に口の中でシャキシャキトロトロ食感がたまらない。13位イカの塩辛は酒の肴として日本が世界に誇る逸品ではないか。 まずい、好きな海産物が後から後から出てくる。止まらない。さすが北海道。私の中のトドメは札幌ラーメン!昨今は豚骨ブームで味噌ベースの札幌ラーメンは影が薄いが、私は断然味噌派。完全にお腹が空いてきた。しかし北の食はこれだけじゃない。スウィーツも忘れてはいけない。1位白い恋人。お土産のド定番。2位のジャガポックリはオホーツク海の塩を使ったポテトスナックで女性達に絶大な支持を。3位六花亭マルセイのバターサンド。ホワイトチョコと北海道産生乳100%バターにレーズンを合わせたビスケットサンド。私の一押し! 原稿書いている場合ではない、お腹がどんどん減ってくる。5月7日まで横浜そごうで物産展が開催されている。行くしかない。女性には4層仕立てのチーズステーキバーガー1,458円が大人気らしい。更に北海道和牛4層ミルフィーユステーキ弁当箱3,240円も話題に。食べたい。もう我慢出来ない、行ってきます~! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

世界の子ども達へ届け! 平和への祈り音楽祭 in 東京

一般社団法人 日本未来支援機構(本社:東京都港区、代表理事:浅野敬子)は、東京国立博物館にて、「世界の子ども達へ届け! 平和への祈り音楽祭 in 東京」を2025年3月29日(土)に開催しました。 世界中の世界遺産や美しい場所から、未来を担う子ども達が中心となって、世界の⼦ども達の幸せと平和を祈る音楽祭として、主催の浅野敬子さん、作曲家の大西亜里さん、そして、セネガル大使、カンボジア副大統領夫人にお話を伺いました。 ◾️主催:浅野敬子(一般社団法人 日本未来支援機構 代表理事) 津田塾大学2年 石松果林/青山学院大学4年 笠原優輔/主催 浅野敬子/啓明学園1年 永井花里菜/東洋大学2年 越山凛乃 私は2036年8月にNYのセントラルパークのベゼスダの噴水前で「世界の子ども達へ届け 平和への祈り音楽祭」を開催する事を予定しています。そのパーティのインビテーションメダルが入った石けん(Ami♡soap)を2014年から世界の子ども達に届けています。 まず、手を洗って元気に生きて! そして夢を持って生きて!そして夢を叶えて2036年にNYで会おう! そんなメッセージと共に、メダル入り石けんを配ってきましたが、子どもって普通に夢を持っていて、インドのスラムの親がいない子でも「私はプリンセスになりたい!」などキラキラした目で夢を語ってくれます。その活動から夢を持っていないのは子どもではなく大人なんだと気づきました。大人が夢を持たずに生きて社会の愚痴ばかり言って子どもの目の前で夫婦喧嘩をして。だから、せっかく夢を持ってる子ども達が「夢って叶うんだ」って思えない。大人にも夢を持ってと配るようになりましたが 夢を持て、夢を持てと言っても 爆弾が落ちてくる空の下では大人も子どもも夢なんて叶わない。だから大人が子ども達に世界に作らなきゃいけないのは「平和」、そして子どもが作らなきゃいけないのは友達。子どもの時に国境を超えて、肌の色を超えて宗教や言語、大人が作った全てのボーダーを超えて、友達になっておけば彼らは大人になった時に戦争なんかしないだろう。そう強く思ったことが、子ども達が世界の子ども達の平和を祈る音楽祭の開催に至るきっかけです。 なぜピアノか ピアノこそ、白と黒の鍵盤が仲良くして素敵なメロディを作り、人を癒してるので、白人さんと黒人さん仲良くしてねって意味でピアノなのですが、それを2024年に開催したセネガル🇸🇳ゴレ島の子ども達にその話しをしていたら、ある子どもが「アジアいないね」と言った言葉を人間国宝で漆芸家の室瀬先生に伝えました。「では黄色い蝶々を描きましょう」ということでピアノには黄色い蝶が舞っています。 未来の世界を作るキミたちへ 未だ世界の大人達が繰り広げている戦争、破壊され続ける世界のなかで、音楽や文化、美しいものを人生をかけて作ってる人達がいます。そんな人を私は心から尊敬します。美しい世界の中には平和がある。世界中のそれぞれの国にそれぞれのルールがあるけど、たった一つの正しい事は「守り、与えること」。そしてどんな世界でもいけない事は、「奪うこと」です。守り分け与える事は正しくて、命でも物でも人から奪う事はいけない事。それだけをみんながわかっていれば世界は平和になると思います。大人は子ども達に友達と仲良くしなさいとか喧嘩はダメとかいうけど、大人は戦争してるよね。まずは友達や近くにいる人に優しくしてね。そうすれば、その人はまた誰かに優しくして、その優しさがくるくる地球を回って いつか地球の誰かがキミやキミの大切な人に優しくしてくれる。それが平和だと思います。立派な人というのは「人の事を大切にできる人」の事です。立派な人になってください。そして大人が今もできないでいる「仲良く生きる」ことを実現してください。大人になったキミ達は必ずできると私は強く信じています。そしてこれから生まれてくる未来の子ども達のために、キミ達の力で平和を作ってやってください。 ◾️作曲家:大西亜里 津田塾大学2年 石松果林/青山学院大学4年 笠原優輔/作曲家 大西亜里/啓明学園1年 永井花里菜/東洋大学2年 越山凛乃 この音楽祭は以前、広島で開催され、今後は他の国々でも開催予定です。「友達」という言葉は、世界平和に欠かせないものだと思っており、これから世界各地で音楽祭を開催する際に、楽しく「友達」という言葉を覚えてもらえればいいなと思っています。そのため、作詞を主催者である浅野さんの娘さんに依頼しました。彼女は高校二年生でスイスに住んでいるので、連絡を取り合いながら作詞を進めました。作曲は、最近音楽に強い関心を持っている私の息子が担当しました。プロではない彼らに頼んだことで、曲作りが難しいというイメージが減り、子どもたちの音楽への関心をさらに高めることができればと思っています。  人生はお金がいくらあっても、一人きりでは楽しさが半減してしまうように思います。周りの人々と深いつながりを持つことが、人生を豊かにするために欠かせないと信じています。ですので、子どもたちには色々な場所で友達を作り、その友達を大切にしてほしいと思います。 ◾️カンボジア副大統領夫人 PEN VIMUOL(ペンビモル) カンボジア副大統領夫人通訳 CHENG PHALA(チェンパラ)/啓明学園高等学校1年 永井花里菜/カンボジア副大統領夫人 PEN VIMUOL(ペンビモル)/青山学院大学4年 笠原優輔 今回の音楽祭は普通の大人による音楽祭ではなく、子どもが参加する音楽祭であり、そして世界平和がテーマになっていることが素晴らしいと思いました。カンボジアもポルポト政権下による長く辛い内戦の経験に苦しみました。子どもや大人、民族や国を超えて協力し繋がる事が平和への第一歩になるという事を今回の音楽祭を通して改めて実感する事が出来ました。カンボジアでは、クメールルージュ(ポルポト政権下)で文化、芸術、芸能といった豊かな文化遺産の大半が消されてしまいました。日本の皆様には想像がつかないと思いますが、音楽が禁止された時代がありました。ですからあまり音楽に触れる習慣がありません。もちろん最近はカンボジアのアーティストなども活躍しており、伝統的なダンスや歌もありますが、このような音楽祭的なイベントはありません。また、歌を歌う習慣もありますが、ピアノやギター、ベースなどの楽器を上手に演奏出来る人はまだまだ少ないです。 未来の子ども達へ こういうイベントを通して、子ども達が大人に対して平和が必要と伝えることは大切です。現在、戦争や戦いがあるような社会なので、世界中で平和が必要です。みんなに平和になってくださいというメッセージを聞けて嬉しいです。日本もカンボジアも近代史に戦争を経験しています。世界平和は日本とカンボジアから、そんな思いにさせていただいた素晴らしい時間になりました。また今日お会い出来た子ども達がカンボジアにも来ていただける日を待ち望んでおります。 ◾️駐日セネガル共和国大使 ジャン・アントワーヌ・デュフ閣下 津田塾大学2年 石松果林/青山学院大学4年 笠原優輔/駐日セネガル共和国大使 ジャン・アントワーヌ・デュフ閣下/啓明学園高等学校1年 永井花里菜/東洋大学2年 たくさんの才能あるアーティスト達を見られて、とても楽しかったです。若いアーティストも多く、日本は本当にたくさんの才能にあふれていると感じさせられました。セネガルにはいくつかの伝統的な音楽があり、主に使われるのは太鼓で、大きな太鼓「Jembe」や、持ち運びができる小さな太鼓「Tama」があります。他にも、笛の「Balafon」や、西アフリカの国々で使われる「Cora」というハープのような楽器があります。音楽は結婚式や葬式、成人式などの通過儀礼で奏でられることが多く、セネガル国内でも民族ごとに異なる音楽や儀式のスタイルがあります。 音楽はユニバーサルなものであり、国と国をつなぐことができると思います。そのため、様々な国の人々が集まるイベントでは、今日演奏していた若いアーティスト達のように音楽を通じて、今後も国同士のつながりを強化していってほしいと思います。 ________________________________________ 英語訳 ◾️Mr. Jean Antoine DIOUF Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary of the Republic of Senegal  I was really impressed by all the talented artists today,...

学生新聞インターン

アーティスト 與 真司郎

「人生そんなもん」と笑って進む アーティスト 與 真司郎(あたえ しんじろう) ■プロフィール1988年生まれ。京都府出身。現在は日本と海外を拠点に活動中。男女混合のパフォーマンスグループ、AAA(トリプル・エー)のメンバーとして、 2005年にデビュー。グループは2021年、AAA初となる6大ドームツアーを終えたタイミングで本格的な活動休止に入る。2023年7月、「與真司郎 announcement」にて、自身が同性愛者であることを無料招待した約2000人のファンの前で公表。現在は自身の人生を題材にしたドキュメンタリーをハリウッドにて制作中。著書に『すべての生き方は正解で不正解』(講談社)などがある。ソロアーティストとして、最新シングル「Kizuketa」を2024年10月30日に配信リリースし、11月には5都市9公演を回る「SHINJIRO ATAE LIVE BAND TOUR & BIRTHDAY TALK SHOW 2024」を完走。 小学生でダンスに出会い、芸能界へ。カミングアウトを経て、ありのままの自分で生きることの大切さを伝え続ける與真司郎さん。新たに出版したフォトエッセイ「人生そんなもん」では、家族や恋愛、葛藤の日々を赤裸々に綴りました。これから挑戦したい未来への思いと、大学生への温かいメッセージを伺いました。 小学校5年生のときにダンスに出会い、夢中になりました。もともとは野球少年でしたが、ダンスを習ううちに、「ダンスの先生になりたい」と思うほど好きになったんです。芸能界に憧れていたわけではないのですが、周りの人たちに勧められてオーディションを受けたら、合格してしまって。スターになりたい気持ちは特になかったので、合格したときは驚きましたし、「自分で大丈夫かな?」と不思議な気持ちになりました。その後、高校に通いながらレッスンを重ね、デビューが決まったタイミングで学校を辞め、芸能活動に専念する決断をしました。中途半端にどちらも続けるよりも、自分の夢に賭けたいと思ったからです。若かったこともあり、不安よりも覚悟の方が強かったです。親も「好きなことをやりなさい」と背中を押してくれたのは、ありがたかったですね。 ■ファンとのつながりが生きがい 芸能界でのやりがいは、何といってもファンのみなさんと直接会えることです。特にカミングアウト後も変わらず応援してくれているファンのみなさんには、ものすごく愛を感じます。愛をもらうと、僕も返したいと思うし、お互いに愛を育んでいるような感覚になります。ライブやイベントはもちろん、最近は地方にも足を運び、普段なかなか会えない人たちと触れ合える機会が増えたのは本当にうれしいことです。最近ではコメントやダイレクトメッセージもできるだけ目を通すようにしていて、みなさんの応援が大きな励みになっています。フォトエッセイの発売を記念して、お渡し会も実施します。ファンのみなさんと直接会える場なので、うれしいです。みなさんの顔を見ると、「本当に来てくれたんだ」と感動しますし、イベントのたびに生きがいを強く感じます。 ■芸能界で感じた葛藤とメンタルの成長 華やかに見える芸能界ですが、実際には厳しい現実もたくさんあります。特に、人と比べられることや、アンチコメントに耐えることは大きなストレスでした。デビュー当時は自信がなかったので、小さな否定の言葉にもすごく傷ついていました。そんな自分を変えたくて、26歳でアメリカに渡りました。英語も話せず、知り合いもいない環境でしたが、小さな挑戦を重ねる中で、「自分って意外とできるんだ」と自己肯定感を育むことができました。9年間のアメリカ生活は、メンタルヘルスを大切にするきっかけにもなり、自分を愛するという考え方を学ぶ大きな転機になりました。一人で世界を旅した2カ月間も、人生を変える大きな経験でした。異国のカフェで偶然隣に座ったおばあさんと会話を交わしたり、知らない土地で髪を切ったりと、小さな冒険の積み重ねが自分に自信を持たせてくれました。行動するたびに、「なんだ、できるじゃん」と思えたことが、自分らしさを育てる土台になったと思います。 ■カミングアウトとフォトエッセイ「人生そんなもん」に込めた思い カミングアウトの前後では、正直、メンタルの浮き沈みも激しかったです。カミングアウトする前は周囲の反応が怖く、した後もアンチの声に悩んだことがありました。それでも今は、カミングアウトして本当によかったと心から思っています。苦しかった時期があったからこそ、今の自分があり、自分らしく生きることの大切さを実感できています。今回出版したフォトエッセイでは、家族との関係や恋愛についても正直に書きました。元彼の話や、海外で感じた自由さ、日本との違いなど、なかなか普段は話せないこともすべて詰め込んでいます。この本を読んだ誰かが、「こんなクレイジーな人生もあるんだ」と思ってくれたり、「自分も頑張ろう」と思えるきっかけになったりしてくれたら、うれしいです。自分を偽らずに生きることは、簡単ではないかもしれません。それでも、自分らしく生きることが、自分の心を楽にする一番の手段だと、今では心から思っています。 ■大学生へのメッセージ 大学生のみなさんには、ぜひ自分を信じて、恐れずに行動してほしいです。失敗を怖がらずに動けば、必ず何かが得られるし、失敗さえも自分を成長させてくれるものです。そして、自分を理解してくれる仲間や友人を大切にしてください。自分らしくいられる環境を見つけることが、これからの人生にとってとても大切な支えになります。行動力は本当に大事です。頭で考えるだけでなく、少しでもやってみること。動くことで世界が広がり、やがて自身へとつながっていくはずです。完璧を求めすぎず、うまくいかないときは「人生そんなもん」と肩の力を抜いてください。人生は白か黒かだけではなく、グレーでもいい。力を抜きながら、自分だけの道を楽しんでください。自分を大切にしながら、自分の人生を堂々と歩んでいってほしいと思います。 学生新聞オンライン2025年3月29日取材 津田塾大学2年 石松果林 / 昭和女子大学1年 阿部瑠璃香 フォトエッセイ 人生そんなもん あなたはひとりじゃない--そのメッセージを伝えるために。 カミングアウトまでの壮絶な半生、そしてその後の思いをエッセイで赤裸々に明かす。4月16日講談社より刊行。 津田塾大学2年 石松果林/城西国際大学1年 渡部優理絵/昭和女子大学1年 阿部瑠璃香 カメラマン 下田航輔

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オムロン株式会社 代表取締役社長 CEO 辻永 順太

オートメーションを進化させ、事業を通じて"よりよい未来"をつくる オムロン株式会社 代表取締役社長 CEO 辻永 順太(つじなが じゅんた) 1966年生まれ。1989年に立石電機(現オムロン)へ入社。工場の自動化を担う制御機器事業(インダストリアルオートメーションビジネスカンパニー)の営業職や商品企画職を経て、2016年 商品事業本部長、2017年 執行役員、2019年 執行役員常務、2021年インダストリアルオートメーションビジネスカンパニー社長を歴任。2023年より現職。 ヘルスケア機器だけでなく、工場の自動化(オートメーション)や社会システムの構築にも注力し、幅広い分野で技術革新を続けるオムロン。現在は「カーボンニュートラルの実現」や「健康寿命の延伸」といった社会的課題の解決にも積極的に取り組んでいる。辻永社長にこれまでのキャリアや会社の目指すべき方向についてお話を伺った。  大学での専攻は数学でしたが、並行してソフトウェア開発を学び、ゲーム制作やプログラミングの実践にも意欲的に取り組んでいました。就職活動を行う際、技術開発の仕事も選択肢に入れましたが、より人と接することができる仕事を選びたいという気持ちが大きくなって志望先を探すように。理系出身者を技術職種で採用する企業が多いなか、当時の立石電機(現在のオムロン)が理系の営業職を募集していると知り、応募しました。父が製造業で働いており、「オムロンは良い会社だ」と助言をくれたことも入社を決意した理由の一つです。 ◾️営業とはお客様の課題解決である  入社後、最初に配属されたのは営業部門です。主に製造業に製品を販売する仕事でしたが、当時、私が担当していたのはまだ市場に浸透していない新しい技術を使った製品でした。  たとえば、「画像処理技術」を活用した製品も当時はまだ多くの企業にとって馴染みがなく、販売に苦戦しました。そこから学んだのは、「どんなに良い技術でも、相手に伝わらなければ採用されない」ということです。技術の良さだけを語るのではなく、相手が抱えている課題を理解し、それを解決する手段として製品を提案することの大切さに気付きました。  先進的な製品だけになかなか売れない時期もありましたが、それでも諦めずにお客様にとっての価値を伝え続けたことで少しずつ信頼を得ることができ、「あなたから買いたい」と言ってもらえたときは、本当に嬉しかったですね。印象に残っているのは、ある製造業のお客様が「最初は必要ないと思ったが、説明を聞いて導入を決めた。今では必要不可欠な存在だ」と言ってくれたことです。経営を担う立場になった今でも当時の経験が活きていると感じています。 ◾️事業を通じて〝よりよい社会〟をつくる  オムロンは創業以来、事業を通じて社会課題を解決することで社会の発展に貢献し、成長してきました。その発展の原動力が、会社の憲法である社憲「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」です。社憲には、世に先駆けてイノベーションを創出し、よりよい社会を実現するという想いが込められています。オムロンは、これまでオートメーション(自動化)技術を軸に、世界初、日本初の製品を多数生み出してきました。  たとえば、皆さんが駅で使う自動改札機です。通勤ラッシュ時の混雑緩和を目的に、現在、普及している自動化システムをオムロンが世界で初めて開発しました。また、健康分野では1970年代の経済成長とともに「成人病」が社会問題になっていたため、予防ニーズを先読みし、自動化技術を搭載した血圧計を製品として開発するだけでなく、「家庭で血圧を測る文化」を作り、健康寿命を延ばすことに貢献してきました。  なお、オムロンというとヘルスケアのイメージが強いかもしれませんが、オムロンの主力事業は、工場のオートメーションに貢献する制御機器事業です。売り上げの半分を占めています。直近では、モノづくりだけでなく、モノにデータ活用や人材育成ソリューションなどサービスを組み合わせて、世の中の社会的課題の解決に取り組んでいます。  オムロンは、2030年までに「カーボンニュートラルの実現」「デジタル化社会の実現」「健康寿命の延伸」という3つの社会的課題を解決し、よりよい未来をつくることを宣言しています。これからもコア技術※を進化させ、事業を通じてよりよい社会をつくってまいります。 ◾️現場の声を経営に活かす  私はこれまでの営業経験から、社長になってからも現場の声を大切にすることを心掛けています。単なる一方通行のメッセージ発信ではなく、社員の意見を反映する場をオンラインやリアルで設け、対話を重視しているのです。現場の社員が何を考え、どのような課題かを深く理解することが、経営判断において重要な鍵になると考えています。  また、イノベーションの創出を担う部門を設置し、意志のある人財が社内外から集まって、新規事業などに取り組むことができる仕組みを作っています。人事制度を活用し事業部門から参画した人財は、事業創造を経験して成長したあと元の部門へ戻って活躍することで、社内を活性化することができます。これからも会社の方向性と、社員たちの「これを実現したい!」という熱意やチャレンジを大事にして、オムロンはイノベーションを起こし続けます。  大学時代は多くの経験を積んでほしいと思います。勉強ももちろん大切ですが、さまざまなことに挑戦することで視野が広がります。社会に出ると、何が正解かわからない場面が多くなります。そんなときに大切なのは「チャレンジする気持ち」です。たとえ小さなことでも一歩踏み出して挑戦することが、成長につながります。いろいろなことに挑戦し、自分の可能性を広げていってください。 ※オムロンが誇る全社共通のコア技術。"Sensing" 技術、"Control" 技術、そしてAIなど人の知恵や知見を機械に取り込む"+Think" の技術をコア技術に据えて、それぞれを連携させながら独自技術として進化させ、製品やサービスの形で社会実装してきました。 学生新聞2025年4月発刊号 日本大学4年 鈴木準希 日本大学4年 鈴木準希/青山学院大学 1年 桑山葵/上智大学 3 年 白坂日葵/城西国際大学 1年 渡部優理絵/上智大学 1年 張芸那/立教大学 4 年 須藤覚斗

学生新聞映画大賞

第4回 学生新聞映画大賞

TOP CONNECT 株式会社(東京都中央区/代表取締役 内田雅章、以下 TOP CONNECT)は、若者の映画館離れやコロナ禍の映画館利用率の低下をうけ、映画興行の復興を目的に「第4回 学生新聞映画大賞」発表会を2025年4月22日(火)、セルリアンタワー東急ホテルB2ボールルーム(「学生新聞・中高生新聞・中高生新聞別冊eスポーツ特集発刊パーティ第2部内」にて開催いたしました。 <第4回 学生新聞映画大賞とは> 2024年1月1日~6月30日までに、東京地区において有料で初公開された60分以上の劇場用劇映画かつ、同一劇場で2週間以上連続して上映された邦画・洋画作品を対象に、大学生総勢200名が投票を実施。邦画は10作品の中から上位3作品の中で、洋画は5作品の中から上位2作品の中で、男優賞(2枠)、女優賞(2枠)、若手俳優賞(25歳以下の男女各1名)、監督賞、脚本賞、主題歌賞の計6つの賞を設け、表彰。賞品総額は300万円(各受賞作品毎100万円)。 <ノミネート作品 邦画> ■キングダム 大将軍の帰還■ラストマイル■傲慢と善良■六人の嘘つきな大学生■正体■劇場版ドクターX■はたらく細胞■推しの子-The Final Act-■聖☆おにいさん THE MOVIE~ホーリーメンVS悪魔軍団~■グランメゾン・パリ ※公開日順にて記載。 <ノミネート作品 邦画> ■デッドプール&ウルヴァリン■ビートルジュース ビートルジュース■ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ■ヴェノム:ザ・ラストダンス■レ・ミゼラブル デジタルリマスター/リミックス ※公開日順にて記載。 <ご協賛企業様> ※順不同 アース製薬 /ピップ / タマノイ酢 / ニューバランス / アデランス / アンファー / 杉本食肉産業 / マルハン / 越後ファーム / Mizkan / 串カツ田中ホールディングス / マルコメ / ジェイフロンティア / 花キューピット / セルリアンタワー東急ホテル / ビジョングランピング /すかいらーくレストランツ / MTGプロフェッショナル / ティーケーピー / バスクリン / ミス・パリ /...

コラム

テリー伊藤 コラムVol.49 70過ぎにモテ期がやって来た!

70歳を過ぎて何故か女性にモテる男になってきた。今頃になって不思議だ。若い頃はモテようと必死だったのに。やれ髪型がどうだ、ファションもこちらの方が女性に好かれるのではないか、格好いいスポーツは何かを考えて冬はアイスホッケー部、夏はヨット部に所属するなど、モテるために頑張っていたのだが、その努力も虚しく残念ながら全く女性に縁のない恋愛無しの高校生活だった。大学時代彼女はいたのだが、全体的にはモテていた実感は無かった。それが、何故か最近よく女性から声を掛けられる。「何処か食事連れってください。」これって何?考えてみた。 私の中で男性としての “怪しさ” や “危険な匂い”が無くなって来たのではないか。確かに若い頃はやましい気持ち満載で女性に接していた。私の助平心を相手に見透かされてしまい敬遠されていたのでは。しかしこの歳になり、幸か不幸か怪しさは消え、動物大好き、ディズニーランド大好き、恵比寿の美味しいケーキ屋さんを誰よりも知っている “いい人” になってきている。最近はそこを見通されて「この人と一緒にいても危険が無い」と判断され、遅まきながらモテ期がやって来たのでは。 これってどう分析すればいいのか。年齢を考えると、誘われるだけでいいじゃん!なのだが… 私と同世代の矢沢永吉、舘ひろしは相変わらず “危険な雰囲気” と “後戻り出来ない覚悟が要る” “付き合えば火傷する” というオーラがある。そうなんです、身の程知らずにも矢沢永吉、舘ひろしになりたいのです。とは言ってもミッキーマウスにも会いたいし、温泉に入っている猿も見たいし、カピバラと友達にもなりたい。危険と癒しの頃合いが難しい。 そこで誘ってくれたか女性に聞いてみた。答えは「テリーさんは街で普通に自ら見知らぬ人に笑顔で声を掛ける。それを側で見ていたら街が明るくなった。」と答えてくれた。確かに一人で歩いていても、朝の交通整理のママさん、会社のトイレ掃除の人、交番のお巡りさんにも気がつけば普通に声を掛けている。若い頃は声を掛ける勇気はなかったが、この歳のテリー伊藤だから声を掛けることが出来るのかもしれない。そう言えば、私を知らない小学生にも「おはよう!」ってよく挨拶します。これじゃ、危険な雰囲気しませんよね。これからの人生、矢沢永吉、舘ひろしを目指すか。ミッキーマウスとお友達になるか。悩みどころの岐路に立っているが、やっぱり怪しい男でいたいのだ! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

イベント・企業紹介

ショートドラマのコンペティション「ショードラアワード2025」授賞式

ショードラ実行委員会は、ショートドラマのコンペティション「ショードラアワード2025」の授賞式を、2025年4月16日(水)に大手町三井ホール(東京都千代田区)で開催しました。授賞式には、俳優の髙嶋政伸さん、松本まりかさん、スタートアップファクトリー代表の鈴木おさむさん、俳優の阿部なつきさんがゲストで登壇し、司会はフリーアナウンサーの森香澄さんが務めました。 “縦型ショート動画”の持つ〈身近さ〉と、ドラマの持つ〈物語性〉を通して、次世代のクリエイターやスタータレントの発掘、新しい動画の表現方法を目指す、ショートドラマ(略して、ショードラ)プロジェクトのコンペティションとして授与式が行われました。 ◾️ショードラ実行委員長 長田俊哉(株式会社プログレス 代表取締役)  マイナビショードラアワード2025、無事に開催できましたこと、関係者の皆様、そして何よりクリエイターの皆様に心より感謝申し上げます。昨年からわずか1年で、ご協力いただける放送局や芸能事務所の数も大きく増え、応募数も1573作品から3711作品へと、大幅に増加しました。この盛り上がりを一過性のブームで終わらせず、次世代へと受け継がれる「伝統」として残していけるよう、皆様と共にさらに盛り上げていきたいと考えております。 そして本日お集まりの皆様の中から、新たな才能が世に羽ばたき、世界を驚かせるような作品が生まれることを、私自身とても楽しみにしております。 ◾️ショートドラマ出演に挑戦した松本まりかさんよりコメント ショードラという新しいコンテンツの始まりに立ち会えてすごく光栄ですし、これがレガシーになっていくことが本当に印象的でした。ショードラの撮影は狭い空間だからこそ画角とか距離感を意識して、引きつける工夫もたくさんしました。 ショートドラマ「この顔であってる?」 タレントとマネージャーのぶつかり合いや、マネージャーとしての奥深さを私なりに考えて表現した作品です。私なりの解釈で演じたものですが、マネージャーという職業にスポットライトを当てた面白い作品になっていると思います。ぜひ楽しんで、マネージャーという仕事について知っていただけたら嬉しいです。 ◾️これからショートドラマ出演を控えている髙嶋政伸さんよりコメント 6月配信予定のショードラ作品に出演することを聞いたときは、本当に嬉しかったですね。その時に色々なショードラの作品を見て、アイデアとやる気さえあれば誰でも参加できる新しいエンターテイメントだと感じて、すごくワクワクしました。 新しいことにチャレンジさせていただけることに感謝し、頑張ります。短い時間で最高のものを作り、観てくださる方に楽しんでいただけるよう真心込めて演じますので、ぜひご期待ください。 《大賞作品「星の四谷三丁目シアター」》 ◇監督の谷口恒平さんより受賞コメント今回、この素晴らしい賞を頂けるとは思っていなかったので、非常に驚いています。星の四谷三丁目シアターは、太田プロダクションからのお声がけで、ショードラに挑戦することになりました。そして本日参加し、他の方々の作品を見て、再生回数などに囚われず、面白いものを作りたいという熱意を持って、皆さんが必死で作り上げている姿を改めて感じることが出来ました。だからこそショードラが、1つの文化として続くことを願っております。 《受賞作品一覧》 ◾️マイナビ賞:「毎日はにかむ僕たちは。」 ◾️ABEMA賞:「Coyane’s World」 ◾️マテリアルショートドラマPR賞:「グッとSubtitLe」 ◾️新人賞:「STU48」「双葉タクシー ショートドラマ」 新人賞:「STU48」 新人賞:「双葉タクシー ショートドラマ」 ◾️クリエイター賞:「大阪の棒人間鈴木」「多分こんな感じドラマ」/「毎日はにかむ僕たちは。」の大内唯さん クリエイター賞:「大阪の棒人間鈴木」「多分こんな感じドラマ」 クリエイター賞:「毎日はにかむ僕たちは。」の大内唯さん ◾️出演者賞:「Coyane’s World」より三宅朱莉さん、「たかみちホラー」よりショウゴさん、「ただつわたなべ」より花柳のぞみさん、「パンダフィルム」より佐藤竜さん、「星の四谷三丁目シアター」より水島麻理奈さん (左から)花柳のぞみさんの代理・三宅朱莉さん・水島麻理奈さん・ショウゴさん・佐藤竜さん・飯田新さん ●ショードラとは誰もが動画づくりを楽しみ、発信できる時代。TikTokでは、まだ無名の才能たちが、プロのクリエイターでは思いつかないような斬新なアイデアで刺激的なコンテンツを生み出し、多くのユーザーを楽しませている。 俳優、監督、プロデューサー。まだ、そんな肩書きでは呼ばれていないかもしれない。テレビドラマや映画をつくるようなスキルはこれから身につけるのだろう。 私たちは、そんな原石たちが、原石のままで輝ける場所で次のスターたちと出会い、ともにエンタメの未来をつくっていきたい。 TikTokへの投稿にハッシュタグをつけるだけ。動画づくりを楽しむというあなたの日常が、トップクリエイターという夢をつかむための第一歩になる。 ●ショードラTikTokアカウントTikTokアカウント上で、「ショードラ」とご検索ください。 ●ショードラその他SNSアカウント◇Instagramアカウント:https://www.instagram.com/showdrama_24/◇X(旧Twitter)アカウント:https://x.com/showdrama_24◇YouTubeアカウント:https://www.youtube.com/@SHOWDRAMA_24◇LINE VOOMアカウント:https://linevoom.line.me/user/_dSeWa23HOwgrMk1I7BqyiTOpsGgpq8ATT0qaoMg 学生新聞オンライン2025年4月16日取材 東洋大学4年 太田楓華 城西国際大学2年 渡部優理絵/東洋大学4年 太田楓華/田園調布雙葉高等学校3年 伊藤凜夏

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日本郵政株式会社 取締役 兼 代表執行役社長 増田寬也

全国に張り巡らされた郵便局ネットワークで地方創生へ 日本郵政株式会社 取締役 兼 代表執行役社長 増田寬也(ますだひろや) プロフィール1977年建設省入省。95年岩手県知事(3期12年)を務めたのち、07年安倍・福田内閣で総務大臣・内閣府特命担当大臣を歴任。09年野村総合研究所顧問、東京大学公共政策大学院客員教授。20年より日本郵政株式会社社長に就任。令和国民会議(令和臨調)共同代表、人口戦略会議副議長。趣味はラグビーなどのスポーツ観戦、乗馬、スキー、カヌー、サイクリングなど。 中央省庁勤務や岩手県知事、総務大臣、大学客員教授や民間企業のトップを務める。官・政・学・産、それぞれの分野での経歴をもつのが、日本郵政株式会社の増田寬也社長だ。メールやSNSの普及によって郵便事業が大幅に縮小する中、地域社会に密着した日本郵政グループの事業転換が話題を呼んでいる。人口減少をテーマとする中で、国と企業という両視点から、今後の事業の可能性についてお話を伺った。 大学時代は、省庁で仕事をするとは思ってもいませんでした。真面目に授業を受けるというよりは、旅行で国内を飛び回ったり、よく本を読んでいたりした学生時代でしたね。今と比べて就職活動の時期も遅かったこともあり、国家公務員試験を受けたのは大学4年生の10月でした。具体的な夢があったわけではありませんでしたが、元公務員の父親の背中を追いかけて、入省を決断しました。 ■ライフワークとなった人口減少問題 建設省では主に街づくりを担当しておりました。都市計画を策定するにはその都市の人口推計が必要です。当時はまだ日本全体が人口増加の傾向にあり、また、日本はベッドタウン型の都市が多く、快適な生活圏を維持するうえでの人口のキャパシティなども予測していました。人口推計は都市の性格によって大きく変わるという面白さがあり、自然と日ごろから考える癖がつくようになりましたね。のちに「人口減少問題」が私のライフワークとなったのは、1995年に岩手県知事に就任した時、ここで地方の現実を目の当たりにしたからです。日本全体の人口が減少し始めるのは2008年からですが、知事就任時の岩手県ではすでに人口減少は始まっておりました。そこで、地方小都市に分散されていたインフラや交通などの機能を都市部に集中させる「ダウンサイジング」が必要であることを痛感しました。当時はその必要性をなかなか理解してもらえませんでしたが、地方消滅を公表して10年が経過した今、重要な論点となっております。また、総務大臣在任中、3000ほどあった市町村が合併し1700ほどにまで基礎自治体の数が減少しました。賛否両論はありましたが、市町村の財政基盤が強化され、少子高齢化等の問題に対してより効率的に対処できるようになったと思います。私が長年ライフワークとして取り組んできた「人口減少問題」は、大学生の皆さんもいずれ社会人として働くようになったら、どんな仕事であっても避けては通れない問題だと思います。そして、人口減少問題は、現在、日本郵政においても対処すべき喫緊の課題である一方、グループの強みを活かせる分野となっています。 ■ネットワークを生かして地域の物流を支える 日本郵政グループには154年の歴史があり、主に郵便事業において近代日本の郵便・物流を支えてきました。現在はグループ全体で約35万人もの社員がおり、人材を地方に派遣するなどより地域に密着した事業(ローカル共創イニシアティブ)にも力を入れています。グループの魅力は、全国におよそ24,000局張り巡らされている郵便局ネットワークです。現代はメールやSNSが発達し、年賀状などの郵便物は大幅に減少していますが、このネットワークがあることで、より地域に密着したサービスを提供できると考えています。例えば、他社と協力してスーパー等の購入品を自宅まで届けたり、地域で採れた作物を畑から市場に運んだりといった、地域間での運送はその一例です。人口減少や少子高齢化が叫ばれる中、地方の行政や生活をどのように維持していくかは重要な課題です。現代は、インターネットで注文すれば、早くて当日・翌日には届きますよね。ですが、人口の少ない地域では、より一人ひとりのお困りごとに応えられる仕組みがなくてはなりません。「今からちょっとだけ荷物を届けてほしい」。そんなちょっとした配送をお手伝いしています。例えば、採れた野菜を飲食店に卸している生産者さんがいるとしましょう。収穫などで生産者さんが忙しい時期には、彼らに代わって野菜を飲食店などに届けることで、彼らの手間を省くことができるのです。地方の物流を維持するための運送に特化し、幅広い地域に配送ネットワークを持つ日本郵政グループだからこそ、地方創生に目を向けることができると考えています。 ■地方行政の役割を担う 近年は物流だけではなく、日本郵政グループが地方行政の役割を担う可能性も見えてきました。人口減少に伴って役場に勤める職員が不足しているため、業務を代替する必要があるためです。役場に限らず、例えば、郵便局と駅を併合することで、局員が駅員として切符の売買や発着案内をする取り組みも行われています。人口が減少し、横のつながりが希薄化している中、郵便局や駅は、地域の人たちが集まる拠点としても大切です。また、医師の少ない地域では、郵便局内でオンライン診療を実施し、地域の暮らしや健康を守っています。現在はオンライン診療技術の向上もあり、MRI画像や写真を送れば、どれだけ遠くに離れていても診療できるようになりました。さらには、現地でしかできなかった手術も遠隔操作でできるようになりましたよね。こうした手術をもできる診療場所として、さらには処方箋の集荷や配送、お支払いも兼ねて郵便局内を使用していただけるように整えているところです。人口減少が加速する中、地域に密着した視点を大切にしながら、リアル拠点の強みを活かし、地域行政の仕事を代替することなどにより、郵便局を地域拠点の1つとして成り立たせていくことを目指しています。 大学生へのメッセージ 人口減少が叫ばれる現代、若い世代の皆さんは多くの負担を感じているかもしれません。ですが、今は一人ひとりの存在や個性が見えやすい時代だと思います。以前と比べて挑戦する機会も増えていると思うので、ぜひマルチタスクで様々なことに挑戦して、成功のチャンスを掴んでほしいです。失敗することもたくさんあると思いますが、成功者はたくさん失敗をしているものです。失敗したからこそ得られる学びを大切にしてください。 学生新聞オンライン2025年4月3日取材 上智大学4年 白坂日葵 上智大学4年 白坂日葵 / 城西国際大学2年 渡部優理絵 / N高等学校3年 服部将昌

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モデル・タレント・ファッションデザイナー  神田うの

仕事とは「感謝」を生み、新しい世界を見せてくれるもの モデル・タレント・ファッションデザイナー  神田うの(かんだうの) ■プロフィール1975年3月28日生まれ、神奈川県出身。14歳でモデルデビューし、その後、17歳で雑誌『プチセブン』のモデルに起用される。その後はバラエティ番組からドラマ、映画、CMまで幅広く活躍。2001年からはストッキングやウエディングドレス、ジュエリーなどのプロデュースをスタート。2004年には、ウエディングドレスをパリコレに出展。また、2021年からコスメ「Peau de Bijou UNO (ポー・ド・ビジュー ウノ)」のプロデュースを発表。  バレエ、モデル、バラエティタレント、商品プロデュースなど、幅広く活躍中の神田うのさん。幼少期の体験やモデル業を通じて触れた社会、テレビのバラエティ番組への挑戦。女性美を追求するプロデュース業までこなす神田さんの「強さ」についてお話を伺った。  芸能界に入ったのは、14歳のときにモデル事務所にスカウトされたことがきっかけです。ファッションが大好きだったので、素敵なお洋服をたくさん着られることに憧れて芸能活動を始めました。当時は幼少期から続けてきたバレエに専念していたこともあり、モデル業との両立は簡単ではありませんでした。バレエの先生がかなり厳しかったので、モデルのオーディションに受かってもバレエを優先せざるを得ず、何度も悔しい思いをしたことを覚えています。両親は芸能活動に反対していたのですが、学校とバレエの世界しか知らなかった私にとっては、刺激に溢れた毎日でした。  高校卒業後はバラエティにも出演するようになりました。事務所の社長に「この子はバービードールが喋っているみたいで面白いね」と誉めていただいたことがきっかけでしたね。いきなり番組の司会を任されたときは、「地方に住む祖父母は見ていないし、好き勝手に喋っちゃえ」と思い、無邪気に取り組んでいましたが、発言が編集されて誤解を生んでしまい、バッシングを受けることも増えました。「タレントを辞めてモデルに戻りたい」と社長に直談判したこともありましたが、友人たちの励ましの声が大きな支えでした。  現在はプロデュース業も始めています。25歳のときにストッキングのCMに出演したこともあり、企業からストッキングのデザインを相談されたこときっかけです。そこで挑戦したのがストッキングにスワロフスキーを施すというものでした。耐久性を検証するための実験など大変な作業も伴いましたが、結果的に商品は大ヒット。街ゆく女性が自分のデザインしたストッキングを履いているのを見たときは、感慨深かったですね。モデル業の評価とは異なり、自分の感性で生み出した商品が誰かに喜ばれるという体験は、大きな達成感につながりました。この経験を通じて「仕事は感謝を生むもの」という感覚が育まれていったと思います。 ◾️学生へのメッセージ  学生時代は守られた中で社会の仕組みを学べる特別な時間だと思います。私は早くから社会に出たため、大学生のような自由になる貴重な時間を経験していません。この時期に出会った人たちや挑戦したことは、30代、40代になったときに大きな糧になるはずです。ぜひ失敗を恐れず、多くのことに挑戦してほしいと思います。 学生新聞2025年4月号 城西国際大学1年 渡部優理絵 国際基督教大学2年 丸山実友/城西国際大学1年 渡部優理絵

学生新聞インターン

実業家 ひろゆき

仮説を立て、検証することで人生が始まる 実業家 ひろゆき ■プロフィール本名・西村 博之(にしむら ひろゆき)1976年神奈川県生まれ。中央大学卒業。1999年にインターネット匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、ニワンゴ取締役管理人に就任。翌年、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」を譲渡後、2015年に英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2024年、株式会社made in Japanを設立し、代表取締役に就任。  日本のSNSやインターネット上などで、インフルエンサー、評論家として著名なひろゆき氏。インターネット掲示板「2ちゃんねる」や「ニコニコ動画」の創設に携わるなど多方面で活躍。ひろゆき氏にマインドセットの仕方や思考プロレスについてお話を伺った。  私は学生時代の頃より物事を考えるときに、仮説を立てて検証しようとするところがあります。大学時代にアメリカに留学したのですが、それも自分自身の価値観と日本に根付いた価値観の相性が悪いという仮説を立てたことがきっかけでした。幼少期の頃から日本に居づらさを感じていて、それなら思い切って日本以外の場所で暮らしてみようと考えていました。  実際に渡米したことで、自分がアメリカで生活でき、日本よりも海外のほうが過ごしやすいことがわかりました。このように人とは違う発想が私自身面白いと感じています。それは一般的には難しいと思うことにも挑戦できる原動力となっているだけでなく、仮説・検証を通じて自分自身の手段を増やすことにもつながっているからです。日本でインフルエンサーとして活動できているのも、この手段の多さによると考えています。  2024年に株式会社made in Japan を設立しましたが、この企業には私自身の仮説が充溢しています。「海外の方には評価されているが、日本人が知らない技術」が存在すると思い、それらを広めていくためにこの企業を設立しました。  第一弾としては、繊維メーカーとタッグを組んで、「燃えにくく、消えにくい」洋服を製作しました。この製品も「とても丈夫なアラミド繊維を使って衣服を製作すれば、他のメーカーよりもはるかに丈夫な洋服を作ることができ、売れるのではないか」という仮説がきっかけで制作しました。  実際には、唯一性のある高品質な製品を制作することができただけでなく、完売という結果を出すことができました。この取り組みは、自分自身の仮説を検証するだけでなく、技術と繊維分野における新たな持ち札を獲得することにつながったと思っています。 ◾️学生へのメッセージ  たとえ悩みがあったとしても、即座に解決しなくてもいいのではないかと考えています。誰しも生きていく中で大きな壁や悩みにぶつかることがあります。しかし、悩みというものは、基本的に時間が解決してくれると思うのです。数年も経つと社会の価値観や状況が変わり、悩みに気づかぬうちに解決していると考えます。辛いこともあると思いますが、悩み続けるのではなく、少し我慢して前を向いて進んでいってほしいです。 学生新聞2025年4月号 国際基督教大学2年 渡邊和花

企業に聞く

陸上自衛隊 東部方面衛生隊長 1等陸佐 松田桃子

自衛隊訪問 ─ 陸上自衛隊国民の命を支える仕事 東部方面衛生隊 陸上自衛隊 東部方面衛生隊長 1等陸佐 松田桃子(まつだ ももこ) ■プロフィール1997年、東北大学を卒業後、幹部候補生として陸上自衛隊に入隊。第1後方支援連隊衛生隊(練馬)、防衛医科大学校学生部(所沢)、陸上幕僚監部衛生部(市ヶ谷)、衛生学校教育部(三宿)、中部方面総監部装備部(伊丹)などを経て、2022年3月より現職。 災害や非常時の最前線で、人々の命を支える衛生隊。隊員の健康管理から災害現場での患者の治療までを行う文字通り生命線だ。いざというときに活躍できるよう、普段からその対応力を磨いている。どのような思いで訓練をしているのか、仕事のやりがいとはなど、衛生隊長の松田桃子さんにお話を伺った。 ■どのようなお仕事ですか 衛生隊の指揮官です。衛生隊は、患者の治療や搬送、健康管理などの医療の提供を任務としています。医師、歯科医師、看護師、救急救命士などさまざまな資格を持った自衛官で構成されています。隊長の私は隊員の指導から人事・総務までを担っていて、管理者として部隊を統括しています。また、経験値や専門技術が異なる隊員たちをより良いチームとするために、そのような場を提供することに日々工夫しています。自衛隊は、災害派遣や国際活動をはじめあらゆる事態において求められたときに活躍できる人と部隊を育てることが仕事であり、普段からそのための訓練に注力しています。たとえば、災害派遣を想定した訓練をするときは、移動計画を立て、救護施設を作る訓練、そこから医療施設まで患者を搬送し、患者の状態を把握する練習などを行います。そして患者が発生する第一線から治療を担う病院までの連携を日々強化させることで、非常時に備えています。 ■仕事の魅力を教えてください 「必ず必要とされる」ことです。人がいるところにはその人たちの身体と心の健康を守らなければなりません。そこには必ず「衛生」の機能が必要とされます。隊長としては、隊員の成長を見られるところも大きな喜びです。防衛医大で勤務した頃、大学生だったのに今は立派な医官(医師たる幹部自衛官)となって一緒に勤務したり、たくさんの隊員が新たな資格を取ったりスキルを身に付けたりする様子を近くで見ていると、「人の命を救う者たちが育っている」という実感が得られます。現場で人を救うだけでなく、人を救える人材を育てることもまた一つの人助けだと思っています。それぞれの隊員の能力を上げて、チーム全体で人助けをする。このことに貢献できる点で、私が学生の頃に阪神淡路大震災での自衛隊の活躍を見て抱いた、「将来は現場で人の役に立つ仕事がしたい」という思いは実現できているなと感じています。 ■大切にしていることは何ですか まず、チームワークです。衛生隊は人と関わる仕事なので、医療技術だけでなく人に対する関心や配慮などが必要です。施設や器具が充実している病院とは違って、衛生隊はどのような状況で対処するか分かりません。一人の優れた医者がいるだけでは患者を救えないのです。過酷な状況でも患者を診ることができるチームの連携が重要なのです。また、常に学ぶ姿勢も大事にしています。自衛隊には「立場が人を育てる」という考え方があります。「仕事ができるからこの役職に就く」のではなく、「この役職に就くから成長する」と考えるのです。私も数々の勤務の中で理想と現実の差を埋めようとする意識を身に付けました。先輩に教えられた「部隊は隊長を写す鏡だ」という言葉から、部隊のミスは隊長に至らない点があるからなのだと学びました。うまくいっていないときは必ず原因があると考えて、理想を求めるだけではなく、現場と現実を大切にするようになりました。辛い訓練や現場もありますが、部隊のチームプレーに貢献しようと努める小さなやりがいと、たくさんの患者を救うという大きな目標のために、学び続けることを大切にしています。 ■学生へのメッセージ 今しかできないことをやってほしいです。学生時代の経験は何がいつ役立つか分からないので、やらないより挑戦する方が良いです。そして今苦手なことや嫌いなことはいつしか変わっていくので、こだわりを持ち過ぎないこと。私も学生の頃は自衛官になるとは考えてもみなかったのですが28年間も続いています。何事にも挑戦しやすい学生の時代に、たくさん経験を積んで友達を大切にしてください。 学生新聞2025年4月号 上智大学3年 吉川みなみ 上智大学3年 白坂日葵/上智大学3年 吉川みなみ/東洋大学2年 越山凛乃/大妻中野高等学校3年 加藤眞優花/N高等学校2年 服部将昌

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脚本家 野木亜紀子

あなたが受け取ったものこそが作品のメッセージ 脚本家 野木 亜紀子(のぎ あきこ) ■プロフィール脚本家。1974年生まれ。2010年ヤングシナリオ大賞受賞後デビュー。ドラ マ『アンナチュラル』『コタキ兄弟と四苦八苦』『獣になれない私たち』『MIU404』『フェンス』『海に眠るダイヤモンド』『スロウトレイン』、映画『カラオケ行こ!(和山やま原作)』『ラストマイル』など。 「逃げるは恥だが役に立つ(海野つなみ原作)」、「アンナチュラル」など数々の脚本を手掛ける野木亜紀子さん。作中のキャラクターやセリフの数々は、さまざまな感情を引き出してくれる。このような映画やドラマを生み出す野木さんに、脚本家になるきっかけや脚本を書くうえで大切にしていることなどを伺った。 ◾️脚本家になるきっかけは何ですか  私は日本映画学校という専門学校に通っていました。映画の道に進んだのは、もともと映画が好きでしたし、当時のアルバイト仲間に勧められたこともきっかけになりました。写真やデザインにも興味があったのですが、映画は動きがあって広がりがあるので表現者として一番可能性を感じました。  映画監督になるための就職先はそんなになく、最初はテレビのドキュメンタリーを作っている制作会社に就職をしました。仕事は取材、現場、撮影、編集などすべてをやりました。しかし、自分は現場には向いていないなと感じ、編集や構成を考える方が合っていると思うようになりました。本当にやりたかったのは何かと改めて考えた結果、脚本コンクールに応募し、そこから脚本家の道へ進みました。 ◾️脚本とはどういうものなのですか  テレビや映画の面白さは共同作業であることです。いわば総合芸術なのです。その中で脚本は設計図に当たります。私が作った設計図を基に、スタッフやキャストの皆さんがどんな家を建てるか。小説を書きたいとは思いません。自分が書いた文章を読みたいわけではないので。例えるなら、その上に立った家や装飾、色などの全体を見て「すごい家ができたな」と感じるときが一番楽しいです。脚本を全部書き終わったときも「終わったー!」という達成感はありますが、お芝居になることを見込んで書いているところもあるので、完成して世に出たものが作品だと思っています。   しかし、脚本という設計図から作品になるまでは多くの人が関わっているので、自分が思っていたものと違うものが出来てしまうこともありました。最近はなるべくそうならないように、「ここは、こうならないよう気を付けてください」「これはNGです」など、特に初めての人と仕事をする場合は時間をかけてしっかり確認するようにしています。受け取り方は人それぞれですので、逐一、言語化して確認するようにしています。 ◾️脚本に込める想いをお聞かせください  私自身はそんなに強固にメッセージを伝えようとしていません。受け取った人次第だと思っています。最近、答えを求め過ぎると感じています。「伝えたいのはこういうことです」とテキストで聞いてしまったら、作品を見る必要 はなくなってしまいます。ドラマと映画でも違いますが、一つの作品を一つのメッセージで描いていないこともあります。世の中はそれほど単純ではないし、答えは一つではないからです。それに付随するいろいろな問題やさまざまな見方を多角的に描いた上での一本の作品だったりします。あなたが受け取ったものこそがメッセージなのです。  いろいろな視点を持って作 品を作ろうと思っていますが、きっと取りこぼしているところはあるはずです。難しいですが、一面的にならないように常に意識して手を尽くしていくしかありません。 ■学生へのメッセージ  とにかくいろいろなことをやった方が良いと思います。無駄だと思うこともその後の人生に活かされることはたくさんあります。ただ、何事も雑にやっていると結局なんの役にも立たなくなってしまうので、どうせやるならしっかりやることが大切だと思います。そして、働き出すと、お金はあっても時間が取れなくなります。ぜひ体力と時間がある今のうちにやれることをやってください! 学生新聞2025年4月号 東洋大学2年   越山凛乃 津田塾大学2年 石松果林/東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 池濱百花/国際基督教大学2年 渡邊和花/昭和女子大学3年 竜澤亜依/東洋大学3年 太田楓華/大妻中野高等学校3年 加藤眞優花/国際基督教大学2年 丸山実友/城西国際大学1年 渡部優理絵

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小説家 朝井リョウ

小説は「雨」のようなもの。気付いたら濡れていて影響を及ぼしている 小説家 朝井リョウ(あさい りょう) ■プロフィール小説家。1989年岐阜県生まれ。2009年、『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2013年、『何者』で第148回直木賞、2014年、『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞、2021年、『正欲』で第34回柴田錬三郎賞を受賞。最新刊『生殖記』がキノベス!2025の第1位に選出。  小説は「雨」のように心に届くものだ。気付いたら濡れていて自分に影響を及ぼしている。この出どころが分からないからこそ届く距離感が小説にあると語る朝井リョウさん。自身の内面に蓄積されたアイディアを掘り出しながら、新たな物語を生み出し続けている。その執筆のモチベーションなどを語っていただいた。 ◾️物語で表現する魅力とは何ですか  物語の魅力の一つに、異なる思想の人々を同じ場に置ける、ということがあります。現実では社会や情報の分断が進んで対話が難しい状況もありますが、小説の中では全く違う価値観を持つ人たちを同じ地平に置けます。また、片方の意見だけでは標語のようになってしまうので、私の作品にはよく対極の者同士の対話が出てきます。それはどちらも自分自身の一部だったりするんですが、異なる思想の人間同士を物語という密室に閉じ込めることで、思いも寄らない言葉が出てきてくれたりするんです。  また、物語にできることとして、「ホースから出る水」ではなくて「雨」として言葉を届けられる、ということもあると思っています。ホースは自分で握っているし、軌道も操りやすいので、狙いを定めて勢いよく水を発射させられます。だけど水の軌道がよく見える分、避けることも可能だし届く範囲が狭かったりもしますよね。それに対して雨は、出どころが分からないまま広い範囲に影響を及ぼせます。これを小説に置き換えると、作者の問題意識やテーマを明かして本を届けるよりも、それらを全部物語で覆い隠して差し出すことによって、そのテーマにもともと何の関心もなかった人たち、むしろ拒否反応を抱いていた人たちにも届けられる可能性があるということです。これは大きな魅力だと感じています。 ◾️小説を書くモチベーションは何ですか  このデジタル時代に小説を書くのは、ある種「癖」のようなものだと思います。小説は執筆に時間がかかるし、年に1、2冊しか出版できません。なので、私の場合は、合理的なモチベーションというよりも、「こういうものを書いたらどうなるだろう」という実験的な気持ちが執筆のモチベーションになっています。  また、今は日々新しいニュースが出てきて、時代や状況は絶えず変化しますよね。今日は丸だと思っていたものが明日には四角になり、明後日には三角になるような世の中です。そんな中でも、「この“丸”については考えてしまう」という物事があれば、その執着自体がモチベーションになります。変化だらけの毎日の中でこの“丸”が頭から離れない=書かなきゃいけないってことだ、みたいな感覚です。 ◾️アイディアをどのように形にしていますか  普段の生活の中で考えていることが自然と体内に蓄積されていて、それが小説になる感覚があるので、「よし、アイディアを形にするぞ」という瞬間はないんですよね。普段生きている中で、思考のタンクみたいなものが徐々に溜まっていて、それを小説という形式にするためにどうするか、みたいな感覚です。丸太を削って木彫りの熊を作る過程に似ているんじゃないかな。自分の中から作品を掘り出していく、みたいな。 ■学生へのメッセージ  最近よく思うのは、学生のときに大切にしていた感覚、たとえば「これくらいの年齢でこういう自分でありたい」とか、「恥ずかしいからこういうことはしないでおこう」みたいな判断基準って、今の自分からは超ズレているんですよね。社会もだけど、自分自身も容赦なく変わっていくんです。価値観も常識も無責任にどんどん変わるので、いい意味で今の自分に固執しすぎず、今“恥”と認識しているものをそう捉えすぎず生きてほしいと思います。 学生新聞2025年4月号 早稲田大学4年 西村夏 東洋大学3年 太田楓華/早稲田大学4年 西村夏/慶應義塾大学3年 松坂侑咲/城西国際大学1年 渡部優理絵/N高等学校2年 服部将昌/東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 吉川みなみ/立教大学4年 緒方成菜/上智大学1年 張芸那/日本大学4年 鈴木準希

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読売ジャイアンツ球団特別顧問 高橋由伸

いかにして言葉を伝えるかが大切 読売ジャイアンツ球団特別顧問 高橋由伸(たかはし よしのぶ) ■プロフィール1975年(昭和50年)4月3日生まれ。千葉県出身。現役通算18年で打率291、321本塁打、打点986。慶應義塾大学3年生の春に、東京六大学野球リーグで三冠王をとる。同リーグ通算23本塁打は現在も歴代最多記録。1997年、ドラフト1位で巨人に入団。2004年、アテネ五輪日本代表として銅メダル獲得。2015年に現役引退。翌年から3年間、巨人軍第18代監督。現在は巨人軍特別顧問、野球解説者。  高校生のころからメディアに注目され、「天才打者」と呼ばれていた高橋由伸氏。プロ入り1年目から今日に至るまで活躍し続けている。選手、監督、解説者とさまざまな経験をしてきた高橋氏の野球との出会いや野球観についてお話を伺った。  高校卒業後は慶應義塾大学へ進学しました。慶應を選んだのは同じ桐蔭学園の先輩にあたる髙木大成選手が在籍していて、「先輩と同じ道を辿れば自分にもプロの可能性があるのではないか」と感じたからです。小学校4年生から地元のクラブチームで始めた野球。当時はプロ野球選手になれるとは思ってもいませんでしたが、大学3年生のときに髙木さんがプロ1年目で活躍しているのを見て、「努力すれば自分にもできるかもしれない」と思い、プロ入りを考えるようになりました。しかし当時は、試合で結果を残すことで、チームメイトや家族に喜んでもらえるといった周りの人のために野球をしていたように思います。プロになってからは、「仕事である以上は自分のために稼ごう」と考えるようになりました。   野球はチームスポーツと言われますが、チームの成績よりも個人成績が自分の評価につながります。つまり、打たなければ今すぐにでも居場所を失ってしまうということです。自分で自分を管理する大切さを実感し、技術面だけではなく体調管理にも気を配るようになりました。  監督を引退した現在は、主に野解説者として実況中継をしています。解説者の役割は、目の前で起きていることを分かりやすく説明することです。野球の魅力は筋書きがないところ。一発逆転の試合もあれば、相性の良いチームに番狂わせで負けてしまう試合もあります。視聴者の方々に、選手や監督の経験を活かした予測やコメントを楽しんでもらいたいと思っています。  野球の魅力を存分に伝えるために大切にしていることは、「いかにして言葉を伝えるか」です。私は長らくこの業界にいたので、「これくらい説明すれば伝わるだろう」と、つい言葉足らずになってしまうことが多いです。野球をしたことがない人でも、観る人誰もが監督になった気分で観戦できるように意識しています。「自分だったらこうするのに」といろんな可能性を考えられるところも野球の楽しさですよね。 ◾️学生へのメッセージ  苦しいときは、どうしても何かのせいにしたくなるものです。しかし、苦しさから逃げてばかりでは何も身に付きません。もがきながらも自分を振り返る時間を大切にすれば、少しでも階段を上ることはできます。自分が置かれた場所で努力しながら道を開いていってほしいです。 学生新聞2025年4月号 青山学院大学1年 桑山葵/早稲田大学4年 西村夏 N高等学校2年 服部将昌/早稲田大学4年 西村夏/青山学院中等部3年 吉田侍人/青山学院大学1年 桑山葵/武蔵野大学4年 西山流生

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ブラッド・ピット 昨日までの自分を超えていく

俳優・映画プロデューサー ブラッド・ピット ■プロフィール ミズーリ大学卒業を目前にロサンゼルスに移住し、演劇の道へと進む。TV出演を経て、1988年に『リック』で映画初主演を果たす。『セブン』(1995年)『ファイト・クラブ』(1999年)などで世界的な人気スターに。1995年には映画『12モンキーズ』でアカデミー賞助演男優賞に初ノミネート。『ベンジャミン・バトン   数奇な人生(』2008年)、『マネーボール』(2011年)でも同賞主演男優賞にノミネート。2020年、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でアカデミー賞助演男優賞を初受賞。近年では多くの作品にプロデューサーとしても関わっており、その手腕にも注目が集まる。 2024年12月18日に61歳を迎えたハリウッドスター、〝ブラピ〟ことブラッド・ピット。甘いマスクで名をはせた若い頃をはじめ、色気あふれるイケオジとして現在も活躍している。「トップガン マーヴェリック」のジョセフ・コジンスキーが監督する新作映画『F1/エフワン』がもうすぐ公開する。 ■卒業式の2週間前に俳優になることを決意 私が大学生のとき、ミズーリ大学でジャーナリズムを専攻し、広告業界のアートディレクターを目指していました。当時、自分が学んでいた環境からは、俳優になるというキャリア選択などはありえないことでした。しかし、映画が大好きで芝居への興味を断ちがたく、卒業を控えた2週間前に俳優を志すことを決意して大学を中退し、わずかな所持金を握りしめてロサンゼルスに行きました。 ロサンゼルスでは新聞の募集広告を見てエキストラに応募したり、ファストフードチェーンではキャラクターの着ぐるみを着て客の呼び込みをするなどしながら、生活費と俳優養成所の学費を稼いでいました。はじめは端役ばかりでしたが、『テルマ&ルイーズ』(1991年に公開)をきっかけに、ようやく俳優としのキャリアを歩むことができたのです。 ■自分にしかできない自分らしい仕事をする 仕事を通して学んだことは、いつでもどんなときでも学べるということです。学びに費やされる時間は個人差がありますが、私たちは学ぶための能力を持っています。常に新しいもの、違うものを探究するようにできています。その学びの過程の中で、失敗や痛みを伴うことはもちろんあります。辛くて眠れない夜もありましたが、幸いにも生き残ることができましたので、自己改革をし続けることが最も大切なことだと思っています。かつての私は、心の痛みをどう扱っていいのか分からず、辛い感情を避けるために逃げていました。そのときは逃げる手段しか考えていなかったのですが今は違います。今は何からも逃げたくないと思っています。全身で観て、聴いて、感じることで辛い夜さえもあえて過ごしてみたいと思えるようになりました。このような気持ちになったことで、自分自身を深く理解できるようになりました。そして人だけではなく、鳥や木など全ての命あるものに対して、感謝の気持ちが自然と生まれるようになりました。このように自分を深く理解できるようになったことで、自分にしかできない、自分らしい仕事ができるようになったと思います。また、俳優として出演する作品や、やりたい仕事を選ぶときは、ストーリーの作者によって決めることにしています。映画は監督の手に委ねられることになりますので、よく書かれた脚本であることも重要ですし、やはり映画を尊敬している製作者たちと仕事をしたいと思っています。これまで長い間仕事と向き 合っていますが、自分が尊敬 している好きな人たちと仕事をしながら、好きなことを好きなだけ探求していきたいと思います。そうすれば不安は消え、本当の自由を得られるのではないかと思っています。人生の中で何を大切にしなければならないかが見えてくるのです。 ■映画によって自分を語りたい 私にとって大好きな映画という存在は、未知の文化や場所を見せてくれるものです。私が自分の言葉では語れない素晴らしいものを見せてくれるのが映画なのです。私たちは自分のことがわからず、相手を困らせてしまうことがあります。しかし映画は、私たちは皆同じであることに気付かせてくれます。皆さんは自分が興味のある     ものに対してとことん追求していってほしいです。私はあのときもっと自分が興味のあるものを追求していればよかったと思うことがあります。俳優として、ただ機械的に同じように演じるのではなく、自分だけのストーリーを語るべきだったと思います。自分らしさが生まれない仕事は虚しくなりますし、良い仕事もできません。皆さんも自分だけの”らしさ”を追求していってください。 映画『F1/エフワン』舞台は空から陸へー! 『トップガン マーヴェリック』監督作×ブラッド・ピット主演常識破りのカリスマF1レーサーが仲間を導き、昨日の自分を超えていく! 最弱チームは強敵たちを相手に逆転できるのかー?! 重力も追いつかない、時速300㎞超の映画体験―。超高速"体感"エンターテイメント! 監督:ジョセフ・コシンスキー『トップガン マーヴェリック』プロデューサー:ジェリー・ブラッカイマー『トップガン マーヴェリック』脚本:アーレン・クルーガー『トップガン マーヴェリック』 出演:ブラッド・ピット/ダムソン・イドリス、ケリー・コンドン/ハビエル・バルデム配給:ワーナー・ブラザース映画 2025年6月27日(金)公開! 公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/f1-movie 公式X:https://x.com/f1movie_jp 学生新聞2025年4月号 学生新聞編集部

中高生新聞

川栄李奈 決断を正解にするために、努力する気持ちが大切

俳優 川栄李奈 (かわえい りな) ■プロフィール俳優。1995年2月12日生まれ。神奈川県出身。映画『変な家』『ディア・ファミリー』、ドラマ『となりのナースエイド』などに出演。2021年後期、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』ではトリプル主演。舞台「千と千尋の神隠し」では、主演・千尋役を務める。 アイドルから俳優へと転身。幅広い役柄をこなし、実力派俳優として活躍する川栄李奈さん。2021年後期、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で、朝ドラ史上初の三世代ヒロインの一人、ひなた役を演じ、大きな話題となった。仲間との絆、運と努力を大切にしながら、俳優としてさらなる高みを目指す川栄さんの想いを伺った。 ■仲間と築いた絆に支えられた高校時代 高校1年生の終わりにAKB48に加入したため、キラキラとした学校生活はほとんど送れませんでしたが、その分「友情」というかけがえのないものを手に入れられたと思っています。友人に誘われたことがきっかけでAKB48のオーディションを受けたのですが、彼女は今でも私の背中を押してくれる大切な存在です。友人や周囲の応援に支えられ、新しい世界に飛び込むことができたのは、今でも本当に感謝しています。AKB時代は、私にとってまさに「学校」そのものでした。メンバーたちと過ごす時間は家族以上に長く、お互いに同年代の悩みを共有し合い、支え合っていました。そして、この時期に築いた友人との深い絆は、現在に至るまで私にとって心強い支えとなっています。また、上下関係の大切さや礼儀など、この時期に学んだことは今でも仕事をする上で役に立っています。当時の経験は私を大きく成長させ、現在の自分を形作る大切な基盤となっています。 ■お芝居に魅せられて進むべき道を決断 歌やダンスがあまり得意ではなかったことやなかなか休みが取れず、仕事に追われる忙しい日々が続くことで、いつしか仕事を事務的にこなす感覚に陥ってしまったのです。そんなときに、「演じる」お仕事があってそれが本当に楽しく、お芝居の魅力にどんどん引き込まれていって、心の底から「これがやりたい」と思えるようになりました。自分が本当に楽しいと思えることを追求したいという思いが募り、AKBを卒業した後は、役者の道に踏み出しました。アイドルから俳優への転身を決めたときに、私は「朝ドラのヒロインになる」「大河ドラマに出演する」「日本アカデミー賞を受賞する」という3つの夢を掲げました。そのうち2つは実現しましたが、最後の夢であるアカデミー賞受賞もこれから必ず叶えたいと思っています。 ■常に前向きな心を忘れずに挑戦 私の人生は「運とご縁」で動いていると感じていますが、それを活かすためには日々の努力が欠かせません。特に、運が巡ってきたときにそれを活かせる準備を整えておくことが何より大切だと思っています。オーディションに関しても、私は「自分をアピールできる貴重な機会」とポジティブに捉え、落ちても「今回はご縁がなかっただけ」と割り切ることで、失敗を引きずらずに前に進むようにしています。この前向きな考え方が、諦めず挑戦し続ける力になっていると思います。私は役を演じる際、監督やプロデューサーの意向をしっかりと受け止める柔軟さを大切にしています。AKB時代に個性豊かなメンバーと過ごしてきた経験から、状況に合わせて行動することの大切さを学びました。それが今の私の強みになっていると思います。また、仕事に臨む際は、仕事とプライベートをはっきりと分け、台本をしっかりと読み込んだ状態で、現場で役を作り上げるようにしています。そうすることで役にのめり込みすぎず、複数の作品を同時にこなす際にも役立ちます。そして何より「楽しむこと」を大切にし、常にポジティブな心構えを意識しています。 ■人とのつながりが何よりも大切 俳優として活動していく中で、人とのつながりを大切にしています。また、体力がなければ撮影や舞台を続けることができないので、日頃から健康管理にも気を遣っています。昨年はドラマと舞台の両立で多忙を極め、心身ともに辛い時期もありましたが、自分の限界を知る大きな学びとなりました。当時は共演者の方々にサポートしていただき、人とのつながりが仕事をする上で何よりも大切だと改めて感じました。アイドルから俳優に転身した際に、「卒業したらもうテレビで見なくなるよね」と思われたくないという思いが原動力となり、計画的に仕事に取り組むことを意識してきました。出産後も復帰まで2、3カ月という短期間で戻ることを決断したのは、「産休後に見なくなった」と言われたくないという強い意志があったからです。もちろん、どんな仕事も楽しいことばかりではありません。時には気持ちを奮い立たせて挑むこともあります。そうした状況でも「どうせやるなら楽しくやろう」と考えることで、自分の気持ちをポジティブに切り替えるようにしています。「これを終えたら楽しいことをしよう」と自分を励まし、前向きな気持ちで乗り越えるようにしています。皆さんに伝えたいのは、どんな決断も決断に正解はありません。その決断を正解にするために、自分が努力する気持ちが大切なのです。 中高生新聞2025年4月号 国際基督教大学2年 若生真衣 ドラマ「ダメマネ!-ダメなタレント、マネジメントします」 ドS上司の無茶ぶりに翻弄されながら、崖っぷちタレントたちのために芸能界を駆け回る新人マネージャー役として主演。毎週日曜よる10時30分から日本テレビ系で放送 <学生新聞2025年4月号 芸能コーナーインタビュー> 挑戦するなら、「心から楽しい」ことを ◆芸能界に入るきっかけを教えてください高校1年生の終わり頃です。友人に誘われて受けたAKB48のオーディションに合格したことが、私の人生を大きく変えました。もともと引っ込み思案な性格で、人前に立つのは苦手な方でした。しかし、AKBに入り、礼儀や挨拶の大切さを学ぶにつれ、私にとって「学校」のような存在となりました。ここでの経験が人生の基盤を築いてくれたと思っています。活動初期は、歌やダンスが得意ではなかったため、つらい時期もありました。しかし、お芝居と出会ったことで「心の底から楽しい」と思える瞬間が生まれました。それ以来、「楽しいことをする」という生き方を大切にしています。 ◆俳優としての挑戦と夢をお聞かせください AKB48卒業後、私は役者としてのキャリアをスタートさせました。卒業のときに掲げた「朝ドラのヒロイン」「大河ドラマ出演」「日本アカデミー賞受賞」という3つの目標のうち、2つを達成しましたが、まだ最後の夢が残っています。この夢の実現に向けて挑戦を続けていきます。また、人生において「運とご縁」が重要だと感じており、それを掴むために努力を重ねていきたいです。 ◆学生へのメッセージをお願いします 学生の皆さん、たくさん遊び、たくさん学ぶ中で、楽しいと思うことを見つけてください。そして、自分が選んだ道を信じて突き進んでほしいと思います。決断が正しいかどうかは誰にも分かりませんが、自分自身の努力でその選択を正解にしてほしいです。失敗も楽しみ、その経験を糧に成長してください。 学生新聞2025年4月号 津田塾大学2年 石松果林 N 高等学校2年 服部将昌/城西国際大学1年 渡部優理絵/東洋大学3年 太田楓華/国際基督教大学2年 若生真衣/津田塾大学2年 石松果林 <中国語記事> 川栄李奈你要付出努力来做出正确的决定。 演员 川栄李奈(kawaei rina) ■简介演员。 1995年2月12日出生。神奈川县出身。她曾出演过『変な家』『ディア・ファミリー』等电影,以及电视剧『となりのナースエイド』。 2021年下半年,她将在NHK晨间剧『カムカムエヴリバディ』中担任三重主角。在舞台剧「千と千尋の神隠し」中饰演主角千寻。 从偶像到演员。川栄李奈是一位演绎过多种角色的才华横溢的演员。 2021年下半年,她在NHK晨间剧『カムカムエヴリバディ』中饰演晨间剧史上首批三代女主角之一的日向一角,引发热议。我们与川栄李奈谈论了他的想法,他立志要作为一名演员达到更高的高度,同时重视与队友之间的联系、运气和努力。 ■ 我的高中时光得益于我和朋友们建立的友谊 我在高中一年级末期加入了AKB48,因此我的校园生活并没有那么光鲜亮丽,但我相信,我收获了无可替代的东西:「友谊」。我是受朋友邀请参加AKB48试镜的,她现在仍然是我前进的重要推动者。我仍然非常感谢我的朋友和周围的人对我的支持,并给我机会去探索这个新世界。对于我来说,在 AKB 的时光就像“学校”一样。我和其他成员在一起的时间比和家人在一起的时间还多,与同龄人分享烦恼,互相支持。那时我与朋友们建立的深厚友谊至今仍是我巨大的支持源泉。此外,我在那段时间学到的东西,例如等级关系和礼仪的重要性,对我今天的工作仍然有用。当时的经历帮助我成长,并成为塑造今天的我的基础。 ■ 迷恋演戏,决定走自己的路 我唱歌和跳舞都不太好,很难找到休息时间,而且工作总是很忙,所以不知不觉中,我开始觉得自己只是在以官僚的方式做着自己的工作。那时,我接触到一份与表演有关的工作,我非常喜欢这份工作。我越来越被表演的魅力所吸引,开始从内心深处感受到「这就是我想做的事情」。她对追求真正喜欢的事物的渴望越来越强烈,因此在从AKB毕业后,她走上了演艺道路。当我决定从偶像转型为演员时,我给自己定下了三个梦想:「成为晨间剧的女主角」「出演历史剧」「获得日本电影学院奖」我的两个梦想已经实现,但我决心实现我的最后一个梦想——获得奥斯卡奖。 ■ 始终以积极的态度迎接挑战 我觉得我的生活是由「运气和人脉」驱动的,但为了充分利用它,每天的努力是必不可少的。特别是,我认为当好运来临时,做好准备去利用它是最重要的。对于试镜,我会以积极的态度对待,将其视为「一次展示自我的宝贵机会」即使失败了,我也会接受「只是这次不行」的事实,并努力继续前进,不再纠结于失败。我相信这种积极的心态给予我力量,让我不断挑战自己,永不放弃。当我演戏的时候,我很看重灵活性,能够充分接受导演和制片人的意愿。从我在 AKB 与性格各异的成员一起工作的经历中,我学到了根据情况采取行动的重要性。我想这就是我今天的力量。此外,当我接手一份工作时,我会明确地将工作与私人生活分开,仔细阅读剧本,然后在片场塑造我的角色。这有助于我避免过于专注于一个角色,也有助于我同时处理多个项目。最重要的是,「我们重视乐趣」并始终努力保持积极的态度。 ■ 与人之间的联系比什么都重要 作为一名演员,我重视与人之间的联系。而且,如果没有体力,就不可能继续拍摄或舞台表演,所以我每天都非常注意自己的健康状况。去年是极其忙碌的一年,我同时兼顾戏剧和舞台工作,有时身体上和精神上都很辛苦,但对于我来说,这是一次很好的学习经历,让我认识到了自己的极限。那时,我得到了很多合作演员的支持,这让我意识到在工作中与人之间的联系比什么都重要。当我从偶像转型为演员时,我的动机是我不想让人们认为「一旦我毕业,我们就不再在电视上见面了」所以我有意识地以有计划的方式对待我的工作。我决定在生完孩子两三个月后就回去工作,因为我决心不被告知产假结束后我已经停止工作了。当然,并非所有工作都是有趣的。有时我必须激励自己去接受挑战。即使在这种情况下,我也会努力保持积极的态度,告诉自己:「如果我要做这件事,我最好玩得开心」我鼓励自己说:「一旦我完成这件事,我会做一些有趣的事情」并尝试以积极的态度度过难关。我想告诉大家的是,任何决定都没有正确答案。重要的是你要付出努力来做出正确的决定。 翻訳担当:中山美緒

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成田悠輔 「徒競走」ではなく「盆踊り」で未来をデザイン

経済学者 成田悠輔(なりたゆうすけ) ■プロフィール経済学者・データ科学者・事業家・三流タレント。データ・アルゴリズム・思想を融合しビジネスと公共政策をデザイン。多分野で研究発表し、企業・自治体と共同事業を展開。報道・討論・お笑い・アート・ファッションなど多様な企画・出演にも携わる。 【夜明け前のPLAYERS】未来の日本を作る 変革者「PLAYERS」と成田悠輔の予測不能な対談番組。地上波、YouTube、公式HPで、それぞれさまざまな形の番組視聴が可能です。このインタビューの様子は「第26夜 学生記者とゾンビマネーの夜明け」で視聴できます。https://www.youtube.com/@yoakemaeplayers 『22世紀の資本主義やがてお金は絶滅する』(文春新書) お金の夢から醒めろ。株価も仮想通貨も過去最高値を更新。生成AIの猛威が眼前に立ち現れ、かつてなく資本主義が加速する時代。お金や市場経済はどこへ向かうのか。 ■どんな学生時代を過ごしていましたか 寝てばかりの高校時代でした。学校の授業はほとんど寝ていて、目が覚めると図書館や古本屋、レコード屋や映画館をふらふらする。ただあらゆるものを目的なく眺める時間でしたね。目的に向かって正常に前進する日常から逃げたかったのかもしれません。あの頃の私には、夢や目標はありませんでした。ただ、焦りもなかったです。何も考えていなかったからです。 ■データがもたらす未来についてお聞きします 目標や目的がないと、たいていのことはどうでもよくなります。たとえば偉くなるとか、お金を人より稼ぐとかに執着がないです。でも、お金というのは不思議ですね。お金は「過去の記憶をざっくりと表現した装置」だと思います。ただこのお金という仕組み、1万円の持ち主がどんな価値を生み出してきたのか、その1万円からは区別できないという弱さがあります。しかし、「データ」というピンチヒッターが出てきました。現代の技術は、私たちの属性や日々の行動、それらから染み出す価値観を細かく記録するようになりました。そういったデータは、お金に変わる感謝と信用の基盤になりえます。 ■学生へのメッセージ 未来の世界ではお金の評価や働き方が大きく変わるかもしれません。競争の意味についても、これまでは速さや強さ、賢さを競う「縦の競争」が支配してきました。勉強では偏差値で、運動会では速さや強さで、社会人になれば営業成績や年収で評価されます。順位がつくわけです。しかし、お金のような単純な尺度より複雑なデータが大事になっていくこれからの社会では、「横の競争」がより大事になっていくと予想しています。たとえば運動会。かけっこで順位をつけるかわりに、みんな自由に踊る。人より速いか遅いかではなく、どれだけ自己満足できるかを競い合うような文化です。競争や評価が消えるわけではなく、競争の形が徒競走のように速い遅いや大小・高低を競うものから、盆踊りのように違いと変化を楽しむものに変わっていく。私たちが人と比べることから解放され、もっと自由に生きられる未来への第一歩だと思います。 学生新聞2025年4月号 法政大学 4年 島田大輝 <中高生新聞別冊eスポーツ特集2025年4月号 表紙スペシャルインタビュー> ■価値観や世界観のごった煮を食べた時代 寝てばかりの高校時代でした。学校の授業はほとんど寝てて、目が覚めると図書館や古本屋、レコード屋や映画館をふらふらする。ただあらゆるものを目的なく眺める時間でしたね。目的に向かって正常に前進する日常から逃げたかったのかもしれません。部員が3人しかいない山岳部の部室の棚の上でもよく寝てました。部と行っても名ばかりで、ときどき山に登って何日も何日もひたすら歩く。それだけです。南アルプスを一週間くらいかけて縦断していて、突然開けた視界に遥か彼方の山々の尾根が夕陽に照らされて飛び込んできたとき、世界は違う場所に溢れていると感じることもありました。あの頃の私には、何の夢や目標もありませんでした。ただ、焦りもなかったです。何も考えていなかったからです。そういう時間を過ごしたことが、今ここと向き合うコツを教えてくれた気がします。無駄なことに悩まず、劣等感や優越感で自分を駆りたてず、死に向かって淡々と流されていく姿勢を授けてくれたように思うのです。今も夢や目標はないままです。 ■お金を超える未来 目標や目的がないとたいていのことはどうでもよくなります。たとえば偉くなることにもこだわりがないですし、お金を人より稼ぐことにもそんなに執着がないです。でもお金というのは不思議ですね。お金は「過去の記憶をざっくりと表現した装置」だと思います。いまお金を持っているということは、自分や自分の保護者が過去に何か価値を生み出して他人から感謝されたということですよね。誰かからの「ありがとう」の痕跡がお金です。でもこのお金という仕組み、雑すぎませんかね。1万円の持ち主がどんな価値を生み出してきたのか、その1万円からは何もわかりません。慈善事業で生み出された1万円と詐欺恐喝で生み出された1万円を区別できないという弱さです。お金は個々人の背景や行動の詳細を消し去ってしまう消しゴムなのです。だからこそどんな人でも過去に囚われずにお金さえあれば物が買えるという利点もあるわけですが。しかしここに来て、お金の弱点を埋めるピンチヒッターが出てきました。データです。スマホが捉える膨大な行動データ、SNS上での発言や繋がりの情報…現代の技術は私たちの属性や日々の行動、それらから染み出す価値観を細かく記録するようになりました。そういったデータはお金に変わる感謝と信用の基盤になりえます。たとえば、スーパーで商品を買うとき、お金ではなく、過去の行動データを基に信用されて商品を手にする。そんな世界が現実になるかもしれません。もちろんそれが「いい」世界なのかは謎です。お金がいらないデータ社会はディスピア的になる可能性もあります。ただ、ユートピアとディストピアはいつも紙一重で裏表です。お金という仕組みの限界を乗り越え、より柔軟で新鮮な形で「ありがとう」や信用を伝達する装置を作れるかどうか。私たちの想像力と実装力にかかっています。 ■縦の競争から横の競争へ 競争の意味も変わります。これまでは、速さや強さ、賢さを競う「縦の競争」が支配してきました。勉強では偏差値で、運動会では速さや強さで、社会人になれば営業成績や年収で評価されます。順位がつくわけです。しかし、お金のような単純な尺度より複雑なデータが大事になっていくこれからの社会では「横の競争」がより大事になっていくと予想しています。横の競争、つまり個性や逸脱を競い合う競争です。たとえば運動会。かけっこで順位をつけるかわりに、みんな自由に踊る。そういう変化がすでに生まれつつありますよね。人より速いか遅いかではなく、それぞれがどれだけ勝手気ままに奇天烈に踊れるか、どれだけ自己満足できるかを競い合うような文化です。勉強も全員一律の授業や教科書・試験ではなく、それぞれの興味や得意不得意に応じて一人一人にカスタマイズされた教育が当たり前になっていきます。競争や評価そのものが消えるわけではありません。ただ、競争の形が徒競走のように速い遅いや大小・高低を競うものから、盆踊りのように違いと変化を楽しむものに変わっていく。私たちが人と比べることから解放され、もっと自分自身として生きられる未来への第一歩だと思います。 ■勉強してる暇があったらゲームしなさい そんな未来にとって鍵になるのが、eスポーツ、というかゲームや仮想空間ですね。ゲームというと真面目な大人たちが眉をしかめるので、eスポーツと呼び直すのは賛成です(笑)。あちらの空間では、こちらの現実世界で生きづらさを感じる人々も新しい人生を作れます。たとえば身体的なハンディキャップを持つ人がゲームの世界で体を動かし、現実では得られない喜びや繋がりを築く。現実世界での制約を超えて、仮想空間で自分の新しい別の価値を発揮し逸脱する人が増えていくでしょう。先ほどお話しした新しい競争そのものです。それはゲームに没頭して時間を浪費することではなく、新たな人間、新たな社会、新たな現実を創り上げる行為そのものなのです。 法政大学4年 島田大輝 N 高等学校2年 服部将昌/国立音楽大学4年 岡部満里阿/法政大学4 年 島田大輝