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Archive for 運営スタッフ


陸上自衛隊 木更津駐屯地 第1ヘリコプター団パイロット
自衛隊訪問 ─ 陸上自衛隊「見る・撃つ・運ぶ」を担う、現場を"空"から支える操縦士陸上自衛隊 木更津駐屯地 第1ヘリコプター団パイロット 陸上自衛隊 木更津駐屯地 第1ヘリコプター団パイロット 左: 森正平(もりしょうへい)右: 榎本壽迪(えのもととしふみ) 任務遂行の際に、安全に素早く現地に送り届ける責任を負うパイロット。どのような使命感を抱いてコックピットに座るのか、榎本さんと森さんのお二人にお話を伺った。 ■パイロットになった経緯を教えてください 榎本 中学3年生のときに自衛隊のサイトを見つけたのがきっかけです。実家のある北海道で農家を継ぐ未来を想像できず、違う進路を探していたときに陸上自衛隊の高校である高等工科学校の存在を知りました。身体を動かすことや乗り物に興味があったので、不安というより半ば勢いで入学を決めました。数ある職種の中でもパイロットは特にかっこいいイメージがあり、「陸上自衛隊の中でパイロットになれるのはどの部隊かな」と探して就きました。 森 子どものころから飛行機が好きで、中学生のときに航空機を見に行っていた基地で勧誘を受けたのがきっかけです。当時はオフィスで働く仕事のイメージがわかず、自衛隊ならおおよそ想像がついたのです。将来の自分の姿も想像できるし、好きな飛行機に少しでも近づけるのではないかと思ってパイロットを目指しました。海上自衛隊や航空自衛隊でもパイロットの募集はあるのですが、募集人数が少なく、結果的に陸上自衛隊のパイロットになることに決めました。 ■どのようなお仕事をされているのですか 森 陸上自衛隊の航空機は主に「見る・撃つ・運ぶ」の三要素を担っています。災害現場の様子や敵情偵察をする「偵察(見る)」、有事の際に攻撃をする「攻撃(撃つ)」、現場に人や物を運ぶ「輸送(運ぶ)」です。私は主に輸送を担っていて、山火事の際は大きなバケツを運んで空から消火したり、パラシュート部隊を現地に運んだりしています。使用するヘリコプターは、一度に約30人を運べたり機体の腹の部分に荷物をぶらさげたりできるので、出動の要請を受ければ人員や物資を積んで現場の応援に行くイメージですね。 榎本 私は主に偵察を担当しています。この部隊で使われる機種は固定翼であり、他の機体より速く長く飛べるのが特徴。そのため、何か起こったときにいち早くかけつけて現場の様子を本部に伝えたり、現場に指揮官を送り届けたり、「部隊の目になる役割」を担います。このように、各部隊は機種の特徴に合わせてそれぞれの能力を発揮できるように動いています。また、飛行の際は、飛行計画や機体の整備、任務後の成果の分析までを行い、常に非常時に最大の力を発揮できるように訓練しています。 ■仕事で意識していることはありますか 森 安全管理ですね。私たちは上空の仕事ですが、任務をやり遂げるためには現場の地上部隊と協力しなければなりません。そのため、彼らとスムーズに連携を取るためにも機体について知ってもらうようにしています。たとえば、ヘリコプターには上だけでなく下にもプロペラがあることを伝えて、すぐに近寄らず安全な距離を取ってもらっています。専門が違う隊員たちと意思疎通を図ることは今後も注力していきたいですね。 榎本 決断力も重要だと思います。機体は多くの隊員や物資を乗せて速い速度で動いているので、パイロットとして操縦しながら素早く状況を判断しなければならないからです。現場の様子や気象情報など、全ての情報を含めて判断する難しさもありますが、その分、任務を終えて地上に降り立ったときは大きなやりがいを感じます。 ■中高生へのメッセージ 榎本 外に出て友達と遊ぶことを大事にしてほしいです。人と話すとコミュニケーション力も付きますし、集まってくる情報を整理し、自分の頭で考えて判断できるようにもなります。周りと協力しながらタスクをこなすときに役立つと思います。 森 自衛隊には、実はいろいろなキャリアがあります。航空機の操縦や現場の指揮、国際的な仕事のための英語の教官といった仕事もあります。陸上自衛隊でもパイロットになれることなどもわかりますので、ぜひ一度自衛隊に来てみてください。きっと多くの将来が見えると思います。 中高生新聞2025年4月号 上智大学3年 吉川みなみ 武蔵野大学4年 西山流生/津田塾大学1年 石松果林/東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 吉川みなみ

アサヒグループジャパン株式会社 執行役員 DX統括部長 山川知一
DXで会社を進化させ、社会の要請に応えるのが使命 アサヒグループジャパン株式会社 執行役員 DX統括部長 山川知一(やまかわともかず) ■プロフィール製薬業界担当システムエンジニアとしてキャリアをスタート。その後製薬会社の情報システム部に18年間従事。2020年12月アサヒビール株式会社に入社。2022年1月より現職。 2022年1月、アサヒグループの日本事業を統括するために始動したアサヒグループジャパン。その中にあって、山川DX統括部長は社内でDXを実現するための基盤を整える業務を担っている。なぜ今DXが求められているのか、そもそもDXとはどのようなものを指すのかなど、DXの必要性や魅力についてお話を伺った。 アサヒグループジャパンに入社する以前は、製薬会社の情報システム部で働いていたのですが、コロナ禍で日々変わりゆく社会を目の当たりにする中で、何か新しいことに挑戦したいと考えていました。そのタイミングで声をかけていただいたのがアサヒグループでした。アサヒは飲料や食品など生活に密着したものを扱っており、社会と接点が多いメーカーならではの魅力を感じ、自分の専門性を生かしたDXの領域で携わることになりました。アサヒグループジャパンの一部門として、国内各社のDX・IT関連を戦略的に統括するのがDX統括部です。システムがどのような過程で作られているのか、かつてシステムの制作側にいたからこそ分かる経験を生かしながら挑戦を始めました。 ■システムをマッピングする アサヒグループには300から400ものシステムがあったので、どんなシステムが使われているか、どこでデータが集約されているのか、まずはシステムの全体像を可視化する必要がありました。それをもとにどの機能とどの機能がどのように接続されているのか、使われていない機能や重なっているものはないか、どこからどのような技術を用いて最新化するかなどを考慮し、システムの将来像をデザインしました。全てを一度に最新化することはできませんが、個々のつながりを意識しながら、将来像に近づけるように一部分ずつ変えていく作業を行っています。時代や環境変化を鑑みて、今あるシステムが今後も継続して必要なのかを検討し続けることも大切です。DX統括部は社内全体のシステム基盤を作る部署なので、従業員にシステムの利便性を感じてもらいながら安心、安全な環境を提供できるように取り組んでいます。 なぜ今、DXが必要なのか アサヒグループジャパンのDX統括部では、単にデジタルサービスを導入するだけではなく、業務や働き方の進化を後押しする役割を担っています。なぜ今DXを推進するのか、大きな理由として2つあると考えています。まず1つ目は、近年、技術の進歩が目覚ましく、新しいテクノロジーを使用する垣根が低くなってきているからです。システムを作るためにはコーディングが必要ですが、それがある程度のシステムであれば自然言語で作れてしまう環境が整ってきています。今までは我々のような専門的な部門が全てのシステム構築を担っておりましたが、これからは業務部門の方々でも自身でシステムを作るといったことが可能になってきています。大学生の皆さんも普段からChat GPTなど生成AIを使用する機会が多いと思います。かつては使う側にもプログラミングや技術知識が必要でしたが、今は誰もが簡単に高度なことができる時代になってきました。従業員の方々が自らテクノロジーに触れ、それをきっかけに業務の進化を検討する大きな機会であると思います。DX統括部はセキュリティには十分に気を付けながら新しいテクノロジーに数多く触れる環境を提供したいと思います。2つ目の理由は、社会環境の大きな変化に伴い、対応する課題が複雑になってきているからです。たとえば環境破壊につながるような問題に対しては、部門を超え、会社を超えて社会全体で取り組まなければなりません。他社と協力することで配送効率を高め、環境負担を抑える取り組みなども検討しています。このような活動において、DXは欠かせません。リアルタイムに複雑な状況を可視化して共有するなど大きな役割を果たします。 ■人生に寄り添うサービスを アサヒグループは、長い歴史の中で数多くの商品を展開してきました。人生のライフサイクルに関わるサービスを提供することで、何よりもお客様に楽しんでもらうことが大切だと思っています。人それぞれ好きなものもライフスタイルも違う多様性の時代だからこそ、多様なニーズに応えられるかが今後の重要な鍵になってくると思います。欲しいタイミングで欲しいものを、その人の人生に寄り添うようにサービスを提供し続けたいと思っています。 メッセージ 私たちは今、まさに変動の時代を生きています。何が正解なのか判断に迷うこともあると思います。そのときに自分はどんなものを好きで、何を心地良いと感じるか、自分の感性を大切にできるようにしてほしいです。特に学生の間はいろいろなことに挑戦できる時間であり、感性の土台を作るチャンスだと思います。そして、デジタルサービスも同様、作り手の感性をもとに、「技術を使ってこんな世の中になったらいいな」という思いが込められています。技術やデジタルサービスに関心のある方は、実際に触れて作り手の思いを感じてみてください。 学生新聞2025年4月号 上智大学3年 白坂日葵

iU(情報経営イノベーション専門職大学) 学長 中村伊知哉
イノベーションを起こして世の中を変える人材を育てる iU(情報経営イノベーション専門職大学)学長 中村 伊知哉(なかむら いちや) 1984年、ロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを経て郵政省入省。MITメディアラボ客員教授、スタンフォード日本センター研究所長、慶應義塾大学教授を経て、2020年4月よりiU学長。内閣官房、内閣府、総務省、文部科学省、経済産業省などの参与・委員を歴任。 iUではイノベーションを起こし、世の中を変えていく人材になってほしいと願い、「全員起業」を掲げて実践を通じた学びを提供している。社会の最前線で活躍する人材を育成するためには今何が必要か。世界で一番面白い大学になることを目指す中村学長に、iUのあるべき姿についてお話を伺った。 ◾️どんな学生時代を過ごして来られましたか 学生のとき学校に毎日通ってはいたものの、授業はそっちのけでバンド活動に熱中していました。当時はミュージシャンになろうと思っていたのですが、プロになった人たちを見ていると勝てるとはえず、表現者たちのプロデュースをする道に方向転換しました。そこでテレビ局や通信会社などの全てのルールを作っているところに行けば表現をする人たちの役に立てると考え、郵政省に行き、メディア行政の仕事をしました。その後、省庁再編を最後の仕事に郵政省を退職し、MITで客員教授、スタンフォードで日本センター所長を務めるなど、興味の赴くままに仕事をしておりました。 ◾️大学をつくろうと思った理由をお聞かせください MITやスタンフォードにいて思ったことは、“日本の問題点は大学にある”ということです。たとえば、MicrosoftもFacebookもアメリカのハーバード大学の学生が作りました。Yahoo!もGoogleもスタンフォード大学の学生が作りました。日本にはウォークマン、ファミリーコンピューター、初音ミクなど素晴らしいものがたくさんありますが、学生が作ったものは何もないのです。そこで素晴らしいものを作る学生を輩出する大学を日本でも作れないかなと思い、慶應義塾大学で新たに大学院を作るというプロジェクトをやりました。その後、新しいことができるような場を作ろうと思い、大学を作りました。それがiU(情報経営イノベーション専門職大学)です。 ◾️大学の特徴について教えてください iUの特徴は「全員起業」です。起業をすると、最初は訳が分からずほぼ間違いなく失敗します。しかし、失敗からは多くのことが学べます。当大学では、“在学中に全学生が起業にチャレンジする”ことを目標にしていますが、実は起業家を輩出することを目的とした大学ではありません。根底にある理想は、イノベーションを起こして世の中を変えていく人材になってほしいという思いがあります。世の中を変えていくやり方はさまざまにあると思っています。また、今までは全員起業を目指す大学でしたが、これからはさらに一歩進めて“世の中を作っていく”ことを実現するために、さまざまなプロジェクトが行われている大学にしようと思っています。5年後には「eスポーツといえばiUだよね」や「ポップカルチャーといえばiUだよね」というように、そのプロジェクトで知られる学校になりたいです。そして10年後の目標は世界で一番面白い大学になることです。いわゆる普通の大学が目指すのは賢い大学や役に立つ大学ですが、iUは面白い大学を目指したいと思います。 ◾️学生へのメッセージ 何が自分の能力で、その能力をどう活かしていけばよいのかわからない学生も多いのではないかと考えます。でもそれは世の中でコミュニケーションを続けていく中で少しずつわかってくると思います。これからはとても変化する社会になって行きます。ぜひその変化を楽しめる人になってください。 学生新聞2025年4月発刊号 城西国際大学1年 渡部優理絵 城西国際大学1年 渡部優理絵/法政大学3年 佐伯桜優

キヤノンマーケティングジャパン株式会社 代表取締役社長 足立正親
“自発”“自治”“自覚”の三自の精神で挑む新しい価値提供 キヤノンマーケティングジャパン株式会社 代表取締役社長 足立 正親(あだち まさちか) 1960年生まれ。1982年、キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)株式会社に入社。2007年、MA販売事業部金融営業本部長を経て、2015年取締役常務執行役員に就任。その後、キヤノンマーケティングジャパングループのキヤノンITソリューションズ株式会社代表取締役、キヤノンマーケティングジャパン株式会社取締役専務執行役員などを経て、2021年より現職。 物販主体から価値創造企業へ。社会の変化とともに新しい価値を創造し、社会課題の解決へと導く、キヤノンマーケティングジャパン。これまでの挑戦は、社員一人ひとりの努力が生み出した結果である。そう語る足立社長に同社の歩みと未来への展望について話を伺った。 大学時代は経済学部に所属していましたが、高校時代の野球部の経験を買われて、付属高校の女子ソフトボール部のコーチを任されていました。当初はソフトボールを始めたばかりの部員が多かったのですが、目標は高く東京都2部リーグの1位を掲げました。将来のチームのありたい姿を描き逆算して切磋琢磨し、3年後には優勝できました。このとき、人を育てることの難しさや面白さ、やりがい、チームのパフォーマンスの上げ方の基礎を学んだと思います。 就職活動では、金融系の仕事に憧れていましたが、就活を進めていくにつれてシステムや技術分野の方が合っていると思いました。最後は自分の感性を大事にして、実力主義だがアットホームな社風に引かれた当社(当時のキヤノン販売)に入社しました。 入社したときは東証2部に上場して間もない頃で、会社の規模は今ほど大きくはありませんでしたが、それでも社長になるとは夢にも思っていませんでした。仕事でチャンスをもらったときは、周りに何か貢献したいと考えていました。与えられた仕事をこなすのは当たり前なので、自らがワクワクすることを探し、常にチャレンジしていたことが今の自分につながっているのだと思います。 ◾️ソリューションビジネスで新たな価値創造企業へ 当社は、昔と比べて会社の内容が随分と変化してきています。昔はカメラやプリンターなどキヤノン製品の販売が中心で、代理店を通じた販売が主流でした。しかし、2006年に社名を現在のキヤノンマーケティングジャパンに変更した頃からは、キヤノン製品事業とITソリューション事業を組み合わせたソリューションビジネスへとシフトが加速しています。 現在の当社は大手企業から中堅・中小企業、そして個人のお客様まで、幅広い領域でビジネスを展開しています。また、カメラ・ビジネス機器・半導体製造関連装置などお客様に合わせた製品の販売からSI(システムインテグレーション)サービス、BPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)ビジネスに至るまで多種多様なソリューションを提供できることが強みで、他社との差別化になっています。 しかし、実現するためには、優れた人材が不可欠です。素晴らしい商品やシステム、技術があっても人材が揃わないと絶対に成功しません。だからこそ人材投資に本気で取り組み、ビジネス拡大のためにどのような人材とスキルが必要かを定義し、教育とスキル獲得を実施しています。 ◾️顧客の課題解決を超えた先にあるもの 私たちが取り組むのは顧客の課題解決だけでなく、その先にある社会の課題解決です。「ここは任せたい」と言ってもらえる、期待される、愛される、魅力のある存在でなければなりません。そうした思いから2024年1月、「未来マーケティング企業」を宣言し、私たちの社会的な存在意義としてパーパス「想いと技術をつなぎ、想像を超える未来を切り拓く」を掲げました。重要なのは強い領域を持つこと。知見や技術、ノウハウなど、私たちならではの確かな強みを磨き上げ、発展させていきます。取り組みの一つとして、同じタイミングで発足したR&B(リサーチ&ビジネスデベロップメント)チームを中心に、ウェルビーイング、ビジネストランスフォーメーションの領域で、社会の構造的な課題に真正面から取り組んでいきます。私たちは技術とマーケティング力、そして熱意を武器に、社会に新しい価値を提供し続けます。選ばれる企業、期待される企業、そして社会と共に成長する企業を目指して私たちの挑戦はまだ始まったばかりです。 ◾️失敗を恐れずに楽しみながら成長 一緒に働きたいと思うのは、私たちが大切にしている「自発」「自治」「自覚」の姿勢で前向きに仕事に取り組む「三自の精神」を実践できる方です。そして失敗を恐れずに挑戦してください。挑戦する中での失敗は成長の証です。 また、仕事には愉しさとワクワク感が欠かせません。まじめで頑張る社員が多いのは当社の良さですが、それだけでなく、もっと将来に向けた“夢”をふくらませてほしい。社員が愉しんでいなければ、お客様にもその愉しさや素晴らしい未来は伝わりません。そして、会社は馴れ合いではいけません。個がしっかりと強みを発揮しながらも相手をリスペクトし、思いやりを持つことで「和」が生まれます。和と思いやりこそが、強いチームを作る土台になるのです。 *message* 20代は可能性を広げる最高の時期です。たくさんのことを経験し、そして失敗を恐れないでください。失敗から学ぶ姿勢こそが最大の武器になります。新しいことへの挑戦、知らないことへの好奇心、学び続ける意志。これらが皆さんの未来を切り拓く力となります。私たちと共に社会課題に立ち向かい、未来を創造したいと思うなら扉は開かれています。皆さんの情熱と可能性を心の底から応援しています。 学生新聞2025年4月発刊号 明治大学大学院2年 酒井躍 明治大学大学院2年 酒井躍/東洋大学 3 年太田楓華/東洋大学 2 年 越山凛乃/日本大学 4 年 鈴木準希

トヨタ自動車株式会社 Chief Digital Officer 山下義行
データという数字に隠れた人の動きを感じ取る トヨタ自動車株式会社 Chief Digital Officer 山下義行(やましたよしゆき) ■プロフィール 1989年電通に入社。ビジネスディベロップメント&アクティベーション局 局長後、2019年トヨタ自動車へ出向し、副本部長として国内販売事業に従事。2021年1月、デジタル領域の業務推進のためトヨタ自動車に転籍し、2023年4月より現職。また日本自動車工業会において、デジタルタスクフォースのリーダーとして、MSP(モビリティスマートパスポート)構想を担当。 ※取材当時の肩書です。 「日本を元気にしたい」。トヨタ自動車の熱い想いだ。日常生活の移動から経済活動を支える物流まで、モビリティには人々を笑顔にする力があるという。これまでデータを活用した新規事業の立ち上げに携わるなど、データによる技術革新の可能性を感じてきた山下義行さんに、自動車DXについてお話を伺った。 トヨタといえば、世界中に多種多様なモビリティを展開しているイメージがあるかと思います。軽自動車からトラック、さらにはハイブリッド、燃料電池車、水素自動車など、裾野の広さは最大の魅力であり、今日もトヨタ自動車は世界中で走っています。トヨタの想いは、「地域で最も信頼され、愛される会社になる」ことです。ただ車を届けるだけではなく、地域に密着していることが、世界中でトヨタ自動車が受け入れられる理由だと考えています。 自動車産業は、原材料の確保や部品の調達など、生産から販売までに数多くの人が関わっています。サプライヤーとの関係が大きい業界だからこそ地域との関わりが必要不可欠なのです。トヨタブランドが地域に根付いていると言えるのは、地域の中でサプライチェーンが確立し、仕事を生み出していることも大きな理由です。 ◾️データを活用したデジタル化への取り組み 皆さんは“自動車メーカーにおけるデジタル化”と言われて、何を想像するでしょうか。一口にデジタル化と言っても、その方法は管理システムの導入やビジネスチャットなど多岐にわたりますが、私が取り組んでいるのはデータを活用したデジタル化です。大企業ではともすれば縦割りになりがちなオペレーションを統一したり、データを用いて顧客との接点を生み出し、世の中のニーズを把握したりしてます。購入後の顧客との接点と言えば、サービスサポートや車検など、タイミングが限られますが、車の走行時に集められたデータを活用すれば、所有者それぞれの車の走り方が見えるようになります。これまでは自動車の「走る・曲がる・止まる」という3要素のみでしか計れなかったものが、今では通信環境の整備によって高速道路などと「つながる」ことができ、新しいデータを得られるようになったのです。これらの情報はサプライヤーとも連携して活用されるので、データがスムーズに流れる仕組みを整えることも仕事の一つです。 ◾️DXでビジネスを変革する 私たちはまさに今、変動の時代を生きています。直接感じることは少ないかもしれませんが、これまで人の手で動かしていたシステムがあっという間にデジタルに置き換えられ、仕事の効率化が図られています。たとえば、自動車を購入するとき、従来は販売店に行って試乗するというのが一般的でしたが、今はインターネット上での契約や決済ができるようになりました。このような販売システムの整備は、まさにデジタル化を活用してビジネス自体を変革するDXに当てはまります。そして、現代の社会課題の複雑さから、トヨタだけでは完結しない問題も出てきました。その一つが環境問題です。カーボンニュートラルが叫ばれている中、自動車の生産や輸送の段階で温室効果ガスを削減する取り組みも始まっています。これまでは、特に同業他社で競争関係にあったものが、社会課題の解決へ向けて共に取り組む協調関係へと変化しつつあるのです。地球環境に良い生産プロセスに変革することは、まさにDX領域に踏み込んでいると言えるでしょう。 ◾️パーソナルなサービス提供に活用 データを活用する事例や可能性についてここまで述べてきましたが、データは個々人に還元されてこそ役割を果たします。だからこそ、企業はビジネスになるデータばかりを活用するのではなく、データを分析して一人ひとりに合ったサービスの提供に注力しなければなりません。得られるデータが増えたということは、データの価値に柔軟性が出てきたということです。最近は契約者と利用者が異なる場合や、レンタカーの利用が増加しているため、利用者の属性が明確になると、よりニーズに合わせたサービスを展開できる可能性があります。一方でデータには自助・公助・共助の観点があり、データが個人のものなのか企業のものなのか、どこに活用するのか、誰にとって役に立つのかを丁寧に判断しなければなりません。データの有用性と安全性には難しいバランスがありますが、安心・安全にデータが流れ、必要なときに必要なデータを得られる仕組みが整ってこそ、個々人に意義のあるサービス提供につながると思います。 *message* データは冷たくて無機質なものだと思われることが多いのですが、本当は暖かくて温もりを感じるものです。データというのは、人間の行動や発言が記録されたものです。だからこそ、データという数字に隠れた“人の動き”を感じてほしいのです。私たちのミッションは「データでありがとうをつくる」ことです。喜んでくれる誰かの笑顔を想像しながら日々尽力しています。皆さんもぜひデータに対する見方を変えて、手触りを感じとってほしいです。 学生新聞2025年4月発刊号 上智大学3年 白坂日葵 東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 白坂日葵/東京薬科大学2年 庄司春菜

東京都知事 小池百合子
経験やひらめき、私の”好き”を大切に、主体的に挑戦する 東京都知事 小池百合子(こいけゆりこ) ■プロフィール1952年兵庫県芦屋市生まれ。カイロ大学文学部社会学科卒業。テレビキャスターを経て、1992年参議院議員当選。1993年から衆議院議員に。環境大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)、防衛大臣、自民党総務会長などを歴任し、2016年東京都知事に就任。現在3期目を務める。 ■学生時代について 私は昔から海外の大学へ進学したいと決めていました。父の本棚にあった中東についての本を目にしたことをきっかけに、エジプトのカイロ大学に留学。英語の他に将来プラスになると思い、アラビア語を選びました。私は「世界の全ての国を周る」夢を抱いていて、留学中も帰国後も、工夫して挑戦しました。訪れた国で必ず1泊するというルールを設け、モロッコやリビアなど、アラブ、アフリカから始めて、1カ国ずつ地図を塗りつぶしていきました。ソビエト連邦が崩壊した際に、夢は断念しましたが、今でも気持ちは変わりません。現場主義ですね。 ■子育て支援や女性が活躍できる環境づくりとは さまざまな調査では、結婚したら子どもは2〜3人欲しいとの答えが多いのですが、実際は子どもは1人で精一杯というのが現状です。出会いから結婚、妊娠・出産、子育て、教育まで、切れ目なく環境を整え、ニーズに沿った選択肢を増やすことで、次の世代を担う人材を育てたいと考えています。また、女性は学校で勉強ができたとしても、社会に出ると重要な仕事を任されない傾向がいまだにあります。性別による固定的な役割分担意識は解消しなければなりません。意思決定の場に女性を増やすためにもこれは重要です。東京都では、あらゆる場面で女性が持てる力を発揮できるよう、”Women in Action” を掲げ、その頭文字WA、つまり女性活躍の「輪」を拡げる取り組みを行っています。都の最大の財産は人です。性別や年齢に関係なく、誰もがやりがいを感じる、共感が生まれる都政にしていきたいですね。 ■学生へのメッセージを 東京都ではスタートアップカンファレンス「SusHi Tech Tokyo」を開催しています。最先端の技術やアイデアで世界共通の都市課題の解決を目指します。2年前にゼロから始めた取り組みですが、早くもアジア最大級に育ちました。次世代を生きる若者の皆さんも、できることから積極的に挑戦し、主体的に生きていってほしい。ビル・ゲイツ氏やイーロン・マスク氏も、初めはガレージや小さな場所からスタートしています。若いときに皆さんが得る経験やひらめきをチャレンジの糧にして、将来の時代の牽引役になってくれることを期待しています。 現代社会は情報が溢れ、世の中の動きも激しい。だからこそ、自分の好きなことが最後の選択として残ります。人生は長い。“自分が好きなことは何か”を立ち止まって考えてみるのもよいと思いますよ。 学生新聞2025年4月号 国立音楽大学4年 岡部満里阿 <中高生新聞 スペシャルインタビュー> 2016年に東京都初の女性知事となり、今期3期目を務める小池百合子知事。知事は「東京大改革」を掲げ、子育て支援策や若者・女性など誰もが活躍できる環境づくり、経済の活性化などに取り組み、「世界で一番の都市・東京」の実現を目指して都政を運営している。このように大車輪で活躍中の知事に、重点政策について伺った。 人こそが最大の財産。誰もがやりがいの持てる社会の実現を! 父の本棚にあった中東についての本を目にしたことをきっかけに、エジプトのカイロ大学に留学しました。私は留学時代はもちろん、帰国後も「世界のすべての国をまわる」夢を抱いてたくさん旅をしました。特に体力がある若いうちは行きづらいところをまわろうと思い、アラブ諸国やアフリカを中心に旅をしました。中東戦争が始まって旅がしにくくなるまでリビア・アルジェリア・モロッコなどの北アフリカ、レバノン・シリア・ヨルダンなどの中東を訪れました。これらの旅を通して学んだことは、現場に行ってみないと分からないことがあまりにも多い。今やテレビやインターネットで知識をつけ、行った気分に浸ることはできます。しかし、その国の人々の生活や考え、においなどは、実際に訪れてみないと分からないと痛感しました。たとえば、当時飢餓が問題になっていたエチオピアに行ったときは、現地のTVでは痩せる体操を放送しており非常に驚きました。同じ国でも支配部族の首都と敵対勢力の地方では全く事情が異なるのです。その後、39歳のときに参議院選に出馬し、議員になるまでに約60カ国は訪問しました。本当はもっと速いペースでまわろうと思っていたのですが、キャスターとして毎日の生放送があったことと、1991年のソビエト連邦崩壊で多数の国家が次々と独立し、ゴールが遠のいたため、断念しました。今でも知らない場所に足を運んでみたいという気持ちは変わりません。政治家になった後も現場主義を大切にしています。 ■人という財産を育てる支援 昔も今も、結婚や子育てを望む人の理想は変わりません。さまざまな調査で子どもは2~3人欲しいとの回答が多い一方、出産・子育てのリスクや負担を懸念し、子どもは1人が精一杯と考える人も増えてきています。現代では共働きが主流となっていますから、男性も女性も育児をしやすい環境を社会全体で整えることが大切です。都では、皆さんの立場やニーズを第一に考え、出会い・結婚、妊娠・出産、子育てといったライフステージを通じたシームレスな支援に力を入れています。これまで、卵子凍結への支援、0歳から18歳のお子さんに月額5000円を支給する018サポート、第2子以降の保育料無償化など、国をも先導するさまざまな支援を次次に打ち出してきました。教育に必要な負担を減らすため、都内の全区市町村での学校給食費の無償化や、高校等授業料の実質無償化にも取り組んでいます。今年9月からは保育料等の無償化を第1子まで拡大するほか、10月には無痛分娩を希望する方への費用助成を始めます。また、妊娠時や出産後などに合計22万円相当の経済的支援を行っており、今年度からこれを5万円分増額します。人こそが東京の最大の財産です。暮らしやすく、学びやすく、子育てしやすい。一人ひとりの自己実現を全力で応援していきます。共感が生まれる都政にしていきたいですね。 ■次世代のイノベーターを育てる いまや時価総額ランキング常連のGAFAMを立ち上げたビル・ゲイツ氏やスティーブ・ジョブズ氏も、最初はガレージからスタートしたと聞きます。日本でも、松下幸之助氏のパナソニックや本田宗一郎氏のHONDAは、小さな町工場から事業を始めました。彼らのように若いうちから自身のひらめきや情熱に従ってチャレンジし、将来の時代を引っ張っていくような若者を育てていきたいと私は考えています。デジタル化で学び方も変わり、学校の選択の幅も広がってきています。こうした教育環境や社会的ニーズの変化などを踏まえながら、自分らしく成長できる、自由で多様な学びをこの東京で展開していきます。また、若い人たちにとって、アントレプレナー(事業をゼロから創り出す起業家や事業家)から直接話を聞く機会は貴重です。都は、昨年からの新たな取り組みとして、アントレプレナーシップ育成プログラム“TIB Students”を実施しており、第一線で活躍するアントレプレナーによる中学・高校での出前授業や、Tokyo Innovation Base(TIB)での講演活動を行っています。TIBは、都が有楽町に設置した国内最大級のスタートアップ支援拠点で、一昨年のプレオープン以降、来場者は14万人を突破。多様な人々が集い、交流する結節点として機能しています。ここにはITAMAEという学生グループも活動していて、都が主催するスタートアップカンファレンス“SusHi Tech Tokyo”の学生パビリオンの企画立案・運営などを行っています。世界で活躍し、イノベーションを生み出す若者たちが、この東京からどんどん育っていってほしいですね。 ■中高生へのメッセージ 自分がこれにチャレンジしてみたいという気持ちを大切に、主体性を持つことが大事だと思います。今の世の中は動きが激しく、情報も溢れています。だからこそ一度立ち止まって、自分は何が好きなのか、何を大事にしているのかを考えてみてほしいです。人生は長いです。ぜひ好きなものを見つけて、素敵な人生を歩んでください。 中高生新聞2025年4月号 法政大学4年 鈴木悠介 法政大学4年 鈴木悠介/N高等学校2年 服部将昌/国立音楽大学4年 岡部満里阿/日本大学4年 鈴木準希/東京大学4年 吉田昂史

キッコーマン株式会社 代表取締役社長CEO 中野 祥三郎
キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料に キッコーマン株式会社 代表取締役社長CEO 中野 祥三郎(なかの しょうざぶろう) 1957年3月生まれ。千葉県出身。1981年、慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了。キッコーマン入社。国内営業、海外勤務などを経て、2011年、常務執行役員経営企画室長。2012年、CFO(最高財務責任者)。2015年、取締役常務執行役員。2019年、代表取締役専務執行役員。2021年、代表取締役社長COO(最高執行責任者)。2023年、代表取締役社長CEO(最高経営責任者)に就任。 60年以上前から海外に進出し、今では100カ国以上でしょうゆを販売しているキッコーマン。しょうゆを世界中で使ってもらうために、地道に続けてきた取り組みや、リーダーシップについて中野社長に伺った。キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料にする挑戦は、これからも続いていくに違いない。 私は大学生の頃から旅が好きでした。お金が貯まると夜行列車に乗って北海道など、遠方へ出かけていました。当時は青函連絡船が本州と北海道を行き来していたり、ローカル線には蒸気機関車が走っていたりと、今では想像もできないような時代です。夜行列車に乗ると、寝ている間に、いつの間にか向かいの席におばあさんが座っていたなどということもありました。このような旅先で出会う風景や人との触れ合いは、普段とは違う視点を与えてくれました。 大学時代は旅行の傍ら、テニスサークルに所属したり、新聞社の原稿取りのアルバイトをしたりと、興味の赴くままに行動していました。原稿を受け取りに都庁やホテルに行くのは、単純作業ながら責任の重い仕事でした。締め切り時間に遅れることは許されず、期限内にきちんと原稿を届ける粘り強さが要求された仕事だったと思っています。 私の家系は、江戸時代から続く野田・流山の醸造家が合同して誕生した野田醤油(現・キッコーマン)の創業家一族です。もっとも私は次男であり、就職先として金融機関などを考えていました。しかし、兄が体調を崩したことで私がキッコーマンに入社することになり、経営を学ぶために慶應義塾大学の大学院へ進んだのです。そこでは年上の社会人学生と一緒に、ケーススタディを中心としたビジネス論を学びました。ビジネススクールでは実地経験の豊富なクラスメイトとの議論を通じて、多角的に物事を考える視点を得られたと思います。 ◾️アメリカでの挑戦と社長の仕事 入社後は国内営業を経験し、30歳の頃にアメリカ西海岸へ赴任しました。今ではアメリカでもキッコーマンのしょうゆは広く受け入れられていますが、当時はまだ規模も小さく、まさに「じわじわと広げていく」段階でした。 現地の人は自分の意見を率直に主張します。給料や労働条件についても遠慮なく話し合う文化は、日本とは大きく異なる点でしたが、そこに違和感を覚えるよりも「何でもストレートに言い合うって面白い」と感じました。 アメリカに本格的に進出した当初より、しょうゆを「日本食限定の調味料」と捉えず、アメリカでよく食べられている肉料理や家庭の定番メニューにとり入れてもらう提案を続けていました。たとえば、魚の照り焼きを発想源として、アメリカの食卓で親しまれている牛肉や鶏肉を照り焼き風にするレシピを提案するのです。そうすると違和感なく受け入れてもらえ、現地の人たちにも好評でした。レシピ開発と試食販売という地道な活動を重ねた結果、しょうゆの認知度はじわじわと高まり、今ではアメリカの家庭用しょうゆのシェアの半分以上をキッコーマンが占めるようになりました。 私がキッコーマンの社長になったのは、今から数年ほど前のことです。ちょうどコロナ禍の時期と重なり、出張や社外行事が激減する一方で、社内に向き合う時間が増えました。そこで始めたのが、マネジャークラスを対象にした対話セッションです。営業や研究、製造など、異なる部門の管理職が一堂に集まり、会社全体のビジョンをどう自分たちの部署や仕事に落とし込むかを発表し合いました。 セッションでは、自分たちが2030年にどんな組織やチーム、成果を目指すのかを共有しました。他部署の事例から学び、時には「そのやり方はうちでも応用できそうだ」とヒントを得ることもあったと聞いています。会社全体の風土を育てるには、トップダウンだけでなく、こうした対話の積み重ねが必要だと改めて実感しています。 ◾️世界中の人たちが豊かで健康的に キッコーマンの海外展開は、アメリカや欧州だけにとどまりません。アジア各国はもちろん、南米やインド、アフリカでの挑戦もはじめています。キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料にするために、まだまだ多くの国や地域でしょうゆを使っていただく提案を続ける必要があると考えています。 しょうゆは重く単価が低い商品ですから、効率を考えると各地に工場をつくり、現地で生産し、現地で売るという形が望ましいのです。現在は海外の生産拠点が8カ所になり、さらにアメリカに9つ目の新工場も建設中です。世界中の人たちが我々の商品を使って豊かで健康的な生活を送ってほしいですね。そのために地道にレシピ開発と試食販売を続けながら、現地の食文化に合わせたしょうゆの使い方を提案することで、長く親しまれる商品になっていくと信じています。これは5年、10年ではなく30年、50年のスパンでじわじわと広まっていけばいいなと考えています。 *message* これから社会に出る学生の皆さんには、「今、自分がなにをやりたいか」という強い思いを持ってほしいです。それはずっと変わらないものでなくてもいいです。とにかくそれに向けて学んだり、いろいろな経験をしたり、挑戦していくことで一生懸命自分を磨いてほしいと思います。また、企業に入ると自分一人で行動するのではなく、「組織の力を活かす」ことが大切です。そのためには柔軟性を持つことも必要です。その上でそれぞれの目標に向かって粘り強く進んでいく人が成功するのではないかと思います。 学生新聞2025年4月発刊号 東京大学4年 吉田昂史 立教大学 4 年 緒方成菜/国際基督教大学2 年 若生真衣/城西国際大学 1年 渡部優理絵/上智大学 3 年 網江ひなた/東京大学4 年 吉田昂史

俳優 向井理
地道に努力することで初めて見られる景色がある 俳優 向井理(むかいおさむ) ■プロフィール1982年生まれ。神奈川県出身。『白夜行』(06)で俳優デビュー。近年の出演作にドラマ『パリピ孔明』(23)、『エンジェルフライト』(23)、『ダブルチート 偽りの警官 Season1』(24)、『ライオンの隠れ家』(24)、映画『イチケイのカラス』(23)などがある。 ◆大学時代から変わらないことはありますか ゴールから逆算して考える癖がついたことですかね。大学では遺伝子工学を勉強していて実験が多かったので、導き出したい答えのために何をするべきか、短期・中期・長期的に考えていました。いきなりゴールにワープはできないので、今できることでゴールにつながるものは何かを考える。これは役作りにもつながっています。たとえば時代劇をやるなら所作が必要だし、立ち回りをやるなら日本舞踊をした方がいいよね、というように考えます。直接ゴールに結びつかないとしても、中間地点につながる何かを見つけて地道に努力することは、大学時代と変わっていないのかもしれません。 ◆お仕事で大事にされている思いを教えてください 真面目にしかも必死でやることです。この仕事は自分を選んでもらうところから始まります。そこで一度“選別”が行われていることになります。選んでいただいた期待や信用に必死になって応えていきたいと思っています。たとえば、料理をする役のときは、料理学校に通って手元の作業もできるようになることで、手元の寄りから引きに流れるシーンも撮影できます。引きと寄りのカットが別の人で撮る場合もありますが、僕はそれだと自分がやる意味がないと感じています。プロとして自分にしかできない仕事をしていきたいですね。 ◆映画『パリピ孔明 THE MOVIE』の魅力を教えてください この映画は今までにないクオリティの音楽映画であるところです。ラップやバラードなどいろいろなジャンルの最前線を走っている方の協力があって、音楽フェスとして楽しめるほどです。観客もCGではなくて実際に入ってもらっているので熱気もリアルです。音響の良い映画館ではより音が響いていい意味で音楽の攻撃性が増すと感じています。それと同時に、撮影では孔明と英子の絆を描くドラマパートも重視していました。この作品の軸は二人の関係性で、ここがきちんと描かれるからこそ作品として深みが出て面白くなると思っていたからです。だからこそ、孔明と英子の間には絶対に恋愛要素を入れたくないと思っていました。英子を演じる上白石萌歌ちゃんと「孔明と英子はプラトニックな関係性だよね、とすら思われないようにしよう」と話したこともあります。異性関係ではなく、信頼関係を描きたかったので、見つめ合うシーンや喧嘩のシーンもラブが入らないよう意識していました。 ◆学生へのメッセージをお願いします 大学は社会に出る前の最後の学習の場だと思うので、一つでも多くの体験をしてほしいです。知識として将来に活きなくても、何かのきっかけで話のネタになるかもしれないし、仕事につながるかもしれない。失敗しないと見えてこないこともあるので、今しかできないことに挑戦してみてください。 ◆取材を終えて 「真面目に必死にやること」は、シンプルなだけになかなかできないことだと思います。向井さんは一つひとつの仕事の縁を大切にされていて、言葉の端々から仕事への責任感と愛情を感じ、尊敬の気持ちでいっぱいになりました。 学生新聞2025年4月号 智大学3年 吉川みなみ 映画『パリピ孔明 THE MOVIE』 4月25日(金)全国公開製作:フジテレビジョン 松竹 講談社FNS27社配給:松竹Ⓒ四葉夕ト・小川亮/講談社Ⓒ2025『 パリピ孔明 THE MOVIE』製作委員会 東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 吉川みなみ/東洋大学3年 太田風華 カメラマン 下田航輔 / ヘアメイク:中村了太 / スタイリング:外山由香里

株式会社Integral Geometry Science 代表取締役 木村建次郎
人類の課題を数学の力で解決し、より良い世界を目指す! 株式会社Integral Geometry Science 代表取締役 木村建次郎(きむら けんじろう) ■プロフィール10年の歳月をかけて、応用数学史上の未解決問題である「波動散乱の逆問題」を世界で初めて解決することに成功。散らばった波の波紋から物体の立体構造を瞬時に再構成することが可能となり、“人間がものをみること”の根本概念を覆す、数々の観測技術の開発・実現に貢献してきた。散乱場理論をコアテクノロジーとして、医療、エネルギー、インフラ、安全保障等の分野にまで革新をたらすべく、不断の挑戦をし続けている。 数学の力で物体を透視し、数々の社会課題を解決するIGS。代表取締役である木村建次郎さんは、応用数学史上の未解決問題を世界で初めて解決し、革新的な技術を社会に提供しています。そんな木村さんに、起業に至るまでの道のりや研究の魅力、そして未来への壮大な挑戦についてお話を伺いました。 ◾️数学との出会い、そして京都大学へ 子どもの頃は、画家に憧れていました。通っていた小学校は、倉敷市の小さな学校でした。近所には風景画を描く先生が住んでいて、いつも大きな犬を連れて旅をしながら絵を描いていました。その自由気ままな生活に憧れ、芸術系の仕事を目指していたのです。しかし、中学生の頃にNHKの宇宙ロケットが発射される番組を観て、「カッコいいな」と感じたことから、宇宙工学を志すようになりました。宇宙工学を学ぶには、日本では東京大学や京都大学が最適らしいと知り、そこから4年間、1日3時間しか眠らず勉強に打ち込みました。その中で数学の面白さに気づき、次第に興味が移っていきました。親から「数学を世の中の役に立つ形で活用しなさい」と助言を受け、最終的に理学部数学科ではなく、工学部を志望することにしました。そして、無事に京都大学工学部への入学を果たしました。 大学在学中は、勉強にも遊びにも全力投球でした(笑)。学者としての基礎を築くために、3,000ページの物理の本を読み、数学の分厚い問題集を次々と解いていました。また、話のネタを増やすために、数えきれないほどのアルバイトを経験しました。アルバイトを通じて、人とのコミュニケーション能力もさらに磨かれたと思います。さらに、自分たちでテニスサークルを立ち上げるなど、積極的に活動していました。こうした忙しい学生生活を送る中で、自然と時間管理が上手になったと思います。また、自分は何かをゼロから始めることが好きなんだと気づくようになりました。 ◾️論文との戦い、その悔しさから起業へ 大学のゼミでは、原子やナノスケールで可視化できる顕微鏡を専門に研究している先生の指導を受けるゼミに入りました。研究内容としては、半導体に焦点を当て、その内部構造を透視するための理論や技術の開発に取り組んでいました。当時、半導体の開発において、半導体の「ナノ」の世界で何が起こっているのかがわからないため、どうすればより良いものを作れるのかがわからないという状況でした。そのため、半導体の中で何が起こっているのかを透視する技術が強く求められており、それをテーマに据えて研究を行っていました。 研究の世界では、論文の発表が非常に重要です。同じ研究内容であっても、先に論文を出した方に権威が与えられるからです。過去に一度、論文を提出したものの却下され、その後、海外で同じ内容が発表されたことがありました。その時は、とても悔しい思いをしましたね。その経験から、「論文が絶対」という現状に疑問を抱くようになりました。そして、特許を取る方が合理的ではないかと考えました。ただし、特許を取得するには資金が必要です。そんな時、教授から「会社を作ってみてはどうか」とアドバイスを受けたのが、起業のきっかけです。私たちの強みは、やはり特許を取得していることです。他社に模倣されない独自の技術を持っている点は、大きな優位性だと感じています。 透視したいと思っていたのは、大学にはいるよりもずっと以前でした。子供の夢のようなものですね。実は、いま私が開発しているあらゆる製品の原理、透視の原理は、理科と数学、特に幾何学が大好きだった子供のころに、想像していた世界のイメージがもとになっています。“世界は虫食いだらけ”、“世界は多角形で埋め尽くされている”という考えです。 いま僕は5人の子供を育てていて、大学でも多くの学生に授業をしていますが、本当に幼い頃の感性というのは後の人生のあらゆるシーンに影響を与えると思います。自分の感性を、本当に大切にしてほしいと思います。 ◾️数学の魅力、そして描く未来 数学の魅力は、その厳密さと課題解決力にあります。数学的に証明されているもの以上に確かなものはなく、世の中にある無駄や非合理を最適化・効率化することが数学の役目です。技術が追いつかないジレンマを解決できる点こそ、数学の持つ大きな可能性だと感じます。課題を見つけ、それを解明していく過程は非常に楽しく、まさに「好きだからこそできる仕事」です。もちろん、上手くいかないこともありますが、複数の事業を同時に進めることで成功の確率を高めています。 私たちの会社では、愚直に努力できる人を歓迎します。成果主義を採用しているため、迅速に行動できる人が活躍しています。「理想の組織」とは、効率よく、本能的に動ける状態を指します。また、研究においては時に無給での活動が求められるため、厳しい状況でも前に進める覚悟が必要です。その覚悟がある人こそが成功すると考えています。 将来的には、脳の構造を解明したいという大きな夢を抱えています。やりたいことが尽きることはなく、今の会社(約400億円規模)を5年以内に1兆円規模へ成長させることもその一環です。最終的な目標は、人が自分の死のタイミングを選べる権利を持つ社会を作ること。そのためにも、この世から理不尽な死をなくしたいと強く願っています。 ◾️大学生へのメッセージ 「好き」と「得意」は分けて考えるのが良いと思います。得意なことは続けていくうちに、だんだん好きになっていくものです。そして、自分のアイデアを活かせる分野こそ、最終的に楽しめる場になるのではないでしょうか。お金持ちになることがゴールだとは思いません。その人の構想に見合った額のお金を持つべきだと考えています。お金は、世の中のために使える人が持つべきものです。そして、大事なことに取り組んでいれば、後から自然とお金はついてくるものです。やりたいことが見つからない人は、まず指示してくれる人がいる場所に身を置いてみるのが良いでしょう。得意なことや好きなことがまだ見つかっていない人は、とにかく外に出て、自分の知らない世界を減らす努力をしてみてください。 学生新聞オンライン2024年10月28日取材 立教大学4年 緒方成菜 上智大学3年 網江ひなた / 立教大学4年 緒方成菜
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株式会社 U‐NEXT HOLDINGS 人事統括部 採用戦略部長 野村大河
株式会社 U‐NEXT HOLDINGS 人事統括部 採用戦略部長 野村大河(のむらたいが) ■プロフィール2009年、株式会社USENに新卒入社。企業向けネットワーク・セキュリティ・クラウドなどのICTソリューション営業に従事。その後、組織マネジメントや新規事業の立ち上げ、オフィスBGMの事業責任者を経て、2023年より、採用戦略部長に就任。現在は新卒とキャリアの採用責任者として戦略策定に尽力している。 動画配信の「U‐NEXT」、店舗BGMやDX化を推進する「USEN」など、エンタメ×テクノロジーで多様なビジネスを展開。世の中をもっと面白く、新たな価値を提供。 ※取材協力/新卒採用Unitマネージャー 川上若菜 ■事業の特徴を教えてください USEN&U–NEXT GROUPは、持ち株会社であるU–NEXT HOLDINGSと、USENやU–NEXTなど傘下の事業会社29社から成り立つ企業グループです。もともとは「有線音楽放送」という店舗BGMの会社として1961年に創業したのが始まりです。現在はコンテンツ配信、店舗・施設ソリューション、通信・エネルギー、金融・不動産・グローバルなど、多岐にわたる事業を展開しています。当社グループでは、どの事業においても、常に「社会課題の解決」という共通の目的を持っています。お客様の生活に直接触れ合う機会も多く、誰かの役に立てていることを実感できるとやりがいを感じます。今後もお客様に寄り添いながら事業に取り組んでいきます。 ■求める学生像を教えてください さまざまな事業を手がけていますので、好奇心旺盛で物事を多角的に捉えられる方を求めています。また、今まで培ってきたことを素養にして、そこからどんどん変化していける方が良いですね。変化できる人はさまざまなことに興味があるため情報感度が高く、誠実さも持ち合わせていると思います。面接では話している内容だけでなく、その方が持つ人となりや表情など「素の面」を重視して見ています。スキルがあるかどうかよりも「自分らしさ」をいかに表現できるかが鍵になります。就職活動に取り組むなかで、対話や内省を繰り返しながら本来の自分に対する理解を深めることで、視野や視点が変わり、表面的ではない本質的な質問の意図を汲み取れるようになると思っています。また、日常生活のなかでもスピード感を持ってアクションを起こすことを意識できる方は成長が早いです。 ■学生へのメッセージを 就職活動は学生と企業のマッチングのようなものだと思います。内定まで困難なことも多いでしょうが、是非楽しみながら、企業や社会を知って、面接ではイキイキとした姿を見せていただきたいです。また、家族や友人、周りの方々との対話も大事にし、自分の人生を振り返りながら「本当の自分」を見つけるきっかけにしてみてください。 学生新聞2025年4月号 国際基督教大学2年 若生真衣

日本テレビ放送網株式会社 人事局人事部主任 秋山雅美
日本テレビ放送網株式会社 人事局人事部主任 秋山雅美(あきやままさみ) ■プロフィール 2008年日本テレビ入社。スポーツ局でディレクターとして野球や柔道、フィギュアスケートを担当し、オリンピックや大型スポーツイベントの現地取材などを多数経験。Going! のプロデューサーを経て、2022年より人事局人事部で新卒採用などを担当。 テレビ局は今、変革のとき。安全かつ正確な放送が使命なのはもちろん、地上波だけでなく配信やイベント、舞台、映画…。「多様なコンテンツの創造」を目指している。 ■業界の特徴を教えてください 業界の魅力は「文化」を創り出せることです。学校や職場の話題の中心になったり、社会現象の発端になったりもします。日本テレビでは今、「コンテンツ中心主義」を掲げています。テレビ離れと言われる昨今、実は「コンテンツ」自体は以前に増して求められており、出口がテレビだけでなくSNSや配信プラットフォームなど多様化してきているといったほうが良いかもしれません。また、海外マーケットでのフォーマット販売・コンテンツ販売にも力を入れており、『マネーの虎』や『はじめてのおつかい』など、世界中にそのフォーマットを販売しているコンテンツもあります。当社では常に良質なコンテンツをマス向けに作ることを意識しています。日本中の人たちに楽しんでもらえるように、また、安心して見ていただけるような信頼されるコンテンツ作りが一番だと考えています。 ■求める学生像を教えてください 1つ目は「普通の感覚」を持った人を求めています。マス向けに仕事をしているからこそ一般的な考え方、人の気持ちに寄り添える「人間力」のある人を求めています。また、テレビの仕事はチームワークが大切です。個人の能力よりもチームでいかに仕事ができるかが問われています。24時間テレビや箱根駅伝などは1000人以上のスタッフがかかわって仕事をしています。 2つ目は「課題解決力」のある人です。24時間、番組を放送しているからこそ問題を瞬時に解決できる力が必要です。最後の3つ目は「熱量を持って好きを突き詰めていける人」です。放送は締切があるものなので、追いつめられる瞬間もあります。いいものを作りたいという熱量を持って細部にこだわる人は、同時に“これのためなら”と最後まで諦めないタフな人でもあると思います。当社は若い人の成長を全力でサポートする体制があります。安心して仕事ができると思います。 ■学生へのメッセージを 学生らしいことをたくさんしてほしいです。アルバイトや旅行、テレビを見るなど、いろんなインプットをしてください。妄想、空想、想像することは将来すごく力になると思います。そして、気軽にエントリーしてほしいです。あなたの好きを仕事にできることが日本テレビには必ずあります。 学生新聞2025年4月号 東洋大学3年 橋本千咲 東洋大学3年 橋本千咲/東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 網江ひなた

東急株式会社 取締役社長 社長執行役員 堀江 正博
開発地域の価値を高める、比類なき東急のまちづくり 東急株式会社 取締役社長 社長執行役員 堀江 正博(ほりえ まさひろ) 1961年、福岡県生まれ。1984年に慶應義塾大学卒業後、東京急行電鉄(現:東急)入社。2002年、東急リアル・エステート・インベストメント・マネジメント社長。2003年、東急リアル・エステート投資法人執行役員(代表)。2015年、東京急行電鉄執行役員生活創造本部リテール事業部長。2016年、取締役執行役員生活創造本部リテール事業部長。2020年、取締役執行役員ビル運営事業部長。2022年、取締役常務執行役員を経て2023年6月、社長就任。 鉄道と不動産を中心に、スケールの大きなまちづくりを長期的な視点で手掛ける東急。多様な事業を展開する東急グループだが、その地域コングロマリット型経営について、トップとして舵を取る堀江社長に学生時代の経験や東急入社の決め手、まちづくりにかける想いなど東急の今後の展望とともにお話を伺った。 私は慶應義塾大学法学部出身ですが、在学中は体育会競走部に所属し、短距離走を専門とする選手でした。特に400メートルリレーには力を入れ、インカレ2位、日本選手権3位という成績を収めました。しかし、当時の筑波大学は圧倒的な強さを誇り、日本代表のリレーチームのほとんどが筑波の選手で構成されていました。勝つことの難しさを痛感すると同時に、強い相手と競い合うことの面白さを学びました。 在学中は競技だけでは飽き足らず、「関東法学部学生親善陸上競技大会」という公認大会を立ち上げました。これは体育会、同好会を問わず参加できる大会で、多くの学生アスリートに挑戦の機会を提供することが目的でした。キャッチフレーズは「健全なリーガルマインドは健全な肉体に宿る」。運営にはスポンサー集め、競技場や審判団の手配など多くの困難がありましたが、それを乗り越えた経験は、社会に出てからのキャリアにも活きています。 また、学業にも力を入れ、政治・経済・社会学など幅広い分野について学びました。当時から将来的には企業の経営に関わる仕事をしたいと考えていました。 ◾️東急を就職先に選んだ理由 東急を志望する決め手となったのは、まちづくりや生活サービス事業など、鉄道以外にもさまざまな事業領域で仕事ができることに魅力を感じたからです。入社後の配属面談では「10年間で5カ所異動したい」という希望を出し、鉄道部門で駅務や車掌を経験し、その後、不動産、ホテル、リテール事業と多岐にわたる部門を経験しました。こうして多様な業種を経験することで経営の全体像を学ぶことができました。 ◾️東急グループの経営の特徴 東急の特徴は「地域コングロマリット型経営」です。鉄道、不動産、リテール、ホテル、エンタメなど多様な事業が相互に連係しながら発展しています。たとえば、鉄道の沿線開発が進むことで人口が増加し不動産価値が向上、商業施設やエンタメ施設の需要が高まるといった好循環を生み出します。そのため、業種が異なっても配属された部署に柔軟に適応し、前向きに挑戦する姿勢が求められます。私は「どんな部署でも学びがあり、経験は必ず将来に活きる」と考えています。 また、一般的に鉄道会社としての印象が強かった東急ですが、実際は、単なる鉄道会社ではなく、まちづくり全体に関与する企業です。都市開発に携わる仕事に魅力を感じて入社し、まちづくりの最前線で働くことのやりがいを認識しました。私のキャリアの中で特に印象的だったのは、都市開発や再開発に携わったことです。再開発を進める際には、地域の状況を把握しながら適切な計画を立てることが重要です。まちづくりは単なる建物の建設ではなく、周囲の環境や交通、商業施設とのバランスを考えながら進めていくものです。地域の課題を解決しながら、そこに住む人々の暮らしをより豊かにすることが、まちづくりに携わる者の使命だと考えています。 ◾️まちづくり会社としての東急 東急は鉄道と不動産開発を核としながら、商業施設や住環境の整備を一体的に進め、渋谷や沿線といったエリアに長期的に関与することを特徴としています。たとえば、渋谷の再開発では鉄道、オフィス、商業施設、ホテル、エンタメなど多様な要素を組み合わせて、まち全体の価値向上を目指して開発を行います。また、コロナ禍のさなか、新宿では東急歌舞伎町タワーを建設し開業にこぎつけました。インバウンド需要を見据えた施設設計、文化・芸術を取り入れたイベントの開催など、あらゆる角度からまちづくりを行い、まち全体の付加価値を上げるべくさまざまに取り組んでいます。 当社は「循環再投資モデル」を採用し、商業施設やインフラの収益をまちの発展に再投資することで、長期的な視点で地域の価値を向上させる戦略性を有しています。この長期的な視点を持った都市開発こそが、東急のまちづくりの強みであり、企業としての独自性を際立たせる要素です。そのため、単に建物を建てるだけでなく、鉄道やバス、オフィス、商業施設、住宅などあらゆる用途の利便性向上に努め、まちの魅力を持続的に高めています。 *message* 最後に、大学生の皆さんに伝えたいことが3つあります。1つ目は、「海外や地方を巡り、視野を広げてほしい」ことです。社会人になるとまとまった時間を取るのが難しくなります。今のうちに多様な文化や価値観に触れる経験を積んでください。2つ目は、「さまざまなアルバイトを経験してほしい」ことです。社会に出てからの仕事と共通する部分が多くあると思います。実践的な経験は、どんな業界に進んでも役立ちます。3つ目は、「20代はじっくりと仕事に向き合う」ことです。最初の会社でしっかりと経験を積み、専門性を磨くことが将来的なキャリアの基盤となります。すぐに転職するつもりで働くのではなく、まずは目の前の仕事に全力で取り組み、自分の価値を高めることが重要です。 どんな経験も糧になります。皆さんの挑戦が、未来のまちづくりや社会の発展につながることを期待しています。 学生新聞2025年4月発刊号 慶應義塾大学3年 能願結 武蔵野大学4年 西山流生/慶應義塾大学3年 能願結

「新しい東武カード」発表会&アンバサダー就任記念イベント
左:公式アンバサダー 松下雄一郎さん/右:マッスル応援ゲスト 武田真治さん 東武マーケティング株式会社(本社:東京都豊島区、代表:鈴木熊野)は4月3日(木)、東京スカイツリーイーストタワー(東京都墨田区)にて、「新しい東武カード」発表会&アンバサダー就任記念イベントを開催しました。東武カードの誕生から40年を迎える節目に「スタイリッシュ&パワフル」をテーマに、新しい「東武カード」が、5月29日(木)より発行が開始します。イベントゲストには、公式アンバサダーに就任したタレントでフィットネスモデルの松下雄一郎さん、マッスル応援ゲストとしてタレントの武田真治さんが登壇しました。 ◾️東武マーケティング株式会社 代表取締役 鈴木熊野 新しい東武カードに構想3年、実準備3年、実に6年の歳月をかけて準備してまいりました。東武ポイントが始まったのが、2020年11月ですので、東武カードは東武ポイントが始まる前から裏側で準備を始めています。その当時から決めていたコンセプトが「スタイリッシュ&パワフル」です。それは、縦型のカードにスカイツリーが描かれたスタイリッシュなデザイン、そしてポイントは最大の還元率にすることを決めていました。 ◾️ アンバサダー 松下雄一郎 / 応援ゲスト 武田真治 松下:「今回、東武カードさんのテーマが“スタイリッシュ&パワフル”ということで、お声がけいただきました。実はこのCM撮影のために15キロダイエットをした上で臨み、編集前の素材を見て自分でも『いいな』と思うくらいの筋肉の隆起だったんですけれども、編集していただいたら大分ソフトになっていて、逆に名誉だなと感じました。本当に魅力あふれるパワーアップした東武カードなので、その魅力を1人でも多くの方にお届けできるように頑張って活動していきたいなと思います!」 松下:「脂っこい食事を控えて、コツコツと毎日1~2時間のトレーニングを積み重ねています。」 武田:「やっぱり、やってみたいことや、自分がやりたいなと思うことを日々楽しみながら生活の中に取り込むことで、スタイリッシュ&パワフルな人間になっていられると思います。」 武田:「今までポイントのことやカードのことをよくわかっていなかったんですけど、いろいろ勉強になりました。この東武カードを持ってポイントを貯めて、ますます楽しい豊かな生活を送りたいと思います!」 松下:「東武カードがパワーアップ!」 学生新聞オンライン2025年4月3日取材 昭和女子大学2年 阿部瑠璃香/城西国際大学2年 渡部優理絵

第83期名人戦 七番勝負 第1局(藤井聡太名人 対 永瀬拓矢九段)前夜祭
2025年4月9日(水)・10日(木)、ホテル椿山荘東京にて、第83期名人戦(毎日新聞社、朝日新聞社、日本将棋連盟主催)第一局が開催されるにあたり、前日前夜祭が行われた。対戦前の藤井さん、永瀬さんの意気込みを伺った。 ■永瀬拓矢九段 (ながせ たくや) 対局の舞台となる椿山荘様には何度か伺わせていただいておりまして、第73期名人戦第一局では羽生先生と行方先生の対局を一日検討して勉強していました。感想戦は対局室で拝見させていただいたので対局室に入るのは二度目ですが、今回は勉強ではなく対局者として挑みますので重さが違うなと思っています。名人戦は、歴史・重み・伝統があります。藤井名人とは3月まで王将戦で教えていただいておりまして、2日制でしか経験出来ない経験をたくさんすることが出来ました。名人戦は棋界最長9時間という、初めて経験する持ち時間となります。一局でも多く指せればと思います。 ■藤井聡太名人(ふじい そうた) 椿山荘に来て、いよいよ名人戦が始まるのだなということを実感しております。永瀬九段とは1月から3月まで王将戦の方でも対戦をしていて、色々勉強になる経験が出来たと感じています。今回の名人戦ではその経験を生かしたいと思っています。また、持ち時間が公式の中で最も長い9時間での対局になりますので一手一手をより深く考えて、シリーズを通して面白い将棋を指していけるように全力を尽くしたいと思います。
2025年4月9日(水)・10日(木)、ホテル椿山荘東京にて、第83期名人戦(毎日新聞社、朝日新聞社、日本将棋連盟主催)第一局が開催されるにあたり、前日前夜祭が行われた。対戦前の藤井さん、永瀬さんの意気込みを伺った。 ■永瀬拓矢九段 (ながせ たくや) 対局の舞台となる椿山荘様には何度か伺わせていただいておりまして、第73期名人戦第一局では羽生先生と行方先生の対局を一日検討して勉強していました。感想戦は対局室で拝見させていただいたので対局室に入るのは二度目ですが、今回は勉強ではなく対局者として挑みますので重さが違うなと思っています。名人戦は、歴史・重み・伝統があります。藤井名人とは3月まで王将戦で教えていただいておりまして、2日制でしか経験出来ない経験をたくさんすることが出来ました。名人戦は棋界最長9時間という、初めて経験する持ち時間となります。一局でも多く指せればと思います。 ■藤井聡太名人(ふじい そうた) 椿山荘に来て、いよいよ名人戦が始まるのだなということを実感しております。永瀬九段とは1月から3月まで王将戦の方でも対戦をしていて、色々勉強になる経験が出来たと感じています。今回の名人戦ではその経験を生かしたいと思っています。また、持ち時間が公式の中で最も長い9時間での対局になりますので一手一手をより深く考えて、シリーズを通して面白い将棋を指していけるように全力を尽くしたいと思います。

テリー伊藤 コラムVol.48 祇園で舞妓さん、芸妓さんと会った
大学時代の友人に会うため、久しぶりに京都に行って来た。年始めの同窓会に各地から旧友が京都に集合し大変な盛り上がりを見せた。普段なら食事をするだけの集いだが、その後に豪華に老舗料亭に向かう事に。「一見さんお断り」の由緒あるお店、京都在住の地元で名士の学友のおかげで有難い事に入ることが出来た。料亭までの道中も祇園の街も観光客で凄い混雑。人波をかき分けやっとのことで到着。しかし一歩暖簾をくぐるとそこは別次元。100年を越す格式ある佇まいは、江戸時代にタイムスリップしたと思える静寂さ。きしみ音のする階段を上り私達は2階のお座敷に案内された。 暫くすると襖が開き「おいでやす」の挨拶で静々と登場した舞妓さん、芸妓さんに一同大歓声。お酒も飲めず、遊び方も知らない私は失礼にもいきなりの質問攻め。「どうして舞妓さんを志したの」「出身地は何処」「修行は大変では」「辛いことは」「将来の夢は」と場の空気も読まずにまるで芸能レポーターのように矢継ぎ早に聞いてしまった。二人は嫌な顔ひとつせずにおっとりとした祇園言葉で答えてくれた。芸妓さんは高知、舞妓さんは茨城の出身で、共に中学時代に「都をどり」を見てこの道に入ろうと決意したそう。これって甲子園大会を見て将来プロ野球の選手になりたいのと一緒じゃないか。動機がわかり易くていい。祇園言葉を覚えることはとても大変だったようで、特に東北育ちにはイントネーションで苦労するらしい。困惑するのは、各料亭に向かう道中や横断歩道待ちで外国人観光客に強引に写真を撮られる事のようだ。心配なのは、舞妓さんのなり手が年々減少している事と顔を曇らせた。現在京都の舞妓さんはたった11名しかいないらしい。3年から5年の舞妓時代を経て芸妓さんになるのだが、先ずは舞妓さんになるための見習い期間として1年の仕込み時代があり、この時に辞めてしまう少女も多いそう。この4月に沢山の新人さんが入ってくれるのを期待していると、その表情は真剣にそのもの。 話を聞いて俄然関心が湧いてきた。応援したくなる。高級料亭に行ける身分ではないが、舞妓さん希望者がそんなに少ないのは困る。日本文化の継承を手助けしたい。宴の最後は先輩芸妓さんの三味線の音色に合わせて2人の舞いを見せて貰った。これが素晴らしく美しい。格式ある座敷で見ていると、まるで討ち入り前に祇園で遊興した大石内蔵助になった気分に。この奥深い遊びこそ日本の伝統文化に違いない。 如何ですか、貴方の周りに舞妓さん、芸妓さんに興味のある方はいらっしゃいませんか。先ずは4月に京都で開催される「都をどり」を見に行きませんか。人生変わりますよ。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

株式会社立飛ホールディングス 取締役広報部長 上保達雄
利益は二の次に地域に貢献を第一に。 株式会社立飛ホールディングス 取締役広報部長 上保達雄(うわぼたつお) ■プロフィール1969年8月3日生まれ、東京都出身。1993年立飛企業株式会社入社。2012年のグループ再編後、株式会社立飛ホールディングス広報部長を経て、2024年に現職就任。 東京都立川市の約25分の1の約98万㎡の敷地を所有する立飛グループ。立川飛行機を前身に、現在は立川市で不動産賃貸・開発を中心に地域社会の発展のための事業展開を行っている。教育・文化・芸術・スポーツにも力を入れている立飛ホールディングスの魅力を取締役広報部長である上保達雄氏に伺った。 ■学生時代に培った現代の感覚 私の実家は、学生時代そろばん塾を経営しており、週4日、昼の15時から19時30分くらいまで授業を行っていました。私もそろばんの資格を持っていたので、大学の授業が早く終わった時には18時30分くらいまで塾の手伝いをしていましたが、当時様々な子ども達に教えていたので、自分の中でも知らぬうちに子供たちの性格を見ながら教えるという感覚が身についていきました。現代では、パワハラなど様々なハラスメントが問題になっていますが当時からハラスメントへの意識が備わっていたように思います。 ■当時では珍しい定時始業・定時終業 大学を卒業する頃は、ちょうど就職氷河期の初めでした。当初は安定した公務員を目指していましたが、偶然、学校の就職課の方に立飛企業(現在の立飛ホールディングス)を勧められましたので、自分で調べたり、家族に相談したりしたところ、とても良い会社だと感じて入社試験を受け、無事試験に合格し入社することができました。入社して先ず驚いたのは、勤務時間についてです。就業時間は基本的に8時30分から17時までですが、一部を除いて、ほとんどの社員が17時には退社していたのです。私は現場採用だったので施設管理を行っていましたが、その業務でさえも17時になると上司から「早く帰るように」と促されていました。さらに驚いたことは、私の勤めていた隣の部署では17時5分になると部屋の照明が消され、みんな一斉に帰宅していたこと。早く帰れるのはもちろん良いことなのですが、一方で「こんな早く帰っていいものか」と複雑な心境もありました。 ■経験を活かした部署の異動 施設管理の部署の後、グループ会社や不動産部で経験を積み、財務広報企画部を経て、現在では広報部を担当しています。不動産部に所属していた時には、当時100社ほどいるテナントの担当者の方と契約交渉や日々の窓口として、対応していました。テナントの担当者の方から賃貸している物件の不具合やテナント工事として先方で造作を検討する際など、さまざまな相談を受けることがありましたが、前部署で施設管理の業務を行っていた経験が活かされ、素早い回答ができたこともありましたので、自分にとって自信となりました。その後、財務広報企画部に配属された際は、会社の収入と支出のしくみを理解することができ、当時当社の収入の大半であったテナントからの賃料収入がどのように使われていくのかを知り、大きく成長できたと感じています。現在の広報部門では、メディアとのリレーション構築や会社のブランディング、会社の様々な情報を広く伝えることを主に行っています。会社のことを伝えるには、自分自身が自社のことをよく知っている必要があるので、過去に様々な部署を経験したことで得た知識は、会社の魅力を伝える上で大きな武器になっていると感じます。 ■立飛ホールディングスの魅力 立飛グループは立川駅の北側に約98万㎡の敷地をほぼ一体となって所有しており、その敷地の真中には多摩モノレールの駅が二つもあります。その一つが立飛駅と名づけられており、大変珍しいことのようです。立川市にこれだけの広大な社有地があるからこそ、ららぽーと立川立飛やアリーナ立川立飛、グリーンスプリングスなどの施設を我々の意思で開発することができますが、独自でこれほどまでに多様な施設を開発できる会社は、あまりないと思います。また、立飛では年齢や経験に関係なく、積極的に大きな事業に関わる事ができます。また、トップ(代表取締役社長)との距離がとても近いのも特長的です。新入社員でも社長室に入る事ができ、社内の新年会や懇親会の他、社長の都合があえば、個別に話しをすることもあります。これほどトップと接する機会がある会社は、なかなかないと思います。 ■スポーツで地域活性化を 当社の企業ビジョンのひとつとして、スポーツの分野で地域に貢献する、ということを掲げています。具体的な施策として2017年にアリーナ立川立飛、タチヒビーチ、2018年にドーム立川立飛という施設を建設しましたが、アリーナ立川立飛の建設中にバスケットボールB1リーグで活躍のトヨタアルバルク東京からホームコートとしてアリーナ立川立飛を使用させてほしいとの依頼があり、お貸ししていた時期もありました。現在は様々なスポーツチームを応援させて頂いているのですが、地域の方を中心にアリーナ立川立飛やタチヒビーチ等に試合の応援に来てくださる機会も多く、街の盛り上げのお手伝いができているのでないかと感じています。 ■目先の利益を追わず、地域のために 立飛ホールディングスは広大な土地を所有していますが、この社有地は我々だけの資産ではなく社会資本財として捉え、地域の人のためになるものを作っていくことが必要だと考えており、社長である村山正道は「そのために大切なのは、目先の利益は追わないことだ」とずっと言い続けています。立川には戦前から基地があり、戦後は米軍が駐留していたこともあった為、「基地の街」というイメージがずっとありました。当社はもともと1924年に株式会社石川島飛行機製作所として月島で創業しましたが、1930年から当時の陸軍の命を受け、立川に移転し(1936年から立川飛行機株式会社に名称変更)、基地の隣で飛行機の製作をしていた歴史があるため、一部の地域の方からはあまり快く思われていない時期もありました。現在は地域のために貢献していこうという強い意志を持って事業を進め、また、地元の様々な会合等に積極的に参加することで、商工会議所や警察・消防関係等を中心に、地域とのかかわりが増えています。これからも地域の方々に喜んでいただける開発を進めていき、後々「実はあの事業は立飛がやっていたのか」と分かってもらえるのが理想です。立飛ホールディングスは、昨年ちょうど100周年を迎えました。様々なイベントを開催して地域への恩返しをしながら、50年後のビジョンを達成するために、今できることを取り組んでいきたいと考えています。 ■大学生へのメッセージ 学生時代に知り合った学校の友人はもとより大学のサークルや部活動等で知り合った仲間、バイト先の先輩後輩等との関係を大切にし、多くの人脈を作っていくことをおすすめします。社会人になってからも関係を続けていくことで同業種のみならず異業種の仕事をしている人と様々な情報交換ができることや仕事上で壁にぶつかったときなど、周囲に話を聞いてくれる友人や頼れる人がいることで相談がしやすくなり、問題を解決するヒントを貰えたりすることがあるからです。また、経験を積み年齢を重ねてからもプライベートな付き合い以外でも参考になることや仕事上でお互い協力しあえることが必ず出てきます。だからこそ、人との繋がりを大切にしてくださいね。 学生新聞オンライン2025年3月3日取材 東京経済大学1年 望月虎輝 東京経済大学1年 望月虎輝/国際基督教大学 2年 丸山実友 / 城西国際大学 1年 渡部優里絵/国際基督教大学 2年 若生真衣

群馬県知事 山本一太
人生に無駄なことは一つもない、全てが役に立つ 群馬県知事 山本一太(やまもといちた) ■プロフィール1958年群馬県吾妻郡草津町生まれ。中央大学法学部卒業後、米国ジョージタウン大学大学院修士課程を修了。国際協力事業団(JICA)などでの勤務を経て、1995年に群馬県選出の参議院議員として当選後、4期約24年の間に内閣府特命担当大臣、参議院予算委員長などを歴任。2019年に群馬県知事に就任し、現在2期目。 参議院議員を長く務め、閣僚も経験したのち、現在は群馬県知事として活躍する山本知事。他にもシンガーソングライターや、執筆継続20年以上でAmeba政治家部門ランキング1位を長く維持するブロガーとしての顔も持つ。多方面へ情熱を持ち続ける山本知事のこれまでの歩みと県政についてお話を伺った。 ◾️遊びに夢中だった学生時代 学生時代は、正直言ってあまり勉強しませんでした。ただ、力を入れたことがなかったわけではありません。情熱を注いだのは、ロックバンドの活動で、夏場には小さなライブハウスでライブも開催していました。また、冬場になると草津温泉で何十人もの友達とスキーをしていました。とにかく、勉強よりも遊びに夢中でした。 そのような中でも、英語は一生懸命勉強していました。留学したいという気持ちが強くて、毎日授業のある英語の塾に通っていました。そこで他大学の友達がたくさんでき、結果的にすごく大きな財産になったと思います。 ◾️留学先で国際政治を学び、外交に興味を持つ 大学を卒業して、アメリカのジョージタウン大学院で国際関係論を学びました。アメリカでの大学院時代は、日本の大学時代とは大違いで、必死で勉強しなければとても授業にはついていけませんでした。だから、留学中は毎日図書館で夜の3時くらいまで勉強していました。 当時、日本のODA(政府開発援助)は世界一だったこともあり、日本の国際的な立ち位置について強く関心を持つようになりました。最初はジャーナリストになりたいと思い、朝日新聞の記者になりましたが、わずか数ヶ月で辞めてしまいました。その後、一人でアジアを旅しながら、自分が本当にやりたいことは何なのかを考えた結果、日本の外交に関わる仕事をしたいと思い、JICA(国際協力機構)に入ることを決意しました。 ◾️国連での経験と政治家への転身 JICAでは、UNDP(国連開発計画)に出向し、ニューヨーク本部で3年間勤務しました。経済協力や援助の面で、環境関係の業務に従事していたのですが、国連にいると日本の国際的な立ち位置が嫌でも突きつけられました。 一方で、父は政治家で、国会議員として活躍していました。自分は政治家になるつもりはありませんでしたが、父が体調を崩し、その後急逝したことをきっかけに、周囲の勧めもあって政治の世界に飛び込むことになりました。国連での経験がなければ、政治家になる決断はしなかったかもしれません。 ◾️国会議員から「プレーヤー」である知事へ 政治家になってから、国会議員として20年以上活動しました。国会議員の最大の役割は法律を作ること、つまりルールメーカーです。しかし、国会議員時代は政策決定のプロセスに直接関与できる場面は限られていました。それに引きかえ、知事は現場で先頭に立って仕事をする「プレーヤー」です。自ら政策を決め、それを実行するための予算を編成することが出来ます。知事の判断で地域の未来を大きく変えられる圧倒的な臨場感があります。 例えばコロナ禍では、群馬県民を得体の知れないウイルスから守らなければいけません。知事の主導し編成した予算次第で、県民の命や健康に直接影響が生じてしまいます。プレッシャーで夜眠れないこともありましたが、そんな中でも知恵を絞りました。毎日が小さな決断の連続でした。 決断の際は、政策や予算が県民全体の利益に繋がるかどうかを念頭に置いています。一部の人たちの利益になることか、それとも県民全体の利益になるのか。そこを意識しながら判断しています。その中でも一番のポイントは「お天道様のもとでできないことはやらない」ということを強く意識しています。 ◾️群馬県職員ナンバーワン 6年間知事を務めてきて、群馬県職員が全国の都道府県の中でナンバーワンだと思っています。もちろん、県庁は大きな組織で色んな人がいて100%完璧というわけではありませんが、コロナ対策も、デジタル戦略も、全国の都道府県と比べても、群馬県の職員はとても優秀です。ご当地キャラのぐんまちゃんのプロモーションも日本一になりましたし、YouTubeの登録者数の伸びも全国トップ。これら全て職員の頑張りのおかげです。だから私は色々なところで「群馬県職員はナンバーワン」だと言い続けています。やっぱり、リーダーとして大事なことは、相手を本当に頼りにすることだと思います。頼って信頼するほどに、人は一生懸命頑張ってくれるのだと思います。 ◾️デジタル・クリエイティブ産業を群馬の新たな主要産業に 現在の群馬県の主要産業は製造業で、自動車関連産業が集積していますが、今後の群馬県の発展を見据え、新しい主要産業として「デジタル・クリエイティブ産業」に力を入れています。「デジタル・クリエイティブ産業」とは、日々猛烈に進化していくデジタル技術を活用したコンテンツ制作、デザイン、映像、ゲーム、アプリ開発など、クリエイティブな分野に特化した産業を指します。産業の集積を図るためには、人材育成が不可欠であることから、群馬県内に在住、在学の小中高生が無料で利用ができる人材育成拠点として「tsukurun(ツクルン)」を整備しました。また中央アジアのアルメニアが開発したTUMOセンターを誘致して、中高生向け教育機関「TUMO Gunma」も今夏、オープンします。 また、映画会社とも連携し、大規模なロケ誘致を進めています。すでに多くの映画やドラマが群馬県で撮影され、エンタメ産業の拠点としての存在感を増しています。 群馬県を単なる「東京の劣化版」にはしたくありません。東京で流行しているものをそのまま持ち込むのではなく、群馬ならではの強みを生かした独自の文化と経済圏を築くことが重要です。そのためにも、デジタル・クリエイティブ産業を軸に、若者が定着し、活躍できる環境を整えていきます。 ◾️大学生へのメッセージ 67歳になった今、振り返って思うことは「人生に無駄なことは一つもない」ということです。回り道だと思っても絶対に無駄なことはありません。学生時代にロックバンドやスキーに熱中したこと、ジャーナリストを目指したこと、国連で働いたこと、そのすべてが、今の自分にとって価値のある経験になっています。 だからこそ、無駄なことをしたり、失敗したりすることが、最終的に魅力的な人間になると思うので、恐れず進んでいってほしいです。 学生新聞オンライン2025年3月17日取材 N高等学校2年 服部将昌 立教大学4年 須藤覚斗/東洋大学2年 越山凛乃/N高等学校2年 服部将昌

俳優 西野七瀬
迷うなら挑戦を!困難な中での挑戦がチャンスを引き寄せる 俳優 西野七瀬(にしのななせ) ■プロフィール1994年5月25日生まれ、大阪府出身。2011年に「乃木坂46」のメンバーとしてデビュー。18年に卒業後、本格的に俳優として活動。主な映画作品に「シン・仮面ライダー」、「52ヘルツのクジラたち」、「帰ってきた あぶない刑事」、「君の忘れ方」など。「孤狼の血 LEVEL2」では日本アカデミー賞優秀助演女優賞と新人俳優賞を受賞し、「恋は光」でヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞した。 ◆俳優を続ける中で成長を感じた瞬間はありますか 高校時代はダンス部に所属していました。文化祭などがあると楽しく練習する日々でした。ちょうどその頃に乃木坂46のオーディションがあって合格し、アイドルの道を歩み始めました。最初、演技にあまり興味がなかったのですが、経験を重ねるうちに作品を作る楽しさに気づくようになりました。現場では、各分野のプロたちが一つのチームになって作品を作り上げていきます。そして出来上がった作品が公開され、多くの人に届けられる。この過程がとても素敵だと感じるようになりました。役作りといっても事前にするのはセリフを覚え、流れを把握することです。細かな部分は現場で組み立てます。監督から「オッケー」が出たら、それが正解だと信じています。 ◆映画『少年と犬』について教えてください 脚本を初めて読んだときは、大変そうだと思う気持ちと同時にワクワクしました。美羽という女性は可哀想に見えるけれど、どこにでもいる普通の女の子です。この物語は、多聞という犬がいなければ始まりません。犬が人と人とをつなぎ、信頼関係を築いていく様子が丁寧に描かれています。ぜひ、その過程をじっくり楽しんでいただけたら嬉しいです。 ◆学生へのメッセージを 私自身、楽な道か大変な道かを選ぶときは、大変な方を選びます。それは困難の中で挑戦する方がチャンスも多いと感じるからです。そしてぜひ仲間を大事にしてください。辛い経験も後になればきっと笑い話になります。笑い話ができる仲間が大切なのです。 学生新聞2025年4月号 国際基督教大学2年 若生真衣 ■取材を終えて 画面で見たまま、柔らかな笑顔と控えめながらも確かな存在感のある素敵な方でした。取材では、西野さんの想いや考えに触れることができ、さらに魅力が深まりました。(東京大学4年 吉田昂史) 映画『少年と犬』 全国東宝系にて公開中原作:馳星周「少年と犬」(文春文庫)監督:瀬々敬久出演:高橋文哉、西野七瀬、伊藤健太郎、伊原六花、宮内ひとみ、柄本明、斎藤工Ⓒ2025映画「少年と犬」製作委員会 東京大学4年 吉田昂史/国際督教大学2年 丸山実友/国際基督教大学2年 若生真衣 カメラマン 下田航輔

株式会社Progmat 代表取締役 齊藤達哉
新しい金融インフラをつくる挑戦と変革 株式会社Progmat 代表取締役 Founder and CEO 齊藤達哉 (さいとうたつや)三菱UFJ信託銀行株式会社 Adviser一般社団法人日本セキュリティトークン協会 理事 ■プロフィール2010年、三菱UFJ信託銀行に入社。法人営業、業務企画、IT企画を経て、2016年にFinTech推進室設立、1人目の専任担当として三菱UFJ信託銀行のデジタル戦略を企画・推進。“シリアルイントレプレナー(連続社内起業家)”として、情報銀行基盤「Dprime」、デジタル証券基盤「Progmat」、ステーブルコイン基盤「Progmat Coin」、機能型NFT基盤「Progmat UT」、数多くの組織が入会する「デジタルアセット共創コンソーシアム」等を立ち上げる。2022年、複数の金融機関や取引所、ソフトウェア企業の出資による、デジタルアセット基盤事業の独立会社化を発表し、2023年10月創業より代表就任。特許登録8件。 金融は社会の仕組みを支え、人々の生活を豊かにする。そんな想いから、より多くの人が安心して利用できる仕組みづくりを通じて、新たな可能性・金融インフラの提供に取り組む株式会社Progmat。今回、同社の代表取締役Founder and CEOである齊藤達哉さんに、Progmatの活躍と大学生が持つべき心構えについて伺った。 ◾️証券とお金を繋ぐ新しい金融インフラ 私たちProgmatは、新しい形の金融のインフラを提供しています。事業内容は大きく二つあります。一つ目はみなさんが投資可能な資産の新しい市場を創る事業です。具体的には、これまで機関投資家しか取引できなかった非上場証券や資産そのものをトークン化(ブロックチェーン上のデータとして移転可能な形にすること)し、個人でも少額からアクセスできる仕組みを提供しています。二つ目は送金や決済の新しいネットワークを創る事業です。日本円や米ドルをトークン化することで、特に海外送金において発生する様々な問題を解決し、国境を越えた資金移動をスムーズにできます。従来の海外送金は複数の銀行を経由するために手数料が高額で不透明だったり、送金完了までに数日を要したりすることが一般的でした。しかし、Progmatが提供するインフラを活用することで、多様な地域との送金を即時かつ低コストで実現します。 Progmatは、国内で唯一、資産やお金をトークン化するプラットフォームをどちらも提供しています。このような独自のポジションを築くことができた背景には、ブロックチェーン技術と信託法を融合させている点があります。私の信託銀行員時代に、社内の専門家の皆さんにアクセスできる関係性と知見を得て、それをブロックチェーン技術と組み合わせることで、競合他社が容易に真似できないユニークなサービスを作り上げることができました。特許を8つとれたのも、信託とブロックチェーンを結びつける取り組みは世間一般では希少だからです。実際、この分野では日本国内はもちろん、世界的に見ても同じことをしている企業はごく少数しか存在していません。私たちは、資産とお金の流れをより自由にし、社会全体の取引を活発化させるインフラを提供しています。こうしたProgmatが提供するユニークな金融インフラが実現した背景には、私自身の予測できなかったキャリアの道筋が深く関係しています。 ◾️予測不可能だからこそ面白い人生 今振り返ってみれば、私のキャリアは先が見えない状態で始まったものでした。私は青森県青森市で生まれ育ち、大学は東北大学の経済学部で過ごしました。学生時代は特に真面目なタイプではなかったです。就職活動では幅広く業界を見ましたが、金融業界特有の、民間サービスと公共インフラの中間のような独自のポジションに惹かれました。三菱UFJ信託銀行に入社後、当時希望していた法人営業も若手のうちに経験できましたが、キャリア的な失敗や意図しないバックオフィス部門への異動もありました。非常に戸惑い、正直なところ退職を考えたことも1度ではないのですが、私は時々の上司からもらった「転ぶことはある。立ち上がるかどうかは自分次第」「捲土重来」の言葉で奮起。部長直下でエンジニアと二人三脚で取り組んだ立て直しプロジェクトが、その後の大きな転機になりました。結果として生産性を劇的に上げられたことで、部署内外からの評価を得ることができました。この成功体験がきっかけで新設されるIT企画部署に呼んでいただき、「FinTech推進室」の立ち上げを企画することになります。唯一の専任担当者として数々の新規事業に挑戦し、その一つが、現在のProgmat事業です。 キャリアを通じて私が学んだ最も重要なことは、「目の前のことに全力で取り組む姿勢」です。キャリアプランは、描いた通りに進まないことが多く、予測できない出来事や異動、変化が必ず起こります。しかし、その予期せぬ状況に遭遇したときにこそ、自分の可能性を広げるチャンスがあります。入社当時は、まさかブロックチェーンを駆使するスタートアップの代表をやるとは想像もしていませんでした。しかし、常に目の前の課題に誠実に取り組んだ結果として、新しい事業の立ち上げや独立のチャンスが訪れました。人生に偶然はつきものです。キャリアの中で訪れる偶然を前向きに受け入れる姿勢こそが、自分の可能性を広げる最大の鍵だと実感しています。思い通りにならないことがあったとしても、それをチャンスに変えられるかどうかは自分次第です。その時々の環境で精一杯努力することで、新たな未来を切り拓くことができるのだと思います。 ◾️大学生へのメッセージ 大学生の皆さんに伝えたいことは二つあります。一つ目は「計画的偶発性理論」です。人生は予測がつきませんが、だからこそ変化が起きやすい環境に身を置くことで、予期せぬ素晴らしいチャンスに巡り合うことができます。迷ったら常に変化が多い選択をすることをおすすめします。私自身もキャリアの中で、最初は想像もしなかったバックオフィスの仕事を任されました。最初は落胆しましたが、それが結果的に次の大きなチャンスに繋がりました。自分では選ばないような出来事も、前向きに取り組むことで大きな転機になりうるのです。二つ目は、スティーブ・ジョブズが語った「コネクティング・ザ・ドッツ」です。これは今やっていることの意味が、その瞬間には分からなくても、後になって必ず意味を持つという考え方です。私も学生時代や社会人になってから経験した数々の困難や予期せぬ出来事が、後から振り返ると現在の成功の土台になっています。例えば、IT企画の仕事やFinTech推進室の立ち上げなど、一見関係のないような経験も後に全て繋がっているのです。皆さんも、目の前の小さな挑戦を決して無駄だと思わず、一つ一つ全力で取り組んでください。それが未来を形作る重要なピースになることを信じて進んでほしいと思います。 学生新聞オンライン2025年2月14日取材 東京大学 4年 吉田昂史 中央大学 3年 向井来幸/京都芸術大学 1年 猪本玲菜/東京薬科大学 2年 庄司春菜/城西国際大学 1年 渡部優理絵/東京大学 4年 吉田昂史