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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

モデル・タレント 山口厚子

夢を叶える力は、自分を信じること モデル・タレント 山口厚子(やまぐち あつこ) ■プロフィール1996年4月16日生まれ。福岡県出身。現在モデル・インフルエンサーとして東京を拠点に活動中。また地元福岡県八女市の”八女市茶のくに親善大使”として活動中。過去に『踊る!さんま御殿‼︎』『今夜くらべてみました』に出演。札幌コレクション2023でランウェイデビュー。写真集制作やバスツアーを企画・実行するなど活躍は多岐にわたる。 「自分を信じて、夢を叶えるために努力を続ける」。そんな信念を持ち、モデル・タレントとして活躍する山口厚子さん。福岡で育ち、一度は就職するも、再び夢を追い東京へ。独立し、試行錯誤を繰り返しながらも、SNSを活用し多彩な活動を展開。挑戦し続ける彼女の軌跡と、大学生へのメッセージを伺った。 小学校6年生のとき、外見にコンプレックスを持っていました。地黒で眉毛も濃く、周りと違うことに悩んでいたんです。でも、ある日叔母が『長谷川純ちゃんに雰囲気が似てる』と言ってくれて、どんなモデルさんなんだろうと本屋で雑誌を探しました。表紙で輝いている姿にすごく感動して『私もモデルになりたい!』と興味を持ちました。長谷川潤さんのナチュラルでヘルシーな姿を見た時、衝撃が走ったのを今でも鮮明に覚えています。自分がコンプレックスだと思っていたことが唯一無二の個性なんだと気づかせてくれたのです。その後、地元のフリーマーケットで偶然参加したオーディションでグランプリを獲得し、事務所に所属することになりました。自分が選ばれるとは思ってもおらず、「まさか私が?」と信じられない気持ちでした。何が起きているのか分からないまま、驚きと戸惑い、そして少しの喜びが入り混じっていました。しかし、所属当初はアイドルの候補生としての活動が中心で、「私が目指したいのはアイドルではなくモデルだ」と強く感じるようになりました。そして中学2年生のとき、モデル部門のレッスンを受ける決意を固めたのです。 ■挫折を経験しながらも夢を諦めなかった理由 地元・福岡の事務所でレッスンを受けながら、モデルのオーディションに挑戦していました。でも、なかなか受からなくて……。自分の実力不足を痛感しましたし、学業優先の家庭だったこともあり、芸能一本で進むのは厳しいと感じました。東京の短大進学後は、学業と両立しながらエキストラの仕事にも挑戦しました。現場の空気に触れ、「やっぱりこの世界が好きだ」と再確認しました。しかし、卒業後は一度地元に戻り、和菓子店に就職しました。「親孝行のために地元に残ることが幸せ」と考えていたのですが、心のどこかで芸能への未練があったのです。目が覚めたのは、妹に言われた「やればいいじゃん」という一言です。3連休を使って東京に行き、かつての業界関係者と話すうちに「私の居場所はここだ」と確信しました。帰りの新幹線で涙を流しながら、両親に「東京で頑張りたい」と伝えたのです。 ■仕事をする上で楽しい3つのこと 仕事をする上で、私には3つの楽しみがあります。1つ目は「撮影」です。撮影の現場では、多くの人と協力して一つの作品を作り上げます。ヘアメイクさん、カメラマンさん、スタイリストさんなど、さまざまなプロフェッショナルと一緒に仕事をするのがとても楽しいです。チームとして一つの目標に向かい、形にしていく過程がやりがいになっています。2つ目は「形に残ること」です。自分が出演した広告や映像作品が世の中に出て、それを見た人がクスッと笑ってくれたり、ちょっとでも気持ちが明るくなったりすることを願っています。映像作品などで演じた役が視聴者の印象に残ると、とても嬉しくなります。3つ目は「反響」です。SNSを通じて、ファンの皆さんがリアクションをくれることが本当に励みになっています。仕事を通して誰かの心に残ること、応援してもらえることが、次の仕事へのモチベーションにつながっています。 ■夢を叶えるために大切なこと 「願い続ければ夢は叶う」と信じています。私にとって、夢を叶えるために最も大切なことは「行動し続けること」です。例えば、ランウェイを歩くという夢は、26歳でようやく叶いました。14年間諦めずに願い続けたからこそ実現したんです。大切なのは、目標を口に出すこと。自分だけで抱え込まず、誰かに話すことで「やらなきゃ」という意識が生まれます。 不安を乗り越える方法については、「向き合うことが大事」と思います。久しぶりの演技仕事で、台本を3パターン覚えなきゃいけないことがありました。不安でしたが、先輩に相談すると『あなたに依頼が来た時点で自信を持っていい』と言われました。その言葉を受けて、とにかく練習し続けた結果、自信を持って現場に挑めました。 また、このとき気づいたのは、不安にとらわれることは、自分に仕事を任せてくれた人への信頼を裏切ることになりかねないということです。誰かが私を必要として声をかけてくれた以上、その期待に応える努力をすることが大事だと強く思いました。 これからの目標は、より幅広い分野で活動しながら、さらに多くの人とつながっていくことです。地元・福岡での活動を増やし、地域の魅力を発信する仕事にも力を入れたいと思っています。また、いつか妹と一緒にランウェイを歩く機会があれば嬉しいです。さらに、SNSを通じて、より多くの人にポジティブなメッセージを届けたいと考えています。私の活動を見て、「挑戦するのって楽しい」と思ってもらえたら、それ以上の喜びはありません。 ■大学生へのメッセージ 大学時代は人生の土台を築く大切な時間です。遊ぶのも、学ぶのも、自分次第。だからこそ、1日1日を大切に過ごしてほしいと思います。特に、周りと比べるのではなく「昨日の自分より成長すること」を意識してほしいですね。また、「生涯の友人を見つけてほしい」と思います。私が結婚式をした際、参列してくれたのは、大学時代の友人が8割を占めていました。大人になってから友達を作るのは難しいからこそ、大学時代に築く友情は貴重です。楽しいことだけでなく、お互いの弱さも見せ合える関係が、一番の財産になると思います。挑戦を続ける私の姿が、皆さんの背中を押せたら嬉しいです。 学生新聞オンライン2025年3月12日取材 津田塾大学2年 石松果林 カメラマン:下田航輔

イベント・企業紹介

「大人の休日倶楽部」プレス発表会

東日本旅客鉄道株式会社(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:喜㔟陽一)は、3月12日(水)に、東京ステーションホテルにて「大人の休日倶楽部」のプレス発表会を開催。ゲストには、同サービスの新メインキャストに就任した竹野内豊さんを招き、出演した新CMの撮影秘話や、「大人」「休日」をテーマにトークを行いました。「大人の休日倶楽部」は、50歳からの旅と暮らしを応援する、会員向けサービス。2005年にサービスを開始し、以降20年にわたり俳優の吉永小百合さんに計71本のCMに出演してもらいました。竹野内さんを起用した新たな広告は『大人はみんな、旅の途中。』をキャッチコピーに展開していきます。 ■「大人の休日倶楽部」の概要「大人の休日倶楽部」は、50歳以上の方々を対象としたJR東日本の有料会員制サービスです。会員は「大人の休日倶楽部ミドル(満50歳以上)」と「大人の休日倶楽部ジパング(満65歳以上)」の2つのカテゴリーに分かれ、会員限定きっぷ・割引きっぷの提供や会員限定イベント・キャンペーン、カルチャースクール「趣味の会」など、様々な種類の特典を受けることができます。2005年のサービス開始以来、50歳からの旅と暮らしを応援し、多くの会員に愛されてきました。 ■竹野内豊さんメインキャストに選ばれた時は、嬉しさと共に特別な使命感も感じました。20年にわたり、吉永さんやスタッフさんが思い出を織り交ぜながら丁寧に作り上げてきたCMだったので、そのバトンパスを私がしっかりと受け継ぎ、素敵なCMを作ろうと思いました。 完成したCMをみた時は、ゆったりと大切な人と過ごせる時間の大切に気づきました。とくに、「これからどうする?」という言葉に対し、「まだ決めてない」と返答するシーンは印象的です。撮影地の美しい福島の景気は、自然が豊かで四季折々を感じられるような場所でした。幼い頃から自然に出かけるのが好きだったので、撮影を忘れて満喫しました。このような景色や伝統は多くの人々が守り続けたからこそ、今に続いているものだと感じ、改めて日本を誇らしく感じました。 子供の頃に思い描いていた大人は、意のままに問題を解決できるイメージを持っていましたが、いざ自分が大人になると、なかなかその通りにはいかず、幾度と苦しみを超えてきました。しかし、沢山の出会いのおかげで、その障壁を乗り越える選択肢が増えたような気もします。これから先は、仕事以外の面でまだ経験できていないことに挑戦し人生を豊かにできたらなと思います。 このCMを見てくださった皆さんが新たな旅に出て、日本の良さを再認識し、日本の伝統を守っていただけたらなと思います。 ■吉永小百合さんビデオメッセージ私は2005年から20年間、大人の休日倶楽部のキャストを務めてまいりました。東北や北海道、北陸などを旅し、地元の方々との交流はかけがえのない思い出です。震災後の復興を願いながらの旅も心に残っています。この度、竹野内豊さんが後を継がれるということで、私もとても楽しみにしています。皆様、これからも素敵な旅をお楽しみください。 カメラマン:下田航輔

人事

SOMPOひまわり生命保険株式会社 執行役員 CHRO(人財開発部長)野田...

保険会社が学生たちに求めること。それは、一生懸命さと誠実さ。 SOMPOひまわり生命保険株式会社 執行役員 CHRO(人財開発部長)野田美智子(のだみちこ) ■プロフィールSOMPOひまわり生命保険株式会社名古屋支社に営業事務として中途入社。東京本社に転勤してからは主に社内業務改革を担当。管理職として、システム、内部監査、営業、広報とさまざまな業務に従事し、2023年から現職。 日々、お客さまの健康を支え続けているSOMPOひまわり生命保険株式会社。同社の人財開発部長である野田美智子さんは、「実は人財開発部長就任前には、人事の経験はなかった」と語る。しかし様々な職種を経験したからこそ、運用できる健康経営と社内キャリア制度を生み出し、独自の人財育成を行っている。現在に至るまでの経緯や今後にかける想いを聞いた。 短大での2年間は、アルバイト漬けでした。お金を稼ぐことを目的にしていたのではなく、様々な職場・職種を経験したいという好奇心が大きかったです。授業がある時間帯以外は、飲食店・イベントスタッフ・塾などで働いていました。その中で、様々な職種の人たちとの人間関係を構築できたことは、今でもいい思い出です。しかし、事務系の業務をしたことがなかったため、事務職に憧れを抱いていました。そのため就職活動では業界や業種ではなく、一般事務の就職先を選んでいました。 ■商社から生命保険会社への転身(転職) 就職活動をしていたある日、電車から、名古屋鉄道関連の商社の広告が窓から見えました。どういう仕事をしているかは知らずに、何となくその会社に惹かれてエントリーをしたところ、無事に事務職として入社することができました。仕事はとても楽しかったのですが、雇用形態は契約社員でした。ゆくゆくは正社員になりたいと考えていたので、転職をしようと思っていました。当時は各生命保険会社が事業を拡大していた上、保険会社に対して良いイメージをもっていたこともあり、生命保険会社に就職しようと考えました。その中でも、ご縁のあったSOMPOひまわり生命保険株式会社に入社を決めました。 ■多職種の経験を経て、人財開発部長に任命される 入社当時は、営業店で事務対応を行っていましたが、しばらくして他の営業店の事務指導を担うようになりました。また、事務処理全般の仕組みを見直す業務に携わった経験を活かし、システム部門に異動したり、社内ルールの妥当性や機能を確認する内部監査を担ったりしました。その後は再び営業店に異動し、今度は営業を担うなど、学生時代と同じように様々な職種を経験しました。それら経験のなかで、人との繋がりや部門ごとの課題を直に感じる機会が多くありました。そうした経験があって人事部門への移動、CHROに任命されたと考えています。 ■社内も社外も健康に 当社の魅力は、社内・社外ともに健康応援を実現できている点だと考えています。たとえば、現在、お客さまにご提供しているのが、「健康☆チャレンジ!制度」という取り組みです。これは、保険の一定期間内に禁煙に成功したり、血圧・BMIといった健康状態に関わる数値が改善された場合に、その後の保険料が割安になる仕組みです。また契約日に遡って保険料差額相当額を「健康チャレンジ祝金」としてお受け取りいただけるという、今までにないサービスです。2020年4月に開始して以来、4年間で約2万人がチャレンジに成功しています。社内に対しては、禁煙セミナー、ハイキング、健康にまつわるイベント等を開催しての健康推進や、ワクチンの予防接種費用を一部補助するなど、日常的な部分から社員の健康を支えています。このような健康応援を続けた結果、8年連続で健康経営優良法人2024(大規模法人部門)ホワイト500に選ばれています。 ■社員の未来を支える:「ひまわりMYパーパスキャリア制度」 当社のキャリア制度として、「ひまわりMYパーパスキャリア制度」というものがあります。この制度は2024年4月からスタートしたもので、他部署にチャレンジができる「他部署チャレンジコース」、社員のスキル・実績・経験・思考に基づいて他部署からスカウトがくる「スカウトコース」、課長や支社長といった管理職を目指す「マネジメントチャレンジコース」、自部署にて自身のビジョンを目指す「自部署チャレンジコース」、ジョブローテーション制度の「一般コース」の5つがあります。社員は、自分自身の人生の目的や働く意義である「MYパーパス」に沿ったコースを選択し、希望を出すことができます。どのコースでも、社員のMYパーパスに関しては、とても強く意識をしています。他部署にチャレンジしたい人に対しては、MYパーパスを叶えるためにその部署で何ができるかをヒアリングし、現在の部署にとどまる希望を出した社員には、なんとなく留まるのではなく、何をしたいかを提示してもらいます。MYパーパスを意識させることで、自律的にキャリアを考えてもらえますし、MYパーパスに沿った部署で働くことができれば、社員自身のパフォーマンスや会社の生産性が大きく上がると考えています。この制度を円滑に進めるため、人財開発部長として、企画の立案や社内調整、課題の共有だけでなく、制度全体のサポート、調整等の黒子としての役割も担っています。また、現在は、他部署チャレンジで異動した社員が、異動先の業務やチームに慣れるための研修制度も作成しています。他にも先ほどの健康経営の仕組みづくりや人財採用の最終面接官、給与の支払い確認など人が関わる業務の多くに携わっています。このように多様な業務に関われるのは、過去の事務職の経験が大きく活きているかもしれません。今後の目標としては、人事制度をより安定させていきたいと考えています。具体的な施策はまだ検討中ですが、障がい者の方を含めたすべての社員がもっと働き甲斐を得られるようにしたいという想いがあります。また、がんなどの大きな病気に罹ったとしても、治療と並行して働ける仕組みを整えたりもしているので、どんな人・どんな状態でも安心して働くことができる会社にしたいです。それと並行して、お客さまに対して「健康」を還元できるようにしたいですね。 ■パーパスの達成には、一生懸命さと誠実さ 当社のパーパス「“安心・安全・健康”であふれる未来へ」を達成するためにも、採用活動には力を入れています。採用活動を行う中で、特に学生たちに求めているのは、すべてに一生懸命、かつ誠実であることです。保険会社は、新聞のように目に見える製品を提供しているわけではありません。そのためお客さまからどれだけ信用を得られるかがカギとなってきます。自らお客さまのニーズを探して有益な情報を提供したり、パーパスの実現ために自ら課題を見つけて改善したりする人でないと、一緒に働くことは難しいと思います。常に、自分と他者に対して何ができるかを考えられる人にぜひきてほしいと思います。その一生懸命さと誠実さを見極めるため、最終面接では、学生に対して苦労を乗り越えた経験を聞くようにしています。苦労を乗り越えた話にはリアリティがあり、その人の考え方や人柄が伝わってきます。実際に経験した話であれば、深掘りをしても具体的なエピソードや論理的な説明が返ってくるので、その人の本質を見抜く点で非常に重宝しています。 ■パーパス実現へ向けて、失敗から成功へ、共に成長する仲間へ 私自身が就活をしていた時は、かなりいいかげんにやっていました(笑)。しかし、今の仕事はとても楽しいですし、やりがいを感じています。ただ、「過去にこういうことをやっていたら違う人生だったかも?」と考えることもありますが、だからといって後悔もしていません。何が正解かはわかりませんが、学生時代は人生の一部であり、あっという間に過ぎ去ってしまうのです。その一瞬を全力で楽しんでほしいと思います。また、当社の健康経営はまだまだ発展途上です。失敗・失敗・成功を繰り返して成長をし続けているので、くじけず一緒にパーパスに向かってくれる学生の方たちは、ぜひ当社にエントリーをしてください! 学生新聞オンライン2024年11月20日取材 武蔵野大学4年 西山流生

学生新聞インターン

株式会社ハイデイ日高 代表取締役社長 青野敬成

『いくつになっても夢と情熱を持ち続けて』 株式会社ハイデイ日高 代表取締役社長 青野敬成(あおのひろしげ) ■プロフィール1974年生まれ、愛媛県出身。らーめん日高でのアルバイトを経て、1999年にハイデイ日高に入社。店長、スーパーバイザー、エリアマネージャーなどを経て、2017年に執行役員、2019年に取締役執行役員営業管理部長・情報システム室長。2022年5月に代表取締役社長に就任。 美味しい料理を低価格で提供し、ハッピーな1日(ハイデイ)を過ごしてもらうことを目標にする株式会社ハイデイ日高。(主な業態:日高屋、焼鳥日高など)代表取締役社→社長の青野敬成さんは、キャッシュレス決済導入を提案→キャッシュレス決済を導入するなど新しいことに挑戦し続けている。そんな青野さんに、会社の魅力や低価格で提供できる理由などを伺った。 ■入社の決め手はアルバイトの6年間で実感した会社の成長 学生時代一番思い出に残っているのはアルバイトです。最初に始めたアルバイトが『ラーメン日高』という弊社の17番目に出来た店でした。他にもバイトをしたのですが、ラーメン日高のバイトを6年間続けられたのは、仕事はきついけれど、こちらが呼び込まなくてもお客様が食べに来てくれるからです。お客様を呼び込みにいかないといけないバイトも多くある中で、働いていたラーメン屋にはお腹がすいたら自然とお客様が来てくれる。それぐらいありがたいことはないなと感じました。私が就職活動していた時代は、入社が決まっても研修中に会社が潰れる→運営困難になることもありました。何を信用すれば良いのか分からない中、選んだのが株式会社ハイデイ日高でした。選んだ決め手はアルバイトをし始めた当時は20店舗しかなかったのが60店舗に増えるという会社の成長を、アルバイトとして働いた6年間で知っていたからです。会社がどんどん潰れていく→事業を縮小していく中でも、この会社なら10年は潰れずに成長するだろう→今後も成長し続けるだろうと思っていました。 ■今も生きている“現場”での経験 入社して1年で店長を務め、エリアマネージャーや部長など順調に経験していきました。その後、社長に就任するうえでターニングポイントとなったのが、店長として現場に戻ったことだと思います。それまでは店長たちに指示を出す“会社側の人間”でしたが、現場にはお客様から吸い上げた問題や働いている従業員の意見があります。“会社”と“現場”の間にいるのが店長なので、もう一度店長として戻って見てみると景色が違って見えました。その経験をしたことが良かったなと今でも思います。社長に就任して、現場の従業員に配ったのが、赤と青の意思表示カードです。100人くらいが集まる会議で「これについてどう思いますか、賛成の人は手を挙げてください」と言っても全然挙げてくれません。でも、意思表示カードを使って「賛成の人は赤、反対の人は青を挙げてくだい」と言うと挙げてくれます。皆さん意思表示をしないことが意思表示だと思っているのですが、一人一人意思を示してほしいので会議や研修がある時は必ず持っているようにと伝えています。また意思表示をすることで、以前よりしっかり話を聞くようになってくれたのではないかなと思います。 ■様々なお客様に来てもらうために、新しいことに挑戦し続ける ハイデイ日高は老若男女、様々なお客様がご利用していただけるお店です。その魅力のひとつは、『食べて飲める店』であるところです。だいたいのお店は、食べるのがメインのお店と、飲むのがメインのお店に分かれていますが、弊社は、昼は定食やラーメンで、夜は「ちょい飲み」と題してアルコールが安く飲めるなど、どちらの側面からも楽しむことが出来ます。食べて飲める店というと、おやじ臭いイメージがありましたが、2019年に店内では原則禁煙、喫煙ルームの設置のルールが出来ました。これがターニングポイントになり子供や女性、家族連れが来るように→女性や家族連れがご来店されるようになりました。他にも女性が→でもお代わりしやすいように、タッチパネルの導入など新しいことに挑戦しましたが、やはり今までやっていたことを変えるのは思っているよりも過酷です。特に2019年のキャッシュレス決済の導入は、システムを変えなければならない点で、非常に難しいことでした。キャッシュレスは私が役員会で提案したのですが、慎重論が多く、最初は反対を受けました。しかし、これから時代は変わってキャッシュレスを利用する人が増える中、その人達がうちを利用しなくなると思い、慎重派の人たちに対して何度もプレゼンをしたり、一方的な意見だけではなくお金の調達に取り組んだりして、実現させました。 ■ハイデイ日高が追求し続ける“お得感” 日高屋が手ごろな価格で提供できる理由は、まず餃子や麺などを自社で製造しているからです。麺など、よそで作ったものを仕入れている場合、原料が高くなれば全商品が値上げになります。でも、弊社は→しかし、弊社では多少肉や野菜などが値上げしても→値上がりしても、全体でコントロールすることが出来ます。また、我々→弊社は新しく工場を作らず、既存の行田工場のみで製造することで、コスト削減をしています。そこで問題が起きてしまうと日高屋が全てダメになってしまうので、ある意味リスクでもありますが、結局お得感がないとお客さんに喜でもらえません。ハイデイ日高→日高屋グループは他社よりも最低ライン→トルを安く、「1円でも安くできないか」というところを常に追求しています。ビールは同じメーカーならどこで飲んでも味は同じです。特にうちは→弊社はビールの原価率が高いですが、一杯350円で提供しています。他と比べても相当安く→お値打ち価格で、「350円なら!」とお得感を感じてくれるから飲んでくれるのだと思っています。 ■時代を読む力を持つことが大切 世の中はどんどん変わっていきますから、時代をどう読むのかが非常に大事だと思います。予想もしないキャッシュレスが始まり、貯めたポイントでご飯を食べるという時代になってきました。しかし、飲食店のアプリを作り、うち→弊社だけで使えるポイントを発行してもお金はかかるし、実際飲食店のアプリを持っていてもアプリを見てその店に行こうと思う人より、たまたま行ってたまたま使う人がほとんどだと思います。それよりも楽天ポイントやdポイントなど、どこでも使えるものを上手く融合していかないと、これからはダメだと思っています。日高屋では去年の8月に楽天ポイント導入しました。うちの売り上げの半分以上→弊社の売上の約半分以上はは、楽天ポイントかdポイントを持っているお客様なので、お客様の利便性はアップしたと思います。店舗展開としては現在、宇都宮や木更津→前橋など北関東を中心に広げているのですが、特にロードサイドに注目しています。郊外に店舗を広げていく時にお客様が「なんでこんなに安いの」「何でもっと早く来てくれなかったの」と言っていただくと、今後は関東だけでなくもっと広げていきたいと思います。日高屋を利用できない地域の方にもカップラーメンを作り、コンビニで買える取り組みを導入→トルするなど、日高屋という屋号を広げて、現在は業界2位から業界ナンバーワンになれるように、これからやっていこう→力を入れていこうと夢を描いています。 ■大学生へのメッセージ 皆さん、ぜひ、将来の夢を語れるような会社に入ってください。よく、弊社の神田会長は「夢は見るものではなくて語るもの」と言います。語らないと夢は実現できないし、語るは責任を持つということです。夢はずっと見続けられます。いつでも夢を大切にして、語っていってほしいなと思います。あとは情熱です。「情熱に勝る能力なし」とも言いますが、どんなに頭が良くてもどんなに資格を持っていても、生かせなければ意味がありません。ただ語るだけの評論家にならず、情熱をもって“実行”が出来るようになってください。そのためには実行するためには逆算をすることが大切です。人生100年時代ですから、いくつになっても情熱を持っていれば色んなことが出来るはずです。 学生新聞オンライン2024年12月5日取材 東洋大学2年 越山凛乃

丸山実友

株式会社カインズ 代表取締役会長 土屋裕雅

“Kindness(カインドネス)”が創る明るい社会 株式会社カインズ 代表取締役会長 土屋裕雅(つちやひろまさ) ■プロフィール1966年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、1990年、野村證券入社。1996年にいせや(現・ベイシア)入社、1998年、カインズ入社。2002年に代表取締役社長に就任。社長就任6年目の2007年にはSPA(製造小売り)宣言を行い、オリジナル商品の開発へ舵を切る大変革を断行。カインズをホームセンター業界トップ企業に成長させた。2019年3月、会長に就任。 ホームセンター業界を牽引するカインズ。“Kindness”を大切にし、常にお客様に寄り添った商品をお届けしている。カインズの社長を経て、2019年には会長に就任し、現在は、カインズやワークマンなど複数の企業で構成されるベイシアグループの実質的なトップを務める土屋裕雅氏。そんな土屋氏に、会長就任するまでの道のりやカインズの魅力について伺った。 大学生時代は狂言研究会に所属し、活動に力を入れていました。学生サークルであるにも関わらずプロの狂言師に教えていただくという、とても贅沢な経験をさせていただきましたね。この経験があり、今でも狂言を続けています。また、アメリカに渡り、様々な地域の大学を巡る旅も経験しました。そんな楽しい大学生活を送っていました。 ■遠心力でグループを成長させる 大学卒業後、野村證券に就職しました。野村證券では6年間働き、最初の3年間は営業職をやっていました。様々な人に出会って自分1人で計画を作って実行するという経験は、今の仕事にとても活きていると思います。そして後半の3年間は、IPO(未上場の企業が株式を新規公開して上場すること)を担当する部署で働きました。かなり忙しかったのですが、3年間で6、7社ほど上場させることができました。しかし、IPOの担当は担当企業の応援団のようになって働くのですが、実際上場が決まると、関係が切れてしまうんですよね。せっかく関係性を築いても上場後は何の関係性もなくなることに、少し虚しさを感じてしまいました。また、良い会社は上場後からすごく伸びていくんですよ。そんな会社を複数見て、「自分も事業会社で働いてみたい」という気持ちが芽生えました。ちょうど、そんなことを思っていた時に、父が創業し経営していたベイシアグループから、「そろそろ帰ってきて働かないか」という話があり、転職を決意しました。2002年からは17年間カインズの社長を務めましたが、カインズ以外の他のグループ会社についてはほとんど何も知りませんでした。2019年には、カインズの会長となりました。そして会長になると同時に、同じベイシアグループ内の会社も更に強くするため他の会社についても様々な形で関与するようになり、グループ全体が成長していく形を作ろうと決意しました。私は、ベイシアグループのそれぞれの会社が、求心力ではなく、遠心力で伸びていける状態を作りたいと考えています。お客様がどのようにしたら喜んでくれるのか、それぞれの会社で考え、追及していく経営を理想としています。その中で、私が会長としてやるべきことは、未来のことを見据えて今から種を仕込むということだと思うんです。新しいことを始めてそれが実を結ぶのには3、4年はかかります。だからこそ、常に先を見据えて、何を仕込むべきか、仕込むには何をしたらいいかなどを考えるようにしています。 ■「Kindness」の折り返し カインズは、オリジナル商品の開発に力を入れています。ホームセンターは多様な商品を取り扱っていますが、ナショナルブランドの商品を扱っているだけでは、どこも売っているものは同じになってしまうので、差別化が難しいんです。2000年以降アパレル業界を中心に、商品企画から設計、品質管理、物流からプロモーション、販売といった一連の流れを一貫して自社で行うSPA企業が増えてきました。それを見て「ホームセンターでもSPAができるのではないか」と思い、スタートしました。特に印象に残っている商品は、菜箸ですね。置いた時に転がらず、台に箸先がつかない菜箸を開発し、日本、そして海外でもグッドデザイン賞を受賞しました。良いデザイン、くらしをラクに楽しくするデザインは、海を超えるのだと感じました。カインズの魅力は、親切心をもった人が多いことですね。カインズという社名も”Kindness”という言葉からきているので、働いている方も感じの良い人が多いです。これは私たちのグループらしい特徴であると思います。商品を開発する際もお客様のことを第一に考えています。そして接客する時も、お客様軸で考えることを常に大事にしています。しかし、「これは”Kindness”な行動だ」と私たちが思っているだけではダメなんです。その行動がお客さんに”Kindness”だと感じていただけて初めて、”Kindness”であると言えるのです。私はそれを「Kindnessの折り返し」と呼んでいます。このように、親切心を大切にしている会社ですので、マインドの良い人と共に働きたいです。入社する時に、すごいスキルをすでに持っているという人はほとんどいません。スキルよりも、課題に対して積極的に取り組んでみようとする、オープンマインドで周りの人と共にやり遂げようとする、そういう姿勢が大切だと思います。 ■商業を通して社会の発展に貢献する 私は、どんな企業も、社会貢献につながらなければ必要とされないと思っています。そして時代と共に、社会から必要とされるものは変わってきます。全国にホームセンターがまだなかった時代のことです。カインズは静岡県に初出店しました。当時、静岡はとても物価が高かったのですが、カインズが出店したことで物価が下がった、と言ってもらえました。物価が下がることは、地域の人にとって嬉しいことです。このようにかつては、出店そのものが社会貢献につながったと思います。現在は、商品をより安く提供することに加え、生活の改善につながる価値ある商品をお届けすることで、社会に貢献しています。そのほかにも「くみまち構想」に取り組んでいます。これは、地域の皆さんと協力し、地域の皆さんが主役の、未来の「まちのくらし」を共に創っていく取り組みです。一例として防災があります。カインズが取り扱う商品には防災用品が多いので、平時からそうした商品を販売し、有事の際に備えていただいています。そして万が一災害が起きた時には、その地域を守るために店舗を避難所として使っていただくのです。時代と共に変わっていくニーズに対応しながら、今後も社会貢献につながる事業を行っていきたいです。 ■大学生へのメッセージ 学生の頃にやっていたこと、考えたこと、影響を受けたことで人生は大きく変わります。自分と向き合い、世の中と向き合う時間を大切にしてほしいです。学生だからこそできる貴重な機会だと思うので、是非その時間を存分に活用してください。 2025年2月28日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 国際基督教大学2年 丸山実友 / 大妻中野高等学校3年 加藤眞優花 / 第一薬科大学附属高等学校2年 畠田瑠

丸山実友

俳優 橋本愛

誰かの生きる活力となる作品を届けたい 俳優 橋本愛(はしもとあい) ■プロフィール俳優。2010年の映画『告白』に出演し、注目を浴びる。2012年の映画『桐島、部活やめるってよ』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。現在、NHK大河ドラマ『べらぼう』に出演中。独自の感性を生かしてファッション、書評、コラムなどの連載を持ち、幅広く活躍中。 ◆作品の見どころを教えてください 映画『早乙女カナコの場合は』は、さまざまな悩みを持った女の子たちの葛藤が描かれており、多くの人が共感できる作品となっています。私自身、20歳前後のときは、自分らしさよりもこの業界に馴染むことにすごく努力をしていて、ありのまま生きるという意味も分かりませんでした。カナコが自意識でがんじがらめになってしまうところは、過去の自分と重なりました。また、この映画はフェミニズムが核にある気がしています。男社会での女性の生き方や、男らしさや女らしさなどといったジェンダーロールとどう向き合っていくのか。その葛藤が今の大学生にも共感してもらえたら嬉しいです。 ◆仕事のやりがいについてお聞かせください さまざまな人の人生を知ることができるところです。俳優をしていなかったら一人分の人生しか経験できませんが、演じることでいろいろな人生を知ることができます。何人分もの人生が自分の身体の中に入っているのは、お得であるなと感じます。そして、それが自分自身を成長させてくれる存在となっています。また、作品は社会全体に大きな影響を与える力を持っています。作品を見てくださった方の人生や考え方に影響を与えられることに、大きな喜びを感じます。私が関わった作品がムーブメントを起こし、世の中に変化を与えることができたとき、俳優としてすごくやりがいを感じます。 ◆学生へのメッセージを 大学生は子どもと大人の狭間でさまざまな悩みを抱えている時期だと思います。この作品には、同じるように葛藤しながら生きる人々たちの姿が描かれています。「これは自分の話だ、自分の人生が映画になっている」と思ってくれたら嬉しいです。 学生新聞2025年4月号 国際基督教大学2年 丸山実友 映画『早乙女カナコの場合は』 出演:橋本愛 中川大志 山田杏奈 臼田あさ美 中村蒼監督:矢崎仁司原作:柚木麻子『早稲女、女、男』(祥伝社文庫刊)配給:日活/KDDI3月14日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開中(C)2015 柚木麻子/祥伝社(C)2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会 慶應義塾大学3年 山本彩央里/国際基督教大学2年 丸山実友 カメラマン 下田航輔

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独立行政法人都市再生機構(UR都市機構) 理事長 石田優

まちを変え、人の暮らしと未来を創る 独立行政法人都市再生機構(UR都市機構) 理事長 石田優 (いしだまさる) ■プロフィール昭和37年 5月2日生 京都府出身 62歳昭和61年3月 東京大学法学部 卒業昭和61年4月 建設省 入省平成30年7月 国土交通省住宅局長令和4年6月  復興庁事務次官令和5年11月 東京海上日動火災保険株式会社顧問令和6年4月  独立行政法人都市再生機構理事長(現在) 賃貸住宅や都市再生、復興を担い「街に、ルネッサンス」を理念とするUR都市機構。理事長・石田優氏は「社会課題を、超えていく」の視点で、文化や人のつながりを活かした都市づくりを推進する。昭和40年代の住宅ストック活用や無印良品とのコラボなど、新たな住まいの価値を創出する彼に、まちづくりへの想いと未来のビジョンを聞いた。 大学1、2年生の頃は、けっこう自由に活動していましたね。東京大学に入学し、生協の理事として活動していたのですが、特に思い出深いのが、4大学共催で行ったスケートフェスティバルの企画・運営です。氷上ディスコやフィギュアスケートの実演、肉まんやカイロの販売など、幅広く企画を手掛け、イベントは大盛況でした。当時はSNSがない時代だったため、広報のビラ配りや立て看板、立て看板への手書きの告知なども自ら作成しました。「やりたいことをやろう」という精神で、仲間と共に試行錯誤しながら取り組んだ経験は、今でも心に残っています。 ■形に残る仕事がしたい 3年生からは進路を考え始めました。父が京都で中小企業を経営していたので、家業を継ぐ選択肢もありました。でも、「形に残る仕事がしたい」という想いが強く、国家公務員の道を選びました。そして建設省(現・国土交通省)に入省し、住宅や都市開発、復興といったまちづくりに携わることになりました。国土交通省の仕事は、制度を作ることが中心です。自分が直接建物を建てるわけではありませんが、社会の仕組みを整えることで、多くの人の暮らしを支えることができます。URに入ったきっかけは、国土交通省を退官後、東京海上日動に在籍していた時に、UR前理事長の退任に伴う公募の話が出ていたので、URに応募させていただきました。URはまちの基盤や構想を考えることから携わります。自分がまちづくりに直接携わっているという実感を持つことができ、「形に残る仕事」という、当初自分が抱いていた想いは、今のURにも繋がっています。 ■まち全体から考える 現在、URでは賃貸住宅、都市再生、復興の3つの事業を柱としています。特に特徴的なのは、「準公共の団体でありながら独立採算制」という点です。URは自分たちで経営を成立させる仕組みになっています。だからこそ、民間企業のような柔軟な経営が求められますし、同時に社会的な責任も負っています。賃貸住宅事業では、約70万戸の住宅ストックを活用し、高齢者や外国人など多様な住民が安心して暮らせる環境を整備しています。団地内に福祉施設を誘致したり、コミュニティ維持のためのイベントを企画したりなど、「住む」だけではない価値を提供しています。また、都市再生の分野では、単にビルを建てるのではなく、「まち全体の構想から関わる」ことを重視しています。大阪市うめきた地区では、大阪府・市・民間企業と連携し、コンセプト作りから携わってきたプロジェクトもが概成しました。復興に関しても、阪神・淡路大震災や東日本大震災などの被災地の再生に取り組んできました。復興は、ただ建物を再建すれば終わりではありません。住民が戻り、活気が生まれるためには、地域の産業や文化をどう守るかが重要です。 ■街にルネッサンス――今後のまちづくりは URのロゴには「街にルネッサンス」という言葉が刻まれています。これは、単なる再開発ではなく、社会問題を超えて新たな価値を創造するという理念を表しています。たとえば、日本のオフィスビルは、情報化に伴うハードや多様な働き方への対応についてもまだまだ改善の余地があります。AIが発展する一方で、人と人がリアルに交流できる空間が求められています。ビル街の外部動線を公園で繋いだり、オフィスに緑を取り入れたりすることで、新しいアイデアが生まれやすくなるなど、自然とコミュニケーションが生まれる場づくりが重要だと考えています。それはビル単体で完結するのではなく、まち全体で考える必要があります。さらに、賃貸住宅のストック活用も重要な課題です。新築の供給が減る中、昭和40年代からの住宅ストックをいかに活用するかが問われています。無印良品とコラボし、ふすまや畳の部屋を現代のライフスタイルに合わせてリノベーションするプロジェクトも進めています。また、大学とも連携して、学生から新しい住まい方のアイデアを募る取り組みも行っています。たとえば、UR賃貸住宅をフィールドに九州工業大学の学生による「住戸リノベーションコンペ」や、ペットと暮らせる住宅やドッグランのある団地など、実際のニーズに即したアイデアを形にしています。URが目指すのは、地域の特性に応じた持続可能なまちづくりです。その実現のために求められるのは、「自分の考えを持ちつつ、他者と協力できる人材」です。自分の情熱を持ちつつも、人の意見を理解する力が重要です。社会課題は複雑で、正解は一つではありません。だからこそ、多彩な視点を持ち、横のつながりを大切にできる人と一緒に働きたいですね。 ■大学生へのメッセージ 今の時代に求められるスキルは変わってきていると伝えたいです。社会情勢が混沌として、正解がない問題に向き合う力が求められるようになっています。そのためには、情熱を持ちつつも、相手の意見を理解するエンパシーが大事です。人と人とのつながりを大切にしながら、社会課題の解決に挑んで欲しいですね。まちづくりにかける情熱を持ちながら、未来を担う若者の活躍を心から期待しています。 学生新聞オンライン2025年1月21日取材 日本大学4年 鈴木準希 日本大学4年 鈴木準希

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ミュージシャン・シンガーソングライター  みるきーうぇい 伊集院香織

音楽から映画へ 広がる表現の舞台 ミュージシャン・シンガーソングライター  みるきーうぇい 伊集院香織(いじゅういんかおり) ■プロフィールみるきーうぇいのギターボーカル。自身の実体験を曲にした「カセットテープとカッターナイフ」のMVが話題となり、YouTubeの再生数が50万再生を超え、異例のオリコンインディーズチャート5位を記録。関西最大の音楽コンテストeo Music Try2017で審査員特別賞を受賞するなど精力的に活動中。 学生時代に孤立した経験や、音楽に救われた体験を楽曲に込める伊集院香織さん。バンド活動と弾き語りの二つのスタイルで言葉とメロディーの両方でメッセージを伝え、様々な方を勇気づけています。音楽だけでなく小説執筆にも挑戦し、言葉の力を大切にする伊集院さんに音楽への想いや、映画出演についてお話を伺いました。 ■音楽が逃げ場だった学生時代 幼少期からピアノを習っていて、漠然と音楽が好きでした。小学生の頃からなんとなく学校に馴染めていないなと感じるようになり、中学生になったときにははっきりといじめを認識するようになりました。クラスでは孤立していましたが、友達がいたブラスバンド部だけが唯一の居場所で、部活の仲間だけは優しくしてくれたんです。以来、音楽は人生における私の逃げ場であり、救いでもありました。ブラスバンド部ではフルートを担当しながら、J-POPのブラスバンドアレンジなどを演奏する中で、ぼんやりと、演奏するなど音楽に携わる仕事がしたいなと思うようになったのです。中学3年生のクラスに、誰とでも仲良く話せるタイプの男の子がいたのですが、音楽の授業の歌のテストで私の歌を聞いて「天使の歌声やな」と褒めてくれたことがありました。その子が「いじゅ(伊集院さんのあだ名)はいつか音楽作れるようになるんかなあ。それで有名になったりしたらすごいなあ」と言ってくれたことが、ずっと心に残っています。「音楽を仕事にするなんて絶対に無理、有名になるなんてもっと無理」という固定概念があったのですが、そのときに初めて音楽を仕事にしたいと思っていいのかなと考えるようになりました。 ■自己表現の広がりとスタイル 高校生になると、同い年の仲間と組んで、バンド活動を始めました。しかし、大学に進学したタイミングで、みんなの環境がガラッと変わり、メンバーが抜けてしまって。そして、19歳のとき、「もう一人でやるしかない」と思い、弾き語りを始めました。「若いときに結果を出さないといけない」と、焦っていたんでしょうね。このとき、中学生の頃に受けたいじめをテーマにした曲を作りました。乗り越えるのが難しいトラウマは誰にでもあるのかなと思いますが、自分の中で整理できていないうちは、芸術に昇華させるのが難しいときもあります。私の場合は、その後、ライブハウスで出会った人や、対バンしたミュージシャンたちの優しさに触れられたおかげで、「あぁ、私がいじめられていたのは、あの環境が特殊だっただけなんだ」と思えたことが大きかったです。その結果、いじめは過去の記憶となり、曲づくりに活かせたのだと思います。バンドでの活動時は、会場全体で盛り上がるパフォーマンスを重視しています。一方の弾き語りでは、お客さんが歌詞に没頭して聴いてくれて、しんみりと泣いてくれたりするので、落ち着きを意識しています。今後も、バンドと弾き語りの二つのスタイルでやっていこうと思っています。 いつも、私の音楽で人を救いたいという気持ちがあります。けれども、人それぞれの環境や事情があるので、みんなを完全に救うというのは難しいと思っています。だから、理論的な解決をするのではなく、せめて私の音楽を聴くことで、トラウマや問題をうやむやにできないかなと思っています。救うまではいかない音楽も、時には人間には必要だと思うので。私が小説を書きたいと思ったきっかけは、山田詠美さんという小説家の作品でした。山田さんの小説で、自分のトラウマが救われた感覚がありました。小説は言葉だけの世界なのに、こんなにも人を救うことができるんだととても衝撃を受けたのです。中学生のときに自分も小説を書いてみたいと思ったのですが、経験も少なく、読書量も少なかったこともあって何を書けばいいのかわからず、一行書いて止まってしまっていました。その後、読書量が増えてきた頃に、音楽を始めました。そして、作詞作曲という形なら、小説を書きたい気持ちと音楽をやりたい気持ちの両方を消化できるのではないかと気づきました。20代後半でようやく小説も書けるようになり、自分の書きたいものが見つかってきて今のスタイルが生まれました。 ■映画『ボールド アズ、君。』出演が決まったとき 映画『ボールド アズ、君。』に出演することになったのは、岡本崇監督からの「主演をお願いしたいです」というLINEがきっかけでした。「やったー! 出ます!」と返信し、出演に至ります。撮影中も監督と女優というよりはバンドマン同士として、フランクに接していただきました。岡本監督ご自身もバンド活動をしているということもあり、私のバンド活動を理解した上で撮影スケジュールを組んでくださったのはありがたかったです。演じた南條珠は、私の半分分身のような感じで重なる部分が多くありました。“推し”(後藤まりこさん演じるバンドのボーカル)と映画館の支配人の二人が神様で、それ以外の世界は珠にとってはあまり面白くないもので、推しが生きがいというところが近いです。自分が仕事も恋愛もダメダメで、絶望してしまって、生きるか死ぬかという状態だった時に、後藤まりこさんの「4がつ6日」という曲を狂ったようにリピートして聴いていて、その曲がすごく好きでライブを見に行ったら、ライブも素晴らしかったです。ライブ後に後藤さんがお客さんにハグをしていて、自分もハグをしてもらった時に、「生きててよかった、頑張って生きよう」と思ったので、命の恩人です。脚本を読んで、「(自分にとって“神様”という関係性)そのままだな」と思って、自分の気持ちを投影しようと思いました。 映画の見所は、何と言ってもライブシーンです。実際のお客さんもたくさん来ていただいての撮影だったので、生の臨場感が伝わると思います。ぜひ劇場でご覧ください。 ■今後の目標 今よりもさらに自分の音楽を聴いてくれる人を増やして、Spotify O-EASTや日比谷野音のような会場でワンマンライブがしたいです。もっと大きな夢を言えば、武道館や大阪城ホールのようなホールでライブをしたいです。 映画の出演についても、バンド活動のスケジュールを理解していただけるチームであれば出てみたいなと思います。特に、今回の岡本監督の作品であればまたぜひ出たいです! ■大学生へのメッセージ 私は10代の頃「若いうちにチャンスを掴んで成功しないとダメだ」と焦っていました。でも、今思えば、そんなに焦る必要はなかったなと思います。自分を奮い立たせることは素敵なことだと思うのですが、あまり自分を責めすぎないでほしいです。とはいえ、私がバンドを始めたときとは音楽の広まり方が変わってきて、今は好きなことにのめり込んだりっていうのが自分の仕事になったりもする時代です。皆さんにもぜひ好きなことにのめり込む経験を体験してみてほしいと思います。 学生新聞オンライン2025年2月10日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 映画『ボールド アズ、君。』 出演:伊集院香織(みるきーうぇい) 後藤まりこ刄田綴色(東京事変) 津田寛治監督・脚本・音楽・編集:岡本崇製作:コココロ制作 配給:Cinemago3月29日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開 公式サイト: https://kokokoromovie.com/boldaskimi/公式X:https://x.com/kokokoromovie公式インスタグラム:https://x.com/kokokoromovie公式Facebook:https://www.facebook.com/boldaskimi公式TikTok: https://www.tiktok.com/@boldaskimi

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NOSE SHOP株式会社 代表取締役 中森友喜

鼻で世界を知る、新しい体験を。 NOSE SHOP株式会社 代表取締役 中森友喜(なかもり とものぶ) ■プロフィール日本初のニッチフレグランス専門店「NOSE SHOP(ノーズショップ)」の代表取締役。取り扱う香水のセレクトと、ストーリーの翻訳を手掛け、その取扱品種の幅広さと翻訳量は日本随一を誇る。ポッドキャスト番組「香りと言葉のラジオ『NOSE knows』」でパーソナリティを務めるなど、日本の香水市場拡大を目指し、多岐にわたって活動する。 「日本における香りの文化を変えたい」。そんな想いから日本ではまだ馴染みのなかったニッチフレグランスを手掛ける「NOSE SHOP」。その代表である中森友喜さんは、“香りを通じて人生を豊かにする”という新たな価値観を提案する。 「何もしてなかった」。これが学生時代の僕のすべてです(笑)。授業にはほとんど出ず、軽音サークルで友達とお酒を飲んだり、バイトをしていただけでした。目標なんてまるでなくて、ただ流されるように生きていましたね。転機が訪れたのは大学3年生のときでした。父が亡くなり、経営していた会社を手放すことになったんです。そのとき初めて「自分自身で生きていかなきゃいけない」と気づいたのですが、正直言って、すぐには行動できませんでした。気持ちばかり焦って、実際にはどうしていいかわからないまま、日々を過ごしていました。ただ、その際、心に引っかかっていたのが、父の言葉でした。父はお酒を飲みながら、よく僕に仕事の話をしてくれました。「仕事って大変だぞ」なんて話は、よく聞きました。でも、愚痴を言いながらも、どこか楽しそうに見えたんです。その姿が、今思うと自分の生き方を考えるきっかけになっていたんだと思います。 ■国税局で見た「会社のリアル」 大学を卒業するころには、ようやく「働かなきゃ」と思えるようになりました。でも、普通の民間企業には就職できる気がしなかったんです。それで、試験の点数さえ取れれば入れる国家公務員を選びました。国税局で法人税調査を担当した経験は、今の自分を作る大きな財産になったと思います。いろんな会社の財務状況を実際に見て、どの会社が強いのか、どこがダメなのか、実際の数字で学べる。経営者と直接話をして、「どうしてこうなったんですか?」と突っ込むこともできました。その中で、経営の面白さと難しさを肌で感じることができましたね。 ■日本でも可能性を広めたいと思った「香り」という文化 国税局で3年間働いた後は、もっと現場でビジネスを学びたいと思ってベンチャー企業に転職しました。そこでファッションやコスメの世界に触れる機会を得ることができました。その後、会社を設立しアパレルやコスメの事業を手がけている中で気が付いたのは、「香り」が持つ無限の可能性について。香水はただの商品ではなく、香りは人の記憶や感情に深く影響を与える、特別な力を持つものです。香水の文化の中心地ともいえるヨーロッパでは、香りは生活の一部として根づいていて、ニッチフレグランスと呼ばれる、香りやビジュアル、ストーリーにこれまでにない革新性をもつ独創的な香水も、多くの人々に親しまれていました。その一方で、日本では香水に対する文化や市場の成熟度がまだ低く、香りを楽しむという価値観自体が十分に浸透していないことを痛感しました。この「香水砂漠」ともいわれる日本で、香りが持つ可能性をもっと広められないか、そんな挑戦心が芽生えたのです。 ■香りを気軽に自由に楽しむ「NOSE SHOP」をオープン 香水の新たな文化を日本に根づかせるため、2017年にNOSE SHOPをオープンしました。最初のステップは、世界中からニッチフレグランスブランドを日本に輸入し、販売することでした。しかし、これはなかなか簡単な道ではありませんでした。まず、海外の香水ブランドからすると、日本は「香水が売れない国」という固定観念が強く、日本の百貨店や商業施設からも「香水は売れないから」と、取引を断られることが多々ありました。それでも諦めず、「ニッチフレグランスの魅力を日本で広めたい」という熱意を伝え、少しずつ信頼を得て、輸入や販売のルートを築いていったのです。また、日本には香水に対する消極的なイメージがあります。「香りが強すぎると迷惑」「香水は特別な日のもの」という考え方が根づいているんですよね。そのため、ただ輸入して販売するだけではなく、香りをもっと身近に楽しむ文化を作るためのアプローチが必要で、店舗のデザインやカジュアルな接客スタイル、さらには香水ガチャ®︎のような遊び心を取り入れたコンテンツなど、あらゆるアイデアを駆使して「香りって楽しいんだ」ということを伝えようと努力しています。日本ではまだ広く知られていないニッチフレグランスを専門に扱うセレクトショップですが、今では全国に12店舗(2025年2月末現在)を展開し、1,150種類以上の香水を取り扱うことができるようになりました。 ■香りで人生を豊かに 僕が目指しているのは、香りがもっと日常に根付く社会です。天気の話をするみたいに「今日の香り、いい感じだね」って言い合えるようになったら素敵だと思いませんか? 香りには、記憶や感情を豊かにしてくれる力があります。だからこそ、香りを通じて人生をより豊かに、面白くする提案をしていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 学生時代は、自由に動ける貴重な時間だと思います。僕自身、だらだら過ごしていた期間が長かったですが、それも結果的には自分を見つめる時間になりました。やりたいことが見つからなくても、焦らなくて大丈夫です。いろいろ試しているうちに、きっと道が見えてきます。そして、学生という肩書を存分に活かしてください。僕も今大学院に通い直していて改めて思いますが、「学生です」というだけで、いろんな人に会いやすくなります。人生に無駄な時間なんてないので、ぜひ自分のペースで楽しみながら進んでみてください! 学生新聞オンライン2024年12月18日 法政大学4年 島田大輝

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森下仁丹株式会社 代表取締役社長 森下雄司

130年の歴史を紡いできたのは、判断と信頼の積み重ね 森下仁丹株式会社 代表取締役社長 森下雄司(もりしたゆうじ) ■プロフィール1995年甲南大学経営学部卒業後、三和銀行(現、三菱UFJ銀行)へ入行。支店での法人営業、業務出向、本部業務に従事、2007年森下仁丹株式会社に入社。新規事業、海外事業などの推進を担当し、経営企画部長、ヘルスケア事業本部長、カプセル事業本部長を経て、2019年現職に就任。2023年12月より(株)MJ滋賀代表取締役社長も兼任。 130年の歴史を誇る森下仁丹株式会社。伝統的な製品に加え、新たな挑戦を続ける代表取締役社長、森下雄司さんに、今回インタビューをお願いしました。森下さんが抱える、未来へのビジョンや学生への熱いメッセージを伺いました。 ■学生時代に築いた仲間と情熱 私は幼稚園から大学まで甲南学園の一貫教育を受けてきたため、小学校の友達、中学校の友達、大学の友達と、進学するたびに雪だるま式に仲間が増えていく感覚でした。学生時代は、授業の合間に学校の食堂やたまり場で先輩や同級生と喋って、帰宅後はアルバイトに励むというルーティンで過ごしていました。また小さい頃からやっていたスキーにも打ち込んでいました。同級生に誘われてスキー同好会に入り、夏は良いスキー道具を買うためにプールの監視員のアルバイトやトレーニング、冬はスキー場でアルバイトをし、スキーの練習をしていました。自分としては、学業にも真面目に取り組んでいたつもりですが、社会に出てから学んだことの方が多かったです。今思うと「もう少しできたことがたくさんあったな」とも思いますが、それでも充実した学生生活でしたね。 ■厳しさの中で培った学び 就職活動では、好きなものに携わりたいという気持ちがあり、スポーツメーカー、食品メーカー、飲料メーカーを志望していましたが、結果的に銀行に進みました。12年間の銀行員生活は、非常に厳しい環境でありながらも、現在の私の糧となり、原点となっています。私のような同族企業の人は、広告代理店さんや同業のメーカーさんで勉強する人が多いです。しかし、私の場合は銀行で金融や経済に関する知識を学び、12年の間に2回の合併を経験し、出向も含めて営業以外の職場にも行きました。銀行の仕事を通じ、サラリーマンとして組織で行動する上で、とても内容の濃い経験をさせていただいたと思っています。その後、34歳のときに森下仁丹に営業課長として入社しました。特に「森下家の人間だから」といった特別扱いを受けることはなかったので、仕事ができなければ会社から認めてもらえないと思いました。そのため、常に与えられた仕事に一所懸命取り組むことを考えていました。110年近い歴史のある会社の中で、何ができるのかを模索しながら前向きに楽しく「人のためになる仕事っていいな」と思い、仕事をしていた記憶があります。その後、社長に就任した際には、責任の重さを改めて実感しました。それまでも最終的な判断を下すのが社長であることは理解していたつもりでしたが、実際にその立場になると、日々細かい決断から大きな判断まで求められます。たとえば、「AとB、どちらにするべきか」という話があった場合、明らかにAが良いのであれば、私に相談が来る前に既にAに決まっています。しかし、Aにも課題があり、Bにも良いところと課題がある場合、最終的な決定は私が下さなければ前に進めません。自分なりの経験をもとに、これから先のことも考慮して決断をしないといけないというところが社長という立場になって改めてわかったことです。 ■選ぶ基準は「損得」だけではなく「パーパス」 2023年は創業130周年に当たったことから、新たに会社のパーパスも策定しました。その内容は、次のようなものです。「思いやりの心で、オモロい技術と製品で、一人に寄り添い、この星すべてに想いを巡らせ、次の健やかさと豊かさを、丹念に紡いでゆく。」何かを選び、決定する際、事業会社である以上、業績や利益が向上することは一つの大切な要素です。しかし、そこだけにとらわれてしまうと、会社の歴史、ポリシーやフィロソフィーに反してしまうこともあります。そこで私たちは「自分たちがするべきことかどうか」をパーパス視点で考えるようにしています。また、私個人としては「創業者や先代、歴代の社長たちならどう判断しただろうか」という視点でもよく考えます。もちろん時代背景が違うので、必ずしも同じ判断が適切とは限りません。しかし、これまでの経験も踏まえて「我が社としてどうすべきか」を考える姿勢は、常に忘れないよう心がけています。こうした経験の積み重ねは、特に社長としての立場に就いてから強く意識するようになりました。私が社長になった1年後にはコロナ禍が始まり、それから数年間は非常に厳しい状況が続きました。大きな災害や社会的な出来事は、望んで経験できるものではありません。しかし、結果的にその中で得た経験が自分の糧となり、社員たちの行動力にも繋がったのだと思います。社員全員が協力し、困難な状況を乗り越えるために動いてくれたことには、本当に感謝しています。 ■信頼は一つひとつの積み重ね “信頼”とは、お客様に認めていただくことです。「この会社の製品は良いね」「これをまた買おうかな」と思っていただけるまでには、長い時間がかかります。我々が「良いものだ」と思って製品を世に送り出しても、競争が激しかったり、価格が高かったりと、様々な理由で市場に定着しないことも少なくありません。そういった中でも、「森下仁丹だから安心して使える」とお求めいただくお客様がたくさんいらっしゃいます。その信頼を裏切ることは、これまで製品を守り続けてきた先輩方にも顔向けできません。そのため、メーカーとして何よりも大事な要素である安全性は常に最優先事項として取り組んでいます。 ■大学生へのメッセージ 社会人になったり、ある程度の年齢を重ねたりすると、「学生時代にもっとこうしておけばよかった」という話をたくさん聞きます。私は学生時代をとても楽しめたので、みなさんにもぜひ学生生活を楽しんでほしいです。よく言われることですが、「学生の時期は、時間はあるけれどお金がない。社会人になると、お金はできたけれど時間がない」という話があります。ないものねだりかもしれませんが、やはり学生時代にしかできないことにどんどん楽しんでチャレンジしてほしいと思うのです。その中で、何かしら自分が続けられることを見つけていってください。 学生新聞オンライン2024年11月27日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 日本大学 4 年 鈴木準希/東洋大学 2 年 越山凛乃/城西国際大学 1年 渡部優理絵

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農林中央金庫 常務執行役員 土田智子

ステークホルダーと共に歩み、農林水産業の未来に貢献 農林中央金庫 常務執行役員 土田智子(つちだともこ) ■プロフィール1994年東京大学経済学部卒業後、農林中央金庫に入庫。総合企画部広報CSR企画室長兼副部長、監事室長、名古屋支店長などを経て、2024年4月より現職。 「農林水産業の発展に寄与し、国民経済の発展に貢献する。」という使命のもと、全国の農林水産業者を支えてきた農林中央金庫。安定した資金調達基盤を背景に、持続可能な社会の実現を目指している。今回、土田智子常務執行役員に、自身のキャリアや農林中央金庫の取り組みについてお話を伺った。 私の学生時代は、今の皆さんとは大きく異なる時代背景のもとにありました。1990年に私が大学に入学した当時は、バブル経済の終わりの時期で、社会全体にはまだ楽観的な雰囲気が漂っていました。高校時代には、「大学生になったら楽しもう」と猛勉強に励んだのを覚えています。大学ではスキーやテニスのサークルに所属し、アルバイトに励む日々を送りました。当時のアルバイトは、家庭教師が中心でした。ピーク時には5人の生徒を受け持ち、兄弟を教えることで時間を有効活用していました。しかし、これだけでは社会経験が不足していると感じ、地元の市場で年末の販売補助の仕事に挑戦し、お客様との直接のやり取りを通して、社会人としての基礎を学ぶことができたのです。就職活動においては、当時まだインターネットが普及しておらず、企業の情報収集はハガキを使った資料請求が主流でした。さまざまな業界の資料を請求し、企業研究を重ねた中で、農林中央金庫の存在を知りました。経済学部で財政を専攻していた私は、金融機関への就職を希望しており、農林中央金庫は当時多くの都道府県に支店があり、地方の良さを活かせる環境に大きな魅力を感じたのです。 ■協同組織金融機関としての使命と独自性 農林中央金庫は、農林水産業の発展を支えるユニークな金融機関です。協同組織金融機関として、他の銀行とは異なる独自の役割を担っています。単なる金融サービスの提供にとどまらず、農協や漁協との連携を通じて、現場の声を反映した支援を行っています。例えば、JAバンクやJFマリンバンクの一員として、地方の小規模農家や新規就農者への支援策を実施し、資金調達だけでなく、事業の安定化や販路拡大をサポートしています。さらに、地域の特性に応じた金融サービスを提供するJA・JFをサポートすることで、農林水産業従事者や地域住民の課題解決に貢献しています。また、当金庫は、農林水産業に必要な資材の生産から、生産後の加工・流通・外食・小売・輸出・消費に至るまで、食農バリューチェーン全体に幅広くネットワークを有しています。農林水産業者所得の向上に向けて、融資だけにとどまらず、取引先のビジネスマッチングや、販路拡大のサポートなどを行っています。 ■安定した資金調達基盤と挑戦 農林中央金庫の強みの一つは、強固な資金調達基盤と高い信用力です。私たちは農林水産業のメインバンクとして安定した資金調達力を持ち、国内外の信用格付機関からも高い評価を受けています。これは、会員であるJA・JFなどへの組合員・利用者からの厚い信頼と、協同組織金融機関としての結びつきの強さが反映されたものだと思います。当金庫自身も、これまで以上に経営基盤を安定させ、将来にわたって会員と連携しながら農林水産業の発展を支え続けることを目指しています。ただ、農林水産業の課題は、労働力不足の解消から経営の高度化まで多様であり、その解決に向けては、当金庫単独でできることには限界があります。それは気候変動や生物多様性といったサステナブル分野の課題も同様です。JAグループをはじめとした農業・水産業・林業の協同組合組織はもとより、スタートアップ企業などとも連携して新たな技術やサービスなども活用しつつ、会員や取引先の課題解決に向けてどうしたらよいか、対話を行っていきます。このように、関係者をつなぐことも金融機関としての大事な役割だと考えています。 ■国際展開と農林水産業への貢献 農林中央金庫では、1990年代後半から、国内の低金利環境が続くなかで国内の農林水産業の発展を支えるため、資金運用の多様化の観点から、国内外での投融資活動を積極的に展開しています。海外では、会員の皆様に利益を還元するため、安定した収益基盤の確保を目的として、国際的な金融市場での投資活動を通じた資金運用を進めています。また、農林水産業に関連する事業やインフラへの投融資なども行っています。海外展開にも注力し、日本の農林水産品の魅力を世界に発信する役割を担っていきたいです。グローバルな市場に目を向け、海外投融資を通じた新たなビジネスチャンスを模索し、国内産業の競争力向上に貢献することを目指しています。農林水産業の構造変化に対応するための情報収集も重要な役割の一つです。例えば、気候変動の影響により農産物の生産地が変化するケースも増えており、気候変動が稲作・生乳・肉牛の生産量・価格・輸入に与える影響などを分析し、農林中金の報告書やホームページで開示しております。今後も、国内の農林水産業と密接に連携しながら、持続的な成長を支えるための投融資を展開していく方針です。 ■大学生へのメッセージ 今の時代は、変化のスピードが非常に速く、常に新しいことに挑戦し続ける姿勢が求められています。学生の皆さんには、変わることを是とする姿勢と、常に「なぜ」、「どうして」、を考え抜く好奇心を大事にしてほしいです。純粋な好奇心に沿って時間をぜいたくに使えるのも学生の強みです。大学生活では、勉強・サークル活動・アルバイト・趣味など何でもよいので、失敗を恐れず、自分の思うところをやってみてください。その先に社会における自分の道が見えてくるのではないでしょうか。 学生新聞オンライン2025年1月25日取材 津田塾大学2年 石松果林

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太陽ホールディングス株式会社 代表取締役社長 佐藤英志 

自ら考えて動く、自律した社員が集まる会社に 太陽ホールディングス株式会社 代表取締役社長 佐藤英志 (さとうえいじ) ■プロフィール’69年、東京都出身。’92年、大学卒業後、監査法人トーマツへ入所。’99年、株式会社エスネットワークス設立。 その後、株式会社有線ブロードネットワークス(現株式会社USEN)常務取締役、株式会社ギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ株式会社)取締役副社長等を経て、’11年、太陽インキ製造株式会社(現太陽ホールディングス株式会社)代表取締役社長に就任。 私たちが日常で使う電子機器に欠かせないのが、ソルダーレジストという電子基板に塗布する絶縁インキ。このソルダーレジスト製造において世界トップシェアを誇るのが、太陽ホールディングス株式会社である。常にスピード感をもって先を見据える代表取締役社長の佐藤英志さんに、会社の魅力や展望、大事にしているマインドなどを伺った。 ■学生時代から大事にしている、人の話を聞くこと  学生時代に公認会計士の試験に合格し、卒業後は監査法人トーマツに入社しました。会計士を目指したきっかけは、中学生の時に体育の先生から言われた「お前は会計士になれ」という一言でした。大学1年生の時に一度はあきらめたものの、大学3年生で就職を考えた時「何かやらなきゃ」と思い、再び会計士の勉強を始めました。先生からの一言がなければ会計士になっていないですね。アルバイト先はラーメン屋で、気づけば従業員が20~30人にいる店を任されるくらいの立場になっていました。父親よりも年上の人にも指示を出さねばならない上、様々な事情や個性を持った人達がいたので、大事にしていたのはとにかく人の話を聞くことです。実際、聞く姿勢を持つようになってからは、周囲から色んなことを教わることが出来ました。この姿勢は、今も心掛けています。自分がいまの会社の社長に就任してからも、特に重視しているのがコミュニケーションです。その環境づくりとして、まずは社員食堂を作ることから始めました。きっかけは、11年前に元々あった食堂をリニューアルした時。そのときの社員のうれしそうな顔を見た瞬間に「これだ!」と思いました。現在、より一層食事と空間にこだわった立派な食堂を作った結果、いまでは社内のコミュニケーションの場の中心になっています。 ■自分で考えて動くスタイルへのシフト  私が監査法人トーマツに入社し、初めて名刺交換をしたのが太陽ホールディングスの社長でした。その後、独立した時に、社長に声を掛けていただき、グループ会社の会計顧問に就きました。 社長に就任して力を入れたのは、「人に代わって仕事をしてもらうこと」です。当時はオーナー企業だったので、社員たちは言われた通りに一生懸命やるというスタイルが一般的でした。そこで、私が新たに目指したのは、自走する組織です。上からの指示を極力出さないように意識し、指示はなくても社員が自分で考えて動く。そんな自律したスタイルに変えていこうと、経営理念を変えたり、ユニフォームを無くしたりと注力しました。これはすべての社員に自律した意識を持ってもらうためです。結果、自律型社員が増えた事で、社内も会話が増え、明るくなった印象があります。 ■世界トップシェアを誇る理由は、これまでの実績とスピード感  太陽ホールディングスは、プロジェクターやパソコンなどあらゆる電子機器に使用されるソルダーレジストの販売・製造などを行っています。一般基板用で世界の約5割、半導体パッケージ基板用では約8割のシェアを占めており、世界シェアトップクラスを誇っています。これだけのシェアを誇り、他社が真似できないのは、私達がいち早く参入し幅広い特許を取ったからです。特許が他社の参入障壁になり、太陽ホールディングスはこれまで多くの実績を作ってきました。車や半導体の世界では実績が重視されるので、実績がないと参入することが難しいのです。実は私たちが高いシェアを誇るようになったのは、スマホが登場してからです。初期のスマホに採用されていた基板に、弊社のソルダーレジストが使われていました。以来、スマホ向けではスタンダードな材料となっています。仕事の中で大切にしているのは、言われたときにすぐ材料が出せるという、スピード感です。我々のバリューであるスピード感を実現させるため、マーケティングチームが世の中のニーズを察知し、お客様が「ほしい」と口に出す前に「次はこういうのが必要なんじゃないか」と技術メンバーに伝え、用意しておくことが必要になります。お客様が「ほしい」と口にした時には、すでに出せる状態でないと遅いのです。常にお客様の先を読んで、用意をしていく意識が大事だと感じます。 ■恐怖心を背景に参入した医薬品事業  業績については、2000年からずっと右肩上がりに見えるのですが、4年に1回ぐらいガタっと業績が落ちることがありました。業績が落ちた時とは、「もう復活しないのでは」と思うぐらい怖い状況です。元に戻ったとしても、「また同じことが起こるのでは」と会社にとって強烈な不安感が生まれます。 その不安を抜け出したいという思いで、安定的に需要がある医薬品事業に参入しました。一見、電子基板や半導体とは関係ない業界に見えるのですが、そこには矛盾はありません。太陽ホールディングスは、エレクトロニクス製品を作っているというより、化学を強みにしている会社です。車やスマホを作るよりも、同じ化学という土台に乗っているケミカル(化学)が関わる医薬品事業を行う方が、関連性や信用性は高いと考えました。事実、医療・医薬品業界に参入してから、業績も安定しています。 現在は、受託生産での薬の製造を伸ばしていこうと考えています。医薬品業界での一定のシェアを目指し、自分たちの技術がないと作れない薬を世の中に提供したいと思います。これまでにエレクトロニクス製品で培ってきた技術力を、存分に生かした挑戦ができればと思っています。 ■原動力は楽しむこと 一緒に働きたいのは、自律していて、事業を通して何か世の中に訴えることを楽しめる人です。私自身も、自分が楽しむことを大事にしています。新しく工場を作ったり、新しい事業に挑戦したり、自分が楽しみながら事業を行うからこそ、いち早くスピード感を持って取り組める。だから、結果に繋がっています。仕事は楽しいか、楽しくないか。その軸を持って仕事を選ぶ視点も、ぜひ忘れないでくださいね。 ■大学生へのメッセージ  いつの時代も型にはまりたがる傾向がありますが、それを一歩外してみる習慣をつけてみてください。大学生だけど、株の勉強をする、趣味の資格を取ってみるなど、あえて人とは違うことをやってみる試みは非常に大事です。就職人気ランキングがありますが、数年後にはその企業がどうなっているか分かりません。皆さんは、いま現在人気がある会社に入りたいかもしれませんが、もっと長期的な視点で物事をみて欲しいなと思います。私自身も、「他人は興味を持たないが、これからもっと伸びるだろう」と信じてやってきたことが、現在の結果に結びついていますから。ぜひ、「他人と違う試み」や「他人と違う関心」を大事にしてみてくださいね。 学生新聞オンライン2025年1月22日取材 東洋大学2年 越山凛乃 城西国際大学1年 渡部優理絵/東洋大学2年 越山凛乃/東京大学4年 吉田昂史

コラム

テリー伊藤 コラムVol.46 白湯大人気!知ってましたか

最近コンビニで一躍人気商品になった白湯(さゆ)。去年まではあまり見かけなかった。涼しくなる10月頃から爆発的に売れ出し、当初はセブンイレブンだけしか販売していなかったが、今や各コンビニのHOT飲料水で一番いい場所に置かれている。白湯とは文字通りお湯なのだ。それが緑茶、爽健美茶。麦茶、烏龍茶など人気商品と肩を並べる勢い。購買層も幅広く、高齢者から赤ちゃんのミルク用、美容に気を使う若い女性まで世代を越えて支持されている。数年前は想像出来なかった現象。冬の飲料水界に突如大物新人が現れた感じ。 この現象、ミネラルウォーターが初めてコンビニに登場した時に似ている。おそらく「お金を出して水を買う」ようになったのは2000年前後ではないか。それ迄もミネラルウォーターは存在していたが、水商売の皆さんが水割りを作る時に使用するもので、水道水が安全な日本では一般的には普及していなかった。ペットボトルの登場も相まって、スポーツや盛り場のクラブシーンで人気となり、瞬く間に「お金を払って水を買う」がトレンドになった。今や甘味性の強いコーラ、コーヒー、ジュースを避けて健康的な白湯が注目されるのは当然なのか。 そう言えば、午前2時に毎日起き仙人のような生活をしている片岡鶴太郎さんも一年365日、起きて先ずは白湯を飲み、身体を整え始めると話していた。付き合いで飲み屋に行っても白湯らしい。トイレの近い私もドクターから膀胱を刺激するカフェインの入ったコーヒー、紅茶禁止令が出ているので、5年前から白湯を飲みだした。当初は味気ない気分だったが、今や一番落ち着く。 最近の日本人の健康志向は商店街にも波及し、マッサージ店が続々開店。指圧治療、整体院、足つぼマッサージ、手専門マッサージ、タイ式マッサージ、中には英国マッサージを名乗る店も。一体何をしてくれるのか行ってみたくなる。ということで先日、今まで在った漬け物屋の後に店を構えた武蔵小山商店街の整体院を訪れた。内容は普通だったが、客層が幅広いのは面白かった。学校帰りのサッカー部員、会社帰りの女性、地元の商店主など多岐に渡る。昔なら下町商店街にマッサージ店は場違いな感じだったが、今は違和感無し。カフェが隣にあり、その横の店ではガラス越しに普通に治療を受けている。道路から人が見ていても気にしないどころか、逆に通行人が羨ましい顔で通り過ぎて行くのは妙な雰囲気だ。 日本の健康志向は留まる事を知らない。アルプスの空気や北極大陸の氷だとかが販売される日も近いかもしれない。いや、もう既に大手企業は始動しているはず。取り敢えず私は、白湯を常飲し週3日1日1万歩を目標に歩きます! テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

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株式会社ネオキャリア 代表取締役CEO 西澤亮一 

人と本気で向き合い、未来を切り拓く。 株式会社ネオキャリア 代表取締役CEO 西澤亮一 (にしざわ りょういち) ■プロフィール2000年、新卒で投資会社に入社。同年11月、株式会社ネオキャリアを共同設立し取締役に就任。2002年に代表取締役社長へ就任。新卒・中途採用支援、エンジニア採用、介護・保育事業、HR Techなど多岐にわたる事業を展開し、人に関わる社会課題の解決を目指す。 人材業界トップクラス成長率を誇る株式会社ネオキャリア。企業の採用支援にとどまらず、求職者の就労支援、さらには、アウトソーシング事業などを手掛ける業務支援など、幅広く人に関わるサービスを展開している。今回は代表取締役CEOである西澤亮一さんに創業の経緯や事業内容についてお伺いした。 大学生時代は、レンタルビデオ店でアルバイトをしていました。当時住んでいた場所で新店舗のオープニングスタッフを募集しており、なんとなく興味をもったのがきっかけです。当時は24時間営業だったのですが、深夜の時間帯は正社員の方がいなかったため、自分が店長代理のような形で働いていましたね。深夜だとお客様が来ないので、作品の売れ行きの分析や、陳列の見直し、商品POPの作成など、“ミニ経営者”みたいなことをしていました。責任も大きかったですが、この4年間は楽しかったですね。 大学では金融を学んでいたので、就職活動では銀行・証券会社・生命保険会社などの金融業界を中心に見ていました。ただ当時の金融業界は年功序列が激しく、30代後半からでないと支店長にすらなれないといった状態でした。私は30歳になるまでに「三つの自由」である「精神的自由」「時間的自由」「金銭的自由」を得ようと考えていました。それぞれ具体例を挙げると、精神的自由は人に気を遣いすぎないこと、時間的自由はいつでも旅行がいけること、金銭的自由はお金を気にせず行動できること、といった感じでしょうか。年功序列の金融業界では三つの自由が得られないと思い、別の業界を目指しました。その流れで偶然、一年目から起業ができるベンチャーキャピタルからお誘いをうけました。半信半疑な部分もありましたが、リスクを取らずに自由は得られないと思い、その会社に就職をしました。 ■成功パターンの共有が黒字化への第一歩 入社して一年目の11月に、早速自社と人材会社、求人メディアの三社のジョイントベンチャーとして、人材紹介と求人メディアの代理店の会社を作ることになりました。私を含めた新卒9人で会社を立ち上げましたが、苦難の連続でした。2000年11月に立ち上げをして2002年3月までの1年4か月の間は黒字になることはなく、4000万円の赤字となりました。資本金もなくなり給与も止まり、代表が辞めるまでに事態は悪化していましたね。学生上がりのメンバーばかりなので、頑張っているけど、赤字の原因すら分からない。そんな状態でした。その中で、私だけは営業成績で黒字を出していたため、株主やメンバーの声もあり、辞めた代表の後任として代表に就任しました。黒字化を図るために、ばらばらだったメンバーの目標を、方向性を示して足並みをそろえることを始めました。そこからメンバーに対して自分が行ってきた営業の成功パターンを伝授していきました。一か月後から徐々に黒字化していき、1年半後には、赤字を解消しました。 ■社員を守るために逆張りの決断 その後は年々売上も社員数も右肩上がりで伸びていき、営業利益は20億、純利益は2億超を達成しました。しかし、2008年のリーマンショックの影響により、人材業界全体で毎週のように人が辞めていく状況に陥りました。ただ、そのような状況でも私についてきてくれる社員をリストラしないために、他の人材会社が撤退した地方で、あえて人材紹介の事業を展開しました。その結果、地方における求人需要を満たすことができ、市場シェアを獲得することができました。ピンチの時こそ、どちらかというと逆張りの戦略を考えることが、会社の成長に繋がるかもしれませんね。 ■求人広告と採用代行で独自の立ち位置を築く 人材業界と一言で言っても、人材紹介・人材派遣・求人広告・採用代行といった様々なビジネスモデルがあります。当社ではこれらの事業をすべて提供していますが、中でも求人広告に関しては、トップクラスの販売実績を誇っています。例えるならマイナビ社などから求人媒体を仕入れて、それをお客様に提供をする「求人広告の代理店」といった立ち位置でしょうか。マイナビ社など大手の企業が当社のクライアントになってくださるという、人材業界の中でも特殊な立ち位置となっております。また、採用代行の領域においては、求人への応募受付から応募者への連絡、最終選考まで、採用プロセス全体を一気通貫でサポートするサービスも提供しています。特に最終面接までカバーしているのが特徴的であり、新卒・中途採用だけでなく、アルバイト採用まで幅広く対応しております。 ■ビジネスの違いを生むのは「人」の力 当社のパーパスとして「人と本気で向き合い、未来を切り拓く。」という言葉を掲げています。人材業界のビジネスモデルは、そこまで大きな違いはなく、媒体の量や質、業界の種類によっても若干の違いはありますが、一番「違い」がでるのは、やはり「人」だと思います。仕事への意欲が高い人であれば、お客様に対してもクオリティの高いサービスを提供できると考えています。お客様から見ても丁寧で熱心な会社や人に対して、仕事を頼みたいと思うことは当然のことです。仕事を頑張る理由は何でも良くて、意欲があり熱意を持っていれば、必ずどんな環境でも活躍できます。今後の当社の目標として、2030年までに少なくとも営業利益100億円の企業規模を作り上げたいと考えています。ただそれを達成するには20~40代の人たちが中心になっていく必要があります。40代が経営の中心、30代が事業の中心、20代が現場の中心となれば、永続して事業の拡大につなげられると考えています。そのためにも意欲の高い人たちには、ぜひ当社に入社してほしいですね。 ■思考が人生を大きく変える鍵 学生の皆様には、社会に出る際には大学の入学式と同じようにワクワクしてほしいと思います。人間は思考の生き物です。物事の捉え方によって人生は大きく変わってきます。今の社会は情報量が非常に多く、意思決定も物事を捉えることも難しくなりつつあります。その中でも自分の意思をしっかり持ち、自分の人生を良い方向に持っていってほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年12月3日取材 武蔵野大学4年 西山流生

丸山実友

亀田製菓株式会社 代表取締役社長COO 髙木政紀

“ライスイノベーションカンパニー”として米の未来を切り開く 亀田製菓株式会社 代表取締役社長COO 髙木政紀(たかぎまさのり) ■プロフィール1972年2月11日生まれ、新潟県出身。小学生のころの夢は「亀田製菓に入ること」。その夢を実現し、1990年4月に入社。その後、工場長や経営企画、総務部長、営業本部長など多岐にわたる業務を歴任し、2022年6月代表取締役社長COOに就任。“現場出身のリーダー”として、従業員との対話を重視した経営の舵取りを行う。プライベートでは最近孫が生まれたので、孫の写真が届くことが楽しみのひとつ。 1975年から40年以上にわたり米菓業界を牽引してきた亀田製菓。亀田の柿の種やハッピーターンなどの米菓を通じて、人々の暮らしに喜びを届けてきた。現社長・髙木政紀氏は幼い頃から亀田製菓への入社を夢見ていたという。そんな誰よりも会社に対して深い愛情を持つ髙木氏に、亀田製菓の魅力やこれからの米菓産業について伺った。 幼い頃から、亀田製菓に入ることが夢でした。1975年、私が3歳の頃、亀田製菓は日本一の米菓会社になりました。私は亀田製菓が創業した町に生まれたので、近隣の方々や親族で亀田製菓に関わっている人が多く、「あの会社いいよ」と言われて育ってきました。印象深かったのは、会社を推薦する大人たちが亀田製菓について話すとき、いつも楽しそうですごく幸せそうだったことです。そんな環境から、「あの会社に入ると、僕の人生はハッピーになるんだ」と自己暗示をかけ、その思いは決して薄れることなく、小学校の卒業文集にも「亀田製菓に絶対入る」と書くほどでした。 ■憧れの「亀田製菓」 高校を卒業したらすぐに亀田製菓で働きたいと思っていました。その想いが届き、卒業後すぐに入社することができました。入社してからも、幼い頃に抱いていた亀田製菓へのイメージは変わらず、むしろ更に大好きになっていきましたね。働いている人たちも、みんながフォローし合う温かい会社だと感じています。入社後は、多くの工場と職場を経験し、チームのマネジメントや、工場長、営業所長、人事、さらには会長のおつきなど、さまざまな経験をしました。大好きな会社で、色んな部署に携わり、様々な方々とお話をしながら、喜びを分かち合うことは、私にとっては大きなやりがいでした。社長に就任したのも、こうした経験があったからだと思います。 ■お米の魅力を米菓に込めて 私たちは、常にお客様のニーズを第一に商品を作っています。市場環境を捉えたり、トレンドを察知したりしながら、独自価値を創造する企業として、皆さんに驚きを届けられるように工夫しています。具体的な商品開発は、マーケティング戦略部の企画開発チームと技術開発チームが協力して行っています。市場から情報を得てお客様にどのような商品がヒットするのかを考える企画開発チームと新しいネタを研究開発する技術開発チーム。この2つのチームが、それぞれの知識を共有し、常に対話することで、商品を開発しているんです。良い商品を生み出すには、自社で持っている技術力をはじめとした財産をどのように生かすかが大切で、社員の皆さんが思う存分アイデアをだせる環境を経営陣がつくることが必要だと考えているので常にその環境づくりに徹しています。亀田製菓の一番の強みはお米の加工技術力です。お米には日本産、タイ産、アメリカ産など沢山の種類があり、それぞれに特徴があります。その特性を分析した上で、技術条件を工夫しながら品質を向上させ、クオリティの高い商品を作ることができる技術力こそが、亀田製菓の宝です。たとえば、近年では米不足と言われていますが、やはり日本のお米を使い続けたい思いは変わりません。近い将来、日本の皆さんが食べるお米の量と日本の農家が作る量は逆転してしまうと言われています。しかし、お米がとれないからといって、商品を終売するわけにはいきません。様々な国のお米を、適切な配合条件等に変えながら、培った技術を駆使して、美味しい商品として提供していきます。また、お米はアレルギーが少なく、宗教も年齢も関係なく食べられるなど、たくさんの可能性があると思っています。ただ美味しいだけでなく、そうしたメリットも生かした活用を進めていきます。 ■次世代の米菓産業を作る 私たちは、これからも人類の健康をサポートする、ワクワクする美味しい食品を作り続けていきます。そのなかでお米の効果について日夜研究する一方、最近では農家の方と共に地元新潟の持続可能な稲作に寄与する取り組みを始めました。我々は、お米を用いて成長してきた会社です。将来、お米の収穫量が少なくなる状況を考えた時に、私たちが農家の皆さんとともに米づくりを行い、知恵を出し合いながら稲作の生産性を高めることができると感じています。今後もアグリビジネスを通じて、日本の大切な稲作が衰退せず、持続可能な未来へ導く一助となれるよう取り組んでまいります。そして、日本を代表する“ライスイノベーションカンパニー”として、米業をリードしていきたいですね。亀田製菓で一緒に働きたいと思う人材は、純粋に会社の未来について一緒に語り合える人です。また、会社は人生の一部なので、会社と共に家族や自分の人生をハッピーにしていこうと思える人が素敵です。それらの探求心は自身やチームを成長させ、会社を動かすことができるはずですから。 ■大学生へのメッセージ 学生時代の今しかできないことが沢山あります。是非、学生生活を全うしてください。今できることに精一杯取り組み、やりきる。その結果よりもやりきった経験こそが自分の成長の糧にもなります。そして、自分と周りと比べず、自分の個性を大切にしてください。新入社員の中には、同期と自分を比べて落ち込んでしまう方がいます。しかし、みなさんは自分のカラーが認められ、入社する会社からオファーをいただいていますので、そのことを誇りに思い、自身の強みにするべきです。周りと比べてしまうと、自分の個性が揺らいでしまいます。ぜひ、自分のカラーを大切に進み続けてください。 学生新聞オンライン2025年2月18日 国際基督教大学2年 丸山実友

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マツダ株式会社 MDI&IT担当常務執行役員 木谷昭博

技術者からシステムエンジニアへ DXで創るマツダブランド マツダ株式会社 MDI&IT担当常務執行役員 木谷昭博(きだにあきひろ) ■プロフィール1982年マツダ入社。2002年MDIプロジェクト推進室長、2007年パワートレイン革新部長、2013年R&D技術管理本部長、2019年MDIプロジェクト室長兼ITソリューション本部長を経て、同年執行役員MDI&IT本部長などを歴任。2022年より常務執行役員MDI&IT担当に就任し現在に至る。 入社42年目を迎え、以来デジタル技術を活用した自動車製造に携わるのが、マツダ株式会社の常務執行役員である木谷昭博氏だ。デジタル化の幕開けから常に最前線を担ってきた木谷氏に、自動車業界におけるDXとは何なのか、また、マツダのDXはどのように変化してきたのか伺った。急速な進歩を遂げる、自動車会社のDX最先端を紐解いていく。 私の大学生活は、朝8時から深夜0時まで研究室に篭っては、モノづくりに専念する日々でした。図面を書いたり、テストピースを作ったり、納得いくものができるまでひたすら手を動かしていました。今思えば、この経験が技術者への第一歩だったんでしょうね。材料工学を学ぶ学生の多くが設計段階に留まる中、職人に任せず自分の手で作ることを大切にする教授からは、真の技術者としての姿勢を教わったように思います。 ■デジタル人生の始まり 技術職に憧れて入社したマツダ。新入社員のほとんどが研究開発を希望する中、私は製造現場希望という珍しいタイプでした。というのも、研究生時代に教授から「頭脳レベルは中高校生の段階で決まっているのだから、あなたが勝負できるのは製造現場だ!」と言われていたからです(笑)。もちろん、これまで磨いてきた材料工学を生かしたいという気持ちも強く、まずは10年かけて製造現場を1通り学ぶつもりでした。憧れの試作部に配属が叶い、向かった仕事場は、小さな町工場の片隅にある事務所でした。想い描いていた製造現場を目の前に、期待が膨らみましたね。職人さんに教えてもらいながら、半年かけてわずか30μの部品を製作できた時の達成感はこの上ないものでした。ところが配属後まもなく、CAD/CAM開発 のプロジェクトへ異動となり、システムエンジニアとしてプログラミングに携わることになります。CADはコンピューターで図面作成を行うツールのことで、CAMはCADで作成した図面を使って製作段階のプログラムを作成するツールを指します。まさか自分がシステムを作る側になるとは思ってもいませんでしたが、研究生時代から汗水垂らして製作していたものが、プログラミングによって一気に効率化されることへの期待を胸に、ゼロから学び始めました。私のデジタル部門の仕事は、実にここから始まります。 ■3D化×シミュレーションがもたらしたもの DX化はここ数年の出来事だと思われるかもしれませんが、実は1996年のMDIプロジェクト開始時から、マツダのDXは始まっています。MDIプロジェクトとは、Mazda Digital innovationの略で、3次元のCAD/CAMを使い、設計から生産まで全て3次元による製造に挑戦するものです。以前はCADのデータが完璧でなかったので、生産段階で再度設計に戻ってデータを修正しながら金型を製作するのが主流でした。しかし、設計図面の3D化によって、テストピースを作る前に製造後のイメージを確認できるようになったのです。町工場で地道に手を動かしていた頃と比べると、たった20年ほどで技術が大きな進歩を遂げたことがよくわかるのではないでしょうか。2010年代に入ると、技術による効率化だけではなく、“マツダブランド”としてのデジタル革新が推し進められます。例えば、粘土で作られた実物モデルとコンピューター上の3Dモデルを同時に操作することで、車体に複雑な陰影を付けられるようになり、マツダ独自の商品開発に成功しました。また、自動車会社にとって何より大切なのは、車体の安全性を高めることです。シミュレーションを用いた衝突実験を行い、燃費を良くするための軽量化を維持しながら、車体の高剛性や高強度化がどこまでできるか研究しました。このように、3D化やシミュレーション技術は開発期間や試作車の台数を削減し、自動車生産に大きな変革をもたらしました。そして、単に製造の効率化を図っただけではなく、デザインや安全性がマツダのブランディングにも寄与したのです。 ■お客様まで届くDX さらに2016年からは、MDI2と呼ばれる、ロジスティックスのDX化に取り組んでいます。自動車が購入に至るまでには、受注・生産・輸送・在庫・店舗といった大きな流れがありますね。こうしたサプライチェーンを可視化することで、どの店舗でどの車種が売れているかなど、1台1台の車の動きを関係者全員が共有できるようになっています。つまり、これまで開発から生産の領域に留まっていたDXが、開発からお客様まで広がったということですね。現在は、企業活動を陰から支える、経理部や人事部などのDX化を進めている段階です。これまでは各部門がそれぞれに分類されたデータを使用していましたが、部門ごとの壁をなくし、皆が同じデータを活用できるシステムの構築に取り組んでいます。そして、DXのみならず、AIには無限の可能性があると思っています。今後はAIを駆使して、どれだけ少ない人数で多くの仕事ができるようになるかが鍵ですね。例えば、経理予算などの文書作成から、自動車の開発や生産など、AIをどこまで活用できるか考えていかなければなりません。 ■大学生へのメッセージ 技術職を目指す学生に向けて、「卒業研究は、技術者への登竜門」という言葉を贈りたいと思います。これは、私が学生時代に教授から貰った言葉でもあり、実際に技術者としての道を経験した今思うことでもあります。大切なのは、とにかく手を動かして、テストピースを自分で作れるようになること。そして、未知の課題に対してどのようにアプローチするか実験し続けること。あなたがしようとしている研究は、まだ誰もしたことのない世界初の研究です。「なぜ?」と問い続けることを忘れずに、常に深掘りして新たな発見を生み出してほしいと思います。 学生新聞オンライン2025年2月17日取材 上智大学3年 白坂日葵 MAZDA TRANS AOYAMA 住所:東京都港区南青山5丁目6-19営業時間:8:30 AM ~ 6:30 PM*8:30 AM ~ 10:00 AM 1Fカフェのみ営業定休日:月曜日https://www.mazda.co.jp/experience/mazda_trans_aoyama/

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株式会社ツクルバ 代表取締役CEO  村上浩輝

いつかやろうと思っていることはすぐやれ 〜幸福度の上がる家に〜 株式会社ツクルバ 代表取締役CEO  村上浩輝(むらかみ ひろき) ■プロフィール2011年8月にツクルバを創業、デザインファームとして事業を拡大。2015年に中古・リノベ住宅流通プラットフォームのカウカモをローンチ。サービス開始から成長を続け、4年後の2019年に不動産業界最年少で東証マザーズ上場を果たす(現役の業界最年少社長)。『住まいの「もつ」を自由に。「かえる」を何度でも。』を掲げ、カウカモは会員登録数50万人を超えて成長中。 学生時代のダンスイベント運営やリクルート系企業での経験を経て、不動産業界に革新をもたらすIT企業「ツクルバ」を創業。日本の住宅市場に新たな選択肢を生み出し、業界の変革を推進する村上浩輝氏に、これまでのキャリアや学生時代の経験、そして大学生へのメッセージを伺いました。 ■NIKEも注目したダンスイベントの主催 学生時代はダンスに打ち込んでいました。小学生の時にロックバンドが好きになり、中学生から楽器をやり始めて、高校生の時はバンドをやるだけではなく、バンドをやっている仲間を集めてライブハウスを貸し切ってイベントをする。お祭り好きでしたね。高校生の時にこのままバンドを続けてもプロにはなれないと挫折し、鬱屈としていた時にストリートダンスに出会いました。実際にダンスをやってみると、学生ダンサーにはプロ並に上手い人もいるのですが、プロのダンサーとの交わりがない。そこで、プロのダンサーと学生ダンサーを混ぜるようなイベントをやってみたら、世に羽ばたく学生ダンサーが増えるのではないかと考え、自分でイベントを主催しました。すると規模がどんどん大きくなっていき、最終的には1000人規模のイベントとなり、NIKEから協賛を受けるまでに成長しました。 ■リーマンショックと震災を経て見出した起業への道 学生時代にイベントの企画運営はしていましたが、起業の真似事に過ぎないのではと感じるようになりました。今まで自分がやってきたものより、たくさんの人が使ったり、多くの人に影響を与えたりするようなサービスで、もっと大きく社会に貢献するような事業を作りたいと思いました。そのためには、まずは自分より優秀な人がたくさんいるところに行って修業して、さらに将来の仲間を見つけられたらいいなと考えたのです。面接時に「3年で起業します」と伝え、それを面白がってくれる会社を探しました。そしてリクルート系の会社に就職が決まりました。ただ、最初に入社した会社はリーマンショックで潰れかかってしまい、新卒50人ほどがリストラに。元々起業するつもりでしたが、やはりどこに行っても通用する人材にならないと生き残れないということを改めて強く実感しました。その後、IT企業に転職活動し、休みなくがむしゃらに働きました。そして2011年の東日本大震災をきっかけに、「いつか起業しようと思っていたけれど、 自分もいつか死ぬ、だったら早くやろう」と感じ、起業に至りました。 ■どんな人と一緒に働きたいか 僕たちが求める人材には、「STO」という3つの要素を大事にしています。S:素直柔軟に考えを変え、成長のために他者から学ぶ姿勢がある人。T:チームワーク仕事は個人戦ではなく、チームで成果を出すものだと理解できる人。O:オーナーシップ「やらされている」ではなく「自分が決めたこと」として責任を持てる人。 採用の際は面接のときに目を見て、その人の纏う空気で直感的にこの人と働きたいかを判断します。採用するのが難しいのは、自信過剰で素直になれない人。また、「自分に自信がなくて、会社に入っていっぱい働いて、自分を変えたいんです」とアピールする人も採用しにくいです。他人の圧力によって自分を変えたい人は”向上心がある人に憧れている”。もしくは”向上心がある自分に憧れている”だけだと思います。また、「会社の理念に共感しています」とは言うものの、その理念を叶えるために努力する覚悟がない人も厳しいですね。 ■ツクルバが目指す「住まいの新しい選択肢」 現在ツクルバは、中古マンションのリノベーション市場に注目し、リノベーション物件の売買プラットフォームを提供しています。転勤族ではない限り、多くの人は親と一緒に10年、20年、1〜2軒の家に住むと思います。次に、学生になって初めて1人暮らしするとなると、とりあえず賃貸に住むことになります。その場合、壁も床もいじれないような、 横の部屋と何も変わらない賃貸マンションに住むことになります。そこには、「家を楽しむ」という概念はありませんよね。その後、社会に出たら結婚するか、もしくは結婚はしばらく先だから単身で家を買うかというタイミングで、初めて自分の家を考えますね。そこで「はい、家を好きにしていいよ」と言われても、”家は楽しいもの”という感覚はありません。でも、僕らのサービスを使ってくれる人は、「家を持ったことで人生がもっと楽しくなりました」と言ってくれる方が多くいらっしゃいます。これからも、さらにスムーズにたくさんの物件の売り買いができるサービスを目指します。さらに、その先に自分らしい暮らしを手に入れて、少しでも幸福度が上がる方が増える世の中にしたいと思います。この事業は、この国のインフラとなるサービスなので、 規模的にも5倍、10倍と責任を持って大きくしていきたいと思っています。また、自分の代だけで事業を考えるのではなく、しっかり次の世代にバトンを繋ぎ、自分たちがこの世を去る時になっても、この会社が世の中に貢献しているという状態にできたらいいなと思っています。 ■大学生へのメッセージ 僕が学生時代にやってよかったと思ったことは、「何かを突き詰めること」です。趣味でもアルバイトでも、とにかく夢中になれるものを見つけて、それに全力で取り組んでください。中途半端に「なんとなく授業を受けて」「なんとなくバイトして」「なんとなく就活して」と過ごすよりも、何か一つに没頭する経験をした方が、必ず人生の糧になります。若いと、未来は無限に思えてしまうのですが、例えば、毎日、24時間で無くなる1万円をもらえてその日のうちに使い切らなければ消えてしまうとしたら、きっとみんな必死に使いますよね。皆さんの命というのはそういうものです。人生は短いので、いつかやろうと思っていることは、すぐやったほうがいいです。全力で取り組んで生き切ってください。 学生新聞オンライン2025年1月29日取材 城西国際大学1年 渡部優理絵 法政大学 3年 佐伯桜優 / 城西国際大学 1年 渡部優理絵

丸山実友

ビットバンク株式会社 代表取締役社長 廣末紀之

暗号資産とは、“マネーのインターネット”だ ビットバンク株式会社 代表取締役社長 廣末紀之(ひろすえ のりゆき) ■プロフィール野村證券にてキャリアをスタートし、その後インターネットに魅了されIT系スタートアップの立上げ、経営に長年携わる。GMOインターネット株式会社常務取締役、株式会社ガーラ代表取締役社長、コミューカ株式会社代表取締役社長などを歴任。2012年暗号資産技術はマネーのインターネットになると確信し、2014年ビットバンク株式会社を創業。2022年デジタルアセット信託事業への参入に向けて、日本デジタルアセットトラスト設立準備株式会社を設立し、同社代表取締役を兼任。 暗号資産(仮想通貨)という新しい産業で暗号資産取引所「bitbank」を運営するビットバンク株式会社は、安心安全な暗号資産取引所として多くの人から絶大な信頼を得ている。創業者である廣末紀之氏は、暗号資産の可能性を信じ続け、事業を推進してきた。そんな廣末氏が“ビットコイン”に出会うまでの道のりや多くのお客様に愛される取引所の秘訣、今後の目標について伺った。 大学生時代は、勉強よりもサークル活動など遊び中心の生活でした。そんな生活を送る中で、ビジネスマンへの憧れを持つようになりました。そして、社会人になったら、誰よりも真面目に働こうと考えるようになりましたね。 ■常に将来を見据えて… ビジネスマンへの憧れを持つとともに、将来、自分で起業したいという気持ちも持っていました。起業するにあたり、金融の知識は不可欠であることや様々なビジネスに触れる機会があることが決め手となり、金融の世界を選びました。そして、当時、金融業界でも一番厳しいとされる野村證券に就職しました。入社した当初は、やはり厳しい洗礼を受けましたね。そんな中でも、仕事に直向きに取り組み、同期500人の内、営業成績一位を収めることができました。しかし、インターネットの登場をきっかけに野村證券を退職することにしました。証券会社にいて、身についたことは、「未来に社会や企業がどのように変化していくか」を考えることです。社会全体が工業社会から情報社会へ移行すると言われる中で、未来がどうなるのかを考えていた頃、インターネットに出会いました。この時、インターネットの普及が情報化社会の中心になり、産業の構造も激変するはずだと考えました。そこで、インターネット業界のど真ん中に行かないとダメだと感じて、GMOインターネット(現 GMOインターネットグループ株式会社 )にジョインしました。GMOでは、会社の経営に携わりましたし、東証一部上場まで果たしました。その後、カーシェアリングの事業を始めるのですが、リーマンショックの影響もあり、事業の売却をしました。私は、常に社会がどうなっていくのか、将来がどのように変化していくのかを考えているのですが、「次のビジネスは何をしようか」と模索していた時に出会ったのが、ビットコインだったのです。 ■ビットコインへの確信 最初は、私も暗号資産には良いイメージをもっていなかったですね。しかし、一つ一つの技術を自分で消化して、この技術にどのような意味があり、どのような可能性があるのかを、自分自身できちっと理解しないと、事業の打ち手を間違えるので、ビットコインはどういうものなのかを色々と研究しました。調べていくうちに、ビットコインとは「マネーのインターネット」だと思ったんです。インターネットは情報の流通ができますが、本質的にはデータの盗聴や改ざんが可能であり、ビットコイン誕生前は、二重支払いが許されないマネーとしてのデータの流通は不可能と考えられていました。ビットコインのすごいところは、複数の技術を組み合わせ、最大の課題であった二重支払い問題を解消し、その取引が改ざんされていない正常なデータであるということを、信頼できる仲介者を必要とせずに証明できるところです。これを理解した時、この技術を持っていれば、現在の信頼できる仲介者を必要とする金融構造を大きく変えることができると確信し、2014年に創業しました。現在、私たちがおこなっている事業を簡単にいうと、取引所はビットコインを売りたい人、買いたい人をマッチングさせるなどといったサービスです。 ■アマチュアからプロへ この変化の極めて激しい暗号資産業界で生き残るポイントは、致命的なミスをしないことです。新しい産業は、みんなアマチュアでスキルが低いところからのスタートです。そのため、ミスを起こしやすい。我々の場合のミスといえば、ハッキングによる流出事故やシステムダウンなどですね。そうすると、ミスをした会社が次々と落ちていく。その結果、ミスをしていない会社が勝つのです。つまり、勝ちにいって勝つのではなく、相対的に勝つという感じですね。 これは、敗者のゲームです。だからこそ、私たちは絶対に流出事故などを起こさないようにシステム準備をおこなっています。これを成し遂げるには、技術やノウハウがある人材採用と資金を集める必要があります。致命的なミスを防ぐことを心掛けてきた結果、多くのお客様から信頼を勝ち得ることができ、支持され続けているのだと思います。しかし、市場が成熟してくると、みんながプロになってきます。今度は、自ら勝ちに行かなければいけません。これは勝者のゲームです。私たちは、最近、テレビCMなどのマーケティング活動も強化しています。商売は、品質だけが良くても、お客様は集まらないですからね。やはり、品質とマーケティングの二つが重要であると実感しています。 ■これからのビットバンク 今後10年間で起こる最も大きな変化は、AI社会への転換です。これによって、産業のあり方、人々の働き方が大きく変わると思います。人間の能力を超えるものがデジタル上で存在することで、これからの仕事は全て機械にやらせるような社会になるかもしれません。暗号資産の視点から考えると、暗号資産は全てデジタルで完結できるので、AIが使うには最適なのです。私は、AIによる機械化経済が起こった時、暗号資産はAI同士の支払いに適していると考えています。そのため、これからはAIエージェントに特化した事業も考えていきたいです。現在は、人や会社に向けた商売をおこなっていますが、AI向けの商売をしたいですね。これからもビットバンクが成長し続けるために、私が一緒に働きたいと思う人は、やはり素直で行動力がある人です。正しい倫理観、正しいモノの見方ができるかが重要です。そして、プラスアルファでこの業界に関する技術や興味をもっている人ならば、なお良いですね。 ■大学生へのメッセージ 常に今取り組んでいる領域で1番を目指すという姿勢が大切です。1番を目指して物事に真剣に取り組むことで、次のステージが切り開けてくると信じています。この「1番」を目指したプロセスが最終的に繋がって、人生という一連のストーリーを作り上げることになると考えています。ぜひ、自分の信じた道を突き進んでください。 学生新聞オンライン2024年12月4日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 国際基督教大学2年 丸山実友 / 東洋大学 2年 越山凛乃

学生新聞インターン

株式会社AIメディカルサービス 代表取締役 CEO 多田智裕

挑戦し続ける医療革新のフロンティア 株式会社AIメディカルサービス 代表取締役 CEO 多田智裕 (ただともひろ) ■プロフィール 東京大学医学部ならびに大学院卒。東京大学医学部附属病院などで勤務。2006年にただともひろ胃腸科肛門科を開業。2017年株式会社AIメディカルサービスを設立。2025年より医療法人SCジェイズ胃腸内視鏡・肛門クリニック名誉理事長。『行列のできる 患者に優しい“無痛”大腸内視鏡挿入法』『東大病院をやめて埼玉で開業医になった僕が世界をめざしてAIスタートアップを立ち上げた話』など著書複数。 AI技術を活用した内視鏡検査の革新で、医療業界に新たな風を吹き込む多田智裕さん。学生時代から医師、起業家としての道を切り開き、現在はAIメディカルサービスのCEOとして活躍。革新的な挑戦を続ける多田さんに、医療とテクノロジーの未来、そして大学生へのメッセージを伺いました。 ■医学部時代、努力の積み重ね 学生時代は、勉強とアルバイトにほとんどの時間を費やしていました。医学部に在籍していたため、朝から晩まで授業や実習が詰まっており、他学部の友人たちが「週1回の授業だけでいい」と話しているのを聞くと驚くばかりでした。医学部のカリキュラムは非常に過密で、9時から夕方までの授業が連日続く上、実習が長引いて帰宅が夜遅くなることもしばしばありました。一方で、学費や生活費は全て自分で賄う必要がありました。塾講師のアルバイトをしながら、勉強と仕事を両立する日々は厳しかったですが、自分自身で努力して道を切り開く経験は大きな財産となりました。医学部を志した理由は、シンプルに「医師という職業が面白そうだ」と感じたからです。周囲には医師を目指す友人や先輩が多く、「人の命に関わる医療分野なら、自分の可能性を最大限に試せる」と思いました。大きな決断というよりは、興味や好奇心が背中を押してくれた形です。当時の私にとって、医師になることは確かなハードルではありましたが、挑戦してみる価値があると感じました。 ■開業医としての自由と責任 医学部を卒業後、東大病院を始めとする複数の病院で研修医として勤務し、外科専門医を取得しました。そののちに東大大学院に進み、卒業後に埼玉でクリニックを開業しました。開業医として働くことで、医療の現場で必要とされる自由と責任を強く感じました。開業医は、すべての決定権を自分で持つことができます。例えば、スタッフの採用や医療機器の導入も私自身の裁量で進められます。大学病院のように予算申請や承認プロセスに時間を取られることなく、患者さんのために迅速な判断ができる。そのことは大きな魅力でした。私が開業した当時は、まだまだ専門性を持つクリニックが少ない時代でした。多くのクリニックが幅広い診療科目を掲げていた中で、私が選んだのは内視鏡検査に特化する道です。内視鏡検査は、胃がんや大腸がんといった消化管がんを早期に発見するために非常に重要な検査です。特に、ステージ1で発見できれば治癒の可能性が高く、私はこの分野で専門性を磨くことで、患者さんの命を救う可能性を広げたいと考えました。また、内視鏡検査の普及には患者さんの負担を軽減する必要がありました。当時、胃カメラや大腸内視鏡は苦痛を伴う検査というイメージが強く、検査を受けること自体を敬遠する患者さんが少なくありませんでした。そのため、私は技術を改良し、苦痛を最小限に抑えた検査方法を追求しました。この取り組みを通じて、患者さんが安心して検査を受けられる環境を整えることができたと感じています。 ■AIと医療を融合させた新たな挑戦 クリニックを運営する中で、内視鏡検査の精度についても問題意識を持っていました。というのも内視鏡検査は人の目で診る検査のため、どれだけ技術が発達しても最後は医師の画像診断能力に依存するからです。そんなときに東京大学の松尾豊教授から「AIの画像認識能力が人間を超えた」ということを伺い、AIを活用すれば内視鏡検査の精度をさらに高め、究極的には見逃しをゼロにすることができると考え、内視鏡AIの研究開発に挑戦することにしました。そして、世界初の胃がん検出AIの研究開発に成功したのです。この技術を研究で終わらせず社会実装すべく、2017年に株式会社AIメディカルサービスを設立しました。内視鏡AIは徐々に医療現場に取り入れられ始めており、内視鏡専門医の目でも見逃されていた難しい病変の検出が期待されています。また、当社のソフトウェアに関してはベンダーフリーである点が大きな特徴です。検査機器を問わないため導入のハードルを下げつつ、診断精度の向上を支援することで、多くの患者さんの命を救う可能性を広げています。私たちのミッションは、内視鏡検査の普及と診断精度の向上を通じて、がん死亡率を減らすことです。この取り組みを通じて、日本発の医療技術を世界に広げたいと考えています。特に、胃がんや大腸がんといった消化管がんの早期発見は、患者の生存率を劇的に向上させることができるはず。これを可能にする内視鏡AIは、日本のみならず世界でも注目されており、私たちの技術が患者さんの未来を変える一助になればと思っています。 ■大学生へのメッセージ 大学生の皆さんには、「自分の可能性を信じて挑戦してほしい」とお伝えしたいです。例えば、スタートアップという選択肢も、今後のキャリアを広げる上で非常に有効な道です。AIやデータサイエンスなどの分野では、スタートアップがイノベーションの中心となっています。私もクリニックの開業やAI技術の開発に挑戦してきましたが、どちらも「失敗を恐れない」精神が大きな原動力でした。大企業でのキャリアも魅力的ですが、スタートアップでは短期間で大きな成果を生み出すチャンスがあります。成功や失敗を繰り返しながら、自分自身の可能性を追求してほしいです。また、起業という選択肢についても、ぜひ検討していただきたいと思います。日本ではまだ起業が少ない現状ですが、自分で道を切り開く経験は、他では得られない貴重な学びをもたらしてくれます。自分の興味や情熱を軸に行動し、一歩踏み出すことで、新しい世界が開けるはずです。失敗を恐れず挑戦する皆さんの姿が、日本の未来を切り開いていくことを心から期待しています。 学生新聞オンライン2024年11月20日取材 津田塾大学2年 石松果林 武蔵野大学 4年 西山流生/城西国際大学 1年 渡部優理絵/津田塾大学 2年 石松果林/青山学院大学4年 北嶋里奈子/法政大学4年 鈴木悠介

イベント・企業紹介

最高を超える山田錦プロジェクト2024

日本酒の人気銘柄「獺祭」を醸造している旭酒造株式会社(本社:山口県岩国市、代表取締役社長:桜井一宏)は、6回目となる「最高を超える山田錦プロジェクト」の2024年度の表彰式を、2025年1月12日(日)に、帝国ホテル東京にて開催しました。見事グランプリを受賞された、栃木県大田原市の五月女農場 代表の五月女文哉さんと旭酒造株式会社の会長 桜井博志さんと社長 桜井一宏さんにお話を伺いました。 ■グランプリ 五月女農場 五月女文哉  今回初めてグランプリを受賞させていただき、率直に信じられない気持ちでいっぱいです。長年努力してきたことが、ようやく実を結んだと思いました。小さい頃から手伝ってくれていた子供たち、そして30年間ずっと一緒に頑張ってくれている妻の存在があってこそなので、今回の受賞は本当に嬉しいです。また、先輩方や、同年代、後輩たちとお互いに良い影響を与えながら情報交換をしてきたので、関わってくださっている方々全員に感謝しています。私たちは、これからもより良い山田錦をつくっていけるよう頑張っていきたいと思います。 ■旭酒造株式会社 会長 桜井博志 / 代表取締役社長 桜井一宏 この大会を開催されたその想いや背景とは? 会長:山田錦の使用量がある時期に急激に増え、結果的に他の業者が山田錦を確保できなくなるといった問題が起こりました。それをきっかけに、兵庫県だけでなく他県にも山田錦の産地を広げる必要性を感じ、農家の方々と直接向き合うようになったんです。その中で「山田錦は作りにくい」「飼料米のほうが補助金も多くて楽だ」という農家の本音を聞き、正直、夢のない農業の現実を目の当たりにしました。でも、夢がない現状に甘んじていてはいけない。農業が「ワクワクするもの」になるよう、そして農家さんたちが誇りを持てるようにと、この大会がスタートしました。 社長: “夢を農家さんに持ってほしい”というのが一番の想いです。農家という職業はどうしても「辛い」「苦しい」といったイメージが先行してしまい、若い人たちが興味を持ちにくい、夢を抱きにくい現状があります。私たちは国ではないので、補助金を出して支援するような形は取れません。だからこそ「スペシャリストになろう」「プロとして高みを目指そう」と、農家さんたちが前向きに頑張れるよう、私たちができる形でお手伝いをしたいという気持ちでこの大会を始めました。プロフェッショナルの道を目指すことで、農業界全体を盛り上げられると信じています。 開催して、参加者からはどのような声がありましたか? 会長:今日も皆さんが笑顔で帰っていく姿を見て「ああ、これが全てだな」と思いました。「来年もぜひ参加したい」と言っていただけることが何よりの励みです。大会を通じて喜びや達成感を感じていただけたことが伝わってきて、本当に開催して良かったと思います。 社長:これまでこういう全国規模の大会はほとんどありませんでした。例えば、県単位での大会で優勝しても、賞金が少し出るくらいで終わるものが多いのではないでしょうか。でも、この大会では「自分たちが真剣に頑張って、良いものを作る姿をしっかり見せられる」という点で、多くの方に喜んでいただいています。「他の酒造がチャレンジしているなら、俺もやってやるぞ!」と周りに影響を与えるような競争心が生まれ、それが農業界全体の活性化につながっていると感じます。 日本酒の文化としての魅力とは? 会長:日本酒は、ある意味「切磋琢磨すべきもの」なんです。数量的にも品質的にも、まだまだ将来的に伸びる可能性があります。特に品質面では今後も伸び続ける余地が大いにあると感じています。それを実現するには、やはり努力を惜しまないことが大切です。昔、稲盛和夫さんが「仕事への関与度は99.9%、残りの0.1%で家族のことを考える」とおっしゃっていたことを思い出しますが、現代社会ではその精神をもう一度見直すことが必要だと思いますね。 社長:文化というものは、完成した瞬間に止まってしまえばそれで終わりです。ユネスコなどで認められるのは素晴らしいことですが、「これで完成」としてしまうのではなく、常に挑戦し続けることが大事だと思っています。この大会も、その挑戦の一環だと考えています。若い人たちに農業や日本酒作りに興味を持ってもらい、「これから先の50年、100年、1000年の文化を作っていこう」という気持ちを共有したいですね。 若者へのメッセージ 会長:人生を信じて、自分自身を信じて歩んでいってほしいです。それができれば、きっと素晴らしい人生が待っています。頑張ってください! 社長:世界には、若いから経験がないという理由で挑戦を諦めるのではなく、どんどん先に進む若者がたくさんいます。学生の皆さんも、今しかできない挑戦があると思います。失敗を恐れずに挑戦してください。そして、頑張るだけでは人生は大変なので、ぜひお酒などを楽しむことも忘れないでください。仕事を頑張ることも大事ですが、それと同じくらい人生を楽しむことも大事です。 学生新聞オンライン2025年1月12日 城西国際大学1年 渡部優理絵 武蔵野大学4年 西山流生 / 城西国際大学 1年 渡部優理絵 / 旭酒造 桜井一宏社長 / 旭酒造 桜井博志会長 文化服装学院2年 橋場もも ■取材した感想 今回のコンテストを通じて、農業全体の課題や可能性について深く学ぶことができました。グランプリ受賞者のスピーチからは、日々の努力や家族の支えの大切さが感じられ、農業にかける情熱が伝わってきてお酒づくりの魅力を大いに感じました。また、酒粕を使った料理からも、素材の魅力を再発見させるという取り組みがあることを知りました。農業の現状と未来、そしてその可能性について考えさせられる貴重なコンテストでした。 (武蔵野大学4年 西山流生)