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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

株式会社ゲオホールディングス 代表取締役社長執行役員 遠藤結蔵

お客様にとっての最善を考えた事業づくり。ゲオが豊かな生活を支える 株式会社ゲオホールディングス 代表取締役社長執行役員 遠藤結蔵(えんどうゆうぞう) ■プロフィール1978年1月21日生まれ、愛知県出身。2000年早稲田大学政治経済学部卒、同年株式会社ゲオ(現株式会社ゲオホールディングス)入社。2004年取締役社長室副室長を経て、2011年代表取締役社長に就任。2013年代表取締役社長兼執行役員、2019年代表取締役社長執行役員(現任)。 リユース事業やレンタル事業、モバイル事業を中心に、幅広い消費者向けサービスを提供するゲオホールディングス。今や国内外に展開する「セカンドストリート」などのリユースショップを通じて成長を続けている。常に顧客の生活を豊かにすることを目指してきたゲオホールディングスの魅力を、代表取締役社長である遠藤結蔵氏に伺った。 私の学生時代は、アルバイトに明け暮れていましたね。子供のころから政治に興味があり、選挙特番や新聞の政治特集をよく見ていました。そのため政治やマスコミへの道が選択肢としてありました。ただ、知れば知るほど、政治やマスコミの世界は難しいなと感じるようになり、家業に関わることを考えるようになりました。ゲオは家業から始まった会社ですが、創業社長である父親からの誘いで少しずつその事業内容を知るようになり、最終的には入社を決意しました。ただ、卒業後すぐに就職したわけではなく、以前からご縁があった別の会社での勤務を経てから、ゲオに入社しました。当時のゲオはビデオレンタルが主力事業でした。しかし、ビデオのニーズが将来的にどんどん小さくなっていくだろうと予測し、事業の多角化を進めていきます。2011年に社長に就任してからは、より一層その方向性を意識して実行してきました。 ■お客様に豊かで楽しい暮らしを提供する ゲオが掲げている理念は、「豊かで楽しい日常の暮らしを提供する」です。これを実現するために、リユース・モバイル・レンタルの三本柱で事業を展開しています。特にリユース事業には大きな可能性を感じており、現在はリユースショップの「セカンドストリート」を国内で850店舗まで増やしましたが、今後は1000店舗にまで拡大したいと考えています。リユース事業はフリマアプリの登場で競争が激しくなっていると言われますが、私たちはそこまで危機感を持っていません。他社のCtoCサービスで個別に売りたいお客様もいれば、リユースショップでまとめて売りたいというニーズもあるので、うまく使い分けられているとの印象があるからです。お客様が便利に利用できるような環境を提供し続けたいと考えていますので、あえて大きな差別化は行っていません。ゲオの最大の強みは、「安さ」「品揃え」、そして「近くに店舗があること」です。私たちはお店に必要以上のお金をかけません。新築の店舗を建てることはほとんどなく、他店が撤退した場所を再利用し、最小限のコストで出店をすることで、お客様に安く商品を提供することができています。価格設定も、全国規模で統一しており、北海道から沖縄までを俯瞰的に見て全体最適を常に意識していますね。また、私たちは新しいことを始める際には必ず「最悪のシナリオ」を考えています。失敗したらどうなるか、どんなリスクがあるかを先に想定しておけば、思い切って進むことができるんです。リユース事業を世界に広げるという目標も、こうした慎重な計画に基づいています。 ■グローバル展開とリユースの未来 リユース事業において、日本を含め米国や台湾、マレーシア、タイなど、すでに5か国に進出していますが、同等の規模感で展開している企業はあまりいません。これからグローバルでガリバー的なポジションを確立できる可能性を感じたからこそ進出を決めました。今後も、リユースを日本から世界へと広げていきたいと思っています。 ■全部できなくていい。自分の強みを武器に 私は社員とのコミュニケーションをとても大切にしています。週に一回「社長通信」を配信していて、現場の声を聞くと同時に、自分の想いも伝えています。どの事業においても、お客様第一主義を貫くことが重要だと感じています。採用においても、ゲオでは好奇心旺盛な人材を重視しています。チェーン店は分業体制が基本ですが、それぞれの分野でプロフェッショナルが必要です。全てを完璧にこなす必要はありませんが、「これだけは負けない」という何かしらの強みを持っている人は輝いていけると思います。また、ありがたいことにゲオはゲームや音楽、映画など、自身が取り扱っている商品が好きで関わってくれている社員さんやアルバイトの方も多いですね。 ■目指すは一兆円企業へ。日本から世界へ飛躍する企業を目指して 今後はリユース事業を中心に据え、さらに事業を拡大していきたいと思っています。リユース業界全体を盛り上げ、最終的には1兆円企業を目指しています。リユース・モバイル・レンタルの積み重ねで、お客様の暮らしを豊かにし、その価値を高めていくことがゲオの使命です。リユースを通じて、まずは日本から、そして世界へと飛躍することを目指していきたいですね。 ■学生へのメッセージ 学生のみなさんには、好奇心を満たすことに自分の時間を使ってほしいと思います。学生時代は自分の興味や好奇心を追求できる貴重な時間です。その経験が最終的に個性を磨きあげ、社会に出た時に役立つのではないでしょうか。また、この業界は基幹産業ではありませんが、お客さまの娯楽や日々の生活を支えています。リユース・モバイル・レンタルの業界にもぜひ興味をもってもらえると嬉しいです。 学生新聞オンライン2024年10月7日取材 法政大学4年 島田大輝

学生新聞インターン

株式会社エイチ・アイ・エス 代表取締役社長(CEO) 矢田素史

偶然は自分で作ることができる 大事なのはマインドセット 株式会社エイチ・アイ・エス 代表取締役社長(CEO) 矢田素史(やだ もとし) ■プロフィール1961年生まれ、広島県出身。陸上自衛隊を経て1993年に株式会社エイチ・アイ・エス入社。社長室長や人事部長、関西営業本部長、グループ会社の九州産業交通ホールディングス株式会社代表取締役社長などを経て、2020年にHIS取締役に。2021年最高財務責任者(CFO)、2022年代表取締役社長(COO)、2023年代表取締役社長(CEO)に就任、現在に至る。 ”「心躍る」 を解き放つ”をパーパスに掲げ、国内から海外まで幅広い品揃えで旅行をサポートするHIS。近年は、旅行事業の他にも、ホテルや飲食、通信などの事業にも力を入れるなど、多様な展開を見せている。顧客の視点に立ち課題に寄り添うことで満足度の高い旅行を生み出し続ける、HISの矢田素史社長に話を伺った。 ■防衛大学校時代から“空”を夢に見ていた 私が入学したのは、防衛省所管の防衛大学校でした。毎日が厳しい寮生活なので、楽しみといえば長期休暇でした。海外に興味があったので3年生の夏にヨーロッパへ、4年生の夏にアメリカへ語学留学しました。まだインターネットがない時代でしたが、文通を通じてフランスとオーストリアに友達がいたので、ヨーロッパに旅行した際には彼らに会いに行きました。今思えば、文通を始めたのは、その当時から世界に興味があったからなのだと思います。ずっと「空」「世界」「外」に憧れを持っていたので、将来は防衛駐在官になって海外勤務することを夢見ていました。 ■大事なのはスキルではなくマインドセット HISは、パーパス(存在意義)として”「心躍る」を解き放つ”を掲げています。その「心躍る」体験をお客様にお届けするため、自ら手を挙げて挑戦する社員には、たくさんの機会が回ってくる。それが会社の魅力だと思います。創業時より「常に挑戦者である」というアイデンティティにより、自らが手を挙げて挑戦して行く姿勢は、この40年以上続く会社の成長の原動力にもなっていると思います。また、何事もスピードを持って決断します。コロナ禍中には、旅行事業以外で何か新しい事業を開始しようと、10前後の新規事業が立案されましたが、早いものでは半年で実施にまでこぎつけました。「考えてから行動する」ではなく、「走りながら考える」という姿勢で、新しいことに“スピードを持って”挑戦し壁を乗り越えていくという点も、自社の魅力だと思います。 ■多種多様な事業をやっているからこそ、満足度を上げるスピードが速い 自分自身が顧客として、何かモノを買ったり、何かを食べたりするとき、いつも意識するのが「そのサービスを提供する会社が、どれだけ自分のことをわかってくれて、満足させてくれるか」です。私は、少し値段が高くても、自分を満足させてくれるサービスや商品を選ぶようにしています。選ばれるための必須要素は、お客様に合ったものをどれだけご提供できるか、です。A社、B社、HISと比較される場合は、他社より多くの価値をご提供できるか、あるいは多くの選択肢をお見せして、その中から満足度の高いものを選んでいただくこと。それが、弊社と他社を差別化する最たるものだと思います。旅行商品は、飛行機とホテルの組み合わせだけで考えれば、各社同じ組み合わせで同じように作ることはできます。そこに、いかに付加価値を付けられるかが重要です。接客もそうですが、ルーヴル美術館の貸し切りなど、HISにしか仕入れることができない+αの提案にも力を入れています。そして、何より大事なのは心の部分でお客様に寄り添うことです。お客様との対話を通じて、「こういうものが流行っている」「こういうものが求められている」といった情報を入手したら、データベースに入れ、既存の商品やサービスを、時代の流れと共に変化させることも重要だと感じています。 ■今後はコンセプトのあるホテルで他社と差別化 今後は、旅行事業以外の拡大を考えています。旅行事業と、ホテルなどの旅行関連事業、および飲食などの非旅行事業の利益の割合が、1:1になるようにしていきたいです。注力する事業の中でも、その先頭を切っているのがホテルです。現在、我々はリゾートホテルやビジネスホテル、旅館など8ブランド42ホテルを運営しています。特にIoTを活用した『変なホテル』のように、コンセプトがはっきりしているものは、今後ますますブランディング化を進めていきたいと思います。お客様から選んでいただけるホテル、宿泊自体が目的となるホテルになるよう、他社とのコラボルームにも力を入れております。こういったビジネスモデルは他の事業にも応用していきたいと考えています。 ■学生へのメッセージ 就職活動に一生懸命取り組むことは大事ですが、必ずしも思い通りには進まないこともあるでしょう。また、希望する会社に就職できたとしても、自分にその仕事が合っているのか、その会社で成功するのかどうかはわかりません。未来はとても不確実です。このような不確実な未来を生きていくためには、次の二つの心構えが大事だと思っています。“人生は、何が起こるかわからないから面白い”という楽観性をもつこと。そして、“人生は、自分でなんとかするのだ”という主体性をもつことです。 スタンフォード大学のクランボルツ博士が提唱する「計画的偶発性理論」(1999年)によれば、個人のキャリアは偶然の出来事の積み重ねによって決定されると考えられています。つまり、偶然をチャンスと捉えて活かすことでキャリアを向上させられるのです。ちなみに、この偶発性は、「好奇心」「持続性」「楽観性」「柔軟性」「冒険心」という 5 個の特性をもっている人に起こりやすいと考えられています。チャンスになる偶然を増やすためにも、ぜひみなさんにもこの資質を大事にしてほしいと思います。 学生新聞オンライン2024年9月2日取材 東洋大学3年 橋本千咲 國學院大學 2 年 寺西詩音 / 国際基督教大学 2 年 若生真衣/ 慶應義塾大学 3 年 山本彩央里 / 上智大学 3 年 吉川みなみ / 立教大学 1 年 松本美沙希 / 文化服装学院 2 年 橋場もも /東洋大学3年 橋本千咲 /國學院大學 1 年 本多剛

コラム

テリー伊藤 コラムVol.36 大谷選手は余韻すら与えてくれない

改めて言うまでもなく、今期の大谷選手の活躍は想像を絶する凄さだ。今シーズンが始まる前、彼には二つの大きなアクシデントがあった。昨年末に肘の治療の為トミー・ジョン手術を受けたこと。そして、長年苦楽を共にした水原通訳の裏切りの違法賭博事件がおきたこと。連日のマスコミ報道の状況下、私自身内心「満足に野球に打ち込む事が出来るのか。昨シーズン程の成績は望めないのでは。」と…。しかしそれは完全に杞憂に終わった。世界中の野球ファンが息を吞むほどの活躍はとどまるところを知らず、それどころか9月に入ると勢いは加速し、50&50の記録達成後も異次元に進化、覚醒してゆく。 50&50達成までは、少しはプレッシャーがあるのかと感じていたが、気配すら見せなかった。ファンとしては大谷選手の大記録達成の余韻に浸りたかったのだが、彼はそれすら許さなかった。与えてくれたのは、驚きと感動、何より日本人としての誇り、そして不世出のスーパースター大谷翔平と同時期に生き、目撃したという現実ではないか。 シーズンが終わり最高の成績を残しても大谷の野球人としての旅は未だ途中。今大谷翔平が何を見つめているのか。現ソフトバンク王貞治球団会長が大谷選手について自らの現役時代を振り返りながら「彼のように幅広く深く考えていなかった。アメリカは初めて当たるピッチャーと勝負する事が多い。だから日本で打つより難しい。技術だけでは無く自分が考えながら相手と勝負しないと良い結果が出ない。」と語っている。ホームランを打つ為に必要なものとして「バットを強く振れる体」と即答している。アメリカンリーグ・エンゼルスからナショナルリーグ・ドジャースに入団した大谷選手の、今シーズン放った本塁打の相手投手の殆どが初対面だった。如何に事前の予想研究をしていたのか。 来シーズンは投手復帰、31歳となりマウンドに立つ。ファンは最も活躍した投手に贈られる「サイ・ヤング賞」獲得を願っているが、容易なことではない。病み上がりの肘が心配になる。大谷選手はかつて「投手生命は決して長くない。投げられる期間は大切にしたい。」と語り、来シーズン不退転の覚悟で挑む決意が伝わった。心配性の私など吹き飛ばし、再び想像を超える活躍を見せてくれるのか。 今は、余韻に慕っている時ではない。来期に向けスーパースターが何を考えどう行動するか、一挙手一投足目が離せない。大谷を知る事は自分自身の人生を高める事になるのではないか。 2024年9月24日 大谷選手の夢って何? またドジャース大谷翔平選手の事を考えている。50&50達成出来るのか、気になって仕方が無い。と言うか、その事で頭の中が一杯で仕事が手につかない。試合で大谷選手がホームランを打ってくれれば満足なのだが、盗塁は出来なかったのか、盗塁が出来た試合でもホームランは出なかったのか、と更なる期待をしてしまう。ホームランを打つだけでも、盗塁をするだけでも見事なのに、ファンは両方を期待する。これってハンバーグとエビフライが同じお皿に乗っている感じ。元来ハンバーグ本体だけでも美味しいのに、ある時エビフライが加わると2倍の楽しみに。そうなるとハンバーグ単体だとちょっと物足りない感じになってくる。 そんな状況下、大谷の愛犬「デコピン」の登場!びっくり!ワイドショー番組では大谷選手のホームランよりデコピンとの始球式に時間を割いている。確かにあの始球式は凄すぎた。マウンドにデコピンを残し、大谷選手がキャッチャーの位置に移動。いくら事前に練習していても、大観衆の中、普通なら心細くなって後を追って歩き出してもおかしく無いのに、健気にマウンドで待つ。そして合図と共にボールをくわえて一目散にキャッチャー大谷の元に。そしてハイタッチ!この瞬間、世界で一番有名なワンちゃんになってしまった。今まで野球にあまり興味の無かったワンちゃん好きの皆さんにも大注目となる。これってハンバーグ、エビフライに目玉焼きが乗った最強メニューでは。例えが貧弱ですみません。 ファンの大谷選手への夢は分かった。では大谷の本当の夢とは。ドジャースに入団する会見で「僕が後何年、現役選手でいられるかわかりませんが、だからこそ勝つことを最優先にしてチームを選んだのも理由の一つです。」と発言している。そうなんです、50&50を達成して球史に残る個人的な大記録より、彼はレギュラーシーズンを勝ち抜きその先にあるワールドシリーズ優勝、チームメイトと美酒を浴びることに照準を合わせている。 と、原稿を打っている間に大谷3盗塁の報道が…。困った、大谷の記録達成のスピードに原稿が追いつかない。印刷までのタイムラグも。これって私だけではない。世界中のマスコミが大谷選手の活躍に振り回されているのでは。こんな嬉しい事はない。時差ボケした記事も振り返れば改めて彼の凄さを再確認出来る。 ところで、大谷選手にはなれないが、デコピンと同じ犬種を飼う事はできるかも。いや、もう既に大人気のなのでドッグショップでは無理かな、欲しいな、無理かな。 2024年9月3日 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

企業に聞く

株式会社AbemaTV プロデューサー 樫尾 魁

『プロデューサーの仕事は、思い通りにならないからこそ面白い』 株式会社AbemaTV プロデューサー 樫尾 魁(かしお かい) ■プロフィール2013年明治大学商学部卒業。ソフトバンクグループに入社後、テレビ制作会社に転職。2018年に株式会社AbemaTVに転職し、バラエティジャンルのプロデューサーを経験した後、現在は恋愛リアリティーショー『オオカミには騙されない』シリーズなどのプロデューサーを務める。 日本の10代女性の約3人に1人が観ている「ABEMA」オリジナル恋愛番組ジャンルの中でも不動の人気を誇る『オオカミには騙されない』シリーズを手掛けるプロデューサーの樫尾魁さん。多くの人が気になるプロデューサーの仕事内容から「ABEMA」ならではの魅力、『オオカミには騙されない』シリーズの制作についても伺った。 ■積極的に動き続けたプロデューサーまでの道のり 学生時代は、学生団体にたくさん入っていました。10個以上の団体に所属し、様々な知見を得ながらフットワーク軽く、アクティブに過ごしていました。新卒の時は、「成長したい」という欲が強かったので、一度はソフトバンクに入社しました。でも、小さい頃からずっとテレビを観ているテレビっ子だったので、やはりタレントさんと一緒に仕事がしてみたいなと思い、この業界に入りました。制作会社でAD(アシスタントディレクター)やD(ディレクター)を経験した後、サイバーエージェントの社員の方に声をかけていただき「ABEMAというチャレンジングな場所でプロデューサーとして挑戦してみたい」という思いから転職をしました。 入社後は、アシスタント業務から始まりました。「ABEMA」に入った当時は28歳ぐらいだったので、「早くアシスタント業務を卒業するぞ」という思いでめちゃくちゃ仕事しました(笑)。周りの方達は忙しく手取り足取り業務を教えてくれるわけではないので、どうやって人のスキルを盗むかということを考えました。使っているメッセージツールで尊敬する先輩方のやり取りを見て、その後、15分くらい時間をとって解説してもらうなどの行動を重ねるうちに、数か月で念願のプロデューサーになることが出来ました。 ■予想外こそ面白いプロデューサーの仕事 プロデューサーの業務内容は、主に企画作成やチーム作り、制作進行、予算管理です。企画はプロデューサーが全部アイディアを出しているわけではなくて編成や運用、宣伝、広報担当などABEMAの社内で15人から20人前後のチーム作りや制作会社との連携を行いながら、様々な案を出し合い、企画を作っていきます。また、それに伴って決められた予算の中でどうやってやりたいことを成立させていくかを考えることもプロデューサーの仕事です。レストランで例えると、予算を見ながらどういうテーマ、世界観でやっていくかを決める店のオーナーの仕事が、プロデューサーの仕事に近いイメージです。「ABEMA」はリニア放送もありますが、オンデマンドで見逃し視聴もできるコンテンツがほとんどです。そのため、どのように打ち出していけば、事前だけでなく放送中、また放送後に視聴者の方々が興味を持ってくれるのかといった設計をする時間を長くとります。想定外の反響があったり、中々設計通りにはいかないこともありますが、そこが面白いなと思っています。自分の価値観とは全く違う価値観に触れることで自分の中のレパートリーが増える感覚がありますし、そういった予定不調和な視聴者の方々のレスポンスはプロデューサーとしてのやりがいにつながっています。 ■“網羅性”の「ABEMA」 番組を企画するうえで一番大切にしているのは、「一言で何が面白いか伝わること」です。「ABEMA」の番組は、SNS上で話題にしていただくことも大切にしています。面白さを一言で表せれば、自ずと番組の拡散性は高まると思っています。また地上波のテレビを観るときは、チャンネルをザッピングしてパッと目に飛び込んできて面白そうと思った番組を観るスタイルが多いと思いますが、「ABEMA」の番組は観ようと思って観に行く、意志ある視聴がベースになっていることが多くあります。そのため「それって簡単に言うと、どんな話?」というログラインで面白さが視聴者の方にしっかり伝わることが重要です「ABEMA」はテレビのように生放送などのチャンネル編成が組まれたリニア放送もしている一方で、オンデマンドで見逃し視聴もできる独自性を持ったサービスです。リアルタイムの視聴とオンデマンドの視聴の数やコメント量には相関性がありいかにリアルタイム配信で熱狂を作りコメント量やコンテンツの総視聴数を伸ばせるかを重要視しています。また「ABEMA」にはチャンネルが25以上あり、ニュースやオリジナルドラマ、恋愛リアリティーショー、スポーツ、アニメなど全ジャンル・ターゲットの“網羅性”に強みがあると考えています。 ■恋愛リアリティーショーのプロデューサーとしての挑戦 今はオリジナル恋愛リアリティーショー『オオカミには騙されない』シリーズを担当しているのですが、以前は『チャンスの時間』や『ニューヨーク恋愛市場』など芸人冠バラエティの統括をしていました。ですから、恋愛リアリティーショーのプロデューサーを務めることになった時は「胸キュンって何?」という感じでした。(笑)未知の領域だったので、まずはたくさんの恋愛リアリティーショーを観て勉強しました。しかし、視聴者の層が10代、20代とバラエティとは全く違ったので、自分自身だけでは分からないことが多く、ターゲットの人たちと認識、価値観をすり合わせるのが最初はすごく難しかったです。自分だけで想像してもうまくいかないので、内定者や周囲の若年層に、「今、若い人たちは何を観ているのか、どうしてそれを観ているのか、どんなアプリを使っているのか」などヒアリングを繰り返してインプットをしていきました。 ■これからも面白いことを追求し続けたい 僕は、とにかく自分が面白いと思えることに興味があって。これからも「面白い」を追求し続けられる環境にいたいなと思っています。そのためには自分で動いて企画を出し続けることも重要だと思っています。周りにいる作家さんやチームのみんなと喋っていると出てくるアイディアもあるし、誰かと会って話していると「良い企画を思いついたんだけど聞いて」と言ってもらえることもあります。その時、もらった企画やアイディアの種を、自分の価値観の中でブラッシュアップして「こうやったら面白いかも」「ABEMAだったらこのやり方がいいかも」と考え、企画としてまとめたりすることもあります。今後も、何か新しいことを思いついたら、ぜひチャレンジしていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ とにかく多くの経験を積んでほしいです。漫画の中のセリフなのですが「出来る出来ないじゃなくて、やるかやらないかだ。」という言葉を人生においてすごく大事にしていて。出来る・出来ないで判断して、チャレンジしないのは簡単ですが、「とりあえずやってみよう」とチャレンジすることを大切にしてほしいです。やってみてダメならダメで良いし、向いてないと思ったら数時間や一日で辞めたって良いけれど、その一分すらやらない人もたくさんいると思います。自分自身も学生時代は色んな学生団体に入って人生経験が増えたし、自分がどういうことに対してネガティブ、またはポジティブな気持ちになるのか知ることが出来ました。ぜひ、皆さんも色んな環境に自分を飛び込ませてあげてください。 学生新聞オンライン2024年8月26日取材 東洋大学2年 越山凛乃 ■樫尾さんがプロデューサーを務める『キミとオオカミくんには騙されない』 第1話~3話、最終話を「ABEMA」にて無料配信中配信URL:https://abema.tv/video/title/90-1820

すごい大学生・すごい学生団体・ミスコン・ミス学生新聞

地域団体いいらぼ

飯田を若い力で盛り上げる! 地域団体いいらぼ 代表 宮下あかり 長野県飯田高等学校3年  https://www.instagram.com/iida_mizuhiki_labo?igsh=MTVtN3AybDAxNjE2Ng== 「いいらぼ」は、長野県飯田市に拠点を置く高校生40名程度で活動している学生地域団体だ。 代表の宮下さんが高校1年生の時に、U-18サミットに参加し、自分が感じている課題に向き合いながら活動している人たちに触発され、2023年4月に立ち上げた。 元々、まちづくりに興味があり、地元の賑わいづくりの魅力になるものを探していたときに、飯田市の伝統工芸品である水引に出会った。水引は、色や形、本数には、それぞれ思いがあって、その思いを形にして、相手に送る文化に魅力を感じていると言う。飯田市の水引産業は、衰退している現状で、お祝儀袋など以外の新しい分野開拓の必要性がある。また、水引細工職人の減少や水引ふるさと工芸館の廃業により、水引を体験できる場所が減り、このままだと伝統工芸の水引がなくなってしまう危機感も感じていた。そんな中で、学生の若い感性を生かして発信できたらいいなという思いで、水引に焦点を当てるようになった。 主な活動は、ワークショップ開催と地域や企業の方との交流がある。月に1回程度の長野県内外でのワークショップや企業の方とのコラボ商品を作成、小中学校からの依頼を受けて、学校でのワークショップを行っている。ワークショップの中では、淡路結びという基本的な水引の飾り結びを作り、アクセサリーやしおり、ストラップにして、身近なものと結びつけている。一番のやりがいは、ワークショップの体験の前後で、体験者の水引への印象が変わることだ。 そのほかにも、地元の小中学生が水引に親しみを感じて、地元の伝統工芸品に誇りを持ってもらえるように、水引SQUAREというフォトスポットを作りイベント開催も行っている。また、学生で初めて、月1回の飯田市のタウンニーティングに参加し、地域に耳を傾けることを大切にしている。 今後の展望は、2つあるという。1つ目は年齢の近い小中学生と積極的に交流して、水引の魅力を届けて、水引に対する硬いイメージを変えること。2つ目は飯田市の活性化として、若者と地域が交じり合って飯田市を構想して、飯田を盛り上げていくこと。 これからも、自分のワクワクや好きなものを突き詰めていく彼女を応援していきたい。 学生新聞オンライン2024年9月30日取材 慶應義塾大学3年 山本彩央里

学生新聞インターン

株式会社FUNDINNO 代表取締役COO 大浦学 

いままでにない「新しい投資」で、挑戦する起業を応援する 株式会社FUNDINNO 代表取締役COO 大浦学 (おおうら まなぶ) ■プロフィール2011年、明治大学商学部卒業。2013年、明治大学大学院グローバルビジネス研究科修了。大学院での研究テーマは「マーケティング」。同研究科で後の株式会社日本クラウドキャピタル(現・株式会社FUNDINNO)代表取締役CEO柴原と出会い、柴原とともに、システム開発・経営コンサルティング会社を起業。2年目には黒字化を達成。その後、ベンチャー企業の育成に貢献したいという強い思いにより、2015年株式会社日本クラウドキャピタルを柴原と設立。代表取締役COOに就任。FUNDINNOの事業責任者としてサービスの拡充や改善などを牽引し、現在まで、業界トップの実績を維持する。2020年情報経営イノベーション専門職大学客員講師就任。 日本初の株式投資型クラウドファンディングサービス「FUNDINNO」の代表取締役COOの大浦学さん。就職活動の中で「プレイヤーとして活躍したい」という気持ちが強くなり、起業に至ったとか。ただしかし、起業する中で資金調達の課題に気づき、それを解決するために「FUNDINNO」を設立した。今回はそんな大浦さんに、ご自身の学生時代や起業に至るまでのストーリーについて伺った。 学生時代は、バンドにどっぷり浸かる生活を過ごしていました。大学3年生になって就職活動を始めた際、多くのコンサルティング会社を多くリサーチするようになりました。その中で、自分はアドバイスする側ではなく、プレイヤーとして活躍したいと思うようになり、次第に起業を考えるようになったのです。ただしかし、ゼロから起業ができるわけがないので、起業の準備として、ビジネス系大学院へ通うことを決めました。大学院では様々な出会いがありましたが、その中で大きかったのが、現在FUNDINNOの代表取締役CEO.をつとめる柴原祐喜に出会ったことです。彼も起業への想いが強かったので、大学院にいる時に一緒に起業し、株式会社日本クラウドキャピタルを設立しました。「これからの時代はプログラミングやITが重要だ」と思い、アプリ制作やSESなどをやるシステム開発ビジネスを行っていたのですが、続けていくうちに、「この仕事は社会にとってあってもなくても変わらないな。どうせやるなら、社会問題を解決できる自社サービスを作りたい」と思うようになったのです。その中で、周囲の起業家たちを見ていくと、気が付いたのが「起業家は金融のプロではない。おもしろいことをやっているのに、うまく資金調達ができず、挑戦ができなくなっている経営者が多い」ということ。私自身も投資会社の方とお話する機会は多かったのですが、自分の思うような資金調達はなかなかできませんでした。そこから、ITやインターネットを活用することによって、フェアな金融の仕組みを作れないかと考えるようになり、出来上がったのが株式会社日本クラウドキャピタルです。 ■挑戦する人に貢献する新しい仕組みを提供したい 日本における、ベンチャー企業への年間投資金額は0.8兆円くらいです。それに比べアメリカは38兆円ほど。つまり、日本はアメリカと比べると50分の1くらいのマーケットしかありません。今の時代は、ITの発達で、世界同時多発的に同じようなビジネスモデルが作られています。その時に、資金調達の金額がに50倍もの差があると違えば、成長速度が圧倒的に違うため、日本からグローバル企業を作るには、資金調達金額を上げる必要があります。30年前は世界の時価総額ランキングのうち、4~5割は日本企業でした。しかし、この30年間、ランキングから日本企業は姿を消しています。その理由は、日本企業に資金が集まりにくいという課題があります。もし、挑戦するスタートアップを応援する新しい仕組みがあればと思い、株式会社FUNDINNOを作りました。 ■日本から、世界で戦える会社を出していく 株式会社FUNDINNOはインターネットを通じて資金調達したい会社と、そこに投資したい投資家をマッチングさせるのが基本的な仕組みです。現時点で資金調達を行った今は会社の数は350社くらいで、個人投資家は13万人ほどのユーザーがいます。100人から200人の個人投資家が応援したいと思わないと、ある程度の金額が集まらないので、会社として成立しない仕組みになっており、これはプロの金融では判断できない世界だと思っています。プロの芸能人ではないYouTuberが、ネットを通じて新たな価値が生み、評価されていくように、金融にもプロに評価される世界だけでなく、ネット上の個人投資家によって評価される世界があるはずだと考えています。このサービスの大きな特徴は、新しいことに挑戦する中で、上手くいかずに数字が出せない上に実績がないので投資を受けるのが難しい創業初期の企業にも資金提供の機会を提供できる点です。創業初期は、数字を出すためにも資金が必要という場面が多々あります。これこうした課題を解決するためには、多様な投資家が支える仕組みが必要です。実績はまだ出ていないけれども、おもしろいと思える会社を、ネットの集合知で判断できる世界ができた。これが非常にユニークな特徴だと思います。私たちが目指すのは、日本から世界を目指せる会社を輩出すること。そのために、優秀な企業に対して、より多くの個人投資家が資金提供をできる世界を目指しています。今、弊社の規模は日本のベンチャー投資の中で0.3%ほどのシェアです。でも、このシェアをもっと増やし、1000億円、2000億円の資金をベンチャー企業に提供し、世界で戦える会社を世に送り出していきたいです。 ■大学生へのメッセージ 時代が進むにつれ、挑戦を応援しやすい仕組みはどんどん整ってきています。ですので、起業への挑戦しやすさは、どんどんハードルが下がってきています。若い方でも挑戦しやすい世の中だからこそ、本当にやりたいことや挑戦したいことを、失敗を恐れずにやってほしいです。失敗しても、それは良い経験になるので、前向きにどんどん挑戦してください。 学生新聞オンライン2024年3月14日取材 日本大学2年 米満光里 国際基督教大学 1年 若生真衣 / 津田塾大学1年 石松果林 / 慶應義塾大学大学院2年 賀彦嘉/日本大学2年 米満光里

DX・WEBマーケティング

三井住友トラストグループ株式会社 執行役常務兼執行役員CISO 米山学朋

『古き良き技術と新しい技術の融合で、未来を創る。』 三井住友トラストグループ株式会社 執行役常務兼執行役員CISO三井住友信託銀行株式会社 取締役常務執行役員 米山学朋(よねやま まなとも) ■プロフィール1991年に住友信託銀行(現:三井住友信託銀行)に入社。海外駐在、システム開発、経営企画等の幅広い分野の要職を歴任。2017年に業務管理部長、その後は初代デジタル企画部長としてデジタル戦略を推進。2019年に経営企画部長、2021年より取締役常務執行役員(現職)。2024年に三井住友トラストグループ株式会社執行役常務兼執行役員 CISO(チーフ インフォメーション セキュリティ オフィサー)に就任。 信託銀行の仕事は、「お客様から託された大切な財産をお客様のためにどう活用していくか、制度を設計する『モノづくり』である」と語るのは、三井住友トラストグループ株式会社の常務である米山学朋さんだ。そんな米山さんに信託の仕組みから、現在行うデジタルを活用した新たな取り組み、これからの展望について伺った。 ■入社のきっかけは、金融の世界のモノづくりに興味を抱いたから 信託銀行とは、お客様から財産等を預かり、それを適切に運用・維持・管理して、利益を受ける方にお返しするビジネスです。資産を預けてくれる方を「委託者」、受け取って運用するものが「受託者」、利益を受ける方を「受益者」、と呼びます。例えば、企業の人事部が従業員の福利厚生のために独自の年金制度を導入する際、自分達だけだと複雑で運営が難しいため、企業の人事部が担っていた年金制度をまとめて信託業務としてスタートしたのが「年金信託」です。この時、私たちはその企業・従業員にとって最適な年金の制度を設計します。つまり金融はお金の仲介だけではなく、制度設計づくりのパーツが非常に大きな部分を占めています。金融のいろんな機能を一つのパッケージ商品にしてモノづくりをしているというのが、普通の銀行にはない信託銀行の重要な部分です。私は経済学部でしたが、元々理系志望でモノづくりに興味がありました。経済の中でモノづくりというのは難しく、就職を考えたとき信託銀行はモノづくりに非常に近い業態だと感じました。金融でモノづくりをする方が、やりがいがあり興味を持ってできると思ったのが入社の1番の動機です。 ■信託の機能は『意思決定の支援』と『適切な選択肢の提供』 私は「信託って何?」と聞かれたとき、「信託機能とは意思決定の支援と適切な選択肢の提供である」と答えます。我々は信託財産をお客様があらかじめ定めた目的に沿って管理・運用しています。そのため、お客様が検討しなければならない項目は多岐にわたり、選択肢は無限にあるわけです。でも、皆さんプロではありませんので全部並べられても分からない状況です。そこで、専門家である我々が、最適な選択肢を提示して、次のステップに進む後押しをしてあげることが大切になります。各種制度を詳しく知っている専門家のアドバイスが必要ですが、意思決定するのはあくまでもお客様です。ですから信託は意思決定の支援をするという機能がすごく重要なエッセンスとして入っています。加えて、20個も30個も選択肢があっても分かりづらいですよね。選択肢は3つ~5つぐらいが適切です。ある程度ニーズに合った、ちょうどよく選べる選択肢を提供することが信託の大きな機能だと思っています。自分達で組み上げたものがお客様の手に渡るのをダイレクトに感じ、お客様や社内の人たちからのフィードバックを得られることがやりがいや達成感に繋がります。 ■今あるものをデジタルによってトランスフォーメーションしていく 三井住友トラストグループは、今年100周年を迎えた業歴が長い企業です。金融業界は商品ライフサイクルがとても長いため、30年単位の昔ながらの制度を守っていかなくてはいけません。そのため、すごく古いシステムや技術が今でも現役で動いています。この古い技術をデジタルという新しい技術を活用して、どのように近代化させ、最先端のテクノロジーをベースにどのように業務フィッティングさせていくのか、これが今の最大のテーマです。信託銀行の特徴として、企業や個人ごとにオリジナルの制度の設計をするため少量多品種になることがあります。大量消費・大量生産のものはシステム化しやすいですが、少ししかないものは、システム化が難しいことがあります。つまり信託銀行のビジネスではITをうまく使っていかないと処理限界が生じることがあります。実際、ある商品では法人のお客様の場合、1,000人ぐらいの従業員がいらっしゃる企業でないと投資採算が合わないということがあり、サイズ感が限定されるために我々がカバーできないことがありました。しかし、クラウド環境を活用することで部品パーツだけ流用することができ、低コスト化も可能になりました。システム化のサイズ感を小さくし、従業員数というハードルを300名、100名、10名にしてサービスを供する「信託サービスの民主化」が出来るのではないか。これが現在のチャレンジしていることです。 ■昔ながらの技術もそのまま、適切に新たな技術を活用する 事務的作業は、最後人間が目で見てチェックを行い、すごく高い品質を保っています。これは99.99・・・%の精度です。お客様はミスが無くて安心感を覚えます。日本人のサービスに対する感受性と求めるクオリティーの高さは世界でも有数です。例えばOCRという認識系AIを使えば99%ぐらいまでは持っていけます。ところが人による作業だと99.99・・・%の精度ですから「なにこれ、全く使えない。」という評価になります。認識系AIの限界です。ですから、去年の生成AIの登場はすごいインパクトでした。生成AI はベテランの人たちが身に着けてきた経験から類推して読み取ることが可能のため、お客様に受け入れてもらえる所まで精度を上げることが出来ると思っています。最後のワンマイルの解決策になります。皆さんも、もしも自分の預金通帳の数字が間違っていたら嫌ですよね。金融だから安全安心という部分が必ずあると思います。今も業務の厳密な正確性が求められる部分は、新たなテクノロジーではなく昔ながらの技術で行っています。古い技術を捨てるのではなく、適切な部分に新たな技術を取り入れ、より早くより好みに合わせたものに適応していくことが大事だと思います。 ■世界に認知されるグループへ 他の大手企業の場合デジタル人材は全体の10%ぐらいですが、信託銀行はモノづくりなので「全員がデジタル人材だ」と言っています。そのために、クラウドコンピューティングなど基礎的な知識や実地研修で自分のスキルを座学で身に着けるなど、デジタル人材をつくる環境があります。また、各々業務ごとに求められるDXのエッセンスは変わってきます。より自分のいるマーケティングフロントに近いスキルを磨く必要がありますが、全員がなるべく多くどの領域でも対応できるように研修などを通じてデジタル人材の育成に注力しています。三井住友信託銀行の魅力は他の信託銀行と違い、上場して信託を専業で行っている金融機関である点です。そのため、大手の国内・国外の金融企業では比較対象がありません。「諸外国には三井住友トラストグループのような会社はありますか?」という質問が一番答えにくいのです。ですから、私の展望は、三井住友トラストグループという一つの生態系を日本や世界で認知される、定義される企業グループにすることです。これまでも掲げてきた、そしてこれからも変わらない大きなミッションです。 ■大学生へのメッセージ 私は、昔の価値観を持つ上の世代の人たちが、社会の中核を担ってすべて回していく未来は、本当に正しいのだろうかと疑問に思うことがあります。私がアメリカにいた時、「すごいな」と感じたのは、働いている人たちは45歳ぐらいでリタイアメントし、若い世代がこれからの社会を作るという意識が非常に高かったことです。確かに60歳の人と35歳の人では経験値は全然違います。しかし、経験値はアドバイスでもらえばいいのですが、判断やモノを動かす、進めるという時に大事なのは経験値だけではないのかなと思っています。もちろん上の世代の人たちにも引き続き社会に関与して貢献・活躍できる領域があるし、新たなものを作る意識を持たなくてはなりませんが、中核や主要を担うのは一番バイタリティがあり、働ける年齢の人たちであると私は思います。ぜひとも若い皆さんには会社、社会を変えていって欲しいです。 学生新聞オンライン2024年8月15日取材 東洋大学2年 越山凛乃

イベント・企業紹介

若者未来共創カイギ vol.3 開催

2024年8月2日、合同会社Y COMPANY(本社:東京都目黒区 代表社員:オルズグル)主催、株式会社ユニークや一般社団法人ユースキャリア教育機構が共催の「若者未来共創カイギ vol.3」が 開催されました。「若者の未来を共創する」をコンセプトに教育・若者支援に関係者、支援を受けたい若者を対象とする完全招待制・予約制のイベントです。前半は若者7名によるピッチプレゼン、後半は交流会、いろんなバックグラウンドを持ったもの同士、新たな共創相手のネットワーキングを作る場となっています。そんな活気あるイベントに学生新聞インターン生も参加させていただいた。 ■若者未来共創カイギ 事務局長 大槻漸さんより挨拶 若者未来共創カイギは「まだ何者でもない若者の出発点になれば!」という思いで開催しました。私は将来、スポーツ選手のセカンドキャリア、デュアルキャリア支援を通じて自分の会社を作りたいと考えています。そのためにも今はたくさん経験を積み、事業を作る上での基盤を築きたいです。多くの方と話す中で僕自身がやりたいことや成し遂げたい事に対して、多くの刺激を受けブラッシュアップするきっかけになっています。若者未来共創カイギは今後も続いていきます。なにかしたい、なにかやりとげたい、今の自分から抜け出したい若者の皆さん、僕たちは進み続けます、みなさんはどうしますか。 ■各共催会社様より ◇合同会社Y COMPANY 代表 オルズグル 若者はいつにおいても社会の宝です。私の出身国のウズベキスタンでも子供が多く生まれ、国が生き生きとしています。そして世界を見渡せば、人口が増加し続けています。日本は少子高齢化が進み、社会を変えることができると考える若者が少ないとメディアからは聞いています。ただ現実に実際に私が出会う若者は色々な夢に溢れています。若者こそが社会を変える原動力です。今こそ責任ある大人が若者と夢を共創する社会を作ってゆきましょう。 ◇一般社団法人 ユースキャリア教育機構 代表理事 宇野晋太郎 若者未来共創カイギを共催させて頂きました一般社団法人ユースキャリア教育機構の代表の宇野です。本イベントは、個々別に分散しがちな教育事業者と一緒に若者未来を共創することを目的として開催しております。これからも定期的に開催していくなかで、日本教育の構造的な課題に皆様とメスを入れていきつつ、日々進化する若者たちの成長を一緒に楽しんでいきたいと思っております。 ◇株式会社ユニーク 代表取締役 山崎貴大 若者未来共創カイギを共催させて頂きました株式会社ユニークの代表取締役山崎です。多くの未解決問題、社会課題が溢れるこの時代には、世代や立場を超えて協力し、共に新たな価値を創造する場と機会が必要不可欠だと感じてきました。本イベントからはその火種となるきっかけが生まれていくことを願い、私たちはその火を守り、支えていく役目を担って参りたいと思っております。 ■プレゼンターのご紹介 ①矢萩友喜さん現役、通信制高校生。学生団体DESTINY 代表。10代の目標はユニバを貸し切り、世界中の10代を集めてイベント開催すること。また20歳までに自分の人生を映画化して全国放送したい。自分の強みは生命力や行動力。みんなに喜んでほしい、みんなに勇気を与えたいと思って、活動中。 ②松村千優さん 国立看護大4年。チャリティーイベントやビジネスピッチコンテストの開催、海外スタディーツアー事業、キャリアツアー事業など展開。主に地方の大学生やロールモデルが身近にいない大学生を対象に、今後、自分だけの原体験とホンモノの魅力を知って、人生を楽しむコツを伝えていきたい。自己実現途中の学生を支援している。 ③廣瀬登弥さん立教大学4年。パーソナルトレーナーとして活動中。人生を筋肉に捧げている。「人の一生をのばす」ことがモットー。仕事が人生にしめる割合が大きいので、充実するようなサポートをしたい。体が変わると人生変わる。正しい運動習慣を身に付けられる人を増やしたい。「継続」にフォーカスし、オンラインのパーソナルトレーナーをマッチング・トレーニングできるプラットフォームを作りたい。 ④古井敬人さん株式会社VIS代表取締役、この8月に株式会社HAIKEI設立。年を重ねるごとに幸せになる人生を歩める人増やすことを目指す。今までは大人が楽しいと思えなかったので、子どもたちに人生はどんどん面白くなっていくよと伝えていきたい。「ぼーっとする大会」を主宰。現代人の心に余白を作り幸せに生きる人を増やしていきたい。 ⑤井上寛人さん合同会社 Y COMPANY /慶應義塾大学大学院SDM研究科 研究員社会的インパクト創出を志すZ世代のメンタルヘルスをテーマに研究、活動を行う社会実装志向の研究者。彼ら彼女らがその勇気ある行動ゆえに不当にメンタルヘルスが悪化する未来を防ぎたい。 ⑥小槻珠愛さん株式会社すたてら 代表取締役。心理カウンセリングを手軽に利用できるプラットフォームTeleMe(テレミー)を運営。日々の心のケアとして予防につなげたい。占いに流れているような方などニーズがあると思う。一人ひとりの対処法を見つけて、セルフマネジメントが日常になるような世界を目指す。 ⑦西村咲希さん株式会社Oshicoco 企画営業プロデューサー。推し活支援。世界一オタクに優しいメディアを運営。「スキ」を認め合えるプラットフォーム作りに注力。推し活×スピリチュアルの拡大・女性支援の取り組みから、推し活文化を世界へ発信していく。 ■参加した感想 非常に熱量の高いイベントだったなと思います。自分と同年代の若者が熱い思いを持ってピッチしているのは非常に刺激的でした。また、参加されている大人の方々も日本の未来を真剣に考えている方ばかりで、非常に素敵なコミュニティだなと思いました。法政大学4年 鈴木悠介 20代前半という若さで自分のやりたいことを本気で事業化しようとしている人々の熱量を直に感じました。自分のビジネスフィールドを広げるために、各自積極的に交流している光景を見て、自分のやりたいことを実現するために年齢は一切関係ないのだと思いました。青山学院大学4年 北嶋里奈子 学生新聞オンライン2024年8月2日取材 法政大学4年 鈴木悠介/青山学院大学4年 北嶋里奈子

コラム

テリー伊藤 コラムVol.35 東京の夏は終わらない

東京は10月になっても夏日が続き、行きつけの洋服屋さんの店頭の半分はTシャツが占めている。ハロウィンの飾り付けをしているが夏服にまみれ今ひとつ盛り上がりに欠け、店長のぼやきが聞こえてくる。「冬物が全く売れない。例年ならこの時期ダウンジャケット、新作コートが売れるのに、ウインター商品が動かない。」と真顔で心配している。例年12月20日頃から早くも冬物バーゲンセールがスタートする。以前は “お年玉セール”と名付けて年が明けてからの特売だったが、最近の傾向として前倒しに。そんな訳でお客さんは2ヶ月後の3~5割引を期待しプロパー商品を買い控えるという悪循環。洋服屋さんに友人が多いので複雑な持ちだ。鎌倉のサーファーに話を聞くと「海の温度がぬるい」と。日によっては夏と変わらないそうだ。そう言えば水道水もぬるい。例年なら朝の洗顔で秋の到来を感じるものだが。 季節外れの暑さで食糧品業界にも異変が。スーパーマーケットの隠れた人気者、焼き芋が売れない。入口付近に置かれている焼き芋ケースが寂しそう。閉店まで売れ残る始末。コンビニエンスストアのおでんも注目されてない。真夏と同じ量のアイスクリームが未だ人気者。お陰で私は毎日ガリガリ君を食べる始末になっている。テレビ通販番組では早くも来年のおせち料理を紹介しているがTシャツ姿で眺めても一向に気分が乗らない。売れるのかと心配になってくる。食卓に目を向けると秋の王様秋刀魚がビックリする程小さい。漁獲高は例年通りと言われているが、如何せん痩せっぽちなのだ。普通なら1尾で満足だが、物足りない。もう1尾欲しい。困っているのが定食屋さん。秋刀魚定食への不満が続出している。 しかし果物に目を向けると秋は確実にやって来ている。柿が美味しい。梨のみずみずしい食感とはまた違う固めの歯ごたえがたまらない。最近主役に踊り出て来たシャインマスカットはパリッと皮ごと食べられて甘みも上品。まだちょっと高いが初物なので食べなくては。そして松茸が秋の味覚にとどめをさす。先ほどから暑いの何だのと言いているが、松茸と聞くだけでよだれが出て来る。松茸の天ぷらや炭火焼、土瓶蒸に舌鼓を打ちたい。松茸ご飯は絶対に外せない。短い秋が終わると冬がやって来る。となると蟹やフグの季節だ。秋刀魚のように瘦せっぽちのフグだけが心配。結局何を心配しているのだろう、自分の胃袋のことだけじゃないか。先ずは読書でもしますか。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

イベント・企業紹介

「OCEANS Feel So Good AWARD2024」受賞者発表セレモニー

メンズライフスタイル誌『OCEANS』が今年一番いい顔をしていた人を選出するOCEANS Feel So Good Award「The BEST Wellbeings 2024」fesの授賞式が2024年10月20日、東京・二子玉川ライズ 中央広場で開催され、俳優・坂口健太郎、アーティスト/モデル・佐々木莉佳子、国際オリンピック委員会 委員・太田雄貴、株式会社Plan•Do•See 代表取締役社長・浅葉翔平が登壇した。 ■『OCEANS』 統括編集長 原 亮太 創刊から18年、OCEANSはオンもオフも輝いている人たちのライフスタイルの提案をしてきた雑誌です。したがってアワードの開催にあたって、両面が輝いているということであるWellbeingsをテーマに設定することにしました。受賞者は自分たちだけでなくみなさんと選出したいと考え、さまざまな業界で活躍する4名の方と共に受賞者を選定しました。 ■SEIKO PROSPEX特別賞 俳優 坂口健太郎 このような光栄な賞を頂けて嬉しいです。今まで自分がやってきたいろんなお仕事が、少し皆さんに認めていただけたのかなという気持ちです。仕事をしている中で一番心穏やかに過ごせるのは、人と会っている時です。友人や家族、仕事の仲間とご飯を食べたりしゃべったりすることで満たされるし、ストレス発散にもなっていると感じます。自分の中では大事にしている時間ですね。 2025年に挑戦したいことは、「言葉」です。韓国で初主演を務めたことをきっかけに、様々な言語やコミュニケーションで「言葉」を使う機会が増えました。文化や住んでいる国が異なる人たちと、1つの目標に向かってチームで進んでいく中で、作品作りにおいてはコミュニケーションをたくさん取ることが本当に大事なんだなと気づかされました。来年も「言葉」を人に伝えて、人の意見をきちんと聴けるようになるっていうのがすごく大事だと思います。 ■OCEANS Feel So Good AWARD 受賞者 <アーティスト・モデル 佐々木莉佳子> このような素敵な賞を生きている中で受賞できるなんて思ってもみなかったので、とてもうれしく思っています。私自身10年間「アンジュルム」というグループで活動させていただきました。6月にグループを卒業しましたが、これからも自分らしく光や夢を与えられるような人でありたいなと思います。そして、人生一度きりなので自分らしく生きていきたいです。 私は小学生の頃からアイドル活動をしてきたので、人と関わる機会が幼いころから多くありました。今大人になって思うのは自分もそうですが、人の心はあまり強いものではなくて、とても脆いということです。だからこそ“相手の気持ちを考えること、歩み寄ること”は人と人の関わりを崩さないために大切だと思います。私は人と人との関わりを大切にして生きてきたので、そういう気持ちの面も大事に生きてみたらいいのかなと思います。 Next Wellbeing Action 「知らない世界をもっと見たい」 現在ソロで活動しているのですが、お仕事でもプライベートでも見える世界がどんどん広がっていくと思っています。卒業して、人生の第二章が始まったような感覚なので、これからも色んな世界を見て、人として大きくなれたらいいなと思っています。 <株式会社Plan・Do・See 代表取締役社長 浅葉翔平> 今回はこのような賞を頂きありがとうございます。会社ではWellbeing というのはとても重要な課題として取り扱っているのですが、あまり個人で自分のWellbeing というのはあまり考えていなかったのですが、今回の賞をきっかけに自分自身にとってのWellbeingとはどういうことなのかたくさん考えるきっかけを頂きました。より家族や近くにいる人たちへの感謝が芽生えた時間にもなりました。 若い時に大変、苦しいと思っていることは時間が経てば、大体面白いことに変わります。そこから逃げずに、これは“タイムカプセルボケ”を仕込んでいるのだと思って、苦しむことも含めて思い切り楽しんで欲しいです。きっとその経験は人生を長く見たときに良い経験になっていると思うので、体験をそういう風に変えていただけたら嬉しいなと思います。 Next Wellbeing Action 「日本中を旅行する」 旅をするというと海外に目を向けがちですが、海外から見ると日本は観光の分野で伸びしろがあって、面白いと言われている国です。しかし、自分達は日本のことをちゃんと分かっていないのではないかと感じます。僕らは観光業をしているので、まずは自分達が日本中を旅して、理解して「日本はこんなに面白い国だよ」と発信していきたいと思います。 <国際オリンピック委員会 委員 / 国際フェンシング連盟 理事 太田雄貴> 引退して8年が経つのですが、引退してからこのような賞を頂けるとは思っていませんでした。今回この賞を頂けたのは、パリオリンピックで活躍してくれた選手のおかげだと思っています。僕が選手だったころにフェンシングを始めた子たちが今では世界一に輝いてくれました。ほんとに素晴らしい場にパリオリンピックで立ち会えたこと、そして今日このような賞を頂けたことを大変うれしく思っています。 僕は学生時代の青春というのは無くて、ほとんどの時間をフェンシングに費やして今があります。それを全て肯定するというわけではないですが、どんな分野であっても“何かを選ぶということは何かを諦めるということ”だと思っています。達成したい夢や目標があるのならば、それに情熱を注いでくれたら嬉しいです。 Next Wellbeing Action 「海外と日本の架け橋」 今回のパリオリンピックで色んな世界を見たときに、僕はまだオリンピックの片側しか見てなかったのだという風に感じました。それと同時に、もっとスポーツという素晴らしいものを使って日本と世界との架け橋を実現できるのではないかという可能性を感じたので、これから取り組んでいきたいです。 学生新聞オンライン2024年10月20日取材 上智大学3年 池濱百花/東洋大学2年 越山凛乃 城西国際大学1年 渡部優理絵/東洋大学2年 越山凛乃/上智大学3年 池濱百花/東京薬科大学2年 庄司春菜/東京大学4年 吉田昂史

学生新聞インターン

SMDO(Sano Minami Design Office) 代表 アートディレクター 佐野みなみ

理系で培った分析で、何色にでも染めていくクリエイティブを SMDO(Sano Minami Design Office) 代表 アートディレクター 佐野みなみ(さのみなみ) ■プロフィール1983年生まれ。東京理科大学理学部化学科卒業。同大学院 中退2010年4月より独立しSano Minami Design Office(SMDO)を設立。2023、2024年発売『MdNデザイナーズファイル』にて最前線で活躍しているトップクリエイターの1人として掲載された。VIの策定をはじめ、グラフィックデザイン、撮影、WEBデザイン、イラスト、パッケージデザイン等幅広く扱っている。 東京理科大学大学院にまで進学するも、中退。その後、研究とはまったく畑の違うアートディレクターへ転身するという、異色の経歴を持つ佐野みなみ氏。彼女の強みであるロジカルなディレクションは、多くの名だたる企業の信頼を得てきた。研究職からクリエイティブの道へ大きく舵を切った背景や、その後の成功の秘訣を伺った。 高校時代は、デザインではなく絵画に興味があったので、美術部の部長をしていました。鉛筆画では数々賞をいただくなど、努力はしたものの、苦労は感じませんでしたね。その後、東京理科大学へ進学しました。学業は大変でしたが、アルバイトとして原宿でバーテンダーをやったり、趣味でカメラをやったりと、色々経験をしました。フォトグラファーとして活動したい気持ちはありつつ、将来は研究職を目指すため、大学院へと進みました。研究対象だった無機化学は、未知のことを調べる研究です。答えがあるものではないので、センスや運も必要で、努力はするけど苦労はしなかったクリエイティブとは違って、努力しても報われないことが続きました。その中で、大学院1年生のときに、「自分は研究職には適性がないのだ」と気がつきました。両親には猛反対されましたが、自分の強い意向で、新たにクリエイティブの道を志そうと決めました。 ■SMDOとしてのアートディレクター アートディレクターは、クリエイティブに関わることは何でも携わる、いわば美術監督です。グラフィックデザインやパッケージデザインなどクライアントの要望を聞いて整理し、提案した後、デザイナーに具体的なディレクションをすることで、ビジュアルを形にしていきます。ポスターやCDのジャケット写真などの他にも、空間デザインやテレビ番組のキービジュアル、ホームページのデザインなども手がけています。自身がフォトグラファーとして撮影をすることもあります。現在はビューティー系やスイーツ案件の依頼が8割ほどを占めています。ときには、「一つのブランドを作りたい」というオーダーに対して、総合的なビジュアルブランディングをすることもあります。私の強味は、理系出身ということもあり、分析・検証型のディレクターである点です。現在SMDOには20人ほどが働いていますが、アートディレクター は私1人です。完全オンラインのスタイルをとっていて、私がパソコンに向かって話している動画を収録し、スタッフに送っています。動画は何度も見直すことができますので、スタッフから同じ質問をされる事もありませんし 「言った、言わない」の揉め事の心配も必要なくなりました。出勤しないことで、人間関係にも影響されず、成果物だけを見て評価できます。多い時で20個ほどのプロジェクトを抱えるという鬼のようなマルチタスクをするのですが、この体制のおかげで、余計な雑念を取り除いてタスクに関われるようになったことが成功のポイントだと思います。好きな環境で好きな格好をして好きな時間に仕事ができるので、今のスタイルは非常に満足しています。 ■圧倒的な量と分析でクライアントに寄り添う 「私の色を出したい」というアーティスト的なアートディレクターもいますが、私の場合はクライアントさんの要望を叶えることを1番意識します。私のホームページのSMDOのロゴは、案件によって表示される色が変わるのですが、これは「クライアントさんの色に染まる」との意味を込めています。相手の色に染まるためには、分析は欠かせません。クライアントさんが何を求めているかをヒアリングし、参考画像や様々な事例を提示します。デザインを出す際は3〜5案ほどが一般的なのですが、相手の許可を得た上で、100案ほど提示することもあります。これも、限られた条件の中で考えうる可能性を提示し、相手の本当に求めているクリエイティブを探るためです。 特に競合のコンペを開催する企業さんは、多くの案から検討したいとの目的があるので、全力投球して沢山の案を出します。複数の企業から沢山の案を募るところを、私たちはそれを1社でできるのもアピールポイントです。沢山の案を出すためには、情報を集めて、検証して、何を掛け合わせるか。 寝ている間も何か考えていて、起きたらすぐにメモするほど、常にデザインのことを考えていますね。 ■デザインで生活を彩る この仕事の醍醐味としては、自分がデザインしたものがお客様の手に届くことだと感じています。ある案件で桜をモチーフにした焼き菓子のパッケージをデザインした際は、コロナのシーズンで世の中のムードが沈んでる時期だったので、桜を見上げているようなパッケージにしました。コロナの時代はネガティブな気持ちで下を向きがちだったので、上を見上げて頑張っていきましょうというメッセージを込めました。この商品を手に取った方から、SNSのDMで、「生まれたばかりの赤ちゃんがいて、コロナでお花見もできませんでした。でも、このパッケージで初めてお花見をさせてあげることができました。このパッケージを作ってくれてありがとうございました」とのご連絡をいただきました。自分のデザインを通じて、どこかで喜んでくれる誰かがいたことがとても嬉しかったです。 ■大学生へのメッセージ 人生は一度しかありません。20代であれば、まだまだ180度違う方向にでも行けると思います。私自身、大学院まで進学して中退し、当時は親に勘当された中で、クリエイティブの道に進みました。ただし、180度違う方向に行くには、そこにかかる労力は半端ではありません。私も独立したての頃には、魔法瓶にアイスコーヒーを入れて、寝る間を惜しんでひたすら働くような日々を3年くらい過ごしました。でも、その生活を苦痛だとは思いませんでした。苦労ではなくて努力だったと思います。大変なことでも「苦しい」ではなくて「楽しい」と自分が思えることは、きっと自分の力を伸ばせるジャンルだと思います。適性に悩んだり迷ったりしても、大丈夫です。本気になれば人生を変えられるのだと、ぜひ皆さんにお伝えしたいです。 学生新聞オンライン2024年9月3日取材 慶應義塾大学3年 松坂侑咲 上智大学3年 吉川みなみ / 慶應義塾大学3年 松坂侑咲 / 京都芸術大学1年 猪本玲菜 / 東洋大学3年 橋本千咲 / 文化服装学院2年 橋場もも

学生新聞インターン

株式会社Big Belly 代表取締役 大林芳彰

新しい飲食業の形、地域と共に歩む未来 株式会社Big Belly 代表取締役 大林芳彰(おおばやしよしあき) ■プロフィール 1973年4月2日成田生まれ。父親がエアラインで勤務していた関係で、幼い頃から海外に行く機会に恵まれる。大学卒業後は住宅メーカーに入社し日本各地で営業活動をした後、26歳で退職。当時行列が絶えなかった人気店「代官山モンスーンカフェ」に食事に行き感動して運営元の株式会社グローバルダイニングで勤務。料理長として渋谷店・お台場店・ららぽーと店・舞浜店を経験し、2011年3月に独立して株式会社BigBellyを創業。現在「アガリコオリエンタルビストロ」「アガリコ餃子楼」「アガリコ食堂」等、運営中。一般社団法人日本居酒屋協会 会長にも就任。 池袋を中心に数々の飲食店を展開する株式会社Big Bellyの代表取締役である大林芳彰さん。地域に根ざした経営スタイルを貫き続けています。そんな大林さんの過去、現在、未来を伺いました。 僕は東京都練馬区で生まれ、千葉県成田市で育ちました。祖父と父が拓殖大学に通っており、僕も自然に同じ道を選びました。学生時代は両親の仕事の影響で頻繁に海外旅行をする機会があったことが、国際的な視野を広げる大きなきっかけとなりました。また、大学時代にはサーフィンに熱中し、週末は成田から海へ通う日々を送り、春休みには毎年ハワイに行っていました。 ■住宅メーカー勤務から飲食業界への転身 大学卒業後は住宅メーカーに就職し、全国各地で営業活動を行いました。4年間営業に携わったのですが、この経験は、ただ商品を売るだけでなく、長期にわたる信頼関係を築く重要性を学ぶ貴重な期間だったと思います。地方での営業活動を通じて、お客様との会話力や一般常識を養い、メンタル面でも成長したと感じます。また、地方に赴任して感じたのは、東京とは異なる豊かな食文化の魅力です。特に九州で味わった新鮮なサバは、当時の東京では食べられないような味わいでした。住宅メーカーを退職後、祖父の経営していたサンドイッチ店を引き継ぎました。その店は、地域の皆さんに愛されており、当時はコンビニがまだ普及していなかったこともあり大変繁盛していました。しかし、飲食業の営業時間の厳しさを痛感し、さらに成長したいと考え、モンスーンカフェでの修業を決意しました。 ■池袋に根ざし、飲食業を拡大する モンスーンカフェで経験を積んだ後、その経験を活かし、池袋西口方面に自分の店を持ちました。お店の場所として池袋の西口方面を選んだのは、僕自身が住んでいる地域だったので、住民のニーズをよく理解していたからです。池袋の西口には親子代々で長年住み続けている地元住民が多く、東口のように人の入れ替わりが激しいエリアよりも商売を営むには適していると感じたのです。僕の店舗は、タイ料理など様々な業態を展開していますが、その根底には常に地域の声を反映する姿勢があります。例えば、池袋西口には他にない新しい業態を導入し、「ちょっと遠くてもあの店に行きたい」と思わせる店作りを心がけています。さらに、自分が本当に食べたいものを提供することも大切にしています。もうひとつ、力を入れているのが、従業員の働き方改革です。業界では珍しく週休3日制を導入し、社員が休みの日に自己成長や趣味に没頭できる環境を整えています。これは、従業員が充実したプライベートを送ることで、仕事のパフォーマンスが向上することを期待しての取り組みです。加えて、フランチャイズ展開にも注力しており、飲食業未経験者でも簡単に始められる業態を開発しています。例えば、タイの焼き鳥にしても、自動化されたシステムを取り入れたおかげで、調理経験が少なくても高品質な状態で提供できるようになりました。 ■未来への展望 今後の目標としては、社員の独立を支援することです。これまでにも多くのスタッフが僕のもとを巣立ち、店を作り、成功を収めています。今後、特に力を入れたいのは、女性社員一人ひとりが自分の力で成長し、ビジネスを展開できるような環境を提供することです。彼女たちが独立することで、その地域に新しい価値を生み出し、僕たちが築いてきた信頼関係をさらに広げていくことができると思います。 ■大学生へのメッセージ 大学生に伝えたいのは、積極的に外の世界に出て経験を積むことの重要性です。僕自身、学生時代に様々な国を訪れ、そこで得た経験が現在の仕事に大きな影響を与えました。特に予定を立てずに旅をすることで、予想もしなかった出会いや体験が得られることがあります。その経験が、後々のキャリアや人生において貴重な財産になると思います。僕がタイで得た経験が、今の飲食店経営に繋がっているように、皆さんも未知の世界に飛び込むことで、思いもよらないアイデアやチャンスに出会えるかもしれません。まずは一歩踏み出し、自分自身の可能性を広げていってください。 学生新聞オンライン2024年9月20日取材 城西国際大学 1年 渡部優理絵 城西国際大学 1年 渡部優理絵/慶應義塾大学 3年 山本彩央里/京都芸術大学 1年 猪本玲菜

イベント・企業紹介

「KIMONOIST (キモノイスト)2024」開催

今年で4回目を迎える「KIMONOIST2024」(キモノイスト)。コロナ禍の2021年に発足した「KIMONOIST」は、本アワードを通じて、時代と共に変わりゆく美意識や価値観の中で、日本の民族衣装である 「キモノ」が、大人の嗜みとして愛されるファッション文化として、サスティナブルかつグローバルに定着することを目指しています。4回目を迎えた今年は、かたせ梨乃さん・森口瑤子さん・町田啓太さん・篠田麻里子さん・堀田茜さん・高橋大輔さんの6名が「KIMONOIST (キモノイスト)2024」を受賞。それぞれのパーソナリティをイメージさせるような華やかな着物にぜひ注目したい。 ■町田啓太さんグレーを基調とした中に、ブルーのボーダー柄が散りばめられていて、とても都会的な着物だというのが第一印象です。これは羽織紐がないので、ジャケットを着ているような感覚でとても着やすいですね。まさに、現代を代表するファッショナブルなデザインだと思います。普段はなかなか着物を着る機会はないのですが、現在は時代劇の出演でよく着ているので、とても身近に感じています。 ■高橋大輔さんランウェイを歩くのは初めてで、とても緊張しました。(笑)フィギュアスケートでも和物の衣装を着ることがありますが、改めて日本伝統の素晴らしさを感じています。エレガントでシンプルすぎない、少し遊び心を取り入れたような着物で、私服の感じと似ていてとてもしっくりきています。アスリートかつ表現者として、フィギュアの「洋」と着物の「和」を融合させた新しいスタイルにも挑戦したいです。 ■堀田茜さん私は番組のロケで海外に行くことが多いので、その度に日本文化の素晴らしさを肌で体感しています。着物を着ていると必ず褒めていただけますし、受賞を機に着物の魅力を伝えていきたいと思っています。今回の着物は「灰桜」といってグレーとピンクを用いたシックな衣装です。これまでは赤や青など、はっきりとした色を合わせることが多かったので、とても新鮮ですね。年齢を重ねるごとに、似合う着物が変化していくのも1つの楽しみだと思います。 ■篠田麻里子さん着物を着てのランウェイは初めてでした。黒を基調とした深い色合いの中に、じっと咲いているような薔薇が描かれている着物です。黄色の帯締めが圧倒的なトレンド感を出していて、しなやかな女性を演出していただきました。普段着物を着る機会は少ないかもしれませんが、洋服と同じように合わせ方を楽しむことができるのが魅力だと思います。私も子供の入学式や卒業式など、門出の際にぜひ着たいです。 ■森口瑤子さんドラマの撮影で着物を着ることが多く、ちょうど着物に虜になっていたので、受賞者として発信できることにとても嬉しく思っております。甘辛なイメージを取り入れたクールさ引き立つ着物にしていただき、品は崩さずにファッショナブルな着物にも挑戦していきたいと思っています。私が出演しているバラエティ番組「プレバト」で、俳句の永世名人になれた暁には、今回の着物をぜひ着たいです。 ■かたせ梨乃さんデビューしてからというもの、時代劇にはじまり、現在は三味線など、着物を着る機会は多いですね。まるでブラジルの蝶を想起させる、空に羽ばたいていけるような着物で、このまま雨の西麻布に消えてゆきたいような気持ちです。(笑)着物を着て船旅に出て、夕食やディスコを楽しんだ、そんなこともありました。友人からは、お食事の際に「着物で来て」と言われることもあるので、今後も可愛らしい着こなしを楽しみたいと思っています。 ■取材の感想6名の受賞者それぞれの個性や雰囲気をデザインに落とし込んだ着物は、どれも優美で嫋やかでした。受賞者の雰囲気や人柄をイメージされていたスタイリングは、その人の魅力をさらに引き立たせており、ランウェイで着物を披露されている時は、息を呑むほど圧倒されました。着物は小物の組み合わせによってもバリエーション豊かになり、老若男女問わず纏えるファッションだと思います。日本文化としての継承はもちろん、ファッションとしての魅力をたっぷり味わえる空間でした。慶應義塾大学3年 松坂侑咲 学生新聞オンライン2024年10月8日取材:上智大学3年 白坂日葵

すごい大学生・すごい学生団体・ミスコン・ミス学生新聞

ミスミスター青山コンテスト2023 準グランプリ 伊藤日菜子

ミスコン挑戦が導く自分の成長 ミスミスター青山コンテスト2023 準グランプリ青山学院大学 法学部法学科 4年 伊藤日菜子(いとうひなこ)愛知県出身 ミスミスター青山コンテスト2023の準グランプリの伊藤日菜子さんに出場を決めた理由やこの挑戦から学んだことなどを伺った。 ■新たな挑戦を求めて ミスコンへの出場を決めた理由は、自己挑戦と成長を求めたからです。高校までフラメンコや体操、陸上とスポーツを続けてきましたが、大学では熱中することが見つかりませんでした。新しいことに挑戦したいと思い、ミスコンを選びました。自己表現の幅を広げたいという思いもあり、この挑戦が自分をより良くするための大きなステップになると信じていたのです。 ■挑戦を支えた努力 ミスコンに向けて私が苦労したのは、SNSのフォロワーが可視化されることと忙しい日々をどう過ごしていくかです。どうしてもフォロワー数が注目されるため、プレッシャーを感じていました。フォロワー数が少ないと自信を失いそうになりましたが、自分のペースで発信を続け、フォロワーとの交流を大切にすることで乗り越えました。応援してくれる方々の期待に応えたいという気持ちが強まり、みなさんの声が私のモチベーションになりました。また、ミスコンの準備や本番に向けて多忙な日々が続きました。学業との両立が難しく、スケジュール管理に苦労しましたが、優先順位をつけて効率よく時間を使うことで乗り切りました。忙しい中でも、ステージ上でのパフォーマンスやスピーチ練習に時間を費やし、自己表現の技術を磨きました。これらの努力が報われる瞬間はとても楽しく、自分の成長を実感できる貴重な経験となりました。 ■ミスコンがもたらした変化 ミスコンへの挑戦を通して、私は大きな変化を経験しました。最初は緊張や不安がありましたが、ステージに立つことで自信を持てるようになりました。また応援してくれる方々の存在はとても大きくて、私の支えとなり、パワーに繋がりました。ミスコンが終わった後も、自己肯定感が高まり、様々な挑戦に前向きに取り組む姿勢が身につきました。 ■大学生へのメッセージ 挑戦することを恐れないでください。ミスコンへの挑戦を通じて、私は多くのことを学び、成長することができました。不安や緊張を乗り越えるとその先には必ず成長と自信が待っています。自分を信じて、一歩踏み出してください。やらない後悔よりやって後悔の方が良いという言葉を胸に、ぜひ挑戦してみてください。 学生新聞オンライン取材2024年6月22日 津田塾大学2年 石松果林

学生新聞インターン

損害保険ジャパン株式会社 執行役員CDaO データドリブン経営推進部長 ...

データの力で、すべての人の健康な一生を実現したい 損害保険ジャパン株式会社 執行役員CDaO データドリブン経営推進部長 村上明子(むらかみ あきこ) ■プロフィール1999年日本アイ・ビー・エム(株)入社、同社東京基礎研究所において研究に従事。2021年に損保ジャパンに転職、損害保険のDXを推進。2022年4月に執行役員Chief Digital Officerに就任。2024年4月より執行役員Chief Data Officerとして損害保険におけるデータ活用やデータガバナンスを推進している。また、政府に設立されたAIセーフティ・インスティテュートの所長も兼任している。 震災のボランティア経験を経て、「苦しんでいる方々の力になりたい」と損害保険ジャパンへの転職を決めた村上明子さん。保険業界にデジタル技術を取り入れることで、保険業界の役割そのものを変革したいと語る村上さんに、同社の魅力からDX推進の取り組みや思いについて伺った。 ■「災害に遭われた方を助けたい」との想いがつないだ転職 前職では、コンピューターで言語を理解するにはどうしたら良いかという基礎研究を十数年行った後、ソフトウェア製品開発に携わりました。働くうちに、次第に残りの社会人としての人生は、ソフトウェアを有効活用して社会貢献できたらと思うようになりました。そんな中コロナ禍になり、損害保険ジャパンに在籍していた前職の先輩から「DXを進めようと思っているから、力を貸してくれないか」と声をかけていただきました。しかし、ユーザー会社だったらどこでも良いと思っていたわけではありません。転職の大きなきっかけになったのは、2011年の東日本大震災のとき、自分に何かできることがないかとボランティアに参加したことです。私は力仕事ではお手伝いできないので、ITで被害に遭われた方の復旧に携われないかと考え、ボランティア団体を立ち上げました。復旧にあたっているボランティア団体をITで間接的に助けるという団体です。その経験もあって、この会社であれば災害に遭われた方の力になれるのではないかと感じたことが決め手となり、損害保険ジャパンに入社しました。 ■世のため、人のために励む社員たちが魅力 自分の会社なので少し照れ臭いのですが、社員が本当に良い人ばかりです。自分のことはさておき、世のため人のため、苦しんでいる方を保険で支えたいという想いを持つ人が、多くて本当に驚きました。プロジェクトのアイディア出しでも「事故を減らすためにはどうしたら良いか」「復興のお支払いを一日でも早くするためにはどうしたらよいのか」など、自分ごとになって考える社員が多いという印象を持っています。このような志が、仕事の柱になっている人が多いということがこの会社の強みです。また、当社は非常に新しいもの好きな会社だなと思います。古いものにとらわれず、「新しいことをやってやろう!」というチャレンジ精神を感じます。 ■膨大なデータで経営方針を決めていく 蓄積されたデータを使って経営を進めるというデータドリブン経営の方針の下、現在、私は「チーフデータオフィサー」としてデジタルやAIを活用するための根本となるデータを扱っています。データドリブン経営では、経営判断するときや物を販売するときに客観的なデータに基づく判断が大切になってきます。しかし、当社は自動車保険をはじめとする2千万人以上のお客さまとの契約があり、今までデータを安易に使うことが難しい状況でした。そこで簡単にデータが活用できる環境を用意し、社員の皆さんが自分の仕事に集中できるように業務にあたっています。デジタルというと、きらびやかなイメージを持たれている方が多いと思いますが、私はデジタルやデータは手段にすぎないと考えています。私たちの部署は、保険を世の中に役立て     るために、 現場の人たちを下支えする「縁の下の力持ち」のような存在です。そして、それを誇りに思っています。しかし、私達が業務内容を理解していないと、現場で受け入れられないデジタルのツールを押し付けることになってしまいます。そこで大切にしているのが、科学者である金出武雄さんの本のタイトルにある「素人のように考え、玄人として実行する」という考え方です。慣れてしまうと客観性がなくなってしまうので、いつも素人のように新しい気持ちで見る。しかし、実行するときは現場での制約や慣習があるため、玄人のように行動して実現していく。これはデジタルやツールを扱う上で大切な考え方だと思います。 ■デジタルによる変革で保険の在り方を変える DXを通じて労働力が確保できない状態に備えて効率化を進めていくことも大事ですが、どちらかというとデジタルの台頭によって保険の在り方そのものを変えていくことが、保険業界がデジタル面で果たすべき役目だと思っています。たとえば、今までの保険は対面で申し込みを紙に書いていましたが、WEBでも更新できるように変わってきています。一方で、WEBを通じて、もっと気軽に保険に入っていただきたいとも思っています。たとえば、万が一旅行をキャンセルせざるを得ない場合、高いキャンセル料を賄うことが出来る保険があります。入った方が良いと分かりつつも、予約した後は面倒になり、忘れがちです。そこで、旅行予約のWEBページから簡単に保険に入れたら便利ですよね。これはまさにデジタルでお役に立てることだと思います。単にデジタル化するのではなく、デジタルトランスフォーメーション(DX)によって保険の在り方を変革することが求められているのです。 ■「効率化」だけでなく、DXを進める意義を重要性 DXによる効率化で自分の仕事が楽になるとしても、現場の人たちが抵抗を示すことがあります。「これをやるとあなた達の仕事が楽になります」と説明しても、思うように現場の方に伝わらないこともありました。しかし、「そのアプローチの仕方は間違っている」とアドバイスをいただく機会があり、ハッとしました。SOMPOグループでは世のため人のため     を考えている人がすごく多いと思います。だからこそ、現場の人達は「効率的なのはいいが、しっかりお客様に寄り添えなくなるのではないか」という抵抗感を持っていたことに、こちら側が気付いていなかったのです。以来、「ここを効率的にすることで、皆さんがお客様に向き合う時間を増やすことになる」としっかり伝えるようになったことで、現場レベルでもDXやデジタルによる効率化を進めるモチベーションが生まれているように思います。 ■お客様の大切なデータで世の中を良い方向へ まずは今のデジタル時代に遅れていかないように、デジタルを使った変革を進めていくこと。また、保険会社である以上、常にお客様の貴重なデータを扱うことになります。それはただのデータではなく、いろんな方が被害に遭われた記録です。そのデータを使って世の中を良い方向にもっていく力添えをすることに、これから注力していきたいです。グループ会社一体となって、皆さんが生まれたときからお亡くなりになるそのときまで、健康に過ごせる環境を整えていきたいと思っています。 ■学生へのメッセージ  世の中は本当に変化が早いです。だから、「将来のために準備をしておこう」と逆算するよりは、とにかく学生のときはいろんな経験をしてほしいと思います。そして、いろんな人に会っておきましょう。会うというのは、ただ知り合いになるのではありません。私の場合は、一緒になってこの問題を解決しようと真剣に語り合った人達が、今の仕事に繋がっています。東日本大震災でのボランティアがまさか当社への転職につながると想像もしていませんでした。あまり打算的にならず、考える暇があったら一個でも多くの経験を積んでいくことが、人生をより豊かなものにしてくれるのではないでしょうか。 学生新聞オンライン2024年7月17日取材 東洋大学2年 越山凛乃 法政大学4年 鈴木悠介 / 上智大学3年 白坂日葵 / 昭和女子大学3年 竜澤亜衣 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 上智大学3年 網江ひなた

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自由民主党北海道第六選挙区支部長 衆議院議員 東国幹

やりたいこと突き詰め、心地よく、“あずましい、国づくり”へ 自由民主党北海道第六選挙区支部長 衆議院議員 東国幹(あずまくによし) ■プロフィール 衆議院:法務委員会 委員、農林水産委員会 委員、災害対策特別委員会 委員、沖縄及び北方問題に関する特別委員会 委員 自由民主党:国会対策委員会 委員、北海道総合開発特別委員会 事務局次長、組織運動本部 団体総局(農林水産関係団体委員会 副委員長・厚生労働関係団体委員会 副委員長)、地方組織・議員総局 次長、広報本部 新聞出版局 次長 東くによりチャンネル You Tube:https://www.youtube.com/channel/UCk0mGdVNPeG6TvXqOcnWJmA?si=dxqNfx1IjRpJ_-fY 「あずましい、国づくりへ」をモットーに、心地よく住みやすい国をつくろうと日々奮闘する衆議院議員の東国幹さん。現在、主軸として携わる農林業にはじまり、その取り組みは多岐にわたる。「かつては自衛隊を目指していた」という東議員は、なぜ政治の世界へ足を踏み入れたのか。政治への思いとともに、今後の展望について伺った。 中学から高校卒業までは、自衛隊への加入を希望していました。理由は、ヒエラルキーがはっきりしている社会が好きだったからです。しかし、高校教師である父親に相談すると、自衛隊に入ること自体は反対されなかったものの、「まずは普通校に進学してはどうか」と強く勧められ、大学進学を決めました。その際、東海大学法学部を選択したのは、「法学部に行けば、弁護士や司法書士にならなくても、社会の常識を学ぶことができる」と祖父から言われたのがきっかけでした。 大学入学後はスキーに熱中し、インストラクターとしても働いていました。入学した当初は、卒業後はいずれ自衛隊に入ろうと考えていたのですが、ひとつの転機があり、政治家を目指すことを決めたのです。その転機とは、旭川、盛岡、長岡、長野市の4都市で行われた冬季オリンピックの誘致競争でした。旭川は50票中4票しか獲得できず、トップだった長野に大差で負けました。このとき、「政治の力があれば旭川に誘致できたのでは?」と強く思いました。この悔しい気持ちが、政治家を志す大きな原動力となりました。 しかし、政治家を目指したものの、その道は決して平らではありませんでした。政治家を目指したとき、自由民主党に入ろうとしましたが、いざ党に所属する政治家を見てみると、両親が政治家であるパターンが非常に多かったのです。また、一流大学を卒業後、省庁に入って官僚になり、政治家になる人も多かったので、自分もその道を目指すべきなのか悩みました。しかし、結局は、ご縁があって、元環境大臣である原田義昭先生の書生として、横須賀事務所で働くことになったのです。 大学卒業後、北海道に帰郷したのは、「政治家になるには北海道でなければならない」と強く思ったからです。本来自民党は農村政党であり、土着性を基本とし、生まれ故郷をとても大切にしていました。そこで、原田先生から3人の議員さんの事務所を紹介され、北海道の選挙区に所属していた国会議員の佐藤静雄先生の秘書として活動することになりました。その後、27歳で旭川市議会議員に就任し、青年会議所で活動しました。元気のよい会で、お祭り実行委員会にも1年間入りました。そして、北海道議会へ進み、自由民主党北海道第六選挙区支部長としての活動を通じて、地域社会に貢献したいという思いを強く持つようになったのです。 ■若者が農業にアプローチしやすい土壌を作る 現在、私が主軸としている取り組みは食料安全保障の強化です。その取り組みのひとつとして、今年2月、「食料・農業・農村基本法」を25年ぶりに可決しました。これは、「農政の憲法」とも呼ばれ、農政の基本理念や政策の方向性を定めた法律です。この法律の可決により、農業や林業の基盤を強化し、食料安全保障を確保するための法的枠組みを整備することができます。 同時に行っているのが、生産者の持続可能な経営や人材不足などの課題解決です。現在の、農業界における人材不足の解決の糸口は、若者が農業に従事する上でのアプローチを見直すことだと考えます。農業や林業は、国家が成り立つ上では欠かせないものですから、人材不足はなんとしてでも解消しなければなりません。現代の若者は潜在的に農業に興味を持っている方が多いので、いかにその想いを実現化し、支援できるかが重要です。興味のある新規就農者をサポートし、農業に取り組む機会を提供することが私たちの役割となっています。自然の中で食べ物を作ることには大きな達成感がありますし、人と接することが苦手な方でも活躍できる場ですので、たくさんの若者に取り組んで欲しいです。 私自身、政治家としての取り組みには大きなやりがいを感じています。法律の改定や予算案の提案で、地方都市と大都市との格差を縮めることも可能です。地域社会に貢献できるという感覚は素晴らしいものです。提案が実現した際には、生まれ故郷の方々からの感謝の言葉をいただけることもあり、やりがいのひとつになっています。 ■安全安心な食糧を、きちんと提供し続ける国を作る 今後、力をいれていきたいのが食料安全保障の確立です。世界の人口が80億人を超え、耕地面積や水資源が減少している中で、日本の食料自給率は一つの問題になっています。私たちの国の食料自給率は63%と低い。その理由は貿易市場主義にあるのではないかと考えています。今後、日本は、1億人の日本人に食べさせることを確保するべきだと思っています。現在、米は供給過多で市場に余り気味なのに対して、小麦や大豆の自給率は10%前後とかなり低いです。この自給率を向上させるためには、畑作の構築を増やす必要があります。米の生産を減らす必要はありませんが、畑作の自給率を高めることが重要です。さらに、食料保証を向上させるために消費を増やしたり、国産品のブランド力や価値を高めたりすることが必須です。 また、食料安全保障は環境問題とも関連しています。有機農法や化学肥料を使わない安全な食品への需要が高まっている現在、安心・安全な国産食品の美味しさをPRすることも重要だと考えています。これらの取り組みを通じて、食料安全保障を確立し、国民の健康と幸福を守っていきたいと考えています。 ■大学生に向けてメッセージ 学生の皆さん、あなたたちが将来どんな職業を選択するかは、個人の自由です。どのような選択をしても構いませんが、自分の好きな仕事に就くことができれば、より幸せだと思いませんか? 私の場合、自分がやりたいことを追求することに幸せがありました。また、「趣味と実益を兼ねる」というフレーズの通りに、好きなことで収入を得ることができれば、専門家になることも夢ではありません。給与は、やりがいを持って仕事をすることによって後からついてくるものですから、自分の夢や希望を早く見つけて、突き詰めてみてください。 学生新聞オンライン2024年4月18日取材 津田塾大学2年 石松果林 京都芸術大学1 年 猪本玲菜 / 津田塾大学2 年 石松果林

コラム

テリー伊藤 コラムVol.34 世紀の二枚目アラン・ドロンさん亡くなる

フランスの俳優アラン・ドロンが2024年8月18日フランス、ドウシーで家族に見守られながら息を引き取った。88歳だった。アラン・ドロンを紹介する時には必ず「世紀の二枚目俳優」の冠がつく。当然だろう。何たって桁外れの男前なのだから。世界中のどの国にも二枚目は存在する。日本、アメリカ、英国、イタリア、インド、韓国、他の国の二枚目も相当格好いい。しかしフランス代表のアラン・ドロンは別格ではないか。もし世界対抗二枚目オリンピックが開催されたら間違いなく金メダルを獲得する。繊細さ、野心を感じる透き通る眼差し、しなやかな肉体、整いすぎる甘いマスク。まさに神が与えた完璧な容姿の持ち主。 そんな彼の魅力を見事に引き出したのが60年制作ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』。アラン・ドロンは貧しく孤独な青年トムを演じる。大富豪の息子に奴隷のように扱われ、いつしか殺意を抱くように。衝撃のラストシーンは今も映画ファンの語り草となっている。ナポリの海、太陽の陽射し、ニーノ・ロータの主題曲、そして若干25歳のアラン・ドロンの人生を這い上がって行く瑞々しい演技が相まって、世界中で大ヒットした。今でもこの作品をフランス映画史上No.1と評価する人は多い。 日本でも大人気となり、当時の映画雑誌の表紙は各誌アラン・ドロンで埋まり、人気投票でも毎年「不動の一位」の座を譲らなかった。それだけでは収まらない。初来日の際はとんでもない騒ぎに。インターネットが無い時代にもかかわらず情報を聞きつけて、羽田空港は若い女性で大混乱。日本の芸能界も黙っちゃいない。各映画会社が若手女優を和服でお出迎えさせる大歓迎ぶり。あれ程の外国人スター大狂乱は、その後のビートルズ来日騒動しかなかったのでは。 とは言っても一般男性がアラン・ドロンになれる訳もなく、あきらめている頃。1971年ファッションブランド「レナウン」が、アラン・ドロンをイメージキャラクターに抜擢し、紳士服「ダーバン」を発表。俺もアラン・ドロンになれるかも!と、大ヒットとなった。その他1970年制作「ボルサリーノ」で被ったボルサリーノ帽は今でも男たちの憧れとなっている。世紀の二枚目にはなれなくてもせめて雰囲気だけでもと、彼の影響力は今も衰えない。 アラン・ドロンの凄いところは、死ぬまでずっと格好良かったこと。いつの時代も年齢の中で美しさを保っていたのではないか。今ごろ天国で盟友ジャン=ポール・ベルモンドと若かりし頃の映画の話やモテモテだった時代の事をワインを飲みながら夜通し語っているのでは。それとも、2人でナポリの海をビキニパンツで泳いでいるだろう。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

学生新聞インターン

映画監督 日比遊一

一歩踏み出す勇気と希望を届ける 映画監督 日比遊一(ひびゆういち) ■プロフィール1964年、名古屋市出身。高校卒業後に俳優を目指して上京し、20歳でニューヨークへ。2016年、高倉健のドキュメンタリー映画『健さん』を監督。モントリオール世界映画祭ワールド ドキュメンタリー部門の最優秀作品賞、日本映画批評家大賞ドキュメンタリー賞を受賞。2019年、樹木希林企画による『エリカ38』では脚本・監督。2021年、名古屋を舞台にした『名も無い日』では製作・脚本・監督。現在、ニューヨークを拠点に活動中。 2024年10月11日全国ロードショーの映画「はじまりの日」。9月28日、第63回名古屋講演会にて、映画を手掛けられた日比遊一監督をゲストにお招きし、映画の制作背景や魅力、映画に込めた想いについて伺いました。伝説のロッカーの再生と若き歌姫の誕生の物語を描く本作では、元JAYWAILボーカリストの中村耕一さんと、圧倒的な歌唱力で注目されている歌手の遥海さんがW主演で映画に初挑戦され、従来のミュージカル映画とは一線を画す、大人のための音楽ファンタジーの世界が魅力です。 ■映画を手掛けよう思った経緯 前作の名古屋を舞台に手掛けた「名も無い日」が作家として最後に撮るような作品だったので、そのあと頭が真っ白になってしまいました。しかしコロナ禍に入り、自分にとって考える時間ができたことをきっかけに、昔から歌の力を問うような映画を作りたいと思っていたことが再燃しました。スポーツの大会や祭典などで合唱したり、何か災害や戦争が起こったら歌で慰めや祈りを行ったり、人類は歌の力を借りて生き延びてきたところがあると思います。そういった歌の力や音を映画に残したいという想いで今回の作品を作ることになりました。 ■2人の主演との出会い 毎回チャレンジのある現場を作りたいなと思っていて、今回の場合は名の知れた俳優さんよりも、皆さんが知らないような歌手を主演として起用したいなと思いました。女役の遥海さんは、実は7,8年前に彼女が路上で歌っている動画をYouTubeで見ていて、その歌唱力に魅了されて名前をメモに書き留めていた子でした。今回はソニーミュージックさんとのコラボでしたが、新人で誰もまだ知らないような子はいないかと聞いたときに、偶然紹介されたのが遥海さんだったので、これは運命だなと思いましたね。男役の中村耕一さんは、たまたま前作の繋がりで奥さんの矢野きよ実さんと出会い、ライブを拝見させていただいたことがきっかけです。久しぶりに涙が出るくらい感動して、自分の映画の構想と重なって、夜も眠れなくなったことを覚えています。演技に自信がないという理由で3回もオファーを断られましたが、どうしても諦めきれず、脚本を中村さん仕様に変更し、セリフも極力少なくし、4回目のオファーでようやく受けてくださることになりました。 ■名古屋を舞台にした理由 私の仕事の一つは、名もない公園や路地裏に命を吹き込み、新しい「聖地」を創り出すことだと考えています。40年間海外で生活していましたが、コロナ禍で久しぶりに名古屋に帰ってきたときにさびれた街の風景を目の当たりにし、映画を通して地元の観光業や飲食業の再生に少しでも貢献したいなと思いました。また、昔私の実家は今のMIRAI TOWERのちょうど真下にあったので、自分自身の心の聖地でもあり、10代で日本を出てしまったふるさとの原風景を取り戻したいという想いもありました。名古屋市や中部電力をはじめ、多くの企業様からの撮影協力や、ご協賛のお陰で名古屋を舞台にした今回の作品が仕上がったので、本当に光栄な気持ちと感謝でいっぱいです。 ■撮影のこだわり 今回はドラマの部分はデジタルではなく、フィルムで撮影しました。デジタルというのは何回も撮れて、その中で自分がいいとするテイクだけを残すことができますが、フィルムで撮影すると時間もかかりなかなか取り返しがつかないので、スタッフや俳優さんの緊張感が違います。主人公達が初めて映画で演技をやるという2人だったので 、リアル感をフィルムのトーンで出したいという狙いと、人生はやり直しやごまかしがきかないということを映画を通して次世代に伝えたいという想いがあります。歌のシーンはデジタルで撮影しているのですが、一気にファンタジーな世界観になって、皆さんが歩いている名古屋の街がパリのように、MIRAI TOWERがエッフェル塔のように見えるような演出にしました。ミュージカル要素も交えたリアルとファンタジーが融合した、邦画ではあまり見ない舞台映画になっています。 ■映画を通して伝えたいこと 70歳の一世を風靡したロック歌手の再生と、人前では喋れないようなシャイな女の子の歌姫誕生の物語で、2人の主人公達が歌を通して友情を育み、お互いの背中を押しながら新しい人生を歩んでいく物語です。「はじまりの日」というタイトルは、“皆さんのはじまりの日”になればいいなという想いを込めました。一歩踏み出す勇気が新しい未来の第一音になり、 いつか大きな旋律になって物語を奏でることができる、そんなメッセージが込められている映画です。一歩を踏み出す勇気が出ない、諦めたくないという気持ちがあるが上手く表現できない、そんな方には特にこの映画を見ていただきたいですね。名古屋から全国、そして世界へと発信できる映画だと思っているので、ぜひ劇場に足を運んでご覧ください。 映画「はじまりの日」 こんなにも自然に心の機微を映像と歌で表現した映画がかつてあっただろうか。国際映画祭受賞監督である日比遊一の描く今作は、従来のミュージカル映画とは一線を画す。抒情的な映像から、自然に生まれ出る魂の歌声。それは大人のための音楽ファンタジーであり、観る人を物語と歌の世界にやわらかに引き込んでいく。 監督・脚本・プロデュース:日比遊一 配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント製作プロダクション:ジジックス・スタジオ 2024/日本/カラー/107分 学生新聞オンライン2024年9月28日取材 学生新聞編集部

学生新聞映画大賞

第3回 学生新聞映画大賞

TOP CONNECT 株式会社(東京都中央区/代表取締役 内田雅章、以下 TOP CONNECT)は、若者の映画館離れやコロナ禍の映画館利用率の低下をうけ、映画興行の復興を目的に「第3回 学生新聞映画大賞」発表会を2024年10月9日(水)、セルリアンタワー東急ホテルB2ボールルーム(「学生新聞・小学生新聞発刊パーティ第2部内」にて開催いたしました。 <第3回 学生新聞映画大賞とは> 2024年1月1日~6月30日までに、東京地区において有料で初公開された60分以上の劇場用劇映画かつ、同一劇場で2週間以上連続して上映された邦画作品を対象に、大学生総勢200名が投票を実施。10作品の中から上位3作品の中で、男優賞(2枠)、女優賞(2枠)、若手俳優賞(25歳以下の男女各1名)、監督賞、脚本賞、主題歌賞の計6つの賞を設け、表彰。賞品総額は300万円(各受賞作品毎100万円)。 <ノミネート作品> ■ゴジラ-1.0/C■ゴールデンカムイ■サイレントラブ■劇場版「君と世界が終わる日にFinal」■夜明けのすべて■変な家■四月になれば彼女は■青春18×2 君へと続く道■映画『からかい上手の高木さん』■ディア・ファミリー ※公開日順にて記載。 ©2023 TOHO CO.,LTD / ©野田サトル/集英社 ©2024 映画「ゴールデンカムイ」製作委員会 / ©2024 「君と世界が終わる日に」製作委員会 / ©瀬尾まいこ/2024 「夜明けのすべて」製作委員会 / ©2024 「変な家」製作委員会 / ©2024「四月になれば彼女は」製作委員会 / ©2024 「青春18×2」Film Partners」 / ©2024 映画『からかい上手の高木さん』製作委員会 ©山本崇一朗/小学館 / ©2024 「ディア・ファミリー」製作委員会 <ご協賛企業様> ※順不同 アース製薬 /ピップ / タマノイ酢 / ニューバランス / アデランス / アンファー / 杉本食肉産業 / マルハン / 越後ファーム / Mizkan / 串カツ田中ホールディングス /...

イベント・企業紹介

「JAPAN SKETTT. PROJECT」新プロジェクト発表会 ~地方出身タレントが地...

株式会社Wunderbar(東京都渋谷区 代表取締役CEO 長尾慶人)は、「咲かせよう、みんなで」をキャッチコピーに、地方出身タレントがPRでお困りの地元企業さまを支援するプロジェクト「JAPAN SKETTT. PROJECT」を実施することを発表しました。 IPマーケティング包括支援サービス「Skettt(スケット)」では、タレントの宣伝素材提供を軸に、企業の認知・売上向上をサポートしています。そんな「Skettt」が、これまで以上に地方企業のPRを盛り上げていきたいという想いで始動させるのが、「JAPAN SKETTT. PROJECT」です。まち・ひと・しごと創生法(平成26年法律第136号)が2014年に施行され、10年の節目となる今、次の10年を実りあるものへ、地方創生の未来を作る国内初のプロジェクトです。大好きな地元のために立ち上がった全国のタレントが、広告塔として企業さまを応援します。また、本プロジェクトの中にはAIを活用したサービスも提供いたします。 今回、プロジェクトの立ち上げを記念して「HOKKAIDO SKETTT. PROJECT」のアンバサダーを務める北海道出身でタレントの菊地亜美(きくち・あみ)さん、「KINKI SKETTT. PROJECT」には大阪出身のお笑いコンビよゐこの濱口優(はまぐち・まさる)さん、「KYUSHU SKETTT. PROJECT」には鹿児島出身の恵俊彰(めぐみ・としあき)さん、さらに「TOHOKU SKETTT. PROJECT」には山形県出身の女優・タレントの橋本マナミ(はしもと・まなみ)さんがそれぞれアンバサダーを務めることになりました。 アンバサダー4名も登壇し、それぞれプロジェクト参加に関する思いや、自身の故郷の思い出などを伺った。 ■株式会社Wunderbar 代表取締役CEO 長尾慶人 私は北海道の札幌出身で、北海道はやはりご飯が美味しいと思っています。ビアガーデンが好きなので夏に帰ると涼しくて、お酒がおいしく感じるという所が大好きでたまりません。地方活性化には、地方企業の成長が不可欠です。このプロジェクトの3つの軸である「ツクル」「トドケル」「ササエル」そして「skettt(スケット)」というキーワードは身近にあるものなので地方企業に、難しくない分かりやすい形で届けていきたいなと考えています。 ■HOKKAIDO SKETTT. PROJECT アンバサダー 菊地亜美 アンバサダーのお話を頂いた時は率直にうれしかったです。出身地である北見市の観光大使をやらせていただいたりしていますが、こんなに大きなプロジェクトで北海道の皆さんの力のなれるというのは、地元のお仕事をしたいという私にとって光栄なお話でした。北海道は広いのでレンタカーを借りたりして、たっぷり時間かけて楽しんでほしいです。そこで、ドライブでぜひ走ってほしいのが知床にある『天まで続く道』です。奥まで続く一本道がほんとに天とつながっているように見えます。昔から家族と通ってはいたのですが、改めて行くと大人になったからこそ感じるものがありました。北海道に住んでた時は東京に行きたいという憧れが強かったのですが、地元を出たからこそ、より好きになって良さに気づいた部分もあると感じます。北海道で放映されるCMの撮影では、気持ちづくりのためにラベンダーの香りを嗅いで、北海道への思いを馳せて臨みました。いつもと違って見てくれる人が地元の人なんだと思うと“届けたい”という気持ちが強くなり、いつもより上手くできたかなと思います。 「トドケル」にまつわるエピソード私は毎日4歳の娘に気持ちを届けています。子供が何かに疑問を持った時にそれをスルーしないことを意識しています。子どもは私が言った言葉で理解して、そうなんだと思うので気持ちや言葉を一つ一つ大切に届けて生活しています。 ■KINKI SKETTT. PROJECT アンバサダー よゐこ 濱口優 アンバサダーに決まったときは、めちゃくちゃ嬉しかったです。僕でいいのかなと。近畿地方には名だたる有名人の方々がいる中選んでいただいたので、皆さんを盛り上げるために頑張っていきたいと思います。食べ物はとにかくたくさんありますし、値切るという文化は大阪特有だと思います。他の地方に行っても値切るという文化は無くて、僕的には衝撃でした。安くおいしいものが食べられるのは魅力の一つです。 近畿地方にはおすすめしたい場所がたくさんあるのですが、その中で大阪市此花区の『喫茶はまゆう』をおすすめします。実は、実家の喫茶店なんです。近畿地方で一番芸能人が集まる場所なのでは、というぐらいロケでたくさんの芸能人の方が来てくださっています。幼いところの僕の話が聞けるかもしれません。(笑) 「ササエル」にまつわるエピソード奥さんに支えられています。今日もこのイベントに来られたのも奥さんのおかげで、タクシーが捕まらなくて送ってもらいました。子供授かってから実家に連絡することも増えて、奥さんと出会って人生が変わったなと思います。 ■KYUSHU SKETTT. PROJECT アンバサダー 恵俊彰 私は18歳の時に上京して、もう42年になります。圧倒的に東京の方が長いですが、いまだに鹿児島県人だという意識が常にあります。鹿児島に帰っても東京に出ていくという思いになるんです。鹿児島の同級生たちが、地元で苦労しながら仕事を頑張る姿を見てきたので、ぜひこういう機会に地方で頑張っている企業を全力で応援したいなと思います。九州でこれから絶対に有名になるだろうというのが糸島です。現在放送中の連続テレビ小説「おむすび」の舞台でもあります。海もあって、山もあって、サイクリングもできて、とても一日じゃ周りきれない魅力的な場所です。近くにはおいしいラーメン屋さんもあって、私も家族で訪れました。福岡は最後ここで暮らしたいと思うぐらいとっても好きな街です。その中でも糸島は食べて良し、自然と親しんで良しでおすすめです。 「ツクル」にまつわるエピソード地方の企業を盛り上げるというプロジェクトの趣旨に共鳴した理由でもあるのですが、私の実家は鹿児島の伝統工芸品である大島紬を作っていました。父が特許を取ってた泥染めは色んな職人さんが携わらなければできないもので、皆さん地元のために苦労して守っています。東京一極集中と言われていますが、地方各地に産業を支える方々がたくさんいます。「ツクル」ということは一旦終わってしまったら中々復活できないものなので、終わらせないことが大切だと思います。 ■TOHOKU SKETTT. PROJECT アンバサダー 橋本マナミ 東北は、おいしいものやおすすめしたい場所も色々あるので、たくさんの人に知っていただきたいです。東北を盛り上げていけることをうれしく思っています。東北は6県あるので、青森の冷麺やマグロ、山形の肉そばなど、それぞれその土地の名物があります。また、夏に行くと、東北6県のお祭りがあるのでぜひ周ってほしいです。それぞれ時期がずれているので、ゆっくり周れば制覇することが出来ますし、ツアーもあるので色々な所を訪れて欲しいです。 私は4歳のころから両親の間に挟まれながらスキーをしていて、今でも帰ったときには蔵王に行ってスキーをします。その後はロッジでカレーを食べて、源七の湯という広い露天風呂に雪を見ながら入るというのがいつものお決まりのコースで、最高です。 「skettt(スケット)」にまつわるエピソード7月に第2子を出産して、母が山形から助っ人に来てくれています。一緒に住んで、毎日郷土料理などご飯を作ってくれているんです。17歳の時に上京してきたので母の手料理はもう食べるのは難しいのかなと思っていたのですが、この機会に食べることが出来ています。同居することが出居て本当に助かっています。今日も子供を母が見てくれているからイベントに来れたので、「スケット」にとても助けられています。 学生新聞オンライン2024年9月30日取材 東洋大学2年 越山凛乃