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Archive for 運営スタッフ

学生新聞インターン

株式会社キッズスター 代表取締役 平田全広

『ポジティブな疑似体験を通して、子どもと社会の距離を縮めたい』 株式会社キッズスター 代表取締役 平田全広(ひらたまさひろ) 広告制作会社に3年従事後、バックパッカーとして海外を旅し、(株)サイバーエージェント⼊社。アメブロ事業⽴ち上げに従事し、メディアマネージャーを務めた後、(株)アイフリークモバイルに入社し、コンテンツ事業部⾨執⾏役員就任。⼦どもが⽣まれたことをきっかけに⼦ども向け事業を⽴ち上げ、 2014年より(株)キッズスターの代表取締役を務める。 ゲームを通して、実在する企業の体験が出来る知育アプリ『ごっこランド』は、子どもたちが社会の仕組みを学べる上、新しい企業のファン作りにも貢献している。そんなサービスを提供する株式会社キッズスターの代表取締役平田全広さんに、『ごっこランド』の構想までや魅力、今後の展望についてまで伺った。 ■様々なことを考える時間になった2年間の旅 旅をするのが好きで、学生の頃はインドなどアジア諸国を周りました。大学卒業後も3年間広告会社で働いた後、バックパッカーとして海外放浪の旅を2年くらい経験しました。サッカーとプロレスがずっと好きだったので、本場を見に行こうとヨーロッパや南米、中米など32か国を巡りました。時間がたっぷりあったので、色々なことを考えながら、自分自身の考え方が形成することができた有意義な時間だったと思います。特に、たくさんの国をまわる際は、事前にその国のことを調べて行くのではなく、現地で聞いて宿を取ったりしていたので、思い立ったら、臨機応変に行動するという考えが身につきました。また、この経験があったからこそ、多少の事ではビビらなくなったと思います。 ■新しい出会いがくれた起業という新しい選択肢 帰国後はサイバーエージェントに入社し、藤田社長をはじめ、インターネット業界で同じ年代の人たちが新しい事業を立ち上げているのを目の当たりにしました。これまでベンチャーや起業という選択肢は考えていませんでしたが、サイバーエージェントの中で上昇志向の強いギラギラした人達が、自分達の責任で事業を運営している姿を見て、「自分もできるかもしれない、やってみたいな」と思うようになりました。サイバーエージェントで働いた8年間はしんどい部分もあったけれど、楽しい部分もあり、これと同じくらい熱量を持ってできることがしたいと考えていました。その後、子どもが生まれ、育てていく中で、絵本などに触れる機会が増えていきました。絵本は自分達が幼かった時と変化がないと感じ、もう少し現代に合わせて、なおかつ自分のインターネットの経験も生かせるような事業が出来ないかなというところから、キッズスターが始まっていきました。 ■企業がもつ思いをゲーム体験を通して伝える『ごっこランド』 『ごっこランド』は実在する企業やブランドの仕事や取組みを、ゲームで体験できる社会体験アプリです。企業の広告だと歯磨き粉を“売る”ことが中心になるけれども、例えば、ライオン株式会社さんは“虫歯を無くすこと“を目標として歯磨き粉を提供しています。虫歯を無くすには歯磨き粉で歯を磨くだけじゃ足りないので、定期的に歯医者も一緒にセットで行くことが大切です。そのことを伝えるために、歯を磨いた後でも汚れは残っていること、歯医者でのクリーニングやフッ素塗布をすることもゲーム化して表現しています。現在80社もの企業が出店しており、体験の種類の豊富さは他と比べても一番です。各企業が目指すビジョンを子どもたちに理解してもらうために、かみ砕いて、どうゲーム化していくのかを考えるのは骨が折れる部分でもあり、やりがいでもあります。 ■ゲームでの体験をリアルな体験に繋げてほしい ゲームをつくる上で大切にしているのが「子どもテスト」という開発工程です。事業開始当初から続けていて、ゲームをリリースする前に子どもたちにプレイしていただき、反応を見て、ブラッシュアップしています。子育て中の社員も多いため、親目線と子ども目線のゲーム作りにこだわっています。そしてもう1つ大切にしていることがあります。それは、ポジティブな疑似体験が能動的な行動を生むということです。子どもが幼いころは親御さんがすすめた物をやることが多いと思いますが、子どもが自ら「やってみたい!行ってみたい!」から行うリアルな体験は、学びの深さが変わります。実際私たちは『ごっこランドEXPO』というリアル体験イベントも、大型ショッピングモールなどで開催しているのですが、1開催あたり約2000名に参加いただいています。ゲーム内で「私も出来るかも」という成功体験を積み重ね、リアルなアクションに結び付けて欲しいと考えています。 ■子どもたちにとって社会をもっと身近に 『ごっこランド』は企業との接点作りやファンを増やす動きを、子どもたちを通して行っています。例えば、街を普通に歩いているだけでは気にならなかった看板などに対して、子どもが突然「あれ知ってる!この店ってこんなものがあるんだよ!」と親御さんに話しかけてくるといったご感想をいただくことがあります。楽しく遊びながらも様々な知識を自然に得ることが出来ます。学校はどうしても社会と切り離されている部分があるので、ゲームを通じて、子どもと社会の距離を近づけていきたいと思っています。  『ごっこランド』には、約20万件ものレビューをいただいています。当初からお父さんお母さんの口コミをベースとして広がり、現在では700万ダウンロードを突破。どのゲームも月に20万回近く遊ばれています。現在は、子どもたち本人からのレビューが一番多いです。レビューには、ゲームに入れて欲しい企業名がリクエストされることもあるので、実際の子どもたちの声を聞いて営業に行くこともします。我々にとってレビューが全てと言っても過言ではありません。 ■『ごっこランド』を世界中のもっと多くの子どもたちに  2023年8月からは、海外版である『Gokko World』をベトナムで配信し始め、日本版より早いペースで累計120万ダウンロードを突破しています。『ごっこランド』のゲームは、3歳の子どもから遊べるゲームなので、流れる音声の言葉が理解できれば海外でも変わらずプレイしていただけると確信を持てました。ベトナムをしっかり成功させ、次はインドネシアに広げていこうと考えています。2024年の日本の子どもの出生数は約70万人ですが、インドネシアは約400万人もいます。現在、経済発展もしている中、『ごっこランド』の意味合いが増し、活用する企業さんも増えていくはずです。まず、日本で築いた1位をアジアで獲りにいきたいと思っています。 ■大学生へのメッセージ 自分自身、はじめから起業家を目指していたわけではなく、広告会社で働いたり、バックパッカーになったり、その時にあった自分のやりたい事を突き進んできました。大学生の段階で「これをやる!」と一本に決めなくても、なにか始めてみて、思い切ってそこにどっぷりはまって夢中になって、また違うものが見たくなったら次に行けば良いと思います。給与の高さや有名だからという点だけに引っ張られ過ぎず、好きや得意を生かせ、自分が成長できる環境を一番に考えて、将来を選んで欲しいなと思います。そうした選択の積み重ねが、今後の人生で、本当にしんどい時、乗り越えられるパワーになるはずです。 学生新聞オンライン2024年11月14日取材 東洋大学2年 越山凛乃

学生新聞インターン

株式会社エアウィーヴ 代表取締役会長兼社長 高岡本州

眠りの常識を変えたエアウィーヴ、世界への挑戦 株式会社エアウィーヴ 代表取締役会長兼社長 高岡本州(たかおかもとくに) ■プロフィール1960年名古屋市生まれ。名古屋大学工学部応用物理学科卒、慶応義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了後、父が経営する日本高圧電気に入社。87年米スタンフォード大学大学院修士課程修了。98年日本高圧電気代表取締役社長(現在は取締役)に就任。2004年に伯父から中部化学機械製作所(現エアウィーヴ)の経営を引き継ぐ。 愛知県名古屋市で生まれ育ち、父の会社を引き継ぎ、さらに倒産寸前だった伯父の会社を再生させるため、持っていた技術を生かして寝具ブランド「エアウィーヴ」を立ち上げたのが、代表取締役会長兼社長の高岡本州さん。長年培った経験を基に、国内外で挑戦を続ける高岡さんにお話を伺いました。 私は愛知県名古屋市で生まれ育ちました。私の父は社員が300人程度の規模の地元の中小企業で電力関連の事業を経営していたため、大学時代は、いつかのタイミングで父の事業に関わるかもしれないと思いながら日々を送っていました。 ■学びと挑戦を重ねた学生時代の歩み 大学時代はゴルフ部に所属し、授業よりもゴルフ場に通う毎日でした。工学部で応用物理学を専攻していたものの、本当に物理が好きな学生たちに囲まれる中で「実は物理はあまり得意ではないな」と感じ、文系の分野である経営学に興味を持ち始めました。 卒業後、当時は日本でも数少ないMBAを修得することができる慶應義塾大学ビジネススクールに進学しました。しかし同級生の多くは企業から派遣された社会人であり、自分のような学生にはハードルが高い環境でした。課題も膨大で、明け方4時まで勉強する日もあるような2年間でした。 修了後は一旦東京で就職をしようと思い、就職活動を経てシンクタンクに入社が決まりました。しかし、父から猛烈に反対され、議論の末に名古屋に戻り、父の経営する電力会社向け配電機器メーカーの日本高圧電気に入社する道を選びました。そして、会社の人事担当の方にご挨拶に伺ったところ、すぐに海外留学するよう勧められました。理系のバックグラウンドを活かし、スタンフォード大学大学院の工学部に進学し、2年で卒業しました。 ■エアウィーヴ誕生までの軌跡 日本高圧が製造する配電機器は、国内の電柱の約半数に使われています。1998年には同社の社長になりましたが、ここで培った真面目なものづくりへの姿勢はエアウィーヴの事業に活かされています。 エアウィーヴ誕生のきっかけは、釣り糸を作る機械を製造していた伯父の会社を引き継いだ際、なんとか再建しなければと苦悩する中で、当時製造していたクッション材の反発力を寝具に応用できるな、と気がついたことです。 ひらめきの背景には、若い頃にむちうちになった私自身の経験がありました。当時広く流通していた低反発の寝具は疲れが取れにくく、「身体をしっかり支える高反発のクッション材を使った寝具を作りたい」と思うようになりました。手元にあった技術を寝具に活用することで新たな価値を生み出し、会社を存続させるとともに発展させられるのではないかと考えたのです。 従来、寝具の多くにウレタンやスプリングが使われていました。しかし、我々はエアファイバーという全く新しい樹脂素材を使用したユニークな製品を開発したのです。 ■社会インフラを支える祖業の資産を活用し、睡眠革命へ 寝具業界は歴史が長く、老舗企業が既に存在します。新規参入するには簡単な製品改良ではなく、新しい付加価値を生むイノベーションを起こさないといけません。 しかし、効果を比較する機会が少ない寝具は、既存品に対して不満を持つ消費者は少ないため、私たちがエアファイバーをイノベーションだと思っていてもお客様からは求められません。 そこで私たちは、まず買い足し商品であるマットレスパッドを作りました。薄いマットレスパッドは、売り場スペースが比較的小さくて済みます。そして、この薄さゆえに宅配便でも送ることができるため、自社物流を持たなくても事業への参入ができました。また、エアウィーヴのよさに最初に気づいてくれたのが身体に敏感なアスリートであったことから、睡眠にこだわるオリンピック選手に選んでもらえるような寝具を目指しました。 その後、東京オリンピックの選手村に寝具を提供することになり、アスリートの体形に合わせて個別化できるベッドマットレスを開発し、昨年のパリオリンピックでも約1万6,000床の寝具を1社で納入しました。現在では3分割でカスタマイズできるベッドマットレスが主力となっています。 日本の従来のBtoC企業は実店舗とネットショップで商品ラインを変えて販売することもありますが、私たちはHermès (エルメス)やChanel(シャネル)といったヨーロッパのラグジュアリーブランドが採用する手法と同様に、実店舗とネットショップで同一商品を展開し、どちらでも購入できるビジネス設計をしています。 こうした緻密に行ったブランディングとマーケティングが、商品のヒットにつながりました。なお、この両輪は、いまだに当社で最も重要にしている部分です。 エアウィーヴは18年前に事業を始め、国内では売り上げが200億を超えました。寝具は世の中にとって必要不可欠な商品です。おかげさまで超一流の方も含めて様々な方々に使っていただき、皆様に知られる存在になりました。私たちの寝具を通して人々の健康を支えていると自負しています。 今後は、企業理念である「眠りの世界に品質を」というメッセージを世界中に広めていきたいと考えています。製品の海外展開にも力を入れており、若手社員が海外で活躍する機会を作り、自分たちのブランドがまだ知られてない地域でもチャレンジしてもらうことで、彼らの視野が広がり、成長してくれることを期待しています。 ■大学生へのメッセージ チャレンジングな目標を設定してそこに向かって挑戦しないと、人は能力を伸ばせません。 そして、伸びることによって、新しい人々との出会いと発見があって、自身の器が大きくなったり、心が広くなったりして、自分たちの生活が豊かになります。エアウィーヴがオリンピックへの寝具提供という非連続なチャレンジをするのは、自分たち自身の能力を伸ばして商品を進化させようと思うからです。 大事なことは、 チャレンジ精神を持ち、素直で誠実でいること。そうすれば失敗した時に学ぶことができ、成長できると思っています。 学生新聞オンライン2024年12月11日取材 城西国際大学 1年 渡部優理絵 城西国際大学 1年 渡部優理絵 / 武蔵野大学 4年 西山流生

コラム

テリー伊藤 コラムVol.45 私のせっかちは治らない

スターバックスの店内でコーヒーを飲んでも10分も居られない。飲み終わるとすぐに店を出てしまう。夏場はアイスラテをオーダーするが、熱いコーヒーより早く飲み終えてしまうので更に滞在時間は短い。ファミレスでも行動パターンは変わらない。レストランに行っても料理が来ると次の料理が早く来ないかとつい調理場の方に目が行く。焼肉屋、回転寿司のように自分のペースで食事が出来る方がイライラしないで楽しめるので、どうしてもそんなお店を選んでしまう。昼時の混雑の中、席待ちをしている人の姿を見るだけで、席を空けてあげないと、と急いで食べてしまう。ひどい時はレジでまだ口をモグモグしながら精算することもある。要はせっかちなのだ。スタバに2,3時間居るなど、同じ場所にずっと滞在できる精神力の持ち主は尊敬に値する。 料理を注文する時にはメニューを見た試しがほとんどない。お勧め料理か、写真の載っている料理に指をさし「お勧めは?」「コレお願いします。」とオーダーする。ひどい時はとりあえず一番早い料理をお願いする。スペイン料理のパエリアなど、1時間以上掛かる時はよっぽどの覚悟が必要だ。振り返っても、スタバ15分、ファミレス40分、レストラン1時間45分が平均時間だ。店側から見ると回転率が良い客に思われるかもしれないが、とはいっても褒められることではない。回りの目を気にし過ぎたり、落ち着きが無いだけ。 料理だけではない。好きな洋服を選ぶ時もじっくりというより瞬間のひらめきで決めることが多い。若い頃は女性を見る目もせっかちで即決していた。付き合ってみて「え?こんな子だったの?」とびっくりしたことも。一見清楚な子だと思いデートに誘ったところ、大の辛い物好きで、My七味、Myタバスコを持参し、日本蕎麦屋では天ぷらうどんの天ぷらが見えなくなるほど七味を掛けまくり、ピザ屋ではクワトロチーズピザがタバスコで真っ赤な海になった。知り合ったばかりなので注意することもできず茫然と見つめるだけだった。その後キッスのチャンスもあったが彼女の胃液から逆流する匂いを想像して早々と別れた思い出がある。 話を元に戻そう。では何故私がすぐに店を出てしまうのか。その原因を回りの友人に聞いてみた。「テリーさんはお酒飲まないからひとつのお店に居続ける環境に慣れてないからだよ。」と冷静な答えが返ってきた。確かに。夕方から夜中まで飲んでいるという話はよく聞くが、私は2時間程で早々帰ってしまう。今更酒を飲めるようになれる訳もなく、今現在八方塞がりの状態だ。私の試練は続く…。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry

丸山実友

株式会社ロフト 代表取締役社長 安藤公基

雑貨でエンタメ空間をお届けする 株式会社ロフト 代表取締役社長 安藤公基(あんどうこうき) ■プロフィール1981(昭和56)年3月 中央大学 法学部卒業1981(昭和56)年 4月 株式会社西武百貨店 入社1993(平成 5 )年3月 同社 商品部 趣味雑貨ロフト部 バイヤー2004(平成16)年8月 株式会社ロフト 商品部 ホームファッション事業部 部長2010(平成22)年 9月 同社 梅田ロフト 館長2012(平成24)年 2月 同社 商品部 部長2015(平成27)年 5月 同社 取締役 執行役員 商品部 部長2016(平成28)年 8月同社代表取締役社長 執行役員社長(現任) 様々な生活雑貨を販売し、多くの人に愛されるロフト。そんなロフトの立ち上げに携わり、今もなお雑貨を通してお客様の生活を豊かにするため日々邁進するのが、現社長である安藤公基氏。ロフトはどのような想いの元立ち上げられたのか、安藤氏のロフト愛に迫る。 ■何事も直向きに取り組んだ入社当時 学生時代は、遊んでばかりいましたね。法学部で司法試験をめざしていたので、就職活動もしていませんでした。しかし、よく渋谷に来ており、渋谷西武が好きでよく通っていたので、唯一、西武百貨店を受けたんです。そして、運よく合格し、縁あって西武百貨店に就職しました。西武百貨店に入社して、渋谷西武の趣味雑貨部門に配属されました。しかし、若かったこともあり、趣味雑貨よりは、営業企画やファッション系の仕事に興味がありました。当時の渋谷西武の趣味雑貨部は百貨店の中で地味な売り場だったんですよ。その中でも、外れにある書籍の売り場で1年半働き、その後、当時、渋谷西武の7階の売り場に異動しました。7階では、文具などを担当していましたが、あまり楽しくはありませんでした。当時の渋谷西武は、伊勢丹と並んでおしゃれと言われており、ハイブランドのお店が多くあって、ファッションでは最先端のお店でした。一方で、趣味雑貨部門は魅力がなかった。しかし、これからは雑貨の時代だということで、新しい生活雑貨の専門大店を作るために、まずは7階をリニューアルすることになったんです。私も、小さな特選文具の売り場を任せてもらいました。そこで、システム手帳を差別化商品の中心として、それに合うように革製品や万年筆を置くようになりました。初めて、自分で自由に商品を選び、レイアウトもデザイナーと相談しながら、一つの小さな売り場を作り上げる経験をしたんですね。その際、自分がしっかりと商品知識をもっているものをお客様に販売することで、初めて百貨店にきて充実した時間を過ごすことができたと感じました。その後、渋谷西武がライフスタイル型のアパレルに特化したお店を作ることになり、合わせて雑貨の売り場も作るということで、フロアのテーマに合わせた雑貨選びの仕事を1年ほどしました。他のメンバーはアパレル担当で、私だけが雑貨担当だったので、そこでの経験は本当に辛かったですね。しかし、とても勉強になった期間でした。この時の経験がロフトを立ち上げる時に大きく影響してくるんです。 ■「感性」を大事にする館 ロフトを立ち上げた時、目の前のライバルはハンズ(東急ハンズ)でした。いかにハンズを凌駕するか考えていましたね。最初はやはり、敵の一番強いところに勝たなければと思い、毎日のように素材と道具の売り場を見に行きました。しかし、様々な特殊な商品と出会い、どこからこんなもの仕入れているのだろうと思うと同時に、とてもじゃないけれどできないなと思ったんです。そこで、西武百貨店の強みを生かすことに着目しました。西武百貨店の強みと言ったら、やはり感性。これをテーマにしようと決めたんです。ハンズは、都市部型のDIYセンターで用途を分けた売り場づくりが特長です。一方で私たちは、目的購買型ではなく、時間消費型のエンターテイメントある空間を作りたいなと思いました。買い物をしなくても楽しい空間、そんなエンタメ空間を作ることで、差別化しようと決めました。また、ハンズは男性や年配層のお客様が多いのに対し、渋谷西武は若い女性のお客様が多くいらっしゃいました。そこで、25歳前後のお客様をメインのターゲットにしていこうと考えました。当時からロフトのコンセプトは「時(トキ)の器」です。自らの変化を恐れず、時代のトレンドをしなやかに切り取って、それを商品や売り場を通じて常に刺激的な情報を発信する。これは、定番的な用途だけの館ではなく、感性を大事にする館にしようというロフト立ち上げ時の思いから変わらないですね。 ■雑貨の老舗ブランドロフトとこれから 最近は、コラボ商品も多く販売させていただいています。様々なクリエイターさんとコラボができるのは、渋谷ロフトができてから37年、雑貨店のブランドとして知名度が高くなったことが大きいと思います。そして、全国展開できるだけのパワーがあるのも大きいですね。また、クリエイターさんの中にはロフトのファンの方も多いのも理由です。ロフトで一緒に働きたい人材は、コミュニケーション能力と素直さを持った人です。店頭で働くにしても、商品部や本部で働くにしてもコミュニケーション能力は非常に必要です。一番伸びていくのは、素直でフットワークの良い人です。だからこそ、私はそんな人たちと共に働きたいですね。今後の目標は、標準店舗(売り場面積200~300坪前後)の多店舗化と大型店の構造改善です。展開当初、ロフトの標準店舗はあまり儲かりませんでしたが、ある時期から一気に効率があがり、逆に大型店が厳しくなってきました。この利益を上げる標準店舗が私たちの強みだと思うんです。だからこそ、この標準店舗を多店舗化することでしっかりと会社全体の利益を出していき、そして、大型店の赤字がその動きを阻害しないように、移転や面積の適正化で、構造改善、効率化を図っていこうと考えています。 ■大学生へのメッセージ 若いうちは何でもやってやるぞという気持ちが大事だと思います。常に好奇心をもって、色々なところに顔を出してほしいです。そして、皆さんはこれからどんどん大人になっていきます。しかし、「young at heart」という言葉があるように、どうか今の若い気持ちはいつまでも忘れないでいてほしいです。 学生新聞オンライン2024年11月14日取材 国際基督教大学2年   丸山実友

学生新聞インターン

東急リバブル株式会社 代表取締役社長 太田陽一

川上の情報を捉え、組織に展開することで多様なニーズに応える 東急リバブル株式会社 代表取締役社長 太田陽一(おおたよういち) ■プロフィール1960年9月生まれ、東京都出身。早稲田大学法学部卒業後、1983年東急不動産に入社。1995年東急リバブルに出向。2007年経営企画部長、2012年流通事業本部副本部長と、事業部門・スタッフ部門の業務を幅広く経験。2012年6月同社取締役執行役員、2014年4月取締役常務執行役員、2019年4月代表取締役社長。趣味はサックス、読書、城めぐり。 東急不動産や東急リバブルで営業や労務、経営企画など、幅広い業務を経験された太田社長。不動産流通業界を牽引する東急リバブルは、なぜ多様化する顧客のニーズに応えられるのか。太田社長の考える会社の魅力と、仕事において大切にされている価値観についてお伺いした。 ■バレーボールコーチと読書から学んだこと 大学1・2年生の頃は、高校バレーボール部の学生コーチに熱を注いでいました。私自身、バレーボール部だったのですが、やりがいがある一方、年の変わらぬ後輩の指導は難しくもありました。その中でストレッチした目標を目指したハードな練習や、体育会系の熱い指導方法に耐えられず、辞めてしまうメンバーも多かったです。でも、それでも残ってくれた高校生たちをどう導くべきか、試行錯誤しながらの日々でしたね。学生生活後半は、とにかくよく本を読んでいた気がします。ジャーナリストの仕事に憧れていたこともあり、まずは世の中の仕組みや自分自身を知ろうと、近現代の「古典」といわれる本を読んでいました。世の中に自分を当てはめて、自分とは何者か見つけていく。大学は法学部でしたが、専門的な知識だけではなく、今後の生き方を考えることに時間を割いていたように思います。バレーボールコーチの経験からは、「組織における人の動かし方」を学び、読書からは「自分が大切だと思う価値観」を得られたように感じます。 ■街づくりへの憧れと苦労 私は新卒で東急不動産に入社しました。当時はメーカー全盛の時代でしたが、あまり知識がなかったので、自分がメーカーで何をするかイメージが湧かなかったんですね。ただ、就職活動をする中で、自分が一番ワクワクすると思えたのが「街づくり」でした。鉄道を敷いたり、大学を誘致したりと、街づくりに関わって社会資本を整えていくことに憧れを抱き、最終的には、大手デベロッパーの中で街づくりに1番力を入れていた東急不動産を選択しました。そのころ東急不動産は、大規模開発事業に力を入れていました。大規模開発というのは、資金回収に10年かかるような大きな事業です。新卒で配属となった関西での新築を販売する営業職から始まり、その後は再開発事業に携わり、建て替えプロジェクトのため、団地の居住者に交渉して周っては、地権者との合意形成に奔走するなど苦労の毎日でした。関西で約10年過ごし、本社で労務管理を3年した後、東急リバブルに出向となり、新築販売部門を経て、本社スタッフ部門を担当することとなります。ここでは主に管理職として、人事や経営企画なども含め、スタッフの仕事を経験しました。 ■情報を共有し価値を付ける 東急リバブルは、事業領域が広いことと、会社が好きな社員が多いことが魅力だと思っています。個人のお客さま向けに不動産の査定や物件紹介をしたり、法人向けに企業の不動産活用をサポートしたりと、様々なニーズに応えられるようにしています。全国に200ヶ所以上の営業所があるので、直接お客さまと接点があることを生かし、不動産に関連する情報の流れを捉えて、その活用方法を見出しています。これは全事業部門が連動し、情報がスムーズに行き渡る仕組みがあってこそできることです。私たちの仕事は、不動産を売るのではなく、情報に価値をつけること。例えば、街の仲介業者から得られた情報を、都心の分譲マンション事業に生かすなど、情報が流れる仕組みがあってこそ最適解を得ることができるのです。そして、企業理念はありますが、それだけではなく、当事者として社員各々が組織の目標設定にかかわり、その中で自分の役割を定めることで、自然と求心力が湧いてくる風土があるように思います。定量的な視点だけではなく、定性的な観点からものごとを考えることも、目標やプロセスの立て方として大切ですね。 ■3つの好循環が生むメリット 東急リバブルでは、「お客様評価・働きがい・事業競争力」の3つをバランスよくレベルアップすることを目標としています。お客さまのニーズに応えることができれば、社員の達成感ややりがいが生まれ、仕事へのモチベーションが事業に勢いを生むという好循環が生まれるわけです。昨今はIT化やDX化が進み、手続きや契約も全てデジタルでできてしまう時代ですね。ですが、最も重要なのは“お客さまがどう感じているか”です。お客様対応のリアルとデジタルの境界という課題について、ホスピタリティをもってニーズを紐解くことは、我々人間にしかできないことだと思います。そして、ニーズに応えると同時に、今の時代の要請に応えることも両立しなければなりません。地価の高騰や空き家の増加などといった時勢から、市場を見て事業方針を判断することもあれば、個々のお客様ニーズから視点を得ることもあります。どちらかに偏るのではなく、両方をバランスよく検討しながらチャンスを見定めることも仕事の醍醐味なのです。 ■学生へのメッセージ 学生の皆さんにはぜひ、「二刀流・三刀流」を意識してほしいと思います。大谷翔平選手が投手と打者の二刀流でどちらも成功していますが、1つのことだけではなく、同時に複数の事を全力で挑戦することが大切だと感じます。というのも、社会人になると、仕事に家庭に趣味にと「二刀流・三刀流」の連続だからです。まさに、最近は2・3年生から就職活動が始まりますが、勉強もサークルなどの活動も手を抜かないで欲しい。時間を効率よく使いさえすれば、どれも中途半端にすることなく、自分自身の進化に繋げることができます。就職活動は自分を見つめ直す絶好の機会でもあるので、勉強やサークルと両立して、自分を探す今の時期を楽しんでほしいです。 学生新聞オンライン2025年2月6日取材 上智大学3年 白坂日葵 上智大学3年 白坂日葵/城西国際大学1年 渡部優理絵/文化服装学院2年 橋場もも/日本大学4年 鈴木準希

学生新聞インターン

アリナミン製薬株式会社 代表取締役社長/CEO 森澤 篤

消費者の視点に寄り添い、笑顔と健康を広げるリーダーシップ アリナミン製薬株式会社 代表取締役社長/CEO 森澤 篤(もりさわ あつし) ■プロフィール京都大学工学部建築学科卒業。南カリフォルニア大学にて経営学修士(MBA)を取得。株式会社リクルートを経て、1994年にボストンコンサルティンググループへ入社。パートナー&マネージング・ディレクターを歴任。その後、Alix Partnersを経て、マースジャパンリミテッド社長、マースグローバルペットニュートリション チーフカスタマーオフィサーを務める。2019年より工機ホールディングス株式会社の代表取締役社長執行役員兼CEOを務め、2022年6月にアリナミン製薬株式会社 代表取締役社長COOに就任。2023年7月より現職。 「明日の元気を変えていく」というコーポレートメッセージのもと、消費者の健康と活力を支えるアリナミン製薬。その舵を取る森澤篤氏は、建築学、コンサルティング、食品、機械、医薬品と多岐にわたる業界経験を経て、社会に貢献する製品づくりに情熱を注ぐ。その豊富な経験と鋭い洞察力をもとに、消費者の「明日の元気」をどのように創造しているのか。そのリーダーシップの真髄に迫る。 ■幅広いキャリアが築いたビジネス視点 高校時代からラグビーに打ち込み、大学でも関西大学Aリーグでプレーしました。当時は競技に熱中するあまり、建築学の面白さに気づいたのは随分後のことでした。その後、次第に「自ら全体を設計し、形にする」という建築の魅力に惹かれ、大学院進学を決意しました。幼少期からものづくりに興味を持ち、建築や航空工学に関心を抱いていた私にとって、建築は創造性と論理性を融合させる最適な分野でした。リクルートに入社後は、不動産開発の仕事を担当していましたが、同社の制度を利用して南カリフォルニア大学でMBAを取得。この経験が大きな転機となり、ビジネスの構造や消費者行動に対する洞察力を養いました。MBA修了後はボストンコンサルティンググループへ転職し、論理的思考と総合的視点を駆使しながら、コンサルタントとしてのキャリアを積みました。 ■消費者視点で成長を促す経営哲学 アリナミン製薬との縁は、株主からの打診がきっかけでした。特に魅力を感じたのは、医薬品としての強みを活かし、消費者視点を取り入れながらビジネスを成長させる挑戦ができる点です。これまで培ってきたマーケティング、営業戦略、製品開発の知見を活かし、市販薬市場に新たな価値を生み出せると確信しました。アリナミンは誰もが知るブランドであり、そのリーディングブランドを本格的に伸ばす挑戦はやりがいがあります。特に、「この会社が世の中に存在する意味」を問い直して、「社会にどう貢献できるのか」を考えることを重視しています。製品を通じて、人々が元気を取り戻し、生活がより豊かになることを目指しています。私も驚いたことですが、アリナミン製薬では、お客様相談室に毎日大変多くの感謝の声が寄せられています。これが、私の仕事への大きなモチベーションになっています。例えば、膝の痛みで杖が必要だった80代の方が、製品を試して3週間後には杖が不要になったと喜びの声を届けてくれました。また、首の痛みで夜も眠れなかった方が痛みから解放され、「人生が明るくなった」と話してくれることもあります。このような生の声をいただくと、私たちの製品が本当に役に立っていると実感します。アリナミンの認知度は非常に高く、約85%の方が名前を知っていますが、実際の利用者は同程度のブランド認知度を持つ一般消費財に比べると比較的限られます。そこで現在では、試しに一度使ってもらえる機会を増やすということに注力しています。例えば、大容量の商品だけでなく、1000円程度の「トライアルサイズ」をドラッグストアの目立つ場所に配置するなど、購入しやすい環境を整えました。この結果、新規ユーザーの獲得が加速しユーザー層の大幅な拡大が実現できています。また、製品のパッケージと広告戦略もシンプルにしました。「全身のだる重疲れには赤のアリナミン」「目・肩・腰の疲れには銀のアリナミン」「疲れが痛みにまで来たら青のアリナミン」というように、視覚的に分かりやすく伝えることで、消費者に覚えてもらいやすくしています。 ■社会課題を見据えた研究開発 日本人の睡眠時間は主要国の中で最も短く、特に女性の多くが睡眠の質に悩んでいます。この社会課題に向き合い、筑波大学の柳沢教授と共同研究を進め、睡眠の質を改善しつつ疲労回復をサポートする新製品の開発に取り組んでいます。これにより、アリナミンブランドの枠を超え、コンシューマーヘルスケア領域における日本のリーディングカンパニーを目指しています。私が共に働きたいと考えているのは、「日本を元気にしたい」という熱意を持ち、果敢に挑戦できる人材です。アリナミン製薬の使命は単なる製品販売ではなく、消費者の悩みを解決し、社会に価値を提供することにあります。そのため、すべての業務において「お客様に最大の価値を提供するにはどうすべきか」という視点を持つことが不可欠です。 ■大学生へのメッセージ 今の大学生は非常に真面目で、多くのことを深く考えていると感じます。「失われた数十年」と称される時代を経て、日本の成長力に疑問を抱く人もいるかもしれません。しかし、日本にはまだ大きな可能性があり、皆さんには世界を舞台に活躍できる力が備わっています。自分の可能性を信じ、挑戦を恐れずに進んでください。皆さん一人ひとりの挑戦が、未来の社会をより良いものへと導いていくと信じています。 学生新聞オンライン2024年11月18日取材 日本大学4年 鈴木準希

学生新聞インターン

WCD日本支部 共同幹事 斎藤聖美

女性の社会進出の変遷を経験し、女性役員の支援へ動く WCD日本支部 共同幹事 斎藤聖美(さいとうきよみ) ■プロフィール1950年生。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本経済新聞社、ソニーを経て、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。モルガン・スタンレー投資銀行などを経て、2000年、現在のジェイ・ボンド東短証券株式会社を設立、日本国債電子取引システムを運営。何社か社外取締役を務める傍らビジネス書を25冊ほど翻訳・出版している。 日本経済新聞からソニー、モルガン・スタンレーを経て、現在2000年に創設したジェイ・ボンド東短証券株式会社を経営。多数の会社の社外取締役を務めながら、WCD日本支部の共同幹事として女性役員が相互に切磋琢磨、協力しながらレベルアップを目指す場の提供に力を入れている。まだ女性が働くことが珍しかった時代に、斎藤さんがどのように社会進出を考えてきたのか、女性役員の支援に至るまでの経緯についてお聞きした。 ■人間関係が広がった学生時代  当時は女性が大学に進学することが珍しく、さらには就職する女性も少ない時代でした。入学した慶應義塾大学経済学部は2000人ほどいる大きな学部なのですが、女性はたった20人ほど。私自身、幼少期から本を読んだり、文章を書いたりすることが好きだったので文学部を志望していたのですが、強制されなければ経済や政治などの専門書を読むことはないという兄の助言もあり、経済学部を選択しました。当時は勉強一筋というのはファッショナブルではなかったので、バスケや柔道の同好会に入って色々な友人と出会いました。社会に出る前の準備期間として、人間関係の幅が広まり、周囲の人たちとの接し方を学んだ4年間だったと思います。それまで女子高だったこともあり、世の中の広さを知りました。 ■女性のキャリアプランがない時代、どう生き抜いたか ずっとジャーナリストに憧れ、新聞社を志望していたのですが、当時は女性を採用する新聞社はなく、唯一日本経済新聞の電算機本部だけ女性も入社可能でした。一旦入社して、のちに編集部への異動を期待していたのですが、女性にとってそれは難しい時代でしたね。50年前、女性は短期大学を卒業して、会社で数年働いたのちに結婚して辞めるというのが一般的なルートでした。当時のコンピューターは今に比べてとても性能が悪く仕事の達成感が低かったこともあり、泣く泣く寿退職することにしました。再就職を考えたのですが、やはりそれも厳しい時代。新聞の求人欄を見てソニーに入社することができたのですが、もちろん女性のためのキャリアプランはなく、女性もほとんどいない環境。女性に与えられる仕事は限られていて、面白い仕事をする選択肢はありませんでした。そこで、何か資格を取得して専門知識を得たいと思い、いろいろな選択肢を見た後、ハーバード大学の経営大学院でMBAを取得に至ります。 ■女性の登用を目指す  WCDは様々な企業の役員が会員として参加しています。いまだ取締役を務める女性は少ないので、女性が互いに勉強して切磋琢磨する団体として誕生しました。私自身、あるとき参加した勉強会で刺激を受けたことで、積極的に活動するようになりました。KPMGという監査法人社のサポートを受け、会員が企業に貢献できる人材になることを目標に活動しています。女性取締役というのは、依然アメリカでもあまり認められていません。経営経験のある女性はかなり少数で、大学教授や公認会計士、弁護士などの専門的な知識のある方が取締役になることが多いのですが、経営経験のないそういった方々には、とても役に立つサポート機関になっているかと思います。企業が優秀な女性社外役員候補を探すのは難しく、WCDのネットワークを活用して、コンタクトをいただくことも増えていますね。男性社会の中で難しさや働きにくさを抱えている女性たちが、勉強会の後に意見交換をしたり、互いの問題意識を共有したりできる点が大きな支えになっていると感じています。 ■専業主婦の経験から働く女性のサポートへ  まだまだ企業における女性というのはマイノリティなので、「女性起業家」「女性取締役」など、どうしても女性という言葉が前に付きますね。ただ、新しくビジネスを始める際の融資枠など、マイノリティである女性を育成するための機会があったり、女性という珍しさから名前を覚えていただけるなどのメリットもあります。女性の起業家に関する題材は記事になりやすいというのも、依然として女性がマイノリティだからだと言えるのではないでしょうか。私は仕事を通して達成感を味わうことができるので、仕事が大好きになりました。この楽しさを知らない女性がたくさんいるのはもったいない。そう思って、後進女性のサポートに関心を持つようになったんです。実は日本経済新聞を辞めてから、私は専業主婦になったことがあります。専業主婦になるということは、まず名前がなくなるということ。ご近所さんから、自分の名前ではなく、「〇〇さんの奥さん」と呼ばれるんですね。私はそれに憤りを感じました。今までの私の人生は何だったのだろうかと。専業主婦は家事をするのが当たり前、ご飯は美味しくて当たり前、そうでないと文句を言われてしまう。専業主婦は0からマイナスの評価しかないと感じてしまったのです。そんな経験もあり、ハーバード大学で貴重な学歴を取得したことも生かして、働く女性を手助けしたいと思うようになりました。 ■大学生へのメッセージ  学生時代というのは、選択肢がたくさんある分、「不自由」だと思います。自分の人生を選ぶというのはとても大変で、やりたいことなんてそんな簡単に見つかりません。ただ、その不自由があるだけに、数ある選択肢から迷える素晴らしさも実感してほしいと思っています。その中で自分の人生を切り開いていくためには、どこに行っても通用するだけのクオリティを身につけることが大切だと思います。大学という与えられた環境を大切にしながら、皆さん自身のスキルを高めてほしいですね。 学生新聞オンライン2025年1月23日取材 上智大学3年  白坂日葵  

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株式会社ミラティブ 代表取締役CEO 赤川隼一

「好き」でつながる世界を広げたい 株式会社ミラティブ 代表取締役CEO 赤川隼一(あかがわ じゅんいち) ■プロフィール慶應義塾大学環境情報学部卒業後、DeNAに入社。2012年4月より最年少執行役員として海外事業、ブラウザゲーム事業等を管轄。2018年2月に、Mirrativ事業をDeNAからMBOする形でミラティブを創業。 スマホひとつで誰でもカンタンにゲーム実況ができるサービスを展開している株式会社ミラティブ。好きなことを通じて人がつながることをテーマに、ゲームを通じて自分だけの物語が生まれる居場所を創る、コミュニティプラットフォームを生み出してきた。代表取締役CEOである赤川さんに、ミラティブの強みやライブゲームの可能性について、お話を伺った。 ■音楽とインターネットに夢中だった学生時代   高校時代から、とにかく音楽漬けでした。音楽オタクで、バンドもやっていたし、食費を削ってバイト代を全部CDに突っ込んだりしていましたね。  当時はインターネットが今みたいに自由に使えなくて、電話代がかかる時代でした。でも、夜11時からは無料になるんです。だから、11時になったらすぐにチャットにつないで、日本中の音楽好きと語り合っていました。そこで知り合った人たちとは、今でもつながっているくらい、自分にとってはとても大切な経験でした。  将来も、本気で音楽に関わる仕事をしたくて、就活のときはロッキング・オン社に履歴書を埋め尽くして送ったのですが、まさかの書類落ち。今ならわかりますけど、熱量が高すぎてきっと面倒くさい学生という印象だったのではないかと思います(笑)。そこで初めて「仕事って難しいんだな」と実感しました。その後、偶然参加した会社説明会で出会ったのがDeNA社でした。会長の南場さんがすごいエネルギーで話していて、「面白そうな会社だな」と思い、入社を決めたんです。  入社して最初の1年半は営業、その後の1年半はマーケティングを担当しました。マーケティング部門への異動で、初日に上司に「お前、将来何したいの?」って聞かれて、正直に「3年で辞めてバンドやります」って答えたら、めっちゃ怒られましたね。「そんなにやりたいなら今すぐ辞めてバンドやれ!」と。  一晩泣きながら考えて、「もう少し仕事頑張ります」って決めたのがターニングポイントでした。そこからは、仕事に全力で向き合うようになりました。1年目から意識していたのはちゃんと自分の頭で考えて、常識を疑うこと。例えば、当時は「ガラケーのゲームは広告出稿をしない」と言われていましたが、DeNA社で「モバゲー」が流行り始めた年で「いや、ゲームのサービスにゲームの広告を出すのって普通じゃない?」と思って営業したら、意外と成果につながりました。常識にとらわれずに動くことの大切さを学びました。   ■誰でも気軽にゲーム実況を ミラティブを設立したきっかけは、やっぱり自分自身の原体験が大きいですね。学生時代に音楽好き同士でつながれたことが人生を広げてくれたし、次に挑戦するなら「趣味で人とつながる領域」だと思っていました。そこで考えたのがゲーム実況でした。好きなゲームを通じて友だちとつながる、あの「友だちの家でゲームやってる感じ」をオンラインで実現したかったんです。それに、ゲーム実況は世界的にも伸びている市場だったので、世界でも戦えるはずだと。そこに加えて、スマホだけでゲーム実況ができる技術を見つけて、「これならいける!」と確信。そうして生まれたのがミラティブです。  ミラティブの強みは、常に「配信する人」の目線でサービスを作ってきたこと。例えば、YouTubeでは「視聴者が楽しめるように」おすすめ動画が表示されるけど、ミラティブでは「配信者が楽しめるように」設計されています。配信していて一番辛いのって、誰も見てくれないことなんですよね。だから、同じゲーム好きが自然と集まるようなアルゴリズムを作って、配信を始めた瞬間に誰かが見てくれる環境を整えています。  また、ライブ配信ならではのリアルタイム性も大切にしています。「このゲーム好き!」って言ったら、すぐに「私も!」って反応があると熱量が上がるし、居場所としての価値も高まります。そうすると、「じゃあ、ちょっと応援しようかな」って気持ちになることもありますよね。実際、ミラティブでは「お土産のやり取り」みたいな文化ができていて、「この前ありがとう、じゃあこれ贈るね」というようなギフトを贈りあったりと、自然なコミュニケーションが生まれています。   ■今後の展望 ゲームとライブ配信が融合した「ライブゲーム」が次の大きなトレンドになると思っています。今のゲーム実況って、基本的に見るだけで、せいぜいコメントを打つくらいですよね。でも、ライブゲームなら、視聴者が配信者にリアルタイムで回復アイテムを贈ったり、その場ですぐに一緒に配信者とプレイしたりできます。昔、Facebookが生まれたことでソーシャルゲームというジャンルができたように、ライブ配信が当たり前になった今、「ライブゲーム」という新しい体験が自然に生まれてくるはずです。10年後、ライブゲームが当たり前になっている未来を前提に、これからも挑戦を続けていきます。 ■大学生へのメッセージ 今の大学生って本当にすごいと思います。昔と違って、知りたいことや好きなことにアクセスして深めるハードルが圧倒的に下がり、その分、特化度合いも格段に上がっている。だからこそ、自分の「好き」に対する知識や熱量は、既に社会人にも負けないレベルになっているはずです。  自信を持って、自分の好きなものを突き詰めてほしいです。社会人になる=つまらないわけじゃない。本当に好きなことを極めて、かっこよく生きている大人もたくさんいます。だから、まずは最高の大学生活を送り、その「好き」に自信をもって自分なりのキャリアや良い人生を見つけてほしいです。 学生新聞オンライン2024年11月21日取材 立教大学4年 緒方成菜 立教大学 4年 緒方成菜

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株式会社ドミノ・ピザ ジャパン CEO マーティン・スティーンクス

ドミノで挑み続けた27年、進化するピザ戦略 株式会社ドミノ・ピザ ジャパン CEO マーティン・スティーンクス ■プロフィールオランダ出身。学生時代にドライバーとしてドミノ・ピザ オランダに入社、入社後まもなく店長として「ルーキー・マネージャー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。その後、マネージャー、 エリアマネージャーを経て、2011年にはフランチャイズオーナーとなり、店舗を8店舗まで拡大。2021年9月 ドミノ・ピザ 台湾 CEOに就任、2022年7月 ドミノ・ピザ ジャパン CEOに就任して現在に至る。 宅配ピザのパイオニアとして、国内No.1店舗数を誇り、今や日本国民にとって身近な存在となっているドミノ・ピザ 。16歳でドミノ・ピザ のドライバーとして始まり、現在ドミノ・ピザ ジャパン の代表として活躍しているマーティン氏に、自身がこれまで成長のために行ってきたことや、クルーへの想い、今後の展望について伺った。 ■ドミノ・ピザ との出会いは16歳のとき 小さい頃から、「自分に何が出来るか」を考えることが好きで、疑問があるとすぐに先生に聞きにいくような子どもでした。ドミノ・ピザ との出会いは、「16歳までに何かをやれ」と両親に言われるなか、近くにドミノ・ピザ が出来たと友達から聞きつけ、アルバイトに応募したのがきっかけでした。最初はドライバーとして入り、ピザの配達をしていました。当時、まだネット注文は存在しておらず、電話予約か店頭注文 がほとんどでした。そのため、お客様と顔を合わせる機会が今よりも多く、お客様との会話やホスピタリティをとても意識していたのが印象的でした。その時の経験から、ドライバーは企業の顔としてとても大切な存在だと考えているため、今でもクルーの研修に力を入れています。 ■大切なのは、誰と働くか 18歳になり、その後の進路をどうしようかと考えました。当時、私の周囲の友人はタクシードライバーになる人が多く、窓を開けて顔を覗かせる感じに憧れて、自分もタクシードライバーになろうと思っていました。しかし、当時のドミノ・ピザ のFCオーナーに声をかけてもらったことがきっかけで、店舗運営に携わることになりました。そこから店舗数が8店舗まで増え、独立して社長として20店舗ほど管理するようになりました。2019年に、全ての店舗を売却し、今までのスキルを活かして、本社、もしくは本部の仕事に就きました。そこでの実力が認められ、台湾のドミノ・ピザ CEOを経て、2022年からは日本のCEOを努めています。自分でもかなり早くキャリアアップしたと思っています。ここまで来るために意識していたことは、誰と働くか、ということです。もともと人と働くことは好きでしたが、それ以上に優秀な人と一緒に働きたいという想いがありました。自分が得意な分野は限られています。それ以外の分野で優秀な人と沢山関わり、一緒に働くことによって、自分も能動的に成長できたと思っています。これまで27年間、ドミノ一筋で働いてきました。ここまで続けることができた秘訣は、「仕事ととらえないようにする」ということです。妻にも「仕事だと思ったら辞める」と伝えているくらいです。「好きなことをしにいく」という感覚で働くことで「こうしよう!」という改善点を自分から見つけられる事が出来るし、モチベーションも自然と上がり、楽しく働くことが出来るのです。 ■自ら動ける人が成長する 私達の利益を生み出せるのは、本社ではなく各店舗の存在があるからです。だからこそ、働くクルーメンバーのことをとても大切にしています。正社員625名、アルバイト 23,000名(FC店含む、2024年1月現在)が一定のクオリティのサービスを提供できるよう、対面・オンラインでそれぞれトレーニングを行っています。取り組みの一つとして、3ヶ月に一度、サービスレベルを競う社内コンテストが行われます。全国のドミノ・ピザの中から、No.1に輝いた店舗のクルー全員が、特別有給休暇をもらうことができ、その休暇の日は代わりに役員が店舗に出て、店舗を通常通りに運営します。働いていて「いいな」と思う人は、正しいマインドセットをもっている人です。自ら前に進んでいける人はとても魅力的だと思います。また、アイデアを考えるだけではなく、行動に移せる人もとても魅力的だと思います。実際、「チーズボルケーノ」という商品も、最初は実現不可能だと思われていましたが、苦労の末、一年かけて商品化に成功しました。そこに居るだけではなく、自ら袖をまくって働く人が本当に活躍できるのだと思います。 ■「素早く、美味しく」の実現 ドミノ・ピザ の一番の強みは、他の競合他社よりも速く、お客様に届けられることです。迅速かつ安全な 配達が可能なのは、システム開発にとても力を入れ、最も効率よくお客様に提供できるよう日々研究を重ねているからです。新しく出す店舗も、事前に分析をかけ、 そのエリアの人口密度、人口の増減、年齢層など様々な指標から判断しています。もう一つの強みは、お客様の声をよく聞いているという特徴です。ドミノが日本に初上陸した39年前は、まだチーズの消費量も少なく、苦労しました。そこから、お客様の声を聞き、「炭火焼チキテリ 」など日本独自の味が誕生し、今では国内No.1店舗数を展開するまでに成長しました。現在、定期的に消費者調査を行い、リアルなお客様の思いを 調査し、結果をみて改善していくことで、お客様が何を求めているのかを深く調査し、より良い商品を提供できるようにしています。 ■需要に合わせ、変化していく 私達は、日本の皆さんにピザを届けたい、ワクワクする商品を届けたい、という思いで、時代の変化に合わせて、様々なことに挑戦してきました。たとえば、コロナを経て、私たちのライフスタイルは大きく変化しましたよね。その際はパーティー用の大量オーダーは減りましたが、代わりにお一人様需要が増加しました。そこで、「ピザBENTO 」という商品を開発し、手に取ってもらいやすい価格で提供しています。これからも、ライフスタイルに合わせ、将来的には、朝食や24時間営業などの検討も視野に、様々な可能性を探していきたいです。また、今後も人口減少は進み、ますますドライバー不足が深刻になっていくでしょう。海外ではすでにロボットによる配達も検討されています。今後も、日本の社会変化にあわせ、より速く、安全に、 美味しいピザを届けられるよう努力していきます。 ■大学生へのメッセージ 学生の皆さんは、これから沢山悩んで、選択しなければならない瞬間があるでしょう。そんなときには、ただ自分の心を信じてください。大切なのは、自分のモチベーションが湧くことに取り組むことです。私も自分の心を信じてここまで頑張ることができました。皆さんも、自分が好きだと思うことを信じて頑張ってください。 学生新聞オンライン2024年10月22日取材 立教大学4年 緒方成菜  武蔵野大学4年 西山流生 / 津田塾大学2年 石松果林 / 上智大学3年 吉川みなみ / 上智大学3年 白坂日葵 / 国際基督教大学2年 若生真衣 / 立教大学4年 緒方成菜/ 法政大学4年 鈴木悠介

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レバテック株式会社 代表執行役社長 髙橋悠人

点ではなく線で繋げる人材支援で、「日本を、IT先進国へ。」 レバテック株式会社 代表執行役社長 髙橋悠人(たかはしゆうと) ■プロフィール大阪大学を卒業後、2014年にレバレジーズに新卒入社。2年目に大阪支店を立ち上げ、その後、国内4支店の立ち上げや戦略策定を担う支店統括に就任。国内での業務を遂行する傍ら、インド支店でエンジニア紹介事業を立ち上げる。2019年にはレバテックITソリューション事業部部長に就任し、「レバテックフリーランス」の戦略立案や経営管理を担当。2021年より代表執行役社長を務める。 急成長中のレバレジーズのグループ会社として、「日本を、IT先進国に。」というビジョンのもと、幅広い人材サービスを展開するのがレバテック。日本のIT人材不足が課題になっている中、その難問をいかにして解消していくのか。代表執行役社長の髙橋悠人氏に、日本のITに関する現状や企業の魅力についてお話を伺った。 大学生活の中での強い原体験となったのは、大学3年生から4年時に1年間休学してアメリカのシアトルに留学したことです。初めの9ヶ月は現地の学生に混ざって勉強し、残りの3ヶ月はインターンをしていました。シアトルは、マイクロソフトやアマゾンの本社があり、そこで勤めている方々と気軽に話せる機会がありました。当時は、スティーブ・ジョブズが環境への配慮のためにトヨタの自動車を乗っていたこともあって、日本の製造業に対して強いリスペクトの眼差しが向けられていました。一方で、パソコンやアプリは日本のものが少なく、日本のITの遅れを暗に指摘されて悔しかった経験がありました。日本に戻り、大学院に進むか就職をするかで迷ったのですが、就活を1ヶ月ほどして、ベンチャー企業のレバレジーズに入ることを決めました。決め手は、アメリカのインターンを通して、手触り感を持って物事を進められる感覚が楽しいと思ったこと。また、今の日本企業は10年後どうなっているか分からない中で、自分自身で生きていけるようにしたいという就活軸があり、ベンチャーという、色々な仕事ができ、自分の力で作り上げられる環境を選びました。 ■日本のIT人材についての現状と課題 レバテックでは、「日本を、IT先進国に。」というビジョンのもと、IT企業と人材を「増やし、伸ばし、繋げる」事業を行なっています。メインの事業は企業と人材を繋げること。具体的には、フリーランスの方と企業のマッチングに加えて、中途採用・新卒採用のサポートを行います。「伸ばす」という部分は、プログラミングスクールや社会人向けにIT未経験の人が勉強できるようなプログラミングスクールの運営をしています。たとえば、パソコンの使い方がわからない方々向けにDXのコンサルティングをしたり、ソフトウェアの品質管理や品質コンサルを行うクオリティアシュアランス事業も行なったりしています。そして、課題感の大きい「増やす」という部分は、開発組織を増やしていく取り組みです。アメリカと日本ではITエンジニアが所属する郡が違うのが特徴的です。アメリカでは8割のエンジニアが自動車会社、ホテル会社などに直接入り、残り1割はITの開発専門の会社に入っています。ところが日本は全く逆で、自動車・ホテルのような企業に2割のエンジニアがいて、8割がITの開発専門の会社にいるんです。実はこれは、IT運用において大きな弊害になっています。なぜなら、アプリのアップデートの際にシステムの会社に依頼すると、すごく時間がかかってしまう。でも、自分達の自前で開発できるように、開発組織を増やしていく必要性があるのです。そのため「増やす」の部分は課題感が大きく、ITエンジニアがいない企業に対してチームを作り、自分達で回していけるように、力を入れようとしています。私たちは、エンジニアのなり始めから、なり終えるまで、全てを支えるコンセプトでサービスを開発しています。エンジニアは4~5回転職することも珍しくないので、短期的な「点」での支援ではなく、長期的な「線」での支援を行なうように意識しています。 ■「人」と「ロイヤリティ」での差別化を  他社の場合は、人事から求人票をいただくことが多いと思うのですが、レバテックは年間1万回ほど企業の訪問をし、現場のプロジェクトマネージャーと接するビジネスモデルになっています。つまり、「一緒に働いている人がどういう人か」を観察することも重要な要素なので、訪問することで、内部の情報を収集しながら、人材をマッチングできることは大きな強みです。また、今の時代、サービスでの競合優位性はかなり難しくなっている中で、お客さんのロイヤリティを上げることよりも、下げないことの方が重要だと言われています。例えば、美容室に行った際に、スムーズに予約取れるか、待たされないかといった要素が大切ですよね。手間暇を無くしたり、待ち時間を減らしたりといった基本的なことをどれだけ徹底できるかが鍵になってくるので、ムダのないオペレーションを緻密に決め、繰り返すことで、ロイヤリティを大きくしていくという企業努力をしています。そして、それを支えているのは「人」です。向上心があり、挑戦することが好きな人を採用し、育成していることも根本的な強みだと思います。また、自社への採用という観点では、「信頼、知性、情熱」を持っている人たちと、ぜひ一緒に働きたいですね。仕事を任せられるという信頼と、人と円滑にコミュニケーションをとれるかの対人知性、論理的思考力。そして、何より情熱をもっている人が勝つと思うので、採用時はこの三点を大切にしています。 ■大学生へのメッセージ 学生時代は、自分が学んだ環境を直接活かせる環境に行きたいと思いがちです。それは悪いことではないですが、自分が学んだことは世界の1%にも足りなくて、その周辺だけで仕事を考えることは不幸なことだと思っています。いまの大学生はSNSにも触れていると思いますが、ネット空間はオープンなようで断絶されているので、SNSでも同じものだけではなく多彩なものに触れてみたり、自分には関係ないけど面白そうなものに触れてみたりすることが重要だと思っています。私自身も大学生時代に海外に10カ国ほど行き、得た新しい発見や経験が、社会人に活きていると実感しています。社会人は会社以外のことを知る時間が少なくなってしまうので、大学生の間に自分の知らなかった世界に触れてみてください。 学生新聞オンライン2024年12月11日取材 慶應義塾大学3年 松坂侑咲 中央大学3年 亀井義和喜 / 大妻中野高等学校3年 加藤眞優花 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 慶應義塾大学3年 松坂侑咲

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株式会社エブリー 代表取締役 吉田大成

今までにないものを作り、利便性の高い社会へ 株式会社エブリー 代表取締役 吉田大成(よしだたいせい) ■プロフィールヤフー株式会社、グリー株式会社を経て、2015年9月、株式会社エブリーを創業。2017年、「Forbes JAPAN 日本の起業家ランキング2018ライジングスターアワード」第1位を受賞。同年、「DELISH KITCHEN」がApp Store・Google Play共に「BEST OF 2017」に選出。エブリーとしても「Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2017 企業部門 300名未満の部」を受賞。 レシピ動画メディア『デリッシュキッチン』などを運営する株式会社エブリー。料理・育児など日常生活に関わるメディアコンテンツを通じて、利便性の高い社会の拡大に大きく貢献している。今回は代表取締役である吉田大成さんに、起業までの道のりや事業内容、そしてエブリーの目指す社会についてお伺いした。 大学1~2年生の時には、アルバイトに力を入れていました。普通のアルバイトをしたくなかったので、飲食店での集客や名古屋ドームでビールの売り子などをしていましたね。自分の成果が給与に反映されることが、モチベーションにつながったのかなと思います。大学生活の後半では、エンジニアとしてのスキルを高める目的で、ホームページの制作受注や大手企業との共同研究をゼミで行なっていました。当時から将来的にエンジニアリングを用いて社会課題を解決したい、社会にインパクトを残したいという気持ちがありましたね。当時は、会社経営や企業には興味はありませんでした。僕が在籍していた工学部の生徒の大半は、研究職の道に進みます。しかし、研究職は成果が出るまで数十年かかるのが一般的なうえ、成果が出るかもわからない世界だと言われています。しかし、海外では20代の人たちがインターネットを用いて、社会課題を解決するなどの成果を挙げていました。自分ももっとスピード感をもって仕事をしていきたいと思い、当時、インターネット業界でNo.1だったヤフー株式会社に入社をしました。 ■社会インフラに向き合う姿勢を学んだ一年半 ヤフーに在籍した1年半では、非常に多くのことを学びました。エンジニアとして大規模なWEBサービスの基盤をみたり、サービスの品質へのこだわりや社会インフラに対して向き合ったりなど、今につながる経験を多数積むことができました。一方、ヤフーでは、海外のサービスを日本に持ってくることがメインの業務でした。そのため自分たちで何かを発信して社会にインパクトを残すといったことは、あまりできない環境でした。当時からインターネットは「どこでも・誰でも」サービスを発信できるのが強みだと考えていたことから、日本をサービスの発信地にしたいと思うようになりました。そこで、ヤフーを退社し、ゲーム会社のグリー株式会社に転職をしました。 ■正しい情報が届くインフラづくりへ グリーで過ごした10年間では、ゲームを開発しつつ、モバイルゲーム業界の開拓に努めていました。日本初のモバイルゲームを世界に発信できたことは、今でも誇りに思っています。ゲーム業界での技術革新が進む中で、高性能なスマートフォンが年代問わず多くの人に普及していきました。しかし、自分の母親の世代は、検索などの機能をうまく使いこなせていないという実情を垣間見るようにもなりました。しかも、「検索結果の一番上=正しい」と認識してしまい、情報の取捨選択が難しくなっている。その様子を見るようになってから、「信憑性のある正しい情報を発信していけるインフラ・サービスを提供しよう」と思うようになりました。グリーを含む多くの企業は、そこに焦点を当てていなかったため、自身が起業する形で、株式会社エブリーを立ち上げました。立ち上げ当初は、再生回数が乏しく、厳しい状況でした。でも、その中でもユーザーやマーケットに対して、コンテンツを提供し続けることで、データを集め続けました。仮説を立てるよりも、アウトプットを繰り返す方が、ニーズなどを確認しやすいからです。そのデータを分析して再度アウトプットをすることを、ひたすら繰り返したことで、一か月後には再生回数が大きく伸びました。現在でも、アウトプットをし続ける「感性」の部分、得られたデータの「数字」の二つの要素は、当社の大事なカルチャーとなっています。 ■3つの情報メディアを軸に、より便利な社会へ 当社では「デリッシュキッチン」「トモニテ」「TIMELINE」の3つを主軸にサービスを展開しています。それに加えて、メディアと小売店・店舗といった「オフライン」の世界を繋げるリテールメディアを展開しています。4つのサービスの根幹には、「世の中がどれだけ良くなるか」という思いがあります。世の中が当社に求めているのは「日常生活の利便性を高めること」です。そのために当社では日々、技術と情報のアップデートをし続けて、ユーザーに継続利用してもらえるようにしております。まず「デリッシュキッチン」では20〜30代の料理初心者を含む幅広いターゲットに、「だれでもおいしく簡単に作れるレシピ」をテーマにして、サービスを提供しています。文字と写真をベースにした既存のレシピサイトでは、料理初心者がレシピの難易度や味を想像するのが難しい傾向にありました。そのため当社では、実際に調理する人と同じ目線になるように、調理シーンはすべて動画で手元を映しています。また、全レシピを管理栄養士が監修し、なおかつ調理手順や衛生基準といった300項目以上のルールを設定しています。そのため、手軽さ・味・栄養などが保証されたレシピを提供できています。「トモニテ」では、子育て世代を対象に育児に関する情報を発信しています。現在、子育ては女性だけが行うものではなく、家族やコミュニティ全体で行うものだと社会全体が変化しています。その際に、起こりうる課題や不安を解消するためのコンテンツを、専門家の監修のもと提供しています。最終的には子供を産むこと・育てることへの不安を解消することが目標になっております。「TIMELINE」では、動画×マーケティングのサービスを提供しています。地方の名産品やアピールポイントを、当社のメディア媒体を通じて全国に発信することをサービスとしており、メディアを通じた地方創生を行っています。タイアップ動画の制作やWEB広告、ライブコマースなどの媒体を通じて、お酒や土鍋といった名産品から話題のスポットまで幅広く情報を発信しています。 ■「野心」と「挑戦」がより良い社会と新たな安定を生み出す 当社は、今までにないものを作り、社会をより良くすることを目標に掲げています。そのため、何かを成し遂げたいという野心をもった人と一緒に働きたいと考えています。人生において、社会に出て働く時間は非常に大きな割合を占めています。安定した給与や仕事を好む人たちも増えていますが、せっかくならその時間は社会を良くする・生活を便利にすることに使う方が、より有意義なものになると思います。そして学生の皆様には、在学中に野心が湧いてくるもの・人生を賭けて成し遂げたいことを見つけてほしいです。もし仮に在学中に見つからなかった場合は、ぜひ当社のようなベンチャー企業に入社をしてほしいです。ベンチャー企業は野心をもった社員が多いため、一緒に仕事していく中で見つかるかもしれません。また「安定」という言葉を改めて考え直してほしいと思います。現在、社会では終身雇用がなくなり、実力主義に変化してきています。国としても「安定」の反対の存在である「ベンチャー企業」に期待やリソースをかけています。そのためお金や優秀な人材も集まってきています。将来性や自身のキャリアを考えるうえでも、スキルを磨いてキャリアの選択肢を増やすことも、一種の安定といえるかもしれません。選択肢を増やすうえでもベンチャー企業をキャリアのスタートにぜひ選んでほしいです。 学生新聞オンライン2024年11月8日取材 武蔵野大学4年 西山流生

吉田昂史

リノベる株式会社 代表取締役社長 山下智弘

人生の「点」を結ぶことで、未来を築く。 リノベる株式会社 代表取締役社長 山下智弘 (やました ともひろ)  ■プロフィール近畿大学卒業後、社会人ラグビーを経てゼネコンに入社。2010年リノベる株式会社設立。ミッション「日本の暮らしを、世界で一番、かしこく素敵に。」のもと、既存ストックの中古流通・利活用を推進するリノベーションプラットフォームを構築。国内No.1のワンストップ・リノベーション事業者に急成長させた。CRE活用を支援する都市創造事業や省エネ性能向上も積極的に展開。 学生時代に没頭したラグビーの経験や、ゼネコン時代のおばあちゃんとの出会い。それらの経験を経て、現在はリノベーション事業で世界へ挑む山下社長。その挑戦とビジョンとは。挫折を糧にし、夢を現実に変えてきたその歩みから、未来を築くヒントが見えてくる 。 僕の大学時代は、ほとんどラグビー漬けでした。高校でラグビーに出会ってから夢中になり、進学する大学も「ラグビーができるかどうか」で決めたくらいです。ただ、うちの家は裕福ではなく、新聞社で夜通し働くアルバイトもしていました。朝日新聞の編集補助をやっていて、4年間で約300日は新聞社にいましたね。学費や生活費を稼ぐためだったんですが、ラグビーとアルバイトで大学生活があっという間に過ぎていきました。 ■「おばあちゃん事件」とリノベーションとの出会い 卒業後は、ラグビーを続けられる企業に入社しました。実業団での採用だったので、ラグビーが半分、仕事が半分という特殊な環境です。でも、1年目の夏、合宿で「もう自分の体では限界だ」と気づいたんです。その壁を感じて絶望の淵に立たされました。ラグビーも会社も辞めるしかない。そこからはお世話になった恩を返して辞めようと決意し、「同期110人の中で圧倒的な営業成績を出すこと」を退職の条件にがむしゃらに働き、1位を達成したところで会社も卒業させてもらうことにしました。次に進んだのは建設業界、いわゆるゼネコンです。先輩の紹介で施工現場の仕事を始めたのがきっかけでした。ものづくりが意外と楽しくて、やりがいを感じたんです。「自分にはラグビー以外にもできることがある」と気づけたのは大きかったですね。その後、正社員となり、団地再開発プロジェクトなどに関わるようになりました。ゼネコン時代の忘れられない出来事があります。それは、団地再開発プロジェクトでの「おばあちゃん事件」です。その団地は100戸以上の住居がありましたが、ほぼ全員が転居してくれた中で、1人のおばあちゃんだけがどうしても退去しない。僕はそのおばあちゃんを説得する担当になりました。まずは仲良くなろうと、毎朝、おばあちゃんを接骨院に送り迎えし、一緒に買い物に行く。そんな生活を1か月以上続けたある日、ようやくおばあちゃんの家に入ることを許されました。そこで、お孫さんの写真を見つけたんです。おばあちゃんは、「疎遠になってしまった孫に会いたい、孫のためにこの家を残しておきたい」と話してくれました。それなら新しい家にお孫さんの部屋を作りませんか、新しい家なら帰ってきてくれるんじゃないですか、と提案したところ、なんと立ち退きを納得してくれたんです。新しいマンションが完成し、喜んでくれるかなと会いに行った引っ越し当日、おばあちゃんは僕に掴みかかってきて「私の人生を返せ」と泣き叫んだんです。周りが喜ぶ新しいマンションが、彼女には「過去を奪われた場所」にしか見えなかった。ショックでした。どう返事してどう会社に帰ったかも覚えていません。団地再開発プロジェクトが落ち着き、3ヶ月の長期休暇を認められた僕は、海外をまわってみることにしました。ニュージーランドやヨーロッパのラグビー仲間を訪ねて回ったんですが、そこで気づいたのは「海外では古い建物を壊さない」という文化でした。衝撃的でした。それに比べて日本では新築至上主義。これが「リノベーション」との出会いだったんです。 ■リノベるが目指す「かしこく素敵な暮らし」 帰国後、僕はリノベーションという概念を広めるために会社を立ち上げました。それがリノベるの始まりです。リノベるは、古い建物を「新しい価値に生まれ変わらせる」リノベーションのプラットフォームを提供しています。個人のお客さまには、お客さまご自身が自分でも気づいていない「こんな暮らしをしたい」という心の奥底にある本当の想いを引き出すところから始め、不動産や金融機関、設計・施工パートナーなどをマッチングします。法人向けには築古ビルの利活用をサポートし、個人・法人・産業の課題を価値にしながら、社会全体に貢献することを目指しています。社員は全員、「愛され感、頼られ感、おしゃれ感(機転が利くこと)」の3つの要素を持つ人たちです。お客さまや職人さんたちとの関係性を大事にし、ただのビジネスではなく、信頼と感動を生み出すことを意識しています。そして、「日本の暮らしを、世界で一番、かしこく素敵に。」というミッションを掲げ、暮らしを提供しています。 ■日本から世界へ、そして大学生へのメッセージ これからの10年、僕は欧州から始まったリノベーションに、ジャパニーズクオリティをのせて世界に広げたいと考えています。日本の建築の施工精度、収まりの美しさは世界に誇れるものです。それを「ジャパニーズクオリティ」として海外に展開していく。これが次の挑戦です。成長と革新を楽しんで、これに一緒に挑戦してみたいという学生さんがいたら、ぜひ応募いただきたいです。最後に、大学生の皆さんに伝えたいのは、「今ある時間の価値に気づいてほしい」ということです。学生時代は、時間的にも頭の中にも余裕があります。その余白を使って、たくさんの「点」を集めてください。そして、その点を「糸」に結びつけ、自分だけのストーリーを紡いでほしいんです。それはアルバイトでも、旅でも、何でもいい。新しいことに飛び込む勇気を持って、自分を広げていってください。僕が大学時代に戻れるなら、もっと多くのことに挑戦したかったと思います。皆さんはもっといろんなことを吸収してたくさんアウトプットしてください 。 学生新聞オンライン2024年11月21日 東京大学4年 吉田昂史

吉川みなみ

小説家 平野啓一郎(ひらの けいいちろう)

拝啓 今を生きる現代人。激動の時代に、どう生きるか。 小説家 平野啓一郎(ひらの けいいちろう) ■プロフィール1975年、愛知県蒲郡市生まれ、福岡県北九州市出身。京都大学法学部卒。在学中の1999年に文芸誌『新潮』に投稿した小説『日蝕』で第120回芥川賞を受賞した。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。主な著書に、小説『マチネの終わりに』、『ある男』、『本心』等、エッセイに『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『三島由紀夫論』等がある。2024年、短篇集としては10年ぶりの発表となる最新作『富士山』を刊行。 大学在学中に執筆した「日蝕」が芥川賞を受賞し、小説家デビューした平野啓一郎さん。社会問題や倫理を交えながら人間の多面性に触れる作風で、特に生きづらさを抱える現代人に深く刺さる。読者から高い共感を得る物語はどのように生まれるのか、平野さんには現代がどう映っているのか、お話を伺った。 大学入学時は、実は“文学少年”から脱しようと思っていました。中高生から岩波文庫や海外文学などを読んでいたのですが、もっと実際的な人間になりたかったんです。バーテンダーのアルバイトをしたり、バンドを4つ掛け持ちしてエレキギターを演奏したり。ただ、授業用の教科書を買おうと訪れた書店で、地元と比べてはるかに多くの本が並んでいるのを見て夢中になってしまいました。幸か不幸か、文学の世界にまた浸かっていきましたね。恩師である小野紀明先生の情熱的な政治思想史の授業からも影響を受けました。 ■これでやっと「小説家」 小説家としてデビューしたのは、大学5年生の時。周りが就活する中で執筆していた「日蝕」が文芸誌「新潮」に掲載されたことがきっかけです。小説は高校生から書いていましたが、当時は自分が小説家になる未来は見えず。ですが、本を読むと「自分ならもっとこう書くのに」と感じることは多々ありました。子供の頃の読書感想文でも、純粋な感想というよりその違和感を書いていましたし(笑)。時間があれば本を読みたくなるし、読んだら書きたくなる。大学でもそれは変わらず、やがて「小説家になりたい」と強く意識するようになりました。ただ、「小説を書いている」と言うと馬鹿にされるような感じで、誰かに打ち明けることはありませんでした。しかし「新潮」で客観的な評価をもらえたことで、「これでようやく周りに話せる」と嬉しくなりました。後に「日蝕」は芥川賞を受賞するのですが、批評はあれど、当時は初めて自分の作品が評価されることに大きな喜びを感じていました。 ■作品の“ボーカル”に思いを託して 基本的に、自分が書きたいことを表現するようにしています。「なんとなく」や思いを一方的に綴るだけでは、読者はついてきてくれません。そのため、語りたいことをどんなキャラクターにどう託すかを考えています。特に主人公は重要なので「脳内オーディション」を開いています。作品の主人公は、バンドのボーカルみたいなもの。オーディエンスが、ボーカルの歌声を通じてバンドの世界観を受け止めるように、読者は主人公を通じて物語の世界を受け止めます。思考する能力が高い主人公には深い内容を語らせますし、そうでなければ、思考する能力の高いキャラクターを脇役で登場させて補ったりしています。物語のアイデアは、いくらでも思いつきます。ですが、そのアイデアが“使えるかはまた別物。使えない種は次第に消えていくし、良い種は磨かれて雪だるま式に大きくなっていきます。そしてその先でクライマックスを想像できたら、それは“書ける”。それからはそのクライマックスを逆算してその間の物語を表現していく、という形で書くことが多いですね。 ■“40人中1人のネットワーク“を全世界へ 僕は、「読者」というより「現代社会を共有している現代人」に向かって書いています。作家が書きたいことが必ず全員に響くかと言えば、難しいかもしれません。ただ、同じ社会システムの中で生きる僕たちが経験する苦しみや喜びは、多くの共通点があるはずです。そう考えると、「自分は今どんな時代を生きて、何に苦しんで何に喜びを感じるのか」を考えることが、読者との共感の道を探ることに繋がると思っています。僕は子供の頃から、40人のクラスの中で39:1になるような少数派の人間でした。「自分の方が正しい」と思っても理解されづらく、「あの輪に入ったら楽しいだろうな」と寂しく思うこともありました。ただ文学の世界は、僕と同じように「40人中1人」の経験をしている作家や読者が意外と多いんです。この小さな世界は、1000人中なら25人くらいになるし、日本や世界の中ならそれなりの規模になりますよね。自分が孤立していると思っても「自分だけじゃない」と読者が共感や感動できる作品を書ければ、表現者として嬉しい限りです。 ■揺れる時代でも、愛という人間らしさを 今後も「社会構造の中からテーマを考える」というスタイルは続けていくつもりです。ただ、2000年代に入ると社会の変化が非常に速い。激動の時代に生きていること自体が一つのテーマになるし、10年後や20年後を書こうとしてもその時には時代遅れになる可能性が高いです。だからこそ、「今」に目を凝らすことが必要だと考えています。そして、変化の中でも生きていく上で抱く喜びや愛という根本的な人間らしさは変わりません。変化に翻弄される部分と、その中でも変わらない人間らしさ。この両方を描きたいと考えています。「10万部売れるとベストセラー」と言われる文学の世界ですが、作家の生前はそうだとしても、その後に作品がじわっと広がる場合もある。その時代の社会や作家の考え方が残り続けていくことが、文学の在り方だと感じています。 ■大学生へメッセージ  社会や自分の現状で「何が問題なのか」を直視してほしいです。社会人になると、上手くいかない理由や対処法を考える機会は多くなりますし、その時に自分の考えを持っている人は重宝されるからです。そのためには、まず社会に関心を持つことです。役に立つ情報だけを得ることはできないので、表面的な情報だけでなく歯ごたえのある本も読んで、思考力を身につけてほしいです。上手くいかない時は「この自分はダメだったけど、他のコミュニティには違う自分がいる」と考えてみてください。自分を一点投資するのではなく、力を分散しながら課題に向き合ってほしいですね。 学生新聞オンライン2025年1月20日 上智大学3年 吉川みなみ 早稲田大学4年 西村夏 / 東洋大学2年 越山凛乃 / 上智大学3年 吉川みなみ / 日本大学4年 鈴木準希

佐伯桜優

株式会社いーふらん 代表取締役会長 渡辺喜久男

理想を掲げ、信念をもって生きよ。 株式会社いーふらん 代表取締役会長 渡辺喜久男(わたなべ きくお) ■プロフィール1947年6月19日生まれ。茨城県石岡市出身。1970年に拓殖大学を卒業後、家庭用品の百円均一販売を始め、1975年に日用品市場株式会社を設立。骨董品、美術工芸品、海外の商品などを扱うようになる。2000年、横浜市に「おたからや」本店を出店。2008年にフランチャイズ展開を開始。様々な事業を行う中で、物販ビジネスにはない魅力を買取ビジネスに見出し、一般顧客から買い取る業態を確立した先駆者である。 貴金属やブランド品の買取を手掛ける「おたからや」は、国内1,300店舗以上(2025年1月現在)展開しており、リユース市場で急成長を遂げている。同社の渡辺喜久男会長に高いシェアを獲得できた秘訣や売上高840億円達成の背景、そして1兆円企業への成長に向けての想いを伺った。 私が学生の頃は、ちょうど学生運動が盛んな時期でした。しかし、私自身学生運動には全く興味がなく、アルバイトばかりしている学生でした。野球場の弁当売りやトラックのドライバーなど、色々しましたね。アルバイトを通じて、自身の社会人生活を模索していたんでしょうね。就活についてはあまり真剣に考えておらず、会社員になるとの考えもありませんでした。むしろ「自分で何かやりたい」という考えの方が強かったです。実家が貧乏だったので、会社員では生活するお金が足りないんじゃないかという感覚を持っていました。ただ、大学生の私は何をやりたいかは分からなかったので、行き当たりばったりで色々とやってみました。その中で「これだ!」と思ったのが、家庭用品の100円均一ショップです。当時はまだ100円均一は今のように一般的な事業ではなかったので、家庭用品に絞って挑戦しました。物珍しさもあったのか、スーパーでの店頭やデパートの催事などに出店するたびに、集客も問題なく、よい売れ行きを叩きだしていました。 ■「おたからや」は趣味の延長線から生まれた 同時に、自分が好きな骨董品や収集品の仕事も行っていました。事業内容としては、刀剣、切手、古銭などを仕入れて販売するというものです。私自身の趣味に近いのですが、これがおたからやの原点になっています。買取事業は当時は一般的ではなく、質屋が主流でした。しかしながら、買取事業が少ないからこそ、逆に伸びしろがあるなと感じました。それまで、様々なビジネスをしてきましたが、市場が小さいから成長できないと思うことも多々ありました。ですが、買取は海外展開も含めると大きな市場があります。そこに目をつけたんですね。その後、「ブランド品があるほうが売上も多いな」と思ったことがきっかけで、本格的に現在のおたからやの原型が出来てきました。おたからやをはじめた当時、私はすでに50歳を越えていました。普通の起業に比べると、かなり遅いスタートではありました。最初の5、6年は鳴かず飛ばずでなかなか糧が回っていなかったのですが、現社長の鹿村が入社してきた時に、「この人にやってもらいたいな」と思ったのをきっかけに、フランチャイズを始め、大きく成長できました。今の事業形態はフランチャイズと直営の2本立てで、全国店舗数1,300店と、同業種の中で一番の店舗数になっています。今後は、おたからやを世界中でフランチャイズ展開することを考えています。きっと、今ここまで考えている会社は他にはないのではないでしょうか。現在、香港、台湾、シンガポール、タイ、インドネシアの店舗は全て決まり、次の決算となる6月までに、全店オープン予定です。 ■1兆円企業を目指して 私はおたからやを売上が1兆円以上の「1兆円企業」に成長させたいと思っています。1兆円企業は日本全国でも意外と少なく、60社ぐらいしかないんです。現実的に考えて、国内展開だけで1兆円企業を目指すのは難しいです。だからこそ、海外にも目を向け、展開を進めています。それに伴い、経営の面で2つのことを意識しています。1つは優先順位を決めることです。これは事業の中で非常に大事な部分になります。現在の経営方針は、現状に則しているかなど、常時しっかりと見極める必要があります。会社の経営では、資金繰りと利益の獲得が重要です。私は、絶対に赤字を出さないという方針を置きつつ、しっかりと優先順位をつけて物事に取り組むようにしています。2つ目は、社員を大切にすることです。現在、社員の幸福度日本1を目指しており、100種類の福利厚生を目指すなど、かなり力を入れています。バスツアーも毎月開催していますし、クルージングも毎週開催しています。毎週、月曜日には20名ずつ高級ホテルビュッフェでの昼食会も開催しています。また、100坪弱の休憩室にはマッサージチェアや運動器具、水素吸引器やマッサージルームなども導入しています。そして、私自身の休みも、全て社員と過ごしています。ゴルフには週3回行くのですが、新卒社員も含めた社員と一緒にプレーしています。私は「社員の人と長く一緒にいたい」という気持ちが強いので、社員とのつきあいで遊びも仕事も全て完結したい。だから、社外の人と食事することもほぼありません。このスタンスは、死ぬまで続けたいです。また、社員と接する機会を増やすのは、よい人材を見抜くためでもあります。多くの創業者は、後継者に親族を立てることが多いのですが、私はその気が全くなく、いつもダイヤの原石を探しています。なので、わが社の場合は、新卒で入っても、若くして役員になれる可能性は大いにあります。現在、私は77才なので、今後何があるか分かりませんが、今後の人生も、深く社員と関わっていきたいですね。 ■大学生へのメッセージ 今の若い人は「仕事は仕事」と割り切っている人が多いと感じます。でも、その考えでは上には行けません。上にいく為には、ときには自分の時間も使わないといけません。そして、自分自身が変わらないと、会社の役職につくことも難しいです。また、上に行けば上に行くほど、何かを捨てないと、何かを得ることが難しくなります。もし、上にいきたいなら、自分自身が変わらないと無理です。変化自体は、何でも良いんです。仕事について考える時間を捻出するために、たばこ辞める、お酒辞める……などでも良い。ただ、それぐらいの意思がないと、人の上に立ってより重い責任のある立場に立つことはできません。戦国武将の織田信長の言葉のなかに、私が好きな言葉があります。「理想を掲げ、信念をもって生きよ」。皆さんも、信念を持って、強い意志を持って自身の人生をより良い方向に向けるために、また仕事を楽しんでしまうためにチャレンジしてみてください。 学生新聞オンライン2024年12月23日取材 法政大学3年 佐伯桜優 慶應義塾大学3年 松坂侑咲 / いーふらん 渡辺喜久男会長 / 法政大学3年 佐伯桜優

学生新聞インターン

株式会社HIKKY 代表取締役CEO 舟越靖 / CVO(Chief Virtual Officer)...

バーチャルの可能性を追いかけて 現実世界にバーチャルを 年に2回、バーチャルの世界でリアル商品や3Dアイテムなどの売り買いができる「バーチャルマーケット」。数百~数千人規模の一般クリエイターによる3Dモデルの展示販売や、過去類を見ない大手企業やアーティストの参加もあり、期間中は世界中から120万人以上が訪れ熱い盛り上がりを見せている。いわば現実とバーチャルの良いとこ取りの空間である。そんな夢のような世界を提供している株式会社HIKKY・CEOの舟越さんと、同社CVOの動く城のフィオさんのお二人に話を伺った。 <株式会社HIKKY 代表取締役CEO 舟越靖(ふなこしやすし)> ■プロフィール 大手通信会社退職後、⾃身の夢だったクリエイティブ分野へ進出。2008年からクリエイターの潜在力を既存市場以外で活かす挑戦を試みる。あらゆるシーンで成果を得て、ハードウェアからゲーム・アニメ・映画など様々なコンテンツ制作・広告サービス、サービス開発を手掛ける法人を複数社立ち上げた。2018年メタバース事業に特化した「株式会社HIKKY」を設立。 ■“動く城のフィオ”との出会いで、バーチャル世界へ参入 学生時代、意識して作っていたのは学校外のネットワークです。親が事業をやっていたため、中学生の頃から経営には触れていました。そこで働き方やお給料の話を聞いていたので、経営においてのメリットやデメリットなどを感覚的に覚えていきました。在学中からお花屋さんやアルバイト斡旋など複数の事業を立ち上げどれも上手くいきました、そこから一度全てを畳んで勉強のために大手通信会社へ就職。しばらくして退職後に複数のクリエイティブにまつわる会社を立ち上げることになりました。そのうちの一つが今のHIKKYです。バーチャル関係の仕事を始めるにあたってのとまどいは、フィオちゃん(動く城のフィオ ※以下 フィオ)が払拭してくれました。正直、VRビジネスは難しいです。しかし、フィオは「バーチャル世界で生きていきたい」という強い希望と施策を持っていました。その本気度をフィオに感じたので、自分が学生時代や会社を経営していて培った得意分野を生かして、バーチャル世界の可能性を最大化させつつ彼の夢と僕のやりたい事も実現できると考えました。 ■「バーチャルマーケット」にある商品や作品が輝くように 我々は「バーチャルマーケット」という、メタバース(仮想空間)上のマーケットを作っています。元々「バーチャルマーケット」は、アバターなどの3Dモデルを制作している一般のクリエイターさんのためのイベントとして始めましたが、クリエイターさんの活躍をみて、興味を持ってくれる企業さんが増えました。クリエイターさんと一緒にやってきたからこそ、実現できたことだと思います。企業からは、バーチャルという新しい手段でのPRやブランディングができることに注目していただきました。バーチャルマーケットでは車、医療、エンターテインメント、ゲーム、音楽、地方自治体や省庁など、様々な業種の企業や団体とコラボをしています。バーチャルの中に様々な業種を持ってくることができたのが、他にはない強みです。新しい取り組みはSNSやメディアで話題になり、評価をもらってから、有難いことにバーチャルマーケットに出展したいという来場者数も増えていきました。これからもバーチャルマーケットは”行くだけで楽しい夢の国のような場所”を提供したいという想いで開催していければと思っています。  ■バーチャルの可能性を常に追いかけて実現していく人と働きたい クリエイティブな世界は常に進化しています。バーチャル業界も素晴らしい発展を遂げています。さらにバーチャルの世界や可能性を広げるために、次の挑戦やアクションができる人。そんな人たちと仕事をしていきたいです。 ■大学生へのメッセージ 時代がだいぶ変わってきていて、 経済的に日本は斜陽を迎えかけていると感じています。ただ、経済が落ち込んでいる時こそ、商売の考え方を展開すると、非常に有利に立ち回れます。そうした先を見据えている会社を就職先に選ぶ、または自分で起業するのも良いと思います。こんな時代ですけど、希望を持って考え方を変えれば十分に立ち回れる。むしろチャンスはたくさんあるんじゃないかと感じています。 学生新聞オンライン2024年10月30日取材 東洋大学 3年 橋本千咲 <株式会社HIKKY CVO(Chief Virtual Officer) 動く城のフィオ> ■プロフィール 世界最大のVRイベント「バーチャルマーケット(Vket)」創設者。大手広告代理店やエンターテインメントのベンチャー企業を経て、2018年2月、VR空間に生きることの可能性を見出し、アバター姿での活動を開始。現在はVketの世界観・コンセプト設計などを担うプロデューサーとして活躍中。VR空間での生活圏・経済圏を確立する未来を提唱し、2022年『メタバース革命 バーチャル経済圏のつくり方』を出版。 ■学生時代はプロマジシャン!? 大学生の時はプロマジシャンをやっていました。大学のサークルの新歓で財布から火を出している人がいて、「何だあの人!?」と衝撃を受け、その人にマジックを教えてもらいました。それからプロマジシャンに弟子入りをして、大学4年間は、レストランやバー、結婚式などのイベントでマジックを披露していました。マジックは、種がそのままだと楽しんでもらえないので、そこに話術や見せ方、キャラクター性などを組み合わせ、パフォーマンスをつくっていきます。クリエイティブなことを意識してやっていたわけではないのですが、小さい頃から自分で世界観を考えたり、モノづくりをしたりするのが好きでした。昔から楽しんでやっていたことが、現在にまで繋がっているなと感じています。 ■直感を信じて飛び込んだバーチャルの世界 6年間勤めたリクルートを退社した後は、大好きなマジックやクリエイティブなことをやりたいなと考え、しばらくはマジックバーの経営に携わりました。しかし、その後、うつ病や対人恐怖症などを併発し、働けなくなるどころか、人の目を見て喋ることも出来なくなってしまいました。ひきこもりの状態が続く中、2018年、VTuberが多く出始め、VRが脚光を浴びるようになりました。それを見たときに「これかも!」という直感がありました。VRは一回被ったことがあるくらいだったのですが、その直感だけを頼りに、イチから勉強を始め、VRの世界に飛び込みました。バーチャル空間はアバターが相手なので、以前のように社交的にコミュニケーションを取ることが出来ました。VRのユーザーさんやVTuberさんたちを集めて大きな配信企画を作っていくうちに、“バーチャル空間で生きていくこと”を真剣に考えるようになりました。私はバーチャル空間で何かを創ることやアバターの文化を最前線で知ることは得意ですが、一方でビジネス的なことや外に出て人と関わることは出来ません。そういう苦手な部分を助けてくる舟越さんたちのようなパートナーに出会えたことで、自分が思い描いていた世界が実現していきました。 ■たくさんのきっかけが生まれる場所 “Vket” バーチャルマーケット(通称Vket(読み:ブイケット))は、私たちが運営しているバーチャル空間上でのマーケットイベントです。現在は、ソニーや花王、サントリーなど様々な業種の多くの企業が出展するようになりましたが、元々は個人のクリエイターのためのフリーマーケットから始まっています。バーチャル空間は、誰かが何かを作らないと何もないので、まずはクリエイターたちにとって良いきっかけの場でありたいと思っています。Vket では、自分の作った作品を出展する場があるので、「次のVketで、このアバターを出そう!」というひとつの目標を持ってくださる方も多いです。人間は締め切りがあると頑張れるものなので、クリエイターたちにとって良いきっかけになっています。また、作品を出展することで、Vketに来るユーザーの間にもきっかけが生まれます。インターネットの買い物はおすすめされたものが出てくることが多く、偶然の出会いが少ないです。でも、バーチャル空間なら、デジタルの空間なのにウィンドウショッピングのように見て回って、自分が今まで知らなかったクリエイターの作品や世界観に出会えます。クリエイターやユーザー、Vketに関わる多くの人にとって、“きっかけが生まれ、人生が変わっていく場所”。これがVketの根本的な価値です。そこに価値があるから出展したい人も来場者も増え続けています。実際「Vketで人生が変わった」という人はすごく多い。これからも、そういう場所を作っていきたいと思います。 ■大学生へのメッセージ 現在バーチャルを仕事にしている人はごく一部で、まだ遊び・ゲームというイメージだと思います。しかし、今後は、バーチャル空間で暮らして、お給料をもらって年を重ねていくことが当たり前に選択できる社会にしたいと思っています。そして、私はその社会の到来にワクワクしています。大学生の皆さんも、自分が一番ワクワクするものを探して、本気で取り組んでみてください。それは、これからの人生における物事の取り組み方のベースになり、失敗しても成功しても大切な経験になります。今を大切にして、大好きなことだけをひたすらやる4年間にして欲しいなと思います。     学生新聞オンライン2024年10月30日取材 東洋大学2年 越山凛乃  中央大学3年 亀井義和喜/東洋大学2年 越山凛乃/東洋大学3年 橋本千咲

イベント・企業紹介

GAKUSEI RUNWAY 2024 AUTUMN&WINTER

「関西コレクション」プロデュースのイベント「GAKUSEI RUNWAY 2024 AUTUMN&WINTER」が2024年12月28日、大阪・なんばHatchで開催された。前回開催のGAKUSEI RUNWAY 2024 SPRING&SUMMERのグランプリ受賞者とアンバサダーを務める高橋かのさんと塩見きらさんにお話を伺った。 ◇小学校低学年グランプリ けいな Q1 挑戦しようとしたきっかけお友達に一緒に出ようと誘ってもらって出ました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いた時の気持ち家でウォーキングやポージングの練習をたくさんしました。グランプリをとれると思っていなかったので、選ばれた時はびっくりしたし、すごく嬉しかったです。 Q3 KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERに出演した時の気持ち学生ランウェイステージが大きくて、人の数が全然違いました。たくさんの人に見てもらいながらランウェイを歩くことができたので楽しかったです。 Q4 今後の夢や目標モデルにもなりたいし、獣医さんにもなりたいです。犬を飼うことができないので飼っていないのですが、犬が好きなので獣医さんになりたいです。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ頑張ればきっとうまくいく!応援しています! ◇小学校高学年グランプリ hannちゃん Q1 挑戦しようとしたきっかけ大好きなYouTuberのフォーエイト48さんが出ると聞いて、一緒に学生ランウェイのステージを歩きたかったので、応募しました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いたときの気持ちもう言葉に表せないほど、とても嬉しかったです。グランプリを取ってランウェイを歩くために、表情管理をいっぱい練習しました。実際にランウェイを歩いた時は、お客さんがいっぱい手を振ってくれたので、本当に楽しかったです。 Q3  KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERに出演した時の気持ち緊張はちょっとしましたが、いろんな人が見てくれていたので、「緊張」よりも「楽しい」が勝ちました。手を振ってくれる人もいつもより多かったので、もっと楽しかったです。また出演したいです。 Q4 今後の夢や目標憧れの中条あやみさんみたいに、日本でも世界でも活躍できるモデルさんになって、将来はパリコレにも出演したいです。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ学生ランウェイに出ると、絶対楽しいので、ぜひみんなも応募してみてください! ◇中学生グランプリ 黒田千乃 Q1 挑戦しようとしたきっかけ学生ランウェイが、関西コレクションのステージに立つチャンスだと思って応募しました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いた時の気持ち夢か現実かわからないくらい、とてもびっくりしたし、嬉しかったです。 Q3 KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERに出演した時の気持ち出演する前は心臓がバクバクだったのですが、出演したら緊張もなくなり、言葉にいい表せないくらいとても嬉しかったし楽しかったです。 Q4 今後の夢や目標関西コレクションから呼ばれる存在になりたいです。そして橋本環奈さんのような、誰もが知っているモデルや女優さんになってCMにも出てみたいです。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ最後まで諦めない気持ちを持って、 応援してくれている人たちへの感謝の気持ちを忘れないでランウェイを歩いてください。 ◇高校生グランプリ 奥村桃夏 Q1 挑戦しようとしたきっかけ元々、関西コレクションのような大きいステージに立ちたいと思っていました。その中で、母から学生ランウェイを紹介されたのをきっかけに挑戦をしました。 Q2 グランプリをとった気持ちグランプリを取るつもりで参加したので、受賞した時はとても嬉しかったです。ここまで支えてくれた家族と友達に感謝!という感じでした。ランウェイはまぶしかったですが、とても楽しかったです。 Q3  KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERへ出演した時の気持ちは?大人数の前で自分を見てもらうことはなかなかないので、とても楽しかったです。もう一度ライト輝くランウェイを歩きたいと思うようになりました。 Q4 今後の夢や目標また関西コレクションに呼んでもらえるような、笑顔が素敵で明るいモデルさんになりたいです。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ学生ランウェイを通じて、自分に自信が持てたり様々な経験ができたので、最後まで諦めずにやり切ってください! ◇大学・専門学生グランプリ 木下ひより Q1 挑戦しようとしたきっかけ1年前に関西コレクションを見に行ったときに、私もこのステージに立ちたい!と思い、その日に応募しました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いた時の気持ち1回目の出場ではグランプリを取ることができず、2回目はグランプリを取ることを目標に参加したので「ついにきた!」という気持ちでした。 Q3 KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERへ出演した時の気持ちステージから見た景色が想像を遥かに超えたキラキラした世界で、とても楽しかったです。 Q4 今後の夢や目標KANSAI COLLECTION 2024 AUTUMN&WINTERに制服で出演させていただき嬉しかったのですが、次はモデルとして衣装を着て出てみたいなと思っています。 Q5 学生ランウェイを目指す仲間や後輩へのメッセージ1年前に自分を信じて行動したことが私の人生を変えてくれました。皆さんと夢に溢れた学生ランウェイのステージを作り上げたいです。 ◇レジェンド COCOA Q1 挑戦しようとしたきっかけ身近な友達が「一緒に出よう」と声をかけてくれたことがきっかけです。学生ランウェイを実際に見てからは、出場したい!ともっと思うようになりました。 Q2 グランプリをとってランウェイを歩いた時の気持ちまずは応援してくれた家族や友人に感謝でいっぱいでした。それに加えて言葉や数字では表せないほど、とても嬉しかったです。ランウェイを歩く前は緊張しましたが、応援の団扇を作ってくれた友達を見つけて、安心して歩けました。 Q3  KANSAI COLLECTION...

学生新聞インターン

NO YOUTH NO JAPAN 代表 能條 桃子 

「どうせ無駄」よりも「ちょっとやってみるか」が面白い NO YOUTH NO JAPAN 代表 能條 桃子 (のうじょう ももこ) ■プロフィール1998年生まれ。慶應義塾大学院経済学研究科修士卒。2019年、若者の投票率が80%を超えるデンマークに留学し、若い世代の政治参加を促進するNO YOUTH NO JAPANを設立。Instagramで選挙や政治、社会の発信活動をはじめ、若者が声を届け声が響く社会を目指して、アドボカシー活動、自治体・企業・シンクタンクとの協働を展開中。 2019年のデンマーク留学中に若者の政治に対する意欲と向上心に感化され、2019年にNO YOUTH NO JAPANを設立した能條桃子さん。若者たちの声を世間に届け、その声が響く社会となるよう日々奮闘する。そんな能條さんに、ご自身の経歴や学生へのメッセージを伺った。 ■スキー、インターン、選挙と共に過ごした大学時代 大学では1年からスキーサークルに入り、季節関係なくずっと滑っていました。でも、サークルの参加費が年間100万円ほどかかるのが大変で、ずっとこのサークルを続けていくのは難しいと判断し、スキーは程々に。大学2年生の春からは、ベンチャー企業でインターンを始めました。5人程度の小さな会社だったのでいろいろな経験をすることができました。当時の経験は、今のビジネスの基礎や活動のベースになっています。大学2年生の秋には、インターンと同時平行で選挙の手伝いをしました。その中で印象的だったのは、若者ではなく高齢者の政治参加率が高いこと。高齢者の方がビラを受け取ってくれたり、イベントを開いたら高齢者ばかり来てくれたり。次第に、若い人が政治に参加するようにならないと変わらないなと思うようになり、日本の政治について問題意識を持つようになりました。 ■大きく意識が変わったデンマーク留学 意識が変わった1番の理由は、デンマークへの留学です。留学先としてデンマークを選んだのは、この国の若い世代の投票率が非常に高いからこそ。その中で、フォルケホイスコーレ(国民高等学校)に行きました。その学校は、入学試験も成績表もないし、資格が取れるわけでもありません。でも、デンマークでは、大学に行く人であっても、高校卒業した後、大学に行くまで大体2年ほど空けるのが一般的です。その間に、フォルケホイスコーレに行って、今後の人生についてじっくり決めてから進学する人も少なくありません。こうしたデンマークでの留学の経験が、自身の考え方の基礎になりました。 ■まず、若者に求めることは「投票に行くこと」 私と同世代の人に強くお願いしたいのは、投票に行くということ。現在の自分の生活や今の日本が素晴らしくて、日本は問題のない国だと思っている人はいないと思います。だからこそ、「自分が動いたら変わるかも」と思う人が増えたらいいなと思いながら活動しています。どんなに偉い人に投票に行けと言われても、あまり心に響かない。だからこそ、私たち同年代が同じ目線で話して影響力を広げるために、わかりやすい情報を提供するべく、NO YOUTH NO JAPANを作りました。この団体は、若い世代の政治参加を促進する団体で、メディアチーム・アドボカシーチーム・シンクタンクチームに分かれて活動しています。インスタグラムやノートの運営、被選挙権年齢の引き下げを実現するための取り組み、地方自治体から受託した活動、政治の意識調査や政策定例などを行っています。最初のきっかけは、インスタグラムです。このアカウント作成当初は、2週間限定のつもりでした。でも、開設してから2週間でフォロワーが1万5000人になったことが続ける最初のモチベーションになり、現在も続けています。当初は、わずか5名程度でスタートしましたが、現在は参加者が増えて、60人くらいにまで拡大しています。割合は、大学生と会社員が半分ずつ程です。インスタグラムを見て入ってくれる人がほとんどですが、社会問題を通じて政治に関心を持ち、団体に入る人もいます。 ■活動での大変だったエピソード 若い女性が前に立って発信することへの反発は、少なからずあります。以前、友人と署名活動をした時も、私のXの投稿に批判の声がたくさん書かれていましたね。同時に応援してくださる声もたくさんあったので続けられましたが、声を上げる人を叩きたいというカルチャーが日本には根強いなと感じました。私たちは政治参加を促進するために活動していますが、決して政治オタクを増やしたいわけではありません。生活している中でおかしいと思うことは政治で変えられること、「どうせ無駄」ではなく、「何かやってみるか」って思う人が増えるようなことをしたいなと思っているだけですから。 ■NO YOUTH NO JAPANの今後の展望 短期的な目標は、被選挙権年齢の引き下げを実現することです。デンマークで同い年の子が選挙に出ているのを見た時、政治をより近いものに感じるようになりました。自分が実際に立候補しなかったとしても、同年代でそういう人がいるということを知るだけで政治へのハードルが低く感じられるんですね。また、長期的な目標は、NO YOUTH NO JAPANの世代交代を実現させることです。今は共同代表を担っているのですが、このままずっと続くように世代交代ができる団体にしなきゃいけないと思っています。団体を残すことが最終的な目標ではないのですが、そういう団体がないからこそ、若い世代の声が社会に届きづらいと感じます。私はデンマークの留学生に日本には良い政治家がいないと話をした時、「良い政治家がないってことは、良い国民がいないってことじゃない」と言われたんです。良い政治家を育てるには、政治に関わる人を増やすべきだと思います。その中で投票に行くことやアクションすることも含め、一人一つずつだけではなく、団体単位などの束の声として届くようにしたいです。 ■学生へメッセージ 自分の感情や感性を大事にしてほしいです。何かをしようとしても、社会で良いとされていることへ引きずられやすいし、嫌なことを我慢するほど何が嫌だとかわからなくなっていくと思うんですよね。いきなり活動は始められなかったとしても、その時の気持ちはなんか大事にしてほしいなと思いますね。人間は機械じゃないから、働く時にパフォーマンスが高いことを求められたとして、失敗したり上手くいかなったりしても、それでいいような気がしていています。その中で声を上げる余裕がある人は何かやってみたり、ちょっとでも言ってみたり、団体に参加してみたりしてくれたらいいなと思っています。 学生新聞オンライン2024年10月18日取材 昭和女子大学 3年 竜澤亜依 東洋大学2年 越山凛乃/国際基督教大学2年 丸山実友/早稲田大学4年 西村夏/昭和女子大学3年 竜澤亜依

丸山実友

株式会社PLEIN 代表取締役 中尾太一 (なかおたいち)

原動力は「決めたこと」に向かって、無我夢中で突き進むこと 株式会社PLEIN 代表取締役 中尾太一 (なかおたいち) ■プロフィール 18歳の時に高校時代のアルバイトをきっかけにフードビジネスに興味を持ち、料理人と経営者を志す。調理師学校を卒業後、株式会社星野リゾートへ入社。料理人として軽井沢ホテルブレストンコートにてフランス料理を研鑽。その後、同社全体の飲食事業を統括するグループ料飲統括アドバイザリーメンバーに最年少で抜擢。株式会社smiles:に転職し、レストラン事業部にて商品開発、採用責任者、新規開業などに従事。2017年株式会社PLEINを設立する形で起業し、現職。 外食産業を憧れの仕事にというビジョンの元、お客様に食を通して幸せを届けている株式会社PLEIN。2021年には、「はばたく中小企業300」に唯一の飲食業として選ばれた。そんなPLEIN創業者である中尾太一氏に、ご自身の学生時代から創業までの道のりや自社に込める思いについて伺った。 ■人生を逆算して行動する 学生時代は、マクドナルドやユニクロ、レストランなど多くのアルバイトをやっていました。その中でもマクドナルドでのアルバイト経験が、飲食業界に進む大きなきっかけとなりました。マクドナルドでのアルバイトはとても楽しくて、出勤前に自ら掃除したり、退勤後はハンバーガーを作る練習をしたりと、部活動のように能動的な働き方をしていましたね。そして、始めて3ヶ月、高校生で店長代理に抜擢されました。努力が実を結び、このような成果を残すことができてとても嬉しかったです。この成功体験によって、自分はこの業界が向いているのだと思いました。また、やる気があり、一生懸命働くことで成果がでるというマクドナルドの職場の環境や仕組みが素晴らしいと感じました。そこから、マクドナルドのような会社を作りたいと思い、進路を全て変えて飲食業界の道へ進むことを決心したのです。飲食業界に進むと決めた18歳の頃、経営者である父に「飲食店を経営するならば、マーケットをみて、人生を逆算して行動しなさい」というアドバイスをもらいました。そして、最初のゴールとして、私は7年間他社で勉強し、25歳で独立するということを決めました。専門学校卒業後、星野リゾートに就職し、その後、株式会社smiles:に転職し、レストラン事業部に配属されました。7年間という短い時間で、独立し、経営することを考えて、この二社で働かせていただくことを決めたのです。色々勉強する中で、飲食業界で成功している経営者は、職人的な専門性やマネージメント力、資金が整っていることが共通点だと気がつきました。星野リゾートとsmiles:はこの3点が十分に整っている会社だったので、沢山のことを学ばせていただきました。そして、25歳の時に南青山にフレンチビストロのお店を開きました。その頃は、お金も実績もなかったので、若さと勢いだけがブランディングでしたね。 ■外食産業を「憧れられる仕事」にしたい 私たちの会社のビジョンは、外食産業を憧れられる仕事にすることです。私は、飲食業界で働き始めた当時、憧れていた業界に入ることができ、とても楽しく働いていました。また、自分の仕事も評価してもらい、やりがいも感じていました。一方で、友達と話していた時に、世の中の飲食業界へのイメージはあまり良いものではないと気付かされました。そこで、飲食業界という仕事のイメージ全てを変えることはできないけれど、PLEINという会社があることで、飲食業界も素敵な仕事の一つだと認められたらいいなと思ったのです。PLEINでは、現在、9店舗展開しています。全店舗違う名前、違う業種で行っておりますが、どの店舗にも共通している3つのベストというものがあります。それは「PLEIN is ベスト」という、お客様、企業業者様、従業員にとってPLEINという会社がベストだと思ってもらえるような考え方です。これには3つの指標があります。1つめは、シンプル is ベストです。ビストロならビストロ、フレンチならフレンチなど、シンプルにプロダクトを作ることで、無駄なコストを削ぎ落とし、お客様に適正な価格で届けることができます。2つ目は、リーズナブル is ベストです。全業種、全店舗、お客様がお支払いした時に、人それぞれお財布事情は違うけれど、同じような体験をした時よりも10%くらいお安く楽しめたという体験価値を共通化しています。3つ目は、シェア is ベストです。これは従業員向けで、利益率など様々な数字を公開します。そして、うまくいったところの利益はみんなでシェアします。会社だけが儲かるのではなく、従業員たちも頑張った分だけ利益を得ることができるので、結果的にサービスレベルもあがります。これら3つの指標があるからこそ、業態が異なっても、サービスクオリティが統一されています。 ■「決めたこと」を達成する 日々の原動力は「決めたこと」を達成することです。本当はやろうと思えば何でもできるのです。でも、大事なのは、色々な選択肢があるなかで自分はもうこれしかできないと覚悟を決めて、そこに向かってがむしゃらに頑張ることだと思います。私の場合は、25歳までに独立すると決めたことです。あの時は、これを達成しなければ自分はもういく場所がないんだと覚悟を決めて無我夢中に頑張りました。このように、自分でやると決めたことは、盲目的に行うのが大事だと思います。これからも、「決めたこと」を達成し、成功体験を積み重ねていきたいです。素直で能動的に働いてくれる人、私はそんな人たちと共に働きたいです。今の会社のメンバーはこのようなマインドを持った人たちが集まっています。素敵な仲間と共に飲食業界を憧れられる仕事に導いていきたいです。 ■大学生へのメッセージ 特別な経験や能動的な経験を沢山してください。そして、やりたくないと思うことをやってみることも大切にしてほしいです。私も、学生の時に様々なバイトを経験して、辞めたこともあります。社会に出ると辛いことにぶつかり、逃げ出したくなる瞬間に多く出会います。しかし、自分に向いていないことや嫌なことの経験を沢山積んでおくことで、辛い時に「あの時の方が辛かった」と思うことができます。特別な経験も辛い経験もすることで、世界が広がると思います。だからこそ、学生の皆さんにはそんな経験を大切にして欲しいです。 学生新聞オンライン2024年月日取材 国際基督教大学2年 丸山実友 立教大学 4 年 緒方成菜 / 国際基督教大学 2 年 若生真衣 / 立教大学 4 年 須藤覚斗 / 法政大学 4 年 鈴木悠介 / 国際基督教大学2年 丸山実友 / 上智大学 3 年 白坂日葵 / 東洋大学 2 年 越山凛乃

イベント・企業紹介

映画『ウィキッド ふたりの魔女』日本語吹替版キャスト会見

左から 海宝直人さん/kemioさん/高畑充希さん/入野自由さん/清水美依紗さん/塩田朋子さん/田村芽実さん この度、不朽のミュージカルとして20年以上愛され続けている「ウィキッド」が待望の映画化。エミー賞、グラミー賞、トニー賞と数々の受賞歴を持つ実力派俳優シンシア・エリヴォ(ミュージカル「カラーパープル」)と、グラミー賞の常連で世界を魅了し続けるアーティストのアリアナ・グランデを主演に迎え、『クレイジー・リッチ!』や『イン・ザ・ハイツ』のジョン・M・チュウが監督を務める、音楽と魔法が彩る感動のエンターテインメント超大作『ウィキッド ふたりの魔女』が、 3月7日(金)に全国ロードショーとなります。この度2月3日に『ウィキッド ふたりの魔女』日本語吹替版キャスト会見が開催されました。まだ本当の強さを知らない、後の“悪い魔女”エルファバ役(シンシア・エリヴォ)の高畑充希さん、まだ本当の優しさを知らない、後の“善い魔女”グリンダ役(アリアナ・グランデ)の清水美依紗さん、ウィンキー国のハンサムな王子・フィエロ役(ジョナサン・ベイリー)の海宝直人さん、自立を望むエルファバの妹・ネッサローズ役(マリッサ・ボーディ)の田村芽実さん、ひそかにグリンダに思いを寄せている素朴な学生ボック役(イーサン・スレイター)の入野自由さん、グリンダの友人でゴシップ好きの皮肉屋ファニー役(ボーウェン・ヤン)のkemioさん、シズ大学の魔法学の権威マダム・モリブル役(ミシェル・ヨー)の塩田朋子さんら、7名の日本語吹替版を彩る豪華なキャストが登壇。吹替製作時の秘話や作品の魅力とあわせて、映画にちなみ「もしルームメイトになったら相手に伝えたいマイルール」、「“まだ世に知られていない”本当の自分の姿」などを語ってくれました。 ■エルファバ役(シンシア・エリヴォ) 高畑充希 『ウィキッド』という作品のファンとして、映画の制作が決定した頃から映画の公開を待ち望んでいました。自分がエルファバの吹き替えを務められるということにとても感動しました。また、私はエルファバを演じるシンシア・エリヴォさんの大ファンでもあるので、彼女が演じる映像に自分自身が声をあてること自体も感慨深くて。一貫して、この作品に携わられたことは、私にとってとても幸せで、ありがたい出来事でしたね。長年愛されている作品であるからこそ、劇中の楽曲がどれも素晴らしいのです。歌っていてとても楽しかったですし、同時にやりがいを感じていました。特に、『The Wizard and I』という圧倒的な映像美の中で歌われる曲では、あたかも自分自身もその世界の中で歌っているような他にない感動を味わうことができました。この曲は、クールなエルファバが、人生の転機を迎え、彼女の可憐さや繊細さが見えてくるシーンが描かれていたので、そのような彼女の姿を表現しようと意識しました。『ウィキッド ふたりの魔女』は、音楽、映像など全てに勢力が注ぎ込まれた素晴らしい作品となっていると思います。この感動を皆様にもぜひ映画館で体感していただきたいです。 国際基督教大学2年 渡邊和花 ■グリンダ役(アリアナ・グランデ) 清水美依紗 アリアナ・グランデさんの大ファンだった私は、学生時代から彼女の楽曲を聴き、歌ってきました。彼女が『ウィキッド』のグリンダ役を熱望していたことも知っていたので、その夢が叶った作品で自分が吹き替えを担当できると決まった時は、本当に驚きと喜びでいっぱいでした。同時に、責任の重さも感じましたね。収録では、グリンダの表情や仕草を細かく表現することを意識しました。特に「ポピュラー」は、彼女の性格がよく表れている楽曲で、音の強弱やテンポの変化をつけながら、エルファバとの掛け合いを楽しみながら演じました。吹き替えという形でこの作品に携われたことは、歌手としても新しい挑戦でしたし、私自身にとっても大きな経験になりました。この映画は、魔法の世界のファンタジーでありながら、人と人との関わりや葛藤、成長がリアルに描かれています。多くの方に共感していただける作品だと思うので、ぜひ劇場で観ていただけたら嬉しいです。 津田塾大学2年 石松果林 ■フィエロ役(ジョナサン・ベイリー) 海宝直人 私は、2004年のトニー賞の授賞式で行われたパフォーマンスがきっかけで、『ウィキッド』を知りました。以来、その時に感じた感動が忘れられず、ことあるごとにミュージカルを観劇していたとても思い入れのある作品でした。フィエロ役の日本語版吹き替えとして、この作品に携わることがとても光栄に感じていました。自分自身も含め、多くの方々に愛され続けている大切な作品なので、期待に応えられるよう身を引き締めて臨みました。日本語吹き替え版もクリエイターの方々が作品に愛をもって、楽曲もお芝居も丁寧に作り上げています。オリジナル版はもちろんですが、日本語吹き替え版もたくさんの人に楽しんでいただけると嬉しいですね。 国際基督教大学2年 渡邊和花 ■ネッサローズ役(マリッサ・ボーディ) 田村芽実 「ウィキッド」は私の青春と言ってもいいくらい、本当に大好きで、お小遣いをためて劇場にも通い詰めた作品なので、このような形で作品に参加させていただくことができて本当に光栄で幸せに思います。こうやって映画化されることでこの素晴らしい作品がより多くの方に見ていただけるというのはとてもうれしいです。私はゲームが大好きなのですが、この前美依紗ちゃんのSNSを見たら同じゲームで遊んでいることを知りました。いつかそのゲームで美依紗ちゃんと通信するのが楽しみです!美依紗ちゃんとは連絡はとりあっていたのですが、この会見でやっとお会いすることができました! 上智大学3年 網江ひなた ■ボック役(イーサン・スレイター) 入野自由 『ウィキッド』は、舞台を何度も観劇していた作品なので、ボック役を担当することが決まった時は本当に驚きました。20代の頃、ロンドンで観た舞台の感動は今でも鮮明に覚えています。その作品に自分が関われるなんて、まるで夢のようでした。ボックは、純粋で真っ直ぐな性格の持ち主ですが、物語の中で大きく変化していくキャラクターです。演じる上では、彼の成長や葛藤をしっかりと表現することを意識しました。特に、グリンダへの想いが報われず、やがて運命に翻弄されていく姿には、演じながらも感情を揺さぶられる瞬間がありました。ミュージカル映画ならではの魅力が詰まった『ウィキッド』を、多くの方に楽しんでいただけると嬉しいです。 津田塾大学2年 石松果林 ■ファニー役(ボーウェン・ヤン) kemio もともとこの作品の大ファンで、今まで10回近くミュージカルを拝見していました。僕が今住んでいるアメリカでは去年公開されて社会現象になるくらい話題の作品なので、今回日本に上陸するということですごくワクワクしています。今までSNSでウィキッドの話をたくさんしてきたので、まさか今回自分が吹き替えという形で携わらせていただけることが信じられない気持ちでした。アメリカで何度か映画を観ていたのですが、勇気をもらえる、何か挑戦するときに背中を推してくれる作品です。こうして関われるなんて、本当夢みたいです。16歳ぐらいの頃から自分の私生活を全部投稿しまくっているので、「まだ知られていない自分」はないかもしれないですね。料理もできないですし、部屋もフリーマーケットみたいに散らかっていますし、想像通りだと思います。(笑) 上智大学3年 網江ひなた ■マダム・モリブル役(ミシェル・ヨー) 塩田朋子 ニュースを見たときに「映画になるの!?」と本当にワクワクして、ミシェル・ヨーさんが出ると聞いて「やりたい!」とすぐに思いました。こうして実現してこの場に立てて本当に幸せです。ミシェル・ヨーさんとは何度も吹き替えのご縁がありましたが、アクションシーンはあっても歌のシーンは一回もなくて、今回初めてだったのですが、思わず言葉がメロディーになってしまったかのような彼女の愛らしい表情が歌に込められていたので、語りかけるような歌というのを壊さないように努めました。ここにいる皆さんよりもかなり長く生きてきた人生の先輩として言わせると、人から見た自分が本当の自分だったりするというか(笑)それも本当の自分の中の一つだったりするのかなと思います。 上智大学3年 網江ひなた 映画『ウィキッド ふたりの魔女』 2025年3月7日(金)より、全国ロードショー!配給元:東宝東和 © Universal Studios. All Rights Reserved. 公式サイト:https://wicked-movie.jp/X:https://x.com/wickedmovieJPFacebook:https://www.facebook.com/universal.eiga/Instagram:https://www.instagram.com/universal_eiga/TikTok:https://www.tiktok.com/@universal_eiga 津田塾大学2年 石松果林/国際基督教大学2年 渡邊和花/上智大学3年 網江ひなた カメラマン 下田航輔

コラム

テリー伊藤 コラムVol.44 スケボー選手 堀米優斗はカッコイイ

東京・パリオリンピックで「スケートボード男子Street」2大会連覇の堀米優斗(25)が秋の園遊会に招待され、天皇陛下と懇談された。最後の大逆転の話など大変盛り上がったと聞く。女子部門では吉沢恋選手(15)金メダル、赤間凛音選手(15)銀メダルと、今やスケートボード競技は日本のお家芸になりつつある。かつて冬の時代もあっただけにスケートボードを愛する人々にとって万感の思いでは。1970年になった頃ファション雑誌「ポパイ」などが毎週LA特集を組み、その中で取り上げられたのがきっかけでスケートボードは日本で知られるようになった。折からのサーフィンブームもあり、瞬く間に大流行に。しかしスケボーを楽しむ場所が日本には余り無く、車道、公園の階段、神社仏閣の広場など遊ぶ場所はごく限られた。そうなると騒音問題などで住民との間にあつれきが生じ、いつの日かスケボー、イコール不良のイメージがついてしまい世間から白い目で見られるように…。そんな事もあり80年代スケボー愛好者は減少。 日本に於いてスケボーの復活はまさにオリンピック競技に採用されたことが要因に他ならない。今まで不良のアイテムと思われていたスケボーがオリンピックの正式種目に。となると日本の企業も一気に風向きを変え、応援支援へとなってゆく。こういった辺りが、いかにも日本っぽい感じがするが。更なる追い風としては、80年代白い目で見られていた当時の少年たちがパパになっていて、自らの夢を子供達に託すよう、幼い頃からスケボーの英才教育をしだす。堀米選手などまさに典型的な例だ。 幼少時代から競技に親しむとことは野球、サッカーとあまり変わらない。決定的に違うのはファッション。野球、サッカー、ラグビーはユニホーム着用となるが、スケボーは個性的なストリートファション、この違いが新鮮で格好いい。SupremeやAdidasなど若者に大人気ブランドを着こなしアクロバットな技を見せる。今や小学生が一番憧れのスポーツとなってきた。ブレイクダンス競技にも同じ現象が起きている。少し前までスポットが当たらなかったスポーツが今や時代の寵児になっている。 巨大化しすぎたオリンピックに賛否両論はあるが、このようなムーブメントは大歓迎。さて、次回のロサンゼルスオリンピックで開催予定の日本のテレビ番組「サスケ」からインスパイヤーされたと言われる「新障害物レース」も絶対に面白そう。新たなるスターアスリートの誕生となるのか!楽しみは尽きない。 テリー伊藤(演出家) 1949年、東京築地出身。早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部を卒業。2023年3月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。テレビ番組制作会社IVSテレビに入社し、「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などのバラエティ番組を手がける。その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」など数々のテレビ番組の企画・総合演出を手掛ける。著書「お笑い北朝鮮」がベストセラーとなり、その後、テリー伊藤としてメディアに多数出演。演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活躍している。YouTubeチャンネル「テリー伊藤のお笑いバックドロップ」LALALA USAでコラム連載中https://lalalausa.com/archives/category/column/terry