社会民主党副党首 参議院議員 福島みずほ
全ての人の尊厳が守られる差別のない世の中を目指して
■プロフィール
1955年宮崎県延岡市生まれ、東京大学法学部卒業、弁護士。
1998年参議院議員初当選。2009年連立政権の際に男女共同参画・少子化・消費者担当大臣。
現在、社民党党首。主な活動分野は、非正規雇用者の待遇改善問題、夫婦別姓選択制や女性差別撤廃の実現、脱原発運動・グリーンリカバリーの促進、被拘禁者・外国人・難民の人権擁護、動物愛護法改正などに取組み中。
現在、参議院議員4期目
学生時代からなくならない差別問題に目を向け、市民運動にも積極的に参加してきた福島みずほ氏。男女平等、障害者差別、労働災害。未ださまざまな課題が残る日本で、全ての人がありのままに生きられる社会の実現を目指す。弁護士を経て議員となり、大臣としても尽力してきたその原動力とは。
家と学校の行き来だけで、ものを知らなかった学生時代。大学では社会勉強をしたいと思い、「現実の中で社会を考えよう。」というフレーズのある裁判問題研究会に所属しました。1年生では職業病や労働災害に関して、2年生では住民運動などをリサーチしていましたね。当時、横浜市で貨物列車が住宅地を通ることに反対した住民運動を実際に目の当たりにし、裁判傍聴にも行きました。3年生になると街づくりや、法学部と関わりのある日照権の裁判に関して、五十嵐敬喜さんに講演をしていただきました。そうして色々な人と出会い、色々な想いを知って、さまざまな発見があり、それら全てが今の日々にも通じていると感じています。皆さんも、先生の何気ないひとことが妙に印象に残り、反芻していることがあるかもれませんね。それらを通して、私は裁判問題研究会に所属して良かったと思っていますが、他の社会問題に関するサークルとの交流にも楽しさを感じていました。
■「国会で一緒に頑張ってほしい。」
中学生の頃、小説家かジャーナリスト、または弁護士になりたいと思っていました。同級生からの「小説家では食べていけないよ」という一言と、大学を卒業しても簡単に企業に就職できるわけではない社会の中で、父の「残念ながらこの世には差別がある。組織で働けば、今の時点では女性や外国人は差別を受けやすい。何か資格を持って一生働けるようにしたほうが良い。」という言葉を受けて、高校に入る頃には弁護士になろうと決めていましたね。
そもそも弁護士になりたいと思ったのは、当時の映画館で流れていた電波ニュースから公害の裁判で活躍する弁護士を知ったことや、社会運動を行う弁護士に憧れを抱いたからです。そうして弁護士になり、これが天職だと思っていました。ただ、裁判をやっていると通達1つで法制度が変わる社会の仕組みと、声を上げれば法律も変えられるということが強く印象に残りました。そのような中で、当時社会党委員長だった土井たか子さんに「これから有事立法が五月雨式に出てくる。そんな国会で一緒に頑張ってほしい」と言われたのです。そう言われるまで、私の人生設計に議員になる考えは全くありませんでした。私の人生はどうなっていくのだろう、というどんよりとした不安を感じました。しかし、このまま弁護士として市民運動をしていて、もし憲法9条が変わってしまったら私も世の中も困る。それは避けたい。それなら議員になって憲法9条を守り、社会民主主義のもと政策を変えていこうと決意しました。
■変わるのは私じゃない、社会のほうだ。
選択的夫婦別姓を実現したいと考え、長らく取り組んでいますが、そもそも日本はジェンダーが平等な社会とは言えません。男女平等といっても、単に女性が男性並みになるのを求めているのではなく、生きづらい、働きづらいと感じている人に寄り添う社会の仕組みができていくことを望んでいます。
フィンランドのサンナ・マリン首相の「全ての子どもが自分なりたいものになれる、全ての人の尊厳が守られる社会をつくりたい」という言葉はまさにその通りですが、日本はそのような社会にありません。誰も親を選べず、誰も生まれてくる場所を選ぶことはできませんが、だからこそ政治は必要であり、全ての人の尊厳が守られる社会に変わるべきです。私自身、20歳ぐらいのときに、いわゆる”これが女の子が生きる道”というものは自分に合わないと感じていました。法学部でも、女子の割合はとても低かったです。
とりわけLGBTQの方々は社会の幸せ像との違いがあり、たった一人でそれに対峙していくのはとても難しいことです。程度の差こそあれ、さまざまな人がそういったステレオタイプとのギャップに悩んでいると思います。自分のセクシュアリティを否定せず、私は私のままでありながらこの社会を変えたいと思っています。
■大学生へメッセージ
出る杭は打たれても、出過ぎた杭は打たれない。だから短い人生で好きなことをやった方が勝ち。そんなことを思うわけですが、私が今までそうやって元気に生きていけることの1つには、母の「あなたは骨のある女だから、思う存分生きていきなさい」という支えがあると思います。母だけでなく女友達や、世間が何と言おうと支えてくれる人の存在がとても大切です。また、自分は何者でどう生きていきたいのかを考えたとき、人と違う生き方を選ぶことには勇気がいるし、怖いと感じると思います。実際に私自身、夫婦別姓であることを選び、籍を入れずに子どもを育てていくことはやはり怖かったです。しかしパートナーは「上手くいかなかったら、いつだって婚姻届を出せばいいじゃないか」と言ってくれて、私は肩の力が抜けました。そういった周りの人の支えもありますが、自分のしたいことと世間との間にギャップがあったときには、私は鏡を見つめ「世界中の人を騙せても自分を騙すことはできない」というように思いましたね。自分が正しいと思うことをやる、自分を好きでいられるような選択や生き方をしていくべきです。不安を感じるなら、実行に移せるその時まで力を蓄えていれば良いと思います。大学生の皆さんは親や先生に「こう生きなさい」と言われることがあるかもしれません。もちろん周りの意見を聞くことは大切です。しかしそれらに流されるのではなく、自分の意志で生きていく。自分の思う存分生きて欲しいですね。
学生新聞WEB2021年2月9日 取材 東洋大学 2年 伊佐茜音
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