衆議院議員 小渕優子

幼い頃から尊敬する父の背中を見て、自身も政治の世界へ。

衆議院議員 小渕優子(おぶち ゆうこ)

■プロフィール

1973年生まれ。成城大学経済学部卒業。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。株式会社東京放送(TBS)勤務、衆議院議員秘書を経て、父・小渕恵三総理の急逝に伴い2000年、26歳で衆議院議員総選挙に群馬5区から初出馬し当選。以後連続7期当選。2008年、少子化担当大臣として初入閣。これまでに自民党幹事長代理、経済産業大臣などを歴任。現在、党沖縄振興調査会長。

「政治家になることは全く考えていなかった。」
そう明るく語った小渕優子氏。実は、小渕氏が議員となるまでには人生最大の選択と、意外な道のりがあった。では一体、どのようにして今日に至るのか。子育てをしながら議員としても活躍し続ける小渕氏に、政治家になるまでの経緯や今後の展望について、詳しく伺った。

大学は体育会での活動が中心の学生生活でした。高校からゴルフ部に所属し、大学時代もゴルフ漬けの日々を送っていました。実は私は、幼い頃から運動がかなり苦手で。そこで、ゴルフはチームプレーではなく他人に迷惑がかからないスポーツなので、私でもできるだろうと思い始めました。結果的にゴルフをやって良かったことは、一つ目は、他の大学との交流が増えたことです。二つ目は、副将をしていたこともあり、多くの部員をまとめ、チームをマネジメントするという経験ができたことですが、この際に組織を動かす大変さを実感しました。大学卒業後はTBSに入社しました。メディア業界を選んだ理由は、スポーツを通じて人間模様や役に立つ情報を発信したいと思っていたことに加えて、第4の権力と呼ばれるマスメディアの世界に興味があったからです。私の父は元首相なのですが、その当時、メディアを見ると、政治家はいつも叩かれていました。私は、父と生活する中で、父がとても熱心に地域や国のことを考え、休みもなく働いている姿をそばで見て知っていました。だからこそ、一度テレビ業界に飛び込んでメディア側から父を見てみたいという気持ちがあったのだと思います。

■最初は「議員にはならない」と考えていた

T B Sで働いていた当時、自民党総裁選があり父も出馬していましたが、候補者の中で一番人気がない状況でした。 そんな父のことをただ、放っておくことができなくて「父を支えたい」という気持ちが強くなり、3年でT B Sを退社して、父の秘書という形で事務所に入りました。秘書として働いて1年が経過した頃に、2000年の夏に開催予定だった沖縄サミットに向けて、イギリスへ行って勉強をする決心をします。しかしイギリスにいる間に、父が倒れたとの連絡があって…。すぐに帰国して、いざ空港に着いた時に日本の新聞を見てみると、父は昏睡状態と書いてあったのです。涙を流しながら続きを読むと、「後継は優子氏」とも書いてありました。確かに、地元で行われた群馬の行事には父ではなく私が代わりに出席していたため、地元の人からそういう声があがっても無理はなかったのです。私はすごく悩みました。政治家の家に生まれ、父の仕事をずっと見てきたことで、議員の大変さや責任の重さはよく知っていました。だからこそ、議員への道は全く考えていませんでしたし、世襲議員は他の人の機会を奪ってしまうために良くないとも思っていました。そして政治家になることは、大きな責任を伴うものですから正直言って怖いし、もっと楽な道もあるかもしれないと思いました。けれども、ここで政治家になることを選ばない選択をすることは、逃げてしまう事だと思ったのです。たくさん考えた末に、この人生最大の選択に終止符を打ち「継ぐ」決断をしました。そうして、父と同じく、私は26歳で国会議員となったのです。

■将来を考え、中長期的な課題解決を

いま、日本が抱える最重要課題の一つは、少子化問題だと考えています。私は議員になって8年目に、少子化対策担当大臣になりました。当時は、少子化は女性と子供の問題という風潮があり、少子化対策に対する予算がありませんでした。また、当時はまだ、働く女性に対して、子供がかわいそうでしょ、という雰囲気がありました。ですから、「安心こども基金」という制度をつくり、約1000億円の予算をつけて、子どもを安心して育てることができる体制整備を始めました。この時が、少子化問題に予算をつけた初めての時だと思います。あれから10年以上経ちますが、まだまだ課題はあるものの、女性の働く環境や育児の問題などは少しずつ良くなってきていると感じています。それ以外にも、若くして議員になり長く在職させていただいている環境にあるので、中長期的な課題にも取り組んでいきたいです。例えば、財政政策がその一つです。日本は借金が多いと言われますが、国が借金を持つことが一概に悪いのではなく、借金をコントロールして返していくことが必要なのだと考えます。この借金問題を含め、次世代にツケが回らないようにしていかなければなりません。それから、エネルギー政策も重要課題の一つです。日本は資源が少ないというのは自明のことですが、資源は少ないけれども技術の誇れる国だということは間違いありませんし、グリーン化に向けて世界でリーダーシップが取れる国だと思います。日本が将来的に海外からの供給に頼らずにエネルギーを確保できるように、長い目で課題解決に取り組んでいきたいです。

■国民にもっと政治に触れる機会を

昨今、一般の皆さんの現状と政治が行っていることが、乖離している気がします。確かにマスメディアを通じてニュースを聞くと、例えば消費税が上がるなど、政策に対し「嫌だな」と思うことがあるかと思います。ただ、未来そして将来世代のことを考えると、今やらなくてはいけないこと、というのはたくさんあるのです。特に財政やエネルギー、人口問題というのは中長期的な問題で、国民の理解が必要不可欠な分野です。今後はその乖離を縮めていくためにも、まずは国民に納得してもらえるような説明を政治家がしていかなければなりません。加えて、もっと国民が議論することができる場や、選択できる機会を増やすことで、国民と政治が互いに寄り添える関係にしていきたいです。

■大学生へのメッセージ

コロナ禍において日々の行動が制限される状況にはありますが、学生という今だからこそ持てる自由な環境の中で、いろいろな場所へ行ったり、いろいろな人に会ったり、とにかく沢山の経験をして欲しいと思います。勉強に限らず、喜びや悲しみなど、心が震える機会を増やしてください。その経験は蓄積され、将来何か大きな選択を迫られた時や、高い壁にぶち当たった時、必ずその解決に役に立ちます。そして、自分の将来を作るのは、紛れもなく自分自身ですから、その結果幸せな人生を送るのも自分次第なのです。ですから、私は何事も前向きに考えることはとても大事だと思います。できるだけ、自分の心をおだやかに、Happyに!それが皆さんの明日に繋がります。

学生新聞WEB2021年2月18日取材 慶應義塾大学 1年 伊東美優

津田塾大学  1年 佐藤心咲 / 慶応義塾大学 1年 伊東美優

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