愛知県知事 大村秀章

産業県愛知で、人類社会のための民力をつける

愛知県知事 大村秀章(おおむら ひであき)

■プロフィール

1960年愛知県碧南市生まれ。東京大学法学部卒業後、農林水産省入省。
1996年に衆議院議員初当選し、以来5期連続当選。内閣府副大臣や厚生労働省副大臣などを歴任。
2011年に愛知県知事に就任。現在3期目。

地元愛知県から、親戚や友人、先輩もいない中、単身で上京した大村知事。東京・霞が関で働きながら、政治に携わりたいと考え、政治の道に進むことになる。その中でもぶれない「郷土愛」。コロナで大打撃を受けながら、愛知県、ひいては日本の成長のための活動を止めないその活力はどこから来るのか、お話を伺った。

■愛知県から、たった一人で上京

 高校の頃は、とにかく勉強を頑張りましたね。どうせ行くなら1番いい大学に行ってやろう、という気持ちで、勉強に打ち込みました。また、「東京に行きたい」という気持ちも、勉強を頑張る上での原動力になっていたと思います。
 大学に入ってからは、学校に行って、部活に励み、アルバイトに行くというような、ごく一般的な大学生活を送っていました。大学受験で体が鈍ってしまっていたので、誘われたアメリカンフットボール部に所属し、部活をしながら家庭教師をしたり、シーズンオフの期間には単発のバイトをしたりしました。
 大学時代に最も大変だったことは、情報を持っていない東京で、一人で暮らすという状況に慣れることでした。何しろ、愛知県から上京して、先輩や友人がほとんどおらず、最初の頃は繋がりがなかったので、生活に慣れることだけで精一杯だったのです。誰もが今より情報を得にくい時代ではありましたが、その中でも情報を入れるのが遅かった方だと思います。

■官僚の道へ

 卒業後の未来については、いつしか官僚の道を目指すようになりました。東京大学の法学部という環境で、周りが官僚の道を目指す中で、自然な成り行きだったのだと思います。公務員試験を受け、農林水産省に入省し、霞が関で働くようになりました。私が官僚として働いていたその頃は、バブルの崩壊やオウム真理教の事件、阪神淡路大震災などがあり、日本の進路がこの先どうなるかわからない「羅針盤のない時代」が始まったように感じました。

■日本のグランドデザインを作るのはやはり「政治」

 仕事では次第に国政との繋がりが増えていく中、日本の進路を決めるのはやはり「政治」だと感じる機会が増えていきました。その末に、35歳で役所を辞め、政治家になるための選挙活動を始めたのです。当時は、まだ終身雇用の時代だったので、その中で職場を辞めるのはとても勇気のいる決断でした。身内に政治家もおらず、土壌は全くないゼロからのスタートでしたが、時代の節目に遭遇したことが人生の決断をする一つの大きな要因であったと思います。

■選挙期間を支えた「地元が好き」という郷土愛

 1年4ヶ月の選挙活動は、決して苦しくはありませんでした。もちろん、少し前までは公務員として保証されていた身分だったこともあり、安定性が無い無職となったことは精神的に苦しい部分はありました。しかし、選挙にかかわる活動を苦しいと思ったことはありません。暗中模索の中の地元回りや選挙活動は、自分を支援してくれている方へ感謝や、「こんな場所があったのか」という新たな発見にも繋がったからです。ただ、長い選挙活動期間中にもそんな思いを持てたのは、やはり「地元が大好き」という郷土意識からだと思います。強い郷土愛を持ち、地元に貢献するための政治活動を苦にしない人でないと、政治家としてはやっていけないとも痛感しました。衆議院議員の梶山静六先生の 座右の銘である「愛郷無限」は、まさに言い得て妙な言葉です。郷土を愛することが、世界、人類を愛することに繋がるのだと思います。
 そして、自分一人でできることには限りがある中で、自分を応援してくださる方たちの助けや、その一つ一つの積み重ねから地元の代表になるのが議員という存在です。こうした積み重ねのおかげで、2019年の愛知県知事選挙では、過去最多得票で選ばれることができました。票を投じてくださった多くの方に報い、良い成果を出したいと強く思います。

■産業県愛知から日本に成長のパワーを

 愛知県知事としての仕事に携わる中、大切だと感じるのは「雇用」です。
 官僚時代、「雇用」の大切さを感じたのは、リーマンショックの影響で起きた派遣切りです。当時、日比谷公園に生活困窮者のための一種の避難所ができました。その時、厚生労働省の副大臣を務めていた私が講堂を開ける決断をし、生活困窮者の方々を講堂内に入れました。世界的に見ても珍しく、危険なことでもあったと思います。しかし、その時目の前にあったのは、今困っている目の前の人を助けるという想いだけでした。このとき、社会問題に関わる現場に直接携われた経験は、「世の中を良くしたい」という自分の思いと繋がる部分も多かったので、本当に良かったと思っています。
 現在の日本の課題は、社会保障をどう守っていくかだと思います。手厚い保障を守るには、経済を回す必要がある。それには、雇用が重要なのです。企業活動が付加価値を生み、国民生活をより豊かにします。愛知県は日本一の産業県で、「民力の塊」です。愛知県が成長のエンジンとなって、日本をより元気にしていきたいと思っています。

■愛知を世界中の人々が集まる集積地へ

 現在、より多くの雇用を生み、経済を活性化させるために、世界との連携をもっと高めて、産業成長に繋げる計画も進んでいます。例えば、スタジオジブリ作品の世界観を再現したテーマパーク「ジブリパーク」を、2005年愛知万博のレガシーである公園に、2022年秋のオープンを目指して建設中ですが、観光だけでなく、世界中から人材を集める仕掛けだと思っています。2024年10月にオープン予定の「ステーションAi」は、国内外のスタートアップ1000社の集積を予定しています。また、フランスの「ステーションF」と提携し、世界中のスタートアップ企業の大拠点として、世界的なビジネスを展開していこうと考えています。これらは、今まで産業県として先頭を走ってきた愛知県だからこそできるプロジェクトだと思っています。
 こうして、産業を生み、付加価値を生み出し、民力をつけていく。そのために大切なのは、自由・ダイバーシティ・女性の活躍です。お互いが認め合うサスティナブルな世界を作り上げることで、愛知県を皮切りに、日本という国を世界に向けて開かれた国にしていきたいです。

■大学時代の貴重な時間を有効に使って!

 自分は学生時代、生活に慣れることで精一杯で、余裕がありませんでした。そのため「あのとき、もっといろんな情報があったら……」と思うこともあります。今の時代は、SNSやテレビなどあらゆる方法で情報に触れることができ、回り道せずに欲しい物に直接アクセスできる大変恵まれた環境にあると思います。何でもできる今の貴重な時間だからこそ、若いときにしかできない、様々な活動にチャレンジしてほしいです。そして、いくつになっても学習は大切です。人間の中で唯一衰えない臓器が脳だと言われます。ぜひ勉強もして、挑戦もして、限りある時間を有効に使ってほしいと思います。

学生新聞オンライン2021年5月11日取材 津田塾大学 4年 川浪亜紀

津田塾大学 4年 川浪亜紀 / 早稲田大学 3年 原田紘志

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