株式会社ファンケル 代表取締役社長執行役員 CEO 島田 和幸

お客様との絆を大切に、世界中にもっと喜びと笑顔を

株式会社ファンケル 代表取締役社長執行役員 CEO 島田 和幸(しまだ かずゆき)

■プロフィール

1955年生まれ。広島県出身。1979年、同志社大学法学部卒業。株式会社ダイエー入社。1993年から、8年間創業者の中内功氏(故人)の秘書を務める。その後、株式会社マルエツを経て2003年、株式会社ファンケル入社。2007年、取締役。2015年、取締役専務執行役員を経て、2017年4月から、代表取締役社長執行役員CEOに就任

創業以来、安心・安全にこだわった独自の商品開発により、無添加化粧品やサプリメントなど、多くのお客様から支持を得ているファンケル。このコロナ禍で大きな打撃を受けながらも新たな発見があったと語る島田社長。ファンケル独自の強みとは何か、今後の目指す姿について話を伺った。

 大学生時代は混声合唱団に所属し、 年間ひたすら歌を歌っていました。今でも時間があるときに、学生合唱団の映像を見て楽しんだりしてます。勉強はあまりやってこなかったのですが、唯一語学は 年間頑張って勉強しました。とにかくサークル活動などを楽しんでいたので、大学4年生のときは、就活への不安で苦しかったのを覚えています。自分は何をしたいのか、どんな仕事が向いているのかを慌てて考えていましたね。ただ、当時は高度経済成長期で、流通業が牽引する時代でした。いろいろな業界を見ていく中で、私もこの業界で日本を豊かにしたいと思うようになりました。その結果、卒業後は小売企業の中でトップだった株式会社ダイエーに入社することになったのです。

■チェーンストア業界での経験

 ダイエーに入社して以降8年の間、私は社長秘書を務めることになりました。そこでお世話になったのが、ダイエ
ーの創業者であり当時社長であった中内功氏 ( 故人 ) です。 中内さんは一言でいうと、本 当に怖い人でした。そして、 とんでもなく凄い人。彼は戦後アメリカでチェーンストア が発展していることを知り、 日本でも誰もが食べたいだけ食べられるような豊かな世の中にしたいという思いから、チェーンストアを興した第一人者です。私はあくまで秘書でしたので、中内さんと深い付き合いがあったわけではないのですが、近くで仕事ぶりを見ていて尊敬とはまた違った畏敬のような感情を抱いていました。そして、そのような業界に身を置いて一番感じたことは、やはり産業構造の変化の速さです。デパートメントストア三越を売上で抜いて小売業界トップに躍り出て、日本一の流通グループとなったあのダイエーが、年代後半から一気に業績が落ちていったのです。栄枯盛衰と言いましょうか、時代の流れは我々の想像を遥かに超えて早く、未来は予測不可能だと思い知りました。

■コロナ禍を経て気づいたこと

 このような経験を経て、2003年に新たに入社したのが株式会社ファンケルです。創業者の池森に社長になることを勧められたときは、ある程度自分の中で覚悟がありましたが、やはりプレッシャーは大きかったです。ただ、会社や社員、お客様のためにやるべきこと、そして果たすべき責任があるからこそ、人はやりがいを感じると思うのです。
 この新型コロナウイルスによって、当社も大きな打撃を受けました。私が社長に就任してから右肩上がりで伸びていた売上も、昨年大幅に減ってしまいました。ただ、この状況下において全てがマイナスかというとそうではありません。その一つが「こんなときだからこそ頑張ろう」と、より社員との関係が深まったことです。やはり社員が元気でなければいい商品は開発できないし、お客様に喜んでいただくことも不可能だと思います。だからこそ、私たちのモットーは社員みんなで仲良く。ありきたりな言葉ですが、昨年は同じ目標に向かって頑張る仲間たちをより一層大切に感じることができました。そしてもう一つがお客様からのメッセージです。社員一人一人の気持ちが沈んでいるときにお客様から感謝の言葉をいただいたり、中には体の心配をしてくださったりなど、メッセージ一つひとつが私たちの心の支えになりました。おかげでこのコロナ禍でも、踏ん張って今は耐えようと前向きな気持ちになれました。

■お客様の「不」の解決が原点

 当社のような商品を扱う企業はたくさんありますが、他社とは価値観が違います。当社は創業当時、化粧品公害という大きな社会問題を解決するために起業したという経緯があり、「安心・安全」にこだわり続けています。商品開発にも力を入れており、無添加化粧品やサプリメントなど、素材や鮮度の追及を重ねた商品の数々が私たちの強みです。どんなに世の中が変わろうとも、私たちはお客様の「不」を解消するという創業当時からの原点を貫き、新たな課題を解決していきます。お客様に喜んでいただくことを常に考え、挑戦し続けることが重要です。
 このコロナ禍は会社としても個人としても、足元を見つめる良い機会でした。そしてこれからもお客様との絆を深めていくことの大切さを実感しました。今後はデジタル化をさらに進めて今よりもっとお客様とつながること、独自性の高い商品をどんどん開発していくことを考えています。そして今後は中国を中心に、さらに海外で売り上げを伸ばしていきたいと思っています。日本から世界にフィールドを広げて、より多くの人々の「不」の解消に貢献していきます。

■message

 昔は60歳過ぎれば定年だったのですが、今では70歳まで働かないとやっていけない時代に変化しつつあります。だからこそ確実に言えることは、一つのキャリアで一生涯生きていくことは不可能だということ。学生の皆さんもどんなときでも学び続けください。

学生新聞2021年4月号 慶應義塾大学1年 伊東美優

津田塾大学2年宮田紋子/明治学院大学3年小嶋櫻子/慶應義塾大学1年伊東美優 

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