衆議院議員・小児科医 阿部知子

女性が自由に声を上げられる世の中を作りたい

衆議院議員・小児科医 阿部知子(アベトモコ)

■プロフィール

1948年東京都生まれ。東大医学部卒。小児科医。立憲民主党所属衆議院議員(神奈川12区)。衆議院内閣委員会委員、原子力問題調査特別委員会委員、党子ども子育てプロジェクトチーム顧問。神奈川県連代表。超党派「原発ゼロの会」事務局長。超党派「身体障害者補助犬を推進する議員の会」事務局長。「立憲フォーラム」呼びかけ人、副代表。

学生運動を通じて、社会活動に強い関心を抱いた学生時代から一転、小児科医として50年、政治家として20年活躍してきた阿部知子議員。注目の女性議員として、そして小児科医として活動してきた今日までの道のりと、今後の展望を伺った。

■社会活動に注いだ学生時代

私の学生時代といえば、学生運動ですかね。もともと国際的な仕事がしたかったのでICU(国際基督大学)に入学したのですが、1967年7月に大学が学生運動によってロックアウトになってしまい、普通の大学生活が送れませんでした。さらに10月ごろには、学生運動をしていた同年代の学生が抗議行動中に亡くなってしまう出来事もありました。「私と同じ年代の人が、何を思ってその活動をしていたのか。亡くなった彼と私は何が違うのか」といったことを、深く考えるようになりました。そこから、人の命を守るために医学部に行こうと考えたのです。
私は「やるしかない!」と決めたら、すぐに行動に移してしまう性質なので、親にも黙って猛勉強した末、翌年に東京大学の医学部に進学しました。しかし、入学後すぐにまた全学ストライキに……。そのときは、「なんで私が行くところは、毎回大学に通えなくなってしまうのだろうか」と考え込んでしまいました。しかし、次第に大学内では濡れ衣で学生が処分されるという事件や、無抵抗の大勢の人が殺されるベトナム戦争の勃発という二つの大きな現実を突きつけられたことから、深く社会活動に関わることになりました。その後、学生運動が敗北して大学の授業が戻った頃には、精神科病棟開放のボランティアも行うようになりました。

■小児科医師として、政治家として活動してきた50年間

政治家になる前は、小児科医として障害者への差別問題や医療事故被害者とともに医療体制問題に取り組みました。その行動の根幹にあったのは「どうやって命を守ろうか」という考えです。そうした活動を30年続けている中、連立政権の一翼を担った社会党が「自衛隊合憲」など方針転換をする中で、1995年に新党を模索する議員グループから「新しい党の候補者として出てくれないか」と頼まれたのです。当初は次世代の小児科医を育成したいという想いもありましたが、勤務先の理解もあり、立候補を決めました。
2000年に初当選を果たし、その当時所属していた党の方針であった平和憲法を守ることと、脱原発などに向けて活動をしていました。2001年にはアフガニスタンに行って油や小麦を配布する中村哲医師の活動を拝見し、イラクでは医師として現地の医療状況も見てきました。
一連の活動を通して感じたのは、「政治の議論は空疎だ」ということです。どれだけ御託を並べようとも、それよりも実際に現地に行くことが重要なのです。その中で改めて「人の命を守りたい」と強く思うようになりました。その想いから、私が現在力を入れているのが、子育て支援です。今の日本は少子化が進んでいるのに、その対策に本気で向き合っていないことには常々疑問を感じています。高齢化対策については社会的介護の仕組みができているものの、少子化は毎年数値が発表されるたびに騒ぎ立てるだけの状態が続いています。
一方、虐待問題の増加を見てもわかるように、いまの時代はどんどん子育てがしにくくなっています。現代の日本において、産後1年未満に亡くなった女性の死亡原因1位は、なんと自殺です。お母さんは誰にも守られていないため、辛い状況に置かれているのです。母親が産後に自殺してしまう社会から、もっと子育てがしやすい世の中を作りたい。そこで、行ったのが成育基本法の成立に努力したり、産後ケアセンターの推進のための法改正などです。そのほか、次世代を担う子どもを育てるお母さんたちにどんな支援ができるのかを、いまだに模索し続けています。

■時代を変えるためには、女性をリーダーに

今の時代は、まさに社会の転換期だと思っています。第二次世界大戦の敗戦によって日本の世が大きく変わったように、コロナによって世の中が大きく変わる瞬間を迎えていると思います。その中で、医療、教育、農業環境などの社会的共通資本をもう一度見直し、より厚く取り上げていきたいと思っています。
そして、今後の政治に私が期待するのが、女性の政治参画です。私が当選した当初に所属していた社民党のリーダーは女性でした。小さい政党でしたが、所属する議員のそれぞれが独自の取り組みを行い、生き生きと活動していました。あの当時、ひとつの党の女性比率が半数を超えていたことは非常に重要なことだったと思っています。それから20年経った現在、政治の世界における女性の比率はいまだ少ないままです。でも、男性、女性それぞれの視点を組み合わせれば、もっと高い成果が出るはずです。お互いの力を寄せ合うためにも女性の数を増やし、女性がもっと意見を言いやすい社会にしていきたいです。そして、政治のリーダーを女性にすること。リーダーのみならず、あらゆる場面の意思決定にもっと女性が関われるようにすることで、今の政治を変えることができるのではないでしょうか。障害の有無や外国人問題も同様ですね。多様性が大事です。

■message

最近は授業もオンラインが主流になっているせいで、同級生同士などの横のつながりができにくいと思います。課題や授業などについて確認し合える友達がいないのは、辛いですよね。しかし、オンライン授業でも、必ずいい面はあると思います。今後はオフラインとオンラインを組み合わせる生活が主流になってくると思うので、この機会にオンラインの意義を知っておくことは重要になってくるでしょう。
そして、今の女子大学生には「期待」しています。グレタ・トゥーンベリさんという当時15歳の女性が、スウェーデンの国会の前で、たった一人で気候変動対策への抗議活動を行なったように、若くして活躍している女性たちはたくさんいます。もちろん、若くして活躍している男性もたくさんいますが、今、時代は新しい波が来ています。だから、女子学生の皆さんにはぜひ行動してほしいです。未来は決して暗くないし、変えられるものだと思いますから。

学生新聞オンライン2021年2月12日取材 文教大学2年 早乙女太一

津田塾大学 2年 宮田紋子 / 文教大学 2年 早乙女太一

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