有限会社秋山木工 代表取締役 秋山利輝

人を喜ばせる、人として一流の職人を育てることが天命

有限会社秋山木工 代表取締役 秋山利輝 (あきやまとしてる)

■プロフィール
1943年、奈良県明日香生まれ。中学卒業とともに家具職人への道を歩き始め、1971年に有限会社秋山木工を設立。
秋山木工の特注家具は、迎賓館や国会議事堂、宮内庁、有名ホテル、高級ブランド店などでも使われている。2010年に一般社団法人秋山学校を設立、代表理事を務める。人間性を重視した独特の職人育成制度は業界の内外から注目を集め、国内からはもちろん、海外からも見学に訪れている。著書に「丁稚のすすめ」(幻冬舎)、「一流を育てる」(現代書林)、最新刊に「人生を輝かせる親孝行の心得」(PHP研究所)、関連DVDにドキュメンタリー映画「丁稚 わたし家具職人になります」(オルタスジャパン)がある。

人間性を重視した独特の職人育成で知られる、天然木の無垢家具メーカーである秋山木工。『一流を育てる』などの書籍でも与に知られるのが、秋山木工の代表取締役である秋山利輝氏。学生時代から「ものづくりで人を喜ばせることは大好きだった」と語ります。「天命に生きる」とは何か。なぜ人間性を重視することが大切なのか。ものづくりに掛ける人生談を取材しました。

■勉強は大の苦手。「ものづくり」が当時芽生えた天性の才能だった。

学生時代は本当に何も考えていなかったですね。小学校1年生から中学を卒業するまでの9年間、本当に成績が悪くて赤点続きでした。自分の名前を漢字で書けるようになったのも中学2年生。そんな人見たことないでしょ(笑)。当時中卒で働き始めることはそこまで珍しいことではありませんでしたが、もし私が高校受験をしていたとしても受からなかったと思います。高校進学は全く考えておらず、早く社会に出て家族のために働きたいという想いしかありませんでした。通信簿はボロボロの私でしたが、ものづくりだけは大の得意でした。テーブルや椅子を作り、時には家の修繕をすることも。台風が来たときは近所の修繕に引っ張りだこ。小学生からアルバイトとして修繕の仕事をやっていました。得意な分野で周りから頼られることは嬉しくてたまりませんでしたね。

■無我夢中に働いた下積み時代。付けられたあだ名は、「吸い取り紙の秋山」。

ものづくりを社会に出てからも本業としてやっていこうと決めたのは、中学2年生の時。村のおじさんやおばさんたちに「指物屋さんになるのよね」と当たり前のように言われたことがきっかけです。「手に職さえつけておけば、どんな時代が来ても困らないからね」という村の人たちからの言葉は今でも忘れません。中学を卒業し、社会人として働き始めた当時から「生きる道はこれしかない」と思っていましたから、とにかく夢中になって働きました。小学生の頃からお金をもらってやっていたほどの仕事ですからね。僕が入った会社は世間から見るといわゆるブラック企業で、朝5時に起きて夜中まで働くような生活でした。下積み時代の3年半はとにかくよく人のことを見ていました。僕は本当に惚れっぽい性格なので、とにかく人の惚れた部分を吸収していました。「吸い取り紙の秋山」なんて言われていたこともあります。ただ、先に人のいい所を見て後から「ここはよくないな」という悪いところを見ることが大切です。まずは人の見習うべき点を見つけて学び、吸収する。しかし誰しもが完璧なわけではありませんから、人の欠点は後から見つけて反面教師にすればよいのです。

■寝る間も惜しんで働いた日々。会社で1番になり、独立の道へ

16歳からずっと職人の仕事を続けてきて、26歳の時に文化勲章の授章式などで使われる皇居の大きな衝立を作りました。これは日本一の職人にしかできない名誉ある仕事でした。
当時は8時半から17時まで働いて、そのあとデザイン学校に通っていました。そしてそのあと、また他の会社を手伝って働いていました。そんなこんなで夜中の3時頃まで働くんです。ですから当時勤めていた会社はだれよりも退社時間が早かったのですが、誰よりも仕事の出来は良かった。その会社の中で1番になったときにクビになり、退職しました。そして更なる高みをめざしてヨーロッパに行こうと思ったのですが、僕が会社を辞めると、ほかの出来の良い職人2人が「俺たちもやめる」といって辞めてしまったんです。その2人も一緒にヨーロッパに行くわけにはいきませんから、自分で会社を立てることに決めました。

■「人間として自分を超える10人の職人を育てる」これが天命だと思った。

こんなに勉強が出来なかった自分でも周りの人たちにここまで一人前の職人に育ててもらったのだから、自分も一流の職人を育てていくことが天命だと思ったんです。だからこそ、会社に来た職人には、家具作りの基本をとことん教え、一流に育て上げていきました。
そうして育った職人たちを僕が抱えておけばお金はたくさん入りますが、僕は教え子に食わしてもらうのは嫌だったので育った職人には独り立ちさせていました。ただ、僕の会社の最大の特徴は、家具作りの技術を教えるだけではなく、親孝行することの大切さなど、とにかく人間性の部分にこだわって育成することです。僕が今まで見てきた成功している人たちで、親孝行をしていない人はいません。とにかく親を感動させる、親が驚くような偉業を成し遂げることが僕の思う一番の親孝行です。これはお客さんを喜ばせることと同じなのです。またうちの会社では、よく社員をクビにします。というのも、人に気遣いができない人は必要がないからです。職人という職業は人を喜ばせてなんぼ、ただそれだけです。その想いを伝えるため、基本的にうちの職人は寮に住まわせています。共同生活をすれば、自然と人への気遣いができるようになっていきますからね。

■金儲けだけを追い求めてはいけない。ただ働きでもいいという気持ちで学びなさい。

皆さんは大学に通われていると思いますが、ただ目的もなくダラダラと通うだけになっていませんか? 遊ぶお金を稼ぐだけのアルバイトになっていませんか? 誰にも負けない天性というのは、必ず誰しもが持っています。それを早く活かしてください。そのためには、早く社会経験を積むことです。専門分野を学ぶために大学に通うことはすごく大切ですが、必ず目的意識をもって学んでください。一番学びを吸収しやすい若い時期に、なんとなく大学に通うのはとてももったいない。それなら社会に出て働いた方が良いです。また、アルバイト一つ取っても成長する人としない人とでは大違いです。お金を稼ぐためだけにバイトをしてはいけません。「ただ働きでもこの人から学びたい、成長したい」という意識で、学ぶために取り組んでください。そうすれば、人生の先輩たちは喜んで教えてくれると思います。そして、1日を24時間だと思わず、48時間だと思って目いっぱい過ごしてください。そうして日々努力している人が一流の人間になっていくのです。

学生新聞オンライン取材2022年10月27日 東海大学4年 大塚美咲

日本大学3年 和田真帆 / 川村学園女子大学4年 岡﨑美諭 / 東海大学4年 大塚美咲

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