株式会社三才 代表取締役社長 斉藤上太郎
新しいキモノが、時代のアイデンティティを象徴する
株式会社三才 代表取締役社長・キモノデザイナー 斉藤上太郎 (さいとうじょうたろう)
■プロフィール
1969年京都市生まれ。27才での作家デビュー以降、時代の価値観と美意識に合致したファッションとしてのキモノスタイルを探求し続ける。「最新の伝統」を確立すべくコレクションショーを継続開催する唯一のキモノデザイナー。2020年ロンドンV&A博物館にキモノ収蔵。銀座シックスにJOTARO SAITO旗艦店を展開。昨年、名古屋松坂屋店オープン。
従来の常識に囚われず、他にはないスタイルを提案し続け、今年創業90周年を迎えたキモノ会社・株式会社三才。先代の意志を継ぎながら令和の新しいファッションとしてのキモノを発信し続ける3代目社長の斉藤上太郎さん。革新を極めるキモノデザイナーが織り成す、クリエイティブなスタイルの根源にある熱いコンセプトを伺った。
■やりたいことに没頭していたのは、学生時代から
高校までは好きなラグビーに没頭していましたが、大学は芸術系に進学しました。もともと斉藤家は京都の染屋でしたが、若い頃はキモノや染屋の家を継ぐことはあまり意識していませんでした。進学後は染の仕事の勉強ではなく、印刷や写真などのビジュアルデザインを学んでいました。家に職人さんのいる環境にいたため、クリエイティブな現場の過酷さはよく知っていたので、将来への希望に満ち溢れているわけではありませんでした。ただ、漠然とその方向に進みたい気持ちはありました。また、絵を描くことやデザインをすることは好きだったので、今振り返るとやっぱり興味があったからこそ芸術の道に進むことを選んだのだと思います。
■先代が作り上げてきたクリエイティブなスタイル
株式会社三才は、今年創業90周年になります。京友禅ベースの伝統的な技術・技法を持ち合わせていますが、うちはその中でもちょっとへそ曲がりな、どの染屋さんよりも作家のようにクリエイティブで革新的な染屋として有名です。初代才三郎の頃は、マニアックな洒落物を作らせたら面白いものを作るような意味合いとして「斉藤さんのところに鼠(ねず)を使わせたら京都一」として名を馳せていました。
現代の日本では、キモノに対するイメージは、普段使いするものではなく、結婚式のような特別な日に着るものへと変化しました。このような中で、日本人の立ち振る舞いを美しく見せるためのキモノのセットアップを初めて発表したのは、2代目である父の三才です。三才は、小柄な日本人を美しく見せられるように、太い帯で上下を分断するのではなく、同色や同柄で合わせるなど、職人にはできないスタイルの提案を意識してきました。
洋服よりもキモノを着ている方が、正直モテます。なぜなら、キモノを着ている時は、物を取る際に袂を押さえたり、座る時には裾をさばいたりなど、あらゆる所作に素敵な色気が出るからです。それらのことは着てみないとわからないので、より多くの方にキモノを着てもらってその感覚を体感してもらいたいと思います。
■昭和を懐かしむキモノではなく、令和のファッションとしての新しいキモノを
僕は、年に2回ファッションショーを行っています。それは、キモノをモノとしてではなく、アイデンティティを象徴するファッションとして発信したいからです。キモノと帯だけではなく、小物やモデルも発表のテーマに合わせ、常に日本人の「ルーツ」や「らしさ」を考えてきました。
僕は、キモノはこうあるべきだという考えはありません。ファッションショーでは、「ほらね、キモノを着ることが1番新しいでしょ」と令和のファッションとしての新しいキモノを発信しています。決して昭和時代を懐かしむようなキモノの姿としてではなく、伝統文化・工芸こそが新しいと発信することにこだわっています。しかし、新しければ良いというわけではありません。やりすぎるとアニメのコスプレになってしまいますし、何もしなければ進化はありません。進化の程度に注意することは難しいですが、キモノによって素敵に美しくスタイルを良く魅せつつ、時代の変化に合わせたキモノを提案しています。
例えば、今着ているもの(※編集部注:取材時に斉藤さんが着ていたキモノ)はデニム生地を使用したキモノになっています。デニムですから洗濯機で洗えますし、長襦袢に見えるものはTシャツです。デニムやジャージなど、メンテナンスフリーの素材を使ったキモノもありますが、このような略式的な素材のキモノは一見初心者向けですが、ファッションが好きなマニアの人が手に取れるようにこだわっています。絹は確かに最高の素材ですが、いかに令和の美意識や価値観に合わせて新しいキモノを作っていけるかが大事だと思っています。
■周りに合わせるよりも、自分のやりたいことを
自分がデザインしたキモノを発表するようになった最初の年では、自分のやりたいものを押し殺し、周りの目を気にしてウケを狙いに行きました。自分が作りたいものを作ってもどうせわかってもらえないだろうと思っていたからです。しかし、それはウケる事も無く、評判も悪く、自分でも納得の行かない結果となってしまいました。
その経緯もあり、2年目の発表は自分のやりたいようにやってみることにしました。これが成功しなかったら辞めるという勢いで予算もかけていただき、生地もオリジナルにこだわりました。そのように自分のやりたいことを詰め込んだ2年目の発表には、たくさんのお褒めの言葉を頂くようになりました。その時に「わかっていないのは自分やったんや」と気づきましたね。
■学生へのメッセージ
とにかく目の前のことにがむしゃらになって欲しいです。計算高さより目の前のものを信じ、邪念なく一生懸命に向き合った先には、必ず道が開けます。何かに打ち込んでいる方は素敵に見えますし、周りの人は意外としっかりと見ているものです。様々な困難のハードルを越えていけば自信にも繋がり、自信によって言動も変わっていくことで成功へのチャンスにも近づくはずです。是非色々なことにチャレンジしてみてください。
学生新聞オンライン2024年5月15日取材 昭和女子大学3年 竜澤亜依
N高等学校 2年 石川輝/慶義塾大学 3年 塚紗里依/昭和女子大学3年 竜澤亜依/法政大学4年 島田大輝
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