元バドミントンプレイヤー 永原和可那

バドミントンから世界への挑戦

元バドミントンプレイヤー 永原和可那 (ながはらわかな)

■プロフィール
北海道・芽室町出身。元バドミントン女子ダブルス世界ランキング1位。2018・2019年世界選手権2連覇、東京・パリ五輪出場。2025年に現役引退後は講習会・講演活動に加え、ピックルボール普及にも挑戦。スポーツを通じた人材育成と地域活性化に取り組んでいる。

松本麻佑選手との「ナガマツペア」として約11年間、バドミントン選手としては22年間、バドミントン界の一線で活躍していた永原和可那選手。永原選手は、現役時代は何を思ってプレーしていたのか、また引退した現在の心境に迫りました。

■唯一続いたバドミントン

私は幼少期からさまざまな習い事に挑戦してきました。幼稚園の頃は水泳を習い、小学生になると陸上やピアノ、スケートなどにも取り組みました。バドミントンをはじめたのは、小学2年生のとき。姉が先にバドミントンを始めていて、その練習について行ったのがきっかけです。幼少期の頃は好奇心旺盛な性格で、新しいことに興味を持つことが多くありました。バドミントンを始めて2年ほど経った頃にはダンスに夢中になり、バドミントンを辞めてダンスや新体操を習いたいと思うようになりましたが、そこには友達がおらず、一人で飛び込む勇気が出ず結果的にバドミントンを続けました。
小学4年生になる頃には、全国大会に出られるようになりました。
この頃は、「全国大会に出場したい」という一番の理由が、日本各地へ旅行に行けることでした。そのため競技への意識はまだ高くなく、結果も一回戦負けが続くようなレベルでした。
しかし、中学時代に出会った部活の先生が「本気で日本一を目指してやろう」と言ってくださり、厳しくも熱心な指導を受ける中で、初めて本気で競技と向き合うようになりました。その先生は、私にとって今でも大切な恩師です。
ただ中学ではシングルスがメインでしたが、結局全国ベスト16までしかいけませんでした。
高校は、スポーツ名門の青森山田高等学校(略:山田)に進学し、日本一を目指し練習に励んでいました。厳しい練習の日々でしたが山田は特に団体戦に重きを置いていた学校だったので、部員全員で一緒に切磋琢磨することができました。そしてやっと高校3年生のインターハイで団体戦と個人のダブルスで優勝し、2冠することができました。

■悔しさを原動力に

バドミントン選手だった現役時代は、苦労したことの方が嬉しいことより圧倒的に多かったです。
競技人生で特に苦しかったのは、怪我によってコートを離れなければならなかった時期です。
長いときには約1年近く大会に参加できず、ダブルス競技である以上、自分だけではなくパートナーにも迷惑をかけてしまうことが何よりもつらく感じました。だからこそ、「復帰するときは怪我をする前の自分を超えて戻る」という強い気持ちを持ち、日々リハビリに取り組みました。
あと私はメンタルトレーニングを約7年間継続し、メンターとの対話を通して自分自身と向き合い、内省を繰り返してきました。もともと自分にあまり自信が持てませんでしたが、トレーニングを続ける中で、『ありのままの自分』を理解し、受け入れられるようになってからは競技力の向上だけでなく、人として大きく成長するきっかけにもなり、今の自分の土台になっています。
この苦しかった経験があったからこそ、人としても競技者としても大きく成長することができたと思うので、バドミントンを続けてきて本当によかったと心から感じています。

嬉しかったことはやっぱり試合で勝てたときです。あとは日本代表として年間約250日を合宿や遠征で過ごす過酷な日々でしたが、その一方で、さまざまな国の文化に触れたり、海外の選手と交流を深めたりできたことは、とても貴重で楽しい経験でした
特に印象に残っているのは、2018年の初めて出場した世界選手権と東京オリンピックでの経験です。
世界選手権は、もともと出場権を持っていたわけではなく、他国の選手の棄権によって繰り上がりで出場が決まりました。そのため周囲からの注目も少なく、自分たち自身も実力を試す場という気持ちで臨んでいました。それだけに、優勝したときは、喜びよりも「本当に世界一になったのか」という驚きと実感のなさが大きかったです。しかし表彰台に立った瞬間に少しずつ実感が湧き、この経験が大きな自信につながりました。
一方で、最も強く記憶に残っているのは、東京オリンピックの準々決勝です。自国開催のオリンピックを最大の目標として努力を重ねてきましたが、コロナ禍により無観客での開催となり、私が思い描いていた舞台とは大きく異なりました。会場は独特の静けさと緊張感に包まれ、これまでの競技人生で一番緊張した試合だったと思います。
最終ゲームではデュースで6度のマッチポイントを握りながらも勝ち切ることができず、あと一歩のところで敗れ、メダルを逃しました。あのときの悔しさは今でも忘れることができません。
実は当初、東京オリンピックを最後に現役引退するつもりでした。しかし、コロナ禍で約2週間の隔離生活を経験し、バドミントンができない日々を過ごしたことで、「自分はバドミントンに生かされていたのだ」と気づき、もう一度競技を続けたいという思いが芽生えました。
それでも、すぐにパリオリンピックを目指す覚悟が決まったわけではありませんでした。それが東京オリンピックで敗れた瞬間、「この悔しさはパリで晴らしたい」という強い思いが生まれ、パリオリンピックを目標に競技を続けることを決意しました。
東京からパリまでの3年間は、多くの方々に支えられながら競技と向き合い、最後まで全力で挑戦し続けることができました。

■約11年続いたダブルスの秘訣

「ナガマツペア」として約10年半活動しましたが、途中で「ペアを解消したい」と思ったことも正直ありました。最初はお互いに人見知りでコミュニケーションもうまく取れず、性格やプレースタイルも正反対だったため、相手を理解できないことが多くありました。そのため、ペアというよりも個々の能力で戦っているような状態が最初の2年ほど続き、勝つこともあれば負けることもあり、結果に波がありました。
転機となったのは、ペア結成3年目頃のことです。絶対に負けられない試合で格下の相手に敗れ、「このままでは目標には届かない」と強く感じました。そこで二人で長時間話し合う時間を設け、まずはお互いの目標を改めて確認しました。その結果、「東京オリンピックで金メダルを獲得する」という目標が一致していることを再確認できました。
そして、私たちに最も必要なのはコミュニケーションだと気づき、それ以降はどんな小さなことでも思っていることを伝え合うことを大切にしました。話し合いを積み重ねることで信頼関係が生まれ、次第に結果もついてくるようになりました。

■挑戦をやめない

現在は、バドミントンの講習会や、自身の競技経験を伝える講演活動などを通じて、スポーツの普及・振興に取り組んでいます。その中で、新たな挑戦するきっかけを、誰かに与えられるような人になりたいです。
学生のみなさんには大学生活を楽しんでほしいと思います。その中で、趣味やコミュニティを通して自分は「どんなことに挑戦したいのか」「どんな人生にしたいか」を考えていってほしいです。

学生新聞オンライン2026年7月20日取材 かえつ有明中学校2年 狩野百福

武蔵野大学4年 吉松明優奈/かえつ有明中学校 2年 狩野百福/法政大学3年 板垣和/城西国際大学 3年 渡部優理絵/京都芸術大学1年 猪本玲菜

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