映画プロデューサー 芥川志帆 「想い」から生まれる映画制作という名のドラマ

映画プロデューサー 芥川志帆(あくたがわ しほ)

■プロフィール

神奈川県横浜市出身。幼少期は劇団ひまわりに所属し、映画などに出演。大学時代はヒラタオフィスへ所属しモデル・女優として活動。2012年アパレル会社に入社し、EC運営やイベントコンテンツの企画などを手がけた後、2015年11月より映画プロデューサーとして活動をはじめる。2022年、株式会社CUPRO ENTERTAINMENT設立。
主な作品は映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』エグゼクティブプロデューサー(監督:森ガキ侑大)、Twitterドラマ プロデューサー、映画「STAND STRONG」宣伝プロデューサーなど。現在2023年公開予定作品の企画製作を進行中。

「映画にすることで伝わる作品、メッセージがあります」。たった一人で企画から、打診、スポンサー集めまでこなす女性映画プロデューサー。なぜ女優業、アパレルから映画プロデューサーになったのか。子供のころから活動してきた彼女が学生に伝えたいこととは。そんな女性の子供時代から話を伺った。

■学生時代の過ごし方

幼稚園から小学校低学年くらいまで、子役養成事務所の劇団ひまわりに入っていました。当時は自分の意志ではなく親の勧めで入っていたため、自分から学ぼうとしておらず、「自分には演技は向いていない」と思っていました。しかし大学生になってから自分の意志で「演技がしたい」と思うようになり、自ら選んだ芸能事務所に入り、女優やモデルの活動をしていました。学生時代は「今しかできないこと」に時間を捧げたいと思い、芸能活動の他にも様々な国に足を運ぶなど、自由な時間を満喫していました。

■新卒で入社したアパレル業界

当初は芸能活動をしていたため、就職することは考えていませんでした。しかし、芸能の仕事をプロとしてやっていく志はないと感じたこと。そして、人生に一度しかない新卒入社を経験した方がいいと考えたため、悩んだ結果、アパレルのベンチャー企業に入社しました。アパレルという業界にこだわりがあったというよりは、3年で社会人としてのすべを習得したかったため、年齢や経験値ではなく、実力主義で様々なことにチャレンジができそうなアパレルベンチャー企業を選びました。

■25歳で映画プロデューサーへの道を決意

子どもの頃から映画などの撮影現場を多く見てきて、その世界には夢があり、とても魅力を感じていました。女優業や、アパレル企業でのさまざまな仕事を経験したからこそ、やはり私は演じる側ではなく、「映画を作る仕事がしたい」という意志が固まっていきました。女性として、結婚・出産などプライベートなどに対する夢もある中、30歳で新しいことに挑戦するのは遅いと思い、25歳の時に映画プロデューサーの道へ進むことを直感で決心しました。勤めていた会社が上場し、一区切りついたタイミングでもあり、「今だな」と思いました。

■映画を0から作るプロデューサー

映画を作るときは、まずは「こういうストーリーやメッセージを届けたい」「こういう企画を作りたい」「この監督と映画を作りたい」など、ゼロから企画を構想します。そして企画、予算組み、資金集め、キャスティング、配給会社の選定、撮影といった流れで進めていき、撮影現場でのクリエイティブ以外の製作関連はすべて携わります。既に漫画やアニメなどで大ヒットしているものを映画化することは大手の制作会社が行っているので、私はオリジナル原作やまだ世に出回っていないもの、原作があるものであっても、映画として初めて映像化されることでより多くの人に届けられるもの、届けるべきメッセージがあるものを映画化したいと思っています。
その作品をどの監督とどのような脚本で作るのかなどの座組を整え、キャスティングイメージを固めたら芸能事務所へ打診します。それと同時に配給会社への営業、スポンサー営業も行います。しかし、ある程度座組が決まり資金が集まっていないと芸能事務所や配給会社との話は進行できず、逆にキャスティングや配給先が決まっていないとスポンサー営業も難しいため、卵が先か鶏が先か、どこから固めていくかが毎回難しい点です。その中でも最も苦労する仕事は、やはりスポンサー集めです。日本は海外に比べて、映画などの文化・芸術に資金を出してくれる企業が少なく、特にまだ何も経歴のない出始めの頃は、なかなか企業に信用して貰えないこともありました。本来ならばすべてのスポンサー企業が決まってから撮影に入らなければなりませんが、撮影が始まってもなおスポンサーが集まりできず、撮影現場に入りながらようやく資金を出してもらえたという経験もあります。

■人との繋がり・想いから生まれる映画制作のやりがい

人と人とのたくさんの繋がりによって一つの作品がつくられることが、一番のやりがいです。映画は人対人で完成するものなので、協力をしていただける関係者の方達・スポンサー企業の方々に「いかに思いを伝えるか」が重要になります。そのため広告のような受注・発注の仕事ではなく、企画ごとにマッチするスポンサーを探します。もちろんビジネスではありますが、興行などの「利益」ではなく「作品への思い」を受け取ってくださった方が、結果スポンサーとして協力してくれるのだと実感しました。そんな中、協賛してくださった方々やロケ地で協力してくださる地元の方達は、まるで親戚のようなあたたかい存在でした。予算ギリギリで映画を制作することも多く、費用を削減しなければならない場面も多々あります。そんな時に、ロケ地の飲食店や旅館組合の方々が協力してくださることもありました。こうした、たくさんの方々の温かい支えがあるなか、みんなでひとつの作品を作れることに、強くやりがいと幸せを感じます。撮影がクランクアップした時には、地元のみなさんと一緒に泣いて喜んだことも印象に残っています。これまでお世話になった方々のなかには、映画製作が終わった後も長年連絡を取り合っている方もいます。また、自分の作った作品が日本全国で放映され、さらに海外映画祭などで海を渡り、自分の行ったことのない国にまで届いて評価されることも映画製作ならではのやりがいだと感じます。

■1人の女性として社会に届けたいもの

前作の頃は独身だったのですが、現在は結婚、出産を経て1児の母となりました。これがきっかけとなり、女性だからこそ、母親だからこそ作れる「母と子の物語」のような作品を手掛けたいと考えています。映画業界では今なお古い考え方が染みついていることも多く、歴史のある文化ももちろん素敵ですが、面白いエンターテインメントを届ける上では変えていきたい面もあります。いまの私自身の立場だからこそプロデュースできる作品を手がけていきたいです。

■大学生へのメッセージ

リスクを考えすぎず、何でも挑戦してみてください。私自身、10年前にリスクを考えて怖くなっていたことでも、今思うとたいしたことではないケースがほとんどです。例え借金を抱えたとしても、死にはしません。学生という自由な時間は本当に貴重ですので、とにかくチャレンジしてみてください。いくら失敗しても、リスクを負っても、絶対に挑戦した方が幸せだと思います。そして、実現したいことの成功ストーリーを常に頭で思い浮かべるようにしてください。私自身、成功ストーリーをよりリアルにイメージすることができたことほど、実際に実現できていると感じます。

学生新聞オンライン 東海大学3年 大塚美咲

学生新聞インターンとの集合写真

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