国民民主党 衆議院議員 古川元久
明日の社会が良くなるか悪くなるかは私たち次第
国民民主党 衆議院議員 古川元久(ふるかわもとひさ)
■プロフィール
1965年愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高校・東京大学法学部卒。米国コロンビア大学大学院留学。1988年大蔵省(現財務省)に入省し、1994年に退官。1996年衆議院選挙で初当選し、現在9期目(愛知2区)。この間、内閣官房副長官、国家戦略担当大臣、経済財政政策担当大臣等を歴任。現在は国民民主党国会対策委員長を務める。
国民民主党に所属する衆議院議員として活動される古川元久さん。政治家の道を選んだきっかけから、実現したいと思っていることについて伺った。
私の父は真面目だけれども出世とは一切無縁の万年平社員。家の生活は楽ではなく、母が内職をしてなんとか家計を支えていました。そんな家庭に育った私は「真面目に働く人が報われる社会にしたい」と思うようになり、その思いを官僚になって実現しようと考え、当時、官僚になるには東大に入るのが最も近道だったので、東大をめざして必死に勉強し、なんとか合格することができました。
しかし大学に入ってしばらくして弁護士になって世の中をよくしようと思うようになりました。ただ経済的事情から留年や浪人してまで試験勉強を続けられるような状況ではなかったので、大学図書館に閉館までこもって勉強する毎日を過ごしました。勉強漬けでつらい毎日でしたが、こうした生活から早く抜け出したい一心で頑張ったおかげで在学中に試験に合格することができ、また忍耐力も養われました。でも司法試験合格後、やはり初心に戻って官僚になることにし、大蔵省(現財務省)に入省しました。
■アメリカ留学が政治家としての道を選ぶきっかけに
私が政治家をめざすきっかけは27歳の時のアメリカ留学です。当時は円の価値が高く、同じ給料でも日本よりずいぶんいい生活ができました。一方、当時の日本はバブルが崩壊して、多くの人が「これから日本は悪くなる」と感じていました。そこで私も「日本に帰らず、このままアメリカに残ろうかな」と思っていました。そんな時にふと、霞が関ビルなどを設計した建築家の方から聞いた言葉を思い出したのです。その方は戦後の占領時代にアメリカ留学し、豊かで安全なアメリカ社会を見て「いつか日本もこうした社会にしたいと思って、日本に帰ってきて努力したんだ」という話を、私の留学をお祝いする会でしてくれました。
その言葉を思い出し、「いま自分がこうしていい暮らしをしていられるのは、こうした先人の努力のおかげで、もしいま自分たちの世代が『これから日本は悪くなる』と日本を捨ててしまったら、間違いなく日本は悪くなるのではないか。それでは血の滲むような努力をしてくれた先人たちに申し訳ない。『これから日本は悪くなる』なんて他人事のように思うのではなく、悪くならないよう自分たちが頑張らなければならない」ということに気づきました。
私は政治家と官僚の役割の違いは、政治家の役割はレールを敷くことで、官僚の役割は敷かれたレールの上を列車を脱線させず、時刻表通りに運転することだと考えています。当時、官僚として仕事をしていて、「いま必要なのはこれまでのレールに替わって新しいレールを敷くことだ」と感じていたので、私は官僚をやめて政治家の道をめざすことを決断しました。
■「居住面積倍増」でピンチをチャンスに
人間の基本的ニーズと言われるのが「衣食住」。このうち日本の「衣」と「食」はほぼ満たされています。しかし「住」はどうかというと、お世辞にも満たされているとは言い難い。かつては「こんな狭い国土に1億を超える人がいるんだから仕方ない」と言われて、住環境の改善は諦められていました。しかしいま日本は人口減少に伴い空き家がどんどん増えており、「空き家問題」が大きな社会問題になっています。ならばこの状況を活かして、この機会に日本人の住環境を劇的に改善する、具体的には一人当たりの居住面積を倍増させる「居住面積倍増」を実現したいと考えています。
この人口減少に限らず、日本はいまさまざまな困難に直面しています。でも「ピンチはチャンス」。この機会を逆に活かして、私たちの暮らしをよくするチャンスにするのです。それがいまの時代を生きている私たちに課せられた使命だと思います。
■大学生へのメッセージ
いつの時代も次の時代の主人公は皆さんのような若い世代です。自分たちで自分たちの未来はよくするんだとの自覚と自信を持って、いま自分ができることに全力で取り組んで下さい。そうすれば未来は必ず明るくなるはずです。
学生新聞オンライン2022年12月14日取材 日本大学4年 和田真帆
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